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　毎年、梅雨の時期だけの楽しみがある。金魚を飼うのだ。一匹だけ。
　実家を出て一人暮らしを始めてからの楽しみで、この時期になると私は毎日梅雨入りのニュースが出ていないか確認し、梅雨入り宣言が出されると金魚を買いに行く。
　毎年違う種類の金魚を飼うことにしている。今年は悩んだ末、小さな赤い金魚にした。子供のように小柄で、動くたびに茜色の鰭が揺れる。なかなか可愛らしい。
　金魚の飼い方は、他の生き物よりも楽な部類だと思う。まず声が無い。表情も無い。それに餌も、小さな粒を少しあげればそれでいい。何より体温が無い。金魚は触れると、人の体温で火傷してしまうらしい。だから、触れなくて良い。
「今日から宜しくね、金魚さん」
　家でただ私の後ろに立つ金魚へ話しかける。当然その表情は変わらないし、返事も無い。


「先輩、今年も金魚買ったんですか？」
　お昼時。コンビニのサンドウィッチを同じコンビニの紅茶で流し込んでいたら、同じ部署の後輩が話しかけてきた。
此方が何か言う前に、隣の椅子に腰を下ろして弁当箱をテーブルに置く。揺れる髪は少し明るく染まっていて、よく似合う。この子だから似合うのだろう。
「すごい贅沢だなーって毎年思ってて。金魚だって高いやつはめちゃくちゃ高いじゃないですか」
「そうかなあ。金魚は上と下で全然違うから……高いのは色も柄も拘られてるようなやつかな」
「へぇー、私も飼ってみようかな……最近家に帰って一人なのが、妙に寂しくなっちゃって」
「オススメだよ」
　空になったペットボトルとフィルムを持って、席を立つ。ごみ箱に物が落ちていく軽い音を聞いてから、取り敢えずどこに行こうかと思ったとき、後ろから「あっ先輩」と呼び止められた。
「今日梅雨明けらしいですよ。宣言出てます」
「……そう、ありがと」
　帰る前にホームセンターに寄ろう。そう決めた。


「ただいま」
　ドアを開くと、金魚が寄ってきた。揺れる鰭の色は、涼しく湿る梅雨の間は世界の差し色のようで、とても綺麗だった。
　パンプスを脱いで、金魚の前に立つ。私を見上げる瞳に、疑念も無ければ信頼も無い。だから金魚は好きだ。
　そっと手を伸ばすと、流石に少し後ろに身を引こうとした。それを追って、その腕を掴む。
　まずは、衝撃で目を見開く。そうしてたちまちそれは、苦痛で歪んでいく。必死に私の手から離れようとするが、その力は弱々しい。だから選んだのだから。
　そのまま力任せに腕を引いて、抱き寄せる。ひんやりと冷たい体に、私の体温が移っていく。腕の中でもがく力が、どんどん弱くなっていく。その全てが心地良い。私の腕の中で、確かに一つの命が終わっていく。
　滑らかで冷たい頬に自分の頬を寄せて、目を瞑る。暫くするとふっと金魚の全身から力が抜けた。離せばそのまま、床に崩れ落ちる。黒い目は、家に来た時よりも虚ろだった。
　ホームセンターの袋から、一番大きなサイズのゴミ袋を取り出す。多分入るだろう。
　カレンダーを見ると、明日は丁度生ゴミの日だった。