複雑・ファジー小説

黒い港 ( No.7 )
日時: 2018/03/30 17:52
名前: 葉鹿 澪 (ID: xplvrg7n)

 海、という言葉を聞くと私が思い出すのは、或る港だ。
 母の実家。函館の外れにある人気の無いただの港。魚もいなければ、小さな漁船が何隻か泊っているだけのそこには、ただ暗い色をした海が広がっている。
 そこは、私の祖父が死んだ場所だ。
 当時の私は一年前に父方の祖父を亡くしたばかりで、だからその葬式で祖父と指を結んだ言葉もはっきりと覚えていた。
「じじが死んだら、私のおじいちゃんいなくなっちゃう。だから長生きしてね」
 七歳の私は、大人との約束は絶対に守ってもらえるものだと信じていた。酷い勘違いだと気付いたのは祖父のやけに綺麗な死に顔を見た時ではなく、その棺桶に釘を打った瞬間だった。
 身勝手な失望は涙腺だけではなく心のどこかも一緒に埋めてしまったようで、終始祖父の死を前に私の心は凪いでいた。
 調査をした警察によれば、何の変哲もない事故だったそうだ。車を停める時パーキングをかけ忘れて、寝ている間にコンクリートの上をゆっくりと動いてそのまま落ちる。
 随分あっけないな。港へ花を供えに来た時、幼心ながらそんなことを思っていた。あの約束は一体何だったのだろう。そんなことも思ったが、ただ波に揺れる水面を見ていれば答えはそこから浮かび上がってきた。
 祖父にとって私との約束は、その程度のものだったのだ。
 その答えは海の色に似て、暗く沈んだ色をしていた。
 今では、祖父は決して死ぬつもりではなかったことは分かっている。分かっているが、それが何だと答える私は十二年前から消えはしない。涙一つ流さないまま、黒い海を睨み付けていた私。
 理不尽だと知りながら私はまだ、約束を破った祖父を、祖父を飲み込んだあの港を許せていない。
 数年前、何回忌かの際に久し振りに港へ行った。
 十年前と変わらないそこは、しかし一つだけ見覚えの無いものが増えていた。
 縁に付いた、車輪止めのような四角いコンクリート。
 どうやら祖父の事故の後に、同じことを繰り返さないよう設置されたらしい。
 私の知らないところで、祖父の死を誰かが持ち出したのだ。
 見知らぬ人間の取って付けたような善意は、気持ち悪いものだった。