複雑・ファジー小説
- 第一章 マイワールド ( No.2 )
- 日時: 2017/11/18 22:42
- 名前: 春夏 (ID: KE0ZVzN7)
東京都内のとあるアパートの一室にて。
黒髪の男は、今にも爆発しそうな程張り詰めた顔でパソコンとにらめっこしていた。正直こんな顔でにらめっこをされたら面白さ云々を通り越して恐怖を感じてしまうだろうという顔だった。
嗚呼、何故神は人に感情を与えたのだろうか。無慈悲にも与えられた緊張という感情が、黒髪の男の顔をここまで悪化させていた。悪化という表現は適切では無いかもしれない。緊張のあまり顔を強張らせてしまっているだけだ。悪化ではなく劣化だろう。この理論も多少こじつけではあるが。
一体どうしてこんな夜に、一体どうしてパソコンとにらめっこしているのか。何がそんなに男を緊張させているのか。そういった疑問を抱くのはごく普通の事であり、同じ部屋で一人カップ麺を食していた女は正直に疑問を口にした。
「楠せんせーい。好きなアイドルのライブチケットを入手する為にパソコン前待機してるアイドルオタクみたいな顔してどうしたんですかー?」
そうそう、さしずめ男はアイドルオタクである。
日付が変わるのをまだかまだかとパソコンの前で待ち焦がれ。
脳内では推しメンが踊り歌う場面を想像しニヤニヤしながら。
だがしかし顔はあまりもの緊張で鬼のような強面に変わって。
そう、自分は日付変更を待ちパソコン前待機するアイドルオタ──
「んなわけねーだろ!危ない危ない、変な世界に入り込んでいた……。というか来海沢!人が集中している時に変な事を言うんじゃない!お前には五百円したゴールデン豚骨デラックスカップ麺を与えただろうが」
机の上にある、〈今来てる!黄金時代の豚骨とはまさにこの事!〉と金色で書かれている小さな容器を指差し、男は叫んだ。その容器こそが女がつい先程食べ終えた五百円したゴールデン豚骨デラックスである。後に彼女は「カップ麺の新時代、来ましたね」と神妙な顔でコメントしたという。
誤解を先に解いておくとしよう。男はアイドルオタクでは無い。そして緊張もしていなかったようだ。顔だけで人は判断してはいけないという良い教訓になった。
「あー、あれ集中してた顔なんですねー。あと、私の事はまなりんとお呼びくださいと何度も言ってますし、ゴールデン豚骨デラックスはご馳走様でしたー」
アイドルの隣に立たせてもなんも違和感は無い、むしろアイドルを喰ってしまうようなレベルの美少女は、両手を律儀に合わせながら笑顔で言った。
「文章構成がおかしい事を作家としてツッコんでもよろしいでしょうかねまなりんさーん」
そう。何を隠そう、夜にパソコンとにらめっこする一見友達がいない様に見える第一印象ぼっち男は。
正真正銘、作家である。ついでに一言付け加えると、ラノベ作家である!
「イラストレーターに文章力など求めちゃいけませーん」
「おいやめろ、その言い方だと全国のイラストレーターさんに失礼だ」
そう。何を隠そう、人様の家で優雅に五百円のカップ麺をすするアイドルキラー持ちの超絶美少女は。
正真正銘、イラストレーターである。ついでに一言付け加えると、超大人気イラストレーターである!
「それにしても本当このカップ麺おいしかったー。そうだ、SNSで拡散しよーっと」
スマホを取り出し、ツイ○ターを起動させた超大人気イラストレーターこと来海沢まな。
空になった容器を左手で持ち顔に寄せ、自撮りした。何というか、手慣れている。自撮りのプロという称号を与えてもいい程だ。
ちなみに、○がついている理由は察してほしい。
「『カップ麺の新時代、来ましたね』っと」
わざわざ文字入力の時に声に出す必要があるのだろうか。まあ、無いだろう。
「またSNSか。イラストレーターとしての本業はしっかりこなしてるんだろうな?」
「お任せをー。今仕事が入ってるのは、楠先生だけですからー」
「そうかそうか。じゃあ俺も早く九巻の原稿を仕上げないとな」
「それにしても編集部も鬼畜な事しますよねー。八巻が発売された次の日に九巻を催促するだなんてー。あ、もしかしてさっきの顔はそれが原因ですか?」
「その通りだ。いくらなんでも無茶振りすぎだろ、編集者さんよぉ……」
小説、特にラノベを読んだ方ならお分かり頂けると思うが、本の刊行というのは大体三ヶ月から四ヶ月、長い時でも一年くらいの間は存在する。
しかし、第一印象ぼっち作家こと楠新多は何故か編集者から無慈悲に一言告げられた。
『月連続刊行が決まった。九巻原稿、大変だろうけど頑張ってねハート』
「なーにが頑張ってねハートだ、あんのクソ編集者!連続なんて誰が決めたよ?本書いてるのは俺だよ?俺が本来決めるべきだろ?なあ!」
楠先生は編集者を大変ディスっていらっしゃいますが、これは決してこの世界で日々奮闘している編集者様方全てをディスっているわけではありません。何卒ご理解を。
某怪獣映画に出演しても違和感は無いと思われるほど暴れ狂う新多を眺めながら、まなはもう一つSNSで投稿した。『担当作家、ゴ○ラ化なう』と。
「別に良いじゃないですか。先生ならできますよー」
「何を根拠に?」
「作品愛ですよー」
作品愛。どれだけその作品を愛し、どこまでその作品に捧げられるか。それを表す数値、それこそが作品愛ッ!
大げさに言い過ぎたが、要約すれば作品に対する愛の事だ。説明するまでも無い。
まなは知っている。新多がどれだけ自分の書いた作品を愛しているか。
一ヶ月前のことだ。八巻の挿絵を見てもらおうと家に押しかけた際にまなは見てしまった。どこで揃えたのか、作品に出てくるキャラの衣装を着て、化粧までしてキャラになりきっている新多の姿を。
男性キャラならば許容範囲だっただろう。だが、新多がなりきっていたのは女性キャラだった。思わず通報してしまい警察が来てしまったのが、まさに今から一ヶ月前のことだった。
まだまだエピソードはある。作品に入り込みすぎて日常生活で作中のキャラの名前を叫んだり、技のポーズを突然構えたりなどなど。
小説を読んでみても、一目で分かる。愛がこもっている文章は、非常に活き活きしているのだ。特に新多の場合、読んでいるとまるで本当にその世界にいるような、そんな感覚さえするのだ。
何故そこまで作品を愛せるのか。その答えは、楠新多はそういう人間だから、という抽象的なもので解決してしまう。それ以外に説明のしようがないからだ。
「たしかに俺は自分の小説を愛している。だが、だからこそ気に食わん!一ヶ月だけでは、あの世界は完成しない。編集者ももう少し俺の事を理解してほしいもんだな」
「先生の事を全部理解してる人なんて、この世界に一人しかいませんよー」
「うーん、まあそうっちゃそうか」
二人の間に、笑いが生まれた。
新多の全てを理解しているたった一人の人間。その話題には、それ以降二人が触れることは無かった。
* * * * * * * *
ふと、新多は一つの事を思った。
作家なら、いや、自分だけの世界を創っている人間ならば一度は思った事があるだろう、一つの夢を。
「一回でも良いから、俺の書いた小説の世界に行ってみたいもんだなー」
「これまた唐突ですねー」
自分の創った世界へ行く。それは、夢であり儚い妄想だ。
決して叶う事はないが、それでも諦めるわけにはいかない空想上の夢。
新多は心の底から小説の世界へ行きたいと願っている。だが、それと同じくらいに無理だという諦めも存在する。所詮現実は現実、創作物は創作物。どれだけ願おうと、それが揺るぐ事はない。
「良いですね、それー。私も行ってみたいなー」
「お前なんかそこら辺の魔獣に殺されるオチだ」
「ひっどーい。まあ、そんな事ありえるわけないんですけどねー」
ありえるわけない。その通りだ。
小説や漫画、アニメにおける異世界転生は絶対に起こらない。
自動車に轢かれても、人を庇って死んでも、神様の気まぐれでも、そんな事は絶対に起こらない。
それだけではない。怪物が街を襲う事も、異世界から美少女がやってくる事も、そんな事はあり得ない。
絶対に起こらないからこそ、人は小説や漫画などを生み出す。
こんな世界があったら良いのにな、という願望の表れが、小説や漫画なのだ。
「ああ、ありえるわけない。でも、大丈夫だ。俺の描く世界は、俺の心の中にいつもある。俺はいつだって、小説の世界へ行けるんだ」
「なんですか、中二病ですかー?」
「ち、ちげーよ!本当に世界へ行けなくても、心の中ではいつでもその世界に行けるって事なんだ」
そうだったとしても。
もし、本当に自分の描いた世界へ行けるのだとしたら。
自分はそこで何を思い、何をしていくのだろうか。
叶わない夢が、叶ったとしたら。
──叶うのだとしたら。
* * * * * * * *
「……叶っちゃったよ、今」
過去の記憶は、こうして今の記憶へと繋がる。
経緯は分からないが、イラストレーターのまなと会話をしているうちにいつの間にかこの世界へ来ていたようだ。
あり得ない。だが、あり得ている。
ここは本当に、本当の本当の本当に……
「ねえ、そこのアンタ。こんなとこで何してんの?」
ここでようやく新多は、目の前にいる美少女の事を思い出した。
肩まで伸びる炎のように赤い赤髪に、見惚れてしまうような程の美しい顔。
身に付けている衣装は、イラストレーターまなが頑張って考案してくれた白金の鎧だ。
もし本当にここが、【GALAXY】の世界なら。
「お前は、アルタイル-スコーピオンか?」
本作のヒロインである彼女の名を口にした途端、彼女の雰囲気は変わった。
アルタイルであるはずの彼女は、顔を下向け。
一瞬にして新多の目の前まで近付き。ちなみに新多は超絶美少女に近寄られ顔を赤くしているが。
何故か自分の名前を知っている謎の男を前にして。
「え、なになに?私ってそんなに知名度あったの!?私もしかして有名人?ねえねえ!」
──やけに興奮して突っかかってきた。
この状況下で、新多は冷静になり苦笑混じりに一言呟いた。
「そうだった……。こいつの設定……残念美少女だった……」
* * * * * * * *
【楠新多】
くすのきあらたと読む。男。
三年前にラノベ作家になった。第一作目『君に贈る殺人予告』でこの小説がすごい!銀賞を受賞。第二作目『GALAXY』も順調に売れている。
過去に両親を失っているため、今は一人暮らしをしている。
握手会の時に女性ファンが意外に多く駆けつけて感動のあまり号泣した黒歴史持ち。