複雑・ファジー小説
- 「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」承④ ( No.14 )
- 日時: 2017/10/22 20:41
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
現役時代と場所がかわらないのであれば、演劇部の部室は正門横の部室棟の二階にある。
だが、あのときと練習場所がかわらないのであれば、部員たちがそこにいることは稀だ。雨の日以外、彼らは屋上でストレッチや発声練習に取り組んでいるはずだからだ。
職員室を出てすぐの階段を、気乗りしないまま樹はダラダラと登る。演劇部、吹奏楽部、天文部の活動場所となっている屋上への出入り口はこの校舎にしかない。楽器を抱えた女生徒たちがきゃらきゃらと歓声を上げて樹の横を駆けあがっていくが、反対に樹の心は下に下にと落ち込んでいくようだった。
——もう演劇にかかわるつもりはなかったんだがなぁ……。
それでも足は、九年前に毎日上った階段を上がり続けるし、耳は、九年前に毎日口にした北原白秋の『五十音』を、音程を調節している楽器の音や、グラウンドで発されている野球部部員やサッカー部部員の野太い声のあいだに拾い上げる。
「あめんぼあかいなアイウエオ」
我知らず、詩が口をついて出た。演劇部部員の発声練習に添って、続きがするするとこぼれていく。覚えていた。覚えている。一言一句たがわず、現役の彼らに合わせていえる。
「畜生」
気がつけば階段を昇りきり、屋上への扉の前に立っていた。
——俺はもう、演劇なんかやりたくないのに。なんでまだ、覚えてるんだ。
ドアノブをひねり、外に出る。屋内で聴いていたのよりも、より鮮明に屋外の音や声が聞こえてくる。
昔と変わらないのであれば、階段横のちいさな小部屋——元は倉庫だったらしいが、いつのまにか天文部の部室になったそれ——を境に、右手で練習しているのは吹奏楽部、演劇部は左側にいるはずだった。
心臓が痛いほど早鐘を打っている。十七歳の頃の自分が、心のなかで職員室に戻ろうと叫んでいる。四月の陽気な午後の光のなか、練習している彼らを見たら、泣かせてしまった後輩たちを思い出してさらに傷つくだけだと弱い自分が訴えてくる。
「畜生」
教員といっても生徒のなれの果て。学校生活しか知らない甘えたな樹には、日の当たる場所へむかう勇気はどこにもなかった。
だからといって、新・男子のくせに変わりものは、元祖・男子のくせに変わりものをほっておいてくれるはずがなかった。
「あれ? 演劇部の練習、覗きに行ったんじゃなかったんですか?」
顧問らしいことしてきます、といい残して屋上にむかった樹が、ものの十分もしないうちに戻ったことを、隣の席の教員に指摘されたときだった。
廊下を走ってくる足音が聞こえてきて、誰かがそのことを注意する声があがる。しかしその足音の主は走ることをやめないまま、職員室のドアを乱暴に引いた。
驚いてそちらを見れば、小柄なジャージ姿の少年がひとり、入り口で職員室内を睥睨している。ややあって樹と目が合った瞬間、
「——村上先生! 練習はじまってますよ!!」
開口一番発されたそれは、
——すげぇきっちり発声やってやがる。
よく通る、少年の声、だった。