複雑・ファジー小説

「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」承⑤ ( No.15 )
日時: 2017/10/24 21:29
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

「村上先生、お迎えだ」
 隣の先生がくすくす笑う。ジャージ姿とその声量、樹を名指しで読んだことからおそらくそうではないかと思ったが、やはり彼が新・男子のくせに変わりものこと清家智羽矢なのだろう。

 登場したときの無礼な態度をあらため、入り口ですっと一礼した清家は「失礼します」といって、ずかずかと室内に入り込んでくる。一直線に、樹の許へ。
「村上先生、どうして来てくれないんですか。みんな屋上で待ってますよ」
 清家の顔は、目は、きらきらと輝きながら、まっすぐに樹を見返す。教頭が「清家本人にはばらしたこと、内緒にしておいてくださいね」といい添えた樹への憧れが、全身から伝わってくるようだった。
 まぶしすぎて、樹は目をそらす。
「い、いや、ちょっとやらなきゃいけないことを思い出してね。悪いが、今日は行けそうにない」
「えー! 先輩たちも、先生の全国の話、聞きたがってるんですよ?」
「そ、それはそのうちにさせてもらうよ。ほ、ほら、そうだな、新入部員がそろったときにでも……」
 まるきりのでまかせだった。

 樹は屋上にいくつもりはない。部室棟にもいくつもりはない。名ばかりの顧問になるつもりだった。実際顧問というのは名ばかりで、干渉せず、生徒に好きなようにさせている教員は多いのだ。
 演劇部はそれでも全国へむけての地方予選などがある。教頭の言葉を借りれば県大会もやっとな弱小演劇部だ。一回か二回、会場への付き添いで顔を出しておけばそれでいいと、顧問を引き受けてからこちら、樹が考えたトラウマとの付き合い方だった。

 とはいえ、
「……」
 輝いていた清家の表情が一瞬にして曇ると、さすがにあからさますぎたかと思ってしまう。思い出したくもない過去の自分にとはいえ、素直な憧れを寄せてくれた生徒の気持ちを踏みにじるようなことは、さすがの樹もしたくなかったのだ。
「せ、清家……?」
 思わず猫なで声で呼びかけてみれば、清家はまたぱっと顔を輝かせた。
「おれの名前、知ってくれてたんですね!」
「あ、ああ」

 ——それ以外のことも、だけどな。

「わかりました。今日は、自分たちで練習します。でも、明日は来てくださいね。みんな、待ってますから。それと、ご存じだと思いますが、地方予選、先生の頃より少し遅くなったんです。おれ、やりたいことあるんで、先生、アドバイスお願いしますね」
 まるで掴みかからんばかりの勢いで早口言葉のようにまくしたてると、一転、清家は挑むような目で、樹に宣言した。

「おれ、もう一回先生を全国に連れて行きます。あの審査員の選評が間違いだったって、ふたりでしらしめてやりましょう」
 じゃあ、失礼します。ぺこりと頭をさげて、登場したときと同じような勢いで彼は去っていった。
「……」
「もう一回全国に連れて行く、って、まるで甲子園みたいですねぇ、先生。……先生?」
 隣で話を聞いていた教員が話しかけてくる。しかし、樹がそれに返事をすることはなかった。
「あ、先生! 先生が走っちゃ……」

 ——思い出した、思い出した、思い出した!!

 体が思わず、清家を追っていた。