複雑・ファジー小説

Re: 夜に舞うは百火繚乱 ( No.1 )
日時: 2017/09/02 19:58
名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

第一話 勧誘じゃなくて脅しじゃねーか

「警備は……もういないな」

 街が夜の闇に包まれて、静まり返った丑三つ時、都内の高層ビルに一人の盗賊が忍び込んでいた。昼には狭いフロア中に多数の社員がひしめいているような事務所のなかで、そっと息を殺している。
 このビルにおける警備員の巡回ルート、時間帯はあらかじめ依頼主から提供されている。つい先程、一時間に一度の見回りにあたって、彼の潜むこのオフィスにも警備員の男はやってきたが、そこまで丁寧に確認もせずに、照明を数秒つけて怪しい人影が無いかだけ確認したらすぐに去ってしまった。
 提供された情報の通り、扉から離れた机の下に忍んでいるだけで充分隠れることができた。

「ちょろいもんだな」

 彼自身、この規模の企業に忍び込むことは初めてのことではない。しかし、事前情報がこれほど与えられての潜入はこれまでにはなく、行き当たりばったりではない侵入はこうも簡単なのかと感心していた。
 今回の依頼主、少々胡散臭いところもあるが仕事は丁寧なものだなと独り呟き、再び夜の闇に目を慣らせる。
 情報通りなら、警備員の最後の周回がこれで終わりである。通常ならこの巡回の後に警備員室で仮眠を取り、五時からまた巡回を始めるはずだ。
 後十五分程度の辛抱というところだろうか。彼は安全な時間帯を待つと共に、この期の盗難プランを思い出した。級友の声が、耳の傍で直接響く。イヤホンの向こうからのアナウンスの声は、今日もよく聞こえていた。

「どや? そっちの調子は」
「順調すぎて怖いくらい。少し警戒してる」
「そうか。最後まで順調に行けばええんやけど」

 不吉なことを言うなと、彼はイヤホンの向こうの司令塔に返事をする。どこかその声音に、何か不祥事が起きて欲しいとでも期待しているような色を感じ取ったからだ。

「まるで俺に取っ捕まって欲しいみたいだな」
「えー、そんなそんな。れんが捕まってもうたら、うちは悲しいで」

 この女、棒読みである。その事に青筋を額に浮かべながらも、冷静にこの後のことを打ち合わせる。

「この後は46階に向かえばいいんだな」
「せやで、そこの社長室の金庫に入っとるブツを持って返ったらほぼほぼ終いや」

 今回の依頼で、盗み帰る予定の代物は、この会社の社長の横領の証拠。金庫の中に横領した証拠と、彼の個人通帳が入っているらしいとの情報が依頼主から寄せられている。
 今回の目標はそれを奪取して持ち帰り、依頼主に引き渡すところで完了だ。

「にしても普段よりも通信の通りがいいな。少しだけど、いつもならノイズ混じるだろ?」
「えー、なんでやろなぁ」
「棒読みやめろ、怪しいぞ」

 ええからはよ先進めや。これまでの大根演技など無かったかのように、いつもの調子で先な進むよう指示される。本来この女ほど嘘をつくのが得意な人間を彼は知らない。何か隠し事をしているが、まだ伝えたくはない、くらいの事情だろうか。本当に彼女が隠したいと願うのならば、全く悟らせないことも可能なのだから。

「次、北側通路の階段だっけ?」
「せやせや、カメラに映らんように、打ち合わせた経路で行ってや」

 警備員が違うフロアに移動したのを確認した後、彼はオフィスの扉を開けて、目的の階段へと向かった。まっすぐ向かうのではなく、左方面から迂回する。こちらにもカメラはあるが、警備員の巡回ルートに入っているため、真夜中は節電を兼ねて機能していないとのことだ。
 足音も衣擦れもほとんど起こさず、奥にたどり着く。そのまま階段を3フロア分上へと登る。次の部分は監視カメラが起動しているので、今度は南側へと向かう。

「今回あんたが指名された理由みたいなもんがそのフロアや。気ぃ引き締めや」

 このフロアにはサーモグラフィーによる徹底的な警備が成されている。カメラこそ無いが、カメラよりも的確に侵入者を捉えることができる特殊な目。

「分かってるよ」

 俺の能力だったら余裕で誤魔化せる。彼はそう言って、無造作にそのフロアへと侵入した。



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