複雑・ファジー小説

「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」承⑧ ( No.18 )
日時: 2017/10/27 22:12
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

 ——違う。

 清家の表情を見て、樹は一瞬声を詰まらせた。

 ——違う。俺はほんとうはこんなことをいいたいんじゃない。十七歳の俺を救い上げてくれたこいつにまずいうべき台詞が他にあるのに!

 そう思うのに、言葉はとまらなかった。
「教頭が俺たちのことなんていってたか知ってるか? 男のくせに演劇部に入った変わりものだとよ! そんな学校で、男子が新入部員で入ってくるのかよ、ええ!?」

「——探す」

 低い、低い、地を這うような声だった。
「え」
 怯えた顔のまま、目線だけはしっかりと樹を捕えて、清家がいう。
「探す。だったら探す。エリザベスをやってくれる、男のくせに演劇部に入った変わりものをもうひとり探す。それならいいだろ!?」
 丁寧に、発声練習を積んできたのだろう。怒鳴り返す清家の言葉は潰れもせず、一音一音はっきりと聞こえる。彼がたったひとりで磨いてきた唯一絶対の武器。

 ——だからこそ、九年前のおれと同じ目に遭わせるわけにはいかない。

「探せるもんなら探せよ。探し出したら、いくらでもつきあってやる。全国だってついていってやるよ」
「……」
「でもな、見つからなかったときは覚えとけよ。三年中心の、当たり障りのない脚本で地方に出させるからな」
「わかりました」
 まるで目の前の樹こそが仇敵だとでもいわんばかりの顔をして、清家はいった。
「そのかわり、先生こそ覚えててくださいよ。おれは絶対先生をもう一回全国に連れて行く。先生が行けなかった国立劇場に行ってやる」
「上等じゃねぇか」
 清家はくるりと身を翻し、三年の待つ屋上へと駆け上がっていった。

「……畜生」
 ひとりその場に取り残された樹は、息を深々と吐きだしながら、その場に座り込んだ。
 このあと清家はきっと、同級生や新入生、あるいは三年の帰宅部男子にまで、片っ端から声をかけていくだろう。そしてバカにされ、女装することを拒絶されて、たったひとりの男子生徒すら入部させることができず、打ちひしがれて泣くかもしれない。
 でも、少なくともこれで、清家は、あのとき男子生徒の勧誘を怠った自分と同じ後悔をすることはない。

 ——『メアリー・スチュアート』の脚本、図書館にあったかな?

 高校演劇の上演時間は一時間の制限がある。『メアリー・スチュアート』をフルに演じると二時間近くかかったはずだ。半分近く削らなければならない。そうすると上演区分としては潤色になるのか、構成になるのか、上演許可書を出版社に送る前に、確認しておかなければならないだろう。
 それに、どうやってメアリーとナニー(そしてレティス)を、エリザベスとケネディを演じ分けるのか、役者の演技以外の部分で観客にわかるようにするにはどうすればいいのかも、先にある程度考えておいたほうがいいだろう。それにともなって、舞台上の大道具も、衣裳も、予算内で準備しなければならないのだから。
 そういえば、照明と音響はあのときどうしていた?

 ——顧問として、考えることがいっぱいあるな。

 清家が男子新入部員を見つけてきてもこなくても、樹は『メアリー・スチュアート』で行くつもりだった。それは、
(違う! そんなことじゃないのに!)
 あのとき、たったひとり声をあげてくれた英雄に対する、せめてもの礼だった。