複雑・ファジー小説

夜喰む化物 ( No.4 )
日時: 2017/10/02 21:39
名前: 葉鹿 澪 ◆cZHiRljssY (ID: k30LHxXc)

 私が初めて自分というものを認識したのは、薄暗い部屋の中でした。
 大きな手が私の頭を撫で、顔をそっと動かして離れていきました。「……完成だ」柔らかなテノールの囁きで、私は声というものを知りました。
 正面を向くと、大きな手をそっと戻す大きな人がいました。そうして、その後ろからこちらをじっと見つめる、硝子玉のような二つの瞳も見えました。
 硝子玉は私に向かったまま、「パパ、このお人形さん抱っこしてもいい?」その声は、鈴が転がるようなソプラノでした。
「ああ、良いとも。重いから気を付けなさい。お前の妹だよ」
 その言葉と共に私の体は二本の長い腕に支えられて宙に浮かび上がり、一瞬の空中遊泳の後、小さく細い腕の中に抱きかかえられました。
 さっきよりもずっと近い距離で、小さな二つの硝子玉は私のことを見ていました。私も、自分の硝子の瞳でそれを覗き返していました。
 その瞳に映った私が、その子の中へ融けていくような気がしました。
「まいの、妹……。お名前は? なんていうの?」
「そうだね……舞が決めなさい」
「まいが決めていいの? やったあ! それじゃあ、うーん……パパ、この子のかみの色って、なんていうの? きれいな青色」
「それは藍色だよ。斑ができずに染まって良かった」
「藍色? じゃあね、この子の名前は藍!」
 藍。私には意味は分からないけれど、良い名前だと思いました。


 藍と名付けられてから、私は色々なことを知りました。
 あの時私の頭を撫でていたのは、私と舞のお父様であるということ。
 この部屋は、お父様が私達を作るための部屋だということ。
 壁一面に吊り下げられている胴体や手足。棚の上に並んだ空っぽの頭。瓶の中に入れられた、色とりどりのグラスアイ。それらから私は作られ、そして妹達が作られていくこと。
 舞が全て、その小さな手で私の髪を撫でながら教えてくれました。
 お父様は、私と舞をいつもドレスで着飾らせてくれました。舞は私とお揃いのドレスに「かわいいねぇ」と喜んでいました。
 この部屋はいつだって薄暗く、窓もありません。それでも舞は空っぽの体に囲まれたこの部屋が気に入っているようでした。
 私と舞はいつだって一緒でした。


 私が目を覚ましてから、随分と日が経った気がしました。
 妹達は徐々に増えていきましたが、私はいつも舞やお父様がお手入れをしてくれるので、綺麗なままで座っていました。
 舞は大きくなり、ドレスを着ることもなくなりました。その代わり、お父様がドレスを縫う手元をじっと見ることが多くなりました。昔は怖いと言っていたグラスアイを綺麗だと言うようになりました。
 お父様は変わらず、妹達を作っていました。出来上がった妹は私と同じように椅子に座らされたり、暫くしたらどこかへ消えてしまったり、また分解されて別の妹になったりしていました。
 舞が大きくなるにつれ、舞がいないときにお父様が私に触れることが増えました。髪を撫でる手が頬になり、腕や足へと伸びていきました。
 その間、お父様は一言もお話しになりませんでした。


 舞はドレスの縫い方を覚え、初めて作ったドレスを私に着せてくれました。
 お父様のドレスとは違って舞のドレスは装飾が少なく、舞はそれを気にしているように「藍、次はもっと豪華なやつ着させてあげるからね」と話していました。
 それから舞は、自分で人形を作る方法もお父様から教えてもらい始めました。舞が言うには、お父様が作る子達は私達の姉妹だけど舞の作る子は姉妹ではないそうです。
 お父様の前で腕の長さを考え、頭の形を決め、胴体の曲線に悩む舞を見るようになりました。舞はとても楽しそうでしたが、お父様のお顔はよく見えませんでした。
 けれど舞は、それを組み立てることはしませんでした。
 舞は、少しずつ一緒ではなくなっていくようでした。


 その頃になると、お父様の手はドレスの中へと潜っていくようになりました。
 手だけではなく、唇を使って頬や首、肩へも触れるようになりました。そういう時、お父様は私の名前を呼ぶことはありませんでした。
 ある日、お父様は床に布を敷いてその上に私を横たえました。お父様はその上へと覆いかぶさり、ドレスを少しずつ脱がせながら私の冷たい陶器の体へ触れました。
「舞……お前は美しい……」
 耳を少し上擦ったテノールが擽っていきました。
 お父様が私の背中へと手を回し、すこし体を持ち上げられた時。私はお父様の背中の後ろが見えました。
 少しだけ開いた扉の先。あの時のように、私を見つめる瞳がありました。
 見開いたその瞳は、硝子玉というにはあまりにくすんでいました。
 お父様の腕に抱かれているその間、私はくすんでしまった二つの瞳にずっと見つめられていました。
 私はもう、舞の妹ではありませんでした。


 それから、舞は一心不乱にお人形を作り始めました。それはきっと、舞の理想の手足を持ち、理想の顔をして、この世で一番美しいと思う色に彩られたお人形でした。グラスアイは深い青色をしていました。
 私はお父様に触れられながら、少しずつ出来上がっていくお人形を見つめていました。
 ある日、お父様がいないとき。舞はそのお人形にそっとドレスを着せ、真白なウィッグを着けました。
「嗚呼……なんて美しい……」
 舞の腕の中に収まったその子に、舞は震える唇で口付けを一つ落としました。頬を伝って零れた雫が、床に消えていきました。
 私はそれを、ずっと見ていました。