複雑・ファジー小説
- 3-6 ( No.53 )
- 日時: 2019/03/08 19:11
- 名前: 通俺 ◆rgQMiLLNLA (ID: uqFYpi30)
第三限「終末世界のラブソング」-6
流れ落ちる水音、汚れを落とす布を掴む力は自然と強くなっていた。不要なところばかり擦り、肌が赤くなるのも気にしない。
彼が栂原と仲の良い人物だったのは、果たして偶然だったのだろうか。
二人が殺し合いの場へと連れ出されたのは、本当に何の思惑もなかったのだろうか。
そんな考えが巡っては消えて、明滅する明かりといつのまにか同期していたことに気が付くまで続いた。
「……っ」
シャワーをぬるま湯から冷水へと切り替えて、無駄に火照った体を冷やす。傷口に対しての刺激に顔を歪めるが、しばらくしてその冷たさを心地の良いものとして受け入れる。
──否無理、瞬間体は糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちる。肩が大きく上下する。決してこれは健全ではない。
呼吸が乱れる……だけど、今はそれがいい。なかばシャワーに溺れながら、彼は体を汚れを洗い落とした。
冷水に混じる赤を見ては、まだ生きている。そう実感する。
俺は生きている、はずだ。死人じゃない。
何度も何度も、自分に問いかけて、確かなものにする。思考と言うものは鍛鉄に似ている。熱く火照った思考が冷え固まる前に、形作りをせねばいけない。
この考えがいいと思ったら、そこで冷やす。
それがきっと正解だ。
彼はそう呟いて、シャワーの温度をさらに下げた。
◇
這い這いの形でシャワールームから出て、彼はまた性懲りもなくもなく、携帯食料とゼリー飲料を流し込む。もっとしっかりとした食事をすべきなのはわかるが、やる気力も技術もなかった。
これでまた体を揺さぶられたら同じようなことになるのだろう。そう痛みを訴える喉を酷使しながら、冗談紛いに呟く元気もない。
ゴミを一まとめにすると、すぐに椅子に体重を預け座り込む。そうして大きい溜息一つ吐いて、さてこれからどうするかと自問自答を開始した。
羽馬、榊原、岩館、光原の行方が知れない。東軍、西軍の言い分を信じるなら犯人は残る無所属に限定される。そうして、すぐに現場にあった乾いた黒い液体の痕を思い出す。
確実に、彼女──鳥海が関わっているその状況。やはり話を聞きに行くべきだろうか。そう思いながらも少年はチラリと時計を見やる。
既に夕刻を過ぎ、下手をすればもう寝につこうとしているかもしれない時間帯。ニ,三十分もすれば始まる、AIによる悪趣味な死亡者発表の時間。
「……死んだん、だよな」
思わず彼は、部屋に取り付けられているスピーカーに対して独り言を吐いた。現実を受け止められていないわけではない。
ただ彼は、一つだけ。どうしても気にせずにはいられないことがあったのだ。
思い出すのは、あの栂原の表情。必死で息を切らし、辺りに何度も目をやっては目的のものが見つからぬ焦り、絶望の表情。
──灯夜、どこだ灯夜!
叫び、個人の名を呼んでいた彼。けれどその名を持つものは一向に現れず、ただ声が校庭に響いていた。
死んだ彼が確かにいたのだと、後姿しか見えなかったがあれは確かに灯夜だと、栂原は肩で息をしていた幾田に対し、刷り込むように繰り返し教えてくれた。
信じられない、幾田は出かかった言葉を止めて、「本当ですか」と薄めて発した。
忘れようにも忘れられない、あの惨状。人体の大事な部分をつかさどるであろう臓器がすべて、消しゴムで消してしまったようにきれいになくなっていた死体。
そんなものを見て、光原が生きている、と可能性を信じることは出来なかった。
だがもし、もし死体が消えたのが、その生き返りのためだったのだとしたら。どうなのだろうか。
混乱している彼の目が伝えた熱は、幾田の思考もおかしくする。
「……先生」
大當寺も、もしかしたら生き返っているのか。そんな夢が一瞬湧いて、打ち消した。仮に生き返っていたとしても、顔を見せないで隠れている……それがどういうことか気が付かないほど、幾田は鈍くはない。
──やめよう、今はとにかく動き続けよう
思考の暴走に直ぐに気が付くと、彼は立ち上がり部屋にあったカバンに食料、飲料をまとめていく。
痛む体も、作業のためならば惜しくはない。誰かの為になる作業とはこうも気を楽にさせてくれることに、幾田はつい最近気が付いた。
硬い、重たいものは底に敷き詰め、軽いものは上へ。そうして2冊の「本」を最後に乗せて、チャックを閉めた。
何もしゃべらないスピーカーを一瞥し、外へと出る。
無風な筈の外気が、体を通り抜けた気がした。
「(こっそり動くなら、この時間帯がちょうどいい、か?)」
夜遅く、ルートさえ考えれば発見することは難しいだろう今、彼女に物資を届けるのは簡単だろう。
そう考えた。
事実、暗色系で固めた自分の服装は闇夜に溶け込み、輪郭線もあやふやだった。
思わず身を震わすほどの暗さに身を隠し、ひたすら校庭の方へと向かって走る。
誰か見ていないか、そう思い何度も振りかえっては、誰もいない空間に安堵し、抜けた。
そうして十分もしないうちに、特に異変もなく、塚本ゆりの隠れ家の前までたどり着けていた。
ついてしまった。
相変わらずの倉庫の前で息を整え、軽く扉をノックする。
ゴンゴンゴン、その音が倉庫の中で弱く響いて、こちらに帰ってきた。
けれど、彼女の声は聞こえない。ここまでは予想の範疇だ。
「俺です、幾田です。塚本さん」
「……」
周りに聞こえぬよう、扉にぴったりと体をくっつけて名乗る。そこでようやく、倉庫の中で誰かが動く気配を感じ取った。
後はあちらが開けてくれる。そう信じ、しばし待つ。
「……塚本さん?」
けれど、一向に扉は動かない。もしかして、もう寝ているのか、だとすればもう少し強くたたいた方がいいか、それともまた日を改めるべきか……。
幾田はしばし考え、そうして……手持無沙汰になった手が自然とドアノブに手がかかり、気が付いた。
──鍵がかかっていない。
ふと、この光景に既視感を覚えた。
一瞬にして、体の全神経、筋肉が硬直する。
他に寄っていた思考全てがソレだけに支配される。子供の頃、ブランコから叩き落された時よりも広い感情の落差、それだけはあってはならない。
だからこそか、彼は前回をなぞらないためにも、勢いよく扉を開けた。
「塚本さんっ!」
明かりもついていない倉庫の中は暗く、換気の為に取り付けられた小窓から差し込む弱い光だけが頼りだった。
彼の目の前には人影が一つ、幾田の突入に合わせ、動いた。
動いている、少なくとも二本足で立っている、安心した。生きている。
「……塚本、さん?」
幸運が何度も訪れるはずもない。
人影がこちらを向く、そうして通り過ぎる光で形が露になる。
彼女よりも小さい体、彼女のものとは思えない腐臭、そして何より、今の今まで何一つ喋ろうとしない態度。
そもそも、人ではない。少なくとも人は「腹に大穴」が開いているのに動けるはずがない。
全てが違う。違いすぎて、理解が及ばない。
そこで彼が、壁のスイッチに手をやったのは何故だったのか。理解するために、少しでも情報を欲しがったのか、否定する材料が欲しかったのか。
幾田はゆっくりと、上に押し上げて……パチりと、音がする。
点滅、
明滅、
これは電球の古さか、違う。視界が揺らいでいる。
もう、見えている。
「……なん……で?」
──……
ハリもツヤも失い、ただ頭皮から垂れ下がる髪、
対象を確かに捉えていた茶の目は今、焦点定まらずこちらを見ているのかすらわからない。
服こそ、以前の彼が着ていた赤のシャツに黒のジーンズ。けれど、ところどころがほつれ、破け、血が染まっているのかあちこちが赤黒い。
何度瞼を閉じても、その光景は変わらない。
まだ生きている、なんて理想は抱けない。
生者ではない、亡者だ。
腹に空いた大穴、そこにはみ出す背骨が、彼を支えていようといまいとどうでもいい。
変わり果てた彼を、彼と認識する証が確かに、そこにあったから。
「──光原、さん?」
東軍最初の犠牲者で、栂原の親友で、ほんの少しだけ幾田を熱に浮かした男が、今そこに立っていた。
彼は、何も見下ろしていなかった。
地獄の底から、呆けたように空を見上げるばかりで、何も見ていなかった。
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