複雑・ファジー小説
- 「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」起① ( No.5 )
- 日時: 2017/10/14 21:21
- 名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)
起
その年の八月は、例年通り、猛暑の続く夏だった。
友達の子どもが出ているからつきあいで観なきゃいけないの。そうめんどくさそうにいう母に無理やり手を引かれ、智羽矢が連れて行かれたのは市民文化ホールだった。
母が子どもの頃からこの形をしていたというそれは、幼い目には古い化石のような建物に映ったけれど、それでも県でもっとも音響効果に恵まれた施設なのだという。だから、少し離れた場所に、収容人数もより多い県民会館が建てられたが、いまでも大きなイベントやコンサートは主にこの建物で行われることが多い。
大きなイベントやコンサート。
はたしてあの大会は、大きなイベントと呼んでよいものだったのだろうか。
*
「ぜんこくこう…、がっこう、えと、…ごうぶんかさい、……なんとかぶもんかいじょう」
まるで運動会の日に、運動場の入り口に立てかけられている紙の花で飾られた看板のようなそれに墨で書かれた文字を、読み上げた記憶がある。
「ちい、よそ見しないで。迷子になるわよ」
その途端、母にぐいと手を引かれ、看板から強引に引きはがされた視界に飛び込んできたのは、
「こんにちはー! どうぞ、ごゆっくり見ていってくださいー!」
制服姿の高校生たちばかりだった。
まばらに大人や智羽矢ぐらいの子どもの姿も見えたが、右を見ても、左を見ても、制服、制服、制服。
あれは、全国に進めなかった市内の高校の、大会の運営を担っていた演劇部員たちと、各ブロック大会を勝ち抜いてきた出番待ちの演劇部員たち、そしてその応援の高校生たちであったと知るのはずいぶん後になってから。
そもそもこの時点で智羽矢は、自分が母親になにを観に連れてこられたのか、さっぱり理解していなかったのだ。
全国高等学校総合文化祭演劇部門会場。
これが、智羽矢が読み上げることができなかった看板の全文であり、そのとき智羽矢がいた場所であった。
高校球児に甲子園があるように、野球以外の運動部にインターハイがあるように、文化部に所属する高校生がその研究や練習の成果を発表し競い合うのが全国高等学校総合文化祭という。
智羽矢は知らなかったが、この総合文化祭もまた、インターハイのように一年毎にその発表の場を変える。自県では、その年が初めての開催となった。
会場の入り口でリーフレットを配布していた女生徒が、智羽矢に目を留め、笑いかける。
「演劇好き?」
演劇がなにかわからなかったのと、突然話しかけられてびっくりしたのとで黙り込むと、さらに彼女は微笑んでいった。
「絶対面白いからね。高校に入ったら、演劇部に入るんだよ」
その、同級生の女子とは段違いに華やかな笑顔にあてられ、智羽矢は顔を伏せる。その頭に手を置いて、母親がいった。
「この子、男の子なのに、恥ずかしがり屋なの。演劇なんてできるかしら」
「できますよう! 待ってるからね、ぼく!」
ぽんぽん、と促すように母に軽く叩かれ見上げれば、女生徒はよりいっそうにっこりした。そして、返事もなにもいえぬまま母に手を引かれロビーに入っていく智羽矢にひらひらと手を振ったあと、
「こんにちはー! どうぞ、ごゆっくり見ていってくださいー!」
そう、新たに訪れた大人にリーフレットを差し出した。
(えんげき……)