複雑・ファジー小説
- 【一から始める妖道】 ( No.4 )
- 日時: 2019/03/07 21:35
- 名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)
弐【無視をした】
襲撃者がまさかの空腹で倒れるという事態。余計な力が抜けた俺は一人、木を背中にしたたまま考え事を始めた。
目の前には、依然として狐耳の化け物が地面に突っ伏しており、腹の音を鳴らしている。
さてさてどうしたものかと、首を傾けた。
襲われそうになったのだからさっさと逃げだしたい気持ちはやまやまなのだったのだが……改めて周囲を警戒してみておかしなことに気がつき、起き上がろうとしていた足から力が抜けた。
「(そもそもここ、本当にあの山の中か……?)」
辺りはいたって普通。よくある、林の中の少しだけ開けた場所のように見えたが、もう一度よく観察してみるとなんというか、普段見かけないような植物だったり、やけに樹齢が長そうな太く逞しい木ばかりであることに気が付いた。
はて、ここが山道の一部だとすると……自分は昨日こんな場所を通っただろうか、と考えてしまう。そして、山にはこんな植物が生えていただろうか……。
「(あれ、どう考えても人だったよな。なんで人が空を飛んで……)」
ふと空を見上げた際に見えてしまった「人影」が気になってしょうがない。最初は黒く大きなのが空にあるな、大きな鳥か何かかと思ったが、よくよく考えれば翼とは別に腕があった気もする。
人間らしい足も見えた気がするし、確実にあれは空を飛んでいた気もして……つまるところ目の前の空腹狐耳男以外の人外の存在を認めざるを得なかった。
このままでは迂闊に出歩いたところで襲われる。そう思うと同時に背筋に冷や汗が流れた。
現時点で見えている脅威が倒れている謎の狐っぽい男の子だけのこの場所から離れられなくなっていたのであった。
とにかく落ち着いて状況を整理しよう。そうすれば何かいい閃きが降りてくるかしれない。
そうリュックサックを自分の太ももに置き、無理やり深呼吸をして息を整えると持ってきた荷物を確認した。
出発した時は非常用の漢字のついたそれをあまり確認もせず持ち出しただけなので、せいぜい水と食料が入っているぐらいしか知らなかったのだ。
「(頭巾に軍手、合羽と……あっ電池。でも、懐中電灯は……落としちゃったか)」
握っていたはずの懐中電灯がないことに気が付き、少しうなだれる。これで夜間の危険度は大幅に増してしまった。
他にも、絆創膏やアルコール、粘着質のガーゼや体拭きシートに携帯ラジオ。
500mlのお水3本に、クッキータイプの栄養食、カンパン。
これだけあれば2,3日は生き延びられそうで少しだけ安心した。しかし、幸もお腹を空かしているだろう。会えたら殆どを幸が食べてしまうかもしれない、なんて軽く冗談を頭の中で考えて笑った。
食べ物はともかく水は重要だ、妹のためにも必ず一本は残しておこうと心に決めた。
とはいえ、俺は少しだけそういったことに耐えられるので特に問題はないだろう。
「(あ、なんか安心したらおなかが空いてきた……あ、羊羹の袋詰め。これでも食べよう——)」
「おなか、すいた……」
最後に出てきたのは徳用の小分け羊羹の詰め合伏せ袋。
ピクニックするときになぜか買ってしまったそれ。夜出るときに突っ込んでいたのを思い出した。
とにかく、まず何か口に入れようと羊羹を一つ取り出し口に入れようとした時、そのにおいが届いたのか、空腹を訴える声がうわ言のように聞こえた。
何を言っているんだと思い、チラリとは見たが相変わらず動けてはいない。
こいつは自分を襲おうとした存在である。化け物である、故助けなくてもよい、よいのだ。
「もうだめ、です……」
何やら戯言が聞こえるが、虫が良すぎるので無視することとする。
……別にダジャレが言いたかったわけではない。が、なんとなく優位に立てているような気がして少し気が晴れた。
もう一度彼の方を見てみれば、狐のようなしっぽがへたりと倒れこんでいるのが見えた。顔は先ほどよりも少しだけ持ち上がっているがそれだけ。眼は覚悟でも決めているのか閉じられている。
命乞い、と言うよりは本当に無意識で出た言葉だったのだろうか。
思わず彼の身の上を考えてしまった、だがそれでも関係ないと視線を逸らす。
──風が吹いた。
葉が舞い、何枚かが彼の上に落ちた。それに対して彼はどけることも出来ずただ倒れている。
このままは彼は餓死して、次第に骨となり林の一部になっていくのだろうか。
それを見てどうしてか、彼が吹雪の中で倒れている姿を幻視した。
嫌いで、それでいて捨てられない過去をふと、よぎらせた。
「……はぁ、ったく」
恐怖が消えた目で見るとやはり、自分より1,2歳年下の子供がコスプレしているようにしか見えない。
それが目の前でこうして腹の音を響かせている前で食事をする、そんなことはできなかった。
なにより、それを見捨てることは過去の自分を見捨てるようで……吐き気がした。
立ち上がって、彼に近づいた。
「ごめんなさいししょ——へ?」
「ほら、気が変わる前にさっさと食べろ」
そう言ってさっさと元の位置に戻った。
羊羹が例え一つだったとしても、自分は渡しただろうか。なんて無意味な問いが頭で湧き上がったがすぐ消える。
彼の目の前にあった比較的綺麗な石の上に、包んでいたビニールを敷いて、剥いた羊羹を置く。よく考えなくても不衛生で、剥いたビニールを皿代わりにしたとは言え、なんだか選択を間違えた気もする。
やってしまったことはしょうがないとばかりに、迷いも不安も切り捨てた。
ぱっと目を開けた彼は、黄金色の綺麗な眼をこちらに向けた。それから数秒ほどして、何度も羊羹とこっちに視線を切り替え繰り返した後、恐る恐る羊羹に手を伸ばす。
土で汚れた両手が羊羹に触れ、何も起こらないことを確認すると、慌ててそれを口の中に入れた。
もう少しゆっくり食べたところで、別に取らないというのに。と自分のかけた言葉を棚に上げ、頬杖をつく。
体を起こし、何度も何度も咀嚼しているその表情はとても幸せそうで、満ち足りている。両手で頬っぺたを抑えながら食べている辺り、数日ぶりの食事は余程おいしかったのだろうか。
それを見ていると、最初に警戒していたこちらが馬鹿らしくなる気がした。
ふと自分の手元に目を下ろし、まだ羊羹が十数個残っていることを確認、そしてもう二つ取り出して、一つはまた彼に上げる。
差し出されたそれをしばらく呆けた目で見ていた彼だったが、理解すると目を輝かせて受け取り、それもまた美味しそうに食べ始めた。喉に詰まらないか心配になるほどの食べっぷりだなと思う。
そんな彼の様子を見ながら自分も一つ口に入れ、十数時間ぶりの食事を始めたのであった。
*****
前話 >>2
次話 >>6