複雑・ファジー小説
- 3-5 ( No.51 )
- 日時: 2019/03/08 18:52
- 名前: 通俺 ◆rgQMiLLNLA (ID: zxPj.ZqW)
第三限「終末世界のラブソング」-5
おぼつかない足元、意識だけが前のめりになっては転びそうになる。慌てて体勢を立て直し、また前に進む。そんな栂原を、幾田は追いかけていた。
反対に彼は意識こそ体の重心と共にあったが、肝心の体が憔悴しきっている。碌なスピードが出ず、危うい走り方をする青年にさえ追いつくことが出来ない。
校舎の角、小さい段差、えぐれた地面、悪路が続く。
「──と、とが……せんぱっ!」
二の句どころか名前も呼べない程切れた息は次第に、二人の距離が離れていくことを伝えることすら出来ない。
まずい、このままではなんだかとてもよくないことが起きる気がする。そんな思いから幾田は足を緩めず走り続けようとはしたが……やはり、彼は苦しみに耐えることが出来ず地に伏した。
壊れた肺が二度と戻れなくなってもいいと深呼吸、けれど何も起きない。
応急処置として貼ってあったガーゼに、血が滲むのが分かる。心音が限界を知らせようとしているのか、動悸が激しく、けれど次第にそのインターバルが長くなっているのが耳に届く。
「(追いつかなきゃ、じゃなきゃ……生き残った意味がないのに)」
情けない、そんな言葉も一つも発せずに、ただ走り去る栂原と……その奥にいる「誰か」をじっとみつめて地面に爪を立てた。
まさか、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
ふと──視線を感じた。
誰かが、見ていると手に取るように分かった。
けれど振り向けず、見えなければ誰だかわからない。悠々と背中に突き刺さるソレはどこか……嘲笑うように彼を刺激した。
◇
音が聞こえる。
丁寧に手入れされた庭園には少々合わない陽気な音が流れていた。けれど不快ではない。むしろそのギャップが聴衆をなんとも不思議な気分へと誘っていた。
誰かが歌っていた。急ごしらえのステージに立っていた。みんなの視線を集めていた。
少しして、それが自分なんだと気が付けた。まどろみの中で意識の一粒だけを取り戻してしまった感覚。線はあやふやなのに、どうしてか全ては完璧だと認識してしまう。
いや、完璧だった。こんなにも充実した活動のどこに不備があるというのか。
『みんな今日は、私たち軽音楽部のライブを聴きに来てくれてありがとうございます!』
いつしか、音楽は止んで歌が終わる。
マイクを両手に抱えそう叫べば、観衆たちは歓声で迎えてくれた。今日のゲリラライブは大成功だ。この後は恐らく部全体で先生方にお叱りを受けるだろうが、今が楽しければ問題がない。
片手をぶんぶんと振る。火照った体と汗で肌に張り付く服の感触が実に心地いい。楽しい、楽しくて仕方がない。自然と破顔してしまう。
『それじゃあ最後にもう一曲! 次の大会に挑むためをお披露目しちゃいます!』
アンコールが掛かった。演奏組と目を合わせて、大きく頷く。
お別れの歌を歌おう。盛り上がった場を永遠のものとする、最高の歌を。次に向かうための活気を与える曲を。
先輩のエレキギターソロによる前奏が始まった。鋭くもアガる曲調、さあ掴みはどうだと観客たちに再度視線顔を向ける。
「曲名は──え?」
向けられなかった。首が回らなかった、なんてわけではない。
観客たちは誰一人として、服の切れ端一つ残すことなく消え失せていた。
綺麗な庭園はどこへ消えたのか、岩が露出し、草花は枯れ果てていた。もはや荒野の二文字がふさわしい。
何が起きた。演奏も止んでおり、そちらを振り向いても同じように誰もいない。火照っていた体が、急速に冷え切っていくのを感じた。
視界がどんどんと暗くなっていく。唯一無事だったステージに亀裂が入り、崩れた。
落ちる。がそこに浮遊感はない。ただ、下へと引きずり落される。誰かに引っ張られている。そう彼女は、思う暇もなく……意識を失った。
「……ね、 ちゃん?」
「──っうわ!? ……って か、びっくりしたぁ……」
目を覚ませば、そこはひと気の消えた教室の片隅。どうやら机に突っ伏していたようだ。
思わず目をこすりながらも親友の声に癒される。そうだ、ライブは大成功に終わって、その疲れが残っていたのか眠ってしまったのだ。
眼鏡の奥からこちらの様子をうかがう彼女に対して、はにかんだ笑顔で返す。
「まったく、そんなに眠そうにしちゃって……さっさと顔洗ってきたら?」
「うーんどうしよっかな……やっぱりもうちょっと眠気に浸っていたいからこのままで……」
「寝癖凄いわよ。鳥の巣みたいになってる」
「えっ嘘!?」
「嘘よ」
なんだ嘘かー、とツッコみを入れて二人して笑う。
幸せな時間だ、とても。腕組みをして笑う彼女のお腹に思わず抱き着き、頬ずりをする。彼女の匂いと、服のさわり心地がまた気持ち良いものがある。
「ちょっ、ちょっと ちゃん! 恥ずかしいからやめてって」
「んふふぅ……」
「えまさかこのまま寝る気? 勘弁してよ服にしわがついちゃうじゃない……」
嫌がる口ぶりをする親友だが、言葉通りに捉える必要はないというのはその口元が緩んだ表情を見ればわかった。
そんな風に馬鹿をやって、また一日が過ぎていく。
「明日休みだし、どっかいかない? 町に降りて……ちょっと買い物とか!」
「……ごめん、それは無理」
「えーなんで?」
遊びに誘ってみたが、断られてしまった。もしや服でも見に行くつもりと思われたのかもしれない。 は金銭面に関して少々の不安を抱えていることは知っている。
そうではなく安価でかわいいアクセショップを見つけたのだと伝えるつもりで、理由を聞き返した。
──だってもう、死んじゃったから
「え?」
また、景色が変わる。息が苦しい、首に圧迫感を覚える。学園、けどいつもと違う。地面はえぐれ、切り刻まれ、その中心に自分がいる。
だが、今度は誰もいなくなったりしない。
目の前の彼女は決して消えず、そこに立っている。
頭が割れ、血だらけの姿で。
「え、え……なん、で?」
「君のせいだよ」
後ろから声がした。
振り向けば大勢の人がこちらを見て立っている。血だらけで、体の一部が消え失せている者もいる。皆一様に、黒い首輪をはめていた。
恐らく、自分も。
彼女は──榊原伊央はようやく、自分が何をしでかしたのかを思い出してしまった。
頭痛が走る。
「あ、ぁぁ……!」
「君がくだらない自己犠牲と、甘えを見せたせいでお友達は死んで……私たちはこうなったんだ」
耳をふさぐ。けれど音は手を通り抜けて、彼女の脳を刺激する。
一刻も忘れてしまいたい光景が何度も何度も再生される。瞼の裏に焼き付いて離れない。
「……伊央ちゃん」
「ひっ」
親友の手が、肩に置かれた。さっき程までこすりつけていた時にあったぬくもりはない。死者の手だ。
それが次第に首に巻き付いていく、まるでネックレスの様にしてしだれかかる。頭が痛い。
「──おまえの、せいだ」
その言葉が榊原を貫いて、壊した。
◇
「──許してっ」
飛び起きた。
近くの物を巻き付けて、部屋の隅へと寄った。頭を抱え、下だけ見て何度も何度も許しを請う。
ここがどこで、なぜ自分が生きているのか。まったく理解しようともせず彼女はひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
誰に対してか、何を罪とするか、まったくまとまらず。ただの鳴き声に成り下がったそれが部屋にこだまする。自然と涙が出てくるが拭く余裕もない。
もはや彼女は使い物にならない。それだけが見て分かった。
「……」
そんな彼女を見て、部屋の主である彼女は片眉をひそめた後に……何もせず、空いたベッド腰かけた。
そうしてしばらく明かりもつけない天井を見上げて、ただ一言だけ
「なるようにしか、ならないよ」
鳥海天戯は呟いて、目を閉じた。
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