複雑・ファジー小説

Re: 片時も、違わずに ( No.1 )
日時: 2017/12/05 18:44
名前: 凛太 ◆GmgU93SCyE (ID: aruie.9C)

 幼い頃から、私には漠然とした予感のようなものがあった。いつか、たぶん大人になる前に、何処か遠くへ行ってしまうのだと。




片時も、違わずに





「あちらの国に立ち寄ったら、知らないふりをするんだよ。もし少しでも怪しい素振りをしたならば、きっとかどわかされてしまうから」

 幼い頃から、おばあちゃんに言い聞かされていたことの、ひとつめ。
昔、この町にはたくさんの魔法使いがいた。あちこちの家で、手製の魔除けを軒先に吊るしたり、薬草を煎じる青臭い匂いが漂っていたらしい。時が経てば、魔法使いの血を継ぐ家系は少なくなってしまった。そのような調子だから、私と詩君はこの町最後の魔法使いなのだと。そう、囁かれていた。

「わかってるってば、今日から高校生なんだし」
「ああ、それと外で魔法を使ってはいけないよ」
「大丈夫だって。それじゃあ、行ってくるね」

 初めて袖を通した制服はくすぐったくて、ずっと憧れていたブレザーはなんだか気恥ずかしかった。まだ何か言いたげに口を動かすおばあちゃんを横目に、私は家を出た。
 4月はまだ花冷えの時期だ。ほんのりと冷たい空気を肺に取り込む。少しだけ、緊張していた。大丈夫、私なら平気。そんなセンチメンタルな気分も、人の庭先にうずくまる人影を見れば、彼方に飛んで行った。

「……詩君、何やってるの」
「ああ、成瀬か」

 しらべ君。その名を紡ぐと、彼は時間をかけて立ち上がった。3年くらい前までは、私の背の方が高かったのに。そう思いながら、彼の顔を漫然と眺めた。詩君の顔は、猫を連想させる。毛並みの良い、しなやかで整った猫だ。つんと澄ました顔は、片時も崩れることはない。

「蟻を、見ていたんだ」
「はあ」

 思わず、間の抜けた相槌を打ってしまう。詩君は、少し変わっている。

「それより別々の高校なんだから、待ってなくていいのに」
「ご隠居様から頼まれた」
「おばあちゃんめ……」

 盛大に溜息をつくと、横から「幸せが逃げてしまう」とぼやかれた。おばあちゃんを、ご隠居様と呼び慕う詩君のことだ。明日からずっと通学に供する気なのだろう。

「それより成瀬、少し顔色が悪い」
「昨日、よく眠れてないからかな」
「体が魔法使いの資本だろう」

 そう言って、詩君は私の眼前に手をかざしてみせた。細くて、筋張った手だ。不健康な肌の下、青紫の血管が透かして見える。掌がぽうと淡く光ったかと思うと、束の間、温かな心地に包まれた。なんだかお風呂に入ってるみたいな気分だ。詩君は私の顔をよくよく観察した後、手を退けた。

「魔法をかけたが、知ってる通り永遠ではない。今夜は夜更かしは控えるといい」
「あー、ありがとう」

 詩君は事も無げに、淡々と言葉を紡ぐ。私は胸中複雑だった。

「まだ何かあるのか」
「……私は、まだ外で魔法使えないのにな、って」
「なんだ、そんなことか」

 そんなこと、で片付けられてしまった。
 詩君は、おばあちゃんのお気に入りだった。飲み込みが早いし、魔法の扱いも上手だ。私がマッチ箱を浮かせるようになる頃には、詩君は水の上を歩くことができた。そんなのばっかりだから、小さい頃からずうっと比べられていたような気がする。詩君が嫌味な性格だったら、どんなに良かっただろう。現実は違う。彼はけして鼻にかけず、私にまで優しさを施す。これでは、どうしようもない。もやもやした気持ちは、胸の中に置いておくしかないのだ。

「それよりも、入学式は何時からだ。そろそろ行かないと、遅刻するんじゃないか」
「え、うそ、本当だ」

 時計を見やると、とうに出なきゃ行けない時刻だった。慌てて走り出す。入学式初日に遅刻なんて、そんなの御免だった。

「時間を止めるとか、瞬間移動するとか、そんな魔法ってないの!」

 住宅街を駆けながら、叫ぶ。後ろからは余裕そうな顔した詩君がついてきた。

「そんなのない。あったとしても、甘やかさないようにと、ご隠居様から言付かっている」
「大体詩君だって、遅刻なんじゃないの?」

 さっきから気になっていた問いかけを吐き出す。体力がないから、もう息が絶え絶えだ。一方の詩君は、病弱そうな体つきの癖して、飄々としている。私に隠して何か魔法でも使ってるんじゃないかな、と訝しむ。

「俺の学校の方が近いから、全然間に合う」

 いけしゃあしゃあ。正しくそんな言葉が似合った。詩君に、悪気なんてないのだ。いつだって真っ直ぐで、正直で。だから、厄介なのだ。
 この町、最後の魔法使い。それが私と詩君。私には重すぎて、紙切れみたいに潰れてしまいそうだ。ことさら、詩君が隣にいるから。