複雑・ファジー小説
- 01:Steam Stream ( No.2 )
- 日時: 2018/01/21 18:51
- 名前: 幾束 (ID: vGUBlT6.)
「いやぁ、貴女は本当にお美しい。さぁ、葡萄酒はどうですか」
「あら、それじゃあ一杯だけ」
型に嵌まったような会話が、あちこちで花開いている。花と果実の、芳しい、しかし限りなく人工的な匂いが充満した大広間。その側面に設えられた大きな窓からは大きな満月が覗くが、誰も目には留めない。まるで下品な程に光を放つ、絢爛なシャンデリアを褒めるのに誰もが夢中だ。
空間を満たす猫撫で声と高笑いの間を縫い、何処からともなく音楽が流れ始める。くるくると回転する、きらびやかな衣装。目当ての相手を執拗に誘う肥満の男。嫌な顔ひとつせずにその手を取る麗しい女。回る人々と共に、欲と虚構が渦巻く広間。
その中心に、一際目を引く厚い硝子の箱があった。
その場の全員が興に乗っているさなか、渋い顔をした男が箱の傍らに立っている。男は、周りからして明らかに異質だった。ぎらぎらとした銀の鎧に身を包み、腰には剣を帯びている。眼光は険しく、日焼けした顔には傷が刻まれていた。
その男に、かなり足取りが怪しい、にやけた青年が近付いていく。ふざけたような模様の探偵帽が印象的だ。
「ちょっと、騎士様。なーにしかめっ面してるんですかぁ。折角なんですし楽しみましょうよぉ」
「ん? ああ……」
「大丈夫ですよ、こいつは特注の特別厚い硝子箱ですし。床にがっちり固定してますし! 『あいつら』もこんなもん盗めませんよぉ。てか警備だって万全ですってぇ。でしょ?」
へらへらと笑う青年が、硝子の箱をコンコンと叩く。箱の中には、一つの宝石が入っていた。大きさは拳より少し小さい。艶やかに輝く藤色をしている。しかしそれだけでは無く、石の中に金色の筋の様な物が走っていた。その模様は、まるで稲妻の如く強い光を放っている。宝石の美しさを再確認し、青年は御満悦といった顔でむふふと声を漏らした。
「お国から騎士様が警備に派遣される位の値打ちがありますよねぇ。オレはそんな大袈裟な、って疑ってましたけど。今なら分かりますよぉ。この『春雷』の価値は」
騎士、と呼ばれた男は溜め息を吐き、腕を組んだ。決して銃を持たず、剣や槍のみで闘う。そのため、時代錯誤とからかわれる存在の騎士は噂をするにも格好の的だ。この青年も、きっと仲間内でそういう話になり男をからかいに来たのだろう。
そんな事はとっくに分かりきっている男だったが、邪険にすると更に騎士の印象が悪くなる。面子の為と、苦虫を噛み潰した様な顔で男は答えた。
「宝石の良し悪しは俺には分からん。しかし……大体なんだって飛行船の中で宝石の展覧会をしなきゃならねぇんだ。地上で良いだろ、地上で」
毒づいた男は、広間の誰一人として目もくれない大きな窓を見やる。雲や星が、窓の外をゆっくりと動いて流れていく。本来なら聞こえる筈の、喧しい金属音や蒸気の噴出音はすっかり周囲の騒がしさに掻き消されていた。
騒がしさの原因の一つである青年は、男の様子に気付くはずもなく笑う。
「やだなー、分かってないですねぇ! 演出ですよ、演出!」
「そうは言ってもなぁ……こういう飛行船は特に絶好の獲物……」
突如、複数の悲鳴が上がった。
「……!」
どよめきが一瞬にして場を支配する。狼狽える青年に反して、男はいち早く反応し視線を周囲に巡らせた。大広間の入り口付近で、半狂乱になって叫ぶ女が数人。ざわつく人混みを掻き分け、男は女達に近寄る。どうかしたのかと叫び返すと、一番近くに居た赤い衣装の女が男の鎧にすがりついた。顔を醜く歪め、一気に捲し立てる。
「ああ、騎士様! 助けて下さい、きっと賊が入ったんだわ!」
「おい待て、落ち着け……一体何があった?」
「わたくしと皆さんで、一旦部屋へ戻ったのよ! そうしたら、荷物に入っていた金貨が全部無いの! 一緒に居た皆さんも同じだったわ!」
男の眉間に、深い皺が刻まれた。
同時に、野次馬達の顔も虚を突かれた様に変貌する。『あいつら』は宝石を狙うものだと、その場の全員がそう思い込んでいた。徐々に拡大するざわめき。騎士の男は女の白い手を振りほどき、鎧など着けていないかのような速さで走り去った。
「何をしてるんだ!!」
恐らく客室であろう、扉が幾つも並んだほの暗い廊下に怒号が響く。駆け付けた男は、絨毯に倒れ伏している鎧の青年の胸ぐらを掴み、頬を殴った。気を失っている青年も騎士達の一人であるらしく、かなり体格が良い。その青年は目を開けると、酷く怯えた様子で肩を震わせた。何故か額をしきりにさすっている。そして目の前の男に気付き、慌てて敬礼した。
「ぶ、分隊ちょ」
「何をしているんだと訊いている!!」
「は、はひっ!」
青年は背筋をびくっと伸ばすと、早口で語った。
「こ、この辺りの警護をしていたら、ここの部屋の中から口論が聴こえました! そ、それで、展覧会には全員参加が原則だったなと思い出し、不審に思って近付いたのですが……」
青年は非常に言いにくそうにもごもごと口を動かしている。
「それで、何だ」
「……扉の前に立ったら、いきなり扉が開いて……この、この部分の出っ張りに額を打ち付けて……気絶してしまい……あ、でも中からガスマスクを被った二人組が出てくるのは辛うじて見ました!」
男は巨大な溜め息を吐いた。
「二人組は何処に行った」
「確か……デッキがどうとか言っていました」
「よし。お前は此処で待っていろ」
男は頷き、もう一度青年の頬を殴る。青年は悲鳴を上げ、頬を押さえた。
- 01:Steam Stream ( No.3 )
- 日時: 2018/01/26 18:39
- 名前: 幾束 (ID: vGUBlT6.)
あちこち吹き荒れる風が男の頬を叩く。飛行船の横に張り出した、狭いデッキ。此処が上空何メートルの地点なのか男は知らなかったが、兎に角、落ちたら死は免れない事だけははっきりと理解していた。夜空の下、三つの人影を月が煌々と照らす。
「そこで止まれ」
男が低く警告すると、二つの人影は素直に立ち止まった。そして勿体つけるように、ゆっくりと振り返る。ガスマスクの目の辺りにはめ込まれた硝子がきらりと光った。素早く視線を走らせる男。背の低い方が麻袋を担いでおり、腰には言うまでもなく、銃。男の鋭い目線を受け、麻袋を持ち直すガスマスク。同時に金属の擦れる様な音がした。間違い無い、中身は盗まれた金貨。確信した男は、腰の剣に手を掛けた。
「大人しく金貨を返せ。俺は銃弾でも切るぞ」
荒々しい声に二人組は暫し無言だった。舌打ちをした男が、痺れを切らし剣を抜く。今にも斬りかからんとばかりに猛々しく光る銀の刃をかざし、男は、殺気を犬歯に乗せ剥き出しにした。
対するガスマスク達はと言うと、ようやく背の高い方が動いた。背負ったものを手元に寄せ、構える。それは銃ではなく、男と同じ剣だった。鞘と鍔の隙間から白い光が漏れる。
男はふと眉根を寄せた。今まで目にした事の無い形状の刃。只の剣にしては細い、刺突剣にしては太い。反っている鞘から見るに、恐らくは片刃。見れば見るほど奇妙だ。男の怪しがる視線を感じ取ったのか、ガスマスクは一呼吸を置く。そして、ゆっくりと抜刀した。露になる刀身。男のひそめた眉が段々と緩み、少しずつ上昇する。月光を浴びて青白く繊細に輝くその刃は、まるで一つの芸術品の様であった。
半開きだった男の口元が徐々に歪んでいく。それは獲物を見つけた時の獣の様な、貪欲な笑みだった。確信する。こいつは、只の賊ではない。
「……貴様、何者だ」
ガスマスクはそれには答えずに右足を前に出した。男も呼応する様にじりじりと前に進む。二人の間には、ぴんと張った細い糸。距離が狭まる毎に、糸は張り詰めていく。駆け引きの様な無言のやり取り。男の神経は完全に研ぎ澄まされていた。まだまだだ。もう少し、もう少し……
やがて、ぷつんと糸が切れた。
「はあああッ!!」
先に沈黙を破ったのは、男の方だった。
最小限の予備動作で、薪割りの様に剣を振り上げる。唸りを上げ、銀の刃が彼にとっての『獲物』に襲い掛かった。当たれば頭は確実に真っ二つ。男の手に確かな手応えが伝わった瞬間、ふっとそれが消える。男は一瞬体勢を崩しかけたが直ぐに持ち直した。ガスマスクが男の攻撃を防いだ……というよりは、受け流したのだ。見えない筈の顔からはあからさまに余裕が感じられる。
男は息も吐かさず追撃。下がった剣先を、今度は逆に振り上げる。またもや恐ろしい速度で剣が迫るが、ガスマスクは軽々とかわす。男は小さく舌打ちをし、更なる猛攻を続けた。静かな夜空と対照的に、荒れ狂う風と舞う火花。
「どうした、怖じ気付いたか!」
吼える様な叫びにも耳を貸さず、ただただ攻撃をいなすばかり。男は息も切らさず剣を振り続けたが、段々と斬撃がぶれて来ていた。単純な疲労等ではない。男の心は既に、強い焦燥に侵食されつつあった。かすりもしない自分の攻撃。一度溢れた感情は、じわじわと広がる水溜まりの様に止めようがない。
男は奥歯を噛み締めた。押さえていた怒号が喉の直ぐそこまで迫りつつある。まるで抑制の効かない赤子の様に、叫び出してしまいそうだ。
その時、男はある事に気付いた。
素早く、目を瞬く。回避の為、半身を傾けた相手の向こう。金貨の袋を持った背の低いガスマスクの人物が、『いるはずだった』。
「……!」
其処には誰も、影すら無かった。
金貨袋も無い。何処に逃げたと言うのか。この飛行船の、狭いデッキの上で。出入口は男の後ろ。駆け込める筈がない。一番取り戻さなくてはならない物から、目を離してしまった。一瞬男の眼球が泳ぐ。しかし男は直ぐに剣を振った。これまで反撃も一切して来ず、後退するばかりの相手であったが、隙を見せれば終わり。何故かそんな感覚が男を支配していた。
しかし表れた動揺は隠せず、更に荒くなっていく攻撃。一体、片方と金貨は何処に消えた。男の背に冷たい汗が伝う。
突然、ガスマスクが後退する足を止めた。しめた。やっとこの時が来たかと男の心臓が高鳴り、歯を剥き出して笑う。さっきまでの動揺が嘘の様だった。もうこいつには、文字通り後ろが無い。背後は腰辺りまでの白い鉄柵、そして更に後ろには奈落への入り口。これ以上避ける事など出来ないだろう。少なくとも、もう逃げられない。正に袋小路。何もお前を仕留めてから、片割れと金貨袋を探せばいい。それだけの事だ。
さぁ、正々堂々勝負しろ。
「ふんっ!」
これまでのどの斬撃より強く、速く。男は剣を真一文字に、首を取るつもりで振った。
ガスマスクは受け止めもせず、柵ぎりぎりまで下がる。奇妙な剣を握られた手はだらりと下がったままで、ぴくりとも動かない。
首を取る事こそ叶わなかったが、鋭い斬撃を受け、相手の顔を覆うガスマスクが大きく破れた。鼻から下、首が露になる。頬にはたった今ついたのだろう、赤い傷が走っていた。
「な……」
男が見ているのは、その傷でも、斬り損ねた仄白い首でも無かった。薄く紅い、形の良い唇。視線を注ぐ男の内側に、沸々と何かが湧き出て来ていた。
「……貴様……っ!」
相手は、笑っていたのだ。ガスマスクの下で。