複雑・ファジー小説
- 木曜午後三時 ( No.5 )
- 日時: 2018/03/02 17:50
- 名前: 葉鹿 澪 ◆3i2uRLP5kE (ID: TimtCppP)
シーツの上に広がった癖のある黒髪を、綺麗だとは思えなかった。
愛してる。こんな薄っぺらの言葉が、他にこの世にあるだろうか。胸の中でこちらを見上げてくる彼女は、それでも嬉しそうに微笑んだ。
「貴方といる時だけ、本当の姿になれるの」
その言葉を吸い込んでしまおうと、嘘のように真っ赤な唇を塞ぐ。思わず笑いそうになった顔は見られていなければ良い。
他人の唾液は甘くない。ただ、このホテルに備え付けられたシャンプーの匂いは好きだと感じた。清潔感なんて考えてない、安い匂い。
「週に一度会うかどうか、会っても数時間でしょ。随分息苦しい生活だね」
黄色っぽい首筋から、浮き出た鎖骨。更にその下へ下へ唇で擽る。ボディソープの合間から立ち上る微かな匂いは、枯れて乾いた花を思わせる。これを求めているわけじゃないと主張する本能は、ぐっと扁桃体の奥へ押し込んだ。そんなことは分かってる。
「貴方が卒業してしまったらどうしようなんて、たまに考えるの。今みたいに平日の昼間に会うのは、難しくなるでしょう」
「そこまで長く付き合ってたら旦那さんにバレそうだね」
「気付かれたっていいわ」
もう気付かれているのかも。その言葉に今まで平坦だった心拍数が跳ね上がる。冷たくなる背筋と指先に、熱くなる頭と心臓。倒錯した興奮についていけない脳味噌が、快楽に誤認する。
「貴方が愛してくれるなら、もうどうなったっていいの」
可愛い人だ。初めてそう思った。愛情が欲しいあまりに、あまりに高い買い物をしている。理性も何も無い。
そしてそれは、彼女だけじゃない。誰かを愛したいだけで他人のものに手を出してしまった。そしてそれを後悔もしていない。こんなのもう、正気じゃない。
「愛してるよ、世界で一番」
この言葉を渡す相手は、貴方じゃなくても良いけれど。そして貴女も、囁く相手は誰でも良いのだろう。
平らな腰を撫ぜると、甘えるような吐息と共にシーツが波打つ。
腕の中に抱いた枯れた花束は、まだ手放せそうにない。