複雑・ファジー小説

「喝采せよ! 喜劇はここにはじまれり!」起④ ( No.8 )
日時: 2017/10/16 20:41
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: bs11P6Cd)

「——行くぞ!」
「おおっ!!」
 円陣がほどけ、女生徒たちがそれぞれの荷物を手に、舞台袖へとむかっていく。

 全身に鳥肌がたったまま動けないでいた智羽矢の視線に気づいたか、足元の荷物を拾いあげたタツルが智羽矢を見返してくる。
「……っ!?」
(知らない人をじっと見ちゃいけないって、おかあさん、いってたのに)
 いけないことをしたような気持ちになってその場を逃げ出そうとしたけれど、タツルが動くほうが一瞬早かった。
 笑って、手を振ってくれた。
「地元の子? 小学生? この次俺らだから、絶対面白いからなかで観ててな!」
「……」
 智羽矢は手を振り返すこともできず、その背中をただ見送ることしかできなかった。


 タツルの背中が見えなくなって、しばらくしてから我に返った智羽矢が、慌ててトイレに飛び込んで、席に戻ったときには母親は目を覚ましていた。
「どこに行っていたの、心配するじゃない」
「おしっこ」
「あらそう。ひとりでちゃんと行けた? 場所わかった?」 
 母の問いかけにおざなりに応じながら、智羽矢は目を舞台にむける。
(よかった)
 緞帳は下がったままで、まだ劇は上演されていない。

「次がユイカちゃんの学校みたいね。なんかもういままでの学校の、おかあさんには難しかったから、また寝ちゃったらどうし……」
「——面白いって」
「え?」
「絶対面白いっていってたよ」
「誰が?」
「タツル」
「タツル?」
 訊き返す母の声にかぶさるように、女生徒の、校名と演目を告げるアナウンスが流れた。
「次は、ムラカミタツル作『君の眠る世界』、県立——高校の上演です」

 上演の合図であるブザーがホール中に鳴り響く。緞帳がゆっくりと引き上げられ、そこここで交わされていた会話が潮が引くように打ち切られていく。
 それでも「ねえ、タツルって誰なの」と腕を掴んで小声で尋ねてくる母親に、智羽矢は舞台を指さした。
「あの人」
 広い舞台の真ん中で、タツルが本を読みながら歩いていた。