複雑・ファジー小説

「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」起⑥ ( No.10 )
日時: 2017/10/18 22:38
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

 タツルの学校のことをいっているのだと、すぐにわかった。
 とっさに声が出た。
「——違う」
 智羽矢のちいさな抵抗は、その周辺には届いたものの、壇上の無理解な審査員には届かなかった。智羽矢はさらに声を荒げた。

「違う!」

 審査員が続けていた言葉を止めた。会場の視線がいっきに集まるのがわかる。慌てて飛んできた母親が、智羽矢の口を塞ごうと手を伸ばす。
「ちょ…、やめなさい、智羽矢!」
「違う! そんなことじゃないのに!」
 ホールにはざわめきが生まれる。そこここでうるさいだの迷惑だだの、わめく子どもを疎ましがる声が上がり、母は恥ずかしそうに怒ったように智羽矢を掴まえ、頭をぺこぺこ下げながらホールを出た。

 ロビーは人影もまばらで静まっていた。母は邪魔にならない場所まで智羽矢を引きずっていくと、すでにぐしゃぐしゃに泣き出していた智羽矢の前に膝をつき、尋ねてきた。
「どうしたの、智羽矢。なにが違ったの?」
 智羽矢は首を振った。

 いまになって思えば、男の役を女生徒が演じていたこと以外にも、評価を得られない点もあったのだろうと思う。さらにいえば、全国高校総合文化祭の演劇部門は三日に渡って行われる。智羽矢が観たのは最終日だけだったので、前日、前々日の上演校が、タツルの学校の評価を上回っていたのだと考えられる。

 それでも幼い智羽矢には、タツルの学校のエンゲキがほんとうにおもしろくて、どの学校よりいちばん拍手をもらっていたから、そんな理由で選ばれないのは違うとしか思えず、またそれをうまく母に伝える語彙もなく、ただただ、泣くことしかできなかったのだ。

 ——いまと、同じように。

 退屈な始業式、今年から赴任してきた教員が壇上にあがり、教頭が彼らの名前と担当する教科を読み上げているさいちゅうだった。


「ムラカミタツル先生、教科は歴史を担当されます」


 村上姓は、市内でもありふれたものだ。それでも「タツル」という名前は、そんなに聴く名前じゃない。
 思わず背伸びし、前の生徒の肩越しに壇上のムラカミタツルを見る。顔ははっきりわからない。記憶のなかの顔ももうあやふやで、見えたところで一致しなかったかもしれない。だが、教頭が添えたその一言が、智羽矢の涙腺を決壊させた。

「ムラカミ先生は、いまから九年前に本校を卒業されており、当時は演劇部に所属し、全国大会に出場された経験をお持ちです」