複雑・ファジー小説
- 【一から始める妖道】 ( No.7 )
- 日時: 2019/03/07 21:46
- 名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)
肆【迂闊であった】
少々増水している思わしき川に沿って下る。
先ほどよりは始の足が遅くなって、もう少しすればただの横並びになるだろうというほどの距離感。
心なしか、彼の顔色が少し悪くなってきたように見えて、心配になって何度か声をかけた。
「い、いや大丈夫ですよ! そりゃ元気満タン、とはいきませんがだいぶ楽になってますし! ほら、ほら!」
「わ、わかった。わかったから……」
けれど、その度に逆にから元気を出されていてはしょうがないと追及するのを止めた。ただ歩くより、誤魔化すための身振り手振りの方が体力を大きく削っているように見えたからだ。
それに、もう少しすれば目的地。どのみち疲れはそこでとれるのであれば多少無理してもらっても問題はないのかもしれない。
「……なあ、その町ってところに人間は……いないよな?」
「そうですね、というより妖界に人間は一人もいないはずですよ?」
「そ、そっか」
彼に聞いたところによればもう少し下っていけば橋があり、そこを渡って道なのに行けば町につくらしい。なんでも、妖界の中では二番目に栄えているという場所らしい。
望みは薄かったが気になり、町に人間はいるのかと尋ねてみれば速攻で「いない」と返ってくるので、いくばくかの不安を覚え、視線が自然と下がる。
彼はそれに気が付いたのか、こちらを気遣い励まそうとしてきた。
「だ、大丈夫ですって! 妖怪が人間を襲っていたなんてだいぶ昔の話ですし、町に住むような妖怪は人をわざわざ襲うようなタイプじゃないですから!」
「いや妖怪って時点で恐いんだって……それにみんながみんな人間に似ているような容姿ってわけじゃないんだろ?」
「それは、そうですが」
3mを超す巨人の様な鬼が出てくればどうしよう、ホラーゲームに出てくるような怪物にでも会えば腰を抜かすどころか……。そこまで想像してしまい体温が下がるのを感じた。
──そもそも、妖怪だらけの町に人間という自分が入れるかどうかすら怪しいのだが……入れなければのたれ死ぬ運命が待っていそうだ。そこは考えないでおくことにした。流石に始にも何か考えがあるのだろう。
「(……幸)」
暗い闇の中、手が届かなった妹の事を思い出す。
俺は早く人間界に戻り、幸を見つけないといけない。本来、妖力がなければこちらにはこれないというのだから、幸は未だにあの山の中で彷徨っているのだろう。
弱音を吐いて、だらだらと時間を消費するわけにはいかない。そう頭の中で何度も繰り返して、騒ぐ心臓を抑えつけた。
幸いにも、無理を効かせるのには好条件なほど天気はよい。ちょくちょく空には異形な鳥が飛んでいるさますら見えたのは置いておくとして、快晴といっていいほど空は青々としていた。
たまに雀やカラスらしき鳥も確かに見かけ、完全に別の生態系というわけではないことを俺に教えてくれた。
「雀……美味しそうですね」
やはり体調が優れないのは空腹からか。
ジュルリ、と口からよだれが垂れそうだと思えるほど大口を開け、空を軽く見上げていた始。それに思わず後ずさりをすると、始は照れながら頭に生えた耳をかく動作を見せる。
ふと思ったが、頭の上に耳があるという事は顔の横には生えていないのだろうか。
「あー、あーいや、別に人間さん食べたりはしませんよ? 恩を仇で返すような狐ではございませんので!」
彼は人間を食べることが出来る、という事は否定しなかった。最初の時に彼に力がなければ頭からバリバリと食べられていたのだろうか。
冷や汗がでた。
「そ、そういえば始はさっきの妖術? って、やつで食料を調達しようとか思わなかったのか?」
「っ、いやまあ……の、のどが渇きましたねー」
少しでも話をそらそうとして気になっていたことを口にしてみると、何かまずいことを聞いてしまったようだ。始は耳がせわしなくパタパタし始めた。
そしてお互いさまではあるが、分かりやすすぎる話題そらしをする。
そう言えば歩き始めてから大分たった。自分も少しだけでも水を飲むべきか。
リュックからペットボトルを取り出し口をつける。
その動作につられ、彼も腰に待ちつけていた竹で出来た水筒を取り出した。飲もうとしているのか傾ける。
しかし、そこからは水の一滴も出てこない。どうやら空のようだ。
「……あっはっはっは。そ、そう言えば飲み切ってました」
「そりゃ、行き倒れしてたんだし水なんてとっくに飲み切ってるだろうな……の、飲むか?」
「いえいえ、すぐそこの川で汲んできますよ」
流石にこちらだけが飲むというのは気が引けた。
なので、自身が持っていたペットボトルをおずおずと差し出してみたが、それは悪いと始は川を指さし小走りでかけていった。
妖術とやらで飲み水の問題も解決できなかったのだろうかと疑問に思ったが、妖術とやらも万能ではないのだろうと自分で結論付け、ボトルをリュックにしまい始を追うように歩いて近づいた。
川の流れは緩やかになっているようで、ゴミが浮いているようなことはないようだ。色も透き通っていて、飲み水には十分使えそうだ。
彼はその場でしゃがみ込み、川に手を突っ込んでいた。飲む前に手を洗っているのだろう。
試しに自分も彼がしている様に川の近くにしゃがみ込み、水の中に手を入れる。
程よい冷たさで、指と指の隙間を通り抜けていく感触は去年みんなで川遊びしたことを思い出させた。川の底に見える黒くて丸っこい石を拾い磨き、宝物にしていたことすら思い出す。
少し前までの会話で生まれた不安も、この川の前ではすべて流れてしまう、そんな気さえするほど、人生で一番きれいな川だった。
「うー、水が冷たくて気もちいいですね…………ん?」
同じように癒されていたのだろう始。けれど彼はなにか気になったのか、しきりに首を傾げ一向に水に口をつけようとしない。
「そうだなー……って首傾げてるけど、なんか気になることでもあるのか?」
「……何といいますか濁りがあるような」
「へー、これでまだ濁ってるのか。妖界はかなり自然がきれいなんだな」
濁りというワードに少し疑問を覚えつつ反応を返せば、彼は未だに首をかしげ、それでも飲まないわけにはいかないのか竹筒に水を汲む。が、鼻に近づけ何度もにおいをかいでいた。
別に異臭がするというわけでもないので俺は、軽く両手ですくって口につける。
塩素の味は全くしない、見た目の通り透き通った味だ。水道水とどちらがいいと言われれば、断然こちらの方を選ぶだろう。
──だが、喉の途中に何かが引っ掛かった気がした。
見た時にはわからなかったが、ごみでも混ざってたのだろうか。そんな気がする程度で、別段気持ち悪くなる程ではない。
しかし、そんな俺を彼は心配そうに見つめていた。
「だ、大丈夫ですか? 嫌な予感がするんですが」
「特になんもないけど……」
「うーん……そうですか、ではどれどれ——ぅべぇっ!」
「──大丈夫か!?」
恐る恐る彼が口にすると、すぐに目を見開き吐き出した。演技だと疑う余地もないほどに彼は水に対しての拒否を全身で表していた。
そのまま四つん這いになり、ほぼからっぽであろう胃の中身さえも吐き出しそうになる。
思わぬ事態に驚き、濡れた手を服の端で拭いて彼の背中をさすった。
それから、一分ほどが経っただろうか。彼のえづきが収まり涙目になりながらも言葉を発した。
「だ、だいじょうぶです……なんか口に入れた瞬間体中に悪寒が走って、おかしいですね……こんなこと普段はないのに」
「(さっきの嫌な予感ってこれか? けど俺は、別に何も……とりあえずこの川の水じゃなきゃ飲めるか?)なら、俺の水を飲むか? ほら、羊羹もまだ余裕はあるし少し休憩とって食べろって」
自分の軽はずみな行動のせいで苦しんだのが申し訳なくて、ついリュックから水と食料を渡した。
始は一旦それを遠慮して受け取らず、強気にふるまおうとまた竹筒を口に近づけた、だが先ほどよりも顔が引きつって寸前のところで飲むことが出来ていない。
そんなところを見ても居られず、彼から竹筒を奪い取り、ペットボトルを無理やり握らせる。
「あ——」
「お前に倒れられたら困るのはこっちなんだ。だから遠慮せず飲め、な?」
「む、むぅ……ではお言葉に甘えて一口だけ」
彼は視線を何度かぐるぐるとさせた後、ゆっくりとペットボトルを傾けて、水を口に含んだ。
今度は悪寒も感じなかったようで、自然と目じりが下がっているのが分かる。
だがやはり遠慮し、少し飲んだだけで返そうとしたのが少しいらついた。いたずらするような気持ちで、片方の手はペットボトルを、もう片方は彼の後頭部をつかみ、無理やり飲ませた。
「──?!」
「ちゃんと飲め」
寝込んだ弟たちの世話を思い出す。
いつもは元気なくせして、病気にかかれば何を弱気になっているのか粥すら食べようとしなかった弟たち。それにムカついて自分の取り分すら無理やり食べさせていた事。
彼は観念したのか、次第に水をしっかりと飲み始める。半分ほど飲んだのを確認した後、ペットボトルを離すと大きく息を吐きだす。
その隙を狙って今度は羊羹を口に突っ込んだ。
「ちょっ」
「吐いたんならしっかり食え」
拒否しようとしても無駄だと目で言えば、彼は渋々羊羹を食べた。
いつの間にか、彼への残っていた警戒心はすべて消え、ただの兄貴分としてふるまっていた自分がいた。
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