複雑・ファジー小説
- 【一から始める妖道】 ( No.9 )
- 日時: 2019/03/07 21:48
- 名前: 塩糖 (ID: zxPj.ZqW)
伍【呑気であった】
羊羹を食べ終えた始はその金色の目を輝かせ、こちらを上目遣いで見つめている。後ろの尻尾は興奮を隠せないのかはちきれんばかりに左に右に揺れていた。
人懐っこい犬を思わせるその光景、一体なんだというのだ。
無理やり水と羊羹を食べさせたのだから、終わった後に文句の一つでも言われると思っていたのに。
どうしてこうなったと困惑するしかない。
「一度ならず二度までも、更には貴重なお水までももらってしまい……本当に感謝しております!」
「だ、だからそれはお前が倒れたら困るわけで」
「いえ、いえいえいえ! そもそも最初に食糧をもらった際にも碌にお礼も出来ず申し訳ないと思っていたんです。人間界に戻る手伝いだけではもはや返せない恩ができてしまいました……!」
しかし、どう返せばいいのでしょうかと悩む彼を前にこちらは困惑するばかりである。
散々こちらが妖怪に対してどういう反応を返したのか忘れてしまったのだろうか、いやこの感じだとどれだけ不当に扱われても後で飴一つ渡せば懐いてしまいそうなちょろさだ。
この子がその先、悪い大人に騙されて生きないか少し不安になった。
それが表情に出ていたらしく、心配はないと手を振る。
「ある程度人の善し悪しが分かるから、と師匠は私を旅に出してくれたのですよ。安心して下さ──そうだ! 確かに人間さんは妹さんを探しているんでしたよね!?」
「そうだけど……」
ならば、と始は右手を自身の胸に置き、自信満々に鼻息を吹かす。ほぼ同時に耳と尻尾もピーンと伸びて、気を付けをしているようにも見えた。
「この一尾の始、貴方が人間界に戻り妹さんを探しだすまで、必ずやお力になることを誓いましょう! 師匠などにお頼みして人間界に一時的にですが滞在する許可もいただきます!」
そう言いきると、彼はこちらに背中を向けて、「もう少しで石橋が見えるはずです!」と言って歩き始める。さっきまでよりも力強く、休憩の効果が出ているのかもしれない。
それを受けて俺はというと、その行為が少し重いような、嬉しいような、複雑な気分で彼を追うことにした。
何はともあれ町についた後、そして山で妹を探す時までも妖怪の協力者がいる、というのは心強い。心の端で考えてふと
——今、妹はどんなに寂しい思いをしているのだろうか、それだけが気になった。
◇
川の傍を歩き下っていく。次第に川のへりを形成する石は小さく、それでいて次第に土が混ざり始める。
深さも見た感じでは大の大人が頭まで余裕で隠れてしまう程度には増しているし、水の透明度も少し下がり、川の底はあまり見えないようになった。
ふと気が付いたが、川が透明な時でも途中からは魚が見えなくなっていた気がする。あれはあの辺りから水に異変が起きているという合図だったのだろうか。今考えてもしょうがないが、頭の片隅に入れておいていいのかもしれない。
「(それはそうとして……なんか疲れたな)」
不意に襲ってくる脱力感、頭に血が上っていないのだろうか。普段だったらこの程度なんともないはずだというのに。
額を伝う汗を袖でぬぐいながら、ペットボトルの水に口をつける。なんとなく、竹筒に入れてある水が飲みたい気持ちがしたが……さすがに妖怪である彼が吐き出すほどの水をわざわざ飲む気にはなれなかったし、それを始に伝える気もなかった。
「ああほら、あの石橋です。あれを渡ればすぐ町ですよ!」
「ど、どれだ……ああ、あれか? 遠いな」
汗を大分かいている俺と違い、少しの汗も見えない始。彼が指さしたほうへ目を細めると確かに、橋らしきものが見えた。人間よりも視力がいいのかもしれないが、そんな遠い場所を指摘されても困る。
とはいえ、目的地が見えるとこちらのやる気も湧いてくるというものだ。
ついつい二人して小走りになってしまい、残りの体力をほとんど使うような愚行をおかし、ようやく石橋にたどり着くことができた。
石橋は長さ10m程度。手すりなどはないが人が2,3人が並んで歩ける程度の広さはあるのでそこまで不安はない。苔が張り付いている部分がちらほらあるのが伺えたが、人が歩く部分は削れており、足を滑らせることもないだろう。
中央部分に向けてアーチが築かれており、耐久性においても安心できそうである。
試しに端っこを何度か、足に勢いを持たせ踏んでみるがびくともしない。なるほどとても頑丈だ。
「ほら、何をしてるんですか? 早く行きましょうよ!」
「ああ、待てって」
リュックを背負い直し、急かす始に軽い返事をして、横並びになり橋を渡り始める。
ここを渡り切れば次は妖怪の町、その前に本当に俺が町に入っていいかどうか、そしてどうやって人間界に戻るのかを聞いておくべきだろうか。
ここに来るまで一日も経っていないというのに、よく色んなことが起きたものだと物思いにふける。
一時は死さえ覚悟したが、案外何とかなるものだ。自分の身は悪運が強いとは思ったことはあるが、ここまで物事がトントン拍子に進むのもなかなかない。
その間も緩やかに流れる水の音が何とも心地よく、石橋を渡るという普段なかなかない感覚を楽しむ。
けれど、足が橋の中央に届いた時、隣の彼は急に動きを止める。尻尾を、耳を立て、辺りの様子を忙しそうに探し始めた。
そして彼は、自分が今立っている石橋をまじまじとと見た。
「おい? どうし——」
「危ない!!」
いったいどうしたのだと聞こうとすれば、不意に衝撃が走り、いつの間にか足は橋から離れ、次の瞬間には体が勢いよく地面に触れる。石が混じっている土にぶつかる痛みは言葉にできなかった。
数秒してああ、自分は突き飛ばされたのかと理解するも理由が分からず、反射的に始がいた方向へ顔を向ける。
「な、なんのつもり……っ!?」
「早くにげ──」
──瞬間、轟音が起こった。
吹き飛び落ちてくる「石橋だったもの」の破片を慌てて躱した。
理由を問いただす気は失せた。見ればわかったから。
目の前には、石橋ごと吹き飛ばされている始の姿、そして常識からはかけ離れた化け物。
大型車を想起させるほどに巨大な亀が、川の中から這い出てきていた。
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