複雑・ファジー小説

3-4 ( No.50 )
日時: 2019/03/08 18:52
名前: 通俺 ◆rgQMiLLNLA (ID: zxPj.ZqW)

第三限「終末世界のラブソング」-4


--東軍、伊与田のコテージ
  

 学園のどこかで男の二人がキツネにつままれた表情を浮かべている頃に、鴬崎は靴の脱ぎ場の段差に腰かけながら報告をしていた。
 内容は単純な、本来あるはずの物が無かったこと。特に脚色もせず、淡々と彼は話を進めていた。
 そのつもりだった。

「──と、言う訳で"なぜか"三人の死体は消えてました。その場にいた幾田も覚えがないそうで……」
「……そう」
「え、えーと……俺、なんか気に障るようなことしちゃいましたかね……?」
「……いえ、問題はないので続けてください」

 できるものかっ、彼は叫んでしまいたかった。それだけに鴬崎は追い詰められていた。原因ともいえる彼女の表情からは一切の余裕は見えず、何かに対しての怒りを隠しもせず目を吊り上げている。普段の伊与田を静とするならば、まさしく今は動。一触即発どころかもう爆発しているのではないかと思うほどの怒気を彼は受け止めなければいけなかった。
 
 ──部屋中を這っている触手。それらが今にも彼めがけて襲い掛かろうとしているのだ。
 生きた心地がする訳がない。むしろ冷や汗だけで済ませられている彼の精神をほめたたえるべきであった。とはいえ、彼女がそこまで怒っている原因に本当に心当たりがあれば、彼はそもそもこの場に来ずにとんずらをこいていたであろうが。

「昨夜から、どうにも触手さんたちが荒立っている様で……別に鴬崎さんに対しては特になにも……」
「そ、そうっすか……そりゃ、なにより……」

 ならさっさと引っ込めてくれ、心の中で何度もそう懇願する。触手たちは最初は伊与田が眠るベッドの付近だけに湧いていたというのに、今では部屋の影と言う影から現れていた。
 どうにも鴬崎が話を進めるたびに密度が増えていったことから、何か触手たちが伝えたがっているのか、それとも……。

「……まだ、なにかあるのでしょう?」
「──っ、はい」

 射殺すような視線と共に、触手が更に近づいてきた。
 間違いない、伊与田の感情と連動している。そう鴬崎は決定づけた。触手が引っ張られたのか、それとも触手が引っ張ったのか、もしくは両方かはわからない。
 だがどう見ても今この状況は、伊与田,触手による尋問である。伊与田に対し「本来の自分」とは違う態度で接していたのを見破られたのか、彼女は彼の全てを吐き出させようとしているのだ。

「(……それはちょっと、ムカつくな)」

 そう受け取ると、鴬崎の切り替えはとても早かった。先ほどまでの怯えていた彼はどこへやら。姿勢を正し、近づいてくる触手たちに見せつける様に立ち上がる。
 その瞳のどこかに、反骨心が見え隠れていたのを……伊与田は気が付くことが出来ただろうか。

「えーと、これはどうも伝えづらくって……内緒にしようとか、そんなんじゃなくてですね、単に伊与田さんが傷つくんじゃないかなって思いましてね」
「御託はいりません」

 鴬崎の目には、残り数センチまでに燃えてしまっている導火線が見えた。だから、最後の燃料を投下する。

「──伊与田さんのアレ、切り落とされた腕も消えてました。同一犯だと思いますよ」

 自殺行為にも等しい爆弾発言。ほぼ同時に、触手たちがざわめきだった。尖り、けれども密度は濃くなり、光原を仕留めた時の物よりもより強大に、暴発寸前ともいえるべきところまで黒は増していく。
 これに慌てた彼女は力を抑えるべく、自分の無い筈の右手を指揮棒のように振るうが、あまり効き目がないのか彼らは鎮まらない。
 その理由を彼は容易に推測できた。鴬崎の言葉を受けた伊与田の表情は一瞬、取り付く努力さえ忘れたものになっていたのを確かに見たからだ。

「そんじゃ、俺は一旦部屋に戻って千晴川先輩の世話しなきゃなんで」
「……え、えぇ……また明日、この時間に」

 してやったり、そんな表情を隠さず彼は部屋を出ていく。彼女は触手を抑えようとしているせいか、そんな彼の表情を見ることも出来ず、鴬崎の退出その耳で確かめることしかできなかった。





 彼がコテージから出ると、それを迎える人物が一人。誰と言うほどの人物ではない。深魅だ。彼女は彼の労をねぎらう様に、持っていた缶ジュースを見せる。その目の周りはどす黒いほどの隈が出来ており、一目で彼女が寝不足だと分かるほどで、注意してみればその手もどこかふら付いていた。
 断る由もない、礼を言って受け取り……喉は乾いていたので素直に口につける。粒粒入りの人工甘味料まみれの甘さが、口の中を通り過ぎていく。

「お疲れ様、どうだい? どうやら大変だったみたいだけど」
「大変なんてもんじゃないっすよ、未知数領域・反転旭暉≪テネブル・タンタキュル≫……下手すりゃあれ、色彩哀歌≪エレジー≫と同じような危険性ありますよあれ」
「……そうか暴走か、あれはすごかったねぇ。硬い地面をああも抉るなんて。触手さん達はエリーズちゃんの危機を感じると自動で外敵排除でもするのかな?」
「外敵扱いは勘弁、こう見えてもまじめにやってんすけどね」

 鴬崎の報告は、深魅の報告とその後の実地調査に基づいて作成されていた。故に幾田がその場にいたことも彼は知り、本当に死体が消えていたことも確認している。
 嘘は一切ついていないのだ、嘘は。それなのにああいった圧迫はどうにも腹が立つ。と、自分の隠し事を棚に上げて、伊与田に対しての不満を露にした。
 それを面白そうに彼女が見ているのを知っての行動でもある。

「ふふ、きっと彼女も焦っているんだろうさ。なにせ腕が切り落とされたんだ、死を意識してしまうのも無理もない話。僕たちはどうにも疑わしい態度を取っているからね、それを煩わしく思われたのかもね」
「……流石、出入りすら禁止された深魅先輩が言うと違いますね」

 そう、深魅は入れなかった。ドアをノックし、招かれたのでそのまま……と開けたところ、一気に出現した触手たちが彼女を襲おうとしたのだ。故に出禁。警戒こそされていたが、まだ攻撃はされなかった鴬崎が一人で報告をする羽目になってしまったのだ。
 その間は大人しく外で待っているかと思いきや、自分の部屋に飲み物を取ってくるほどの余裕があったらしい。そういう彼女は大げさに腕を広げ、脇などに顔を近づけた。

「いや面目ないね、僕もびっくりなんだけど……画材の匂いにでも反応されたかな?」
「まぁ、確かに結構強烈ですね。なにつかってたんすか?」
「油絵、ずっとやってたからかなぁ……匂いが染みついちゃってるよ」

 そう言って汚れたカーディガンを煽る。その動作のたびに、何とも言えぬ臭さが立ち込め思わず顔を顰める。

「それ、幾田の奴は特になんも気にしてなかったんすか?」
「そういえば、若干引いていたような……?」
「……」
「まあ、とりあえず僕はもう休むとするよ。本当に眠くてね」

 しばしの沈黙。別段深魅は性の意識はないが、それでも多少の気恥ずかしさはあったらしい。
 ちなみに鴬崎も消毒液の匂いが仄かにしており、人のことを言えた立場ではないのは内緒だ。そもそも、この状況下でフローラルな香りを漂わせている人物の方がよほど危険そうだ。
 ごまかしなのか、彼女は眠そうに目を袖でこすり、その場を後にしようとする。自分のコテージに帰る気なのだろう。
 だがその前に、これだけは聞いておくべきだ。そう思い彼は引き留める。

「……あぁ最後に一つだけ──例の仕事の進み具合はどんなもんですか?」

 そう聞かれると深魅は今までの疲れた表情からは一変、口角を吊り上げ細くなっていた目を開く。交流は数日間だけであった東軍には、決して見せたことのない、屈託のない笑顔。

「八割、あと二日貰えたら……仕上がるよ。そうしたら、皆を呼んで展覧会だ。楽しみだなぁ……」
「……そうっすか、楽しみっすね」

 そう言うと一人、彼女はふらつきながらも自身のコテージへと戻っていくのであった。その後ろ姿を見届けると、鴬崎は誰に聞こえるわけもないほどの舌打ちをする。
 東軍にはもう一切の仲間意識の欠片もないことを示す、小さく大きな転換点だった。




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