複雑・ファジー小説
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.1 )
- 日時: 2021/02/23 02:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
†主要登場人物†
◆ルーフェン・シェイルハート◆
本作の主人公。サーフェリアの召喚師。
十四歳の時に、叔父のサミルと共に王都をシュベルテからアーベリトに移した。
二十一歳でシュベルテに籍を戻す。
◆サミル・レーシアス◆
サーフェリアの国王であり、アーベリトの医師。
シュベルテ、ハーフェルン、アーベリトの三街による統治体制を敷き、サーフェリアを治めている。
◆トワリス◆
人間と獣人の混血の少女。
十二歳の時にルーフェンたちに救われ、アーベリトで暮らし始めるが、後に魔導師を目指してシュベルテに移り住む。
十七歳の時に正規の魔導師に昇格し、アーベリトに戻る。
◆ハインツ◆
リオット族の少年。八歳の時にルーフェンに救われ、十四歳になってからノーラデュースを出てアーベリトに移る。
†その他の登場人物†
◆ダナ・ガートン◆
アーベリトの医師。
◆ロンダート・リグウェル◆
アーベリトの自警団員。
◆オルタ・クレバス◆
名の知れた残酷絵師。
◆ラッカ・サルマン◆
アーベリトの大工。
◆ミュゼ・ホーラン◆
サミルの屋敷で働く家政婦の一人。
◆テイラー・シグロス◆
アーベリトの東区にある孤児院の責任者。サミルとは旧知の仲。
◆ヘレナ・マックレイ◆
アーベリトの東区にある孤児院で働く女性。
◆ルト・バーリー◆
東区の孤児院で暮らす少年。問題児。
◆リリアナ・マルシェ◆
東区の孤児院で暮らす少女。後に叔母に引き取られ、アーベリトの中央区に引っ越す。
◆カイル・マルシェ◆
リリアナの弟。
◆ロクベル・マルシェ◆
リリアナとカイルの叔母。トワリスの引き取り手。
◆ジークハルト・バーンズ◆
魔導師団所属の少年。ルーフェンと同い年で、オーラントの息子。
二十歳で宮廷魔導師に最年少昇格をする。
◆クインス・タスマン◆
サーフェリアの魔導師。
◆アレクシア・フィオール◆
トワリスと同期の魔導師。
◆サイ・ロザリエス◆
トワリスと同期の魔導師。
◆ジェット・キーリエ◆
アレクシア曰く、ぼんぼん。トワリスたちと同期の魔導師。
◆トリーシア・フィオール◆
アレクシアの姉。今は故人。
◆ミシェル・ハルゴン◆
稀代の魔導人形技師。
◆ケフィ・ハルゴン◆
ミシェルの孫を名乗る青年。
◆ラフェリオン◆
ミシェル・ハルゴンが手がけた魔導人形。
◆ブラウィン・エイデン◆
元魔導師団長。ラフェリオンの制作をハルゴン氏に依頼した。今は故人。
◆メレオン・ザックレイ◆
東部ゼンウィック地方常駐の魔導師。
◆ロゼッタ・マルカン◆
クラークの娘。
◆クラーク・マルカン◆
港湾都市ハーフェルンの領主。
◆モルティス・リラード◆
サーフェリアの事務次官。
イシュカル教徒であることを隠して王宮に仕えていたが、セントランスによるシュベルテ襲撃を機に新興騎士団を設立、教徒たちを蜂起させた。
◆バジレット・カーライル◆
旧王都シュベルテの領主。
◆シャルシス・カーライル◆
サーフェリアの第二王子。
◆レオン・イージウス◆
サーフェリアの騎士団長。
◆ヴァレイ・ストンフリー◆
サーフェリアの宮廷魔導師団団長。
◆ガラド・アシュリー◆
サーフェリアの政務次官。
◆バスカ・アルヴァン◆
軍事都市セントランスの領主。
◆シルヴィア・シェイルハート◆
ルーフェンの母。サーフェリアの前召喚師。
◆エイリーン◆
アルファノルの召喚師。闇精霊の王。
各国を訪れ、それぞれの召喚師と接触を図っている。
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.2 )
- 日時: 2019/06/18 12:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
†用語解説†
◆イシュカル教◆
全知全能の女神、イシュカル神を信仰する宗教。
サーフェリアにのみ存在する。
悪魔を闇の象徴としているため、召喚師一族に対して否定的。
教会は国王に次ぐ権力を持っている。
◆イシュカル神◆
かつて、世界をミストリア、サーフェリア、ツインテルグ、アルファノルの四国に分けることで、争いをおさめたという女神。
◆騎士団◆
サーフェリア国王、及び王都シュベルテの守護を中心とする武人達。
最高権力者は国王。
◆宮廷魔導師団◆
サーフェリア魔導師団の中でも、特に能力の高い者のみを集めた集団。
貴族と同等の地位を持つが、人数が少ないため多忙。
◆獣人◆
獣の特徴を持った種族。姿形は種によって様々。
ただし、親が獣と人間というわけではない。
身体能力は人間より長けているが、召喚師一族以外に魔力をもつ者はいない。
◆召喚師◆
契約悪魔の召喚という、高等魔術を操る唯一絶対の守護者。
四国それぞれに一人ずつ存在する。
サーフェリアでは国王に次ぐ権力を持っており、他三国では国王と同一の最高権力者である。
代々特定の一族が引き継いでおり、子が召喚術の才を発揮し出すと、親は召喚術を使えなくなる。
契約悪魔も基本的には引き継がれるが、新たに契約することも可能。
◆魔導師団◆
サーフェリア全体の守護を勤める武人達。
最高権力者は召喚師。
◆ランシャムの魔石◆
魔力量を制御する効力がある緋色の魔石。
サーフェリアの召喚師一族に、耳飾りとして受け継がれている。
◆シシムの磨石◆
暗闇に持ち込むと光る性質をもつ石。ノーラデュースでしか採れない。
◆リオット族◆
「地の祝福を受ける民」の名をもつ、特別な地の魔術を操る一族。
ノーラデュースの谷底で暮らしている。
リオット病により全身の皮膚がひきつったように爛れており、寿命が短い。
◆リオット病◆
リオット族にのみ発病する遺伝病。
症状としては、皮膚の硬化と蛋白質異常による全身の筋肉の異常発達、及び変形。
それに伴う心肺機能の停止、などが挙げられる。
◆ゼル◆
サーフェリアの通貨単位。
通常の大きさの銅貨一枚で一ゼル、銀貨一枚で一万ゼル、金貨一枚で十万ゼルの価値がある。
◆ルマニール◆
オーラントの愛槍。
◆アーノック商会◆
サーフェリア有数の商会の一つ。
◆カーノ商会◆
サーフェリア有数の商会の一つ。輸出入品を主に扱う。
ルーフェンと契約してリオット族を雇用している。
◆レドクイーン商会◆
魔法武具の生産を主とする商会。ルーフェンと契約してリオット族を雇用している。
◆魔語◆
悪魔召喚の呪文が記された魔導書に使用されている、召喚師一族しか扱えない特殊な言語。
◆禁忌魔術◆
その危険性から発動を禁止された、古代魔術の一種。大きく分けて、『時を操る魔術』と『命を操る魔術』の二種類が、これに該当する。
◆術式◆
その魔術を発動させるための陣や呪文のこと。
†地名紹介†
◆ミストリア◆……獣人の住む東の国。生を司る。
◆サーフェリア◆…人間の住む西の国。死を司る。
・シュベルテ………サーフェリアの王都。
・アーベリト………シュベルテの南東にある街。医療が発達している。
・ハーフェルン……シュベルテの北東にある港町。
・ヘンリ村…………シュベルテの東門近くに位置する村。今は廃村。
・サンレード………イシュカル教徒のすむ集落。今は消滅した。
・ノーラデュース…サーフェリアの南西端にある、深い峡谷の連なった乾燥地帯。「奈落」を意味する。
・ココルネの森……かつてリオット族が住んでいた森。高温多湿、常盤木の密林が広がる地域。
・ライベルク………サーフェリアの南西にある街。街としては最南に位置する。
・リラの森…………アーベリトに隣接する小さな森。
・ガルム村…………南大陸に位置する村。
・ネール山脈………ランシャムの魔石が採掘できる、北方の山脈。
・セントランス……シュベルテの西に位置する軍事都市。旧王都。
・カルガン…………西方の大都市。発酵酒が有名。
・ゼンウィック……東方に位置する、ミシェル・ハルゴンの出身地。
◆ツインテルグ◆…精霊の住む南の国。光を司る。
◆アルファノル◆…闇精霊の住む北の国。闇を司る。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.3 )
- 日時: 2018/03/04 19:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
†第三章†──人と獣の少女
第一話『籠鳥』
サーフェリア歴、一四八九年。
王都の選定が行われ、年が明けた頃。
十五歳になった召喚師、ルーフェン・シェイルハートは、新たな王都、アーベリトに移り住むことになった。
王太妃バジレットが、王位を譲る証文をサミルに贈り、王都と王権が、正式にアーベリトに移ったのである。
旧王都、シュベルテの領主には、バジレット・カーライルが就き、サーフェリアは、アーベリト、シュベルテ、ハーフェルンの三街による磐石(ばんじゃく)な協力体制の下、統治されることとなった。
アーベリトの領主、サミルが次の国王に即位したことは、戴冠式の後、サーフェリア全土に知れ渡った。
港湾都市ハーフェルンでもなく、軍事都市セントランスでもない。
リオット族の騒擾(そうじょう)以降、影を潜めていたアーベリトなどという小さな街が、突然王都に選出されたのだ。
この知らせは、民達に大きな衝撃を与え、アーベリトは、周囲から懐疑的な目を向けられることとなる。
第二王子シャルシスが成人するまでの、一時的な遷都とはいえ、バジレットのこの決定に、疑問を抱く者は多かった。
「あー……駄目だ、全っ然終わらない……」
一向に書類の減らない執務机に突っ伏すと、ルーフェンは、盛大にため息をついた。
伸びをして、何気なく首を回すと、ごきごきと物凄い音がする。
アーベリトに移ってから、約半月。
ひとまずレーシアス家の屋敷を拠点に、召喚師としての仕事に追われていたルーフェンであったが、ただですら遷都したばかりで忙しいのに、アーベリトには、とにかく人がいなかった。
もちろん、元々アーベリトで働いている役人や、自警団の者はいるのだが、それだけの人数では、王都として機能するには到底足りない。
新たな執政官を始め、役人の選定もまだ間に合っていないし、結果として、ルーフェンもサミルも、すさまじい量の雑務に忙殺されていたのだった。
シュベルテから、役人や魔導師などの人材を派遣する、という話もあったのだが、ルーフェンは断った。
現在、思わぬアーベリトの台頭を、良く思っていない者は多い。
そんな状況で、他所の者をアーベリトに招き入れるのは、不安だったからだ。
忙しいからといって、外部の者を受け入れて、寝首をかかれては元も子もない。
寝不足で霞んできた目を擦りながら、次の書類に署名していると、執務机のすぐそばに腰かけていたダナが、けらけらと笑った。
「随分と消耗しとるのう。召喚師様というのも、酷な仕事じゃて」
ルーフェンが渡した書類に国璽(こくじ)を捺して、ダナが言う。
ダナは以前、オーラントの治療にも助力してくれた、アーベリトの医師の一人だ。
高齢のため、もう現場に出ることが少なくなっているので、時間があるから何か手伝おうと、こうしてルーフェンの元に通ってきてくれている。
とは言っても、政(まつりごと)に関しては素人なので、ダナには、ルーフェンが確認した書類に、ひたすら国璽を捺す作業をこなしてもらっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.4 )
- 日時: 2018/03/07 18:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
ルーフェンは、掠れた声で答えた。
「時間がかかるっていうか、仕事が多すぎるんですよ。まず、この深刻な人手不足をどうにかしないといけないし。移民も増えるだろうから、領地の拡大も検討しないと。それから王城の建設、先王の葬儀にも顔出して、イシュカル教徒の移動は制限して……。……本当、多すぎて無理。というか、これほとんど、本来の俺の仕事じゃないし」
ふて腐れたように言うと、ダナは空気の入れ換えに部屋の窓を開けながら、言った。
「サミル坊も、敵意剥き出しの領主共に謁見を次々申し込まれて、てんやわんやしておったよ。すまんなぁ、色々と間に合っておらんで。まさかアーベリトが、王都になるなんぞ思っとらんかったから」
ルーフェンは、署名する手を止めると、ぱちぱちと瞬いた。
「思っとらんかった、って……。サミルさん、何も言わずに、王都の選定会議に出たんですか?」
窓の外から入ってくる、鳥の鳴き声を聞きながら、ダナは返事をした。
「いや、もちろんシュベルテに行く前には、『アーベリトを王都にしようと思うが、構わないか』とかなんとか言って、出ていったがのう。しかし、まさか本当にハーフェルンとセントランスを言いくるめて、王権を勝ち取ってくるとは、誰も思わなんだ。あのサミル坊が国王になったと聞いた時は、わしらもびっくりおったまげたわい」
(……の、乗りが軽い)
ほほほ、と笑うダナに、ルーフェンも内心苦笑する。
厳格な雰囲気が漂うシュベルテの王宮を思うと、アーベリトのまったりとした空気は、とてもじゃないが、同じ国の中枢を担う街のものとは思えなかった。
アーベリトには、子供と老人が多い。
それが理由なのかは分からないが、アーベリトは、他の街と比べて、時の流れが静かでゆったりとしているような気がした。
サミルもダナも、一度医師として動き出せば、その仕事ぶりには脱帽するのだが、普段話しているときは、なんだかこちらまで脱力してしまうような、穏やかな話し方をする。
そういう雰囲気の人間が多いから、アーベリトは全体的に、のんびりとした街だった。
事務仕事を再開しようと、執務机に向き直ったとき。
ルーフェンは、ある書類に目を止めると、訝しげに眉を寄せた。
「獣人の奴隷……? なんだ、これ」
物珍しい内容の書類を、思わず手にとって読む。
それは、人身売買を禁止しているシュベルテにて、奴隷の密売を行った商人たちを捕らえた、という旨の、魔導師団からの報告書であった。
別に、密売を取り締まったという報告自体は、珍しくもなんともないのだが、驚くべきは、その奴隷の中に獣人が混じっていた、という点である。
獣人は、サーフェリアから遠く離れた東の国、ミストリアに住む種族である。
国同士は史実上、三千年以上は無干渉を貫いており、サーフェリアの人間たちは、獣人のみならず、精霊族や闇精霊族とも、一切関わりを持ったことがないと言われていた。
その獣人が、もし本当にサーフェリアに現れたというなら、船で海を渡ってきたのか。
それとも、ミストリアにも移動陣に似た類いの魔術が存在していて、それを行使して、サーフェリアに渡ってきたのか。
手段は分からないが、少なくとも、サーフェリア側には、他国へ渡ったなどという話は聞いたことがない。
すなわち、サーフェリアにはできない『他国への侵入』を、ミストリアはできたということである。
ともすれば、万が一攻め入れられた時のことを考えると、少し不安になった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.5 )
- 日時: 2018/03/13 18:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)
「……成人女性の獣人、左脚に、赤い木の葉模様の刺青あり……。本当なんですかね、正直、信じられないけど」
ルーフェンが呟くと、ダナが興味ありげに近づいてきた。
「おお、懐かしいのう。そういえば、一時期話題になったわい。本物の獣人が来た、とな。覚えとらんか?」
「え?」
懐かしい、という言葉に、ふと報告書の日付を見る。
そこに、一四七七年、と記されているのを見て、ルーフェンは顔をしかめた。
「……って、これ、十二年前の報告書じゃないですか。俺、その時まだ三歳だし、ヘンリ村にいたから、シュベルテでの事件なんて知りませんよ」
「十二年前? なんと、もうそんなに経つのか。時が経つのは早いのう」
呑気に感心しているダナを横目に、ルーフェンは、肩をすくめた。
「十二年前の未処理案件を横流ししてくるなんて、シュベルテも案外いい加減ですね。こんな昔の話、俺に振られたって、対応のしようがない」
報告書に署名をしながら嘆息するルーフェンに、ダナは言った。
「対応も何も、その獣人とやらは、亡くなってしまったようじゃぞ。まあ、奴隷というからには、ろくな扱いは受けておらんかったろうしな。発見された当時は、かなり騒がれておったもんじゃが」
「へえ……」
ルーフェンは、あまり興味がなさそうに返事をした。
「でも、本当に獣人だったなら、どうやってサーフェリアに渡ってきたんでしょうね。獣人は魔力を持たないって聞くし、もし海を渡ってきたなら、どんな手段を使ったんだろう。……まあ、個人的には、何故獣人が来られたのか、っていうより、どうしてこれまでサーフェリアの人間が、他国に渡れていないのかっていうほうが、不思議ですけど」
ダナは、ふむ、と呟くと、再びルーフェンの隣に座った。
「あまり、渡ろうとする者がおらんのではないか? ほれ、かつては種族間の争いが絶えず、その戦を治めるために、大陸が分断された、と言うじゃろう。西のサーフェリアには人間を、東のミストリアには獣人を、北のアルファノルには闇精霊族を、南のツインテルグには精霊族をそれぞれ住まわせ、四種族を隔絶させることで、世に平定がもたらされた、とな……。つまり、言ってしまえば、我らは敵同士であり、他国に侵入するというのは、敵地に飛び込むようなものじゃ。無事に海を渡りきるのも容易ではなかろうし、そんな無謀な真似、しようとする者はそうはいなかろう」
ルーフェンは、首を傾けた。
「そうですか? 成功させた人がいても、おかしくないと思いますけど。それに、その四種族が云々っていうのは、ただの伝承でしょう? イシュカル教会が信仰してる、大陸を分断させた女神イシュカル様ってのも、一体どこまで史実に基づいてるんだか。単に、地震とか天変地異で大陸が割れて……って言われた方が、信じる気になります」
ダナは、長い眉毛を押し上げて、楽しげにルーフェンを見つめた。
「召喚師様は、他国に興味がおありのようじゃな」
「…………」
少し目を大きくして、ルーフェンが言葉を止める。
それから、ふうと息を吐くと、ルーフェンは首を振った。
「興味があるっていうか……なんか、全く関わりがないっていうのも、相手の動向が掴めなくて不安だなって。サーフェリアの歴史書が本当なら、他国にも、それぞれ召喚師一族がいるわけでしょう? しかも、かつては敵同士だったって言うなら、他国がサーフェリアに攻め入ってくる可能性も、あるわけじゃないですか。もし戦にでもなったら、ただじゃ済まないだろうなと思うんです」
そう言って、目を伏せたルーフェンに、ダナは納得したように頷いた。
「なるほど、確かにありえん話ではないのう。もし本当に他国が攻めてきたら、アーベリトなんぞは、あっという間に潰されてしまいそうじゃわい」
真剣な話をしていたつもりなのに、またしても楽天的に笑って、ダナが答える。
ルーフェンは、少し呆れたように微笑んでから、ふと真面目な顔つきになって、静かに答えた。
「……もし、本当にそうなってしまっても、アーベリトだけは、俺が絶対に守ります」
驚いた様子で、ダナが瞠目する。
それから、ぷっと吹き出すと、突然ダナは爆笑し始めた。
(な、なんで笑われた……)
折角格好良く宣言したのに、思いがけず笑われて、ルーフェンは目を細めた。
「……ダナさん、俺のこと、信用してないでしょ」
「いやぁ、そんなことはない。頼りにおりますぞ、召喚師様」
「……嘘くさ……」
胡散臭そうにダナを一瞥してから、再び獣人に関する報告書に目をやる。
ルーフェンは、その報告書を、適当に処理済みの書類の山に重ねると、次の仕事にとりかかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.6 )
- 日時: 2018/05/21 17:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
その時だった。
ばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきたかと思うと、扉を叩く音がして、一人の若い男が、執務室に入ってきた。
「失礼します! 召喚師様、クレバス氏がまたいらっしゃってます!」
妙に張り切った様子で敬礼した男、ロンダートは、アーベリトの自警団に所属する一人である。
ルーフェンが返事をする前に扉を開けるなんて、シュベルテの王宮では、無礼だと処罰されてもおかしくない行為だ。
しかし、アーベリトには、その辺りの礼儀というものを、よく分かっていない者が多いらしい。
ルーフェン自身は、妙に堅苦しくなくて良いと思うのだが、もしこれをルーフェン以外の要人相手にやらかしてしまったらと考えると、少し心配であった。
ルーフェンは、首を左右に振った。
「クレバス氏って、あの画家でしょ? 忙しいから、帰ってもらって」
「えっ! もう連れてきちゃったんですが……」
がくっと項垂れたルーフェンに、ロンダートが首をすくめる。
顔をあげれば、確かに、扉のすぐ近くに、傴僂(せむし)の男──オルタ・クレバスが立っていた。
「お、お忙しいところ、申し訳ありません。召喚師様……」
恭しく頭を下げて、オルタが礼をする。
ルーフェンは、仕方なく腰をあげると、オルタの前に歩いていった。
このオルタ・クレバスという男は、一部では名の知れた画家であった。
元々はシュベルテのほうに住んでいたようなのだが、王都がアーベリトに移ったのと同時に、わざわざこちらに引っ越してきたのだと言う。
そして、このように度々ルーフェンを訪ねてきては、「宮廷画家にしてほしい」と懇願してくるのだった。
最初は、芸術家を雇う金も余裕もない、と断っていたのだが、オルタの望みは、金や地位ではなく、召喚師の下で絵を描くことのようだった。
見返りがいらないというなら、雇っても良いところだが、それ以前にルーフェンは、この男の絵が好きではなかった。
オルタは、『残酷絵』という、人間の死体や殺戮現場などを描く画家なのである。
執拗なほどに、鮮やかに描かれた血液。
死を突きつけられた人間の、苦悶の相貌。
痛々しく肢体に刻まれた傷に、死体が並ぶ酷(むご)い戦場など。
それらを、質感すら感じられるほど、写実的に描いて見せるオルタの技量には、やはり目を見張るものがあるのだろう。
実際、彼の絵を好む者も多くいる。
しかし、やはりルーフェンには、彼の絵は悪趣味だとしか思えなかった。
オルタが、ルーフェンの下で絵を描きたいと言うのも、以前素描で訪れた、召喚師一族が手を下した戦場が、今まで見てきた中で最も凄惨かつ甘美で感動したためらしい。
それを知ってからは、余計に嫌悪感が拭えなくなった。
オルタを雇ったとして、ルーフェンが戦場に出る度に、その光景を描かれてはたまったものではない。
一部の特殊な趣味を持つ者達を否定する気はないが、関わりたいとは全く思えなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.7 )
- 日時: 2018/03/27 18:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
ルーフェンは、ため息をついた。
「クレバスさん、帰ってください。何度来ても、こちらは貴方を雇うつもりはないし、シュベルテに戻った方が、仕事も見つかると思いますよ」
冷たい声で言ったが、オルタは、無遠慮にルーフェンの腕を掴んできた。
「そ、そんなこと仰らずに、ご一考頂けませんか? こっ、このアーベリトほど、私にとって理想の仕事場はないのです。この街からは、死の臭いがします……! それに、私は召喚師様の元で──」
嫌そうに腕を振り払うと、ルーフェンは、オルタを睨んだ。
悪意はなさそうだが、この異様なしつこさが続くようなら、力ずくで追い出しても良い。
ルーフェンは、頭一つ分ほど低いオルタを見下ろして、言った。
「悪いけど、貴方の感性は理解できないし、理解しようとも思わない。帰らないなら、追い出しますよ」
「ちょっ、ちょっとお待ちください!」
オルタが、慌てた様子で荷物を漁り、キャンバスを取り出そうとする。
おそらく、描いてきた絵を見せようというのだろう。
ルーフェンは嘆息すると、絵を見ることなく、ロンダートに合図した。
「もう来ないで下さい。正直、貴方の絵は好きじゃない」
きっぱりと言って、背を向ける。
ロンダートは、少し戸惑ったように眉を下げたが、ルーフェンが早くしろと目配せすると、オルタの腕を掴み、無理矢理彼を部屋の外へと連れ出していった。
「オルタ・クレバス……名前だけなら聞いたことがあるが。召喚師様にご執心のようじゃの」
やりとりを眺めていたダナが、おかしそうに口を開く。
ルーフェンは、疲れた様子で答えた。
「ここのところ、毎日来てるんですよ。死体を好んで描くなんて、俺には分かりませんし、なんとなくあの人は嫌な感じがする。全く、こっちは忙しいってのに……」
ぶつぶつとこぼしながら、再び執務に集中しようと、机に戻る。
しかし、またしても足音が響いてきたかと思うと、今度は何の断りもなく、ばんっと部屋の扉が開いた。
「召喚師様ぁー! 助けてください!」
体格の良い男が、扉を蹴破るようにして、部屋に転がり込んでくる。
突然の出来事に、ルーフェンが呆気にとられていると、代わりにダナが返事をした。
「ん? ラッカじゃないか。どうした、そんなに慌てて」
「ダナ先生! いや、大変なんすよ! とにかく、召喚師様! 今すぐ来てください!」
強引に詰め寄られて、思わず身を引く。
ラッカと呼ばれたこの大男は、作業着と腹かけを身に付けている辺りからして、どうやら自警団の一員ではない。
自警団員ならともかく、一般の町民がずかずか入ってこられる屋敷の警備も、どうにかしなければ、と考えながら、ルーフェンはやれやれといった風に尋ねた。
「今度はなんですか……」
用件を言え、と目で訴える。
ラッカは、説明する間も惜しいといった様子で、足踏みしながら答えた。
「西の区画に、建設中の屋敷があるんですけど、ついさっき仕事に出たら、骨組みごとぶっ倒れてたんですよぅ! ほら、昨日風が強かったでしょう? それで煽られたんじゃないかと思うんですが……」
ルーフェンは、打って変わって、顔を強張らせた。
「被害は? 人が巻き込まれたんですか?」
「あっ、いえ」
緊張した面持ちのルーフェンに、ラッカはあっさりと否定した。
「倒れたのは夜中だったみたいなんで、怪我人はいません。でも、このままじゃ作業できないし、俺の仕事道具も、瓦礫の中に埋もれちまってるんですよ!」
身ぶり手振りもつけて、力説するラッカ。
ルーフェンは、露骨に息を吐いた。
「……一刻を争う訳じゃないなら、自分達でどうにかしてください。ああ、確か、南区の施療院に何人かリオット族がいますよね。だったら、彼らに協力してもらって──」
「えーっ! お願いしますよ、召喚師様! 召喚師様なら、なんかこう、すっごい魔術で瓦礫とかぱぱーっと片付けられるでしょう?」
「…………」
このラッカという男は、召喚師を神か何かだと思っているのだろうか。
瓦礫を器用に片付けるなんて、そんな便利な魔術はない。
ルーフェンは、しばらくの間、不満げに頬杖をついていた。
だが、ラッカがあまりにもきらきらとした眼差しで見つめてくるので、渋々立ち上がると、上着を羽織った。
「……ダナさん、ちょっと出てきます」
「ほほほ、お気をつけて」
どこか微笑ましそうに頷いて、ダナが手を振る。
ルーフェンは、一度腰を伸ばすと、ラッカについて部屋を出たのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.8 )
- 日時: 2018/04/05 19:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
ラッカの案内で、西区の一角にたどり着くと、まだ立ち上っている土埃の奥で、屋敷の骨組みが倒壊していた。
ひしゃげて折れた木柱が、所々に突き出し、風に晒されている。
その周りでは、ラッカの仕事仲間であろう数人の大工たちが、途方にくれた様子で、煙草を吹かしていた。
「おーい! 召喚師様、呼んできたぞー!」
ラッカの呼掛けに、大工たちが、はっと顔をあげる。
彼らは、血相を変えて走り寄ってくると、ルーフェンを取り囲んだ。
「うわっ、すげえ! 本物だ!」
「馬鹿っお前、本当に召喚師様連れてきたのか!?」
大工の一人が、怒った様子でラッカの頭を叩く。
ラッカは、むっと眉を寄せると、大声で言い返した。
「はあ? お前が最初に、召喚師様を見てみたいって言ったんだろ!」
「だからって、本当に召喚師様を呼びつける奴があるか!」
「いやぁ、まさか来て下さるとは……」
「っていうか、サミル先生の屋敷って、しばらく気軽に入るのやめろって、触れが出てなかったっけ?」
口々に言い合いながら、大工たちは、まじまじとルーフェンを見つめている。
やがて、その騒ぎを聞き付けたのか、全く関係のない町民たちまで集まってきて、ちょっとした人だかりが出来始めた。
ルーフェンは、しばらく呆然と騒ぐ人々を見ていたが、その内、くすくすと笑い出すと、尋ねた。
「……もしかして、俺を見たくて呼んだんですか?」
その言葉に、大工たちが凍りつく。
ラッカは、焦った様子で大工の一人を指差すと、早口で捲し立てた。
「こいつが言い出したんですよ! こいつが、屋敷が倒壊したから助けてって言ったら、召喚師様来てくれないかなぁって。そうしたら、他の奴らも、召喚師様見てみたいって騒ぎ出すから、仕方なく俺が──」
「見たいとは言ったが、呼んでこいなんて一言も言ってねえだろ! お前が一番興奮してたくせに!」
「すみません、召喚師様。こいつら、アーベリトが王都に選ばれて、浮かれてるんですよ」
「そういうお前も、召喚師様を見たいって言ってただろ!」
再び始まった汗臭い取っ組み合いに、ますます笑いが止まらなくなる。
やはり、アーベリトの人々と話していると、自然と穏やかな気持ちになれる。
先程まで、大した用事もなく呼びつけられるなんて、と不服に思っていたが、今はもう、そんな気持ちはどこかに行ってしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.9 )
- 日時: 2018/04/05 21:19
- 名前: 和花。 ◆5RRtZawAKg (ID: qU5F42BG)
初めまして、ダーク・ファンタジー小説掲示板にてChange the world を投稿している(投稿している…というのはなんか違和感ありますけど今回は気にしませんw)和花。です。
先に言っておきます。()の文章は、私の心の声です。
ここまで自己紹介しておきながらアレなんですが、コメントを今のタイミングでして良かったのでしょうか?
まぁ、移動して頂きたいなどという場合には、移動しますので気軽に言ってくださいね。
では、以降感想です。
実は、前々から(サーフェリア編 上 の中盤あたりだったかな…)読んでいました。
世界観、登場キャラの感情、繋がり、なんといってもファンタジー小説というところに心を惹かれ、この小説の新しい話が出るのをいつも楽しみにしています。
また、改行を上手に使われているため読みやすく内容がパッと頭に入ってきて浮かびます。
銀竹さんのそのようなところ(結局は書く力… ということになるのかな?)から読み手の事も考えているのだと思いました。正直、お手本にしたいです。
まだ始まったばかりのサーフェリア編 下。
これからのストーリの発展などを楽しみにしています。
頑張ってくださいね。(私ったら何様なんだろう…)
長文失礼しました。
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.10 )
- 日時: 2018/04/07 08:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
和花。さん
はじめまして、銀竹と申します^^
コメントありがとうございます!
タイミング等は特にお気になさらないで大丈夫ですよ、お気遣い感謝です(*^^*)
サーフェリア編の上巻から読んで下さっているんですね!
一応サーフェリア編から読んで下さった方でもお話が通じるように書いているつもりではあるのですが、問題なさそうでしょうか(´゜д゜`)
こういったハイファンタジーはそんなにないので、お気に召していただけたなら何よりです!
そこそこ物語が込み入ってきた上、かなりの長編ですし、分かりやすさ・読みやすさには気を付けているつもりですので、そう言って頂けると嬉しいです(*^▽^*)
サーフェリア編はちょっと暗い展開が多いかもしれませんが、しばらくは平和にいくつもりです(笑)
ありがとうございます、頑張りますね!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.11 )
- 日時: 2018/04/14 13:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: noCtoyMf)
ルーフェンは、一頻り笑うと、倒壊した屋敷の方を見た。
「それで、俺はどうすればいいですか? 言っておきますけど、魔術で骨組みを組み立てろって言うのは、無理ですよ」
苦笑して言うと、大工たちは、互いに顔を見合わせてから、申し訳なさそうに答えた。
「……ああ、えっと……。じゃあ、瓦礫だけどかして頂くことって、できますかね?」
「こんなことで呼びつけてしまって、本当に恐縮なんですが……」
たくましい体躯に似合わぬ、遠慮がちな声で言って、大工たちが頭を下げてくる。
ルーフェンは、柔らかく笑うと、崩れた瓦礫の山に向き直って、小声で詠唱した。
「……風よ、猛き風、茫漠たる風よ……」
一瞬、屋敷の残骸を中心に風が巻き起こって、ふわりと髪がはためく。
同時に、瓦礫がゆっくりと浮いて、半転したかと思うと、後方の地面に着地した。
声もなく見守っていた者達が、わぁっと声をあげる。
自分よりも重量のある物体を浮遊させるというのは、それなりに難しい魔術であったが、以前ルーフェンは、リオット族たちが棲んでいた奈落の底──ノーラデュースで、落盤してきた岩石すら魔術で支えたのだ。
倒壊した屋敷の残骸など浮かすぐらい、造作もなかった。
拍手している大工たちの方に振り返ると、ルーフェンは苦笑した。
「こういう魔術は、リオット族が得意ですから、次は彼らを呼んでくださいね」
何度もお礼を言いながら、大工たちが頷く。
そうして、ルーフェンがその場から立ち去ろうとした時。
ふと、大工の一人が、声をあげた。
「──あっ、おい! 子供が倒れてるぞ!」
楽しげな雰囲気が一転。
騒然とした空気に変わって、人々が顔を強張らせる。
怪我人はいないと思われていたが、よく見ると、ルーフェンが退けた瓦礫の下に、子供が倒れこんでいたのだ。
慌てて駆け寄ると、倒れていたのは、痩せこけた小さな子供だった。
運良く瓦礫の隙間に入っていたのか、幸い、大きな怪我は負っていない。
しかし、頭から爪先まで土埃まみれで、身体の至るところに、かすり傷がついている。
また、その赤褐色の短髪はぼさぼさで、手足には、縛られたような縄目がくっきりと跡に残っていた。
「……こりゃあ、乞食のガキか何かでしょう。よくあるんですよ。身寄りのない子供が、廃屋とか建設途中の建物に入り込んで、雨風しのいでるんです。昨日、天気が悪かったから、ここに忍び込んで、倒壊に巻き込まれちまったのかも」
苦々しい顔つきで、ラッカが言う。
ルーフェンは、子供を覗きこんで、その枝きれのような腕に触れた。
「……君、大丈夫?」
ゆさゆさと軽く揺らしてみるも、子供は反応しない。
その時、髪の毛の隙間から子供の耳が見えて、ルーフェンはぎょっとした。
その耳は、人間と同じ位置にあるものの、まるで犬か狼の耳のような形をしていたからだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.12 )
- 日時: 2018/04/18 18:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
「獣、人……?」
信じられない、という思いで、ぽつりと呟く。
噂をすれば、とは言うが、つい先程、獣人奴隷の話題に触れたばかりの状況で、まさか本物を目の当たりにすることになるとは思わなかった。
同じく驚愕の表情を浮かべたラッカと、しばらく唖然としていると、不意に、ぴくりと子供の手が動いた。
瞬間、ぱっと子供が目を見開いて、ルーフェンを凝視する。
思わずたじろいだルーフェンが、何かを言う前に、子供は素早く起き上がると、突然、矢のごとく走り出した。
「えっ、ちょっ、ちょっと待って──!」
慌てて身を翻し、ルーフェンも走り出す。
ただの乞食ならともかく、もし本当にあの子供が獣人なら、このまま見逃すわけにはいかない。
驚く大工たちを置いて、ルーフェンは、全速力で子供を追いかけた。
しかし、あの細くて小さな身体の、どこにそんな力があるのかと思うほど、子供の足は速かった。
(まずい、全然追い付けない……!)
子供は、まるで猿のような身軽さで跳び上がると、近くの民家の屋根に登った。
このまま屋根を越えて、反対側の通りに渡られては、子供の姿を見失ってしまう。
魔術を使うか、とルーフェンが構えた時だった。
足を踏み外したのか、子供の身体が傾いて、屋根の上を転がっていく。
ルーフェンは、弾かれたように顔をあげると、地面を強く蹴って、手を伸ばした。
そして、落ちてきた子供を間一髪で抱え込むと、身をねじって、子供を庇うように背中から地面に着地した。
「────っ!」
舞い上がった土煙に咳き込みながら、腕の中の子供を見る。
子供は、ルーフェンを見て瞠目すると、なんとかその腕から抜け出そうと、身体を仰け反らせた。
「っ、大人しくして、何もしないよ……!」
そう言いながら、何とか子供を押さえ込む。
子供とは思えない強い力で暴れられて、ルーフェンも、逃げられないようにするのが精一杯だった。
やがて、追い付いてきた大工たちを見て、ルーフェンは叫んだ。
「皆っ、耳、塞いで、しゃがんでて!」
困惑した様子で、大工たちが、とりあえず耳を覆って屈む。
ルーフェンは、身体を反転させて、子供を地面に縫い止めると、唱えた。
「──汝、獲得と地位を司る地獄の侯爵よ!
従順として求めに応じ、可視の姿となれ。フォルネウス……!」
刹那、地面が波打って、水中から飛び出すように、巨大な銀鮫──フォルネウスが姿を現した。
フォルネウスは、宙を滑空しながら、独特の抑揚がある低音を発する。
すると、子供がびくりと背を反らせて、硬直した。
ややあって、脱力した子供が、寝息を立て始めたことを確認すると、ルーフェンは、はぁっと安堵の息を吐いた。
「な、何したんです……?」
警戒したように、上空を泳ぐフォルネウスを見ながら、大工たちが立ち上がる。
ルーフェンは、フォルネウスを消すと、ぱんぱんと服の汚れを払った。
「少し眠らせただけです。このまま暴れられちゃ、連れていけないので……」
そう言って、眠っている子供に視線を落とす。
犬や狼のような耳に、人間離れした動き。
今朝読んだ、獣人奴隷に関する報告書を思い出しながら、ルーフェンは眉を寄せた。
報告書にあった獣人については、成人女性と書いてあったから、きっとこの子供のことではない。
だが、特徴を見る限り、この子供が獣人であることは間違いない。
とすると、サーフェリアには、複数の獣人が渡ってきていたのだろうか。
(……全く、とんでもないもの見つけたな)
ルーフェンは、やれやれと肩を落とした。
詳しいことはまだ分からないが、獣人という存在が、サーフェリアにとって脅威であることに変わりはない。
召喚師として、放置しておいて良い問題ではないだろう。
ルーフェンは、ぐったりと眠っている子供の背に腕を差し入れると、そのまま抱きかかえた。
驚くほど軽いその子供は、よく見れば、少女らしい顔立ちをしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.13 )
- 日時: 2018/08/14 13:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
サミルの屋敷に戻ると、ルーフェンは、ひとまず少女を自室に連れていった。
本当は、ちゃんと施療院に預けて治療してやりたいところだが、もし少女が目を覚まして、先程のように大暴れし始めたら、医師たちでは太刀打ちできない。
獣人の存在を公にするかどうかも迷っていたし、まずは、ダナを頼ることにしたのである。
ことの経緯を話すと、自警団員のロンダートは跳び上がって驚いていたが、ダナは、いつも通り一笑しただけであった。
獣人かもしれない、と聞いても、ダナは大して動揺することなく、慣れた手付きで触診すると、少女をルーフェンの寝台に寝かせた。
「……うむ。痩せすぎている、という点を除いても、気になるところだらけじゃのう」
身体の汚れを、濡れた手拭いで拭いてやりながら、ダナが呟く。
ルーフェンは、少女の青白い顔を見つめながら、顔をしかめた。
「事情を話して、施療院に連れていった方がいいですか? この子の素性も分からないし、俺達以外だと、まだサミルさんにしか話してないんですが……」
ダナは、悩ましげに唸ると、少女の着ていたぼろ布をめくり上げた。
「まあ、治療自体は、この屋敷でも可能じゃが……。問題は、傷一つの深刻さというより、数じゃな。まずは、この脇腹。内出血して、腫れておるじゃろう。骨は折れとらんようだから、じきに治るとは思うが、下手をすれば、内臓も損傷しかねん位置じゃ」
少女の全身の傷を、一つ一つ示しながら、ダナは言った。
「他にも、こういった内出血が何ヵ所もある。あとは、蹴られたような痕や、深い切り傷、擦り傷も多い。少し熱もあるし、古傷も見られるな。軽く引っ掻いたような浅い傷も含めると、まさに満身創痍の状態じゃ」
「…………」
そうして説明されながら、少女の身体の傷を見ていくうちに、ルーフェンは、だんだん全身が冷たく強張ってくるのを感じていた。
ルーフェンも、武術の心得はあるから、この少女が負っている傷の深刻さは、なんとなく分かった。
刃物で抉られたような傷に、棒で叩かれたような内出血。
縄目の跡も、手首だけでなく、肩や太股など至るところに残っていて、腹部には蹴られたか、殴られたかしたようなあざがいくつもあった。
どれも、屋敷の倒壊に捲き込まれて、出来たものではない。
最後に、背中に捺された焼き印を見ると、ルーフェンの隣にいたロンダートが、嫌そうな顔で呟いた。
「この子……奴隷ですね」
「…………」
三人の間に、重苦しい沈黙が下りる。
二十年前のリオット族による騒擾(そうじょう)をきっかけに、シュベルテでもアーベリトでも、奴隷制は禁止されている。
だから、こんな間近で奴隷を見るのは、初めてだ。
「かわいそうに……この子、きっと、どっかから逃げてきたんですよ。決死の覚悟で、ここまで来たんじゃないかなぁ」
ロンダートが、ため息混じりに言った。
その含みのある物言いに、ルーフェンが首を傾げると、ロンダートは苦笑した。
「いや、実は、俺も奴隷出身なんですよ。でも十二の時に雇い主が借金して、夜逃げしましてね。途方に暮れてるところを、サミル先生の孤児院に拾ってもらって、こうしてアーベリトの自警団員をやってるんです。アーベリトで働いてる奴らは、俺みたいな拾われっ子、多いですからね。だから、この子の気持ちも分かるなぁ」
ロンダートは、胸当てを外して上着を脱ぐと、ルーフェンに背中を見せた。
そこには、奴隷印と呼ばれる焼き印が、確かに残っている。
皮膚を醜く引きつらせ、くっきりと背中に刻まれた奴隷印。
少女の背中にあるものと、多少模様は違うが、どちらも、何年経とうと消えはしないのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.14 )
- 日時: 2018/05/01 20:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
いそいそと脱いだ上着を着直しながら、ロンダートは続けた。
「まあ、なんとか逃げ出したんだから、この子はすごいですよ。ある程度奴隷生活が長いと、普通、逃げようって考えすら浮かびませんからね」
「……そうなんですか?」
ルーフェンが暗い声で尋ねると、ロンダートは頷いた。
「逃げたところで、行く場所なんてないですから。中には誘拐されたり、親に売られたりして奴隷にされた奴もいるけど、大半の奴隷は捕虜とか、身寄りがない奴等ばっかりです。だから、逃げ出しても、結局路頭に迷うことになるんです。それに、脱走がばれたら、主人にこっぴどく暴力振るわれたりしますし、最悪殺されます。それが怖くて、逃げようなんて気も失せてくるんですよ」
「…………」
ロンダートの話を聞きながら、ルーフェンは、じっと少女の背中の焼き印を見つめていた。
この少女は、その小さな身体で、どれほどの苦痛に耐えてきたのだろう。
一体どれだけの覚悟で、ここまで走ってきたのだろう。
人間しかいないこの国で、たった一人──。
先程、ルーフェンから逃げようと、懸命に身をよじっていた少女の必死さを思い出すと、なんとも言えない息苦しさに襲われた。
ダナが、興味深そうに少女の耳の付け根を探っていると、ふいに、少女が薄く目を開けた。
あっと思う間もなく、少女がびくっと頭を起こして、ルーフェンたちを凝視する。
一瞬、また逃げ出すのではないかと身構えたルーフェンだったが、予想に反して、少女は逃げなかった。
ダナとルーフェン、ロンダートの三人の顔を順に見ると、怯えたように身を縮めて、急に泣き出した。
三人は、その様子を黙って眺めていたが、やがて、少しずつ少女の呼吸が整ってくると、ルーフェンは、躊躇いがちに口を開いた。
「大丈夫……?」
はっと顔をあげた少女が、ルーフェンを睨む。
ルーフェンは、一歩だけ近付くと、努めて穏やかな声で言った。
「何もしないよ。さっきは、無理矢理捕まえてごめんね。俺はルーフェン。……君、名前は?」
「…………」
問いかけても、少女は何も言わなかった。
長い間、強張った顔でルーフェンたちを見つめていたが、しばらくすると、徐々に頭が傾き始めて、ぱたりと寝台の上に倒れてしまった。
ダナは、少女が再び眠ってしまったことを確かめると、腕組みをした。
「とにかく、体力を回復してもらわにゃ、話にならん。今日のところは点滴して、よく寝てもらったほうがええの。その間、召喚師様は近くにいておくれ。このお嬢ちゃんが暴れだしたら、わしじゃ止められん」
「それは、もちろん」
ルーフェンが頷くと、ロンダートが口を挟んだ。
「召喚師様はお忙しいですし、俺がこの子を見張ってましょうか? 俺、魔術はあまり使えないですけど、この子一人押さえるくらいは、できると思います!」
意気揚々と申し出たロンダートに、ルーフェンは首を振った。
そして、少し考え込むように俯いてから、答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.15 )
- 日時: 2018/05/06 20:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: KXQB7i/G)
「……いや、ロンダートさんは、シュベルテに行って、十一年前のことを調べてきてもらえますか? 書状を出すだけだと、誤魔化される可能性がありますが、俺の名前を出して直接聞き出せば、魔導師団も、変な隠し立てはしないと思うので」
「十一年前、というと?」
聞き返してきたロンダートに、ダナが答えた。
「獣人奴隷の件じゃな」
「はい」
ルーフェンは、首肯した。
「十一年前、不法に人身売買された奴隷の中に、獣人が混じっていた件です。報告書には、その獣人は成人女性と書いてありましたが、この子と全くの無関係とは思えない。逆に、無関係なら、最近新しく獣人がサーフェリアに渡ってきたってことなります。どちらにせよ、調べた方が良いと思うんです」
ロンダートは、納得したように頷いてから、首を捻った。
「でも確か、その獣人って死んじまったんですよね? 調べるって言っても、どう調べればいいんです? シュベルテの魔導師団を訪ねて、詳しく話を聞けばいいんですか?」
ルーフェンは、眠っている少女を一瞥してから、答えた。
「そうですね……。では、魔導師団にこういう聞き方をしてください。『十一年前のシュベルテでの獣人奴隷に関する報告書が、未処理の状態でアーベリトに回されてきた。こちらで対応するのは構わないが、何故事件を解決しないまま放置しているのか、教えてほしい』と。本当に獣人奴隷の件が、獣人が死んで完結していたなら、報告書は処理されていたはずなんです。でも、されていなかったってことは、あの事件には続きがあったのかもしれない。とりあえず、この子の存在は伏せて、それだけ聞いてきて下さい」
ロンダートは、少し困ったように笑った。
「なんか、喧嘩売ってるみたいじゃないですか? シュベルテの魔導師団って、お高く止まってる感じだし、単に『事件を解決できなかったんじゃない! 報告書が残ってただけだ!』とか何とか言って、突き返されそうな気が……」
以前、シュベルテの魔導師団に、冷たく当たられた経験でもあるのだろうか。
気が進まない様子のロンダートに、しかし、ルーフェンは、わざとらしく眉をあげた。
「大丈夫、逆ですよ。事件を解決出来ていなかったなら、下っ端魔導師の能力の問題ってことになりますけど、解決したはずの事件の報告書が、未処理になってたっていうなら、魔導師団の上層部の“職務怠慢”ってことになります。下の失敗は認めても、上の過失は認めようとしませんから、事件が解決できていない言い訳を、丁寧に教えてくれるんじゃないですかね。だから、『未処理の報告書が流れてきたんだけど、まさか理由もなく未処理なんじゃないよね? 事件が解決できていない、ちゃんとした理由あるんだよね?』って、そういう風に聞いてきて下さい」
「うわぁ……おっかない」
喧嘩売ってるみたい、ではなく、本当に喧嘩を売っているのだと気づくと、ロンダートは密かにぼやいた。
それに対し、いたずらっぽく笑って見せると、ルーフェンは、再び少女のほうを見つめた。
「……場合によっては、この子を、シュベルテに引き渡した方が良いのかもしれません。可哀想だけど、本当にこの子がミストリアとの接点になりうる存在なら、ただ生かしておくわけにはいかない……」
そう呟いたルーフェンの顔に、もう笑みはなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.16 )
- 日時: 2018/05/13 22:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
それから三日経っても、少女は、一言も口をきかなかった。
名前を尋ねても一切答えず、もう逃げようともせず。
一日中、熱に浮かされたように、ぼんやりと宙を眺めては、時折、何かを思い出したように泣いているだけであった。
最低限、果汁や牛乳を飲んではいたが、食事はほとんど摂っていなかった。
ダナが、付きっきりで少女を看病してくれたおかげで、傷は回復に向かいつつあったが、死人のようなやつれ具合は、出会った当初と変わらない。
夜もあまり眠れていないのだろうと、点滴ついでに多少の睡眠薬を投与していたので、ルーフェンが仕事の合間に覗いても、少女はうつらうつらと浅く眠っているか、泣いているかのどちらかであった。
今日は、ダナが施療院のほうに呼ばれていると言うので、代わりにルーフェンが、少女の看病をしていた。
看病すると言っても、少女は黙って寝台に横たわっているだけなので、ただ様子を見るだけである。
ルーフェンは、事務仕事をしていた手を止めると、日が高く昇った窓の外を見て、はぁっとため息をついた。
そして、寝台に近づくと、朝から放置されているスープを、少女の前に出した。
「いらない?」
「…………」
少女は、重そうな瞼を開いて、一瞬だけスープを見たが、やはり何も言わずに、顔を背けてしまった。
試しにスープを温め直して、もう一度尋ねてみたが、結果は同じだった。
「……食べないと、元気になれないよ?」
「…………」
そう話しかけてみるも、少女は目をそらして、何も答えない。
ルーフェンは、諦めたように肩をすくめると、寝台の宮棚にスープを置こうと、身を乗り出した。
ルーフェンの腕が、少女の頭上を通った、その時だった。
突然、少女が跳ね起きたかと思うと、すごい勢いで皿をとり、一気にスープを口に流し込み始めた。
「ちょっ──」
止める間もなく、飲み込んだスープを吐き出して、少女が激しく咳き込む。
辺りに飛び散ったスープが、予想以上に熱い。
それでも尚、咳き込みながらスープを飲もうとする少女を見て、ルーフェンは、慌てて皿を取り上げた。
少女は、スープが熱くて咳き込んでいる。
そのことに気がつくと、ルーフェンは手拭いを取って、彼女の口元を拭おうとした。
「馬鹿! 熱いなら、なんで無理に──」
飲もうとするの、と言いかけた、その瞬間。
少女が、いきなり口元にあったルーフェンの手に、思いきり噛みついた。
「いっ──!?」
あまりの痛さに、少女を払いのけようとして、堪える。
ゆるゆると息を吐いて、なんとか痛みをやり過ごしながら、ルーフェンは言った。
「……離して」
「…………」
鼻に皺を寄せ、まるで威嚇する獣のような目付きで、少女が睨んでくる。
だが、ルーフェンの険しい表情を見ると、少女はぱっと口を離して、今度は、怯えたように縮こまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.17 )
- 日時: 2018/05/20 20:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: V7PQ7NeQ)
頭を抱えて、少女はがたがたと震えている。
ルーフェンは、噛みつかれた手を擦りながら、戸惑ったように一歩下がった。
スープの熱さを確かめなかったのは自分の失敗だが、急に噛みついてきたと思えば、今度は怯え始めるなんて、少女の言動が理解できない。
どうすれば良いか分からず、とりあえずこぼれたスープを掃除していると、その時、扉を叩く音が聞こえてきた。
返事をすると、部屋に入ってきたのは、サミルであった。
「サミルさん……!」
思わぬ来客に声をあげて、振り返る。
サミルは、寝台の上で縮こまっている少女と、ルーフェンを交互に見ると、少し驚いたように瞠目した。
しかし、なんとなく状況を察したのか、柔らかく笑って歩み寄ってくると、持っていた数枚の皿を寝台の宮棚に置いて、返事をした。
「お久しぶりです。この子が、例の獣人の……?」
少女を示したサミルに、ルーフェンが頷く。
サミルとルーフェンが、こうして顔を合わせるのは、本当に久々であった。
同じ屋敷内に住んでいて、全く会わないと言うのも奇妙な話だが、ルーフェンはほとんど自室と執務室に缶詰になっていたし、サミルも来客の対応に追われていたから、落ち着いて話す暇もなかったのだ。
サミルは、姿勢を低くして少女の顔を覗きこむと、優しく微笑んだ。
「こんにちは、私はサミルと言います。貴女は?」
「…………」
案の定、少女はなにも言わない。
それどころか、新手の登場か、とでも言いたげな鋭い顔つきで、サミルを睨んでいる。
だがサミルは、そんなことは全く気にしていない様子で、寝台脇の椅子に腰かけた。
そして、持ってきた深皿の中身を、三枚の小皿に分けると、その内の一つを、木匙と共に少女の前に置いた。
皿の中には、牛乳でふやかしたパンの上に、たっぷりと蜂蜜がかけられた、パン粥が入っている。
「甘いものは、お好きですか? 一緒にお昼ご飯を食べましょう」
サミルはそう言うと、少女の横で、自分もパン粥を食べ始めた。
ルーフェンが、呆然とその様子を見守っていると、サミルは、そちらにも小皿を差し出した。
「ルーフェンも、よかったらどうですか?」
「あ……はい」
断る理由もないので、皿と木匙を受け取る。
いまいち、サミルがどういうつもりなのか分からなかったが、少女を挟んで、サミルと反対側の椅子に座ると、ルーフェンもパン粥を食べた。
温かい牛乳に浸したパンと、蜂蜜の甘味が、じゅわっと口に広がる。
そういえば、初めてサミルに出会ったときは、卵粥をもらったな、などと思い出しながら、ルーフェンは、黙々と木匙を口に運んでいた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.18 )
- 日時: 2018/05/26 20:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
少女は、目の前に置かれた皿を見つめて、長い間、俯いていた。
時折、サミルやルーフェンを見ては、困惑したように視線をさまよわせていたが、ややあって、ぶすっとした顔つきになると、小皿を掴んで投げた。
からん、と音がして、寝台から転げ落ちた小皿の中身が、こぼれ出る。
ルーフェンは、落ちた小皿を拾おうとしたが、サミルはそれを制して、しーっと人差し指を唇に当てた。
少女に食べろと促さず、皿を拾えとも言わずに、サミルは、ただ自分のパン粥を食べている。
少女は、そんなサミルの様子を、注意深く伺っていたが、やがて、本当に何も言われないと悟ったのか、持っていた木匙を元の深皿に差して、ちびちびとパン粥を口に入れ始めた。
(た、食べた……)
声には出さなかったが、ルーフェンは、内心驚いていた。
この少女が、自らものを口にしているところを見るのは、初めてだったからだ。
少女は、食べているというより、パン粥の蜂蜜をなめているだけのようにも見えた。
それでも、自分の意思で食べているのだから、大きな進歩である。
部屋の周囲は、静かだった。
時々、屋敷の者が行き交う足音や、外から鳥の鳴き声が聞こえたりはしたが、それ以外の音は、なにもしない。
その内、そこに小さくすすり泣く声が混じってきたかと思うと、少女は、再びぽろぽろと涙を溢し始めた。
「…………」
身を絞るような、か細い泣き声。
ルーフェンは、サミルに習って黙っていたが、悲痛な声をあげて泣いている少女を、じっと見ていた。
しばらくすると、少女は嗚咽をもらしながら、いそいそと手を伸ばして、先程自分が投げた小皿を拾った。
サミルは、少女が小皿を差し出してくると、嬉しそうに笑って、ようやく口を開いた。
「ありがとうございます。拾ってくれるなんて、優しいですね」
返事はせずに、しゃくりあげながら、少女は、再び深皿のパン粥をつつき出す。
ルーフェンは、終始ぽかんとした表情で、サミルと少女のやり取りを眺めていた。
少女の食べる手が、止まった後。
汚れた寝台のシーツを替えてやると、少女は、また眠りに落ちた。
サミルとルーフェンは、少女が起きないようにそっと部屋の外に出ると、ふうっと胸を撫で下ろした。
「サミルさん、流石ですね。扱いがうまいと言うか、なんと言うか……」
感心してルーフェンが言うと、サミルは苦笑した。
「本当は、もうちょっと食べて欲しかったのですけどね。ダナ先生から、ほとんど食べていないと聞いていたものですから……」
ルーフェンは、首を左右に振った。
「いや、それでも大進歩でした。あの子が自分から食べてるところ、初めて見ましたし。俺なんか、スープを飲ませようとしたら、吐き出された挙げ句、思いっきり手を噛まれたんですよ」
くっきりと歯形のついて、軽く出血している掌を見せると、サミルは眉を下げた。
「ああいう子は、信頼してもらうまでが一番時間かかりますから。無理強いしたり、急かしたりすると、完全に自分の殻に閉じ籠ります。根気強く話していかないと、なかなか心は開いてくれないんですよ」
うーん、と唸って、ルーフェンは肩をすくめた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.19 )
- 日時: 2018/06/01 21:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
「無理強いしたつもりは、なかったんですけどね。食べないと思ったら、急にスープ飲み出したり、泣いちゃったり……俺には、よく分からないです」
サミルは、ルーフェンの肩に優しく手を置いた。
「まあ、そう腐らないで。一度つらい経験をしてしまった子は、とても敏感になるのですよ。ルーフェンも分かるでしょう? こちらには無理強いしたつもりなどなくても、もしかしたらあの子は、スープを飲まなかったら叱られてしまうと思ったのかもしれません。心の傷が癒えるには、時間がかかりますから、今は見守ってあげましょう」
「…………」
ルーフェンは、サミルの言葉に頷きながら、少女とのやり取りを思い出していた。
寝台の宮棚にスープを戻そうとして、腕を伸ばしたとき、少女は途端に怯え出した。
もしあれが、少女から見て、腕を振り上げるような仕草に見えたのだとしたら、ルーフェンに殴られるとでも思ったのかもしれない。
サミルは、少し扉を開けて、眠る少女を一瞥した。
「精神面はともかく、泣いたり、起き上がったりする体力はあるようですから、少し安心しました。あまり薬に頼りきりなのも良くないですし、今晩は、睡眠薬を抜きましょう。あとは案外、女性が相手だと、反応が違うかもしれませんね。あの子は女の子ですから、女性が看てくれた方が、安心する可能性もあります」
ルーフェンは、一拍あけてから、そうですね、と返事をした。
そして、くすりと笑うと、冗談っぽく言った。
「だけど、もしそうなったら、少し妬けますね。俺が保護した動物が、最初に俺じゃなくて、他人になついたような、微妙な気分です」
サミルは、呆れたように笑みを返した。
「こらこら、女の子を動物だなんて」
「でも、半分動物みたいなものでしょう? 噛みついてきた時なんて、本当、人間っていうか凶暴な動物って感じで──」
その時だった。
ふと、聞きなれた慌ただしい足音が響いてきたかと思うと、書簡を手にしたロンダートが、ばたばたと駆けてきた。
「召喚師様ぁー! と、サミル先生も!」
嬉しそうに叫んで、二人の前で止まる。
ロンダートは、ぴしっと敬礼して見せてから、サミルに挨拶をし、それから、ルーフェンにぐいと顔を近づけた。
「獣人奴隷の件、シュベルテで聞いて来ました! どんぴしゃでしたよ、召喚師様!」
あまりにも前のめりになって言ってくるので、ルーフェンが、思わず一歩下がる。
そんなことにも構わず、がさがさと書簡を広げると、ロンダートは早速報告を始めた。
「なんで件の報告書が、未処理になってたかって話なんですが、召喚師様の読み通り、あの事件には続きがありました。なんと、例の獣人奴隷には、子供がいたらしいんですよ!」
はっと目を見開いて、ルーフェンが続きを促す。
ロンダートは、得意気な様子で、はきはきと言い募った。
「そもそも事の発端は、ハーフェルンの海岸に、数人の獣人が流れ着いていたことだったらしいんですけどね。珍しいって言うんで、奴隷商が捕獲したのは良いものの、その獣人たちは次々と死んでしまって、生き残ったのは、太股に赤い木の葉模様の刺青が入った、女性の獣人だけ。それが、召喚師様が見た報告書に書かれていた、獣人奴隷です」
書簡を一枚めくって、ロンダートは続けた。
「その獣人奴隷も、奴隷商の不正取引が露見した頃に、亡くなったみたいなんですがね。どうやら、捕まった奴隷商たちの証言で、死んだ獣人奴隷の女は、他の人間奴隷との子供を妊娠していて、しかも、その子供は既に売り飛ばされた後だった、ということが分かったそうなんです。それで、魔導師たちはひとまず、この事件を終わりとはせずに、しばらくその半獣人の子供を探していたんだそうですが、結局見つからず……。だから、報告書は未処理のまま、事件はお蔵入りになっていたようですね」
「人間と、獣人の、混血……」
呟いてから、ルーフェンは、息を飲んだ。
「じゃあ、その見つけられなかった半獣人の子供っていうのが……」
三人の視線が、部屋の中で眠っている少女に向く。
ロンダートは、大きく頷いた。
「ね? どんぴしゃだって、言ったでしょう? 決定的な証拠になるものはないですけど、他に生きた獣人がサーフェリアに来たって言う話も聞きませんし、ほぼ確実ですよ!」
「…………」
ルーフェンは、少女を見つめたまま、しばらく黙っていた。
実を言うと、ルーフェンが期待していた“事件の続き”は、本当はあの女性の獣人奴隷が生きていた、ということだった。
世間には死んだと公表していても、王宮が、彼女を貴重な獣人として生かしていた、なんてことも、あり得ない話ではないからだ。
ルーフェンが王宮にいた頃、生きた獣人を捕らえているなんて話は聞いたことはなかったから、可能性としては、低いと思っていた。
それでも、生きてくれていたら良かったのにと、期待していた。
もし生きていたなら、少女が、このサーフェリアでたった一人きりの獣人になることはなかったし、矢面にたって、好奇の目にさらされることもなかったからだ。
なんとなく、そんなルーフェンの心境を察したのだろう。
サミルも、騒いでいたロンダートも、神妙な面持ちで目を伏せた。
サミルは、ルーフェンの頭に手を置くと、穏やかな声で言った。
「……悩むのは後にしましょう。まずは、あの子の体調を回復させないといけません。大丈夫、きっと良くなりますよ」
「…………」
ルーフェンは、サミルの方を見て、小さく頷いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.20 )
- 日時: 2018/08/21 21:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
その夜、執務室で仕事を続けながらも、ルーフェンは、ずっと獣人混じりの少女のことを考えていた。
獣人と人間の間に生まれた、混血の子供。
報告書が発行されたのは、一四七七年だから、この年より少し前に少女が生まれたと仮定すると、少女は十一歳か、十二歳といったところか。
生まれてから、彼女がどんな環境に身を置いてきたかは、あの全身の傷を見れば、大体察しがついた。
本来ならば、獣人の血を引く少女なんてものは、シュベルテの魔導師団に引き渡すべきなのだろう。
王都がアーベリトになった現在でも、魔導師団の最高権力者は、召喚師であるルーフェンということになっている。
しかし、やはりサーフェリアにおける軍事の中枢は、旧王都シュベルテだ。
少女の存在が、ミストリアとの関係に波紋を呼ぶ可能性があるというなら、今回のことはシュベルテに任せた方が良い。
ルーフェンとて、最初はそのつもりだった。
だが、その一方で。
少女の生い立ちを知った今、果たして本当に、シュベルテに彼女のことを開示する必要があるのだろうか、と考えている自分もいた。
少女は、ミストリアから来たのではない。
母親が獣人だったというだけで、サーフェリアで生まれ、サーフェリアで育ったのだ。
少女からミストリアの情報を引き出せはしないだろうし、サーフェリアにとって彼女は、さほど重要な存在、というわけでもないはずだ。
それなら、このまま少女を、アーベリトで匿っていても良いように思えた。
シュベルテで獣人奴隷が発見されたときも、大騒ぎされたのだ。
もし少女の存在が知れ渡ったら、また話題になるだろうし、奴隷出身の獣人混じりなんて、どんな目で見られるか分からない。
もしかしたら、かつてのリオット族のように、邪険に扱われることになるかもしれない。
そうなるくらいなら、このアーベリトという街の中で、ずっと守っていてあげたかった。
(……なんか、サミルさんのお人好し菌が、移ったかな)
会って三日くらいしか経っていないのに、いつの間にか、少女に深く同情している自分がいて、ルーフェンは自嘲気味に笑った。
以前ノーラデュースで、オーラントに『結局あんたは、正義の味方になりたいんだな』なんてことを言われたが、確かにその通りなのかもしれない。
シュベルテにいた頃は、そんな甘さは切り捨てるべきなのだろう、と考えていた。
だが、アーベリトの者達と過ごすようになって、最近は、それでもいいか、というような気持ちになっていた。
まんじりともせず、ひたすら書面にペンを走らせていると、不意に、どこからか泣き声が聞こえてきた。
ふと手を止めて、隣の自室の方を見る。
おそらく、少女がまた泣いているのだろう。
(今晩は睡眠薬を飲ませてないから、寝付けてないのかな……)
窓の外の夜空を一瞥してから、ルーフェンは、再び自室の方を見た。
一瞬、様子を見に行こうかとも思ったが、もうかなり夜も更けている。
こんな時間に行っては、逆に驚かせてしまうかもしれない。
日中も、眠ったり泣いたりを繰り返しているから、じきに泣き止むだろうと予想して、ルーフェンは、再び書類に目を落とした。
しかし、ルーフェンの予想に反して、少女の泣き声はなかなか止まなかった。
だんだん、何か深刻な事態でも起きたのではないかと心配になってきて、ルーフェンは、手燭を持って部屋を出た。
様子を伺ってみて、何でもなさそうなら、すぐに戻ればいいだろう。
返事がないのは分かっていたが、一応扉を叩いて、そっと開けてみる。
真っ暗な空間を、手燭の明かりで照らしながら、ルーフェンは自室に入っていった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.21 )
- 日時: 2018/06/08 20:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
寝台を照らしても、少女の姿がなかったので、一瞬驚いたが、よく見ると、少女は寝台と壁の隙間にうずくまって、ぐずぐずと泣いていた。
「……眠れないの?」
ひとまず手燭を机に置いて、その場にしゃがみこむ。
なるべく少女を刺激しないように、少し離れた位置から、ルーフェンは問いかけた。
そして、彼女と同じ目線になった瞬間、あることに気づくと、ルーフェンは身を凍らせた。
少女は泣きながら、自分の手首を、血が出るまで掻きむしっていたのだ。
「…………」
言葉を失って、ルーフェンは黙りこんだ。
同時に、ああ、そうか、と思った。
そうか、この少女は、どこか自分に似ているのだ。
だから、まだ会って間もないのに、見ていてこんなに悲しくなるのだろう、と。
この少女が抱える闇と、自分の内にある闇は、全く違うものなのだろうけれど。
それでも、よく似ていると思った。
周囲のものを拒絶し、当たり散らして、行き場のない怒りと苦しみを持て余す。
そうして、周りが見えなくなっている少女の姿は、まるで王宮に入ったばかりの頃の、かつての自分を見ているようだった。
ルーフェンは、一歩、少女に近づいた。
「……そんなこと、やめた方がいいよ。きっと、後で後悔するよ」
びくりと震えた少女が、ルーフェンを見る。
その目には、明らかな怯えと警戒の色が見てとれた。
ルーフェンは、少女の反応を探りながら、柔らかい声で言った。
「周り、見て。……ここには、君を助けようとしてる人が、沢山いるよ」
もう一歩だけ近づいて、ルーフェンは、少女を見つめた。
その時、彼女の手首の状態がはっきりと見えて、ぞっとした。
出血が思ったよりも酷く、滴った血が、服にまで染み込んでいたのだ。
心臓の鼓動が、速くなった。
自傷行為だから、多少出血している程度だろうと踏んでいたが、甘かった。
もしこのまま自傷を続けて、出血が止まらなければ、命に関わる。
かといって、怯えきっているところを、無理矢理止めに入れば、余計に彼女の恐怖心を煽ることになるかもしれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.22 )
- 日時: 2018/06/11 12:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
どうすれば良いのか、分からなかった。
しかし、ふと呻いた少女が、自らの手首に噛みつこうとした時。
考えるより先に、ルーフェンの身体は動いていた。
咄嗟に少女の腕を掴みあげて、逃げられないように、身体を引き寄せる。
すぐに解放した方が良いかとも思ったが、ルーフェンはそのまま、もがく少女の腕を押さえていた。
彼女の歯には、おそらく人間よりも鋭い牙がある。
ルーフェンが手を噛みつかれたときも、出血した。
そんな歯で、今の傷だらけの手首に噛みついたら、本当に命に危険が及ぶかもしれないと思ったからだ。
「──いっ、いやいやっ!」
ルーフェンの急な動きに、よほど驚いたのか、少女が初めて悲鳴をあげた。
なんとか逃れようと身をよじりながら、思いきり、ルーフェンの腕にかじりつく。
それでもルーフェンが、手を離してくれないと悟ると、少女は一層激しく泣きじゃくり出した。
首を振り、半狂乱になって叫びながら、少女が暴れ出す。
ルーフェンは、しばらく少女のさせたいようにさせていたが、その悲痛な叫び声を聞いている内に、鋭い悲しみが胸に広がってきた。
無理矢理喉の奥から絞り出したような、掠れた泣き声。
震えながら、力一杯抵抗している少女の腕は、力強くも、少しでも力を込めたら折れてしまいそうなほど、細かった。
ルーフェンは、ゆっくりと空いている方の手を伸ばすと、少女の身体に腕を回した。
「……落ち着いて。嫌なこと、何もしないから」
暴れる少女を抱き込んで、その場にしゃがみこむ。
少女は、嗚咽を漏らしながら、必死にルーフェンの肩を叩いたり、噛みついたりしていた。
「痛いっ、死んじゃう」
「死なないよ、大丈夫」
「死んじゃう、こわいこわいこわ──」
「怖くないよ」
ルーフェンは、優しく語りかけるように言った。
「大丈夫。怖いものなんて、ないでしょ」
しばらく攻防が続くも、暴れ疲れてきたのか、少女の抵抗する力が、徐々に弱まってくる。
激しく咳き込み、喘鳴しながら、少女は歯を食い縛っていたが、やがて、微かに身動ぎをすると、ぽつりと呟いた。
「……。……大丈夫?」
ルーフェンは、はっと少女の顔を見た。
俯いていて表情は見えないが、今の言葉は、きっとルーフェンへの問いかけである。
ルーフェンの言葉に対して、少女が反応したのだ。
少女を抱く腕に力を込めて、ルーフェンは答えた。
「……そう、大丈夫」
しゃくりあげて、頻繁に上下する背中をさすりながら、何度も囁いた。
「大丈夫……絶対、助けてあげるから」
「…………」
とくり、とくりと、小さな心音が伝わってくる。
少女は、ルーフェンの穏やかな声を聞きながら、長い間、すすり泣いていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.23 )
- 日時: 2018/06/12 22:33
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
ようやく泣き止むと、少女は再び黙り込んでしまった。
気分が落ち着いたのか、寝台に戻しても、手首の手当てをしても、暴れることなく、されるがままになっている。
近づいても抵抗されないのは有り難いが、またしても反応を返してくれなくなったのは、少し残念であった。
先程、ルーフェンの言葉に返事をしてくれたのが、まるで嘘のようである。
少女の傷ついた手首に包帯を巻くと、ルーフェンは尋ねた。
「きつくない?」
「…………」
少女は寝台の上に座って、ぼんやりと俯いている。
ルーフェンは、しばらく寝台脇の椅子に座って、少女のことを眺めていたが、やがて、机に置いていた手燭を取ると、立ち上がった。
「……それじゃあ、俺、行くから。もし何か困ったことがあったら、呼んで。隣の部屋にいるからね」
それだけ言って、踵を返したとき。
不意に後ろに引っ張られて、ルーフェンは立ち止まった。
振り返れば、下を向いたままの少女が、ルーフェンの袖を掴んでいる。
ルーフェンは、少女に向き直った。
「……どうした?」
「…………」
少女は、ルーフェンの顔を見ることもせず、じっと黙り込んでいる。
だが、ふとルーフェンの手元を一瞥すると、その手から手燭を奪って、握りしめた。
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎を見つめて、少女は、人形のように動かない。
しかしルーフェンが、手燭を取り返そうと手を伸ばすと、少女はきっとルーフェンを睨んで、威嚇してきた。
どうやら、少女の目当てはルーフェンではなく、手燭だったらしい。
ルーフェンは、小さくため息をついて、再び椅子に座った。
そして、少女と手燭を交互に見ながら、問いかけた。
「……もしかして、暗いのが苦手だったとか?」
先程、震えながら暗闇の中でうずくまっていた少女の姿を、思い出す。
もしかしたら、夜中に目が覚めて、部屋が真っ暗だったから、怖くなってしまったのかもしれない。
ルーフェンを引き止めたのも、手燭を持っていかれたくなかったためだと考えると、納得がいく。
ルーフェンは、砕けた口調で言った。
「確かに、夜って怖い時があるよね。俺も小さい頃は、ふと目が覚めた時に、暗闇が怖くなることがあったよ。何かの視線を感じたり、寝台の隙間から、誰かが自分に掴みかかってくるんじゃないかって、想像してしまったりね」
「…………」
相変わらず返事がないので、ルーフェンも言葉を止める。
サミルの言う通り、根気強く接していくべきなのだろうと分かってはいたが、先程からずっと一人で喋っているので、だんだん虚しくなってきた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.24 )
- 日時: 2018/07/22 21:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
「……この手燭、部屋に置いておくから、そうしたら眠れそう?」
「…………」
手燭を握る手に力を込めて、少女が唇を噛む。
彼女が、一体何を言いたいのかはよく分からなかったが、それでも、まだ何かに怯えているのは見てとれた。
ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。
少女からすれば、ルーフェンが隣にいることも嫌なのかもれないが、こうも怯えている姿を見せられては、このまま部屋に一人にするのも憚られる。
少女の気を引けそうな話題を考えながら、ルーフェンも、つかの間黙り込んでいた。
だが、ふと何か思い付いたように座り直すと、人差し指を手燭に向けた。
「眠れないなら、少し遊ぼうか?」
ひょいっと人差し指を動かして、少女の方に向ける。
すると、その瞬間、手燭の炎が分散して、少女の目の前に、ぽっと火の玉が現れた。
「……!」
少女が瞠目して、固まる。
一瞬、怖がらせてしまったかと焦ったが、少女は、単に驚いただけのようだった。
人差し指を動かせば、その動きに合わせて、ゆらゆらと火の玉が揺れる。
少女の目が、興味深そうにそれを追っているところを見て、ルーフェンは、思わず笑いそうになった。
彼女の姿が、まるで格好の遊び道具を見つけたときの動物のようだったからだ。
笑いを噛み殺しながら、浮かぶ火の玉を消すと、ルーフェンは、椅子から立ち上がった。
そして、少女が握る手燭の炎を、包むように両手で囲むと、唱えた。
「──其は空虚に非ず、我が眷属なり。主の名はルーフェン……」
詠唱が終わるのと同時に、手燭の炎が一気に燃え盛り、部屋全体が明るくなる。
少女は一瞬、全身が炎に包まれたような錯覚に陥ったが、不思議と熱さは感じなかった。
増幅した炎が、鳥の形を象って、ルーフェンの周りを滑空する。
ルーフェンの肩に止まってから、炎の鳥は弾けるように消えてしまったが、少女はしばらく、飛散した火の粉に魅入っている様子であった。
「面白いでしょ? 簡単な幻術の一種だよ」
少女の顔を見つめて、ルーフェンがにこりと笑う。
次いで、部屋の引き出しから紙と羽ペンを取り出すと、ルーフェンはそれらを少女に見せた。
「君もやってみる? 簡単な魔術だし、使うと周りが明るくなる。また暗い場所が怖くなったら、この魔術を使えばいいよ」
少女の目に、微かに光が宿る。
しかし、すぐに暗い表情に戻ると、少女は首を横に振った。
「……魔術……使え、ません」
小さな声ではあったが、再び少女が返事をしてくれたことに驚いて、ルーフェンが瞠目する。
ルーフェンは、表情をやわらげると、穏やかな声で返した。
「できるよ。君にも、人間の血が入ってるんだから。魔力って言うのは本来、誰にでもあるものなんだ。魔術が使えるか、使えないかは、その扱い方を知っているか、知らないかの差なんだよ」
「…………」
こちらを見上げてきた少女に、頷いて見せる。
ルーフェンは、紙にさらさらと魔法陣を描くと、それを少女に差し出した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.25 )
- 日時: 2018/06/18 19:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
「最初は、うまく魔力を一ヶ所に集中させられないだろうから、魔法陣を使うといいよ。魔法陣っていうのは、簡単に言うと、ここから魔力を放出させますよっていう、目印みたいなものなんだ」
説明しながら、少女が持つ手燭の下に、魔法陣が描かれた紙を敷く。
膝の上に置かれた魔法陣を凝視して、少女は、その紙面を指でなぞった。
インクで描かれた円の中には、三角形やら、読めない文字やらが、規則的に並んでいる。
興味津々の少女に、ルーフェンは続けた。
「あとは、呪文だね。呪文を唱えることで、具体的にどんな現象を起こしたいのか、炎に指示できるんだ。魔法陣も呪文も、慣れちゃえば必要なくなるけど、あったほうが成功率は高くなる。分かった?」
「…………」
少し難しい話をしてしまっただろうか、というルーフェンの予想に反して、少女は、こくりと頷いた。
ここ数日、ほとんど口を開かなかったため、もしかしたら少女は話せないのかもしれない、とさえ思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
返事もしてくれるし、ルーフェンの言っていることも、少女はちゃんと理解できているようだった。
炎の鳥のおかげで、ルーフェンに対する嫌悪感や恐怖心が薄れたのか。
一心にこちらに耳を傾ける少女に、ルーフェンは言った。
「じゃあ、蝋燭の炎に集中して。俺の真似して、唱えてみて。──其は、空虚に非ず、我が眷属なり」
「……そは、くうきょに、あらず、わが、けんぞく、なり」
辿々しく繰り返す少女に合わせ、ルーフェンは、ゆっくりと告げた。
「主の、名は──……」
ルーフェンから、手燭に視線を移して、少女は口を開いた。
「──トワリス……」
ぱっと炎が眩く散ったかと思うと、部屋全体に火の粉が舞って、二人の上に降り注ぐ。
触れても熱くない、きらきらと光る幻の火の粉は、まるで雪の粒のようだった。
掌を広げ、火の粉を掴み取ろうとする少女に、ルーフェンは満足げに言った。
「形にはならなかったけど、まあ、最初はこんなものだよ。これだけでも、十分綺麗でしょ、トワリスちゃん?」
ルーフェンの方を見上げて、トワリスが首肯する。
しかし、うっかり名前を言ってしまったことに気づくと、トワリスははっと手で口をふさいだ。
ルーフェンは、苦笑した。
「名前、言いたくなかった?」
「…………」
押し黙ったまま、トワリスは、警戒した様子でルーフェンを睨んだ。
魔術を教えてくれた、と言えば聞こえはいいが、呪文詠唱にかこつけて、名前を言わされたような気もする。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.26 )
- 日時: 2018/06/23 17:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
再び口を利いてくれなくなったトワリスに、ルーフェンは肩をすくめた。
「そんなに怒らないでよ、ごめんね。別に無理矢理名前を聞き出したかった訳じゃないし、呼ばれたくないなら、呼ばないよ」
これ以上距離を詰めるのは得策ではないと、ルーフェンが一歩引く。
トワリスは、しばらく口を閉じて、ルーフェンの動向を伺っていたが、やがて、手燭を宮棚に置き、膝を抱え込むと、小さな声で言った。
「名前は……。……どの一族の出かを示す、大事なものだから、人間には教えるなって。……お母さんが、言ってたらしくて」
お母さん、という言葉に、ルーフェンが顔をあげる。
このままトワリスに話を聞いていけば、その母親であろう女性の獣人について、詳しく聞けるかもしれない。
本当にトワリスは、人間と獣人の間に生まれた、混血の娘なのか。
トワリスの母親は、どのようにして獣人の国ミストリアから、人間の国サーフェリアに渡ってきたのか。
気になる点は、いくつもある。
表情から笑みを消すと、ルーフェンは尋ねた。
「君のお母さんは、ミストリアからサーフェリアに渡ってきたところを捕らえられ、奴隷にされた。君は、そんなお母さんと、人間の男の間に生まれた子供……。これは、本当のことなの?」
はっと目を見開いて、トワリスがルーフェンを見る。
急に身を乗り出すと、トワリスは勢いよく捲し立てた。
「お母さんの、こと、知ってるんですか! 人狼族、なんです! 脚に、赤い木の葉の、刺青があって、髪色は私と同じ、赤褐色で、それから、えっと……!」
なんとか母親の情報を伝えようと、必死に言葉を探し出す。
徐々に涙声になりながら、トワリスはルーフェンに詰め寄った。
「私、お母さんのこと、全然覚えてないんです。生まれて、すぐ、引き離されちゃったみたいで……! でも、お母さんと一緒にいたっていうおばさんが、お母さんの言葉とか、特徴とか、色々教えてくれたから、私、それを手掛かりに、お母さんのこと──」
「ちょっ、ちょっと待った、落ち着いて」
思わず口をはさんで、ルーフェンが制止をかける。
突然話し始めたトワリスに、ルーフェンは慌てて首を振った。
「申し訳ないんだけど、俺も、君のお母さんのことを直接知ってる訳じゃないんだ。ただ、違法取引された奴隷の中に、獣人──つまり君のお母さんがいたっていう話を聞いただけで……。出来ることなら、もう少し詳しく調べてあげたいところだけど……君のお母さんは、十一年前に亡くなっている。探し出すことはできない」
「──……」
不意に、トワリスの瞳が、ゆらりと揺れる。
体勢を戻して、身を縮めると、トワリスの目から、涙があふれ始めた。
「……やっぱり、死んじゃってたんだ……」
せり上がってきた熱い痛みを堪えるように、トワリスが息を詰まらせる。
嗚咽を漏らしながら、泣き声を上げ始めたトワリスに、ルーフェンは、何も言えなくなった。
母親が生きていると信じ続けたって、いずれ真実を知れば、結局悲しむことになる。
だから、母親の死を知らせることは、ある意味優しさのつもりであった。
それでも、こんな風に泣かれてしまうと、罪悪感を感じざるを得ない。
きっと、彼女にとって母親は、肉親であるのと同時に、人間しかいないこのサーフェリアの中で生きる、唯一の同胞だったのだ。
(……そう、だよな。普通、母親が死んでたって聞いたら、悲しむよな)
母親の死を打ち明けるにしても、もうちょっと言い方を考えれば良かったかもしれない。
母親の死を嘆く感覚なんて、ルーフェンはあまり感じたことがなかったから、つい無遠慮な発言をしてしまった。
慰めの言葉をかけようにも、泣かせたのは自分なので、今更どうすれば良いのか分からない。
ルーフェンは、躊躇いがちにトワリスに手を伸ばすと、言った。
「……探し出すことはできないけど……もうちょっと、色々調べてみるよ。君のお母さんのこと……。何か分かったら、絶対に君に伝える。……だから、泣かないで」
そっと背を擦るも、トワリスはなかなか泣き止まない。
ルーフェンは、表情を曇らせたまま、しばらく押し黙っていたが、やがて、もうそっとしておいた方がよいと思ったのだろう。
手燭の炎を強めると、トワリスから手を引いた。
「夜遅いから、もう寝た方がいいよ。手燭は、ここに置いておくからね。何かあったら、言って。俺でもいいし、俺じゃなくても、誰かはこの部屋の近くにいるようにするから」
「…………」
すすり泣きながら、トワリスが膝の間に顔を押し付ける。
ルーフェンは、彼女の様子を伺いながら、言った。
「まずは、ゆっくり休んで。落ち着いたら、また話そう」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.27 )
- 日時: 2018/06/26 20:42
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
いつの間に眠っていたのだろうか。
座った姿勢のまま、寝台の上でびくりと顔をあげると、トワリスは辺りを見回した。
瞼が腫れたように重くて、頭の中もぼんやりしている。
先程散々泣きじゃくったせいで、涙を擦った跡が、ひりひりと痛んだ。
(……お母さん……)
顔さえ浮かばない母を思って、ぎゅっと唇を噛む。
幼い頃に引き離されてしまったから、母のことは、ほとんど覚えていない。
ミストリアから渡ってきた、人狼族であったことも、どんな言葉を残していなくなったのかということも、全て人伝に聞いた話だ。
それでも、母と再会することだけが、トワリスにとっての生きる糧だった。
獣人の血が入っていると聞けば、皆、奇異の目を向けてくる。
腕をきつく縛られ、強固な足枷を嵌められれば、もう抵抗することもできない。
ここは人間の国、サーフェリアだ。
獣人の居場所などないこの国で、きっと、母も同じ目に遭っている。
だからこそ、再会すれば、この痛みが分かち合えると思った。
身を寄せあって、二人、どこか遠くに逃げられないか──そう夢を見たこともある。
そんな夢物語は、ルーフェンと名乗るあの少年の言葉で、打ち消されてしまったけれど。
(……あの人、また来るのかな……)
宮棚に置いてある手燭の炎を眺めながら、ふと、先程までこの場にいた銀髪の少年を思い出す。
身なりや、周囲からの敬われ方からして、恐らく身分の高い人間なのだろうが、なんとも不思議な雰囲気の少年であった。
最初は、全てを見透かすようなあの銀の瞳が、怖いと思った。
彼だけではない。
寝台を取り囲んで、見下ろしてくるこの屋敷の者達全員が、恐ろしくて仕方がなかった。
しかし、この屋敷の人間たちには、トワリスに暴力を振るったり、鎖で繋ぎ止めようとする者は、誰一人としていない。
それどころか、傷の手当てをしたり、温かい食事を与えようとしてくる。
──周り、見て。……ここには、君を助けようとしてる人が、沢山いるよ。
あの銀髪の少年が、はっきりとそう言っていた。
単に物珍しいから捕まえた、というわけではなく、本当に助けようとしてくれているのだろうか。
(私、を……?)
手首の包帯や、薄くなってきた脚のあざを擦りながら、トワリスは、小さく息を吐いた。
そういえば、身体を蝕むような鈍い痛みも、腹にあった重石のような違和感も、今はほとんど感じない。
ここ何日も眠ってばかりいたから、気づかなかったが、確かに、全身の傷が治り始めている。
(──何日、も……?)
その時、ふとそんなことを思って、トワリスは顔を強張らせた。
はっと窓の外を見て、硬直する。
トワリスは、徐々に明るみを帯びてきた夜空を見て、自分が何回目の夜を迎えたのか、必死に思い出そうとした。
(私、何日ここにいるんだろう……?)
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.28 )
- 日時: 2018/06/29 23:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
錆びた足枷を叩き壊して、その隙に、“あの場所”から逃げ出してきた。
けれど、それから一体、何日経ったのだろうか。
逃げて、雨の中を走って、走って。
あまりの寒さに、脚が動かなくなったから、人気のない骨組みばかりの建物に隠れて、震えていた。
だけど、あの夜は風が強かったから、煽られた建物が急に傾いて、崩れてきて──。
──目を開けたら、あの銀髪の少年がいた。
そう、あれから、どれくらいの時間が流れたのか。
“あの男”は、今頃怒り狂いながら、自分を探しているかもしれない。
そう思うと、息苦しいほどの恐怖が襲ってきた。
(どうしよう、帰らなきゃ……!)
無断で逃げ出した上、何日も行方をくらましたのだ。
早く戻らなければ、どんなきつい仕置きをされるか分からない。
トワリスは、慌ててルーフェンが巻いてくれた手首の包帯を引き剥がすと、それを寝台の上に捨てた。
こんな綺麗な屋敷に匿われて、手当てをされていたなんて知られたら、きっと余計に怒られてしまうからだ。
焦りと混乱で、呼吸が荒くなる。
激しく喘鳴しながら、トワリスは手首の傷をかきむしると、思いっきり、噛みついた。
「……っ」
鋭い痛みと共に、温かい液体が流れ出て、血臭が鼻をつく。
同時に、濃い顔料の匂いが蘇って、トワリスは、込み上げてきた吐き気に顔を歪めた。
(帰らなきゃ、帰らなきゃ……!)
転がるようにして寝台から降り、部屋を見回す。
扉に近づこうとして、けれど、外に誰かの気配を感じると、トワリスは踏みとどまった。
確か、眠る前にルーフェンが、この部屋の近くに必ず誰かいるようにする、と言っていた。
きっと、その言葉通り、扉の外には誰かがいて、トワリスが部屋から出ないか見張っているのだろう。
(見つかったら、捕まる……)
物音を立てぬよう、そっと踵を返して、窓に手をかける。
窓を開ければ、冷たい夜明けの風がすうっと部屋に入り込んできて、トワリスはぶるりと身震いした。
窓から顔を出し、広がる庭園を見回してみる。
今のところ、誰かが動く物音はしない。
耳を澄ませ、注意深く周囲を探りながら、トワリスは、しばらく外の薄闇を凝視していた。
だが、やがて窓から下を覗きこみ、地面までの距離を目測すると、身を乗り出した。
(二階……そんなに、高くない)
ふっと息を吸って、窓枠に足をかける。
トワリスは、最後に振り返って、寝台の宮棚に置かれた手燭を一瞥すると、窓枠を蹴ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.29 )
- 日時: 2018/07/01 17:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 5VHpYoUr)
* * *
「は? あの子がいなくなった?」
ロンダートの報告を受けて、ルーフェンは眉を寄せた。
ロンダートは、青ざめた顔で深々と頭を下げると、早口で言った。
「いやっ、その、さっき目が覚めて、なんとなーく部屋を覗いたら、もういなくなってて! 俺、ずっと扉の前にいたんですよ!? 召喚師様に言いつけられた時間から、片時も離れなかったんです! 本当に!」
「さっき目が覚めて、って……ロンダートさん、どうせ居眠りしてたんでしょう」
ルーフェンの指摘に、ロンダートがはっと口をつぐむ。
ルーフェンは、呆れた様子でため息をつくと、ロンダートの横をすり抜けて、トワリスを寝かせていた自室に向かった。
昨夜、トワリスと話した後、ルーフェンは、仕事のことでサミルを訪ねなければならなかった。
だから、何かあった時のためにと、夜番で屋敷を警備をしていたロンダートに、トワリスの部屋の近くにいるようにと申し付けたのだ。
しかし、当のロンダートは、警備中に朝まで居眠りをしていて、トワリスが部屋から抜け出したことに気づかなかったのだという。
元来抜けた男だと思ってはいたが、まさか、ロンダートのうっかりとトワリスの逃亡が、運悪く重なるとは思わなかった。
自室の扉を開けると、ロンダートの言う通り、トワリスはいなくなっていた。
寝台は荒れ、床には点々と乾いた血が散っており、部屋の窓は全開になっている。
彼女が窓から抜け出したのだろうというのは、火を見るより明らかであった。
(……ロンダートさんに警備を頼んでから、二刻が経ってる。まだ怪我も完治していないし、そんなに遠くまでは行ってない、と思いたいけど……)
悩ましげに目を伏せて、寝台を見つめる。
そう思いたいが、何しろトワリスは、獣人混じりだ。
初めて出会ったときも、傷だらけの状態でルーフェンより速く走っていたし、ひとっ跳びで民家の屋根まで駆け上がっていた。
遠くまでは行っていないだろうと高を括って、手当たり次第に周囲を探しても、トワリスを見つけられる気がしない。
燃え尽きた手燭や、昨夜ルーフェンが渡した、魔法陣の描かれた用紙。
そして、寝台に放置されている、血のついた包帯。
それらを眺めながら、トワリスの行方を考えていると、後ろから着いてきたらしいロンダートが、今にも泣きそうな声で言った。
「うぅ……本っ当にすみませんでした! だってだって、逃げるにしても、あんな小さな女の子が、窓から飛び降りるとは思わなかったんですよぉ。ここ、二階ですし! 確かに居眠りしちゃってたのは認めますけど、扉の前にはいたし、その、トワリスちゃん? でしたっけ。あの子に何かあったら、すぐに動けるはずだったんです!」
「…………」
弁明を無視して、ルーフェンが物思いしていると、ロンダートがみるみる絶望したような表情になった。
「しょ、召喚師様ぁ……お、俺、首ですか? シュベルテで聞いたんです……召喚師様のご機嫌損ねたら、職を追われるって。そ、それとももっと重い……まさか、ざ、斬首とか!?」
一人で縮み上がっているロンダートに、ルーフェンは、煩わしそうに答えた。
「ロンダートさん、うるさい。そんなことしないから、さっさと探すの手伝って」
「はっ、はひ!」
裏返った声で、ロンダートが敬礼する。
ルーフェンは、そんなロンダートを横目に見てから、窓の外を見下ろした。
ルーフェンの自室は二階だから、普通の少女なら、飛び降りようなんてことは考えないだろう。
縄や布を使った形跡もないし、地面まで伝っていけるような木もない。
だがトワリスなら、これくらいの高さ、簡単に飛び降りることができるはずだ。
(窓から飛び出したとして、問題は、どこに行ったか……だな)
トワリスが手首に巻いていたはずの包帯を見つめながら、ルーフェンは、微かに目を細めた。
昨夜の様子からして、トワリスは、母親の死にかなり衝撃を受けていた。
他に行く宛なんてないだろうし、もしかしたら彼女は、母親を探しに行ったのかもしれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.30 )
- 日時: 2018/07/04 20:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
ルーフェンは、早足に部屋を出ると、屋敷の正門へと続く長廊下を歩き出した。
「とりあえず俺は、シュベルテに行って、報告書にあった奴隷商について、詳しく聞いてみます。トワリスちゃん、もしかしたら母親を探しに出たのかもしれない。あの子が、母親を捕らえていた奴隷商の拠点なんて把握しているか分からないけど、知っていたとしたら、そこに向かっている可能性が高い。ロンダートさんは、自警団員何人か連れて、周囲を探してください。……獣人混じりの子供なんて、見つかったら大騒ぎになる」
「わ、わかりました……!」
ルーフェンの真剣な顔つきに、思わず息を飲んで、ロンダートが頷く。
そうして、お互い別れようとした、その時だった。
屋敷の正門から、傴僂(せむし)の男が入ってきたかと思うと、男は、ルーフェンを見や否や、ぱあっと表情を明るくした。
「しょ、召喚師様! おはようございます……!」
一礼し、キャンバスの沢山入った袋を引きずるようにして、男が近づいてくる。
それが、残酷絵師、オルタ・クレバスであることに気づくと、ルーフェンは内心ため息をついた。
どうせまた、宮廷絵師として雇ってほしいと懇願しに来たのだろう。
「クレバスさん、すみません。今ちょっと忙しいので」
冷たく言い放って、ロンダートに早く捜索に行くようにと指示を出す。
ロンダートが駆け足で自警団の召集に行くところを見送ると、ルーフェンも、オルタを置いて正門を出ようとした。
しかし、その手を掴んで、オルタが話しかけてくる。
「お待ちください。ほんの、ほんの少しの時間で良いのです。どうか、私の絵を見て頂けませんか。今回は、召喚師様のご希望に沿うような絵を描いてきたのです……!」
そう言ってオルタが取り出したのは、アーベリトの街並みが描かれたキャンバスであった。
質素だが、清潔感のある白亜の家々も、楽しげに走り回る街の子供達も、その一つ一つが緻密に、丁寧に描かれている。
おそらく、前回会ったときに、残酷絵は好みではないとルーフェンが言ったので、オルタはそれを気にして、わざわざ画風を変えてきたのだろう。
期待の眼差しを向けてくるオルタに、しかし、ルーフェンは首を横に振った。
「……悪いけど、何度も言う通り、こっちには芸術家を雇う余裕がないんです。貴方の絵なら評価してる人が沢山いるでしょうし、よそに行ってください。それじゃあ、本当に時間がないので」
「そ、そんな、待ってください!」
早口で立ち去るように告げるも、オルタはしがみついてきて、なかなか離れない。
苛立ったルーフェンが、咄嗟に腕を強く振り払うと、しまった、と思う間もなく、オルタはよろけて地面に手をついた。
転んだ拍子に、オルタの持っていた荷物から、キャンバスや画用紙が滑り出る。
流石に突き飛ばすのはまずかったかと、広がってしまった画用紙を集めようと屈んだ、その時──。
地面に散らばった素描に目を止めると、ルーフェンは、目を見開いたまま硬直した。
沢山の画用紙に描かれた、残酷絵の素描。
鎖で縛られ、杭で打たれ、身動き一つできぬ状態で苦悶の表情を浮かべる、子供たちの絵。
その中に、トワリスと瓜二つの子供が描かれた絵が、無数にあったのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.31 )
- 日時: 2018/07/07 20:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ZFLyzH3q)
ルーフェンが、残酷絵を手に取り凝視していると、ふいに、オルタが口端をあげた。
「その絵に、興味がおありですか?」
「…………」
嬉々として立ちあがり、ルーフェンの顔を覗きこんでくる。
だがルーフェンは、眉をしかめると、静かに尋ねた。
「……これ、いつ描いたんですか」
冷たい声音で言って、オルタを睨む。
ルーフェンが、絵に関心を抱いたわけではないと気づいたのだろう。
オルタは、少し困惑したように答えた。
「それは……つい最近起きた、北方ネールの内戦で──」
「──本当に?」
オルタの言葉を遮って、問い詰める。
ルーフェンは、すっと目を細めると、低い声で言った。
「あんた、奴隷買いだろう」
オルタの腫れぼったい目が、くっと見開かれる。
ルーフェンは、きつい口調で続けた。
「前に戦場で素描するのが趣味だとか言っていたけど……あんたはそれ以外にも、買った奴隷を痛め付けては、その子達を描いている。違うか?」
ルーフェンの怒りを買ったことに動揺したのか、オルタは何も言えず、しきりに唇だけを動かしている。
ルーフェンは、再度大きく息を吐くと、持っていたトワリスの素描を、オルタの前に突きつけた。
「まさか、こんなところで手がかりが見つかるとはね。……俺は、この子を知っている。彼女はネールにはいないはずだし、奴隷の焼印も、誰かに負わされたであろう全身の傷も見た」
「…………」
よろよろと後ろに下がると、事の重大さに気づいたらしいオルタが、顔を強張らせる。
自分の残酷絵を気に入ってほしい一心で、素描を持ち込んだのであろうし、それについては、ルーフェンも何も言えない。
奴隷をいたぶり、その様を絵として残している画家だって、国中を探せば、オルタ以外にも存在するだろう。
残酷絵の風潮や、奴隷制が国全体で禁止されない限り、それらに関しては、咎められることではないのだ。
しかし、アーベリトにトワリスのような奴隷を持ち込んだとなれば、話は別である。
アーベリトは、奴隷制を認めていない街だ。
そこに所有している奴隷をつれてきたとなれば、立派な罪になる。
オルタは、ようやく口を開くと、慌てた様子で言った。
「どっ、奴隷買い、といっても、今はほとんど手放しているんです! ほら、よく見てください! 実はその絵に描いてある子も、人間の奴隷ではなくて、珍しい獣人の血が入った子供で……!」
ルーフェンから素描を取り上げると、オルタは、大切そうにそれを抱え込んだ。
「しょ、召喚師様はお優しいから、たとえ奴隷であろうと、人間を物扱いするなと仰りたいんですよね……? でしたら、問題ありません。この子供は、人間ではないのです。獣人混じりで、痛覚も鈍いのか頑丈ですし、ほとんど弱らなくて……!」
余計に表情を険しくしたルーフェンに構わず、オルタは、どこか自慢げに言い募った。
「それに、この子自身、他に行く場所もないのですよ。ですから……そう、私が親代わりに引き取ったようなもので。ちゃんと、自分から私の元に帰ってきますし、今朝だって、教えた通り、私の仕事場に戻ってきて……!」
微塵も罪悪感など感じていないような口振りで、オルタが捲し立てる。
おそらく、根本的な価値観と言うものが、ルーフェンとオルタでは違うのだろう。
奴隷の扱いに慣れた者は、奴隷を人として見ようとはしないし、まして、それが獣人混じりなどという異質な存在であるなら、尚更だ。
ルーフェンは、ぐっとオルタの胸ぐらを掴むと、顔を近づけた。
「御託はいらない。今すぐ、その仕事場とやらに案内しろ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.32 )
- 日時: 2018/07/10 19:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
* * *
鼻にこびりつくような、濃い顔料の臭いで、トワリスはぼんやりと覚醒した。
鉛のように重い頭を持ち上げ、立とうとするも、両手両足には枷が嵌められていて、うまく身動きがとれない。
動く度、じゃらじゃらと鳴る枷の鎖は、石床に穿たれた、頑強な金具に繋がれていた。
蝋燭一本の明かりもない、真っ暗な地下の独房の中。
ここが、本来のトワリスの居場所だった。
耳が痛くなるほどの静寂と、肌を這うような黴臭い空気。
力任せに腕を動かせば、無機質な鉄枷が食い込んで、じくじくと手首が痛んだ。
(暗い……)
手枷を無意識にかじりながら、足枷を石床に叩きつける。
舌に広がった血の味は、鉄のものだったのか、それとも、己の歯茎から滲んだものだったのか。
自らこの場所に戻ってきたのに、再びこの暗闇に放られると、怖くて、悲しくて、目から涙がこぼれた。
「……そ、そは、くうきょに、あらず……」
震える声で、教わった呪文を唱えてみるも、ここには手燭の炎がないし、魔法陣だって描けない。
涙声で咳き込みながら、それでも何度も呪文を詠唱してみたが、やはり、あの炎の鳥は現れてはくれなかった。
耳を澄ましても、目を凝らしても、この地下の独房からは、外の様子など伺えない。
ルーフェンのいた屋敷から抜け出してきて、もう一日以上経っただろうか。
この家──オルタ・クレバスの仕事場に戻ってきてからは、すぐに気絶させられてしまったため、時間の経過が分からなかった。
ただ一つ、分かることといえば、今は夜ではない、ということだ。
オルタが、絵を描きに現れるのは、必ず日が暮れてからなのである。
(また、夜がきたら……)
今度は、何をされるのだろう。
切られるのも、絞められるのも、焼かれるのも、嫌で嫌で仕方がない。
いっそ慣れて、痛みなんて感じなくなってしまえばいいのに、いつまでたっても、その苦しみからは解放されなかった。
ふいに、重々しい足音が響いてきて、トワリスははっと息を飲んだ。
身を潜め、暗闇を凝視していると、やがて、独房の前に体躯の大きな男がやってくる。
この男もまた、オルタに買われた奴隷の一人だ。
彼は、傴僂で貧弱なオルタに代わり、トワリスをこの独房に閉じ込め、その世話をするのが仕事のようだった。
オルタの命令一つで、トワリスに直接暴力も振るってくることもあれば、一方で、死にはしないように最低限の食事を与えてくることもある。
暗がりでしか会ったことがないから、顔もはっきり見えないし、名前も知らなかったが、トワリスは、この男がオルタの次に恐ろしかった。
牢の扉を開いて、男がトワリスに近づいてくる。
その手に棍棒が握られているのを見て、トワリスは硬直した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.33 )
- 日時: 2018/07/12 19:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
(……に、逃げないと)
頭ではそう思うのに、身体が凍りついたかのように、動かない。
いつもそうだ。
オルタやこの男が出てくると、恐怖で身体が言うことを聞かなかった。
仮に逃げられても、見つかったときのことを考えると、恐ろしくて、脚がすくんでしまうのだ。
ただ黙って男を凝視していると、ふいに、その右腕が振り上がる。
瞬間、棍棒が無造作に皮膚を打つ音が響いて、左の足首に衝撃が走った。
「────っ!」
声にならない呻きを漏らして、身を守るように背を丸める。
叩かれた足首の激痛に身悶えしていると、男は苛立たしげに目元を歪めて、問いかけてきた。
「……お前、なぜ逃げた」
ぐっと乱暴にトワリスの前髪を掴み、男が無理矢理顔を覗きこんでくる。
その腕には、 刃物で刻まれたであろう痛々しい傷が、無数についていた。
この男の仕事は、トワリスの管理だ。
そのトワリスの逃亡を許してしまったが故に、罰を与えられたのかもしれない。
今度は右脚に棍棒を押し当てられて、頭が真っ白になる。
戦(おのの)いて、無意識に後退しようとすれば、足枷の鎖を引っ張られて、トワリスは勢いよく仰向けに転んだ。
「……二度と逃げられないように、脚を折れとのご命令だ」
太い声で言って、男が、再び棍棒を振り上げる。
反射的に目を閉じた、その次の瞬間──。
空気の唸り声が聞こえたかと思うと、同時に、何かを殴り付けるような鈍い音が響いた。
しかし、トワリスには、覚悟していた痛みは一向にやってこない。
階上から、複数人の足音が聞こえてきたかと思うと、それとは別に、自分のすぐ近くで、何者かの気配を感じる。
恐る恐る顔を上げたトワリスは、刹那。
目の前でどさりと倒れた男の背後に、人影があることに気づくと、大きく目を見開いた。
「ル──」
名前を呼ぼうとして、口を閉じる。
喉の奥に熱いものが込み上げてきて、うまく言葉が出なくなった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.34 )
- 日時: 2018/07/15 20:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
走ってきたのか、微かに息を乱して、ルーフェンもトワリスを凝視している。
しばらくそうして、二人は互いを見つめ合っていたが、やがてルーフェンは、周囲が暗いことに気づくと、宙で指を動かし、石壁にかかった燭台の燃えさしに、穏やかな炎が灯らせた。
「よかった、見つかった……」
ふうっと安堵の息を漏らして、ルーフェンがその場にしゃがみこむ。
すると、突然騒がしくなった階上から、ロンダートの声が聞こえてきた。
「召喚師様ぁー! 奴隷を三名、保護しましたー!」
その声を受けると、ルーフェンは立ち上がった。
そして、倒れた男の背中に、焼鏝(やきごて)で付けられたであろう奴隷印が刻まれているのを確認する。
ルーフェンは、トワリスを再度見ると、一階へ繋がる階段の方に向けて、返事をした。
「こっちも二人、見つけた。引き続き、他に捕らえられている奴隷がいないか探して、全員保護したら、屋敷に戻って!」
「わかりましたー!」
ばたばたと慌ただしい足音や、声が響いてくる。
おそらく階上には、ロンダート以外にも、何人か自警団の者が来ているのだろう。
はっきりと状況を飲み込むことは出来なかったが、ただ、ルーフェンたちが助けに来てくれたのだと。
それだけは理解できた。
ぼんやりと燭台の明かりに包まれる、独房の中。
ルーフェンは、額の汗を拭うと、ゆっくりとした動きで、トワリスの手枷に触れた。
指先を動かして、ルーフェンが鍵穴部分をなぞると、かしゃり、と解錠の音がして、手枷が地面に落ちる。
同じように足枷も外すと、ルーフェンは、トワリスの様子を伺いながら、彼女の手をそっと握った。
「戻ろう、トワリスちゃん。こんなところにいちゃ駄目だ」
「い、いや……っ」
しかし、その手を振りほどいて、トワリスが後ずさる。
トワリスは、動かない左足を引きずって、どうにかルーフェンと距離を取ると、首を振った。
「逃げようとしたら……脚、折るって言われた」
一瞬、表情を曇らせると、ルーフェンは倒れている男の方を睨んだ。
だが、すぐに表情を緩めると、ルーフェンはその場に屈みこんだ。
「……心配しなくてもいいよ。君をここに閉じ込めていた奴は、アーベリトから追放して、シュベルテの魔導師団に引き渡す。だから、おいで。君はもう奴隷じゃない」
「…………」
優しい声で言って、手を差し出す。
戸惑った様子のトワリスに、ルーフェンは、笑みを向けた。
「助けてあげるって、言ったでしょ。もしまた悪い奴が来ても、俺がやっつけてあげるから」
こちらを見上げてきたトワリスに、ルーフェンが頷いて見せる。
ゆらゆらと揺れるトワリスの瞳には、まだ不安と困惑の色が、はっきりと見てとれた。
やがて、躊躇いがちに伸びてきたトワリスの手を取ると、ルーフェンは、その手を握りこんだ。
「……大丈夫。安心して」
握った手に、更に力を込める。
少し間を置いてから、強気な表情を浮かべると、ルーフェンは言った。
「俺はこの国の、召喚師様だからね」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.35 )
- 日時: 2018/07/18 19:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
ルーフェンに背負われて、サミルの屋敷まで戻ると、トワリスは再びダナの治療を受けることになった。
ルーフェンの自室に通され、折られた左脚を固定してもらうと、ダナは眠るようにと言ったが、徐々に自分の置かれている状況を飲み込み始めると、それまで堪えてきた恐怖と興奮が一気に噴き出してきて、うまく寝付くことができなかった。
薄暗かった空が闇色に染まると、しばらくして、サミルとルーフェンが部屋を訪ねてきた。
二人は、何やら深刻そうに話をしながら、部屋に入ってきたが、トワリスが起きていることに気づくと、すぐに穏やかな表情になった。
「傷の具合は、どうですか? 痛いところはありますか?」
寝台脇にゆっくりとしゃがみこむと、サミルが問いかけてくる。
トワリスは返事をしなかったが、サミルはそれを咎めることもなく、ただ、折れた左脚を一瞥しただけであった。
手近な椅子に座ると、ルーフェンが言った。
「トワリスちゃん、君を監禁していた男……オルタ・クレバスは、言った通り、アーベリトから追放した。他の奴隷たちの身柄も、シュベルテに引き渡したよ。オルタ・クレバスは、元々シュベルテの人間だから、処遇はあちらに委託する。でも、シュベルテも奴隷制を廃止にしている街だから、奴隷たちがまた不当な扱いを受けることはないはずだよ」
「…………」
トワリスは、緩慢な動きで寝台から起き上がると、つかの間、不安げにルーフェンを見つめていた。
それから、微かにうつ向くと、呟くように言った。
「……私も、シュベルテに、送られるんですか」
一瞬、ルーフェンとサミルが顔を見合わせる。
口を開こうとしたルーフェンを制して、サミルが、静かにトワリスの手に己の手を重ねた。
「ルーフェンと話して、貴女のことは、アーベリトが引き受けることにしました。……ただ、貴女という存在を、シュベルテに明かすことはします」
「…………」
ぴくりと、トワリスの手が震える。
自分の存在が広く知れ渡るというのは、ひどく恐ろしいことのように感じた。
人間しかいないこのサーフェリアという国で、獣人混じりの自分がいかに異質で、奇怪な存在なのか。
それは、これまでの奴隷生活の中で、散々思い知ってきたことだ。
奴隷から解放されるにしても、この先、生きていくのならば、誰の目にも触れられず、知られずにいたいというのが本音だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.36 )
- 日時: 2018/07/21 19:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 50PasCpc)
そんなトワリスの心中を察したのだろう。
サミルは、安心させるように微笑んだ。
「トワリスさん、どうか誤解をしないでください。確かに、獣人奴隷の件については、元々シュベルテの管轄でしたから、報告という意味合いはあります。でもね、別に私達は、貴女のことを無闇に見せびらかしたいわけじゃありません。ただ、貴女のことを、隠すような後ろめたい存在だとは認識させたくないから、シュベルテに伝えるのです」
顔をあげたトワリスの目を、サミルは、まっすぐに見つめた。
「獣人は、私達人間にとって、未知の存在です。その血を引く貴女は、どうしても、サーフェリアにおいて目を引いてしまう。……でも私は、それが何だと言いたい。だって貴女には、何の罪もないのですから」
柔らかい、けれどはっきりとした口調で、サミルは続けた。
「これまで、沢山辛い思いをしてきたでしょう。今後も、獣人の血を引いていることを理由に、後ろ指を指されることがあるかもしれません。ですが、それを恐れて、隠れるように暮らすのは、とても悲しいことだと思うのです。自由の身になったからこそ、私は、貴女に堂々と生きていってほしい。そうなるために、このアーベリトが、トワリスさんの新しい居場所になればとも思っています」
「…………」
自然と、涙が出てきた。
胸からあふれでてくる、この温かい感覚がなんなのか、よく分からなくて。
トワリスは、嗚咽を漏らしながら、震える声で呟いた。
「……最初は、ずっと、ハーフェルンにいたんです」
目を拭って、辿々しく口を開く。
「ハーフェルンの、奴隷市場に、いて……そこには、私以外にも、いっぱい奴隷がいて、売られる前は、叩かれたり、殴られたりすることもなかった……。お母さんとは、もう、離れ離れになってたけど、お母さんのこと、知ってるっていうおばさんが、色々、教えてくれて……。もし、お母さんに会えたら、きっと、助けてくれるって、そう、思って、ずっと会いたかったの……」
「…………」
黙って聞いているサミルの手を、すがるように握り返して、トワリスは言った。
「でも、その後、私も、あのオルタって人間に買われて、シュベルテに、連れていかれたし……。お母さん、死んじゃってるかもって、本当は、思ってたから……。もう、どうすればよいのか、どこ、逃げれば良いのか、全然、分からなくて……ずっと、怖かった……」
サミルは、トワリスの手を握ったまま、柔らかく微笑んだ。
「サーフェリアに、たった一人。なぜミストリアから渡ってきたのか、その経緯は分かりませんが、おそらくお母様も、凄まじい不安や恐怖、孤独と戦っておられたはずです。……それでも、貴女を産んだ」
懐から書類を取り出すと、サミルは、それをトワリスに差し出した。
「強いお母様だったのでしょうね。きっと、空から、貴女の幸せを祈っていますよ」
差し出されたのは、件の獣人奴隷の違法取引について、詳細が書かれた書類だった。
トワリスの母親の、脚に彫られていた木の葉の刺青の模様まで、細かく記載されている。
サミルとルーフェンが、改めて調べ直してくれたものなのだろう。
文字は読めなかったけれど、大事そうに書類を抱くと、トワリスはむせび泣いた。
涙をためた目を上げれば、サミルの後ろから、ルーフェンもこちらを見ている。
目が合うと、ルーフェンは、持ってきた手燭を宮棚に置いてから、トワリスに向き直った。
そして、声に出さずに、「良かったね」とだけ唇を動かすと、目を細めて笑んだ。
泣きつかれて、眠りに落ちるまで。
サミルは、ずっと背中を擦っていてくれたのだった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.37 )
- 日時: 2019/12/22 18:05
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
†第三章†──人と獣の少女
第二話『憧憬』
「こらぁーっ! いい加減になさい!」
高らかなミュゼの怒鳴り声が聞こえたかと思うと、ふいに、何かがルーフェンの腰に突撃してきた。
思わずよろけて、その場に踏みとどまる。
ルーフェンは、腰にすがり付いてきたトワリスを認めると、後から険しい形相で長廊下を走ってきたミュゼを見て、事態を察したように苦笑いした。
「召喚師様! ちょっと、そこのお転婆をどうにかしてくださいな! 全く、風呂に入るだけで、どうしてこんなに時間がかかるんだか!」
はあはあと息を切らせながら、ふくよかな身体を揺らして、ミュゼが追い付いてくる。
トワリスは、ルーフェンの背後に回って身を隠すと、顔だけ出して、ミュゼを睨みつけた。
「トワリスちゃん、お風呂には入らないと」
湿った赤褐色の髪を見て、ルーフェンが告げる。
するとトワリスは、不満げな表情を浮かべて、ふるふると首を振った。
「違う! お風呂入ったのに、おばさんが、変な臭い油つけてきたから……!」
「臭い油……?」
トワリスの言っている意味が分からず、ルーフェンが首をかしげる。
ミュゼは、深々とため息をつくと、ルーフェンに説明をした。
「臭い油だなんて、人聞きの悪い! 女性用の髪油ですよ。さあトワリスちゃん、さっさとこっちにいらっしゃい! そのみっともないぼさぼさの髪、私が綺麗に整えてあげるから」
「いらないっ!」
ルーフェンの腰に一層しがみついて、トワリスが鼻に皺を寄せる。
唸り声を大きくして、ミュゼを威嚇するトワリスに、ルーフェンは苦笑を深めた。
トワリスが、サミルの屋敷で暮らすようになって、約一月。
根気強く接し続けたおかげで、ようやく人を噛んだり、威嚇したりすることは少なくなったトワリスであったが、サミルとルーフェン以外の人間には、まだ慣れない様子であった。
屋敷の家政婦であるミュゼに対しても、その反抗ぶりは顕著で、こうして身辺の世話をミュゼに頼む度に、トワリスは逃走してくる。
ミュゼも、普段は孤児院に勤めているだけあって、子供の扱いには長けているのだが、足の速いトワリスを捕まえるのは、流石に難しいようだった。
ルーフェンは、トワリスの目線に合わせて屈みこむと、おかしそうに言った。
「ほら、牙剥いちゃ駄目だってば。唸るのも禁止」
トワリスの唇に人差し指をあてて、落ち着くようになだめる。
トワリスは、ひとまず唸るのをやめたが、それでも警戒した様子で狼の耳を立て、ミュゼを睨んでいた。
くすくすと笑いながら立ち上がると、ルーフェンは肩をすくめた。
「ミュゼさん、この子、鼻が利くから、香料が入ってるものは嫌みたい。とりあえず、丸洗いするだけにしてあげて」
「そ、そうは言いますけどねえ……」
訝しげに口ごもって、ミュゼがトワリスを見る。
だが、頑なにルーフェンから離れようとしないトワリスを見て、これ以上問答を続けても埒が明かないと思ったのだろう。
やれやれと首を振ると、ミュゼは嘆息した。
「……分かりました、もう結構です。それなら、明日からは洗うだけにすると約束しますから、もう一度来なさい。まだお薬塗ってないでしょう」
「…………」
厳しい口調で言われて、トワリスの耳がぴくりと揺れる。
露骨に嫌そうな表情になって、トワリスは、ルーフェンの服をぎゅっと握った。
お薬、というのは、トワリスの全身に塗布している軟膏のことだ。
獣人の血が入っている故か、驚くほどの速さで回復しているトワリスであったが、画家、オルタ・クレバスに負わされた深い切り傷や火傷跡は、まだまだ癒えていない。
その治療の一つとして、毎日、軟膏を患部に塗っているのだ。
最初の内は、ダナが治療を行っていたのだが、トワリスは、生まれた年から計算する限り、今年で十二歳である。
獣人は人間より成長が遅いのか、それとも、小柄で痩せているため、そう見えるだけなのか。
トワリスは、八、九歳くらいの少女のような姿をしていたが、それでも、一応は十二歳の娘なのだから、身辺の世話に関しては、女性がやった方が良いだろうという話になり、最近は、治療もミュゼに頼んでいるのだった。
ルーフェンが軽く背を押すと、トワリスは、渋々といった様子でミュゼの元に行った。
「トワリスちゃん、ミュゼさんのこと、噛んじゃ駄目だよ」
「……噛まないもん」
ぶすっとした顔つきで答えると、ルーフェンが、面白そうに笑みをこぼす。
それから、最後にミュゼの方を見やると、ルーフェンは手を振って、去っていったのだった。
ルーフェンの後ろ姿をぼんやりと眺めていると、ミュゼが、肉厚な手でトワリスの手を握り、くいと引っ張ってきた。
「ほら、行くよ」
「…………」
手を引かれて、来た長廊下を戻っていく。
二人は、一度屋敷の本邸から出ると、裏手にある使用人たちの宿舎へと向かった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.38 )
- 日時: 2018/07/27 19:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
中庭の小道を、引かれるままに歩きながら、すんすんと初夏の風を嗅ぐ。
レーシアス家の中庭は、あまり手入れされていないのか、伸びきった雑草が小道の所々に飛び出していた。
だが、そこから香る青臭さや、湿った土の匂いが、トワリスは嫌いではなかった。
柔らかな陽光を受けて、朝露を光らせる潅木(かんぼく)の並びを通りすぎると、白壁の小さな宿舎が姿を現した。
レーシアス家に仕える独り身の使用人達は、この宿舎で寝泊まりしている者が大半だ。
トワリスもまた、サミルに引き取られてからは、ここで生活していた。
といっても、トワリスは使用人ではないので、本来ならば、孤児院に送られるべきなのだろう。
それなのに送られないのは、やはり、獣人混じりであることを懸念されているに違いない。
サミルも、ルーフェンも、「君は獣人の血を引いているから」なんてことは一言も言わなかったし、彼らに限らず、レーシアス家の者は皆優しかった。
けれど、まだ人間らしい生活に慣れていないトワリスを、子供が多くいる孤児院にいきなり入れるのは、流石に不安だと思われているようだった。
門を潜ろうとすると、ちょうど、夜番を終えたロンダートが、同じく宿舎に入ろうとしているところだった。
ロンダートは、ミュゼとトワリスに気づくと、ぴっと背筋を伸ばした。
「あっ、おはようございます!」
おはよう、とミュゼが答えて、軽く会釈する。
体格の良いロンダートが、ミュゼに畏まっているのは、なんだか不思議な光景であったが、ミュゼはどうやら、一介の家政婦であるにも拘わらず、レーシアス家においてかなりの権力を持っている人間らしかった。
一見、屈強な自警団の男たちの方が強そうなのだが、この前ミュゼは、「今晩ご飯抜きにするよ!」の一言で、彼らを黙らせていた。
この屋敷で一番地位が高いはずのサミルとルーフェンも、ミュゼが本気で怒り出すと、言うことを聞く場合が多い。
おそらくミュゼは、レーシアス家で最強の生物なのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.39 )
- 日時: 2018/07/30 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)
まじまじと二人の顔を見上げていると、ロンダートがにやりと笑って、トワリスの顔を覗き込んできた。
「トワリスちゃんも、少し見ない内に、随分可愛らしくなったなぁ! 最初の方は、とんだ野猿だと思ってたけど。……あ、猿じゃなくて、人狼族なんだっけ?」
「…………」
返事をせず、警戒したように一歩引く。
するとロンダートは、少し困ったように眉を下げた。
「あはは、やっぱり俺は駄目かぁ。サミル先生──じゃなくて、陛下と召喚師様には、べったりなのになぁ」
「まあ、あのお二人は甘いからね」
嘆息して、ミュゼが諭すように言う。
「でも、トワリスちゃん。いくら優しくしてくれるからといって、陛下や召喚師様に気軽に会いに行ってはいけないよ。あの二人は、お忙しいんだから。サミルさんだの、ルーフェンさんだの、そんな呼び方をするのも駄目。ちゃんと、陛下と召喚師様ってお呼びするの。分かったかい?」
「…………」
「返事は?」
「……はい」
素直にうなずくと、ミュゼは、ようやく満足したようだった。
そのやりとりを見ながら、けらけらと笑うと、ロンダートが口を開いた。
「いやぁ、でも、実際呼びづらいですよね。アーベリトが正式に王都になって、召喚師様がうちに来てから、もう二月くらい経つけど、俺も、未だにサミル先生のことを陛下って呼ぶのは慣れないですもん。世間がアーベリトを認めてくれたのは嬉しいけど、なんか、サミル先生が遠い存在になっちゃったみたいで、少し寂しいや」
その言葉に、ミュゼは呆れたように答えた。
「なにを言ってるの。陛下は、即位なさる前から、立派な領主様だったでしょう。十分敬うべきお方でしたよ。ロンダート、あんたもいつまでも浮かれていないで、びしっとしな。特に召喚師様は、シュベルテから来たお方なんだから、アーベリトのゆるーい乗りで話しちゃ失礼よ」
「ははっ、ごもっとも」
後頭部をぽりぽりと掻きながら、ロンダートは言った。
「召喚師様に関しては、俺ももうちょい、畏まらなきゃなぁって思ってるんですよ。話してみると案外気さくだから、ついこっちも気が緩んじゃうんですけど、あの人は、本当に天才だもん。まだ短期間だけど、一緒に仕事してて、改めてそう思いましたよ。あれで十五歳っていうんだから、恐ろしいよなぁ」
しみじみと呟いたロンダートに、トワリスは、首を傾げた。
「てんさい……?」
「そう、天才。なんでもできちゃう、すごい人ってことさ。召喚師様に任せておけば、俺達なんていなくても、アーベリトは安泰だなぁって思っちゃうよ」
苦笑しながら頷いて、ロンダートが答える。
その無責任な発言に、顔をしかめつつ、ミュゼも同調したように頷いた。
「確かに、このアーベリトが財政破綻を切り抜けられたのも、召喚師様とリオット族のお力が大きいしね。やっぱり、召喚師一族っていうのは、私達とは住んでる世界が違うんでしょう」
盛り上がり始めたロンダートとミュゼの話を聞きながら、トワリスは、ふとルーフェンの姿を思い浮かべた。
雪のような銀の髪と瞳に、陶器のような白い肌。
どこをとっても人形のようで、その精巧さには、冬の湖面の如き冷たさすら感じるのに、いざ目が合うと、彼が浮かべるのは穏和な微笑で──。
あの笑みを思うと、なんだか胸の奥に、じんわりと温かいものが広がるのだった。
(ルーフェンさんって、そんなにすごい人なんだ……)
息を乱して、地下の独房まで駆けつけてくれた、あの時の光景が蘇る。
確かにルーフェンは、強くて優しい人なのだと思う。
どこか普通とは違う、神秘的な空気の持ち主だというのも分かる。
だがトワリスは、まだ会って間もないから、実際のところルーフェンがどんな人物なのか、よく分からなかった。
(住んでいる世界が、違う……?)
ふいに、目の前を通りすぎた蝶が、花を探してひらひらと舞っている。
ミュゼの手を握ったまま、トワリスは、その様をじっと見つめていたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.40 )
- 日時: 2018/08/02 19:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
治療を終え、ようやくミュゼから解放されると、トワリスは、再び屋敷の本邸へと訪れた。
少し前までは、ずっと寝台の上にいたのだが、今は、身体も十分動かせるようになったので、日中は自由にしている。
日によっては、食事の仕度や洗濯など、ミュゼの家政婦としての仕事を手伝うこともあったが、今日は何も言いつけられなかった。
自由にしている、といっても、屋敷内をうろついたところでやることがなかったし、知らない人間と関わるのも躊躇われたので、行く場所は限られていた。
大抵、サミルかルーフェン、あるいはダナのところである。
なんとなく彼らを訪ねて、ただじっと、その仕事風景を眺めているだけであったが、それでも、包み込んでくれるような彼らの優しさに触れていると、なんだか安心できるのだった。
(……ルーフェンさんに、会いに行っちゃ駄目かな)
先程、サミルやルーフェンには、気軽に会いに行くな、とミュゼに言われたことを思い出す。
確かに、ルーフェンたちはいつも忙しそうにしているし、頻繁に会いに行くのは、迷惑だろうかと思うときもあった。
だが、このまま屋敷内を探索していてもつまらないし、別に自分は、仕事の邪魔をしに行く訳ではない。
ただ、一人でいるより、信頼できる誰かと一緒にいたいだけなのだ。
どうするか迷いながらも、結局トワリスは、図書室に向かっていた。
ルーフェンは大体、昼間は、執務室で事務仕事をしているか、図書室で調べものをしている。
しかし最近は、部屋の行き来をする余裕もないのか、図書室で調べものをしながら、その場で書類と睨み合いをしているのだ。
高確率で彼が図書室にいるということを、トワリスは知っていた。
長廊下を進み、物音を立てないように、図書室の入り口に近づく。
そして、そっと扉を押し開くと、トワリスはその隙間から室内を覗いた。
いつもなら、これだけでルーフェンが気づいて、声をかけてきてくれる。
だが今日は、トワリスが図書室に入っても、ルーフェンの声は聞こえてこなかった。
(執務室の方だったかな……)
予想が外れたか、と踵を返す。
しかし、その時ふと、本棚の奥の机で、ルーフェンが俯いたまま椅子に座っているのを見つけた。
ルーフェンは、書きかけの書類を前に、眠っているようだった。
(寝てたから、私に気づかなかったんだ……)
起こさないように静かに歩み寄って、ルーフェンの顔を覗き込む。
その顔は、やはり彫刻のように整っていて、微かに漏れる呼吸音でさえ、作り物めいていた。
しかし、よくみれば、その表情の奥には、疲れが滲んでいるようにも見える。
あるいは、長い白銀の睫毛が、目元に濃い陰を落として、それが隈のように見えたせいもあるのかもしれない。
こんな風にルーフェンが眠っているところを見るなんて、初めてであった。
ルーフェンは、日中は外部に赴いたり、部屋で事務仕事をしているし、夜は、自警団の者たちと行動していたりする。
まだ出会って間もないけれど、ルーフェンがほとんど寝ずに生活していることは、なんとなく分かっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.41 )
- 日時: 2018/08/04 19:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: YJQDmsfX)
(なんでもできちゃう、すごい人……)
ロンダートは、ルーフェンをそう称して、彼に任せればアーベリトは安泰だ、と言っていた。
けれど、天才というものは、寝ずに働き続けても大丈夫なものなのだろうか。
いつも穏やかに笑っていて、人前では疲れなんて微塵も見せていないように思えるルーフェンだったが、ふとした瞬間に、その表情が翳(かげ)る時がある。
ルーフェンと常に行動を共にしている者は少ないから、気づかれないのかもしれない。
だが、ルーフェンのそばにいることが多くなっていたトワリスは、最近、疲労の滲んだ彼の横顔を見ることが多くなっていた。
トワリスは、しばらくの間、ルーフェンの寝顔をじっと見つめていた。
しかし、やがて、ルーフェンの向かいの席に腰かけると、積み上がっている書類の一枚を手に取った。
ルーフェンを疲れさせている原因の一つは、これだ。
処理しても処理しても減らない、この大量の書類。
しかし、手に取ってみたところで、文字の読めないトワリスには、その書類に何が書かれているのか、さっぱり分からなかった。
横にしても、逆さまにしても、それは変わらない。
書類には、眺めていると頭がくらくらしてくるほどの、小さな文字がぎっしり並んでいた。
「……何してるの?」
突然、ルーフェンに話しかけられて、びくりと目をあげる。
いつの間にか目を覚ましたであろうルーフェンは、眠気を払うように首を回してから、トワリスを見た。
「そんなの、見ても面白くないでしょ?」
言って、トワリスから書類を取り上げようと、ルーフェンが手を伸ばしてくる。
けれど一瞬だけ、トワリスの様子を伺うように、その手が止まった。
その間に、自分から書類を手渡すと、ルーフェンはそれを受け取ってから、少し嬉しそうにトワリスの頭を撫でた。
自分より高い位置から手を伸ばされると、思わず警戒してしまう癖は、近頃、ほとんどなくなりつつあった。
奴隷だった頃は、手が伸びてくると、次の瞬間には殴られたり、叩かれたりすることが日常だった。
だから、伸ばされた手には反射的に噛みついていたし、その癖のせいで、ルーフェンの腕を噛み跡だらけにしたこともある。
ルーフェンは、痛いことなどしてこないと理解した後も、その癖はなかなか消えず、しばらくは、手に対する怯えに悩まされたものだ。
もう一生、この癖は治らないのだろう、とさえ思っていたのだが、それでも、毎日優しく接してくれたサミルやルーフェンのおかげで、かなり改善されてきた。
手を握られるくらい、全く気にならなくなったし、頭を撫でられても平気になった。
今でも、急に触られたりすると身構えてしまうことはあったが、あれほど恐ろしかった手というものに、もう嫌悪感はなくなっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.42 )
- 日時: 2018/08/08 19:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
「……お仕事、いつ終わるんですか?」
さっきまで眠っていたのが嘘かのように、きびきびと書類整理を始めたルーフェンに、トワリスは尋ねた。
すると、ルーフェンは困ったように笑んで、冗談っぽく答えた。
「さあ? 俺が聞きたいくらいだね。余計な仕事を増やすシュベルテの連中に、文句でも言ってみようか?」
ルーフェンは、くすくすと笑っていたが、トワリスは真剣だった。
「これ以上お仕事したら、ル……召喚師様、倒れちゃうと思います」
強めの口調で言うと、ルーフェンが、少し驚いたように瞬く。
しかしそれは、トワリスが言ったことに対して、というよりは、召喚師様、と呼ばれたことに対して驚いているようだった。
これまでトワリスは、ルーフェンのことを、ルーフェンさん、と呼んでいたのだ。
急に呼び方を変えられて、不思議に思ったらしい。
そのことを察すると、トワリスは、口の中で答えた。
「えっと……ミュゼおばさんが、ちゃんと、召喚師様って呼ばないと、駄目って言ってたから……」
「ああ、なるほど」
納得したように頷いて、ルーフェンが肩をすくめる。
机にあった本を数冊持って、椅子から立ち上がると、ルーフェンは言った。
「ミュゼさん、真面目だからね。俺は別に、呼び方とか気にしないし、むしろ、名前で呼ばれる方が新鮮だなと思ってたんだけど。……まあでも、世間体を考えると、もう少しちゃんとした方が良いのかな。アーベリトは、確かに色々と緩いから」
本棚に本を戻しながら、ルーフェンが苦笑する。
次いで、トワリスの方に振り返ると、ルーフェンは尋ねた。
「トワリスちゃんは、どっちの方が呼びやすい?」
「…………」
迷った様子で視線を落として、トワリスが黙りこむ。
ややあって、顔をあげると、トワリスは躊躇いがちに答えた。
「……ルーフェンさん、のほうが慣れてたけど、ちゃんとした方が良いなら……召喚師様って呼びます」
「そう?」
問い返されて、戸惑ったように口ごもる。
ルーフェンは、そんなトワリスの反応を面白がって、ひょいと眉を上げた。
「じゃあ、こうしようか。普段は名前で呼んで、ミュゼさんの前とか、ちゃんとした場では、召喚師の方で呼ぶの」
「……じゃあ、今は、ルーフェンさん?」
「うん、そう」
ルーフェンは、微かに目を細めると、しーっと人差し指を唇に当てた。
「ばれたら、また怒られちゃうかもしれないから、名前で呼んでることは、秘密だよ?」
「……ひみつ?」
「そう、秘密。周りには言っちゃ駄目ってこと」
「……うん」
トワリスがこくりと頷くと、ルーフェンは、再びおかしそうに笑って、席に戻ってきた。
それから、羽ペンを手に取ると、またいつものように書類と睨み合いを始める。
文字を目で追っては、何かを書き込み、次の書類を読んでは、また何かを書き込む。
ひたすらその作業を繰り返すルーフェンを、食い入るように見つめていると、ルーフェンは、どこかやりづらそうに眉を下げた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.43 )
- 日時: 2018/08/11 19:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
「……そんなに見つめられたら、俺、穴空いちゃうよ」
「え!?」
途端、真っ青になったトワリスに、思わずルーフェンが吹き出す。
急いで手を顔の前で振ると、ルーフェンは謝った。
「いや、ごめん。今のは、言葉の綾ってやつだけど。そんなに見つめられたら、落ち着かないよって意味」
「……す、すみません」
視線をルーフェンから外して、トワリスが俯く。
ルーフェンは、手元の書類を一瞥してから、トワリスのほう見た。
「さっきも書類を見てたけど、なんか気になることでもあるの?」
「…………」
言葉がうまく見つからないのか、もごもごと口を動かしながら、トワリスは下を向いている。
ルーフェンは、頬杖をつくと、空いている手でペラペラと書類を振って見せた。
「本当、面白いものじゃないよ。ただの報告書だもん」
「報告……?」
首を傾げて、トワリスが聞き返す。
ルーフェンは首肯すると、持っていた報告書を、処理済みの山に適当に放った。
「シュベルテの魔導師たちが、この地域でこんな事件がありましたよーって報告してくるから、俺はそれを読んで、分かりましたって署名してるんだよ」
「署名、してる……」
繰り返し呟いて、トワリスは、何やら考え込むように目を伏せた。
それから、ルーフェンの顔をじっと見つめると、口を開いた。
「……名前、書けたら、そのお仕事、私にもできますか?」
思わぬ質問に、ルーフェンが目を見開く。
少し困ったように笑って、ルーフェンは言った。
「……どう、かな。ただ名前を書くだけ、ってわけでもないから。だけど、トワリスちゃんだって、文字を覚えれば、名前を書いたり、文を読んだりすることは出来るようになるよ。……やってみる?」
「……うん」
返事をすると、ルーフェンは引き出しから新しい羽ペンを取り出して、トワリスに渡した。
そして、古い処理済みの報告書の中から、適当にいらない用紙を引っ張り出すと、自分の羽ペンを握って、それをインク壺に浸した。
「じゃあ、まずは名前からね」
言いながら、壺の縁で余計なインクを落とすと、ルーフェンは、さらさらと紙に文字を書き出した。
手の動きに合わせて、紙面に綺麗な黒い線が走る様は、それこそ魔術のようで、トワリスは息をするのも忘れて、じっと眺めていた。
書き終わると、ルーフェンは、その紙をトワリスに向けた。
「はい。これが、トワリスちゃんの名前ね。左から、ト、ワ、リ、ス」
「名前……」
しみじみと呟くトワリスに、にこりと笑みを浮かべると、ルーフェンは、別の紙とインク壺を、トワリスの前に置いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.44 )
- 日時: 2018/08/14 18:17
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
「真似して、書いてごらん。最初は上手く書けないかもしれないけど、焦らなくていいから」
こくりと頷いてから、意を決して、羽ペンを握る。
しかし、その瞬間、手の中でばきっと音がして、トワリスは硬直した。
恐る恐る手を開くと、羽ペンは、掌の中で真っ二つに折れていた。
「…………」
動かなくなったトワリスに、ルーフェンがぷっと笑う。
再び新しい羽ペンをトワリスに渡すと、ルーフェンは優しい口調で言った。
「ちょっと強く握りすぎかな。そんなに力まなくても、文字は書けるから」
ごめんなさい、と一言謝罪して、今度は、やんわりと羽ペンを握る。
そして、インク壺にペン先を浸すと、ルーフェンの真似をして、縁で余分なインクを落とした。
だが、いざ書こうとすると、ぼたっと紙面にインクが垂れる。
落ちたインクの水溜まりは、あっという間に広がって、紙を真っ黒に汚してしまった。
それでも諦めず、ルーフェンが書いてくれた手本を見ながら、一生懸命羽ペンを動かす。
しかし、ペンは紙面でつっかかってうまく動かないし、書いた文字はじわじわとにじんで、文字というよりは、なんだか気味の悪い模様のような代物が出来上がった。
次は、インクをあまりつけずに試してみたが、そうしたら文字は掠れるし、おまけに大きさもばらばらで、不揃いだ。
何度やっても、ルーフェンのような綺麗な黒い線が書けないので、だんだん悲しくなってきた。
ルーフェンは、事務仕事を再開しながら、しばらくは、悪戦苦闘するトワリスを眺めていた。
しかし、徐々にトワリスの目に涙がたまってくると、苦笑しながら席を立った。
「焦らなくて大丈夫だってば。今日が初めてなんだし」
トワリスの後ろに回って、ルーフェンが背後から手を伸ばす。
羽ペンを握るトワリスの手に、自分の手を重ねると、ルーフェンはペン先の動きを導いた。
「ペンを握るときも、書くときも、もっと軽い力でいいよ。こうやって、紙面を撫でるみたいに書くんだ」
「…………」
説明を飲み込もうとしているのに、ルーフェンに手を握られた途端、急に緊張してきて、心臓がどくどくと脈打ち出した。
必死に集中しなければ、と思うのだが、一回り大きい、ひんやりとしたルーフェンの手の感触が気になって、それどころではない。
匂いや声が近くて、振り向いたらぶつかってしまうくらい、すぐ後ろにルーフェンがいる。
今までは、そんなこと気にならなかったのに、いざ意識し出すと、突然胸の中が落ち着かなくなってしまった。
「……トワリスちゃん? 聞いてる?」
いきなりルーフェンに顔を覗き込まれて、かっと頬に血が昇る。
羽ペンを持ったまま、勢いよく椅子から飛び退くと、トワリスは床に転げ落ちた。
「だ、大丈夫?」
トワリスの突然の行動に驚いて、ルーフェンが瞠目する。
トワリスは、慌てて立ち上がると、ルーフェンから目をそらしたまま、小さな声で言った。
「あ、あの……もう、いいです」
「え?」
聞こえなかったのか、ルーフェンが問い返して、一歩近づいてくる。
トワリスは、素早く机上の書き損じた紙と、ルーフェンが書いてくれた手本を取ると、それを胸に抱いて、か細い声で続けた。
「お仕事の、邪魔になっちゃいますし、いいです……。名前、書けるようになるまで、一人で練習します……」
それだけ言うと、まるで逃げるように図書室から走り出す。
ルーフェンは、ぽかんとしてその様を見ていたが、出ていったトワリスを、追いかけることはしなかった。
というより、追いかけたところで、捕まえるのは至難の業だろう。
手のかかる妹を抱えたような気分で、ルーフェンは、肩をすくめたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.45 )
- 日時: 2018/08/17 19:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
図書室を後にしたトワリスは、人目につかない宿舎に戻ろうと、吹き抜けの長廊下を駆けていた。
文字を教えてほしい、と頼んだのは自分だが、せめて名前くらいは、整った文字で書けるようになるまで、ルーフェンの元に戻りたくなかった。
下手くそな文字を見られるのは恥ずかしかったし、あんな風に近くで教えられていたら、緊張で心臓が口から飛び出してしまう。
長廊下の角に差し掛かったとき、前から歩いてきた人影に気づくと、トワリスは慌てて足を止めた。
やって来たのは、サミルとダナである。
サミルは、飛び出してきたトワリスを咄嗟に受け止めようとして、しかし、彼女が上手く立ち止まったのを認めると、ほっと息を吐いた。
「おやおや、どうしたんです。そんなに真っ黒な姿で」
言われて初めて、自分の全身を見てみる。
今まで気づかなかったが、トワリスの腕や服には、所々インクが付着していた。
まだ乾いていない、書き損じの紙を抱き締めて走ってきたため、いつの間にか、インクが服に移ってしまったようだ。
サミルは屈みこむと、袖でトワリスの腕についたインクを拭って、苦笑した。
「文字の練習をしていたんですか?」
トワリスが持っている用紙を見て、サミルが問いかけてくる。
頷いた後、紙を差し出すと、トワリスは尋ねた。
「……サミルさんも、文字、書けますか?」
「ええ、書けますよ」
朗らかに答えたサミルに、トワリスが表情を明るくする。
サミルも文字を書けるなら、他の者達の名前の綴りも、今ここで教えてもらおうと考え付いたのだ。
折角練習するのだから、自分の名前だけではなくて、ルーフェンやサミルの名前も書けるようになりたい。
しかし、トワリスがお願いをする前に、走り寄ってきた使用人の一人が、サミルに声をかけた。
「失礼いたします、陛下。セントランスから、目通りを願いたいと言う者が」
「ああ、はい。分かりました……」
振り返って、サミルが立ち上がる。
サミルは、申し訳なさそうに眉を下げると、トワリスの肩にぽんと手を置いた。
「すみません、また今度お話しましょう。名前、書けるようになったら、是非見せてくださいね」
「……はい」
差し出した紙を引っ込めて、トワリスが首肯する。
サミルは、ダナとトワリスをそれぞれ見やってから、使用人を連れ立って、早々に歩いていってしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.46 )
- 日時: 2018/08/19 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
不満げに眉を寄せて、サミルを見送っていると、苦笑したダナが、トワリスの近くに寄ってきた。
「どれ、トワリス嬢。文字ならわしが教えてあげよう。それとも、サミル坊にしか頼めないお願いでもあったかい?」
「…………」
黙ったまま、じーっとダナの顔を見上げる。
少ししてから、ふるふると首を横に振ると、トワリスはダナの袖をくいっと握った。
「……ダナさんも、文字、書ける? ルーフェンさんとか、サミルさんとか、ダナさんの名前の書き方も、教えてほしいです」
ダナは、微笑ましそうに顔を緩ませて、頷いた。
「ああ、良いとも」
懐から手帳と鉛筆を取り出して、ダナがルーフェンたちの名前を書いてくれる。
その字は、ルーフェンのものとはまた違う、勢いのある特徴的な字であったが、その闊達(かったつ)さが、なんともダナらしいと思えた。
「ほれ、こっちがサミル坊。こっちが、召喚師様の名前、最後がわしの名前じゃよ」
破られた手帳の用紙を受け取って、三人の名前をまじまじと見つめる。
サミル・レーシアス、ルーフェン・シェイルハート、ダナ・ガートン。
三人とも姓があるので、トワリスの名前よりも、ずっと多くの文字が並んでいる。
小さくため息をつくと、トワリスは不安げに呟いた。
「私、文字、書けるようになるかな……」
ほほほ、と笑って、ダナが答える。
「なーに、読み書きなんてのは、慣れじゃよ。きっとすぐに書けるようになるさ」
「……でも、さっき図書室で練習したけど、全然上手に書けませんでした」
唇を尖らせて、トワリスは俯いた。
「折角ルーフェンさんが教えてくれたのに、なんか……急に緊張してきて、胸がばくばくして、集中できなかったから……。私、文字書くの、向いてないのかなって……」
「…………」
つかの間沈黙して、ダナが瞬く。
やがて、ぶほっと吹き出すと、ダナはトワリスの髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「そうかそうか、トワリス嬢は、おませさんだのう。……いや、十二というと、そういう年頃か」
訝しげに眉を潜めて、トワリスが首を傾げる。
ダナは、何でもない、という風にもう一度笑った。
「じゃが確かに、無理矢理早く覚えようとしても、つまらんだろう。わしが子供の頃なんかは、絵本を読みながら覚えとったがの」
「絵本?」
「そう。子供向けの物語だよ」
ダナは、懐かしそうに目を細めた。
「わしが子供の頃の話だから、もう何十年も前の話になってしまうが、『創世伝記』という絵本が流行っておってな。『導き蝶(ユリ・ファルア)』と呼ばれる不思議な蝶を引き連れた男が、暗雲立ち込める終わりの世を旅し、やがて、地の底に眠る再生の竜を呼び覚まし、世界を救う、という……まあ、今思えばありきたりな物語なんじゃが、当時の子供たちは夢中になって読んだものだよ。わしもその一人だったからのう、続きが気になって読む内に、いつの間にか文字なんて覚えておったわい」
「…………」
嬉しそうに語るダナを眺めながら、トワリスは、ルーフェンが扱っていた難しそうな書類の文字列を思い浮かべた。
別に絵本に興味がないわけではないが、子供向けの物語なんて読んでいても、きっとあの書類は読めるようにならないだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.47 )
- 日時: 2018/08/21 19:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
不満げに眉を寄せると、トワリスは言った。
「……でも私は、絵本なんかより、もっと難しい文章も、早く読み書きできるようになりたいです」
意図を問うように、ダナが眉を上げる。
トワリスは、ダナを見つめて、袖を握る手に力を込めた。
「私、ルーフェンさんや、サミルさんのお仕事、お手伝いしたい」
ダナの目が、微かに大きくなる。
トワリスは、サミルが去っていった方向に視線を動かした。
「皆が二人のことを頼りにしていて、きっと、ルーフェンさんやサミルさんは、本当にすごい人たちなのだと思います。でも、なんだか最近、とっても疲れた顔してる……。私、二人に助けてもらったから、どうやったら恩返しできるか、ずっと考えていました。でも今の私じゃ、何も出来ないから、まずは、早く読み書きできるようになって……ルーフェンさんのお仕事、お手伝いしたいんです」
「…………」
ダナは、しばらく黙って、トワリスのことを見つめていた。
だが、少し悲しそうに眉を下げると、しゃがみこんで、トワリスと目線を合わせた。
「……お前さんは、よく見てるのう」
言ってから、一度言葉を止める。
ダナは、少し迷ったように口ごもってから、再度唇を開いた。
「……サミル坊はな。今でこそ古参の医師だが、昔っから、緊張するとすぐ腹を壊すような若造だった。召喚師様も、まだほんの十五歳じゃ。いかに突出した才能を持っていようとも、たった二人で支えきれるほど、国の中心なんてもんは、軽くない」
小さく嘆息して、ダナは続けた。
「それでも、アーベリトを王都にしたのは、二人が選んだ道じゃ。自分達で選んだのだから、多少は無理もするじゃろうて。わしらは、その無理が祟らんように、しっかり見ていてやろうな」
「……うん」
自分のやろうとしていることが認められた気がして、トワリスは、心なしか顔つきを明るくした。
何も出来ない奴隷身分だった自分が、国を背負って立つルーフェンたちを手助けしようなんて、おこがましいと否定されるかもしれないと思っていたからだ。
確かに、ミュゼやロンダートが言うように、自分とルーフェンたちとでは、住む世界が違うのかもしれない。
でも、だからといって、何の力にもなれないわけではないはずである。
ぽんぽんとダナに頭を撫でられて、トワリスは、嬉しそうに目を細めたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.48 )
- 日時: 2018/08/23 19:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Dbh764Xm)
* * *
夏から秋になる頃には、トワリスもレーシアス家に馴染み、ほとんどの使用人たちと顔見知りになっていた。
王都となり、かつてないほどの賑わいを見せるようになったアーベリト。
王宮と呼ぶにはふさわしくない、小さなレーシアス家の屋敷には、トワリスが来た頃よりもずっと多くの人間が出入りするようになっていたが、それでも、深刻な人手不足は相変わらずであった。
アーベリトには、政に精通する者が少なく、武力面でも、小規模な自警団が存在するだけなのである。
必要最低限の人材は、シュベルテやハーフェルンからも引き入れたが、それ以上の介入を、ルーフェンは決して認めていなかった。
他所では、未だアーベリトの台頭を良く思っていない者が多く、また、イシュカル教徒の不穏な動きも活発化していたからだ。
リオット族の地位を向上させ、アーベリトを王都としたルーフェンの強引な政策は、称賛を得る一方で、反感を買っているのも確かであった。
その動きは、特にシュベルテで顕著であり、アーベリトや召喚師への不信感を募らせていく者は、水面下で増えているようであった。
シュベルテやハーフェルンとは、協力体制をとっているとはいえ、このような状況下で、外部の者を引き入れたくない。
そんなルーフェンの考えを、レーシアス家の者達は理解していたし、サミルやルーフェンの決定に、反論する者はいなかった。
しかし、独力で国の基盤となっていくには、やはりアーベリトの人間たちだけでは、力不足なのであった。
目まぐるしく過ぎていく日々の中で、トワリスも、レーシアス家の一員として、忙しない生活を送っていた。
朝早くに起きて、ミュゼと共に屋敷内の家事全般を行うのが、最近のトワリスの仕事だ。
最初は、家事なんかより、直接サミルやルーフェンの仕事を手伝いたいと思っていたが、“家事なんか”という認識が、そもそも間違っていることに気づいた。
ミュゼを含む使用人たちが、身の回りの世話をしなければ、おそらくルーフェンたちは死ぬだろう、というくらい、彼らには生活力がなかったのである。
身分からして家事なんてしたことがないとか、時間がないことも原因の一つであろうが、特にルーフェンは、放っておくと食事も忘れるし、しょっちゅう積み重なった本の中で寝ている。
折角片付けてあげた部屋を、たった一晩で元通りにされた時は、流石に腹が立ったものだ。
屋敷の者達は、「召喚師様はお忙しいから仕方がない」と苦笑していたが、トワリスは、納得がいかなかった。
サミルや自警団の者達は、徹夜ばかりしている点を除けば、まだまともな生活を送っていた。
しかし、ルーフェンに関しては、本当にひどかったのである。
とはいえ、一方的に世話になっているだけだった自分が、役に立てていることは嬉しかった。
ただ、偉くてすごい人なのだろう、としか認識していなかったルーフェンが、実は生活能力が皆無だったと知って、少し安心したような気もする。
それに、働くことで屋敷の者たちが褒めてくれると、今まで経験したことがない、やりがいというものを感じたのだった。
朝から晩まで働いて、沢山の仕事を覚えていく内に、いつしか、奴隷だった頃の記憶は、トワリスの中で薄くなっていった。
それでも、夢見の悪い夜には、当時の鮮烈な痛みが蘇ることがある。
背中に残る奴隷印と同様に、その痛みを完全に消し去ることはできないのだろうし、今でも、真っ暗な空間にいるのは苦手だ。
耐え難い恐怖に襲われて、声を押し殺し、寝台の中で泣くこともあった。
長い時間泣いて、それでも寝付けないときは、サミルやルーフェンに会いに行くと、自然と気分が晴れる。
彼らは、トワリスが来れば、泣いていた理由など尋ねず、ただ気が紛れるようにと、様々な話を聞かせてくれたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.49 )
- 日時: 2018/08/25 19:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
空いた時間に勉強していく内に、文字の読み書きや、計算もできるようになった。
普段、ルーフェンが調べものをするときに使うような分厚い本は、知らない単語ばかり出てくるので、まだ読めなかったが、ダナが貸してくれた絵本はもうすらすらと読めるようになったし、他にも、街道に並ぶ店が何を売っているのか、いくらで売っているのか、そんなことも分かるようになった。
最初は、ただ模様が記されているだけのように見えた魔導書だって、簡単なものなら、理解できるようになった。
獣人の血が入っている故か、自分には少しの魔力しか備わっていない。
そう分かった後でも、世の万物を掌上で操る魔術の世界には、心動かされた。
半獣人の子供がレーシアス家にいるらしい、という噂は、既に街全体に広がっていて、時々ルーフェンやダナについて屋敷を出ると、道行く人に注目されることもあった。
皆、トワリスの狼の耳を見ると、興味津々といった様子で声をかけてきたが、それは決して侮蔑の眼差しなどではなかったので、怖いとは思わなかった。
それにトワリスは、街に下りるのが好きだった。
文字が読めるようになってからは、店先の看板を眺めるだけでも面白かったし、人混みは苦手だったが、人々の楽しげな雰囲気に触れるのは、嫌ではなかったのだ。
露店に並ぶ綺麗な装飾品や、繊細な刺繍が施された服にも、興味を引かれた。
欲しいわけではなかったので、気づかれないように、こっそり横目で眺めるだけであったが、それでも十分、幸せな気持ちになれたのだった。
そんなトワリスの穏やかな毎日に、翳りが差したのは、朱色に染まった木立の葉が、はらはらと落ち始めた時期であった。
夜もどっぷりと更けた頃、不意に目が覚めたトワリスは、水を飲もうと寝台から出た。
水甕(みずがめ)は、使用人たち共有の洗い場にある。
トワリスは、宮棚にある手燭を持つと、寝室を出て、洗い場のある一階へと向かった。
普段は見慣れた通路、部屋でも、夜の闇に沈むと、なんとも不気味に感じるものである。
トワリスは、足早に廊下を抜けると、洗い場へと入って、柄杓(ひしゃく)で水甕の水をすくって飲んだ。
この時期の水は、つーんと歯が痺れてしまうくらい冷たい。
冬になれば、もしかしたら貯め水なんて、あっという間に凍ってしまうかもしれない。
そんなことを考えながら、トワリスは、そっと水甕の蓋を閉じた。
──その時だった。
不意に、どこからか、何かがどさりと倒れるような音がした。
硬いもの同士がぶつかるような、無機質な音ではない。
どこか生々しく、そして、耳の良いトワリスでなければ、聞き逃してしまいそうなほど微かな音だ。
思わずびくりと肩を震わせて、トワリスは顔をあげた。
真夜中であろうとも、夜番の自警団員たちは、屋敷を見回っている。
だから、物音がするくらい、珍しいことではなかったのだが、それでも、何か嫌な予感を覚えたのは、濃い血臭が鼻をついたからだろう。
恐る恐る洗い場を出て、物音がした方へと、廊下を歩いていく。
やがて、宿舎の玄関口まで来ると、トワリスは、自警団員の男が床に倒れているのを見つけた。
うつ伏せになっていたので、はっきりと誰なのかは伺えない。
だが、レーシアス家に仕える自警団員である以上、顔くらいは見たことがあるはずだ。
きっと、先程の音は、この男が倒れたときの音だろう。
「お、おじさん……?」
小さく声をかけてみるも、男はぴくりとも反応しない。
呑気に寝ている訳ではないことくらい、男から発せられる濃厚な死の臭いで、すぐに分かった。
「どうしたの……? 大丈夫、ですか……?」
手燭を床に置き、ゆっくりと手を伸ばして、男の肩に触れる。
揺すろうとして、しかし、手に生暖かい液体が付着した瞬間、トワリスは腰を抜かした。
──血だ。
男は、肩口から腰にかけて、背を斬られていたのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.50 )
- 日時: 2018/08/27 18:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Bf..vpS5)
背筋が、すうっと冷たくなった。
自分の手にべったりとこびりついた鮮血に、トワリスの身体が、がたがたと震え始める。
死んで捨てられた奴隷なら、見たことがあった。
けれど、こんなにも近くで、死んで間もない人間を見たのは初めてだ。
混乱する頭を整理する間もなく、扉の脇から、誰かが廊下に踏み入ってきた。
口元を布で覆った、全身黒装束の男だ。
男は、硬直してへたり込んでいるトワリスを見ると、 持っていた刃を、トワリスの喉元に突きつけた。
「……サミル・レーシアスはどこだ」
「…………」
首の皮が裂けて、ぷくりと血が垂れる。
動くことも、口を開くこともできず、トワリスは、ただ速くなっていく自分の呼吸音を聞いていた。
押し当てられた刃に、一瞬、昔に戻ったのかと思った。
自分はまだ、あの暗い独房の中で、痛みに怯えながら生活しているのではないか。
ルーフェンやサミルと出会ったのは、本当は、夢の中の出来事だったのではないか。
答えがないことに苛立ったのか、男が、刃を振り上げる。
その瞬間、トワリスの心は、闇の中に引きずり込まれた。
目をぎゅっと閉じて、その場に伏せる。
消えつつあった恐怖の記憶が、濁流のように押し寄せて、トワリスは完全に動けなくなった。
一度怖いと思うと、身体がすくんで、もう逃げようという気すらなくなってしまう。
「──トワリスちゃん!」
トワリスの硬直を解いたのは、切迫したミュゼの声だった。
同時に、鍋蓋を持ったミュゼが、凄まじい勢いで男に突進してくる。
男は、大柄なミュゼに突撃されて、一瞬怯んだようだったが、それでも、ミュゼは一介の家政婦に過ぎず、一方男は、武術の心得がある人間だ。
男は、あっという間にミュゼを押し返すと、後方に転んだ彼女に向けて、刃を構えた。
「おばさん……!」
咄嗟に起き上がって、トワリスが叫ぶ。
このままでは、自分をかばったせいで、ミュゼが殺されてしまう。
刃を振りかざした男を見て、トワリスの中で、恐怖よりも、どうにかしなくてはという思いが先行した。
刃を見て、駆け出す。
恐ろしくて、今まで目をそらしてきたものは、よく見れば、目で捕らえられる速さだった。
(私の方が、速い……!)
地を蹴ると、トワリスは男に飛びかかった。
刃が振り下ろされるよりも速く、その腕にしがみついて、親指の付け根に噛みつく。
人間離れしたトワリスの動きに、男は思わず呻き声を漏らすと、大きく手を振って、トワリスを殴り飛ばした。
「────っ!」
流石に力負けして、床に叩きつけられる。
背中を打ち付けた拍子に、嫌な咳が込み上げてきて、トワリスは思わず身を縮めた。
起きなければ、と思ったが、視界がぐらぐらと歪んで、上手く立てなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.51 )
- 日時: 2018/08/30 19:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Bf..vpS5)
先にトワリスを仕留めようと考えたのか、刃を向けて、男が近づいてくる。
しかし、その次の瞬間。
長廊下の奥から、慌ただしく足音が聞こえてきたかと思うと、今度は、駆けてきたロンダートが、男に斬りかかった。
咄嗟に反応した男が、後ろに跳びずさって、ロンダートの剣を避ける。
刹那、ロンダートが緊急事態を知らせるための非常笛を吹くと、階上がざわざわと騒がしくなり始めた。
騒ぎを聞き付けて、使用人たちが起き出したのだ。
大人数が集まってきては、流石に分が悪いと思ったのだろう。
男が踵を返して、宿舎から素早く走り出た。
ロンダートは、それを追おうとして、しかし、足を止めると、トワリスたちの方に戻ってきた。
「二人とも、大丈夫ですか!」
剣を納めて、ロンダートがミュゼを抱き起こす。
ミュゼは、腰を擦りながら立ち上がると、トワリスの方に歩いてきた。
「ええ、大丈夫、大丈夫……。私は、腰を打っただけよ。トワリスちゃんは?」
「……平気、です」
なんとか自力で立って、頷く。
ロンダートは、次いで、倒れた自警団員の脈を取りながら、 信じられない、といった顔つきで言った。
「なんなんだ、あいつ……。自警団員を殺してまで侵入してくるなんて、こんなこと、今までのアーベリトには、なかった……」
怯えた様子で、ミュゼもぎゅっと手を握る。
「お手洗いに降りて来たら、トワリスちゃんが襲われていたから、咄嗟に出ていっちゃったけど……あれは、ただの強盗ってわけでもなさそうだったわ。剣以外にも、沢山の小刀を腰に提げていたもの。殺し目的じゃなきゃ、あんな格好はしないはず……」
「…………」
三人の間に、沈黙が流れる。
トワリスは、ミュゼとロンダートの暗い表情を 見ながら、先程の男の言動を思い出していた。
そして、はっと顔をあげると、口を開いた。
「本邸……本邸に、行ってるかも……」
ロンダートたちの視線が、トワリスに向く。
トワリスは、強張った顔でロンダートにすがり付くと、早口で言った。
「さっきの男の人、サミル・レーシアスはどこだって、そう聞いてきたんです! もしかしたら、サミルさんのこと、狙ってるのかも……!」
ロンダートの顔が、さっと青くなった。
剣の柄を握ると、ロンダートは、二人に背を向けた。
「とにかく、ミュゼさんとトワリスちゃんは、宿舎に残っていてください! 鍵を閉めて、他の使用人たちも絶対に外に出ないように! あいつは、自警団でどうにかします!」
同じく蒼白な顔つきで頷くミュゼを尻目に、ロンダートが、外へと駆け出していく。
だが、そんなロンダートを追い越して、トワリスも宿舎の外に飛び出した。
慌てて呼び止めてくるミュゼの声を無視して、本邸の方に走り出す。
戦うことはできなくても、鼻の利く自分なら、誰よりも早くサミルのことを見つけられるはずだ。
あの黒装束の男よりも先に、サミルを見つけ、身の安全を確保できれば、きっと最悪の事態は免れる。
もし、宿舎にこもって守られている間に、サミルが殺されてしまったら──。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
宿舎と本邸を繋ぐ灌木の並びを抜けると、トワリスは、吹き抜けの長廊下に踏み入れた。
このまま廊下を突っ切って、角を曲がれば、サミルの部屋にたどり着く。
何事もなければ、サミルはそこにいるはずであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.52 )
- 日時: 2018/09/01 21:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
厚い雲が月を覆う、不気味な夜だった。
ざわざわと鳴る葉擦れの音を聞きながら、トワリスは、ひたすらに走った。
しかし、廊下を出て、角を曲がる直前、トワリスは足を止めた。
唸るような風が吹いて、流れた雲の隙間から、細い月が顔を出す。
その薄い月明かりに照らされて、目前に広がる庭園は、どこか幻想的に浮かび上がっていた。
草地は月光に縁取られ、柔らかな光を帯びていたが、そこに鞠のように転がる男達の死体は、血に汚れて沈んでいる。
ただ、その中に佇むルーフェンの銀糸だけが、異様なほど美しく、ゆらゆらと揺らめいていた。
「…………」
トワリスは、浅く呼吸しながら、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
ルーフェンを取り囲むように、男が四人、草地に倒れている。
その内の一人は、先程宿舎で、トワリスたちを襲った男であった。
かろうじて息があったのか、ふと宙を掻くように、男の一人が手を伸ばす。
それに気づくと、すっと目を細めたルーフェンが、口を開いた。
「……もう一度、聞こうか。あんたたち、どこから来た?」
聞いたこともないような、鋭い声。
ルーフェンは、まるでトワリスのことなど見えていないかのように、じっと這いつくばる男を見下ろしていた。
男は、しばらくの間、無言ではくはくと口を動かしていた。
それが、話そうとしているのではなく、舌を噛みきろうとしているのだと気づくと、ルーフェンは、男が提げていた剣を取って、何の躊躇いもなく、振り下ろした。
「────っ!」
肉を貫く嫌な音がして、男の喉から、血のあぶくが噴き出す。
必死に胸部に突き刺さった刃を掴みながら、男はびくびくと痙攣していたが、やがて、ルーフェンが剣を引き抜くと、糸が切れたように絶命した。
途端、強烈な金臭さと恐怖が押し寄せてきて、トワリスは口をおさえた。
そうでもしなければ、吐きそうだった。
目の前にいるのは、トワリスの知っているルーフェンではなかった。
纏っている空気も、声も、まるでいつもとは別人だ。
返り血を浴びても、表情一つ変えないルーフェンの暗い瞳には、殺戮を楽しんでいるような、狂気的な色さえ滲んでいるように見えた。
「──ルーフェン!」
不意に、サミルの声が響いてくる。
長廊下の角から、慌てた様子のサミルとダナが走ってくると、一瞬、我に返ったように、ルーフェンの目に光が戻った。
「サミルさん……」
垣間見えた凶暴な影は失せ、ルーフェンが呟く。
サミルは、眼前に広がる凄絶な光景に、一瞬、たじろいで立ち止まったが、ルーフェンを一瞥して、それからトワリスの方を見ると、ほっと息を吐いた。
「良かった、無事でしたか……」
怪我がないか確かめるように、トワリスの腕に触れて、サミルがルーフェンに向き直る。
ルーフェンは、そんなサミルを見つめて、散らばる骸(むくろ)の中心に立ったままでいた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.53 )
- 日時: 2018/09/04 19:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
ややあって、必死にトワリスを追いかけてきたらしいロンダートが、息を切らしながら合流した。
「いっ、今、どういう状況ですか……!」
おそらく、全員が事態を飲み込めていない中で、自然と、視線がルーフェンに集まる。
ルーフェンは、目を伏せてから、足元で息絶えている男たちを示した。
「……サミルさんを狙った、襲撃です。どこから来たのか吐かせようとしたんですが、口を割りませんでした」
淡々と告げて、持っていた剣を、その場に捨てる。
剣は、持ち主の男の死体から、のろのろと流れ出る血の海に落ちて、どす黒く染まっていった。
サミルは、眉を寄せると、ゆっくりとルーフェンに近づいていった。
「大丈夫なんですか……?」
サミルの問いかけに、ルーフェンが頷く。
「……はい、もう心配ないと思います。幸い、この屋敷で働いている人達は全員顔見知りだし、残党が潜んでいたとしても、すぐに見つかる。このあと、一度屋敷の人達を集めましょう。もし不審な奴がいたら、すぐに俺が始末して──」
「──そうではなくて……!」
ルーフェンの肩を掴んで、サミルが声を荒げる。
言葉を止めたルーフェンに、サミルは、悲しそうに目元を歪めた。
「君は、大丈夫なんですか……?」
「…………」
ルーフェンの目が、微かに見開かれる。
驚いたのか、しばらくそのまま黙っていたが、やがて、微かに俯くと、ルーフェンはくすくすと笑い出した。
「やだな、俺が負けると思ったんですか? こんな奴等、殺すのは簡単だ。侵入に気づいてさえいれば、もっと早く片付けられた」
サミルが、顔つきを厳しくする。
一瞬、元に戻ったかのように思われたルーフェンの瞳は、興奮した獣のように、爛々と光っていた。
口調こそ普段通りだが、やはり、ルーフェンの様子がおかしい。
サミルも、ダナも、ロンダートも、訝しげに眉を潜めて、ルーフェンのことを見つめている。
ルーフェンに対する得体の知れない恐怖を感じていたのは、トワリスだけではないようであった。
「召喚術を、使ったんでしょう……?」
ルーフェンの表情を伺いながら、サミルが、緊張した面持ちで尋ねる。
ルーフェンは、だからなんだ、とでも言いたげに、男達の死体を見下ろして、ほくそ笑んだ。
「使いましたが、使うまでもなかった。こいつら、どうせシュベルテかセントランス辺りの、野良魔導師かなんかでしょう。こんな雑魚、気にする価値もない」
「…………」
場の雰囲気が凍りついて、誰もが言葉を失う。
いつものルーフェンなら、こんなことは絶対に言わないはずだ。
残虐な空気を纏った今のルーフェンには、声をかけることすら躊躇われた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.54 )
- 日時: 2018/09/18 05:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
沈黙を破ったのは、ロンダートだった。
「……雑魚って言いますけど、宿舎を見張っていた自警団員は……。俺の、仲間は……一人、殺されました」
声を震わせながら、ロンダートは言った。
「俺達は、アーベリトを守る自警団だ。だから、こんなの言い訳にしかならないのかもしれないけど……。俺達は、全員、召喚師様みたいに強いわけじゃない。魔術だって使えない奴等が多いし、最近は、ずっと休みもなく警備についてて、皆、疲れてる。アーベリトが王都になって嬉しいし、陛下や、召喚師様のことを、支えたい気持ちはあります。……でも、身体が追い付かない。すみません……限界なんです、俺たちの力量じゃ」
「…………」
ロンダートの言葉を、ルーフェンは、しばらく無表情で聞いていた。
冷たく鋭利な銀の瞳に射抜かれて、ロンダートの全身に、じっとりと嫌な汗が流れる。
しかし、ゆっくりと息を吐いたルーフェンが、目を閉じ、再び開けると、その瞳の色は、元の落ち着いた色に戻っていた。
「……ごめん。今のは、俺の失言だった。王都という地位を奪取した以上、必ずその台座を崩そうと狙ってくる輩が出てくる。でも、そんな事態に、アーベリトの人達は慣れていない。今回、侵入者に気づけなかったのは、俺の落ち度でもあります。犠牲が出ていたなら、尚更……」
ルーフェンの肯定的な言葉に、緊張が切れたように、ロンダートが身体の強張りを解く。
だが、そんなことには一切気づいていない様子で、ルーフェンは言い募った。
「屋敷に、俺が結界を張ります。そうすれば、人の出入りを完全に把握できる。今回みたいなことは、二度と起こさせない」
「…………」
ルーフェンの提案に、しかし、サミルは頷かなかった。
ロンダートと同じく、ルーフェンの雰囲気が戻ったことに安堵していたサミルだったが、少しの逡巡の末、真剣な表情になった。
「……いいえ。シュベルテに、応援を頼みましょう。魔導師の派遣をお願いすれば、私達の負担も、少しは軽くなるはずです。こういった犠牲者が出るような事態が起こりうるのだという自覚が、私にも足りませんでした」
ルーフェンが、はっと顔をあげる。
サミルに詰め寄ると、ルーフェンは強い口調で言った。
「そんなことしたら、危険です! シュベルテには、アーベリトが王権を握ったことを妬む奴等が大勢いる。その中から人を招き入れようなんて、わざわざ敵を懐に入れるようなものです!」
サミルは、もう一度首を振って、諭すように返した。
「ルーフェンの言い分も、分かります。ですが、現状の人手不足を見過ごすわけにもいきません。このままでは、アーベリトが疲弊していくだけです」
「俺がどうにかします……!」
食い気味に言って、ルーフェンはサミルを見つめた。
「シュベルテの力なんか借りなくても、俺が、アーベリトを守ります。自警団の分も、不足な面は全て、俺が、なんとかします」
「…………」
何を言えば良いのか迷った様子で、サミルが押し黙る。
苦しげに眉を寄せ、ルーフェンの肩に置いた両手に力を込めると、サミルは弱々しく言った。
「……この数月、君には、色んな面でアーベリトを支えてもらっています。でも、全てを背負い込もうなどと思わないでほしい。私は、君の負担も減らしたいのですよ。アーベリトを守るためとはいえ、こんな、こんな……人殺しのような真似を、させたくはないのです」
足元の死体を一瞥してから、ルーフェンの頬についた返り血を、サミルが親指で拭う。
ルーフェンは、つかの間苦々しい顔つきになって、言葉を止めていたが、やがて、顔を背けると、吐き捨てるように告げた。
「別に……もう、慣れました」
瞬間、サミルの顔が、さっと強張る。
聞きたくなかった一言を、ついに突きつけられてしまった。
そんな表情であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.55 )
- 日時: 2018/09/09 15:43
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 7dCZkirZ)
「……慣れたって、なにを言ってるのですか」
動揺した様子で、一歩離れると、サミルはきつい口調で言った。
「こんなことに、慣れてはいけません。以前、言ったではありませんか! 殺しを良しと思うことだけは、あってはならない。人の死を悼む気持ちは、絶対に忘れてはなりません、と」
「良しだなんて思ってません。だけどこれは、誰かがやらなくちゃいけないことだ!」
言い放って、サミルに向き直る。
ルーフェンは、ぐっと拳を握った。
「……サミルさんは、甘いんだよ。その甘さが、きっと沢山の人を救ってきて、今のアーベリトを作ってる。俺だって、そんなアーベリトの雰囲気が、好きです。……でも、それだけじゃ駄目なんだ。この先もずっと、今のアーベリトで在り続けるなら、それを阻むものを、誰かが斬り捨てなきゃいけない。……その役は、俺が適任だと思う」
「…………」
「シュベルテは、色んな思惑が交錯している街だ。協力関係を結んでいるからといって、裏切られないとは断言できないし、領主であるバジレットの権力が、必ずしも臣下に及んでいるとも限らない。シルヴィアだって、また何か仕掛けてくるかもしれない。……俺は、ずっとシュベルテにいたから、分かるんだ。あの街は、簡単に信用しちゃいけない……。サミルさんが人を信じ、助けることでアーベリトを形作るなら、俺は、人を疑い、斬り捨てることで、アーベリトを守ります。召喚師には、それを成せるだけの、絶対的な力がある」
ルーフェンの物言いに圧倒された様子で、サミルが口を閉じる。
決して、シュベルテで燻っていた頃のように、召喚師の責務に縛られて言っているわけではない。
ルーフェンは、自らの意思で、アーベリトの影の部分になろうとしている。
サミルは、額に手を当てると、消え入りそうな声で返した。
「そのような、悲しいこと……。私は、頷けません。シュベルテで、日に日に弱っていく貴方を、私は助けたかった。だから、ルーフェンをアーベリトに呼んだんですよ。君にそんな辛い役目を負わせるために、アーベリトを王都にした訳じゃない」
ルーフェンは、静かに返した。
「……悲しいことでもないし、辛い役目だとも思ってません。アーベリトを守れるなら、俺は、なんだってやります」
大きくなったサミルの目を、ルーフェンは見つめ返した。
「俺は、こうなることを、覚悟していました。アーベリトを王都にしたときから……いや、それよりも前から、ずっと……。だって、俺とサミルさんが選んだのは、そういう道だから」
「…………」
ルーフェンはしばらく、悲しげに歪むサミルの顔を、じっと眺めていた。
しかし、やがて、ふいと目をそらすと、サミルに背を向けた。
「……残党がいないか、見てきます」
それだけ言って、ルーフェンは足早に去っていく。
長廊下の角を曲がって、ルーフェンの姿が見えなくなると、サミルは、大きく息を吐いた。
「私も、分かっています。分かっていますが……」
独り言のように呟いて、苦しそうに目を閉じる。
そんなサミルの肩に手を置いて、ダナが口を開いた。
「サミル坊、おぬしも疲れとるんだろう。こんな襲撃があった後じゃ。明日も忙しくなるだろうし、少し休んできたほうがいい」
「…………」
サミルとダナのやりとりを眺めながら、トワリスは、その場に立っていることしかできなかった。
ぼんやりとした月明かりが照らす中、ロンダートは、呆然と転がる死体を見つめている。
どこかで、見えない亀裂が入る音を、トワリスは聞いたような気がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.56 )
- 日時: 2018/09/11 19:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
犠牲者一人という小規模なものではあったが、レーシアス家への襲撃は、アーベリトの人々にとって衝撃的な事件となった。
国王、サミル・レーシアスを狙った暗殺未遂──。
この知らせは、瞬く間に街中に広がり、王都になってから沸き立っていたアーベリトの人々に、冷水を浴びせたのだった。
レーシアス家でも、以前のような活気はなくなってしまった。
一層任務に打ち込むようになった、と言えば聞こえはいいが、自警団員たちの雰囲気が、ぴりぴりするようになったし、サミルとルーフェンも、あまり話さなくなった。
二人とも、前々から仕事に追われて、話す時間が多かったわけではない。
それでも、屋敷内ですれ違った時なんかは、楽しそうに会話していたのに、今はもう、気まずそうに一言二言交わすだけになっていた。
そんな中でも、トワリスが会いに行けば、ルーフェンはいつも通り優しかった。
最初は、変わらぬ態度に安堵したものだったが、だんだん、その優しさが作っているもののように感じられて、ふと悲しくなることがあった。
だって、サミルとの間に亀裂が入った上、アーベリト全体の雰囲気も悪くなったのだ。
こんな状況にいたら、ルーフェンとて、穏やかに笑っていられるはずがない。
それなのにルーフェンは、いつも優しく、前と同じ態度で接してくれる。
いっそ、不平不満でもぶつけてくれたら良いのに、ルーフェンは、全く心の内を見せない。
そんな彼と話していると、自分は全く頼られていないのだと実感してしまって、寂しくなった。
結局、ルーフェンにとってトワリスは、哀れな境遇から救いだした、少女の一人に過ぎないのだろう。
疲れに良いだろうと、ミュゼと作った焼菓子を持っていった時も、ルーフェンの態度は、普段通りだった。
「トワリスちゃん、どんどんお料理上手になってくね。ありがとう」
そう言って、ルーフェンは、美味しそうに焼菓子を食べてくれる。
以前なら、それだけでトワリスも幸せな気持ちになったが、本当は、ルーフェンは別のことを考えているのかもしれない。
そう思うと、純粋に喜べなくなった。
トワリスは、図書室の指定席になりつつある、ルーフェンの向かいの椅子に座った。
そして、特に口を開くこともなく、黙って、事務仕事をするルーフェンのことを眺めていた。
ルーフェンは、また報告書に目を通しているのだろう。
用紙の署名欄に、素早く自分の名前を書いている。
ルーフェンの字は、教本に載っているような、丁寧で整った文字ではなかったが、滑らかで流暢なものだった。
少なくともトワリスは、それが綺麗だと思えたし、ルーフェンの文字を手本に練習ばかりしていたので、なんとなく、トワリスの書く字も、ルーフェンのものに似るようになった。
今なら、文字の読み書きも出来るようになったから、読んで署名するだけの作業なら、本当に手伝えるかもしれない。
──なんて、そんなに簡単な仕事ではないのだということも、トワリスは理解できるようになっていた。
物思いに耽っていると、気づかぬ間に、難しい顔になっていたらしい。
ふと顔をあげたルーフェンが、話しかけてきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「……え」
ルーフェンに見つめられて、思わず俯く。
最近、なぜかルーフェンと目を合わせられなくなっているのも、悩みの一つだったが、今はそんなことは二の次だ。
トワリスは、しばらく迷った様子で黙っていたが、やがて、微かに顔をあげると、意を決して尋ねた。
「……ルーフェンさん、サミルさんと、仲直りしないんですか?」
襲撃があってから、数日間。
ずっと触れづらかった話題に触れて、緊張しながら返事を待つ。
しかしルーフェンは、小さく鼻を鳴らしただけで、思いの外あっさりと返してきた。
「仲直りもなにも、別に喧嘩なんてしてないよ。お互い時間が合わなくて、話せてないだけ」
「……でも……」
反論しようとするが、上手く言葉が見つからない。
ルーフェンは、少しの間、トワリスの言葉を待っていたようだったが、彼女が完全に口を閉じると、再び事務作業に戻った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.57 )
- 日時: 2018/09/26 22:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
こういうときのルーフェンは、どことなく、相手に有無を言わせぬような、近寄りがたい空気を纏っている。
別に、黙れと怒鳴るわけでもなく、むしろ、纏う空気自体は柔らかい。
それなのに、触れようとすれば、するりと指の間をすり抜けてしまって──。
なんとなく、それ以上は踏み込むなと牽制されているようだった。
(……私の、役立たず)
和やかなアーベリトに戻したいのに、何もできない。
サミルやルーフェンの力になりたいのに、どうすれば良いのか分からない。
そもそも、自分が手を出そうとしていること自体が、間違っているのだろうか。
そんな風に思い始めると、自然と目の前がぼやけてきて、涙がこぼれ始めた。
突然ぽろぽろと泣き出したトワリスに、ルーフェンが、ぎょっとする。
手を伸ばし、涙を親指で拭うと、ルーフェンは渋々といった様子で問うた。
「……俺と、サミルさんのこと?」
こくりと頷けば、ルーフェンが困ったように眉を下げる。
やはり、ルーフェンとしても、この話題には触れられたくなかったのだろう。
やりづらそうに目線をそらすと、はぁっと息を吐いた。
「……俺たちのせいで、気まずい思いをしていたなら、ごめんね。でも、本当に喧嘩してるとか、そういうのじゃないから。ちょっと意見が食い違ってるだけ」
「シュベルテの魔導師達に、アーベリトに来てもらうかどうかって話ですか?」
「……まあ、そう」
答えてから、ルーフェンは、真面目な表情になった。
「サミルさんの意見も理解できるけど、やっぱり俺は、シュベルテや他の街を、安易に信じようという気にはなれない。今回の襲撃だって、アーベリトを狙っている勢力があるからこそ、起きたことなんだ。サミルさんは頭の良い人だし、そう簡単に利用されたり、騙されたりはしないと思う。だけど、人一倍お人好しなのは確かだし、すぐに無茶をするから、いつ誰があの優しさにつけ込んで来るか、分かったもんじゃない。下手に動いてアーベリトを危険に晒すくらいなら、俺が守り抜いた方が確実だ」
堅い声音でそう言いながら、ルーフェンは目を伏せた。
トワリスは、ごしごしと袖で涙を拭ってから、小さな声で返した。
「……多分、サミルさんも、同じこと考えてるんだと思います。ルーフェンさん、すぐに無茶をするから、負担をかけさせちゃいけないって」
「…………」
わずかに視線を動かしてから、トワリスに向き直る。
ルーフェンは、微苦笑をこぼすと、肩をすくめた。
「……そうなんだろうね。だから、サミルさんはお人好しなんだよ。そんな甘さ、俺には必要ないのに。だって俺は召喚師で、守ることが使命なんだから」
「……使命?」
「そう。……召喚師は、国の守護者だから」
まるで、自分に言い聞かせるように言って、ルーフェンは、再度目線を落とした。
近くを見ているのに、どこか遠くを見据えているような、銀色の瞳。
トワリスは、そんなルーフェンの茫漠とした目を見ながら、ぽつりと言った。
「国を守るのが召喚師の使命なら、ルーフェンさんのことは、誰が守るんですか……?」
一瞬、ルーフェンの動きが止まる。
呆気にとられた様子で瞬くと、ルーフェンは、聞き返した。
「守るって、誰を? ……召喚師を?」
「うん」
首肯した途端、ルーフェンが吹き出して、けらけらと笑い始めた。
何故笑われたのか分からず、首を傾げる。
深刻な雰囲気が一転──ルーフェンは、しばらく笑った後、ふうと息を吐くと、答えた。
「召喚師は、守らなくていいんだよ。強い力を持ってるからこそ、国の守護者なんだから」
「そうなんですか?」
トワリスは、納得のいかなさそうな面持ちで、眉を寄せた。
「……でも、いくら強い力を持っていたとしても、一人で国を守るのは、無理だと思います。だって、この国には……いえ、アーベリト一つをとっても、沢山の人が住んでるんですよ。それをたった一人で守り切ろうなんて、誰にも出来ないと思う」
言ってから、失礼な発言をしてしまっただろうかと、慌てて口をつぐむ。
だが、そんなことは気にしていない様子で、ルーフェンは苦笑いした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.58 )
- 日時: 2019/06/18 10:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「そうだね。でも、普通はそんな風には思わないんだよ。魔導師団があって、騎士団があって、召喚師一族は、その上に立つ者だ。強大で絶対的な守護者……それが、世間の認識だ。俺も、守れとはよく言われるけど、召喚師を守ろうなんて話は、今、初めて聞いたよ」
どこか冗談めかして言ってから、ルーフェンは、静かに続けた。
「ただね、本当は俺も、国を守るなんて、どうすればいいか分からないんだ。そもそも、俺自身、サーフェリアのために命を懸けようだなんて思ってない。──それでも」
言葉を継いで、ルーフェンは、トワリスを見つめた。
「……それでも、このアーベリトの平穏だけは、崩したくない。ある人が、サーフェリアの召喚師は人殺しだと言っていたけれど、それが、守ることに繋がるなら、そうなったって構わない。それだけアーベリトは、俺にとって大切な街だし、唯一の場所なんだ。この数月で、改めてそう感じた。俺は、アーベリトのためなら、何にでもなれる」
「…………」
人殺し、という言葉が、数日前のルーフェンを想起させた。
屋敷に侵入した暗殺者たちを、いとも簡単に、まるで虫でも踏み潰すかのように、殺してしまったルーフェン。
結果的に、サミルの命は守られたのだから、あれで良かったのだと思う。
だが、あの時のルーフェンの残虐な瞳を思い出す度、トワリスの心には、底知れない恐怖が沸き上がってくるのだった。
アーベリトを守りたいのだと、そう語るルーフェンの表情は、存外穏やかだった。
しかし、何にでもなれる、という言葉が、なんだか危なげで、不安定な響きを孕んでいるようにも思えた。
トワリスは、ぎゅっと唇を噛んでから、か細い声で言った。
「……私も、この街には、感謝しています。暖かくて、優しくて、素敵な街だと思う……。でも私は、それ以上に、サミルさんや、ルーフェンさんのことが好きです。だから、二人が変わっていってしまうことの方が、嫌です」
トワリスは、ルーフェンの目を、まっすぐに見つめた。
「襲撃者たちを殺してしまったときの、ルーフェンさんは、なんだか別人みたいで、すごく怖かった……」
ルーフェンの瞳が、微かに動く。
もしかしたら、本人には自覚がなかったのかもしれない。
一瞬だけ、動揺したように見えたルーフェンだったが、嘆息すると、すぐにいつもの穏やかな表情に戻ってしまった。
「そりゃあ、あんな場面を見せられたら、怖いよね。ごめんね」
「…………」
──誤魔化された。
優しい言葉で一線引かれて、もうこれ以上は、踏み込んで来るなと告げられる。
トワリスは、口を開こうとして、閉じると、そのまま俯いて、何も言えなくなってしまった。
脳裏に再び、血の海の真ん中に立つ、ルーフェンの姿が蘇る。
残虐で、冷酷で、狂気的な銀色──。
確かに、あの夜のルーフェンは、全くの別人のような目をしていた。
トワリスの表情が、怯えたように強張っていくのを密かに見ながら、ルーフェンは、黒変した左腕に、袖越しに爪を立てたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.59 )
- 日時: 2018/09/19 19:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q9W3Aa/j)
胸の中に、漠然とした不安のしこりを抱えたまま、トワリスは、また一日、また一日と、レーシアス家での慌ただしい日々を過ごしていった。
結局、日が経つにつれて、サミルとルーフェンの間にあった確執も、薄れていったように思えたし、襲撃があってから、騒然としたアーベリトの雰囲気も、徐々に穏やかでのんびりとしたものに戻っていった。
それでも、トワリスは思うのだ。
不穏な影の足音は、着実に、この頃からアーベリトに忍び寄っていたのだろう、と。
サミルやルーフェンに救われ、アーベリトに身を置いたことは、トワリスにとって人生最大の転機であり、また、幸運であった。
その後の自分の選択にも、後悔はないし、きっと、もしもう一度人生をやり直したのだとしても、トワリスは、同じ道を歩むのだと思う。
ただ、襲撃されたあの夜から、確かに感じていたこの不安、そして恐れは、決して勘違いなどではなかった。
トワリスは、何年もあとになって、そのことを強く感じるのだった。
日向の庭園に、何本もの竿受けを立て、そこに物干し竿を引っ掛けると、ミュゼは、洗ったばかりの洗濯物を、手早く干していった。
布地が薄いものは、ぱんぱんと手で叩いて、皺を伸ばしてから竿にかける。
簡単な作業だが、両腕一杯の大きな籠五つ分の洗濯物を干さなければならないので、見かけ以上の重労働だ。
しかも、日が出ているとはいえ、冬を目前にした今の時期は、湿った洗濯物を長時間触っていると、手がかじかんできて、ろくに動かせなくなる。
ミュゼを手伝って、トワリスも素早く籠を運んでくると、早速作業に取りかかったのだった。
やがて、ほとんどの洗濯物を干し終えた頃。
残りの洗濯物を確認すると、ミュゼは、とんとんと肩を叩きながら、言った。
「トワリスちゃん、まだ干しきれないから、もう一本、物干し竿をとってきてちょうだい」
「分かりました」
頷いてから、腰を伸ばして立ち上がる。
そのまま、物置小屋まで駆けていこうとしたトワリスは、しかし、屋敷の裏で、サミルと見知らぬ誰かが話しているところを見つけると、立ち止まった。
レーシアス家の使用人ではない、見たことのない中年の男だった。
(誰だろう……?)
サミルと親しげに話していることから、怪しい人物ではないのだろう。
こんな裏庭で、何を話しているのか気になって、立ったまま二人を見つめていると、こちらに気づいたらしいサミルが、にこりと笑った。
「ああ、トワリス、ちょうど良かった。今、少しこちらに来られますか?」
「えっ……」
まさか自分が呼ばれるとは思わず、困ってミュゼの方に振り返る。
頼まれごとをされていた最中だったので、どうすべきか迷ったトワリスであったが、ミュゼは、サミルと中年の男に気づくと、何かを察したように、曖昧な笑みを浮かべた。
「あ、ああ……トワリスちゃん、行ってらっしゃい。あとは、私がやっておくから」
「でも……」
「大丈夫よ。あと残り少しだから」
そう言って、籠に残った洗濯物を示してから、ミュゼが頷く。
急にぎこちなくなった彼女の態度に、疑問を覚えながらも、トワリスは、仕方なくサミルの元へと向かったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.60 )
- 日時: 2018/09/22 19:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q9W3Aa/j)
裏庭から離れ、見知らぬ男と共にトワリスが通されたのは、サミルの自室であった。
サミルに座るように促され、長椅子に腰かける。
トワリスの向かいに座った男は、柔和な笑みを浮かべて、手を差し出してきた。
「はじめまして、トワリスちゃん。私はテイラー・シグロスと言います」
「……はじめまして」
ひとまず手は出さずに、軽く頭だけ下げて、挨拶をする。
テイラーは、警戒心剥き出しのトワリスに、気分を害した様子もなく、苦笑を浮かべると、大人しく手を引っ込めた。
サミルは、テイラーの隣に腰を下ろした。
「テイラーさんは、東区の孤児院の責任者です。今日は、お話があって来てもらいました」
「…………」
孤児院、という言葉に、なんとなく話の予想がついてしまう。
道理で、ミュゼもあのようなぎこちない態度をとったわけだ。
表情を曇らせたトワリスに、サミルは、穏やかに告げた。
「来月から、トワリスには、東区の孤児院に移ってもらおうと思っています。アーベリトでの生活にも慣れてきたようですし、何より、このままこの屋敷にいるのは、危険です。いつ、また私を狙って、何者かが襲撃してくるかも分かりません」
サミルに次いで、テイラーも口を開いた。
「最初は寂しいと思うかもしれませんが、孤児院は、この屋敷からそう遠くはありません。それに、孤児院には、トワリスちゃんと同じ年くらいの子供たちが沢山います。きっと楽しいと思いますよ」
「…………」
トワリスは、わずかに俯いたまま、何も答えなかった。
しばらく黙って、何かを堪えるようにぎゅっと唇を引き結んでいたが、やがて、小さな声で呟いた。
「……私は、この屋敷には、いりませんか?」
サミルとテイラーが、微かに瞠目する。
サミルは、そんなつもりで言っているのではないと分かっていたが、他に言葉が見つからなかった。
「……私、沢山働きます。お屋敷の家政婦のお仕事は、ほとんど覚えました。教えてもらえれば、他のお仕事も頑張ります。だから、ここにいたいです」
トワリスは、サミルと視線を合わせようとしなかった。
我が儘を言っているから、きっとサミルは、困っているに違いない。
そう思うと、サミルの顔を見るのが怖かった。
サミルは、席を立つと、トワリスの両手を握った。
「いらないだなんて、そんなこと思っていません。トワリスはいつも、一生懸命屋敷の仕事を手伝ってくれていたので、本当に助かりました。ミュゼさんもね、感心していたんですよ。でもね、慌ただしいレーシアス家で、そんな生活を送らせていることについても、私は、少し気がかりだったんです。孤児院に行けば、色んな子供たちと関わって、遊んで、今よりもずっと年相応の暮らしができるでしょう。その方が、君のためになると思うんです」
「…………」
それでも、頷こうという気にはならなかった。
テイラーはとても穏やかそうな男に見えたし、別に、孤児院自体が嫌なわけではない。
ただ、サミルやルーフェンと離れたくない気持ちのほうが、遥かに強かったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.61 )
- 日時: 2018/09/26 18:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: gK3tU2qa)
もう一度、レーシアス家にいさせてほしいとお願いしようとして、けれど、トワリスは口を閉じた。
サミルは優しいから、どうしてもここにいたいと駄々をこねれば、もしかしたら聞いてくれるかもしれない。
しかし、サミルを困らせてまでこの屋敷に残って、それで本当に良いのだろうか。
トワリスは、サミルやルーフェンをはじめ、レーシアス家の者達のことが好きだった。
だからこそ、言うことを聞くべきなのではないか。
感謝している人達に対して、聞き分けのない子供のように、嫌だ嫌だと騒ぐのは、なんだかみっともないように思えた。
「……少し、考えさせてください」
長い沈黙の末、トワリスは、返事をした。
そう答えるのが、精一杯だった。
サミルは、どこか申し訳なさそうに眉を下げ、言葉を探している。
そんな気まずい空気を察したのか、テイラーは、あえて明るい声音で言った。
「まあ、いきなり孤児院に移れと言われても、トワリスちゃんだって驚いてしまうでしょう。大丈夫、急いでいるわけではありませんし。ね、陛下」
トワリスとサミルに笑いかけて、テイラーは長椅子から立ち上がった。
そして、持ってきた荷物を手早くまとめると、小さく頭を下げた。
「また、日を改めて伺いますね」
再びミュゼと合流し、その日一日の仕事を終わらせると、夕飯を食べてから、トワリスは図書室に向かった。
夜の図書室には、ルーフェンも、誰もいない。
それがわかっていて、トワリスは図書室に来た。
自室に戻っても良かったのだが、使用人たちが多く暮らしている宿舎では、どうにも騒がしくて落ち着かない。
今は、なんとなく、一人で静かな場所にいたかったのだ。
持ってきた手燭を翳せば、柔らかな光が、並ぶ本の背表紙を撫でた。
何気なくその炎を見つめながら、トワリスは、呟くように唱えた。
「其は空虚に非ず、我が眷属なり。主の名は、トワリス──……」
瞬間、手燭の炎が、鳥の形を象って燃え上がる。
自由を得たことを喜ぶかのように、宙を滑空した炎の鳥は、ややあって、頭上で散ると、眩い火の粉となって、雪のようにトワリスに降り注いだ。
トワリスが、初めてルーフェンに教えてもらった魔術であり、そして、一番に覚えた魔術だ。
(きれい……)
この魔術を教えてもらって、もうどれくらい時が経っただろう。
確か、ルーフェンに出会ったのが、初夏の頃であったから、もう半年も経過しているのか。
そう思うと、長いようで短かったアーベリトでの日々が、沸々と頭に浮かんできたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.62 )
- 日時: 2018/09/30 18:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: zc76bp3U)
本棚に寄りかかり、きらきらと舞う火の粉を眺めていると、ふいに、扉の方から足音が聞こえてきた。
図書室に入ってきたルーフェンは、トワリスの横に並ぶと、同じように、本棚に背を預けた。
「……魔術、上手になったね。才能あるんじゃない?」
くすくすと笑って、ルーフェンが言う。
こんな夜更けに、ルーフェンがやって来たことに驚いていると、理由を問う前に、返事が返ってきた。
「トワリスちゃん、図書室が好きみたいだから、多分ここにいると思ったんだ。どうしたの? ミュゼさんが心配してたよ。宿舎に帰ってこないって」
「…………」
図書室が好き、というよりは、ルーフェンが図書室にいることが多いから、通う頻度が高くなっていただけなのだが、わざわざ訂正するのも恥ずかしいので、黙っておく。
答えないでいると、ルーフェンは苦笑して、尋ねてきた。
「孤児院に行くのは、そんなに嫌?」
「…………」
無意識にむっとした顔になって、下を向く。
トワリスが孤児院に移る話を、ルーフェンも知っているだろうということは、予想していた。
ミュゼだって知っていたのだ。
多分この話は、サミルの周りの者達の間で、以前から話題に出ていたことなのだろう。
今日まで知らなかったのは、自分だけだったのだと思うと、なんだか悲しくなった。
別に、だからといって、サミルたちを薄情だとは思っていない。
皆、トワリスのことを考えて、提案してくれているのだ。
サミルの言葉通り、孤児院の方が年相応の暮らしができるだろうし、レーシアス家の屋敷にいては、また襲撃を受けるような事態だって考えられる。
だから、トワリスのために、孤児院に移れと言っているのだ。
分かっていた。
分かってはいたが、それでも、トワリスを屋敷に残そうとしてくれる者が、一人もいなかったのだと思うと、自分はレーシアス家にとって、必ずしも必要な存在ではないのだと突きつけられているようで、無性に寂しくなった。
トワリスが黙ったままなので、ルーフェンも、しばらくは口を閉じて、宙を見つめていた。
しかし、やがて、ふとその場に腰を下ろすと、トワリスにも座るように言って、ルーフェンは唇を開いた。
「最近まで、アーベリトじゃなくて、シュベルテが王都だったのは知ってる?」
脈絡のない質問に、首をかしげる。
とりあえず頷くと、ルーフェンはそのまま続けた。
「俺は召喚師一族だから、当然、王都だったシュベルテにいたんだけど、八歳の頃、わけあって、ほんの少しだけ、アーベリトにいたことがあったんだ」
見上げると、ルーフェンも、トワリスの方を向いた。
「サミルさんの人柄に触れて、俺は、これから先も、ずっとアーベリトにいられればいいのにって思った。でもね、ある日、言われたんだ。君のお母さん、つまり当時の召喚師は、シュベルテにいるから、君も王宮に住まなきゃいけないんだって」
懐かしそうに目を伏せて、ルーフェンは言い募った。
「正直、すごく嫌だったよ。王宮での暮らしなんて想像もできなかったし、何度、働くからレーシアス家に置いてくださいって、お願いしようと思ったか知れない。でも、出来なかった。我が儘を言うのは許されなさそうな状況だったし、働くって言っても、俺は何にもできない子供だったからね。言う通りに従って、王宮に行くしかなかったんだ」
今の自分と酷似した状況に、興味がわいたのだろう。
トワリスは、ルーフェンの表情を伺いながら、尋ねた。
「王宮は、どうだったんですか?」
「そりゃーもう、最悪だったよ」
真剣な顔つきのトワリスに対し、ルーフェンが、あっけらかんと答える。
身ぶり手振りまでつけて、ルーフェンは、ふざけた調子で答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.63 )
- 日時: 2018/10/03 18:39
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「無責任で、押し付けがましくて、腹の底が読めない大人ばっかり。だから、徹底的に反抗したよ。何があっても、召喚師なんかになるもんかと思っていたし、召喚師になるために勉強しろって言われても、大半の講義はすっぽかしてた。誰の言うことも聞かず、自室や図書室に引きこもってた時期もあったかな」
「ルーフェンさん、そんなことしてたんですか……」
びっくりして瞠目すると、ルーフェンは、からからと笑った。
「他にも、色々やったよ。当時、勅命が下りた時しか使っちゃいけないとされてた移動陣を、勝手に使ったり、王族である兄を、そそのかして利用したこともある。無断で荷馬車に乗り込んで、遥か遠い南方の地まで、リオット族に会いに冒険をしたこともあった。あのときは、次期召喚師が行方不明になったっていうんで、王宮中、大騒ぎになったらしいよ。俺のことをよく気にかけてくれていた、こわーい政務次官がいるんだけど、彼が過労死したら、間違いなく原因は俺だろうね」
「…………」
驚きを通り越して、呆れ顔になる。
隣で絶句しているトワリスに、くすくすと笑って、それから、再び前を見ると、ルーフェンは、一転して静かな声で言った。
「シュベルテにいた頃は、とにかく何もかもに反発していたし、先のことを想像するのも、怖くて嫌だったんだ。ある程度諦めがついた時には、自分は、一生シュベルテで、召喚師として生きていく運命なんだろうなぁって、そう思ってた。……でも、結局今は、巡り巡って、サミルさんのいるこのアーベリトに行き着いてるんだから、不思議だね」
目を閉じ、開くと、ルーフェンは、再びトワリスの方を見つめた。
「きっと、そういうものなんだよ。生まれも、期間も関係なく、自分が故郷だと思うなら、そこが故郷なんだ。君も俺と同じで、普通とは違うから、人より変わった人生を歩むことになるかもしれない。今後、孤児院に限らず、どこに行くことになるかも分からない。もしかしたら、シュベルテや、もっと遠く……それこそ、二度と帰れない、なんて思うような、遠い場所に行くことだってあるかもしれない。それでもね、どこにいたって、何をしていたって、トワリスちゃんが望むなら、君の故郷は、アーベリトなんじゃないかな」
トワリスは、ルーフェンを見つめたまま、少しの間黙っていた。
それから、どこか寂しそうに微笑むと、トワリスは言った。
「……だったら、私の故郷は、アーベリトじゃなくて、ルーフェンさんとサミルさんがいるところです」
思いがけない返事だったのか、ルーフェンが目を大きくして、ぱちぱちと瞬く。
一瞬、視線をそらした後、少し照れたように肩をすくめると、ルーフェンは言った。
「それなら、いつかまた会えるよ。……なーんて、たかだか孤児院に行くだけで、大袈裟かな?」
「……大袈裟?」
聞き返してきたトワリスに、ルーフェンは、いたずらっぽく笑った。
「大袈裟、でしょ? 孤児院なんて、すぐそこだもん。窓から見えちゃうよ」
そう言って、窓の外を示せば、トワリスも、そちらに視線を移した。
夜闇に沈む、白亜の街並みの奥に、小さな青い屋根が見える。
間近で見れば、そこらの民家よりは大きいであろう、横長の煙突屋根──あれが、東区の孤児院の目印だ。
拍子抜けしたような顔で、ルーフェンを見ると、トワリスは尋ねた。
「歩いて……どれくらい?」
「半刻もかかんないよ。トワリスちゃんの脚の速さなら、一瞬かも」
からかうような口ぶりで言って、ルーフェンが、眉をあげる。
そう言われてみると、確かに、大したことがないように思えてきた。
考えてみれば、奴隷だった頃、ハーフェルンやシュベルテにいたこともあったのだ。
あの頃は、離れたくない場所も、相手もいなかったから、何とも思わなかったが、距離で言えば、同じアーベリトの中の孤児院に移るくらい、ちっぽけなことなのかもしれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.64 )
- 日時: 2018/10/08 21:07
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
急に気持ちが軽くなって、トワリスは、思わず息を漏らした。
多分ルーフェンは、自分を勇気付けに来てくれたのだ。
その言葉が、たとえトワリスを引き留めてくれるものではなかったのだとしても。
普段、あまり己のことを語らないルーフェンが、自分の話をしてまで、勇気づけてくれた。
そのことが、とても嬉しかった。
それに本当は、サミルから孤児院に行くように告げられる前から、こんな日が来ることは予感していた。
ずっと、心の奥底では、別れを覚悟していたのかもしれない。
ほんの数月前までは、考えもしなかった世の仕組みを勉強し、理解するにつれ、嫌でも気づいてしまったのだ。
結局のところ、ミュゼやロンダートの言っていた通り、サミルやルーフェンと自分では、住む世界が違うのである。
どんなに親しく、等身大で接してくれても、しょせん自分は、サーフェリアに迷いこんだ獣人混じりに過ぎず、対して、サミルとルーフェンは、この国の王であり、召喚師だ。
釣り合わない──この表現が、一番しっくりくる。
もし、本当にこの二人と一緒にいたいと願うなら、二人に釣り合う身分にならなければならない。
泣き虫で、役立たずなまま、それでもサミルやルーフェンと共にいたいなんて、そんなのは、身勝手な子供の我が儘であり、甘えだ。
(……私にだって、出来ることは、沢山ある)
今のアーベリトにとって──サミルやルーフェンにとって、必要なもの。
それに、なることができたら──。
そんな思いが、すとんと、トワリスの中に落ちてきた。
「……ルーフェンさん」
トワリスは、口を開いた。
「この図書室にある魔導書、私に、何冊か貸してくれませんか? いつか、必ず返すので」
打って変わった、はっきりとした口調で尋ねる。
ルーフェンは、何故突然そんなことを聞かれたのか分からない、といった様子で、図書室を見回した。
「まあ、ここには、大した魔導書もないし、構わないと思うけど」
「……ありがとうございます」
立ち上がって、トワリスは、ルーフェンに向き直った。
そして、小さく息を吸うと、落ち着いた声で言った。
「本音を言うと、孤児院に行くのは、嫌です。私、これからも、サミルさんやルーフェンさんといたい……」
声が、微かに震えているのを自覚しながら、トワリスは、必死に熱いものを飲み込んだ。
だって、これを言ったら、孤児院に行くことを受け入れてしまうことになる。
本当は、言いたくなくて、けれど、心を奮い立たせると、トワリスは告げた。
「──だから……もし、私が、サミルさんやルーフェンさんにとって、必要な人間になれたら……。また、レーシアス家に、置いてくれますか……?」
ルーフェンの目が、微かに見開かれる。
たった一人、襲撃者たちを骸の中に立っていたルーフェンの姿を思い出しながら。
トワリスは、その目をまっすぐに見つめて、言った。
「私、魔導師になります」
銀色の瞳に、驚愕の色が滲む。
トワリスの出した答えが、予想外のものだったのだろう。
ルーフェンは、戸惑った様子で聞き返した。
「ちょっと、待って……魔導師って、魔導師団に入るってこと? シュベルテの?」
「はい」
トワリスは、力強く頷いた。
「勉強して、強くなって、アーベリトを守れる魔導師になります。そうしたら、召喚師一族の……ルーフェンさんの、力になれます」
「…………」
言葉を失った様子で、ルーフェンは、黙り込んでいる。
ルーフェンのその表情が、肯定だったのか、否定だったのかは分からない。
しかし、トワリスの決意は、強かった。
「サミルさんも、言ってくれましたよね。獣人の血を引いているからといって、隠れるように暮らすのは、とても悲しいことだって。もう私は自由の身なんだから、堂々と生きてほしいって。……だから、私、二人の優しさに甘えて、ここで暮らすんじゃなくて、サミルさんたちにとって必要な人間になって、堂々とアーベリトに帰ってきます」
自然と熱の入った声で、トワリスが告げる。
「絶対に、絶対に、帰ってきます。だから、そうしたら、私のこと、認めてください」
静かな迫力に満ちた光が、トワリスの目の奥底で閃く。
ルーフェンは、そんな彼女の瞳に浮かぶ強い光を、しばらくの間、見つめていたのだった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.65 )
- 日時: 2018/10/12 18:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
†第三章†──人と獣の少女
第三話『進展』
昨夜からちらついていた雪は、朝になると、ぴたりと止んでしまった。
暗い色をした雲が、まだ分厚く空を覆っていたが、冷たい風に煽られていく内に、徐々に青空が覗き始める。
雪が積もって、外出できなくなってしまえばいいのに。
そんな密かな願いも空しく、うっすらと積もっていたはずの雪も、トワリスがレーシアス家を出る頃には、すっかり溶けてなくなっていた。
アーベリトには、孤児院が二ヶ所あった。
西区の孤児院は、施療院も兼ねており、身体的、または精神的に障害を持っている等の理由で、生活が困難な子供たちを治療・復帰させることを目的とした養護施設であった。
一方、トワリスの行く東区の孤児院は、身寄りのない子供たちを、自立できる年齢になるまで支援する施設だ。
西区の方が、入所できる子供の数が少ないため、中には、回復して普通の生活を送る分には問題ないとされた西区の子供が、東区に送られて来ることもあった。
しかし、東区の孤児院とて、受け入れられる数には限りがある。
故に、孤児院の子供たちは、大体十五から十六を迎えると、仕事に就いたり、運が良ければ引き取られたりして、孤児院を出るのだった。
迎えに来たテイラーに連れられて、東区に向かう道中、トワリスは、ほとんど喋らなかった。
レーシアス家を出ると決心したとはいえ、サミルたちと別れたことが悲しくて、心が深く沈んでいたのだ。
周囲の者たちは、皆、孤児院とレーシアス家はそう離れていないから、と慰めてくれたし、ルーフェンだって、必ずまた会えるだろうと言ってくれた。
けれど、一度レーシアス家を出てしまえば、トワリスは、獣人混じりという点を除いて、ただの行き場のない普通の子供だ。
そんな身分の者が、国王や召喚師に、簡単に会いに行けるわけがない。
最近は特に、襲撃があったせいで、レーシアス家への人の出入りは厳しく制限されているようだったから、尚更だった。
もう、二度と会えないかもしれない。
そう思うと、また泣きそうになったが、トワリスは泣かなかった。
ぐっと涙を堪え、レーシアス家の図書室から借りてきた、数冊の魔導書を抱えて、トワリスは、孤児院への道を歩いていったのだった。
東区の孤児院は、青い煙突屋根が目印の、大きな石造の建物であった。
一般的には、木造建築の方が安価かつ主流であり、戦火に備えた大きな街以外では、石造建築はほとんど見かけない。
しかし、かつての繁栄の名残なのか、アーベリトには、石造の建物が多かった。
とはいっても、大きく構えるシュベルテ等の家々を思うと、アーベリトの街並みはこじんまりとしていて、どこか古臭い印象を受ける。
孤児院も、ところどころ修繕しているのか、真新しい塗料の臭いがしたり、部分的に綺麗な石壁があったりはしたが、建物全体を見れば、雨風にさらされて薄汚れていたし、鮮やかに見えた青い煙突屋根も、近くでよく見ると、苔が生えている。
大通りから外れた先、木の柵で囲まれた大きな庭の真ん中に、ぽつんと建つ孤児院は、思ったよりも質素で、みすぼらしかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.66 )
- 日時: 2019/06/18 11:05
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
孤児院の玄関まで行くと、扉の奥からは、微かに人の声が聞こえていた。
今、孤児院にいる子供の数は少なく、大体五十ほどだと聞いていたが、それにしたって、気配が薄いし、想像していたより静かだ。
もしかしたら皆、外に出ているのかもしれない。
テイラーに言われるまま、玄関で靴を脱ぎ、孤児院の中に入ると、砂っぽいような、黴臭いような臭いが、むっと香ってきた。
玄関からは、薄暗くて長い廊下がまっすぐに伸びており、両側の壁に、いくつもの部屋が並んでいる。
きっと、子供たちの共同部屋だ。
それぞれの扉には、二、三人くらいの名前が書かれた木札が、乱雑にかかっていた。
周囲を見回していると、不意に、廊下の奥の扉が開いて、背の高い女が駆けてきた。
「あらあら、予定より早い到着で。ごめんなさいねえ、出迎えられなくて」
そう言いながら、女は手早く室内履きを用意して、トワリスたちの足元に並べてくれる。
促されて履いていると、テイラーが女を指して、紹介した。
「こちら、うちの職員で、ヘレナさんと言います」
ヘレナと呼ばれた女は、目尻に皺を寄せて笑うと、手を差し出してきた。
「貴女がトワリスちゃんね。シグロス孤児院にようこそ。これからよろしくね」
「……よろしくお願いします」
軽く触れるような握手を交わして、上目にヘレナを見る。
孤児院に来て、その雰囲気に馴染めないトワリスのような子供など、職員たちはもう見慣れているのだろう。
ヘレナも、テイラー同様、トワリスの無愛想な態度を見ても、全く気にしていないようであった。
「それでは、ヘレナさん、あとは頼みますね」
「はい、院長」
ヘレナの方に行くように指示して、テイラーがトワリスに手を振る。
振り返す代わりに、軽く頭を下げると、苦笑して、テイラーは長廊下の最奥にある部屋へと入っていった。
「テイラーさんは、ここの院長ですからね。お忙しいのよ。孤児院にいないことも多いの、お仕事で外に出ることが増えているみたい。最近は、サミル先生も、あまり頻繁には孤児院に来られなくなってしまいましたからねえ。みんな、やることが多くて、てんてこまいよ。ところで、貴女いくつだったかしら?」
軽快な口調で問いかけられて、トワリスは、思わず口ごもった。
レーシアス邸には、のんびりとした話し方をする者が多かったし、ヘレナと同年代くらいの女性であるミュゼだって、こんなに忙しない話し方はしなかった。
尋ねてもいないことを早口で捲し立てられると、いまいち、どう反応したら良いのか分からない。
うつむいたまま、十二歳だと答えると、変わらずの口調で、ヘレナは返事をした。
「あらそう! まだ十いっているか、いっていないかくらいだと思っていたけれど、十二なの。それなら、もうお姉さんね。うちの孤児院にいるのは、大体五歳から十歳くらいの子が多いのよ。今日もみんな、雪が降ったっていうので、朝っぱらから外に飛び出して行ったわ。もうとっくに止んで、雪もほとんど積もってないのにねえ。全く、やんちゃで手に追えないったら」
相槌をはさむ暇もなく、ヘレナがしゃべり続けるので、トワリスは、終始目を白黒させていた。
サミルが紹介した孤児院であるし、トワリスが獣人混じりだと聞いても顔色一つ変えないあたり、テイラーもヘレナも、暖かい人柄であることには違いないのだろう。
だが、ヘレナのこの早口言葉には、ついていける気がしなかった。
ヘレナは、ぱんぱんと手を叩いた。
「──さ、立ち話していても始まらないし、院内を案内するわ。夕飯時になれば、子供たちも帰ってくるだろうし、貴女の紹介は、そのときね。ついてきてちょうだい」
ぺらぺらと口を動かしながら、トワリスの手を引いて、ヘレナが歩き出す。
戸惑いながらも、魔導書が詰まった荷物をぎゅっと抱き込むと、トワリスは、ヘレナについていったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.67 )
- 日時: 2018/10/18 17:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
子供たちが使っている共同の小部屋の通りを抜けて、廊下を横に曲がると、大きな食堂があった。
食堂には、長い食卓がずらりと並んでおり、天井には、飾り気のないシャンデリアが三つ下がっている。
食卓を囲んで座る孤児院の子供たちは、新しく来たのだという獣人混じりの少女を、一様に見つめていた。
前に引っ張り出されたトワリスは、沢山の子供たちの視線にさらされて、緊張した様子で縮こまっている。
こんなに注目を浴びたことなんてなかったし、皆が、どんな目で自分を見ているのだろうと思うと、顔をあげることすら出来なかった。
自己紹介をしろと言われても、名前と年齢を、ぼそっと呟いただけで終わった。
静まり返った室内に、せめてよろしくの一言だけでも言えば良かったと焦ったトワリスであったが、ヘレナが横で補足してくれたので、このときばかりは、彼女の多弁さに深く感謝した。
席に案内されて、食事が再開しても、トワリスは、うまく場にとけこめなかった。
周りは、今日あった出来事を話したり、年上の子が、まだ小さな子の食事を補助したりと、それぞれ和やかな雰囲気を楽しんでいたが、トワリスには、共通の話題などなかったし、黙々と味の薄い夕飯を口に運ぶことしかできなかった。
何人か、話しかけてくる子供はいたが、それに対しても、素っ気ない態度で一言二言返すだけで終わってしまった。
別に、話しかけられることが嫌なわけではなかったのだが、どう返事をすれば良いのか分からなかったし、目を合わせるのも怖かった。
そんな態度をとっている内に、トワリスに近づいてくる子供はいなくなったし、トワリス自身、声をかけられなくなったことに、安堵してしまっていた。
朝起きて、寝る時間まで、常に周囲と足並みを揃えなければならない孤児院での生活は、トワリスにとって、慣れないことの連続であった。
レーシアス邸で暮らしていた頃は、ミュゼの仕事の手伝いをするとき以外は、基本的に自由であったから、疲れたと思えば一人で静かな場所に行ったし、寂しい時は、ルーフェンやダナのところに通っていた。
しかし、孤児院では、一人だけでどこかに行くということが許されない。
常に職員の目が届くところにいないといけないので、どんなときでも、場所でも、やかましい子供たちと一緒だ。
仕方がないと思う一方で、四六時中騒がしい場所にいなければならないのは、正直なところ苦痛であった。
孤児院に来てから、トワリスは、日中はずっと、レーシアス邸から持ち出した魔導書を読みながら、勉強をしていた。
サミルやルーフェンたちから、一般的な教養を多少教わったとはいえ、魔導師になるには、深い魔術の知識と技術が必要だ。
独学でどれほど身に付けられるものなのかは分からないが、家庭教師を雇ったり、私塾に通うお金なんてものは当然ないので、自力で学んでいくしかなかった。
常に勉強をしているので、孤児院の職員たちも、トワリスが孤立しているのではと心配しているようだった。
だが、いざ子供たちの輪に引き入れようとしても、トワリスは、なかなか話に乗ろうとしない。
いつしか、孤児院の中でトワリスは、『物静かで一人が好きな読書家だ』、と印象付けられていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.68 )
- 日時: 2018/10/21 19:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ぽん、と高く蹴り上げられた球が、弧を描いて、青屋根の軒樋(のきどい)にはまった。
続いて沸き起こった子供たちの不満の声に、はっと顔をあげると、トワリスも、目線を魔導書から屋根の方に移した。
「おい、どうすんだよぉ! あんな高いところ行っちまって」
「誰か、枝! 長い枝持ってきて!」
「枝じゃ届かないだろ」
白い息を吐きながら、男児たちが、どうにか球を取り戻そうと話し合っている。
どうやら、球蹴りをして遊んでいたところ、強く蹴りすぎた球が、屋根の上まで飛んでいってしまったらしい。
天気が良い日の中庭では、よくある光景であった。
庭の端に設置された長椅子に座って、遠巻きにそれらの様子を見ていたトワリスは、小さくため息をつくと、再び目線を魔導書に落とした。
じきに、孤児院の職員が来て、屋根の上から球を落としてくれるだろう。
そうすれば、ぎゃーぎゃーとわめく男児たちの気も収まるはずだ。
そうして、職員の登場を待っていたトワリスだったが、今日は、待てども待てども、大人は誰もやってこなかった。
いつもなら、ヘレナあたりが「あらまあ!」なんて高い声をあげながら、駆けつけてくるのだが。
他の女児たちも、呆れて肩をすくめる中、男児たちの不満の声は、どんどん大きくなっていく。
最初は、どうやって屋根から球を下ろそうかと相談していたのに、いつの間にか、話の内容は、誰があんなところに球を蹴ったのか、という責任の押し付け合いになっていった。
徐々に言い合いも激しくなり、やがて、取っ組み合いの喧嘩にまで発展し始めた辺りで、トワリスは、魔導書をぱたりと閉じて、立ち上がった。
子供たちの喧嘩なんて、日常茶飯事ではあるが、目の前で怪我でもされたら流石に気分が悪いし、何より、こんなに近くで騒がれては、勉強に集中できない。
トワリスは、ゆっくりと歩きながら、球がひっかかっている軒樋までの高さを目測し、そのすぐ下に生えている木に狙いを定めると、助走をつけて、思い切り、草地を蹴った。
太い枝に両手で掴まり、反動で一回転して、別の枝に飛び乗る。
それから、もう一度跳んで屋根に移ると、トワリスは、あっという間に球を取り戻した。
ひとっ跳びで屋根から降りてきたトワリスを見て、子供たちの間に、ざわめきが起こった。
単純に、人間業ではない跳躍力に驚愕したのと、あの大人しいトワリスが、というので、二重に驚きだったのだろう。
中庭で遊んでいた子供たちは皆、目を丸くして、トワリスを見つめている。
トワリスは、居心地が悪そうに辺りを見回してから、球蹴りをしていた男児の一人に近づくと、取ってきた球を差し出した。
「……はい」
「あ、ありがとう……」
ぽかんとした表情でお礼を言って、男児が球を受けとる。
これで事態は丸くおさまった──と思われたが、横から割り込んできた別の男児が、払うように球を蹴って、言った。
「きったねー! 獣女がさわった球だぞ! さわったら、獣病がうつるぞ!」
げらげらと笑うその男児は、名前をルトという、孤児院でも一、二を争う問題児であった。
職員に叱られている常連であったし、唯一、未だにトワリスに話しかけてくる子供でもある。
話しかけてくる、というよりは、突っかかってくる、と言った方が正確だろう。
ルトはいつも、トワリスが獣人混じりであることを、からかってくるのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.69 )
- 日時: 2018/10/24 20:38
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
一瞬、むっとした表情になったトワリスであったが、すぐに踵を返すと、ルトを無視して長椅子の方に戻った。
獣人混じりであることを揶揄(やゆ)されるのは、非常に不愉快であったが、ルトは、まだ七歳である。
五歳も年下の子供が言ってくることを、いちいち真に受けるのは、大人げないように思えた。
すまし顔で、トワリスが再び魔導書を読み始めたのを見ると、むっとしたのは、今度はルトの方だった。
反応が返ってこなかったのが、気に入らなかったのだろう。
わざわざトワリスが座る長椅子の方まで行くと、ルトは、勢いよく魔導書をひったくった。
「本ばっかよんでないで、獣なら、獣らしくしてろよ! この根暗!」
弾かれたように顔をあげて、きつくルトを睨み付ける。
いつもなら無視するのだが、魔導書をとられてしまっては、相手にせざるを得ない。
この魔導書は、サミルの屋敷から借りて持ってきた、大事なものなのだ。
長椅子から立ち上がって、ルトに詰め寄ると、トワリスは眉を寄せた。
「……返して」
厳しい口調で言ってみるが、ルトは全く聞き入れようとせず、魔導書の中身をぱらぱらとめくっている。
文字──まして、魔術に使われる古語なんて読めないだろうから、当然、魔導書の中身も理解できるはずがないのに、ルトは、悪い笑みを浮かべると、振り返って、散っている男児たちに声をかけた。
「なんだこれ、意味わかんねー本! おーい、これみてみろよ!」
そう言って、ルトが、魔導書を投げようと振りかぶる。
トワリスは、慌ててその腕を掴むと、声を荒げた。
「投げちゃ駄目! 返して!」
「うわっ、さわんな! 獣女!」
トワリスを振り払おうと、咄嗟に腕を引いたルトの手から、魔導書がこぼれ落ちる。
そのまま、体勢を崩して後退したルトの足が、地面の魔導書を踏みつけてしまった瞬間、トワリスの頭に、かっと血が昇った。
「────っ」
突き飛ばすような形で、ルトの頭を殴り付ける。
思いがけず力が入ってしまって、地面に叩きつけられたルトは、一瞬、事態が飲み込めず、きょとんとした顔で、トワリスのことを見ていた。
しかし、やがて、まんまるに開かれたその目に、徐々に涙を貯め始めると、ルトは、殴られた頭を押さえて、大声で泣き出した。
ひとまず、踏まれてしまった魔導書を拾って、ぱんぱんと汚れを払う。
罰が悪そうにルトを見つめながらも、トワリスは、後悔していなかった。
子供とはいえ、ルトには、一発殴ってやらねば収まらぬ恨みつらみがあったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.70 )
- 日時: 2018/10/29 19:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ようやく中庭での騒ぎを聞き付けたのか、孤児院から出てきたヘレナが、こちらに駆けてきた。
「あらまあ! どうしたって言うの! ルト、貴方今度は何をしたの?」
とりあえず、日頃の行いが悪いルトを叱りつけるも、彼の額が真っ赤になっていることに気づくと、ヘレナは急いで濡らしてきた手拭いを、腫れた部分に押し当てた。
そして、盛んに「獣女がぶった」と繰り返すルトの言葉に、魔導書を抱えて直立しているトワリスを見上げると、ヘレナは、驚いたように目を見開いた。
「嫌だわ、本当にトワリスちゃんが殴ったの?」
言葉を詰まらせて、トワリスがうつむく。
すると、沈黙を肯定ととったのか、ヘレナが、いつものように早口で捲し立て始めた。
「なんてこと……呆れた! どんな理由があったとしても、暴力はいけませんよ、暴力は! 大体、貴女は普通よりも力が強いんだから、そんな力で年下の子供を殴ったらどうなるのか、分かるでしょう?」
「だ、だって……」
「だってじゃありません! 貴女は、孤児院の中じゃお姉さんなのだから、ちゃんと年上らしく振る舞わなければいけませんよ」
「…………」
全く口を挟む隙がないヘレナの物言いに、トワリスは、唇を引き結んで黙りこんだ。
多分、ちゃんと状況を説明すれば、ヘレナも耳を貸してくれるとは思うのだが、何分ヘレナは、とにかく話すのが速い。
一方のトワリスは、言葉を選ぶのに時間がかかる方であったから、ヘレナのように矢継ぎ早に話されてしまうと、口ごもるしかなかった。
サミルやルーフェンは、口ごもっても、トワリスが言葉を言えるまで待ってくれていたから、困ることなどなかったのだが、ヘレナに限らず、いろんな話し方をする人間と関わってみると、自分が口下手だったのだということを、嫌でも思い知らされる。
諦めて、こんこんと続くヘレナの説教を聞いていると、ふいに、子供たちの中から、声が上がった。
「ちょっと待って、ヘレナさん。今のは、完全にルトが悪いわよ」
はっきりとした声で言って、現れたのは、車椅子に乗った、赤髪を二つに結った少女であった。
少女は、器用に車椅子を操ってこちらにやって来ると、トワリスを一瞥して、それからルトを見やると、ヘレナに説明した。
「ルトが、トワリスちゃんの本を取り上げて、投げようとしたのよ。それを止めようとして、もめている内に、トワリスちゃんの手がルトの頭に当たっちゃったの」
「あたっちゃったんじゃない! 獣女がわざとぶったんだ!」
ルトが食ってかかると、赤髪の少女は、ぴくりと眉をあげた。
実際、ルトの言う通り、トワリスは、うっかり手をぶつけてしまったのではなく、意識的に殴った。
おそらく、それは誰が見ても一目瞭然のことだったと思うのだが、どうやらこの少女は、トワリスをかばおうとしてくれているようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.71 )
- 日時: 2019/06/18 11:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
少女は、やれやれという風に首を振った。
「男のくせに、ぴーぴーうるさいわね。そもそも、女の子に対して、獣女って呼び方をするのもどうかと思うわ。ルト、あんた、カイルのこともチビ呼ばわりして、突き飛ばしたらしいじゃない。いい加減にしなさいよ。私、知ってるんだから。この前、おねしょしたシーツを、こっそり洗濯済みのシーツの中に紛れこませていたでしょう?」
ルトの顔が、さっと青くなる。
同時に、「あらまあ」と再び呆れ顔になったヘレナを見て、少女は勝ち誇ったように言った。
「獣女だの、チビだの、そういうことばっかり言ってるんだったら、いいわ。私はこれから、あんたのこと、ルトじゃなくて小便坊主って呼ぶから。こいつは、そばかすまみれで、性根の腐った、七歳にもなって漏らしちゃう小便坊主ですよーって、孤児院にきた人たち皆に、そう言いふらしてやるわ」
「なっ……」
ぷぷっと、子供たちの中から、微かな笑いが起こった。
ルトに恨みがある子供は、他にもいるのだろう。
傍若無人な彼の惨めな姿が、子供たちは、おかしくて仕方がないようだった。
またしても何か言い返そうとしたルトを制して、ヘレナが、ぱんぱんと手を叩いた。
「はい、それまで! 何があったのかは大体分かったから、リリアナちゃんも、言葉遣いには気を付けなさい。トワリスちゃんも、わざとじゃなかったのだとしても、今後うっかり怪我をさせてしまう、なんてことがないように。ルトは、手当てをしたら、また院長先生にお説教してもらいましょうね」
うげっと嫌そうな顔つきになったルトの腕を掴んで、ヘレナが孤児院に入っていく。
トワリスは、引きずられていくルトの姿を見送って、疲れたように嘆息したのだった。
「気にすることないわ。ヘレナさんの言う通り、暴力はいけないことだと思うけど、言葉で言い聞かせたところで、分からない糞ガキっていうのも確かにいるのよ。私だって一回、ルトの頬をひっぱたいたことがあるもの」
横で、ふん、と鼻を鳴らした少女に、トワリスは向き直った。
話したことはなかったが、車椅子と、明るい赤髪がいつも目立っていたので、なんとなく見覚えはある。
トワリスは、小さな声で礼を言った。
「……あの、ありがとう。かばってくれて」
少女は、ふるふると首を振った。
「いいのよ! あれは、誰がどう見たってルトが悪かったし。そんなことより、本、大丈夫だった?」
心配そうに首をかしげて、少女が、トワリスの持つ魔導書を見る。
トワリスは、もう一度魔導書の汚れを払うと、こくりと頷いた。
「うん、ちょっと土埃がついただけだから。拭けば、綺麗になると思う」
「そう! それなら良かった!」
笑みを浮かべると、次いで、少女はトワリスの手を両手で握った。
「私、リリアナって言うの。リリアナ・マルシェ。トワリスちゃんとは、同い年よ。で、こっちが弟のカイル。二歳になるんだけど、しっかり者なのよ。かわいいでしょ?」
リリアナが呼ぶと、彼女と同じ赤髪の男の子が、車椅子の陰から現れた。
ずっと、リリアナの後ろに隠れていたのだろうか。
カイルは、到底二歳児とは思えない悟ったような顔つきで、トワリスのことを見上げている。
お世辞にも、子供らしい可愛さがあるとは思えない、落ち着いた表情の男の子であったが、しっかり者だという表現は、言い得て妙だった。
「実は私たち、トワリスちゃんがここに来る少し前に、西区の孤児院から移ってきたの。だから、新入り同士だし、トワリスちゃんとは一度、話してみたいって思ってたのよ」
「そ、そうなんだ……」
リリアナの勢いに押されつつも、彼女の屈託のない笑みを見ている内に、トワリスも、だんだんと言葉が出てくるようになった。
いきなり距離を詰められると、いつも萎縮して、うまく話せなくなってしまうトワリスであったが、リリアナは、そういう緊張などほぐしてしまう、気のおけない雰囲気の少女であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.72 )
- 日時: 2018/11/06 19:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、微かに表情を和らげた。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。私、口下手だから、なかなか話せる相手、いなくて……」
「えっ、そうなの?」
リリアナは、驚いたように目を大きくした。
「私、てっきりトワリスちゃんは、あえて一人でいるんだと思ってたわ。大勢で騒いだりするより、静かに本を読んだりする方が、好きなのかなって。それもあって、私、今まで声をかけられなかったの」
「まあ、確かに、騒いだりするのはあんまり好きじゃないけど……。別に、一人が好きな訳でもないよ」
言いづらそうに言葉を選びながら、トワリスは、ゆっくりと話した。
「私、これまで同年代の子と沢山しゃべったことなんてなかったし、何を話したら良いのか、分からないんだ。皆も、獣人混じりなんかと話すのは、抵抗があるだろうし……」
口ごもりながら言うと、リリアナは、ぱちぱちと瞬いた。
「獣人混じり……? それは、そんなに関係ないんじゃないかしら。ルトだって、からかう口実にしているだけで、獣人混じりだってこと自体は、多分そんなに気にしてないもの。それよりは、さっき言った通り、トワリスちゃんは一人が好きだって勘違いされているだけだと思う。それにほら、トワリスちゃんって、いっつも、難しそうな本ばかり読んでいるでしょう? 文字が読めない私達からすると、あんな本読めてすごいなぁって思うのと同時に、ちょっと近寄りがたく感じちゃうのよ」
リリアナは明るい声で言ったが、トワリスは、それに同調することはしなかった。
実際、レーシアス邸の者達も、トワリスが獣人混じりだと聞いても、珍しがるだけで敬遠しようとはしなかった。
それでも、獣人混じりという異質な存在を、好奇や侮蔑の眼差しで見てくる人間は、確かにいるのだ。
それは、奴隷だった頃に散々思い知ったことであったし、サミルやリリアナが何と言ってくれようとも、変わらぬ事実であった。
あまり暗い雰囲気にならないように、薄く笑みを浮かべると、トワリスは肩をすくめた。
「そうやって、関係ないって言ってくれるのは、ごく少数の人間だけなんだよ。普通は、びっくりするし、気味悪いって思うみたい」
「うーん……そうなのかなぁ?」
リリアナは、どこか納得がいかなさそうに、唇を尖らせた。
しかし、不意にぱっと顔を輝かせると、トワリスに顔を近づけた。
「ああ、でも、さっきトワリスちゃんが、球をとりに屋根までひとっ跳びしちゃったときは、びっくりしたわ! だって、本当にすごかったんだもの。まるで風に乗ってるみたいに、ぴょーん、ぴょーんって! あ、でもそれは、感動したって意味のびっくりよ。気味悪いだなんて、思うはずないじゃない。むしろ、羨ましいくらいよ」
「そ、そうかな……」
思わぬ部分を賞賛されて、少し戸惑ったように聞き返すと、リリアナは、こくこくと何度も頷いた。
「そうよ! だって、あんなに高く跳べる女の子って、他にいる? 私、普通の人が出来ないことを出来るのって、とっても素敵なことだと思うわ」
随分と単純で、短絡的な言い分であったが、リリアナの言葉は、自分でも驚くほど簡単に、胸の中に落ちてきた。
きっと、リリアナ以外の者が同じ言葉を言っても、ここまで心に響かなかっただろう。
羨ましいだなんて言われたら、獣人混じりの苦悩も知らないくせに、と腹立たしく思ってしまうこともありそうなものだが、不思議と、リリアナに対しては、そういった憤りも感じなかった。
むしろ、腹の底に何もない、純粋で無邪気なリリアナの笑みを見ていると、いつの間にかトワリスも、笑顔になっていたのだった。
トワリスの表情が綻んだのを見ると、リリアナも、嬉しそうに口を開いた。
「ね、同い年なんだし、トワリスって呼んでもいい? 私たちのことも、リリアナとカイルって呼んで良いから」
「う、うん……」
ぎこちなくも頷けば、リリアナの目が、ぱっと輝く。
リリアナは、握っていたトワリスの手を持ち直すと、ぶんぶん振り回した。
「それなら、今日から私達、友達ね! 仲良くしてちょうだいね!」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.73 )
- 日時: 2018/11/10 19:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
第一印象に違わず、話してみればみるほど、リリアナは明るく、優しい心の持ち主であった。
多少そそっかしい部分があったので、彼女に付き合っていると疲れることも多かったが、その無邪気な笑顔を見ていると、不思議と嫌な気はしなかった。
日中は、相変わらず勉強ばかりしているトワリスであったが、出会った日からは、リリアナと一緒に過ごす時間も多くなっていた。
北方の小さな村で育ったというリリアナは、二年前に起きた大規模な山火事に家を焼かれ、その際に両親を亡くし、残された弟のカイルと共に、アーベリトに引き取られたようだった。
だが、そんな重い過去など微塵も感じさせないほど、リリアナは快活で素直な性格であったし、その火事で負った怪我が原因で、車椅子での生活を余儀なくされていたが、そのせいで周りに気兼ねさせるようなこともなかった。
リリアナはきっと、無邪気で子供っぽい反面、本当は誰よりも思いやりがあって、相手の感情を読み取るのが上手な子なのだ。
トワリス同様、東区の孤児院には来たばかりだと言っていたのに、あっという間に周囲と仲良くなってしまうリリアナのことは、純粋に尊敬できたのだった。
「へえー、じゃあトワリスは、将来は魔導師になりたいのね!」
「……うん」
一体なぜ魔導書なんか読んでいるのかと問うてきたので、魔導師になりたいのだと答えると、リリアナは、感嘆の声をもらした。
「魔導師になりたいなんて、トワリスって頭良いのね。だって魔導師になるのって、すっごい大変なんでしょ? 試験受けても、大半は落ちちゃうって聞いたことあるわ」
「え、そうなの?」
リリアナの言葉に、トワリスが瞠目する。
いつものように、昼下がりの中庭で、長椅子に腰かけていたトワリスの顔を覗きこむと、リリアナは、ぱちぱちと瞬いた。
「そうなの、って、知らなかったの? 魔導師とか、騎士を目指す人は、基本的に貴族出なのよ。お金持ちで、小さい頃から沢山勉強したり、戦う訓練を受けたりした人達が、毎年行われる試験に合格して、ようやく入団できるの。平民で、しかも女の子が目指すっていうのは珍しいことだし、入団したあとも、厳しい訓練は続くから、とっても大変なんだって聞いたことあるわ」
「…………」
黙りこんだトワリスの顔が、徐々に青くなっていく。
リリアナは、はっと口をつぐむと、ぶんぶんと両手を振った。
「あ……ご、ごめんね! 脅かすつもりじゃなかったの! つまり、私が言いたかったのは、目指すだけでもすごいなってことで!」
「……ううん、いいよ。教えてくれて、ありがとう。……私、何も知らないから」
トワリスは、読んでいた魔導書を閉じて、ぎゅっと抱え込んだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.74 )
- 日時: 2018/11/13 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「魔導師になりたいって言っても、別に魔術が得意なわけじゃないんだ。ただ、女じゃ騎士団には入れないから、それなら魔導師になろう、って考えただけで……。むしろ、獣人混じりって、普通の人間より魔力量が少ないらしいし、正直なところ、向いてないんだと思う。そもそも、試験を受けるためのお金がないし、予備知識もないから、試験で何を問われるのかも分からないし……」
溜めていた息を長々と吐き出して、トワリスがうつむく。
落ち込んだ様子のトワリスに、リリアナは、眉を下げて尋ねた。
「召喚師様は、何か教えてくれなかったの? トワリスって、ここに来る前は、サミル先生のお屋敷で暮らしてたんでしょ? 召喚師様なら、魔導師団で一番偉い人だし、何か知ってるんじゃないかしら」
トワリスは、小さく首を振った。
「文字の読み書きとか、簡単な魔術は教わったけど、それ以外は聞いてないよ。何か教わってたとしたら、不正になっちゃうもん。それに、私が魔導師団に入りたいって言ったとき、ル……召喚師様は、女の子なのに危ないよって止めてきたから、別に私のこと、応援してくれてるわけじゃないんだと思う」
「まあ確かに、危ないっていうのは頷けるけど……」
悩ましげに唸りながら、リリアナが腕を組む。
トワリスも、つかの間、暗い表情で下を向いていたが、やがて、ふと目線をあげると、その瞳に強い光を宿した。
「……危なくても、向いてなくても、とりあえず試すだけ試してみたいんだ。魔術は得意になれないかもしれないけど、私は獣人混じりだから、身体は頑丈だし、戦うこと自体は出来るようになると思う」
ふと、レーシアス邸で、襲撃があった夜のことを思い出す。
襲ってきた刺客の刃を、トワリスは、確かに目で捉えることが出来ていた。
恐怖から顔を背けず、立ち向かっていけば、己の速さと力は、きっと通用するのだ。
トワリスは、そう確信していた。
魔導書を抱く腕に力をこめて、トワリスは言った。
「……どんな形でも良いから、陛下や召喚師様に、恩返ししたいんだ。召喚師様の仕事は、国を護ることだって言ってたから、それならやっぱり、魔導師を目指すのが良いんだと思う。戦えるようになれば、確実に、召喚師様の力になれる」
揺らがぬ瞳でそう語るトワリスを、リリアナは、しばらくじっと見つめていた。
ややあって、感心したように息を吐くと、リリアナは言った。
「トワリスって、本当に召喚師様のことが大好きなのね。召喚師様の話をするときは、表情がきらきらしてるもの」
一瞬、虚をつかれたような表情で、トワリスが瞬く。
それから、微かに頬を紅潮させると、トワリスはこくりと頷いた。
「……うん」
リリアナは、安堵したように肩をすくめると、くすくすと笑った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.75 )
- 日時: 2018/11/17 18:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「そんなに魅力的な人なら、私も召喚師様に会ってみたいわ。サミル先生とは何度もお会いしたことあるんだけど、召喚師様のことは、一度も見たことがないの。この孤児院でも、ユタとモリンは、召喚師様と実際に会って話したことがあるらしいんだけどね。本当に髪と瞳が銀色で、すごく綺麗な人だったって言ってたわ」
リリアナの言葉に、トワリスは、ぱっと表情を明るくした。
まるで自分のことを褒められたかのように、照れたように笑むと、トワリスは返した。
「優しい人だよ。私のことも、助けてくれたんだ。それだけじゃなくて、忙しいのに、いろんなことを教えてくれたし……」
興奮したように話すトワリスに、リリアナも目を輝かせる。
頬に手をあて、夢見心地にうっとりと目を閉じると、リリアナは言った。
「そういうのって、とっても素敵ね。いいなぁ、私にも、かっこいい王子様が現れないかしら……」
「王子様? 召喚師様は、王族じゃないよ」
すかさず突っ込んできたトワリスに、リリアナは、おかしそうに答えた。
「違う違う、本当の王子様ってわけじゃなくて、自分にとっての運命の相手ってことよ。女の子には、必ず運命の糸で結ばれた、かっこいい王子様が現れるのよ。そして出会った瞬間、二人は恋に落ちるの!」
「そ、そうなの……?」
うきうきとした顔つきで話し始めたリリアナに、トワリスが一歩引く。
すると、リリアナは眉を寄せて、不満げな声をあげた。
「あーっ、ひどい! トワリス今、私のこと馬鹿にしたでしょ!」
「い、いや、馬鹿にしたわけじゃないけど……。ていうか、私のは別に、恋とか、そういうのじゃないし。ただ私が、一方的に召喚師様に憧れてるだけで……」
ぼそぼそと口ごもりながら、トワリスが目を伏せる。
リリアナは、車椅子から上半身を乗り出すと、妙に誇らしげに言った。
「恋かどうかも分からないなんて、トワリスってばお子様ね! いいもん、私が先に、かっこよくて優しくて、強くて頼り甲斐のある王子様を見つけて、証明するんだから。カイルだってじきに、誰よりも素敵な王子様に成長するに違いないわ。そうしたら、ちゃんと運命の女の子を迎えに行くのよ。分かった、カイル?」
突然話の矛先を向けられても、カイルは、顔色一つ変えない。
リリアナの車椅子に寄りかかって、大人しく座り込んでいたカイルは、ちらりとこちらを見ただけで、なにも言わなかった。
時々、いるのかいないのか分からなくなるほど、カイルは静かな子供であった。
最初は、二歳児ってこんなものなのだろうか、なんて思ったこともあったが、孤児院の同じ二歳児たちを見る限りは、そんなことはない。
他の子供たちは、すぐ泣くし、すぐ騒ぐし、何に対しても嫌だ嫌だと駄々をこねるのが常だ。
それに比べてカイルは、基本的にリリアナのそばで落ち着いていることが多かったし、泣いているところも見たことがなかった。
姉であるリリアナのほうが、よっぽど騒々しいし、幼いと言っていい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.76 )
- 日時: 2018/11/21 19:17
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: tDpHMXZT)
トワリスは、苦笑した。
「カイルがいなくなったら、リリアナ、寂しくて泣いちゃうんじゃないの?」
それを聞くと、リリアナは眉をあげて、ふんぞり返った。
「あら、失礼しちゃう! そりゃあ確かに、カイルがいなくなっちゃったら寂しいけど、それで泣いたりなんかしないわよ。泣くとしたら、嬉し涙だわ。カイルが誰かと結ばれたら、私はお姉ちゃんとして、喜んでお祝いするんだから!」
力説するリリアナに、トワリスは苦笑を深めた。
「そうかな。お祝いしたあと、やっぱり寂しいわーって、絶対泣きついてくると思う」
「なによ、トワリスったら生意気!」
ぷっと頬を膨らませると、リリアナがトワリスを睨み付ける。
リリアナの緑色の目を睨み返して、その膨らんだ頬を摘まむと、ぶふっと音がして、リリアナの口から空気が抜けた。
二人は、そのまま睨みあっていたが、ややあって、同時に吹き出すと、けらけらと笑い合った。
乗り出していた上半身を戻すと、リリアナは、トワリスから目線を外して、言った。
「でも本当に、私たち、これからどうなるのかしらね。十年後、二十年後……どこで、何をしているんだろう? それこそ、さっきの話に出てきたような、素敵な王子様が現れて、その人のお嫁さんになってるのかな、なんて……時々、考えたりするわ」
リリアナにしては珍しい、静かな口調。
トワリスは、リリアナの声音が急に暗くなったような気がして、首をかしげた。
「……リリアナ、どうしたの?」
「…………」
問いかけても、返事はなかった。
前を向いたまま、ふわりと微笑すると、リリアナは口を開いた。
「トワリスは、きっと大丈夫ね。毎日、こんなに頑張ってお勉強してるんだもの。試験にも受かって、立派な魔導師になって、召喚師様の右腕になってるわよ」
リリアナらしい、前向きな言葉だ。
けれど、その言葉のどこかに、寂しさのようなものが含まれているように感じて、トワリスは瞠目した。
「……リリアナ?」
「私、応援してるね」
トワリスの言葉にかぶせるように、リリアナが告げる。
その視線の先には、中庭を駆けずり回る、孤児院の子供たちの姿があった。
強く蹴りあげられた球が、ぽーんと弧を描いて、宙を飛ぶ。
わっと声をあげて、跳んでいった球を追いかける子供たちを、リリアナは、羨ましそうな瞳で、じっと見つめていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.77 )
- 日時: 2018/11/25 18:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: jX/c7tjl)
その夜、夕飯を終えると、トワリスは孤児院で与えられた自室に戻った。
基本的に、子供たちは皆、二、三人ずつに一部屋を割り当てられ、共同で生活をしていたが、トワリスは、他に空き部屋がないという理由で、新しく一人部屋をもらっていた。
燭台に炎を灯すと、トワリスは、文机の椅子に腰かけた。
揺れる明かりを手繰り寄せて、広げた魔導書の文面を照らす。
記載された古語の並びを目で追いながらも、トワリスは、昼間のリリアナの姿を思い出していた。
──トワリスは、きっと大丈夫ね。
どことなく、寂しそうにそう言っていたリリアナ。
表情こそ笑っていたが、あんな風に沈んだ彼女の声を聞いたのは初めてであったから、妙に耳に残っている。
(……リリアナ、本当は不安だったのかな)
トワリスは、ふうと息を吐くと、椅子の背もたれに寄りかかった。
いつも明るく笑っているから、あまり意識したことがなかったが、よく考えれば、リリアナは自力で歩けないのだ。
親が亡く、自分で歩くこともできない子供は、これから先、どうやって生きていくのだろう。
孤児院を出た子供たちは、仕事を見つけて生活していく場合がほとんどであるが、車椅子でしか移動ができないリリアナが、誰の補助もなく出来る仕事なんて限られている。
弟のカイルだって、まだたったの二歳だ。
とても働いて稼げるような年齢ではない。
(……リリアナの脚は、もう二度と動かないんだろうか)
魔導書の頁をぱらり、ぱらりと捲りながら、トワリスは眉を寄せた。
レーシアス邸から借りてきた魔導書は、全部で三冊。
どれも、一冊抱えれば両腕が一杯になってしまうほど分厚くて重かったが、それらのどこにも、医療魔術に関する詳しい記述はなかった。
書かれているのは、火や水、風などの自然物を操る魔術についてばかりだ。
医療魔術は発展的な内容だから、もっと専門的な魔導書にしか載っていないのだろうか。
それとも、医療魔術と呼ばれるものは、そもそも自然物を操る魔術の応用か何かなのだろうか。
どちらにせよ、今、トワリスの頭にあったのは、なんとかリリアナの脚を治せる魔術を使えないだろうか、ということであった。
まだ基礎的な魔術も覚えきれていない自分が、医療魔術なんて使えるとも思えないが、何かの糸口でも見つかれば、それでいい。
治せる方法があるかもしれない。
そう分かるだけで、リリアナの気持ちも少しは楽になるはずである。
魔導書を三冊、同時に文机の上に広げると、トワリスは、引き出しから羽ペンとインク壺を取り出した。
リリアナは、火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったのだと言っていた。
つまりは、その怪我が完全に治ってしまえば、再び歩けるようになる、ということである。
羽ペンとインク壺を机の端に置くと、トワリスは、素早く魔導書の頁を捲りながら、目ぼしい魔術を探した。
(怪我を治すんだったら、どんな魔術がいいんだろう。……自己治癒力を高めるとか、薬の効能を高める、とか……?)
そこまで考えて、トワリスは、頭の中の思考を振り払った。
魔術といえど万能ではないし、優れた施術方法や薬剤はあれど、魔術によって短時間で身体が回復する、ということはないのだろう。
思えば、トワリスがレーシアス邸で治療を受けていた時も、なにか特別な魔術をかけられた記憶はない。
沢山寝て、食べて、傷には薬を塗布していたくらいだ。
それでもまだ、受けた傷痕や、背中に刻まれた奴隷印などはくっきりと残っているし、今後一生、それらは消えないだろう。
サーフェリア随一の医師と言って良いサミルやダナですら、完全には治せないのだ。
きっと、医療魔術が使えたって、出来ることには限界があるし、受けた傷を治すというのは、それだけ難しいことなのだ。
(私には、無理かなぁ……)
やりきれない思いが込み上げてきて、トワリスは、深くため息をついた。
まだまだ素人同然とはいえ、仮にも、魔術を学ぶ身になったわけだから、自分もルーフェンのように、魔術を使ってリリアナを助けてあげられたら、なんて思っていたのだが、現実はそう甘くないようだ。
考えてみたところで、リリアナを本当の意味で笑顔にできそうな魔術は浮かばない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.78 )
- 日時: 2018/11/30 17:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: GudiotDM)
トワリスは、魔導書を捲る手を止めると、頬杖をついた。
諦め半分な気持ちで、魔導書に挟んでいた栞を手先で弄ぶ。
その栞に閉じ込められた、黄色い押し花を眺めながら、トワリスは、長い間ぼんやりとしていた。
蝋燭の蝋がじわりと溶けて、燭台の受け皿に垂れる。
明かりに照らされて、赤にも橙にも染まる栞の押し花を見ている内に、トワリスは、不意に不思議な感覚に襲われた。
(蘇らせる、なら……?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
思い付いた、というよりは、じわじわと身体の芯から沸き上がってきたような、奇妙な感覚であった。
リリアナの脚は、動かない。
一度動かなくなってしまったものを、再び自らの意思で動くように治すというのは、つまり、死んでしまったものを、生き返らせるのと同義ではないか。
(……例えば、この栞の押し花を、元の生きた状態に戻せる魔術があれば……)
全身に、鳥肌が立った。
怪我を治療するだけの魔術すら思い付かないのに、死んだものを生き返らせるなんて──そんな魔術、あるはずがない。
仮にあったとしても、自分に使えるわけがない。
そう思うのに、どうしてか、この魔術なら出来るような気がした。
まるで、心の内で、何者かが「お前ならやれる」と、そう囁いているかのようだ。
先程取り出した羽ペンを手に取ると、トワリスは、ただ脳裏に浮かんだ魔法陣を、素早く白紙に描き上げた。
異様な経験であった。
誰に教えてもらったわけでもない。
まだ魔導書を見ながらでないと、簡単な魔術も使えない自分が、知りもしない蘇生魔術の魔法陣を、さらさらと描いている。
自分は、誰かに操られているのではないかと、そう思うほどに、手が勝手に動くのだ。
──気味が悪い。
そう感じる一方で、トワリスは、手が震えるほどに興奮していた。
今から、強大な魔術を使おうとしているのだという、高揚感。
それは、得体の知れないものに触れようとしている不安や躊躇いよりも、遥かに強いものであった。
描き上げた魔法陣の上に栞の押し花を置いて、魔力を高める。
全身の力を注ぎ込むように、栞の上に手をかざすと、トワリスは、自然と唇を動かしていた。
「──汝、後悔と悲嘆を司るものよ。
従順として求めに応じ、我が元に集え……!」
瞬間、かっと手元が熱を帯びて、あまりの熱さにかざしていた手を引く。
同時に、魔法陣から強烈な光が噴き出したかと思うと、平らに横たわっていたはずの押し花が、栞の土台を巻き込むように根を伸ばし、息を吹き返した。
「──……」
トワリスは、言葉を失って、長い間呆然としていた。
しかし、やがて、文机に根付いて開花した、瑞々しい黄色い花びらに触れると、ごくりと息を呑んだ。
(……でき、た……)
何度も、確かめるように、花びらに触れる。
そうしている内に、トワリスの全身に、痺れるほどの強烈な喜びが這い上がってきた。
(すごい、できた……! 思った通り! 私にも、こんな魔術が使えるんだ……!)
──その時だった。
突然、ぱたぱたっと、金臭いものが胸元に垂れた。
驚いて、視線を落とせば、服に点々と血がついている。
「え……」
思わず声を出すと、途端に喉に熱いものがせり上がってきて、トワリスは、その場で喀血(かっけつ)した。
ごほごほと咳き込んで、口元を手で押さえれば、掌が真っ赤に染まる。
その掌も、火傷したように皮膚が爛れていること気づくと、その瞬間、トワリスの頭は、水を打ったように冷静になった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.79 )
- 日時: 2018/12/04 20:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
(なに、これ……?)
慌てて手拭いを用意して、顔全体を覆う。
痛みなどはなかったが、鼻からも、口からも、鮮血は流れ出ているようであった。
少しずつの出血ではあったが、なかなか血が止まらないので、トワリスの心は、徐々に恐怖に支配されていった。
先程までの、滾(たぎ)るような興奮は消えて、ただただトワリスは、恐ろしさに震えてうずくまっていた。
このまま血が流れ続けたら、死んでしまうかもしれない。
部屋にこもっていないで、助けを呼んだ方が良いだろうか。
そんなことを考えながら、トワリスは、手拭いに顔を埋めていた。
しばらくして、ふと顔をあげると、いつの間にか、出血は止まっていた。
安堵したのと同時に、全身の力が抜けて、がっくりと床の上に倒れこむ。
そのままトワリスは、じっと目を閉じていたが、ふと立ち上がると、誰にも気づかれないように共同の洗い場に向かい、顔や服についた血を落とした。
深夜の真っ暗な廊下なんて、いつもなら、手燭なしでは出られない。
だが今は、暗闇に対する恐怖よりも、誰かに見られたくないという思いと、自分は一体何をしてしまったのだろうという狼狽が勝っていた。
結局トワリスは、その夜にあった出来事は、孤児院の誰にも話さなかった。
孤児院には、魔術を使える者などいないから、話しても分からないだろうし、何より、自分はきっと、無意識に手を出してはならない魔術に触れてしまったのだと自覚していたから、それが怖くて、言い出せなかった。
幸い、その日以降、トワリスの身体に不調は表れなかった。
掌の火傷は、リリアナやヘレナに心配されたが、うっかり熱した鍋を触ってしまったのだと説明して、誤魔化した。
後で調べて知ったことだが、トワリスが使った魔術は、俗に言う、禁忌魔術というものであった。
その危険性から、発動することを一切禁止された、古の魔術のことだ。
禁忌魔術は、主に『時を操る魔術』と『命を操る魔術』の二種類に大別される。
生物ではなくとも、トワリスが行おうとした“一度枯れた植物を蘇らせる”魔術は、命を操る魔術の一種であったのだ。
禁忌魔術は、強力である一方で、術者の身体に相応の代償を払わせる危険なものだ。
そのことを、まだ知識の浅い十二のトワリスは、知らなかったのである。
研究されることも禁じられているため、その多くは謎に包まれているが、知識などなくとも、人間が触れてはならない何かだということは、確かに感じ取れた。
今回は、押し花を蘇らせる程度の魔術であったから良かったものの、もし同じ魔術を、人間に使っていたら、一体どれくらいの代償を払うことになっていたのだろう。
おそらく、火傷や出血だけでは済まなかったはずだ。
トワリスは、まるで誰かに誘導でもされたかのように、蘇生魔術を使ってしまった。
魔力も少なく、無知なはずの自分が、どうして──。
なぜ、知らないはずの禁忌魔術が使えたのか。
考えてみたところで、謎が多すぎて怖くなるばかりであったが、トワリスが一番恐ろしかったのは、押し花を蘇らせたあの時、自分の胸の中にあったのは、強い喜びだったということであた。
リリアナを助けられるかもしれないなんて、そんな純粋な喜びではない。
花が再生したのは自分の力だと錯覚し、酔いしれて、禁忌魔術の強大さに、一瞬でも魅了されてしまったのだ。
それ以来トワリスは、魔導書に載っている魔術以外は、使わないと決めた。
少なくとも、魔導師になるという夢が叶うまでは──ちゃんとした知識と技術を身に付けるまでは、無闇に使うべきではないと思ったのである。
当然、得手不得手はあるだろうし、サーフェリアでは、魔術を使えない者の方が多い。
しかし、ルーフェンの言う通り、魔力とは人間なら皆が持っているものであり、きっと、思っているよりもずっと、魔術は簡単に使えるものなのだ。
そう、簡単に使える──だからこそ、恐ろしいのである。
血で汚れた顔や衣服を綺麗にすると、トワリスは、胸を押さえて、寝台にもぐりこんだ。
気味が悪いほどの静寂に耐えて、きつく目をつぶっていたが、気づけば、窓から光が透き射して、小鳥の囀りが聞こえ始めていた。
その夜、トワリスは、一睡もすることできなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.80 )
- 日時: 2018/12/08 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 4IM7Z4vJ)
「──リス! トワリス!」
肩を軽く揺すられて、トワリスは、はっと意識を浮上させた。
目を開けば、心配そうな顔つきのリリアナが、こちらを覗き込んでいる。
慌てて椅子に座り直すと、トワリスの膝から、ばさりと魔導書が落ちた。
どうやら、食堂で座って、魔導書を読みふけってある内に、居眠りをしていたようだ。
食堂は薄暗く、がらんとしており、トワリスとリリアナ、カイルの三人しかいなかった。
夜になれば灯るシャンデリアも、今は蝋燭が並ぶだけの飾りである。
今日は、朝から雪が積もったというので、子供たちは皆、外に飛び出していた。
だから、孤児院に残っているのは、数名の職員と、理由があって寒空には連れていけない子供たちだけだ。
こんなに静かな孤児院は、トワリスが来た日以来であった。
リリアナは、呆れ顔になった。
「トワリスったら、最近具合が悪そうね。お勉強を頑張るのは立派だと思うけど、無理をすると、身体を壊しちゃうわよ?」
「……うん、ごめん」
霞んだ目を擦りながら、落ちた魔導書を拾う。
少し怒った様子で眉をつり上げるリリアナに、素直に謝ると、トワリスは、魔導書を大事そうに抱えこんだ。
押し花を蘇らせるなどという、奇妙な魔術を経験してから、既に数日が経っていた。
あれ以来、少し魔術を使うことに慎重になっていたトワリスであったが、リリアナの脚を治せる方法がないか探ることは、やめていなかった。
魔術を学ぶ片手間でも、色々探って試してみることは、決して無駄にはならないと思ったからだ。
結果として、最近は寝る時間を削ることになっていたので、具合が悪いのではなく単純に眠いだけなのだが、そんなことを知らないリリアナは、トワリスのことが心配らしい。
寝不足なだけだから大丈夫だと伝えても、リリアナは、表情を曇らせるばかりであった。
トワリスが、懲りずにまた魔導書を読み始めようとすると、リリアナが、すかさず口を出した。
「ちょっと、人の話聞いてた? 無理しちゃ駄目だって言ってるのに」
むっとしたリリアナが、トワリスの頬をつねる。
トワリスは、リリアナの手を外すと、魔導書から目をそらさずに答えた。
「私は大丈夫だってば。少し寝不足なだけだよ」
「寝不足なだけ、って……」
頑として聞き入れようとしないトワリスに、リリアナが肩をすくめる。
深々と息を吐くと、諦めた様子で、リリアナは魔導書を覗きこんだ。
「そんなに夢中で、なんの魔術を勉強してるの?」
「それは──」
うっかり答えようとして、口を閉じる。
成功する確率の方がずっと低いのに、リリアナの脚を治せる方法を探しているのだ、なんて言うのは、なんだか無駄に期待させてしまいそうで、申し訳なかった。
わざわざ恩着せがましく、打ち明ける必要はないだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.81 )
- 日時: 2018/12/21 06:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
リリアナは、しばらく返事を待っていたようだが、やがて、トワリスが何も言う気はないのだと悟ると、不機嫌そうにそっぽを向いた。
「言いたくないなら、もういいわ。私、魔術のことはよく分からないし。お勉強の邪魔もしない。行こ、カイル」
「…………」
刺々しい口調で言って、リリアナがカイルの手を握る。
彼女が怒ってしまったのは分かったが、誰かと喧嘩をした経験もなかったので、うまく引き留める言葉も出てこなかった。
こういうとき、自分が口下手であることが嫌になる。
リリアナたちは、食堂を出ていってしまうかと思われたが、それは叶わなかった。
リリアナが手を引いたにも拘わらず、カイルが動かなかったからだ。
「……カイル、どうしたの?」
問いかけてみるも、カイルはトワリスを見つめるばかりで、返事をしない。
あまりにも凝視されているので、思わず緊張して、トワリスもカイルの顔を見た。
こんなにまじまじとカイルを眺めたのは、初めてである。
カイルは、リリアナの手を振りほどくと、おぼつかない足取りで、トワリスの元に歩いていった。
そして、トワリスの手から魔導書を奪うと、何を思ったのか、突然それをトワリスに投げつけた。
「いたっ」
飛んできた魔導書が腹部に直撃して、思わず声をあげる。
カイルの腕力では、魔導書を完全に持ち上げることは出来なかったが、それでも、重量感のある魔導書が落ちてきたわけだから、それなりの衝撃があった。
トワリスが驚いて硬直していると、再び魔導書を投げようとしたカイルを止めたのは、リリアナだった。
「ちょっ、カイル、なにやってるの!」
慌ててカイルの腕を引き、トワリスから遠ざける。
リリアナは、カイルの顔を両手ではさむと、声を荒らげた。
「人の物を投げるなんて、駄目でしょ! どうしてそんなことしたの!」
「…………」
叱りつけるも、カイルはぶうたれた表情で黙っている。
カイルがリリアナに反抗的な態度をとるところなんて、今まで見たことがなかった。
リリアナは、険しい表情でカイルを睨み付けていたが、すぐにトワリスの方に振り返った。
「トワリス、大丈夫!? 痛かったでしょう、ごめんね!」
「う、うん……平気だよ」
腹を擦りながら、ひとまず魔導書を食卓に置く。
怒りというよりは、あの落ち着いたカイルが物を投げてきたことが意外で、トワリスは、首をかしげた。
「……カイル、私、なんかした?」
「…………」
カイルの目線に合わせて屈み、問いかける。
しかしカイルは、トワリスを見ることもなく、不機嫌そうな顔つきのままだ。
その表情が、すべてを物語っているようだった。
カイルはしばらく、無言でうつむいていた。
だが、やがて、トワリスを突き飛ばすと、食堂からとび出していった。
「カイル!」
急いで追いかけようと、リリアナが車椅子の車輪に手をかける。
しかし、突き飛ばされたトワリスのほうも、放っておけないと思ったのだろう。
振り返ったリリアナに、トワリスは、大丈夫だという風に手を振って、立ち上がった。
「……カイル、きっと怒ったんだよ。私がリリアナに冷たくしたから」
苦笑混じりに言うと、リリアナは瞠目した。
「冷たくって……確かにお互いむっとしちゃったけど、そんな、喧嘩したわけでもないのに」
「それでも、カイルにはそう見えたんだよ。多分、私が、お姉ちゃんをいじめる悪者に見えたんじゃないかな」
微笑ましそうに目を細めて、トワリスが言う。
するとリリアナも、呆れ半分、嬉しさ半分といった表情になった。
トワリスは、つかの間、口を閉じていた。
だが、ふと決心したように目線をあげると、リリアナに向き直った。
「……ねえ、カイルのことは、ヘレナさんたちに任せて、少し外で話せないかな」
リリアナが、ぱちぱちと瞬く。
窓から、雪がこんこんと降りしきる外を眺めると、リリアナは眉を下げた。
「話すのは構わないけど、外に行くの? 私、車椅子だから、雪道は歩けないわ」
トワリスは、微かに表情を和らげると、言った。
「私がおぶるから、大丈夫。さっき、何の魔術を勉強してるのかって、聞いたよね。それを教えるから、ちょっとの間、付き合ってほしいんだ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.82 )
- 日時: 2018/12/16 19:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ヘレナたち職員の許可を得て、孤児院から出ると、外は一面の雪景色であった。
今朝雪掻きをしたばかりの道にも、既にうっすらと雪が積もっている。
防寒用の革の長靴を履き、分厚い毛皮の外套を纏っても、長時間外にいると、腹の底が震えてくるような寒さだった。
トワリスは、リリアナを背負って、孤児院の裏手にある林まで歩いていった。
夏場は涼しいからと、子供たちにも人気の庇陰林(ひいんりん)であったが、冬は薄暗いし、裸になった木々が不気味にざわめいて怖いというので、ほとんど人が寄り付かない場所だ。
トワリスは、林の奥の方まで行くと、露出していた手近な木の根に、リリアナを座らせた。
「こんなところまで来るってことは、人に聞かれたくない話なの?」
きょろきょろと周りを見回しながら、リリアナが尋ねる。
トワリスは、すぐ傍にあった木の幹に触れながら、答えた。
「聞かれたくない、ってわけじゃないんだけど、孤児院の人達を、びっくりさせちゃ悪いと思って」
「びっくり?」
首をかしげたリリアナに、トワリスが眉を下げる。
触れていた木の幹に、とんとん、と何度か爪先をぶつけると、トワリスは、数歩後ろに下がった。
「ちょっと、見てて」
言うや否や、トワリスは姿勢を低くすると、ずんっと力強く雪を踏みしめ、駆け出した。
木めがけて助走をつけると、左足を軸に、一気に右足を回転させる。
力一杯、トワリスが幹を蹴りつければ、瞬間、地面が揺れるほどの衝撃が広がって、リリアナは思わず肩を震わせた。
木の枝々に積もっていた雪が、どさどさと落ちる。
同時に、トワリスが蹴り飛ばした木が、ぎしぎしと軋むような音を立て始めたかと思うと、ゆっくりと傾いていき、やがて、雪の上に倒れた。
倒れた木の幹は、リリアナが両腕を伸ばしても、抱え込めるか、抱え込めないかくらいの太さがあった。
特別太いわけではないが、決して細くもない。
樵(きこり)が全力で斧を振るっても、一撃では折れないだろう。
トワリスは、それを蹴り一つで倒してしまったのである。
目の前で起こった出来事が信じられず、リリアナは、しばらくぽかんと口を開いたまま、硬直していた。
トワリスは、そんなリリアナの顔を覗き込むと、心配そうに言った。
「……ごめん、怖かった?」
「こ、怖い、というか……」
ゆっくりとトワリスの方を向いて、ぱくぱくと口を開閉させる。
リリアナは、トワリスと、倒れた木を交互に見やると、ようやく言葉を紡いだ。
「……すごい、驚いたわ……。獣人の血が入ってると、そんなに力が強くなれるものなの?」
興奮が混じったような声で、リリアナが問う。
木を蹴り飛ばして折るなんて、いくらリリアナでも気味悪がってしまうかもしれないと懸念していたが、どうやら杞憂だったらしい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.83 )
- 日時: 2018/12/19 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、苦笑した。
「まさか。本物の獣人は知らないけど、私は、普通の人間より少し身体能力が優れてるくらいだよ。今のは、私の力じゃなくて、魔術なんだ」
「魔術? 蹴っ飛ばすのが?」
眉を寄せたリリアナに、トワリスは頷いた。
「単純に、脚に魔力を込めたんだよ。魔力っていうのは、生物がもつエネルギーみたいなものだから、この力を、例えば枝に込めて、浮かべって命令すれば浮かぶし、折れるように命令すれば、折れる」
言いながら、トワリスは、雪に埋もれていた枝切れに手を向けると、指をひょいと動かした。
すると、その指の動きに合わせ、枝が宙に浮かび上がる。
くるくると回った後、トワリスがぎゅっと拳を握ると、枝は呆気なく折れて、再び雪の中に落ちた。
「命令は、別にしなくても良いんだ。枝は、動こうという意思を持たないから、こっちが命令しないと動かないけど、私の脚みたいに、元から動く力が備わっているものは、命令しなくても動けるし、込めた魔力は、力そのものになる。つまり、脚に魔力を込めて蹴っ飛ばせば、普通より、ずっと威力が強くなるってこと」
感心した様子で話を聞いているリリアナに、トワリスは向き直った。
それから、微かに目を伏せると、辿々しい口調で言った。
「だから、その……この原理を使えば、リリアナは、また歩けるようになるんじゃないかな、って思って……」
「え……」
リリアナが、大きく目を見開く。
トワリスは、顔をあげると、リリアナに一歩近づいた。
「他人の魔力に干渉すると、違う波長同士がぶつかり合って、拒絶反応が出ちゃうらしいんだけど、私がリリアナの脚に魔力を込めるだけなら、簡単にできると思うんだ。魔力を込めれば、怪我の後遺症で弱った脚でも、歩くだけの力を持てるかもしれない。あとは、リリアナが歩こうとすれば、脚が動く可能性だって、十分あると思うんだ」
「…………」
熱のこもったトワリスの言葉に、リリアナの瞳が、驚愕の色を滲ませる。
呆気にとられたような顔で瞬くと、リリアナは尋ねた。
「……ずっと、私が歩けるようになる魔術を探してくれてたの?」
トワリスは、小さくうつむいた。
「私なんか、まだまだ知識も技術も足りないし、上手くいくかかどうかはわからない。でも、色々考えてみて、この方法が、一番試してみる価値があると思ったんだ。危険なことも、ないと思う。……どうかな?」
躊躇いがちに聞けば、リリアナは、長い沈黙の末に、こくりと頷いた。
トワリスも頷き返して、雪の上に膝をつくと、そっとリリアナの脚に手を伸ばす。
トワリスは、革靴越しでも分かる、彼女の細いふくらはぎに触れると、ぎゅっと目をつぶった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.84 )
- 日時: 2018/12/22 17:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
(お願いだから、上手くいって……!)
心の中で祈って、リリアナの脚に魔力を注ぎ込む。
やがて、詰めていた息を吐き出すと、トワリスは、ゆっくりと目を開けた。
立ち上がれば、目の前がちかちかして、頭痛がする。
こんなに一気に魔力を使ったのは、初めてであった。
トワリスは、木の根に座るリリアナを見下ろして、言った。
「立ってみて……」
「う、うん……」
首肯して、リリアナが身じろぐ。
しかし、力が入るのは上半身ばかりで、脚はぴくりとも動かない。
どんな表情をすれば良いか、迷ったのだろう。
少し視線を彷徨わせた後、リリアナは、躊躇いがちに口を開いた。
「だ、駄目そう……動かない」
「…………」
トワリスの表情が、微かに強張る。
再び膝をつくと、トワリスは、再度リリアナの脚に手を伸ばした。
「ちょっと待って、もう一度やってみる」
「い、いいよ! 無理だから!」
慌てて首を振ると、リリアナは、咄嗟にトワリスの手を掴んだ。
びくりと震えたトワリスに、言葉を詰まらせる。
リリアナは、はっと口を閉じた後、ゆっくりとトワリスの手を離すと、困ったように笑った。
「ご、ごめんね、トワリス。ありがとう……でも、無理なの」
寂しさを含んだような、穏やかな声。
眉を寄せたトワリスに、リリアナは言い募った。
「火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったって言ったじゃない? でも、脚じゃないの。……私が怪我をしたのは、背中だったのよ」
「背中……?」
リリアナは、こくりと頷いた。
「脊髄損傷、ってやつ。家が燃えて、逃げている途中に、倒れてきた柱の下敷きになっちゃったのよ。幸い、火傷は大したことなかったんだけど、その時に、脊髄の一部が傷ついてしまったんですって。脊髄には、神経が沢山通っていて、それが壊れてしまったから、脚が麻痺して、動かなくなったんだって。そうお医者様には言われたわ。だからね、脚の問題じゃないの。私が動けって命令しても、それは伝わらない。私の脚は、動く意思を持たない、枝切れと一緒ってこと。だから、自力で歩けるようになるのは、難しいんですって」
トワリスの目が、徐々に見開かれる。
ぐっと唇を噛むと、トワリスは立ち上がった。
「じゃあ、リリアナが魔術を使えるようになればいいよ。枝切れだってなんだって、魔術が使えれば、動かせる。人間は、多かれ少なかれ、魔力を持ってるんだ。私にだって出来たんだし、リリアナだって、きっと使えるようになる!」
思わず口調を強めて、トワリスは言った。
神経が途絶えてしまっていたのだとしても、枝切れを動かせるのと同じように、脚だって動かせるはずである。
理論上、トワリスが魔力を込めれば、トワリスがリリアナの脚を動かすことになってしまうが、リリアナ自身が魔術を使えるようになれば、自分の意思で、再び自分の脚を動かせるようになるのだ。
しかしリリアナは、首を左右に振った。
「出来ないわ。枝切れは軽いけど、私の脚を動かすには、私一人分の重さを支えられるくらいの魔術が使えなきゃいけないのよ。そんなの、普通は出来ないもの。確かに、私にも少しくらいは魔力があるのかもしれないけど、私の家系に魔導師はいないし、持ってる魔力なんて、たかが知れてる。魔力を持っていても、魔術が使えるくらい強い魔力がある人は、珍しいのよ。だから、魔導師になるのは大変なんじゃない。それは、トワリスの方が分かってるでしょう?」
「…………」
唇を震わせると、トワリスは下を向いた。
可能性は低いと思いつつも、心のどこかで、成功するかもしれない、なんて期待していた自分が、とても惨めだった。
考えてみれば、リリアナは以前、西区の孤児院にいたのだ。
西区の孤児院は、施療院も兼ねた場所だから、当然、アーベリトの医師も常駐している。
つまり、リリアナは既に、脚の治療を受けていたはずなのである。
受けていたけど、駄目だったのだ。
魔力を込めるだけなんて、トワリスが思い付く程度のことで治るなら、リリアナは、もうとっくに医師たちの力で、歩けるようになっていただろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.85 )
- 日時: 2018/12/26 18:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
すっかり黙りこんでしまったトワリスに、リリアナは、焦った様子で言い直した。
「あっ、でもね! トワリスが提案してくれたとき、もしかしたら……って私も思ったのよ。まあ、結果的には駄目だったけど、それでも私、すごく嬉しかったの! だってトワリス、寝る間も惜しんで、私が歩ける方法を探していてくれたんでしょう? 私、トワリスと友達になれて、とっても幸せよ」
トワリスの手を握って、リリアナは、明るい声で言った。
「それに私ね、歩けないくらい、気にしてないの。確かに不便ではあるけど、火事が起きたときに、死んじゃってたかもしれないって考えると、命が助かって良かったなって思うの。本当よ。アーベリトの皆は優しいし、私にはカイルだっている。歩けないくらい、なんだっていうのよ。だから、トワリスが気にする必要なんて、全くないわ。ね?」
「…………」
リリアナは、にこにこと笑みを浮かべながら、はっきりと言いきった。
だがトワリスは、一層表情を曇らせると、ぽつりと呟いた。
「……そんなの、嘘だよ」
リリアナの手を外すと、トワリスは、静かに続けた。
「前に、球蹴りしてる子供連中を、羨ましそうに見てたじゃないか。気にしてないなんて、嘘だよ。本当は、自分の脚で歩きたいって思ってるし、すごく不安なんでしょう? リリアナは前向きで、いつだって明るいけど、今のその笑顔は、空元気にしか見えないよ」
揺れたリリアナの目を、トワリスは、まっすぐに見つめた。
「結局、私じゃ力になれなくて、ごめん。でも、私のことを友達だって言うなら、気にしてないなんて、嘘つくことないじゃないか。別に私は、リリアナが触れられたくないことを、無理矢理聞き出そうなんて思ってないよ。私にだって、思い出したくないこととか、あるもの。だけど、そんな風に嘘つかれたり、嘘笑いして気遣われたりしたら、なんか、寂しいよ」
「…………」
リリアナは、瞠目したまま、しばらく黙りこんでいた。
トワリスは、やりづらそうに目を伏せたが、やがて、こちらを見るリリアナの目に、みるみる涙が盛り上がり始めると、ぎょっとして、慌てて屈みこんだ。
「あっ、ご、ごめん、私、責めたつもりじゃ……」
細かく震えるリリアナの肩に手をおいて、謝罪する。
リリアナは、ぽろぽろと涙を流しながら、言った。
「だって、私、お姉ちゃんだもん……」
思いがけない答えに、トワリスが動きを止める。
リリアナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ごしごしと拭った。
「お父さんと、お母さんが死んじゃったの、カイルが、一歳の時よ。カイルに、両親との思い出なんて、ほとんどないの。つまり、カイルにとっては、私がお姉ちゃんで、お父さんで、お母さんなのよ。その私が、暗い顔してちゃ、駄目じゃない……っ、ふぇええ……」
まるで幼い子供のような声をあげて、リリアナは泣き出した。
激しくしゃくりあげながら、なんとか涙を止めようとしているようであったが、リリアナは、なかなか泣き止まなかった。
「リリアナ……」
かける言葉が見つからなくて、トワリスは、黙ったままリリアナの隣に座った。
孤児院に帰って、カイルの元に戻ったら、きっとリリアナはまた笑うのだろう。
だから今は、勇気づけるより、彼女が泣けるこの時間を、見守っていた方が良いだろうと思った。
リリアナはそうして、長い間、わんわんと声をあげて泣いていた。
涙を溢しながら、すがるように抱きついてきたので、トワリスも、リリアナの背に手を回す。
そのまま背を擦ってやると、リリアナは、一層激しく嗚咽を漏らした。
「トワリス、トワリス……ありがとぉ、大好き……」
トワリスの服の袖にぎゅっとしがみついて、リリアナが言う。
涙声だったが、口調にはいつもの快活さが戻っているような気がして、トワリスは、安心したように笑った。
「……うん、私も」
ぽんぽんとあやすように、背中を撫でる。
つられて熱くなった目頭に、繰り返し瞬くと、トワリスもこくりと頷いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.86 )
- 日時: 2018/12/26 18:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
しんしんと降り続いた雪は、三日経って、ようやく止んだ。
大通りは、毎日雪掻きをしていたが、人の寄り付かない下道などには、小さな子供の背丈ほどまで雪が積もっている。
トワリスは、孤児院の玄関口から大通りまでの道を雪掻きしながら、やれやれと嘆息した。
本当は、朝の内に終わらせたかったのだが、既に日は高く昇っている。
こんなに時間がかかってしまったのは、一緒に雪掻きをしていた、七、八歳の子供たちが原因だ。
彼らは、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら遊ぶばかりで、雪を片付けるどころか、散らかすのである。
こうなることは、なんとなく予想出来ていたが、トワリスが折角隅に寄せた雪を、男児連中が突進して崩した時は、流石に怒鳴りたくなった。
言い聞かせたところで、獣女が怒っただの何だのと喚かれるだけなので、ぐっと堪えたが、これでは、一人だけ真面目に雪掻きをしているのが、馬鹿みたいである。
どうせ日が照れば雪は溶けるのだし、トワリスが雪を掻いた道は、うっすらと雪が残っているだけで、歩けないほどではない。
もう中断して、孤児院に戻ろうか。
そう思い立って、腰を伸ばした、その時であった。
不意に、大通りの方から、馬蹄の鳴る音が聞こえて、トワリスは顔をあげた。
(……珍しいな。誰だろう?)
孤児院の中庭の入口に、一台の馬車が止まる。
そこから、上品な身なりをした中年の女性が降りてくると、トワリスだけでなく、雪まみれになって遊んでいた子供たちも、途端に目を丸くした。
ちょっとした金持ちの風体をした女性が、こんな貧乏臭い孤児院に、一体何の用だというのだろうか。
女性は、道のど真ん中に突っ立っているトワリスの元に歩いてくると、にこにこと微笑みながら、話しかけてきた。
「雪掻き、ご苦労様。突然ごめんなさいね。私、ロクベル・マルシェと申します。こちら、シグロスさんの孤児院で合っていますか?」
「あ……はい。そうです」
トワリスが答えると、ロクベルの笑みが深くなった。
マルシェ、というと、リリアナやカイルと同じ姓だ。
結い上げられた赤髪も、リリアナとよく似た色をしていて、このロクベルと名乗る女性が、リリアナと何か関係のある人物であることは、すぐに分かった。
ちらりと孤児院の方を見てから、ロクベルは言った。
「シグロスさんは、お部屋の中かしら。少し、お邪魔しますね」
軽くトワリスに会釈して、ロクベルは孤児院に入っていく。
その様子を、呆然と見守っていると、他の子供たちが、興味津々といった顔でトワリスに近づいてきた。
「今の人、王都から来たのかな? 貴族かもしれないよ!」
「マルシェって名乗ったよな? リリアナ姉ちゃんとカイルって、実はお金持ちの子供だったのかな」
「えぇっ、じゃあ二人とも、ここを出ていっちゃうんじゃない?」
何やら興奮した口調で話しながら、子供たちは盛り上がっている。
トワリスは、微かに眉を寄せると、子供たちの方に振り返った。
「リリアナたちが出ていっちゃうって、どういうこと?」
子供たちは、お互い顔を見合わせると、答えた。
「あのおばさんが、リリアナ姉ちゃんたちを、引き取りにきたんじゃないかってことだよ! 時々あるんだ。孤児になっても、遠い親戚とかが引き取りにくること。ね?」
子供たちが、同調してうんうんと頷く。
トワリスは、黙ったまま、再び孤児院の方を見た。
確かに、ありえる話だと思った。
両親が亡くなったといっても、リリアナとカイルは、天涯孤独になったわけではない。
どこか別の場所に住んでいた親戚が、リリアナたちが孤児院に引き取られたと知って、迎えに来るなんて、十分考えられることだ。
(……優しそうな、人だったな)
ふと、先程のロクベルの笑顔を思い出す。
軽く挨拶を交わしただけだったが、リリアナと同じで、温かい人柄の女性に見えた。
彼女が一緒に暮らそうと言ったら、リリアナやカイルは首を縦に振るだろうし、トワリスも、そうするべきだと思う。
孤児院も悪いところではないが、迎えてくれる親族がいるなら、やはり一緒に暮らすべきだ。
喜ばしいことなのだから、もし本当にリリアナが引き取られることになったら、笑って送り出そう。
そう思いながらも、胸にもやもやしたものが沸き上がってきたのを感じて、トワリスは、雪掻き用のシャベルを握り直したのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.87 )
- 日時: 2018/12/29 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 3edphfcO)
雪掻きを終えると、トワリスたちは、孤児院の中に戻った。
予想通り、あのロクベルという女性は、リリアナとカイルを連れて、院長であるテイラー・シグロスの部屋に入っていったらしい。
子供たちは、食堂にある暖炉の前で冷えた身体を暖めながら、リリアナたちが孤児院からいなくなるかもしれないという話題を広めて、語り合っている。
トワリスは、客人が来ているのだから、静かにするようにと子供たちを諫めたが、本当は、子供たちと同様、院長室でロクベルがどんなことを話しているのか、とても気になっていた。
気分が落ち着かないまま、トワリスは、自室にこもって魔導書を読みふけっていた。
だが、再び食堂に出ていったときには、いつの間にか、ロクベルは帰っていたようだった。
リリアナは、カイルを抱えて、同年代の子供たちを相手に、何やら楽しそうに会話している。
ひとまずリリアナたちがまだ残っていることに安堵すると、トワリスは、静かに食堂を後にした。
ロクベルたちと一体何を話していたのか、聞きたかったが、聞けなかった。
いざ聞いてみて、もしリリアナに「孤児院を出て、ロクベルさんと暮らします、さようなら」なんて言われたら──。
そう考えると、なんだか怖くなってしまった。
トワリスは、自室から灯りを持ち出すと、こっそりと孤児院の外に出た。
まだ夕飯の時間にもなっていないとはいえ、夜に無断で外出したことがばれたら、後々怒られるだろう。
それでも、今はなんとなく、誰もいない外の空気が吸いたくなったのだ。
孤児院の外壁に寄りかかり、灯りを足元に置くと、トワリスはその場にしゃがみこんだ。
孤児院の中から、やかましい子供の声は聞こえてくるが、冬の夜は、恐ろしいほど静かだった。
息を吐けば、ふわりと舞った吐息が、白く濁る。
身に染み込むような寒さと静寂が、今は心地よかった。
トワリスは、上を向いて、星の散らばる夜空を眺めていた。
そうして、しばらくの間、ぼんやりと意識を漂わせていると、不意に、扉の開く音がした。
孤児院の職員が、トワリスの不在に気づいて探しに来たのだと思ったが、出てきたのは、リリアナであった。
「あ! トワリスったら、こんなところにいたのね。孤児院のどこにもいないんだもの。随分探しちゃったわ」
「…………」
トワリスが返事をしないので、不思議に思ったのだろう。
リリアナは車椅子を操って、道に薄く張った雪氷をぱきぱきと踏みながら、トワリスの隣にやってきた。
そして、同じように上を向くと、ほうっと息を吐いた。
「……今夜は、星が綺麗ね」
リリアナが、ぽつりと呟く。
二人は黙って、満天の星空を眺めていたが、やがて、トワリスの方を見ると、リリアナが口を開いた。
「今日来た人ね、私の叔母さんだったの。私が生まれたばかりの頃に、一度だけ会ったことがあるらしいんだけど、私、覚えてなくて……。連絡もとっていなかったから、私のお父さんとお母さんが死んじゃったことも、つい最近知ったんですって。それで、生き残った私とカイルのこと、ずっと探してくれていたみたい」
「…………」
リリアナは、嬉しそうな顔で言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.88 )
- 日時: 2019/01/01 19:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: w93.1umH)
「久々に、お父さんとお母さんの話をしたわ。私が小さかった頃の話も……。叔母さん、すごいのよ。シュベルテで小料理屋を出しているんですって! 一年前、旦那さんが亡くなっちゃって、今はお店を閉じてるらしいんだけど、近々また再開するって言ってたわ。自分のお店があるなんて、なんだかかっこいいわよね!」
トワリスは、リリアナの方を見ずに返した。
「じゃあ、リリアナとカイルも、近々シュベルテに行くの?」
一瞬、リリアナが言葉を止める。
少し困ったように笑うと、リリアナは答えた。
「一緒に暮らさないかって、誘われたわ。……でも、それに関しては、私、どうしようか迷ってるの」
「え……?」
大きく目を見開いて、トワリスがリリアナを見る。
リリアナは、微かに苦笑した。
「叔母さんは、とっても優しい人だったわ。一緒に暮らせば、カイルにとってもお母さんみたいな存在ができるし、安心できると思う。でも、私たちはここでの生活に馴染んじゃったし、今すぐアーベリトを離れて、叔母さんと暮らしたいかって言われると、悩んじゃうのよね。ほら、私、歩けないし、カイルだってまだ小さいでしょう? 叔母さんにも迷惑かけちゃうと思うの。院長先生も、今は孤児院にいる子供の数が少ないから、どうするかは自分で選んで良いって言ってくれたし」
「…………」
リリアナは、それだけ言うと、口を閉じて、再び夜空を見上げた。
そんな彼女の横顔を見つめて、トワリスも、長い間、黙っていた。
多分、リリアナは、一緒に行きたいのだろうと思った。
ロクベルの話をしていたときの、あの嬉しそうな顔。
あれが、リリアナの本心を表していた。
彼女が悩んでいると言ったのは、きっと、自分達が孤児院に残りたいからではない。
ロクベルに、迷惑をかけたくないと思っているからだ。
トワリスは、ふと立ち上がると、リリアナに向き直った。
「……行くべきだよ。ロクベルさん、ずっとリリアナたちのことを探していて、ようやく見つけて、迎えにきてくれたんだろう? リリアナたちのことを、迷惑だなんて思わないよ」
そう言うと、リリアナの顔に、戸惑いの色が浮かんだ。
「それは、そうかもしれないけど……。別にそれだけじゃなくて、私、この孤児院で出来た友達と別れるのも、寂しいのよ。ここにきて、まだ半年も経ってないんだもの。出会ってすぐお別れなんて、嫌だわ」
トワリスは、首を振った。
「そんなの、またいつだって会えばいいじゃないか。ロクベルさんは、リリアナやカイルにとって、やっと巡り会えた家族みたいなものだろう? だったら、一緒に住むべきだと思う」
「…………」
黙ってしまったリリアナに、トワリスは言い募った。
自分の声が、固くならないように。
嘘だとばれないように。
トワリスは、努めて口調をやわらげた。
「召喚師様も、言ってたよ。自分が故郷だと思うなら、そこが故郷なんだって。だから、シュベルテに行こうと、どこに行こうと、リリアナが思うなら、リリアナにとっての第二の故郷は、この孤児院なんだよ。だから、悩む必要はないと思う。孤児院が懐かしくなったら、また帰ってくればいいよ。離れたくないとか、迷惑かけたくないとか、そんな些細なことで、家族ができるかもしれない機会を、潰すべきじゃないと思う」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.89 )
- 日時: 2019/01/05 21:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: SsOklNqw)
トワリスの言葉を聞いているうちに、リリアナの顔つきが、変わった。
悲しそうに表情を歪めると、リリアナは、トワリスを責めるように言った。
「全然些細なことじゃないわ。帰ってくればいいって言うけど、シュベルテとアーベリトは、気軽に行き来できるような距離じゃないじゃない。それにトワリスは、魔導師団に入るんでしょう? そうしたら、本当に会えなくなっちゃうわ。私は、トワリスと離れたくないって言ってるの! トワリスは、私がいなくなっても、ちっとも寂しくないの?」
「……それは……」
言いかけて、口を閉じる。
リリアナがいなくなるのは、もちろん寂しい。
しかし、今ここで、彼女を引き留めるような言葉を言うべきではないと思ったのだ。
トワリスが何も言わないことに、苛立ったのだろう。
リリアナは、滲んできた涙を強引に拭うと、叫んだ。
「いいもん! 私、叔母さんのところに行く! お店で働いたりするの、実は、すごく憧れてたんだから! トワリスなんて知らない!」
言い終わるのと同時に、くるりと車椅子の向きを変えて、リリアナは孤児院の中に入っていく。
勢いよく閉じられた扉の音が、嫌な余韻を残して、トワリスの中に響いていた。
(……行かないで、なんて、私が言うことじゃない)
トワリスは、細々と息を吐いて、再びその場にしゃがみこんだ。
喧嘩になってしまったのは予想外だったが、結果としては、これで良かったのだと思った。
胸のもやもやはまだ治まらなかったが、リリアナとカイルに家族が出来ることを喜ぶ気持ちは、本当である。
リリアナは確かに親友だが、彼女たちと自分は、決定的に違う。
リリアナには、カイルがいるし、ロクベルもいる。
探せば、もしかしたら他にも、親戚がいるかもしれない。
サーフェリアの隅々まで探したって、同族がいないトワリスとは、違うのだ。
(……寂しいよ、リリアナ)
座り込んで、膝の間に顔を埋める。
すると、リリアナの前では見せまいと思っていた涙が、ぽろぽろとこぼれてきた。
リリアナを送り出そうとしている自分が、ひどく滑稽に見えた。
自分だって、レーシアス邸を出るとき、サミルやルーフェンと離れたくないと、散々ごねて、いじけたくせに。
リリアナよりも、誰よりも、別れを寂しいと感じているのは、自分のくせに。
虚勢を張って、誰の目にもつかぬ場所で一人、めそめそと泣いている自分が、とても惨めだったし、そんなことを考えて、いつまでもうじうじとしている自分にも、腹が立った。
やはり家族というのは、温かいものだと思う。
トワリスだって、顔すら浮かばぬ母のことを考えるだけで、心が落ち着くし、同時に、二度と会えないのだと思うと、身悶えするほど悲しくなる。
きっと、家族とはそういうものだ。
唯一無二、友達や仲間とはまた違う、強い絆で結ばれた、大切な存在なのだ。
自分は、誰の唯一無二でもない。
サミルやルーフェンにとっては、助けた子供の内の一人でしかないし、リリアナにとっては、数いる友達の内の一人だ。
目まぐるしい日々の中で、すっかり忘れていた孤独感が、ちくりと心を刺した。
(……寂しいよ。……寂しい)
鼻をすすると、鼻の奥が、つんと痛んだ。
冬の夜気にさらされて、手や足が、悴むほどに冷えている。
ぽつぽつと零れる涙だけが、染みるように熱かった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.90 )
- 日時: 2019/01/07 18:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
それからロクベルは、度々孤児院を訪れるようになった。
明るい彼女の人柄は、リリアナやカイルだけでなく、他の子供たちも惹き付けるようで、ふと見れば、子供たちの輪の中心に、ロクベルがいることも多くなっていた。
リリアナも、彼女と暮らすことを決意したらしく、夕食の時間に、もうすぐ孤児院を去ることを告げた。
トワリスにとっては、大事であったが、孤児院では、引き取り手が見つかることくらい、特別珍しいことでもなかったのだろう。
子供たちは、悲しみながらも、リリアナの出立を受け入れて、素直に祝福していた。
喧嘩して以来、トワリスは、リリアナとほとんど話していなかった。
このまま別れるのは嫌だったから、どこかで絶対に謝らなければと思っていたのだが、目が合ってもお互い気まずくなって、顔を背けてしまうので、なかなか和解できなかった。
そんな風に足踏みしている内に、あっという間に、別れの日はやってきた。
ロクベルが乗ってきた馬車の前で、子供たちからもらった花束を抱き、リリアナは、幸せそうに笑っている。
カイルも、相変わらずの無表情であったが、ロクベルの手をぎゅっと握って、心なしか、いつもより明るい瞳をしているように見えた。
溶けて少なくなった残雪が、日の光に照らされて、きらきらと輝いている。
リリアナは、湿った地面で車椅子の車輪が滑らないように気を付けながら、孤児院の職員や子供たち、一人一人と握手をして、別れと感謝の言葉を述べていた。
笑顔を浮かべ、そして、時折涙ぐみながら。
ゆっくりと時間をかけて、リリアナは挨拶をしていく。
最後に、輪から少し外れたところに立っているトワリスの前にやって来ると、リリアナは、他と同じように、手を差し出してきた。
「トワリスも……今まで、ありがとう。私、トワリスに会えて、本当に良かったと思ってるのよ。……これからも、魔術のお勉強、頑張ってね」
差し出された手を、軽く握る。
トワリスは、こくりと頷くと、微かに笑んだ。
「……うん。……私も、リリアナに会えて良かった。ありがとう、元気でね」
少しの間、見つめ合って、手が離れる。
一番仲の良かった二人の挨拶が、思いの外淡白だったので、周囲の者たちは、意外そうにトワリスとリリアナを見つめていた。
だが、そんな視線を気にすることもなく、リリアナは、車椅子の向きを馬車の方へと変えた。
「それでは、皆様、お世話になりました。また、必ずこちらに顔を出しますから、そのときは、どうぞよろしくお願いしますね」
ロクベルが丁寧に頭を下げて、それに対し、職員たちも礼を返す。
それから、いよいよ馬車に乗り込もうというとき、リリアナが、再び振り返った。
リリアナは、トワリスを見た。
トワリスも、リリアナを見ていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.91 )
- 日時: 2019/01/09 18:42
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8nwOCftz)
きゅっと顔をしかめると、突然、車椅子の肘置きを手で押して、リリアナが飛び出した。
地面に転げ落ちそうになったリリアナを、咄嗟に受け止めると、トワリスは、慌てた声を出した。
「いっ、いきなり何やってんのさ!」
リリアナの全身を見て、怪我がないかどうか確かめる。
狼狽えているトワリスを、ぎゅっと抱き締めると、リリアナは、急に大声で泣き出した。
「やっぱり、こんなっ、仲直りできないままお別れなんて、嫌よぉお……! トワリスの馬鹿ぁ! 頑固者! 薄情者ぉっ」
先程まで笑顔だったリリアナの号泣に、その場にいた全員が、目を丸くする。
リリアナは、ぶんぶんと首を振りながら、トワリスにしがみついた。
「私、トワリスを見習って、文字、覚えるから! お手紙出すわ! だから、お返事ちょうだいね! 魔導師になって、忙しくなっても、遠くに行っちゃっても、絶対によ! 約束だからね。私達、これからもずっと、友達よ」
「…………」
喉の奥が熱くなって、涙が出そうになった。
揺らいだ視界に目をつぶって、なんとか泣き出しそうになるのを堪えると、トワリスは、リリアナの背をぽんぽんと叩いた。
「リリアナは、泣き虫だなぁ……」
リリアナの肩をつかんで、ゆっくりと身体を離す。
トワリスは、眉を下げて、微笑んで見せた。
「この間は、そっけない態度とって、ごめん。私も、リリアナがいなくなるのは、すごく寂しいよ。寂しいけど……大丈夫。手紙も書くし、魔導師になれても、なれなくても、絶対、また会いに行くよ」
「ほんとう?」
嗚咽を漏らしながら問いかけてきたリリアナに、トワリスは、深く頷いた。
「うん、約束」
それを聞くと、リリアナは、しゃくりあげを止めようと、何度も何度も深呼吸をした。
その背を撫でながら、リリアナが落ち着くのを待っていると、不意に、近づいてきたロクベルが、トワリスの顔を覗きこんできた。
「ああ、貴女がトワリスちゃんだったのね。リリアナやカイルと仲良くしてくれていたみたいで、どうもありがとう」
「いえ……こちらこそ」
急に会話に入ってきたので、少し驚いたが、トワリスがぺこりと頭を下げると、ロクベルは朗らかに笑った。
そして、座り込んでいるリリアナたちに合わせ、屈み込むと、トワリスの方を向いた。
「失礼なことを聞いてしまうけど、貴女は、この孤児院以外に、行く宛はあるの?」
意図の分からない質問をされて、微かに眉を寄せる。
トワリスは、目を伏せると、小さく首を振った。
「ありません、けど……」
思ったよりも暗い声になってしまって、はっと口をつぐむ。
しかし、ロクベルは、そんなことは全く気にしていない様子で、あっけらかんと答えた。
「そう。じゃあ貴女、一緒にうちで暮らしちゃいなさい」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなくて、硬直する。
同様に驚いたリリアナは、ひゅっと涙を引っ込めると、ロクベルにすがりついた。
「えっ、え、い、いいの!?」
ロクベルは、まるで何でもないかのように、うふふと笑った。
「そりゃあ、シグロスさんの許可は取らなければならないけど、駄目とは言われないでしょうし。娘一人増えるくらい、私は全然構わないわよ。それに、こんなに別れを惜しんでいる二人を引き離すなんて、なんだか私が悪者みたいじゃない? トワリスちゃんさえ良ければ、一緒に暮らしましょうよ」
「…………」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.92 )
- 日時: 2019/01/11 18:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、呆気にとられた様子で、しばらく放心していた。
だが、ややあって、自分の狼の耳を押さえると、首を左右に振った。
「お、お気持ちは、有り難いですけど……私、獣人混じりだし、普通とは違うんです。だから、やめた方がいいと思います」
困惑した顔つきのトワリスに、ロクベルが目を瞬かせる。
ロクベルは、トワリスの手を取ると、穏やかな口調で言った。
「リリアナから聞いたトワリスちゃんは、普通の、優しい女の子だったわ。大丈夫、私、細かいことは気にしない質(たち)なの。トワリスちゃんは、私の可愛い姪と甥のお友達。その事実だけで、十分だわ」
目尻に皺を寄せて、明るく笑ったロクベルを見て、改めて、この人はリリアナの叔母なのだろうと思った。
緊張も不安も、全て取り去ってしまう、屈託のない笑み。
この笑顔を向けられると、不思議なくらい、心に沈殿していた靄(もや)が晴れるのだ。
呆然としているトワリスに、ロクベルは続けた。
「それに、トワリスちゃんは、魔導師になりたいんでしょう? それなら尚更、家族が必要よ。その年で魔導師団に入団するなら、名義人が必要だもの。うちの子になれば、堂々とマルシェの姓を名乗って、入団試験を受けられるわ」
「…………」
トワリスとリリアナは、口を半開きにしたまま、顔を見合わせた。
二人とも、しばらくは黙っていたが、やがて、ふと思いついたように目を見開くと、リリアナが呟いた。
「すごいわ、トワリス……私達、友達とびこえて、姉妹になっちゃうのよ」
「…………」
未だ言葉を失った様子で、トワリスは、ぽかんとしている。
ロクベルは、トワリスの手を引いて、立ち上がらせると、更に言い募った。
「勿論、無理強いはしないわ。孤児院を出ると言っても、私の家はアーベリトになったわけだし、心配しなくても、すぐに会え──」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
ロクベルの言葉を遮ったのは、リリアナだった。
リリアナは、混乱した様子でロクベルに向き直ると、口早に問うた。
「家がアーベリトって、どういうこと? 叔母さんは、シュベルテに住んでいるのよね?」
ロクベルは、首をかしげた。
「ええ、確かにシュベルテに住んでいたけど、最近アーベリトに越してきたのよ。ほら、あそこは人が多いし、リリアナやカイルと暮らすには、少し狭いと思って。シグロスさんにはお話ししていたのだけど、聞いていなかった?」
「き、聞いてないわ……」
答えてから、リリアナの顔が、みるみる赤くなっていく。
つまり、自分とカイルは、王都シュベルテではなく、アーベリトにあるロクベルの新居に移るということだ。
同じアーベリト内に引っ越すというだけのことで、トワリスと喧嘩し、悩み、そして、まるで今生の別れとでも言うかのように、大勢の前で号泣した。
そう思うと、途端に恥ずかしくなってきた。
不意に、トワリスが、ぷっと笑みをこぼした。
緊張の糸が切れたような、間の抜けた笑いであった。
それにつられて、事態を見守っていた子供たちも、くすくすと笑い出す。
終いには、真っ赤な顔で萎縮していたリリアナも、吹っ切れたように笑い始めて、それを見ながら、ロクベルは、嬉しそうに頬を緩めたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.93 )
- 日時: 2020/03/27 16:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ロクベルは、随分と羽振りの良い女性だったので、新居は一体どんなものなのかと身構えたが、案外素朴な外観の、二階建ての一軒家であった。
孤児院から大通りに出て、西に行き、レーシアス邸がある通りをまっすぐ南に進んだところに、ロクベルの家は建っていた。
二階建てといっても、実際に生活するのは二階だけで、一階は、小料理屋を開けるように設計されていた。
広くはないが、新品の食卓と椅子が並ぶ、清潔感のある店だ。
真新しい木の匂いが漂うその空間は、どこか懐かしいような、なんとも言えない居心地の良さがある。
「主人が亡くなってからは、なんだかやる気も出なくて、店は閉じていたのだけれど、これを機に、私も働かなくちゃね」
ロクベルは、さっぱりとした顔つきでそう言った。
リリアナやカイルと暮らすことを決めてから、トワリスの生活は、再び慌ただしくなった。
元々私物は少なかったので、荷物をまとめたりするのは時間がかからなかったが、ようやく孤児院で落ち着いてきたかと思ったところで、また引っ越すことが決まったのだ。
最近は、一日一日がゆっくり流れているように感じていたが、ロクベルに「一緒に暮らそう」と唐突な提案をされてから、孤児院の者たちに感謝と別れの言葉を告げるまでの数日間は、驚くほどの速さで過ぎていった。
サミルとルーフェンに、手紙も書いた。
孤児院では、リリアナとカイルという友達ができて、なんだかんだで、楽しく過ごせたということ。
それから、突然リリアナの叔母、ロクベルに引き取られるようになったということ。
そして、魔導師を本気で目指している、ということ。
手紙なんて書くのは当然初めてで、なかなか納得のいくものが出来上がらず、何度も書き直したので、最終的に、引っ越しの準備よりも、手紙を書き上げる方が時間がかかった。
手はインクで汚れ、文字の書きすぎで指も痛くなったが、それでも、いざ送るときは心が弾んだし、返事は来るだろうかと思うと、どきどきして幾晩も眠れなかった。
結局、一月以上経っても、手紙の返事は来なかったが、それも予想していたことだったので、特別気落ちすることはなかった。
きっと、サミルもルーフェンも、忙しい日々を過ごしているのだろう。
勿論、返事を全く期待していなかった、といえば嘘になるが、片手間に、送った手紙を読んでくれていれば、それだけで十分嬉しいと思っていた。
厳しい冬が過ぎて、暖かな春が訪れると、王都では、魔導師団の入団試験が行われる季節だった。
勉強もまだ不十分に違いないし、試験を受けるお金もないので、トワリスは来年か再来年で良いと言ったのだが、ロクベルは、お金は出すから、とりあえず様子だけでも見てくると良いと言って、聞かなかった。
心配だと言いつつも、ロクベルとリリアナは、トワリスが魔導師になろうとしていることを、思った以上に応援してくれているようだった。
というよりは、半ばはしゃいでいると言っていいかもしれない。
以前ルーフェンは、魔力は人間なら誰もが持っているものだと言っていたが、だからといって、実際に魔術を使える者は、やはり希少な存在だったらしい。
トワリスが、魔術を使えることを、ロクベルもリリアナも、「十分すごいことだし、自分達も誇らしい」と喜んでいた。
申し訳なさはあったが、魔導師団の入団試験の様子を知りたいのは事実だったので、お金は後で必ず返すと約束して、トワリスは、シュベルテに行くことにした。
アーベリトからシュベルテまで行くには、定期的に回ってくる馬車を利用して、約二刻ほどかかる。
特別遠いわけではないが、準備や試験を受ける時間も含めて往復しようと思うと、やはり一日がかりだ。
特にトワリスは、見知らぬ人間も大勢いる馬車に乗り込むなんて、初めてのことであったから、緊張して気が休まらなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.94 )
- 日時: 2019/01/19 18:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
シュベルテは、領主バジレット・カーライルの住む旧王宮を中心に、扇状に広がった大きな街だ。
サーフェリア最多の人口を抱えており、召喚師一族を筆頭とした騎士団と魔導師団、この二大勢力に守られている。
近頃は、召喚師であるルーフェンが不在なのを良いことに、イシュカル教会など、反召喚師派の勢力が力を増しているとの噂もあったが、シュベルテは、厳格なカーライル家が統治する、サーフェリア随一の大都市である。
王権を失ったとはいえ、何百年もの間、王座を守り続けてきたカーライル家が、アーベリトと協力関係にあることを取り決めた以上、その制約が破られることはないように思われた。
トワリスがシュベルテに到着したのは、ちょうど昼に差し掛かる頃であった。
一人では心細いだろうからと、同行してくれたロクベルに手を引かれ、旧王宮の城門横にそびえ立つ、魔導師団の本部に訪れる。
高い漆喰の壁を見上げて歩き、象徴的な獅子の紋様が描かれた大門をくぐると、そこは、トワリスと同じ、魔導師を目指しているであろう者達で、ごった返していた。
トワリスは、一度ロクベルと別れると、一人、ずらりと並ぶ人の中に入っていった。
冷たい石造りの室内には、トワリスと同い年くらいの少年から、中年の男性まで、様々な年齢層の者達が、緊張した面持ちで列を成している。
恐ろしかったのは、その列から外れた場所に、時折、担架に乗せられた男達が運ばれて来ることであった。
彼らは、気絶をしていたり、怪我を負って呻いていたりと、置かれている状況は様々であったが、共通していたのは、皆、男達が並ぶ先の扉から出てきていることであった。
金の刺繍が施された、豪勢な錦布のかかる分厚い鉄扉。
あの奥で、きっと魔導師になるための試験とやらが行われているのだろう。
トワリスは、ごくりと息を飲むと、意を決して、扉へと続く男達の列に加わった。
(……やっぱり、いきなり戦ったりしないといけないのかな)
自分よりも、ずっと体躯の大きな男達の隙間から、なんとか顔を覗かせて、トワリスは扉の方を見た。
奥から運ばれてくる、怪我人の様子を見る限りは、おそらく予想通りだ。
流石に命の危機に晒されることはないだろうが、魔術の知識を問われる以前に、まずは戦闘能力を見られて、篩(ふるい)にかけられるらしい。
じわじわと膨らんできた恐怖心から目を反らすと、トワリスは、かぶっていた外套の頭巾をぎゅっと握って、うつむいた。
様子を見るだけだから、とか、自分は獣人混じりで力も強いから、とか、そんな甘い考えでやって来てしまったが、無事に帰れるのかどうか、急に不安になってきた。
トワリスは、言わずもがな、戦闘の経験なんてないし、こんなに大勢の男に囲まれたことだって初めてだ。
最初は、魔術の知識を問われるのだろう、なんて思っていたから、初っ端から、大の男達が怪我を負うような試験を受けることになるなんて、完全に予想外であった。
男達の列は、魔導師団の本部に入りきらないほど長い。
だから、自分の順番が来るまでは、かなり待つことになるだろうと思っていた。
しかし、運び出されてくる負傷者を見て、怖じ気づいたのか、途中で列から抜ける者も多かったため、気がつけば、扉はトワリスのすぐ近くまで迫っていた。
扉から魔導師と思しき男が出てきては、列の先頭に並ぶ志願者を室内に引き入れ、しばらくすると、ずたぼろになった志願者が扉の外に放り出される。
そしてまた、次の志願者が引き入れられる。
そうして、着実に前へ前へと進んでいく列に、トワリスの脈打つ心音は、どんどんと大きくなっていった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.95 )
- 日時: 2019/01/22 18:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
試験では、一体何が行われているのか。
聴覚の良いトワリスが耳を澄ませても、鉄扉はとても分厚かったので、部屋の様子は分からない。
やっぱり、試験を受けるのは来年にして、今日のところは帰ろうか。
しかし、折角ロクベルがお金を出してシュベルテまで連れてきてくれたわけだし、どの道受けることになる試験なのだから、腹を括るべきだろうか。
そんな風に迷っている内に、重々しい金属音が聞こえて、はっと我に返る。
顔をあげると、再び開いた扉から、ひょっこりと顔を出した魔導師が、トワリスに手招きをしていた。
「次は君? どうぞ、入って」
「あ、は、はい」
試験の直前に読もうと思って、結局読まなかった魔導書を持ち直し、慌てて返事をする。
魔導師の男に導かれるまま、鉄扉の向こうに踏み入れると、そこは、全面板石に囲まれた、頑強な造りの部屋であった。
魔導師たちの、室内鍛練場のようなものだろうか。
壁に設置された棚には、杖や紋様の入った剣など、多様な魔法具が収納されており、よく見れば、この部屋の石畳にも、所々、魔法陣が彫られていた。
部屋の奥に進むと、トワリスを招き入れた魔導師とは別の魔導師が二人、椅子に座って、こちらをじっと見ていた。
一人は、中年の男性、もう一人は、トワリスより少し年上くらいの、黒髪の少年であった。
部屋に入った瞬間、攻撃でもされたらどうしようかと内心びくびくしていたトワリスであったが、思いの外、中年の魔導師は、穏やかな表情を浮かべていた。
思えば、先程トワリスのことを呼んだ魔導師も、口調は優しかった。
唯一、黒髪の少年だけが、仏頂面で椅子にふんぞり返っていたが、年がそう離れていないせいもあるのだろう。
特別恐ろしい印象は受けなかった。
「こんにちは。それではまず、名前を教えてもらえるかな?」
手元の書類に何かを書き込みながら、中年の魔導師が問いかけてくる。
トワリスは、姿勢を正すと、努めてはっきりとした声で答えた。
「トワリスと言います。姓は……マルシェです」
刹那、魔導師の眉が、ぴくりと動いた。
微かに目を細め、トワリスを覗き込むように顔を近づけると、男は尋ねた。
「……トワリス? 君、ちょっと外套を脱いでくれるか?」
「あっ、はい」
急いで外套を脱ぎ、軽く畳んで、その場に置く。
狼の耳を隠すために、頭巾を深くかぶっていたことを、すっかり忘れていた。
正直、自分が獣人混じりであることは、今でも明かしたくはないが、こういった正式な場で頭巾をかぶったままというのは、流石に失礼だろう。
しかし、改めて中年の魔導師に向き直ったとき、トワリスは後悔した。
トワリスの狼の耳を見た途端、男の目の色が、確かに変わったからだ。
奇異と侮蔑の色──かつて、トワリスが見慣れていた目の色だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.96 )
- 日時: 2019/01/25 21:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
男は、ふうと息を吐いた。
「ああ、君か。生き残った獣人混じりっていうのは。召喚師様から、話は聞いているよ。身元はアーベリトが引き受けるから、トワリスと名乗る獣人混じりが現れたら、試験を受けさせてやってくれってね」
「…………」
男の眼差しに萎縮しながらも、それを聞いた瞬間、トワリスの中に、強い喜びがつき上げてきた。
(ルーフェンさん、手紙読んでくれたんだ……)
返事はなかったけれど、きっとそうだ。
マルシェの姓を名乗れるようになったとはいえ、獣人混じりで、後ろ楯もない孤児のトワリスが、突然入団試験なんて受けに来たら、ちょっとした騒ぎになるだろう。
だから、手紙を読んだサミルやルーフェンが、予め、魔導師団の方に話を通してくれていたのだ。
そう思うと、嬉しくて、恐怖や緊張など、何だかどうでも良くなってしまった。
同時に、この中年の魔導師は、それが気に食わないのだろうと思った。
召喚師であるルーフェンに後押ししてもらえるなんて、おそらく滅多にないことだ。
勿論、不正なんて行っていないし、ルーフェンだって、試験を受けさせるように頼んだだけで、受からせるようにと言ったわけではない。
それでも、諸々の事情を知らない魔導師たちからすれば、運良くアーベリトに引き取られていただけのトワリスが、召喚師の庇護を受けたように見えるのだろう。
男は、持っていた書類を地面に置くと、指を組んだ。
「とりあえず、何かしてみせてくれ。魔術なら、なんでもいい」
そう言われて、トワリスは、慌てて辺りを見回した。
トワリスは、持っている魔力自体は、そう多くない。
だから、何もない場所から水や炎を生み出したり、室内で風を起こしたりするような難しい魔術は、使えなかった。
燭台の一つでもあれば、炎の鳥を象って見せたりも出来るのだが、どうやらこの部屋の明かりは、魔術で保たれているらしい。
他に出来ることと言えば、リリアナに見せたような、手や足に魔力を込めて樹を蹴り折ることくらいだが、ここには、何か壊して良さそうなものも見当たらない。
あるのは石壁と、魔導師たちが座っている椅子、そして魔法具くらいだ。
まさか魔法具を叩き折るわけにいかないし、流石に石壁を破壊することはできない。
トワリスは、弱々しく首を振った。
「……すみません、出来ません」
中年の魔導師は、ひょいと眉をあげた。
「魔法具を使っても良い。いろんなものが揃っているから、好きなのを取ってくるといい」
そう言って、棚に並ぶ数々の魔法具を示される。
魔法具は、魔術の制御を容易くしたり、魔力の増幅の補助したりする道具だ。
しかし、魔法具なんて使ったこともなかったので、トワリスは、もう一度首を振った。
「……使い方が分からないので、使えません」
男が、微かに笑って、肩をすくめる。
救いを求めて、隣の少年の魔導師をちらりと見てみたが、そもそも彼は、先程から一言も発していないし、トワリスには微塵も興味がなさそうだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.97 )
- 日時: 2019/01/28 20:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: W2jlL.74)
いたたまれなくなって、トワリスがうつむくと、男は、鉄扉の方に立っていた魔導師に、声をかけた。
「おい、クインス。こっちに来い」
クインスと呼ばれた魔導師は、先程、トワリスをこの部屋に入れてくれた男だ。
彼は、微苦笑を浮かべながらやってくると、トワリスの前に立った。
「それなら、こいつから、このスカーフを奪い取ってみるんだ。出来るかい?」
言いながら、中年の魔導師は、クインスに自分が巻いていたスカーフを投げて寄越した。
クインスは、受け取ったスカーフをひらひらとトワリスの前で振って、笑っている。
馬鹿にされているのは、明らかであった。
他の志願者たちも、こんな試験を受けて、あんなに傷だらけになっていたのだろうか。
否。トワリスは、ある意味で温情をかけられているのだ。
ろくに魔術も使えないくせに、入団試験を受けに来た獣人混じり。
わざわざ戦わずとも、身の程知らずの小娘には、スカーフの取り合い合戦くらいがちょうど良いだろう。
彼らの顔には、確かにそう書いてあった。
沸き上がってきた悔しさを振り払うと、トワリスは、強く頷いた。
魔術も使えない、魔法具も使えないと分かった時点で、追い払われてもおかしくなかったのだ。
そう思えば、有り難みの薄い温情でも、かけてもらえただけ幸運だった。
クインスに向き直ったトワリスに、中年の魔導師は、軽い口調で告げた。
「手段は問わないよ。どんな魔術を使ってもいい。無理だと思ったら、降参でも構わない。仮にも小さな女の子を、いじめる趣味はないからね」
男たちは、顔を見合わせて、けらけらと笑っている。
トワリスは、不愉快そうに眉を寄せたが、改めてクインスの手に握られているスカーフを見つめると、微かに姿勢を低くした。
どんな魔術を使ってもいいと言われたが、魔術なんか使わなくても、スカーフを奪い取るくらいは出来そうだった。
むしろ、魔導師に魔術で挑めるほどの技量が、今のトワリスにはないから、下手な小細工は避けるべきだ。
せいぜい、より速く動けるように、手足に魔力を込めるくらいで良いだろう。
見たところ、クインスという男は、スカーフを強く握っているようには見えない。
トワリスの前で振りながら、手に引っかけるようにして持っているだけだ。
不意をついて、彼が反応するよりも速く動ければ、トワリスの勝ちである。
(一息……一息つく間に、スカーフを取るんだ)
狙いを定め、ぐっと脚に魔力を込めると、トワリスは、強く地を蹴った。
トワリスから、魔力を感じたのだろう。
ふざけて緩んでいたクインスの表情が、わずかに動く。
──しかし、スカーフを取られないよう、握りしめようとした時には、既に遅かった。
しゅるっと音を立てて、手の中から、スカーフが抜けていく。
クインスが、咄嗟に追いすがろうと後ろを向けば、そこには、既にスカーフを奪取したトワリスが立っていた。
「…………」
魔導師たちの顔から、笑みが消えた。
一瞬、この少女は瞬間移動したのかと思ったが、魔法具の使い方も分からないと言っていた子供が、瞬間移動なんて高度な魔術を使えるはずがない。
トワリスは、魔導師たちの目が追い付かぬほどの速さで、跳んだのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.98 )
- 日時: 2019/02/01 19:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
奪ったスカーフを丁寧に畳むと、トワリスは、それを中年の魔導師の元に持っていった。
「……取りました、スカーフ」
「…………」
トワリスから差し出されたスカーフを見つめて、男は、絶句している。
人間離れした動きを見せれば、驚かれるだろうとは予想していたが、全く何も言われないので、反応に困ってしまう。
どうすれば良いのか迷っていると、不意に、今まで黙っていた黒髪の少年が、口を開いた。
「阿呆。力ずくで取りにいく奴があるか。魔導師なら、魔術で奪え。こうやってな」
言いながら、少年が指先を動かすと、トワリスの手にあったスカーフが、吸い寄せられるように少年の元へと飛んでいく。
スカーフを手に納めてから、それをそのまま地面に落とすと、少年は椅子から立ち上がった。
「まあ、いい。動く方が得意だってんなら、それに合った魔術を覚えろ。お前が今使ったのは、魔術でも何でもない。ただの気合だ」
呆れた口調で言いながら、少年は、魔法具が収納された棚の方に歩いていく。
そして、並んだ魔法具の中から、短剣を引っ張り出してくると、それをトワリスの前に投げた。
「茶番は終わりだ。それを使って、俺に勝ってみろ。そうしたら、入団を認めてやる」
じろりとトワリスを睨んで、少年が言う。
鋭い目付きで言われて、トワリスは、思わず身を凍らせた。
年齢的にも、この少年が、今ここにいる三人の魔導師の中で、一番の下っ端なのかと思っていたが、とんでもない。
他の二人の嫌味が可愛く見えるくらい、少年の態度は威圧的で、恐ろしかった。
トワリスは、足元に転がっている短剣を握ると、そのずっしりとした重みと鋭利さに、身震いした。
模造刀などではない、正真正銘の真剣だ。
こんなものを使ったら、怪我を負うどころか、死んでしまうかもしれない。
先程、この部屋の外で並んでいた時、次々と運び出されてきた怪我人たちの苦悶の表情を思い出して、トワリスは、顔を青くした。
「ま、待ってください。この剣、本当に使うんですか……? こんなの、使ったら……」
少年は、鼻で笑った。
「ああ、ただじゃ済まないかもな。だが、お前が来ようとしているのは、そういう殺し合いの世界だ。武器を握る覚悟もないなら、今すぐに帰れ」
言いながら、少年が手を出すと、そこに魔力が集結したのと同時に、どこからともなく、一本の青光りする短槍が現れる。
すると、中年の魔導師が、慌てた様子で声をあげた。
「お、おい、ジークハルト。流石にそれを使うのは、やめておけ」
それ、というのは、少年──ジークハルトが握っている、短槍のことを指しているのだろう。
他の魔導師二人が、制止をかけるも、しかし、ジークハルトは聞かなかった。
「言っておくが、女だろうが、ガキだろうが、容赦はしない。魔導師団に、弱い奴はいらない」
冷たい声で言い放って、切れ長の目を細める。
ジークハルトは、短槍を一転させ構えると、微かに口端をあげた。
「さっさと決めろ。俺とやるのか、やらないのか」
「…………」
トワリスは、つかの間硬直して、押し黙っていた。
刃を振り上げられたときの恐怖と、斬られたときの痛みが、頭にちらついて離れない。
けれど、その躊躇いの先に、アーベリトの人々やルーフェンの顔が思い浮かぶと、不思議と、短剣を握る手に力がこもった。
(この人に、勝ったら……魔導師に、なれる)
トワリスは、顔をあげると、ジークハルトを強く睨み付けたのだった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.99 )
- 日時: 2020/03/27 17:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
†第四章†──理に触れる者
第一話『禁忌』
━━━━━━
リリアナ・マルシェ様
お手紙の返事、遅れてごめんなさい。
半年ほど、任務で西方のカルガンに行っていて、先月、ようやくシュベルテの方に戻ってきました。
そちらは、変わりありませんか。
カイルやロクベルおばさんも、元気ですか。
この前、カイルが七歳になったと聞いて、考えてみれば当然なんだけれど、すごく驚きました。
私達が出会った年から、もう五年も経ったのかと思うと、とても感慨深いです。
こちらも、相変わらず慌ただしい日々ではありますが、なんとか無事にやっています。
もうすぐ卒業試験があって、それに受かれたら、ようやく正規の魔導師になれます。
そうしたら、寮からも出られるので、一度アーベリトに行くつもりです。
長らく顔を出せなくてすみませんと、おばさんにもお伝えください。
本格的に寒くなってきたので、リリアナも身体には気をつけて。
お店のお手伝い、頑張ってね。
トワリスより
━━━━━━
羽ペンをインク壺に戻すと、トワリスは、書き終えた手紙を、窓から差し込む夕陽に透かした。
くしゃくしゃに丸めようとして、思い止まる。
もう一度文面を読み直し、ふうと息を吐くと、トワリスは、手紙を畳んで封筒にしまった。
こんな手紙を出したら、リリアナには、どうしてこんなに畏まった文なのかと、また笑われるだろう。
しかし、話し言葉で文を書くと、どうにも違和感が拭えないのだ。
普段リリアナと話す時は、敬語なんて使わないし、何度も砕けた文章に直そうとしたのだが、結局固い文体になってしまうので、もう諦めた。
文章上でも不器用さが滲み出るなんて、なんだか悲しくなるが、自分らしいといえば、自分らしい。
トワリスは、手紙に封蝋を施すと、それを持って、自室を出たのだった。
魔導師団に入ってから、五度目の冬が巡ってきた。
その間もトワリスは、リリアナと手紙のやりとりをしていたが、アーベリトにある彼女たちの家に帰れたことは、ほとんどなかった。
文面には表れていないが、リリアナは、相当むくれているだろうと思う。
様子見のつもりで受けた入団試験に、思いがけず合格したと聞いたときも、リリアナは、例のごとく大泣きしたのだ。
「一発合格するなんて聞いていない」だとか、「折角一緒に暮らせると思ったのに、すぐ出ていくなんてひどい」だとか、散々駄々をこねていた。
勿論、最終的には、涙をぼろぼろ流しながら「おめでとう」と言って送り出してくれたが、彼女も自分も、まさか魔導師見習いが、こんなにも外出制限をかけられるものだとは思っていなかった。
だから、リリアナが「おばさんに教わって文字を覚えたから、文通しよう!」と手紙を送ってきてくれたときは、嬉しい反面、なんだか申し訳なくなってしまった。
ロクベルもリリアナもカイルも、まるで本当の家族のように温かくトワリスを迎えてくれたのに、結局、ほとんど一緒に暮らすことなく、名前とお金だけ借りるような形で、魔導師団に入団したのだ。
ろくに顔も出さず、手紙を頻繁に返すこともできず、魔導師見習いとして、勉強や任務に明け暮れる日々。
いわゆる孝行が何も出来ないまま、援助だけ受けてしまったのは、なんだか心苦しかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.100 )
- 日時: 2019/02/14 20:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: YJQDmsfX)
(結局私は、なんで受かったんだろう……)
リリアナ宛の手紙を眺め、長廊下を進みながら、トワリスはふと、五年前の入団試験のことを思い出した。
ジークハルトという、あの少年魔導師に挑まれた後、一体何が起きたのか。
トワリスは、気絶してしまっていたので、正直なところ記憶が曖昧であった。
気づいたら、他の男たちと同じように、鍛練場から運び出されていて、医師に軽く手当てを受けてから、何事もなかったかのようにロクベルと合流して、アーベリトに帰った。
残っていたのは、短剣を手に向かっていった記憶と、痣まみれになった四肢だけ。
それ以外のことは、本当に覚えていない。
少なくとも、勝てた覚えは全くなかったので、自分は試験に落ちたんだろうと思っていた。
だからこそ、合格の通知が来たときは、腰が抜けるほど驚いた。
しかも、実技試験においては、首席合格と知らされたのである。
勿論嬉しかったが、その反面、戸惑いも大きかった。
もっと勉強して、自分でも納得が出来るくらいの魔術を使えるようになってから、試験を受ける──。
この筋書きでの合格なら、純粋に喜べたであろうが、試験官に馬鹿にされた挙げ句、気絶させられた上での首席合格なんて、何かの間違いではないかと本気で疑ったものだ。
とはいえ、とにかく今度は筆記試験を行うから、再度魔導師団の本部に来られたしとの達しが来てしまったので、大慌てで家を出た。
筆記試験に関しては、下から数えた方が速いくらいの順位であったが、実技試験の結果に助けられたのもあってか、なんとか合格し、現在に至るのである。
寮の長廊下には、講義を終えたであろう魔導師見習いたちが、分厚い教本を抱えて行き交っていた。
女も入団可能とはいえ、魔導師団に入っているのは、ほとんどが男である。
トワリスは、ちらちらと通りすがりに送られてくる男たちの視線を無視して、足早に廊下を歩いていった。
女というだけで珍しがられるのに、実技を首席で合格した獣人混じり、なんていう肩書きがあるせいで、トワリスは、ちょっとした有名人であった。
魔導師団に入る者は、貴族出身で、気位の高い男が多い。
もちろん、世の平和のためにと、熱い心持ちで入団してくる者が多いが、地位や世間体のためだけに入団してくる者も、決して少なくはなかった。
蓋を開けてみれば、ここは平民出だというだけで馬鹿にされる閉鎖的な世界だ。
そんな場所で、トワリスのような特殊な素性の者が、快く受け入れられるはずもなかった。
リリアナ宛の手紙に目を落としていると、廊下の角を曲がったところで、不意に、男が一人飛び出してきた。
どん、と肩にぶつかられて、思わずよろける。
手紙を落としたトワリスに、男は、謝ろうとしたようであったが、相手がトワリスだと分かると、嫌そうに鼻を鳴らした。
そして、明らかに狙って手紙を踏みつけると、ちらりと笑った。
「悪いな、足が滑った」
「…………」
踏みつけられて、皺が出来てしまった手紙を拾いあげる。
そのまま横を通りすぎようとする男を睨みながら、ぐっと怒りを抑えようとしたトワリスだったが、しかし、手紙の端が破れていることに気づくと、男の脚を蹴るように払った。
「うわっ」
咄嗟に反応できなかった男が、思い切りつんのめって、床に転ぶ。
顔面を打ち付けた男が、痛みに呻いているのを見下ろして、トワリスは言った。
「すみません、足が滑りました」
絶句した男が、呆気にとられたような顔で、こちらを見上げてくる。
やり返してくるかと思ったが、訓練時間外に諍(いさか)いを起こすなんて、上に露見したら処罰ものだ。
それを分かっていて、往来の長廊下で騒ぎを起こすほどの度胸は、男にはなかったのだろう。
トワリスは、周囲に目撃者がいないか確認すると、黙りこんだ男を尻目に、その場を後にした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.101 )
- 日時: 2019/02/19 20:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
仕掛けてきたのが相手の方だとはいえ、こんな風にやり返していると、自分でも、性格が荒んでしまったなと思うことがある。
この程度の嫌がらせは、それこそ、アーベリトの孤児院にいた頃からあったし、差別的な目で見られることにも、とっくの昔に慣れていた。
だから、いちいち真に受けず、流すのが賢明だとは分かってはいるのだが、最近は、精神をすり減らしてまで我慢するのが、なんだか馬鹿馬鹿しく感じるようになっていた。
魔導師団に入ってから、五年も経ったというのに、トワリスには、いわゆる友人というものが出来ていなかった。
もちろん、話しかけられれば返事をするし、必要があれば、こちらから声をかけたりもする。
だが、非番の日に一緒に出掛けたり、下らない世間話を交わすような相手は、一人もいなかった。
今も昔も、文通しているリリアナが、唯一と言っていい友人である。
原因は、獣人混じりを敬遠している連中にもあるだろうし、口下手で取っつきづらい自分にもあると思う。
それこそ入団したばかりの頃は、孤児院では失敗したのだから、今度こそ周囲に馴染まなければと、努力してきたつもりであった。
それが今や、嫌がらせを受けては、仕返しをするような日々を送る羽目になっている。
何故こうなったのだろうと、考える度に悲しくなるが、結局のところ、付き合おうとも思えない人間にまで気を遣うから、こんなにも疲れるのだろう、という結論に至った。
思えば、無理に周囲に馴染む必要はないし、性根の腐った人間から嫌われたところで、痛くも痒くもない。
ある程度の人付き合いは大切かもしれないが、少なくとも、書いた手紙をわざわざ踏みつけるような人間とは、一生仲良くなることはないだろう。
そう思い始めたら、理不尽な目に遭っても我慢するなんて、無駄なことのように思えたのだ。
気の許せる相手がいるに越したことはないが、別に、一人で生活していけないわけではない。
折角ルーフェンやサミルと出会って、振り上げられた手に無条件で怯えるような己とは、決別したのだ。
たとえ友人などできなくても、心を押し殺すのはやめて、自分らしく魔導師としての道を歩むべきである。
トワリスが魔導師団に入ったのは、決して、誰かと仲良くなるためではない。
強くなって、アーベリトを守れるようになるためなのだから──。
──なんて、そんなトワリスの決心が崩れ去ったのは、書き直したリリアナへの手紙を投函して、すぐのことだった。
その日、発表された卒業試験の内容が、三人一組で任務を遂行することだったのである。
(三人、一組って……)
トワリスは、本日何度目とも知れぬため息を吐き出した。
卒業試験は難関だと聞いていたから、一体どんな内容なのだろうと気になっていたが、まさか、誰かと組むことを強要されるとは思っていなかった。
これまでも、複数人で訓練を受けたり、任務をこなしたりすることはあったが、問われていたのは個人の能力だったので、それほど他人を意識する必要はなかった。
しかし、“三人一組”と言われた以上、どうしたって協力し合わなければならない。
つまり、いかに能力が高くても、協調性のない者は落とす、と言われているのだ。
(……まあ確かに、性格に難ありっていうんじゃ、やっていけないしね……)
つい先程まで、一人でもやっていける、なんて開き直っていた自分が、恥ずかしい。
我ながら、卒業試験の内容としてふさわしい、と納得してしまったので、文句など一つも出てこなかった。
強さも大事だが、最も重要なのは、国を守護する魔導師として正しき心を持っていることだと、そう言われているのかもしれない。
入団してから、厳しい訓練や任務に耐えかねて、魔導師団を去った者は大勢いる。
そんな中、卒業試験まで残った者には、きっと素質がある。
だからこそ、次に問われるのは内面なのだ。
とはいえ、こんなに卒業試験の内容に動揺しているのは、トワリスくらいのようであった。
考えてみれば、当然である。
訓練生として、五年も苦楽を共にしていれば、友人の一人や二人、できて当たり前である。
となれば、わざわざ誘わなくても、誰と組もうかなんてすぐに決まりそうなものだ。
むしろ、卒業試験の内容が貼り出された掲示板の前で、騒がしく話し込む同期たちの表情を見る限り、仲間と協力できる方が心強いと、安堵している者も多くいるようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.102 )
- 日時: 2019/02/19 19:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、長廊下に立つ掲示板を横切り、共用の食堂へと向かうと、並ぶ大皿から自分の皿へ適当に料理を盛って、一人席についた。
訓練終わりの昼時の食堂は、混雑していて、空いている席を見つけるのも一苦労だ。
冬だというのに、人の熱気で蒸し暑くなった室内。
長い木造の食卓を囲んで、寮住まいの男たちは、それぞれ談笑しながら食事を口に運んでいる。
寮で出される料理は、質より量であったが、疲れていると、不思議と美味しく感じるもので、皆、忙しなく口を動かしていた。
トワリスは、端のほうの席でスープを飲みながら、賑やかな男連中をさりげなく見ていた。
なんとなく、いつも一緒にいる面子は固定されていたが、トワリスの同期である見習い魔導師は、約百名ほど在籍している。
それだけいれば、中にはトワリスと同じように、好んで、もしくは仕方なく一人で食事をしている者もいる。
卒業試験で誰かと組むならば、そういった独り者を誘うのが良いだろう。
トワリスと組みたがらない人間も多いだろうが、今は、そんなことは言っていられない。
組んでみて、仲良くなれればそれで問題ないし、なれなくても、仕事と割りきって行動を共にするしかない。
そんなことを考えながら、ちらちらと同期の魔導師たちを観察していると、不意に、誰かがトワリスの向かいに座った。
他に空席がなく、やむを得ずその席を選んだのかと思ったが、相手はどうやら、トワリスが目当てのようであった。
「ここ、いいかしら?」
「えっ、は、はい……」
思いがけず声をかけられて、慌てて視線を前に戻す。
トワリスの前に座った女は、満足げに微笑すると、どうも、と一言告げた。
甘やかに香る豊かな蒼髪に、整った眉と、色づいた唇。
透き通った青い瞳は、妖艶な色を放っていて、女のトワリスですら、見つめられると思わずどきりとしてしまう。
彼女は、アレクシア・フィオールという、同期の中で、トワリスともう一人だけの女魔導師であった。
魔導師というよりは、どこぞの娼婦か芸妓だと言われた方が頷けるような、美しい見た目だが、これでトワリスより一つ年下──まだ十六歳だと言うのだから、驚きである。
年も近いし、女同士ということもあって、入団当初は、アレクシアに声をかけてみようかと思っていたこともあった。
しかし、なんだかんだで、こうして話すのは初めてである。
というのも彼女は、トワリスとはまた違った意味で、有名人だったのだ。
派手な容姿も由来してか、アレクシアには、悪い噂が多かった。
例えば、魔導師団の上層部に色目を使って贔屓してもらっているとか、ある魔導師を脅して退団させたとか、そういった噂だ。
もちろん、そんなものは根も葉もないことだし、鵜呑みにして信じているわけではない。
ただ、実際にアレクシアは、人を小馬鹿にするような態度をとったり、謀(たばか)ったりすることが多い女だったので、噂もあながち、全くの嘘ではないのかもしれない、なんて考えていた。
本人も、誰かとつるみたがる質には見えなかったし、正直なところ、トワリスとアレクシアは、性格が合うようにも思えない。
だから、特に近づこうとしないまま、五年もの月日が経ったのだ。
それなのに、そのアレクシアが今更話しかけてくるなんて、意外であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.103 )
- 日時: 2019/02/23 20:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HBvApUx3)
アレクシアは、頬杖をついて、トワリスを見つめた。
「卒業試験の内容、見た?」
持っていた匙を食卓に置いて、頷く。
やはりその話題か、というのは、なんとなく検討がついていた。
アレクシアは、目を細めて、顔を近づけてきた。
「じゃあ、私と組まない? いえ、正確には私達、ね。貴女ともう一人、サイ・ロザリエスも誘ってるの。悪い話じゃないでしょう?」
色香たっぷりに微笑んで、アレクシアが言う。
トワリスは、少し警戒したように眉を寄せた。
サイ・ロザリエスというのも、トワリスの同期である。
彼とも話したことはなかったが、名前は知っていた。
サイは、筆記試験の首席合格者であり、入団から現在まで、常に首位を取り続けている期待の新人なのである。
トワリスだって、入団してからは、独学ではなく、しっかりと魔導師団内で魔術を学べるようになったので、現在は、実技も座学も、成績上位者であった。
だが、サイに関しては、別格である。
あれが所謂天才なのだろうな、と誰もが思わざるを得ない。
サイは、そんな男であった。
確かに、サイと組めれば、試験を有利に進められるだろう。
アレクシアの言う通り、悪い話じゃない。
しかし、それこそサイは、トワリスやアレクシアと違って、同期内で浮いているわけじゃないので、引く手数多だったはずだ。
それなのに、何故アレクシアと組むことにしたのだろう。
──というより、アレクシアは、どうやってサイを引き入れたのだろう。
そう考えると、アレクシアの誘いに安易に頷くのは、躊躇われた。
トワリスは、あえて毅然とした態度で、アレクシアを見つめ返した。
「……えっと、フィオールさん、だったよね? 誘ってくれるのは有り難いんだけど、どうして? 私達、話したこともないだろ」
アレクシアは、ふふっと笑みをこぼした。
「アレクシアでいいわ。単純な理由よ、さっさと試験を終わらせたいの。そのためには、優秀な人と組むのが一番でしょう? ねえ、首席合格のトワリスさん?」
「…………」
褒められている、というよりは、何か試されているような気分である。
要は、アレクシアは、同期の首席合格者二人と組んで、試験を簡便に済ませようというのだ。
それくらいのことは、誰でも考え付きそうなことだし、別段なんとも思わない。
しかし、アレクシアの笑みを見ていると、彼女には、何かそれ以上の思惑があるように感じられた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.104 )
- 日時: 2019/02/26 21:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスはつかの間、アレクシアの目をじっと見ていた。
だが、やがて小さく息を吐くと、静かな声で尋ねた。
「……どんな任務を受けるかは、決まってるの?」
アレクシアの眉が、ひょいと上がる。
少しの沈黙の末、懐から数枚の書類を取り出すと、アレクシアは答えた。
「ええ、決まっているわ。悪いけど、その辺りの主導権は、私が握らせてもらうわよ」
「…………」
トワリスの眉間の皺が、深くなる。
主導権を握らせてもらう、とはっきり断言している辺り、アレクシアの狙いは、卒業試験の合格ではなく、ここにあるのだろう。
確実に合格することだけが目的なら、任務の指定なんてしてくる必要がないからだ。
つまり、あまり面識のないサイとトワリスの力を借りてまで、早急に済ませたい任務がある、ということである。
通常、任務は上層部に命令されて行うものだが、卒業試験で受ける任務に、特に決まりはなかった。
上層部が提示してきた案件の中からであれば、決められた期間内に、どんな内容のものを、いくつ遂行するかも、自由に選んで良いことになっている。
正規の魔導師たちが請け負うまでもない、要はおこぼれの任務ばかりなので、そこまで重大な案件はないはずなのだが、わざわざ首席合格者二人を引っ張り出そうというのだ。
何か訳ありな任務なのだろうと、疑わざるを得なかった。
「……どんな任務?」
訝しげに眉をひそめ、問う。
アレクシアは、おかしそうに口端を上げた。
「もしかして、私のことを警戒してるの?」
「いいから、見せて」
ずいと手を差し出せば、アレクシアが、やれやれといった様子で書類を渡してくる。
受け取った書類に目を通すと、トワリスは、その文面を読み上げた。
「……魔導人形、ラフェリオンの捜索、及び破壊……」
見落としがないように、渡された書類全てに、目を通す。
そこに書かれていた内容は、トワリスが思っていたよりもずっと簡単そうな、いわゆる“正規の魔導師が請け負うまでもない”任務であった。
魔導人形とは、言ってしまえば、一種の魔法具である。
とはいっても、魔導師が使う杖などの武器とは違う。
娯楽目的で作られた、言わば玩具であった。
ただの木や布綿で出来た人形とは違い、魔導人形は、自力で動いたり、話したりすることができる。
もちろん、そこに意思はないが、子供や独り身の老人の遊び相手、話し相手として、人気を博していた。
また、劇団が魔導人形を並べ、一斉に奏でさせたその歌が美しいというので、話題になったこともあった。
魔導人形とは、富裕層の間で一時期大流行した、特別な玩具なのである。
今回の書類に書かれていたのは、稀代の人形技師と名高い、ミシェル・ハルゴン氏の最高傑作にして遺作──魔導人形『ラフェリオン』を探して壊せ、といったような内容であった。
魔法具の破壊を命じられる任務というのは、決して珍しいものじゃない。
魔術をかけるのに失敗したり、制作者が亡くなったりして、誰も手に負えなくなった魔法具を処分してほしい、なんていう依頼は、よくあるものであった。
魔法具は、基本的には使わなければ何の効力も発揮しない、ただの道具に過ぎないが、中には、特殊な魔術がかかっていたりして、燃やそうとしても燃えないものや、魔力を暴発させて、何かしら被害を生み出すものも存在する。
そうなっては、一般人では対処できないので、魔導師が処理するのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.105 )
- 日時: 2019/03/02 18:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: XTElXZMY)
一見、そう難しそうには見えない案件なので、アレクシアがなぜこの任務にこだわっているのか、トワリスには分からなかった。
しかし、ふと書類に書かれた日付を見ると、トワリスは顔をしかめた。
(……一四八六年……これ、八年も前の事件なんだ)
八年も解決されていない、ということは、それなりの理由があるはずだ。
難しい任務だからと敬遠するつもりはないが、卒業試験は、正規の魔導師に昇格できるかどうかがかかっているわけだから、やはり慎重に選びたい。
トワリスは、書類を裏返すと、アレクシアに返した。
「……これは、受けるべきじゃないと思う。かなり長い間、解決されてない案件みたいだし、もっと確実にこなせる任務の方が良いよ。簡単でも、数さえこなせば、評価されるはずだし」
アレクシアは、すっと目を細めた。
「あら、随分と弱気ね。誰でも出来る案件を馬鹿みたいにちまちまこなすより、大きな任務を一発成功させた方が、手っ取り早く評価されると思わない?」
「それも一理あると思うよ。でも私は、博打を打つより、確実な方を選びたいから」
トワリスが、きっぱりと断る。
するとアレクシアは、途端に表情から笑みを消して、ふうっと面倒臭そうに息を吐いた。
「……つまんない女ね」
意見を述べただけなのに、つまらないなどと貶されて、トワリスは、むっとした顔でアレクシアを睨んだ。
一方で、彼女の口車に乗らなくて良かったと、安堵している気持ちもあった。
組む相手がいなくて困っているのは事実であるが、だからといって、誰でも良いわけじゃない。
人選を誤れば、自分がどんなことに利用されるかも分からないし、試験に落ちてしまう可能性だってある。
噂が真実かどうかはともかく、このアレクシアという女が、どうにも胡散臭い人間なのだということは、確かなようであった。
アレクシアは、乗り出していた身を戻すと、椅子の背もたれに寄りかかって、持ってきていたパンをかじり始めた。
もうトワリスには、興味がないということだろうか。
その態度にも腹が立ったが、いちいち突っかかっても仕方がないので、トワリスも再びスープを口に運ぶ。
そうして二人は、しばらく黙々と食事をしていたが、やがて、不意に目をあげると、アレクシアが言った。
「……私、知ってるのよ?」
意味深な言葉に、トワリスが動きを止めて、眉を寄せる。
視線を向けてきたトワリスに、唇で弧を描くと、アレクシアは、ゆっくりと告げた。
「貴女が、寮の廊下で、同期の男を蹴り飛ばしていたこと」
ぶっと音を立てて、トワリスがスープを噴く。
げほげほと咳き込みながら、近くにあった台拭きをとると、トワリスは、動揺した様子でアレクシアを見た。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.106 )
- 日時: 2019/03/05 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「な、なん、見てたの!?」
アレクシアは、にやりと笑った。
「冷静そうに見えて、案外喧嘩っ早いのね、貴女。表立っていないだけで、同期と揉め事を起こしたのは、一度や二度じゃないでしょう? まあ、ちょっかいかけてくるのは向こうみたいだけど……ただ、このことが上層部に知られたら、貴女、どうなっちゃうのかしら。訓練以外での私情を挟んだ暴力沙汰なんて、ご法度だものね?」
台拭きで噴き溢したスープを拭きながら、アレクシアを見る。
慌てて冷静になれと言い聞かせながら、トワリスは、低い声で返した。
「……脅しのつもり?」
アレクシアが、白々しく肩をすくめる。
「嫌ね、人聞きの悪い。私はただ、今朝も貴女が、猿に躾(しつけ)をしていたことを知っているだけよ。あの猿……確かキーリエ子爵んとこのぼんぼんだったかしら」
「…………」
脅しじゃないか、と反論しようとして、抑える。
問題は、そこではない。
何故アレクシアが、今朝トワリスが男を蹴躓(けつまづ)かせたことを知っているのか、というところだ。
あの時、最後に確認したが、確かに目撃者はいなかった。
凄腕の暗殺者か何かが、気配を殺して潜んでいたのだとしたら話は別だが、仮にそうだったとしても、普通より耳も鼻も利くトワリスは、大抵の気配なら気づける。
それなのにアレクシアは、一体どうやって知ったのだろう。
はったりか、とも思ったが、男がキーリエ子爵の一人息子であったことまで分かっている辺り、どうやらでたらめを言っているわけではなさそうだ。
となると、これはトワリスにとって、かなり手痛い状況である。
大抵、男の方はプライドがあるらしく、「獣人混じりの女にいじめられた」なんて上層部に報告なんてしないのだが、第三者であるアレクシアなら、何の躊躇いもなく報告するだろう。
成績上では優等生で通っているトワリスが、度々同期と問題を起こしていたことが露見したら、それこそ、卒業試験どころではなくなってしまう。
トワリスは、賑わう食堂内を見渡してから、小声で尋ねた。
「なんで貴女が知ってるの。見てたの?」
「ええ、私、何でも見えちゃうから」
「……どういう意味?」
「さあ? どういう意味かしら?」
愉快そうに微笑んで、アレクシアはトワリスの反応を伺っている。
この様子だと、アレクシアはおどけるばかりで、口を割ることはなさそうだ。
トワリスは、悔しそうに引き下がると、小さくため息をついた。
「……分かった。……私も、相手がいなかったし、アレクシアの誘いに乗るよ。でも、主導権が貴女にあるっていうのは、納得できない。どの任務を受けるか、期間中どう動くかは、ちゃんと三人で話し合って決めよう」
完全に言いなりになる気はないと意思表示して、アレクシアに向き直る。
アレクシアは、少し考え込むように口を閉じた後、すらりと脚を組んでから、頷いた。
「まあ、いいわ。サイも、貴女と話したがっていたし」
次いで、食事が終わった食器を盆の乗せ、それを持って立ち上がる。
そうして、勝者の如き笑みを浮かべると、アレクシアは言った。
「それじゃあ、この話は成立ってことで。これからよろしくね? トワリス」
トワリスは、ただ黙って、去っていくアレクシアを睨むことしか出来ないのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.107 )
- 日時: 2019/03/08 18:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
翌日、その日一日の講義や訓練を終えると、アレクシアとサイの二人が、トワリスの部屋に来ることになっていた。
圧倒的に男が多い魔導師団の寮では、男は大きな共同部屋を、女は小さな一人部屋をもらえることになっている。
卒業試験について話し合うなら、三人だけで話し合える女部屋がいいだろう、ということになったのだ。
同じ一人部屋なら、アレクシアの部屋でも良いはずなのだが、トワリスの部屋にすることは、アレクシアが勝手に決めた。
別に、自室に誰かを招き入れること自体は構わないが、そういったアレクシアの一方的で強引な態度が、どうにも気に食わない。
挨拶をしてまだ一日しか経っていないが、卒業試験が終わったら、もう関わりたくないと思うくらいには、トワリスは、アレクシアのことが苦手であった。
部屋には、必要最低限の物しか置いていないので、寝台と文机、小さな衣装箪笥くらいしかなかった。
それでも、一応軽く部屋を片付けながら、二人のことを待っていると、約束の時間から半刻も過ぎた頃に、アレクシアたちはやってきた。
アレクシアに連れられてきた男──サイ・ロザリエスは、金髪を右耳上で編み込んだ、細身の男であった。
同期の中でも一目置かれている存在なので、もっと高圧的な雰囲気の男かと思っていたが、サイは、存外控えめで、物腰の柔らかい男であった。
「はじめまして。サイ・ロザリエスと言います。よろしくお願いします」
少し照れ臭そうに、サイが手を差し出してくる。
かなり想像と違う、弱々しい声だったので、トワリスも驚いたが、同じように自己紹介して、軽く手を握ると、サイは、安堵したように表情を緩ませた。
「挨拶は終わったかしら? 本題に入るわよ」
自分の部屋でもないのに、トワリスの寝台に堂々と腰を下ろすと、アレクシアが話を進める。
その高慢な態度に、ため息をこぼしつつ、遠慮するサイに椅子を勧めると、トワリスは文机に寄りかかった。
持ってきた書類をぺらぺらと振りながら、アレクシアは、口早に言った。
「既に伝えてあると思うけれど、私達はこれを受けるから。いいわね?」
言いながら、アレクシアが、書類をぱらぱらと地面に放る。
床に散らばった書類は、トワリスが昨日目を通した、『魔導人形ラフェリオンの破壊』に関する資料であった。
トワリスは、眉間に皺を寄せた。
「いいわねって、何決めつけてるのさ。どの任務を受けるか話し合うために、今日は集まったんでしょう?」
アレクシアは、トワリスを小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。
「話し合うとは約束したけれど、譲歩するとは言ってないわ。文句でも反論でも聞いてあげるけど、最終的には、私の希望を通してもらうから」
「なっ……」
あまりにも自分本意な言い分に、返す言葉も失ってしまう。
トワリスは、文机から立ち上がると、アレクシアに詰め寄った。
「そんなの、納得できるわけないだろ。私達と組みたいっていうなら、一人で勝手に話を進めるの、やめてよ」
「だから、文句でも反論でも、聞いてあげるって言ってるじゃない。別に、トワリスが卒業試験として他に受けたい任務があるなら、それに付き合ってあげても構わないわよ。ただし、魔導人形の破壊には、絶対に協力してもらうけれどね」
声を荒げたトワリスを、アレクシアは、怯むことなく見つめ返す。
トワリスは、いらいらした様子で言い募った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.108 )
- 日時: 2019/03/11 18:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「私は、別に受けたい任務があるわけじゃない。でも、こんな八年も解決していない任務、何が起こるか分かったもんじゃない。私は、もっと確実性のある任務を、慎重に選ぼうって言ってるんだよ」
「それは慎重なのではなくて、臆病って言うのよ?」
挑発するようなアレクシアの言葉に、頭にかっと血が昇る。
再び声を荒げようとして、しかし、すうと息を吐いて怒りを抑えると、トワリスは、静かに尋ねた。
「……アレクシアは、一体何を企んでるのさ。魔導人形の任務に、どうしてそんなにこだわってるの? 訳を話してくれるなら、協力しようって気にもなるけど、一方的に話を押し通されると、あんたが私達を巻き込んでやろうって画策してるように思えるよ」
真剣な面持ちのトワリスに対し、綽々とした笑みを浮かべると、アレクシアは答えた。
「あら、そう思ってもらって結構よ。だって、その通りだもの」
折角友好的に話を進めようとしているのに、アレクシアは、そんなトワリスの心中など、全く察する気はないようだ。
ぐっと拳を握って、トワリスは眉をつり上げた。
「そんな風に言われて、はいそうですかって協力するわけないだろ!」
一層声を大きくしたトワリスに、アレクシアは、やれやれといった風に首を振る。
「あーやだやだ。獣人混じりってやっぱり野蛮ね。大きな声で吠えないでくれる? 耳が痛いわ」
「この……っ」
煽ってくるようなアレクシアの態度に、トワリスの耳が逆立つ。
いよいよ殺気立ってきたトワリスを、慌ててサイが止めに入った。
「ま、まあまあ! 落ち着いてください、二人とも! 折角組むことになったんですし、仲良くしましょうよ、ね?」
二人の間に割って入って、サイがトワリスを宥める。
サイは、戸惑った様子で二人を交互に見たあと、アレクシアに向き直った。
「あの……アレクシアさん。僕は、その魔導人形の任務、受けても構いません。三人一組になるように命じられたってことは、三人でうまく協力しなければ、成し遂げられないような難しい任務であればあるほど、評価に繋がると思うんです。だから、その任務が長年未解決だとか、そういったことは、特に気にしません。……ただ、トワリスさんの言うように、僕も、貴女がその任務に拘る理由を知りたいです。理由を知っておけば、こちらとしても協力しやすいですし、もしアレクシアさんが、書類に書かれている以上のことをご存知なら、それも教えて下さい。情報が多ければ多いほど、任務の成功率だって高くなりますから」
サイの言葉に、トワリスが同調して、アレクシアを見る。
アレクシアは、面倒臭そうに黙っていたが、やがて、小さく息を吐くと、ぽつりと呟いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.109 )
- 日時: 2019/06/03 16:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「……私の親友がね。以前、その任務を受けて、死んだのよ」
トワリスとサイが、同時に目を見開く。
アレクシアは、微かに目を伏せると、静かに話し始めた。
「何が起きたのかは分からない。けれど、遺体すら戻らなかったの。だから、仇をとりたいのよ。そして、一体なにが原因で彼が命を落としたのか、私のこの手で突き止めたいの」
アレクシアの真剣な眼差しから、トワリスも目をそらせなくなる。
しかし、ふと手をあげると、サイが不思議そうに問うた。
「え、でもこの任務を受けたのって、殉職されたエイデン前魔導師団長が最初で最後ですよね。アレクシアさん、前魔導師団長と親友だったんですか?」
「…………」
「…………」
一瞬、部屋が沈黙に包まれる。
ややあって、ぺろりと舌を出すと、アレクシアが言った。
「あら、嘘だってばれちゃった?」
なんとなく分かっていたのか、サイが、呆れたような笑みを浮かべる。
トワリスは、アレクシアの胸倉を掴むと、がくがくと揺らした。
「この期に及んで嘘つこうなんて、ふざけるのも大概にしなよ!」
「なによ、一瞬じーんと来てたくせに」
「来てないっ!」
「ま、まあまあ! 落ち着いて!」
サイが再び割って入り、アレクシアからトワリスを引き剥がす。
アレクシアは、トワリスに乱された胸元を整えると、上目遣いにサイを見つめた。
「いやね、まさか任務の受任者を調べたの? 細かい男って嫌いよ、私」
「す、すみません……。気になったもので、つい……」
困り顔でアレクシアから目をそらし、サイが謝罪する。
アレクシアは、さらりと髪を掻き上げると、その毛先を指に絡ませた。
「まあでも、つまりはそういうことよ。この魔導人形の件は、前魔導師団長が挑んで、失敗した挙げ句、お蔵入りにして八年も放置されていた問題の事件なの。厄介な上に、魔導師団の後ろめたい過去まで絡んだ、面倒くさーい任務に違いないわ。だから、首席合格者である貴方たちに、こうして頼んでるんじゃない。優秀な貴方たち二人なら、解決できるかもしれないでしょ?」
胡散臭い笑みで、アレクシアが二人の顔を覗きこむ。
トワリスは、不機嫌そうな表情のまま、低い声で返した。
「……魔導師団の後ろめたい過去って、なに?」
「さあ? でも、八年も誰も手を出してないってことは、単に解決困難ってだけじゃないはずよ。魔導師団の上層部が、臭いものに蓋をしたって考えるのが、普通じゃない?」
アレクシアの言葉に、確かにあり得ない話ではないと、内心納得する。
しかし、それを表には出さず、うんざりしたように息を吐くと、トワリスは腕を組んだ。
「……アレクシアが、とにかくこの任務をどうにかしたいっていうのは、よく分かったよ。でも、やっぱり簡単には頷けない。魔導師団があえて手を出していない案件なら尚更、私達みたいな訓練生が、軽い気持ちで関わっちゃ駄目だと思う。未解決の事件を放っておくのは、確かに良くないと思うけど、私達、まだ正規の魔導師でもないんだよ?」
アレクシアが、片眉をあげた。
「だからこそよ。正規の魔導師になってからじゃ、柵(しがらみ)が多すぎる」
「だったら、せめて上の人に聞いてからにしようよ」
「その上の人間が腰抜けだから、この案件は放置されてきたんでしょう?」
はっきりとした口調で言われて、トワリスが口を閉じる。
アレクシアは、寝台から腰をあげると、トワリスに顔を近づけた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.110 )
- 日時: 2019/08/30 19:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「いい? 魔導師団なんてのはね、頭の沸いた無能な連中ばっかりなの。まともな奴なんて、ほんの一握りだわ。特に上層部は、地位と権力に目が眩んだくそじじいばっかり。期待するだけ無駄ってことよ」
「…………」
アレクシアが不快そうに眉を歪めたので、トワリスは、驚いたように瞠目した。
こちらがどれだけ怒っても、真面目な話をしていても、鼻で笑ってふんぞり返っているのがアレクシアだ。
こんな風に強く反論してくるなんて、珍しいことのように思えた。
顔つきを引き締めると、トワリスは、アレクシアに言い返した。
「……じゃあ、召喚師様に相談してみよう。忙しい人だから、時間はかかっちゃうかもしれないけど、魔導人形の件を見直すようにお願いしたら、きっと魔導師団を動かしてくれるよ」
「はあ? なんであんな奴に。召喚師なんて、馬鹿の筆頭じゃない」
アレクシアがそう言うと、トワリスの顔が、ぴくりと強張った。
だんだん、ただの言い争いでは済まなくなってきて、サイが口を出そうとしたが、アレクシアは、畳み掛けるように続けた。
「だってそうでしょう? アーベリトに強引に王権を移すなんて、愚の骨頂よ。あんな街、平和を唱えて仲良しこよししているだけの街じゃない。路頭に迷ったガキを拾って、自己陶酔しているだけで王都が勤まるって言うなら、今頃世界中のみーんなが笑顔よ?」
トワリスの瞳が、徐々に怒りを帯びてくる。
ぐっと拳を握ると、トワリスは大声をあげた。
「いい加減なこと言わないで! 陛下や召喚師様に助けられた人は沢山いるし、アーベリトは良い街だよ!」
まるで、トワリスが牙を剥くのを面白がるように、アレクシアが口端をあげる。
鼻で笑うと、アレクシアは言い募った。
「それしか能がないから、問題だって言ってるのよ。結局人間は、強者に従い、弱者を貪る生き物なの。頭ん中がお気楽でお花畑なアーベリトなんて街に、いつまでも頭を垂れるほど私達は従順じゃないし、そんな街に王権を移した国王も召喚師も、ただの愚か者だわ。王都が移った途端、シュベルテで反召喚師派であるイシュカル教徒たちの勢いを増したのよ。それが、その証明じゃない?」
言い返そうとして、口を閉じる。
トワリスは唇を噛むと、ふいとアレクシアから目を反らした。
「……もう、いい。私、あんたと組むの、やめる」
怒りを抑え込んでいるのか、トワリスの語尾が震え、掠れている。
アレクシアは、微かに目を細めた。
「何かしら? よく聞こえなかったわ」
トワリスは、鋭くアレクシアを睨むと、吐き捨てるように繰り返した。
「あんたと組むの、やめるって言ったの! 召喚師様やアーベリトの皆が、どんなに頑張ってるのか知りもしないくせに、そんな風に貶す奴なんかと組みたくない!」
「…………」
再び、静寂が三人を包み込む。
サイは、どうにかして二人を止めなければと右往左往していたが、一体何と言って止めれば良いのか、分からないようだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.111 )
- 日時: 2019/03/20 18:43
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
沈黙を破ったのは、アレクシアであった。
「悪いけど、私達が組むことはもう申請しちゃってるから、今更覆せないわよ。私のことを嫌うのは構わないけど、組んだ以上、協力はしてもらうわ。卒業試験、合格したいでしょ?」
「…………」
トワリスの肩に手をおいて、その耳元に顔を寄せると、アレクシアが囁く。
黙ったまま手を払ってきたトワリスに、くすりと笑うと、アレクシアは、部屋の扉に手をかけた。
「じゃ、そういことだから。お願いね?」
それだけ言うと、軽やかな足取りで、部屋を出ていく。
アレクシアの後ろ姿を見送ったトワリスは、疲れた様子で寝台に座り込むと、静かに言った。
「……ごめんなさい。感情的になって、怒鳴ったりして」
サイが、ぶんぶんと手を振る。
ちらりとアレクシアが出ていった扉のほうを見て、トワリスに視線を戻すと、サイは、穏やかな声で答えた。
「いえ……トワリスさんは、アーベリトに住んでいたんですもんね。故郷を悪く言われたら、そりゃあ、腹も立ちますよ。考えは人それぞれで良いと思いますが、さっきのアレクシアさんの発言は、確かに不謹慎です」
「…………」
おそらくサイは、トワリスのことを慰めようとしてくれているのだろう。
項垂れているトワリスに、サイは、矢継ぎ早に付け足した。
「あ、私は! アーベリトが王都になって、良かったと思ってますよ。アーベリトが治めてくれなきゃ、ハーフェルンとセントランスで争いになっていたかもしれないですし、当時は、シュベルテの王宮内でも不幸が重なって、混乱していましたしね。状況が状況でしたから、どんな結果になっても、何かしら不満は出たんじゃないでしょうか。それでも、アーベリトが治めたことで、なんだかんだ一番穏便に済んだんじゃないかなと、私はそう思います」
態度こそ落ち着いているが、サイの言葉の端々には、トワリスに対する気遣いや、元気付けようとする懸命さが伺えた。
少し表情を和らげると、トワリスは、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます。すみません、なんだか気を遣って頂いて」
サイは、首を左右に振った。
「いえ、本心ですよ。人を救うために一生懸命になれる街なんて、素敵じゃないですか。理想は理想でしかない、なんて言いますが、目指さなきゃ、叶えられるものも叶えられません。召喚師様のことも、私はきっと、思いやりのある方なんだろうなと思ってます。賛否両論ありますけど、リオット族を解放したのも、アーベリトの活動に加担したのも、きっと根底には、優しさがあったんだろうなと」
「…………」
サイの声を聞きながら、トワリスは、ほっとしたように眉を下げた。
本心だったとしても、トワリスを慰めるための詭弁だったとしても、サイの言葉は、とても嬉しいものであった。
アレクシアのように真っ向から否定されたのは初めてであったが、実際、シュベルテに来てから、アーベリトや召喚師に対する批判的な意見を聞くことが多かったのだ。
シュベルテの人々からすれば、アーベリトは、王都としての誇りを奪っていった成り上がりの街、という印象が強いようであったし、召喚師ルーフェンについても、決して支持的な意見ばかりではなかった。
王権をアーベリトに移したことは勿論、リオット族を引き入れたことによる利益の独占権を、一部の商会に認めているような現状に対して、根強く反発している者が多かったからだ。
街によって、その地域によって、様々な意見、思想を持っている者がいるのは、当然のことだ。
しかし、トワリスが思っていた以上に、アーベリトは風当たりの強い立ち位置にある。
アーベリトに来たこともないような人間の意見など、いちいち気にする必要はないのだと思いつつも、それでも、かつてアーベリトに身を置いていた者としては、否定的な意見を聞くというのは、やはり気分が良くないのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.112 )
- 日時: 2019/03/23 17:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、つかの間目を閉じて、呟いた。
「……そう……確かに規模は小さいですけど、アーベリトは、暖かくて、優しい街なんです」
それから、微かに頬を緩めたトワリスを見て、サイも微笑む。
サイは、椅子に座り直すと、トワリスに尋ねた。
「トワリスさんは、もし正規の魔導師になれたら、アーベリトでの勤務を希望するんですか?」
トワリスは、こくりと頷いた。
「そのつもりです。そもそも、私が魔導師になろうと思ったのは、アーベリトのためだから」
はっきりと答えると、サイが、感心したように吐息をこぼした。
「かっこいいですね、そんな風に目標があって。私なんか、家の事情で魔導師になろうとしているだけですから、そういうの、少し憧れます」
トワリスは、微苦笑を返した。
「目標って言っても、叶うかどうかは分からないですけどね。アーベリトは、基本的に他の街の人間を入れようとはしないし……」
かつて、外部の力は借りないと、頑なに断言していたルーフェンの言葉を思い出す。
あの時は、トワリスも世情を理解していなかったから、ルーフェンの心の内なんて知る由もなかったが、今なら、あの言葉の意味が分かる。
事実、シュベルテにはアーベリトを良く思っていない者が多いし、トワリスがシュベルテにきて、五年経った現在でも、アーベリトは、ルーフェンの言葉通り、王宮内には決して余所者を入れない街であった。
通常、従属する意思さえ見せれば、どの街にも、シュベルテから派遣された魔導師が常駐しているものだ。
セントランスのような巨大な軍事都市は別として、多くの街や村は、小規模な自警団が存在するくらいで、戦力を持たない場合が多い。
故に、サーフェリアの忠義者であり、国全体の守護を勤めるシュベルテの魔導師団が、各地に派遣され、その街や村を守っているのだ。
アーベリトも例外ではなく、小さな自警団がいるだけの街だ。
アーベリトの場合は、前領主アラン・レーシアスの代で発表された、遺伝病の治療技術に疑義が唱えられたことで、その信頼が地に落ち、実質旧王都シュベルテとも疎遠になったので、常駐の魔導師も立ち入っていないようであった。
しかし現在は、召喚師ルーフェンとリオット族によって、アーベリトの医療技術の正当性は証明されていたし、何より、アーベリトは王都なのだ。
王都ともなれば、国の中心地としてその規模を拡大せざるを得ないし、当然、相応の戦力を持たねばならない。
──にも拘わらず、現状アーベリトは、元々存在していた自警団だけで戦力を賄っている状態である。
いざ内戦が起こった際は、シュベルテが力を貸すことになっているとはいえ、王都の守護を果たすのが小さな自警団のみというのは、歴史上異例の事態だろう。
それでも、そんな事態がまかり通ってしまっているのは、一重に“召喚師がアーベリトにいる”からだ。
召喚師がいるというだけで、周囲への脅しになるし、そもそも、サーフェリアの軍事の総括を行っているのは召喚師なので、そのルーフェンが他からのアーベリトへの干渉を認めないと決めている以上、誰も口出しができない。
トワリスも、そんな危うい体制で大丈夫なのだろうか、と心配になる反面、アーベリトに対して、敵意を持っている人間を引き入れるのが危険であることは確かなので、ルーフェンのやり方に異議を唱えることなど出来なかった。
とはいえ、完全にアーベリトが身内だけで国を治めているかと言えば、答えは否だ。
どういった基準でサミルやルーフェンが人材を選んでいるのかは分からないが、特に政治に関する知識が深い者は、他所からアーベリトに引き入れられることもあるようであった。
軍政についてはともかくとして、政務に関しては、アーベリトの人間だけではどうにもならなかったのだろう。
となれば、魔導師としてアーベリトの力になりたいというトワリスの夢も、望みがないわけではない。
特にトワリスは、五年前まではアーベリトで暮らしていたわけだから、その名前を聞いて、サミルたちに警戒されることはないはずである。
魔導師団では、基本的に上司の命令に従って各地を巡ることになるが、上位の成績を修めて正規の魔導師になれば、任務地の希望を聞いてもらえることもある。
だからトワリスは、アレクシアなどという怪しい女に利用されようとも、卒業試験でどうにか成果を残す必要があるのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.113 )
- 日時: 2019/03/25 18:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
サイは、トワリスの詳しい事情なんて知るはずもないが、アーベリトに就くのが難しいことは、理解しているのだろう。
応援するように拳を握って見せると、サイは言った。
「大丈夫ですよ、トワリスさんなら。きっと、アーベリトに行けます」
柔和な笑みを浮かべて、サイが頷く。
トワリスは、もう一度礼を言うと、ぎこちなく笑みを返した。
それから、サイのほうを向くと、ふと思い付いたように尋ねた。
「そういえば、サイさんは、どうしてアレクシアの誘いに乗ったんですか? あんな怪しい任務、私達みたいな訓練生の元に下りてくるわけないし、彼女が一体どこからあの資料を入手してきたのかも、疑わしいところです。こんな変な話に乗らなくても、サイさんなら、他に組む相手がいたでしょう?」
「それは……」
うつむくと、サイは口ごもりながら答えた。
「私は、その……トワリスさんと、一度話がしてみたくて……」
意外な答えが返ってきて、ぱちぱちと瞬く。
サイは、少し照れたようにうつむいた。
「アレクシアさんに、話を持ちかけられたとき、三人目はトワリスさんを誘うつもりだと聞いて、それで、話に乗ったんです。私一人じゃ、なかなか話しかけにいく勇気も出なかったものですから……。す、すみません! なんか気持ち悪いですよね! 別に、変な意味はないんですけど……!」
慌てた様子で弁明してから、サイは続けた。
「ずっと、努力家な方だなぁと思って、見てたんです。勉強熱心だし、訓練場にも、いつも最後まで残ってるし……」
「…………」
魔導師団に入ってから──いや、生まれてからと言っても過言ではないが、こんな風に人から褒められたのは初めてだったので、トワリスは、なんだかむず痒い気持ちになった。
レーシアス家にいた頃だって、新しいことを覚える度に皆が褒めてくれたが、それはやはり、何も出来なかった子供に対しての褒め言葉だ。
勿論、それだって当時は嬉しかったのだが、サイのように、一人の人間として見られた上で認めてもらえると、違う喜びが湧いてくる。
嬉しかったけれど、それを素直に表に出すこともできず、トワリスは、どこかぶっきらぼうに返した。
「……それは、私が人より不器用だからですよ。魔導師団に入団するまで、魔術どころか、文字の読み書きすらろくに出来なかったんです。人より出遅れてる分、頑張らないと」
「えっ、じゃあ、入団試験の勉強は、独学で?」
サイが、驚いたように瞠目する。
微かに視線を動かすと、トワリスは、控えめな声で言った。
「まあ、一応。ほとんど、腕力にものを言わせて、合格したような気もしますけど……」
サイの目が、ぱっと輝いた。
「尚更すごいじゃないですか。小さい頃から私塾に通ったり、魔導師にみっちり仕込まれても、落ちる人が沢山いる入団試験ですよ。それを独学で通過して、今も成績上位で在り続けてるんですから、それで不器用なんて言ったら、嫌味になっちゃいますよ」
無愛想な態度をとっているのに、サイは、そんなことは全く気にしていない様子で、賞賛してくれる。
まるで子供のような澄んだ目で見つめられて、思わず苦笑すると、トワリスは、おかしそうに肩をすくめた。
「貴方に褒められるほうが、嫌味に聞こえちゃいますよ。よく噂になってますよ、貴方は天才だって」
サイは、ぱちくりと目を瞬かせると、恥ずかしそうにはにかんだ。
「私は、ただ魔術が好きなだけで、あとは言われないと何もできない、意気地無しなんですよ。目標があって、自分の意思で頑張る皆の方が、よっぽど……」
言葉を切って、それからトワリスの方に向き直ると、サイは言った。
「試験、頑張りましょうね」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.114 )
- 日時: 2019/03/28 07:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
* * *
天が一瞬、不気味な光を孕んだかと思うと、次の瞬間、腹に響くような凄まじい雷鳴が鳴り響いた。
ややあって、ざあざあと降り始めた雨が、激しく地面を叩く。
サイは、慌てて馬車の窓を閉めると、向かいに座っているアレクシアとトワリスに、声をかけた。
「今夜は荒れそうですね。今朝までは晴れてたのに……。屋敷に、馬車を横付けしてもらいましょうか?」
トワリスは、そうですね、と答えてから、窓越しに、雨に煙る木造屋敷を見た。
都市部から、遠く離れた山中にひっそりと建つ、質朴で古びたこの屋敷は、ハルゴン邸である。
かつて、稀代の人形技師として名を馳せたミシェル・ハルゴン氏が、生前も住んでいた屋敷だと聞いていたので、もっときらびやかな豪邸を想像していた。
しかし、目前のその屋敷は、見るからに老朽化し、寂れていて、まるで廃墟のような雰囲気を醸している。
御者に声をかけようとしたサイに、アレクシアが、制止をかけた。
「待って。私が門を開けるように交渉してくるから、貴方たちはここにいなさい」
「えっ……」
アレクシアの発言に、サイとトワリスが、同時に声をあげる。
驚いた様子で黙りこんだ二人を一瞥してから、さっさと外套の頭巾を被ったアレクシアに、サイは、申し訳なさそうに言った。
「あ、それなら、私が行きますよ。外、すごい雨ですし」
言いながら、サイも頭巾をかぶる。
しかしアレクシアは、小さく鼻で笑うと、そのまま馬車から出ていってしまった。
トワリスと顔を見合わせ、仕方なく、サイは被った頭巾を脱ぐ。
トワリスは、豪雨の中、ハルゴン家の屋敷へと歩いていくアレクシアの姿を見ながら、小さく息を吐いた。
「……なんか、アレクシアが自分から動いてるところを見ると、裏があるように見えますね」
「た、確かに……」
苦笑して、サイが同調する。
普段のアレクシアなら、「貴方が行ってきなさい、私は寒いのも濡れるのも嫌よ」くらいは平然の言ってのけそうなものだ。
卒業試験を受ける三人組を作り、上層部に申請し、任務まで用意したのもアレクシアだが、その行動にも、おそらく裏がある。
雨に濡れてまで、馬車から出ていくなんて、これもただの親切とは思えなかった。
「……そういえば、トワリスさん。ちょっといいですか?」
ふと向き直ったサイが、トワリスの方を見る。
ちらりと目を動かしたトワリスに、サイは、真面目な顔つきになった。
「実は……あのあと、少し調べてみたんですけど、魔導人形ラフェリオンに関する任務は、私たち訓練生に用意された案件の中には、含まれていなかったみたいなんです。どんな手段でアレクシアさんが魔導人形の資料を入手してきたのかは分かりませんが、おそらくこの任務は、正規の魔導師に当てたものなのでしょう」
サイの言葉に、トワリスは眉をあげた。
「調べたって、どうやってですか?」
「過去十年分の記録や未解決事件の内容を、資料室で読みました」
「じゅ、十年分……」
サイはさらりと答えたが、魔導師団が請け負った過去十年分の任務を調べるなんて、とてつもない作業量であったはずだ。
魔導師団の本部には、任務に関する情報がまとめられた資料室が、三ヶ所存在する。
一つは、正規の魔導師が請け負う、一般の任務に関する資料が納められた大部屋で、何年も解決されていない困難な任務や、特殊な事例だと認められると、その案件は宮廷魔導師団のほうへと持ち込まれる。
逆に、正規の魔導師が請け負うまでもない、簡単な案件だと判断された任務は、トワリスたちのような訓練生に回されるのだ。
その一室だけでも、平民階級の民家くらい四、五軒は入ってしまいそうな広さがある。
そこに所狭しと並べられた本棚の資料、十年分をここ数日で調べあげてしまったのだとしたら、サイの仕事の速さは、やはり流石としか言いようがない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.115 )
- 日時: 2019/03/29 19:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、深々と嘆息した。
「そう……。じゃあやっぱりアレクシアは、不正を働いてまで、魔導人形を破壊したい何かしらの理由があって、それに私たちを巻き込んでるってことですよね」
サイが、こくりと首肯する。
「ええ。あんな任務が、訓練生の卒業試験に適用されるはずがないっていうトワリスさんの読みは、当たっていました。アレクシアさん、私たち三人が組むことは、本当に上に申請していたようですが、受ける任務に関しては、虚偽の報告をしたんでしょうね」
「…………」
真意は分からないが、いよいよアレクシアの悪事が明確になってきて、トワリスは、眉をひそめた。
今回の任務が、サイの言う通り訓練生に回された案件ではないのだとしたら、アレクシアは、正規の魔導師が利用する資料室から、何かしらの手段で魔導人形ラフェリオンに関する資料を盗み出してきた、ということになる。
正規の魔導師どころか、八年も未解決な上、前魔導師団長も放棄したような任務だったわけだから、下手をすれば、宮廷魔導師に当てられたものである可能性だって高い。
資料室の資料は、ある程度任務の種類によって整理され、区分けされているが、管理部でもない一介の訓練生が、あの膨大な蔵書の中から、特定の任務の資料を見つけ出すなんて、かなり骨の折れる作業だったはずだ。
それをアレクシアは、本来立ち入れないはずの資料室に侵入して、他の魔導師に見つからないよう、短時間で行ったというのだろうか。
それとも、受ける任務自体はどんなものでも良くて、ただ難しい任務に挑戦したかっただけだったのか。
確かに、訓練生の身の上で、宮廷魔導師当ての任務を成功させたら、良くも悪くも注目はされる。
あのアレクシアが、そこまでして周囲からの評価を得たがっているとも思えないが。
悶々と考えを巡らせていると、サイが、神妙な面持ちで尋ねてきた。
「……どうしますか? トワリスさん、外れますか?」
トワリスが、顔をあげる。
少し不安そうに目を伏せると、サイは続けた。
「今なら、まだ間に合うと思います。基本的に申請内容の変更は難しいでしょうが、アレクシアさんに強引に誘われたんだって上層部に言えば、もしかしたら、組の決定を取り消してくれるかもしれません。後々、無断で魔導人形破壊の任務に当たったことを、処罰されることもないでしょう。……引き返すなら、今かと」
サイの言葉に、トワリスは、意外そうに瞬いた。
それから、雨の降りしきる外を再度一瞥すると、微苦笑した。
「……それ、言うなら、もっと前に言うべきだったんじゃないですか。もうゼンウィックまで来ちゃったんですよ?」
「あ、それは、その……」
サイが、困り顔で口ごもる。
トワリスは、少し呆れたように笑った。
旧王都シュベルテから、ハルゴン邸のある東部地方ゼンウィックまで、馬車で片道三日ほどかかる。
魔導師団が呈示した、卒業試験に費やせる期間は約一月。
その期間内に、より多く、より難しい任務をこなしていかなければならないというのに、今から何もせずにシュベルテに戻ったら、このゼンウィックまでの移動時間が、全て無駄になってしまう。
魔導人形の破壊に付き合う気がないなら、トワリスだって、最初からアレクシアに着いてこなかったし、そんなことは、サイとて分かっているはずである。
それでも彼が、引く返すなら今だと口添えしてきたのは、やはり、トワリスがアレクシアにひどく反発していたことを、気にしているからなのだろう。
サイは、少し気弱な面はあるものの、噂通りの優秀な魔導師で、かといって傲ることもない、勤勉で気配り上手な性格の持ち主であった。
そんな彼のことを、トワリスは素直に尊敬できたし、サイもまた、トワリスと組めたことを喜んでいるようであった。
だが、その一方で、顔を合わせる度に睨み合うアレクシアとトワリスに挟まれて、居心地の悪さも感じているようだった。
サイは度々、本当にアレクシアと組んで良かったのかと、トワリスを気遣って尋ねてくるのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.116 )
- 日時: 2019/04/03 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、穏やかな声で言った。
「……サイさんは、なんだかんだで、アレクシアに協力するつもりなんですね」
サイは、少し視線をさまよわせた後、小さくうなずいた。
「協力、というか、興味があるんです。あの有名な人形技師、ハルゴン氏の造形魔術は、見事なものだったと聞いていますから。それに、今引き上げたら、チームも解散しなくちゃならないでしょう? 私は、トワリスさんと組んでいたいので……」
「…………」
まっすぐ言葉を投げ掛けられて、一瞬、返事が出てこなくなる。
サイは、生来の人たらしなのか、時折こうして、直球な言葉を恥ずかしげもなく述べてくる。
別段意味はないのだと分かっていても、いざ面と向かって言われると、なんだか胸が落ち着かない。
トワリスは、肩をすくめてから答えた。
「いいですよ、私も付き合います。ここまで来て引き返すのは、時間が勿体ないですし、チームを解散したいなんて言ったら、上層部に色々と勘繰られそうですから。今のままアレクシアを説得して別の任務に向かうのは、骨が折れそうですしね……」
トワリスが、はあ、とため息をつく。
本当のことを言うと、結局他に組む相手が見つからなかった、というのも大きな理由の一つであった。
アレクシアといがみ合っている内に、当然、周囲の訓練生たちもチームを作っていたから、今更トワリスと組んでくれそうな人間なんて、見当たらなくなってしまったのだ。
あぶれた挙げ句、度々同期と揉め事を起こしていたことをアレクシアに密告されるよりは、現状に甘んじた方が得策と言えるだろう。
落ち込んでいる様子のトワリスを見ながら、サイが、不意に真面目な顔つきになった。
「……ただ、アレクシアさんに関しては、やはり信用しない方がいいかもしれないですね」
驚いたように瞬いて、トワリスがサイを見る。
アレクシアが信用ならないのは、トワリスとて十分承知していることであったが、こんな風にサイが悪口を言っているところを見るのは、初めてだったのだ。
「この任務が、それだけ危険ってことですか?」
問えば、サイは顎に手を当てて、考え込むような仕草をした。
「……それもありますけど、彼女、何を考えているのか、いまいち読めないじゃないですか。ラフェリオンの破壊に私達を巻き込みたいのかと思いきや、わざわざアーベリトを貶して、トワリスさんを怒らせていたでしょう? 本当に私達に協力してほしいなら、本意じゃなかったとしても、私達の機嫌をとるはずだと思いませんか?」
あ、と声を漏らして、トワリスは頷いた。
アレクシアは、悪知恵が働くという意味で、かなり頭の良い女だ。
そんな彼女が、頻繁にトワリスを煽るような真似をして、関係を悪化させるなんて、確かに考えづらいことであった。
嘘でも友好的な態度をとって、サイやトワリスが快く協力するような状況を作り出した方が、アレクシアにとっては、都合が良いはずなのに。
珍しく眉根を寄せ、サイは言い募った。
「なんというか、妙な余裕を感じるんです。助力を求めてきた割には、私達が反発してもおかしくないような態度ばかりとって……。まるで私達が、最終的にはアレクシアさんに協力すると、確信しているような──」
その時だった。
まるでサイの言葉を遮るような勢いで、がらりと馬車の戸が開く。
サイとトワリスが振り返ると、そこには、全身ずぶ濡れになったアレクシアの姿があった。
「……あ、おかえりなさい。大丈夫ですか? 身体を拭いたほうが……」
言いながら、サイが手拭いを探そうと、荷物の中を漁る。
しかし、そんなサイの申し出は無視して、アレクシアは言った。
「錆び付いていて、外門はうまく開かなかったわ。馬車じゃ入れないから、ここからは歩いて行きましょう」
怪訝そうに顔をしかめると、トワリスは尋ねた。
「うまく開かなかったって……屋敷の人は? 開けてくれなかったの?」
雨水の滴る蒼髪をかき上げ、濡れて重たくなった外套を絞りながら、アレクシアは、ちらりと笑った。
「住人は、屋敷の中よ。門を開けるのにわざわざ外に呼び出して、お互い濡れる必要はないでしょう? 問題ないわ、歓迎はしてくれているから」
「そう? なら、いいけど……」
語尾を濁して、トワリスは、サイと目を合わせる。
雨の中、屋敷の者を外に呼び出す必要はない、という気遣いは頷けるが、そもそも、人が住んでいるのに、外門がちゃんと機能していないなんてことがあるのだろうか。
サイも、アレクシアの意図を図りかねた様子である。
アレクシアは、濡れた外套の頭巾をかぶり直すと、鬱陶しそうに雨粒を手で払いながら、再び馬車に背を向けた。
「ほら、行くわよ。さっさと準備なさい」
アレクシアに急かされて、サイとトワリスも、自分達の外套を手に取った。
疑問を感じながらも、それぞれ外套を纏うと、二人は、激しい雨の中に降り立ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.117 )
- 日時: 2019/04/06 18:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ハルゴン家の屋敷は、近くで見てみると、一層おどろおどろしい雰囲気を醸していた。
馬車の中から見た時は、想像より寂れているな、くらいにしか思わなかったが、いざ間近で見上げてみると、もはや曰く付きの幽霊屋敷にしか見えない。
アレクシアの言った通り、外門は錆びつき、まるで血の雨でも浴びたかのように変色していたし、木壁も所々腐り、こうして建っているのが不思議なくらい、屋敷全体が劣化している。
風が吹く度、不気味にざわめく森を背景に、幽静と佇むその姿は、異様な存在感を放っていた。
「……ねえ、ここ、本当に人が住んでるの?」
雨を凌げる玄関口まで来ると、トワリスは、アレクシアに問うた。
至近距離で見れば見るほど、この屋敷には、人が住んでいるとは思えない。
人どころか、鼠一匹すらいないのではないかと疑うほど、この屋敷からは、生の気配がしなかった。
屋敷を見回しながら、サイも、呟くように言った。
「ハルゴン邸は、本当にここで合ってるんでしょうか? どう見ても、無人の廃墟にしか見えないのですが……」
湿った横風になぶられ、冷たい雨粒が外套に染み込めば、サイとトワリスが、思わず身体を震わせる。
外門同様、錆びて使い物にならない呼び鈴を見ていたアレクシアは、扉の取っ手に手をかけて、平然と答えた。
「合ってるわよ。資料に載ってた住所も、ここだったでしょう?」
「それは、そうですけど……。八年前の資料ですし、住人が引っ越したってことも、考えられるのでは。さっきアレクシアさんが言っていた、住人は中にいるっていうのは、実際に会ったって意味なんですか……?」
持っていた長杖を握りしめ、サイが、気味悪そうに表情を歪める。
不審がるサイとトワリスには構わず、アレクシアは、取っ手を強引に押し引きすると、開かないことに苛立ったのか、今度は、思いっきり扉に蹴りを入れた。
すると、ぎしっと蝶番が嫌な音を立てて、勢いよく扉が開く。
呆気にとられた様子のサイとトワリスに対し、あら、と一言呟くと、アレクシアは、そのまま屋敷の中に足を踏み入れた。
「案外簡単に開いたわね」
薄暗い室内を、アレクシアは、何の躊躇いもなく進んでいく。
人様の屋敷の扉を蹴破った挙げ句、そのまま無遠慮に中へと入って行ったアレクシアを、トワリスは、慌てて引き留めた。
「ちょっと、アレクシア! いくらなんでも、不法侵入はまずいよ!」
咄嗟に腕を掴んで、アレクシアを引っ張る。
しかし、目前に広がる屋敷内の光景を見た瞬間、トワリスは、身体を硬直させた。
玄関口の先にある大広間の至るところに、ばらばらになった人間の手足や胴体、頭部などが、散乱していたのである。
「びっ、びっくりした……一瞬、本物かと思いましたよ」
後から入ってきたサイの声で、トワリスは、はっと我に返った。
よく見てみれば、散っていたのは、本物の人間の身体の一部ではない。
白木や金属で作られた、人形用の部品だったのである。
大広間、そして奥に並ぶ小部屋にも、その左右に設置された大階段にすら、人形の部品は所々に放置され、山積みになって捨てられている。
素材や完成度合も様々で、肩から掌の部分まで繋がっているものもあれば、指先だけの部品も落ちており、中には、塗装が終わっていないだけで、頭から爪先まで出来上がっているものもあった。
共通していたのは、そのどれもが、作り物と分かっていてもぞっとするくらい、精巧な見た目をしているということだ。
ぎぃっと木の軋む音がして、風に揺すられた扉が、ひとりでに閉まった。
規則的な間隔で並ぶ窓には、雨の幕が波のように下り、流れる線状の影が、舐めるように人形たちをなぞっていく。
血の通わない、無機質で滑らかな彼らの表面には、それでいて艶かしく、人間のものとはまた違う、奇妙な生々しさがあった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.118 )
- 日時: 2019/04/13 07:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
薄暗い室内で、トワリスはしばらくの間、人形たちを眺めていた。
しかし、ふと身動いだアレクシアが、すっと目を細めると、同時にトワリスも顔を上げた。
「アレクシア、どうしたの?」
「……来るわ」
言い様、アレクシアが腰の革袋から、掌程の宝珠(オーブ)を取り出した。
宝珠は、魔力を蓄蔵できる魔法具の一種である。
と言っても、主な使用目的は魔力の貯蔵ではなく、遠隔からの魔術の行使だ。
宝珠があれば、その場に魔導師がいなくても、蓄えられた魔力分の魔術を発動させることができるのである。
アレクシアが宝珠を天井に向けて投げると、宝珠は眩い光を放ち、室内を照らした。
一気に視界が明るくなって、思わず目を閉じる。
刹那、どこからか、車輪が滑るような音が聞こえてきて、トワリスは、ぴくりと耳を動かした。
(近づいてくる……)
凄まじい速さで迫ってくる駆動音に、トワリスは、腰に差している二対の剣──双剣に手をかけた。
一拍遅れて、サイもその気配に気づいたのだろう。
緊張した面持ちでトワリスと目を合わせると、長杖を構える。
──と、次の瞬間。
奥の扉が、突然破裂したかのように突き破られたかと思うと、何かが、目にも止まらぬ勢いでトワリスの目の前に迫ってきた。
咄嗟に前に踏み込んで、避ける。
トワリスでなければ、到底反応できなかったであろう速さのそれは、そのまま一直線に壁に突っ込むと、車輪を動かして、ゆらゆらとこちらに向き直った。
所々、地の金属が顕になった白皙(はくせき)と、肘から先に埋め込まれた刃。
乱れた金髪は、左半分が抜け落ち、頭皮がむき出しになっている。
透き通るような青い目だけが、爛々と光っているそれは、少女を模した、古い魔導人形であった。
下半身はなく、腰から上を車輪のついた台の上に据え付けられた少女──魔導人形は、全身の関節から、ぎぃぎぃと不規則な駆動音を鳴り響かせながら、トワリスたちを見据えている。
すかさず任務の資料を取り出したサイは、一瞬それに視線をやってから、はっと息を飲んだ。
「もしや、これがラフェリオンでは……?」
サイの呟きに、トワリスも瞠目する。
彼の言う通り、この少女が破壊するべきラフェリオンなのだとしたら、それは、トワリスの知っている魔導人形の姿とは、程遠いものであった。
魔導人形とは本来、娯楽のために作られた玩具に過ぎない。
せいぜい、飲み物や食べ物を運んだり、歌ったり、特定の問いかけに対して反応するくらいしか出来ないはずなのに、このラフェリオンとやらは、見る限り人殺しの道具だ。
少なくとも、腕に刃が仕込まれた魔導人形なんて、聞いたことがなかった。
再び車輪を加速させると、ラフェリオンは、腕の刃ごと上半身を回転させて、トワリスに突進してきた。
剣を構えるも、すぐに手を引いて、横に避ける。
攻撃を防ごうにも、まるで竜巻のように回転する刃と剣を交えたら、腕ごと巻き込まれて、木端微塵にされるのが落ちだ。
動きを止めるためには、車輪を狙うのが有効だろうが、その車輪自体も鉄製のようなので、果たして斬撃が通ずるか分からない。
「ねえアレクシア、あれがラフェリオンなの!?」
切迫した声で尋ねるが、返事は返ってこない。
先程まですぐ近くにいたはずのアレクシアが、隣にいないことに気づくと、トワリスは、慌てて周囲を見回した。
そして、広間の右側にある大階段を、足早に駆け上がっているアレクシアを見つけると、目を見張った。
「ちょっと、どこいくの!」
「そいつの相手は頼んだわよ!」
「はあ!?」
ラフェリオンの標的が、トワリスとサイに向いているのを良いことに、アレクシアは、脇目も振らず屋敷の二階へと上がっていく。
まんまと囮にされたことは分かったが、この状況でラフェリオンから目をそらす訳にもいかず、文句を言うことも、追いかけることも叶わなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.119 )
- 日時: 2019/04/13 17:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
またしても襲いかかってきたラフェリオンの攻撃を、素早く横に跳んで、回避する。
しかし、避けた瞬間、ラフェリオンの刃の軌道が、微かに変わった。
「────!」
頬すれすれの位置を、刃が掠めていって、思わず背筋が冷たくなる。
速いが、見切れぬほどではないと思っていたラフェリオンの動きは、決して単調なものではなかった。
ラフェリオンもまた、トワリスの動きを見切り始めていたのだ。
このまま避けているだけでは、いずれ仕留められるのは、トワリスたちのほうだろう。
相手は、疲れも痛みも知らぬ魔導人形だ。
時間を稼ぐだけならば、こうして足止めをするだけでも良いが、ラフェリオンの破壊が目的である以上、何かしら打って出る策を練らなければならない。
トワリスは、歯を食い縛ると、次いで迫ってきたラフェリオンの刃を、地面に仰向けに滑って避け、回転する車輪と台の繋ぎ目に、剣を突き立ててみた。
金属同士がかち合い、火花が散る。
車輪の輻(や)の隙間に剣がつっかえ、つかの間、動きを止めたラフェリオンであったが、しかし、次の瞬間──。
耐えきれずに剣が折れ、車輪はその破片を巻き込みながら、再び回り始めた。
「──っ!」
剣の砕けた衝撃が、右腕の骨にまで響く。
一瞬怯んだ隙に、素早く方向転換したラフェリオンは、トワリスを突き刺そうと、刃を垂直に持ち上げた。
避けなければ、と思ったが、低い姿勢からすぐには起き上がれなかった。
咄嗟にラフェリオンを蹴り飛ばそうと、脚に力を込めるも、間に合わない。
浮かぶ宝珠の光を弾きながら、振り下ろされた刃に、死を覚悟した時──。
「伏せて!」
サイの声と共に、すぐ側で、激しい爆発音が聞こえたかと思うと、ラフェリオンが勢いよく吹き飛んだ。
ややあって、二発、三発と爆発が続くと、崩れてきた天井の瓦礫が、ラフェリオンの上に降り注ぐ。
次々と落下してくる瓦礫は、土埃を巻き上げ、互いを砕きながら積み重なると、あっという間にラフェリオンを飲み込んでしまった。
間近で爆発が起こったので、トワリスは、しばらく動けなかった。
伏せていたお陰で、目立った怪我は負わなかったが、少しの間、目と耳が使い物にならなかったのだ。
駆け寄ってきたサイに抱き起こされてから、トワリスは、ようやく立ち上がった。
「トワリスさん! 大丈夫ですか? すみません、ラフェリオンが動き回ってる間は、どうにも狙いが定められなくて……」
心配そうに顔を覗きこんで、サイが尋ねてくる。
トワリスは、髪や身体についた土埃を払いながら、小さく首を振った。
「いえ、助かりました。……ありがとうございます」
痛めた右腕を擦りながら、トワリスは、静寂した瓦礫の山を見つめた。
今のところ、下敷きになったラフェリオンが動き出す気配はないが、何しろあの機動力だ。
いつ瓦礫を撥ね飛ばして、また襲いかかってくるか分からない。
同じく瓦礫の方を警戒しながら、入ってきた扉に近づくと、サイは、取っ手に手をかけた。
だが、すぐにでも壊れそうな見かけに反し、取っ手はぴくりとも動かない。
アレクシアが、蹴り一つで開けていたのが、嘘のようだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.120 )
- 日時: 2019/04/16 19:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
眉を寄せると、トワリスも扉の方へと歩いていった。
「開かないんですか?」
「……ええ。ここは一度、逃げて体制を立て直すべきかと思ったのですが……。この屋敷自体も、どうやらただのおんぼろという訳ではなさそうですね」
屋敷内を見回しながら、サイが答える。
トワリスは、折られずに済んだ双剣の片割れを、すっと鞘に納めた。
「あの人形……勿論意思はないと思いますが、知能はあるみたいでした。ただ突進してきているように見えましたけど、少しずつ、刃の向きとかその可動域が、変わっていたんです。多分偶然じゃなくて、私の動き方を見て、徐々に攻撃の仕方を変化させていったんじゃないかと」
サイは、真剣な顔で頷くと、顎に手を当てた。
「学習能力があるってことですか……ハルゴン氏の最高傑作と言われるだけありますね。かなり古そうに見えましたが、機能は、私たちの知る魔導人形より、遥かに優れているようです。原動力となっている術式も、目に見えるところにはなさそうでしたから、停止させるのも容易ではないでしょう。完全に破壊しきるか、解体して調べるしかありませんが……」
言いながら、サイは悩ましげに目を閉じた。
魔術で動く魔導人形には、その身体のどこかに、術式が刻まれているはずであった。
術式とは、その魔術を発動させるための陣や呪文のことで、魔導人形に限らず、術者がその場にいなくても働き続ける魔術には、必要不可欠なものだ。
例えば、アレクシアが近くにいないにも拘わらず、彼女の魔力に依存して、室内の照明代わりになっている宝珠にも、術式が彫られているし、術者のいないところで宿主を蝕む呪詛なんかも、術式を使った魔術の一種である。
つまり、制作者であるミシェル・ハルゴンが亡くなった現在でも、動き続けているラフェリオンには、その身体のどこかに、術式が存在するはずなのだ。
術式さえ解除できれば、ラフェリオンの動きを止められる。
しかし、その術式が目に見える場所にない以上、サイの言う通り、二度と動けないように破壊しきってしまうか、ラフェリオンを解体して術式を探すしかない。
先程までの戦いを思い出しながら、トワリスは、サイに向き直った。
「破壊すると言っても、ラフェリオンには、私が魔力を込めた剣でも全く刃が立ちませんでした。見た目からして、それほど重量があるようには見えませんでしたし、何より、あの速さで動いてましたから、そこまで硬くて重い金属で出来ているとは思えません。とすれば、あの頑丈さは、魔術によるものである可能性が高い。何か魔術がかかっているんだとしたら、物理的に壊すっていうのは、現実的じゃないと思います」
サイは、こくりと頷いた。
「そうですね……私も、そう思います。ラフェリオンの力は、未知数です。破壊したところで、必ず無効化できるとも限りませんし、術式を解除した方が、方法としては確実でしょう。術式が描かれているであろう場所も、大体検討はつきますしね」
瞬いたトワリスに、サイは、にこりと微笑んだ。
そして、自分の背をトワリスに向けて、言った。
「身体の中で、一番平らで大きくて、魔法陣が描けそうな場所といったら、背中でしょう? 歌ったり、単調な動きをするだけの魔導人形なら、小さな魔法陣でも稼働するでしょうが、ラフェリオンほど複雑な動きをする魔導人形には、きっと多くの命令式が入り組んだ、巨大な魔法陣が必要になるはずです。それが刻印されているとなると、おそらく背中か、次いで腹、あとはあの車輪がついていた台座、そのあたりが考えられます」
「なるほど……」
感心した様子のトワリスに、サイは肩をすくめた。
「まあ、そんな推測をしたところで、実際に術式を暴けなければ、意味がないんですけどね。ラフェリオンが見た目以上に軽いとすれば、表面は金属製だったとして、中身は空洞になっているんじゃないでしょうか。その内側に術式が彫られているのだとすると、それを表に出すのは、簡単ではありません。まずは、ラフェリオンの動きをどう止めるか、です。今みたいに瓦礫の下敷きにしたり、氷漬けにすれば、なんとか動きは止められるかもしれませんが、それだと結局、本体を調べることはできませんし……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.121 )
- 日時: 2019/04/20 18:20
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ぶつぶつと独り言のように言いながら、サイが、瓦礫の方に身体を向ける。
同じように黙考していたトワリスは、やがて、きゅっと拳を握ると、口を開いた。
「……ラフェリオンの動きは、私が止めます」
サイが瞠目して、トワリスを見る。
トワリスは、腰の剣を示すと、はっきりとした口調で言った。
「剣を車輪につかえさせたら、一瞬ですが、ラフェリオンの動きを止められました。さっきは失敗しましたけど、もう一度、車輪を壊せないか試してみます。車輪自体は硬そうでしたけど、車軸と車輪の繋ぎ目は、他の場所に比べれば脆いと思うんです。だから、そこを狙って──」
「そんな、危険ですよ!」
トワリスの言葉を遮って、サイが首を振る。
サイは、トワリスの左手を握ると、心配そうに眉を下げた。
「だって先程は、それで右腕を痛めてしまったんでしょう? 左腕まで痛めちゃったら、どうするんですか! 痛めるどころか、大怪我を負うかもしれません」
トワリスは、戸惑ったように一歩下がった。
「いや、でもそれ以外に方法が思い付きませんし……。大丈夫ですよ、私、普通より頑丈ですから」
「駄目です! トワリスさんにやらせるくらいだったら、私がやります!」
「そうは言っても、多分私の方が足速いですし……」
よほどトワリスの身を案じているのか、これまでにない強い口調で、サイが食い下がってくる。
しばらくは、そんな二人の言い合いが続いていたが、やがて、扉の向こうから微かな足音が聞こえてくると、サイとトワリスは、同時に振り返った。
錆びた蝶番の擦れる音がして、ゆっくりと扉が押し開かれる。
先程、どれだけ試しても微動だにしなかったはずの扉が、いとも簡単に開いたかと思うと、現れたのは、黒髪の青年であった。
「あっ、良かった、こちらにいらっしゃったんですね」
ほっとした顔で言って、青年が持っていた洋灯を翳す。
年の頃は、トワリスと同じ、十代後半といったところだろうか。
まるで夜空を閉じ込めたような、青や紫が入り交じった黒い瞳が印象的な、整った顔立ちの青年であった。
「あの、どちら様ですか……?」
サイから手を引いて、トワリスが尋ねると、青年は、軽く会釈をした。
「僕は、ケフィ・ハルゴンと申します。ミシェル・ハルゴンの孫です」
次いで、トワリスたちの背後にある瓦礫の山を一瞥し、すっと目を細めると、ケフィは口早に言った。
「とにかく一度、この屋敷を出ましょう。僕の家にご案内します。フィオールさんも、そこにいますから」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.122 )
- 日時: 2019/04/23 19:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
屋敷でラフェリオンと戦っている内に、いつの間にか雨は上がり、空は夜闇に包まれていた。
案内されたケフィの家は、ラフェリオンのいた屋敷から少し離れた山奥にある、こじんまりとした山荘であった。
一人で暮らすには大きいが、屋敷と呼ぶには小さい、質素な木造の家だ。
それでも、廃墟のような屋敷から逃げ出してきた身の上では、いくらか豪勢に見えた。
トワリスの痛めた右腕を手当てしてもらい、軽く自己紹介を済ませてから通されたのは、ずらりと人形が並ぶ、まるで子供部屋のような客室であった。
人形といっても、魔導人形ではない。
動物を象った物や、人型のものまで、種々様々な普通の人形が、部屋の至るところに、大量に並べられているのだ。
動くことも喋ることもない、ただの布製のぬいぐるみや、木で出来たからくりの玩具が大半であったが、長椅子の周辺や調度品の上、果ては床の上にまで人形がぎっしり並べられているので、かなり異様な光景だ。
流石は人形技師の孫の家だ、とも言えるが、この分だと、他の部屋にも大量の人形が飾られているのだろう。
そう思うと、何とも言えない不気味さを感じるのだった。
人形に気をとられていたが、ケフィに示された長椅子を見ると、優雅に紅茶をすすりながら寛ぐ、アレクシアの姿があった。
目があった瞬間、サイとトワリスは、はっと顔をひきつらせたが、アレクシアは、いつものように艶然と微笑んだだけであった。
「遅かったじゃない。随分手間取ったのね」
トワリスとサイを見捨てて、自分はさっさとどこかに消えたくせに、まるで何事もなかったかのような態度で、アレクシアが言う。
怒鳴ってやりたい気持ちを抑えて、トワリスは、ぶっきらぼうに返した。
「……アレクシアは、どうやってあの屋敷から抜け出たわけ? 扉、開かなかっただろ」
紅茶を置いて、アレクシアは、ふふっと笑った。
「どうやってって、貴方たちと同じ、外側から開けて助けてもらったのよ。あんな物騒な人形がいる屋敷、長居は無用でしょ。助けてもらったついでに、連れが二人、まだ屋敷にいるからって説明して、ケフィに貴方たち二人を迎えに行ってもらったの。感謝してちょうだいね?」
「…………」
全くもって反省の色が見えないアレクシアに、怒りを通り越して、呆れを覚える。
ケフィがいる手前、今は言い争うのをやめようと言葉を飲み込むと、トワリスは、アレクシアから目をそらした。
「ケフィさん、扉を開けて下さって、ありがとうございます。本当に助かりました」
サイが丁寧に頭を下げると、ケフィは、にこやかに首を振った。
「いえ、ご無事で何よりでした。あの屋敷には、ラフェリオンを封じ込めておくために、内側からは扉が開かないよう魔術が施されているのです。普段は誰も近づかない場所ですから、今日、たまたま僕が外出する日で、良かったですよ」
ケフィに促されて、アレクシアの向かいの長椅子に、トワリスとサイが座る。
ケフィは、アレクシアの隣に腰掛け、二人分の紅茶をカップに注ぎながら、淡々と続けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.123 )
- 日時: 2019/06/18 12:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「フィオールさんから、大体のお話は伺いました。皆さんは、魔導師様なんですよね。ラフェリオンを破壊するために、シュベルテからお越し下さったのだとか……」
「はい。魔導師と言っても、まだ訓練生なので、頼りないとは思いますが……」
サイが、遠慮がちに答える。
ケフィは、サイとトワリスの前にも紅茶を置くと、目元を緩ませた。
「そんなことはありません。以前も、高名な魔導師様がいらっしゃったのですが、結局、ラフェリオンを鎮めることはできませんでした。その後、魔導師団から何の音沙汰もなくなったので、てっきりもう見捨てられたものかと思っていましたが……こうして、皆さんが来てくださって、とても嬉しいです」
年に似合わぬ落ち着いた口調で、ケフィはそう言った。
アレクシアの口車に半強制的に乗せられ、任務の存在自体、半信半疑の状態でやってきたが、どうやら当事者には歓迎されているようだ。
相変わらずアレクシアは胡散臭いし、ラフェリオンも想像以上に手強そうではあるが、人助けに繋がると思えば、多少はやる気も出てくる。
少しぬるめの、柑橘系の香りの紅茶を一口含むと、トワリスも、ケフィに向き直った。
「あの、根本的な質問なんですけど、ラフェリオンとは、一体なんなんですか? 魔導師団に保管されていた資料には、詳しいことはほとんど書かれていませんでしたし、私も人形に詳しいわけではないのですが……。ラフェリオンは、明らかに一般的な魔導人形とは、性質が違いますよね?」
ケフィは首肯すると、長椅子に深く座り直した。
「仰る通りです。僕も、祖父の人形作りの技術に関しては、そう多く語れる訳ではないのですが、ラフェリオンは、元々軍用に作られた魔導人形でした。身体を構成する部品、その一つ一つが特殊で、かつ強力な魔術がかけられています。人形というよりは、人殺しの兵器、と言った方が良いでしょう」
「兵器、ですか……」
眉を寄せて繰り返したトワリスに、ケフィは、再度頷いた。
「如何なる衝撃も通さないとされる、冥鉱石を鍛えて作った皮膚。遥か遠方の景色も見通せるという、ヴァルド族の眼球。水をも切り裂くことで知られる海蜘蛛の牙から作られた、二対の仕込刀……他にも、様々な部品を継ぎ接ぎ、祖父が長い年月を費やして完成させたのが、名匠の最高傑作にして遺作と謳われる、魔導人形ラフェリオンです」
それから、ふと表情を陰らせると、ケフィは言い募った。
「ラフェリオンは、完成して間もなく、一四八〇年に起こったシュベルテと西方カルガンとの戦に、持ち出されました。しかし、敵味方の判別もなく殺戮を繰り返すその残虐性故に、扱いきれないと判断され、数年の後、祖父の元に返されました。ただ、その頃は既に、祖父は人形技師を引退していましたし、使わなくなった軍用人形など、側に置いておく理由はありません。それで、工房代わりに使っていたあの屋敷に、ラフェリオンを封じ込めたのです」
ケフィの話に相槌を打ちながら、サイは、首をかしげた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.124 )
- 日時: 2019/04/30 18:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「なぜ破壊せずに、あの屋敷に閉じ込める方法を取ったんですか? ラフェリオンが返ってきた時、ハルゴン氏はまだご存命だったんですよね? 人形技師を引退なさっていたといえ、制作者なら、ラフェリオンの術式の解除方法も当然ご存知でしょうし、わざわざ封じ込めるよりも、壊してしまった方が、安全で手っ取り早かったのではありませんか?」
「それは……」
一瞬言葉を止めて、ケフィが口を閉じる。
それから、どこか困ったように笑むと、ケフィは懐かしそうに続けた。
「……祖父は、とても優しい人だったんです。作った人形には、一人一人名前をつけて、我が子のように可愛がっていました。ラフェリオンも、例外ではありません。だから、そんな破壊するなんて、考えられなかったんだと思います……。晩年も、戦の道具としてラフェリオンを作ってしまったことを、祖父はひどく後悔していました。私は、どうしてこんな残酷な道を、あの子に強いてしまったのだろう、と」
「…………」
祖父とのやりとりでも思い出しているのか、ケフィの顔には、何かを愛おしむような、暖かい色が浮かんでいる。
まるで、ケフィもラフェリオンを大切に思っているような──そんな表情であった。
トワリスは、サイと顔を見合わせてから、控えめな声で尋ねた。
「あの……私たちがラフェリオンを破壊したら、おじいさんの意向に背くことになってしまいますが、大丈夫ですか? 暴走する魔法具を放置しておくことは、大変危険です。でも、おじいさんだけじゃなくて、貴方もラフェリオンをそっとしておきたいと言うなら、無理に壊そうとも思いません」
ぴくりと眉をあげて、黙っていたアレクシアが、トワリスを睨んだ。
勝手な発言をするな、とでも言いたげな目付きである。
しかし、アレクシアがなんと言おうと、亡きミシェルやケフィの気持ちを無視してまでラフェリオンを破壊するのは、魔導師としての本懐に反している。
例え当初の目的とは違っても、依頼人や当事者の望む形に事態を納めることこそが、魔導師の仕事なのだ。
ケフィは、少し驚いたように目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。
「そんなことを魔導師様に言われたのは、初めてです」
それから、小さくうつむいて、ケフィは首を振った。
「……ありがとうございます。でも、いいんです。どうか、ラフェリオンを壊してください。確かに、封じることには成功していますが、ラフェリオンを扱える人間がいないのは事実です。祖父が亡くなってから、ハルゴン家は、物騒な人形を作る気味の悪い一族だと、世間から白い目で見られるようになりました。結果的に僕は、祖父の名前を伏せ、隠れるように暮らすことを強いられています。……正直、こんな息苦しい生活には、うんざりなんです。祖父を否定するつもりはありませんが、僕はもう、ハルゴンの名を背負っていたくないのです」
そう言って、ケフィは寂しげな表情になった。
実際、ミシェル・ハルゴンの名を巷で聞くことは、最近ではほとんどなくなっていた。
亡くなったせいかと思って、それほど意識もしていなかったが、もしかしたら、身内しか与(あずか)り知らぬところで、玩具作りではなく兵器造りに着手し、失敗して、結果その名声を落とし込んでいたのかもしれない。
見たところ、ケフィはこの山荘で一人で暮らしているようだ。
この孤独な生活の原因が、祖父だというならば、彼にも思うところがあるのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.125 )
- 日時: 2019/05/31 19:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスは、ケフィの目を見て、深く頷いた。
「分かりました。ケフィさんがそう仰るなら、私たちは、ラフェリオンを壊します」
ケフィの夜色の瞳が、微かに動く。
わずかに視線を落とした後、ケフィも頷いて、トワリスを見つめ返した。
「……はい。よろしくお願いします」
サイは、少し身を乗り出して、ケフィに尋ねた。
「破壊するにあたって、お聞きしたいことがあるのですが、ケフィさんは、ラフェリオンに刻印されているはずの術式のことをご存知じゃありませんか? 術式じゃなくても、何か弱点とか、そういったものがあれば教えて頂きたいのですが……」
「術式、というと……人形に彫る、あの魔法陣のことですか?」
「ええ、そうです」
ケフィは、思案するように俯くと、しばらく黙りこんでいた。
しかし、ふと顔をあげると、何かを思い出したように立ち上がって、部屋の本棚から、一冊の魔導書を引っ張り出してきた。
「これ、ラフェリオンのものではないと思うのですが……」
言いながら、魔導書を広げて、ケフィが卓の真ん中に置いてくれる。
ぱらぱらと頁をめくって目を通すと、サイは、途端に目を輝かせ始めた。
「魔導人形の造形魔術に関する魔導書ですか? すごい、初めて見ました……!」
生き生きとした声音で、サイは食い入るように魔導書を見つめている。
一方、アレクシアはあまり興味がないのか、ちらりと横目に見ただけで、長椅子から動こうとしない。
トワリスも、読んでみたい気持ちがあったが、夢中になっているサイを引き剥がすのも申し訳ないので、ひとまず話を進めようと、ケフィに向き直った。
「この魔導書に、魔導人形の術式のことが書かれているんですか?」
問うと、ケフィは首肯した。
「はい、おそらく。僕は魔導師でもなければ、古語も読めないので、詳しいことは分からないのですが、祖父は、魔導人形を一体作る度に、その作り方や過程を、魔導書として形に残していました。だからラフェリオンにも、その作り方が記された魔導書が、どこかにあると思うんです。この家では見たことがないので、多分、あちらの屋敷の方に……」
窓の外に見える、ラフェリオンが封じられた屋敷の屋根を一瞥して、ケフィが答える。
すると、今までずっと黙っていたアレクシアが、初めて口を開いた。
「そういえば、屋敷の二階に、魔導書が大量にしまいこまれた込まれた小部屋があったわね。あるとしたら、そこじゃない?」
ケフィの目が、微かに動く。
サイは、表情を明るくすると、はきはきとした口調で言った。
「良かった、じゃあその魔導書さえ見つかれば、ラフェリオンを無効化できますね! あんな精巧で複雑な動きをする魔導人形が、一体どんな術式で構成されているのか、すごく気になっていたんです! 嬉しいな、まさかハルゴン氏の書いた魔導書まで読めるなんて……」
いつもの穏和な態度から一変、興奮した様子で捲し立てながら、サイは、渡された魔導書を次々とめくっていく。
魔術が好きで、ハルゴン氏の造形魔術に興味があるからアレクシアに協力した、と言っていたのは、本当だったのだろう。
周囲の反応など一切気にせず、夢中になって魔導書に目を落とす姿は、玩具を目の前にはしゃぐ子供のようであった。
そんなサイの変わり様を、最初は驚いたように見つめていたケフィであったが、やがて、微笑ましそうに眉を下げると、柔らかい口調で言った。
「僕は皆さんのように、魔術を使って戦うことはできませんが、出来る限りのことは協力させて頂きますので、なんでも言ってくださいね。ひとまず今晩は、この家に泊まって下さい。もう夜も更けてきましたし、空き部屋ならいくつかありますから」
言いながら、淹れ直した紅茶を、ケフィは三人の前に出してくれる。
その気遣いに礼を述べながら、トワリスは、再び外の夜闇を見つめた。
卒業試験には期限があるし、出来ることなら、すぐにでも再度ラフェリオンの元へと向かいたいところだ。
しかしケフィの言う通り、今は夜更けだし、トワリスとて痛めた右腕を回復させなければならない。
(今日のところは、大人しく休むか……)
ふうっと息を吹きかけて、熱い紅茶を一口、口に含む。
ふと見れば、黙りこんでいたアレクシアも、紅茶を手に取っていた。
カップから立ち上る湯気が、ふわりと舞って空気に溶けていく。
アレクシアは、どこか遠くを見るような目で、その様をじっと見つめていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.126 )
- 日時: 2019/05/06 18:42
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ケフィの厚意に甘えて、三人は、隣り合う二部屋を借りることにした。
客間だけでなく、他の部屋も不気味な人形だらけなのではないかと内心警戒していたが、案内されたのは、板張りの殺風景な空き部屋だ。
少々埃っぽいが、部屋の両側には寝台が二つ用意してあり、床には分厚い絨毯が敷かれ、その奥には、暖炉まで設置されている。
ぱちぱちと音をたてて燃える炎の熱で、一日中雨に濡れて動き回った身体が、芯から暖まるようだった。
アレクシアと同室で休むことになったトワリスは、部屋に入るとまず、寝台の宮棚に荷物を置いて、中から宝珠を取り出した。
「……これ、返しておく」
無愛想な声で言って、押し付けるように、宝珠をアレクシアに渡す。
ラフェリオンがいた屋敷で、アレクシアが照明代わりに置いていったものだ。
アレクシアは、宝珠を受け取ると、満足げに言った。
「わざわざ取って帰ってきたのね。気が利くじゃない」
「…………」
アレクシアのことは無視して、トワリスは、黙々と荷物の整理を始める。
こちらを見ようともしないトワリスに、アレクシアは、おかしそうに眉を上げた。
「随分不機嫌ね。何か納得のいかないことでもあった?」
白々しいアレクシアの言葉に、沸々と怒りが湧いてくる。
しかし、ここで感情的になったら、彼女の思う壺だと気持ちを抑えると、トワリスは冷たく返した。
「自分の胸に手を当てて、考えてみれば?」
刺々しいトワリスに対し、アレクシアが瞬く。
それから、くすくすと笑うと、アレクシアは寝台に座って、すらりと長い脚を組んだ。
「なによ、私が貴女とサイを置いていったこと、そんなに怒ってるわけ? 貴女たちなら、あの魔導人形の相手が勤まるだろうと思ったからこその行動よ? 二人のことを信じてたの、分かる?」
「信じてたなんて、よくもそんな……!」
思わず声を荒げて、アレクシアを睨み付ける。
しかし、ぐっと唇を引き結ぶと、トワリスはそっぽを向いた。
散々わがままを言ってサイとトワリスを巻き込んだ挙げ句、囮扱いして、自分はとんずらするなんて、到底許しがたいことである。
だが、ここで説教をしたところで、アレクシアは反省などしないだろう。
彼女の言うことを真に受けるなと自分に言い聞かせ、何度目とも知れぬため息をつくと、トワリスは、荷物の整理を再開した。
「とにかく、明日こそはちゃんと働いてもらうからね。アレクシアが何をしたいのかは知らないけど、この任務の目的はラフェリオンの破壊で、それに私達を引き込んだのは、他でもないあんたなんだから!」
手元を動かしながら、毅然とした態度で告げる。
するとアレクシアは、尚もおかしそうに微笑んで、一つに結んでいた髪をほどいた。
「あら、協力はしてくれるのね。怒って帰るつもりなのかと思ったけれど」
「あんたに協力するんじゃない! 魔導師としてケフィさんを助けてあげたいし、ここまでの道程を無駄にしたくないだけ!」
興奮して、乱雑に荷物の口を閉じると、その衝撃で、荷物がずるずると宮棚から床に落ちた。
折角閉じた口が開いて、予備の剣やら、任務の資料やらが、ばさばさと地面に広がる。
トワリスは、腹立たしそうに息を吐くと、散らばった中身に手を伸ばした。
こんな些細なことでも苛々してしまうのは、なんだかんだでアレクシアの一挙一動に翻弄されてしまっている自分がいるからだろう。
自己中心的で我が儘、勝手で奔放、それがアレクシアだ。
それでも、まだ心のどこかで、任務を乗り越えたら多少は分かり合えるかもしれない、なんて思っていた。
だから、何のためらいもなく自分とサイを囮にしたアレクシアの行動に、思いの外落胆していたのだ。
アレクシアには本当に、心の底から、トワリスやサイを思う気持ちなんてないのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.127 )
- 日時: 2019/05/09 20:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
落ちた荷物を拾い集め、今度こそしっかりと口を閉めると、トワリスは、アレクシアと同じように寝台に腰を下ろした。
そして、鉛筆を取り出し、任務の資料に書き込みを始める。
今日、ラフェリオンについて気づいたことをまとめておきたいし、今後どう動くかも、決めておきたかったからだ。
黙々とラフェリオンを破壊するための思索に耽っていると、着々と寝入る支度を始めていたアレクシアが、ふと尋ねてきた。
「何をやってるのよ?」
一瞬だけアレクシアの方を見て、再び文面に目を落とす。
ここで無視をするのは、流石に大人げないかと思い直すと、トワリスは、静かな声で返した。
「……明日の計画を書いてるの。ケフィさんの言っていた魔導書を探しだして、術式を解除できればそれが一番良いけど、不測の事態なんていくらでも考えられるし、ラフェリオンを破壊できそうな方法をいくつか考えておかないと。アレクシアも、案出して」
アレクシアは、途端に興味を失った様子で、形の良い眉を歪めた。
「嫌よ、なんで私が。頭を使うのはサイが得意でしょうし、そんなの明日になったら考えればいいじゃない。私たちはさっさと寝ましょ」
「無鉄砲に突っ込んでも、また失敗するだろ。寝るのは計画の目処がたってから!」
あえて資料からは目は離さないまま、ぴしゃりと言い放つ。
すると、長いため息が聞こえて、アレクシアが呆れたように言った。
「……本当に貴女って堅物ね。噂には聞いていたけど、想像以上だわ。いつも眉間に皺を寄せて……そんなんだから貴女は不細工なのよ。野蛮で不細工って、女として終わりね」
「ぶさっ……」
まさか貶されるとは思わず、トワリスが顔を上げる。
絶句した後、ぱくぱくと口を開閉すると、トワリスはかっとなって言い返した。
「ア、アレクシアこそ! 人の弱味につけこんで、利用して嘲笑って……! その上、嘘をついて屋敷に引き入れて、私とサイさんをラフェリオンの囮に使うなんて、信じられない! 今回は私が軽く腕を痛めたくらいで済んだけど、下手をしたら死んでたかもしれない! 女がどうとかいう以前に、アレクシアは、人間として最低だよ……!」
衝動的に立ち上がって、アレクシアを怒鳴り付ける。
同時に、しまった、と焦って、トワリスは口をつぐんだ。
あれだけ相手にするなと自分を諌めていたのに、アレクシアの下らない言い種に、つい反論してしまった。
これからまた口汚い応酬が始まるのかと思うと、正直うんざりである。
トワリスが想像以上に噛みついてきたので、驚いたのだろう。
アレクシアは、つかの間押し黙っていたが、やがて、意地の悪い笑みを浮かべると、軽蔑したような口調で言った。
「貴女が人間を語るの? 獣人の血が混じった、異端のくせに」
どくりと、心臓が脈打つ。
まるで冷水のようなアレクシアの言葉に、血が昇って熱くなっていた頭が、すうっと冷える。
どう言い返してやろうかと考えていたが、そんな言葉は、喉の奥でしぼんで消えてしまった。
アレクシアは、肩をすくめた。
「貴女の母親、奴隷商に飼われていた女獣人なんですって? その分じゃ、父親もどうせ、泥水をすすって生きてきた最底辺の奴隷なんでしょうね。獣と汚物がよろしくやって、異端の貴女が生まれたってわけ。気持ち悪いわね?」
「…………」
トワリスは、何も言うことができず、ぎゅっと唇を噛んだ。
これは、いつもの言い争いだ。
売り言葉に買い言葉、感情的になりがちな自分を、アレクシアは面白がっているだけなのだ。
そう分かっているのに、アレクシアが獣人混じりに対し、気持ち悪いだなんて感情を抱いているのだと思うと、彼女の蒼い瞳が、急に恐ろしくなった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.128 )
- 日時: 2019/05/11 19:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、掠れた声で返した。
「……私だって、好きでそんな風に生まれたわけじゃない」
アレクシアがふっと目を細める。
つまらなさそうに息を吐くと、アレクシアは、呆れたように言った。
「ふーん、じゃあ普通の人間に生まれたかったということ? 自分が異端で惨めだということは否定しないのね」
「…………」
トワリスは、アレクシアの視線から逃げるように俯くと、ぎゅっと拳に力を込めた。
「なんで、そんな言い方するのさ。私が獣人混じりだからって、アレクシアには何の迷惑もかけてないだろ。大体、異端だとか、気持ち悪いとか言うけど、そっちが先に声をかけてきたんじゃないか。ラフェリオンの任務を一緒にやろう、って。私も、サイさんも、沢山納得がいかないことあったのに、今まで誰のために協力してきたと思って──」
「誰のため? 自分のためでしょう?」
言葉を遮られて、トワリスの顔が強張る。
アレクシアは、トワリスの顔を見つめると、にやりと笑って続けた。
「淫蕩でずる賢いと有名なアレクシア・フィオールが可哀想だから、協力してあげたんだって。そう言いたいから、貴女はここまでのこのこ着いてきたのよ。魔導師団内で浮いてる女同士、異端同士、傷の舐め合いでもすれば仲良くなれると思った? それとも、哀れな女に手を差し出せば、居場所のない惨めな自分を正当化できるとでも考えたのかしら。私に脅されたからとか、ケフィ・ハルゴンのためだからとか、色々と理由をつけて、貴女は仕方なく協力するふりをしていただけなのよ」
トワリスは、顔をしかめると、首を横に振った。
そして、睨むようにアレクシアの顔を見ると、はっきりと否定した。
「違う。そんなこと、思ってない。……どうしてそんな、ひねくれた見方をするの。確かに私は、アレクシアの言う異端なのかもしれないし、同期内でも浮いた存在だから、これを機に誰かと仲良くなれればとか、そういうことも、少しは考えたよ。だけど、アレクシアを利用して自分を正当化しようとか、そんなこと思ってない。この任務を受けるのだって、今でも正直反対だよ。でも、私が同期の男共を蹴り飛ばしてたって、アレクシアに密告されたら困るし、他に私と組んでくれそうな相手も、結局見つからなかったし、何より、例え卒業試験には不向きな任務でも、ラフェリオンを破壊することで誰かが助かるならいいなって、心からそう思ったから、協力しようって思ったんだよ」
「…………」
トワリスが言い終わっても、アレクシアは何も答えなかった。
黙って、しばらく探るようにトワリスの目を見つめていたが、やがて、小さく嘆息すると、冷めた口調で言った。
「あっそ、まあいいわ。貴女が偽善者だろうと、筋金入りのお人好しだろうと、そんなことはどちらでも構わない。私は、ラフェリオンを破壊できるくらいの力を持っていそうだから、貴女とサイを選んだの。だから下手な詮索なんてしないで、貴女たちはただ、あの魔導人形の相手をしていればいいのよ」
トワリスの眉間の皺が、深くなる。
怒りを堪えるように拳を震わせると、トワリスは、吐き捨てるように答えた。
「……意味わかんない。言ってることが滅茶苦茶だよ。要は、協力はしてほしいけど、アレクシアには干渉せず、ひたすら黙って言うことを聞けってこと?」
アレクシアは、ふふっと微笑んだ。
「ええ、そうよ。貴女たちは、私の勝手な我が儘に付き合ってくれれば、それでいいの」
言い返そうとして、口を閉じる。
トワリスは、アレクシアと目を合わせることなく、ただ悔しそうに俯いていた。
そんなトワリスを、アレクシアは、どこか退屈そうに眺めていたが、ややあって、ぐっと伸びをすると、革靴を脱いだ。
「……悪いけど、私疲れてるから、もう寝るわよ。おやすみ。貴女も早めに寝なさいよ」
そう言って、燭台の灯りを消すと、アレクシアはさっさと寝台の中にもぐってしまう。
真っ暗になった室内で、アレクシアが寝入ってしまってから、トワリスもようやく寝台に身を預けた。
思えば、こんな風に貶されるのが怖かったから、無意識に人付き合いを避けてきたのかもしれない。
今回、面と向かって“異端”だなどと言ってきたのが、たまたまアレクシアだっただけで、他の誰かに同じことを言われる可能性だって、十分にあった。
周囲からそういう目で見られていることには、とっくの昔に気づいていたのだ。
気づいていたけれど、その程度で傷ついたりはしないとか、気にする必要はないとか、必死にそう思い込もうとしていた。
もちろん、サミルやルーフェン、リリアナのように、優しい言葉をかけてくれる人達だっている。
そのことを分かっていても、「獣人混じりだから、それがなんだ」と、胸を張って言えない自分が、ひどく情けなかった。
今更泣いたりなんてしないが、本当は、涙が出るほど悔しかった。
まだ正規ではないものの、自分の肩書きは、獣人混じりの子供から、魔導師に変わることができたと思っていたのに、結局先行するのは、気持ちの悪い混血という印象なのだ。
そのことが、とても悔しかったし、とても悲しかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.129 )
- 日時: 2019/05/13 18:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
翌朝、寝台から起き上がると、既に部屋にはアレクシアの姿がなかった。
夜明け少し前に、彼女が着替えて出ていったことには気づいてはいたが、言い争ったばかりで、なんとなく声をかけづらかったので、そのまま見送ったのだ。
軽く身支度を整えただけで、荷物は置きっぱなしだったので、直に帰ってくるだろう。
そう予想していたが、トワリスが外出準備を終え、サイと合流する頃になっても、アレクシアは戻ってこなかった。
ケフィが用意してくれた朝食を食べ、山荘を出ると、外は曇天であった。
太陽が一番高くなるはずの時分だというのに、分厚い雲のせいで、辺りはぼんやりと薄暗い。
それでも、霧も無く雨が降っていないだけ、昨日よりは視界が開けていると言えよう。
昨夜、鬱蒼とした獣道を通ってきたと思っていたが、よく見れば、ケフィの山荘の周囲には、人の手が入ったと思しき広い山道が、一本通っていた。
ラフェリオンの屋敷へと続く山道を下りながら、アレクシアがいないのは今朝からだと告げると、サイは、大して驚いた様子もなく、苦笑いを浮かべた。
「まあ、仕方ないですよ。勿論、アレクシアさんにも協力してもらえたら嬉しいですが、彼女を頭数に入れて計画を立てたら、また痛い目を見そうですからね」
長杖で、山道に飛び出した枝葉を避けながら、サイは穏やかな口調で言った。
本当は、昨夜のアレクシアの不遜な態度を、もっと悪く言ってやろうかと思っていたが、サイの落ち着いた振る舞いを見ている内に、そんな気は失せてしまった。
サイも、アレクシアの言動には呆れているようであったが、彼はどちらかというと、アレクシアに対して怒りを示すよりも、トワリスをなだめる方向に気を遣ってくれているようだ。
二つ年上とはいえ、サイのそんな大人びた対応を見ていると、いつまでも憤慨している自分が、少し子供っぽくて恥ずかしかった。
急な山道をしばらく下ると、昨日、トワリスたちが馬車でやってきた山間の通りへと出た。
ここを更に下っていけば、ラフェリオンのいる屋敷へとたどり着く。
長い間、黙々と歩いていたトワリスとサイであったが、ある時、ふと顔をのぞきこんできたサイが、神妙な顔つきで尋ねてきた。
「……あの、大丈夫ですか?」
何のことを言われているのか分からず、微かに首を傾げる。
サイは、言いづらそうに口淀んでから、わずかに俯いて続けた。
「なんだか、元気がないように見えたので。アレクシアさんに、何か言われました? それとも、昨日の怪我が痛むとか……」
トワリスは、はっとしてサイの方を見た。
いつまでもアレクシアの悪口を言うのも気が引けたので、黙っていただけなのだが、どうやら元気がないと勘違いされてしまっていたらしい。
慌てて首を振ると、トワリスは右手を開いたり、握ったりして見せた。
「いや、全然。右腕もほとんど痛くないですし、なんともないです。もう戦えます」
ついでに、折れた双剣の片割れの代わりに持ってきた、予備の剣を示す。
それでもサイは、まだ心配そうな顔つきで見てくるので、トワリスは話題を変えた。
「そんなことより、ラフェリオンを破壊する方法、色々考えてみたんですけど……やっぱり、ケフィさんの言っていた魔導書を見つけて、術式を解除することに賭けるのが、一番良いんじゃないかと思うんです」
サイの表情が、さっと真剣なものに切り替わる。
トワリスも、真面目な顔で前を見据えると、歩きながら言葉を継いだ。
「ほら、動きを止めるだけなら、可能じゃないですか。昨日みたいに、瓦礫の下敷きにするなり、氷漬けにするなり、なんなら、私が足止めするのでも構いません。その間に、どうにかラフェリオンの術式に関する手がかりを、屋敷の中から探し出すんです。これが一番安全で、有効な方法だと思います。魔導書が見つからなかった場合は、また別の方法をとらないといけませんけど……」
眉根を寄せると、トワリスは、再びサイを見上げた。
昨夜は結局、アレクシアと喧嘩をしたせいで、何の作戦も考えられなかったのだ。
中途半端に書き込んだだけの任務の資料も、戦闘の邪魔になるかもしれないからと、ケフィの山荘に置いてきてしまった。
ここは素直に、頭の切れるサイを頼るのが良いだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.130 )
- 日時: 2019/05/16 18:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
サイは、トワリスの意図を汲んだ様子で考え込むと、ぽつりと呟いた。
「昨日、ケフィさんに頼んで、ハルゴン氏が手掛けた魔導人形についての魔導書をいくつか読んだんですけど……。ラフェリオンって、おそらく構造的にはかなり原始的な造りなんですよ」
「原始的、というと?」
サイは腕まくりをして、自分の皮膚を確かめるように触りながら、言い募った。
「ハルゴン氏の作品には、人間とそっくりの見た目の魔導人形も、沢山あったんです。作り物であることには変わりないんですが、骨格や筋肉の役割をする部品があって、皮膚も、動物の皮などを使って忠実に再現していたそうです。見た目どころか、動きまでしなやかで、まるで本物の人間のようだと評価されていたんだとか。そういった作品に比べると、ラフェリオンは粗い造りをしているというか、いわゆる人形らしい、単純な姿をしているように見えます」
ラフェリオンの姿を思い浮かべて、トワリスは、微かに目を大きくした。
言われてみれば、経年により劣化していることを差し引いても、ラフェリオンは、台座に人形の上半身が取り付けられているだけの、古い型の人形であった。
兵器としての性能や、かけられた魔術の強さは、他とは比べ物にならないくらい強いのであろうが、見た目だけで言えば、ハルゴン氏の最高傑作と聞いて拍子抜けしてしまいそうなぼろさだ。
顎に手を当てると、トワリスは、納得したように言った。
「確かに……そうですね。こう言っては失礼ですけど、造形には力を入れていないように見えました。素人の私でも、なんとなく、どんな造りなのか、分かってしまうような……」
サイは、こくりと頷いた。
「同感です。それで、昨日一通り動きを見て、考えていたんですけど、ラフェリオンは、腕の刃ごと上半身を回転させて、斬りつけてくる場合が多かったですよね。あの攻撃を仕掛けてくる時は、必ず移動している時でした。つまり、車輪の動きと上半身の回転は、連動している可能性が高い。車輪と上半身、その両方が取り付けられている台座の中には、歯車かなにかが設置してあって、車輪が動き出せば、同時に上半身も回転する仕組みになってるんじゃないでしょうか」
「じゃあ、例えばあの台座部分を完全に氷付けにしてしまえば、少なくとも車輪と上半身の回転は止まる、ってことですよね。ついでに腕も封じられれば、刃も振るえなくなる」
サイの言葉に誘導される形で答えて、トワリスは、ぱっと表情を明るくした。
トワリスと目が合うと、サイも、どこか嬉しそうに返事をした。
「的確に台座と腕を狙わないといけないので、魔術の正確性は問われますが、この方法が成功すれば、ラフェリオンに近づかずに動きを止められます。部分的に凍らせるだけなので、上手くいけば、術式が彫られているであろう背中、あるいは腹部を調べられるかもしれません。あとは、ラフェリオンに攻撃が一切通じなかった場合を考えましょう。昨日も話しましたが、ラフェリオンには、何かしらの防御魔術がかかっている可能性があります。表面の金属は、冥鉱石という非常に硬度の高い石を鍛えて作ったのだとケフィさんも仰っていましたし、魔術すら一切通じない、という事態も十分考えられるでしょう。ですから、こういうのはどうですか。動き自体を封じるのではなく、感覚を封じるんです」
流れるような口調であらゆる対策案を出しながら、サイが、ぴんと人差し指を立てる。
彼の一言一句を聞き逃さないように耳を立て、サイが言わんとしていることを汲み取ると、トワリスは、あ、と声をあげた。
「つまり、ラフェリオンに私達を認識させないってことですか?」
サイは、大きく頷いた。
「そうです。ラフェリオンが、何で私達を認識しているのかは、まだ分かりません。視覚か匂いか、それとも音か、あるいは全部か……。何にせよ、それらを奪ってしまえば、本体を壊さなくても、動きは止まるはずです。ラフェリオンだって、所詮は人形。標的を検知できなければ、静止するしかないのではないでしょうか」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.131 )
- 日時: 2019/05/18 19:39
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
自分では考えられないようなことを、難なく思い付いてしまうサイの話を聞いている内に、トワリスは、だんだんと心が弾んでくるのを感じていた。
今から命がけの戦いに出るというのに、心が弾むなんておかしいと自分でも思うが、こんな風に仲間と話し合って、作戦を立てていると、いかにも自分が魔導師らしいことをしているような気がして、わくわくするのだ。
この高揚感は、座学を受けているときや、訓練をしているときでは、決して感じられない。
助けを求める依頼人がいて、共に任務を遂行しようとする仲間がいてこそ、感じられるものだ。
三人組で卒業試験を受けることになってから、アレクシアに巻き込まれ、危険な目にも遭ったが、一方で、こうしてサイと接点を持てるようにもなったわけだから、悪いことばかりではなかったかもしれない。
トワリスは、サイを見上げると、はきはきとした口調で返事をした。
「確かに、その方法なら幅が広がりますね! 目や鼻、耳にあたる部分を、壊せるなら壊すのが手っ取り早いですし、壊せなくても、他に音や匂いを出して私達の気配を誤魔化すとか、いくつでも対策のとりようがありますし」
「ええ。ラフェリオンの場合は、視覚認知の可能性が高いでしょう。一応、他の可能性も考えておいた方が良いとは思いますが、わざわざヴァルド族の眼球を使用したと記録しているわけですから、視覚認知していないなんてことは考えづらいですからね」
トワリスにつられたのか、サイも、どことなく微笑ましそうに顔つきを緩める。
二人は、顔を見合わせて頷いたが、トワリスは、ふと口を閉じると、何か思い出したように言った。
「そういえば、そのヴァルド族って聞いたことがないんですけど、具体的にはどんな特殊な一族なんでしょう。ケフィさんは、遠くの景色まで見渡せる眼球も持っているって仰ってましたが、それって、単純に視力が異常に発達してるってことなんでしょうか」
サイなら知っているかと思い、尋ねてみたが、答えはすぐに返ってこなかった。
ラフェリオンに使われているという、冥鉱石も、海蜘蛛の牙も、なんとなく聞いたことのある材であったが、ヴァルド族の名前だけは、聞いたことがなかった。
特に地方には、数えきれないほどの独特の文化を持った少数民族が存在しているというが、サーフェリア中の守護を勤める魔導師団では、そういった地理的な情報は全て把握しているはずだ。
まして、魔導人形の素材にも使われるような、特別な目を持つ一族ならば、魔導師団が認識していないことはないだろう。
だから、ヴァルド族という名前を聞いたとき、少し違和感を覚えたのだ。
単に忘れていただけかもしれないとも思ったが、本当に、全く聞いたことがなかったのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.132 )
- 日時: 2019/05/21 18:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
サイも、トワリスと同じく、ヴァルド族に関しては何も知らなかったのだろう。
少し黙りこんだ末、サイは首を横に振った。
「さあ、ヴァルド族の名前は、私も今回初めて聞いたので……。昨日、ケフィさんにも聞いてみましたが、彼らはもう絶えてしまった西方の一族なので、記録もほとんど残っていないそうですよ。知る人ぞ知る、一部の地域に伝わる伝承みたいな存在なんでしょうね」
あまり興味がないのか、それだけ言って、サイは肩をすくめる。
ラフェリオンを破壊するために、集められる情報ならしっかりと把握しておきたいところだが、記録もないのであれば、調べようがない。
だから、サイの反応が薄いのも、当然と言えば当然なのだが、トワリスの中では、何かが引っ掛かっていた。
ヴァルド族が、魔導師団にも知られていないような存在だったというなら、何故ハルゴン氏は、そんな未知の一族の眼球を、魔導人形の材に使おうなどと思い付いたのだろう。
逆に言えば、名匠とはいえ、ただの人形技師に過ぎないハルゴン氏が知っていたヴァルド族の存在を、何故魔導師団は、把握できていなかったのだろう。
あるいは把握していて尚、扱わない理由が何かあったのか──。
かつて滅んだ一族で、訓練生の耳には入らないような些細な存在だったと言われてしまえばそれまでだが、魔導師に教え込まれる知識の中には、既に絶えて、歴史の波に埋もれていってしまった一族の史実も多くある。
だからこそ、サイもトワリスも、ヴァルド族について何も聞いたことがないというのは、奇妙な感じがしたのだった。
話しながら通りを下っていくと、ようやくラフェリオンのいる屋敷が見え始めた。
大雨は去ったものの、日は照っていないので、半分腐りかけたような屋敷の壁からも、むっと湿った木の臭いがする。
靄のかかった微風がたちまじり、背後の木々をざわざわと鳴らせば、その不気味な揺らめきは、まるでトワリスたちを手招いているようにも見えた。
サイは、屋敷から醸される気味の悪い空気を払うように、溌剌と口を開いた。
「よし、じゃあ作戦を確認しましょう! まず屋敷に入ったら、ラフェリオンとの交戦は極力避けて、二階に上がりましょう。アレクシアさんが昨日言っていた魔導書のある部屋を探して、ラフェリオンに関する文献を探すんです。運良くそれが見つかって、ラフェリオンの術式解除の手がかりが掴めれば、万々歳です」
汚れと蔦に覆われ、全く中の見えない二階の窓を指差して、サイが言う。
トワリスも、同じように屋敷を見上げてから、サイの方に視線をやった。
「分かりました。それで、もし魔導書が見つからなければ、ラフェリオンの車輪の動きを止める、あるいは感覚を封じる、どちらかの方法を試すんですね」
サイは、深々と頷いた。
「はい。もし、どの作戦も駄目だった場合は、また出直しましょう。無駄に戦い続けても、こちらが消耗してしまいます。ケフィさんに、もし私達が夕刻になっても戻らなかったら、また外側から屋敷の扉を開けてほしいとお願いしておきました。危険なので、アレクシアさんがいれば、彼女に扉を開ける役目を任せるように伝えてありますが、どちらにせよ、夕刻になれば誰かしらが来てくれるはずです。そうしたら、どうにかラフェリオンを外に出さないようにして、屋敷から脱出しましょう」
気合いを入れるように、ふうっと深呼吸すると、二人は、同時に屋敷へと近づいていった。
そして、互いに目で合図しあい、そっと扉に手をかけると、すぐそばにラフェリオンがいないかどうか、気配を探った。
押した扉の軋む音が、やけに大きく聞こえる。
二人は、もう一度目を合わせて頷き合うと、息を潜めて、扉を押し開いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.133 )
- 日時: 2019/06/03 20:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
屋敷へと足を踏み入れると、中は思いの外暗く、じっと目を凝らさなければ、目の前にあるものが何かもよく分からぬ状況であった。
唯一の光源は、差し込む僅かな外界の光だけ。それも、汚れで曇った窓から入ってくるものなので、ほとんどないに等しいと言える。
トワリスは多少夜目も利くが、サイは手探りで進まねば足元も覚束無いほどで、目が慣れるまでのしばらくは、あまり動けなかった。
昨日訪れた時、アレクシアがそうしていたように、魔術で屋敷を照らしても良かったが、今そんなことをすれば、自分達の居場所をラフェリオンに教えるようなものだ。
今のところ、ラフェリオンがトワリスたちの元にやってくる様子はない。
未だサイが崩した天井の瓦礫に埋もれているのかとも思ったが、どうやらラフェリオンは、既に自力で脱出して、屋敷の別の場所に移動しているようだ。
二人は慎重にラフェリオンの気配を探ったが、暗い大広間には、黒々と沈む瓦礫の山と、無機質に散乱する人形たちの四肢しかなかった。
二人は、暗闇の中を一歩一歩、足場を確かめながら、屋敷の二階へと上がっていった。
大階段や上がった先の長廊下には、分厚い敷物が敷かれていたので、幸いなことに、足音はほとんど響かない。
しかしながら、板張りの床はひどく劣化しており、所々腐っていたので、いつ重みに耐えかねて崩れ落ちるか、分からないような状態であった。
二階の長廊下に並ぶ部屋は、大半が物置きのようで、大広間と同じように、人形の部品が溢れかえっている部屋もあれば、アレクシアが言った通り、本棚が並ぶ書斎のような部屋もいくつかあった。
ひとまず手近な小部屋に入ったサイとトワリスは、静かに扉を閉めると、ほっと息をついた。
それから、扉から光が漏れ出ないよう、微かな魔術で杖先に明かりを灯すと、サイは、古い本棚を見上げた。
「ぱっと見た感じでは、ラフェリオンの魔導書らしきものは見当たらないですね……」
光る杖先を、並ぶ本の背表紙に近づけ、サイがそっと囁く。
埃を払ってから、実際に本を引き出したトワリスは、頁をぱらぱらと捲りながら、眉をしかめた。
「……そうですね。ラフェリオンどころか、魔術に関係のあるものすらなさそうです。これ、ただの絵本ですよ」
古びて黄ばんだ絵本をサイに渡し、他の本も手にとってみる。
だが、本棚に並ぶ本の大半は、ラフェリオンに関する魔導書などではなく、絵本や図鑑といった、子供向けの本ばかりであった。
「この屋敷は、ハルゴン氏が工房代わりに使っていたとケフィさんが仰っていましたが、これだけ子供向けの本が揃っているということは、お子さんと暮らす場所でもあったんですかね。魔導書は、別の部屋にまとめられているんでしょうか」
長杖を壁に立て掛けると、他の本の中身も物色しながら、サイが言った。
トワリスも、同様にそれぞれの本の内容を確かめながら、答えた。
「そもそも、魔導書が必ずこの屋敷にあるとは限りませんよね。ハルゴン氏がラフェリオンについて記した魔導書があったとして、それが紛失してしまったことも考えられます。ケフィさんも、あるとしたらこの屋敷にある可能性が高いって言っていただけで、実際に見たとは仰ってませんでしたし……」
サイは手を止めると、トワリスの方に向き直った。
「それはもちろん、魔導書が絶対に見つかるとは思っていませんでしたが……」
言いながら、サイは再び長杖をとり、部屋全体を照らすように高く掲げた。
「ただ、この屋敷の二階には、何かあるんじゃないかと思ってるんです。だってほら、昨日この屋敷に来たとき、アレクシアさんが真っ先に二階に上がっていったでしょう? 彼女にどんな意図があったのかは分かりませんが、目的もなく二階に行ったとは考えられません。だから、何かあるのかな、と……。あくまで、推測ですけど」
「それは、確かにそうですね」
サイの方を向き、トワリスも同調して考え込む。
そういえば、囮にされた怒りで考えもしなかったが、アレクシアはあの時、何故二階に駆け上がっていったのだろうか。
この任務はラフェリオンの破壊が目的であり、そのラフェリオンが目の前にいたというのに、アレクシアはこちらには目もくれず、一直線に二階に向かっていった。
まるで、以前からこの屋敷の構造を知っていたかのように──。
顔を合わせれば言い争いをするばかりで、結局アレクシアの真意が分からないままだが、彼女は、一体何を目的に動いているのだろう。
トワリスたちに対して非協力的ではあるが、なんだかんだで、この任務に誰よりもこだわっているのは、他でもないアレクシアである。
質問したところで、彼女が素直に心の内を明かすとも思えないし、最終的な目標はラフェリオンの破壊なのだろうと思い込んでいたので、それ以上の詮索はしていなかったが、ラフェリオンにさえ目もくれていなかったとなると、いよいよアレクシアの動機が謎である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.134 )
- 日時: 2019/05/25 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
そうして、アレクシアとのやり取りを思い出していると、不意に、扉の外から車輪の回る駆動音が聞こえてきて、トワリスは、身体を強張らせた。
同じく身構えたサイが、素早く杖先の光を消す。
二人は屈み込むと、息を殺して、じっと近づいてくる駆動音に耳を傾けていた。
(──ラフェリオン……!)
いっそ、討って出るべきかと目で訴えると、サイは、小さく首を振った。
「……一度やり過ごしましょう。攻撃を仕掛けるのは、他の部屋も調べてからにするべきです」
吐息のような小さな声で囁かれて、トワリスは、こくりと頷いた。
正直、ラフェリオンに見つかるかもしれないというこの緊張感の中、あるかも分からない魔導書を探して、屋敷内を巡り続けるのは、精神的に参ってしまいそうだ。
しかし、一度見つかってしまえば、もう逃げられないだろうと考えると、サイの言う通り、今はまだ身を潜めているべきなのかもしれない。
トワリスは、無意識の握りこんでいた剣の柄から、ゆっくりと手を離した。
やがて、遠ざかっていく車輪の音が聞こえなくなると、サイとトワリスは、詰めていた息を吐き出した。
「良かった……気づかれなかったみたいですね」
安堵したように言って、サイが立ち上がる。
扉一枚を隔てて、すぐそばを通っていったので、もしラフェリオンが優れた嗅覚や聴覚を持った人形だったなら、気づかれていたかもしれない。
やはり標的を視覚認知している可能性が高いな、と考えながら、トワリスも肩を撫で下ろした。
サイは、そろそろと手を壁に沿わせながら扉の方に向かうと、取っ手を探り出して、振り返った。
暗くてよく見えないのだろう、トワリスがいる方向とは、少し違う場所を見つめている。
「この部屋には魔導書はないようですから、別の場所を調べたいところですが、ラフェリオンがいつ、また巡回してくるかもしれません。危険ですから、トワリスさんは少しここで待っていてください。もし何かあったら、合図をしますので」
「えっ」
サイの言葉に、トワリスは顔をしかめた。
「何言ってるんですか。それこそ危険です。私なら夜目も利きますし、一緒に行った方が良いですよ。二人で探して、もし途中でラフェリオンに見つかったら、私が足止めしますから、その間にサイさんが魔導書探しを続けてください」
サイは、とんでもない、という風に首を振った。
「いや、それは危ないですよ! 昨日から言っていますが、足止めなんて、トワリスさんにさせられません」
「なんでですか! それじゃあ私が着いてきた意味がないでしょう。私だって魔導師ですよ。私の方が動けるんだから、私の方が適任です」
「で、ですが……」
口ごもって、サイが眉を下げる。
トワリスは、むっとした表情でサイを睨んだ。
あくまでこちらを気遣って言ってくれているのだろうと分かってはいたが、これではまるで、全く頼られていないように感じてしまう。
確かに、サイの方が魔術も使えるし、頭も切れるが、実際にラフェリオンの動きを見切って戦えるのは、自分の方だという自信がトワリスにはあった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.135 )
- 日時: 2019/05/28 18:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: XTElXZMY)
困った様子のサイに近づき、その手を重ねて取っ手を握ると、トワリスは言った。
「もういっそ、二手に分かれて魔導書を探しましょう。どの道、ラフェリオンに見つかるのは時間の問題だと思うんです。だったら、多少慎重さには欠けますが、手分けをして探した方が──」
トワリスが言いかけた、その時だった。
刺すような鋭い気配を察知して、トワリスは、咄嗟にサイの腕を掴んだ。
サイを引いてトワリスが地面を跳んだのと、扉を突き破って二本の刃が飛び出してきたのは、ほとんど同時であった。
ラフェリオンが、扉ごとトワリスたちを切り刻もうと、突進してきたのである。
一回転して着地し、体制を崩したサイの前に立つと、トワリスは姿勢を落として、素早く抜刀した。
そして、双剣を一本に束ねると、ラフェリオンの車輪の輻(や)の隙間を狙って、思い切りそれを突き立てた。
杭のように刺さった双剣に阻まれ、ラフェリオンの車輪と上半身の回転が止まる。
トワリスは、急停止してつんのめったラフェリオンの後頭部に、思い切り肘を落とすと、今度は落ちてきたその顔面に、渾身の膝蹴りを食らわせた。
「────っ!」
ぐるんっと回ったラフェリオンが、後方にひっくり返る。
仰向けに倒れたラフェリオンを、間髪入れずに蹴り飛ばせば、ラフェリオンは、双剣を車輪に引っかけたまま吹き飛び、部屋の外へと投げ出された。
真っ向勝負に出ていたら、きっと昨日の二の舞になっていただろう。
扉に突進してきたことで、ラフェリオンの動きが鈍った一瞬を狙ったからこそ、双剣を折られずに、車輪と刃の回転を止めることができたのだ。
「魔導書を探して!」
それだけ言うと、トワリスはラフェリオンを追撃した。
ラフェリオンが本来の速さで攻撃を始めれば、また防戦一方になってしまう。
そうなれば、体力勝負になってくるので、こちらが圧倒的に不利だ。
長廊下に飛び出すと、外へと弾き出された双剣をすぐさま拾い上げ、トワリスはラフェリオンと対峙した。
ラフェリオンは、破壊された扉の残骸を巻き込みながら横転していたが、すぐに車輪を一転させて起き上がった。
先程のトワリスの膝蹴りで、塗装が剥がれたのか、ラフェリオンの顔面の大部分は、地の金属が剥き出しになっている。
しかし、本体には何の毀傷も受けていないようで、厄介な俊敏さも機動力も健在だ。
やはり、物理的に破壊しようというのは、難しいだろう。
仕留め損ねた獲物を逃がすまいと、再びラフェリオンが刃を回転させながら、トワリスに迫ってくる。
反射的に避けようとしたトワリスであったが、咄嗟に双剣を束ねると、その刃を受け、力任せにラフェリオンを弾き返した。
金属同士が食い合う鈍い音が響いて、痺れるような痛みが両腕に走る。
ラフェリオンの攻撃を受け止めるということは、高速で斬りつけてくる二本の刃を、力付くで停止させるということだ。
束ねてみたところで、真っ向から食らえば、いつまた双剣が折れるともしれないし、その前に、衝撃で腕が使い物にならなくなる可能性もある。
だからといって、ラフェリオンの斬撃を避け続ければ、こちらの消耗が著しい。
時間稼ぎをしている間に、サイが魔導書を見つけて、ラフェリオンの術式を解除できるなら良いが、そんなに都合良く事が運ぶとも思えない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.136 )
- 日時: 2019/05/31 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
打開策を考える間もなく、次なるラフェリオンの刃が迫る。
避けるか、受けるか──。
その判断の遅れが、トワリスの動きを一瞬鈍らせた、次の瞬間。
飛びかかってきたラフェリオンは、突然見えない壁にぶち当たったかのように、弾かれて床に転がった。
敷布を巻き込みながら、地面を滑走していくラフェリオンの周りを、飛来した複数の宝珠(オーブ)が取り囲む。
宝珠は、一斉に炎を吹き出し、燃え盛りながら、まるで縛り上げるようにラフェリオンを包み込んだ。
連続的に爆裂が生じて、思わずその場に身を伏せる。
咄嗟に床に剣を刺し、なんとか襲い来る衝撃波から身を守ったが、爆風が収まってから目を開けて、トワリスは瞠目した。
目前の床が爆発で抜け、焼け落ちて消滅していたのだ。
どうやらラフェリオンも、一緒に一階へと落ちてしまったようだ。
轟音に驚いたのだろう、魔導書を探していたはずのサイが、部屋から飛び出してくる。
同時に、別の部屋からもこつこつと足音が響いてきたかと思うと、アレクシアが、小さく舌打ちをしながら現れた。
「うまく一階に落ちて逃げたわね……」
忌々しそうに眉を歪めて、アレクシアは、抜けた長廊下の大穴を見つめている。
次いで、ぽかんと立っているトワリスとサイを見ると、アレクシアは、階段を顎で示して言った。
「何をぼさっと突っ立っているのよ。私の術も長くは持たないわ。助けてあげたんだから、早く一階に降りて足止めしなさい。さっさと行かないと、あのイカれ人形、また二階に上がってくるわよ」
トワリスは、我に返って立ち上がると、アレクシアの元に駆け寄った。
「足止めって……アレクシア、一体何やってるのさ。まさか、朝からこの屋敷に来てたの? 一人で?」
宝珠が飛んできたので、もしやとは思ったが、本当にアレクシアの魔術だったとは。
てっきりアレクシアは、外をふらついているのかと思っていたので、こんな危険な屋敷に単身乗り込んでいたとは、正直意外であった。
アレクシアは、心外だ、とでも言いたげに首を振った。
「何やってるのって、それはこっちの台詞よ。広い一階で足止めすればいいのに、なんで狭い二階の長廊下なんかで交戦してるのよ。危うく私まで巻き込まれるところだったじゃない」
トワリスは、むっとして眉を寄せた。
「なんでって……ラフェリオンについて書かれた魔導書を探してたんだよ。二階に魔導書の並ぶ部屋があったって、アレクシアが言ったんじゃないか」
「はあ? 魔導書?」
言ってから、自分の昨日の発言を思い出したのか、アレクシアがため息をつく。
サイも近寄ってくると、二人の会話に口を挟んだ。
「アレクシアさんも、二階で魔導書を探していたのではないのですか? 昨日も真っ先に二階に上がっていましたから、貴女はラフェリオンを破壊する手立てが、二階にあるのだと知っているのかと思っていましたが……」
サイの言葉に、アレクシアは、呆れたように肩をすくめた。
「なるほど、サイもトワリスも、馬鹿正直に魔導書とやらを探していたってわけ。言っておくけれど、この屋敷に魔導書なんてないわよ。私が昨日、隅々まで探したもの」
「はあ!?」
思わず声を出して、アレクシアに詰め寄る。
ぐっと顔を近づけると、トワリスは攻めるような口調で言った。
「それならそうと言ってよ! アレクシアが捜索済みだって知ってたら、私達だって……!」
「だから昨夜言ったじゃない。貴女たちはただ、あの魔導人形の相手をしていればいいのよ、って」
余裕綽々とした笑みを浮かべて、アレクシアがトワリスを見下ろす。
慌てて二人の間に割って入ると、サイはアレクシアに問うた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.137 )
- 日時: 2019/06/03 19:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「えっと、それならアレクシアさんは、何故今も二階に? ラフェリオンを破壊できる別の方法が、二階に隠されているんですか?」
アレクシアは、一瞬口を閉じてから、目線をそらした。
「ちょっと他の探し物をしていただけよ。そもそも、あのイカれ人形を完全に破壊しきるのは無理だわ。だから貴方たちに、足止めをお願いしたんじゃない」
「破壊できないって、なんで」
トワリスが聞き返すと、アレクシアは、あっけらかんと答えた。
「だってあの人形には、術式が彫られていないもの」
サイとトワリスが、同時に目を見開く。
動揺した様子で、サイは口早に捲し立てた。
「そ、そんなわけがありません! 術者がいない以上、術式がなければ、ラフェリオンは動くこともできないはずです。本当に術式がないのだとすれば、誰かが近くで私達のことを見て、ラフェリオンを操っていることになるんですよ? この場には、ラフェリオンを操れるような人間なんて、いないじゃないですか!」
アレクシアは、冷静に返した。
「知らないわよ。ないものはないんだから、私に問い詰められても困るわ」
アレクシアに睨まれて、サイが口ごもる。
トワリスは、微かに表情を険しくすると、アレクシアに向き直った。
「……アレクシアは、どうして術式が彫られていないなんて分かるの? ラフェリオンを解体して、調べたってこと?」
「…………」
トワリスからの疑念を感じ取ったのか、アレクシアは、目を細めた。
そして、同じくトワリスの方を向くと、挑戦的な笑みを浮かべた。
「私があの人形を操ってるとでも言いたいの? 言っておくけれど、的外れもいいとこだわ。私はただ、見ただけよ」
「だから、見たって一体どうやって……!」
はっきりとしないアレクシアの言い分に、トワリスが追及を繰り返そうとした、その時──。
不意に、足元が大きく揺れたかと思うと、何かが砕かれるような重々しい音が響いて、長廊下全体がうねるように動き出した。
ラフェリオンが、トワリスたちを落とそうと、二階を支える柱を体当たりして破壊しようとしているのである。
真っ先に反応したのは、アレクシアであった。
二人の間を抜けると、アレクシアは、一階へと続く階段を素早く駆け下りていく。
サイとトワリスも、急いで後に続けば、程なくして、残っていた長廊下の床部分が、がらがらと崩れ去った。
一階の大広間は、足の踏み場もないほどに瓦礫が落ちており、散々な有り様であった。
叩き折れた柱のそばに控えていたラフェリオンは、ゆっくりと向きを変えると、トワリスたち三人を見据える。
足場が悪いため、すぐに加速して襲いかかってこようとはしなかったが、動きづらい状況なのは、トワリスたちも同じであった。
腹立たしそうに前に出たアレクシアが、空に手をかざすと、先程ラフェリオンを取り囲んでいた無数の宝珠が再び宙を舞い、目映い光を放った。
一気に視界が明るくなり、同時に、大地を揺るがすような雷鳴が耳朶(じだ)を叩く。
放たれた稲妻は、まるで檻のようにラフェリオンを四方から追い立て、包みこんだが、次の瞬間には、弾かれたように霧散してしまった。
ラフェリオンが刃を振っただけで、稲妻が紙切れのように切り裂かれたのだ。
アレクシアは、浮かぶ宝珠を自分の手元に引き寄せ、その中から照明代わりに一つ、宝珠を放ると、再度舌打ちをした。
「全く……面倒臭い。冥鉱石だの、海蜘蛛の何とかを使ってるっていうのは、本当みたいね。色々と予定が狂ったわ、どうしてくれるの。私はあんなイカれ人形の相手をするのはごめんよ」
アレクシアにぎろっと睨まれて、トワリスは顔をしかめた。
二階で探し物があったとか何とか言っていたが、そんなことは何も説明されていなかったし、力を貸す道理はない。
アレクシアの方こそ、ラフェリオンの破壊に全くといって良いほど協力してくれないくせに、こんな理不尽な文句を言われる筋合いはなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.138 )
- 日時: 2019/06/18 13:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスが言い返そうとすると、割って入ったサイが、アレクシアに尋ねた。
「先程、術式がないと言っていましたが、それはどういう意味なんです? あれだけの動きをする魔導人形です。膨大な量の古語が記された術式がないと、動くはずがありません。アレクシアさんは、この近くに術者がいて、ラフェリオンを直接操っていると仰っているんですか?」
アレクシアは、つまらなさそうに嘆息した。
「しつこいわね、知らないって言ってるじゃない。近くに術者がいるのかもしれないし、あるいはどこか別の場所に、術式が記されているんじゃない? 少なくとも、人形自体には刻まれてないわ」
「でも、それじゃあ……」
サイとアレクシアが話している間にも、ラフェリオンは瓦礫を踏み砕き、三人目掛けて突進してくる。
三人は、それぞれ別方向へ避けると、ラフェリオンから距離をとるべく走った。
アレクシアの、術式がない、という言葉の真偽はともかく、ラフェリオンの破壊が絶望的であることは、事実であった。
冥鉱石の鎧の頑丈さ故に、物理的な攻撃はほとんど効かないし、海蜘蛛の牙から出来たと言う刃も、魔術さえ切り裂く魔剣のようなものだ。
海蜘蛛は、大海さえ食らう化物とされているが、アレクシアの放った雷撃を見事に切り捨てていたところを見る限り、その牙から鍛えられた剣には、対魔術のための効果が見込まれているのだろう。
加えて、問題はヴァルド族の眼球だ。
まだどれほどの能力を持っているのかは分からないが、ただ遠くが見えるだけではないらしい、というのは、サイもトワリスも勘づいていた。
ラフェリオンは、つい先程まで、暗くて視界が悪い屋敷内でも、確実にトワリスたちを狙っていた。
まるで、屋敷の天井に目があって、ラフェリオン本体に目隠しをしようとも、トワリスたちの動きは完全に把握されているような──そんな、迷いのない動きだ。
その上ラフェリオンは、音が大きく鳴り響いた方に引き寄せられるわけでも、匂いを嗅ぎ取っていたわけでもなく、獲物だけを正確に認識し、状況を判断して、狙いを定めていたのである。
思考を持たぬ人形のはずなのに、ラフェリオンは、一体何を以て敵だと判断し、襲いかかってくるのだろう。
仮に、人間以上の五感を有し、目の前にいる全ての生物を屠る機能が備わっていたのだとしても、ラフェリオンの動きを見ていると、思考を持つ生物を相手にしているような気分になる。
もし、そう思わせるような動きを実現させているのが、ヴァルド族の眼球だというのなら、これが一番厄介だ。
そう易々といくわけがないとは思っていたが、暗闇の中や、轟音が鳴り響く中でも動けていたことを考えると、感覚を全て奪うというのも、骨が折れそうだ。
おまけに術式までないとなれば、打つ手はない。
となれば、残るは結局、再起不能なまでにラフェリオンを木っ端微塵にする方法しかないが、それこそ不可能だろう。
剣撃も魔術も、冥鉱石で出来た身体と海蜘蛛の牙から出来た刃が有る限り、意味がない。
ラフェリオンを抑え込めるものなど──。
そこまで考えて、トワリスははっと立ち止まった。
屋敷内を見回して、内壁には傷がついていないことを確認する。
この屋敷は、ラフェリオンを長年閉じ込め、封印してきた屋敷だ。
内側からは決して出られないよう、魔術が施されているのだと、ケフィも言っていた。
柱や一階の天井などは、何の魔術も施されていないのか、戦っている内に崩壊してしまったが、実際、外に面する壁だけは、一切損傷していない。
思えば、昨日ラフェリオンが勢い余って壁に突撃したときも、壁は無傷であった。
(だったら──)
トワリスは、腰にかけてあった鉤縄(かぎなわ)を手に取ると、サイに狙いを定めていたラフェリオンの胴体目掛けて、それを放った。
鉤縄程度、ラフェリオンにかかれば簡単に切り裂かれ、ほどかれてしまうだろうが、トワリスの目的は、拘束することではなかった。
鉤縄が胴体に巻き付いたことを確認するや否や、ラフェリオンが抵抗するよりも速く、トワリスは、思い切り鉤縄を引いた。
ぐうんとラフェリオンの身体が宙を舞って、放物線を描く。
そのまま一歩踏み出し、全力で投擲すれば、ラフェリオンは、凄まじい勢いで壁に向かって飛んでいった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.139 )
- 日時: 2019/06/18 13:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
蹴り飛ばしてみて実感したが、唯一弱点としてあげるところがあるとすれば、ラフェリオンは、それほどの重量は持たないことであった。
トワリスよりは重いが、それでも勢いさえつければ、鉤縄で釣って投げ飛ばすくらいは可能だ。
長年ラフェリオンを封じ込めてきた屋敷の壁ならば、おそらくどのような攻撃にも耐えうるし、ラフェリオン本体よりも頑丈である。
自分よりも硬いものとぶつかれば、いくらラフェリオンとて、無事ではいられないはず──。
そう踏んでの行動だったのだが、ラフェリオンが壁に激突した、その時。
予想外の出来事が起こった。
如何なる攻撃にも耐えるはずの壁は、ラフェリオンがぶつかった瞬間、激しい物音を立てて突き崩れたのだ。
「えっ!?」
渾身の力で叩き付けられたラフェリオンは、そのまま壁を突き破って、外に投げ出される。
ぐっと腕を持っていかれたトワリスは、咄嗟に鉤縄を離そうとしたが、慌てて握り直した。
もし手を離したら、ラフェリオンという危険な魔導人形を、野に放つことになってしまう。
木片と土埃を巻き上げながら、勢い余って地面を滑っていくラフェリオンに引っ張られ、トワリスも外に放り出される。
鉤縄を引いて、ラフェリオンを屋敷内に引き戻そうとも思ったが、自分でも身を投げ出すくらいの勢いで投擲したので、踏ん張りがきかなかった。
反射的に身を丸めると、宙で反転して、トワリスは背中から地面に着地した。
受け身を上手くとれたことと、柔らかい土の上だったことが幸いして、背中にかかった衝撃は大したものではなかったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
跳ねるように立ち上がると、トワリスは、すぐさまラフェリオンに向かい合った。
まさか、魔術が施されているはずの屋敷の壁が、ラフェリオンを投げつけたくらいで破れるとは計算外であったが、とにかく、このままラフェリオンが下山して、周辺の村や街を襲うなんてことがあろうものなら、大惨事になる。
今すぐ、ラフェリオンを屋敷の中に引き戻さねばならない。
素早く体制を整えたトワリスは、しかし、目の前のラフェリオンの様子を見て、思わず眉をしかめた。
全力で蹴り飛ばしても、魔術で吹っ飛ばしても、すぐに起き上がっていたあのラフェリオンが、地面に突っ伏したまま、ぴくりとも動かないのだ。
まるで打ち捨てられたガラクタのように、両腕を投げ出し、力なく土の上に横たわっている。
拍子抜けして瞬いたトワリスは、そっとラフェリオンに近づくと、足で仰向けにひっくり返して、その顔を覗きこんだ。
(急に動かなくなった……。どうして……?)
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.140 )
- 日時: 2019/06/13 19:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
剣を構えたまま、じっとラフェリオンの全身を見回す。
壁に激突した時に、思惑通り損傷して動かなくなったのかとも思ったが、見たところ、ラフェリオンは傷一つついていない。
屋敷から出たら、停止する仕組みになっているなんて聞いていないし、そもそもそんな仕組みになっているなら、この屋敷にラフェリオンを閉じ込めておく必要なんてなかったはずだ。
ラフェリオンの金髪はぼさぼさで、肌も鉄がむき出しになっているが、かつては美しい少女の姿を模していたのであろう。
兵器と言うには似合わぬ、線の細い少女の面影が、その鉄塊にはあった。
顔を見つめていたトワリスは、ふと、ラフェリオンの右目に違和感を覚えると、その場に屈みこんだ。
よく目を凝らさなければ見えないが、ラフェリオンの青い瞳の表面に、針で削ったような細かな傷がついている。
それが、何を表しているのか気づいたとき、トワリスは、はっと息を飲んだ。
(術式……!)
剣を持ち変え、反転させると、ラフェリオンの目を狙って突き下ろす。
ラフェリオンに斬撃など効かないことは分かっているが、今まで、直接眼球を狙えたことはなかった。
しかし、ラフェリオンの動きが止まっている今なら、確実に仕留められる。
トワリスの剣先が、ラフェリオンの瞳に届く──その直前。
突如、ラフェリオンの刃が翻ったかと思うと、トワリスに襲いかかった。
すんでのところで剣の角度を変え、刃を受け止めるも、咄嗟のことに体制を崩したトワリスは、力負けして屋敷内に吹っ飛ばされる。
反射的に床に剣を突き立て、どうにか壁に激突するのは避けたが、踏ん張った拍子に、軽く足を痛めたらしい。
すぐに体制を立て直そうとしたトワリスであったが、右の足首に痛みが走り、うめいて膝をついた。
自分が突き破った壁の穴をくぐって、凄まじい速さで、ラフェリオンの刃が向かってくる。
標的を仕留めることしか頭にないのか、ラフェリオンが街や村の方へと行かなかったのは幸いだったが、足を痛めた以上、今後ラフェリオン速さについていくことは難しいだろう。
接近してくる刃に、痛みを覚悟した、その時だった。
不意に、視界の端が光ったかと思うと、横合いから、鋭い冷気が迸った。
次々と顕現した氷塊が、ラフェリオンを飲み込もうと、槍の如く床から飛び出してくる。
ラフェリオンは、素早く進路を変え、避けようとしたが、氷塊の形成される速さには追い付かず、次の瞬間には、氷漬けになった。
詠唱なしでは──いや、詠唱したとしても、ここまでの魔術を使える者は、魔導師団の中にもそう多くはないだろう。
トワリスは、つかの間呆けたように目の前の氷塊を眺めていたが、やがて、ゆっくりと立ち上がると、魔術を行使したであろうサイの方に、右足をかばいながら向き直った。
「トワリスさん! ご無事ですか!」
息を切らせて、サイが走り寄ってくる。
アレクシアは、嘆息しながら歩いてくると、氷漬けになったラフェリオンを一瞥してから、トワリスを見た。
「貴女、一体何を考えているのよ。屋敷の壁に風穴開けちゃって……これじゃあ、あの人形を閉じ込めておけないじゃない」
心配して手を貸してくれるサイに対し、アレクシアは、呆れた様子で肩をすくめる。
むっとして言い返そうとしたトワリスであったが、厄介な状況にしてしまったのは事実なので、大人しく謝罪した。
「……ごめん。長年ラフェリオンを封じていた屋敷の壁だし、ぶつけたら、ラフェリオンが負けて壊れると思って……」
アレクシアが何かを言う前に、サイが口を出した。
「実際、そうなる可能性はありましたよ。投げ飛ばして壁にぶつけるなんて、トワリスさんじゃなきゃ、試せなかった方法だと思います。大丈夫ですよ、予定通りラフェリオンを破壊すれば、解決する話なんですから」
「…………」
気持ちは有り難いが、慰めようとしてくれているのが丸分かりの言葉である。
いたたまれず黙っていると、アレクシアが無情にもとどめを刺してきた。
「術式もない、攻撃も効かない、この状況でどうやって破壊するのよ。あの人形は、屋敷に封じたままでいようと思っていたのに……。貴女が壁をぶち壊してしまったせいで、私達、この屋敷から出られなくなったわよ。逃げたら、きっと穴を通って追いかけてくるもの、あいつ」
ちらりと目線でラフェリオンを示して、アレクシアが言う。
その時、はっと目を見開くと、トワリスはアレクシアの肩を掴んだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.141 )
- 日時: 2019/06/18 13:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「あっ、そう、あったの! 術式!」
「……は?」
アレクシアが、怪訝そうに顔をしかめる。
サイは、驚いたように瞠目した。
「あったって、見たんですか?」
トワリスは、真剣な顔つきで頷いた。
「至近距離でよく見ないと分からないくらい、小さな術式だったんですけど、ラフェリオンの眼球に、古語が彫られていたんです。一言、“回れ”って」
「“回れ”……?」
繰り返し呟いて、サイは眉根を寄せた。
「それは……おかしいですね。ラフェリオンは、まるで思考力さえ持っているようにも思えるくらい、複雑な動きをする魔導人形です。“回れ”というのは、恐らく車輪にかけられた魔術の元となる術式なんでしょうが、それだけでは、前に進むことと、車輪の動きと連動しているであろう、刃の回転くらいしか出来ないはずです。例えば、動く標的を狙えとか、魔力を察知したら避けろとか、そういう細かな命令が沢山与えられていないと、あんな動きは出来ないはず。もっと巨大で、入り組んだ術式でないと……」
考え込むサイを見てから、トワリスは、再び氷塊に取り込まれたラフェリオンを見つめた。
サイの言う通り、ラフェリオンの原動力となる術式が、回転する動作を促すだけのものというのは、不可解であった。
あれだけの動きをさせるなら、もっと多くの指示を書き込んだ術式が必要である。
だからこそ、それを書き切れるだけの背中や腹部に、術式が彫られているだろうと予測していたのだ。
アレクシアは、すっと目を細めると、トワリスに顔を近づけた。
「……今の話、確かでしょうね? 見間違えではなくて? 至近距離で見ないと分からない、と言っていたけれど、どうやってあの人形に接近したの?」
疑っている、というよりは、確信を得たがっているような言い方であった。
トワリスは、アレクシアを見つめ返すと、こくりと頷いた。
「見間違えじゃない。屋敷の外に飛び出したとき、原因は分からないけど、ラフェリオンの動きが一瞬だけ止まったんだ。その時に、はっきりと見たよ。ぱっと見ただけじゃ、小さな傷が眼球に入っていただけのようにも見えたけど、近くで見たら、確かに“回れ”って書いてあった」
アレクシアの目が、徐々に見開かれていく。
勢いよくラフェリオンの方へ振り返ると、ややあって、アレクシアは唇で弧を描いた。
「そういうこと……ようやく見つけたわ」
ぐっと拳を握って、アレクシアが呟く。
次いで、サイとトワリスの方を向くと、アレクシアは言った。
「予定変更よ。私がイカれ人形の術式を、解除するわ。貴方たち二人は、時間を稼いでちょうだい」
宝珠がふわりと浮かんで、アレクシアを守るように取り囲む。
術式の解除に備え始めたアレクシアに、サイは、納得のいかない様子で声をかけた。
「ちょっと待ってください。トワリスさんのことはもちろん信じていますが、そもそも、前提としておかしいです。あの目は、ヴァルド族という一族の眼球なのでしょう? つまり、作り物ではなく本物の眼球です。どうやって術式を彫ったっていうんですか?」
その時、何処からか、水がぽたぽたと滴り落ちるような音が聞こえてきた。
徐々に視界が白み始め、屋敷の中に、蒸気が立ち込めていく。
一同が顔を上げれば、蒸気の発生源は、凍りついたラフェリオンであった。
ラフェリオンが、自らを発熱させて、己を閉じ込める氷塊を溶かそうとしているのだ。
はっと顔を強張らせたサイとトワリスに対し、冷静な顔つきで振り返ると、アレクシアは、冷たい口調で言った。
「あの人形の目は、ただの硝子玉よ。あれは、ヴァルド族の眼球に似せた偽物に過ぎない。それだけは、最初から確信していたわ。ヴァルド族の瞳は、あんな安っぽい青じゃないもの」
白く煙る視界の中で、アレクシアの透き通るような青い瞳だけが、確かな色を持っているように見えた。
青く、それでいて、その奥底には明媚な夜空が広がっているかのような、深い深い蒼色。
どうしてそんなことを知っているのか、と問おうとして、トワリスは、はっと口をつぐんだ。
静かな怒りと、悲しみの色を宿したその瞳が、全てを物語っているような気がしたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.142 )
- 日時: 2019/06/18 18:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「まさか、アレクシアって……」
──刹那、氷の中なら抜け出したラフェリオンが、氷水を纏って三人に斬りかかってきた。
左足で踏み出したトワリスが、束ねた双剣を叩きつけるように振れば、殴打されたラフェリオンが、もんどり打って倒れる。
同時に、アレクシアとトワリスを庇うように立ったサイが長杖を構えると、竜巻の如く生じた風が、立ち込める蒸気を吹き飛ばした。
立て続けて発生した風の渦が、突き立った氷塊を木端微塵に粉砕し、ラフェリオンを飲み込んで、破裂する。
濡れた床の水飛沫を跳ね上げ、そのままごろごろと転がったラフェリオンだが、やはり、損傷はどこにも受けていないようだ。
間髪いれずに、細かく散った氷塊をラフェリオンへと放つと、サイは、トワリスの方を一瞥した。
「トワリスさんは、アレクシアさんの守りに徹して下さい。足止めは、私がやります」
ラフェリオンと対峙し、サイが長杖に魔力を宿す。
トワリスは、分かりました、と返事をすると、解除の紋様を紡ぐアレクシアを背後に、双剣を構え直した。
術式の解除は、元の魔術を打ち消す魔法陣を作り出すことで完成する。
打ち消したい魔法陣を、正確に特定しなければならないのが困難な点だが、発動自体は、かなり簡単な魔術だ。
まして、“回れ”と一言しか記されていない術式の解除なんて、そう時間は要さないだろう。
アレクシアの足下に、光の帯が走って、解除の魔法陣が形成されていく。
発動まであと少し──その間、サイは、ラフェリオンにひたすら魔術を放ち続けるつもりでいた。
破壊するとなると、ただ攻撃をしているだけでは効かないが、解除の魔術が発動するまでの時間を稼ぐだけならば、ラフェリオンの動きを止めているだけで十分である。
──その時だった。
突然、床に積み重なっていた人形の手が飛びあがり、サイの首に掴みかかった。
手首から先が欠如した、白木の掌が、凄まじい握力で首を締め上げてくる。
喉の奥を押し出されるような痛みが襲ってきて、サイは、ラフェリオンへの攻撃を中断せざるを得なかった。
動き出した人形たちの腕は、一つではなかった。
サイを助けに行こうとしたトワリスの脚にも、無数の手が掴みかかり、巻きつくように集ってくる。
剣で斬りつければ、手は呆気なく切り捨てられたが、数が多すぎて、攻撃が追い付かない。
矢の如く、次々と掴みかかってくる人形たちの手は、サイとトワリスを地面に引きずり倒そうと、全身に取りついてきた。
完全に身動きがとれなくなったサイとトワリスに、うなりをあげて、ラフェリオンが迫ってくる。
トワリスは歯を食い縛り、なんとかして絡み付く人形たちの手を引き剥がそうとしたが、握り締めてくる力は増すばかりで、びくともしなかった。
(アレクシア、早く……!)
ラフェリオンの刃が、サイへと伸びる、その瞬間──。
アレクシアの足下に描かれたものと同じ魔法陣が、ラフェリオンの頭上に展開した。
「我、解約を命ず……逆しまに還りて、解き放ち、我が盟約を受け入れよ!」
アレクシアの詠唱に呼応し、目映い光が魔法陣から迸って、ラフェリオンを飲み込む。
術式の刻まれた青い右目が、その瞬間、割れて飛び散ったところを、トワリスは確かに見た。
鳥肌が立つような悲鳴と共に、ラフェリオンの身体が、分解され、ばらばらと砕け散っていく。
掴みかかってきていた人形たちの手も、力を失ったのか、気づけば、サイとトワリスを拘束するものはなくなっていた。
とうとう、ラフェリオンの術式の解除に成功したのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.143 )
- 日時: 2019/06/20 19:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: e7NtKjBm)
しかし、ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
不意に、ぐらぐらと屋敷全体が揺れ出して、三人は顔を上げた。
細かい飛礫が降りかかってきたかと思うと、既に半壊していた天井にひびが入り、崩れ落ちてくる。
激闘の衝撃か、あるいは、ラフェリオンの術式を解除したことが影響しているのか──屋敷が倒壊しかかっているのだ。
「脱出しましょう!」
切迫した声で言って、サイが扉を示す。
彼に続き、トワリスとアレクシアも走り出したが、ふと振り返ったトワリスは、一拍遅れて走ってきたアレクシアの頭上に、大きな瓦礫が迫っていることに気づくと、咄嗟に踵を返した。
「アレクシア……!」
床を蹴って跳ねあがり、アレクシアを突き飛ばす。
二人はもつれるようにして床に転がり、なんとか瓦礫の下敷きになることを回避したが、屋敷の崩壊はそれだけに留まらない。
天井の落下を皮切りに、ぎしぎしと嫌な音を立てて、柱や壁にまで亀裂が入り始める。
気づいたサイが、すかさず結界を張ろうと手を伸ばすも、次の瞬間、崩れ落ちてきた瓦礫に視界が塞がれ、トワリスとアレクシアを見失ってしまう。
重々しい音を立てて降ってくる瓦礫の雨から、自分を守るので精一杯であった。
視界が真っ暗になり、巻き上がった土埃が鼻をつく。
ぶつかり合い、砕けた瓦礫が地面に叩きつけられた轟音が響いたあと、一切の音が消えた。
静寂の後、思い出したように呼吸を再開すれば、木々のざわめきが聞こえ始めた。
雲間から覗く太陽の光が、異様なほど眩しい。
直前で結界を張り、身を守ったサイは、完全に倒壊した屋敷を見渡すと、曇天の空を仰いだ。
同時に、高く積まれた瓦礫の一部が、破裂するように崩れたかと思うと、アレクシアが顔を出す。
彼女もまた、押し潰される寸前で、宝珠を使って結界を張っていたのだ。
アレクシアは、自分に覆い被さるように倒れているトワリスを抱き起こすと、その頬を軽く叩いた。
すると、咳き込むように息を吸ったトワリスが、ぱっと目を開ける。
トワリスは、しばらく苦しそうに肩を揺らして呼吸していたが、やがて、ゆっくりとアレクシアの方を見ると、呟いた。
「……し、死ぬかと思った」
二人は黙りこんだまま、少しの間、互いの目を見つめあっていた。
ややあって、サイが駆けつけてくると、アレクシアはトワリスの額を指で弾いた。
「筋金入りの馬鹿ね、貴女」
呆れたように言って、立ち上がる。
助けてあげたのに心外だ、とでも言いたげな表情で、額を押さえるトワリスを見やると、アレクシアは、どこか安堵したように息を吐いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.144 )
- 日時: 2019/06/22 20:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
山荘に戻ると、迎え入れてくれたケフィは、傷だらけの三人の姿を見て真っ青になった。
傷だらけと言っても、軽く足を捻挫していたり、打ち身や切り傷を負っただけで、大したことはなかったのだが、最後に屋敷の崩落に巻き込まれたせいで、全身薄汚れ、団服もぼろぼろになっていたため、重傷に見えたのだろう。
ケフィは、今すぐ町医者を呼ぶべきだと主張したが、すぐに発つからと言って、三人は遠慮した。
報告のために、再びあの人形だらけの客間へと招かれ、ラフェリオンの破壊に至るまでの経緯を説明すると、ケフィは、案外冷静な態度で、その話を聞いていた。
「そうですか……術式の解除を。でも、魔導書は見つからなかったんですね。すみません、あの屋敷にあるかも、なんて不確かなことを言ってしまって」
申し訳なさそうに頭を下げるケフィに、サイは首を振った。
「いえ、ケフィさんが謝ることではありません。見つからない場合も想定していましたから、大丈夫ですよ。ただ、結局なぜラフェリオンが、小さな術式一つであんな複雑な動きをしていたのか、分からないんですよね。あのあと、完全に破壊されたラフェリオンを調べて、他にも術式が刻まれていないかと探しましたが、やはり何の術式も彫られていませんでした。ハルゴン氏が何か特別な技術を持っていたのか、それともあの屋敷自体に、ラフェリオンを動かす別の秘密があったのか……」
ぶつぶつと呟きながら、サイは何やら真剣に考えを巡らせている。
よほどラフェリオンの秘密を暴きたいのだろう。
サイは、屋敷を離れてから、ずっと上の空であった。
ただ、実際、ラフェリオンが一体どのような原理で動いていたのかという問題は、トワリスも気になっていた。
サイのように、知的好奇心から気になっているというよりは、単純に不安だったのだ。
術式の解除には成功したものの、何故ラフェリオンが動いていたのか明らかにできていない以上、果たしてあの“回れ”という術式が、本当に原動力だったのか不明である。
となると、いつまたラフェリオンが動き出すかも分からないし、完全に根本を絶ち切れたという確証がないので、漠然とした不安が残る。
トワリスは、持っていた荷物の中から、分厚い革袋を引っ張り出すと、ケフィの前に出した。
「破壊には成功しましたが、ラフェリオンにはまだ未知の部分が多いです。この袋には、壊したラフェリオンの部品の一部が入っています。これを魔導師団に持ち帰って、調べても大丈夫ですか?」
ずっしりと重い、ラフェリオンの身体の一部が入った革袋。
一部と言ったのは、文字通り、全ては回収しきれなかったためだ。
崩壊した屋敷の瓦礫の中から、粉々に砕け散ったラフェリオンの残骸を集めきるのは、容易ではなかったのである。
特に、あの術式が彫られていた青い眼球は入手したかったのだが、見つからなかった。
解除した瞬間か、あるいは屋敷が崩壊した時に、砕け散ってしまったのかもしれない。
ラフェリオンの残骸を見せると、ケフィは、微かに目を細めた。
しかし、すぐに笑みを浮かべると、快く頷いて見せた。
「構いません。僕の手元に残しておいても、仕方がありませんしね。もしそれが皆さんのお役に立つというのなら、どうぞ持っていてください」
とぽとぽと音を立てて、温かな匂いを纏った紅茶が、カップに注がれていく。
ケフィは、紅茶を淹れながら、日が傾き始めた窓の外を一瞥すると、尋ねた。
「すぐに発つと仰っていましたが、今日中に行かれるのですか? ラフェリオンとの戦いで、お疲れでしょう。昨日皆さんがお使いになった部屋はそのままにしておりますので、一晩くらい、泊まっていかれませんか?」
ケフィの申し出に、トワリスは、迷った様子で口ごもった。
「お気持ちは嬉しいのですが、私達、なるべく早く次の任務に行きたくて……」
それを聞くと、ケフィは残念そうに眉を下げた。
「そうですか。もうすぐ日も暮れますし、お礼も兼ねて、おもてなしさせて頂こうと思っていたのですが……お急ぎなら、しょうがないですね。せめて、出発までの間は、ゆっくりしていってください」
ふわりと湯気の舞う紅茶をそれぞれに差し出して、ケフィは微笑む。
サイとトワリスは、有り難くそれを受け取ると、息を吹き掛けて、飲みやすくなるまで紅茶を冷ましていた。
だがその時、不意にアレクシアが、長椅子から立ち上がったかと思うと、あろうことか、淹れたての紅茶を、カップごと向かいに座るケフィに投げつけた。
橙赤色の液体が、勢いよくケフィの頭に降りかかる。
床に落下し、ぱりんと音を立てて割れたカップを見ながら、ケフィは驚いた様子で、硬直していた。
ややあって、トワリスも長椅子から腰をあげると、アレクシアを睨み付けた。
「ちょっと! 何やってるのさ!」
カップを投げつけたアレクシアの腕を掴み、怒鳴り付ける。
しかしアレクシアは、そんなトワリスの手を振り払うと、ケフィを見下ろして言った。
「貴方の淹れた紅茶は、不味くて飲めたものじゃないわ。熱すぎたり、ぬるかったり、味だって、昨日からろくなものじゃなかった。自分が淹れた紅茶、今ここで飲んでみなさいよ」
まるで挑発するような口調で言って、アレクシアは鼻を鳴らす。
狼狽えるサイとトワリスには目もくれず、ぐいとケフィに顔を近づけると、アレクシアは言い募った。
「ああ、もしかして飲めないのかしら。飲んだところで、味も温度も分からない。ねえ、そうなんでしょう?」
ケフィの夜色の瞳が、微かに揺れる。
アレクシアは、机を踏みつけて身を乗り出すと、不敵な笑みを浮かべた。
「……本物のラフェリオンは、貴方ね?」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.145 )
- 日時: 2019/06/25 19:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
アレクシアの発言に、サイとトワリスが瞠目する。
アレクシアは、ケフィの胸ぐらを掴みあげると、きつい口調で続けた。
「ずっと、私達のことを見ていたんでしょう? ……その、ヴァルド族から奪った眼球で。貴方が造り上げた偽物のラフェリオン相手に、私達が苦戦をする様は、見ていてさぞ面白かったことでしょうね? でも残念。見えるのは、貴方だけじゃあないの」
「…………」
掴んでいた胸ぐらを、ぱっと放す。
まるで放心したように、呆然と長椅子に身を預けるケフィを見て、アレクシアは、口許を歪めた。
「昨日、あの屋敷に侵入した私達を見つけた貴方は、魔導師がまたラフェリオンを破壊しに来たのだと気づいて、焦った。けれど貴方は、あえて私達を助け、協力する振りをして、わざわざ情報を偽装し、あの偽物のラフェリオンを壊すように仕向けたのよ。殺すより、私達にラフェリオンを破壊したと思い込ませて、魔導師団に任務完了の報告をしてもらったほうが、都合が良かったんでしょう。そうすれば、今後二度と、ラフェリオンを追おうとする者はいなくなるから」
アレクシアは、身を戻して立つと、ケフィを見下ろした。
「あの偽ラフェリオンが、“回れ”だなんていう簡単な術式一つで動いていたのも、紐解けば単純な話よ。如何に標的を追い、仕留めるのか……全ては貴方が直接見て、接戦を演じるように動かしていただけなんですもの。術式は、術者がいない場合には必要になるけれど、直接術者が魔術を行使しているなら、必要ないわ。私が術式を解除したとき、サイやトワリスに掴みかかっていった、あの人形たちの手も、貴方が直接操っていただけ。屋敷には、ラフェリオンを封じるための魔術が施されているなんて話も、全て私達がラフェリオンを破壊するという筋書きを完成させるための、作り話なんでしょう? あの偽物のラフェリオンは、言ってしまえば、本物のラフェリオンの操り人形で、私たちは、まんまと貴方が用意した舞台の上で、踊らされていたってわけ」
「…………」
ケフィは俯いたまま、一言も発しない。
サイは、おずおずと長椅子から立ち上がると、緊張した面持ちでアレクシアを見た。
「ま、待ってください、アレクシアさん。今の話だと、その……ケフィさんが、あのラフェリオンを魔術で動かしていた、と言うことなんですよね? でも、あの場にケフィさんはいなかったじゃないですか」
アレクシアは、肩をすくめた。
「だから言ったじゃない。こいつはヴァルド族の目で、私達のことを見ていたのよ。確かにあの屋敷には、ケフィ・ハルゴン──いえ、ラフェリオンはいなかった。でも、どこにいようと、こいつにとっては、私達の動きなんて丸見えなの。ヴァルド族の目は、壁を何枚隔てようと、その先の景色を見渡すことが出来る。つまり、標的を目で捉えさえすれば、この場で魔術を使うのも、山一つ向こうで魔術を使うのも、同じことなのよ」
アレクシアの蒼い瞳が、鋭い光を宿す。
サイは、信じられないものを見るような目でケフィを一瞥し、再度アレクシアに視線を向けると、震える声で返した。
「しかし……ケフィさんは、どう見たって……人間にしか……」
「…………」
ケフィは、相変わらず長椅子に腰掛けたまま、沈黙を貫いている。
ケフィが人間にしか見えないと動揺するサイの気持ちは、トワリスにもよく分かった。
見た目が人間そっくりだとか、複雑な会話のやり取りや動きが出来るとか、そういった次元の話ではないのだ。
細かく繊細に変化する表情も、眼差しも、声色でさえ、人間のそれとしか思えない。
触れずとも柔らかな熱が伝わってくるような、そんな人間らしい温かみが、ケフィからは感じられるのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.146 )
- 日時: 2019/06/27 19:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: /.e96SVN)
アレクシアは、皮肉めいた口調で言った。
「だから傑作なんでしょう、貴方は。ラフェリオンがハルゴン氏の最高傑作と謳われた所以は、強力な造形魔術によって制作されたからでも、類稀な戦闘能力を持っているからでもない。人間と同じ、感情というものを持っているから……。そんなところかしら」
サイとトワリスが、強張った顔でケフィを見る。
ややあって、ケフィはゆっくりと顔をあげると、冷めた目でアレクシアを見上げた。
「……仰っている意味が、よく分かりませんね。僕がラフェリオン? そんな証拠、どこにあるっていうんです?」
アレクシアは、唇で弧を描いた。
「あの人形が、ラフェリオンの偽物だってことには、最初から気づいていたわ。だってあの安っぽい目は、どう見てもヴァルド族の眼球ではなかったもの。だから私は、ずっと本物のラフェリオンを探していたのよ」
アレクシアの言葉に、トワリスは目を見開いた。
思い起こしてみれば、偽物のラフェリオンに全く興味を示さなかったことも、やたらと単独行動をとっていたことも、アレクシアが本物のラフェリオンを一人で探していたのだと考えれば、合点が行く。
笑みを深めて、アレクシアはケフィを見つめた。
「貴方を疑い始めたのは、私が、あの屋敷に魔導書の並んだ部屋がある、と言った時。魔導人形のことも魔術のことも分からない、なんて顔をしていたけれど、貴方は、そんな部屋が存在しないことを知っていた。だから私が、魔導書の並んだ部屋を見た、と言ったとき、貴方は微かに視線を泳がせたのよ。動揺の仕方まで人間らしいなんて、正直信じられないけれどね」
次いで、アレクシアは目を細めた。
「他にもあるわ。トワリスが屋敷の壁を破った時、一緒に投げ出された偽物のラフェリオンの動きが、一瞬止まったの。そうよね?」
アレクシアの視線を受けて、トワリスが首肯する。
ケフィが本物のラフェリオンだというアレクシアの言い分が、徐々に真実味を帯び始め、トワリスは、無意識に拳に力を込めていた。
「どんな攻撃を受けても、びくともしなかったあのイカれ人形が、ほんの一瞬でも動きを止めた。……考えてみて、すぐに分かったわ。ヴァルド族の目は、標的を追える訳じゃない。あくまで、ある一定の空間を見渡せるだけ。つまり、屋敷の内部に視線を定めていた貴方は、突然屋敷の外に飛び出したトワリスたちが視界から外れて、見失ったのよ。偽物のラフェリオンに、次の動きを指示できなかったの。これは、あの偽物のラフェリオンが、自ら標的を認知して動いていたわけではない証拠よ。そして、遠隔からの操作を可能にしていたのが、術式の力ではなく、ヴァルド族の眼球を持った者──つまり、本物のラフェリオンだったという証拠でもある」
アレクシアが言葉を切ると、ケフィは、微かに息を吐いた。
「……答えになっていません。術式一つで動いていたとは考えづらいから、直接操っていた何者かがいるのだろう、と判断するのは、些か早計ではありませんか? 少なくとも僕は、あの屋敷に封じた人形が、ラフェリオンなのだと祖父から聞いていました。単に貴方たちが、表面的に見えやすい、眼球に刻印された術式しか調べられなかったというだけのことでしょう。あの人形を解体したら、二つ目、三つ目の術式が見つかったかもしれません。それに、仮にあの屋敷にいたのが偽物で、その偽物を操っていたのが、本物のラフェリオンであったのだとしても、今のフィオールさんのお話は、ラフェリオンの正体が僕だという証拠はならないはずです。この周辺には他に人が住んでいませんから、僕を疑いたくなるお気持ちもお察ししますが」
ケフィの夜色の瞳が、アレクシアを射抜く。
アレクシアは、その瞳を見つめ返すと、わざとらしく眉をあげた。
「そうね、解体して調べたわけじゃないわ。眼球の術式を解除したら動かなくなったから、あの術式が原動力だったと判断したに過ぎない。確かに、決定的とは言えないわ。ただ──」
アレクシアは、艶然と微笑んで、言葉を継いだ。
「術式が眼球に刻印されていたなんて、よく知ってるわね? 私は、術式が一つだけだった、としか言っていないけど……?」
──瞬間。
怒り任せに振り上げられたケフィの拳が、大きな音を立てて、机を叩き割った。
衝撃で落ちたカップが、紅茶を吐き出しながら、ごろごろと床に転がっていく。
しゅぅっと蒸気のような息を吐いて、凶暴な光を目に宿したケフィは、ぎろりとアレクシアを睨んだ。
「謀ったな、この女……!」
ケフィの凄まじい変貌に、思わずサイとトワリスがたじろぐ。
黒に近い夜色だった彼の瞳が、いつの間にか、アレクシアと同じ透き通った蒼色に変わっていることに気づくと、トワリスは、訝しげに問うた。
「まさか、本当に貴方が……?」
ラフェリオンは、トワリスに目を移すと、眉を歪めた。
「……そりゃあ、疑いたくもなるでしょうね。そうですよ、僕が、魔導人形ラフェリオンだ。……でも、とても人形には見えないでしょう? 僕は、人形であって、人間だから」
木端微塵になった机の残骸を踏みつけ、ラフェリオンは、ゆらりと立ち上がる。
「……僕はね、人間の死体から出来てるんですよ。大勢の死体をかき集め、継ぎ接いで作った……この脚も、腕も、内臓も眼球も、全部! 選ばれた人間を殺して奪ったものだ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.147 )
- 日時: 2019/06/29 22:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
サイが、顔色を真っ青にした。
「殺して、奪った……? ラフェリオンを作るために、人を殺したっていうんですか……? 一体、何のために……?」
ラフェリオンは、皮肉っぽく笑うと、自分の掌を見つめた。
「人為的に、優れた人間を作ることができるのか、試そうとしたんですよ。人形は所詮、指示通りにしか動けぬ玩具です。でも僕は違う。優秀な人間の身体、能力を生まれつき持ち、思考し、学ぶことができる……。けれど、この身体は成長しないし、感覚もない。死ぬこともない。魔力がある限り動き続ける、不完全な人の形をしたものです」
サイは、信じられないものを見るような目で、ラフェリオンの全身を眺めた。
「で、ですが……人形だろうが、兵器だろうが、貴方は生きているではないですか。死体を材料に、貴方のような人形を造り上げるなんて……そんな方法が、あるというのですか」
ラフェリオンに代わり、アレクシアが、忌々しそうに答えた。
「あるわけないじゃない。……死んだ人間の身体で、生きた人形を作るなんて。ハルゴン氏は、禁忌魔術に手を出したのよ」
「出したんじゃない! 出さざるを得なかったんだっ!」
アレクシアの言葉に被さるように、ラフェリオンが怒鳴る。
わなわなと唇を震わせ、額に手を当てると、ラフェリオンは悔しげに言葉を絞り出した。
「先生は……ミシェル・ハルゴンは、脅されたんだ。十年ほど前、魔導師団の団長を名乗る男に、思考する人形作りに協力するよう言われ、拒めば殺すと脅迫された。だから何としても、魔導人形ラフェリオンを完成させなければならなかった。多くの罪なき命と引き換えに、禁忌魔術に手を出すことになろうとも!」
それから、力が抜けてしまったように、長椅子にがっくりと腰を落とすと、ラフェリオンは、アレクシアを見上げた。
「……フィオールさん、貴女は何故魔導師なんてやっているんです? 貴女が最初からお見通しだったように、僕にも分かっていましたよ。貴女は、ヴァルド族の生き残りなんでしょう。それなら貴女だって、被害者のはずだ。恨む相手が違う。貴女の同胞を狩り、眼球を奪い、そしてミシェル・ハルゴンを脅して僕を作らせたのは、魔導師団の人間です」
「…………」
眉を寄せて、トワリスがアレクシアを見る。
やはり彼女は、ヴァルド族だったのだ。
偽物のラフェリオンと交戦していた時から、薄々勘づいてはいた。
誰も見ていなかったはずなのに、トワリスが度々同期の魔導師たちと揉めていたことを知っていたのも、サイとトワリスが、なんだかんだでアレクシアに協力するつもりであることを確信していたのも、術式が偽物のラフェリオンにはないと言っていたのも、全て、ヴァルド族の眼があったからだと思えば、説明がつく。
アレクシアは、目を伏せると、小さくため息をついた。
「……エイデンは既に裁かれたわ。禁忌魔術の行使を、人形技師ミシェル・ハルゴンに強制した罪でね。世間には、罪人としてではなく、殉職として公表されたことは気に食わないけれど、しょうがない。仮にも魔導師団長ともあろう者が、禁忌魔術に手を出したなんて、良い恥さらしだもの」
「じゃ、じゃあ、この件の黒幕は……」
震える声でトワリスが確認すると、アレクシアは、淡々と答えた。
「前魔導師団長、ブラウィン・エイデンよ。彼は、ヴァルド族を始めとする多くの民を惨殺し、その遺体を使って、ハルゴン氏に魔導人形ラフェリオンを作るように命じた。エイデンの愚行を暴いた魔導師団は、その隠蔽に躍起になったわ。だって、法を守るべき魔導師団の長が禁忌に手を染めるなんて、とんだ笑い話だもの。だから、一連の真実を知るエイデンとハルゴン氏をこの世から葬り、事件をなかったことにした。そして次に、禁忌魔術によって産み落とされた魔導人形ラフェリオンを、破壊しようとしたのよ。禁忌魔術が関与しているという事実は伏せ、制作者が死に、扱える者がいなくなってしまった暴走殺人兵器だと、情報を偽装してね。当の本人は、偽物を作って、上手く逃げ回っていたようだけれど」
ちらりと横目にラフェリオンを見て、アレクシアは言い募った。
「手に負えなくなった魔導人形の破壊なんて、それだけ聞けば、重要性は然程ないもの。未解決のまま月日が経てば、やがて風化し、そんな任務の存在自体忘れられていくわ。ラフェリオンを破壊して、魔導師団の過ちを隠滅できるなら、それが一番確実だけれど、世間から忘れられて、結果なかったことになるなら、それもまた良いでしょう。少なくとも、ラフェリオン、貴方はそうなることを一番望んでいた。……まあ、私が掘り返してきたんだけどね?」
ラフェリオンは、しばらくの間、鋭い目付きでアレクシアを睨み付けていた。
しかし、やがて微かに息を吐き出すと、平坦な声で言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.148 )
- 日時: 2019/07/01 18:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「……僕を、破壊するんですか?」
「…………」
アレクシアは、何も答えずに、ラフェリオンを見据えている。
ラフェリオンは、沈痛な面持ちで頭を下げた。
「……見逃してください。僕はただ、ここで静かに最期を迎えられれば、それでいい。どうせ僕は、直に壊れます。僕の中に残る先生の魔力は、あと僅か……それが尽きて動けなくなるまでは、生きていたいのです。……僕は、ケフィ・ハルゴンに、人形を送り続けなければならない」
アレクシアは、ぴくりと眉を上げた。
「……ケフィ・ハルゴンとは一体何者なの? ハルゴン氏には、本当に孫がいたと?」
ラフェリオンは、首を横に振った。
「いいえ。僕は外見年齢を考えて、孫を名乗っていただけです。本物のケフィ・ハルゴンは、小さい頃に病で亡くなった、先生の娘さんです。元々先生は、娘さんのために人形作りを始めたんです。あの世に一人ぼっちで、話し相手がいないのは可哀想だからと、ご自分で作った喋る人形や、買ってきた絵本やお菓子、あらゆるものを毎日燃やして、亡くなったケフィ・ハルゴンに送っていました。この部屋にある人形も、すべて、先生が娘さんのために作ったものです」
思わずぎょっとして、トワリスは、部屋中に並べられた膨大な量の人形を見回した。
同時に、あの偽物のラフェリオンがいた屋敷に、子供向けの絵本が置かれていたのを思い出す。
生涯かけて魔導人形を作り続け、その名を世に馳せたミシェル・ハルゴンの原動力は、我が子への強い想い──見方によっては、異常とも取れるような、甲斐甲斐しい執着心だったのかもしれない。
ラフェリオンは、落ち着いた態度で続けた。
「僕を作ったあと、先生は言いました。沢山の犠牲を出し、禁忌魔術まで犯した自分は、きっと娘と同じところへは逝けないだろう、と。……だから、代わりに僕が、壊れるそのときまで、先生の作品を娘さんに贈るんです」
口調は穏やかだったが、その奥に意思の強さが伺えるような、真っ直ぐな言葉だった。
トワリスは、躊躇いがちに尋ねた。
「じゃあ貴方は、ハルゴン氏が亡くなってからずっと、この家で人形を燃やし続けていたんですか?」
ラフェリオンは、悲しげに表情を歪めて、トワリスを見つめた。
「どうしてそこまでするのかと、そう思うでしょう? 僕も不思議なんです。死んだ人間に捕らわれて、何年も何年も……。そんなことを続けたって、きっと意味はないのに。それでも僕は、先生と同じように、故人に想いを馳せたいんですよ。先生にとっては、僕なんて作品の一つに過ぎなかったのかもしれないけれど、僕にとっては、先生は父親のような存在だったし、先生の娘は、姉のような存在だったのです。……理屈では語れません。人形なのにおかしいと、自分でも思います。でも、多分僕は、亡き先生の意思を継ぎ、ケフィ・ハルゴンに向けて人形を送り続けることで、自分の心を慰め、生にしがみつく自分に価値を見出だしているんです。……この気持ち、本物の人間である貴方たちなら、分かるのでしょうか?」
すがるような、不安定な光を宿したラフェリオンの瞳を見て、トワリスは口を閉じた。
ラフェリオンは、本物の人間よりも、ずっと純粋なのだろう。
人の心は揺れ動くし、変わるものだ。
それがどんなに強い思いであっても、やがて時が経てば、忘れていってしまう。
けれど、人の手で作られたラフェリオンは、そうではないのかもしれない。
身体も心も、作られたその時のままで、一度抱いてしまった気持ちが薄れていくことはなく、永遠に純粋で、不変の執着や忠誠を持っているのだ。
それは美しいことのようにも感じられたが、ひどく残酷で、悲しいことのようにも思えた。
ラフェリオンはうつむくと、再度頭を下げて、呟くように言った。
「僕は、魔導師は嫌いです。ですが、復讐しようだなんて考えていませんし、僕にはもう、戦って人を傷つけられる力も残っていません。息を潜めて暮らし、誰にも知られることなく、ここで朽ちます。……だから、どうか見逃してください」
「…………」
頭を上げようとしないラフェリオンに、サイとトワリスは、ただ黙って立ち尽くしていた。
トワリスは、ちらりと横目でアレクシアを見たが、彼女もまた、無表情でラフェリオンを見つめている。
怒りにも悲しみにも染まっていないその表情からは、何も伺えなかった。
トワリスにはもう、ラフェリオンを破壊しようという意思はなかった。
今後人を傷つけるつもりはないというラフェリオンの言葉は、嘘ではないように思えたし、彼の心情を知って尚、任務を優先させるほどの非情な選択は、トワリスには出来なかったのだ。
しかし、アレクシアがどんな決断をするかは、まだ分からない。
この任務の結末を決めるのは、トワリスでもサイでもなく、アレクシアであるべきだ。
もしアレクシアが、それでもラフェリオンの破壊を望むというなら、それを止める権利も、トワリスにはない──。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.149 )
- 日時: 2019/07/03 20:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: EZ3wiCAd)
静寂を破ったのは、山荘に近づいてくる足音であった。
とんとん、と扉を叩く音が聞こえてきて、一同が、はっと振り返る。
誰が訪ねてきたのか、トワリスたちも、ラフェリオンも、まるで検討がつかなかった。
アレクシアが出るように顎で指すと、ラフェリオンは、話を中断させて立ち上がった。
そして、部屋を出て廊下から玄関に向かうと、扉を開けずに、声を潜めて尋ねた。
「どちら様ですか……?」
「魔導師団、ゼンウィック部隊の者です」
扉を隔てて、すぐに返ってきた答えに、ラフェリオンが目を丸くする。
客間に身を隠し、そっと様子を伺っていたトワリスたちも、思わぬ訪問者に、動揺が隠せなかった。
こちらを振り返ったラフェリオンに、アレクシアが目配せをすれば、ラフェリオンは、ゆっくりと扉を開ける。
すると、立っていたのは、一人の魔導師の男であった。
紋様の入った黄白色のローブ──ここ一帯を担当し、常駐している正規の魔導師だろう。
男は、魔導師の証である腕章を提示してから、冷静な口調で言った。
「ケフィ・ハルゴンさんでよろしいですね? 先ほど貴方の所有されているお屋敷から、膨大な量の魔力を検知しました。お伺いしたところ、お屋敷は完全に倒壊……それもつい先程の出来事のようです。あそこには、魔導人形ラフェリオンが封じられている……そのように伺っております。もし人形が逃走を謀ったのならば、早急に対処せねばなりません。屋敷の倒壊に、何か心当たりは?」
男の問いかけを聞いて、トワリスとサイは、ぎくりと身を凍らせた。
本来、任務で遠方に出向く際は、事前に魔導師団の本部から、その地域の常駐魔導師に連絡がいく。
しかし今回の任務について、アレクシアはやはり、上層部に虚偽の申請を出していたのだろう。
つまり、ゼンウィック常駐の魔導師たちは、トワリスたちがラフェリオンを破壊しに来たことなど、全く知らなかったのだ。
そんな状況下で、異様な魔力量が検知されたとなれば、事件性ありと判断されて、駆けつけられてもおかしくはない。
アレクシアは素知らぬ顔をしているが、これは、見つかれば只では済まない事態である。
落ち着いてはいるが、どこか威圧的な男の態度に、ラフェリオンは、焦った様子で答えた。
「その……魔導師団の方に、ラフェリオンの破壊をお願いしたのです。屋敷は、その過程で倒壊してしまって……」
「お願いした? シュベルテで直接ということですか?」
疑わしそうに眉を寄せた男に、ラフェリオンが、次の言葉をつまらせる。
彼も、相当動揺しているのだろう。
ラフェリオンからすれば、今ここでトワリスたちが出ていって、「こいつが本物のラフェリオンだ」と男に告発されることが、何より恐ろしいはずだ。
どうすべきか考えあぐねていると、不意に、傍らで蒼髪が動いた。
こつこつと靴を鳴らして、アレクシアが廊下に出ていってしまう。
咄嗟に止めようとしたトワリスを無視すると、アレクシアは、男の前に立ちはだかった。
「あら、貴方、中央部隊にいたメレオンじゃない? 久しぶりね」
ラフェリオンが、驚いてアレクシアの方を見る。
男は、一瞬ぎょっとして瞠目したが、こほんと咳払いすると、アレクシア、そして渋々出てきたサイとトワリスを順に見遣って、顔をしかめた。
「なんだ……お前たちは? 何故訓練生がこんなところにいる?」
アレクシアは、さらりと蒼髪をかきあげた。
「それはこちらの台詞よ。しばらく見ないと思ったら、こんなど田舎に飛ばされていたの? どうせ本部で何かやらかしたんじゃ──」
「そっ、卒業試験です! その、屋敷を倒壊させたのは、私達なんです。申し訳ありません。魔導人形ラフェリオンとの交戦中に、魔術を使って……!」
サイが、アレクシアの言葉を慌てて遮る。
男は、見たところ三十半ばくらいの年で、正規の魔導師の中でも、決して階級の低い身分には見えない。
無断で任務に赴いただけでも問題なのに、アレクシアの失言で男の機嫌を損ねては、事態は更に深刻化するだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.150 )
- 日時: 2019/07/05 18:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
男は、値踏みするようにサイを眺めて、眉根を寄せた。
「卒業試験? そんな連絡は受けていない。第一、ラフェリオンの処遇については、現在宮廷魔導師団に委託していたはずだ。訓練生ごときが受けて良い案件ではない」
「そ、そうなんですか? おかしいですね……。伝達が上手くいってなかったんでしょうか……ははは」
苦し紛れに言いながら、サイが苦々しく笑う。
しかし、そんな彼の努力も虚しく、アレクシアはサイの足を踏みつけて黙らせると、男に向き直った。
「嘘なんてついてどうするのよ。ほら、この通り……ラフェリオンは、私たちの手で粉々にしてやったわ」
トワリスから偽物のラフェリオンの残骸が入った革袋を奪い取り、床に落とす。
男は、一層怪しんだ様子で革袋を一瞥すると、アレクシアを見た。
「これを、お前たちが? 本当にラフェリオンを破壊したというのか? 信じられん……我々にも任せては頂けなかった任務だぞ」
アレクシアは、軽く鼻を鳴らした。
「ふーん、よっぽど期待されていなかったのね。訓練生にも負けるんだから、こんなど田舎の常駐魔導師に格下げされた理由も頷けるわ」
とんでもないアレクシアの発言に、サイとトワリスが、頭を抱える。
案の定、ぴきりとこめかみに青筋を浮かべた男は、アレクシアを怒鳴り付けた。
「お前、舐めてるのか! 訓練生の分際で……!」
あと少しでも気に触れるような発言をすれば、男は殴りかかってきそうな剣幕である。
しかし、アレクシアは引くどころか、今度は突然、男に身体を密着させると、その唇に、人差し指を押し当てた。
「お前じゃないわ、アレクシア・フィオールよ。私のこと、忘れちゃった訳じゃないでしょう?」
男の顔が、ぴくっと引き攣る。
しなやかで細い指を頬に回し、物憂げな表情になると、アレクシアは首を傾けた。
「私にくれた手紙、今もとってあるわよ。貴方、顔に似合わず詩的で情熱的な文章を書くんですもの。当時、まだ十五だった私に、あんな熱烈な言葉を囁いていたなんて、あの焼きもちやきの奥様にばれたら大変ね?」
まさかの展開に、その場にいた全員が目を見張る。
アレクシアは、艶やかに微笑んで見せた。
「……ああ、あれって、奥様じゃないほうだったかしら? あの、黒髪のほうは」
含みのある言い方に、どんどん男の顔色が悪くなっていく。
アレクシアは、身体を離すと、偽ラフェリオンの残骸が入った革袋を男に渡して、ひらひらと手を振った。
「信じられないって言うなら、それはあげるわ。好きなだけ調べればいい。でも、魔導人形ラフェリオンを破壊し、この事件を解決したのは、他でもない私達よ。……ね、そうでしょ?」
そう言って、アレクシアが視線をやれば、ラフェリオンが弾かれたように顔をあげる。
ラフェリオンは、緊張した面持ちで、しばらくアレクシアのことを見つめていた。
だが、やがて、心の底から安堵したように表情を緩めると、こくりと頷いた。
「……ええ、そうです。本当に……ありがとうございました」
アレクシアは、目を細めると、再度男の方を見て、笑みを深めた。
「そういうことだから、私達は一度本部に戻るわ。……じゃ、奥様によろしくね? このど変態野郎」
脅しとも取れるような台詞に、革袋を持って棒立ちしていた男の顔が、みるみる真っ赤になった。
反して顔面蒼白になっていくトワリスとサイを置いて、アレクシアは、さっさと扉から出ていってしまう。
男は、ぶるぶると拳を震わせると、アレクシアに向かって叫んだ。
「覚えていろ! お前、卒業試験に合格できるなんて思うなよ……!」
聞こえているはずなのに、アレクシアは、軽快な足取りで山道を下りていく。
怒り狂う男の魔導師に、数えきれないほどの謝罪をすると、サイとトワリスも、急いでアレクシアを追いかけたのだった。
麓の街まで降りると、定期便の馬車に乗って、トワリスたちは、シュベルテへの帰路についた。
道中、上官の怒りを買ってしまったことと、戦闘からくる疲労とで、サイとトワリスはげっそりとした顔になっていたが、アレクシアだけは、妙にすっきりとした顔をしていた。
「……アレクシアは、これで良かったの?」
揺れる馬車の中で、不意にトワリスが尋ねると、アレクシアは、何でもないかのように答えた。
「何が? ラフェリオンを見逃して良かったのかって話?」
頷くと、アレクシアは鼻で笑った。
「いいんじゃない、別に。大体、あそこでメレオンに、実はこのケフィ・ハルゴンがラフェリオンの正体だ、なんて明かしたら、手柄を横取りされかねないじゃない。苦労したのは私達なのに、そんなの御免よ。だったら、ラフェリオンの思惑通り、あの偽物を本物に仕立てあげて、任務を成功させたのは私達だって本部で闊歩した方が、良い気分じゃない?」
「いや、そうじゃなくて……」
首を振ると、トワリスは、ため息混じりに返した。
「……ラフェリオンの目は、アレクシアの……誰か大切な人の目だったんじゃないの?」
トワリスの隣で、何やら考え込みながら窓の外を眺めていたサイも、アレクシアに視線を移す。
つかの間、言葉を止めていたアレクシアであったが、やがて、肩をすくめると、どうでも良さそうに答えた。
「そんなお涙頂戴な展開は、何もないわよ。第一、仮にそうだったとして、どうしろって言うのよ。ラフェリオンから目玉を抉りとって、持って帰れって言うの? 嫌よ、気色悪い。私にそんな趣味はないわ」
はっきりと言い放って、座席の上にふんぞり返ると、アレクシアは、ぽつりと呟いた。
「……ただ、今までどうしていたのか、少し気になっていただけよ」
沈みかけた夕日を見て、アレクシアが、眩しそうに目を細める。
相変わらずの高飛車な態度に、トワリスは、呆れたように息を吐くと、言及するのを諦めた。
滑らかな街道を、馬車の車輪が、からからと音を立てて滑っていく。
外の景色を映し出す、その蒼い瞳は、夕日の蜜色を垂らしたような色に染まっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.151 )
- 日時: 2019/07/05 22:37
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: U7ARsfaj)
- 参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel1a/index.cgi?mode=view&no=10985
こんばんは。こちらでははじめまして、友桃です。
来て早々になってしまうのですが、
参照20,000突破、おめでとうございます!!
実はミストリア編から読み進めているのですが、さっき見たらこちらのスレが20,000突破していたので、お祝いの言葉だけ述べに来てしまいました……。
ミストリア編わくわくしながら読ませていただいています。
応援しております。更新頑張ってください^^
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.152 )
- 日時: 2019/07/06 15:18
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Fm9yu0yh)
友桃さん
こんにちはー(^^)
お陰様で参照2万いきまして、普段から読んでくださってる方には感謝の気持ちでいっぱいですねb
ミストリア編からですか!
わあ長いのにありがとうございます( ;∀;)
そこまで読みづらくはないと思いますが、がっつりファンタジーって感じなので、お時間あるときに読んで頂ければ!
これからも精進致しますー(*´∀`)
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.153 )
- 日時: 2019/07/07 20:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1Fvr9aUF)
旧王都シュベルテにある、魔導師団の本部に戻ると、案の定、恐れていた事態に陥った。
ゼンウィック常駐のメレオン・ザックレイの報告で、サイ、トワリス、アレクシアの三人が、虚偽の申請を出して、無断でラフェリオンの破壊に向かっていたことが、早々に露見してしまったのである。
しかし、意外だったのは、その際にアレクシアが、サイとトワリスを騙して連れ出したのは自分だと、すんなり白状したことであった。
騙されていると気づいていながら、結局着いていったのは自己判断だったので、同罪にされても文句は言えないとトワリスは思っていたのだが、アレクシアは、一方的に自分に責任があるという風に、上層部に伝えたようだ。
おかげで、サイとトワリスは、数日間の謹慎処分を受けるだけで済んだのだった。
謹慎処分を受けた日数分、卒業試験で、任務を受けられる期間が減ってしまったこと。
そして、本来は三人組で受ける卒業試験を、アレクシアを抜いた二人でこなさなければならなくなったので、他より条件的に不利な状態で、試験を続けることになった。
加えて、失格を免れたとはいえ、上官からの目が厳しくなったことは確かだったので、試験の全過程が終わっても、トワリスはしばらく、不安な日々を過ごしていた。
だから、どうにか合格できたことを上官から伝えられたとき、心の底から安堵した。
入団試験の時とは逆で、筆記試験の成績が上から数えて五番目だったので、その結果に助けられたのだろう。
サイも、流石というべきか、筆記試験で周囲と圧倒的な差をつけて首席だったので、合格であった。
正規の魔導師の証である、腕章とローブを手渡してくれた上官に、トワリスは、深く頭を下げたのだった。
一方で、本当に自分は合格して良かったのだろうか、という罪悪感も抱いていた。
アレクシアは結局、不合格──つまり、今年の卒業試験受験の資格を剥奪されて、正規の魔導師にはなれなかったのだ。
規律を破ってしまった以上、仕方のない結果だと思うが、それならば、自分も不合格になるべきだったのではないかという気持ちが、ずっと心の中にあった。
それこそ最初は、アレクシアの強引なやり方に腹が立っていたし、脅されて連れていかれたことに関しては、今でも納得がいっていない。
異端だの、気持ち悪いだの言われた時は、心底性格の悪い奴だと、腸が煮えくり返る思いだった。
それでも、きっと彼女にも思うところがあったのだろうと感じ始めたから、最後まで任務に付き合ったのだ。
途中で任務を放棄して帰ることもできたのに、そうしなかったのは、紛れもない自分の意思。
そのことを認めてしまうと、アレクシアだけに責任を押し付けるのは、なんだか気が引けた。
ずっとずっと、魔導師になるのが夢だったし、合格できたことは嬉しかったが、本当にこれで良かったのかともう一人の自分に問われると、正規の魔導師になったという事実が、心に重くのし掛かってくるのであった。
ラフェリオン破壊の任務を終えた日以来、どこに行ってしまったのか、アレクシアを二月ほど見なくなっていた。
同期の中では女二人だけで、部屋も隣同士だったので、姿こそ見なくとも、不在かどうかくらいは分かるのだが、どの時間帯に様子を伺ってみても、アレクシアは自室に戻っていないようであった。
もしかしたら、魔導師になることは諦めて、故郷に帰ってしまったのかもしれない。
もう二度と、会えないのだろうか。
そんな風に思い始めていたから、ある日、アレクシアの部屋から話し声が聞こえてきたとき、思わずどきりとした。
アレクシアが、自室に戻っているのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.154 )
- 日時: 2019/07/09 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
聞こえてきたもう一人の声が、若い男の声だったので、なんとなく声をかけるのは躊躇われた。
しかし、この機会を逃したら、またアレクシアがいなくなってしまうかもしれない。
少しでいいから、もう一度話がしたい。
そんな思いが先立って、しばらくアレクシアの部屋の前をうろうろと彷徨っていると、不意に、扉が押し開かれて、中から黒髪の男が現れた。
見覚えのある鋭い顔つきに、赤を基調としたローブ──宮廷魔導師のジークハルト・バーンズだ。
予想外の人物がアレクシアの部屋から出てきて、トワリスは、つかの間ジークハルトの顔を見つめたまま、呆然と立っていた。
入団試験でこてんぱんにやられて以来、話したことはなかったが、つい最近、歴代最年少で宮廷魔導師にまで上り詰めたことで有名な人物であったから、当然名前は知っている。
訝しげに眉を寄せたジークハルトは、トワリスを一瞥したあと、部屋の中にいるアレクシアの方に振り返って、言った。
「……おい、客だ」
不機嫌とも取れるような、低い声。
自分のことを言われているのだと気づいて、トワリスは、慌てて顔をあげた。
遠慮がちに部屋の中を覗いてみれば、寝台の上に足を組んで座っているアレクシアと、ぱちりと目が合う。
アレクシアの部屋だから、派手な内装を想像していたが、実際は備え付けの寝台と文机しかなく、間取りは同じだが、トワリスの部屋以上に殺風景で生活感がなかった。
トワリスは、アレクシアとジークハルトを交互に見ると、一歩その場から引いた。
「あの……お取り込み中だったら、すみません。都合が悪ければ、出直しますが……」
控えめな声で言うと、表情を険しくしたジークハルトに対し、アレクシアは、おかしそうに笑った。
「あら、そう? 気を遣わせて悪いわね。二人きりでお取り込み中だから、後でもう一度来てくれるかしら?」
「誤解を招くような言い方をするな。何も取り込んでない」
アレクシアのからかうような口ぶりに、ジークハルトが眉をしかめる。
ジークハルトは、アレクシアを睨むと、ため息混じりに言った。
「お前、ふざけるのも大概にしろ。誰のお陰で除名されずに済んだと思ってる。少しは軽口を控えて、反省したらどうだ。また留置所に送られても、今度は助けてやらんぞ」
留置所──。
その言葉に、トワリスは耳を疑った。
もしやアレクシアは、今まで留置所で拘留されていたのだろうか。
卒業試験の受験資格を剥奪されるどころか、まるで罪人のように拘置されていたなんて、正直信じがたい。
確かに、規律違反は犯した。
しかし、たかが訓練生が無断で任務に出たくらいで、これといって大きな問題を起こしたわけでもないのに、除名や拘置しようだなんて、いくらなんでも重罰すぎる。
トワリスは、顔色を変えると、ジークハルトに詰め寄った。
「今の、どういう意味ですか? アレクシア、今まで留置所に送られていたんですか?」
アレクシアの顔が、珍しく気まずそうな表情に変わる。
黙ってしまった彼女を一瞥すると、トワリスは、ジークハルトに向かって続けた。
「……ラフェリオンの件が原因ですか? 確かに、そのことに関しては、身勝手な行動ばかりして、本当に申し訳ありませんでした。ですが、私たちはあくまで、卒業試験の一環として、魔導師の職務を果たそうとしただけです。アレクシアが拘束までされる理由が分かりません……!」
思いがけず刺々しい口調になってしまって、トワリスは慌てて口を閉じた。
別に、アレクシアの処分を決定したのはジークハルトではないだろうし、口ぶりからして、彼はむしろ、アレクシアのことを助けてきてくれたようだ。
それなのに彼を責める謂れはなかったのだが、つい熱くなって、口走ってしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.155 )
- 日時: 2019/07/11 18:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: exZtdiuL)
アレクシアは、少し驚いたように目を丸くして、トワリスを見ている。
一方のジークハルトは、すっと目を細めると、冷静な口調で答えた。
「魔導師団の上層部からすれば、目を瞑ってはおけなかったということだ。自分達が何に手を出したのか、分かっているか? 前魔導師団長、ブラウィン・エイデンが禁忌魔術を犯そうとしたことは、魔導師団が必死になって隠蔽した過ちだ。それをお前たちは掘り返して、暴いた。訓練生にそんなことをされては、黙っていられないだろう」
「…………」
うつむいて、トワリスは、ぐっと唇を噛んだ。
今回トワリスたちが挑んだのが、ラフェリオンの件でなければ、こんなに大事にはならなかっただろう。
規律違反をしたとか、そんなことは端から重要視されていなかったのだ。
魔導師団にとって都合の悪い真実に触れてしまったから、アレクシアは処罰されたのである。
同時に、任務に赴く前、アレクシアが言っていた言葉が、ふと脳裏に蘇った。
──魔導師団の上層部が、臭いものに蓋をしたって考えるのが、普通じゃない?
単なる憶測かと思っていたが、やはりアレクシアは、全てを知っていたのだ。
知っていたけれど、独力ではどうにもならないと分かっていたし、魔導師に昇格してからでは、自由に任務に出られることなんてないだろうから、卒業試験という機会を利用して、サイとトワリスを巻き込んだ。
反面、深く関わらせるべきではないとも思っていたから、なかなか事情を話そうとはしてくれなかったのかもしれない。
結果的に、真相の断片をトワリスたちは知ってしまったが、それでも、アレクシアが主犯は 自分だと明かしてくれたお陰で、サイとトワリスは、何も分からず丸め込まれただけだと思われている。
上層部が、トワリスたちの合格を黙認したことが、何よりの証拠だ。
トワリスは、拳をぎゅっと握ると、ジークハルトを見上げた。
「……納得がいきません。都合の悪いことを暴いたから、アレクシアが悪者になるんですか? そんなのおかしいです。私も、詳しい事情は知りません。だけど、アレクシアはむしろ、魔導師団が助けてあげるべき立場だったんじゃないんですか? ハルゴン氏だって、そうです。彼はずっと、ブラウィン・エイデンに禁忌魔術を使うよう脅されて、苦しんでいた。手をさしのべるべき、被害者だったんです。それなのに魔導師団は、助けるどころか、事実を隠蔽したいばっかりに、ハルゴン氏を亡き者にした。……悪者は、どっちですか」
言ってしまってから、トワリスは、自分の手が微かに震えていることに気づいた。
それが、怒りから来るものなのか、怯えから来るものなのかは、分からなかった。
こんなことを宮廷魔導師であるジークハルトに言ったら、アレクシアだけじゃなく、トワリスも真実を知っているのだと、上層部に明かしてしまうようなものだ。
そうしたら、合格取り消しどころか、アレクシアと同じように、処罰を受けさせられるかもしれない。
それでも、言ってやらねばと思った。
念願の魔導師になれて嬉しかったし、規律違反をしたことは本当なので、多少の罰を受けるのは仕方がないものと納得していた。
けれど、臭いものの蓋を開けられたからという理由で、理不尽な目に遭わせられるというなら、話は別である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.156 )
- 日時: 2019/07/13 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ジークハルトは、長い間黙って、トワリスのことをじっと見つめていた。
トワリスもまた、目をそらさずに、ジークハルトのことを見つめ返していたが、内心、何を言われるだろうかと気が気ではなかった。
入団試験を受けたときと同じ、強い光を宿した、漆黒の瞳。
ジークハルトの目には、相手を捕らえて離さない、強く鋭い意思が宿っている。
しかし、不意に目を閉じたかと思うと、ジークハルトは、僅かに纏う空気を和らげて、言った。
「……全くもって、その通りだな」
思いがけず肯定的な答えが返ってきて、ぱちぱちと瞬く。
ジークハルトは、一つ息を吐くと、トワリスに向き直った。
「一応弁解しておくが、人形技師のミシェル・ハルゴンを葬った連中は、前団長ブラウィン・エイデンに加担する魔導師だったんだ。魔導師団が事件を隠蔽しようとしたことは事実だが、証拠隠滅のためにハルゴン氏を殺害しようとしたのは、魔導師団の総意だったわけじゃない。禁忌魔術をハルゴン氏に強制した挙げ句、自分達の悪行が暴かれそうになったからといって、関係者を片っ端から亡き者にしようとしたのは、言わばエイデン派の人間たちだ。そしてそいつらは、後々魔導師団の方で見つけ出し、ちゃんと裁いている。……アレクシアが、お前たちにどんな説明をしたのかは、知らんがな」
ちらりとアレクシアの方を見てから、ジークハルトは続けた。
「ついでに言えば、魔導人形ラフェリオンの正体は、現状俺とお前たちしか知らない。上は、気の急いたアレクシアが、手柄欲しさに宮廷魔導師団宛の案件を盗み出し、サイとトワリス両名を巻き込んで、結果ラフェリオンの破壊に成功したと思っている。つまり、今いる魔導師団の幹部も、大半が“ラフェリオンとは、ハルゴン氏が禁忌魔術によって生み出した強力な魔導兵器”であり、それはお前たちが破壊したものと信じこんでいる。……そもそも、事件発覚以降、姿を眩ましていた魔導人形が、実は感情と思考を持っていて、自分の偽物の情報を流して逃げ回っていたなんて、そちらの方が真実味に欠けるしな。魔導師団にとって都合が悪かったのは、禁忌魔術によって生まれた人形がいる、ということよりも、その禁忌魔術に前魔導師団長が関わっていた、ということだ。ようやくその真実が過去のものになろうとしているのに、今更深追いして、本物のラフェリオンの正体を暴き追おうとする者もいないだろう」
ジークハルトの静かな声色に、ささくれ立っていた心が、徐々に落ち着いていく。
身体の強張りが少しずつ解けていくと、トワリスは、ほっと胸を撫で下ろした。
「そう、なんですね……良かった」
気が抜けたような返事が、思わず口をついて出る。
それでも、未だ浮かない顔つきのトワリスに、ジークハルトは尋ねた。
「……失望したか?」
質問の意図が分からず、眉を寄せる。
ジークハルトは、険しい表情のまま、付け足した。
「ハルゴン氏を殺害したのがエイデン派の人間だったとはいえ、魔導師団が、被害者の保護よりも事件の隠蔽を優先したのは事実だ。ラフェリオンの件だけじゃない。魔導師団には、こういった黒い噂なんて、いくらでもある。口では国の平和を守るだなんだとほざいても、その実、自分の体裁を守るので精一杯な連中なんて、魔導師団には五万といる。馬鹿馬鹿しいだろう」
トワリスは、目を見開いて、ジークハルトの顔を見つめた。
この言葉が、ジークハルトの本音なのかどうか、彼の動かない表情からは、何も伺えなかった。
本音のようにも思えたし、逆にトワリスの心を探られているような気もする。
けれどそれは、魔導師団への忠誠を確かめられている、というよりは、純粋にジークハルトが、トワリス個人へとしている問いかけのように思えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.157 )
- 日時: 2019/07/14 18:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスは、目を伏せると、ぽつりと本音を溢した。
「……馬鹿馬鹿しい、とは思います。貴族出だとか、平民出だとか、男だとか女だとか、普通じゃない生い立ちだとか、そんなどうでもいいことばかり気にする人に、沢山出会いました。自分の立場を守るためだけに、他者を踏みにじって、騙して、嘘の上塗りをして……そういうのって、本当に下らない。でも、現に私たちも、嘘をつきました。魔導師としての選択をするなら、禁忌魔術で作られたラフェリオンを壊すべきだったのに、そうしなかった。そして、偽物のラフェリオンを本物だったということにして、結果的に事件を解決したと、虚偽の報告をしました。……私は、その選択が間違っているとは思いませんが、それでも、嘘は嘘です」
次いで、ジークハルトの目を真っ直ぐに見ると、トワリスは続けた。
「納得がいかないことも、悔しいこともあります。だけど、何かを守れる人間になるためには、魔導師団の一員であることが、一番の近道になると思うんです。だから、失望してはいません。……というより、まだしたくありません」
「…………」
ジークハルトは、再び口を閉ざして、トワリスのことをじっと見据えていた。
しかし、不意に踵を返すと、扉の取っ手に手をかけて、振り向き様に言った。
「そこまで考えられるなら、まだ堪えておけ。気に食わないことがあるのは、よく分かる。だが、今のお前の立場でところ構わず噛みついたって、叩き潰されるのが落ちだ。……魔導師団は、俺が変える」
それだけ言うと、ジークハルトは、扉を開けて部屋の外へと出ていってしまう。
トワリスは、しばらくの間、ぽかんと扉の方を見つめていた。
胸の中にあった苛立ちがしぼんで、代わりに、僅かな羞恥心が込み上げてきた。
自分の発言は、間違いではないと思う。
だが、実力のない今の自分が、それをところ構わず訴えたって、ジークハルトの言う通り、一蹴されて終わりだろう。
冷静になれば分かることなのに、頭に血が昇ると、つい考えるより先に行動してしまうのが、自分の悪い癖だ。
そのことを、まだ会って間もないジークハルトに見抜かれたのが、なんだか恥ずかしかった。
アレクシアが、どこか呆れたように口を開いた。
「あの自信は、一体どこから来るのかしらね? あの人だって、まだ二十歳よ?」
寝台の上で、気だるそうに髪をいじるアレクシアに、視線をやる。
トワリスは、アレクシアの方を向くと、不思議そうに尋ねた。
「……アレクシア、バーンズさんとお知り合いだったんだね。アレクシアも、入団試験の時に会ったの?」
何気ない問いに、アレクシアが眉をあげる。
少し黙りこんだあと、やれやれと首を振って見せると、アレクシアは、大袈裟な身振り手振りをつけて答えた。
「その程度じゃないわ。もっと深ーい関係よ」
「えっ……」
トワリスの頬が、微かに赤くなる。
気まずそうに視線を背けると、トワリスはもごもごと口ごもった。
「ア、アレクシアって、しょっちゅうそんなことしてるの……?」
批判的な色を混ぜて、躊躇いがちに尋ねる。
アレクシアは、面白がっている様子で、くすくすと笑った。
「そんなことって?」
「いや、だから……。ゼンウィック常駐の、あのメレオンっていう魔導師の男の人とも、なんか、その……ただの友達って訳じゃなさそうだったし……」
「ただの友達じゃなかったら、どうだっていうのよ?」
聞いているのはこちらなのに、アレクシアは、質問ばかりで返してくる。
トワリスは、逡巡の末、一層顔を赤らめると、目線を床に落としたまま、呟いた。
「そ、そういうのは……あんまり、良くないと思う……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.158 )
- 日時: 2019/07/16 18:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
瞬間、吹き出したアレクシアが、からからと高い声で笑い出す。
たじろいだトワリスを、ひとしきり笑って馬鹿にすると、アレクシアは言った。
「馬鹿ね、冗談に決まってるじゃない。本当に貴女って、いちいち真に受けるから面白いわ」
むっとしたトワリスが、アレクシアを睨み付ける。
未だ笑いを噛み殺しているアレクシアに、トワリスは反論した。
「真に受けてるわけじゃないよ! ただ、アレクシアは色々だらしないから……!」
そのまま説教を続けようとして、口を閉じる。
トワリスはそっぽを向くと、冷めた口調で返した。
「……なんか、思ったより元気そうだね。心配して損したよ」
アレクシアが、ふっと鼻を鳴らす。
「何よ、心配して来たわけ? 随分お優しいことね。あれだけ私に敵意剥き出しだったくせに」
トワリスは、口を尖らせた。
「……それとこれとは、話が別だろ。アレクシアがかばってくれたから、私とサイさんは正規の魔導師になれたわけだし……その、一応、お礼を言っておこうと思って……」
罰が悪そうに答えたトワリスに対し、アレクシアが、目を丸くする。
彼女は、毒気を抜かれた様子で、何度か目を瞬かせた。
「……はあ? お礼? 貴女、一体どこまでお人好しなのよ。私がサイとトワリスを巻き込んだのは事実なんだから、変な罪悪感を感じてるんじゃないわよ。分かってる? 私、貴女たちのことを勝手に視て、それを脅しの材料に使ったのよ」
トワリスは、真剣な表情になると、アレクシアを一瞥した。
「それだけ、ラフェリオンに会いたかったってことだろ。奪われたヴァルド族の目が、どうなったのか、どうしても確かめたかったから……」
どこか申し訳なさそうに言って、トワリスが俯く。
これ以上、アレクシアの過去に関わる話を、するべきじゃないと気遣っているのだろう。
しかし、無理に話題をそらすのも不自然だから、必死に当たり障りのない言葉を探しているようだ。
分かりやすいトワリスの反応に、アレクシアは、大きくため息をついた。
「辛気くさい顔して、鬱陶しいわね。……あのね、本当は、ヴァルド族なんて存在しないのよ」
「えっ」
思いがけない言葉に、トワリスが瞠目する。
アレクシアは、寝台から腰をあげると、ぐっと背筋を伸ばした。
「西の一部に伝わる伝承にね、ヴァルド族と呼ばれる、透視と予知の能力を持った一族が出てくるの。彼らが実在していたのかどうかは、分からないわ。私は、その名前を語った、偽物ってこと」
随分と簡単に明かされた真実に、トワリスが頭を捻る。
怪訝そうに眉を寄せると、トワリスは、アレクシアに詰め寄った。
「ど、どういうこと……? じゃあ、ラフェリオンに話してたことは、全部嘘だったの? アレクシアの目には、特殊な力なんてないってこと?」
アレクシアは、隣部屋であるトワリスの自室と、この部屋とを隔てる木壁を指差すと、小さく首を振った。
「嘘はついてないわ。私には、壁を隔てた向こうの景色でも、山一つ向こうの景色でも、普通は見えないはずのものが視える。だから、貴女が昨晩、どんな寝相だったかも知ってるわ」
「……私、真面目な話をしてるんだけど」
半目で睨んで、ふざけるなと訴える。
トワリスの鋭い視線に、アレクシアは、ふふっと笑って、肩をすくめた。
「真面目に話すほどでもない、下らない能力ってことよ」
次いで、トワリスの横を通りすぎると、アレクシアは背を向けて、淡々と言い募った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.159 )
- 日時: 2019/07/18 20:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kEC/cLVA)
「見えないはずの景色が見えたからって、何になるっていうの? 別に、見たいと思った景色が、自在に見えるわけじゃないの。意図せず、急に頭に流れ込んでくるのよ。だからって、声が聞こえるわけじゃないから、映った相手が何を話しているかなんて分からない。直接干渉できるわけでもない。ラフェリオンの術式だって、そう。近づかなきゃ見えないような小さなものは、私にだって見えない。こんな能力、何の役に立つっていうのよ。役に立たない力なんて、異端扱いされる理由にしかならないわ。……せめて予知能力でもあれば、伝承に伝わるヴァルド族みたいに、神聖視されたんでしょうけれどね」
「…………」
アレクシアの声色が、微かに暗くなったような気がした。
トワリスは、続きを聞いて良いのか迷いながら、小さな声で尋ねた。
「……それで、ヴァルド族の名前を語ることにしたの?」
アレクシアは、壁の一点を見つめたまま、返事をした。
「言い出したのは、私の姉よ。元々、私達姉妹には、大した力なんてなかったのに、伝承にあるヴァルド族の末裔だとでも言えば、周囲は皆、自分たちのことを崇拝するだろうって。姉は、透視だけでなく、予知能力もあるだなんて嘘をついて、周りを騙し続けたの。結果、一時的に注目は集めたけれど、悪目立ちして、魔導人形の材として目をつけられた。十四の時に、ブラウィン・エイデンに眼球を奪われて、そのまま死んだわ。……笑えるでしょう。自分でついた嘘のせいで、惨めに死んだのよ。善良で正直に生きたって、ろくな人生にはならないけれど、他人を騙して欲深く生きたって、結果は同じなのね」
皮肉めいているような、冷たい口調であった。
アレクシアが話し終えると、薄暗い部屋の中に、静けさが戻ってくる。
ややあって、決心したように拳を握ると、トワリスは、はっきりとした声で言った。
「……私やっぱり、アレクシアに賛同してラフェリオンの破壊に行きましたって、報告してくる」
こちらを見ようとしなかったアレクシアが、振り返る。
心底呆れ果てた様子で息を吐くと、アレクシアは、トワリスの顔を覗き込んだ。
「今の話の流れで、どうしてそうなるのよ? それで合格を取り消されたら、貴女どうするのつもりなの?」
トワリスは、アレクシアの蒼い瞳を見つめ返すと、頑なな態度で答えた。
「そうなったらそうなったで、しょうがないよ。来年、もう一度試験を受ける。……だって、やっぱりアレクシア一人に責任を押し付けるなんて、駄目だよ。私、アレクシアが何か企んでるんだろうなって、分かって着いていったんだもの。同罪だよ」
アレクシアが、大きく目を見開く。
やりづらそうに顔を片手で覆うと、アレクシアは、再度盛大なため息をついた。
「同罪って……あのねえ、私は貴女たちと違って、どうしても魔導師になりたいわけじゃないの。だから、卒業試験の受験資格を剥奪されたからって、大した痛手じゃないわけ。分かる? 第一、貴女が馬鹿正直に上に報告にいったとして、私が感謝をするとでも思ってるの?」
トワリスは、ふるふると首を振った。
「思ってないよ。私が合格取り消されたって、留置所に送られたって、アレクシアはどうせ、『馬鹿じゃないの? これだから獣女は短絡思考ね』くらいにしか思わないんだろうけど、それでも、私が納得いかないんだよ」
「…………」
もはや返す言葉も思い付かないのか、アレクシアは、何も言わなくなってしまった。
トワリスもまた、唇を引き結んで黙っていたが、やがて、いつかのように、アレクシアに額を指で弾かれると、顔を上げた。
「……意味のない責任なんか感じてないで、魔導師になりなさいって言ってるのよ。なって、 街中でふんぞり返ってやりなさい。獣混じりの女魔導師なんて、皆びびって声もかけてこないわよ」
言葉の意味を探るように、トワリスはアレクシアの表情を伺った。
アレクシアは、心底呆れたような顔をしている。
「私以外にも、女が入団してるなんていうから、どんな気狂いかと思っていたけれど、話してみれば、ただの真面目一直線だものね。あれだけ私に散々言われたのに、のこのこ間抜け面でやってきて、『同罪だから』なんてほざくんだもの。貴女みたいな馬鹿丸出しは、正義の味方に向いてるわ」
トワリスは、怪訝そうに眉をしかめた。
「……それって褒めてるの?」
「褒めてるわよ。貴女ほどお人好しで、ろくな死に方をしなさそうな人間は、そうそういないって言ってるんだから」
「褒めてないだろ」
呼吸をするように貶してくるアレクシアに、もはや感心さえ覚える。
それから、先程指で弾かれた額を擦りながら、トワリスはぽつりと問うた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.160 )
- 日時: 2019/07/20 19:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「……ねえ、さっき、どうしても魔導師になりたいわけじゃないって言ってたけど、それならアレクシアは、どうして魔導師を目指したの?」
アレクシアの目の色が、微かに変わる。
閃く蒼をじっと見つめていると、やがて、アレクシアは口端を上げた。
「生まれに関係なくなれる職業で、一番成り上がれる職業って、何だと思う?」
トワリスが何かを答える前に、アレクシアは続けた。
「私はね、魔導師だと思ったわ。だから目指したの。正義の味方なんて柄じゃないけど、英雄面すれば、きっと見える景色が変わる。魔導師になって、地位も名誉も手に入れたら、今まで私のことを指差して、異端だと蔑んできた連中が、途端に顔色を変えて頭を下げるのよ。魔導師様、魔導師様ってね。こんなに愉快なことって、他にある?」
艶っぽく、一方でどこか子供のような、いたずらっぽい笑みを浮かべて、アレクシアは言う。
彼女らしい返答に、一拍置いて、トワリスは苦笑した。
「……動機が不純だね」
「言ってなさいよ。私は貴女みたいに、清廉潔白じゃないの」
アレクシアは、吹っ切れたような声色で言った。
トワリスは、微かに眉を下げると、アレクシアから視線を外して、目を伏せた。
「……別に、私だって、清廉潔白なんかじゃないよ。他人を踏みつけたり、嘘ついたりするのは良くないって思うけど、綺麗事だけじゃ生きていけないっていうのも、分かってるつもり。自分一人生きるのだって、大変だもの。人助けしたり、国を守ることが、もっと難しいことくらい知ってる」
言ってから、アレクシアに向き直ると、トワリスは手を差し出した。
眉を上げたアレクシアは、トワリスの顔と手を交互に見ると、訝しげに尋ねた。
「……なによ?」
トワリスが、微苦笑する。
「別れの挨拶。……一応、ね。次、いつ会えるか分からないから」
そう答えると、アレクシアは、付き合っていられない、とでも言いたげな表情で、トワリスを見た。
それでも、手を引っ込めずにいると、アレクシアは嘆息しながらも、その手を握ってくれた。
──と、次の瞬間。
その手を思いっきり引っ張ると、トワリスは、その懐に身を沈め、彼女を背負い投げした。
予想もしていなかった攻撃に、アレクシアは、いとも簡単に投げ飛ばされる。
着地したのは寝台の上だったので、大した痛みはなかったが、急に仕掛けられた衝撃で、心臓がばくばくと音を立てていた。
「ちょっ……っ、なにすんのよ!」
思わず大声をあげて、トワリスの方を振り返る。
トワリスは、アレクシアから一本とった優越感に浸りながら、ぱんぱんと手を払った。
「お返し」
その言葉に、アレクシアが目を見張る。
トワリスは、してやったりと笑った。
「異端だの、野蛮だの、気持ち悪いだの、今まで随分好き勝手言ってくれたじゃないか。正直今でも怒ってるけど、仕方ないから、今ので許してあげる」
「は、はあ……?」
アレクシアの顔に、困惑の色が浮かぶ。
トワリスは、寝台の上で受け身をとったまま、唖然としているアレクシアの目線に合わせて、屈みこんだ。
「……アレクシアが良いって言ってくれるなら、私、一足先に魔導師になるよ。だから、アレクシアも来年、必ず魔導師になって。私達、全く気は合わないけど、共通点は沢山あるから、アレクシアも、きっと魔導師に向いてると思う。私達、異端同士、女同士、でしょ?」
普段の姿からは想像もできないくらい、呆気にとられたような顔で、アレクシアは黙っている。
そんな彼女の額を指で弾くと、今度はアレクシアが、枕を投げつけてきた。
ぼすん、と音をたてて、トワリスの顔面に枕がぶつかる。
落下した枕を、そのまま手で受け止めれば、姿勢を戻したアレクシアが、トワリスのことを見ていた。
「貴女と同じにしないでちょうだい。……これだから、獣女は嫌なのよ」
憎たらしい口調で言って、それから、アレクシアは強気な笑みを浮かべる。
トワリスは、困ったように肩をすくめてから、つられたように笑ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.161 )
- 日時: 2019/07/22 18:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
* * *
例えば、空腹や渇きで、今にも死にそうな子供が倒れていたって、平然と見殺しにしてしまうような──。
姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。
自分勝手で、一方的で、一言でも口答えをすれば、百の言葉で怒鳴り返してくる。
そんな姉、トリーシアのことが、アレクシアは嫌いだったが、生きている肉親は彼女だけだったので、なんとか二人で助け合って、生きていくしかなかった。
二人は生まれつき、見えないはずの景色が視える、不思議な蒼い目を持っていたが、その能力のことは、口外しないようにしていた。
かつて母が、異端だと蔑まれ、村人たちから石を投げられて生活する様を、嫌というほど見て育ったからだ。
母は、穏やかで優しい性格の持ち主であったが、貧しい中で娘二人を抱えて生活していく内に、病で倒れ、トリーシアが十二、アレクシアが八の時に、呆気なく死んだ。
すると村人たちが、蒼い目の異端者が流行り病を持ち込んだと騒ぎ、家ごと燃やそうとやって来たので、二人は夜通し走って、別の村まで逃げたのだった。
移り住んだ村でも、珍しい蒼髪と蒼目は、歓迎されなかった。
それでも、出来る限り従順に、静かに暮らしていれば、石を投げられることはなかったし、幸いというべきか、トリーシアは見目の良い女だったので、一部の者たちからは、気に入られている様子であった。
けれど、どんな理由で姉が人々の気に引き、金や食料を手に入れていたかなんて、当時のアレクシアは、考えてもいなかった。
ある時、村が干ばつに襲われた。
トリーシアとアレクシアには、山一つ向こうに、枯れていない泉があることが視えていたが、そんなことを知らない村人たちは、飢えと渇きに喘いでいた。
アレクシアは、姉に言った。
「姉さん、泉の場所を皆にも教えてあげようよ。このままじゃ、村は終わりよ」
しかし、トリーシアは、首を縦に振らなかった。
「教えてやる義理はないわ。泉を見つけたのは私達なんだから、私達だけが使っていいのよ」
干からびていく村人たちを見もせずに、トリーシアは、平然と言ってのける。
そう、姉は冷酷で、非情な人なのだ。
アレクシアは、村人たちが哀れでならなかった。
一応この村には、置いてもらっている恩もあるし、何より、このまま死んでいく村人たちを横目に、自分達だけ隠れて喉を潤しているなんて、いくらなんでも忍びない。
アレクシアは、引き下がらなかった。
「でも姉さん、私達じゃ、毎日水桶を持って山一つ越えるなんて、体力的に無理だわ。村の男の人たちに、運んできてもらおうよ。それで、泉の場所を教えてあげたお礼として、水を分けてもらうの」
名案のつもりで言ったが、結局その日、姉は頷いてくれなかった。
けれど、その翌朝、村の手伝いとやらを終えて帰ってきた姉が、ふと言い出した。
「アレクシア、私達、これからはヴァルド族だって名乗るのよ。村の連中が、言ってたの。昔、この近辺の山には、ヴァルド族っていう不思議な一族が棲んでいたんだって。そいつらは、どんな遠くの景色でも、未来すら見通せる目を持っていたらしいわ」
珍しく、興奮したように語る姉に、アレクシアは首をかしげた。
「でも私達、未来なんて見えないわ。遠くの景色だって、時々夢みたいに頭に浮かぶだけだもの。どうしてそんな嘘をつかないといけないの?」
問うと、姉はいつものように、苛立たしそうな顔になった。
「いいから、言うことを聞きなさい。あんたは黙って、私に従っていればいいの。何にも出来ないくせに、一丁前に文句ばかり言うんじゃないわよ」
「…………」
怒ったトリーシアには、何を言っても負けてしまうので、言う通りにするしかなかった。
実際に、姉がヴァルド族の末裔を名乗り、泉の在処を村人たちに教えたところ、彼らの自分達を見る目が明らかに変わったので、余計に文句のつけようがなくなってしまった。
トリーシアのついた嘘のお陰で、村人たちが、自分達を神聖な一族として敬うようになったのだ。
異端だの、気持ち悪いだの、指を差されて貶されることもなくなった。
蒼い瞳も髪も、特別なものだと噂され、村人たちは、トリーシアの出任せを予言だと信じ、「ありがとう」とお礼を言うようになった。
前の村では、眼の力のことを話したら石を投げられたのに、伝え方一つでこんなに待遇が変わるなんて、なんだか奇妙な気分だった。
トリーシアは、穏やかでのんびりしていた母に比べて、頭の回転も速い女だったから、生き方が上手なんだろう。
そんな彼女に従っていれば、きっと自分も生き延びられる。
そう思う一方で、やはりアレクシアの心には、村人たちを騙している罪悪感が、日に日に募っていっていくのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.162 )
- 日時: 2019/07/24 20:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ある日、アレクシアは、トリーシアに言った。
「ねえ、もうやめようよ。私達、予知なんてできないんだし、これ以上はったりを言い続けても、ばれるのは時間の問題よ。ヴァルド族だなんて嘘をついていたことが知られたら、私達、どんな目に遭わされるか分からないわ。泉の場所を教えたのは事実なんだし、今、正直に言って謝れば、村の人たちも許してくれるよ」
素直に不安を打ち明けたが、トリーシアは、相変わらずの刺々しい口調で返事をした。
「そんなの、ばれなきゃいい話じゃない。あんたは、前の惨めで汚ならしい生活に戻りたいって言うの? 私は嫌だわ。地面を這いずって必死に生きていくなんて、もうこりごりよ」
「そりゃあ、以前の暮らしは苦しかったけど……」
反論しようとすると、案の定、姉は声を荒げた。
「うるさいわね! 大体、あんたの考えは都合が良過ぎるのよ! 正直に言って謝れば、許してくれる? そんなわけないじゃない。どこまで馬鹿なの? 私達、もう引き返せないところまで来てるのよ。分かるでしょう? 私達はヴァルド族で、村を救った英雄! この嘘で生き永らえてるの。それが真実よ!」
アレクシアは、泣き出しそうになりながら、強く言い返した。
「それなら、姉さん一人でやってよ! そもそも、最初から正直に泉の場所を教えていれば、村の人達とも仲良くなれて、胸を張って生きていけたかもしれないでしょ! 姉さんが村の人を騙そうなんて言うから、こんな、後ろめたい気持ちで暮らさないといけなくなったんじゃない。もう私を巻き込まないでよ!」
トリーシアは、アレクシアの頬を平手打ちした。
「そうやって能天気に、正直に生きた結果が母さんでしょ! なに、あんたは母さんみたいに死にたいわけ? 石を投げられて、家まで燃やされて、最期まで蔑まれながら野垂れ死にたいっていうの? 私達はね、異端なのよ。異端な上に、無力で弱いの! 助け合いだの何だのとほざいて、どれだけ善良に、正直に生きたって、結局糞虫みたいに泥にまみれて、踏みつけられながら生きていくしかないのよ。だから、すがれるものにはすがって、利用できるものは全部利用して、そうやってのし上がっていくしかないの!」
頬を押さえて、涙目で睨んでくる妹に、トリーシアは怒鳴り続けた。
「後ろめたいって、誰に対して言ってるのよ? 頭の悪い、この村の人間? それとも、存在しない神でも信じてるわけ? そんな役立たずから見返りを求めてる暇があるなら、水の一杯でも汲んできなさいよ! 自分達の力で踏ん張らなきゃ、私達簡単に死ぬの! 馬鹿な母さんみたいにね!」
「……っ」
そんな言い合いをした日以降、アレクシアは、トリーシアと口をきかなくなった。
自分だって、辛い日々を一緒に乗り越えてきたのだから、姉の考えだって少しは理解できる。
ただ、彼女のやり方はあまりにも汚いから、それは間違っているんじゃないかと、意見を述べただけだ。
それなのに、姉はいつだって聞いてくれない。
頭ごなしに怒鳴り返してくるばかりで、挙げ句、一生懸命自分達を育ててくれていた母まで貶す始末だ。
姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。
だから、自分以外のことは、本当にどうなったって良いと思っているのだろう。
妹であるアレクシアのことだって、邪魔なごく潰しくらいにしか思っていないのかもしれない。
その日から、アレクシアは、姉のことが大嫌いになった。
そんな姉に天罰が下ったのは、茹だるような、暑い夏の夜だった。
突然、数人の男たちが家に押し入ってきたかと思うと、男たちが、抵抗する姉に刃を突き立てたのだ。
頭を殴られ、気絶していたアレクシアが目を覚ました頃には、姉は血塗れになって、部屋の隅に倒れていた。
まだ微かに息はあったが、彼女の両の眼球は、男たちが抉りとっていったらしい。
トリーシアの眼窩(がんか)には、ぽっかりと暗い闇が広がっていた。
「……神、様……」
姉の乾いた唇から、吐息のような声が漏れている。
殴られて、鈍く痛む頭を押さえながら、どうにかトリーシアの元まで這いずると、彼女は、繰り返し何かを呟いていた。
「……神、様……助けて、助けて、ください……。どうか、妹だけは、助けて……ください……」
手を伸ばしても、もう感覚などないのか、姉は反応しなかった。
ただ、壊れたかのように、同じ言葉を、何度も何度も紡いでいた。
「全部……私です。村の人達を、騙した、のも、盗みを、したのも、全部……汚いのは、私です……」
「…………」
「悪いのは、私です……。罰なら……私が、受けます……。妹は、関係、ありませ……」
いつも気丈だった姉の、掠れて弱々しい声。
アレクシアは、それをただ呆然と聴いているしかなかった。
悔しくて、涙が出た。
悲しくて、苦しくて、恥ずかしくて──いろんな感情がごちゃ混ぜになって、涙が止まらなかった。
もう私を巻き込まないでよ、なんて、どうしてあんなことが言えたのだろう。
母が死んだ後、ずっと周囲を蹴散らして引っ張りあげてくれていたのは、姉だったのに。
彼女が選ぶしかなかった選択肢を、ただ呆然と見つめて「それは汚いやり方だ」と罵っていた自分が、ひどく情けなかった。
「妹は……妹は、正直な、優しい子です。だから、どうか、妹だけは……」
トリーシアの唇は、やがて、動かなくなった。
古の時代に存在したとされる、ヴァルド族の力を持った娘だと、トリーシアの名は近隣の村々にまで届いていた。
そんな彼女の不思議な能力に目をつけたある魔導師が、特殊な魔導人形を作るために、姉の目を奪っていったのだと。
そんな事の顛末を知ったのは、何年か後のことであった。
そして、家の場所を知らせ、自分達姉妹を売ったのが、金に目が眩んだ、村人たちだったということも。
姉は性格が悪くて、日頃の行いも悪かったから、天罰が下ったのだろう。
母のような間抜けな人間は切り捨てるし、姉のような汚くて残酷な人間にも、勿論容赦はしない。
もし、神様がいるならば、きっとそれは、そういう存在だ。
「……神様は、いないんでしょう?」
アレクシアは、姉の手を握った。
姉の手は、石のように硬く、氷のように冷たかった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.163 )
- 日時: 2020/03/13 21:51
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
†第四章†──理に触れる者
第二話『蹉跌』
春前になると、正規の魔導師へと昇格した同期たちは、正式に任務地を告げられた者から、順にシュベルテを旅立っていった。
新人魔導師は、基本的に遠隔地へと回される場合が多い。
しばらくは、地方で常駐魔導師としての仕事をこなし、その手腕次第で、シュベルテやハーフェルンといった、大都市勤務の魔導師に出世できるのだ。
トワリスは、春になっても任務地を言い渡されていなかったので、王都周辺を管轄区とする、中央部隊での勤務になる可能性が高かった。
元々、王都アーベリトでの勤務を希望していたので、いよいよそれが叶うのではないかと、内心浮かれていた。
勿論、必ずしも希望が通るわけではないことは分かっていたが、他にアーベリトに行きたがっている新人魔導師がいるとは聞いたことがなかったし、成績上位者でもあったので、望みは十分にある。
本当は、無事に正規の魔導師になれた旨を、サミルやルーフェン、リリアナたちに手紙で報告しようと思っていたが、アーベリト勤務になって皆を驚かせたかったので、書かなかった。
(そういえば、サイさんはどこの勤務になるだろう……)
その日、午前中の訓練を終え、共同の食堂で昼食をとっていたトワリスは、ふと、卒業試験を共に乗り越えた、サイの顔を思い浮かべた。
今まで同期の魔導師たちとは、足並みを揃えて生活していたが、卒業試験が終わると、それぞれの進路に向けて慌ただしく準備を始めないといけないので、訓練への参加は絶対ではなかった。
それだけではなく、中には休暇をとって、遠方の実家に帰る者もいた。
言わば、ほとんど休みなしで鍛練を重ねてきた訓練生たちへの、ご褒美期間と言えるだろう。
卒業試験後は、そういった自由が、唯一認められているのだ。
サイも、訓練には顔を出していなかったので、もしかしたら、里帰りなどしているのかもしれない。
彼もまた、トワリスと同じく、まだ正式な勤務地は決まっていないようであったから、今後中央部隊に呼ばれる可能性が高いだろう。
ラフェリオンの一件があったせいで、最優秀者には選ばれなかったものの、サイは、成績だけで言えば、入団してから常に首席を取り続けてきたような新人だ。
彼ならば、希望なんて出さなくても、中央部隊から直々に呼ばれたって何らおかしくはない。
あるいは、魔術が好きなようだから、研究分野に着手するのも向いているかもしれない。
どんな道を行くことになっても、サイなら、手際よく仕事をこなしてしまうんだろう。
卒業試験の間、行動を共にして改めて感じたが、サイは本当に聡明で、優れた洞察力を持っていた。
普通は気づかないような、どんな些細な変化も見逃さないし、それらの情報から導き出される策は、どれも隙がなく、様々な事態が想定されたものだった。
話せば話すほど、彼には敵わないな、と何度も思わされたし、それでいて、不思議と嫉妬の念が湧かないのも、サイの魅力の一つなんだろう。
サイは、天性の才覚を持ちながら、嫌みのない、過ぎるほど謙虚な性格をしている。
だからこそ、純粋に尊敬できるし、羨望の眼差しを向けられることはあっても、妬む者はいないのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.164 )
- 日時: 2019/07/28 18:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ae8EVJ5z)
悩んだ末に、トワリスは、サイを訪ねてみることにした。
故郷に戻っているのだとしたら、諦めるしかないが、訓練に出ないのは、別の理由があってのことかもしれない。
トワリスも、いずれシュベルテを離れることになるだろうから、その前に、別れの挨拶くらいはしておきたかった。
食堂から出ると、トワリスは、早速男子寮の方へと向かった。
トワリスが寝起きしている自室は、訓練場のある本部の一角を間借りしていたが、男は人数が多いので、別の棟を宿舎として暮らしている。
一人部屋ではなく、何人かで一つの部屋を使っているようなので、扉を叩いて、サイ以外の同輩が出てきたらと思うと、少し緊張した。
だが、アレクシアも男子寮には何度も行ったことがあると言っていたので、トワリスが訪問したからといって、咎められることはないだろう。
石造で頑強な魔導師団本部に比べ、男子寮は、古臭い木造建築であった。
踏む度にぎいぎいと音を立てる廊下や、漂う汗や砂が混じったような臭いが鼻をつくと、なんとなく、孤児院にいたときのことを思い出す。
来たのは初めてであったが、どことなく既視感のある光景に、トワリスは、ふと懐かしさを覚えたのであった。
遠方での勤務が決まった者や、休暇を堪能している者が不在なので、男子寮は、部屋数の割に人の気配が少なく、静かだった。
とはいっても、換気のために開かれた廊下の窓からは、城下の人々の声が、騒々しく聞こえてくる。
昼時で、今日は天気も良いので、市場が賑わっているのだろう。
アーベリトにいた頃は、周囲が森に囲まれていたので、虫の鳴き声や鳥の囀りがよく耳に入ってきていたが、 シュベルテは建物ばかりで、人も多いので、常に人の声が聞こえていた。
サイの名前が入った金属板がかかった部屋を見つけると、トワリスは、一つ呼吸をしてから、扉を叩いた。
幸い、中からは人の気配がしたし、サイと新しい墨の匂いもしたので、彼が部屋の中にいるということは、確信していた。
しかし、二度扉を叩いても、声をかけてみても、一切反応がない。
都合が悪かったのだしても、返事くらいはするはずなので、どうにも様子がおかしい。
訝しんだトワリスは、躊躇いつつも、思いきって扉の取っ手に手をかけた。
勿論、無断で人の部屋に侵入しようなんて思ってはいないが、いるはずなのに反応がないなんて、万が一ということが考えられる。
取っ手を回せば、がちゃり、と音がして、扉が開いてしまう。
拳一つ分ほど押し開いて、中を伺ったトワリスは、目の前の光景にぎょっとした。
部屋の中に並ぶ、複数の寝台の隙間に、サイが倒れ込んでいたのだ。
「サイさん……!?」
思わず叫んで、トワリスは部屋へと踏み込んだ。
駆け寄って抱き起こしてみれば、サイの口からは、すう、すう、と寝息が聞こえてくる。
呼吸はしており、どうやらただ眠っているだけのようなので、トワリスは、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。
しかしながら、その顔面は真っ青で、目の下には色濃い隈が刻まれている。
最後に会った時とは比べ物にならないくらい、窶(やつ)れたサイの姿に、何があったのかと動揺せざるを得なかった。
(とにかく、医術師を呼ばないと……!)
取り急ぎ、サイを寝台に引っ張りあげ、毛布をかける。
そうして、立ち上がって初めて、トワリスは、この部屋の異常さを認識した。
文机の周辺を中心に、足の踏み場もないくらい、紙や魔導書が床に散乱していたのである。
(これは、医療魔術の魔導書……?)
ふと足元にあった一冊を拾い上げ、中身を開いてみる。
よほど熱心に勉強していたのか、散らばっている紙にも、目が痛くなるほどびっしりと、古語が書き連ねられていた。
共同部屋なので、暮らしていた人数分の寝台と、大きな文机が一つ、部屋の隅に設置されている。
しかし、一通り辺りを見回してみたが、部屋にはサイしかいないようなので、この紙と魔導書の山は、どうやら彼が散らかしたものらしい。
一心不乱に勉強していたのだとしても、これはあまりにも異様な散乱具合である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.165 )
- 日時: 2019/07/30 18:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
とりあえず、今は医務室に行こうと、持っていた魔導書を文机に置こうとしたとき。
不意に、目の端で何かがきらりと光った。
文机の下に落ちていたそれを、何気なく拾ったトワリスは、思わず目を疑った。
落ちていたのは、“回れ”の術式が刻印された、青い硝子玉の欠片──破壊されて飛び散ったはずの、偽ラフェリオンの眼球だったのである。
大きく目を見開いて、トワリスはサイの方を見た。
何故、サイがこれを持っているのだろう。
偽ラフェリオンを破壊したあと、その残骸を集めたが、青い眼球は見つからなかった。
術式を解除したときに砕け、屋敷の崩壊に巻き込まれて散ってしまったのだろうと、皆でそう結論付けて、諦めたはずなのに──。
硬直したまま、サイから目を反らせずにいると、不意に、サイの身体がぴくりと動いた。
小さく呻き声をあげながら、身を起こしたサイが、ゆっくりと目を開く。
しばらくは、夢と現の間をさまよっているような顔で、トワリスを見つめていたが、やがて、はっと瞠目すると、サイは寝台の上から飛び退いた。
「ト、トワリスさんっ!?」
大声をあげるのと同時に、寝台から転げ落ちて、腰を打ち付ける。
痛みに悶絶しながらも、ふらふらと立ち上がったサイは、目を白黒させながら、トワリスに向き直った。
「えっ、あの……トワリスさん? トワリスさんが、どうして私の部屋に……?」
混乱した様子で、サイはきょろきょろと部屋を見回している。
トワリスは、咄嗟に青い眼球を懐に隠すと、小さく頭を下げた。
「……勝手にお邪魔してしまって、すみません。最近訓練場にも全然いらっしゃってなかったので、お部屋を訪ねて来たんですけど、扉が開いていて……。中を覗いたら、サイさんが倒れていたので、つい」
サイは、未だ状況が飲み込めていないような顔で、ぼーっとトワリスを見つめている。
しかし、ややあって、扉の方を一瞥すると、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あっ、そっか……昨夜食堂に行って帰ってきてから、そのまま扉を開けっ放しにしていたのかもしれません。ご迷惑おかけしてしまって、申し訳ないです……」
トワリスは、怪訝そうに眉を寄せた。
「昨夜? 昨夜は食堂やってませんでしたよ。食堂長が、肩痛めたとかで……」
「えっ……」
サイは、ぱちぱちと瞬くと、首をかしげた。
「……トワリスさん、今日何日ですか?」
「八日、ですけど」
答えると、サイは驚いた様子で声をあげた。
「八日!? そんな、もう三日も経ってたのか……」
「……まさか、三日間何も食べてないんですか?」
そうみたいです、と頷いたサイに、トワリスは、思わず口元を引きつらせた。
トワリスも、集中して勉強していたら朝になっていた、くらいの経験はあるが、三日も寝食を忘れるなんて、道理で倒れるわけだ。
日にちの経過に気づかないほど熱中していたなんて、集中の度を越している。
慌ててサイを寝台に座らせると、遠慮する彼を振り切って、トワリスは食堂に行き、粥と蜂蜜湯を用意してもらい、再びサイの元に戻った。
医務室に駆け込もうとも思ったが、ひとまず話せるくらいの体力はあるようなので、飲み食いさせるのが優先だと考えたのだ。
食事を終え、幾分か顔色のましになったサイは、蜂蜜湯を啜りながら、何度もトワリスに謝罪した。
「……す、すみません、何から何まで……。部屋が一緒だった同期は、みんな任務地が決まって出ていってしまったものですから、どうにも周りのことに気が回らなくて……」
言いながら、気の抜けるような笑みを浮かべるサイに、図書室で昼夜問わず書類とにらめっこをしていた、銀髪が思い浮かぶ。
それにしても、サイは自己管理までしっかり出来ていそうな印象だったので、不摂生が祟って倒れるなんて、少し意外だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.166 )
- 日時: 2019/08/02 19:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 6kBwDVDs)
トワリスは、呆れたように肩をすくめた。
「本当ですよ……たまたま私が来たから良かったものの、このまま誰も部屋を訪ねてこなかったら、どうするつもりだったんですか。全く、何をそんなに夢中になってたんだか……」
「重ね重ね、すみません……。その、魔導書を読んでいたら、昔から周りが見えなくなる質でして」
項垂れるサイを睨んで、それから、荒れた文机を一瞥する。
トワリスは、真剣な面持ちになると、探るような目でサイを見た。
「……魔導書って、医療魔術に関する勉強をしてたんですか? ここ数日間、ずっと?」
トワリスからの、疑念の眼差しに気づいたのだろう。
サイは、少し戸惑ったように目線をそらすと、曖昧に首肯した。
「えっと、はい……まあ、そんなものです。ちょっと、色々気になることが出来てしまって……」
あはは、と乾いた笑みを浮かべ、誤魔化そうとする。
トワリスは、一度躊躇ってから、懐に隠していた青い硝子の眼球を取り出すと、それをサイに見せつけた。
「……気になることって、これが関係してるんですか?」
瞬間、サイの目の色が変わる。
飛び付くように文机の下の紙の山を漁り、振り返ると、サイは引ったくるようにして、トワリスの手から青い眼球を奪った。
微かに呼吸を乱して、サイは、守るように青い眼球を握りこんでいる。
トワリスは、表情を険しくすると、鋭い声で尋ねた。
「どうしてそれを、貴方が持っているんですか? あの時確かに、飛び散って瓦礫に紛れちゃったんだろうって、サイさんも言っていましたよね? ……嘘ついて、隠し持っていたんですか?」
「…………」
サイの額に、じっとりと汗が流れる。
射抜くような視線を向けてくるトワリスに、サイは、身体を細かく震わせながら答えた。
「……結果的に、トワリスさんやアレクシアさんを騙してしまったことは、本当に申し訳ないと思ってます。でも、誤解しないでほしいんです。別にお二人を欺こうとか、そういう意図はなくて、ただ私は、どうしても、ハルゴン氏の造形魔術について知りたくて、この眼球を持ち帰ったんです……」
そう言って、顔をあげたサイの表情を見て、トワリスはぞっとした。
サイは、具合が悪くて震えているわけでも、トワリスに嘘がばれたから、怯えて震えているわけでもない。
ただ、興奮して震えているのだ。
青い眼球を大切そうに胸元で握り直すと、サイは続けた。
「だって、素晴らしいと思いませんか……? 偽物のラフェリオンは、結局操られていただけでしたけど、あの本物のラフェリオンは、自らの意思で動いていたんです。あんな、あんな、本物の人間みたいに……。……いえ、人間ですよ、あれは。死体と死体を繋ぎ合わせて、ハルゴン氏は、一人の人間を作り出したんです。命を作ったんですよ! でも、ハルゴン邸にあった魔導書にも、ラフェリオンのついて詳しいことは書かれていませんでしたし、一体どうやって作ったのか、検討もつかないんです。どんな魔術を使ったのか……どうしても、知りたいんです。私が、この手で……!」
サイの緑色の瞳が、爛々と光り出す。
いつも穏やかなサイからは想像もできないような、高ぶった口調に、トワリスは何も言えなくなった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.167 )
- 日時: 2019/09/19 22:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ミシェル・ハルゴンが使ったのは、命を操る禁忌魔術だ。
その行使を強制された彼が、ラフェリオンの制作過程など記録して残しているはずはないし、事件の真相を知るはずの前団長、ブラウィン・エイデンとその一派も亡き者になった以上、その方法を探る手立てはないはずである。
というより、探ってはいけないのだ。
禁忌魔術は、使用は勿論、研究することも禁止されている。
絶句するトワリスの腕を強く掴んで、サイは言い募った。
「トワリスさん、もう一度、一緒にラフェリオンに会いに行きませんか……? あの時は、アレクシアさんのこともありましたし、私も混乱していたので、思い切れなかったんです。でも、やはり諦められません。別に、破壊しようというわけじゃないんです。ただ、ラフェリオンに会って、どんな魔術が施されているのか、調べたいんです……!」
ぐっと腕を握る手に力を込められて、トワリスは、痛みに顔を歪めた。
抵抗しても、びくとも動かない、凄まじい力だ。
「──っ、離して下さい……っ」
トワリスは、空いている方の手でどうにかサイを突き飛ばすと、なんとか腕を振りほどいた。
心臓が激しく脈打って、掴まれていた手首が、じくじくと痛む。
伸びてくる人の手が恐ろしいと思ったのは、久々であった。
よろけたサイは、我に返った様子でトワリスを見ると、慌てて口を開いた。
「す、すみません、痛かったですか?」
赤くなったトワリスの手首を見て、サイが心配そうに眉を下げる。
トワリスは、近づいてきたサイから、一歩距離をとった。
「……どうしたんですか、サイさん。……ラフェリオンは、禁忌魔術によって作り出されたんですよ……? 私たちが、これ以上手を出していいことじゃないんです」
サイの瞳に、一瞬、暗い陰が落ちる。
サイは、残念そうに一つ吐息をこぼして、うつむいた。
「……手を出しちゃいけないなんて、そんなことは、先人が決めたことでしょう? 古い掟に、いつまで縛られなければならないんです? 勿論、ブラウィン・エイデンのように、使用を他人に強制するなんて、そんなことはあってはならないと思います。でも私は、禁忌魔術には、いろんな可能性が秘められていると思うんです。ここ数日、様々な文献に目を通しましたが、どの専門書にも、禁忌魔術については書かれていませんでした。……それが、むしろ興味深い。禁忌魔術とは、一体何なのか。知りたくて知りたくて、夜も眠れません。確かに、代償が伴う魔術もあるでしょう。しかし、それらの危険性も含め、理解した上で行使できる魔導師がいるなら、使うことは愚か、調べることも禁止するなんて、そんな極端な真似をしなくても済むんじゃないでしょうか」
一枚、また一枚と、散らばっている紙を手にとっては、落としていく。
サイは、口元を歪めて、薄ら笑いを浮かべた。
「ハルゴン氏は、一人の人間を魔術で生んだ。人間は、魔術で生物を作れるんですよ、トワリスさん。彼に出来たんです、私にだって、出来る可能性はあると思いませんか……?」
ぞわりと、全身に鳥肌が立った。
サイは、禁忌魔術の絶大な力に、酔っている。
その感覚は、トワリスにも覚えがあったからこそ、サイの取り憑かれたような言葉が、冷水のように胸に染みこんできた。
五年ほど前、孤児院で出会ったリリアナの脚を治せないかと、魔術を探していた時。
トワリスも、一度だけ禁忌魔術を使ったことがあったのだ。
枯れたはずの押し花を、生花に蘇らせる魔術──命を操る魔術を使ったのである。
無知であったが故に行使してしまい、後々冷静になって、後悔した。
しかし同時に、強力な魔術を使えたということに喜びを感じ、酔いしれたのも、また事実であった。
あの時の、狼狽と愉悦が混じったような奇妙な感覚は、今思い出しても、吐き気がする。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.168 )
- 日時: 2019/08/10 05:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスは、自らを奮い立たせるように拳を握ると、サイに問うた。
「……仮に出来たとして、どうするっていうんです? 魔術で命を作って、サイさんは、一体何がしたいんですか……?」
サイの瞳が、微かに揺れる。
胸を打たれたように、大きく目を見開くと、サイは、長い間黙りこんでいた。
しかし、やがて魂が抜けたように息を吐くと、ぽつりと答えた。
「……そこまでは、考えてませんでしたね」
「…………」
内心ほっとして、トワリスは、肩の力を抜いた。
きっとサイは、本当にただの知識欲で、禁忌魔術に執着しているだけなのだろう。
悪用しようとか、そんなつもりはないのだ。
そうだと、信じたかった。
トワリスは、サイの目の前に手を出すと、毅然とした態度で言った。
「……青い眼球、渡してください。今更上層部に提出して、ラフェリオンの件を掘り返すのも嫌なので、アレクシアに渡します」
「…………」
サイはつかの間、迷った様子で黙りこんでいた。
しかし、やがて緩慢な動きで手を伸ばすと、トワリスに青い眼球の欠片を渡してきた。
偽物のラフェリオンには、結局禁忌魔術は関わっていなかったわけだから、こんなものを取り上げたって、あまり意味はないのだろう。
けれど、サイがトワリスたちを欺いてまで手に入れたこの硝子玉を奪うことが、少しでも彼の禁忌魔術への執着を削ぐことになるなら、それでいいと思った。
サイは、玩具を没収された子供のような顔で、床の一点を凝視している。
トワリスは、サイが食べた後の食器類を重ねながら、沈んだ声で言った。
「……サイさん、疲れてるんですよ。ちゃんと寝てください。医務室にも、後で行ってくださいね」
サイは、返事をしない。
トワリスは、食器と盆を持つと、そのままサイから逃げるように扉へと向かった。
「それじゃあ、お邪魔しました。……お大事に」
振り返ることもせずに、足早に部屋を出る。
それからは、廊下を駆けるように歩いたことも、食堂に行って盆と食器を返したことも、トワリスは、よく覚えていなかった。
自室に戻り、一人になってようやく、激しい恐怖が込み上げてきた。
嘘をつかれていたことも悲しかったが、それ以上に、サイは一体どうしてしまったんだろう、という動揺が、心を支配していた。
元々、彼は魔術に対する探求心が強かったから、ラフェリオンに深い興味関心を抱いていることは、知っていた。
しかし先程のサイは、明らかに卒業試験時と比べ、様子がおかしかった。
今までは、純粋に魔術に憧れて、きらきらと瞳を輝かせる子供のようだったのに、今日のサイは、途中から、まるで何かに心を乗っ取られたかのように見えた。
とはいえ、トワリス自身がどうすれば良かったかなんて、分からない。
止めたって聞いてくれる様子はなかったし、本音を言うと、深追いする勇気もなかった。
知らずに禁忌魔術を使い、喀血した幼少の頃の記憶が、今でも脳裏にこびりついているからだ。
だからといって、上層部にサイのことを報告するなんて、したくなかった。
上層部が介入すれば、サイを止められることはできるかもしれない。
だが、訓練にも出ず、サイが一心不乱に禁忌魔術に手を染めようとしていた、なんてことを上層部に知らせたら、これまでのサイの努力は、泡になって消えてしまうだろう。
短い期間ではあったが、彼は苦楽を共にしてきた同輩であり、気の合う友人だ。
少なくともトワリスは、そう思っている。
そんなサイの未来を、己の手で潰すなんて、トワリスにはできなかった。
どうにも気分が落ち着かず、目を閉じて、サイのことを考えていると、不意に、ぱさりと物音がした。
扉の郵便受けに、一通の手紙が投げ込まれている。
寝台に座って、ぼんやりと扉の方を見つめていたトワリスは、いつもならすぐに開封する手紙を、郵便受けから取りにいくこともしなかった。
手紙は、きっとリリアナからだろう。
検閲の厳しい魔導師団の本部宛に、しかもトワリス相手に手紙を送ってくる人なんて、彼女くらいしか思い付かない。
今は、手紙を読んで、明るい気持ちで返事を考える気にもなれなかったので、トワリスは、再び寝台の上で物思いに耽っていた。
しかし、ふと立ち上がると、まさか、という思いで、手紙を受け取りに行った。
手紙の正体に、リリアナの他にもう一つ、心当たりがあったのだ。
郵便受けを開き、中から手紙を出す。
それが、リリアナがいつも送ってくる、可愛らしい柄の便箋ではないと気づいたとき、トワリスの鼓動が、どくりと跳ね上がった。
それは、本部から送られてきた、辞令書だったのである。
本来は、上官から面と向かって勤務地を言い渡された後に、正式な辞令書を受け取る場合が多いのだが、何か行き違いでもあったのだろうか。
どうやら、呼び出しをされる前に、辞令書が届いてしまったらしい。
そこに書かれている勤務地が、アーベリトであることを祈って──。
トワリスは、封筒を開いたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.169 )
- 日時: 2019/09/19 22:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
* * *
身体にまとわりつくような、霧雨が降る。
定期便の馬車の窓から、水で溶かしたように滲む山々の輪郭を眺めて、トワリスは、何度目ともわからぬため息をついた。
同じ馬車に乗り合わせた客たちも、心なしか、疲れたような表情で、一様に俯いている。
トワリスもまた、例外ではなく、まるで自分の心情を表したかのような鬱屈とした空模様に、気分が沈むばかりだった。
一月ほど前、届いた辞令書に記されていた勤務地は、念願のアーベリト──ではなく、ハーフェルンであった。
ハーフェルンは、旧王都シュベルテの北東に位置する、巨大な港湾都市である。
海に面し、船舶の停泊に適していることから、交易市場として発達しているこの街は、特に、現在の領主、クラーク・マルカンが治めるようになってからは、正式にアーベリト、シュベルテと協力関係を結んだこともあって、一層活気を増し、サーフェリア随一の物流量を誇る大都市となっていた。
卒業して早々、ハーフェルンに配属されるなんて、普通なら喜ぶべきことであった。
規模としてはシュベルテの方が大きいとはいえ、ハーフェルンには、軍事都市にはない華やかさがある。
中にはシュベルテよりも、ハーフェルンに配属されたいと希望する新人魔導師だって、少なくはなかっただろう。
しかもトワリスは、単なる常駐魔導師として、ハーフェルンに配属になったわけではない。
なんと、領主であるクラーク・マルカンから、娘のロゼッタの専属護衛になってほしいと、直々に指名されたのである。
魔導師一年目の新人としては、これほど名誉なことは他にない。
それでもトワリスは、ハーフェルンへの配属が決まってから、ずっと悲しみに暮れていた。
魔導師を目指したのも、良い成績を取ろうと努力したのも、全てはアーベリトを支えられるような人間になるためだったからだ。
なまじ、サミルやルーフェンと暮らした経験もあって、アーベリトは自分を受け入れてくれるだろう、なんて期待を持ってしまっていたから、余計に打撃が大きかった。
専属護衛に指名されるなんて、予想外のことであったので、それがどれくらい拘束力のあるものなのかは、まだ分からない。
しかし、少なくとも、あと二、三年くらいはハーフェルンにいることになるだろう。
仕事なのだから、いつまでも不貞腐れていてはいけないと言い聞かせながらも、アーベリトに近づくどころか、遠ざかってしまったと思うと、心が重く沈むのであった。
(……お母さんは、元々ハーフェルンに流れ着いたんだよね)
しとしとと降る雨垂れの音を聞きながら、トワリスは、ふと顔も浮かばぬ母を想った。
約二十年前、ミストリアから海を渡ってきたであろう獣人たちは、元はハーフェルンに漂着したのだ。
ハーフェルンは、奴隷制を敷いている街である。
故にトワリスの母親たちも、物珍しさからハーフェルンの奴隷商に捕らえられ、各地に散って、やがて死んだのだ。
シュベルテを含め、奴隷制を認めていない街も多く存在するが、それでも、人身売買を始めとする不正な取引など、どこにでも存在するものだ。
オルタという残酷絵師も、元はシュベルテの人間だったようなので、そういった闇取引でトワリスを買ったのだろう。
そう思えば、死ぬ前にアーベリトにたどり着いたトワリスは、とても幸運だった。
あの時、地下から逃げ出して、建物の骨組みの中で雨風を凌いでいなければ、ルーフェンたちが、トワリスを見つけてくれることはなかった。
仮に誰かに保護されたとしても、それがサミルやルーフェンではなかったら、きっと結果は違っていたはずだ。
散々噛みついて、迷惑をかけて、挙げ句自ら買主の元に戻った汚い小娘を、追いかけて再び助けてくれる人なんて、この世に一体どれくらいいるのだろう。
何か一つでも状況が違えば、あのまま地下で嬲り殺されていても、おかしくはなかったのだ。
あの時、あの場所で、手を取ってくれたのがサミルとルーフェンだったから、今の自分がある。
そう考えると、アーベリトでの出会い一つ一つが、改めて愛おしく思えた。
(……ハーフェルンに着いて、落ち着いたら、やっぱり手紙を書こう)
書いて、どれほど自分が貴方たちに感謝をしているのか、伝えるのだ。
サミルとルーフェンには、孤児院を出たあの頃に一通送っただけで、それ以降手紙を送っていない。
二人とも、トワリスからすれば雲の上の存在で、一介の魔導師からの手紙なんて、読んでくれるかどうかも分からない。
それでも、何かの拍子に、目にとまることがあったなら良いなと思う。
本当はアーベリトに行って、直接二人の役に立ちたかったけれど、別の街にいたとしても、あの時助けた半獣人の娘は、魔導師として頑張っているんだと、知らせたかった。
そしてその事実を、もし一瞬でも、二人が頭の片隅に置いてくれたら、それで十分だ。
トワリスは、馬車の轍がハーフェルンの街に入るまで、空を覆う一面の雲を眺めていたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.170 )
- 日時: 2019/08/12 19:05
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: e7NtKjBm)
ハーフェルンの大門をくぐると、目前に広がった景色に、トワリスは思わず吐息を漏らした。
元は丘陵地帯に建てられたのだというこの港湾都市は、入口の大門から面する海に向かって、棚田のような形状になっている。
つまり、大門を抜けると、眼下に広大な海が広がっているのだ。
思えば、こうして近くで海を見たのは、初めてだったかもしれない。
トワリスは、沈んでいた気持ちも一瞬忘れて、景色に見とれてしまった。
海だけでなく、立ち並ぶ建物の間には、巨大な運河や細かな水路が通っており、立ち働く人々が、馬車ではなく船を使って行き来していた。
この光景を、今日のような曇天ではなく、晴れ渡る空の下で見たならば、どれほど美しかったろうか。
また、家々の色調、造形も様々で、水路を横断する橋の手すり一つにも、細かな装飾が施されている。
更には、石畳に使われている石材ですら、色の違うものが規則的に当てはめられていたりと、街全体が、芸術的なこだわりを感じる造りをしていた。
これは、ハーフェルンでの勤務を希望する魔導師が、毎年多いというのも頷ける。
この街には、精強で荘厳な雰囲気漂うシュベルテとはまた違う、鮮やかな魅力があるのだった。
ハーフェルンの領主、クラーク・マルカンが住む屋敷は、大門をくぐったすぐ先に建っていた。
この街を発展させてきた侯爵家の豪邸というだけあって、敷地は、庭部分だけでも、サミルの屋敷が一つ分入ってしまうのではないかというほどの大きさである。
魔導師の証である腕章を見せ、名乗ると、玄関口で出迎えてくれた侍従たちは、恭しく屋敷の中へと案内してくれた。
予想通りと言うべきか、マルカン邸は内装も派手で、屋敷の至るところに、いかにも高級そうな調度品や装飾品が並んでいた。
長廊下の左右の壁には、巧緻な額縁に入れられた絵画が並び、床に敷かれた分厚い絨毯には、金が織り込まれているのか、角度によって、きらきらと光って見える。
小汚ない旅装をしている自分が、この屋敷内を歩いていると、どうにも場違い感が否めなかった。
客間の前で、侍従たちが両脇から大扉を開けると、奥からきらびやかな光が溢れてきた。
天井からは、沢山の蝋燭を乗せた巨大なシャンデリアが吊り下がり、壁にかかった燭台は、珍しい色硝子製で、ちらちらと炎の光を反射しては、色の変わる影を落としている。
初仕事なので、毅然とした態度で臨もうと思っていたのに、ハーフェルンに来てから、珍しい品々や景色に目移りしてばかりだ。
部屋の中央には、大きな食卓があり、豪華な料理が並べられていた。
上座には、この屋敷の主であるクラーク・マルカンが、そして下座には、トワリスが護衛をすることになる、娘のロゼッタが腰かけている。
杯を片手に持っていたクラークは、案内役の従者たちが部屋から出ていくと、呆然と突っ立っているトワリスを見て、鷹揚に微笑んだ。
「よく来てくれたね。さあ、こちらにおいで。長旅で疲れたろう。食事も君のために用意したんだ」
整えられた口髭を撫でながら、クラークが言う。
トワリスは、その場に荷物を下ろすと、片膝をつき、手を合わせて礼をした。
「この度は、お引き立て賜り、誠にありがとうございます。ロゼッタ様の護衛役を拝命致しました、トワリスと申します。以後、よろしくお願い申し上げます」
強張った口調で挨拶をすると、クラークの下手にいたロゼッタが、鈴のような声で笑った。
「そんなに畏まらなくても良くてよ。私達、これから一緒にいることが多くなりますもの。遠慮はしないで、どうぞお掛けになって」
促されるまま顔をあげ、トワリスは、示された席に座る。
するとロゼッタは、上品に口元を覆って、ふふ、と顔を綻ばせた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.171 )
- 日時: 2019/09/19 22:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
思いの外、二人が気さくな態度だったので、ほっとした反面、緊張は全く解けなかった。
見たこともないような豪邸で、高価そうな調度品、料理に囲まれ、目があった従者たちは皆、深々と頭を下げてくる。
そんな状況で、君のために食事を用意したんだ、なんて言われても、全くもって喉を通る気がしなかった。
クラークたちは、本当に歓迎してくれているつもりなのかもしれないが、仮にも侯爵家の当主が、たかが新人魔導師一人に席を設けるなんて、聞いたことがない。
それほど期待してくれているのだと思うと、嬉しくもあったが、一方で、とてつもない圧をかけられているように感じた。
それこそ、貴族出身の魔導師なら、難なくこの場を切り抜けてしまうのだろうが、トワリスは、革靴で高そうな絨毯を踏みつけることにさえ、抵抗を覚えていたくらいだ。
まさかこんなに好待遇を受けるとは思っていなかったし、礼儀作法も最低限しか知らないので、思いがけず粗相をしてしまわないかと、気が気でなかった。
クラークは、軽く杯を掲げた。
「いやぁ、君が来るのをずっと楽しみにしていたんだよ。かねがね、ロゼッタには優秀な女性の魔導師をつけたいと思っていてね。娘も今年十九になるし、婚約も決まっている身だ。何より、こんなにも愛らしいだろう? 男なんて専属でつけたら、何か間違いが起こるんじゃないかと、不安でね」
恥ずかしげもなく娘を称賛するクラークに、ロゼッタは、頬を赤くした。
「まあ、お父様ったら。人前でそんなこと言わないで。恥ずかしいですわ」
クラークは、まあいいじゃないか、とロゼッタをなだめると、陽気に笑い声をあげた。
どう反応して良いか分からず、トワリスは曖昧に微笑んで黙っていたが、自分の反応など、クラークたちは気にしていないらしい。
ロゼッタは、ぷっと頬を膨らませて父を睨んでいたが、やがて、満更でもなさそうに笑みを浮かべた。
クラークが娘を溺愛していることは、すぐに見てとれたが、実際、彼の言うことも大袈裟ではなく、ロゼッタは可愛らしい容姿をしていた。
ブルネットの緩やかな巻き髪に、長い睫毛で縁取られた栗色の瞳。
ほんのりと赤みを帯びた頬と、日焼けを知らない、きめ細かな白皙。
年の割に幼さは残すものの、優雅で淑やかな一挙一動からは、彼女の品格と育ちの良さが伺える。
口調も柔らかで、高貴な身分と言えど、近寄りがたい雰囲気はなかったので、男女問わず好かれそうな女性に思えた。
彼女の人柄は父親譲りなのか、クラークもまた、おおらかに笑う人であった。
食事の間中、ずっとマルカン家の自慢話ばかりしてくるので、返事には困ったが、トワリスからすれば、侯爵家の人間が、自分のような獣人混じりに対しても、分け隔てなく話しかけてくること自体が意外であった。
奴隷制を敷いているからとか、貧富差が激しい街だからとか、そういったことを気にして、少し身構え過ぎていたのかもしれない。
今回は、女であったことが決め手とはいえ、クラークとロゼッタは、自分の実力を見て指名してくれたのだろう。
そう思うと、一人前の魔導師への第一歩を踏み出せたのだと実感できて、純粋に嬉しかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.172 )
- 日時: 2019/08/17 20:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
夕刻まで続いた長い食事会は、大きな柱時計が四の刻を報せる頃に、ようやく終わりを迎えた。
呼びに来た侍従に応じると、クラークは、満足そうにトワリスを見た。
「おっと、もうこんな時間か。悪いね、つい話し込んでしまった。詳しい仕事内容は、明日うちの魔導師に説明させるから、ひとまず今日は休むといい。君の荷物は、部屋に運ばせてあるからね」
それだけ言うと、クラークは立ち上がって、侍従と共に客間を出ていってしまう。
休むといい、と言われても、用意してくれた部屋の場所が分からないので、案内してもらえないと動けない。
困っていると、同様に席を立ったロゼッタが、立ち去りがたい様子でトワリスに向き直った。
「貴女のお部屋は、私のお部屋のすぐ近くよ。折角だから、もう少しお話しましょう? お屋敷の説明もしたいし、魔導師団のお話とか、シュベルテのお話とか、もっと聞きたいですわ」
「は、はい!」
慌てて返事をすると、トワリスは、ロゼッタについて、侍従が開けてくれた扉をくぐった。
ようやくこの緊張状態から抜けられると、内心安堵していたのだが、どうやらロゼッタは、まだトワリスを解放する気はないらしい。
親しみやすい人柄だったとはいえ、ロゼッタは、他でもない侯爵家の息女である。
やはり、友人と世間話をするのとは、訳が違うのだ。
客間を出て、長廊下を進むその歩調にすら、ロゼッタからは、貴族の令嬢たる威厳が醸し出されているように見える。
纏う空気は柔らかなのに、背筋をぴんと伸ばし、前を見据えて歩くその姿を見ていると、改めて、彼女は自分とは住む世界が違う女性なのだな、と感じるのであった。
一通り屋敷を案内された後、トワリスは、ロゼッタの自室に通された。
広い屋敷を回ったので、高かった日は既に沈みかけていたが、ロゼッタはまだまだ話し足りないらしい。
侍従を一度下がらせ、トワリスを自室に招き入れると、今度はゆっくりお茶でもしようと言い出した。
ロゼッタの部屋は、彼女の印象に違わず、絨毯から敷物まで、全体がフリルとレースで飾り立てられているような一室であった。
部屋の中央に置かれた小さな食卓には、既に淹れたての紅茶と、焼き菓子が用意されている。
紅茶の香りと、ロゼッタの香水の匂いが入り交じって、部屋は甘やかな香りに包まれていた。
(……女の人の部屋、って感じだな……)
落ち着かない様子で辺りを見回しながら、トワリスは、ふと今までの自分の生活を省みた。
アーベリトの孤児院で暮らしていた時も、魔導師団の寮で暮らしていた時も、必要最低限の家具と日用品しかない質素な生活をしていたので、ロゼッタの部屋を見ていると、まるで物語の世界に入り込んでしまったかのような気分になってくる。
もし、可愛い小物やお洒落な装飾が好きなリリアナがこの場にいたら、声をあげて大はしゃぎしただろう。
どこか夢見心地な気分になっていたトワリスは、しゅっとマッチを擦る音で、ふと我に返った。
葉巻特有の芳香が鼻をつき、部屋に似合わぬ紫煙が、ふわりと宙を揺蕩う。
長椅子の下──屈まなければ見えない位置にある引き出しから、葉巻を取り出したロゼッタは、まるで別人のような荒々しい仕草で髪を掻き上げると、どかりと椅子に腰を下ろした。
「……貴女って、魔導師なのよね? 火をつけたりもできますの?」
不意に、ロゼッタが問いかけてくる。
しかしその声には、鈴のような甲高さはない。
突然葉巻を吸い出したロゼッタの姿に、呆然と突っ立っていると、ロゼッタは苛立たしげに長椅子の手すりを叩いた。
「ねえちょっと! 聞いてる? 火はつけられるのかって聞いてるのだけど?」
「えっ……あ、はい」
質問の内容が全く頭に入って来ない状態で、トワリスは、思わず返事をした。
声を荒げて問い詰めてくるなんて、ますますロゼッタらしくない。
先程までの、高貴でおおらかなロゼッタはどこに行ったのだろうか。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.173 )
- 日時: 2019/08/21 21:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
困惑するトワリスに、ロゼッタは満足そうに微笑んだ。
「ふーん、魔導師が身近にいると、便利ですわね。マッチって結構高いのよ。次からは貴女が火をつけてちょうだい」
指に挟んだ葉巻を見せてから、ふうっと紫煙を吐き出す。
一変した彼女の様子に、動揺を隠せずにいると、ロゼッタは鼻を鳴らした。
「なぁに、文句でもありそうな顔ね? 私が葉巻を吸っちゃいけない?」
ぎくりとして、顔を強張らせる。
トワリスは、首を左右に振った。
「い、いえ……そういうわけでは。ただ、ちょっと意外だなと」
言いながら、思わず目を反らしてしまって、自分はなんて嘘が下手なのだと呆れ果てた。
別に、文句があるわけではない。
ただ、優雅に微笑んでいたはずの侯爵家のご令嬢が、自室に戻った途端、ふんぞり返って葉巻を吸い出すなんて、誰が予想できただろう。
長椅子から立ちあがり、靴の踵をかつかつと鳴らして歩いてくると、ロゼッタは、トワリスの顔面に煙を吹き掛けた。
「……っぅぶ!」
鋭い刺激臭が鼻をつき、激しく噎せ返る。
涙を浮かべ、屈んで咳き込むトワリスを、ロゼッタは見下ろした。
「貴女とは、今後四六時中一緒にいることになるだろうから教えておくけれど、私はね、こっちが素なのよ。この部屋にいるときは、何をしようと私の自由なの。そこに口を出すことは許さないから」
きっぱりとした口調で言って、ロゼッタは、鋭い視線を投げてくる。
咳が治まらず、苦悶しているトワリスを横目に、ロゼッタは続けた。
「そもそも私は、専属護衛なんて反対だったのよ。朝起きてから寝るまで張り付いて監視されるなんて、そんなのやってられませんもの。息が詰まっておかしくなりそうですわ。しかもよりによって、来たのがど新人の小娘なんて!」
まるで虫でも払うかのように、しっしっと手を振って、ロゼッタが嘆息する。
トワリスは、なんとか息を整えると、困ったように眉を下げた。
「そ、そう仰られましても……女の魔導師は、私しかいないんです。一応、もう一人心当たりはありますが、今年卒業の者ではないので……」
ふと、アレクシアの顔を思い浮かべ、言い淀む。
ハーフェルンに来たことは、トワリスにとっても本意ではなかったが、そんな風に邪険に扱われると、やはり良い気分はしない。
それに、ロゼッタに何を言われようと、彼女の父親であるクラークが護衛を望んでいる以上、トワリスは命令通りに動くしかないのだ。
ロゼッタは、吐き捨てるように答えた。
「もう一人の女魔導師って、あの蒼髪の女でしょう? 嫌よ。シュベルテに行ったとき、ちらっと見たけれど、私の勘が言ってましたもの。あれはいけ好かない女だって」
(……ま、間違ってない……)
的確なロゼッタの勘に、一瞬吹き出しそうになる。
性格のきつい女というのは、同じく性格に難のある女をかぎ分けるのが上手いのだろうか。
そんな失礼なことを考えていると、今度はロゼッタが、化粧台から香水と櫛を持ち出して、トワリスに近寄ってきた。
「えっ、ちょっ、何ですか!」
警戒した面持ちで、数歩後ずさる。
何しろ、顔に葉巻の煙を直接吹き掛けてくるような女だ。
この期に及んで香水なんてかけられたら、トワリスの鼻が曲がってしまう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.174 )
- 日時: 2019/08/21 20:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: J1W6A8bP)
ロゼッタは、葉巻を食卓の灰皿に押し付けて捨てると、訝しげに眉を歪めた。
「何って、多少身綺麗にして差し上げますわ。あの蒼髪の女よりは性格がましだと思って、貴女を選んだけれど、貴女は貴女で、この屋敷にふさわしくないんですもの。髪はぼさぼさだし、お肌も荒れているし、服だってよれよれ。そもそも私、シュベルテの団服のセンスって、理解できませんの。もっと可愛くて綺麗な服を用意させるから、明日からはそれを着なさい」
「い、いえ! 大丈夫です! お心遣いは結構ですから……」
首を振って距離をとるが、ロゼッタは、構わず近づいてくる。
まさか侯爵家の令嬢を殴るわけにもいかず、壁際まで追い詰められると、ロゼッタは、手のひらに出した香水を、無遠慮にトワリスの髪につけ始めた。
「……っ」
咄嗟に息を止めるも、むせかえるような薔薇の香りが、鼻腔と喉に入り込んでくる。
普通の人間が嗅げば、甘い良い香りだと感じるのだろう。
けれど、鼻の利くトワリスからすれば、頭の奥が痺れるような、強烈な刺激臭である。
香水が馴染むよう、トワリスの髪を櫛で梳いていたロゼッタは、ややあって、怪訝そうな顔をした。
「何をしかめっ面しているのよ。この香水、あのグランス家が私に贈って下さった特別なものですのよ。これだから物の価値の分からない人は……」
呆れたように文句をこぼして、ロゼッタが言う。
しかし、トワリスが呼吸を止め、本気で苦しんでいるのだと気づくと、ロゼッタは、やがて髪を梳く手を止めた。
「……ねえトワリス、貴女って、香水が苦手ですの? それとも単に、お洒落に慣れていないだけ?」
不機嫌さの滲んだ声に、ぷはっと息を吸って、顔をあげる。
悩んだ末に、差し障りのない言葉を選ぶと、トワリスは、控えめな声で答えた。
「……慣れていない、のもありますし……。私、多分普通より鼻が良いんです。だから、香水とか匂いの強いものは、つけたくなくて……。折角のご厚意を、申し訳ありません」
一度頭を下げてから、ちらりとロゼッタの表情を伺う。
香水を振りかけられるのは勿論嫌だが、ロゼッタの機嫌を損ねてしまうのも問題だ。
既に不安しかないが、これからはロゼッタの専属護衛として働いていかなければならないわけだから、出来ることなら、彼女とは円満な関係を築いていきたい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.175 )
- 日時: 2019/11/08 22:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ロゼッタは、しばらく不満げな顔で、じっとトワリスを見つめていた。
だが、やがてスカートの裾を軽く持ち上げると、華麗な足運びで、くるりと回って見せた。
「このドレス、素敵だと思わない? 高級感があって肌触りも上質、北方から取り寄せたモスリン製ですのよ」
淡い緑色の生地が、目の前でふわりと揺れる。
次いで、深紅の石が嵌め込まれた指輪と耳飾りを見せると、ロゼッタは自慢げに続けた。
「この指輪と耳飾りも、綺麗でしょう? 北方でしか採れない、アノトーンという稀少な宝石が、贅沢に使われたものなのよ。お父様から頂いた、大切な宝物ですの。お父様は、私がおねだりすれば何でもくださるんだから。こういうものを見ていると、憧れるわ、私も身につけたいわ、とか思いません?」
うっとりとした顔で、指輪がきらきらと光を反射する様を眺めながら、ロゼッタが言う。
トワリスは、何度か首肯すると、ぎこちなく答えた。
「そ、そうですね……。私は似合わないと思うので、つけたいとは思いませんけど、綺麗です……。ロゼッタ様に、よくお似合いですよ」
「…………」
ロゼッタの顔が、ますます不機嫌そうに歪む。
トワリスの言葉が、上辺だけの称賛に聞こえたのだろう。
実際、指輪や耳飾りを綺麗だと思ったのは本音だったのだが、質の良し悪しはいまいち分からなかった。
重そうなドレスも、爪ほどの大きな宝石がついた装飾品も、高価だと言われれば高価そうではあるが、城下の露店で、似たようなものを見たことがある気もする。
それに、なんだか着けていると動きづらそう、というのが正直なところだ。
そんなトワリスの本音を、的確に読み取ってしまったのか。
ロゼッタは、やれやれと首を振ると、ふうと息を吐いた。
「……なんだか、興醒めしましたわ。これじゃあ、私が貴女に迫っているみたいじゃない。別に、嫌だっていうなら無理強いをする趣味はありませんわ。第一その耳じゃ、耳飾りはつけられませんものね」
トワリスの狼の耳を見てから、ロゼッタは、つまらなさそうに顔を背ける。
しかし、あからさまに安堵の表情を浮かべたトワリスを見ると、ロゼッタは、今度は子供のように頬を膨らませた。
「あのねえ! 無理強いなんてはしたない真似はしませんけれど、貴女がこの屋敷にふさわしくないという言葉を、撤回する気はなくてよ! 貴女はこれから、社交場でも常に私の隣に立つことになるの。護衛が仕事だからといって、あまりみすぼらしい格好をしていると、雇い主である私の品位まで低く見えるということよ。お分かり?」
びしっと目前で指を差され、捲し立てられる。
顔を近づけると、ロゼッタは、トワリスの頬を両手で挟んだ。
「明日からは、ちゃんと身だしなみを整えてくること。ただし、私より派手な格好なんてしたら、許しませんわよ」
「わ、わかりました……」
凄まじい剣幕で脅されて、トワリスは、こくこくと頷いた。
とはいえ、今だって決してだらしない格好をしているわけではないし、むしろ、団服をきっちりと着こなしてきたつもりだったので、これ以上、どこをどう綺麗にしたら良いのか分からない。
確かに、ロゼッタに比べれば、トワリスは日焼けもしているし、癖毛だし、全身古傷だらけだ。
しかし、見て嫌悪感を催すほど、不潔な見た目をしているわけでも、みすぼらしい服装をしているわけでもない。
ロゼッタの美の基準で測られても、その期待に答えられる気がしなかった。
ロゼッタは、ふん、と鼻を鳴らすと、腕を組み、トワリスにとどめを刺した。
「言っておくけれど、私に部屋に連れ込まれて脅されたなんて、お父様や他の方々にばらしてみなさい。二度と魔導師として世間に出てこられなくしてやるんだからね!」
もはや、表情を取り繕う気力もなくなって、トワリスは、ぴくりと顔を強張らせる。
この先、ロゼッタと上手くやっていける気がしない。
そんな絶望を胸に抱えながら、トワリスは、再度頷くしかないのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.176 )
- 日時: 2019/08/28 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
不安を抱えながら始まったロゼッタとの生活は、護衛というよりも、子守りに近かった。
彼女の猫かぶりは、もはや二重人格と呼べるほど見事なもので、外では貴いマルカン家の息女を演じるのだが、自室に戻ると、途端に彼女は、高飛車で我が儘放題の子供のように振る舞うのだ。
ロゼッタの本性を知らない侍従は多く、父親のクラークでさえも、娘は淑やかで、引っ込み思案な性格だと思い込んでいる様子であった。
屋敷の者達が鈍い、というよりも、そう思い込ませるためのロゼッタの手回しが徹底的で、まず、彼女の部屋に入れるのは、本当にごく一部の侍従のみであった。
そのごく一部に引き入れられてしまったことが、そもそもの悲劇の始まりである。
早々にロゼッタに手駒認定されたトワリスは、時に、家政婦のような仕事まで押し付けられることもあったし、欲しいものが出来たから買ってこいだの、そんな使いっ走りのような仕事まで強いられるようになった。
それだけではない。
ロゼッタは、トワリスが普通よりも身体能力が高いのだと気づくと、「窓から跳んで、素手で鳥を捕まえて見せなさいよ」なんて、面白半分に無理難題まで課してくる始末だ。
最初は、彼女も日頃の鬱憤が溜まっているのだろうと、我慢していたトワリスであったが、半月も経つ頃には、堪忍袋の緒が切れていた。
しかし、いくら注意しても、叱り飛ばしても、ロゼッタの無茶苦茶な行動は止まらない。
おまけに彼女は飽き性で、散々わめき散らしてトワリスにせがんだことも、翌日には忘れたりしているので、余計に質が悪かった。
一方で、護衛としての任務は、ほとんどないに等しかった。
何せマルカン家の豪邸には、当然のことであるが、厳重な警備が敷かれている。
屋敷内に不審な者が入ってくることはないし、ロゼッタも滅多に外出することがなかったので、そもそも彼女が危険な目に遭うことがなかったのだ。
近年のハーフェルンでは、内戦に巻き込まれるようなこともないし、勿論、平和であるに越したことはない。
だが、魔導師らしい仕事もなく、日がなロゼッタの無茶に付き合わされてばかりいると、いよいよ何故自分は専属護衛としての雇われたのか、分からなくなってくる。
だんだん自分は、ロゼッタの世話役として招き入れられたのではないか、とさえ思うようになった。
十九の我が儘な子供、ロゼッタのお守りは、今まで受けてきたどんな任務よりも、精神的に疲れるのであった。
その日も、突然呼び出されたかと思うと、用件は庭の木の実をとってこい、だったので、ロゼッタの部屋に入った瞬間、トワリスはため息をついてしまった。
とうに日は暮れ落ち、燭台に灯された炎に照らされて、レースのカーテンが、ゆらゆらと光っている。
そんな幻想的とも言える部屋の中で、ロゼッタは、窓を開け放つと、下方に見えるリバーブの木を指差して、口を開いた。
「見てご覧なさい。リバーブの実が生ってるの。今は緑色だけれど、熟れると明るい橙色になって、とっても綺麗ですのよ。乾燥させたら、装飾品にも使えるの。私、あれがほしいわ。トワリス、今から取ってきなさいよ」
興奮した様子で言いながら、ロゼッタは窓枠を掴んで、ぴょんぴょんと跳ねている。
トワリスは、呆れたように肩をすくめると、静かに首を振った。
「取ってきなさいって、窓からですか? 嫌ですよ、ここ二階ですし。明日、朝になったら、庭師の方に頼んで取ってもらえばいいじゃないですか」
ぶっきらぼうに答えると、いつものように、ロゼッタは頬を膨らませた。
「いいじゃない、トワリスならできるでしょう? それに朝になると、あっという間に鳥が実を啄んじゃうのよ。リバーブはこの時期しか実らないのに、去年も一昨年も、それで採り損ねたの」
だから夜の内に採らないと、と意気込んで、ロゼッタは、窓から身を乗り出す。
それでも興味を示さないトワリスに、みるみる表情を歪めると、ロゼッタは癇癪を起こしたかのように叫んだ。
「ねえ! 取ってきなさいって言ってるのよ、ケチ! あんまり私に逆らうと、お父様に言いつけますわよ! 貴女を雇ってるのはお父様で、お父様が怒ったら、貴女なんて呆気なく潰れるんだから!」
言いながら、ロゼッタが腹立たしげに床を踏み鳴らす。
随分と物騒な脅し文句だが、似たような言葉を何度も聞いているので、今更揺らぎはしない。
今はリバーブの実がほしいと騒いでいるが、どうせ明日になれば、飽きて別の事柄に執心するのだ。
トワリスは、憤慨するロゼッタを無視して窓際まで近づくと、静かに窓とカーテンを閉めた。
「夜風に長時間当たっていると、風邪を引いてしまいますよ。明日になっても実が欲しいなら考えますから、今日はもう休んでください」
「…………」
落ち着いた声でなだめるが、ロゼッタはスカートの裾を握りしめ、トワリスをきつく睨んでいる。
思い通りにいかないと、ロゼッタは大抵駄々をこねて、最終的にはだんまりを決め込む。
猫かぶりをしているときは、感心するほど立派に振る舞うのだが、素のロゼッタは、まるで年端も行かぬ子供のようであった。
こうしてロゼッタの相手をしていると、かつて、孤児院で年下の子供たちの世話をしていたときのことを、頻繁に思い出す。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.177 )
- 日時: 2019/08/28 19:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
その時、不意に扉を叩く音が聞こえてきて、トワリスは振り返った。
いつもの時刻より早いが、侍女がロゼッタに夕食を届けに来たのだろう。
クラークが屋敷にいるときは、共に広間で食べるのが常だったが、不在の時は、ロゼッタは自室で一人で食べたがるのだ。
トワリスは、扉を開けて侍女から夕食を受けとると、それを食卓に並べ、不貞腐れて立っているロゼッタに声をかけた。
「ほら、夕食が届きましたよ。温かい内に召し上がってください」
ロゼッタは、依然として動こうとしない。
しばらくそのまま、黙って突っ立っていたが、そんなことをしても、トワリスが折れないことを悟ったのだろう。
やがて、ぶうたれた顔で席につくと、夕食を食べ始めた。
「……今日は悪い日ですわ。トワリスは生意気だし、夕飯には人参が入ってるし……。私、人参は嫌いだから入れないでって、再三料理長に言ってますのよ」
ぶつぶつと文句をこぼしながら、ロゼッタは器用に人参を避けて、スープを口に運んでいる。
言い分は幼稚なのに、食後の一服にと葉巻を用意して食卓に置いている辺りは、なんとも爛れた大人らしい。
なんて、もちろん口が避けても言えない。
これまでも、葉巻は程ほどにしろとか、好き嫌いするなとか、何度も注意してきたが、その度に言い争いになってきたので、トワリスは、何も言わずに部屋の隅で立っていた。
程なくして、夕食を食べ終わると、ロゼッタは紫煙を吐きながら、向かいの席に示して、トワリスに座るように言った。
そして、長椅子の下の秘密の引き出しから、細長い硝子瓶を取ると、グラスを二つ並べて、薄黄色の液体を注いでいく。
グラスを一つ、トワリスの前に出すと、ロゼッタは、唇を開いた。
「今夜は気分が悪いから、一杯付き合いなさい。これくらいはいいでしょう?」
どこか気だるそうに言って、ロゼッタは、一気に杯を呷る。
トワリスは、差し出されたグラスを覗きこんで、眉をしかめた。
「いや、仕事中なので、お酒は……」
「大したお酒じゃありませんわ。度数の低い果実酒よ。なぁに、この程度も聞けないって言うの?」
断ろうとするトワリスを遮って、ロゼッタは、グラスを押し付けてくる。
渋々それを受け取ったトワリスは、仕方なく、薄黄色の液体を口に含んだ。
瞬間、強い酒の臭いが鼻を突き抜け、痺れるような痛みが、喉を刺す。
トワリスは、うえっと舌を出すと、グラスを食卓に戻した。
「……何か、変な味ですね」
トワリスの反応を見ると、不機嫌そうだったロゼッタは、楽しげな顔つきになった。
「あら、この美味しさが分からないの? トワリスって、もしかしてお酒も飲んだことなかったのかしら? お子ちゃまですわね」
からからと笑い声をあげて、ロゼッタはもう一杯、果実酒を飲み干す。
酒を飲んだのは、ロゼッタの言う通り初めてだったが、それを認めると、余計に馬鹿にされそうだったので、トワリスは返事をしなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.178 )
- 日時: 2019/08/30 18:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
一頻り笑うと、ロゼッタは続けた。
「お酒も、多少は慣れておいた方が良いですわよ。ハーフェルンじゃもうすぐ祭典があるし、貴女も今後、お酒を勧められたりするかもしれないでしょう?」
果実酒の力か、どこか上機嫌な口調で言って、ロゼッタはグラスを揺らしている。
近々行われる祭典とは、ハーフェルンが西方の軍事国家、セントランスの支配下から脱した、言わば独立を記念する祭りのことだ。
もう五百年以上も前のことなので、今では祝事というよりも、陽気などんちゃん騒ぎといった色合いが強い行事であったが、七日にも渡るその祭典は、近隣の街をも巻き込んで、他にはないほどの大賑わいを見せるのだと言う。
トワリスは、困ったように首を振った。
「祭典の時は、色んな人がお屋敷を出入りするわけですから、それこそ私は、お酒を飲んでる暇なんてありませんよ。ロゼッタ様の護衛と、警備に回らないと」
ロゼッタが、わざとらしく嘆息する。
「なによ、お堅いわね。私が飲めって言っても飲まないわけ?」
「飲みません」
きっぱりと断ると、ロゼッタは笑みを消して、唇を尖らせた。
ぶつくさと文句を言いながら、もう一杯、更にもう一杯と、杯を煽っていく。
そんな彼女の指先が、微かに震えていることに気づくと、トワリスは顔をしかめた。
「……ロゼッタ様、もうやめておいた方がいいんじゃないですか? 酔って倒れちゃっても知りませんよ」
言いながら、ロゼッタからグラスを取り上げる。
するとロゼッタは、そのグラスにすがるように手を伸ばすと、再び駄々っ子の如く怒り出した。
「馬鹿言わないでちょうだい! この程度で酔ったりなんかしませんわ、まだ平気よ!」
ばんっ、と食卓を叩いて、ロゼッタがトワリスを睨んでくる。
しかし、その上気した頬にはうっすらと汗がにじんでいるし、心なしか、唇の色も悪い気がする。
酔っているにしても、違和感を感じるロゼッタの変化に、トワリスが眉をひそめた、その時──。
不意に、扉を軽く叩く音が聞こえてきたと思うと、部屋の外から、侍女の声が響いてきた。
「ロゼッタ様、お食事をお持ちしました」
瞬間、さっと青ざめたロゼッタが、口を覆って立ち上がった。
全身から冷や汗を噴き出し、そのままがくがくと震えだすと、ロゼッタは、トワリスと侍女を置いて、勢いよく部屋から飛び出していく。
「ロゼッタ様!?」
一瞬、状況が飲み込めずにいたトワリスであったが、すぐに事態の深刻さを理解すると、ロゼッタの食べ終えた食器を見た。
(まさか、何か入って……)
最初に食事を持ってきた、侍女の姿が脳裏に蘇る。
彼女は指定の侍女服を着ていたので、怪しむこともしなかったし、正直顔もよく思い出せない。
だが、果実酒は元々ロゼッタの部屋にあったものだから、何か入っていたのだとすれば、あの侍女が持ってきた食事以外に考えられないだろう。
トワリスは、慌てて部屋を出ると、ロゼッタの後を追ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.179 )
- 日時: 2019/09/02 18:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「ロゼッタの食事に毒が盛られていただと!? 毒見は何をしておった!」
クラークの怒声が響いて、広間の空気が、一層張りつめたものへと変わる。
翌日、毒入りの夕食を口にしたロゼッタが倒れたと聞き、外出先から戻ってきたクラークは、当然ながら、烈火の如く激怒した。
混入していた毒が致死性のものではなかったことと、比較的すぐに気づいて対処できたことが幸いして、ロゼッタはすぐに回復したが、一歩間違えれば、どんな結果になっていたか分からない。
トワリスと共に召し出され、ロゼッタの食事の毒見を担当していたと言う料理番の男は、真っ青な顔で、床にひれ伏した。
「も、申し訳ございません! しかしながら、私共がお出ししたお食事には、毒など盛られておりませんでした。毒が混入したのは、その前です。我々が夕食をご用意する前に、何者かが、毒を入れた別のお食事を、ロゼッタ様にお出ししたのです」
瞬間、クラークの鋭い視線が、トワリスの方へと向く。
背の高い、豪奢な椅子から見下ろされて、トワリスは、床に縫い付けられたように動けなくなった。
「食事を受け取ったのは、トワリス、君だったそうだな。何故違和感に気づかなかった? ロゼッタに食事を持って行く侍女は、いつも決まった顔ぶれであったはずだろう?」
「……申し訳ございません」
トワリスは、深々と土下座をして、そう一言発することしかできなかった。
クラークの口調は静かだったが、その表情を見ずとも、彼が心の底から激怒していることが分かる。
屋敷に迎え入れてくれた時の、優しい笑みなど跡形もないクラークの厳しい態度に、トワリスは、額を床から離せなかった。
言い訳も思い付かない、護衛として自分に非があったと、認めるざるを得なかった。
魔導師団に入団して五年、魔術の知識や戦い方は学んできたが、要人に仕えた経験など、トワリスには一切ない。
ロゼッタの我が儘に振り回され、世話役の真似事をして生活している内に、自分の本来の役割を失念していた。
ロゼッタは領主ではないが、ハーフェルンを治める侯爵家の一員である以上、権力を持ち、人の上に立つ人間なのだということは変わらない。
いつどこで、誰に狙われるか分からない彼女たちを、常に気を張って守るのが、自分たちの仕事なのだ。
クラークは、怒りと呆れが混ざったような声で、言い募った。
「……私はね、これでも君には期待しているんだよ。シュベルテのことは、心から信頼しているし、君は女性の身でありながら、魔導師団では、大変優秀だったと聞いていたからね。だが、護衛としての役目を果たせないというなら、私の愛娘を託すわけにはいかない。ロゼッタは危うく死にかけた……この失態は、斬首にも値する。分かるかね?」
ひやりとしたものが、首筋をなぞる。
唇の震えを抑えるように噛み締めて、トワリスは、冷たい床を間近に見つめていた。
ややあって、トワリスに顔をあげるように命じると、クラークは、その血の気のない顔を見て、嘆息した。
「……まあ、私も非情ではない。運良くロゼッタは無事であったわけだし、君のような年若い娘に、斬首を宣告するのも良心が痛む。それに、件の毒入りの食事を持ち込んだ侍女を、はっきりと見たのは君だけだ。別の者にも調べさせているが、毒を混入させた犯人が、まだ屋敷の中に潜んでいる可能性がある。其奴を探し出し、私の前に連れてくるのだ。その任を果たせば、今回の失態には目を瞑り、これからもマルカン家に魔導師として仕えることを許そう。勿論、ロゼッタの専属護衛からは、外れてもらうがね」
「……はい」
どこか遠い、掠れた自分の声。
重々しいクラークの言葉を受け止め、どうにか返事をすると、トワリスは、ぐっと拳を握った。
期待している──そう言ってもらえたことが、唯一の救いだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.180 )
- 日時: 2019/09/04 19:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: dSN9v.nR)
再度深々と頭を下げ、クラークの御前から下がろうとした時であった。
不意に、部屋の扉が叩かれたかと思うと、侍女を連れ立ったロゼッタが、ゆっくりとした足取りで入室してきた。
「おお! おお……! ロゼッタ!」
椅子から転がるようにして駆け出し、跪く毒見やトワリスを押し退けて、クラークは娘の元へ走り寄る。
連れ添っていた侍女すらも払い除けると、クラークは、涙ながらにロゼッタを強く抱擁した。
「お父様ったら、そんなに強く抱き締められたら、苦しいですわ」
苦笑混じりに言って、ロゼッタが、ぽんぽんとクラークの肩を叩く。
クラークは、鼻をすすりながら離れると、自分の上着を脱いで、薄い寝巻き姿のロゼッタにかけた。
「駄目じゃないか、こんな薄着で出てくるなんて。まだ寝ていなさい。必要なものがあるなら、届けさせるから」
クラークの声が、まるで幼子に言い聞かせるような、優しいものへと変わる。
ロゼッタは、口元を覆って笑むと、小さく首を振った。
「もう、お父様ったら、大袈裟ですわ。入っていたのは、鼠程度も殺せるか分からないような少量の毒だったって、お医者様も仰っていたじゃない。きっと軽い悪戯か、誰かの悪ふざけですわ」
ロゼッタのふわふわとした態度に、部屋を縛っていた緊張感が、僅かに緩まる。
しかし、クラークは厳しい表情に戻ると、ロゼッタの両肩を強く掴んだ。
「何を言っておるんだ! 例え悪戯だったのだとしても、到底許されることではない! 屋敷の警備は厳重だ。侍女のふりをして毒を盛った女も、まだ屋敷の中にいるやもしれん。見ていろロゼッタ、絶対に私が捕らえて、殺してやる……!」
クラークが、怒りで語尾を震わせながら、顔を真っ赤にする。
だが、ふとロゼッタの顔を見ると、クラークの顔は瞬時に青くなった。
すん、すんと鼻をすすりながら、ロゼッタは泣いていたのだ。
「ロ、ロゼッタ!? どうしたのだ!? すまない、声を荒らげたのが怖かったかい?」
クラークは、すぐさま華奢な肩から手を引くと、ロゼッタの顔色を伺った。
やりとりを見守っていた侍従たちも、思いがけず流れた涙に、ごくりと息を飲む。
ロゼッタは、取り出したハンカチで口元を押さえると、弱々しく震えながら、かくりとその場に崩れ落ちた。
「わ、私だって、すごく、すごく怖かったですわ……。もしあのまま死んで、二度とお父様ともお会いできなくなっていたかと思うと、そんな想像、するだけで涙が止まりませんの……。もう二度と、あんな思い、したくありませんわ……」
儚げな、今にも消え入りそうな声で言いながら、ロゼッタは泣き崩れる。
絶句するクラークを、潤んだ瞳で見上げると、ロゼッタは言い募った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.181 )
- 日時: 2019/09/07 00:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「でも、でもね、私、お屋敷の皆を疑うなんて……もっとしたくありませんの。皆、私やお父様のために、一生懸命働いて下さっているのよ。それを、まだ残っているかも分からない犯人を探すために、疑うなんて……。罪悪感で、胸が張り裂けそうですわ……」
「ロゼッタ……」
娘の涙につられたのか、心なしか、クラークも鼻を赤くしている。
彼だけではない。
侍従たちも、扉の前で警護を行っている魔導師たちでさえ、広間にいる全員が、泣き出しそうな顔でロゼッタのことを見つめている。
つい先程まで、全身の毛が逆立つような緊張感で場が支配されていたのに、ロゼッタが現れてから、空気は彼女一色に染まってしまった。
ロゼッタは、唖然としているトワリスを一瞥すると、クラークに向き直った。
「トワリスのことも、あまり責めないで……? トワリスは、この屋敷に来て、まだ日が浅いんですもの。沢山いる侍女の顔が覚えられていなくても、無理はありませんわ。トワリスが毒を盛ったわけでもないのに、罰として護衛を外そうなんて、可哀想よ」
「う、うむ……だが……」
戸惑った様子で口ごもり、クラークも、トワリスに視線を移す。
やはり、一度失態を犯したような者に、最愛の娘を任せたくはないのだろう。
クラークの目には、訝しげな疑念の色が浮かんでいる。
ロゼッタは立ち上がると、寝巻きのスカートの裾を揺らして、トワリスの元へ駆け寄った。
「私、トワリスとはとっても仲良くなったんですのよ。毎日お仕事も真面目にやってくれるし、今回だって、トワリスがいなかったら、私は自室で倒れて、そのまま動けなくなっていたかもしれませんわ。ね? 私、専属護衛はトワリスのままがいいですわ」
すり寄るように身体を寄せると、ロゼッタは、トワリスに腕を絡めてくる。
何度見ても目を疑ってしまうようなロゼッタの猫かぶりに、思わず鳥肌が立ったが、この状況で彼女が味方についてくれたことは、トワリスにとっても有難いことであった。
クラークは、悩ましげに眉を寄せて、しばらく二人のことを見つめていた。
だが、やがて一つ咳払いをすると、ゆったりとした足取りでトワリスたちの前に立ち、言った。
「……ロゼッタが気に入っているというなら、仕方あるまい。トワリス、君には引き続き、娘の護衛を命じよう」
背後から、侍従たちのため息が聞こえたような気がした。
ロゼッタが望んだことを、クラークが拒否した前例はないのだろう。
侍従たちの諦めたような顔を見ていると、彼らの親子関係が伺える。
ロゼッタは、ぱぁっと眩い笑顔を見せると、クラークに抱きついた。
「嬉しいですわ! お父様大好き!」
威厳を保つべく顔つきを引き締めようとしているが、クラークの表情は、明らかに緩んでいる。
侍従たちも、やれやれと呆れたような顔をしてはいるが、どこか微笑ましそうにロゼッタたちを眺めていた。
広間に張り巡らされていた緊張の糸が、跡形もなく切れ、ばらばらと解かれていく。
ロゼッタは、一瞬だけトワリスの方を見ると、ぺろりと舌を出して見せたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.182 )
- 日時: 2019/09/10 18:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
結局、クラークの怒号から始まった会議は、ロゼッタの登場により、和やかな幕引きを迎えた。
とはいえ、毒を盛った犯人がまだ捕まっていない状況下で、何の対策もとらないというわけにはいかない。
ロゼッタのしばらくの外出制限と、彼女の周りを信頼のおける侍従のみで固めることを決めてから、クラークは、改めてトワリスが専属護衛を続けることを認めたのであった。
トワリスを連れ、自室に戻ったロゼッタは、自分が狙われたという事実に傷ついた様子もなく、ご機嫌であった。
どちらかというと、落ち込んでいたのは、トワリスの方だ。
ロゼッタに家政婦扱いされる日々が続き、油断して、結果、護衛対象を危険に晒してしまった。
これは、魔導師として恥ずべきことである。
確かにトワリスは、マルカン家に来てから、まだそれほど日数は経っていないし、そもそも正規の魔導師になってから、何の経験も積んでいないような新人である。
だが、そんなことは言い訳にならない。
トワリスが、ロゼッタに食事を持ってくる侍女を把握し、こういった事態を予測できていれば、防げたことなのだ。
鼻歌を歌いながら、長椅子に堂々と寝そべるロゼッタに、トワリスは、深々と頭を下げた。
「あの……ありがとうございました、かばってくださって。それから、申し訳ありませんでした」
頭をあげずに、ロゼッタからの返事を待つ。
ロゼッタは、手に取った本を適当に捲りながら、どうでも良さそうに答えた。
「別に、かばったつもりはありませんわ。貴女が外されたら、別の魔導師がまた専属護衛として、私に貼り付きに来るでしょう? そうしたら、自室での悠々自適生活が続けられなくなるじゃない。かといって、無闇に私の本性をばらしたくはないし。今のところ、トワリスと私の部屋の掃除係以外には、明かしていませんの」
トワリスの方を見ようともせず、ロゼッタは、足をぷらぷらと動かしている。
なんとなく、そんな理由だろうとは思っていたが、ロゼッタのおかげで、護衛を外されずに済んだのは事実だ。
ロゼッタとの生活は苦労も多いが、勤めを果たせないまま中途半端に辞めることになるのは、やはり悔しい。
頭をあげると、トワリスは、真剣な声で言った。
「……それでも、私の護衛としての自覚が、足りなかったんだと思います。今後は、気を引きしめて任務に勤めます」
「…………」
ロゼッタの視線が、ようやくトワリスに向く。
勢いをつけて長椅子から起き上がると、ロゼッタは、苦笑まじりに肩をすくめた。
「そんなに頑張る必要はなくってよ。貴女はただ、私の側にいればいいの。ロゼッタ・マルカンの近くには、常に護衛がいる……その事実だけで、お父様は安心するのよ。大事なのは、護衛がいるってことであって、それがどんな魔導師なのかは、どうでもいいの」
「え……」
ロゼッタの言葉に、思わず目を見開く。
悪意があるのか、ないのか、ロゼッタは可憐に微笑むと、言い募った。
「勿論、毒を盛るような輩は論外ですわよ? ただ、こちらに害を成さない魔導師なら、誰でも良いってこと。今回の件も、私とずっと一緒にいたトワリスが、毒を盛った犯人でないことは確かだし、そもそも、魔導師になったばかりの女の子が、それほど役に立つなんて、誰も期待していませんもの。だからお父様も、専属護衛を続けることをお許しになったのだと思いますわ。お父様は、とにかく誰でも良いから、娘の近くに護衛を置いて安心したいだけなの。だから、無駄に頑張る必要はないのよ。トワリスは、私の自由な生活を見過ごしてくれれば、それで良いの」
お願いね、と付け加えて、ロゼッタが片目を瞑る。
黙っているトワリスを扉の方に向け、ぽんっと背を押すと、ロゼッタは楽しげに言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.183 )
- 日時: 2019/09/17 23:38
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「そんなわけだから、早速お酒をくすねてきてちょうだい。厨房に入ってすぐ左の、一番下の戸棚に入ってますわ。在庫が切れてしまいましたの。私は自室から出ないようにってお父様から言われているから、これからはトワリスが、私の“楽しみ”を調達してくるのよ」
ぐいぐいとトワリスを扉まで押しやり、ロゼッタは、満面の笑みで手を振る。
強引に部屋から出されたトワリスは、しばらくの間、閉じた扉を呆然と見つめていた。
だが、やがて踵を返すと、うつむいたまま、厨房に向けて長廊下を歩き出した。
壁際の骨董品の埃を払っていた侍女たちが、声を潜めて、くすくすと笑い合っている。
しかし、ふとトワリスと目が合うと、彼女たちは真顔になり、何事もなかったかのように、はたきを振り始めた。
立ち働き、廊下を行き来する侍従たちの視線が、何故だか痛い。
誰かの声が聞こえる度、視線を感じる度、それらがすべて、自分に対して悪意を持って、突き刺さってくるように感じた。
屋敷の者達は、トワリスのことを、一体どう思っているのだろう。
得体の知れない獣人混じりで、役に立たない新人魔導師。
そんな分際で、突然マルカン家にやってきたと思ったら、大事なロゼッタの御付きを命じられるなんて、気に食わないと思われているだろうか。
それとも、大役を仰せつかったくせに、毒入りの夕食をあっさりと見逃すなんて、能無しだと馬鹿にされているだろうか。
侍女たちが笑っていた理由など分からないし、侍従たちだって、本当にトワリスのことを見ていたかなんて分からないのに、今は、全てが自分を指差して、嘲笑しているように思えた。
──大事なのは、護衛がいるってことであって、それがどんな魔導師なのかはどうでもいいの。
ロゼッタにそう言われたとき、今までの自分が、全て粉々になってしまったような気がした。
本当は、アーベリトに行きたかった。
けれど、クラークに「期待している」と言われたとき、この人は、自分の努力を評価してくれたのだと思って、すごく嬉しかったのだ。
クラークはきっと、一人の魔導師としてトワリスを見て、その能力を認め、ロゼッタの護衛を任せてくれた。
だからこそ、ハーフェルンでも頑張って行かねばと、心を奮い立たせようとした。
それなのに。
それ、なのに──。
トワリスは、勢いよく自分の頬を叩くと、ぶんぶんと首を振った。
(……余計なこと考えてないで、頑張れ、頑張れ……)
一つ深呼吸すると、トワリスは、歩調を速くした。
ハーフェルンの者達にどう思われていようと、やる気をなくして良い理由にはならない。
護衛としての自覚が足らず、毒の混入を許してしまったのは、覆しようのない自分の失態だ。
能無しの新人魔導師から脱却するには、結果を残して周囲を見返す、その方法しかないのだ。
これまでだって、挫けそうになることは幾度もあったが、そのたびに自分を叱責し、頑張れと言い聞かせて、どうにか踏ん張ってきた。
元々自分は、人としての生活もままならないような、無力な子供であった。
それが、走って、走って、脚が疲れてちぎれそうになっても、諦めずに走って、やっと、念願の魔導師になれたのだ。
なかなか認めてもらえないからと、こんなところで腐っているなんて、それこそ今までの自分を、否定する行為に他ならないだろう。
獣人混じりだと気味悪がられるなら、そんな印象が吹っ飛ぶくらいの、立派な魔導師になれば良い。
強くて、頼れて、いつかサミルやルーフェンにも認めてもらえるような、そんな魔導師になるのだ。
今までだって、沢山努力してきたのだから、これからだって、もっともっと走って行ける。
周囲から何を言われようと、まずは、ハーフェルンで精一杯、積み重ねていくのだ。
少なくともクラークは、期待していると言ってくれた。
ならば、その期待に応えることが、立派な魔導師への第一歩だろう。
ロゼッタ一人守れないようでは、アーベリトに行ったって、きっと何もできない。
自分の最終目標は、召喚師の右腕になって、サーフェリアの人々を守れるようになることなのだから──。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.184 )
- 日時: 2019/09/14 20:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
(守れるように、か……)
ふと、五年ほど前、アーベリトのサミルの屋敷で、刺客に襲われた時のことを思い出した。
国王の暗殺を謀り、入り込んだと思われる黒装束の男達。
あの時、たったの十五だったルーフェンは、まるで虫でも踏み潰すかのように、簡単に刺客たちを殺してしまった。
その光景を見て、当時は恐ろしさに立ち尽くすことしか出来なかったが、今なら、恐怖以外の感情も抱けると思う。
きっと、時に非情にならなければ、誰かを守ることなど出来はしないのだ。
(……守るっていうのは、多分、私が思う以上に大変なことなんだよね)
それこそ、普段は優しかったルーフェンが、残虐で冷徹な空気を纏ってしまうほどに──。
トワリスがアーベリトを去ってからも、あんな風にサミルは、誰かに狙われるような毎日を送っているのだろうか。
領主の娘というだけで、ロゼッタも毒を盛られたりするのだ。
一国の主ともなれば、より多くの者に狙われ、死を間近に感じるような生活をしているかもしれない。
サミルを守るルーフェンだって、きっとそうだ。
誰かを守るというのは、誰かを傷つけ、殺すことと同じだ。
傷つければ傷つけただけ、それと同等の恨みと憎しみが、己に返ってくる。
たったの十五歳で、そのことを理解していたルーフェンは、一体どれだけのものを犠牲にしてきたのだろう。
そしてこれからも、何度自分の気持ちを踏みにじって行くのだろう。
あれから、もう五年経った。
トワリスは十七歳になったし、ルーフェンは、二十歳になっているはずだ。
トワリスにとっては、激動の五年であったが、ルーフェンにとっては、どんな五年だっただろう。
サミルもルーフェンも、慌ただしく、忙しい日々を過ごしてきたに違いない。
けれど、願わくば、あんな風に死の恐怖に晒されるような出来事には、遭っていなければ良いなと思う。
そんなことを考えながら、吹き抜けの廊下に差し掛かったとき。
不意に目の前に、ぼんやりとルーフェンの姿が浮かんできた。
ひゅう、と中庭を抜ける一陣の風に、さらりと揺れる、銀色の髪。
日の光を反射して、ちかちかと煌めく緋色の耳飾りは、紛れもない、サーフェリアの召喚師である証だ。
ルーフェンは、長い睫毛を伏せて、中庭の噴水を覗きこんでいる。
陶器のような白い肌も、透き通った白銀の瞳も、どこか神秘的な空気を纏ったその風貌は、昔と全く変わっていない。
しかし、目前にいるルーフェンは、トワリスの記憶の中にいる少年の姿ではなかった。
背も高くなり、鼻筋もすっと通った、青年のルーフェンであったのだ。
五年も会っていないのに、妙に明瞭な想像である。
どこか憂いげな瞳で佇んでいるルーフェンを、トワリスは、長い間、浮かされたように眺めていた。
やがて、ルーフェンが振り返ったかと思うと、その白銀の瞳と、ぱちりと目が合う。
縫い止められたように動かないトワリスを見て、ルーフェンは、微かに表情を綻ばせた。
「俺に、何か用?」
穏やかな声をかけられて、思わず、どきりと心臓が跳ねる。
同時に、大きく目を見開くと、トワリスは、目にも止まらぬ速さで、長廊下の柱に隠れた。
(……え? えっ、本物……?)
一度頬をつねってみてから、柱に隠れたまま、ルーフェンを一瞥する。
不思議そうに首をかしげるルーフェンを見て、それが自分の想像などではなく、本物のルーフェン・シェイルハートであることを確信すると、トワリスは、驚愕のあまり言葉が出なくなった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.185 )
- 日時: 2019/09/20 15:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
何故、アーベリトにいるはずのルーフェンが、ハーフェルンにいるのだろう。
そんなことより、どうして自分は隠れているのだろう。
先程、確実に目が合ったのに。
しかも話しかけられたのに。
黙ったまま柱の裏に逃げ込むなんて、完全に不審人物である。
トワリスは、逡巡の末、ぎくしゃくとした足取りでルーフェンの前に出ると、斜め下に視線をそらして、声を絞り出した。
「あ、あの……あ、怪しい者じゃないです……」
「…………」
言い終わった瞬間、再び柱の後ろに隠れたくなった。
いきなり怪しい者じゃない、なんて言う奴は、絶対に怪しい。
案の定、目の前に立っているルーフェンも、きょとんとした表情で、目を瞬かせている。
思考がぐるぐると回って、口を開閉させても、上手く言葉が出てこなかった。
全身から汗が噴き出して、緊張なのか、恥ずかしさなのか、頬に熱が集まっていく。
もしルーフェンと再会できたら、一言目は、何を言おうと思っていたんだっけ。
何度か考えたことはある気がするが、今は頭が真っ白で、何も思い付かない。
自分は今、どんな間抜けな顔をしているだろう。
そういえば、今日はまともに髪も梳(と)かしていなかった気がする。
最近は、身なりを整えていないとロゼッタが怒ってくるので、特別跳ねている癖毛くらいは、意識して直していた。
だが、今朝は怒り心頭のクラークに呼び出されて、髪をどうこうする暇なんてなかったから、みっともない姿をしているかもしれない。
唇をしきりに動かしては、下を向いて、黙り込む。
ルーフェンは、そんなトワリスの言葉を、しばらく待っていたようだったが、ややあって、彼女の耳を目に止めると、少し驚いたように言った。
「……もしかして、トワリスちゃん?」
トワリスの動きが、ぴたりと止まる。
名前を呼ばれたことが、つかの間、現実のことなのかどうか、分からなかった。
鼓動が異様なほど速くなって、胸の中で、心臓が暴れまわっている。
口を開けば、勢いよく心臓が飛び出してきてしまいそうだった。
トワリスは、瞠目したまま、おずおずと顔をあげた。
そして、ぐっと何かを堪えるように一拍置くと、ようやく言葉を押し出した。
「……そう、そうです……トワリスです……」
喉の奥が熱くなって、大きく頷けば、その拍子に涙がこぼれそうになる。
声が震えて、再びうつむくと、トワリスは泣くまいと、ぐっと口を閉じた。
もっと心の準備をしてから再会したかったとか、まともな一言目を言いたかったとか、そんな思いが渦巻いていたが、名前を呼ばれたのだと分かった瞬間、強い喜びが突き上げてきた。
柔らかくて、優しくて、けれどトワリスが知っているものより少し低い、落ち着いた声。
多く助けた内の、子供の一人でいい。
獣人混じりの、珍しい子供としてでもいい。
ただ、自分のことを覚えていてくれたことが、本当に嬉しかった。
トワリスは、ごしごしと顔を拭うと、ルーフェンの目をまっすぐに見つめた。
「……魔導師になれました、召喚師様。孤児院を出たあと、私、魔導師になったんです」
そうこぼした途端、言いたかった言葉が、頭の中に一気に溢れてきた。
五年前、奴隷のまま生活していたならば、あの暗い地下で、誰にも知られることなく、トワリスは死んでいただろう。
今の自分があるのは、サミルとルーフェンのおかげだ。
そう、もしも再会できたなら、一言目は、感謝の言葉を言いたかったのだ。
命を救ってくれて、ありがとう。
手当てをして、何度も反抗したのに優しくしてくれて、文字を教えてくれて、生き方を示してくれて、ありがとう。
別れは寂しかったけれど、孤児院に行ったら、リリアナという友達が出来た。
魔導師になるまでの道程も、決してなだらかではなかったが、サイやアレクシアと共に戦って、己の世界は広がった。
今までも、そしてこれからも、沢山のものを見て、感じていけるのは、五年前、サミルとルーフェンが自分を助けてくれたからだ。
トワリスは、涙のたまった目で、ルーフェンを見上げた。
「召喚師様、私……私、伝えたいことが──」
「召喚師様ぁーっ!」
言葉を続けようとした、その時。
どこからか、聞いたことのない声が響いてきた。
ルーフェンの声でも、ロゼッタの声でもない、甲高い女性の声である。
声がした方に振り向くと、トワリスが来たのとは反対の長廊下から、金髪の女性が駆けてくるのが見えた。
装飾の多い豪華なドレスを着て、濃厚な香水の匂いを纏った女は、長いスカートの裾を持ち上げて、中庭に入ってくる。
女は、一直線にこちらに向かってくると、大きな胸を揺らして、ルーフェンに勢いよく抱きついた。
「こんなところにいらしたのね! お会いしたかったわ!」
言い様、女は背伸びをして、ルーフェンに口付けをする。
ひゅん、と涙の引っ込んだトワリスは、目の前で起きている光景が信じられず、凍りついたように立っていた。
この金髪の女性は、一体どこの誰だろうか。
身なりからして、どこぞの貴族のご令嬢だろうが、人が会話をしているところに突然現れて、しかも堂々と口付けを交わすなんて、いくらなんでも非常識過ぎる。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.186 )
- 日時: 2019/09/22 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
女は、ぽかんと棒立ちするトワリスには目もくれず、ルーフェンの首に白い腕を回した。
「今回の祭典には、召喚師様もいらっしゃるって聞いて、楽しみにしていたのよ。召喚師様ったら、ここのところ全然お相手してくださらないんですもの。私、とっても寂しかったわ」
いじけた様子で膨れっ面になるも、女は未だに、ルーフェンに抱きついたままだ。
ルーフェンは、それを拒否することもなく、へらへらとした笑みを浮かべた。
「ごめんね。最近立て込んでいて、なかなかアーベリトから離れられなかったんだ」
「最近? 嘘よ。ここのところ、ずーっとじゃない!」
ようやくルーフェンから離れると、女は声を荒らげ、ぷいっと顔をそらす。
ルーフェンは、苦笑して肩をすくめると、憤慨する彼女の手を取り、軽く口づけた。
「そんなに怒らないで。君には笑顔の方が似合うから、機嫌直してほしいな」
「…………」
ルーフェンがそう囁けば、女の頬が、ぽっと赤く染まる。
まだ顔は背けているが、彼女の機嫌がその一瞬で直ってしまったのは、見て取るように分かった。
ルーフェンは、女の手を離すと、トワリスの方に向き直った。
「……で、話の途中だったけど、なんだっけ?」
(な、なんだっけ……?)
ひくっと口元を引きつらせると、トワリスは、ルーフェンを見上げる。
なんだっけ、だなんて、どうしてそんなこと、何事もなかったかのように言えるのだろうか。
トワリスが、ずっと暖めてきた感謝の気持ちを、たった今伝えようとしていたことなど、ルーフェンは知る由もない。
けれど、五年ぶりの再会であったことは、トワリスにとっても、ルーフェンにとっても同じだったはずだ。
せめて「久しぶりだね、元気だった?」とか、「魔導師になれたんだね、おめでとう」とか、そういう一言くらい、言ってくれても良かったのではなかろうか。
思いがけない再会が、こうもあっさり完結してしまうなんて、こんなに悲しいことはない。
ふと目線をずらせば、金髪の女が、恨めしそうにトワリスのことを見ている。
さっさとどこかへ行け、とでも言いたげな表情である。
彼女からすれば、トワリスのほうが、ルーフェンとの逢瀬を邪魔する厄介者なのだろう。
最初にルーフェンと話していたのはトワリスなのだから、責められる謂れはないのだが、もしかしたら、ルーフェンとこの金髪の女性は、恋人同士なのかもしれない。
いや、口づけなんて交わしているくらいだから、きっとそうだ。
ともすれば、やはり去るべきなのは、自分の方なのだろう。
トワリスは、忙しなく視線をさまよわせながら、一歩後ずさった。
「いや、その……やっぱり、何でもないです。……すみません、邪魔をしてしまって……」
ちら、と二人の表情を伺いながら、軽く頭を下げる。
しかしルーフェンは、不思議そうに瞬くと、首を傾けた。
「すみませんって、何が? 邪魔だなんて思ってないよ。ごめんね、何か言おうとしてくれてたのに」
「え……」
ルーフェンの言葉に、思わず耳を疑う。
邪魔だなんて思ってない、ということはつまり、ルーフェンにとって、人前で誰かと抱き合ったり、口付けをしたりすることは、恥ずかしくもなんともない、日常茶飯事だということだろうか。
確かに、女から抱きつかれたとき、ルーフェンはそれを拒んだり、トワリスの方を気にしたりする様子はなかった。
普通、恋人同士だろうがなんだろうが、人目のある場所で触れ合うのは、抵抗があるものではないんだろうか。
それとも、貴族の間では、口づけなんて挨拶の一種なんだろうか。
折角気持ちが落ち着いていたのに、再び頭が混乱してくる。
今、目の前にいるルーフェンが、なんだか自分の知っているルーフェンとは、別人のように思えた。
柔らかい表情も、落ち着いた声音も、記憶の中の彼そのものであるが、昔と今のルーフェンでは、何かが違うような気がする。
五年前は、一緒にいれば心が暖かくなって、安心できたのに、今のルーフェンは、見ているだけで、胸の奥がざわついてくるのだ。
言い表しようのない感情が沸き上がってきて、目を白黒させていたトワリスは、不意に、何かが頬に触れた感覚で、はっと我に返った。
気づけば、ルーフェンが、トワリスの頬に触れている。
ルーフェンは、どこか心配そうな口調で、問いかけてきた。
「大丈夫? 顔、真っ赤だけど……」
銀の瞳に覗き込まれて、びくっと身体が強張る。
ルーフェンは、どういうつもりでこんなことをしているのだろう。
無自覚なのか、それとも意図的なのか。
もしかして、いや、もしかしなくても、ルーフェンはすごく女慣れしているのでは──。
そんな風に思った瞬間、言葉より先に、手が出てしまった。
「──うっ、うぎゃぁぁああっっ!」
奇声をあげ、ルーフェンの腕をはねのけると、トワリスは踵を返した。
ルーフェンのほうなど見向きもせずに、元来た廊下を、全速力で走り出す。
道中、驚いた侍従たちが、何事かと声をかけてきたが、それに返事をする余裕もなかった。
(な、なんっ、なんであんなこと、平然と……!)
暴れていた心臓が、いよいよ喉元まで迫っている。
トワリスは、心臓を吐き出さないよう、強く唇を引き結ぶと、そのままロゼッタの部屋へと駆け戻ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.187 )
- 日時: 2021/04/14 17:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)
トワリスが蹴破るようにして扉を開けると、長椅子に腰かけていたロゼッタは、びくりと肩を揺らした。
「なに、どうしたの……? そんなに慌てて……」
ロゼッタが、訝しげに眉を寄せて、トワリスの方を見る。
本来なら、ノックもせずに主人の部屋に飛び込んできたことを責めるところだが、トワリスの様子に、これは只事ではないと察したのだろう。
トワリスは、ゆるゆると首を振ると、脱力して床に座り込んだ。
「す、すみません……ちょっと、色々あって……」
曖昧な答えに、ロゼッタが眉をしかめる。
読んでいた本をぱたんと閉じると、ロゼッタは、呆れたように嘆息した。
「色々って、一体なんですの? 厨房まで行っただけでしょう?」
その言葉に、はっと自分の両手を見る。
そういえば、ルーフェンとの衝撃的な再会で、すっかり忘れていたが、厨房から酒を取ってくるように頼まれていたのだった。
トワリスは、がっくりと項垂れると、ロゼッタに深々と頭を下げた。
「……申し訳ありません。お酒、取ってくるの忘れました」
「はあ!?」
長椅子から立ち上がって、ロゼッタが詰め寄ってくる。
トワリスの両肩を掴み、がくがくと揺らすと、ロゼッタは早口で捲し立てた。
「忘れましたって、じゃあ貴女は一体何をしていましたの!? ここから厨房まで、大した距離ないじゃない! そんな短い間に、何があったら本来の目的を忘れるっていうのよ!」
「そ、その、中庭で召喚師様とお会いして……」
「なんですって!?」
瞬間、ロゼッタが手を止めて、言葉を詰まらせる。
その栗色の瞳を、みるみる輝かせると、ロゼッタは足取り軽く、トワリスに背を向けた。
「それならそうと、早く言いなさいよ! 召喚師様ってば、もうご到着なさってたのね。早速お父様とお出迎えに行かなくちゃ!」
酒のことはもう頭から飛んだのか、一転してご機嫌な様子で、ロゼッタは化粧台に向かう。
トワリスは、肩を擦りつつ立ち上がると、ロゼッタに問うた。
「あの、どうして召喚師様が、ハーフェルンにいらっしゃっるんでしょうか? ロゼッタ様がお呼びになったんですか?」
長椅子に腰を下ろして、ロゼッタに向き直る。
ロゼッタは、緩く巻いた茶髪を梳かしながら、鼻歌混じりに答えた。
「ええ、そうですわ。五日後に開かれる祭典に向けて、各街の御領家をハーフェルンにご招待していますの。親交深いアーベリトに、声をかけないわけないでしょう? 陛下がおいでになるかどうかは分かりませんでしたけれど、召喚師様は、きっと来てくださると思ってましたわ。だって召喚師様は、私の婚約者ですもの」
「こんやく……!?」
思わず声が裏返って、長椅子から落ちそうになる。
トワリスの動揺ぶりに、ロゼッタは振り返ると、不可解そうに眉を寄せた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.188 )
- 日時: 2019/09/28 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: m1N/dDQG)
「あら、何をそんなに驚いていますの? 有名な話よ。私と召喚師様は、もう随分と前から、将来を誓い合った仲なの」
「そ、そうなんですか……」
手探りで背もたれを掴み、どうにか長椅子に座り直す。
考えてみれば、不自然な話ではない。
アーベリト、シュベルテ、ハーフェルン──この三街には、今や強固な繋がりがあるし、旧王都シュベルテを治めるカーライル家に、老齢のバジレットと赤ん坊のシャルシスしかいない以上、召喚師ルーフェンと、年頃の近いマルカン家のロゼッタが結ばれるのは、ごく自然な流れだ。
しかし、だとすれば、先ほど見たあの金髪の女性は、誰だったのだろうか。
あの密着具合は、どう見ても友人の距離感ではなかった。
(……もしかして、浮気? あれって浮気だよね?)
まさか、という思いが、頭の中を駆け巡る。
確かにルーフェンは、昔から、誰に対しても優しかった。
いつも穏やかな笑みを向けてくれる、その分け隔てない優しさに、つい惹かれてしまう気持ちは、トワリスもよく分かる。
だが、その気持ちに、ルーフェンがいちいち意味深で思わせぶりな返しをしていたのだとしたら、色々と問題が起こるだろう。
現に今、その問題に直面している。
ルーフェンは、ロゼッタという婚約者がありながら、他の女性に抱きつかれ、口づけまでされていたのだ。
(まあ、召喚師って立場なら、奥さんが複数いたっておかしくはないけど……。でもだからって、まだ本妻もいない内から、早々に浮気なんてする……? 位の高い人って、そんなものなの? ふ、不潔だ……)
ぞわっと、全身に鳥肌が立った。
正直、人前で平然と乳繰り合っている時点で少し引いたが、あれが浮気現場だったなんて、更なる衝撃である。
この五年間で、ルーフェンはどうして、そんな移り気な性格になってしまったのだろう。
それとも、トワリスが知らなかっただけで、元々ルーフェンはだらしない質だったのだろうか。
どちらにせよ、なんだか夢から覚めたような気分だ。
昔のルーフェンと、今のルーフェンが別人のようだと思ったあの時、自分が何に違和感を感じていたのか、なんとなく分かった。
今のルーフェンの笑みには、妙な色気があって、気を抜けば心を捕らえられてしまいそうだが、一方で、どことなく胡散臭さがあったのだ。
トワリスは、密かにため息をつくと、鏡と向き合っているロゼッタを一瞥した。
ロゼッタは、ルーフェンが浮気していることを、知っているのだろうか。
もし黙認しているならば、何も言うことはないが、知らずにいて、ルーフェンの訪問に喜び、こんな風にめかしこんでいるのだとしたら、可哀想で見ていられない。
ルーフェンはとんでもない、最低な男である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.189 )
- 日時: 2019/10/01 18:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
トワリスからの視線を感じたのだろう。
ロゼッタは、口紅を引き終わると、トワリスの方を振り返った。
「さっきからなんですの? 人のことじろじろ見て……」
「えっ、あ、すみません……」
口ごもりながら謝罪をし、慌てて視線をそらす。
ややあって、落ち着かなさそうに手を組むと、トワリスは、控えめな声で言った。
「……あ、あの、ロゼッタ様。なんていうか、すごく、脈絡のないお話なんですが……」
再び化粧を続けようとしたロゼッタが、トワリスを見る。
トワリスは、意味もなく両手の指を絡ませながら、ぼそぼそと尋ねた。
「……その、う、浮気をする男性って、どう思いますか……?」
トワリスからの質問が意外だったのか、ロゼッタは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
一度化粧台の席から立ちあがり、トワリスの隣に座ると、ロゼッタは、興味津々といった様子で、顔を近づけてきた。
「なに、トワリスってば、浮気でもされましたの?」
「い、いえ! 私の話ではないんですが……えっと、この前、私の知り合いの恋人が、別の女性と会ってるところを見てしまって……こ、これが浮気現場ってやつかぁと、しみじみ……」
しみじみって何だ、と自分に突っ込みを入れながらも、ロゼッタの顔色を伺う。
嘘が下手な自覚はあるので、突然こんな話題を出したことを不審がられないかと不安だったが、どうやらロゼッタは、自分とルーフェンのことだなんて思ってもいないようだ。
腕を組み、ふうと息を吐くと、ロゼッタは、背もたれに寄りかかった。
「勿論、良くないことだと思いますわ。ただ、浮気は男の本能って言いますし、浮気される側にも、全く問題がないとは言いきれないでしょう? 一概には片付けられないことじゃなくて?」
「な、なるほど……」
予想していたより寛大な答えが返ってきたので、トワリスは、思わず感心してしまった。
やはり、二歳しか違わないとはいえ、社交界を練り歩く領主の娘ともなれば、踏んできた場数が違うのかもしれない。
これまでも、いわゆる恋話っぽい話を振られたことはあったが、リリアナは白馬の王子様に夢を見ているタイプであったし、アレクシアは貞操観念がガバガバだったので、色恋沙汰とは無縁のトワリスでも、それはおかしいだろうと思うような会話にしかならなかった。
その点、ロゼッタの言葉には、重みと説得力が感じられる。
そもそも、ルーフェンとロゼッタの婚約だって、政略的な意味合いが大きいのだろうし、浮気されるくらい、ロゼッタにとっては大した問題ではないのかもしれない。
──と、安堵したのもつかの間。
不意に、ロゼッタの顔に影が落ちたかと思うと、ロゼッタは、低い声で呟いた。
「……まあ、この私を相手に浮気なんてしようものなら、そんな男、四肢を切り落として海に沈めるけれどね……」
(大問題だ、召喚師様が魚の餌に……)
まるで害虫でも見下ろしているかのようなロゼッタの横顔に、思わず震撼する。
やっぱり、浮気は良くないですよね、なんて当たり障りのない返答をして、トワリスは、必死に平静を装おうとした。
この場合、自分はどうすれば良いのだろう。
どうにかしてルーフェンと話す機会を作って、浮気をやめないと魚の餌になりますよ、と忠告すれば、事を収められるだろうか。
こういった色恋沙汰には、下手に介入せず、第三者は大人しく見なかったことにするのが正解なのだろうが、何しろ、相手が相手である。
浮気されていたなんてわかったら、ロゼッタ本人も怒るだろうし、彼女を溺愛するクラークが、一体どんな手段でルーフェンに報復するか分からない。
もし、本当にサーフェリアの守護者が魚の餌にでもなったら、痴情のもつれどころではない、国を揺るがす大事である。
(ぅう、なんで私が、こんなことで悩む羽目に……)
海に沈める、だなんて言っているくらいだから、ロゼッタはやはり、ルーフェンの素行を知らないのだろう。
人知れず、トワリスは頭を抱えたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.190 )
- 日時: 2019/10/04 21:07
- 名前: マルキ・ド・サド (ID: FWNZhYRN)
どうも、マルキ・ド・サドです!
この度は2019年夏の大会での銀賞の受賞、おめでとうございます!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.191 )
- 日時: 2019/10/07 16:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
マルキ・ド・サドさん
ご無沙汰してますー(*´ω`*)
お祝いありがとうございます!
下巻では賞頂くの初めてだったので、嬉しいですねb
今後も精進していきます♪
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.192 )
- 日時: 2019/11/14 03:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
祭典に招待され、各街の権力者たちがハーフェルンに集まっていく中。
ルーフェンは、ほとんどの時間をマルカン邸で過ごしていたので、トワリスが彼と遭遇する機会は、想像以上に多くあった。
婚約した間柄というだけあって、ルーフェンとロゼッタは仲睦まじいように見えたし、何より、領主クラークが、暇さえあればルーフェンを屋敷に呼んで、食事を共にしたり、街を案内したりしていたのだ。
ハーフェルンは、軍事面の大半を、召喚師率いるシュベルテの魔導師団に依存している街だ。
愛娘を差し出す父親としても、ハーフェルンの領主としても、やはり召喚師との繋がりは、後生大事にしていきたいのだろう。
基本的には、誰に対しても鷹揚で、人当たりの良いクラークであったが、ルーフェンには別格のもてなしを見せているのであった。
結果的に、ルーフェンとクラークばかりが一緒にいることが多くなっていたので、「お父様ばかりずるい」と、ロゼッタが不満を爆発させるのに、そう時間はかからなかった。
トワリスを顎で使い、なんだかんだで悠々自適生活を楽しんでいたロゼッタであったが、四六時中部屋に籠っている生活が続き、鬱憤も溜まってきていたのだろう。
ある時、ロゼッタが、ルーフェンと二人きりで出掛けたいと言い出したのである。
ロゼッタの願いであれば、どんなものでも二つ返事で叶えるクラークであったが、護衛もつけずに外出となると、流石にすぐには頷かなかった。
夕食に毒が混ぜられたのも、つい最近のことであるし、ロゼッタの命を狙う輩が、いつどこに潜んでいるのか検討がつかない。
まして今は、各街の要人たちが、ハーフェルンに集結しているような状態である。
平素より警備を強化しているとはいえ、ハーフェルン街内には、どんな危険が紛れこんでいるか分からないのだ。
とはいいつつ、結局、折れたのはクラークの方であった。
自警団の目の行き届く市街地、そして、予め決められた場所にしか行かないという条件つきにはなったが、クラークは、ロゼッタが一日ルーフェンと外出することを許したのである。
他にもいくつか禁止事項を並べられたので、こんなに自由がきかないなんて嫌だと、ロゼッタは不貞腐れた。
だが、表向き彼女は、淑やかで大人しいお嬢様で通っている。
父親や臣下たちの前で、声をあげて駄々をこねるわけにもいかなかったらしく、ロゼッタは、渋々提示された条件を飲んだのであった。
(……だからって、なんで私が逢引に着いていかなくちゃいけないのさ……)
ルーフェンとロゼッタの後ろ姿を見ながら、トワリスは、密かにため息をついた。
クラークが出した条件の中には、トワリスの同行も含まれていた。
否、正確には、尾行である。
ロゼッタにばれることなく、二人を守るようにと、隠密行動をクラークから命じられたのだ。
クラークのことだから、念には念を入れ、トワリス以外の者にも尾行を命じているのだろう。
朝方、ロゼッタたちが屋敷を出発してから、昼時の現在に至るまで、どことなく複数人の気配を感じながら、トワリスは、二人の跡をこっそりと着けていたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.193 )
- 日時: 2019/11/13 20:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
露店の並ぶ通りを散策し、一通り買い物を楽しんだらしいロゼッタは、賑わう市街を抜けると、街で最も大きな閘門(こうもん)橋へとルーフェンを案内した。
ロゼッタは今日一日で、街の各所をルーフェンに紹介するのだと息込んでいたが、中でも自慢したいと言っていたのが、最近拡張予定のあるハーフェルン運河であった。
その名の通り、ハーフェルンにおいて、主要に使われている運河であるが、そこにかかる閘門橋から見える海、そして街並みは、ロゼッタ曰く絶景なのだという。
現在、運河を拡張させるにあたり、閘門橋周辺の一般人の立ち入りは禁止しているので、そこまで行けば、ルーフェンとロゼッタは実質二人きりだ。
昼頃には橋を登って、二人で夕暮れを見ながら、甘い時間を過ごすのだと、ロゼッタは何度もトワリスに話していた。
最初、運河の拡張は、ロゼッタがクラークにおねだりしたのだと聞いて、娘の一言でそんな大事を決めてしまうなんて、金持ちの考えることはやはり分からないと、呆れたものだ。
しかし、ルーフェンのために念入りにお洒落をして、何日も前から逢瀬が楽しみだと頬を染めていたロゼッタは、純粋に意地らしく、どこか眩しく見えた。
同時に、そんな健気な婚約者がいながら、別の女性にも思わせ振りな態度をとるルーフェンに、つくづく腹が立った。
一護衛に過ぎないトワリスが、口を出すことではないと、重々承知している。
それに、ロゼッタはロゼッタで、詐欺と言えるくらい裏表が激しい性格なので、全面的に彼女の味方をしたいかと言われると、正直そうでもない。
ただ、一途に相手を想うロゼッタの気持ちが、どうしてか痛いほど理解できたので、ルーフェンのへらへらとした態度を見ていると、無性に怒りがわいた。
婚約者がいる身の上で、他の女性にも手を出そうなんて、そんな浮わついた生活をするのは、召喚師としての沽券に関わると思う。
けれども、再会して以来、任務に集中できないほどルーフェンに腹を立てていたことが、自分でも意外であった。
他人の恋愛事情なんて、あまり気にしたことがないし、それこそトワリスは、こういった事柄に人よりも疎いと思っていたので、こんなに心が掻き乱されるなんて、自分が自分ではないような気がした。
いつものように、頑張れ、頑張れと自分を奮い立たせてみても、まるで身が入らない。
尾行だって、本当はしたくないはずなのに、なんとなく二人のやりとりが気になって、見てしまう。
周囲の人々に正体がばれないよう、ルーフェンとロゼッタは、外套の頭巾を深くかぶって行動していたが、それでも、時折見える横顔から、二人の楽しげな雰囲気が伝わってくる。
その度に、トワリスの中で、苛立ちが募っていくのだった。
橋の上までついていくと、気配を悟られてしまうので、トワリスは、石造りの階段に身を潜めて、ロゼッタたちの様子を伺っていた。
階段の中程に腰かけていたが、この高さからでも、家々の合間を縫って緩やかに流れていく、水路の道筋が見渡せた。
道の代わりに水を敷き、大小様々な水路が、華やかな街中を縫って流れていく。
その様は、港湾都市ハーフェルンでしか見られない、特有の光景だ。
閘門橋の一番上まで登れば、その水路や運河が、やがて集まり、海へと流れ出ていくところまで見えるのだろう。
閘門は閉じていたので、運河の水面は凪いでいたが、時折穏やかな風に波立っては、陽光を反射してきらきらと光っている。
夕陽が沈む頃には、色を変えて、一層輝くはずだ。
このまま閘門橋に留まれば、ロゼッタの言う通り、さぞ美しい光景が見られるに違いない。
ふと見上げれば、澄み渡った青空が広がっていて、海の方から吹いてくる風は、濡れた潮の匂いがした。
命令とはいえ、こうして隠れて、微かに聞こえてくるルーフェンとロゼッタの会話に聞き耳を立てていると、胸の奥底に罪悪感が膨れ上がってくる。
よく晴れた春の日差しが、トワリスの後ろめたい気持ちを、くっきりと照らし出しているようだ。
トワリスは、細く息をつくと、耳をそばだてながら、膝の間に顔を埋めたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.194 )
- 日時: 2020/03/03 00:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ロゼッタの手を取り、登ってきた階段の方を振り返ると、ルーフェンは、微かに目を細めた。
クラークの命令で動いている監視役なのか、敵意のない気配も混じっているが、マルカン邸を出たときから、複数人の視線を感じていた。
市街でロゼッタの露店巡りに付き合っていた時は、人混みに揉まれていたので、探るのも面倒で無視していたが、こうして人気のない閘門橋まで上がると、嫌でも周囲に潜む気配を感じ取れてしまう。
左右の階段に一人ずつ、そして橋の下にもう一人。
うまく隠れている者もいるが、虎視眈々とこちらの隙を狙っている、不遜な輩も混じっているようだ。
ルーフェンは、口元に薄く笑みを浮かべると、ロゼッタの方を向いた。
ロゼッタは、橋の欄干に掴まって、眩しそうに運河を眺めている。
ルーフェンが隣に並び、同じように欄干に寄りかかると、ロゼッタは、嬉しそうに運河を指差した。
「ねえ召喚師様、ご覧になって。この運河、昨年から更に広げていますのよ。完成したら、船も今より行き交うようになって、ハーフェルンが一層華やぎますわ。そうしたら、また私と一緒に、ここでお祝いして下さる?」
ふわりと風に靡いた茶髪を耳にかけ、ロゼッタが言う。
ルーフェンが、もちろん、と返事をすると、ロゼッタの笑顔は、更に明るくなった。
「距離としては、どこまで?」
問うと、ロゼッタの指先が、運河を辿る。
賑わう街を抜けた、更のその先──明色な海との合流点を指差すと、ロゼッタは答えた。
「閘門をあと三ヶ所、距離としては、文化都市ウェーリンまで伸ばすつもりですわ。そうすれば、ネール山脈との物資のやり取りも出来るようになりますもの。あそこと取引できたのは、ハーフェルンが初めてですの」
「へえ、あんな北まで」
ルーフェンが、感心した様子で、肩をすくめる。
ロゼッタは、微笑みを浮かべたまま、自らの深紅の耳飾りに手を触れた。
「北方の鉱脈には、ハーフェルンも注目していますの。ネール山脈の周辺は、閉鎖的な街や村が多いから、門外不出になっているようですけれど、あの地域一帯で採れる鉱物は、装飾品としても魔石としても有用だって、お父様が仰っていましたわ。ほら、この耳飾りに使われているアノトーンという宝石も、北方から譲り受けましたの。綺麗でしょう?」
指で弾けば、ロゼッタの耳飾りが、ちらりと光る。
次いで、ルーフェンのランシャムの耳飾りを一瞥すると、ロゼッタは続けた。
「召喚師様の耳飾りについた緋色の石も、北方でしか採れないってお聞きしましたわ。私ね、召喚師様とお揃いにしたくて、お父様に紅色の耳飾りをおねだりしたの。そうしたら、珍しい宝石ならネール山脈で沢山採れるから、運河の開通と同時に、北方は私が開拓してやるって、そうお約束してくださったわ。お父様ったら、召喚師様が以前、南のリオット族を使ってノーラデュースを開拓したことに、よっぽど感銘を受けたみたい。ネール山脈はハーフェルンが手に入れるんだって、すごく張り切ってますのよ」
ルーフェンが、微かに眉をあげる。
その銀の瞳に笑みを閃かせると、ルーフェンは、一拍置いて答えた。
「それは光栄だな。リオット族の皆も、今の話を聞いたら喜ぶと思うよ」
「まあ、本当?」
ロゼッタは、跳ねるようにルーフェンに向き直った。
「だったら、是非お話しして差し上げたいですわ。私は、リオット族の方々を野蛮だの、恐ろしいだの、そんな風に言うつもりはありません。むしろ、直接お会いしたいと思っていたくらいですもの。ハーフェルンとしては、いつでも大歓迎です。いかがかしら? なんなら、今からでも遅くはありませんし、今回の祭典にお招きしてもよろしくて?」
上目遣いにルーフェンを見て、ロゼッタが尋ねる。
ルーフェンは、くすりと笑うと、肩をすくめてみせた。
「……気持ちは嬉しいけど、俺がちょっと困るかな」
「あら、どうして?」
ロゼッタが、愛らしく首を傾げる。
ルーフェンは、彼女の手をとると、その薄い甲を、指の腹でゆっくりとなぞった。
「君との時間を誰かにとられるのは、惜しいから」
瞬間、ぼんっと音を立てて、ロゼッタの顔が茹で上がる。
俯き、ルーフェンに握られた手を胸元で握りこむと、ロゼッタは、くるりと背を向けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.195 )
- 日時: 2019/11/21 19:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「あ、あの、耳飾り……さっき、召喚師様とお揃いにしたかったから、同じ赤系統の石を選んだって言ったでしょう? 実は、その、もう一つ意味があって……。願掛けもしていますの」
「願掛け?」
ルーフェンが聞き返すと、ロゼッタは振り返らずに、こくりと頷いた。
「聞いたことありませんか? 対の耳飾りを分け合って、男性は左耳に、女性は右耳につけるんです。そうすれば、離れ離れになっても、再び対に戻れるっていう、古い言い伝え。二人で一つ、将来を誓い合った男女で交わす、おまじないみたいなものですわ」
言いながら、左耳の耳飾りをはずすと、ロゼッタは、欄干の上から腕を伸ばした。
眩い陽の光に透かせば、その紅色の宝石が、朱や茜に煌めいて、色を変える。
恥ずかしいのか、緊張しているのか。
その指先を震わせ、耳まで真っ赤に染めながら、ロゼッタは、思いきった様子で唇を開いた。
「召喚師様は、命懸けのお仕事をなさっているわけですし、今はまだ、頻繁にお会いできるわけではないでしょう? だから……その、この耳飾り、もらっては頂けませんか?」
光を反射しながら、耳飾りが揺れる。
ルーフェンが返事をする前に、ロゼッタは、どこか慌てたように付け加えた。
「召喚師様には、その緋色の耳飾りがありますから、つけてほしいなんて我が儘は言いませんわ。ただ、このアノトーンの耳飾りも持っていて下さったら、私達、いつも一緒にいられるような気持ちになれるでしょう? 持っているだけでも、願掛けに意味はあると思いますの。対であろうとなかろうと、昔から、耳飾りを大切な人に贈ったり、預けたりすることは──あっ」
「あ」
不意に、握られていた紅色の耳飾りが、するりとロゼッタの指から滑り落ちた。
咄嗟にロゼッタが手を伸ばすも、耳飾りは、あっという間に運河の底に吸い込まれていく。
ロゼッタまで落ちないようにと気遣ったルーフェンが、橋の下を覗いた時には、もうすでに、耳飾りは見えなくなっていた。
「う、うそ……」
呟いたロゼッタの目に、みるみる涙が溢れていく。
欄干から顔を出し、つかの間、耳飾りを目で探していたルーフェンであったが、やがて、姿勢を戻すと、やれやれと内心息をついた。
手先に集中していなかったせいで、うっかり落としてしまったのだろうが、あんな小さな耳飾りを、広大な運河の中から見つけるのは、ほとんど不可能に近いだろう。
魔石か何かであれば、魔術で探し出す方法もあるかもしれないが、あの紅色の宝石は、見る限り希少価値が高いというだけの単なる貴石だ。
運河の水を全部抜いたところで、耳飾りも一緒に流れていくだろうし、水深があるので、人数を動員したところで浚うのも難しい。
ここは、諦めがつくように説得して、それとなく話題を変えるしかないだろう。
そう思って、ルーフェンがロゼッタの肩に手を当てた──その時だった。
「──……」
何かが、鳥の如く軽やかに、橋の欄干に降り立った。
陽の光が遮られて、目の前がふっと暗くなる。
それが、人の形をしていると悟ったとき、ルーフェンは、驚いて瞠目した。
欄干の上なんて、足場としては不安定なはずだ。
それなのに、人影はまるでバネのように体を縮ませ、欄干を蹴ると、弧を描いて運河の中へ飛び込んでいく。
到底、人とは思えぬ身軽さと、しなやかな力強さ。
水音も、人々の喧騒さえも耳に入らず、ルーフェンは、呆然とその姿を見つめていた。
「──ト、トワリス!?」
焦ったようなロゼッタの声で、我に返る。
次いで、聞こえてきた着水音と同時に、困惑した民衆たちのざわめきがあがって、ルーフェンも、慌てて橋の下を覗いた。
何が起きたのか、一体誰が飛び込んだのかと、口々に騒ぎながら、周囲に人が集まってくる。
当然だ。ここは、ただの浅い水路などではない。
閘門橋は、巨大な商船すら潜り抜けられるほどの高い位置に掛かっているし、運河自体の水深だって、そこらの川など比較にならないくらい深いのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.196 )
- 日時: 2019/11/27 23:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ふと振り返れば、トワリスが落としていったであろう双剣と外套が、橋の隅に打ち捨てられていた。
重りになるものは脱いでいった──つまり、彼女は意図的に、運河に飛び込んでいったということだ。
(一体、何のために……?)
思わず息を飲んで、波立った運河を見つめる。
しかし、いつまで経っても、トワリスらしき影は水面に浮かんでこなかった。
幸い、閘門が閉じているので、流されることはないだろうし、岩などが水中に潜んでいることもないので、障害物に激突するようなことはないだろう。
だが、そもそも着水の時点で気絶すれば、溺死する可能性だって十分にあり得る。
よほど衝撃的だったのか、ふと額に手を当てたロゼッタが、ふらりと倒れる。
その身体を支えて横たえると、ルーフェンは、素早く外套を脱いで、欄干に足をかけた。
水面に走らせた視界が、一瞬ぼやける。
考えただけでも怯んでしまうほどの高さなのに、何の躊躇もなく飛び込んでいったトワリスの姿が、未だに信じられなかった。
ルーフェンは、息を吸うと、勢いよく欄干を蹴った。
水中に飛び込んだ瞬間、板で殴られたような衝撃と、心臓が縮むような冷たさが全身を襲う。
立ち泳ぎをしながら、周囲を見渡していると、視界の端に、突き出した赤褐色の頭が映った。
(見つけた……!)
水を掻いて向きを変えると、ルーフェンは、トワリスが沈んでいった方へと泳いだ。
秋口とはいえ、想像以上に水温が低い。
水流に飲まれて溺れることはなくとも、この水温では、あっという間に体温を奪われて、動けなくなってしまうだろう。
大きく手を伸ばすと、指先に何かが触れた。
トワリスの腕と思われるそれは、しかし、掴んだと思った途端、するりと手の中から抜けていってしまう。
手が滑ったのではなく、掴んだ手を拒まれたような感覚だった。
「トワリスちゃん! 手、伸ばして!」
叫んでから、今度はトワリスの胴を抱え込むようにして、引き上げる。
力ずくで水面に上げられたトワリスは、苦しげに顔を出すと、身体を反るようにしてルーフェンを押し退けた。
「はっ、離してください……!」
冷えきってしまったのか、トワリスが、震える声で言う。
再び水中に潜ろうとする彼女の腕を、咄嗟に掴み取ると、ルーフェンは信じられぬ思いで、その身体を引き寄せた。
「馬鹿! 何考えてる!」
らしくもなく声を荒げてしまったが、そんなことは気にも留めていない様子で、トワリスは腕から抜け出そうと暴れている。
唇の血の気もなく、身体だって氷のように冷たくなっているのに、この状況で水中に留まろうとするなんて、トワリスは一体何を考えているのか。
ルーフェンは、半ば強引にトワリスを抱えると、短く詠唱をした。
しぶき立っていた水面が、突然、意思を持ったように水嵩を増し、ルーフェンとトワリスの身体を押し上げる。
元々、水中のトワリスを巻き込みたくなかっただけで、彼女さえ保護できれば、後は魔術で脱出しようと思っていたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.197 )
- 日時: 2019/11/27 19:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ルーフェンは、抵抗するトワリスを押さえ込んで、石造の岸辺にずり上がった。
閘門橋を見上げれば、騒ぐ人々がこちらを指差して、忙しく行き交っている。
この分なら、こちらが動かなくとも、じきに助けが来るだろう。
そういえば、気絶したロゼッタも、橋の上に放置してきてしまった。
無理矢理引きあげられたトワリスは、ルーフェンの腕をはねのけると、咳き込みながら怒鳴った。
「どうして離してくれなかったんですか! 耳飾り、まだ見つけてなかったのに!」
「耳飾り……?」
訝しげに問い返して、目を見開く。
トワリスが運河に飛び込んだのは、ロゼッタの落とした耳飾りを探すためだったのだと気づいて、ルーフェンは、思わず眉をひそめた。
「耳飾りって……まさか、そんなことのために飛び込んだの?」
「そんなこと……?」
トワリスの声音に、押し殺したような怒りが混ざる。
きつくルーフェンを睨み付けると、トワリスは激昂した。
「あの耳飾りは、マルカン候がロゼッタ様に贈ったものなんですよ! 大切な宝物なんだって、前に言ってたんです! そんなことじゃありません!」
トワリスの真剣な面持ちに、ルーフェンは、つかの間言葉を止めた。
ロゼッタの“大切な宝物だ”なんていう言葉に、おそらく深い含みはない。
あるとすれば、単純に宝石としての希少価値が高いから、“宝物だ”というだけである。
父親からの贈り物だとか、願掛けをしたとか、そんなロゼッタの綺麗な言葉に、さして重大な意味はない。
ロゼッタに限らず、貴族の娘とは大概そういうものであることを、ルーフェンは知っていた。
けれどもトワリスは、そんな彼女たちの言葉を、いちいち額面通りに受け取っているのだろう。
だから、こんな風に真剣になれるのだ。
ルーフェンは、言葉を選びながら、小さく息を吐いた。
「……仮にそうだったとしても、飛び込むのは危ないよ。あんな高さから落ちて、下手したら、死んでたかもしれない」
「あの程度じゃ死にません。私はそんな柔じゃないです!」
「第一、あんな小さな耳飾り、運河の中から見つけられるわけないだろう? 浅瀬ならまだしも──」
「召喚師様が途中で割り込んでこなければ、見つけられました! 私一人だったら、耳飾りを持って自力で岸まで上がれてたのに……!」
「…………」
この言い種には、流石のルーフェンも、むっと眉根を寄せた。
意地になっているのだろうが、どう考えたって、トワリス一人で耳飾りを見つけられたとは思えない。
閘門橋から飛び降りて、今現在こうして口論を交わせるくらいだから、柔じゃないという彼女の言葉も、嘘ではないのだろう。
けれど、ルーフェンが助けに入らず、長時間あの冷たい運河の中で揉まれていれば、どんな頑丈な人間でも、体力を奪われて動けなくなってしまっていたはずだ。
言い返そうとして、しかし、トワリスの姿を改めて見ると、ルーフェンは口を閉じた。
飛び込んだときに水を飲んでしまったのか、何度か叫んだ後に、トワリスは苦しげにひゅうひゅうと喉を鳴らしている。
寒いのか、それとも怒り故なのか、その小柄な肩は、微かに震えていた。
ルーフェンは、やりづらそうに嘆息した。
「……助けが不要だったなら、ごめんね。でもやっぱり、いきなり運河に飛び込むなんて、誰がやったって危ないよ。今回助かったのは、運が良かったからだと思った方がいい。……耳飾りはまた買えるけど、君は買えないだろう?」
はっと見開かれたトワリスの目が、大きく揺れる。
何を言っても怒鳴り返してきていたトワリスは、突然戸惑ったようにうつむくと、黙りこんでしまった。
「……大丈夫? どこか痛む?」
心配になって声をかけるが、やはりトワリスは、唇を閉ざしたままだ。
顔色を伺おうにも、彼女は下を向いているので、濡れた前髪に隠されてよく見えない。
トワリスの表情を伺うため、赤褐色の髪に触れようとした──その、次の瞬間。
「触んないで下さいこの変態っ! 不潔っ! 女ったらしーっっ!!」
ルーフェンの反応速度を上回る速さで、トワリスの掌が飛んでくる。
怒号と共に、スパァンと鳴り響く、乾いた音。
トワリスの手が、ルーフェンの頬──というよりは顔面をぶっ叩いた音は、辺り一面に、高々に響き渡ったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.198 )
- 日時: 2019/11/30 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「君は一体! 何をしに行ったのかね!?」
温厚さの欠片もない、太い声でクラークに怒鳴られて、トワリスは萎縮した。
落ち着いて、と宥めるように言って、ルーフェンは、クラークとトワリスの間に立つ。
召喚師の手前、怒りは抑えているようであったが、クラークの顔つきは、今にも殴りかかってきそうなほど険しかった。
運河でびしょ濡れになったルーフェンとトワリス、そして倒れていたロゼッタは、無事に自警団の者達に助け出され、マルカン邸に戻ってきた。
事の成り行きを聞いたクラークは、ひとまずトワリスたちを着替えさせ、応接室に通すと、烈火のごとく激怒した。
ただ逢引の監視を命じただけなのに、そのトワリスが、突然運河に飛び込むだなんて奇行に走るとは、一体誰が予想できただろう。
結果的に、大事なロゼッタを気絶させ、賓客であるルーフェンまで全身ずぶ濡れにしたわけだから、クラークの中で、トワリスは重罪人に成り上がっていたのだった。
「黙っていないで、なんとか言ったらどうなのだ。この前の毒混入を許した件といい、役に立たぬだけならまだしも、君はなんなのだ。私の顔に泥を塗りたいのか?」
「……申し訳ありません」
仏頂面で謝罪をするだけで、トワリスは、それ以上何も言わない。
何故非難されるのか、まるで納得がいかないという心の内が、そのまま顔に出てしまっている。
そんな態度が、一層頭に来るのだろう。
クラークは、わなわなと拳を震わせて、床に正座するトワリスを指差した。
「第一、何故運河なんぞに飛び込んだのだ! トワリス、君のせいで市街はちょっとした騒ぎになったのだぞ。召喚師様にまでお手間を取らせおって……!」
「まあまあ……私は大丈夫ですから」
憤慨するクラークを、ルーフェンが諌める。
豪奢な椅子から立ち上がり、ばんばんと机を叩いて叫んでいたクラークは、ルーフェンに向き直ると、恭しく頭を下げた。
「召喚師様、なんとお詫びを申し上げてよいやら……。本当に医術師は呼ばなくてよろしいのですか? 頬が赤く腫れておりますが……よほど勢いよく顔面から着水なさったのですね」
「いや、そんな器用な着水はしてないですけど……」
あはは、と苦々しく笑って、ルーフェンは、トワリスを一瞥する。
この頬の赤みは、他でもない、トワリスにぶん殴られたせいで出来たものだ。
しかし、そんなことを話せば、クラークはいよいよトワリスを厳罰に処すだろう。
彼女も彼女で、少しは弁解すれば良いのに、ぶすぐれた顔で沈黙しているだけだ。
こんな態度をとっては、クラークの頭に血が昇るのも仕方がない。
ルーフェンは、やれやれと肩をすくめると、クラークに笑みを向けた。
「マルカン候、そう怒らないで下さい。別に彼女も、意味がなく運河に飛び込んだわけじゃないんです。実は──」
「──子供が!」
仕方なく、代わりに弁解してあげようと口を開いたルーフェンの言葉は、しかし、当の本人、トワリスによって遮られた。
思わず声が大きくなってしまって、トワリスは、はっと口をつぐむ。
ルーフェンとクラーク、二人の視線を受けて、トワリスは、どこか辿々しい口調で告げた。
「……子供が、溺れているように見えたんです。それで、助けようと思って、飛び込んだんですが……私の勘違いでした。すみません」
「…………」
クラークの顔が、怒りを通り越し、呆れに歪む。
ルーフェンは、少し驚いたように瞠目して、トワリスを見つめていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.199 )
- 日時: 2019/12/02 20:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
彼女が嘘をついた理由が、分からなかった。
ロゼッタのために、落とした耳飾りを取り戻そうとしたのだと説明すれば、クラークの怒りは幾分か解けたはずだ。
無鉄砲さに注意を受けることはあったかもしれないが、娘のために動いた臣下を処すほど、クラークは横暴ではない。
その時、不意に、扉を叩く音が聞こえてきた。
クラークの返事を聞いて、一人の侍従が、部屋に入ってくる。
侍従は、入室と同時に頭を下げると、クラークに進言した。
「申し上げます。ロゼッタ様が、たった今、お目覚めになりました」
「おお! それは真か!」
曇っていたクラークの表情が、ぱっと輝く。
足取り軽く扉まで向かってから、ふと振り返ると、クラークは言った。
「今日のところは、この話は終わりだ。トワリス、君の処遇については追って沙汰する。召喚師様は、どうぞこの後も我が屋敷でごゆるりと。何かございましたら、侍女までお申し付けを」
それだけ早口で残して、クラークは、さっさと部屋を出ていってしまう。
静まり返った室内で、ルーフェンは、どうすべきかとクラークの机に寄りかかったが、トワリスは、少し体制を崩しただけで、未だ硬い床の上に正座をしたままであった。
「椅子に座ったら?」
クッションのきいた長椅子を示して、ルーフェンが口を開く。
トワリスは、どこか強張った面持ちで、おずおずと長椅子に腰かけると、やがて、暗い声で尋ねた。
「……召喚師様は、怒ってないんですか」
「何に?」
「邪魔をしたことと、頬を叩いたことです」
「……それを言うなら、昔噛まれたときの方が痛かったよ?」
冗談のつもりで言ったが、トワリスは、くすりとも笑わなかった。
ただ目を伏せ、床の一点を見つめながら、膝上に置いた拳をぐっと握っている。
ルーフェンは、一拍置いてから、トワリスに問うた。
「どうして耳飾りのために飛び込んだんだって、説明しなかったの? 子供が溺れてると勘違いしたなんて、嘘でしょう?」
トワリスの目が、一瞬、ルーフェンを捉える。
しかし、すぐにそっぽを向くと、トワリスは、ぼそぼそと答えた。
「……だって……耳飾りをとって戻れたわけじゃありませんし。わざとじゃなかったとはいえ、贈った耳飾りを娘がなくしたと知ったら、父親としては悲しいじゃないですか」
「…………」
驚きの答えに、ルーフェンは、思わず絶句してしまった。
優しい、といえば聞こえはいいが、それはあまりにも意味のない、無駄な親切心であった。
ロゼッタにとってもそうだが、クラークにとっても、あの耳飾りはさして重要なものではないだろう。
そもそも、贈ったかどうか覚えていない可能性が高いし、仮に覚えていたとしても、数ある贈り物の一つに過ぎない。
あの耳飾りには、命をかけるような価値などないし、クラークを気遣うあまり、己の立場を危うくするだなんて、思いやりがあるというよりは単なるお人好しだ。
耳飾りを取り戻そうとしたのだと訴えて、自分の地位を守った方が余程利口である。
ただの町娘として暮らすならば、優しさは美徳と言えるだろう。
しかし、トワリスが選んだ魔導師という道は、戦いに身を投じる中で、時には人を騙し、貶めることも必要になるはずだ。
それなのに、彼女は今まで、この愚直さで生きてきたのかと思うと、感心するのと同時に、言い知れぬ苛立ちや呆れのようなものも感じた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.200 )
- 日時: 2019/12/05 19:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
ルーフェンは、顔に出さぬように、内心ため息をついた。
「……耳飾りがなくなったのは、君のせいではないし、正直に言えばよかったと思うよ。トワリスちゃんは、あの耳飾りがすごく価値のあるものだと思っているようだけど、多分そうじゃない。マルカン候の娘の溺愛ぶり、見てるでしょ? あの調子で、しょっちゅう娘に物を買い与えてる。あの耳飾りは、その中の一つでしかないよ」
「……どうしてそんなこと言うんですか」
忠告のつもりで言ったが、それこそトワリスにとっては、不要な親切心だったらしい。
どこか不機嫌そうにルーフェンを見ると、トワリスは、言い直した。
「お言葉ですが、召喚師様こそ、人の気持ちを軽く見すぎじゃありませんか。あの耳飾りは、マルカン候からの贈り物であり、ロゼッタ様が召喚師様のために身に付けてたものでもあるんですよ。数日前から、嬉しそうに耳飾りを自慢してくるところを、私はずっと見てました。そういう背景を知らないくせに、そんな風に言わないでください」
「…………」
いや、ロゼッタちゃんに限っては──と言いかけて、ルーフェンは口を閉じた。
トワリスは、見るからに頑なな態度で、ルーフェンを睨んでいる。
ここで何か反論をするのは、火に油を注ぐこときなるだろう。
ルーフェンは、話を別の方向に向けた。
「でも、このままだと、君の立場が危ないかもしれないよ。マルカン候は、君が勘違いで運河に飛び込んで、騒ぎを起こしたと思い込んでる。相当ご立腹のようだったし、誤解を解かないと、屋敷から叩き出され兼ねない」
ぴくりと、トワリスの睫毛が動く。
唇を噛むと、トワリスは、細く息を吐いた。
「……そうなっても、仕方ないのかもしれません」
弱々しい声で、トワリスは続けた。
「……マルカン候には、感謝しているんです。ハーフェルンに来て振り回されることも多かったけど、私みたいな新人魔導師を、こんな大役に起用して、期待してるって言って下さった。経歴とか獣人混じりだとか、そういうことも気にせず、魔導師としての実力だけを見ようとして下さってたんです。マルカン候は、きっとそういう方で……だから、その上で、私じゃロゼッタ様の護衛は勤まらないって判断されたなら、仕方がないです」
どこか諦めたような声音で、トワリスは言った。
「前にも、叱られたんです。ロゼッタ様の夕食に、毒が盛られていたことがあって、それを、私が見逃してしまったから……。今回の件も、耳飾りを取りに行こうとしたこと自体は、後悔していません。でも、結果的に皆さんに迷惑をかけてしまったので、見限られても文句は言えません。中途半端に辞めることになるのは悔しいですが、ここでしつこく食い下がって、ロゼッタ様を危険にさらしたら、元も子もない。暇を出されたら、大人しく魔導師団に戻って、修行し直します……」
言い終えたあと、膝上に置かれたトワリスの拳に、ぎゅっと力が入ったのが分かった。
言葉だけは聞き分けの良いものだが、やはり、悔しいのだろう。
トワリスは、投げ槍になっているというより、ただ、良かれと行ったことが空回って、気落ちしているようであった。
ルーフェンは、そんな彼女の顔つきを、しばらく意外そうに眺めていた。
クラークと対峙していたときは、仏頂面に見えたが、実際のトワリスは、騒ぎを起こしたことを気にしているようだ。
叱られてぶすぐれていた訳ではなく、単に緊張して、表情が固くなっていただけだったのかもしれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.201 )
- 日時: 2019/12/09 18:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
(不器用というか、なんというか……)
予想でしかないが、今までもこの堅すぎる性格が災いして、トワリスは痛い目を見たことがあったのではないだろうか。
そんなことを考えていると、トワリスが、居心地が悪そうにルーフェンを見上げて、言い募った。
「……召喚師様、やっぱり怒ってるんですか」
そう問われて、はっと我に返る。
どうやら、トワリスのことを長時間凝視ししすぎたらしい。
ルーフェンは、首を左右に振った。
「いや、そういうわけじゃないよ。殴られたところも、もう痛くないし。触られるのが嫌だったんでしょ? ごめんね、大した意味はなかったんだ。もう何もしないよ」
笑みを浮かべ、何もしないという証明に、両手をひらひら上げて見せる。
トワリスは、少し罰が悪そうに目をそらした。
「いえ、その……私も、申し訳ありませんでした。いきなり、叩いたりして……。でも私、もう一つ謝らなければならないことがあって……実は、召喚師様たちのこと、尾行していたんです」
「…………」
知っていたが、この後に及んで本人が打ち明けてくるとは思わず、ルーフェンは眉をあげた。
尾行していただなんて、それこそ言わなければ済む話なのに、どこまで馬鹿正直なのだろうか。
ルーフェンは、肩をすくめた。
「……気づいてたよ。というか、それもマルカン候からの命令でしょう? 君が気にすることじゃない。トワリスちゃんはお金持ち連中の感覚にあまり慣れていないみたいだけど、基本的にご貴族様は、護衛も監視もなしに出掛けるなんてあり得ないんだよ。それが例え、ただのお散歩でも、何でもね」
皮肉っぽく言うと、トワリスは、微かに眉を下げた。
「それは、まあ確かに何が起こるか分かりませんし、護衛がつくのは大事なことですけど……。でも、今回は召喚師様がいたし、無理に尾行する必要はなかったのかなと。だって、嫌じゃないですか? 折角その……こ、婚約者と出掛けてるのに、誰かに見られてるなんて……」
どこか恥ずかしげに言って、トワリスは、視線を斜め下にそらす。
ルーフェンは、苦笑混じりに答えた。
「どうかな? まあ、親心もあるだろうし、いいんじゃない? 大事に育ててきた娘が人混みに出掛けるってなったら、そりゃあ心配だろうし、まして一緒にいる男が、俺みたいなフラフラした奴じゃあね」
そう冗談混じりに返すと、トワリスの目が、大きく見開かれた。
「ご自分がフラフラの変態である自覚はあったんですね」
「……え? 俺、変態だと思われてたの?」
あ、と声を上げて、トワリスが口を閉じる。
そういえば、運河で殴ってきた時も、変態だの不潔だのと、トワリスは叫んでいた気がする。
いや、とか、あの、とか口ごもった末に、トワリスは、言いづらそうにぼやいた。
「……へ、変態、というか……だって、ロゼッタ様がいるのに、金髪の女の人と仲良くしてたじゃないですか……」
「金髪……? 誰だっけ?」
ぱちぱちと瞬いたルーフェンに、トワリスが、怪訝そうに眉をしかめる。
信じられないものを見るような目つきになると、トワリスは、強い口調で言った。
「い、いたじゃないですか! 私と召喚師様が、この屋敷の中庭で偶然会ったとき! 金髪の、女の人が嬉しそうに来て、その、召喚師様と……」
ごにょごにょと口ごもりながら、トワリスの語尾が、尻すぼみになっていく。
ルーフェンは、うーんと呟いて、それから、首をかしげた。
「そういえば、そんなことがあったかな。金髪の、髪長い子だっけ。それとも短い方?」
「まさか複数心当たりがあるんですか……」
いよいよ本気で軽蔑し始めたのか、長椅子の右端に移動して、トワリスがルーフェンと距離を取る。
ルーフェンは、からからと笑うと、トワリスが座っている長椅子の、左端に座った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.202 )
- 日時: 2019/12/12 18:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
「そんなもんだって。いちいち真に受けて相手にしてたら、こっちが疲れるもん。……トワリスちゃんも、疲れない?」
トワリスの眉間の皺が、更に深まる。
ぐっと伸びをすると、ルーフェンは、トワリスを見た。
「いきなりこんなこと言われても、余計なお世話だと思うかもしれないけどさ。もう少し、器用に生きなよ。でないと、自分ばっかり損するよ。世の中、ねじまがってる人間の方が多いから」
眉を下げて、ルーフェンは、どこか困ったように笑う。
緊張感の欠ける軽い言い方に、トワリスは、刺々しい視線を投げた。
二人きりで、こんなに近くで話したのは、再会してから初めてであった。
改めて思う。やはり今のルーフェンは、昔の彼とは別人のようだ。
言葉を交わし、目は合っているのに、なんだか今のルーフェンは、終始こちらを見ていないような感じがする。
言葉一つ一つも薄っぺらくて、言動は優しくとも、暖かみが感じられない。
滲み出るその軽薄さを、本人が隠そうともしていないところが、余計に腹立たしかった。
運河から引きずりあげられたとき、一瞬、昔に戻ったような気がした。
そう感じさせたのが、ルーフェンの瞳だったのか、それとも声色だったのか、自分でも理由は分からない。
けれども、「君は買えないだろう」と言われたあの瞬間、ルーフェンが地下まで助けに来てくれた、幼かった頃の記憶が頭に蘇ったのだ。
しかしそれも、今では自分の都合の良い思い込みだったように思える。
現在、少し離れた位置に腰かけるルーフェンは、トワリスのことなんて見ていないし、おそらくロゼッタにも、その他の人々にも、さして興味がないのだろう。
かといって敵意を見せることもなく、ただへらへらと笑って、甘い言葉を吐いているのだ。
トワリスの中に沸き上がってきた、もやもやとした気持ちが、考えるより先に、口からこぼれ出た。
「……どうせ私は、不器用ですよ」
ルーフェンが、トワリスを見る。
しまった、と思ったが、こみ上がってきたどす黒いものは、止める間もなく、濁流のように唇から溢れ出した。
「召喚師様みたいに器用な方は、私を見てると、馬鹿だなと思うんでしょうね。いちいち真に受けて、信じて憧れて、馬鹿だなぁって。そうなんですよ、私、馬鹿なんですよ。口うるさく注意するばっかりで、護衛としては何の役にも立たないし、空回ってばっかりだし……」
「いや、そんなつもりで言ったわけじゃないけど……」
トワリスの極端な解釈に、ルーフェンが制止をかけてくる。
そんなことには構わず、地面を踏み鳴らすように立ち上がると、トワリスは声を荒げた。
「でも、あの耳飾りが本当にどうでもいいものだったかなんて、そんなの分からないじゃないですか! 少なくとも私は、大事なものなんだって思ったし、なくしたら、マルカン候もロゼッタ様も、悲しむだろうと思ったんです! 悪いですか? それで何か、召喚師様にご迷惑をかけましたか? かけてませんよね? 運河に飛び込んだのだって、召喚師様が勝手にやったことじゃないですか。私は助けてほしいなんて一言も言ってないし、自力で耳飾りを取って戻れました! ご存知の通り獣女なので、召喚師様よりもずっと頑丈だし、体力もあるんです! だから、余計なお世話だったんですよ!」
トワリスの勢いに気圧されたのか、ルーフェンは、ぽかんとした表情で絶句している。
つい先刻ぶん殴った召喚師に、今度は暴言の数々。
そろそろ首を飛ばされてもおかしくないと、頭の片隅で考えつつも、トワリスの思考は、すっかり煮え立っていた。
「本当に、余計なお世話なんです……! だって、私がどうなろうと、召喚師様には関係ないじゃないですか。興味ないくせに、誰彼構わず無駄に優しくしたり、振り回したりして……そういうの不誠実だし、はっきり言って気持ち悪いです!」
自分で言いながら、思いがけず目頭が熱くなって、トワリスは唇を震わせた。
八つ当たりが混じっている自覚はあったし、今更冷静ぶったところで遅いが、ここで泣くだなんて、感情的かつみっともない姿は晒したくない。
ルーフェンは、未だ言葉が見つからないのか、目を丸くして固まっている。
トワリスは、ルーフェンに背を向けると、扉の方まで大股で歩いていった。
「数々のご無礼、不躾な発言、誠に申し訳ございませんでした! でも、もう知りません……召喚師様なんて、魚の餌にでも、海の藻屑にでもなればいいんですよ……!」
そう言い放つと、トワリスは、勢いよく取っ手に手をかけた。
「魚の餌……?」と呆気にとられるルーフェンを振り返ることもなく、力一杯、扉を閉めて退室する。
扉が嫌な音を立てたことには、気づかなかったふりをして、トワリスは、その場から逃げるように立ち去ったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.203 )
- 日時: 2019/12/15 19:51
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
(召喚師様の馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿! 変態! 人でなし! でも、私が一番の、馬鹿……!)
ずんずんと長廊下を進みながら、トワリスは、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
滅茶苦茶だ、もう何もかも。
発言も、思考も、全てが感情的で支離滅裂。
思い返すと、自分の非ばかりが思い起こされて、頭が痛くなった。
ルーフェンは、ただ運河に飛び込んだトワリスを、親切心で助けてくれただけだ。
如何なる理由があろうと、いきなり高い閘門橋から飛び込むなんて危険だと、そう言った彼の言葉は、まさしく正論だった。
正論すぎて、つい感情的な返しをしてしまったのだ。
ロゼッタの宝物だと思っていたから、耳飾りが運河に落ちたとき、考えもなしに追って飛び込んだ。
結果的に、多少怪我を負ったとしても、護衛としてまだ役に立てていない自分が、ロゼッタの想いを守れるなら、それでいいと思っていた。
だからこそ、ルーフェンに耳飾りの価値を否定されたとき、自分の行動と気持ちまで、一緒に否定されたように感じたのだ。
ルーフェンは、何も知らない。
ロゼッタがどんな想いで着飾っていたのかも、トワリスがどんな思いで、一人前の魔導師を目指してきたのかも、何も知らない。
知る必要もないだろう。
国を護る召喚師が、一個人の思いにいちいち耳を傾ける道理はないし、興味を持つも理由ない。
ただ、興味がないならないで、そう振る舞えば良いのに、彼は甘い言葉を吐いて、上辺だけの笑みを浮かべるのだ。
まるで、適当にあしらっておけば良い、お前など眼中にない、とでも言うかのように。
そんなの、冷たくされるよりも、一層質が悪い。
「もっと器用に生きなよ」と、へらへらと軽い調子で言われたときも、怒りが沸いた。
自分が不器用なことなんて、言われなくても分かっているし、意識するだけで要領良くなれるなら、とっくにそうしている。
不器用だから、不器用なりに頑張っているのに、簡単な一言で片付けられて、頭に血が昇った。
どれもこれも、ルーフェンの言うことは間違っていなかったが、あまりにも合理的すぎて、腹が立つ。
けれど、何よりも腹立たしかったのは、いちいち憤慨して、感情的になった自分が、次々にみっともない姿を晒してしまったことであった。
(……私、これからどうなるんだろう)
ふと、怒り狂うクラークの顔が浮かんで、トワリスは立ち止まった。
あの様子では、解雇されるのは確実だろう。
良くて解雇、もしくは地下牢行き、最悪、斬首を命じられる可能性もある。
流石に運河に飛び込んだことが、極刑の理由にはならないだろうが、トワリスは以前、ロゼッタが毒を口にしてしまったとき、クラークから「斬首にも値する失態だ」と釘を刺されている。
役に立たない上に、人騒がせで、おまけに召喚師に対して暴言と暴力を働いてしまったわけだから、重い処分を科されてもおかしくはない。
ルーフェンに怒っている様子はなかったが、彼に傾倒しているクラークが許してくれるかどうかは、また別問題である。
ロゼッタだって、結果的に逢瀬の邪魔をしてしまったわけだから、怒っているかもしれない。
ルーフェンの言う通り、あの耳飾りが、本当にロゼッタにとって大したものでなかったのなら、尚更である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.204 )
- 日時: 2019/12/18 18:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
ひらりと舞った枯れ葉が、トワリスの足元に落ちた。
気づけばトワリスは、本館と別館を繋ぐ、吹き抜けの長廊下にぽつんと立っていた。
ルーフェンと再会した中庭。
ロゼッタに使いっ走りされて、何度も往復した長廊下。
初めて見たときは、屋敷の中にこんなに広い庭があるなんて、と感動したものだが、今ではもう、すっかり見慣れてしまった風景だ。
あるかないかの微風でも、薄っぺらの枯れ葉は、大袈裟なくらいに翻弄される。
意識しなければ、誰にも気づかれないような地面の上で。
のたうち踊り、いずれは踏まれ、散り散りになって、いつの間にか消えてしまうのだ。
一歩中庭に出ると、廊下を走る葉擦れの音より、噴水の流れる音の方が強くなった。
留まることなく揺れる水面には、青い空が、ぼんやりと映り込んでいる。
そこに投影された、トワリスの顔もまた、重なる波紋に打ち消されて、朧気に震えていた。
不意に、誰かに名前を呼ばれたような気がして、トワリスは顔をあげた。
周囲を見回してみても、近くに人の気配はない。
けれど、ぼそぼそと籠ったような囁き声は、確かに聞こえてきていた。
耳を立て、声の元を辿って、長廊下に戻る。
やがて、それが自室のすぐ近くにある、ロゼッタの部屋から聞こえてくる声なのだと気づくと、トワリスは、思わず扉の前で足を止めた。
声の主は、クラークとロゼッタであった。
「──ろう、……じゃないか。トワリスは、まだ年若い魔導師だ。やはり、荷が重すぎたのだよ。わかっておくれ、これはロゼッタのためなんだ」
耳を澄ませれば、扉越しでも、はっきりと会話が聞こえてくる。
一言、二言聞いただけで、すぐに分かった。
クラークが、トワリスを専属護衛から外すために、ロゼッタを説得しているのだ。
トワリスは、ごくりと息を飲んだ。
いけないことだと思いつつも、このやり取りに己の命運がかかっているのだと思うと、その場から動けなくなった。
次いで、躊躇いがちなロゼッタの声が聞こえてくる。
「でも……私、新しく別の魔導師が専属になるなんて嫌ですわ。若くたっていいじゃない。年の近い女の子の魔導師が良いって提案したのは、お父様だったでしょう?」
ロゼッタは、逢引の邪魔をされたことなど気にしていないのか、トワリスを変わらず引き留めようとしてくれている。
魔導師としてのトワリスを、認めているからじゃない。
単に、自分の本性を知る人間を増やしたくないから、トワリスを残そうとしているだけだ。
もう、それでいい。それでも良いから、機会がほしかった。
諦めかけていたけれど、ロゼッタがトワリスを嫌っていないなら、まだ望みはある。
あともう一度。クラークたちの期待に応えられる、最後のチャンスだ。
クラークが、ロゼッタのお願いに、いつものように頷いてさえくれれば──自分はまだ、頑張れる。
一枚隔てた先で、クラークが、再び口を開いた。
「それはそうだが、まさかロゼッタよりも年下の新人が来るとは思わなかったものだから……。加えて、偽の侍女にも気づかぬ、能無しときた。夕食に毒など入っておらんというのに、それすらも簡単に信じ込む始末」
その言葉を聞いた瞬間、トワリスの目の前が、真っ白になった。
今、クラークが口にしたのは、ロゼッタの夕食に毒が盛られた、あの夜のことを指すのだろうか。
夕食に毒が入っていなかっただなんて、そんな、まるでクラークが、最初から仕組んでいたかのような言い方である。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.205 )
- 日時: 2020/03/13 21:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
クラークは、付け加えるように続けた。
「とはいえ、ロゼッタがそんなにもトワリスのことを気に入っていると言うなら、屋敷から追い出そうとまでは言わんよ。獣人混じりだなんていう、特殊な出自の娘だ。他に行く宛もないだろうしな。元々、期待はしていなかったが、マルカン家には置いておくつもりで雇ったのだ。ほら……今の陛下や召喚師様は、そういうのがお好きだろう? 哀れな子供を引き取って、保護するような……そう、慈善活動、とでもいうのかね」
そこから先の台詞は、もう耳に入ってこなかった。
周囲の音が遠のいて、代わりに、風に翻弄される葉擦れの音が、耳鳴りのように聞こえてきた。
悲しいとか、悔しいとか、そんな感情は、特に沸いてこなかった。
ただ、濃い霧の中にいるようで、全てに現実感がない。
トワリスは、薄く濁った目の前を見つめたまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。
(……なんで私、こんなに馬鹿なんだろう)
ふと、ルーフェンの先程の言葉が、脳裏に蘇る。
まさしく、彼の言う通り。世の中、ねじまがった人間だらけだ。
ルーフェンも、クラークもロゼッタも、皆、皆、嘘ばっかり。
でもそれが、悪い訳じゃない。
トワリスだって、嘘の一つや二つ、ついたことはあるし、周りが嘘つきばっかりなのだから、自分だって、嘘をついて自衛していかなきゃ、上手く生きていくことなんてできないのだろう。
無闇矢鱈に信じて、舞い上がっているほうが馬鹿なのだ。
大きく息を吸い、扉に背を向けたとき。
白濁していた視界が、ぼやけて歪んだ。
そもそも自分は、期待しているだなんていうクラークの言葉を、どうして鵜呑みにしていたのだろう。
つい最近、魔導師になったばかりの小娘なんて、期待されなくて当然なのに。
おおらかに笑ってクラークが言った台詞は、言わば、やる気を出させるための、空世辞といったところだろう。
それを信じて、無駄に意気込んでいたのは、トワリスの勝手だ。
クラークの仕組んだ罠に気づけず、毒入り事件を見抜けなかったのも、結局は自分が未熟なせい。
最終的に、真実を盗み聞きして、落ち込んでいるのもまた、トワリスの自業自得である。
そうだ、全部全部、単純で空回りばかりする、自分が悪いのだ。
(……こんなことで、不貞腐れるな。……良かったじゃないか、処罰は免れそうで……)
そう自分に言い聞かせながら、トワリスは、は、と短く呼吸を繰り返した。
期待されていなかったからといって、何だと言うのか。
実際、経験も実績もない新人なのだから、今回、たまたま専属護衛に選ばれたことが、奇跡みたいなものだったのだ。
そんなことより、先程の会話内容からして、斬首を命じられるようなことはなさそうだから、それで良しとしよう。
むしろ、あれだけ失態を重ねても、まだ屋敷に置いてもらえるというのだから、運が良かったととるべきだ。
どんな理由だったとしても、魔導師として誰かを守る機会を与えてもらえるなら、いつか必ず、挽回できるチャンスが訪れる。
そう、どんな理由、だったとしても──。
「……っ、は……」
全身に、ぶわっと冷たい汗が噴き出した。
喉の奥から突き上げてこようとするものを抑え、なんとか一歩、一歩と足を動かす。
やがて、自室の扉の前までたどり着いたとき、不意に、ぐらりと目の前が回って、気づけば、トワリスは床に手をついて、うずくまっていた。
「……はっ、は、っ……」
そうか、と思った。
そうか、自分は、可哀想だからハーフェルンに引き取られたのだ。
ロゼッタに合いそうな珍しい女魔導師だからとか、期待はできないにしても実力は見込めそうだからとか、そんな話ではない。
もはや、魔導師としてすら認識されていなかった。
居場所のない、哀れな獣人混じりを保護したら、きっとアーベリトのサミルやルーフェンが注目してくるだろうと思ったから、クラークは、トワリスを雇ったのだ。
だからきっと、ロゼッタを守れなくても、急に運河に飛び込んでルーフェンに迷惑をかけても、なんだかんだで、「まあいいか」と見逃されたに違いない。
だって自分は、可哀想だから──。
「は、はっ、っ、はっ……」
狭まってくる呼吸をどうにか整えようとしながら、トワリスは、胸を抑えた。
大丈夫、だから何だ。
獣人混じり扱いされることには慣れているし、何度も言い聞かせている通り、魔導師として認められないなら、認められるように自分が頑張ればいいのだ。
平気だ、まだ頑張れる。体力には自信がある。
走って、走って、ここまで上り詰めたのだから、これからだって、もっと、もっと──。
(……頑張れる? 本当に……?)
ふと耳元で、もう一人の自分が、そう囁いた。
息が、苦しい。
全力疾走した後だって、こんなに呼吸を乱したことはないのに、吸っても吸っても、息苦しさが加速する。
身体が痺れて、鉛のように重い。
走りすぎて、脚が痛くて、もう立ち上がることすら出来ないように思えた。
肺が震えて、空気の代わりに水でも吸い込んだかのように、ごぼごぼと咳き込む。
いよいよ息が吸えなくなって、激しく喘鳴すると、トワリスはその場に倒れ込んだのだった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.206 )
- 日時: 2020/03/13 21:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
†第四章†──理に触れる者
第三話『結実』
ロゼッタが倒れたというので、一時騒然となったマルカン家であったが、それから二日も経つと、祭典前の忙しさに、そんな話題はついぞ聞かなくなった。
セントランスの支配下から脱した、歴史的な記念日を祝う、ハーフェルン最大の祭典。
毎年秋頃、七日間にも渡って開催されるこの祭りは、サーフェリア全体から見ても大規模な催しで、ただですら人口密度の高いハーフェルンの中央通りは、一層の賑わいを見せていた。
街の随所から吊るされた布飾りは、風に揺られて優雅に躍り、時折遠くから響いてくる汽笛の音は、共に潮の匂いを運んでくる。
祭りは明日からだというのに、既に盛んな呼び込みや声かけが行われ、陽気な笛吹を囲みながら、はしゃいで走る楽しげな子供たちの声が、屋敷の中にまで聞こえてきていた。
祭典の直前ともなれば、ルーフェンばかりを特別扱いするわけにもいかず、クラークやロゼッタは、他の参加者たちの饗(もてな)しにも励むようになった。
民にとっては楽しい祭りでも、権力者たちにとっては、貴重な外交の場である。
特に、商業で発展してきたハーフェルンにとって、他街との関係性は重要なものだ。
ハーフェルンへの滞在期間中、遠く遥々やってきた各街の領主たちを少しでも満足させようと、クラークに余念はないのであった。
目の回るような忙しさの中でも、ルーフェンと話すときは、ロゼッタは常に完璧な笑みを浮かべていた。
それは、ルーフェンもまた同じことであったが、今回に限っては、主催者側であるロゼッタのほうが、気苦労の絶えない状況が続いているだろう。
しかし、どんな状態であっても、相手の好む対応をして見せられるのは、ロゼッタの出色の特技だ。
数日ぶりに言葉交わしたその日も、ロゼッタは、一切疲れを感じさせない微笑みで、ルーフェンを見ると話しかけてきた。
「まあ、召喚師様、ごきげんよう。お互いずっと屋敷内にいたのに、なんだか凄く久々にお会いした気分ですわ」
長廊下に伸びる絨毯の上を跳ね、見事な刺繍を施した薄手のスカートを揺らして、ロゼッタは頬を染める。
ルーフェンは、挨拶代わりに彼女の手の甲に口付けると、同じくにこりと微笑んで見せた。
「そうだね。見かけることはあっても、なかなか話す時間はとれなかったからね。今は大丈夫なの?」
「ええ。ちょうどこの前お話しした、ハザラン家の方々とのお食事が終わったところですの。お父様ったら、すっかり話し込んでしまって……」
呆れたように眉を下げて、ロゼッタが苦笑する。
つられたように笑むと、ルーフェンも、肩をすくめた。
ロゼッタの父、クラークは、とんでもなく話好きであることで有名だ。
退屈しないという意味では良いかもしれないが、会食など開こうものなら、終始口を動かしているので、いつまで経ってもお喋りが終わらない。
ここのところ、ルーフェンとロゼッタが話す暇さえなかったのも、クラークの話が長いことが原因の一つであった。
忙しいとはいっても、同じ屋敷の中にいるわけだから、二人が顔を合わせる機会など、いくらでもあった。
だがクラークは、ことあるごとに、ロゼッタを連れて賓客相手に話し込んでいるのだ。
流石のロゼッタも、盛り上がっている父を残して、ルーフェンの元に行くわけにはいかなかったらしい。
見かける度に、惜しむような視線を投げ掛けてくるロゼッタに対し、ルーフェンも苦笑を返すしかなかったのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.207 )
- 日時: 2019/12/30 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
見かける度に、と考えたところで、ルーフェンは、いつもロゼッタの隣に仏頂面で立っていた、獣人混じりの少女のことを思い出した。
そういえば、運河に行ったあの日以来、トワリスのことを見かけていない。
あの一件が原因で、ロゼッタの専属を外されていたのだとしても、屋敷で生活している以上、全く姿を見ていないというのはおかしな話である。
まさか、早々に屋敷から追い出されたか、あるいは自分から出ていったのだろうか。
ルーフェンは、唇に笑みを刻んだまま、事もなげに尋ねた。
「そういえば、あの護衛役の子は? ほら、前は四六時中、君にべったりだったでしょう」
一瞬、誰のことを言っているのか分からなかったのか、ロゼッタは、こてんと首をかしげた。
しかし、すぐに思い立った様子で頷くと、困ったように眉を下げた。
「ああ、えっと……トワリスのことですわよね? 獣人混じりの。実はあの子、私の専属護衛からは、外れてしまいましたの」
「…………」
やはりか、と内心一人ごちて、ルーフェンは密かに嘆息した。
元はといえば、ロゼッタが運河に耳飾りを落としてしまったことが原因だが、あれだけの騒ぎを起こしたのだ。
クラークも相当頭に血が昇っているようであったし、何かしら処分を受けることになってもおかしくないとは思っていた。
ロゼッタは、探るようにルーフェンを見やってから、悲しげに目を伏せた。
「私はトワリスのこと、すごく気に入っていたから、止めましたのよ。だけどお父様は、もっと経験豊富で、頼りになる魔導師が良いだろうって……。こちらから護衛になってほしいって呼んだのに、トワリスには、なんだか申し訳ないことをしてしまいましたわ」
次いで、ルーフェンの顔を覗き込むと、ロゼッタは続けた。
「でもね、トワリスを専属護衛から外した一番の理由は、彼女のためでもありますの。あの子ったら、相当無理をしていたみたいで、この前、急に倒れてしまったんですもの」
「……え、倒れた?」
思いがけない返事に、ルーフェンが目を瞬かせる。
ロゼッタは首肯すると、心配そうに胸の前で手を合わせた。
「急なことで、私もびっくりしましたわ。大きな音がして、廊下に出てみたら、私の部屋の近くでトワリスが倒れているんですもの。ほら、あの日ですわ。私と召喚師様で、運河まで行った日の午後。……とはいっても、もうお医者様に診て頂きましたし、その日のうちに目を覚ましたんですけれどね。トワリス自身も、何でもないから大丈夫とは言っていたのだけれど、念のため、休暇を言い渡して、今も医務室で休ませていますの。トワリスって真面目だし、ハーフェルンに来てから環境が変わって、ずっと気を張っていたんじゃないかしら。お医者様も、疲れが溜まっていたようだから、しばらく休めば大丈夫だろうって、そう仰ってましたわ」
だから安心してほしい、とでも言いたげに、ロゼッタが見上げてくる。
そんな彼女の両耳で、ちらりと紅色の耳飾りが揺れて、ルーフェンは、微かに目を細めた。
毎日変わるロゼッタの装飾品なんて、それほど気に止めたことはなかったが、その対の耳飾りだけは、妙に目についた。
運河に落として、片方だけになった、あの耳飾りではない。
別物だが、限りなくそれに似た、紅色の耳飾りであった。
(……ほら、やっぱり)
今、目の前にトワリスがいたら、そんな心ない一言を、投げ掛けていたかもしれない。
そう思うくらいには、ルーフェンの胸の奥底に、呆れのような、苛立ちのようなものがぶり返していた。
トワリスが命がけで取りに行ったあの耳飾りは、ロゼッタにとっては、やはり数ある贈り物の一つに過ぎず、いくらでも替えの利く存在だったわけだ。
そしてロゼッタは、トワリスを案ずる言葉を並べ立てながら、その一方で、何食わぬ顔で代わりの耳飾りをつけてしまうような、そういう価値観の人間なのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.208 )
- 日時: 2020/03/03 00:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ロゼッタには、悪意などないのだろう。
単に、お気に入りだった耳飾りを片方落としたから、似たような代わりをつけることにしただけで、彼女にとっては、それが普通なのだ。
権力者の“普通”は、大抵どこかぶっ飛んでいる。
まず、臣下は主に尽くすのが当然だと思っているし、今回に関して言えば、トワリスが耳飾りを追って運河に飛び込んだことなど気づかず、疲れて気でも触れたんじゃないかと思っている可能性がある。
勿論、一概にそう断言するつもりはないが、金持ちの感覚とは、大概そんなものだということを、ルーフェンは嫌になるほど分かっていた。
ルーフェンの視線が、自分の耳飾りに向けられていることに気づくと、ロゼッタは恥ずかしげ俯いた。
そして、左耳から耳飾りを外すと、それをルーフェンに差し出した。
「前の耳飾りは、私が運河に落としてしまったから、結局お話が途中になってしまいましたわね。……これ、差し上げますわ。アノトーンではないのだけれど、同じく北方で採れた石でできてますの。もらってくださる?」
控えめな、けれど断られるなんて考えてもみないような口調で、ロゼッタは、ルーフェンの手に耳飾りを握らせる。
されるがままに受け取ったルーフェンは、ロゼッタの片耳で光る耳飾りを、つかの間、じっと見つめていた。
(……片耳だけ、なら)
片耳だけつけている状態なら、それこそ、前に運河に落とした耳飾りの片割れを、ロゼッタが大事に身に付けているように見えるだろうか。
同じ紅色で、似たような耳飾りだから、余程注目して見ていた者でなければ、別物だなんて分かりはしない。
トワリスだって、近くで凝視でもしない限りは、別の耳飾りだなんて判別できないだろう。
ロゼッタにとって、あの落とした耳飾りが大切なものだったのだと分かったら、例えそれが勘違いでも、トワリスの気持ちは、幾分か救われるだろうか。
そんなことを一瞬考えて、ルーフェンは、慌てて思考を振り払った。
トワリスの行動を、無駄な親切心だと内心揶揄ていたのに、今度は自分が頼まれてもいないお節介を焼こうとするなんて、とんだ笑い種である。
ルーフェンが黙っているので、不安に思ったのだろう。
どこか戸惑った様子で見上げてきたロゼッタに、ルーフェンは、すぐに笑みを浮かべると、受け取った耳飾りを懐にしまった。
「ありがとう、大事にするよ。……願掛け、してくれてるんだもんね?」
そう返事をすれば、ぱっと表情を明るくしたロゼッタが、深く頷く。
ルーフェンは、そんな彼女の左耳に残った耳飾りに触れると、自ら敬遠して振り払ったはずの思考とは裏腹に、口を開いて、言った。
「……じゃあロゼッタちゃんも、この耳飾り、大事にして、ずっとつけていてね」
ぽっと染まった頬に手を当て、ロゼッタが、こくこくと頷く。
照れ臭くなったのか、目線を落としてしまったロゼッタに、ルーフェンははっと手を止めると、それ以上何も言わなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.209 )
- 日時: 2020/01/09 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
ロゼッタと別れた後、ルーフェンも他街の賓客と話したり、持ち込んだ事務作業などをして時間を潰していたが、ふと気を抜くと、頭の中で、先程のロゼッタとのやりとりが再生されていた。
トワリスが気づくかどうかも分からないのに、ロゼッタに「耳飾りを大事につけていてほしい」だなんて、果たしてそこまで、口走る必要があったのだろうか。
ロゼッタが、こんな甘い囁き合いは、単なる戯れだと線引きできる相手であることは分かっている。
だから、これといって大きな問題はないのだが、それでも、自分がろくに考えもせず、半ば衝動的にあんな発言をしてしまったことが、驚きであり、また後悔するところでもあった。
言葉でも行動でも、考えずに実行すると、意図せず大きな影響をもたらすことがある。
例え上辺だけのものでも、相手によっては、冗談では済まないことがあるのだ。
特に上層階級の人間と話すときは、どんな些細な会話、やりとりをしているときでも、いつも頭の片隅には、本当にその行動が正しいのか、慎重に推考を重ねている自分がいる。
たかが“婚約者ごっこ”をしている者同士の、意味のない睦み合いだと一蹴してしまえばそれまでだが、何かに執着を見せるような物言いをしてしまったことが、ルーフェンにとっては誤算であった。
相手がたまたまロゼッタだったから良かったものの、執着を見せるというのは、弱みを見せるのと同じようなことだ。
立場上、いつどんなことが脅迫手段に利用されるか分からない。
今ならそうと、冷静に判断できるのに、何故あの時、ろくに考えもせずに耳飾りを受け取って、あろうことか「大事にして」だなんて発言をしてしまったのか。
どれもこれも、うっかりトワリスを気遣ったせいである。
褪せていく夕陽の光を見つめながら、ルーフェンは、悶々と考えを巡らせていた。
窓から差し込んでいた西日が途絶え、やがて、辺りが暗くなると、ひんやりとした夜の空気が、足元から這い上がってくる。
灯りもつけず、ただ椅子に腰掛けて、部屋の一角を眺めていると、ふと、寝台と壁の隙間に、かつての幼かったトワリスが、うずくまっているように見えた。
暗闇に怯え、血が滴るまで手首に噛みつきながら、その小さな背を震わせていた。
周囲を拒絶し、身を振り絞るようにして泣いていた彼女の姿が、ひどく痛々しく、弱々しく目に映ったのを思い出す。
トワリスが倒れた、と聞いたが、原因は一体なんなのだろう。
ロゼッタは疲れだと言っていたが、トワリスは、冷たい運河に飛び込んだ後も、悠々と歩いていたような娘だ。
肉体的にというよりは、きっと精神的に、負担になるようなことがあったに違いない。
失敗と不運が重なって、専属護衛を外されたことが悲しかったのかもしれないし、獣人混じりだなんていう特殊な出自だから、今まで何かしら、嫌がらせを受けてきたことがあったのかもしれない。
あるいは、ルーフェンの言った、ロゼッタにとってあんな耳飾りは大したものじゃない、という言葉が、トワリスにとっては余程ショックだった可能性もある。
何か辛いことがあったのか、なんて尋ねたところで、おそらくトワリスは、何も答えない。
ロゼッタにも、別に何でもないと答えたようだし、ルーフェンが問うたところで、結果は同じだろう。
そういう娘(こ)なのだ、今も、昔も。
思えば、アーベリトで一緒に暮らしていたときから、トワリスは、助けてやると言っているのに、その手を振り払って、噛みついてくるような子供だった。
かといって、一人で何でもこなせるほど、器用なわけではない。
むしろ、見ているこちらが気を揉むくらい不器用で、抱える不安を吐き出すのも下手くそなのに、それでも唇を噛み締めて、一直線に走っていく。
疲れても、傷ついて倒れても、そういう生き方しかできない、呆れるほど頑固で、真っ直ぐな娘なのだ。
──そう思った時には、ルーフェンは、上着を羽織って部屋を出ていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.210 )
- 日時: 2020/01/13 19:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
日が暮れ落ちて、燭台の炎だけがぼんやりと光る長廊下に出ると、辺りは、染み入るような静けさに包まれていた。
警備の者以外は、既にその日の業務を終え、自室に戻ったのだろうか。
もしかしたら今は、もう人々が寝静まる時間なのかもしれない。
時刻も確認していないし、そもそも、ロゼッタの言っていた医務室とやらに、確実にトワリスがいるかどうかも定かではない。
それでもルーフェンは、何かに突き動かされるような形で、足早に長廊下を抜けた。
別館へと足を向け、吹き抜けの廊下に出れば、冷たい空気が肌をさする。
無情な夜風にさらわれて、足元をからからと転がっていく枯れ葉を見ながら、ルーフェンは、今までトワリスと交わした会話の端々を、ぽつぽつと思い返そうとした。
いきなり運河に飛び込んでおいて、やれ助けは不要だっただの、余計なお世話だっただのと喚き出したときは、なんて面倒臭い女だと内心呆れたが、思えばトワリスは、出会ったときから扱いが面倒臭かった。
異様に足が速いから、捕まえるのも一苦労だったし、ようやく捕まえたと思えば、噛むは蹴るわの大騒ぎで、こちらは傷だらけになった。
怪我を手当てしてやろうとしているのに、唸って威嚇してくるし、食事を持っていっても、怯えて暴れて熱いスープをぶっかけてくる始末。
その様は、少女というより、まるで野生動物のようで、それでも諦めずに接して、ようやく少し打ち解けてきたかと思いきや、最初に懐いたのはルーフェンではなくサミルだったので、微妙な気分になった記憶がある。
アーベリトで一緒に暮らしていく内に、やがて、トワリスも落ち着いて、ルーフェンに着いて回るようになったが、やはり彼女は不器用で、いまいち難しいところがある少女であった。
口下手ながらに必死に言葉を紡いで、遠慮がちにルーフェンの側に座っていたり、文字を教えてほしいと乞う姿は、手のかかる妹のようで可愛らしくもあったが、やはり、肝心な心の内は、なかなか明かさないところがあったのだ。
街に連れ出してみても、露店に並ぶ品々や、目新しいものに逐一目を輝かせはするものの、眺めるだけで、子供らしく欲しいとは絶対に言わなかった。
地下に閉じ込められていた記憶が蘇るのか、夜闇が苦手で、上手く寝付けなかったときも、その理由を口に出すことさえしていなかったように思う。
最初はまだ泣くことが出来ていたのに、いつしか、涙すら飲み込んで、一人で堪えるようになっていた。
何かに耐えている時ほど、トワリスは、頑なに唇を結んでいる。
こちらもあえて問いただしはしなかったが、助けてだなんて言われたことがない。
だからこそ、目が離せなくて、放っておけなかったのだ。
本音を表に出すまいとする気持ちは、ルーフェンにもよく分かる。
本心などさらけ出したところで、それが認められるわけではないし、今更誰かに、助けてほしいなどと考えることもない。
周囲から差しのべられた手を拒絶して、一人、部屋の隅で身悶えしていた幼いトワリスを見て、彼女と自分は、似ているのかもしれないと感じたことも、しばしばあった。
ただ、ルーフェンとトワリスで違うのは、きっと、彼女の場合、言わないのではなくて、言えないのだ。
不器用故に、上手く本音を伝えることができず、身の内に留める術しか持っていないのである。
感情表現が下手くそで、存外に控えめのかと思いきや、そのくせ頑固ではあるので、一度思い込むと一人で突っ走りがちだ。
だから、周囲に上手く溶け込めるように、こちらが彼女の心の内を読み取って、手助けしてやらねばと、十五のルーフェンも、子供ながらにそう思っていた。
特殊な出自ではあるが、トワリスは、心優しいごく普通の少女だった。
ルーフェンのように、己を縛る立場も、役割もないわけだから、人と馴染めるようになりさえすれば、アーベリトの穏やかな街中で、平々凡々に暮らしていくのが良いだろう。
そう、思っていたのに──。
レーシアス邸を出る直前に、突然魔導師になるなどと言い出したから、驚いたのだ。
本心を言えないだけで、決して気持ちを押し殺すことに長けているわけではないトワリスが、魔導師なんて向いているはずもない。
まして彼女は、獣人混じりだ。
読み書きもままならなければ、通常よりも魔力を持っていないのだから、実際に魔導師にまで上り詰める過程で、相当の苦労を要したのではないだろうか。
そこまで彼女を駆り立てたものは、一体なんだったのか。
魔導師になりたいと打ち明けてきたとき、トワリスは、確か何と言っていたか。
所々記憶が朧気になっていて、はっきりとは思い出せない。
五年の月日が経って、偶然にもこのマルカン邸で再会したときから、ずっとトワリスは、眉間に皺を寄せている。
なんとなく、ルーフェンの軽薄な態度が気に入らないのだろうなというのは勘づいていたが、それを抜きにしても、ハーフェルンでのトワリスは、終始居心地が悪そうに見えた。
折角自由を得たのに、何故トワリスは、魔導師だなんていう窮屈な道を選んだのだろうか。
一方的な押し付けになってしまうが、人とは違う獣人混じりだからこそ、トワリスには、それに縛られず、普通に生きてほしかった。
トワリスの捕らわれる柵(しがらみ)に、共感できる部分があったからこそ、ルーフェンでは叶えられぬ“普通”を、彼女には手にいれてほしかったのだ。
再会するまでは、過去の出来事になりつつあったが、まだそんな思いが心のどこかにあったから、トワリスを見ると、妙に苛立つのかもしれない。
彼女との会話を辿っていくうちに、ふと、そんな結論に至ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.211 )
- 日時: 2020/01/18 18:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
長い吹き抜けの廊下を渡り終えると、マルカン邸の所有する縦長の別館が、目の前にいくつも立ち並んでいた。
細い月を背景に、塔のように立ちはだかるそれらを、こうして間近に見るのは初めてである。
以前、その一棟一棟が、使用人たちの宿舎であったり、医療棟であったりと、個別に役割があるのだと、クラークが自慢げに話してきたのを覚えている。
その記憶だけを頼りに、訪れたのだ。
息を潜め、整備された石畳を歩いていくと、棟の一つに、ちらりと灯りが見えた。
開け放たれた二階の窓から、わずかに光が漏れている。
それを見たとき、五年前、一人で二階の窓から飛び降りたトワリスが、当時の主人であった絵師の元へと戻ってしまったときのことが、脳裏に甦った。
行こうと思えば、どこにでも自由に跳んでいける脚を持っていながら、それでも彼女は、逃げようだなんて恐ろしくて実行できなかったのだろう。
頭の隅に追いやられていたトワリスとの記憶は、今でも思い返そうとすれば、ぽつりぽつりと瞼の裏に浮かんでくる。
──地下の闇の中で、震えていた姿も。
助けに駆けつけたときの、驚愕と困惑の狭間で揺れる、怯えたような顔つきも。
月を覆っていた雲が流れて、ルーフェンの足元を、仄白い月光がなぞった。
足音を立てぬようにゆっくり歩いて、灯りの漏れる棟に近づくと、その影に隠れて、開いた窓の様子を伺った。
窓際に手燭をかけて、誰かが、腰かけて本を読んでいる。
それが、トワリスではない、見知らぬ女性だと悟った時──。
ルーフェンは、無意識に入っていた肩の力を、ふっと抜いた。
(……俺、何やってんだろ)
自嘲めいたため息が、思わずこぼれる。
医務室とやらの場所を把握していたわけでもないのに、そう都合よく、トワリスを見つけられるはずがない。
見つけたところで、自分でも、どうしたかったのか分からない。
ただ、こんな風に静かな夜は、昔のように、トワリスも心細くなっているのではないだろうかと、根拠のない心配をしただけだ。
祭典に招待された身でありながら、夜中に屋敷内をうろつくなど、我ながら、随分と怪しい行動をとってしまった。
警備の者に見つかっていたら、それこそちょっとした騒ぎになっていたかもしれない。
夜更けに大した理由もなく、元護衛役の女性を訪ねて徘徊していたなど、それこそトワリスの言う通り、変態である。
早々に退散して、頭を冷やそうと踵を返した、その時だった。
不意に、首元に鋭い殺気が迫ってきて、ルーフェンは、咄嗟に身を翻した。
迫ってきた素早い手刀を避けて、その手首を掴み上げる。
マルカン邸に侵入したならず者かと思ったが、その手首の細さに違和感を覚えて、ルーフェンは、思わず動きを止めた。
相手も、同じく不自然に思ったのだろう。
間髪入れずに蹴りあげようとしてきた脚を止めて、訝しげにこちらを見上げてくる。
視界の悪い夜闇の中、驚いたように目を見開いて、二人は、つかの間互いを凝視していた。
しかし、やがて掴んでいた手を放すと、ルーフェンは口を開いた。
「……トワリスちゃん、なんでここに」
間の抜けたような声で尋ねれば、同じく硬直していたトワリスが、我に返った様子で一歩後退する。
攻撃を仕掛けた相手が、まさかの召喚師であったことに焦ったのか、トワリスは、どぎまぎとして言葉を詰まらせた。
「な、なんでって……見回りに決まってるじゃないですか。今日からその、この屋敷の警備を命じられていて、夜番だったんです。最近、なんだか変な視線を感じることが多いので、巡回を……」
「警備……」
言われてみれば確かに、トワリスは、自警団用のローブを着用している。
同時に、トワリスには休暇を申し渡した、と言っていたロゼッタの笑顔の裏が見えたような気がして、ルーフェンは、内心苦笑いした。
どうやらトワリスは、倒れた後、ロゼッタの専属護衛から外されて、マルカン邸常駐の自警団員扱いされることになったようだ。
つまりロゼッタは、ルーフェンが心配しているような素振りを見せたから、まだ現場復帰させていないだなんて、トワリスを気遣ったような嘘をついたわけである。
トワリスは、睨むようにルーフェンを見た。
「召喚師様こそ、なんでこんな場所にいらっしゃるんですか。こそこそ隠れたりなんかしてるから、てっきり不審者かと……」
危うく刀まで抜くところだったとぼやきながら、トワリスは、視線をさまよわせる。
今回に関しては、全面的にルーフェンが悪いので、責める気は毛頭ないが、トワリス的には、やはりばつが悪い様子だ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.212 )
- 日時: 2020/01/22 18:51
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
ルーフェンは、へらっと笑って答えた。
「えーっと、ごめんね。なんとなく外の空気が吸いたくなったというか、お散歩したくなったというか……」
夜中にうろついていたまともな言い訳など思い付かず、ひとまず適当に笑って、言い淀む。
案の定、疑いの眼差しを向けてきたトワリスは、少しの沈黙の後、すぐそばの棟の二階で、女性が本を読んでいることに気づくと、途端に軽蔑するような顔つきになった。
「お散歩って、まさか……夜中に忍び込んで、あの女の人に何かしようとしてたんじゃ……」
「いや待って。君の中で、俺ってそこまで最低な人間に成り下がってるの?」
流石に心外だと否定して、首を振る。
だがトワリスは、眉をつり上げると、棟を指差して叫んだ。
「だってさっき、こそこそ隠れてたじゃないですか! あの女の人のこと見てたんですよね? 私、はっきり目撃しましたよ!」
「しーっ、声が大きい」
慌ててトワリスの口を塞ごうとすると、その手を素早く手刀で叩き落とされる。
耳を逆立て、警戒した様子でずりずりと後退していくトワリスを見ていると、なんだか昔に戻ったような気分になった。
ここで無理にトワリスを抑え込もうものなら、余計に大声をあげて、殴りかかってくるだろう。
寝静まった使用人たちや、警備にあたる自警団員たちに気づかれて、駆けつけられでもしたら、それこそあらぬ疑いをかけられそうである。
トワリスに会いに来たのに、いざ会うことが出来たら後悔するなんて、なんとも皮肉な話だ。
ルーフェンは、やれやれと肩をすくめると、諦めたように息を吐いた。
「……トワリスちゃんに、会いに来たんだよ。倒れたって聞いたから、大丈夫かなと思って」
「……は?」
目を見張ったトワリスが、再び硬直する。
余程驚いたのか、目をぱちくりと瞬かせる彼女に、ルーフェンは言い募った。
「何か、嫌なことでもあった? それとも、俺の発言が君を傷つけてしまったかな。もしそうだったなら、謝るよ。何にせよ、ハーフェルンで再会してから、ずーっと眉間に皺を寄せてるからさ。無理にとは言わないけど、よかったら、相談に乗るよ」
毒気を抜かれたのか、ぽかんとした表情で、トワリスは凍りついている。
ややあって、声の調子を落とすと、トワリスは答えた。
「そ、相談って……別に、倒れたのは召喚師様のせいじゃありません。私の考えが甘かったというか、なんというか……とにかく、大したことじゃないです。大体、どういうつもりなんですか。ただの下っ端魔導師が倒れたからって、いちいち相談に乗るほど、召喚師様は暇じゃないでしょう」
刺々しい口調で言いながら、トワリスは、目線を斜め下に落とす。
ルーフェンは苦笑すると、からかうような、大袈裟な口ぶりで言った。
「そんな冷たい言い方しないでよ。俺と君の仲じゃない。ほら、忘れちゃった? トワリスちゃん、暗いのが苦手だったから、今日みたいな夜は上手く寝付けなくてさ。怖くなる度に、俺やサミルさんのところに来て、一緒に──」
「ばっ、そんなの昔の話じゃないですか! 私もう十七ですよ!? 子供扱いしないでくださいっ!」
「しーっ、だから声が大きいってば」
思いの外、トワリスが全力で応酬してきたので、慌てて人差し指を唇に当てる。
いちいち真に受けてしまうので、彼女に冗談は禁物らしい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.213 )
- 日時: 2020/01/26 18:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
頬を紅潮させ、怒りを露にするトワリスを見ながら、ルーフェンは、棟の石壁に背を預けた。
「……まあ、ここからは、真面目な話だけどさ」
言いながら、ちょいちょい、とトワリスに手招きをして、隣に来るように促す。
予想通り、トワリスは一歩も近づいて来なかったが、ルーフェンは、そのまま続けた。
「トワリスちゃん、アーベリトに戻っておいでよ」
刹那、明らかな動揺が、トワリスの目に走る。
驚愕と、そして微かな期待を宿した瞳で、じっとこちらを見上げてくるトワリスに、ルーフェンは、淡々と溢した。
「君を探している間に、昔のことを、色々思い出したんだ。君は魔導師になると言って、実際にそれを叶えた。立派なことだと思うし、そんな君に偶然再会できて、俺も嬉しく思うよ。……ただ、ハーフェルンでの君は、すごく窮屈そうに見える。トワリスちゃんの人生だから、好きなことをやればいいとは思うけど、君に、魔導師は向いていないんじゃないかな。もしかしたら君は、サミルさんや俺への恩返しのつもりで、魔導師を続けようとしているのかもしれないけど、別に俺たちは、お礼がほしくて君を助けたわけじゃない。だから、今更そんなことを気にする必要はないんだよ。普通とは違う出自に理解を示そうとしない連中や、嘲笑って利用してくるような人間の中に居続けるのは、君だって大変だろう? 倒れるくらい辛いなら、またアーベリトにおいで」
「…………」
トワリスの目に、不安定な光が揺蕩っている。
一瞬、希望に閃いたその瞳は、ルーフェンの話を聞いている内に、やがて、暗い理知的な色に覆われてしまった。
「……私が、可哀想だからですか?」
「え……」
悲しげなトワリスの口調に、思わず瞠目する。
トワリスは、何かを堪えるように拳を握ると、立て続けに問うた。
「獣人混じりで、居場所がなくて可哀想だから、そんなことを言ってくださるんですか」
やり場のない感情を抑え込んでいるような、暗く、気落ちした声。
晴らそうと思っていたトワリスの表情が、一層曇ってしまったので、ルーフェンは狼狽した。
可哀想だから、という言葉は、確かにその通りなのかもしれない。
過去に関わりがあったとはいえ、一介の魔導師に過ぎないトワリスをここまで気にかけているのは、他ならぬ、同情という表現が一番合っているだろう。
けれども、彼女に向けているものは、決して安っぽい哀れみなどではなかった。
本当に、心の底から、幸せになってほしいのだ。
アーベリトに移ってきた時から、初めて自分の手で“助けてあげた少女”ということもあって、トワリスのことは、どこか特別扱いしていた自覚があった。
召喚師として国を守ろう、だなんて崇高な目標があったわけではなかったが、誰かに感謝をされると、少しは召喚師らしいことが出来たような気がした。
いつだって笑顔に囲まれている、サミルのような存在には、自分はなれないだろうし、なりたいわけでもない。
堂々と正義を掲げられる、日だまりのような暖かい存在の陰で、敵対するものを断ち切る“悪”として生きる方が、自分には性に合っている。
それでも、泣きながら怯えていたトワリスの瞳に、徐々に光が戻っていく様を見ていると、つかの間、自分まで日だまりに足を踏み出したような気分になって、嬉しかった。
“サーフェリアに独りぼっちの獣人混じり”という彼女の境遇に、たった独りの召喚師として、同情していた節があったのだろう。
似ているようで、全く違う。
そんな彼女の幸せを願っていたかつての気持ちは、五年経った今でも思い出せるのだから、きっと本物なのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.214 )
- 日時: 2020/01/29 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: pRqGJiiJ)
どんな言葉をかければ、トワリスの顔が晴れるのか分からなくて、ルーフェンは、言葉を探りながら言った。
「……可哀想、というか……ただ、消耗していく君を見たくないだけだよ。君は女の子なんだし、戦いの世界に身を投じるのも大変でしょう? 元はといえば、俺が軽い気持ちで魔術なんて教えてしまったのが、いけなかったのかもしれない。でも俺は、別に魔導師になってほしくて、トワリスちゃんに魔術や文字を教えた訳じゃないんだ。単に、可能性を広げてほしかっただけなんだよ。生い立ちが人とは違うからこそ、普通に幸せに生きてほしかった。アーベリトにいるなら、守ってあげられる。今まで、君がどんなことに悩んで、苦しんできたのか、俺には分からない。けど少なくとも、アーベリトに来たら、獣人混じりだからとか、そんな下らないことは気にせずに、暮らせると思うよ」
言い終わっても、トワリスの表情は、沈んだままであった。
目を伏せ、何かを諦めてしまった様子で、黙りこんでいる。
しばらくして、ふと目線だけ上げると、トワリスは尋ねた。
「……五年前、私が魔導師になるって言ったとき、召喚師様にどんなことを話したか、覚えていますか?」
「…………」
答えに詰まって、ルーフェンは、何も言えなくなった。
先程も思い出そうとして、記憶をたどった部分だ。
覚えていようとも思わなかった五年前の会話なんて、そんなもの、一字一句覚えているわけがない。
そう思うのに、トワリスの決意を秘めていたであろう、その会話を忘れてしまったことに、ひどい罪悪感を覚えた。
沈黙していると、再び視線を落としてしまったトワリスが、焦ったように言い直した。
「覚えてないですよね、あんな、些細な会話。申し訳ありません、変なことを聞いてしまって……」
嘘でもいいから、何かを言おうと思うのに、まるで言葉が出てこない。
元来分かりやすいトワリスの表情からは、明らかな悲しみと、落胆の色が見えている。
どうすれば良いだろう。
もし泣いているなら、涙を拭って謝れば機嫌が直るかもしれないが、なんとなく、トワリスにそんなことをするのは憚られたし、そもそも彼女は、泣いているわけじゃない。
手を握って、優しい言葉をかければ大概外さないが、それこそそんな真似をしたら、また殴られかねない。
結局、一言も発せずにいると、トワリスが、軽く頭を下げた。
「お気遣い、ありがとうございます。……ですが、お断りします。確かに、アーベリトでの生活は楽しかったですし、いずれは、帰りたいとも思ってました。でも──」
一瞬言い淀んで、口を閉じる。
しかし、すぐに顔をあげると、トワリスは、ルーフェンを真っ直ぐに見つめた。
「……でも、召喚師様の言う普通の幸せっていうものが、誰かに守ってもらいながら、穏やかに暮らすことなら……私は、そんなものいりません」
口調こそ静かであったが、トワリスの言葉には、頑とした強い意思が込められていた。
揺らがぬ紅鳶の瞳が、ルーフェンを射抜く。
その目が宿す光を、ルーフェンは、以前も見たことがあった。
記憶の片隅で、同じ目をした少女が、言った。
──もし、私が、サミルさんやルーフェンさんにとって、必要な人間になれたら……。また、レーシアス家に、置いてくれますか……?
再度礼をすると、トワリスは、踵を返して歩いていってしまう。
その背中に声をかけようとしたが、ルーフェンは、戸惑ったように唇を開いただけで、声にはならなかった。
引き留めたところで、彼女を止めることは、自分にはできなような気がしたのだ。
脳裏で、揺らめく蝋燭の炎が、図書室に並ぶ本の背表紙を、ゆらゆらとなぞっていく。
耳の底に、熱のこもった少女の声が、じわじわと蘇ってきた。
──私、二人の優しさに甘えて、ここで暮らすんじゃなくて、サミルさんたちにとって必要な人間になって、堂々とアーベリトに帰ってきます。
──絶対に、絶対に、帰ってきます。だから、そうしたら、私のこと、認めてください。
静かな迫力に満ちた光が、少女の目の奥で閃く。
あの時も、今も、ルーフェンは、そんな彼女の瞳に浮かぶ強い光から、目を反らせなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.215 )
- 日時: 2021/04/14 18:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)
専属護衛を外され、トワリスが一般の魔導師と成り下がった以上、ルーフェンが彼女と話せる機会は、もうほとんどないと思っていた。
屋敷に仕える魔導師の業務といえば、警備と巡回が主である。
実績を積んで位が上がれば、要人警護につくこともできようが、トワリスのような新人魔導師は、本来クラークやロゼッタに近づくことも許されない立場だ。
まして、ルーフェンのような賓客とは、互いを見かけることはあっても、接する機会など普通はない。
大事な会談の場に居合わせるようなこともないし、基本的には、屋敷外を警備したり、街の治安を守るのが仕事なのだ。
再びルーフェンが会いに行けば、多少言葉を交わすことはできるかもしれない。
だが、そんなことを繰り返していては、周囲の者たちに怪しまれるだろうし、会ったところで、トワリスに言うべきことなどない。
五年前の会話を思い出したよ、なんて、伝えるべきではないし、伝えたところで、それがなんだという話だ。
君に魔導師は向いてないてないんじゃないか、なんて冷たい一言を放っておいたくせに、今更慰めの言葉をかけるなんて、トワリスも混乱するだろう。
結局、あの夜以降、次にルーフェンがトワリスを見かけたのは、祭典一日目の、マルカン邸の大広間であった。
ハーフェルンの祭典では、初日に開会式と称して、クラークが、各街の要人たちを集め、大広間で食事会を催すことになっていた。
この祝宴には、次期召喚師であった頃に、ルーフェンも何度か参加している。
充満する香水の匂いに息が詰まるし、召喚師と聞いて、飽きもせずにまとわりついてくる者たちの話に耳を傾けるのは、いつだって億劫であった。
ここ数年は、常にロゼッタが隣にいるようになったので、話しかけてくる女は多少減ったが、それでも、息つく暇のない程度には、誰かしらが声をかけてくる。
こちらとて、いちいち真面目に受け答えをするわけではないので、苦痛というほどではない。
ただ、自分を含めた誰も彼もが、似たような貼り付けの笑みを浮かべ、互いの腹を探り合っていているのかと思うと、馬鹿馬鹿しいような、自嘲的な気分になるのであった。
広間の各所に配置された、自警団員や魔導師の中に、トワリスは、ぽつんと混じっていた。
祝宴が始まってから、彼女のことを見つけるのに、そう時間はかからなかった。
トワリスは、毅然と背筋を伸ばし、己の職務を全うしようと、固い表情で守るべき要人たちを見つめている。
昔は、あれだけルーフェンに着いて回っていたのに、今はこちらのことなど、気にもかけていない様子だ。
格下げされて、普通なら気分が腐りそうなところを、警備の任を言い渡されて、生真面目に実行しているのだろう。
厳つい男たちに混じって、真っ直ぐに立つ小柄な少女の姿は、どこか痛々しく見えた。
「……ねえ、召喚師様。珍しく、浮かないお顔。どうされたの?」
ぼうっとトワリスを見つめていると、不意に、横合いから可愛らしく声をかけられた。
振り返ると、華やかに着飾ったロゼッタが立っている。
絹糸のような茶髪を美しく結い上げ、可憐な深緑のドレスに身を包んだ彼女には、微笑むだけで、周囲に花が咲いたような、艶やかな魅力があった。
「いや、なんでもないよ」
如才なく笑ってみせれば、ロゼッタの顔が、嬉しそうに綻ぶ。
しかし、一瞬探るような目付きになると、ロゼッタは、賑わう食卓のほうを一瞥した。
「まあ、本当? それなら良いのですけれど……。お食事もほとんど召し上がっていないから、ご気分でも優れないのかと思いましたわ」
言いながら、スカートの裾を持ち上げて、ロゼッタは、ルーフェンの隣に並ぶ。
それから、同じようにトワリスのほうに視線をやると、事も無げに呟いた。
「ここ最近、ずーっとあの子のことを見てますわね」
その言葉に、ルーフェンは、思わずどきりとした。
あの子、というのが、トワリスのことを指しているのは明白である。
確かに、最近トワリスのことを気にかけてはいたが、端から見て分かるほど、露骨に態度に出ていただろうか。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.216 )
- 日時: 2020/02/06 18:18
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
じっとこちらを見上げてくるロゼッタに、ルーフェンは、肩をすくめた。
「……そうかな? まあ、トワリスちゃんは、五年前までアーベリトで引き取ってたから、なんとなく、上手くやってるかなって気になりはするね。……結局彼女のこと、この屋敷に魔導師として置くつもりなの? 倒れたあと、すぐに屋敷の警備に回ってたみたいだけど」
誤魔化しついでに、以前ロゼッタが、トワリスには休暇を申し渡した、と嘯(うそぶ)いていたことを指摘する。
遠回しな言い方だったが、通じたらしく、ロゼッタは、むっと頬を膨らませると、ルーフェンから顔を背けた。
「それは誤解ですわ、召喚師様。立場は問わないから仕事に復帰したいって言ったのは、トワリスのほうですもの。私は、もう少し休むよう勧めましたのよ。でもあの子が、大丈夫だって聞かないから……」
ぷりぷりと怒った様子で、ロゼッタが腕を組む。
その言葉も、疑わしいところではあったが、仕事に復帰すると言って聞かないトワリスの図も容易に想像できたので、それ以上は何も言わなかった。
意外にも、ロゼッタの口ぶりからして、トワリスを屋敷に置き続けることには、クラークも反対していないらしい。
となると、今後もトワリスは、魔導師としてマルカン家に仕えるのだろうか。
ルーフェンとて、トワリスの意思を無視して、無理矢理魔導師をやめさせようとは思っていない。
しかし、あんな風に思い詰めた調子でマルカン家に居続けても、いずれまた、トワリスに限界が訪れるのは目に見えている。
アーベリトにおいで、と。
あの誘いに乗ってくれたなら、昔のように、守ってやれたのに。
五年前、トワリスは、サミルやルーフェンにとって必要な人間になるために、魔導師を目指すのだと言っていた。
もし本当に、その気持ちを原動力にこれまで一途に走り続けてきたのだとしたら、見上げた根性である。
しかし、正直なところ、今のアーベリトには、中途半端な実力の魔導師なんて、いてもいなくても同じだ。
むしろトワリスは、見ていて危なっかしいから、平和な街中で安全に暮らしていてくれたほうが、こちらも精神的に助かるといえよう。
思えば、トワリスが魔導師になるだなんて言い出した時に、はっきり反対すれば良かったのだ。
自由に生きようと、ようやく一歩を歩み出せた彼女を、見守ってみたかった。
かといって、賛同した記憶もないが、所詮は幼い少女の夢物語だと、完全に侮っていた。
あの時、ちゃんと止めていれば、こんなに気を揉まずに済んだのだろうか。
少なくとも、体格の良い男たちと肩を並べ、いつ命を落とすかも分からぬような生活を送る羽目には、ならなかったかもしれない。
今のトワリスには、きっと何を言っても聞き入れてはくれないだろう。
彼女が傷ついて、立ち上がれぬ程ぼろぼろになる前に、手を差し出してやりたいが、そんな手は、恐らく振り払われて終わりだ。
その頑なさに、何度いらいらさせられた事か、もう分からない。
釈然としない思考のまま、しかし、終始突っ立っているわけにもいかないので、ルーフェンは、ロゼッタに付き合って、賑わう貴族たちの輪に入った。
見知った顔もいたし、遠方から来た初対面の者もいたが、どれも大して変わらない、蠢く絵のように見える。
聞いたことのあるような、ないような名前を挙げられても、忘れてしまった話題を振られても、笑顔で適当に相槌を打っていれば、大概はうまく受け流せた。
けれど今日ばかりは、意識が別のところにいって、上手く立ち振る舞うことができない。
煌びやかに彩られた広間で、埋もれてしまいそうなトワリスの姿が気になって、笑みすらちゃんと浮かべられているか分からなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.217 )
- 日時: 2020/02/10 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
祝宴の参加者たちが、食事で腹を満たし、各々酒も回ってきたところで、突然、シャンデリアや燭台の炎が消えた。
視界が暗転するのと同時に、談笑していた者たちも、一斉に口を閉じる。
突如訪れた暗闇と沈黙に、それでも、動じる者が一人もいないのは、今から始まる興行が、この祝宴恒例の目玉であると、皆が分かっていたからであった。
ぽっと、広間の奥にある壇上に、魔術の光が灯る。
その中心へと現れた、派手な服飾の語り手に、賓客たちの視線が、一様に注がれた。
「──遠い昔、あるところに、一人の男が在った」
語り手は、一度深々と観客に礼をすると、朗々とした声で言った。
「男は、類稀な叡知と、鋼の如き強健さを持ち合わせていた」
澄んだ声が広間に響き渡り、やがて再び、舞台が暗転する。
次に明かりが灯った時には、語り手の姿は消え、代わりに壇上には、屈強な一人の男が立っていた。
「名を、ドリアード。後に、炎剣の使い手として語り継がれる、水蛇殺しの英雄である……」
俳優が、腰の大剣を引き抜くと、その残光が炎を纏って、舞台上を焼き尽くす。
観客たちは、思わず身をすくませ、あまりの迫力に、短く悲鳴をあげた。
といっても、これは本物の炎などではなく、幻術である。
クラークが毎年用意する、この祝宴の目玉──それは、名のある劇団を招いて上演する、演劇なのだ。
(……今年は“ケリュイオスの蛇”か)
目を引く幕開けに、周囲が息を飲む中。
ルーフェンは、どこか冷めたような気分で、英雄役の男を眺めていた。
“ケリュイオスの蛇”とは、ハーフェルン発祥の、有名な伝承の一つである。
かつて、西のケリュイオスと呼ばれる海域には、九つの頭を持つ大蛇が棲み着いていた。
大蛇は、その巨大な九つの口で、通りがかった船を海水ごと飲み込んでしまう、邪悪な化物であった。
人々は大蛇を恐れ、ケリュイオスには船を出さなくなったが、すると大蛇は、陸地まで首を伸ばして、近隣の漁村を襲うようになった。
そこで、困り果てた人々を救おうと立ち上がったのが、ドリアードという男なのである。
ドリアードは、生まれつき魔術の才があり、賢く心優しい青年であった。
元は魔導師などではなく、ただの船乗りであったが、漁村に襲来した水蛇に挑み、追い返してみせたことをきっかけに、周囲から英雄視されるようになっていた。
人々は、そんな彼の勇敢さ、そして強さを見込んで、海へと逃げ延びた水蛇を退治するように頼んだのだった。
とはいえ水蛇は、九つある頭を全て落とさねば死なない、化物である。
荒れ狂う海上に一人、大蛇を討たんと航海に出たドリアードは、三日三晩の苦戦を強いられ、最終的には、燃え盛る炎剣と共に自ら喰われることを選ぶ。
己の命と引き換えに、水蛇を身の内から焼き滅ぼしたドリアードは、伝説の英雄として、後世に名を残したのだという。
最期は相討ちになって終わりだなんて、悲劇的な結末のように思われるが、この“ケリュイオスの蛇”は、演劇などではよく取り上げられる演目であった。
英雄の海への旅路──命を擲(なげう)って、人々を救わんとするドリアードの苦悩、そして勇猛果敢な姿に、誰もが胸を熱くする、いわゆる冒険譚というやつだ。
子供の頃、親が読み聞かせてくれる絵本の中に、“ケリュイオスの蛇”があったという少年少女も少なくはないだろう。
しかしながらルーフェンは、この物語が、昔から好きではなかった。
他人の死を美化した、ありがちな御伽噺など、掃いて捨てるほどあるが、その中でも、随分と胸糞の悪い結末だな、と思う。
王道な英雄譚、というよりは、哀れな生贄の生涯を目の当たりにしているような気分になるのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.218 )
- 日時: 2020/03/03 07:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
『ああ、なんと恐ろしい! 彼(か)の残虐な水蛇めは、きっとまた、村を襲い人を喰らうでしょう。この漁村だけではありません。いずれは大陸中の父を、母を……そして子を貪り、殺してしまうのでしょう。そうなる前に、どうか、あの水蛇を葬っては下さいませぬか! どうか、どうか──……』
村人役の男が、ドリアードにすがりつく。
その悲嘆に暮れた、胸を引き裂くような懇願の声に、観客たちは、時を忘れて舞台の世界に引き込まれていった。
読み手は皆、ドリアードが正義心から水蛇退治を引き受けたと考えるのだろう。
しかし、どうか助けてほしいと乞われたとき、実際にドリアードは、何を思ったのか。
いくら屈強で、魔術の才があったのだとしても、彼は元々、船乗りとして生きる道を選んでいた男だ。
それなのに、生まれつき力を持っていたというだけで、人喰いの化物に挑めと言われて、一体どんな気持ちだったのか。
自分が生まれ育った村を守るだけならともかく、関わったこともないような他人を守るために、命をかけて戦うなんて、そんなことをする筋合いは彼にはない。
荒れた海上に船を出し、三日三晩戦い抜いた末に、己の身ごと化物を焼き尽くそうなどと、それは本当に、彼の意思だったのだろうか。
ドリアードの悲惨な生き様を、正義の一言で片付けたのは、読み手の一方的な望みのように思える。
『おのれ、化物め……! これ以上、貴様に好きにはさせぬ! その身切り裂いて、二度と海上へ出られぬようにしてやる!』
天を裂かんばかりの絶叫を上げ、炎渦巻く剣を振りかぶって、ドリアードは水蛇へと立ち向かう。
水蛇は、九頭の化物ではなく、幻術で産み出された、強大な渦潮で表現されていた。
実際は、壇上でドリアード役の男が、剣舞を披露しているだけに過ぎないが、彼の迫真の演技と、幻術による水の炎の激しいぶつかり合いで、より美しく、力強い演出となっている。
内容自体は単純で、元は子供向けの御伽噺だが、そのあまりの迫力に、観客たちは皆、固唾を呑んで英雄の最期を見守っていた。
周囲から力を求められ、孤独に戦った哀れな生贄の末路は、語り手次第で、美談へと変わるのである。
とはいえ、作り話にケチをつけていても仕方がないので、ルーフェンは、手近にあった杯を傾けながら、背後の壁に寄りかかった。
本来なら、社交場でこんなだらしのない格好は見せられないが、今は辺りが暗く、賓客たちは演劇に夢中なので、誰もルーフェンのことなど見ていないだろう。
すぐ隣にいるロゼッタも、目をきらきらと輝かせて、英雄ドリアードの勇姿に釘付けのようだ。
芸術は一通り嗜んでいるであろう、目の肥えた貴族たちさえ唸らせているわけだから、流石はクラークの選んできた劇団である。
演劇など見たことがなさそうなトワリスだって、目を奪われているに違いない。
子供の頃から彼女は、一見関心がなさそうでいて、意外とこういった娯楽に興味を示すのだ。
視界が悪い中で、トワリスのほうを見ようとして、ふと、ルーフェンは一人の侍従に目を止めた。
演劇に魅入る賓客たちの間を、つまみや酒が乗った盆を持って、うろうろと行き来している。
一見、給仕としての役割を果たしている、ただの侍従のようであったが、彼の行動は、実に不可解であった。
今、酒など持って往復しても、肝心の賓客たちが演劇に夢中なので、呼び止められることはないはずからだ。
召し出された様子もなく、侍従はただ、広間を見回しては、時折立ち止まって、一点に視線を注いでいる。
誰に気づかれることもなく、人の間を縫うようにして、目線を動かす侍従のそれが、目配せだと察したとき──。
ルーフェンは、持っていた杯を静かに卓に置いて、そっと周囲の気配を探った。
(相手は誰だ……? 何人いる?)
ずっと、何者かがマルカン邸を狙っているのは、分かっていた。
ロゼッタと運河に行ったときも、クラークが差し向けた者以外に、尾行してくる気配があった。
おそらくこれには、クラークも気づいている。
だからこんなにも、広間に多くの警備を置いているのだ。
元々クラークは、物々しい雰囲気を嫌って、こういった祝宴の場には、最低人数の自警団員しか置かない。
その分、外の警備は固めるが、賓客たちの目の触れるところには、信頼できる一部の武官しか配置しないのである。
しかし、今回はどうだ。トワリスを始め、信用できるかどうかも分からぬ手合いを、広間中に置いて、目を光らせている。
これに敵が怯んで、動かなければそれで良いし、何か悪巧みをすれば、ついでに炙り出して叩こう、という算段なのかもしれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.219 )
- 日時: 2020/02/17 18:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、隣で演劇に心奪われているロゼッタに、小さく耳打ちをした。
「……少なくとも四人、いや、もっとか。胡散臭いのが紛れ込んでる。心当たりは?」
問うと、ロゼッタは、舞台上から目を離さぬまま、しれっと答えた。
「あんまりしつこいから、お父様が、この祝宴に招待なさったのだと思いますわ。……本当に来てくださったなら、良かった」
次いで、にこりと笑って、ルーフェンを一瞥する。
「召喚師様、やっつけてくださる?」
「…………」
特に動じる様子もなく、平然とそう言ってのけたロゼッタに、苦笑する。
呆れたように肩をすくめると、ルーフェンは、謀ったな、と一言だけ呟いた。
つまりは、全て計画の内だった、ということだ。
他街からの印象を重んじるクラークが、こんな大胆な作戦に出るとは少し意外であったが、要は、相手がそれだけ執拗にマルカン家を狙っている、ということなのだろう。
この祝宴に不遜な輩が紛れ込むことも、そして、その場に召喚師であるルーフェンが居合わせることも、全てクラークの策の内だったわけだ。
賓客たちは演劇に夢中で、周囲は暗闇。
潜り込んだ刺客からすれば、これだけ動きやすい環境はない。
ルーフェンは、再び壁に寄りかかって、演劇を観る振りをしながら、侍従らしき男の動向を注視していた。
どんな攻撃を仕掛けてこようと、ねじ伏せることは造作もないが、問題は、相手が何人か、そしてどう賓客たちを逃がすか、である。
マルカン家を狙っているなら、標的は当然クラークかロゼッタだろうが、敵が必ずしも、二人に的(まと)を絞るかは分からない。
大勢いる賓客相手に、同時に魔術でも放たれたら、流石に防ぎきれないし、そもそも大広間の中で戦闘をすれば、何かしらの被害が出ることは確実。
場合によっては、こちらから仕掛けて、負傷者が出る前に敵を潰すほうが有効かもしれない。
ルーフェンは、ロゼッタを近くの自警団員に任せると、静かに侍従らしき男の元へと歩み寄った。
今のところ、この男以外に、怪しげな動きをしている者はいない。
この男を仕留めて、敵がマルカン家の急襲を諦めるならば、祝宴後に身元を調べれば良い話だし、強攻するならば、その場で動きを見せた者全員を、芋づる式に片付けていく他ないだろう。
不自然に目線をちらつかせていた男と、ふと、目が合った。
男は、漫然と広間を見渡しているようにも見えたが、やはり、その視線の送り方には、意味があったのだろう。
ルーフェンの接近にいち早く気づくと、横目に何かを訴えてから、焦ったように駆け出した。
周囲を押し退けて走る男に、賓客たちが、何事かと目を向ける。
男が頭上のシャンデリアに手を掲げ、魔術を使う──その素振りが見えた時には、ルーフェンは、男の首筋に一発入れて、昏倒させていた。
しかし、その次の瞬間。
鈍い金属音と同時に、吊っていた金具部分が弾け、大量の蝋燭とシャンデリアが、ルーフェンの頭上に落下してくる。
手を翳し、短く詠唱すれば、シャンデリアは横から風で殴られたように吹き飛び、壁にぶち当たった。
蝋燭の土台となっていた色硝子が、床に落ちて割れる、派手な音が重なる。
賓客たちは悲鳴をあげ、さっと顔色を変えたが、腰をあげただけで、扉まで向かう者はいなかった。
突然の出来事に、事態を把握できていない者もいれば、劇の演出の一部ではと、勘繰っている者もいる。
逃げようにも、視界が暗く、思うように動け出せない者も多いようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.220 )
- 日時: 2020/02/18 20:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
素早く舞台上に駆け上がると、ルーフェンは、騒然とする広間を俯瞰した。
残っている二つのシャンデリアや、燭台に炎を灯してから、腰を抜かした舞台役者たちに、目で逃げるように示す。
次いで、クラークの姿を探したが、つい先程まで舞台脇にいたはずの彼は、忽然と姿を消していた。
わざわざ祝宴に敵を招き入れたわけだから、賓客の避難に関しては、彼が算段を立てているものと信じていたが、どうやらあては外れたようだ。
クラークの性格上、一人で逃げて、顰蹙を買うような真似はしないはずだが、何の指示も出さないところを見ると、そもそも避難誘導をする気がないのだろう。
賓客ごと敵を逃がすつもりはないし、それどころか、この騒ぎを、演出の一部だった、とでも言い張るつもりなのかもしれない。
混乱に乗じて、剣を抜いた四人の自警団員──刺客たちが、逃げようとする賓客たちに斬りかかった。
マルカン家に仕える、本物の武官たちも、応戦しようと身構える。
しかし、彼らが剣を交えるより速く、ルーフェンが遠隔から手を動かすと、その動きを準(なぞら)えるように、刺客たちの身体が宙に吹っ飛んだ。
壁で後頭部を打った者もいれば、吹っ飛んだ拍子に、剣が自らの身体に突き刺さった者もいる。
動揺して身をすくめる賓客の中で、四人の刺客たちは、呻き声をあげながら床に転がった。
「早く! 全員逃がせ!」
ルーフェンが近くの魔導師に怒鳴り付けると、魔導師は、びくりと肩をすくませてから、慌てた様子で周囲に避難指示を出し始めた。
この際、クラークの思惑など、考慮してはいられない。
賓客にまで斬りかかっていたところを見る限り、今回の敵は、見境なく人を殺しても構わないと考えている。
そんな厄介な連中を逃がしたくない、という思いは確かにあるが、何人いるかも分からない刺客が一斉に動き出せば、ルーフェンとて即座には動けない。
このまま広間に閉じ込めておいて、人質でもとられるよりは、この場から全員逃がした方が、被害は最小限に抑えられるだろう。
いよいよ、開いた大扉に向かって、賓客たちが走り出した、その刹那。
再び金具の弾ける鈍い音が響いたかと思うと、残っていた二つのシャンデリアが、地面に落下して砕け散った。
幸い、直下に人はいなかったが、蝋燭の炎が絨毯に燃え移って、一層人々の恐怖心を煽る。
自警団員たちが、咄嗟に火を消そうと集まってきたが、このような惨事に見慣れぬ大半の賓客たちは、腰を抜かしてうずくまるしかなかった。
広間を照らすのは、心許ない燭台の光と、絨毯に燃え広がっていく貪食な炎のみ。
凄惨な絵図の中で、ルーフェンは、首謀者を見つけようと気配を探った。
シャンデリアが落ちた瞬間、魔力は感じなかった。
思えば、侍従に扮した刺客を仕留めたときだって、ルーフェンは、彼が魔力を使う前に気絶させたはずなのに、シャンデリアは落ちてきた。
つまりこれは、事前に仕掛けられていたことなのだ。
魔法陣を仕込んで、予備動作だけでシャンデリアが落ちるように細工をしていた、計画的犯行である。
ルーフェンは、小さく舌打ちすると、フォルネウスを召喚しようと詠唱を始めた。
未だ潜んでいる刺客が、使用人として紛れているのか、賓客に扮しているのか。
また、この屋敷に、他にどんな小細工が仕組まれているのか、それすらも分からない。
こうなったら、フォルネウスの力で、全員の動きを封じたほうが手っ取り早いだろう。
ルーフェンが、魔語を唱える、その時であった──。
不意に、視界に赤らんだ光が飛んだかと思うと、目の前で、燃え盛る火球が軌跡を描いた。
まるで巨大な鳥のように滑空したそれは、やがて渦を巻き、広間全体で炎のとぐろを巻く。
視界を覆う業炎は、一見規模の大きな魔術のように見えたが、何ということはない。
魔術を学んだ者であれば大抵が使えるような、簡単な幻術であった。
劇団員の誰かが、刺客の動きを止めるために放ったのかと思ったが、そうではない。
炎を使ったこの幻術に、ルーフェンは、微かに見覚えがあった。
視界の端で、木の葉が、ふわりと宙を舞った気がした。
熱風に巻き上げられたかの如く、軽やかに。
そして、獣のようにしなやかに。
炎渦の上を揺蕩うそれは、まるで重力を感じさせない動きで、床を蹴り、抜刀して翻る。
運河に飛び込んでいった彼女を見たときと、同じ感覚だ。
一人、別の時間を生きているような──そんなトワリスの動きには、きっと、何人たりとも追い付けない。
炎の幻術を使ったのが、トワリスであることは分かったが、その狙いまでは読めず、ルーフェンは、ただ瞠目して立っていた。
舞台下を業炎が包んだことで、刺客たちは、攻撃の手を止めざるを得なくなったはずだ。
しかし、この程度の幻術では、そう長くもたないし、標的が見えず、攻撃ができないのはこちらも同じである。
幻術が解ければ、再び戦闘が始まるだろう。
炎の明るさに視界を焼かれ、目が眩んで動けなくなるのは、ほんの一瞬程度。
けれど、その一瞬こそが、トワリスにとっては、十分な時間稼ぎなのであった。
宙で一転し、壁に着地したトワリスが、その脚に魔力を込めた瞬間──。
身を踊らせていた木の葉は、一閃、矢の如く炎渦を切り裂いた。
電光石火で駆け抜けた刃は、人々の目に、どう映ったのだろう。
吹き抜ける突風か、あるいは、地上に迸る稲妻か。
ぶわりと火の粉を散らし、尾を引くように紅鳶をたなびかせながら、トワリスは、縦横無尽に敵を薙ぎ倒していく。
幻術が解け、人々の視界が元に戻った頃には、広間に八人の身体が転がっていた。
空気が、未だにびりびりと震えている。
トワリスが、潜んでいた刺客たちを峰打った瞬間は、速すぎて認識できなかった。
倒れた刺客のすぐそばにいた者でさえ、ただ、すり抜ける風を感じただけだ。
双剣を鞘に納める、鍔(つば)鳴りの音が響く。
身を低くしていたトワリスは、すっと立ち上がると、唖然としている自警団員たちを見回して、言った。
「早く捕まえてください。気絶させただけです」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.221 )
- 日時: 2020/02/23 18:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
我に返った自警団員たちが、慌てた様子で、気絶した刺客たちを取り押さえる。
意識を取り戻しても動けぬように拘束され、広間から引きずり出されていく刺客たちを見て、ようやく生きている実感が湧いてきたのだろう。
賓客たちは、徐々に周囲の者たちの安否を確認しながら、口を開き始めた。
夢でも見ているような思いで、舞台に立ち尽くしていたルーフェンは、ふと、名前を呼ばれたような気がして、振り返った。
今までどこに隠れていたのか、ロゼッタの肩を抱いたクラークが、壇上に上がってくる。
クラークは、呼びつけた魔導師に、燭台の炎を強めるように命じてから、次いで、ざわめく大広間を見渡した。
落下したシャンデリアが三つ、床に砕け散っており、広間の至るところに、血痕が残っている。
だが、おそらくその血は刺客たちのもので、見たところ、怪我をして動けなくなっている賓客はいない。
大事にはなったが、被害は最小限と言える状況であった。
クラークは、さっと両手をあげると、賓客たちに呼び掛けた。
「皆様! マルカン家頭首、クラークでございます!」
青ざめていた賓客たちの視線が、舞台上のクラークに注がれる。
クラークは、大袈裟な身振り手振りをつけながら、演技がかった口調で語った。
「とんだ不埒者共が入り込んでいたようで、誠に申し訳ございませんでした! お怪我はございませんでしたか? 今、屋敷の医術師たちを呼んでおります。もしお怪我をなさった方がいらっしゃいましたら、早急に手当てをさせて頂きますので、この場でお知らせください!」
クラークの声かけに、手を挙げた者はいなかった。
賓客たちは、強張った顔で、しばらく事態を飲み込むのに精一杯の様子であったが、騒ぎの割に負傷者がいないのだと分かると、緊張が解けてきたようだ。
見知った者同士で集まりながら、幾分か落ち着いた表情になった。
クラークは、拍手をした。
「いやはや、流石は各領の中枢を担う皆様! 不遜な輩が騒ぎを起こそうとも、これしきでは動じぬ、肝の据わった方々ばかり! 本日は、折角の宴の席でございます。別のお部屋をご用意致しますので、仕切り直しと行きたいと存じますが、いかがでしょうか?」
都合の良いクラークの言葉に、賓客たちが、ざわりとどよめいた。
大した被害がなかったとはいえ、急場の後に部屋を変えて飲み直そうなどと、とても責任者の台詞とは思えない。
召喚師の同席や、警備の増員を計算に入れ、結果的に怪我人を出さなかった点は評価すべきかもしれないが、言ってしまえば、そもそも刺客の侵入を許したこと自体が、クラークの落ち度なのだ。
しかし、賓客たちの苦言を待たずに、クラークは続けた。
「皆様に怖い思いをさせてしまい、このようなことを申し上げるのは大変恐縮なのですが、実は、以前から無法者が紛れ込んでいることには、気づいておりました。一時は祝宴の中止も検討いたしましたが、遠路遙々お越しくださった皆様や、この祭典を心待ちにしていたハーフェルンの民たちの期待を裏切るわけにはいかないと、警備を強化した上で、開催した次第でございます。包み隠さずに言えば、これを機に、私を狙う一派を掃討することも目的の一つでした。ですがどうか、誤解をしないで頂きたいのです。私には決して、皆様を危険に陥れようなどという意図はございませんでした。むしろ、敵の刃をこの場で一手に引き受けたことが、今後の皆様の安全に繋がると考えております。なぜなら私には、この祝宴でいかなる有事が起ころうとも、絶対に皆様をお守りできるという自信があったからです。何せ今回は、我が国の守護者様もご出席なさっていたのですから!」
突然、満面の笑みのクラークに肩を抱かれて、ルーフェンは眉をあげた。
いきなり何を言い出すのか狸じじい、と悪態をつきたくなったが、自分に向けられた賓客たちの顔つきを見て、すぐにクラークの言わんとすることが分かった。
つい先程まで、不満と疑念で一杯だった賓客たちの目の色が、明らかに変わっていたのである。
クラークは、鷹揚に言い募った。
「祝宴を中止にして、私を引きずり出す好機を失えば、敵はハーフェルンのどこで、いつ、誰を襲っていたか分かりません。それでは、こちらとしても防ぎようがないというもの。ですから、あえて例年通り祝宴を開くことで、敵の目をこの私と、屋敷に集中させたのです。私は迷いました……いかに有効な策とはいえ、屋敷内に奴等を招き入れれば、皆様を恐ろしい目に遇わせてしまうのではないか、と。けれどその時、召喚師様が仰って下さいました。『土地を治める立場の者同士、街の安全を最優先したいという想いには、きっと皆も理解を示してくれるだろう。万が一の時は、この私も手を貸しますから』と。事実、召喚師様はお言葉通り、瞬く間に不埒者共を倒してしまいました! 被害といえば、まあ、合わせて屋敷一つ分は下らない、このシャンデリアでしょうか」
クラークの冗談に、足元で砕け散っているシャンデリアを見て、賓客たちの間から苦笑が起こる。
クラークは見事、その口八丁で、今回の騒動は不測の事態などではなく、あくまで自分の掌の上で起こったことだったと言ってのけたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.222 )
- 日時: 2020/03/03 07:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、刺客が紛れ込んでいるかもしれない、なんて話を事前に相談された覚えはないので、全てはクラークの作り話である。
しかし、賓客たちに語っていたように、さも召喚師の手柄だと言わんばかりに告げられれば、ルーフェンも嫌な気分にはならないはずだと、クラークはそう見越して発言しているのだろう。
一度軌道に乗りさえすれば、流暢な口ぶりで事を運べるのが、この男の特徴である。
調子良く回る舌に、水を差してやりたい気持ちもあるが、今更賓客たちの不安を煽って雰囲気を悪くするほど、ひねくれてはいない。
肩をすくめたルーフェンを、笑顔で一瞥してから、クラークは賓客たちに向かって言った。
「さあさあ、お部屋の準備が整ったようなので、今宵の出来事を肴(さかな)に、一層祭典を盛り上げてやろうという方は、是非ご準備を! なぁに、また怪しげな輩が潜んでいたとしても、我々には召喚師様がついております。……なんて、これ以上我が屋敷を壊されては、いくら私でも身上(しんしょう)が潰れてしまいますから、二度はありませんがね」
再び、賓客たちの間に、笑い声が湧く。
警備が不十分だったために、襲撃されたと信じこんでいた賓客たちは、全てがクラークの計画の内だったと知り、今ではすっかり安心しきった様子だ。
先程まで青ざめ、立つこともままならなかった彼らは、ざわめきながら腰を上げたのだった。
一礼してから、誘導指示に向かったクラークに代わり、ロゼッタが、ルーフェンの元へと歩いてきた。
「召喚師様、お疲れ様です。思えば私、召喚師様が魔術を使っているところ、初めて拝見しましたわ。私達を守って下さって、ありがとうございます」
ロゼッタは、どこか興奮した表情でそう言ったが、ルーフェンは、返事をしなかった。
心ここに非ずといった様子で、ルーフェンは、移動する賓客たちの流れを、ぼんやりと見下ろしている。
首を傾げたロゼッタが、すぐ隣で腕を絡めると、ようやくルーフェンは顔をあげた。
「もしかして、怒ってしまった? お父様が、まるで召喚師様のことを利用するような真似をしてしまったから……」
眉を下げて、ロゼッタが今にも泣き出しそうな声を出す。
ルーフェンは肩をすくめて、首を振った。
「……いや、そういうわけじゃないよ。確実に暴徒が騒ぎを起こすかどうかなんて、誰にも分からなかったんだし、君たちも瀬戸際だったんだろう? 陛下ではなく、俺がこの祭典に呼ばれた時点で、何かしらあるんだろうなとは思ってたよ。ハーフェルンに手を出そうっていうなら、それはアーベリトの敵でもある」
ロゼッタは、表情を明るくすると、ルーフェンにすり寄るように身体を密着させた。
「そう言って頂けると、心強いですわ。実は、今回の件について、他にも召喚師様にご相談したいことがあって……。よろしければ、助けてくださったお詫びとお礼も兼ねて、祝宴の後──」
そこまで言って、ロゼッタは言葉を切った。
ルーフェンの意識が、再び舞台下に注がれていたからだ。
ルーフェンは、つかの間、誰かを探すように視線を巡らせた後、ふと動きを止めると、ロゼッタの方を振り返った。
「相談には乗るけど、お礼はいらないよ。今回、俺はほとんど何もしてないから」
それだけ言うと、ルーフェンは、するりと腕を抜いて、壇上から降りていく。
ロゼッタは瞠目してから、ルーフェンの後を追ったが、豪奢なドレスを着ている状態では、そう速く歩くことはできない。
ルーフェンは、広間を出ていく賓客たちの間を縫って、シャンデリアの破片を掃き掃除している、トワリスの元へと駆け寄った。
「……トワリスちゃん」
声をかけると、トワリスは驚いた様子で、箒を動かす手を止めた。
もう一歩近づけば、踏んだ破片が押し割れて、ぱきりと音を立てる。
先程、三人もの刺客を一瞬で昏倒させたのは、やはり彼女だったのだろう。
激しく動いたせいか、トワリスの髪は跳ね、着用していた自警団員用の正装も、全体的に着崩したように乱れていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.223 )
- 日時: 2020/03/05 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……何か御用でしょうか?」
固い声で返事をしたトワリスに、ルーフェンは、一度言葉を止めた。
目線を落とせば、箒を握ったトワリスの手が目に入る。
彼女の手は、皮膚が分厚くて硬い、剣を扱う者の手であったが、それでも、男の手指よりはずっと小さく、細かった。
運河から彼女を引きずりあげた時も思ったが、近くで見てみると、案外トワリスは小柄だ。
特別華奢というわけではないが、他の同業の男たちと並ばれてしまうと、やはりその線の細さが目についた。
剣を持たず、獣人混じりであることを差し引けば、トワリスは素朴な町娘にしか思えないだろう。
少なくとも、戦い慣れした男三人を、一瞬で延したようには見えない。
女にしては節榑(ふしくれ)立った、トワリスの手を見つめながら、ルーフェンは答えた。
「怪我とか、してない? ……さっき、すごかったね。君の動き、目で追うこともできなかった」
言ってから、トワリスの顔を見ると、彼女もまた、ルーフェンを見ていた。
意外そうに瞬いた後、トワリスは、どこか面映ゆそうに俯いた。
「……ありがとうございます。多分、紛れていたのはあれで全員だと思いますが、まだ油断はできません。雰囲気を悪くしてしまうかもしれませんが、この祝宴が終わったら、参加した全員の身元を、改めてお調べした方が良いと思います」
「うん、そうだね。マルカン候に伝えておくよ」
「……いいえ、仕事なので」
そこで会話が途絶えてしまって、同時に目を伏せる。
今にも掃き掃除に戻ってしまいそうなトワリスを、どうにか引き留めようして、ルーフェンは、立て続けに尋ねた。
「ねえ、あの時……どうして紛れ込んでる奴等が分かったの? 剣を取り出したり、魔術を使うまでは、検討もつかなかっただろう?」
付け焼き刃の質問であったが、本当に気になっていることではあった。
トワリスは、短い間とはいえマルカン家に仕えているので、見慣れぬ侍従や武官を片っ端から警戒していれば、紛れ込んでいる刺客に予想をつけることは出来たかもしれない。
しかし、遠方から来た賓客を装われれば、誰が刺客で、誰が本物の招待客だったかなんて、そんなことは分からなかったはずだ。
ルーフェンも、疑わしい相手に目星をつけることは出来たが、確信するまでには至らなかった。
トワリスが、一体どこを見て判断し、確実に侵入者を炙り出せたのか、ひっかかっていたのである。
トワリスは、少し迷ったように視線をさまよわせてから、ぼそぼそと答えた。
「……色々ありますけど……匂い、ですね」
「匂い?」
思わず聞き返すと、トワリスは、躊躇いがちに頷いた。
「ここに来た方たちは皆、薔薇か、それに近い香りの香水をつけてるんです。……多分、ロゼッタ様が、薔薇の香りがお好きなので」
ちらりと上がったトワリスの目線の先には、ルーフェンを追ってきていた、ロゼッタの姿があった。
一歩下がって、トワリスたちの話を聞いていたロゼッタが、ひょっこりとルーフェンの横に顔を出す。
言われてみれば、ロゼッタからいつも漂う甘やかな匂いは、上品な薔薇の香りであった。
こういった社交場では、確かに大半の人間が香水をつけているが、それが何の香りだったかなんて、いちいち考えたことはなかった。
考えたところで、それらを嗅ぎ分けることは、普通の人間にはできないだろう。
広間を見回してから、トワリスは続けた。
「祝宴が始まったときから、四人、匂いが妙に薄い人がいたんです。一人は、最初に召喚師様が倒した侍従でしたが、他は全員、グランス伯の代理出席の方々でした。グランス伯って、以前、ロゼッタ様に香水を送ってきた北方の領家の方々なんです。……おかしいですよね、遠方から贈り物をするくらい、香水に精通してる家の出身なのに、肝心の自分達が香水をつけてこないなんて。あれは、たまたま今日だけつけ忘れた、っていう匂いの薄さじゃありませんでした。多分、香水なんてつけたことがない、グランス伯の名前を借りた偽物なんです」
トワリスは、ルーフェンとロゼッタに向き直った。
「一度、グランス家の方々と連絡をとってみた方がいいかもしれません。遠方であるが故に、親交はあっても面識がなかったことを利用されて、成りすまされただけだと信じたいですが、もし本当にグランス家が代理人をハーフェルンに送っていたのだとしたら、その人たちがどうなったか、確かめないといけないので」
それでは、片付けに戻ります、と一礼すると、ルーフェンの返事を聞かぬまま、トワリスは逃げるように、別の自警団員たちに合流してしまった。
ロゼッタはしばらく、トワリスの後ろ姿を見つめていたが、途中から入り込んだために、いまいた話が理解しきれていなかったのだろう。
ぱちぱちと瞬いてから、唇を開いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.224 )
- 日時: 2020/03/08 19:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「えーっと……香水って? お二人で、何のお話をなさっていたの? グランス家の方々がどうとかって……」
ルーフェンは、同様にトワリスが去っていった方向を眺めながら、呟くように言った。
「匂いで、紛れ込んでた奴等の正体が分かったんだってさ。今回、事態を解決したのは、俺じゃなくてトワリスちゃんなんだよ」
「に、匂いで……?」
思わず引き気味に答えてしまって、ロゼッタは、慌てて口をつぐんだ。
炎の幻術が巻き上がった瞬間、ロゼッタは驚いて目をつぶってしまっていたので、あの場で何が起こったのかは、よく分かっていなかった。
しかし、ルーフェンの言葉を額面通り受け取るならば、トワリスは祝宴が始まった時から、広間にいる人々の匂いを嗅ぎ回って、侵入者を探していたということだろうか。
もしそうだとしたら、その様はまるで獣のようである。
とはいえ、仮に内心ドン引きしていても、それをルーフェンの前で態度に出すだなんて、もってのほかだ。
マルカン家の淑女たるもの、たとえ相手が、人間離れした嗅覚を持つ得体の知れない女でも、表向き差別などしてはならない。
過程はどうあれ、侵入者を誰よりも早く見つけ出し、倒したことは、賞賛すべき行為である。
匂いで嗅ぎ分けたなんて予想外すぎて、うっかり素が出そうになったが、ここは素直に、誉めておくべきだろう。
ロゼッタは、上品に微笑んで見せた。
「やっぱり、獣人の血が混じってると、鼻が利くものなのね。前に香水の匂いが苦手って言ってたことがあったから、普通より敏感なのかしら、とは思っていたけれど……まさかそれで、悪い人達を見つけ出してしまうなんて。トワリスってばすごいわ、これはお父様にも教えて差し上げないと。トワリスのことを揶揄する方もいるけれど、私はむしろ、獣人混じりであることこそ、彼女の強みだと思ってますわ」
言ってから、同意を求めるように、上目遣いでルーフェンを見る。
その彼の顔を見て、ロゼッタは、思わず目を疑った。
ルーフェンは、いつものように笑むでもなく、かといって、トワリスの行動に呆れている様子もない。
虚を突かれたような、無防備な表情をしていたのだ。
ルーフェンの沈黙を訝しんだロゼッタが、再び口を開こうとしたとき。
ルーフェンが、ぽつんと呟いた。
「……いや、本当に……すごいな。匂いなんて、考えたこともなかったし、考えていたとしても、あの子じゃなきゃ気づけなかった」
おそらく、誰に言ったわけでもなかったのだろう。
無意識に、心の底から滑り出てしまった、素直な賛美の言葉のようであった。
「……召喚師様?」
少し強めに声をかけると、ようやくルーフェンと、視線がかち合う。
けれどその目は、ロゼッタのことを見てはいなかった。
「あの子、古語どころか、普通の文字も読めなかったんだ」
「……え?」
問い返すと、ルーフェンの顔に、初めて表情が現れた。
驚きと、その奥にある嬉しさを隠しきれないような、柔らかい熱のこもった表情。
ルーフェンは、再び前を向くと、穏やかな口調で言った。
「獣人混じりであることが強みだって、そう言っただろう? 確かに、それもあるかもしれない。でもあの子は、初めて会ったとき、会話もまともに出来ないような……そういう子だったんだよ。ここに来るまで、本当に……頑張ってきたんだと思う」
その銀の瞳に浮かぶ、触れられそうなほどの感嘆の色を、ロゼッタは、不思議な思いで見つめていた。
アーベリトへの遷都をきっかけに、婚約関係を結んで、かれこれ五年。
少なくともその間では、見たこともない、眩しそうな表情であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.225 )
- 日時: 2020/03/11 19:39
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、誰に対しても優しく、人当たりが良いように見えるが、その実、誰にも興味を持っていないのだろうというのが、ロゼッタの印象であった。
中には、ルーフェンの甘言を本気にする者もいたし、当初はロゼッタも例外ではなかったが、付き合っていく内に、彼は笑顔の裏で、一体何を考えているのだろうと、不気味に思うようになったのだ。
しかし、元々政略的な理由で婚約者になったので、そこに恋情がないからといって、関係を解消することにはならなかった。
ロゼッタ的にも、アーベリトとは友好的な間柄で在りたかったし、何より、ルーフェンと仲睦まじい演技をしていれば、召喚師に取り入りたい父、クラークも喜ぶ。
勿論、嫌だと言えば、クラークは関係解消に動いてくれたのかもしれないが、そもそもルーフェンとは、年に数度会うか、会わないかといった状態であったし、彼は察しが良く、何も言わずに“婚約者ごっこ”に付き合ってくれていたので、そういう意味では一緒にいて楽であった。
召喚師一族に嫁げるということは、マルカン家にとって非常に名誉なことであったし、ルーフェンだって、ハーフェルンとの関係は大切にしたいはずである。
あくまで利害の話をしているのに、そこに好きだの嫌いだの、個人的な感情が入ると厄介だ。
だから、このまま後腐れのない、無感情な関係を続けていく上では、ルーフェンが誰にも関心を持たない、酷薄な人間であっても、腹の底の読めない狸男であっても、さして問題はない。
むしろ、余計な私情を挟んでこない分、都合が良い。
五年間ずっと、そう言い聞かせて、信じていたのに──。
まさか、こんなにも分かりやすく、ルーフェンの感情が動いた瞬間を目の当たりにするとは。
ロゼッタはしばらくの間、ルーフェンの顔を、黙って眺めていた。
しかし、ややあって、呆れたようにため息をつくと、ぼそりと囁いた。
「……なんかもう、面倒になりましたわ」
気づいたルーフェンが、ロゼッタに視線を戻す。
ロゼッタは、ルーフェンの手を引いて、人気のない舞台袖まで来ると、突然、左耳の耳飾りをとって、床に叩き落とした。
追い討ちと言わんばかりに、靴の踵で耳飾りをぐりぐりと踏みつければ、付石は、小さく音を立てて、呆気なく砕ける。
以前ルーフェンと、願掛けだのなんだのとやり取りをした、紅色の耳飾りであった。
「こんなに馬鹿馬鹿しい婚約者ごっこって、ないですわね。私、本気で恋愛をするなら、追いかけるより追いかけられたい派ですの。他の女ばっかり見てる男なんて、絶対に御免ですわ」
「…………」
腕組みをして、吐き捨てるようにロゼッタが言い放つ。
ルーフェンは、つかの間沈黙して、微かに首を傾げた。
「えーっと……何の話?」
「私達の話ですわ!」
だんっ、と床を踏み鳴らして、ロゼッタがルーフェンを睨む。
歩み寄って、ルーフェンの顔を至近距離で見つめると、ロゼッタは、打って変わった低い声で告げた。
「よろしくて? この際、婚約者だからとか、そんな話はどうだって良いのです。私が欲しいのは一つだけ、リオット族の独占権をハーフェルンに譲渡してちょうだい」
ルーフェンが、ぱちぱちと目を瞬かせる。
頑として目をそらさず、返事を待っているロゼッタに、ルーフェンは、ぷっと吹き出した。
「……やたらとリオット族をハーフェルンに招待したがってたけど、やっぱりそれが目的だったんだ?」
「ええ、今更否定はしませんわ。召喚師様と駆け引きしたって埒が明きませんから、もう直球に申し上げます。……お返事は?」
「お断りかな」
「チッ」
隠す様子もなく盛大に舌打ちをして、ロゼッタが離れる。
くすくすと笑うルーフェンに、ロゼッタは、苛立たしげに尋ねた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.226 )
- 日時: 2020/03/14 18:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「どうして頷いて下さらないの? 勿論、利益の分配だって、アーベリトが損にならないよう計らいますわ。ハーフェルンなら、南方だけでなく北方の鉱脈とも繋がりがあります。リオット族の能力は、シュベルテの弱小商会よりも、ハーフェルンが所有していた方が有用でしょう」
「うん、だからだよ」
ロゼッタが、怪訝そうに眉を寄せる。
ルーフェンは、足元で砕けた紅色の耳飾りを一瞥すると、言い募った。
「俺がリオット族をアーベリトに留まらせているのは、彼らの価値を下げないためだよ。ハーフェルンに頼った方が、そりゃあ手広く成功するんだろうけど、それで結果的にリオット族の存在が身近になるのは、本意じゃない。この耳飾りに使ってる石だって、言ってしまえば、ただの石ころだ。でも、そう簡単には手に入らないから、高値で取引される」
「……つまり?」
「人は身近なものには価値を見出ださないけど、普段お目にかかれないものには、価値を見出だすし、欲しくなるってこと」
至極全うな答えが返ってきて、ロゼッタは、面白くないといった風にそっぽを向いた。
よほど不機嫌そうな表情になっていたのだろう。
ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「ごめんね、怒らないで。リオット族の件は承諾できないけど、君のお願いは、なるべく聞き入れたいと思ってるんだ」
「…………」
尚も吐き出される歯の浮くような台詞に、ロゼッタの眉間の皺が深まる。
すっと目を細めると、ロゼッタは冷たい視線を投げ掛けた。
「そういう嘘、軽々しく言わないで下さる? いつか私怨で刺されますわよ」
「あはは、もう手遅れかな」
特に反省した様子もなく、ルーフェンは、軽い調子で返事をした。
真面目な話をしていたかと思いきや、突然、会話をはぐらかすような、掴み所のない部分を見せるのは、もはやルーフェンの癖みたいなものだ。
いちいち真に受けなければ、さほど気にならないが、相手によっては、人を食ったような態度に見えて、腹が立つだろう。
ロゼッタは、ため息混じりに言った。
「まあ、いいでしょう。元々良い答えがもらえるとは思ってませんでしたし、今回は、お父様が貴方を利用するような真似をしてしまいましたから、多くは望みませんわ。アーベリトがハーフェルンとの協力関係を反故(ほご)にしない限り、私達は、貴方の思うように従います。……トワリスのことも、欲しいなら差し上げますわ」
トワリスの名前を出すと、ルーフェンは、不思議そうに目を見開いた。
「……トワリスちゃん? どうして?」
いっそ動揺を見せてくれたら面白かったのだが、ただただ疑問に思った様子で、ルーフェンは尋ねてくる。
この話の流れで、何故トワリスの名前が出てきたのか、本気で分かっていないようだ。
唾を吐きたい衝動を抑え、再び顔を近づけると、ロゼッタは凄味のきいた声を出した。
「どうして? 今、どうしてって仰いました? ここ数日、婚約者には目もくれず、ずーっとあの女のことばかり追いかけていたでしょう。お忘れかしら」
「いや、追いかけてた、っていうか……そういうつもりではなかったんだけど。……寂しい思いをさせてたなら、ごめんね?」
言いながら、じりじりと迫ってくるロゼッタに、ルーフェンが一歩下がる。
へらりと笑って、ルーフェンは謝ったが、ロゼッタは、表情をぴくりとも動かさなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.227 )
- 日時: 2020/04/07 21:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「薄っぺらい謝罪は結構ですわ。一度懐に入れた臣下をとっかえひっかえしたくなかったから、手元に残すつもりでしたけれど、気持ち的には、トワリスなんてさっさと手放したかったんですもの。お父様も、トワリスのことは能力不足だと思っていらっしゃるようですし、彼女を屋敷から追い払って、結果的に召喚師様に恩が売れるなら、それが一番だって、ついさっき思い直しましたの」
「……そうなの? 卿はともかく、君はトワリスちゃんのこと、気に入ってるのかと思ってたけど」
「気に入ってませんわ! あんなうるさい女!」
叫びにも近いようなロゼッタの声に、ルーフェンは、思わず周囲を見回した。
人目に触れない舞台袖とはいえ、幕を隔てたその先の広間には、まだ侍従や賓客たちが残っている。
ロゼッタ的に、こんな癇癪を起こしている姿を誰かに目撃されたら、まずいのではないだろうか。
しかし、ルーフェンが口を挟む隙もなく、ロゼッタは、地団駄を踏みながら憤慨した。
「あれは駄目、これも駄目、怪我をしたら危険だから、健康に悪いからって。私、これまでの人生で、あんなに怒られたことありませんでしたわ! 健康に悪いってなに? トワリスは、私のお母様にでもなったつもりだったのかしら? 年下のくせに、乳母よりうるさいんだもの!」
乳母より、という言葉を聞いた瞬間、耐えきれなくなって、ルーフェンはいきなり吹き出した。
腹を押さえ、身体をくの字に曲げて、大爆笑している。
ロゼッタは、顔を微かに赤くすると、ルーフェンを怒鳴り付けた。
「もう、笑うところじゃありません! お父様が私に専属護衛をつけたいって言うから、どうにか我慢していましたけれど、トワリスったら、一挙一動に文句をつけてくるんですもの。息苦しさで、頭がどうにかなりそうでしたわ!」
畳み掛けて言うと、ルーフェンは、更に笑い出した。
何がそんなに可笑しかったのか、ロゼッタには分からなかったが、もしかしたらルーフェンにも、トワリスの口うるささに心当たりがあったのかもしれない。
ややあって、涙を拭きながら顔をあげると、ルーフェンは、ようやく出たような声で言った。
「……確かに、言われてみれば、トワリスちゃんってそういうところあるかも」
トワリスとの出来事を思い出しているうちに、再び笑いの発作が起きたのか、ルーフェンが、何度か堪えるように咳き込む。
それから、「そっかぁ」と呟くと、柔らかい表情になって、幕の隙間から溢れる、ほんの僅かな光を見つめた。
「そういうつもりじゃなかったけど……そうなのかもね」
「…………」
ルーフェンが自分に向けた、ただの独り言のようであった。
ほら見たことかと、指を差して笑ってやりたかったが、彼の視線は、やはりロゼッタの方には向いていない。
こちらを見もしない相手を、ご丁寧にからかってやるのも馬鹿馬鹿しくなったので、ロゼッタは、開こうとした口を閉じた。
しばらくの間、ロゼッタは、ただ呆れた様子で、ルーフェンのことを見ていた。
だが、やがて、大きくため息をつくと、平坦な口調で言った。
「もうおしまいにしましょう。どうせ別室で祝宴が再開したら、またご一緒することになりますし、今は貴方のお顔を見ていたい気分ではありませんわ」
それだけ言って、くるりと背を向ける。
わざと靴の踵を鳴らし、舞台袖から出ていこうとすると、ルーフェンが、声をかけてきた。
「ロゼッタちゃん、さっきの言葉、嘘じゃないよ」
足を止めて、振り返る。
一体どの言葉だと、訝しむように無言で問うと、ルーフェンは言い直した。
「君のお願い、可能な限りは聞くよってやつ。だから今日みたいに、俺の力が必要だったら、また呼んで。いずれ君が治めるであろうハーフェルンを、敵に回すなんて、恐ろしくて出来ないからね」
そう言うと、ルーフェンは眉をあげて、唇で弧を描いた。
ロゼッタは、しばらく真顔で立っていたが、ふと目をつぶってから、別人のような可憐な笑みを浮かべると、鈴を転がしたような、高い声で言った。
「私も、召喚師様とは、これからも円満な関係でいたいですわ。だって貴方といると、皆が私のことを羨ましい、妬ましいって陰口叩きながら、指を差してくるんですもの。私、そういう奴等の不細工顔をつまみにお酒を飲むの、だーい好き」
愛らしく片目をつぶって見せて、にっこりと笑う。
その笑顔を見て、ルーフェンは肩をすくめると、苦笑を浮かべたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.228 )
- 日時: 2020/03/19 18:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sThNyEJr)
七日間にも渡る、ハーフェルンの祭典に招待された時。
事前入りすることも考えると、半月近くもアーベリトを空けてしまうことになるので、ルーフェンは正直、乗り気ではなかった。
現国王、サミルからは、「ハーフェルンとの付き合いを無下にするわけにはいかないし、たまには外に出た方が、息抜きできるだろうから」と言われて送り出されたが、社交場で卑しい貴族連中と無駄話をしていると、息抜きどころか、むしろ息が詰まる。
たとえ、生死の境を渡り歩くような、命のやり取りに手を出すことになったとしても、直接アーベリトを守っている実感がある方が、よほど生きているような感じがした。
アーベリトが王都になってから、五年。
サミルたちと過ごすようになって、救われた部分も多くあったが、一方で、彼らとの時間を、かけがえのないものだと自覚するほど、じわじわと広がる焦燥感や不安感が、心を支配するようになった。
王位を得たことで、少なからず他街から悪意を向けられるようになったアーベリトを、もし自分が守りきれなかったらと、そんな仮定をする度に、神経を苛むような痛みが、胸の奥に走るのだ。
その痛みから、解放されたいと思うこともあったが、その先を考えると、別の虚しさや寂しさが、目の前に鎮座していた。
そもそもアーベリトは、現在シュベルテにいるエルディオ家の嫡男、シャルシスが成人するまでの期間限定という約定で、王都になったのだ。
元王太妃、バジレットの判断にもよるが、シャルシスが成人するまで、あと十年もない。
これから、十年も経たぬ内に、サミルは王位をエルディオ家に返上し、王都は再びシュベルテとなる。
そうなれば、アーベリトを守らねばという重圧はなくなるが、召喚師であるルーフェンは、シュベルテへと戻らなければならなかった。
ふとした拍子に心を蝕む、そうした痛みや虚しさは、皮肉にも、あれだけ忌避していた、召喚師としての責務を果たしている時にだけ、忘れることができた。
そうする以外に、無慈悲な時をやり過ごす方法が、思い付かなかったのかもしれない。
かつての制圧対象といえば、内乱時でもない限り、イシュカル教徒くらいのものであったが、アーベリトへの遷都をきっかけに、サミルやルーフェンを狙う輩は増えた。
セントランスやハーフェルンといった大都市を押し退け、アーベリトなどという、ちっぽけな街が王都になったことで、単純に気に食わないと感じる者もいたし、政治的に権力を持っている者の中には、エルディオ家が継続して王位を継承しなかったせいで、痛手を被った勢力もあるだろう。
ルーフェンは、リオット族を引き入れ、一部の商会にのみ特権を与えているから、商家にも、召喚師を恨んでいる者は多くいるはずだ。
アーベリトの破滅を願う、そういった連中の動きを見逃さず、引きずり出して殺した時が、一番安心できた。
まだ自分は、アーベリトを守れていると思うと、そこに自分の存在意義を、見出だせているような気がするのだ。
徹底的で、ある意味正しいルーフェンのやり方を、サミルが察する度に悲しんでいることは知っていたが、犠牲の上に平和が成り立つのであれば、この方法が最善なのだと、ルーフェンは確信していた。
敵対する人間を潰すことでしか、不安をやり過ごせないなんて、我ながら、哀れな生き方だと思う。
それでもこの先、たった十年足らずで終わってしまう、穏やかなアーベリトの時間を守るためならば、何でもするつもりであった。
そういう心持ちでいないと、自分がアーベリトに来た意味が、なくなってしまう。
時折、幼い姿をした自分が、こちらを睨んでいた。
かつて自分が、母をそう罵ったように、軽蔑の眼差しを向けながら、「人殺し」と、そう叫ぶのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.229 )
- 日時: 2020/03/22 04:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
そんな子供さえ殺している内に、身悶えするような痛みを感じることは少なくなっていったが、心を巣食う負の感情が、消え去ったわけではなかった。
無意味に時間を過ごしている時は特に、悩んでもどうしようもない不安を、悶々と考えてしまう。
厄介なことに、そういう時間ほど、ゆっくりと流れていくものだ。
苦しんでいることを、人に悟られたくはないから、誰かと話すときは、笑って慇懃(いんぎん)に済ませるが、ハーフェルンに来て、久々に社交場に出てみると、その時間は、永遠に続くのではないかと思うほど長く、憂鬱であった。
しかし、意外なことに、いざ祭典が始まると、それは身構えていたよりずっと早く、幕引きしてしまった。
一日目の祝宴で一悶着あった後も、ロゼッタを連れ立って、貴族たちの相手をしなければならなかったが、その時間は、あっという間に過ぎ去った。
というより、今思えば、終始ぼーっとしていたのだろう。
祭典中、賑やかな街並みを眺めていても、誰かと話していても、常に意識は別のところにあった。
客室に戻り、窓から射し込む月明かりを見ながら、その日一日を振り返ると、今日もトワリスを見かけなかったと、そんなことばかり思うようになっていたのだ。
トワリスのことを考えていると気づく度、最初こそ、呑気な己を嘲笑するだけで終わっていたが、いつしか、ひやりとしたものが、首筋に触れるようになった。
彼女の頑なな態度に、妙に苛立っていたのも、単なる庇護欲から来るものだけではないと、だんだん勘づき始めていた。
しかし、だからこそ早い内に、目をそらすべきなのだと、そう言い聞かせていた。
トワリスに限らず、誰かとの未来なんて、想像したことはない。
刹那的な関係を求めるなら、手を伸ばしても良いかもしれないが、潔癖なトワリスが、そんな不誠実な真似を許すはずがないし、かといって、長い間召喚師一族の横に縛り付けておくには、彼女は優しすぎるだろう。
召喚師に寄り添った者の末路を、ルーフェンはよく知っている。
母シルヴィアは、十八で一人目のルイスを産み落とし、結果的に四人の夫と四人の子を持ったが、誰一人として、幸福を得た者はいなかった。
召喚師一族と関わるというのは、つまり、そういうことなのだ。
本人たちの意思に関係なく、たとえどんな軽い気持ちで一緒にいたのだとしても、いずれは次期召喚師という、国の贄を誕生させる重責を背負わされることになる。
そんな重責を、他でもない好いた相手に、誰が背負わせようなどと思うのか。
少なくとも、ルーフェンには理解できなかったし、完全なる利害の一致で関係を持っていたロゼッタとも、これ以上続けるのは申し訳がないから、そろそろ潮時だろうと考えていた。
日毎、悶々とそのような思考を巡らせていると、危機感を感じていながら、自分にも人らしく春を知る余裕があったんだなぁと、他人事のように思えておかしくなった。
かつて、牙を剥いて噛みついてきていた少女に、まさかこんな想いを抱くようになるなんて、人生とは分からないものである。
初日の祝宴以降、下っ端の武官たちは、城下の警備に回されていたようで、結局祭典の間、ルーフェンがトワリスを見かけることは、一度もなかった。
顔を見ない時間が増えれば、トワリスのことを考えることも減っていくだろうと思っていたが、人の心とは不思議なもので、その逆だった。
二日目、三日目と祭典が過ぎていくと、むしろ、彼女はどうしているだろうかと、考える頻度が増えていったのだ。
祭典が終われば、ルーフェンはアーベリトに戻るし、トワリスだって、解雇通達を受け次第、シュベルテに戻るなり、魔導師を辞めるなりするだろう。
彼女が解雇される原因に、少なからず自分も関与していると思うと、多少罪悪感はあったが、そうなれば、今後トワリスと顔を合わせることはなくなる。
その事実に、安堵している自分がいた。
ロゼッタは、ルーフェンがトワリスに慕情を抱いている、とでも言いたげであったし、自分でも、これがそうなのかと思ったが、ルーフェンには、トワリスと共に過ごしたいとか、そういった願望はなかった。
アーベリトに誘ったのも、単にトワリスが、ハーフェルンにいるよりは穏やかに暮らせるんじゃないかと、そう思っただけだ。
あのときは、不器用なトワリスを守ってやりたい一心で、自分の目の届くアーベリトに来ないかと提案したが、今考えてみると、そんな誘いすら軽率だったと後悔しているから、トワリスが断ってくれて、良かったかもしれない。
今後、彼女に関わらなければ、身の内に起きた余計な変化を、認めずに済む。
このまま別れて、更に時が経てば、記憶なんて風化していく。
人生のほんの一瞬、一時抱いただけの感情など、簡単に薄まっていくだろう。
十年も経てば、若い頃の良い思い出だったと、満たされた気持ちで、忘れ去っていける。
自分の立場であれば、そうであるべきだ。
きっと、そうでなければならないのだ。
そんな風に思い込むと、纏まりのなかった思考は、途端に収束して落ち着いたが、代わりに、虚ろになった胸の奥に、ぽっかりと空洞ができたような気がした。
マルカン家の客室には、部屋全体を暖める大きな炉も、分厚い豪奢な寝具も用意されていたが、一度胸の空洞を意識してしまうと、足元から、薄寒さが這い上がってくる。
夜、しんしんと冷え込む室内で、独り物思いに耽っていると、妙に冴えた頭が、恐ろしいほど冷静に現実を叩きつけてくるのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.230 )
- 日時: 2020/03/23 19:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
不意に、扉を叩く音が響いた。
我に返ったルーフェンは、返事をしようとして、しかし、扉越しに聞こえてきた声に、さっと血の気が引いた。
「あの……夜分に失礼します。召喚師様、いらっしゃいますか?」
──トワリスの声だ。
そう悟った瞬間、開こうとした口を閉ざし、寝台に腰かけたまま、ルーフェンは動けなくなった。
狙ったかのようなこのタイミングに、一体、何をしに来たのだろう。
祭典が開かれていた七日間、折角会わずに済んだと安堵していたのに──なんていうのは、ルーフェンの勝手な都合だが、それにしたって、トワリスがわざわざ尋ねてくる理由なんて思い付かない。
無意識に息まで殺して、居留守を決め込んでいると、やがて、扉の外に佇んでいた気配が消えた。
ルーフェンを不在だと思って、帰ったのだろうか。
詰めていた息を吐き出し、目をつぶると、のし掛かるような疲れが、どっと押し寄せてきた。
確かに会いたくはなかったが、無視までするなんて、なんだか自分が情けなくなった。
トワリスに対して、後ろめたいことがあるわけでもないし、いつも通りの態度で、扉を開ければ良かったのだ。
自分自身に呆れ果てながら、ほっと肩を撫で下ろしたのも、つかの間。
ふと、窓の方から、枠が軋むような、微かな音が聞こえてきた。
まさか、と思いながら腰をあげ、恐る恐る窓に近づき、押し開く。
一階の窓を見下ろし、それから、突き出た屋根のほうを見上げると、その──まさかであった。
視線の先では、屋根伝いに渡ってきて、ルーフェンの部屋を窓から伺おうとしていたトワリスが、洋瓦から顔を覗かせていたのだ。
「──!?」
目があった瞬間、二人は驚いて、同時に悲鳴をあげた。
トワリスは、飛び退いた拍子に屋根から落ちたが、咄嗟にせり出した窓枠を掴んで、事なきを得たらしい。
腕一本で落ちずに持ちこたえたトワリスを、そのまま室内に引きずり上げると、ルーフェンは、目を白黒させながら尋ねた。
「な、えっ!? 何してるの!?」
二階なので、そこまでの高さがないとはいえ、不意打ちで落下していたら、トワリスとて着地に失敗していたかもしれない。
妙にずっしりと重たそうな背負い袋を下ろし、腹に抱え込みながら、トワリスは、ふるふると首を振った。
「いや、あの……すみません。でも、違うんです。別に侵入しようとしたとかじゃなくて……気配はあるのに、扉を叩いたとき、返事がなかったから、中で召喚師様が倒れてるんじゃないかと思って……。別の人なんですけど、前にそういうことがあったから、心配で……」
もう一度、すみません、と付け足して、トワリスは言葉を濁した。
だからといって、屋根を伝ってくるのはいかがなものかと思うが、心配してくれていたのは、本当だったのだろう。
よほど焦っていたのか、いつもは血色のよいトワリスの頬が、心なしか青白い気がする。
彼女の心境を思うと、居留守なんて決め込んでいた自分が、一層憎らしく思えた。
窓を閉めると、ルーフェンは、床に座り込んでいるトワリスと向かい合った。
「……ごめん。その、寝てて気づかなくて。何か用だった?」
一度咳払いをして問うと、トワリスは、躊躇いがちに顔をあげた。
まるで、この場にいる自分に戸惑っているような、まごついた表情であった。
床の上で正座をすると、トワリスは、口を開いた。
「用、というほどのものではないのですが……召喚師様は、明日には、アーベリトに帰られますよね? 私も、実は解雇を申し渡されてしまったので、祭典の後始末が終わり次第、シュベルテに戻ろうと思うんです。それで、その……色々と失礼なこともしてしまったので、ご挨拶に伺いたいって言ったら、ロゼッタ様が、召喚師様の泊まっているお部屋を教えてくださって……」
たどたどしいトワリスの言葉に、なるほど、と納得して、ルーフェンもその場に胡座をかいた。
祝宴の際は、随分と素っ気ない態度だったので、トワリスももう自分とは関わりたくないのだろうと思っていたが、それはそれとして、召喚師に対して暴言や暴力を振るったことを、きちんと謝罪したいらしい。
律儀なトワリスのことだから、お互いがハーフェルンを去る前に、ルーフェンに会いに行かねばと思い悩んでいたのだろう。
冷たい床に座らせたままというのも酷なので、椅子を勧めようかと思ったが、やめた。
トワリスは、そこまで気にしていないだろうが、仮にもここはルーフェンの部屋で、他に人はいない。
一度椅子に腰を落ち着けてしまうと、長話になるかもしれないし、仮にも二人きりの状態で、トワリスを長く引き留めるのは、なんとなく憚られた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.231 )
- 日時: 2020/03/25 19:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、にこりと微笑んだ。
「……それは、わざわざありがとう。君には嫌われてたような気がしてたから、最後に会えて嬉しいよ」
そう言うと、トワリスは表情を曇らせた。
「べ、別に嫌ってたわけじゃ……。ただ、いろんな女の人の前で鼻の下を伸ばして、いい加減な態度ばかりとるのは、いかがなものかと……」
口ごもりながら、目線を下にそらして、トワリスは不満げにぼやいた。
この調子で、ロゼッタにもあれやこれやと、口うるさく注意していたのだろう。
母親になったつもりか、と憤慨していたロゼッタの表現が言い得て妙で、思い出すだけで、再び笑いそうになった。
言うか言うまいか迷ってから、困ったように肩をすくめて、ルーフェンは続けた。
「あのさ、一応言っておくけど、祭典中に会った女の子たちは、全員ただの知り合いだから。社交場だと、ああいう距離感が普通というか、深い意味はないというか……。なんなら、ロゼッタちゃんとも別に──」
「分かってます。いちいち気にしてる、私が悪いんです。ロゼッタ様にも怒られました、他人のすることに逐一目くじらを立てるなって。浮気したとかしてないとか、そういう恋愛沙汰も、貴族の方々は本来、笑ってやり過ごさないといけないんですよね。まして、私みたいな一般の魔導師が、怒るようなことじゃない。今回の件で学びました」
「……いや、俺が言ってるのは、そういう話でもないんだけど……」
言葉を遮り、間髪入れずトワリスが答える。
まるで分かっていない答えに、改めて説明しようとも思ったが、そこまで必死に言い訳をするのも、逆に怪しまれそうだったので、ルーフェンは口を閉じた。
誤解されたままというのも、なんとなく嫌であったが、そう思われるような振る舞いをしていたのも確かなので、弁解の余地はない。
一方のトワリスは、しばらく小言を言った末に、しまった、という風に口元を押さえると、自分の頬をぴしゃりと叩いて、怒ったように言った。
「そうじゃなくて……! えっと、私はこんな話をしに来たんじゃないんですよ!」
何やらぶつぶつと溢しながら、やがて、ふと真剣な顔つきになると、ルーフェンに向き直る。
居住まいを正し、一つ呼吸をしてから、トワリスは、持ってきた背負い袋の中から、三冊の分厚い魔導書を取り出した。
「これ……ようやく、召喚師様にお返しできます。いずれ私が、アーベリトに直接伺って、お返ししたかったのですが、先になってしまいそうなので……今、お返しさせて下さい」
ルーフェンの方に向きをそろえ、丁寧に重ねると、トワリスは、そのまま魔導書を差し出してきた。
五年前、トワリスがアーベリトの図書室から借りていった、三冊の魔導書であった。
よほど使い込んだのだろうが、丁寧に扱ってもいたようだ。
魔導書は、所々擦りきれている部分があったものの、その硬表紙の保存状態は、元が古い蔵書と思えぬほど良かった。
続けて、その上に便箋を一枚乗せると、トワリスは、どこか恥ずかしげに言った。
「あと、この手紙は……私の気持ちです。直接だと、余計なことしか言えないので、手紙にまとめました。もし、お時間があったら読んでください。なければ、捨てていただいて構いません」
「…………」
色味も飾り気もない、無地の白い便箋であった。
きっと中の手紙には、粛々とした別れの挨拶だけが、几帳面な文字で書き連ねてあるのだろう。
業務連絡でもあるまいし、そこまで畏まった文面にしなくても良いのに、トワリスが寄越す手紙は、昔から妙に堅苦しかった。
それでも、口では上手く言えないからと、選び抜かれた言葉が並ぶその手紙には、いつだって彼女らしさが認(したた)められている。
今日まで祭典で、トワリスとて日中忙しかっただろうから、昨夜あたりに、徹夜で書いたのかもしれない。
あの細い手指で筆を持ち、一生懸命文を綴っていたのかと思うと、なんとも言えぬ温かさが、胸の奥に広がった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.232 )
- 日時: 2020/03/27 18:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
そっと便箋を手に取ると、ルーフェンは問うた。
「……今、開けて読んでいい?」
「えっ」
トワリスの顔が、ほのかに赤くなる。
それはちょっと、と俯いてから、ややあって、ルーフェンから便箋を引ったくると、トワリスは、か細い声で言った。
「や、やっぱり、直接言わせてください……」
手繰り寄せた便箋が、トワリスの手の中で、くしゃりと丸まる。
もったいない、と思ったが、トワリスはもう、便箋のことなど頭にないらしく、強ばった顔で身を縮こまらせていた。
緊張しているのか、便箋を握りつぶしているその手が、微かに震えている。
しばらくの沈黙の末、三つ指をつくと、トワリスは、決心したように、深々と礼をした。
「……まず、五年前のこと、本当に……ありがとうございました。陛下と召喚師様には、言葉では言い表せないほど、感謝しています。今こうして生きているのも、魔導師になれたのも、全部、お二人のおかげです。ハーフェルンでは、いらぬことばかり口走ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。失敗しているところばかり晒してしまって、お恥ずかしい限りなんですが……本当は、ずっと、ずっと、お礼を言いたかったんです。偶然召喚師様と再会できたときも、すごく、嬉しくて……色々あったけど、今まで頑張ってきて良かったなって、心から、そう思ったんです」
トワリスの中で、何度も繰り返してはいたが、結局一度も、口には出せていなかった言葉であった。
本当は、中庭で再会したときに、開口一番で言いたかった言葉。
顔を上げぬまま、トワリスは言い募った。
「短い間でしたが、ハーフェルンにきて、自分がまだまだだったんだってこと、沢山思い知らされました。マルカン侯やロゼッタ様に言われたことも、召喚師様に言われたことも、祭典の間、ずっと考えていたんです。納得できたものもあれば、正直、納得できないものもありました。だけど、全部私に対してのご意見だと思って、大切にします。シュベルテに戻ってからも思い出して、精進します。それでいずれは──」
そこまで言ったところで、トワリスは、言葉を止めた。
ルーフェンが、話を聞きながら、くすくすと笑っている。
トワリスが顔をしかめたことに気づくと、ルーフェンは、慌てて手を振った。
「……ああ、ごめん、ごめんね。話がおかしくて、笑ったんじゃないんだ。ただ、トワリスちゃんって本当、真面目だなぁと思って」
「そうですか?」と小さく問い返して、ようやく、トワリスが顔をあげる。
一度笑みをおさめると、ルーフェンは、いたずらっぽく口角を上げて、トワリスに尋ねた。
「ロゼッタちゃんが、君をそばに置くのが嫌になっちゃった理由、聞いた?」
ぱちぱちと瞬いたトワリスが、首を横に振る。
眉を寄せ、考え込むような表情になってから、トワリスは、おずおずと答えた。
「……魔導師として、未熟だから、ですか?」
一瞬、ルーフェンの顔が、笑いを噛み殺したかのように歪む。
真剣に答えたのに笑われて、トワリスが再び顔をしかめると、ルーフェンは謝りながら、どこか楽しげに答えた。
「……君がさ、乳母より口うるさいからだって」
「は? いや、だってそれは──」
反論しかけて、慌てて口をつぐむ。
つい先程、納得ができない言葉でも、大切にすると宣言したばかりなのに、早速破ろうとしてしまった。
だってそれは、の先に続けたい文句は腐るほどあったが、それはルーフェンの前で言うことではないだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.233 )
- 日時: 2020/03/29 19:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスの心の中の葛藤を察したのか、ルーフェンは、苦笑混じりに言った。
「真面目なのは結構だけど、無理して飲み込まなくていいと思うよ。どうせ影で、悪どいことしまくってるんでしょ、天下のロゼッタ様はさ。まあ、侯爵令嬢としての生活は窮屈だろうから、その気持ちも分かるけど、あくまでトワリスちゃんは、善意で注意してたわけなんだし、そんなに気にしなくていいんじゃない?」
返答が予想外だったのか、トワリスは、目を丸くした。
しかし、すぐに俯いて、ゆるゆると首を振ると、膝上に置いた拳を、ぎゅっと握りしめた。
「い、いえ、気にします……。単に私の言い方が、悪かったって話で……。ロゼッタ様の身の安全が第一なのは勿論ですが、あくまで私は一臣下ですから、出すぎた行為や発言は非礼にあたるっていう自覚が、足りなかったんだと思います」
「そう? まあ、君がそう思うなら、いいんだけどさ。ただ、トワリスちゃんには、自分を曲げてほしくないなぁと思って」
思い詰めた様子のトワリスに、ルーフェンは、眉を下げた。
「俺も、色々余計なことを言ってしまって、ごめんね。トワリスちゃんみたいな子は、狡猾な奴等に利用されそうで、見てられなかったんだ。でも、だからって周りと同じく狡猾になって、自分を偽れだなんて、よく考えたら可笑しいよね。トワリスちゃんは、そのまっすぐさで、実際にここまで来ちゃったんだもんな」
呟くように言ってから、ふと、目を伏せる。
言葉の意味を図りかねて、難しい顔をしているトワリスに、ルーフェンは付け足した。
「要は、周りが何を言ってこようと、今後もトワリスちゃんは、トワリスちゃんらしく、そのまんまでいてほしいなぁってこと。大層なことを言えるほど、長い時間を君と過ごしてきたわけじゃないけど、トワリスちゃんは、今も昔も、根っこの部分は変わってないなって感じるし、これからも、変わらないでほしいと思うよ」
言い終わると、トワリスは、更に表情を固くしてしまった。
変わらないでいてほしいというのは、ルーフェンの本心であったが、どうやら彼女には、頷きがたい意見だったらしい。
かといって、何か言わねば、生真面目さ故に一人で思い悩んで、どんどん落ち込んでいきそうなので、やはりトワリスは、面倒臭い性格だと思う。
面倒臭いのに、ずっと見ていたいと思うようになってしまったのは、いつからだっただろうか。
五年前から、その気持ちはあったような気もするし、この七日間で、急速に芽生えた気持ちのような気もする。
トワリスは、また考え込むように下を向いて、しばらく押し黙ってきた。
だが、やがて、思い定めたようにルーフェンを見ると、その身を乗り出した。
「でも、変わらないと……強くなれません。私、もっと強い魔導師になりたいんです。出すぎたことだって思われるかもしれませんけど、召喚師様にも頼ってもらえるような……そういう存在に、本気でなりたいって思ってるんです」
思いがけず、熱のこもった声で言われ、見つめられて、ルーフェンは、思わずどきりとした。
また、あの瞳だ。五年前、魔導師になると告げてきた時と同じ、静かな迫力に満ちた、赤鳶の瞳──。
この目に捕らえられると、もう顔を背けられなくなってしまう。
不意に、炉で踊っていた炎が、ばちっと音を立てて爆ぜた。
トワリスの赤みがかった瞳は、炎の色とは違う赤であったが、ゆらゆらと揺れるその奥──芯の部分で放つ不動の光は、どこか似ているように見えた。
揺蕩う火影が、その頬を撫でる様を見つめながら、ルーフェンは、トワリスの腕を掴んで、引き寄せた。
「……それなら、やっぱり、アーベリトにおいでよ」
こぼれ出た言葉に、トワリスの目が、微かに動く。
言ってしまってから、自分が何を口走ったのか分かって、ルーフェンは、慌てて補った。
「ああ、いや、もちろん。前にも言った通り、無理強いするつもりはないんだけど……」
気まずくなって、目線をそらす。
乗り出していた体制を戻し、俯くと、トワリスはどこかおかしそうに言った。
「……召喚師様も、なんだかんだで、根本は昔と変わらないですよね。だってこの前も、今も、命令だから来いって言えば、それで済む話なのに」
それからトワリスは、落ち着いた表情になると、再び黙りこんでしまった。
長い沈黙が続いて、徐々に、彼女の目の色が、色味のないものへと変わっていく。
トワリスは、一線引くと、遠くを見ているような、静かな顔つきになった。
「召喚師様は、私を心配してくださってるんですよね。……そのお気持ちは、とても嬉しいですし、未だに気にかけて頂いてるのは、光栄です。でも、実力不足のままアーベリトに行ったって、意味がないんです。私が目指しているのは、アーベリトで守られている獣人混じりじゃなくて、アーベリトを守る魔導師なんです」
「…………」
ここで、そうかと答えて、話を切り上げるのが正解だったのだろう。
そうすれば、現時点で、トワリスがアーベリトに来ることはなくなる。
頭では、そのことが分かっていたが、ルーフェンは躊躇ったように口を開きかけるだけで、なにも言うことができなかった。
ややあって、ため息をつくと、ルーフェンはぽつりと溢した。
「……そうじゃないよ」
顔を上げたトワリスが、怪訝そうに首を傾げる。
トワリスは、ルーフェンの否定の意味が分からないようであったが、正直なところ、ルーフェン自身も、よく分からなくなっていた。
同情心からアーベリトに誘われているのだと勘違いして、落ち込むトワリスの誤解を解きたいだけなのだと思いたかったが、それだけではないような気もしていたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.234 )
- 日時: 2020/03/31 19:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、諦めたように吐息をつくと、穏やかな声で言った。
「ごめん、そうじゃない。言葉足らずだったな……。今、アーベリトにおいでって言ったのは、君のことが心配だからってわけじゃない。君に来てほしいから、言ってるんだよ」
トワリスが、瞠目する。
ルーフェンは、その目を見つめ返した。
「祝宴の場で戦う君を見たとき、本気ですごいと思った。俺じゃ、誰が侵入者なのか的確に見抜けなかったし、素早く動けたのも、君だからこそだと思う。魔術を使ったからって、誰でもあんな風に動けるわけじゃない。白状すると、今まで、君があんなに強いと思ってなかったんだ」
「…………」
ルーフェンは、トワリスの腕を掴む手に、力を込めた。
「五年前に言ってくれたこと、ちゃんと思い出したよ。俺たちに甘えて、アーベリトで暮らすんじゃなくて、サミルさんたちにとって必要な人間になって、帰ってきたいんだって、そう言ってたでしょう? ……もう十分だよ。君はそこらの魔導師よりもずっと強いし、何より信頼できる。……だから、俺と一緒に、アーベリトを守ってくれない?」
言っている最中、トワリスは、ただ大きく目を見開いて、ルーフェンの言葉に耳を傾けていた。
言い終えた後も、まるで石像のように硬直して、ルーフェンのことをじっと見つめていたが、やがて、ふと、その目に不安定な光が揺らいだと思うと、トワリスの頬に、ぽろっと涙が伝った。
「えっ……」
ぎょっとして、今度はルーフェンが硬直する。
トワリスは、自分でも驚いたように涙を拭うと、すんっと鼻をすすった。
「……本当ですか」
呟いてから、ルーフェンを見る。
トワリスの頬に、もう雫は流れていなかったが、強く擦った目には、まだ涙が滲んで、潤んでいた。
「嘘だったら、刺しますよ」
「刺っ……こんな時に嘘つかないよ……」
それを聞くと、再び涙腺が緩くなったのか、トワリスは、下を向いた。
何度も瞬き、それでも堪えきれなかったものは拭いながら、トワリスは、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……私、まだまだなんです。全然、まだ駄目なところが沢山あって……だけど、そう言ってもらえると、すごく嬉しいです……。嬉しい……」
涙が溢れている間、トワリスは、決して顔をあげなかった。
声を漏らすこともなく、ただ、擦りすぎて赤くなった瞼に、袖口を押し当てている。
しばらくは、すすり上げるように、呼吸を震わせていたが、大きく息を吸うと、トワリスは、ゆっくりと顔をあげた。
「……こんなこと、言うつもりなかったんですけど……祝宴の時、実はわざと派手な魔術を使って、大袈裟に動いたんです」
言いながら、もう一度、鼻をすする。
それから、泣き笑いするように顔を歪めると、トワリスは言った。
「召喚師様に、かっこいいところを見せたかったので」
「──……」
トワリスのこんな顔は、見たことがなかった。
余計なお世話だと憤慨している顔も、不満げに眉間に皺を寄せているところも、緊張した仏頂面も見たことはあったが、どこか彼女らしく、不器用に眉を下げて笑う、こんな表情は、知らなかった。
今更になって、トワリスの腕を握っていたことに気づいて、ルーフェンは、狼狽えて手を離した。
行き場を失った手が、妙に熱い。
喉がからからで、絞り出した声が、やけに掠れていた。
「いや、えっと……本筋がそれたけど、今のは、哀れみで君をアーベリトに誘ってるわけじゃない、って話ね。実際にアーベリトに来るかどうかは、君に任せるよ。前にも言ったけど、俺やサミルさんへの恩義でアーベリトに来ようと思ってるなら、そんなの気にしないで、本当にやりたいことをやればいいし……」
何かを誤魔化すかのように、早口で捲し立てる。
ずっと腕に触れてしまっていたので、途中でトワリスに殴られると思ったが、殴られなかった。
トワリスは、首を横に振った。
「恩義ですよ。……恩義ですけど、それが、私の意思でもあるんです」
柔らかい声で言って、トワリスが、破顔する。
困ったように笑んだ彼女の表情は、いつもよりあどけなく、無防備に映った。
「召喚師様たちにとっては、助けてきた大勢の内の一人でも、私にとっては、お二人が全てだったんです。だから、召喚師様が望んでくださるなら、今すぐにでもアーベリトに行って、恩返しをしたいです。それが、私の目標で……やりたいことだったんです」
音を立てて揺れる炉の炎が、トワリスの濡れた目を、煌めかせている。
本当にそれで良いのかと、再度問おうとして、やめた。
思い直されても、後戻りできる気がしなかったし、これ以上は何を言っても、トワリスの意思は、揺らがないだろうと思った。
心臓の音が、やけに近くで聞こえる。
共に過ごしたいなどと望んではいなかったはずなのに、トワリスが自ら、自分の隣を選んでくれたのだと思うと、途端に、息苦しいような喜びが、胸を締め付けてきた。
その気持ちを、認めざるを得なくなったのは、思えば、この瞬間だったのかもしれない。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.235 )
- 日時: 2020/04/04 18:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
†第五章†──淋漓たる終焉
第一話『前兆』
「き、汚い……」
五年ぶりにアーベリトに帰ってきて、念願のレーシアス邸を前にしたとき。
トワリスの第一声は、汚い、であった。
ハーフェルンの領主、クラークの娘であるロゼッタから、正式に解雇を申し渡されて、丸三日。
魔導師団の最高権力者である召喚師、ルーフェンにアーベリト配属を決められた以上、わざわざ本部のあるシュベルテに報告に行く必要もないので、トワリスは、マルカン家に挨拶を済ませて早々、アーベリトへと発った。
夢にまで見た、王都での勤務が決まり、ルーフェンと共に人生初の移動陣を経験した頃には、トワリスの気持ちは、これまでにないくらい高揚していた。
久々にやってきたアーベリトの街並みは、五年前に比べると、大きく様変わりして栄えており、眺めていると、懐かしいというよりは、知らない街に来たような気分になる。
それでも、中央地までやってきて、落ち着いた白亜の家々が並ぶ通りに出ると、当時の面影を感じることもできるのであった。
昔は、レーシアス邸は市街地内に位置していたが、五年の間に移転し、現在は、街を抜けた先の丘に、城館として建っていた。
シュベルテやハーフェルンの領主邸に比べれば、こじんまりとしているものの、緊急時にはこの城館に籠城、もしくは人々を背後の山々に避難させられるよう、意識して造られている。
しかし、言わば王城であるはずのこの邸宅は、トワリスの第一印象の通り、どことなく“汚かった”。
鉄柵の隙間から見える庭の雑草は荒れ放題、伸び放題で、白亜の石壁には、枯れて絡まった蔦がへばりついている。
一応新築なので、石壁はひび一つない綺麗な状態であったが、土埃で薄汚れた窓々は、誰にも磨かれていないのが丸分かりだ。
手入れの行き届いたマルカン邸で暮らした後だから、一層みすぼらしく感じるのかもしれないが、今のレーシアス邸に、王の居城という威厳はまるでなかった。
トワリスが、レーシアス邸を前に唖然としていると、ルーフェンが苦笑した。
「いやぁ、本当は城塞として高い塀も建てたかったんだけどね。城下の居住区を増やすことが最優先だったから、とにかくお金がなくてさぁ」
「…………」
相変わらずの気の抜けた口調で言うルーフェンに、そういう問題ではないと、突っ込む気力も湧かなかった。
金銭不足なら、庭師や侍女を雇う金も惜しいということなのだろうが、王の城館ともなれば、他所から人を招くこともあるはずだ。
ハーフェルンのように、無駄に豪華にする必要はないが、最低限の管理と清潔さを保つことは、遵守せねば王の沽券に関わるだろう。
ルーフェンに促されるまま、城館の柵内に入ると、不意に、肌が粟立った。
とぷんと、薄い水の膜を突っ切ったかのような、奇妙な魔力を感じる。
どうやら、目には見えないが、レーシアス邸には結界が張られているらしい。
五年前、サミルが襲撃を受けた時から、ルーフェンは信用できない余所者を、アーベリトに入れたくないと主張していた。
その言葉通り、基本的に許可を得ていない者は、レーシアス邸には侵入できないようになっているのだろう。
建てられなかった城壁の代わりに、この結界が、サミルたちを守っているようだ。
一時的ならばともかく、常時城館を覆うほどの結界を張っていられるなんて、召喚師であるルーフェンでなければ、できないことであった。
庭の敷石の上を進み、木造の大門まで歩いていくと、暇そうな自警団員の男が、ぷらぷらと足を動かしながら立っていた。
柵を抜けたときは、顔が見えなかったが、近づいていく内に、その顔がはっきりしてきた。
男は、ルーフェンの帰還に気づくと、ぶんぶんと手を振りながら、犬のように駆け寄ってきた。
「召喚師様、おかえりなさーい! ……と、君は……?」
懐かしい声を漏らして、男は、トワリスを見る。
トワリスは、ぺこりと頭を下げると、表情を緩ませた。
「お久しぶりです、ロンダートさん」
一言、それだけ言うと、途端にロンダートの目が、かっと見開いた。
トワリスの足元から頭までをじろじろと見て、やがて、ばっと両手を広げると、ロンダートはトワリスに抱きついた。
「トワリスちゃん!? トワリスちゃんだ! 本物!? なんでここに!?」
体格の良いロンダートに強く抱き締められて、思わずよろける。
年齢的には、もう二十代半ばを過ぎているはずなのに、ロンダートは昔から、年甲斐もなくはしゃぐ、無邪気な男だった。
街の様相は変化しても、昔馴染みの変わらぬ様子を見ていると、嬉しさが込み上げてくるものである。
一度離れて、わしゃわしゃとトワリスの頭を撫で回しながら、ロンダートは言った。
「最初見たときは、誰だか分からなかったよ。トワリスちゃん、大きくなったなぁ! 今、いくつだっけ?」
「もう十七になりました」
「十七か! じゃあもう立派な大人だ。ついこの間まで、片腕で持ち上げられちゃうくらい、ちっちゃくて軽かったのになぁ」
言いながら、トワリスを抱えあげようとするロンダートに、流石に恥ずかしいからと、制止をかけようとすると、その前に、ルーフェンが彼の頭を小突いて止めた。
「いてっ」
思わず頭を押さえて、ロンダートがうずくまる。
ルーフェンは、何事もなかったかのような笑顔で、ロンダートに合わせて屈んだ。
「やだなぁ、ロンダートさん。いきなり抱きつくなんて、変態のすることだよ」
「変態!? 別に他意はないし、トワリスちゃんとの感動の再会なんだから、いいじゃないですか。召喚師様だって、よく似たようなことしてるでしょう」
「そんなことより、サミルさんはどこかな?」
「露骨に話そらすのやめてもらっていいですか……」
慣れた様子でルーフェンに冷たい一瞥をくれてから、ロンダートは立ち上がる。
そして、城館のほうを示すと、ロンダートはにかっと笑った。
「陛下なら多分、執務室にいます。ちょうど俺、もうすぐ見張り交代の時間だし、取り次ぎますよ!」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.236 )
- 日時: 2020/04/06 18:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ロンダートに導かれ、レーシアス邸の中を進んでいくと、やはり館内は、掃除が行き届いていないのか、全体的に埃っぽかった。
物が少ないので、散らかっているという印象は受けなかったが、途中立ち寄った図書室では、出しっぱなしの本が机に積んであったし、壁に備え付けられた燭台には、燃えさしがそのまま残っている。
それとなく聞けば、城館の掃除等を一手に引き受けてくれていた家政婦のミュゼが、三年ほど前に腰を痛めて、自宅療養中らしい。
当時、子供ながらに、男たちの全胃袋を握っていたミュゼが、この屋敷最強なのだろうと感じ取っていたが、その認識に間違いはなかったようだ。
魔導師としてレーシアス家に仕えるようになったら、まず始めなければならないのは、掃除かもしれないと、トワリスは内心ため息をついたのであった。
執務室の前までたどり着くと、ロンダートが扉を叩き、ルーフェンの帰還を知らせた。
中から、どうぞ、と返ってきた穏やかな声を聞いたとき、トワリスは、鼓動が速くなるのを感じた。
室内に踏み入れると、サミルとダナ、そして、見知らぬ巨漢が佇んでいた。
サミルとダナは、執務机につき、入ってきたトワリスたちを見上げている。
真っ白な髪を後ろで結い、厚い毛織のローブを纏ったサミルは、五年前よりも更に細く、華奢になっているようだったが、その薄青の瞳を見た瞬間、トワリスの胸に、熱いものが込み上げてきた。
「陛下……ご無沙汰しております。トワリスです」
跪いて、深く一礼する。
もう子供ではないのだから、王の御前だという自覚を持たねばと、自分に言い聞かせながらここまでやってきたが、そんな思いは、サミルの柔らかな表情を見た瞬間から、どこかへと消えてしまっていた。
事態が飲み込めないのか、未だに硬直しているサミルとダナに、何故か得意げなロンダートが、前に出て補足した。
「お二人とも、トワリスちゃんですよ! 覚えてますか? ほら、何年か前、一緒に住んだことがあったでしょう!」
それから、ふと不可解そうな顔になると、ロンダートもトワリスを見た。
よく考えてみると、トワリスが何故アーベリトに帰ってきたのか、その理由はロンダートも知らない。
今更そのことに気づいて、説明に詰まったのだろう。
ルーフェンは、苦笑しながら、口を開いた。
「彼女、魔導師になってたんですよ。ハーフェルンで偶然再会して、腕が良かったので、アーベリトに来ないかって誘って引き入れたんです。ちょうど人手がなくて困ってましたし、今後は王家お抱えの魔導師として、活躍してもらおうかと。事後報告ですみませんが、サミルさん、構わないですよね?」
ルーフェンが問いかけると、サミルはようやく立ち上がって、トワリスの目の前まで歩いてきた。
合わせてトワリスも立ち上がれば、頭一つ分ほど高い位置で、サミルと目が合う。
そっとトワリスの髪を掬うように、優しく頭を一撫ですると、サミルは、目尻にしわを寄せて微笑んだ。
「もちろん、覚えていますとも……。また会えるとは思っていなかったものですから、驚きましたよ。……おかえりなさい、トワリス」
ややあって、骨ばったサミルの手が、トワリスの肩に置かれる。
それだけで、日だまりに包まれたような、暖かな匂いが全身を覆った気がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.237 )
- 日時: 2020/05/27 20:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
感極まって、何も返せずにいると、サミルがふと心配そうに眉を下げて、ルーフェンのほうを見た。
「しかし……君が決めたことなら反対はしませんが、魔導師としてアーベリトに置こうだなんて、危険ではありませんか? トワリス、君も良いのかい?」
念押しするように尋ねられて、トワリスは、顔をあげた。
思えば五年前、レーシアス邸に置いておくのは危険だからと、トワリスの孤児院行きを決めたのは、他でもないサミルである。
今も昔も、厄介払いしたくて言っているわけではないと分かっているが、サミルの中でトワリスは、まだ幼く非力だった少女のままなのだろう。
魔導師になったからといって、いつまた襲撃を受けるかも分からぬレーシアス邸にトワリスを迎え入れるのは、抵抗があるようであった。
トワリスは、腰の双剣に手を置くと、深く頷いた。
「勿論です。魔導師になって、アーベリトに帰ってくることが夢だったんです。まだまだ未熟なところもありますが、精一杯陛下をお守りします!」
力強い口調で言うと、その勢いに押されたのか、サミルが目を丸くした。
思わず張り切りすぎてしまったかと、急に恥ずかしくなって、トワリスが口を閉じる。
その後ろで苦笑いしながら、ルーフェンが言った。
「大丈夫、腕は確かですよ。ハーフェルンで一悶着あったときも、大活躍だったから。ね?」
「そ、そんなことは……」
否定しながらも、トワリスは、どこか照れ臭そうに俯いた。
サミルはつかの間、そんなルーフェンを、意外そうに見つめていたが、やがて、穏やかに破顔すると、トワリスの手を両手で挟み込むように握った。
「そういうことなら、歓迎しますよ。心配ではありますが、君がこうして立派になって、望んでアーベリトに帰ってきてくれたのなら、私としても、これほど嬉しいことはありません」
握られた手の暖かさが、染みるようだった。
同時に、ひょっこりとサミルの横から顔を出したダナが、微笑ましそうに首肯する。
「宣言通り魔導師になるとは、本当に立派なことじゃ。思えばトワリス嬢は、随分と勉強熱心だったしのう」
昔を懐かしむように、ダナが目を細める。
同調するように、ロンダートは、うんうんと頷いた。
「すっごいですよねえ、だってシュベルテの魔導師団って、入ると滅茶苦茶大変だって言うじゃないですか! ハーフェルンで勤務してたってのも、俺からすりゃあえらいことですよ。トワリスちゃんってば、いつの間にか雲の上の存在になっちゃったんだなぁ」
冗談めかした言い方であったが、手放しに褒められて、トワリスは一層こそばゆい気持ちになった。
現在の王都はアーベリトなのだから、ハーフェルンやシュベルテよりも、アーベリトに配属されることこそ、誇るべきなのである。
しかし、昔からアーベリトに住んでいる当の本人たちは、いまいち垢抜けない雰囲気が捨てきれないらしい。
変わらぬロンダートやダナの呑気さに、呆れつつも、安堵している自分がいた。
話に耳を傾けていたサミルが、ふと、ルーフェンに問いかけた。
「ハーフェルンといえば……どうでしたか? 祭典中に敵襲があったと伺いましたが……」
ルーフェンが、サミルのほうを見る。
真剣な顔つきになると、ルーフェンは答えた。
「その件については、俺からも話があります。おそらく、アーベリトにも関係のあることなので」
「え、ええ。分かりました」
緊張した面持ちになって、サミルがルーフェンの元へ歩み寄る。
ルーフェンは、トワリスに向き直った。
「到着したばかりで疲れてるだろうし、今日のところは、休むなり、城下を見に行くなり、好きに過ごしててよ。宿舎も使いたければ使っていいし、他に当てがあれば、そちらに泊まっていいよ。案内は、ロンダートさんか、ハインツくんあたりに頼んでよ」
それだけ告げると、ルーフェンはサミルを連れ立って、さっさと執務室を後にしてしまった。
慌ててお礼を言ったが、聞こえたかどうかは分からない。
ハーフェルンの話題が出た途端、ルーフェンもサミルも顔つきが変わったから、何か早急に話さねばならぬ事情があるのだろう。
ハーフェルンにて、突如祝宴の場に現れた侵入者たち──。
人数からして、マルカン家の没落を目論む少派かと思っていたが、先ほどルーフェンは、あの襲撃はアーベリトにも関係があることだと言っていた。
トワリスの知らないところで、何か繋がりがあるのだろうか。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.238 )
- 日時: 2020/04/14 21:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
眉をしかめて考え込んでいると、ロンダートに、ぽんと肩を叩かれた。
「……で、どうする? 空きはあるから、宿舎で寝泊まりするなら、案内するけど。とりあえず、荷物置かなくちゃだもんな」
トワリスの背負い袋を一瞥して、ロンダートが言う。
トワリスは、慌てて表情を繕うと、迷ったように言葉を濁らせた。
「あっ、えっと……そうですね。この城館で働いている人たちって、基本、その宿舎を利用しているんでしょうか?」
ロンダートは、首を横に振った。
「いや、そうでもないよ。半々くらいかな。日中しか勤務しない事務官とか、家族がいる奴なんかは、普通に城下の家から通ってるよ。まあでも、トワリスちゃんは女の子だし、当てがあるなら城下から通った方がいいかもね。うちの宿舎、城館のすぐ隣だから、近くて便利なんだけど、家政婦やってくれてたミュゼさんたちが抜けて以来、俺みたいな独り身の自警団員ばっかり使ってるからさぁ。勿論部屋は別々にできるけど、水場とか共用だし、野郎臭いかも」
あはは、と苦々しく笑って、ロンダートが言う。
男所帯なのは、魔導師団でも同じ状況だったので構わないが、トワリスが一つ気になっていたのは、孤児院にいた頃からの友人──リリアナのことであった。
魔導師団に入れたのは、リリアナの叔母、ロクベルからの援助があったからだというのに、なんだかんだでトワリスは、もう五年半も彼女たちの元に帰っていない。
手紙のやりとりでは、正規の魔導師になれたら帰れるかもしれない、と伝えていたのだが、早々にハーフェルンに異動になって忙しくしていたから、それも果たされなかったままだ。
リリアナたちには、まだアーベリトに戻ってきたことすら伝えていないので、彼女たちの状況次第ではあるが、出来ることなら、リリアナたちの家に住まわせてもらって、レーシアス邸に通いたかった。
改めてお礼も言いたいし、今は宿代としてお金も払えるから、これを機に恩返しがしたいのだ。
トワリスは、少し考え込むように沈黙した後、ロンダートに言った。
「確かに、宿舎の方がいざというときにすぐ駆けつけられるので、便利だとは思うんですが……すみません、一つ心当たりがあるので、このあと城下の方に行っても良いですか? 孤児院にいた頃の友人がいるんですけど、私、一時期彼女の家にご厄介になっていたんです。事情を説明したら、また住まわせてくれるかもしれないので、一度相談に行きたいです」
ロンダートは、にかっと笑顔になった。
「おっ、それならちょうどいいじゃないか。行ってくるといいよ。ただ俺は、一応城館の警備中だから、街に下りるなら、案内はハインツにしてもらってくれ」
突然話題を振られて驚いたのか、ずっと黙って部屋の隅にいた黒髪の巨漢──ハインツが、びくりと肩を震わせた。
その図体には似合わぬ、怯えたような佇まいで、ロンダートを見つめている。
トワリスは、ハインツを一瞥してから、横に首を振った。
「いえ……ハインツさん、ですか。お仕事中ですよね? お邪魔するのは申し訳ありませんから、一人で平気です。一応五年前までは、アーベリトに住んでいた身ですし」
遠慮がちに言うと、ロンダートが、ハインツを強引に引っ張ってきた。
「大丈夫大丈夫! 確かに、色々手伝いはお願いしてるけど、ハインツに関しては、本格的に自警団の仕事に入ってもらってるわけじゃないんだ。この子、まだ十四歳だしさ」
「十四!?」
思わず大声をあげてしまって、トワリスは、慌てて口を押さえた。
まるでその反応を期待していた、とでも言いたげに、ロンダートがげらげらと笑う。
「そうそう! ハインツはリオット族だからさ、子供の頃から、そりゃあもう大きくて。もうすぐ十五になるんだっけ? 全っ然見えないよなぁ!」
「…………」
ロンダートにばしばしと肩を叩かれ、縮こまっているハインツを、トワリスは、唖然として見上げた。
顔の上半分を、歪な鉄仮面が覆っているせいか、確かにハインツは、外見を見るだけでは年齢不詳だ。
しかし、筋骨隆々としたその体躯は、大柄なロンダートよりも更に一回り大きいし、とてもではないが、十四歳には見えない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.239 )
- 日時: 2020/05/27 20:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
リオット族とは、かつてルーフェンが、南端のノーラデュースと呼ばれる荒地から王都に引き入れた、特殊な地の魔術を操る一族のことである。
話には聞いたことがあったが、直接見るのは、初めてであった。
皆これほど、人間離れした風体をしているものなのだろうか。
絶句しているトワリスに、ロンダートは続けた。
「ここら辺、居住区を広げた影響で、通りが多少複雑化してるんだ。トワリスちゃんがいた頃のアーベリトとは、だいぶ状況が変わってるんだよ」
ダナが、顎を擦りながら、こくりと頷いた。
「そうじゃのう。城下に限らず、人も入れ替わりが激しくなったしな。わしもよう把握しとらんが、今年は特に、新しく魔導師やら事務官やらが増えたんだったかな」
「それも言えてますね! 去年とか一昨年あたりは、とにかく人手不足で大変だったから」
ロンダートが同調して、肩をすくめる。
次いで、再びトワリスの方を見ると、ロンダートはハインツを親指で示した。
「まあ、そういうわけだから、案内役は絶対にいた方がいいよ。ついでに、ハインツと仲良くしてあげてくれ。彼も、一応魔導師ってことで、最近城館の来るようになったんだけどさ。こんな成りなのに、すっごい人見知りなんだ」
「は、はあ……」
曖昧に答えつつ、ハインツの方を見ると、彼は全身から汗を吹き出しながら、小刻みに震えていた。
人見知りしている、というよりは、もはや怯えているようにしか見えない。
一体トワリスの何に対して、それほどの恐怖心を抱いているのかは分からないが、こうも一挙一動にびくつかれると、対応に困ってしまう。
トワリスとて、今後一緒に働く可能性があるならば、ハインツとは是非仲良くしておきたいところだが、とにかく彼は終始俯いていて、こちらを見もしないので、どう反応すれば良いのか分からなかった。
迷った末に、軽く会釈をすると、トワリスは控えめな声で挨拶をした。
「……はじめまして、トワリスと申します。よろしくお願いいたします」
すると、その時初めて、仮面越しにハインツと目があった。
ハインツは、しばらくおろおろと視線をさまよわせながら、黙っていたが、ややあって、ようやく顔をあげると、ぺこりと頭を下げた。
「……はじめまして。ハインツ、です……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.240 )
- 日時: 2020/04/16 19:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
もうすぐ秋も終わる頃だというのに、暖かな日差しが射し込んで、王都は麗らかな空気に包まれていた。
かつて、トワリスが住んでいた頃のアーベリトは、質素な石造の建物が並び、耳を澄ませば、近隣の森から鳥の鳴き声が聞こえるような、落ち着いた雰囲気の街であった。
しかし、現在のアーベリトは、ロンダートの言う通り、大きく様変わりしており、賑わう人々の活気に溢れていた。
商店の並ぶ大通りでは、親に買い与えられたのであろう菓子を片手に、子供たちが駆け回っている。
店先に揃う品々も、各街と手を結んだ影響か、五年前に比べれば多種多様であった。
ハーフェルンを思うと、やはり華やかさには欠けるものの、清潔感のある白亜の家々には、至るところで地方旗が掲げられている。
遷都を祝う三色の旗が、晴れた空にたなびく様は、鮮やかで美しかった。
「あの……ハインツさん? くん?」
「……ハインツ」
「じゃあ、ハインツ」
足を止めると、トワリスは、ふと背後に佇むハインツを見た。
まるで行き交う人々から隠れるように、ハインツは、トワリスを盾に小さくなっている。
しかし、その巨大な体躯が、トワリスの身一つで隠せるわけもないので、ほとんど無意味だ。
トワリスは、微かにため息をつくと、呆れたように言った。
「案内役として来てくれたんですよね? 私についてくるんじゃなくて、先導してくれませんか?」
「……ご、ごめんなさい」
怒られたと思ったのか、ハインツは、泣き出しそうな声で謝ると、その場にしゃがみこむ。
トワリスは、もう一度ため息をつくと、やれやれと肩をすくめた。
城館を発って、街に下りてからというもの、ハインツは、終始びくついていた。
客を呼び込む商人の声にすら怯え、走る回る子供とぶつかりそうになった時なんかは、驚きの余り、トワリスの身長の高さまで跳んだ。
通りすがるどの町民よりも大きな図体をしているくせに、情けない及び腰で、トワリスの影に隠れながら、おどおどと歩いている。
その様は、自然と人の注目を浴びることになり、おかげでトワリスも、目深に外套をかぶる羽目になった。
獣人混じりであることは、普通に歩いていれば、案外気づかれないものだが、挙動不審な巨漢と一緒となると、話は別である。
トワリスは、リリアナの家の住所を確認しながら、もはや案内役とは名ばかりのハインツと共に、好奇の視線の中を進まねばならないのであった。
人混みをはずれ、かつてのレーシアス邸があった大通りをまっすぐ南に進むと、低い木柵に囲まれた、趣のある一軒家が見えてきた。
記憶とは少し違う気もしたが、玄関口に置かれた立て看板を見た瞬間、トワリスは、ここがリリアナの家だと確信した。
その看板には、“小料理屋マルシェ”と書かれていたのだ。
小料理屋の中には、それなりに客がいるのか、こもった笑い声が聞こえてくる。
赤い屋根から突き出した煙突からは、白煙と共に、香ばしい匂いが風に乗って漂ってきていた。
外套を脱ぎ、ハインツと共に、小料理屋の前で立ち尽くしていると、視界の端で、人の気配が動いた。
店の裏手から出てきた少年が、水桶を持って、こちらをじっと見ている。
年の頃は、七、八歳といったところだろうか。
トワリスは、少年の赤髪と、昔の面影がある悟った顔つきを見て、微かに目を見開いた。
「……カイル? カイルでしょう?」
トワリスが声をかけると、カイルは眉をひそめた。
トワリスの腰の双剣と、その後ろで萎縮しているハインツをじろじろと見ながら、カイルは、怪訝そうに一歩引いた。
「どうして俺の名前を知ってるの? あんたたち、誰? お客じゃないの?」
敵意丸出しの口調に、ハインツが、びくりと肩を震わせる。
トワリスは、ハインツの前に立つと、慌てて首を振った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.241 )
- 日時: 2020/04/18 19:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「ああ、えっと……いきなり話しかけて、ごめん。そりゃあ、カイルは覚えてないよね……。私、お姉さんのリリアナの知り合いで、トワリスって言うんだけど。名前だけでも、聞いたことない?」
「…………」
リリアナの名前を出せば、信じてもらえると思ったが、カイルの表情は、一層歪むばかりであった。
胡散臭そうにトワリスたちを見て、一度水桶を地面に置くと、カイルは鼻をならした。
「聞いたことがあったら、なんだっていうの? 姉さんの知り合いだろうが、知り合いじゃなかろうが、剣を持ってる奴を店に入れるつもりはないよ。そこのデカブツ仮面とか、見るからに怪しいし!」
びしっと指をさされて、ハインツが更に縮こまった。
年端も行かぬ少年に、まだ十四とはいえ大男が言いくるめられる様は、なんとも滑稽なものであったが、カイルの物言いは、確かに的を射ている。
トワリスは、双剣を剣帯から抜くと、木柵に立て掛けた。
「怖がらせて悪かったよ。でも、本当に怪しい者じゃないんだ。武器を持ってたのは、私が魔導師だからってだけで──」
「嘘つけ! アーベリトはルーフェンが守ってるから、魔導師はほとんどいないんだ! 街の警備は自警団がしてるんだぞ! お前は偽物だ!」
「なんで召喚師様のこと呼び捨て!?」
思わず叫んでから、論点が違うと思い直す。
到底子供とは思えない弁才と度胸に、たじろぎつつも、間違いなく彼は、リリアナの弟のカイルだと再確認した。
トワリスがマルシェ姉弟と出会った当初、カイルはまだ二歳であったが、その当時から彼は、年齢に似合わぬ落ち着き具合と賢さも持つ子供であった。
実際、アーベリトはルーフェンの意向で、他所から少数しか魔導師を引き入れていなかったし、街の巡回を担当していたのは主に自警団員なので、城下に魔導師が来るはずがない、というカイルの発言は正しいのだ。
さて、強引に押し入ってはカイルを怯えさせてしまうだろうし、どう説得したものかと、困り果てたトワリスであったが、その心配は、取り越し苦労に終わった。
騒がしいカイルの声を聞いて、駆けつけたのだろう。
トワリスと同じ年頃の、赤髪を二つに結った女が、戸口に現れたのだ。
車椅子を器用に操り、扉を開けて出てきた女は、カイルを見やり、そして、ハインツとトワリスの方を見ると、大きく瞠目した。
「リリアナ……」
ぽつりと、トワリスの口からこぼれ出る。
リリアナは、一瞬何を言われているのか分からない、といったような呆然とした顔をしていたが、やがて、その緑の瞳を揺らすと、唇を震わせた。
「……ト、トワリス?」
まるで幽霊でも見たかのような物言いに、思わず苦笑する。
トワリスは、こくりと頷くと、表情を緩ませた。
「うん、そうだよ。……ただいま、リリアナ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.242 )
- 日時: 2020/04/26 15:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「もうー、うちの弟がごめんね! ほら、カイルも謝んなさい」
「…………」
ぶすぐれた表情のカイルは、姉に謝罪を促されても、黙ったままであった。
いかにも納得がいかない、といった顔つきで、トワリスとハインツを睨み、そっぽを向いてしまう。
トワリスは、小さく首を振った。
「い、いや……私たちも、怪しい格好で店の前に突っ立ってたから。むしろ、感心したよ。昔から大人びてるなぁとは思ってたけど、カイルって、よく口が回るし、頭良いんだね」
褒めたつもりであったが、残念なことに、カイルの機嫌は直らなかった。
一言も発することなく、カイルは身を翻して、二階へと続く階段を駆け上がっていく。
リリアナは、呼び止めても応じない弟に嘆息すると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「本当にごめんね、カイルってば最近無愛想で。昔はあんなことなかったのよ? これがお年頃ってやつなのかしら……」
ふう、と息を吐いて、リリアナは紅茶をすする。
それを見て、苦笑すると、トワリスも用意してもらった紅茶をすすった。
仄かな花の香りが、ふわりと鼻腔を抜けていく。
飲むまでは分からなかったが、この紅茶は確か、昔よくロクベルが淹れてくれていたものであった。
小料理屋マルシェは、トワリスがいた頃から改装したのか、多少変わっている部分もあったが、居心地の良い空気感はそのままであった。
天井の梁からは、種々様々な干した茶葉が吊り下げられ、程よい木と草の香りを放っている。
開いた大窓からは、爽やかな風が入っては、時折茶葉の束を揺らし、カウンター越しに見える厨房からは、くつくつと煮える鍋の音が聞こえていた。
空席も見られるものの、狭い店内に並ぶ食卓には、仕事の合間にやってきたのであろう作業着姿の客たちが、談笑しながら食事を頬張っている。
トワリスは、食卓に紅茶を戻すと、目の前のリリアナを見た。
「お店の開店時間なのに、押しかけて大丈夫だった? 迷惑だったら、出直すけど……」
一際、豪快な声で笑う男性客たちを一瞥してから、小声で謝る。
リリアナは、首を横に振ると、嬉しそうに笑った。
「気にしないで。厨房にはおばさんが入ってくれてるし、今の時間はそう混まないから。それより、そちらの方は?」
ふとハインツの方を見て、リリアナが尋ねる。
ハインツは、店の雰囲気に馴染めないのか、リリアナの声など耳に入っていない様子で、椅子の上で縮こまっている。
一向に話し出す気配がないので、代わりにトワリスが紹介をした。
「えーっと……リオット族の、ハインツって言うんだけど。一応、私の仕事仲間ってことになるのかな。召喚師様の下に仕えてる、魔導師みたい。私も今日初対面なんだけど、ここに来るまでの案内役としてついてきてくれたんだ」
「まあ……随分大きな仕事仲間さんなのね」
ハインツをじっと見上げて、リリアナは呟いた。
流石、孤児院で浮いていた獣人混じりに躊躇いなく話しかけてきただけあって、ハインツの姿を見ても、リリアナは動じていないようだ。
しかし、その規格外かつ奇怪の風体には、やはり興味を引かれたらしい。
カップの持ち手に通せないほど、硬くて太いハインツの指を見て、リリアナは目をぱちくりとさせていた。
しばらくは、ハインツを眺めていたリリアナであったが、ふと、何かに気づいたように瞠目すると、トワリスを見た。
「……ん? ちょっと待って。召喚師様に仕えるハインツさんと、トワリスが仕事仲間、ってことは……」
リリアナの言わんとすることが分かって、頬を緩める。
トワリスは、どこか照れ臭そうに頷くと、言葉を継いだ。
「……うん、そうなんだ。実は、私も召喚師様に仕えることになって。今後は、アーベリトで暮らすことになったから、今日はそのことで、リリアナに相談したいことが──」
「きゃぁあーーっ!」
突然、リリアナがあげた甲高い悲鳴に、トワリスもハインツも、椅子ごと後ろに倒れそうになった。
周囲で談笑していた客たちも、何事かとリリアナを見る。
しかしリリアナは、そんなことはお構いなしに、トワリスの方へと身を乗り出してきた。
「召喚師様に仕えるようになったって、いつから? いつの間にそんなことになったの!?」
「い、いつからって……! とにかく、ちょっと声おさえて!」
慌ててリリアナの口を手でふさいで、しーっと人差し指を押し当てる。
思いがけず注目を集めることになり、熱くなった頬を扇ぎながら、トワリスは、咳払いをして続けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.243 )
- 日時: 2021/02/09 23:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
「城館仕えが決まったのは数日前だけど、アーベリトについたのは、ついさっきなんだよ。手紙で知らせてなくて、ごめん。それで、本当に急な話で申し訳ないんだけど、もしよかったら、またリリアナと一緒に住めないかなって……」
「…………」
そろそろと手を離すと、リリアナは、驚いたような顔つきで、トワリスを見つめた。
ややあって、驚愕の表情が、みるみる歓喜の色に染まる。
綻ぶような笑顔を見せると、リリアナは言った。
「そんなの、もちろん大歓迎よ! おばさんもきっと喜ぶわ!」
言いながら、リリアナが、トワリスの手をぎゅっと握る。
そして、店内を振り仰ぐと、言い募った。
「あのね、トワリスがアーベリトに戻ってきたら、お話ししたかったことが山ほどあるの。このお店も改築したし、いろんなことがあったのよ。おばさんの料理、とっても評判が良くて、マルシェ亭は結構有名なお店になったし、私も、基本は給仕をしているけれど、手伝っている内にお料理の腕も上がって、今じゃ立派な看板娘なんだから! あ、そう! この辺りに、サミル先生と召喚師様がいらしたことがあったんだけど、うちのお店に立ち寄ってくださったのよ。その時に、初めて召喚師様を間近で見たけれど、とっても綺麗で優しい方だったわ。カイルがすごく懐いてね、私も、この人がトワリスの憧れの人かぁって、ちょっとドキドキしちゃった!」
ああ、だからカイルが、親しげにルーフェンの名を呼んでいたのかと、トワリスは納得した。
興奮した口調で、リリアナは、トワリスの知らぬ五年間を語り続けている。
だんだん声が大きくなっていくので、その度に諌めたが、いつしか、楽しげに話している彼女に、横槍を入れようという気はなくなっていた。
話している内に、リリアナの目に、涙が滲んでくる。
やがて、握る手に力がこもったかと思うと、リリアナは呟いた。
「良かったぁ……。この五年間、手紙だけじゃ想像できないくらい、トワリスも頑張ってたのね。ずっと諦めずに走り続けて、かっこいいわ。私、とっても嬉しい。トワリス、出会った頃から、召喚師様の下で魔導師になって働きたいって言ってたものね。……叶って、本当に良かった」
そう涙声で言われたとき、泣くことではないはずなのに、トワリスの胸にも、熱いものが込み上がってきた。
鼻の奥が、つんと痛んで、うまく言葉が出ない。
リリアナが、まるで我がことのように喜んでくれていることが、どこか不思議で、とても幸福なことだと感じられた。
思えば、最初に背中を押してくれたのは、リリアナだったのだ。
生まれつきの地位も学もないくせに、魔導師になるなどと言い始めたトワリスの言葉を、サミルもルーフェンも、内心子供の語る夢物語だと、受け流していただろう。
トワリス自身でさえ、志は本物であったが、どこか現実味のないものだと思っている節があった。
リリアナだけだ、応援すると言ってくれたのは。
「トワリスなら夢を叶えられる」と、最初から信じてそう言ってくれていたのは、リリアナだけであった。
レーシアス邸を出て、最初に仲良くなったリリアナから夢を否定されていたら、どうなっていたか分からない。
魔導師になれるなんて、根拠のない言葉ではあったが、当時の自分がその励ましにどれだけ救われていたか、今なら分かる。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.244 )
- 日時: 2020/04/25 18:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
不意に肩を叩かれて、トワリスは振り返った。
色黒の男が、満面の笑みで立っている。
作業着姿からして、大工衆の者だろう。
五人で集まって、先程まで豪快に笑いながら食事をしていた客の一人であった。
「話の途中に邪魔をしてごめんよ。聞こえてきちまったんだが……君、トワリスちゃんなんだよな?」
「……はい、そうですが」
返事はしたものの、見覚えのない男の顔に、トワリスは目を瞬かせた。
関わりがあっただろうかと、記憶を巡らせてみるが、やはり思い出せない。
黙っていると、リリアナが首を傾げた。
「ラッカさん、トワリスと知り合いだったの?」
尋ねられると、ラッカと呼ばれた男は、白い歯を見せて笑った。
次いで、突然トワリスの肩に腕を回すと、ラッカはそのまま、自分が座っていた席の方へと、身体の向きを変えた。
「……な、なんですか?」
「まーまー、感動の再会なんだし、付き合ってくれよ。リリアナちゃん、ちょっと借りるよ」
「え、ええ。それは構わないけど……」
状況が読めないリリアナの承諾を得て、ラッカは、トワリスを誘導した。
ラッカと同じ、大工衆らしき男たちがつく食卓に連れていかれ、示されるまま、席の一つに腰を下ろす。
抵抗しようとも思ったが、リリアナの知り合いの客のようだし、感動の再会と言うからには、トワリスとこの男は、過去に会ったことがあるのだろう。
自分が単純に、忘れているだけかもしれないと思うと、拒否しづらかった。
男たちは、トワリスの前に、自分達が食べていた料理やら、酒やらを適当に取り分けて並べると、嬉しそうに口を開いた。
「いやぁ、まさかとは思ってたけど、こんなところで会うとはなぁ」
「その耳がなきゃ、分からなかったよ。会ったのって、何年前だっけ?」
微笑ましそうに言いながら、男の一人が、トワリスの頭をがしがしと掻き回すように撫でた。
五人全員の顔を、一人一人見つめてみたが、どうしても接点が思い出せない。
トワリスが戸惑っていることに、ラッカが気づいたのだろう。
顔を覗きこんで、ラッカはにやにや笑った。
「覚えてないかい? ひどいなぁ、俺たち、トワリスちゃんの命の恩人なのに」
「そりゃお前、俺らトワリスちゃんの前では名乗ってないだろう。忘れられてたって仕方ないさ、なあ?」
同意を求められて、トワリスは、いよいよ眉を寄せた。
命の恩人、という言葉が事実ならば、よほど深い関わりがあったに違いないが、そんな相手を、ここまで綺麗さっぱり忘れることなんてあるだろうか。
今までアーベリトで関わった全ての人間を覚えているかというと、流石に自信はないが、それにしたって、男たちの顔にも、ラッカという名前にも、全く記憶がない。
(ていうか、そもそも大工衆の知り合いなんて、私にはいないし……ん?)
その瞬間、トワリスは、あっと声をあげて、ラッカの方に振り向いた。
「あ、あの! もしかして、私が拾われたときの……?」
「おおーっ! そうそう! 思い出したか!」
男たちは、どっと一斉に笑い出したかと思うと、盛り上げるように拍手をした。
トワリスはかつて、絵師の元から逃げ出した際に、強風による空き家の倒壊に巻き込まれ、気絶していたところを、通りがかったルーフェンと大工衆に助けられた。
その時の大工たちこそが、ラッカたちだったのである。
あの時のトワリスは、意識が朦朧としていたし、ルーフェンに眠らされてすぐ、レーシアス邸に送られたから、その場にいた大工衆のことなんて、名前は勿論知らないし、顔も見ていたかどうか怪しいところだ。
これで思い出せと言う方が無理な話で、ラッカたちはそれを分かっていて、トワリスをからかったのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.245 )
- 日時: 2020/04/28 18:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
男たちがあまりに豪快に笑うので、つられてトワリスも笑むと、ラッカは満足げに唸った。
「俺たちも、驚いたんだぜ。昼食とってたら、リリアナちゃんと連れの会話に、トワリスって聞こえてきてさ。名前は召喚師様から聞いたことあっただけだったし、何せもう何年も前のことだから、気のせいかとも思ったんだけどよ。その耳を見て、絶対あの時の女の子だ! って確信したわけ」
トワリスは、面映ゆそうに眉を下げた。
「その節は、お世話になりました。一時期、アーベリトから離れていたんですけど、お陰様でまた戻ってきました。私もまさか、リリアナのお店でこんな再会を果たすなんて、思ってもなかったです」
男の一人が、口を開いた。
「俺たち、前までは職場が近かったから、ここの常連だったんだけどさ。最近はほら、市民街とリラの森の境に、擁壁(ようへき)があるだろう? そこの切り崩しに駆り出されてたから、なかなか来る機会がなくてな。今日はたまたま早上がりしたから、久々に行くかって話になって、リリアナちゃんに会いに来たんだけどよ。そうしたら、トワリスちゃんの顔まで見られたから、偶然って言うには出来すぎてるくらいだよなぁ」
他の男たちも同調するように頷いて、再び笑いが起こる。
トワリスは、話を聞きながら、感心したように息を吐いた。
「なるほど……アーベリトにはどんどん人が流れ込んできてるみたいですし、建設業の方々は大変ですよね。切り崩しってことは、もしかして、リラの森まで市街地を広げるんですか?」
ラッカが、こくりと頷いた。
「ああ、その予定らしいぜ。まあ、おかげで食うには困らなくなったよ」
「もうちょい同業が増えてくれると、有り難いんだがなぁ。俺たちだけじゃあ、どうにも手が回らん」
大袈裟な身振り手振りで言いながら、男の一人が、首をこきこきと鳴らす。
トワリスは、面食らったように眉をあげると、男たちを見回した。
「手が回らんって、まさか、ラッカさんたちだけで請け負ってるんですか?」
果実酒を呷って、ラッカが否定した。
「俺たちだけって、この五人ってことか? あはは、流石にそれはないさ」
言葉を継いで、別の男が言う。
「確かに、仕事量の割には人数少ないけど、大規模な工事をやろうって時には、リオット族なんかが力を貸してくれるよ。トワリスちゃんもほら、そこのあんちゃんを見りゃあ分かるだろ? リオット族ってのは、たくましい奴ばっかりで、馬や牛なんかよりもよっぽど力がある。今は採掘の方を手伝いに、南のガラムの方に行っちまったらしいだけど、あいつらのおかげで、擁壁の解体も、ほとんど終わってんだ。俺たちがやらないといけないのは、残りの後片付けと、測量だな」
「馬鹿、それが大変なんだろうが。あーあ、明日からまた一日中仕事かぁ。せめて帰ったときに、美味しい手料理を振る舞ってくれるかみさんでもいたらなぁ」
ぼやく若い男を叩いて、周囲の大工衆たちは、考えたくないからそれ以上は言うなと、ふざけた口調で叱責した。
そろって突っ込みを入れる仕草や、茶化すような空気から、切迫した雰囲気は感じなかったが、大変なのは本当なのだろう。
考えたくないと言いつつも、それからしばらく、男たちは愚痴をこぼし合いながら、酒をちびちびと舐めていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.246 )
- 日時: 2020/04/30 18:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
シュベルテなどの大都市では、建設業などの危険が伴う業務には、基本的に魔導師が介入する。
特に大規模な建設に乗り出す場合は、人力より魔術で資材の運搬などを行った方が、圧倒的に効率が良く、安全に済ませられるからだ。
とはいえ、重量のある石材や木材を移動させるには、膨大な魔力が必要になるため、一口に介入するといっても、大人数の魔導師が必要になってしまう。
それに、魔導師が立ち入ったからといって、建設業における専門家が、職人階級の者たちであることに変わりはないし、そもそも、それだけ多くの魔導師を保有している都市など、シュベルテとセントランスくらいなものだ。
地方では多くが人力、ないしは牛馬に頼って作業を進めているし、それを思えば、リオット族の力が借りられるアーベリトは、まだ負担の軽い方だと言えるのかもしれない。
しかし、そんなアーベリトに魔導師として着任することになったトワリスとしては、地方都市と並べられる王都の現状を、看過するわけにはいかないのであった。
ひとしきり話し終えた男たちに、トワリスは、ふと唇を開いた。
「あの……確約はできませんが、よかったら、お手伝いしましょうか」
男たちの視線が、トワリスに集中する。
トワリスは、はきはきとした口調で続けた。
「新参なので、進捗具合など詳しく把握できていなくて申し訳ないのですが、居住区の拡大目的ということであれば、その仕事は勅令(ちょくれい)で行っていることですよね。だったら、上は手を貸す義務があります。擁壁の解体は終わったとのことなので、リオット族を呼び戻す必要はないと思いますが、その他の作業も、大工衆の方々への負担が大きいようなら、こちらでお手伝いしたほうが能率も上がります。アーベリトも魔導師が一切いないというわけじゃないですし、もし召喚師様から許可が頂ければ、私もお力になれるかもしれません」
魔導師らしいことを格好良く言ってのけたつもりであったが、男たちの反応は、いまいちであった。
ぽかんとした表情で互いに顔を見合せ、再びトワリスの方を見ると、ラッカが突然、ぶっと吹き出した。
「なんだよ、一丁前なこと言うようになりやがって! ついこの間まで、野猿みたいだったくせに!」
ラッカの発言を皮切りに、他の男たちも、げらげらと笑い出す。
酒が入っているせいもあるかもしれないが、乱暴に頭を撫でられて、トワリスはむっと眉を寄せた。
「真面目な話をしたのに、からかわないで下さいよ」
「悪い悪い、なんてったって、天下の魔導師様だもんなぁ」
「そうだぞ、猿なんて言ったら失礼だろう」
何がそんなに面白いのか、軽口を叩きながら、男たちは顔を赤くして笑い続けている。
魔導師様、魔導師様と囃し立てるその口調は、明らかに子供をあやすときのそれだ。
確かに、ラッカたちからすれば、トワリスは凶暴で世間知らずな子供という印象が強いのかもしれない。
しかし、魔導師になったのは事実なのだから、少しぐらいは、今の姿に目を向けてくれても良いだろう。
トワリスはつかの間、無言でラッカたちのことを睨んでいたが、それでも、彼らの勢いは止まらないと悟ると、やれやれと肩を落とした。
酔っぱらいを相手に拗ねたところで、明日にはけろっと忘れられていそうだし、この程度で刺々しく口を出して、彼らの陽気な食事会に水を差すのは忍びない。
トワリスは元々、酒を飲んで騒ぐような場は得意ではなかったが、無駄なようで大切なこの穏やかな時間が、いつまでも続けばいいのにと願う気持ちも、胸の奥にあった。
ひとまず、擁壁解体の件は後日ルーフェンに相談すると口約束だけして、トワリスは、その場を後にした。
思いがけない再会に長居してしまったが、元々トワリスは、リリアナに居候の相談をしにやって来たのだ。
一緒に住めることにはなったが、荷物などはダナたちに預けたままだし、それらを運び込むことも考えると、日暮れ前には一度、城館に戻らなければならないだろう。
リリアナとハインツがいる食卓を見ると、二人は、向かい合った状態で、無言で俯いていた。
寡黙なハインツ相手でも、よく喋るリリアナのことだから、話題には事欠かないだろうと思っていたのだが、なにやら二人の間には、気まずい空気が流れている。
流石に初対面の二人を置いていくのはまずかったかと、慌てて戻ろうとすると、その前に、リリアナがトワリスの方に車椅子の向きを変えた。
慣れた手付きで車輪を動かし、彼女にしては珍しい無表情で、こちらに近づいてくる。
リリアナは、困惑するトワリスを連れて、店の隅に移動すると、警戒したように一度周囲を見回してから、そっと耳打ちをした。
「お、お、王子様だわ……」
「…………は?」
あのリリアナが、真顔で耳打ちなどしてくるものだから、一体何を言われるのだろうと身構えていたトワリスであったが、彼女の口から飛び出してきた言葉は、よく理解できないものであった。
聞き間違いかと思い、問い返すと、リリアナはもっと屈めと言わんばかりに、トワリスの袖を引っ張ってくる。
膝をついて目線を合わせると、座るハインツの方をちらちらと見ながら、リリアナは再び囁いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.247 )
- 日時: 2020/05/03 20:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「王子様よ……私、王子様と出会ったの。これが恋、運命の出会いってやつなのね……」
「…………」
うっとりとした顔つきになったリリアナに、トワリスは、つかの間何も返せなかった。
はっきりと何を言っているのか聞こえたし、やはり聞き間違いではなさそうなのだが、リリアナの発言の意味が、さっぱり分からない。
逡巡の末、額に片手をあてると、トワリスはようやく口を開いた。
「……え、なに? 王子様って、何の話?」
本当のところ、なんとなく検討はついていたのだが、聞かずにはいられなかった。
リリアナが、もじもじと指先を動かしながら答える。
「トワリスとラッカさんたちが話してる間、折角だからと思って、ハインツさんに、苺のタルトを出したの。うちの新作でね、とっても美味しいのよ」
「う、うん……」
「そのタルト、結構大きいの。私なんか、半分でお腹一杯になっちゃうくらいなんだけど……。ハインツさんったら、五つも食べちゃって……」
「……うん」
「でね、その間、何も言わないから、食べ終わった後に、味はどうでしたかって聞いたの。そしたら、『美味しいね』って、小声で一言……」
「…………」
きゃっと短く声をあげて、頬を染めたリリアナが、恥ずかしげに両手で顔を覆う。
まるで絵に描いたような恋する乙女の反応に、トワリスは、唖然とするしかなかった。
振り返って食卓を見ると、確かにハインツの前には、空になった平皿が五枚、積み重ねられていた。
しかし、美味しいと感想を述べた割に、ハインツの顔色は悪く、店に来たときよりも、震えがひどくなっている気がした。
前後のやり取りを聞いていないので、断言は出来ないが、察するに、リリアナがタルトをどんどん持ってくるので、ハインツは断れなかったのではなかろうか。
リリアナは実際料理上手だし、店で出しているくらいだから、タルトが美味しいのは事実なのだろう。
だが、どんな大食漢でも、甘いものを大量に食べたら、普通は気分が悪くなる。
美味しくてうっかり沢山食べてしまっただけなら良いが、今のハインツは、無理にタルトを掻きこんだ結果、具合が悪くなっているようにしか見えなかった。
リリアナは顔をあげると、緑の瞳を輝かせながら言った。
「美味しいね、って……そう言ったのよ。あんなに強そうな見た目で、うまい、とか、いける、とかじゃなく、美味しいねって……。しかも、ちょっと吃(ども)りながら! きっと奥ゆかしい方なんだわ。ハインツさん、素敵……!」
目を開けたまま、今にも夢の世界に旅立ってしまいそうなリリアナに、トワリスは、内心頭を抱えた。
一度思考が暴走し始めた彼女を、容易に止めることができないのは、過去に一緒に暮らした経験から、トワリスもよく分かっている。
勿論、本気でリリアナが恋をしたというならば、何も言わずに応援してやるのが、親友としての勤めだろう。
だが、ここまでの道中で分かった通り、ハインツは尋常でない人見知りで、見た目に反して内気な性格のようだ。
トワリスとて、知り合ったばかりでこんなことを言い切るのは気が引けるが、ハインツには、絶対に恋愛なんて早い。
そんな彼に、暴走したリリアナが強引に迫れば、きっと事態はこじれまくるだろう。
そして、その面倒な恋路に巻き込まれるのは、おそらくトワリスなのだ。
一つ咳払いをすると、トワリスは、何事もなかったかのように立ち上がった。
「……まあ、頑張って。それじゃあ私達は、城館に戻るから──」
「待って!」
叫んだリリアナが、すかさずトワリスの腕を掴む。
獣人混じりでも振りほどけない、凄まじい力で引き留められて、トワリスはたじろいだ。
「ちょっ、離して! 荷物が城館に置きっぱなしなんだって」
「そんなの、後で取りに行けばいいじゃない。お願い、協力して! このまま帰ったら、私とハインツさん、今後接点がなくなっちゃうわ!」
リリアナの懇願に、トワリスは、渋々抵抗をやめた。
このまま二人で騒いでいたら、再び客たちの注目を集めかねない。
周囲の視線を気にしながら、トワリスは再度屈むと、小声で答えた。
「協力ったって、何をすればいいのさ。大体、ハインツとはさっき会ったばかりだろ。それなのに、す、好きだとか、恋だとかって……」
リリアナは、むっと眉を寄せると、トワリスの両頬を手で挟んだ。
「恋に時間は関係ないのよ! まず、ハインツさんにまたお店に来てくれるよう、それとなくお願いしてほしいの。あと、ハインツさんの好きな食べ物とか、趣味とか、色々知ってることを教えてちょうだい!」
トワリスは、苦々しい表情になった。
「そんなの、自分で聞けばいいだろ……。教えてって言われても、何も知らないし。私もハインツとは、今日会ったばっかりなんだってば。知ってることといえば、十四歳のリオット族で、召喚師様付きの魔導師ってことくらいで……」
「十四歳!? まあ……年下だったの。じゃあハインツさんじゃなくて、ハインツくんね」
嬉々として情報を紙に書き出そうとするリリアナに、トワリスは、密かにため息をついた。
「いや、そうじゃなくて……。十四歳だよ?」
「うん? ええ、そうね。ハインツくんが二十歳になったら、私、二十三歳ね!」
「…………」
そう言われると、確かに大した年齢差ではないな、と思い直して、トワリスは押し黙る。
リリアナは、煮え切らないトワリスの態度に、不満げに頬を膨らませた。
「なによ、応援してくれないの? さっきから、なんだか乗り気じゃなさそうじゃない。……はっ、まさか、トワリスもハインツくんのことを!?」
「いや、違う。それは違うけどさ……」
否定をしてから、今度は隠すことなく、深々と嘆息する。
リリアナの扱いには慣れているつもりであったが、久々にその猛進具合を目の当たりにすると、やはり着いていけない。
諦めたように口を閉じたトワリスの肩を、がしりと掴むと、リリアナは、上機嫌な様子で言った。
「とにかく! 共通のお友達であるトワリスが頼りだから! よろしくお願いね……!」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.248 )
- 日時: 2020/05/20 22:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
かつてのレーシアス邸では、ルーフェンはよく図書室で事務作業を行っていたが、新しく建った城館では、召喚師用の執務室が造られていた。
召喚師用といっても、机と椅子、来客用の長椅子に、最低限の資料や書類が収まる程度の本棚が設置してあるだけで、特別感はまるでない。
それどころか、ロンダートやハインツが定期的に入り浸るような、気楽な溜まり場と化していたが、日中はその執務室を尋ねれば、ルーフェンに会える場合が多かった。
「へえ、あのハインツくんにねぇ……」
呟いてから、ルーフェンがくすくすと笑う。
その拍子に、机から滑り落ちた数枚の書類を拾いながら、トワリスは、深くため息をついた。
「全然笑い事じゃないんですよ。リリアナ、あれから帰る度に、今日のハインツはどうだったかとか、次はいつお店に来るのかとか、そんな話ばっかりするんです。挙げ句には、城館まで毎日お弁当を届けに行く、なんて言い出すし……」
ぶつぶつと文句を言いながら、トワリスは、そろえた書類を手渡す。
ルーフェンは礼を言うと、書類を受け取って、椅子に座り直した。
「そりゃあ確かに、出先でそんなことがあったなんて、ちょっと意外な展開だな。まあ、いいんじゃない? 応援してあげれば。ハインツくん、すごく良い子だよ」
応援するという言葉とは裏腹に、おかしくて仕方がないといった様子で、ルーフェンの口元は歪んでいる。
執務机のすぐ横に控えていたトワリスは、不服そうに顔をしかめて、吐息混じりにぼやいた。
「勿論、リリアナだって良い子ですよ。明るいし、女の子っぽいし……。ただちょっと、昔から思い込みが激しいというか、自分の中で盛り上がると、強引に相手を振り回すところがあるんです。初めて会った日も、ハインツが喜んでるって勘違いして、でっかいタルト五つも食べさせてましたし……。帰りがけ、ハインツがお腹痛いって言い出して、大変だったんですよ。流石にあの体格を背負えないですし、かといって根性で立って歩けとも言えず、お腹が冷えないように外套を貸して、しばらく私が背中をさすってたんです。……大通りのど真ん中で」
堪えきれなくなったのか、ルーフェンが、話の途中でぶはっと吹き出した。
背中を震わせ、涙をためながら、楽しげに笑っている。
一応、真剣に悩んでいるのに笑われて、腹立たしくなったが、ルーフェンを怒る気力もなく、トワリスはがっくりと肩を落としたのだった。
トワリスの予想通り、恋する乙女、リリアナの猛攻は激しかった。
小料理屋マルシェを訪れたあの日以来、リリアナは、朝起きてから夜寝るまで、ひたすらハインツの話をしてくるようになったのだ。
しかしトワリスとて、知り合ったばかりのハインツに、根掘り葉掘り質問できるほど話上手ではないし、ただですら無口の彼とは、まだ距離を測りかねている状態だ。
つまり、リリアナに提供できるハインツの話題など、現段階では何もないのである。
そんなトワリスに、情報収集を任せていては、らちが明かないと思ったのか。
ついに、ハインツとトワリスの分の弁当を携え、リリアナが城門前まで突撃してきたのが、昨日の昼頃の話。
ハインツを訪ねて、女性がやってきたという話は、自警団員──主に面白がって吹聴したロンダートを中心に、あっという間に城内に広まってしまった。
女ができたのかと囃し立てられ、混乱するハインツが可哀想で見ていられず、トワリスはやむを得ず、暴走するリリアナのことを各所に説明した。
他人の恋心など、言いふらすものではないと黙っていたが、あのリリアナのことだ。
先日も、自分からロクベルや近隣住民に、好きな人が出来たと嬉しげに話していたから、噂されたところで、気にも留めないだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.249 )
- 日時: 2020/05/16 16:07
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ひとしきり笑い終えると、ルーフェンは、険しい顔つきで立っているトワリスを見上げた。
「可愛い女の子に迫られるなんて羨ましい……と言いたいところではあるけど、城館まで来られちゃうのは、確かに困るね。ハインツくんの好みの女の子は、慎ましくて淑やかな子だって、リリアナちゃんに伝えてみたら? そうしたら、少しは大人しくなるかもよ。実際ハインツくんは、強引に迫られたら萎縮しちゃうだろうし」
ルーフェンの提案に、トワリスが、なるほどと頷く。
そのまま、トワリスがじっと顔を見つめてくるので、ルーフェンは首を傾げた。
「どうかした?」
「あ、いえ……」
トワリスは、首を振ってから、辿々しい口調で尋ねた。
「召喚師様とハインツって、仲良いですけど、いつからお知り合いなのかな……と思いまして。私が昔、屋敷にお世話になっていたときは、まだハインツはいなかったですよね? 他のリオット族は、商会で働いているとお聞きしたので、どうしてハインツだけ城館にいるのかな、と……」
言いながら、ルーフェンの表情を伺う。
聞いて良いものなのかどうか分からず、今まで黙っていたが、本当は、ずっと気になっていたことだった。
ルーフェンは、ハインツのことを、まるで側近のように連れていることが多かった。
リオット族は、ルーフェン自らが王都に引き入れた一族だから、信頼できるという理由で、手元に置いているのは分かる。
しかしハインツは、一族由来の地の魔術は使えても、言ってしまえば、魔導師団に所属しているわけでもない、ただの一般人だ。
事務官としての教養があるわけでもなさそうだし、加えて、あの気弱な性格とくれば、お世辞にも、城館仕えの魔導師に向いているとは言えない。
何故ルーフェンが、彼をそばに置いているのか、常々不思議に思っていたのだ。
もし特別な理由があるのだとしたら、聞かない方が良いだろうかと躊躇っていたが、ルーフェンは、あっけらかんと答えた。
「ハインツくんと知り合ったのは、俺がノーラデュースに行った時だから、えーっと……六年くらい前かな。でもしばらくは、リオット病の治療で病院にいたから、城館に来たのは最近だよ。俺が誘ったんだ。彼は商会にいるより、俺たちの近くで、魔導師の仕事をしていた方が良さそうだったから」
ルーフェンの言葉に、トワリスは瞬いた。
魔導師の仕事をしていた方が良さそう、ということは、つまり、魔導師としての適性がある、という意味だろうか。
ここ数日のハインツを見る限り、決してそうは思えなかったが、ルーフェンが言うのだから、彼には特殊な才能があるのかもしれない。
トワリスの疑問を汲み取ったのか、ルーフェンは眉をあげた。
「ハインツくんに、魔導師は向いてないと思う?」
そう問われて、はっと顔をあげる。
嫌味な言い方になってしまっていたかと、慌てて首を横に振ると、トワリスは否定した。
「い、いえ、すみません。そういう意味じゃないんです。ただ、彼はなんというか……控えめな性格みたいなので、魔導師として城館にいるのが、ちょっと意外で」
慎重に言葉を選びながら告げると、ルーフェンは苦笑した。
それから、つかの間考え込むように目を伏せて、呟くように言った。
「まあ、向いてるか向いてないかで言ったら、向いてないよね。俺も、ハインツくんの希望次第では、無理にこの城館に留まるよう言うつもりはないんだ。彼には、日がな石細工でも作っていられるような、のんびりした生活のほうが合ってると思うし」
「……石細工?」
トワリスが聞き返すと、ルーフェンは頷いた。
「そう。ハインツくん、ああ見えて器用なんだよ。石をうまい具合に削ったり、形を変えたりして、花とか生き物とか作るの。初めて見たときは、びっくりしたなぁ。……俺がアーベリトに呼んでからは、作らなくなっちゃったんだけどね」
言い終えると、ルーフェンは、少し困ったように眉を下げた。
まるで、ハインツを城館仕えにしたことを、後悔しているような言い方であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.250 )
- 日時: 2020/05/11 19:02
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスが返事に迷っていると、ルーフェンが、見かねたように話題を変えた。
「そういえば、街境の擁壁の件だっけ? トワリスちゃんが、手伝いに行きたいって言ってたやつ」
「あっ、はい。そうです」
勢いよく答えて、トワリスが首肯する。
なんとなく、話しやすいルーフェンからハインツの情報を聞き出してしまったが、本人のいないところでこそこそと尋ねるのは、やはり気が引ける。
ルーフェンも、あまり踏み込んだ内容は教えてくれないだろうし、そもそも軽い気持ちで聞くべき話ではないだろう。
話題を変えてくれて良かったのかもしれないと、内心安堵しながら、トワリスは、店でのラッカとのやり取りを、ルーフェンに説明した。
「特別作業人数が少ないというわけではありませんし、もし他に火急の案件があるなら、そちらが優先で構いません。ただ、ラッカさんたちに頼んでいた擁壁の解体は、居住区拡大のための、言わば勅令ですよね? だったら、誰かしら城館勤めの人間を同行させたほうが、作業的にも効率が良いですし、指示の行き違いも少なくて済むと思うんです。今のところ、異動してきたばかりで、一番手隙の私が向かうのが妥当かと思いますが、リオット族のほうがこういった現場作業に向いてるということであれば、ハインツでも良いです。他に適任の魔導師がいれば、誰でも問題ありません。……どうでしょうか?」
手元に用意していたアーベリトの地図を広げ、市街地とリラの森との境を示しながら、トワリスは言った。
ルーフェンは、しばらく黙って、トワリスの話を聞いていたが、やがて、微かに目を細めると、答えた。
「うーん……ただここ、解体作業自体は終わってて、以降の作業は、急ぎではないんだよね。居住区拡大とは言っても、次の予定がはっきり決まってるわけじゃないし、どちらかというと、擁壁の老朽化が理由で解体をお願いしてたんだ。行ってみれば分かると思うけど、ここ、大した高低差ないし、単に昔の名残で、崩れかけの擁壁が残っていただけなんだろうね」
「えっ、そうなんですか?」
目を見開いたトワリスに、ルーフェンが頷く。
市街地の輪郭をなぞるように、地図上で指を動かしながら、ルーフェンは続けた。
「ここ数年で、アーベリトへの移住希望者が急増したから、居住区を広げたけど、正直、これ以上増やしたくはないんだ。分かってると思うけど、現状統治権は、アーベリト、シュベルテ、ハーフェルンの三街で役割分担をして担ってる。難民でも出たって言うなら、アーベリトの出番だけど、最近は内乱も起きてないから、そう多くはないし、単に王都だからっていう理由なら、今後はアーベリトへの移住は基本的に断ろうと思ってるんだ。……って、そう伝えてたんだけど、大工衆の人達、何も言ってなかった?」
「……聞いてないです」
素直に白状すると、ルーフェンは微苦笑を浮かべた。
「こういう行き違いは、誰かしらを行かせてたら起こってなかったかもね」と、そう付け加えて、肩をすくめる。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.251 )
- 日時: 2020/05/27 16:20
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「そもそも、アーベリトが王権を握っていること自体が、一時的なものだしね。混乱を避けるために、中立のアーベリトが王権を預かっただけで、またシュベルテが王都として機能するようになれば、王位は返還する約束だ。誓約上は、シャルシス・カーライルが十五で成人するまで……あと九年も経ったら、王位は返すことになってる。ただ、それもあくまで予定に過ぎない。もっと早まるかもしれないし、後になるかもしれない。そんな状況で、大して財力もないアーベリトを無計画に拡大させていったら、いずれ破綻するのが目に見えてるでしょう? そろそろ今の形で、安定させたいんだ。別に、アーベリト単独でサーフェリアを統治しようなんて、そんな野望はないからね」
明るい声音で言って、ルーフェンはトワリスを見る。
トワリスは、真剣な表情で聞きながら、今度はサーフェリアの全体図を広げた。
「そこまで決まっているなら尚更、作業は急ぐべきではないですか? 擁壁の件は保留にするにしても、規模を現状で留めるなら、次は防御を固めないといけません。アーベリトは特に、魔導師の数も自警団員の数も足りていなくて、警備に回せる人数が少ないですから、今ある城郭に加えて外郭を増やすとか、少人数でも守り通せる緊急時の体制を整えるべきです。お金はかかるかもしれませんが、幸い、リオット族の力も借りられますし、アーベリトの面積であれば、二重、三重と外郭を増築しても、そう時間はかからないと思います。検問所の設置とか、他にも手はありますが、その程度では、真っ向からぶつかられた時に避難することしかできません。とにかく、何かしら対策をとらないと、今のアーベリトは、あまりにも……」
「……手薄、だよね?」
言いづらそうに口ごもったトワリスの言葉を、ルーフェンが拾った。
トワリスとて、アーベリトに来たばかりの身の上で、はっきりと王都の脆弱性を口に出すのは、躊躇っていたのだろう。
申し訳なさそうに頷いたトワリスに、ルーフェンは目尻を下げた。
「そう思うのも仕方がないよ、事実だしね。軍事においては、シュベルテと比べると特に、アーベリトは情けなるくらいの弱小都市だもん」
「いや、そんなあっさり認めるのもどうかと思いますが……」
事の重大性を全く理解していないような、明るい口調のルーフェンに、トワリスが眉を寄せる。
ルーフェンは、引き出しから取り出した羽ペンを、くるりと指先で回して持ち変えると、地図上のアーベリトを示した。
「でも、アーベリトの壁を増やすことはしない。理由は単純、それほど意味がないから」
「意味がない……?」
怪訝そうな顔で、トワリスが聞き返す。
ルーフェンは、地図上のシュベルテやハーフェルンを順に示して、言い募った。
「トワリスちゃんの言う通り、周辺が陸続きの都市なら、高い外郭の建造をすることで、守りを固められる。ただアーベリトの場合は、地形的にほぼ無意味なんだ。周辺に山が多いからね。特に南側なんかは、切り立った山ばっかりだし、東側の山は大して険しくないけど、そこを越えた先が海。警戒しなくて良いわけじゃないけど、侵入経路としてこの二方向が選ばれる可能性は低いし、選ばれたところで、大規模な奇襲はまず仕掛けられない。北西に広がるリラの森は、舗装された道も通ってるくらいだし、脅威になるような深さはないけれど、その先の北側にはハーフェルン、西側にはシュベルテが位置している。つまり、アーベリトを狙うなら、まずはこの二大都市を潰さなきゃいけないってこと。でも、ここら一帯は、シュベルテの魔導師団が常に厳戒体制を敷いているだろう? それすら打ち破って、アーベリトまで侵攻できる勢力なんて、今のサーフェリアには存在しないよ。まあ、シュベルテが裏切ったら、話は別だけどね。そうなったらそうなったで、アーベリトなんて、外郭の有無に関係なく、あっという間に滅んじゃうだろうし」
さらっと恐ろしい仮定を口にしながら、ルーフェンは、からからと笑った。
不吉な冗談に、トワリスは全く笑えなかったが、シュベルテの一部の人々が、アーベリトに対して不満を持っていることは、ルーフェンも知っているのだろう。
他所からの人員の移入、とりわけ軍部の人間をほとんどアーベリトに入れていないあたり、ルーフェンの他街への警戒心は、聞かずとも高いことが分かる。
だからこそ、アーベリトは人手不足に悩まされているわけだが、そんなルーフェンの考えも理解できていたので、ハーフェルンのようにシュベルテから魔導師を引き入れましょうと、安易に提案することはできなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.252 )
- 日時: 2020/05/15 18:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンの説明を聞きながら、トワリスは、アーベリトの地図に視線を戻した。
「だったら、外壁を増やす以外に、対策を考えないといけませんね。何にせよ、今のアーベリトは、東西の市門に二名ずつと、あとは交代で、自警団員を巡回させているだけじゃないですか。これじゃあ、何か起きたときに対応できる人数が少なすぎて、心許ないです。侵入者に気づいたところで、対抗できなければ意味がありません。せめて、巡回人数を増やして、応援要請があったらすぐに集まれるようにするとか……」
考え込むように俯いたトワリスに、ルーフェンは、平然と答えた。
「ああ、それなら、皆に移動陣を使ってもらおうと思ってるんだよね」
「……はい?」
耳を疑う内容に、トワリスは瞠目した。
移動陣とは、陣から陣へと瞬間移動できる魔法陣のことだが、これは、使うと膨大な魔力を消費するため、魔導師の多いシュベルテでも、ほとんど使われない特殊な魔術だ。
トワリスも、ハーフェルンからアーベリトに来るまでの道中で、初めて使ったが、ルーフェンがいなければ、魔力量が足りなくて使えなかった。
それを今、ルーフェンは、魔導師でもないアーベリトの自警団員に使ってもらおうと言ったのだ。
トワリスは、意味が分からないといった様子で、首を捻った。
「いや、無理ですよ。自警団の方々は魔術が使えませんし、魔導師でも、一人じゃ魔力が足りないので出来ません。そもそも、アーベリトの移動陣って、リラの森に一ヶ所しかないでしょう。市内でどうやって使うんですか?」
ルーフェンは、手元にあった書類を適当に選びとると、その裏に、羽ペンで移動陣を描き出した。
「俺なら、新しく移動陣を敷けるよ。といっても、昔に一度、サミルさんの魔力を目印に試しただけなんだけどさ。俺が描いた移動陣を皆に渡して、あとは使い方さえ理解してもらえれば、俺の魔力依存で、行使が可能になると思うんだよね。ほら、魔法具とか、ものによっては、使用者が制作者本人じゃなくても使えるでしょう? それを使うのと、同じような感覚かな。リオット族と鉱物資源の移送で、移動陣は散々使ってるし、少し応用すれば、上手くいくと思うんだ。ちょっと特殊な使い方をすることになるし、非常時以外に何度も使われたら、流石に俺も倒れるけど……。でも、これがあれば、魔力の有無に関係なく、誰でも一人で移動陣を使えるようになるよ」
そう言いながら、ルーフェンは、ぺらりと一枚、書類を手渡してくる。
その裏に描かれた、流麗な筆跡──移動陣を見て、トワリスは、全身に鳥肌が立つのを覚えた。
ルーフェンは、召喚師なのだ。
勿論、そんなことは分かっていたが、今になって、改めてそのことを突きつけられたような気がした。
シュベルテの魔導師団には、多くの優れた魔導師がいたし、最前線で活躍する者の中には、歴史に名を残すような功労者もいた。
それでも、彼らが競う強力さとは“魔術をいかに使うか”であって、それらはあくまで、既存の枠内に収まることだ。
ルーフェンのように、従来とは違う使い方をしようなんて主張する者は、ほとんど見たことがなかった。
言い換えれば、新たな魔術を創造できるような存在こそが、召喚師なのかもしれない。
トワリスの心境とは裏腹に、ルーフェンは、軽い口調で続けた。
「同じ人数でも、分散させると心許ないけど、移動陣があれば、どこにいたって一瞬でその場に駆けつけられるから、戦力を集中できるでしょう? しかも、俺の魔力依存だから、移動陣が使われた時点で、緊急時だってことが俺にも伝わる。今後移民を制限するなら、この城館と同じように、街全体に結界を張ってしまうのも手だけど、それだと、俺の不在時にアーベリトに誰も出入りできなくなるから、いくらなんでも、それは現実的じゃない。となると、皆の協力が必要にはなるけど、やっぱり移動陣が一番使いやすいと思うんだよね」
「…………」
トワリスが答えずにいると、ルーフェンが首を傾げて、顔を覗き込んできた。
「……大丈夫? 他にも、何か心配ごとある?」
問われて、はっと我に返る。
トワリスは、焦ったように首を振ると、渡された移動陣に目を落とした。
「……い、いえ、すごいと思います。私なんかじゃ、こんな案、絶対に考えられませんし……」
思いがけず、卑屈な返答が口から飛び出して、トワリスは後悔した。
ルーフェンは、解決策を提示してくれただけなのに、これではまるで、トワリスが聞くだけ聞いて、勝手にいじけているようである。
しかし実際、ルーフェンの話を聞いていて、トワリスの心の内に芽生えたのは、感嘆よりも大きな不安であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.253 )
- 日時: 2020/05/17 18:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
つかの間沈黙して、トワリスは、戸惑ったように俯いた。
「……ただ、それでいいのかな、と」
ルーフェンが、不思議そうに瞬く。
その表情に、不快の色はなく、ルーフェンはただ、トワリスの真意が掴めずにいるだけのようだった。
トワリスは、躊躇いがちに口を開いた。
「街全体に結界を張ろうとか、新しく移動陣を敷こうとか、そんなの、召喚師様だから出来ることじゃないですか。そんな規格外の案を出されると、私達は何も出来なくなってしまうというか……。失礼を承知で申し上げますが、アーベリトの自警団員の皆さんは、王都を守ってるんだっていう自覚が足りないと思うんです。別に、今の和やかな雰囲気が悪いってわけじゃないですけど、あまりにも危機感がないですし、はっきり言ってたるんでます。この手薄な警備体制に誰も疑問を持っていないみたいだし、警備中や巡回中ものんびりお喋りしてて、緊張感がまるでありません。その上、部屋も汚いし、食事もまともに作れないし、物も開けっぱなし置きっぱなしで、なんていうか、そういうだらけた空気が、この城館全体ににじみ出てるんです。私、アーベリトに戻ってきたとき、びっくりしたんですよ。城館が汚くて……」
「後半は関係ない気がするけど、なんかごめんね」
あまり偉そうなことを言うべきではないと自制していたが、愚痴をこぼしている内に、口が止まらなくなった。
いつの間にか前のめりになって、ルーフェンに詰め寄っていたことに気づくと、トワリスは、拳を握りしめて、ゆっくりと身を戻した。
「……最初は、昔と変わってなくて良かったって思いましたけど、よく考えたら、五年も経ってるんですよ。むしろ、変わるべきじゃないですか。警備体制のことだって、本来なら、実際に任務につく自警団員の皆で考えないといけないことなのに、そんなこと、話題にすら出ず、結局全部召喚師様任せで……。こんなことで、本当にいいのかなって。……すみません。並ぶような代替案も出せないくせに、偉そうなことを言って……」
ルーフェンから目線をそらして、うつむく。
アーベリトに来てから、蓄積していたものが、ぽろぽろとトワリスの口をついて出た。
ハーフェルンでは、乳母よりうるさいとロゼッタに注意されたくらいだし、トワリスだって、新参の分際で小言を言うなんて、生意気な真似はしたくない。
しかし、先程までの、まるで全てを請け負っているようなルーフェンの言葉の数々を聞いて、我慢していた不満が、つい爆発してしまった。
きっと誰かが言ってやらねば、アーベリトの平和ボケは治らないのだ。
不満げに眉を寄せるトワリスを、ルーフェンは、しばらくじっと見つめていた。
だが、ややあって苦笑すると、肩をすくめた。
「……まあ、分かるよ、トワリスちゃんの気持ちは。俺も昔は、王都がこんな呑気でいいのかなぁって、少し焦ったし」
同調しながらも、その口調は、トワリスをなだめるように落ち着き払っている。
目を伏せると、ルーフェンは、静かに続けた。
「だけど、その穏やかさが、アーベリトの良さでもあるんだよ。分厚い外郭が何重にも立ち並んで、武装した人間が道を闊歩しているような……そういう息苦しい空間を王都だというなら、俺はそんなもの、アーベリトに望んでない。王都になったからといって、今まで保ってきた平穏さを、捨てる必要はないんだよ」
ルーフェンの瞳に、ふと、柔らかな光が浮かぶ。
その目を見た瞬間、トワリスは、何も言えなくなってしまった。
他でもないルーフェンが、アーベリトの現状を、これで良いと思っている。
トワリスは、そう確信した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.254 )
- 日時: 2020/05/20 08:07
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
アーベリトに戻ってきて、まだ数日しか経っていないが、その暖かさに触れれば触れるほど、トワリスの中に、同等の焦燥感も募っていった。
今のアーベリトは、ルーフェンがいることで成り立っている。
政の面で多大な影響を及ぼしているという意味でも、他勢力への抑止力になっているという意味でも、ルーフェンがいるから、アーベリトは無事でいられるのだ。
レーシアス邸に引き取られた子供の頃から、突然王都となったアーベリトの人々が、ルーフェンを頼りにしている場面は、何度も何度も見てきた。
当時は、召喚師だから当てにされているのだとしか思わなかったが、今のトワリスの目に映るのは、サミルとルーフェンという、たった二本の軸でかろうじて支えられた、危うい王都の姿であった。
あと十年以内に、アーベリトは王位を返還するわけだから、その期間だけならば、自分が表立って守ればいいと、ルーフェンはそう考えているのだろうか。
あるいはただ、王都になったからといって、アーベリトに殺伐とした内情を抱えさせたくないという、その一心なのかもしれない。
どちらにせよ、この召喚師ありきの生温い現状を、トワリスは、良しとは思えなかった。
不服そうに沈黙してしまったトワリスを見て、ルーフェンは、少し困ったように眉を下げた。
それから、小さく吐息をつくと、打って変わった、飄々とした声で告げた。
「でも、トワリスちゃんがこうやって、一緒に対策を考えてくれるのは有り難いよ。ほら、召喚師って、魔導師団の総括者みたいな扱いされてるけど、俺は現状シュベルテから離れてるし、運営は向こうに任せっきりだからね。やってることと言えば、報告書読んでるくらいだし、シュベルテで実際に警備体制とか見てきたトワリスちゃんが、色々指摘してくれるのは助かるかな」
彼がどこまで見通しているのかは分からなかったが、その言葉はまるで、トワリスの心情を察したかのようであった。
ルーフェンが席を立って、再度、アーベリトの地図を指し示す。
「ちょうど良い機会だから、他に警備を配置した方が良い場所を、俺の代わりに、トワリスちゃんが目星つけてきてよ。市門だけっていうのは、確かに心許ないなって前々から思ってたんだよね。巡回経路も、君の意見が入ったら、穴が見つかるかもしれないし、城下を巡って、他にも気づいたことがあったら教えて。そのついでに、ハインツくんを連れて、ラッカさんたちの手伝いに行っても良いし。さっき予定は決まってないって言ったけど、擁壁付近も、使い道があるなら使いたいから。ね?」
「…………」
にこりと笑って、ルーフェンがトワリスを見る。
トワリスも、その顔を見つめ返したが、その綺麗な笑みからは、ルーフェンの考えは読み取れなかった。
アーベリトの地図を一瞥してから、トワリスは、ぽつりと尋ねた。
「……私がそれをしたら、召喚師様、本当に助かりますか?」
ルーフェンが、わずかに目を丸くする。
少しの間、二人で見つめ合ってから、ルーフェンは微かに目元を緩めると、頷いた。
「もちろん。最近、城館に籠りきりになったり、よそに呼ばれたりして、アーベリトの街中を見られる機会も減ってきたからさ。それもあって、トワリスちゃんをハーフェルンから呼んだし、俺の代わりに、君が動いてくれると、すごく助かるよ」
「…………」
まるで、トワリスの望みを、そのまま形にしたような言葉。
トワリスは、一瞬迷ったように視線を動かしたあと、「分かりました」と、一言だけ返事をした。
目の前に立ちはだかる、優しくて綺麗な壁に邪魔をされて、ルーフェンの明確な真意は伺えない。
けれど、これだけは分かった。
おそらくルーフェンは、誰の助けも必要としていないのだろう。
(……悔しい)
そんな思いが、ふつふつと、胸の奥に沸き上がってくる。
きっと彼にとっては、アーベリトにいる全ての人間が守るべきもので、口では助かるなんて言っていても、心の底では、トワリスのことを当てになる存在だなんて思っていない。
ルーフェンの下にさえつければ、何かしら役に立てると考えていたが、きっと、そんなのはただの思い上がりだったのだ。
もっと頼ってほしいと、自信を持って言えないことが、とても悔しかった。
今のトワリスでは、何もかもが及ばない。
召喚師ありきのアーベリトの現状を憂いているが、ではトワリスが代わりに王都を背負って立てるのかと尋ねられれば、答えは否である。
(……もっと、強くならなきゃ)
トワリスは、ルーフェンに礼をして退室すると、階下へと繋がる長廊下を歩きながら、腰の双剣を強く握ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.255 )
- 日時: 2020/05/21 19:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……で、なんでリリアナがいるわけ?」
低い声で尋ねると、トワリスは、出支度を整えたリリアナとカイルを睥睨した。
といっても、カイルに関しては、リリアナに無理矢理付き合わされているだけのようだ。
既に姉と揉めたのか、ほとほと疲れはてた顔つきで、石畳に転がる小石を蹴り飛ばしている。
今朝、朝食を一緒にとっていた際に、うっかりトワリスが、ハインツと共に城下視察に行くのだと口を滑らせると、リリアナが、一緒に行くと騒ぎだした。
もちろん、遊びじゃないからと断って、ちょっとした口論の末に、リリアナは家に残ったはずだった。
しかし、視察の準備をしてハインツと共に城館を出ると、なんとその門前で、リリアナとカイルが待ち構えていたのである。
今日行う城下の視察は、アーベリトに来てから、初めて任された外回りの仕事であった。
目的は、先日ルーフェンに頼まれた通り、市街地の警備配置場所の再検討と、ラッカたち大工衆の作業現場の訪問である。
それほど重要性の高い任務ではないものの、この五年間で身につけてきた力をルーフェンに見せつける時だと、朝から意気込んでいたのだが、その矢先にこれだ。
ため息が止まらないトワリスをよそに、リリアナは、満面の笑みで伸びをした。
「うーん、最近寒かったけど、今日は暖かくて、とっても良い天気だわ! 絶好のおでかけ日和ね!」
眩しそうに手を翳しながら、リリアナは、晴れた初冬の青空を仰ぐ。
柔らかな毛織りの上着に身を包んで、いつもより気合いを入れて洒落こんでいるあたり、ハインツのことを意識しているのが、丸分かりである。
一方、当のハインツは、相も変わらずトワリスの後ろで縮こまっていたが、以前と違うのは、リリアナに対し、明らかに怯えの色を見せるようになったことだった。
リリアナが弁当を持って突撃してきたあの事件以来、ハインツは、目に見えて彼女を避けるようになった。
無理もないことだと思うし、ハインツに非はないのだが、いかんせん彼は気弱で、拒否らしい拒否が出来ないので、リリアナの求愛は日々激化していくばかりである。
トワリスは、太陽に向けて翳されたリリアナの手を、勢いよく叩き落とした。
「言っておくけど、連れていかないよ。朝も断っただろ。これはお散歩じゃなくて、仕事なんだから」
きっぱりとそう告げて、リリアナに背を向ける。
そのまま大通りの方へと歩いていこうとすると、リリアナが声をあげた。
「待って待って! あのね、お散歩じゃないの。トワリスならそう言うと思って、私達も配達のお仕事を受けてきたのよ! ほら、ラッカさんたち、うちの常連さんでしょう? だから、マルシェ家お手製のお弁当を届けてあげようと思って」
「配達、って……」
まさかハインツと同行したいがために、そこまでしてきたのかと、呆れを通り越して感心する。
しかし、ここで引いてはならないと、表情を引き締めると、トワリスは振り返った。
「だったら、別行動ね。私達、大工衆の手伝いに行くのが本来の目的じゃないし、とにかく、着いてくるのは駄目だから」
「えぇ、どうして? もちろん、トワリスとハインツくんのお弁当も作ってきたのよ。忙しいって言っても、お昼ご飯を食べる時間くらいはあるでしょう? 一緒に食べましょうよ」
「駄目。第一、お店の方は大丈夫なの? ロクベルさん、一人になっちゃうじゃない」
「それなら大丈夫よ。おばさんも、事情を説明したら『将来の旦那さんのためなら仕方がないわね!』って、応援してくれたもの」
(ロクベルさん……)
意気揚々と後押しする店主の笑顔が容易に想像できて、トワリスは、ずきずきと痛み始めたこめかみを擦った。
そういえばロクベルは、リリアナとよく似た感性の持ち主であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.256 )
- 日時: 2020/05/23 18:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、堪えきれなくなった様子で、刺々しく言い放った。
「とにかく、駄目なものは駄目。魔導師の仕事には、守秘義務もあるし、場合によっては、危険なことだってあるんだから。言うことを聞いて」
リリアナが、ねだるように小首を傾げる。
「そんなこと言わないで、ね? お願い! 私、ハインツくんがお仕事してるところ、見てみたいのよ。働いてる男の人って、かっこいいじゃない? この気持ち、トワリスにも分かるでしょう?」
「しつこい! ほら、行くよハインツ!」
強制的に話を中断させ、トワリスは踵を返す。
ハインツは、戸惑ったようにトワリスの後を追ってきたが、このまま道端にリリアナを放置するのは、気が引けたのだろう。
怖々としながらも、横目にちらちらとリリアナの方を見ている。
一部始終を黙って見ていたカイルは、遠ざかっていくトワリスたちを一瞥すると、リリアナの車椅子の握りを取った。
「姉さん、帰るよ。だから言ったじゃないか、きっとトワリスは頷かないよって」
「…………」
冷たい態度で諭しながら、カイルは、車椅子の向きを帰路へと変えた。
店で再会したときは素性を怪しまれたものの、カイルとトワリスは、既に互いの良き理解者となっていた。
トワリスがリリアナたちと再び住み始めて、まだ日は浅いが、マルシェ家で一番のしっかり者がカイルだということは、同居一日目で確信していたし、カイルもまた、興奮すると手のつけられない叔母と姉の制御役として、トワリスを認めてくれているらしい。
年齢も性別も違う二人であったが、カイルとトワリスの間には、なんとも言えぬ絆と信頼感が形成されていたのだった。
カイルがついているならば、帰り道も心配ないだろう。
そう思って、トワリスが歩く速度をあげようとした──その時だった。
「うわぁぁあんっ! トワリスのばかばかっ! いけず! けち! 頑張ってお弁当作ったにぃいいっ!」
突然、離れていても耳に突き刺さるような、リリアナの泣き声が響き渡った。
傍らにいたハインツが、びくりと肩を震わせる。
まさか往来で号泣されるとは思わなかったのか、これには、冷静沈着なカイルも焦っている様子だ。
城館前とはいえ、決して人通りが少ないわけではないので、視線を気にしながら、早く泣き止むようにと姉に言い聞かせている。
一瞬、立ち止まろうとしたトワリスは、しかし、振り返らずに足を速めた。
考えてみれば、一度断ったのに特攻してきたリリアナが悪いし、これ以上付き合ってやる道理はない。
ここで引き返したら、リリアナを甘やかすことにもなるし、押し付ける罪悪感がないわけではないが、ここは姉の扱いに長けたカイルに、後始末を任せるのが得策である。
足早に歩いていくトワリスの側に寄ると、ハインツが、小声で呟いた。
「ト、トワリス……泣いてる、リリアナ……」
どうしよう、どうしようと呟きながら、ハインツは、視線を彷徨わせる。
その弱々しい態度に、トワリスは、微かな苛立ちを覚えた。
勿論、ハインツを責めるのは、門違いだと分かっている。
だが、リリアナがここまで過激な行動に出ている原因は、ハインツにもあるのだ。
彼が、明確な拒絶の意思を見せれば、リリアナだって、多少は自重するはずなのである。多分。
トワリスは、冷たい声で言った。
「いいよ、放っておいて。ここで構ったら、絶対ついてくるから」
「だけど、リリアナ、こっち、見てる……」
「いいから、無視して。早く仕事を終わらせよう」
「で、でも……」
足早に歩くトワリスを追いかけながら、ハインツは、ごにょごにょと口ごもる。
その情けない様に、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、ふと足を止めて振り返ると、トワリスは大声で叫んだ。
「だったら! ハインツが行って慰めてくればいいだろ! そういう曖昧な態度をとるから、リリアナも期待するんだよ! いつまでも私の後ろに隠れてないで、嫌なら嫌ってはっきり言えばいいじゃないか……!」
瞬間、弾かれたように顔をあげると、ハインツは凍りついた。
ややあって、ぷるぷると震え出したかと思うと、見開かれた左目から、大粒の涙が溢れ出す。
鉄仮面の隙間から染み出して、次々と頬を伝う雫を拭いながら、ハインツは、消え入りそうな声で言った。
「……ご、ごめんなさ……っ」
「…………」
遠くから、駄々をこねるリリアナの泣き声が聞こえてくる。
その慟哭が、ハインツのものと合わさって、トワリスの頭の中で、しばらく反響していた。
つかの間、真顔で立ち尽くしたあと、目の前で鼻をすすっている大男を見ると、トワリスは、頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「ああっもう! だからってなんでハインツまで泣くの──っ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.257 )
- 日時: 2020/05/26 18:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
リラの森と言えば、アーベリトの西区に住む子供たちが遊びに入るような浅い森であったが、トワリスは、散策したことが一度もなかった。
移動陣が敷いてあるため、ハーフェルンからアーベリトに来る際に通りはしたが、その時はじっくり見る暇などなかったし、子供の頃も、暮らしていた孤児院が東区に建っていたので、訪れる機会がなかったのだ。
騒々しい中央通りを外れ、閑散とした西区の住宅街を抜けると、古い石畳が割れていったところから、草地が開けている。
リラの森は、その奥に広がっていた。
森と呼ぶには、大した高低差もないので、ルーフェンの言っていた通り、かつては森だった名残があるだけなのかもしれない。
春や夏ならば、木々の葉が青々と繁っているから、まだ賑やかな印象を受けただろう。
だが、冬の気配が濃くなった今は、裸の木が立ち並んでいるだけの、物寂しい雑木林といった感じであった。
ラッカたちから事前に知らされていた情報に従い、森の中へと入っていくと、ほどなくして、切り株の連なる空き地へと出た。
なだらかに盛り上がっている斜面には、木の根が張ってひび割れた石壁が、崩れかけの状態で立っている。
これが、件の擁壁の残骸だろう。
空き地の至るところには、解体済みの石材が高々と空積みされていた。
「ラッカさんたち、いないみたいね。ここで合ってるの?」
先程まで上機嫌に鼻歌を歌っていたリリアナが、トワリスに尋ねた。
勿論、その傍らにはカイルが、トワリスの後ろにはハインツが佇んでいる。
晴れやかな顔つきで周囲を見回すリリアナに対し、男二人の顔つきは、疲れでどんよりと曇っていた。
城館前で大泣きしたリリアナを、不本意ながら、トワリスは同行させることにした。
というよりは、リリアナが公衆の面前で、号泣しながら「トワリスの馬鹿」やら、「トワリスのケチ」やら叫ぶので、連れていく他なかったのである。
最初は、リリアナを放置して逃げようと思っていたが、途中でハインツまで座り込んで泣き出したので、どうしようもなくなった。
ハインツは仕事に同行することになっていたから、置いていくわけにはいかないし、かといって、うずくまるハインツを引きずっていけるほどの馬力はない。
一刻も早く、通行人の好奇の眼差しから逃れるためにも、リリアナを泣き止ませ、ハインツの尻を蹴り飛ばして、カイルと共にその場から去ることしかできなかったのであった。
その後も、何度か追い返そうと試みたが、同行できると知ってからのリリアナが、あまりにも楽しげだったので、だんだん言いづらくなってしまった。
リラの森には、舗装された道が通っているが、市街地に比べれば、やはり平坦とは言えない道のりである。
車椅子のリリアナからすると、決して楽な移動ではなかったはずなのだが、それでも彼女は、ハインツと一緒にいられることがよほど嬉しいのか、終始嬉しそうに歌っていた。
昔から、リリアナには強引なところがあったが、カイルまでげんなりさせるほどの傍若無人な振る舞いを見る限り、今の彼女は、まさに“恋は盲目”状態なのだろう。
周囲を見回して、他に気配がないかを探りながら、トワリスは、リリアナに向き直った。
「集合場所も時間も合ってるはずなんだけど……。作業場って言ったって広そうだし、もしかしたら別の場所で待ってるかもしれないから、ちょっと探してくるよ。リリアナたちは、ここで待ってて」
そう言って、擁壁を越えて行こうとすると、リリアナが、トワリスの手を掴んで引き留めてきた。
「だったら、私も探すわ。手分けした方が、ラッカさんたちも早く見つかるだろうし」
冒険でもしている気分なのか、生き生きした瞳で、リリアナが見上げてくる。
トワリスは、呆れ顔で首を横に振った。
「駄目。カイルとハインツと一緒に待ってて。この辺、足場もあまり良くないし、不用意に動くのは危ないよ。来るときだって、何度か車輪をとられてただろう?」
言葉を詰まらせて、リリアナが俯く。
トワリスと同意見なのか、無言で睨んでくるカイルを一瞥してから、リリアナは口をすぼめた。
「で、でも……私がわがまま言って連れてきてもらったんだから、トワリスにばっかり動いてもらうのは、なんだか申し訳ないわ。道が通ってる場所なら、車椅子でも行けるし……」
「リリアナのわがままで連れてきたんだから、これ以上勝手なことはしないで」
「うっ……はい」
トワリスとカイル、双方から冷たい視線を受けて、流石のリリアナも、大人しく引き下がった。
いつもは、なんだかんだでリリアナの無茶を許してくれるトワリスであったが、今回ばかりは、小言を言ってくるときの目が一切笑っていない。
城館前で号泣して、仕事の邪魔をしてしまったこともあり、相当怒っているのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.258 )
- 日時: 2020/05/28 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、リリアナから少し距離をとった場所に、ひっそりと佇むハインツを見た。
「すぐ戻ってくるから、二人のことよろしくね」
「…………」
一瞬、困惑したように目線を動かしてから、ハインツは小さく頷いた。
子供の遊び場にもなっているような森だが、作業場は一般の立入禁止となっている場所だし、歩けないリリアナと幼いカイルを二人きりにしておくのは、やはり心配である。
それに、もしラッカたちが後から合流してきた場合、この場に誰もいないと、行き違ってしまう。
リリアナと一緒に残していくのは、ハインツが可哀想な気もしたが、いざというときはカイルが間に入ってくれるだろうから、問題はないだろう。
自身の身長ほどある擁壁跡を軽々と飛び越えて、トワリスは、ラッカたちを探しには向かった。
三人取り残されてから、しばらくは、リリアナだけが一方的に話していたが、不意に、カイルは顔をあげると、横目にハインツを見やった。
「……ねえ、魔導師ってさ、やっぱ儲かるの?」
カイルの唐突な質問に、リリアナが目を剥く。
急に話しかけられて驚いたのか、硬直したハインツは、長い沈黙の末に、小さな声で答えた。
「わ、分からない……。俺、正式には、魔導師じゃない……」
「ふーん……」
もじもじと下を向くハインツに、カイルが淡白な声で返事をする。
自分を挟んで、両側に並ぶ二人を交互に見ながら、リリアナは、意外そうに瞬いた。
「カイルからハインツくんに話しかけるなんて、珍しいわね。もしかして、カイルも魔導師になりたいの?」
極端な質問に、カイルは、やれやれと首を振った。
「そんなわけないだろ。ただ、魔導師って稼げるって聞くから、興味本位で聞いてみただけだよ。治安を守るためとはいえ、命を落とすかもしれない職業なんて、俺はまっぴらごめんだね」
「またそういう、失礼なこと言って……」
つんとした態度で、カイルはそっぽを向いてしまう。
リリアナは、慌ててハインツのほうを見上げると、眉を下げて微笑んだ。
「ごめんね! どうか気を悪くしないでね。私もカイルも、魔導師団や自警団の人たちには、すっごく感謝してるのよ! 命をかけて街を守ってくれてる人がいるから、私たちは安心して生活を送れてるんだもの。ハインツくんだって、召喚師様の下について働いてくれているんだから、その一員よ。いつも本当にありがとう」
「…………」
リリアナが下から顔を覗き込むと、ハインツは、逃げるように目をそらした。
変わらず俯いたまま、戸惑ったように唇を動かすだけで、結局何も言わない。
明らかな質問をしたとき以外、ハインツは、基本的に何も答えなかった。
リリアナと話すときに限らず、ハインツは、こうして黙って下を向いているが多い。
大抵の相手が、自分より背が低いからという理由もあるかもしれないが、単純に、誰かと目を合わせて話すのが苦手なようであった。
リリアナは、それでもハインツの視線を追うように顔を覗くと、明るい声で続けた。
「あ、それにね! 私、魔導師団の人達のこと、尊敬もしているの。魔導師団って、強いだけじゃなくて、頭も良くないと入れないでしょう? 魔術が使えるってだけで十分すごいことなのに、その上で沢山練習して、お勉強もしたのよね。きっと魔導師には、努力家がいっぱいいるんだわ。トワリスもね、昔、一緒に暮らしていたことがあったんだけど、とっても頑張ってたのよ。初めて魔術を見せてもらったときは、私も感動しちゃった。木をね、蹴り飛ばして折っちゃったのよ! たったの一蹴りでよ」
話している内に、思い出が蘇ってきたのか、リリアナは、頬を紅潮させて語った。
当時、十二だったトワリスが、歩けないリリアナの脚を治すのだと言って、初めて独学の魔術を見せてくれたのも、今いるリラの森のような、冬の立ち木が並ぶ林の中だった。
いつ話しかけても、仏頂面で本ばかり読んでいたトワリス。
その理由が、魔導師になりたいからというだけでなく、実はリリアナのためでもあったのだと知って、胸がいっぱいになった記憶がある。
結果的に、リリアナが歩けるようになることはなかったが、あんな風に人前で弱音を吐けた相手は、トワリスが初めてであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.259 )
- 日時: 2020/06/27 22:17
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
周囲の木々を見回しながら、リリアナは、興奮した様子で言い募った。
「一蹴りって言ってもね、そんな細い木じゃなかったのよ。……そう! ちょうどあれくらいの木!」
数ある木の中から一本、記憶に近いものに目をつけると、リリアナは、そちらへと車椅子を動かした。
地面が土なので、石畳の上ほど滑らかに移動することはできないが、トワリスやカイルが心配するほど、車輪をとられることはない。
途中、浮き出た木の根に進行を邪魔されて、滑った車椅子が詰まれた石材をかすったが、その頃には、もう目当ての木までたどり着いていた。
心配げなカイルたちを振り返って、木の幹に触れると、リリアナは、上機嫌な顔で言った。
「ほら、見て見て! 子供だった私が両腕を回して、抱え込めるかなーってくらいの木! これをトワリスが、蹴っ飛ばして──」
──その時だった。
ふっと、黒い影が落ちてきて、辺りが暗くなった。
木々のざわめきも、カイルの叫び声も遠のいて、妙にゆったりとした一瞬が、リリアナの全身を包みこむ。
上を向くと、目の前に、巨大な石塊が迫っていた。
解体された擁壁の残骸──木のすぐそばに詰んであった石材が、崩れ落ちてきたのだ。
リリアナは、ぎゅっと目をつぶって、身をすくめるしかなかった。
まず頭から押し潰されていくであろう、その痛みは、しかし、次の瞬間、リリアナの肩に走った。
咄嗟に落石の最中に飛び込んできたハインツが、リリアナの左腕を掴んで、身体ごと後方へ引いたのだ。
車椅子から放り出されたリリアナは、ハインツに投げられるような形で、地面に叩きつけられた。
同時に、落ちてきた石材が車椅子を押し潰す、鈍い音が響く。
一部始終を、凍りついたように見つめていたカイルは、一瞬の静寂の後、顔を真っ青にすると、すかさず倒れているリリアナに駆け寄った。
「姉さん! 姉さん、大丈夫!?」
上半身を支えて、土で汚れたリリアナの頬を、何度か軽く叩く。
リリアナは、意識を失ってはいなかっていなかったが、激痛で返事をするどころではないのか、歯を食いしばって、ぶるぶると震えていた。
リリアナの左腕が、だらりと、不自然に垂れ下がっている。
それを見た瞬間、カイルの頭に、かっと血が昇った。
「お前っ! どんな力で引っ張ったんだよ! リオット族の化物じみた力で投げ飛ばしたら、怪我するに決まってるだろ……!?」
ハインツに対し、力一杯怒鳴り付ける。
ハインツは、びくりと顔を上げると、か細い声を絞り出した。
「……ご、ごめっ、そ、そんな、つもりじゃ……」
聞き取れないような小声で謝りながら、ハインツは、怯えた様子で俯いている。
カイルは、その時になってようやく、立ち尽くすハインツの異様さに気づいた。
立ち位置を考えれば、落石はハインツにも直撃したはずなのに、彼は、肩に軽い擦り傷を負っているだけだったのだ。
詰んであった石材は、バランスを崩した拍子に、雪崩れるようにいくつも落ちてきた。
その衝撃は、ひしゃげて原型を留めないほどに潰されている車椅子を見れば、一目瞭然である。
それなのに、ハインツの身体は、まるで何事もなかったかのようだ。
落下と同時に砕けた石片に囲まれ、平然と立ち尽くしているハインツに、カイルは、恐怖を感じずにはいられなかった。
「……ハインツくん」
不意に、リリアナが唇を動かした。
声は弱々しかったが、汗に濡れたその顔には、薄い笑みが浮かんでいる。
「ハインツくん、私、大丈夫よ。助けてくれて、ありがとう。……カイルも、心配かけてごめんね。私、平気だから……」
「で、でも……」
不安げなカイルの頭を撫で、それから、ハインツの方に右手を伸ばすと、リリアナは言った。
「ハインツくんは、大丈夫? 怪我、してない……?」
「…………」
伸ばされた手に、ハインツが触れることはなかった。
ひどく動揺した様子で、ハインツはリリアナたちの横を通りすぎ、街の方へと走り去ってしまう。
カイルは、咄嗟にハインツの名を呼んだが、彼にその声は届いていないようであった。
リリアナは、浅い呼吸を繰り返しながら、カイルを見た。
「ぅ、ど、どうしよう……大丈夫って言ったけど、だっ、大丈夫じゃ、ないかも……」
「えっ!?」
慌ててカイルが視線を戻すと、リリアナは、真っ赤な顔で震えていた。
話す余裕があるところには安堵したが、やはり、左肩が痛むのだろう。
リリアナは、力の入らない左腕を押さえながら、苦し紛れにうめいた。
「トっ、トワリス、早く戻ってきてぇ……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.260 )
- 日時: 2020/06/02 23:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
「ハインツ……こんなところにいた」
朝から半日かけて探し回ったハインツが、中庭の噴水の影にうずくまっているところを見つけると、トワリスは、やれやれと肩をすくめた。
噴水といっても、来客があった時に稼働させるだけの溜め池みたいなものなので、普段は誰も近寄らない。
道理で、城館中を巡っても見つからないし、目撃者すらいなかったわけだと、トワリスは納得した。
トワリスが、噴水の石囲に寄りかかり、隣に腰を下ろすと、ハインツは、大袈裟なくらいにびくついた。
叱られるとでも思っているのか、膝を抱えて、その巨体を極限まで小さくしている。
トワリスは、ふうと息を吐くと、口を開いた。
「リリアナ、昨日あの後、森を出てすぐの施療院に行って、今は通り沿いの病院に入院してるよ。全治三ヶ月くらいだって」
「さ、さんかげつ……」
「うん。左肩の脱臼と、あと前腕の骨にちょっとひびが入ってたみたい」
「…………」
リリアナの状態を説明すると、ハインツの顔から、目に見えて血の気が引いた。
昨日、倒れたリリアナと半泣きのカイルを連れて、病院に駆け込んだのはトワリスであったが、その時の二人よりも、今のハインツのほうが、よっぽど顔色が悪い。
ハインツは、立てた膝の間に顔を埋めると、こもった声で呟いた。
「……お、お金、とか……働いて、ちゃんと、払うので……。ゆ、許して、ください」
膝を抱えるハインツの手に、ぎゅっと力がこもる。
トワリスは、困ったように眉を下げた。
「お金は私が払ったから、いいよ。ほら私、リリアナの家に居候してるだろう? 家賃なんていらないって言われてたんだけど、やっぱり、何のお礼もなしにご厄介になるのは気が引けてたし、今回の治療費がその代わりってことにしたんだ」
「…………」
「そんなことは気にしなくていいから、あとでリリアナのお見舞いに行こう。城下の視察は、夜にも回せるし、なんなら、私一人だって出来る。ハインツの顔を見たら、リリアナだって元気でるだろうから。ね」
「…………」
ハインツは、しばらくの間、何も言わなかった。
ただひたすら、トワリスの顔を見ようともせずに、怯えた様子で俯いている。
もう一度声をかけようとしたとき、ハインツが、ようやく言葉を発した。
「……元気なんか、出るわけ、ない。もう、俺、関わらない方が、良い。きっと、お、怒ってる……」
リリアナから事情を聞いたとき、かっとなったカイルが、思わず怒鳴ってしまったことも聞いていたから、ハインツが気にしていることは、なんとなく検討がついていた。
案の定ハインツは、その罪悪感から、自分には見舞いに行く資格すらないと思い込んでいるらしい。
トワリスは、小さく首を振った。
「誰も怒ってないよ。今回の件は、リリアナの自業自得みたいな部分もあるし、ハインツは、リリアナを助けてくれたんでしょう。むしろ、感謝してるよ。カイルが色々言っちゃったのも、頭に血が昇って、うっかり口が滑っちゃっただけだと思うんだ。実際、ハインツがいなかったら、リリアナは死んでたかもしれないわけだし」
「…………」
「鬱陶しいと思うこともあるかもしれないけど、リリアナもカイルも、本当に良い子なんだ。だから……その、私も前に、嫌ならはっきり言えって怒鳴っちゃって、ごめん。でも、二人のこと、嫌わないであげて。リリアナも、ハインツに謝りたいって言ってたよ」
微かに、ハインツが顔をあげる。
しかし、すぐにまた顔を膝の間に埋めると、ハインツは、鼻をすすった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.261 )
- 日時: 2020/06/04 20:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: okMbZHAS)
「……嫌われるのは、俺の方。……会ったら、また、痛い思い、させるかも。また……」
ひどく、沈んだ声音であった。
トワリスは、ハインツの意図を図りかねたように、首を傾げた。
「痛い思いって……脱臼のこと? あれは、咄嗟のことで力が入っちゃったんだろうから、仕方ないよ。リリアナは脚が動かない分、腕を引っ張ったら、そこに全体重かかっちゃうからね。勢い良く腕を引かれて投げ飛ばされたら、そりゃあ、方向次第では脱臼くらいするさ。まあ、リリアナって華奢だから、十分痛々しいけど……でも、石に潰されてたことを考えれば、不幸中の幸いだよ」
「でも……骨に、ひびも」
「それは、地面に落ちた時に、打ち所が悪かったんじゃないかな。私も、受け身に失敗して腕折ったことあるし。何にせよ、ハインツはリリアナを助けてくれたんだから、気にすることないよ」
「…………」
ハインツを慰めるためにも、努めて明るい声で言ったが、彼の表情は、暗くなっていくばかりである。
それどころか、背を丸めて震え出すと、ハインツは、ついにぐずぐずと泣き出してしまった。
「違う、違う……多分、俺が、握ったから……」
ひくひくとしゃくりあげながら、ハインツが繰り返す。
トワリスは、わずかに顔をしかめた。
「握ったから……って、それで骨折したってこと? まさか、そんなわけないよ」
「ううん……きっと、そう。弱く、握った、けど……でも、俺、力、強いから」
「強いから、って、そんな大袈裟な……」
半ば呆れたような顔つきで、トワリスがこぼす。
瞬間、ふと、ハインツが拳を振り上げたかと思うと、目の前で、信じられぬことが起きた。
垂直に下ろされたハインツが拳が、噴水の石囲を叩き割ったのだ。
「──……っ」
ハインツが叩きつけた一点から、稲妻の如くひび割れが広がり、分厚い白亜の石囲が、みるみる崩れ落ちていく。
一瞬、腰が抜けたかと思うほどの、重々しい威力であった。
何が起きたのか理解できず、トワリスはつかの間、呆然とした顔で噴水を見ていた。
崩れた石囲の隙間から、じわじわと、溜め水が漏れ出してくる。
その水が、膝を浸した冷たさで、ようやく我に返ると、トワリスは、呼吸を思い出したように、はっと息を吸った。
ハインツは、緩慢な動きで腰をあげると、崩れた石材の表面をなぞるように手を動かして、石囲を修復した。
石や土を扱うことを得意とした、リオット族の地の魔術である。
しかし、そんな魔術よりも、石囲を叩き割ったハインツの腕力の方が、トワリスにとっては、よほど衝撃的であった。
拳を振り上げたあの時、ハインツは、魔力を使ってさえいなかったのだ。
「……分からない、の。違い」
ぽつりと、ハインツが呟く。
「違い……?」と聞き返すと、ハインツが、暗い瞳で、すがるようにトワリスを見た。
「石と、紙と……人の、腕の違い……分からない」
「…………」
ぞっとした。恐怖とも、驚愕とも言えぬ、痺れるような強い感情が、全身を突き抜けていく。
ハインツは、再び地面に座り込むと、頭を抱えるように身を縮めた。
「鉄も、木も、綿も……違いが、分からない。全部、少し掴んだだけで、壊れる……。こんなの、関わっていい、わけがない。きっとまた、怪我、させる。怖がらせて、嫌われて、化物って、言われる……」
「…………」
ハインツのその言葉を聞いて、トワリスは初めて、ルーフェンの発言の意味を理解した。
ルーフェンは、ハインツについて、魔導師の仕事をしていた方が良さそうだと、そう述べていたが、それは魔導師としての素質がどうとか、そんな話ではなかったのだ。
土台、無理なのである。これだけ異様な力を持っている者が、一般人として生きていくことなど──。
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.262 )
- 日時: 2020/06/06 18:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: bOxz4n6K)
なんと声をかけて良いか分からず、トワリスは、しばらく沈黙していた。
ハインツに対し、浅はかな発言を繰り返していたことへの後悔が、どっと押し寄せてくる。
思えばハインツは、会話をしている時でも、相手とやたら距離をとっていることが多かった。
単に人付き合いが苦手だからだと思っていたが、もしかしたら、うっかり触れてしまわないようにという、彼なりの配慮があったのかもしれない。
トワリスは、強張った全身からゆるゆると力を抜くと、躊躇いがちに尋ねた。
「リオット族の人って、皆、そんなに力が強いの……?」
ハインツは、弱々しく首を振った。
「強い、けど……俺、特に、強い。昔は……こんなんじゃ、なかった。でも、大きくなって、どんどん、力、強くなって……」
沈んでいく空気を払うように、トワリスが口を開く。
「でもほら、召喚師様から聞いたんだけど、ハインツって、石細工……だっけ。作るの、好きなんでしょう? ああいう器用さが必要な作業が出来るってことは、練習すれば、力の制御も、できるようになんじゃないかな。私も獣人混じりで、力あるし、脚も速いから、普通の人との感覚の違いで、苦労したことあるんだ。それでも、今は問題なく生活できてるし……。えっと、つまり、何が言いたいかというと──」
「作れない。……石細工も、出来なくなった。途中で、壊す、から……もう、作らない」
「……そ、そうなんだ」
トワリスの捲し立ても虚しく、それっきりハインツが黙ってしまったので、辺りは、重苦しい静寂に包まれた。
日光で落ちた木々の影が、ざわざわと音を立てて、足元で踊っている。
まるで、墓穴を掘ったトワリスのことを、嘲笑っているかのようであった。
トワリスはしばらく、必死になってハインツにかける言葉を探していたが、やがて、諦めたかのように嘆息すると、同様に膝を抱えて、座り直した。
トワリスは、ルーフェンほど言葉が上手くないし、リリアナのように、悩みが吹っ飛ぶような明るい笑みを作れるわけでもない。
どうにか慰めようなんて考えている時点で、その場しのぎの、薄っぺらい言葉しか出てこないに決まっているのだ。
トワリスは、ハインツを横目に見ながら、落ち着いた声で問うた。
「……ハインツは、商会にいる他のリオット族の仲間と、一緒にいようとは思わないの? ハインツほどじゃないにしても、リオット族はみんな頑丈で、力があるんだろう。それに何より、ハインツのことを理解してる。少なくとも、異質扱いされたり、化物呼ばわりされるようなことは、ないんじゃない? ここで魔導師を続けているより、仲間がいるんだったら、その人達と暮らした方が、気持ちは楽だと思うんだけど……」
「…………」
返事を待っていると、涙が収まっていたハインツの目から、再びぽとりと、雫が落ちた。
トワリスから隠れるように背を向け、仮面を取ると、ハインツは、濡れた目元を拭いながら、答えた。
「……どうしても、ルーフェンの、役に、立ちたかった……」
思わぬ返答に、トワリスが瞠目する。
ハインツは、嗚咽混じりに言い募った。
「……昔、約束、した。一緒に、王都に行くって。ルーフェン、約束、覚えてて、すごく、嬉しかった。……俺、臆病、だけど……多分、魔導師とか、向いてない、けど……ルーフェンのためなら、きっと、頑張れる。必要、なら、戦うし、いろんな覚悟、して、ここに、来た」
その言葉を聞いている内に、思いがけず、目頭が熱くなって、トワリスは慌てた。
ハインツの気持ちが、痛いほどに、よく分かった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.263 )
- 日時: 2020/06/09 18:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ハインツは、静かに続けた。
「……だけど、病院、いたとき、医者の、人……怪我、させた。傷つける、つもり、なかったのに……。リオット病、治れば、普通に、なれると思った。皮膚、傷が、目立たなくなって、力も、弱くなって……。でも、駄目だった。弱くなっても、異質なまま。もう、どうすれば、良いのか、分からない……。ルーフェンのため、なら、何でもする。だけど、力も、制御、できない。俺、迷惑しか、かけてない……」
トワリスに背を向けたまま、ハインツは、もどかしそうに頭を掻き毟った。
その拍子に、つけていた仮面が、草の上へと転がり落ちる。
身を縮め、声を押し絞るようにして泣いているハインツが、今は、ひどく弱々しく思えた。
「どうせ、こうなら、リオット病、治すべきじゃ、なかった。そうすれば、見た目、醜いまま、誰も怖がって、近づいて、来なかった……。身体、硬くて、力も、今より、もっと強いまま、ルーフェンの、役に立てた、かも……」
「…………」
治すべきじゃなかったなんて、そんなことはないと、言いたかったが言えなかった。
自分が、もしハインツの立場だったらと考えたら、胸が詰まって、何も言えなくなってしまったのだ。
本物のリオット族を見たのは、ハインツが初めてであったが、リオット病については、トワリスも魔導師になる上で学んだことがあったから、知識としては知っていた。
リオット族はかつて、寄生虫の媒介となる刺し蝿から身を守るために、岩のような硬い皮膚を得た。
その進化の結果であり、また、彼らが短命となってしまった原因こそが、リオット病である。
しかし、ルーフェンにより、刺し蝿のいない中央部にリオット族が召し出されるようになった昨今、彼らには、早死にする理由などないので、基本的には皆、リオット病の治療を受けていた。
それが、商会がルーフェンと取引する上での、絶対条件でもあり、アーベリトにとって必要な金策でもあったからだ。
リオット病の治療には、根本的な遺伝子治療の他に、皮膚移植も行われていた。
リオット病の症状が進んだ皮膚は、岩のように硬く、ひび割れており、また、全身にみみず腫れに似た腫瘤(しゅりょう)が走っていたためだ。
植皮には、症状の進んでいない自分の皮膚を使うので、普通の人間と全く同じ皮膚になることはなかったが、それでも、見た目はかなり改善される。
ただ、目の周り、特に瞼の皮膚は薄く、縫合が難しいため、移植は行わない場合がほとんどであった。
故に、治療を受けているリオット族は、目の周辺に顕著にみみず腫れが残っている。
ハインツが、それを気にして鉄仮面をつけているのだろうというのは、なんとなく勘づいていた。
それだけハインツは、醜い部分が極力人目に触れないようにと、気を遣って隠してきたのだろう。
自分は力が強いから、不用意に人を傷つけないようにと一歩引いて。
けれど、ルーフェンに恩返しをしたいという思いだけは譲れなかったから、色んな気持ちを犠牲にして、ここまで一生懸命走ってきたのだ。
そんな健気で臆病な少年が、醜さと強さを引き換えに、治療を受けるべきではなかったなんて──。
そんな言葉は、即座に否定すべきだと、頭では分かっていた。
しかし、涙ながらにそう告げたハインツの気持ちが、嫌というほど理解できたので、トワリスには、嘘はつけなかった。
ルーフェンの役に立ちたくて、でもそれを叶えられない自分に苛立った経験は、トワリスにだって数えきれぬほどある。
もし、命を縮める代わりに、力を手に入れられるのだとしたら、どうしていただろう。
そんな疑問は、トワリスにとっては、仮定でしかないし、ハインツにとっては、後悔でしかなかったが、それでも、考えずにはいられなかった。
今のトワリスであれば、強くなることを願っていただろうという、確信があったからだ。
ハインツの苦悩は、彼だけのものだ。
生い立ちだって異なるし、完全に理解出来るはずはないが、それでもトワリスは、ハインツの置かれている立場を、他人事とは思えなかった。
ハインツの悔しさが、手に取るように分かるからこそ、尚更、安い労りの言葉など、かけられるはずもない。
しかし、このまま何も言わず、落ち込んでいくハインツを、ただぼうっと見ていることも、トワリスには出来なかった。
トワリスは、ふと立ち上がると、厳しい声で告げた。
「……ハインツ、ちょっと立って」
急にトワリスの雰囲気が変わったので、驚いたのだろう。
慌てて仮面をつけ直し、立ち上がると、ハインツは、トワリスと向かい合った。
その薄茶の瞳を、まっすぐに見つめて、トワリスは言った。
「さっき、力が制御できないって言ってたけど、子供の頃は、石細工だって作れてたわけだろう? だったら、また出来るようになるはずだよ。要は、すっごく細かく手加減が出来るようになればいいわけだ。大丈夫、私も付き合うから、練習しよう。ハインツは魔術だってちゃんと使えるんだから、何年も根気強く続けたら、きっとなんとかなる」
「え……で、でも……」
「でもじゃない。出来ないなら、出来るように頑張るしかないんだから!」
強い口調で言い放つと、ハインツが、びくりと肩を震わせた。
あわあわと唇を動かしながら、周囲に助けを求めるように、視線を彷徨わせている。
トワリスは、ハインツにずいと顔を近づけた。
「覚悟してきたっていうなら、もう走り抜けるしか、私たちには出来ないんだよ。言っておくけど、魔導師は、魔で守り国を導く存在なんだからね。いつまでもうじうじ泣いてるなんて、言語道断。そんなんだからハインツは、見かけ倒しって言われるんだよ」
「い、言われたこと、ない……」
「私は思ってたよ」
「え」
硬直したハインツの手に、トワリスが、そっと両手で触れる。
慌てて距離をとろうとしたハインツの手を、トワリスは、引き留めるように握った。
「まずは、リリアナに会いに行こう。今回の件、ハインツは悪くないけど、怪我をさせたのは事実なんだから、お見舞いには行かないと」
次いで、握る手に力を込める。
不安げに目を伏せたハインツに、微かな笑みを向けると、トワリスは言った。
「これから、一緒に頑張ろう。私も、召喚師様に恩返しがしたくて、魔導師になったんだ。二人で、アーベリトを守って、召喚師様を支えよう」
「……トワリス」
ハインツが、その手を握り返してくることはなかったが、その瞳の奥で揺らいでいたものが、確かに、トワリスを見つめ返した。
ぐっと何かを堪えるように、ハインツが俯く。
ややあって、顔をあげると、ハインツは、深く頷いたのであった。
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.264 )
- 日時: 2020/06/11 19:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスとハインツが病室に入ると、寝台に座っていたリリアナは、晴れやかな笑顔で二人を迎えた。
先程まで話していたのか、壁際の椅子には、仏頂面のカイルが座っている。
負傷したリリアナの左肩と前腕は、分厚く巻かれた包帯で固定されていたが、寝台のすぐそばに新しい車椅子が用意されているところを見ると、もう院内の移動を許されるくらいには回復したらしい。
病院に運び込まれた昨日は、痛みで流石のリリアナも口数が少なくなっていたが、今はすっかり、いつもの元気を取り戻した様子であった。
「二人とも、来てくれたのね! 嬉しいわ。早くこっちに来て、座って」
寝台横に並ぶ椅子を示しながら、リリアナが言う。
トワリスは、見舞いに持ってきた果物をカイルに渡すと、病室を見回しながら、椅子に腰を下ろした。
「個室にしてもらったんだ。良かったね」
「うん! 他に患者さんが来たら、共同部屋に戻るように言われたんだけど、カイルも一緒に寝泊まりしてくれてるし、特別にね。ほら私、車椅子があるから、共同部屋だと狭くって、他の患者さんにも迷惑かけちゃうでしょ」
そう話しながら、リリアナは、未だ扉の近くに佇んでいるハインツの方に、視線を向けた。
自分が寝巻姿であることが、気になるのだろう。
一度座り直してから、リリアナは、ハインツに声をかけた。
「ハインツくんも、近くに来て、お話しましょう。昨日は色々と、ごめんね。石が降ってきたときは死んじゃうかと思ったけど、お陰でもう元気になったわ。本当にありがとう!」
嬉しげな声で言って、リリアナは、頬を綻ばせる。
ハインツは、戸惑った様子でうつむいてから、おずおずと近寄ってくると、ゆっくりと床に膝をついた。
「あ、あの……ほ、本当に、ごめん、なさい」
震える声で謝りながら、ハインツは、床に手をつく。
土下座までしようとするハインツに、リリアナは慌てた。
「え? いや、だから謝らないでいいのよ? 私はハインツくんに、助けられたんだもの!」
「で、でも……怪我、させたのは、俺、だし……」
「そんなこと気にしないで! 私、ハインツくんがいてくれなかったら、死んじゃってたんだから!」
懸命に手を振りながら、リリアナは、なんとかハインツに頭を上げさせる。
おろおろする二人のやり取りを見ながら、トワリスは、苦笑いを浮かべた。
「私も同じこと言って説得したんだけど、ハインツ、朝からずっとこの調子なんだ。どうしても気になるんだって」
「そんな……責任を感じる必要なんてないのに……」
どうすべきかと困った表情で、リリアナが眉を下げる。
それでも、頑なに顔を上げようとしないハインツに、リリアナは、ぴんと右手の人差し指を立てた。
「あっそうだ! じゃあハインツくん、私のお願いを、一つ聞いてくれないかしら? それで今回のことはチャラ! 謝るのはもう無しよ」
その瞬間、横で聞いていたトワリスとカイルの顔が、ぴくりと強張った。
リリアナは、まるで名案だとでも言いたげな顔をしているが、一体何をお願いするつもりなのだろうか。
今までの傍若無人ぶりを見る限り、恋人にしてくれとか、結婚しようとか、そんな無茶も言い出しかねない。
気弱なハインツのことだ。罪悪感から拒否できない可能性もあるし、リリアナのお願い次第では、トワリスとカイルが止めに入る必要があるだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.265 )
- 日時: 2020/06/13 20:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
そんな二人の心中など露知らず、リリアナは、楽しげに思案し出した。
「うふふ、何がいいかなぁ。結局昨日は出来なかったから、お昼ごはんを一緒に食べる、とか。お買い物に行くのもいいわね。それならいっそ、ハインツくんのお休みの日に、二人でお出かけするとか? きゃっ、私ったら大胆すぎるかしら」
リリアナの思考が駄々漏れた呟きに、トワリスとカイルは、ほっと肩を撫で下ろした。
流石のリリアナも、ハインツが断れないのをいいことに、手篭めにしようなどという考えは起こさなかったようだ。
食事を一緒にとったり、出掛けたりするくらいなら、ハインツもそこまで消耗しないだろう。
むしろ、人付き合いの練習になると思えば、ハインツにとっても悪い話ではないかもしれない。
安堵したのもつかの間、あっと声をあげると、リリアナは、ハインツの顔を見つめた。
「その仮面をとって、お顔を見せてもらうっていうのも良いわね。私、ずっと素顔のハインツくんとお話ししてみたかったのよ。どう? 今日だけでもいいから──」
にこやかに話すリリアナの口を、トワリスが、目にも止まらぬ速さでふさいだ。
そのまま彼女の肩を掴み、ぐるりと上体を回して、壁の方を向かせる。
トワリスは、リリアナに顔を近づけると、ハインツに聞こえないよう、小声で囁いた。
「リリアナ、それは……駄目」
「え? どうして?」
きょとんとした顔で、リリアナが問い返す。
ハインツとカイルも、いきなりトワリスがリリアナの話を中断させたので、驚いた様子だ。
大袈裟すぎたかと些か焦りながらも、トワリスは、リリアナに言い聞かせた。
「ど、どうしても何も、人には、触れられたくないこととか……あるだろ」
「触れられたくないって……ハインツくんの、仮面のこと? なに、そんなに隠さなきゃならない、重大な理由があるの?」
一体どんな想像をしているのか、妙にうきうきとした顔で、リリアナが迫ってくる。
トワリスは、たじろぎながらも、察しろと言わんばかりにリリアナを睨んだ。
「重大、というか……私も見たことないから、分かんないけど。……リオット族なんだから、色々あるんだよ」
「色々って、ああ、病気のこと? 私、全然気にしないわよ。それにリオット族の人って、病気はもう治してるんでしょ? ハインツくんも、腕の皮膚とか、私たちとそう変わらないじゃない」
「だから、ハインツはむしろ、それを気にしてるというか……」
「えっどういうこと? ハインツくん、病気を治したこと、後悔してるの?」
「い、いや、あの……」
説明せねば納得してくれなさそうな雰囲気に、トワリスは困り果てた。
ハインツの事情を、腫れ物扱いするつもりはない。
だが、カイルもいるような場で無遠慮に問いただすのは如何なものかと思うし、だからといって、トワリスの口から話すのも違うだよう。
かばってくれたトワリスが、返事に詰まっていることに気づいたらしい。
ハインツが、控えめな声で告げた。
「い、いいよ……別に。そんな、気を、遣ってもらう、ような、話じゃ……。お、俺も、気にして、ないし……」
言いながら、後頭部の留め具を外して、鉄仮面を取る。
顕になったハインツの顔には、トワリスの想像通り、目の周辺にみみず腫れのような腫瘤が幾筋も走っていた。
右目だけ弱視なのか、瞳の色素が薄く、上瞼が腫れて、ほとんど開いていない。
まじまじと見て良いものなのか分からず、トワリスは、一度ハインツと目を合わせてから、躊躇ったように視線を落とした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.266 )
- 日時: 2020/06/16 19:20
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
リリアナは、はっと息を飲むと、頬を紅潮させた。
「わ、わっ、もっと近くで見てもいい? やだ、どうしようトワリス! ドキドキしてきちゃった! 心臓吐いちゃうかも!」
トワリスの肩をばしばしと右手で叩きながら、リリアナは興奮している。
彼女の反応が予想と違ったのか、ハインツは、困惑したようにうつむいた。
「お、俺は……見た目も、こんな、だし。病気、治った、ところで……力、強くて、びっくり、されるし。あまり、近づかない、ほうが……」
たどたどしく言って、リリアナの視線から逃げるように、ハインツは目を伏せる。
リリアナは、ハインツの言葉を、目を丸くして聞いていたが、やがて、ぱちぱちと瞬くと、不思議そうに尋ねた。
「びっくりするのって、そんなに悪いこと?」
率直な口調で言って、リリアナは、首を傾ける。
黙り込んでしまったハインツに、リリアナは、何かを思ったのか。
ふと、表情を緩めると、穏やかな声で言った。
「もし、それでハインツくんが嫌な気分になっちゃってたなら、ごめんなさい。だけど、ハインツくんを見たら、誰でも最初はびっくりしちゃうと思うわ。こんなに大きくて力持ちなんだもの、街中に出たら注目の的よ。ついでに言うと、私、トワリスを見たときだって驚いたわ。獣人の血が混じってる子なんて、初めて見たんだもの。でも、トワリスとハインツくんだって、私を見たとき、ちょっとびっくりしたでしょ? あ、この人、歩けないんだなぁって」
「…………」
トワリスもハインツも、否定はしなかった。
リリアナは、おかしそうに続けた。
「もちろん、それで差別をしようとか、馬鹿にしようとするのは、良くないことだわ。だけど、珍しい特徴を持ってるんだから、びっくりされるのは当然よ。それで悲しくなって、直接否定されたわけでもないのに、下を向いちゃうのは、もったいないことだと思う」
床に膝をついたまま、うつむいているハインツを、リリアナは、じっと見つめた。
「ハインツくんは、いつも下を向いてるのね」
そう言われて、ハインツが、わずかに顔をあげる。
リリアナは、その頬に右手を添えて、目線を合わせると、穏やかに言い募った。
「私ね、前を向いて生きていれば、傷があるかどうかなんて、大した問題じゃないと思うの。一生脚が動かなくても、形として残る傷があっても、そんなの、本人が気にも留めなくなったら、ないのと同じだわ。諦めずに、前を向いて生きていたら、びっくりしてこちらを見る、色んな人と目が合うでしょう? その中には、気にしなくて良い、助けてあげるって言ってくれる暖かい人が、必ずいるわ。そういう人たちと一緒に生きられたら、傷なんて、大した問題にはならないのよ。……ハインツくんは、きっともう出会えているから、あとは前を向くだけね」
リリアナが、ふふっと笑う。
どこか戸惑った表情で見つめ返してくるハインツに、リリアナは問うた。
「ハインツくんは、誰が一番好き?」
「……ルーフェン」
「じゃあ召喚師様は、ハインツくんの病気が治ったって聞いたとき、何か言ってた?」
ハインツは、何度か瞬きをした。
ややあって、当時のことを思い出したのか、ぽつりと答えた。
「良かった、って、言ってた」
「ふふ、そう! じゃあ、治って良かったわね!」
ハインツの目が、微かに見開かれる。
リリアナは、ぱっと笑顔になった。
「大事な人が喜んでくれたなら、それで良いと思わない? 本当に大切な相手は、元気でいてくれるだけで嬉しいって、そう思うじゃない。私はハインツくんのこと、まだ全然知らないし、他に思うところがあるなら、お顔は隠してもいいと思う。でも、傷があるとかないとか、力が強いとか弱いとか、そんなこと気にしてない人が、ハインツのくんの周りには、いっぱいいるはずだわ。そのことを、忘れないでね」
「…………」
ハインツはしばらく、ぼんやりとした顔で黙っていたが、やがて、何かを思い出したような光を瞳に浮かべると、こくりと頷いた。
そんなハインツのことを眺めている内に、トワリスの中に、どこか懐かしいような思いが込み上げてきた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.267 )
- 日時: 2020/06/18 19:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
こういうとき、リリアナを、心の底からすごいと思う。
トワリスも昔から、リリアナに言われて初めて、気づかされることが沢山あった。
彼女の純粋で、無邪気な言葉は、不思議なほどあっさりと、胸の中に落ちてくるのだ。
嬉しそうな笑みを浮かべていたリリアナは、ふと、ハインツの肩に手を置くと、唐突に尋ねた。
「ところで、ハインツくんが召喚師様のことを大好きなのは分かったんだけど……女の子だったら、誰が一番好き?」
「え……」
ハインツが、動揺した様子で身動いだ。
声こそ柔らかいものの、リリアナからは、どことなく威圧的な空気が醸されている。
トワリスとカイルは、同時に呆れ顔になった。
そもそもハインツには、女性の知り合いが少ないのだろう。
ここ何日かの行動を見て、そう判断しているに過ぎないが、それこそトワリスかリリアナか、リオット族の友人くらいしかいないのかもしれない。
ハインツは、答えに困っているようであった。
「お、女の子、だったら……」
ハインツが、まごつきながら視線を彷徨わせる。
やがて、ちらりとトワリスの方を見ると、ハインツは、ぼそぼそと答えた。
「女の、人、だったら……トワリスが、好き」
──刹那、場の空気が、凍りついた。
真顔になったリリアナが、すかさずトワリスの方を見る。
ハインツは、恥ずかしげにうつむくと、もじもじしながら言った。
「一緒に、頑張ろうって、言ってくれて、嬉しかった……」
「…………」
本来であれば、トワリスも心暖かくなる言葉であったが、今は、それどころではなかった。
無表情でこちらを凝視するリリアナに、トワリスが、慌てて首を振る。
「違う。違うから、リリアナ」
トワリスの必死な様子に、リリアナの眉が、ぴくりと動く。
ハインツから離れ、上半身を乗り出してトワリスに近づくと、リリアナは問いかけた。
「一緒に頑張ろうって……な、何を?」
「仕事だよ。仕事を、一緒に頑張ろう、って話。同僚として」
「あっ、そ、そうよね……同僚としてよね。私、トワリスのこと、信じていいのよね……?」
「疑う要素全くなかっただろ……」
始まった女同士の応酬に、何かまずい発言をしてしまっただろうかと、ハインツが震え出す。
三人のやりとりを遠巻きに眺めていたカイルは、ややあって、馬鹿馬鹿しそうに嘆息すると、ふと、ハインツに声をかけた。
「……ねえ、ハインツ」
ハインツが、カイルの方に振り返る。
カイルは、壁際の椅子に腰かけたまま、罰が悪そうに目線をそらすと、ぽつりと呟いた。
「悪かったよ。化け物じみた、とか言って。……姉さんを助けてくれて、ありがとう」
「…………」
驚愕の色を滲ませて、ハインツが瞠目する。
その時、ずっと肩に入っていた力が、ようやく抜けたような気がした。
入院することになったリリアナには、もちろん申し訳ないと思っていたが、今回の件で一番怒っていたのは、弟のカイルだ。
ハインツには、兄弟姉妹はいないが、大事な姉が得体の知れない大男に怪我を負わされたら、怒るのは当然のことだろう。
たとえリリアナが許してくれても、カイルには完全に嫌われてしまうだろうと思っていたので、その彼がお礼を言ってくれたことは、ハインツにとって、心が救われる思いだった。
顔色が良くなったハインツを見て、カイルは、腕組みをした。
「まあ、降ってきた石材がぶち当たっても平然と立っていられるくらいだから、ハインツは簡単には死なないだろうし。正規の魔導師でなくても、長く城館仕えやってれば、報酬はそれなりにもらえるでしょ?」
突然変わった話題についていけず、ハインツが小首を傾げる。
カイルは、ふっと大人びた笑みを浮かべると、言った。
「姉さんのこと、よろしくね」
ハインツの顔が、再び青ざめた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.268 )
- 日時: 2020/06/20 19:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
夕暮れの光はとうに暮れ落ち、空が夜闇にどっぷりと浸かった頃に、トワリスは、ようやく城館へと戻った。
街の住民は既に寝静まり、城館仕えの臣下たちも、夜番の自警団員以外はとっくに下城している。
トワリスは、事情を門衛に話すと、結界を抜けて、城館内へと入った。
ひとまず今夜は荷物だけ置いて、城下視察の報告は明日で良いだろうと思っていたが、二階へ上がると、ルーフェンの執務室に、まだ人の気配があった。
閉まった扉の隙間から、柔らかな光が漏れている。
とはいえ、こんな夜更けに訪ねるのも非礼だろうと、そのまま部屋の前を通りすぎようとすると、ちょうどその時、向こうから、扉が引き開けられた。
「あ……」
扉を開けたのは、ルーフェンであった。
少し驚いた顔で、トワリスのことを見ている。
「まだ帰ってなかったの?」
「あっ、はい。ちょっと色々あって、城下視察を夜に回したら、こんな時間になってしまって……。すみません」
もっと早く終わる予定だったのですが、と付け加えて、謝罪する。
リリアナが怪我をしたことを説明すれば、ルーフェンなら許してくれるだろうが、そもそも彼女の同行を許してしまったことが、トワリスの甘さ故の過失だったのだ。
リリアナの見舞いを終えた後、ハインツは大工衆の手伝いへ、トワリスは視察に向かって、結果的に双方終わらせることができたのだから、わざわざ言い訳をする必要もないだろう。
頭を下げると、ルーフェンは、微苦笑を浮かべた。
「今日までってお願いしてたわけじゃないし、謝る必要はないけど、夜中に外を出歩くのは危ないよ。それに、寒かったでしょう。鼻が真っ赤」
そう指摘されて、トワリスは、隠すように鼻先に手をやった。
冷えきった手指で触れると、顔は仄かに熱を持っているように感じられたが、言われてみると、鼻先には感覚がない。
赤い顔を見られたのかと思うと、急に恥ずかしくなって、トワリスはうつむいた。
「別に、大丈夫ですよ。私だって、夜番で警備に回ることありますし、むしろ危ないことが起きたら、それを解決するのが仕事です。動き回ってたので、寒さも全く気になりませんでした」
ぶっきらぼうに答えると、ルーフェンは、くすくす笑った。
「そう? まあ、それならいいんだけど。あんまり無理すると、また倒れちゃうから、気を付けてね」
言いながら、羽織っていた室内着を脱ぐと、ルーフェンは、それをトワリスの肩にかけた。
事前に問われれば、羽織など必要ないと答えられたが、何の前触れもなく渡されると、わざわざ脱いで突き返すのも躊躇われる。
なんとなく居たたまれなくなって、目線を反らすと、トワリスは、荷袋からアーベリトの市街図を取り出した。
「そ、そんなことより、お時間があるなら、件の報告をさせてください。警備体制を変えるから、なるべく早い方がいいですから」
矢継ぎ早に告げて、話を変えると、ルーフェンに詰め寄る。
ルーフェンは、一瞬困ったように執務室の方を一瞥したが、ややあって頷くと、扉を押し開いた。
「わかった。どうぞ、入って」
促されるまま、執務室へと踏み入れ、来客用の長椅子に腰を下ろす。
暖炉の火影が揺らめく室内は、じんわりと暖かく、仄かに甘酸っぱい香りが漂っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.269 )
- 日時: 2020/06/22 07:43
- 名前: 市丸ギン (ID: st6mEGje)
ふーん面白いじゃん?
応援してっから執筆がんばれよな
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.270 )
- 日時: 2020/06/23 19:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、目の前の机に、飲みかけの果実酒瓶とグラスが置いてあることに気づくと、隣に座ったルーフェンに目をやった。
トワリスが来るまで、この部屋にはルーフェンしかいなかったようだから、彼が飲んでいたに違いない。
話題に困って、勢いで報告を切り出してしまったが、今が真夜中であることを思い出すと、トワリスは、さっと顔色を変えた。
「あの……もしかしなくても、お休みでしたよね? すみません、こんな非常識な時間に押し掛けて。ご迷惑でしたら、宿舎に戻ります」
借りた羽織を脱ぎ、軽く畳んで、ルーフェンに差し出す。
トワリスが、先程酒瓶を見たことに、気づいていたのだろう。
ルーフェンは苦笑いしながら、羽織を受け取った。
「休むって言ったって、考え事してただけだから、気にしなくていいよ。……はい。トワリスちゃんも、飲んでみる? 貰い物の、林檎酒」
からかい口調で提案して、空いたグラスを手渡してくる。
むっとして受け取ると、ルーフェンは、意外そうに瞬いた。
「……なんですか?」
「いや、トワリスちゃんのことだから、仕事中にお酒飲むなんて! って怒るかと予想してたんだけど……。そもそも、酒なんて飲んだことないって言うかと思ってた」
おかしそうに言いながら、ルーフェンは、酒瓶を傾ける。
トワリスは、眉を寄せると、注がれた果実酒を一口飲んで見せた。
「今は本来、仕事の時間じゃないですし、私だって、お酒を飲んだことくらいあります。子供扱いしないでください」
強気な声で言って、どん、とグラスを机に置く。
酒を飲んだことがあると言っても、以前、ハーフェルンにいた頃に、ロゼッタに勧められて舐めたことがある程度である。
しかし、幸いなことに、果実酒は甘くて飲みやすかったので、飲み慣れていないことがばれることはなかった。
可愛げのない態度をとっている自覚はあったし、慳貪(けんどん)な対応をしたいわけでもないが、ルーフェンは何かと、トワリスのことを子供扱いしてくるきらいがある。
昔は兄妹のような関係で暮らしていたので、仕方がないのかもしれないが、十七にもなって蝶よ花よと扱われるのは、トワリスとしては嫌であった。
細かく書き込んだアーベリトの市街図を広げると、トワリスは、口火を切った。
「では、報告は手短に済ませますが、結論から言うと、自警団員の巡回はなくしても良いんじゃないかと思いました」
はっきりとした口調で言って、トワリスは、ルーフェンの反応を伺った。
ここでふざけた態度をとっては、流石に彼女の機嫌を損ねると察したのか、ルーフェンも、市街図へと視線を落とす。
てきぱきとした仕草で、自警団員の巡回経路を示しながら、トワリスは続けた。
「召喚師様が以前仰っていた通り、アーベリトは、シュベルテの保護下に入っていることもあって、位置的には、かなり狙われづらい場所にあります。ただ、だからといって、大して高さもない外郭一枚を当てにして、市門にしか警備を置いていない現状は、あまりにも寡少戦力です。ですから、街中に配置していた自警団員、つまり戦いの心得がある者は、基本的に外郭周辺の守りに回しましょう。その代わり、街中の監視は、物見用の主塔を建てて行うんです」
市街図に三ヶ所、印をつけておいた部分を指すと、トワリスは言い募った。
「アーベリトの場合は、この三ヶ所。ここに主塔を建てて、監視役を一人ずつ置けば、街全体が見渡せます。人数と時間をかけて街中を巡回するより、よっぽど効率的ですし、主塔を連絡用にも活用すれば、有事の際の知らせも届きやすくなるはずです。シュベルテは広いので、城壁内にしか主塔は建てていなかったのですが、アーベリトの面積なら、三ヶ所も建てれば機能としては十分です」
ルーフェンは、机の上で指を動かしながら、計算式を書き出すと、納得したように頷いた。
「確かに、外郭と同じか、それよりも少し高いくらいの主塔を建てれば、街を見渡せる範囲に死角はないね。しかも、監視役というだけなら、自警団員じゃなくても出来る」
「そう、そうなんです!」
まさにそれが言いたかったのだと、トワリスは、身を乗り出して訴えた。
「大工衆の方々に聞いたんですが、ここ数年で、アーベリトには人が多く流れ込んできたでしょう。その影響で、専門職を除き、仕事にあぶれている人も結構いるみたいなんです。そういう人達を監視役として雇っても、物見と連絡に戦闘技術は必要ありませんから、問題はないはずです。今後移動陣を導入するなら、いざという時は、連絡一つで現場に駆けつけられるわけですから、どこに戦力が集中しているかどうかは、さほど重要じゃなくなります。だったら、街中の監視は一般の人達に任せて、戦える人間を城館と外郭周辺に集中させれば、少人数の自警団員でも、ある程度の守りは固められるんじゃないでしょうか」
次いで、書き込んだ別の書類を荷から引っ張り出すと、トワリスは、それをルーフェンに手渡した。
「とはいえ、私の一存で決めるべきことじゃありませんし、いきなり明日から巡回なしっていうわけにもいかないでしょうから、あとのことは、自警団員の方々と話し合って決めるのが良いかと思います。一応、今回は巡回経路の再検討が目的の一つだったので、それについても三案ほどまとめました。お時間のあるときに、目を通して頂ければ幸いです。報告は以上です」
「…………」
ルーフェンはしばらく、考え込むような顔つきで、トワリスに渡された書類を捲っていた。
やがて、一通り読み終わったのか、顔をあげると、トワリスのほうを見た。
「ありがとう、助かったよ。近々、ロンダートさんとも話してみるね。まだアーベリトに戻ってきて間もないのに、大変だったでしょう? 二日でここまでまとめるなんて、流石トワリスちゃんだね」
率直に褒められて、トワリスの内に、嬉しさが込み上げてくる。
思い付きのように城下視察を頼まれたときは、まるで頼りにされていないと感じて、少し不満に思ったものだが、今は、出来ることから精一杯、着実にこなしていくことが大事だろう。
ハインツ同様、役に立たねばと焦ったところで、何かが変わるわけでもないし、そんなことは、ルーフェンだってきっと望んでいない。
考えてみれば、トワリスは今、散々焦がれていたアーベリトに着任していて、ずっと恩返しがしたかったルーフェンから、礼を言われたのだ。
その実感がわいてきただけで、この上なく、幸せな気持ちになれた。
ルーフェンの方に向き直ると、トワリスは、食い気味に言った。
「他にも、私に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね。アーベリトに呼んで良かったって思われるくらい、もっと頑張りますから」
嬉しさを隠しきれぬ様子で、トワリスが頬を緩める。
するとルーフェンが、妙な表情になって、動かなくなった。
返事をするわけでもなく、ただ黙って、じっとトワリスのことを見つめている。
トワリスが、怪訝そうに眉をひそめると、ルーフェンは、ようやく口を開いた。
「……いや、可愛いなぁと思って」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.271 )
- 日時: 2020/06/25 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
しみじみとした声で言われて、今度は、トワリスが硬直する。
我に返ってから、長椅子の端まで身を引くと、ルーフェンが苦笑を浮かべた。
「そんなに警戒しないでよ。褒めただけじゃない。トワリスちゃん、笑うと可愛いねって」
「…………」
まるで挨拶でもするかのような軽さで、ルーフェンが告げてくる。
そういえば、アーベリトに来てからはすっかり忘れていたが、彼はこういう人であった。
そんな笑顔になっていただろうかと、思わず表情を引き締めて、トワリスがルーフェンを睨む。
「そういうことを……誰彼構わず言うのは、良くないと思います」
ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
「誰彼構わずは言ってないよ?」
「どの口が言ってるんですか」
「……妬いてるの?」
「国の象徴とも言える召喚師様が、実はだらしない性格だったと知って、虫酸が走っただけです」
「そっかぁ、残念」
口ではそう言いながらも、大して残念がる様子はなく、ルーフェンは笑っている。
それから、机に置いていた果実酒を一口含むと、ルーフェンは、何事もなかったかのように続けた。
「じゃあ、今後はトワリスちゃんに言うようにするね」
「は!? なんでそうなるんですか!」
かっと頬を染めて、トワリスが声を荒げる。
勢い余って、自分が長椅子から立ち上がっていることに気づくと、トワリスは、慌てて座り直した。
「召喚師様には、婚約者がいるでしょう。冗談でも、そういう浮わついたこと言ってると、いずれ恨みを買いますよ」
刺々しい口調で忠告して、再度ルーフェンを睨む。
ルーフェンは、肩をすくめた。
「婚約者って、ロゼッタちゃんのことでしょう? 前にも言ったけど、彼女とは別に何でもないんだって。こういう立場だと、婚約者の一人や二人いないと、周りにあれこれ言われるからさ。ロゼッタちゃんも、俺と婚約しろってマルカン候に散々言われて、苦労してたみたいだから、いっそ本当に婚約関係を結んだほうが楽かもねって話になって、そういうフリをしてるだけ。あくまで利害の話。貴族同士の間柄なんて、仲良さそうに見えても、大体そんなものだよ」
まるで笑い話でも語るかのように、ルーフェンは、あっけらかんと告げる。
一方でトワリスは、納得がいかないといった様子で、眉を寄せた。
確かに、貴族たちが横行する社交界は、腹の探り合いばかりしている印象があるし、ルーフェンの言っていることも、間違いではないのだろう。
トワリスもハーフェルンで、好意的に見える相手の発言を信じて、実際に痛い目を見た。
しかし、だからといって、人と人との繋がりを、完全に利害の一致でしかないと語るのは、なんだか寂しいことのように感じた。
膝上に置いた自分の手を見つめながら、トワリスは、たどたどしく呟いた。
「……それでも、やっぱり、不誠実なのは良くないと思います。召喚師様にとっては、たかが遊び感覚で、損得の話に過ぎないのかもしません。でも、召喚師様のことを本気で好きな人は、そういう軽い一言にだって、振り回されてしまうと思うので……」
言ってから、顔をあげると、ルーフェンも、驚いたような顔でこちらを見ていた。
ややあって、ぶっと吹き出すと、ルーフェンが笑い始める。
「……なに笑ってるんですか」
「いや、トワリスちゃんの中で、俺ってどれだけの節操無しに仕立て上げられてるのかなと思って」
だってその通りじゃないか、と目で訴えると、ルーフェンの顔が、一層笑いを噛み殺したように歪む。
一応、トワリスは真剣なのだから、笑ってはいけないという自制心はあったのだろう。
すぐに笑いをおさめると、ルーフェンは言い募った。
「否定しても信じてくれなさそうだけど、名誉のために一応言っておくよ。俺は別に、誰かを弄ぼうとするほど悪趣味じゃないし、そもそも、召喚師相手に、本気になる子なんていない」
冗談めいた調子で言いながら、ルーフェンは、果実酒を呷る。
軽口とは言え、ルーフェンが卑屈な発言をしたことが意外で、トワリスは、目を丸くした。
「そんなことは、ないと思いますけど……」
考える前に、言葉が口を突いて出る。
特に深い意味はなかったし、反芻してみても、的外れな返答とは思わなかった。
だがそのあと、ルーフェンが急に黙ったので、トワリスも、どうすれば良いのか分からなくなってしまった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.272 )
- 日時: 2020/06/27 22:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ぱちぱちと音を立てて揺れる、暖炉の炎を眺めながら、二人は、しばらく黙り込んでいた。
沈黙の時間が長引くほど、なんだか自分は、とんでもない発言をしたのではないかという気持ちが、トワリスの中に募っていく。
やがて、グラスを机の上に置くと、ルーフェンが唇を開いた。
「……じゃあ、試してみる?」
トワリスが、目を上げて、ルーフェンのほうを見る。
ルーフェンもまた、射るような銀の瞳で、トワリスのことを真っ直ぐ見つめていた。
不意に、ルーフェンが身を起こして、二人の距離が、徐々に縮まる。
ルーフェンは、薄い微笑みを浮かべていたが、それは、いつもの優しい笑みではなかった。
どこか寂しげで、それでいて熱っぽい、色香のある微笑みだ。
肩が触れ合って、はっと身体を強張らせると、トワリスは、焦ったように声を上げた。
「あっ、あの、試すって、なにを」
甘ったるい林檎の香りに混じって、柔らかな香油の匂いが、鼻先を掠める。
ルーフェンが羽織を貸してくれた時に感じたのと、同じ匂いであった。
ルーフェンは、微かに目を細めた。
「じゃあ、まず……俺のこと、昔みたいに、また名前で呼んでよ」
「な、なまえ?」
動揺の余り、聞き返した声が裏返る。
ルーフェンから離れるべく、後ろに下がろうとしたが、元々トワリスは、長椅子の端に詰めていたので、背後の手すりが邪魔で動けない。
トワリスは、ぶんぶんと首を振った。
「む、無理ですよ。出来ないです」
「……どうして?」
「いや、だって、……召喚師様は、召喚師様じゃないですか。そんな子供の時みたいに、礼儀知らずな真似、絶対にできません!」
力一杯否定して、身をよじる。
するとルーフェンは、逃げ道を塞ぐように、長椅子に手をついた。
「だったら俺も、トワリスちゃんの呼び方変えるよ。それなら、おあいこだからいいでしょう?」
「は、はい? 何がいいのか、さっぱり──」
「そうだなぁ……あだ名ってことで、トワちゃん、とか、どう? 他にそう呼んでる人、いる?」
言いながら、ルーフェンは、トワリスにのしかかるように、ゆっくりと距離を詰めてくる。
もはや、腕を回せば抱き締められるような至近距離に、トワリスの心臓が、いよいよ早鐘を打ち始めた。
ルーフェンが、そっと耳元で囁く。
「トワ……ね、お願い」
耳元に吐息がかかって、呼吸が止まりそうになった。
激しく脈打つ鼓動で、心臓が潰れてしまいそうだ。
必死に首を振りながら、肩を押し返すと、ルーフェンは、案外すんなりと離れた。
しかし、安堵する間もなく、今度はルーフェンの左手が、彼を押し返したトワリスの右手を掴む。
掴む、というよりは、触れるという表現の方が合っているだろう。
ルーフェンは、トワリスの手を肩から外すと、指の腹で、彼女の手の甲をすっとなぞった。
ルーフェンが、困ったように笑って、問いかけてくる。
「……そんな顔しないで。こういうのは、嫌だった?」
顔を隠すように背けて、トワリスは、ぎゅっと目を瞑った。
とてもではないが、返事をするどころではない。
そもそもルーフェンは、何故そこまでして、名前で呼ばれたがっているのだろう。
役職名で呼ばれるより、名前で呼ばれた方が、親しみがあるからだろうか。
確かに、リリアナやカイルが、トワリスのことを『魔導師様』と呼ぶようになったら、寂しい気持ちになる気がする。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.273 )
- 日時: 2020/06/29 18:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ZFLyzH3q)
混乱と羞恥で、すっかり沸騰しきった思考を巡らせている内にも、ルーフェンの細い指が、トワリスの指を絡めとるように触れてきた。
男にしては細いが、トワリスよりは大きくて、筋ばった手だ。
いよいよ限界になって、トワリスは、か細い声を絞り出した。
「わっ……わかりました、から……手、離してください………」
目を瞑ったまま、声を詰まらせながら続ける。
「ルーフェン、さんって、さん付けですよ。あと、二人の時だけです。立場が、あるので、普段は、召喚師様って呼びます……」
「…………」
折角こちらが折れたのに、ルーフェンは、手を離してくれなかった。
さっきは抵抗したら、あっさり離れてくれたのに、今度は、離れるどころか、逆に手を握る力を、強められたような感覚があった。
「……トワの髪って、近くで見ると、珍しい色だよね。深い赤褐色」
依然として指を絡ませながら、ルーフェンが、唐突に呟く。
恐る恐る目を開けると、ルーフェンの白銀と、視線がかち合った。
「な、な、なんで、いきなり、髪」
「……いきなりじゃないよ。前から思ってた、綺麗な色だなぁって。……伸ばさないの?」
ついに、指を完全に絡めとるように、ルーフェンが手を握った。
ふ、と微笑んで、ルーフェンがもう一度顔を近づけると、トワリスの全身が、びくりと強張る。
頭の中が真っ白で、煮えたぎったように熱くて、もう何も考えられなかった。
不意に、ルーフェンが、ぐ、と握っていた手を引いた。
長椅子の端に追い詰められ、半ば押し倒されるような姿勢になっていたトワリスは、え、と思う間もなく、上体を引き起こされる。
ルーフェンは、起き上がったトワリスから手を離すと、にこりと笑った。
「なーんて、これ以上やったら、流石に嫌われちゃうかな?」
「…………」
一瞬、ルーフェンの発言が理解できず、トワリスは、座ったまま凍りついていた。
だが、一拍遅れて、ようやくからかわれていたことに気づくと、トワリスは、衝動的に拳を握った。
「ふっ、ふざけるのも大概にしてくださいっ!」
突き出した拳が、ルーフェンの鳩尾に入る。
吹っ飛んだルーフェンは、長椅子から転げ落ち、その衝撃で、トワリスも床に尻餅をついた。
ルーフェンが近づいて来ないようにと、トワリスは、両手をぶんぶんと振り回している。
何度か咳き込みながら、身を起こしたルーフェンは、腹を手で押さえながら呻いた。
「いったぁ……そんな、本気で殴ることないじゃん」
「ほっ、本気なわけないじゃないですか! 私が本気出したら、この程度じゃ済まないんですからね! 私にちょっかいかけて遊ぶ元気があるなら、休んでないで仕事でもしてください! ルーフェンさんの馬鹿馬鹿! 変態! 不潔!」
思い付く限りの罵詈雑言を並べ立てながら、トワリスは、腰の双剣にまで手を伸ばした。
うっかり近づいて、間合いに入ろうものなら、切り捨ててやるとでも言いたげである。
ルーフェンは、肩をすくめた。
「そんなに嫌だったなら、最初から殴って止めれば良かったのに。トワならできたでしょ?」
「…………」
ぎろりとルーフェンを睨んで、反論しようと口を開く。
しかし、うまい言葉が見つからず、トワリスは、結局そのまま口を閉じた。
口喧嘩を挑んだところで、ルーフェンのからかいの種になることは、分かりきっていたからだ。
トワリスは、ゆるゆると息を吐き出すと、弱々しく言った。
「嫌、っていうか……私は、冗談とか、笑って受け流すのが苦手なので……。ああいうのは、びっくりするから、やめてほしいです」
ルーフェンが、微かに目を見開く。
一笑されて終わりかと思ったが、意外にもルーフェンは、返事に迷った様子であった。
ルーフェンが、何かを言おうとした時。
不意に、部屋の外から、人の気配が近づいてきた。
二人同時に顔をあげて、思わず、息をひそめる。
単に、夜番の自警団員が、見回りで執務室の近くを訪れただけであったが、なんとなく二人は、気配が通りすぎるまで、じっと押し黙っていた。
やがて、足音が聞こえなくなると、トワリスは、すっと立ち上がった。
「……もう遅いので、宿舎に戻ります」
ルーフェンも立ち上がって、トワリスに向き直る。
「ああ、うん。そうだね。ごめんね、引き留めちゃって」
「……いえ、最初に押し掛けたのは、私なので」
言いながら、長椅子に置いていた荷物をとろうとすると、同じことを考えていたらしいルーフェンと、手がぶつかった。
過剰なまでに反応したトワリスが、びくっと手を引っ込める。
ルーフェンは、驚いたように瞬いてから、トワリスの顔を見て、眉を上げた。
「……大丈夫? 顔、真っ赤だけど。酔っちゃった? それとも、まだ寒い?」
ばっと腕を上げて、トワリスが、顔を隠す。
ルーフェンは、苦笑を深めると、取った荷物をトワリスの手に持たせて、穏やかな声で続けた。
「びっくりさせちゃったのは、俺が悪かったけど、仕事とはいえ、真夜中に男の部屋にきて、あんまりひょいひょいお酒飲まないほうがいいよ。まあ、一口だったけどね」
そう指摘した途端、トワリスの顔が、更に赤みを増す。
トワリスは、突き放すようにルーフェンを振り払った。
「余計なお世話です! 馬鹿!」
それだけ言って、トワリスは、さっさと扉から出ていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.274 )
- 日時: 2020/07/10 00:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
執務室を出ると、長廊下の先を、二人の男が歩いていた。
薄暗いので、顔はよく見えないが、もしかしたら、先程部屋の前を通りすがった二人かもしれない。
目を凝らして見ると、二人の内、一人は自警団員で、もう一人は、魔導師用のローブを身に付けているようであった。
アーベリトには、他にも何人か魔導師がいると聞いていたが、トワリスは未だ、ハインツとしか面識がない。
追いかけてまで挨拶するかどうか迷っていると、先方も、後ろを歩くトワリスの存在に気づいたらしい。
ふと足を止めると、自警団員の方が、手を振って近づいてきた。
「お、どうしたんだ? こんなところで。今日、夜番じゃないだろう」
揚々と声をかけてきたのは、ロンダートであった。
燭台の炎しか光源がない暗がりでも、間近に寄れば、はっきりとその顔が見える。
先程までルーフェンと執務室にいたのだ、とは答えづらくて、トワリスは、別の言い訳を考えていた。
しかし、暗がりから顔を出した、もう一人の男を見た瞬間、言葉を失った。
その魔導師は、覚えのある金髪の青年だったからだ。
「サ、サイさん……?」
「えっ……トワリスさん?」
そろって声を上げ、瞠目する。
ロンダートの傍らにいたのは、トワリスの同期であり、卒業試験を共にした魔導師──サイ・ロザリエス、その人だったのだ。
サイとは、卒業前に禁忌魔術の件で揉み合って以来、一度も会っていない。
あの後トワリスは、すぐにハーフェルンに配属されて、魔導師団の本部を去ったので、彼がどこでどうしているかなど、全く知らなかったのだ。
絶句する二人の顔を交互に見て、ロンダートが、ぽんっと手を打った。
「よく考えたら、そうか! トワリスちゃんとサイくんって、今年魔導師に上がってるから、もしかして同期? なぁんだ、じゃあ紹介するまでもないじゃんか!」
真夜中によく響く声で言って、ロンダートが、二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。
サイは、乱された金髪を直すこともせず、まじまじとトワリスを見つめた。
「お、驚きました……。最近新しく来た魔導師って、トワリスさんのことだったんですね。すごい偶然というか、なんというか……」
サイの瞳に浮かんでいた驚愕の色が、徐々に歓喜のものへと変わっていく。
禁忌魔術の件で言い合いになったことなど、もう忘れてしまったのか。
サイは、純粋にトワリスとの再会を喜んでいるようであった。
一方のトワリスは、動揺の方が大きく、うまく笑みを返せなかった。
今でも、生きる魔導人形──ラフェリオンに魅入られ、取り憑かれたように机にかじりついていたサイの眼差しを思い出すと、寒気が背筋を走る。
サイは、ラフェリオンを追うことは、もう諦めたのだろうか。
気になったが、この場で尋ねて、話を掘り返したくはなかった。
トワリスは、サイの顔を見上げた。
「……私も、驚きました。サイさん、アーベリトに配属されてたんですね。春頃まで勤務地を通達されていなかったようなので、てっきり、シュベルテに残るのかと思ってました」
ひとまず、ラフェリオンの件には触れず、当たり障りのない返事をする。
すると、サイの表情が、突然曇った。
「あ、そ、そうなんです……。すみません。何の知らせも出していなくて……。怒ってますよね……?」
「怒る? なんでですか?」
思わぬ謝罪をされて、トワリスが瞬く。
サイは、申し訳なさそうに俯いた。
「だって、トワリスさん、アーベリトに行くために、とっても努力してたじゃないですか。それなのに、私なんかが配属されてしまって……。言い訳になっちゃうんですけど、王都配属を命じられたとき、私は、トワリスさんを代わりに推薦しようと思ったんですよ。実力があって、アーベリト出身者故に思い入れもある分、私なんかより、絶対トワリスさんのほうが向いてますよって。ただ、その時にはもう、トワリスさんはハーフェルンに配属されていましたし、私も、いざお話を頂いたら、アーベリトに俄然興味が出てきてしまって……。アーベリトは、医療魔術に長けた街ですし、召喚師様もいらっしゃいます。シュベルテでは学べなかった、新しい魔術に出会えるんじゃないか……とか考え始めたら、楽しくなってしまって、気づいたら、辞令を受けていたんです。早急にトワリスさんにお詫びしなければ、という気持ちも勿論あったのですが、アーベリトに異動してすぐは、やはりバタバタしてしまって。完全に知らせを出す時期を失ってしまったんです。本当に、すみません……」
焦った口調で捲し立てながら、サイが、深々と頭を下げる。
トワリスは、そうして平謝りする彼の姿を、つかの間、ぽかんとした顔で眺めていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.275 )
- 日時: 2020/07/02 19:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
確かに、サイがアーベリトに配属されたことは知らなかったが、そのせいで、彼がトワリスに負い目を感じていたなんて、思いも寄らなかった。
むしろトワリスとしては、配属されていたのがサイだと聞いて、納得したくらいである。
サイは、それだけ優秀で、王都に引き抜かれるにふさわしい訓練生だったからだ。
基本的に、才覚が認められた新人魔導師は、シュベルテを中心とした、発展都市に回される傾向にある。
アーベリトは、極力外部から戦力を入れようとはしないので、そもそも新人魔導師を引き入れるのかどうかすら分からなかった。
だが、もし採るのであれば、時の王都としては当然、優秀な人材を採るだろう。
そして、その候補の中に、サイは絶対にいたはずである。
トワリスは、サミルやルーフェンと暮らした経験があるので、“信用できる”という理由から、アーベリトに選ばれる可能性はあった。
しかし、そういった身内贔屓を勘定に入れなければ、やはりサイには敵わない。
彼はそれだけ、トワリスの同期の中で、抜きん出た才能があったのだ。
そう考えれば、サイがアーベリトに配属されたのは、ある意味当然の結果と言えよう。
実力差があることは事実なのだから、羨ましく思うことはあれど、怒ったり、恨んだりする理由は一つもない。
ましてサイは、トワリスにとって、卒業試験を共に乗り越えた仲間だ。
謝ってほしいなどとは、全く思わなかった。
トワリスは、戸惑ったように首を振った。
「や、やめてください。私、全然怒ってないですよ。単純に、実力のあるほうが選ばれた、ってだけの話じゃないですか。私だって、ハーフェルンに配属されたこと、サイさんに伝えてませんでしたし……気にしないでください」
「トワリスさん……」
顔を上げたサイが、すがるような目で見つめてくる。
胸に手を当て、弱々しく息を吐くと、サイは、眉を下げて微笑んだ。
「良かった……それを聞いて、ほっとしました。トワリスさんのことが、ずっと気がかりだったものですから……」
まるで長年の胸のつかえが取れたような、心底安堵した顔で言われて、トワリスは、思わず拍子抜けした。
アーベリトに配属されてからのサイが、ラフェリオンどころか、そんな些細なことをずっと気にしていたのかと思うと、なんだかおかしかった。
訓練生だった頃から思っていたが、サイは、存外控えめな性格をしている。
彼ほどの才能があれば、多少は傲ってもバチは当たらなさそうなものだが、それでもサイは、いつだって謙虚で、自分の能力をひけらかすような真似は決してしなかった。
話を聞いていたロンダートが、サイとトワリスの肩を叩いた。
「なんかよく分かんないけど、折角また会えたんだから、仲良くやっていこうや。こっちとしても、魔導師が味方に付いてくれるのは頼もしいしな! 俺たち自警団もいるし、力を合わせて、アーベリトを守ろうぜ!」
「はい、もちろん」
陽気なロンダートに合わせて、サイが、明るく返事をする。
サイは、トワリスに向き直ると、穏やかな声で言った。
「また一緒に、頑張りましょうね」
一瞬、卒業試験を頑張ろうと言ってくれた時の、サイの顔が脳裏に蘇った。
アレクシアと喧嘩をすれば慰めてくれて、作戦に行き詰まれば助言をしてくれた、あの当時と変わらぬ、優しい笑みであった。
(禁忌魔術のことは、いつまでも気にしてたって、仕方ないよね……?)
そう己に言い聞かせながら、トワリスは、サイの言葉に頷く。
サイは、特に魔術に関して、知識欲が旺盛な人物である。
だから、未知への探求心から、一時的に禁忌魔術に興味を持ってしまっただけだ。
今ならまだ、そう信じていられるような気がしたのであった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.276 )
- 日時: 2020/07/04 20:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: as61U3WB)
†第五章†──淋漓たる終焉
第二話『欺瞞』
「……失礼いたします。ジークハルト・バーンズです」
入室の許可を得ると、ジークハルトは、団長室へと足を踏み入れた。
月明かりさえ射し込まぬ暗い部屋の中で、大きな燭台の明かりだけが、ゆらゆらと光っている。
現宮廷魔導師団長、ヴァレイ・ストンフリーは、ジークハルトを見やると、ここ数年で一気に痩せ衰えた頬を、わずかに緩めた。
「明日も早いというのに、夜更けに呼び立ててすまないな」
「……いいえ。離反者の件でしょう」
平坦な声で返すと、ヴァレイは静かに頷いた。
示された長椅子に腰を下ろし、執務机を挟んで、二人は向かい合う。
ジークハルトは、小指の先程の小さな女神像を三つ、懐から取り出すと、ヴァレイの前に置いた。
「これは……」
「先日、無断退団で処分対象となった魔導師たちから押収したものです。やはり、新興騎士団とイシュカル教会には、何かしら繋がりがあると見て間違いないでしょう」
「…………」
ヴァレイの眉間に、深く皺が寄る。
かつて、優れた結界術の使い手として名を挙げた彼の目は、今やすっかり落ち窪み、憔悴しきっている様子であった。
イシュカル教会とは、創世の時代に大陸を四つに分断し、四種族を隔絶させることで平和をもたらしたとされる女神、イシュカルを信仰する反召喚師派の勢力である。
元は非暴力的な活動を基本とする穏健派で、暴動を起こすような急進派は、鎮圧に時間を要さぬほどの少数であった。
ルーフェンがまだ次期召喚師であった頃に、壊滅させたサンレードも、鎮圧された急進派の一派である。
しかしながら近年、ルーフェンが、アーベリトへと移ってから、イシュカル教会は、シュベルテにおいて着々と力をつけ始めていた。
主に、リオット族の受け入れや、アーベリトへの王位譲渡に反対していた者たちが、召喚師一族や旧王家に対して不信感を募らせ、入信し始めたのである。
敵対する召喚師が、別の街に移ったことを好機とし、イシュカル教会が増長するところまでは、魔導師団側も予測できていた。
だが、予想外だったのは、旧王家に仕えている世俗騎士団までもが、イシュカル教会と繋がりを持っている可能性が、最近になって示唆されるようになったことであった。
しかも、召喚師一族の管轄である魔導師団の中にまで、教会側に寝返る者が現れ始めたのである。
シュベルテでは、非暴力を掲げている限りでは、宗教の自由を認めている。
しかし、騎士や魔導師など、言わば中立の立場で国を守るべき武装集団が、召喚師一族や旧王家に反駁し、反権力的な思想を唱え始めたとあれば、話は別である。
まだ水面下での“疑い”段階に過ぎないが、騎士団が反召喚師派に回り、魔導師団までもが分派を始めれば、シュベルテの軍事体制は崩壊するだろう。
ジークハルトは、淡々と続けた。
「既に、下級魔導師の中にも、団からの離反と新興騎士団への蜂起を呼び掛ける者が出始めています。処分した魔導師たちは、表向き、イシュカル教徒を名乗ってはいませんでしたが、この女神像を所持していたことから、入信者であると判断して間違いないかと。今月で既に、七名が退団しています。我々の目の届かぬところで、大規模な動きが生じているのだとすれば、規律違反を罰しているだけでは、もう抑えきれないでしょう」
「…………」
ヴァレイは、ぼんやりと女神像を見つめて、しばらく押し黙っていた。
だが、やがて、ため息をつくと、低い声で言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.277 )
- 日時: 2020/07/06 18:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……表沙汰となって混乱が生じる前に、対処できれば思っていたが、もう限界だな。陛下と召喚師様にも、ご報告をあげるしかあるまい。イシュカル教の追放令を出したところで、事態は一層波立つだけだ。教会が騎士団をも巻き込んで武力を持ったのだとすれば、今更叩く相手として、あまりにも大きすぎる。軍内勢力が二分し、内乱でも起きたら、シュベルテはもはや、今の姿を保てないだろう」
ヴァレイは、目に苦笑の色を浮かべた。
「皆、すがるものを必要としているのだろうな。数年前までのシュベルテには、常に進取と発展の風が吹いていた。召喚師一族の庇護の下、王都として歩んできた、その誇りと自信。安定した王政と、磐石な軍制……そんなものに囲まれて、これからも、変わらぬ豊かな暮らしを送れると、そう信じて疑わなかった。……それが、今はどうだ。旧王家、カーライル一族は、まるで呪われているかのように次々と不審死を遂げ、王位継承者は、幼いシャルシス様を除いて、全員絶えた。結果的に、成り上がりに過ぎないレーシアス伯に王位が渡り、召喚師様までシュベルテを“棄てた”のだ。召喚師一族が持つような絶大な力は、手元にあれば心強いが、そうでなければ、ただの脅威だ。五百年続いてきた王都の歴史に終止符が打たれ、我々にはもう、何も残っていない。古の時代に平和をもたらした、目に見えぬ神などというものに、皆、すがりたくもなるのだろう。遷都などせずに、シルヴィア様を一時即位させ、シュベンテに王権と召喚師一族を残しておけば、また結果は違ったのやもしれぬが……」
「…………」
黙っているジークハルトに、ヴァレイは問うた。
「お前も、そうは思わないか」
目を伏せると、ジークハルトは答えた。
「当然、違った結果にはなっていたでしょう。しかし、すがる対象が、神像か、召喚師一族かの違いだけです。その良し悪しを考えるのは、意味のないことと存じます」
ヴァレイは、微かに口端を歪めた。
「召喚師一族を、このちっぽけな像と一緒にするとは。なんだ、お前も教会側か」
揶揄するような口調で言って、ヴァレイは、机上の女神像に触れる。
ジークハルトは、ため息をついた。
「……いえ。ただ、何かにすがることで安心しきっているようでは、どの道、この国の支柱は腐り落ちるでしょう。命なき神像に祈って満足しているよりは、確かな力を有する召喚師一族にすがった方が、まだ延命処置としては有効かもしれません。その結果が、五百年。ただ、そのまま依存し続けたところで、最終的な末路は同じと言えましょう。召喚師一族もまた、人間です。頼るものもなく、一方的にすがられるばかりでは、いずれ限界が来る。それが、“今”だという話です」
ヴァレイはつかの間、探るような目つきで、ジークハルトを見つめていた。
しかし、ややあって、指先で弄んでいた女神像を置くと、安堵したように表情を緩めた。
「お前は、昔から変わらないな。だが、その発言は、俺以外の前ではするなよ。場合によっては、侮辱の意味でとられるぞ」
「…………」
黙っていると、ヴァレイは、呆れたように肩をすくめた。
ジークハルトの無愛想さには、もうすっかり慣れきっている様子である。
ヴァレイは、冷静に物事を見通せる、稀有な魔導師の一人だ。
彼は決して、旧王家や召喚師一族に盲信して、国に仕えているわけではない。
魔導師としてどう在るべきなのかを、常に正しく、見据えていられる人物なのだ。
そんな彼が、召喚師一族に傾倒したような発言をするなんて、らしくないと思っていたが、おそらくヴァレイは、ジークハルトの真意を確かめるために、心にもない文言を並べ立てただろう。
旧王家が呪われているだの、シルヴィアを一時即位させていれば事態は好転していただの、全てが間違いだとは言えないが、これらは、民の不安が産み出した極端な被害妄想に過ぎない。
しかし、『召喚師がシュベルテを棄てた』という言葉だけは、ヴァレイが預かり知らぬだけで、事実であるように思えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.278 )
- 日時: 2020/07/08 21:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ジークハルトは、ヴァレイの知らぬルーフェンの横顔を、六年前に見たことがある。
歴史上の召喚師一族は、それこそ神にも等しいような存在として神聖視されてきたが、ジークハルトの見たルーフェンは、自分と然程変わらぬ、ただの少年であった。
時折、同年代とは思えぬ、冷たい顔を見せることもあったが、その一方で、ルーフェンにとっては、ただの一臣下に過ぎないオーラントが片腕を失くした時には、実子のジークハルト以上に取り乱していた。
存外に子供っぽい奴だ、とも思ったし、同時に、不思議な奴だ、とも思った。
誰もが羨む、地位と力を持っていながら、そんなことは、彼にとってはどうでもいいことのようであった。
それどころか、召喚師であることを突きつけられた時のルーフェンは、まるで、自分を取り囲む鉄格子でも見ているかのような目をするのだ。
移籍先が同盟下にあるアーベリトとはいえ、召喚師が去れば、シュベルテが混乱することなど、ルーフェンにも予想がついていたはずだ。
それでも尚、去ったということは、言葉通りルーフェンは、シュベルテを棄てたのだろう。
冷静な者であれば、ルーフェンは、遷都した故にアーベリトに移っただけで、それを棄てられたなどと悲観的にとらえるのは、偏った感情論だと考えるだろう。
だが、それすらも、ルーフェンに対して理想を見出だした、楽観的な感情論なのかもしれないと、ジークハルトは時折思うことがあった。
召喚師一族は、確かに絶対的な力を持っているが、だからといって、気高い国の守護者だと決めつけるのは、何かを崇めたい人々の願望だ。
民が思うほど、召喚師一族は高潔な存在ではないし、教会が思うほど、邪悪な存在でもない。
彼らは、ただの人間だ。
拠り所を失った者たちが、神にすがるようになったのと同じように、ルーフェンもまた、すがれる何かを求めて、アーベリトにたどり着いたのだろう。
ジークハルトには、そんな風に見えていた。
ヴァレイは、椅子の背もたれに身を預けると、口を開いた。
「ジークハルト、お前、宮廷魔導師になって、もう一年経つか。いくつになった」
「……二十一です」
「そうか……若いな」
ぽつりと呟いて、ヴァレイは嘆息する。
ジークハルトが眉を寄せると、ヴァレイは、その表情を見て、小さく笑った。
「そう睨むな、悪かった。別に馬鹿にしたわけじゃない」
次いで、笑みを消すと、ヴァレイは真剣な顔つきになった。
「……お前、宮廷魔導師団を背負う覚悟はあるか」
ジークハルトの目が、微かに見開かれる。
返事を待たずに、ヴァレイは言い募った。
「宮廷魔導師は、言わば国の懐刀だ。君の父上のように、遠征経験を見込まれる場合もあるが、基本的には、旧王家のすぐ側で奉ずることになる。個々の能力も勿論重要だが、何よりも大切なのは、濁らぬ慧眼だ。団を背負うならば、シュベルテという限られた場所においても、常に正しく世の全体像を見ることができねばならない。……お前に、それが出来るか」
「…………」
ジークハルトは、ヴァレイの顔を見つめたまま、しばらく沈黙していた。
その目を見つめ返しながら、ヴァレイは、静かな声で続けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.279 )
- 日時: 2020/07/10 20:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……私には、出来なかったよ。結果が今のシュベルテだ。お前は知らぬだろうが、六年前、前王エルディオ様が崩御なされた時から、既に騎士団では、シャルシス殿下の即位を望む声が上がっていた。表向きの理由は、正統な血筋を持つ者が王位継承にはふさわしい、というものであったが、それだけではないだろう。幼子を王座に座らせることで、その後ろ楯となり、政に介入することが、彼らの真の目的だったに違いない。バジレット様も、当然そのことには気づいておられただろうし、公は、シュベルテがそういった政権争いの渦中に置かれることを、何よりも恐れていたからこそ、遷都の道をお選びになったのだ。私も当時は、どのような方法をとったところで苦肉の策でしかないと、事態を見守っていた。遷都が決まったとき、民たちの不満や騎士団の怒りが、旧王家や召喚師一族に向くことも予想はできていたが、見えていたのはそこまでであった。結果が出てからでは何とでも言えるが、あの時から、騎士団の動向に目を光らせておくべきだったのだろうな。水面下で、大義の一致した騎士団と教会が民を巻き込み、その勢力を伸ばすとは、予想できていなかった。今に至るまで、私は一体何をしていたのだろうと、悔やまれるよ」
ヴァレイは、瞳に苦々しい色を浮かべた。
「騎士団長、レオン・イージウスは狡猾な男だ。野望が打ち砕かれた以上、旧王家に媚びる必要はなくなったし、教会とも結託したというなら尚更、遷都を押し進めた召喚師様のことも恨んでおろう。彼らが今後、どう動くかは分からないが、勢力拡大を成功させた後に、やることといえば一つだ。……何かが起こる前に、イージウス卿は討つべきなのかもしれん」
ジークハルトは、顔をしかめた。
「しかし……教会を支持する民が多いのも、また事実です。イージウス卿を止めるべきだというご意見には同意ですが、相手が民意を盾にすれば──」
「──分かっている。民意に反すれば、悪になるのはこちらだ。だからお前に、宮廷魔導師団を背負う気はあるか、と問うているのだよ。反召喚師派の掃討に躍起になって、魔導師団自体が暴挙に出ては本末転倒だ。……反逆者を名乗るなら、私一人で十分だろう」
「…………」
ジークハルトは、再び口を閉じて、ヴァレイのことをじっと見つめていた。
彼は、魔導師団を去るつもりなのかもしれない。
魔導師団との関係を断ってから、単身で反逆の罪を負ってでも、レオン・イージウスを止めようと考えている。
無謀な策だが、誰かがやらねば、それ以外に方法がないとも思えた。
ヴァレイに、自棄になっている様子は見られない。
徐々に崩壊を始めたシュベルテの未来を見通して、その考えに至るしかなかったのだろう。
ジークハルトは、何かを決意したように、目の光を強めた。
「……もし、本当にそれしか道がないなら、私が団を抜けましょう。ストンフリー団長、貴方は魔導師団に必要です」
ヴァレイは、首を横に振った。
「いいや、今後の魔導師団に必要なのは、私のような老耄した人間ではなく、お前のような若い魔導師だ」
「ですが──」
反論しようとしたジークハルトの言葉を、ヴァレイは手で制した。
それから、息を吐き出すと、ヴァレイは、もう一度首を振った。
「……もう、この話は終わりにしよう。突然、責任を押し付けるような言い方をして、すまなかったな。私もまだ、具体的な策があるわけではないのだ。まあ、今は気負わず、少し考えておいてくれ」
穏やかな口調で言ったヴァレイに、ジークハルトは、無言で抗議をした。
今のヴァレイの言葉は、おそらく嘘だ。
彼の心は、既に定まっているように思えた。
睨むような鋭い視線を投げてくるジークハルトに、ヴァレイは、眉を下げた。
「やはり、今こんな話をするべきではなかったな。明日から、花祭りだ。良くも悪くも、賑やかになるぞ。不遜な輩まで騒ぎ出さぬよう、我々は気を引き締めねばなるまい」
言いながら、立ち上がると、ヴァレイは部屋の窓を押し開けた。
真夜中の涼やかな秋風が、窓からそよそよと吹き込んでくる。
その風に乗って届く、祭典前の空気に酔った喧騒に、ジークハルトは、しばらく耳を傾けていたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.280 )
- 日時: 2020/07/12 21:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HhjtY6GF)
普段は荘厳な空気が漂うシュベルテの街並みも、花祭りが開催される三日間は、華やかな雰囲気に包まれる。
石造の家々には、随所に花飾りが提げられ、大通りでは、色鮮やかな祭衣装に身を包んだ道化師たちが、楽器を吹き鳴らしながら踊っている。
所狭しと建ち並ぶ露店では、振る舞い酒が配られ、あちらこちらから、人々の盛んな呼び込みや笑い声が響いていた。
花祭りとは、その年一年の収穫を感謝し、そして翌年の豊作を願う、サーフェリアの祭りのことである。
元は農村で行われる祭事であったが、無病息災や商売の成功を祈るなど、そういった意味も込められて、シュベルテでは毎年、大々的に祭典が開かれるのだ。
城外の広大な庭園においても、招待された貴族たちが集まり、城下に劣らぬ賑わいを見せていた。
庭園の奥に設置された御立ち台には、シュベルテの現領主バジレットと、今年七歳を迎えた孫、シャルシスが着席しており、その下座には、前召喚師であるシルヴィアを始め、騎士団長や魔導師団長、宮廷仕えの重役や賓客たちが、それぞれの身分に従って、宴卓を取り囲んでいる。
運ばれてくる馳走に舌鼓を打ち、庭園中央に置かれた他街からの贈り物を眺めながら、貴族たちは、談笑を楽しむのであった。
やがて、日が傾き、夕刻の鐘が鳴り響くと、祝宴の場は、打って変わった静けさに包まれた。
席を立ったバジレットが、開式の終わりを告げると共に、シュベルテの永き繁栄を願って、祝詞を読み上げるのである。
本来であれば、召喚師も同席する祈りの儀であったが、病に臥せりがちなバジレットの意向で、昨今は、他街の有権者たちは招かず、祝宴の規模を縮小させている。
故に、遷都してからの花祭りでは、領主バジレットと召喚師代理のシルヴィアで、祈りを捧げることとなっていた。
人々が、バジレットに注目する中で、警備に回る魔導師たちだけは、庭園全体に意識を巡らせていた。
浮かれた雰囲気に飲まれれば、それだけ隙も生まれやすくなる。
要人警護に当たる以上、いかなる状況下でも、凪いだ湖面の如く、感覚を研ぎ澄ませなければならないのだ。
不意に、風が吹いて、庭園を彩る花壇の花弁が、ふわりと舞い上がった。
御立ち台のすぐそばに立っていたジークハルトは、その時、微かに目を細めた。
自分でも、何を感じ取ったのかは分からない。
ただ、得体の知れない何かが、湖面に小さく波紋を起こした気がした。
祝詞を誦するバジレットと、耳を傾ける人々。
吹き上がる風、舞う花弁、揺れる草木。
異変は見当たらないが、突如として沸いた言い知れぬ予感に、ぞわりと鳥肌が立った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.281 )
- 日時: 2020/07/14 19:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ふと、庭園を囲む木々の一本から、小鳥が飛び立つのが見えた。
ジークハルトは、魔槍ルマニールを発現させると、反射的に、バジレットの前に飛び出した。
向かい側から、ヴァレイが駆け寄ってくるのと、大気が唸るように震えたのは、ほとんど同時であった。
「──伏せろ……!」
ヴァレイが結界術を展開し、ジークハルトは、咄嗟にバジレットを抱えこんだ。
瞬間、地の底が抜けるような、凄まじい雷鳴が響いてきたかと思うと、突然、目も開けられぬほどの突風が、四方八方から襲いかかってきた。
自然の風ではない。まるで、意思を持って飛び回る風の刃に、全身を嬲られているようであった。
大地がはがれ、根ごと引き抜かれた木々が、縦横無尽に宙を飛び交う。
背後に聳える城壁は、巨大な獣の爪にえぐられたかのように削れ、飛び散った瓦礫同士は、ぶつかり合い、砕けて、雨のように庭園に降り注いだ。
一瞬の出来事に、誰一人、悲鳴すら上げられなかった。
ジークハルトは、バジレットを抱えたまま、ルマニールを地に突き刺して踏ん張っていたが、途中で、足場ごと強風に飛ばされ、ヴァレイの結界外に弾き出された。
しかし、それがむしろ、幸運であった。
次の瞬間、崩れた城壁が、まるで土砂のように庭園を押し流したからだ。
バジレットをかばいながら、なんとかもう一度ルマニールを地面に突き立てると、ジークハルトの身体は、煽られながらも動きを止めた。
やがて、突風が収まると、ジークハルトは咳き込みながら、気絶したバジレットを支えて、よろよろと立ち上がった。
崩壊した城壁の瓦礫が、杭のように何本もそそり立ち、色とりどりの花が咲き乱れていた庭園は、見る影もなく土砂に埋まっている。
近づいていくと、御立ち台のあった場所だけは、被害が少ないことが分かった。
瞬く間に結界を張った、ヴァレイの一瞬の判断が、シャルシスを守ったのだろう。
七歳の小さな少年が、倒れた椅子にしがみついて、喘鳴しながら泣いている。
そのすぐ近くで、ヴァレイは、瓦礫に上半身を押し潰され、絶命していた。
ジークハルトが側に来ると、シャルシスは、意識を失っているバジレットの身体に、すがるように抱きついた。
シュベルテの領家、カーライル家の二人が、無事に生きていることが、せめてもの救いであった。
改めて周囲を見渡すと、ちらほらと、生き残った者達が、唸りながら地面を這いずっていた。
その大半が、ジークハルト同様、運良く庭園から弾き出されたか、ヴァレイの結界術に守られた者達である。
それでも、この場にいた半数以上が、瓦礫の下敷きになって、誰とも判別がつかぬ状態で死んでいる様子であった。
ジークハルトは、急激な眩暈に襲われて、少しの間、片膝をついてうずくまっていた。
突風に襲われた際に、どこかで頭を打っていたらしい。
こめかみに脈打つような鈍痛が走り、額からは、じわじわと血がにじんでいた。
目を閉じて、浅い呼吸を繰り返していると、不意に、魔導師の一人が、足を引きずりながら近づいてきた。
腹に、折れた木片が突き刺さっている。
シャルシスの側までやって来ると、魔導師は、崩れ落ちるようにその場に手をついた。
「……カーライル公は、気絶しているだけだ」
ジークハルトが言うと、魔導師の顔に、安堵の色が浮かぶ。
ジークハルトは、歯を食いしばって立ち上がると、魔導師を見た。
「お前、まだ動けるか」
「……はい」
弱々しく返事をして、魔導師も、腹を押さえながら立ち上がる。
ジークハルトは、ルマニールを握りこむと、バジレットとシャルシスを目で示した。
「二人をお連れして、この場から逃げろ。城下がどうなっているかも分からん。隠れて、安全が確保できたら、状況を確認しろ」
魔導師は頷くと、バジレットを抱えて、辿々しく歩き出した。
シャルシスも、祖母の袖を握ったまま、魔導師についていく。
三人を見送ると、ジークハルトは、首を巡らせた。
得体の知れぬ攻撃が、まだ終わっていないことは、辺りに満ち始めた奇妙な魔力から、直感的に分かっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.282 )
- 日時: 2021/01/05 17:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ジークハルトは、息を吸った。
「自力で動ける者は、這ってでも逃げろ! 戦える者は、今すぐに立て! 次が来るぞ……!」
叫ぶや否や、感じたこともない邪悪な気配が、足元から立ち上ってきた。
ジークハルトの声に反応した者達が、必死の形相で瓦礫をよじ登り、死体を踏み散らかしながら、わらわらと走り去っていく。
ルマニールを構え直すと、ジークハルトは、目の前を睨み付けた。
生ぬるい風が、背を撫でるように吹いてくる。
ややあって、巨大な影のようなものが、ぼんやりと目の前に現れた。
どこからかやって来たのではない、突然、煙のように、その場に姿を表したのだ。
“それ”は、細長い脚を持った蜘蛛に似ていたが、生物とも形容し難い、不確かなものであった。
濃密な魔力の塊、という表現が、一番適しているだろう。
無数の蝿が集って、何かを象ろうとしているような──見たこともない、奇妙な存在であった。
“それ”の脚が伸びてきた、と思った時には、ジークハルトは、ルマニールを突き出していた。
青光りする鋭利な穂先が、確かな手応えを以て、化け物の脚を切り裂く。
しかし、二分したはずの“それ”は、途端に霧散すると、蝿のように飛び回り、そしてまた集まりながら、今度は鞭のような形状になって、ジークハルトの身体を締め上げようと、勢い良くしなった。
「────っ!」
本能が、“それ”に触れるなと、警鐘を鳴らしていた。
ジークハルトは、咄嗟にルマニールの発現を解くと、屈んで地を蹴った。
ルマニールは、合成魔術によってジークハルトが生み出した、自在な発現、消失が可能な魔槍なのである。
素早く伸びてくる脚をくぐって、距離を詰めたジークハルトは、再びルマニールを手に握ると、片足を軸に、全身を捻って、大きく穂先を振った。
ビュンッ、と弧を描いた斬撃が、そのまま幾重にも巻き上がり、巨大な竜巻となって、“それ”を散らす。
周辺の瓦礫や、倒木までも喰らい、巻き込んだ全てを木端微塵に刻むと、ようやく、竜巻は消え去った。
ジークハルトは、警戒を解くことなく、様子を見ていたが、ふと舌打ちをすると、その場から飛び退いた。
完全に霧散したはずこ“それ”は、しかし、足元に沈殿する魔力の塵となっただけで、生ぬるい風と共に、再集結を始めたからである。
みるみる元の蜘蛛のような形に戻っていく化け物を脇目に、ジークハルトは、必死に辺りの気配を探った。
一体“それ”が何なのか、どんな魔術を使っているのか、検討もつかなかった。
だが、実体のないものには、術式を施せない。
術式の刻印は、魔術の遠隔行使を可能にする、唯一の手段だ。
それが不可能、ということは、この化け物を操る術者が、すぐ近くにいるということであった。
視界の端で、何かが光った。
倒木が重なってできた茂みに、何者かが隠れている。
それが、見慣れぬ顔の魔導師であると気づいたとき、ジークハルトは、身を翻して、一直線にそちらへと駆けた。
男が、茂みから飛び出して、逃げようと踵を返す。
光ったのは、男が腕につけていた腕章であった。
「待て……!」
背を向けた男に声を張り上げ、ルマニールを振りかぶる。
だが、その時、背後まで迫っていた魔力が消えて、ジークハルトは、違和感に振り返った。
先程まで、ジークハルトを狙っていた化け物が、いつの間にか、進行方向を変えていたのだ。
(生存者が残っていたのか……!)
慌てて身を戻そうとして、しかし、無数の脚が伸びた先に立っている人物を見ると、ジークハルトは、はっと目を見張った。
迫る化け物に、怯える様子もなく、一人の女が立っている。
前召喚師、シルヴィア・シェイルハートであった。
「──……」
一瞬、本当に一瞬だけ──。
敵の魔導師を討つことと、シルヴィアの命を、天秤にかけた自分がいた。
この機を見送れば、敵の魔導師は、逃げるか自害するだろう。
そうなれば、この得体の知れない化け物の正体も、この襲撃の真相も、掴めなくなるかもしれない。
シルヴィアは、召喚師ではない。
言ってしまえば、もうこの国には、不要な存在だ。
ジークハルトの父の片腕を奪い、王位継承者を殺害し、シュベルテを貶めた、魔性の女──。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.283 )
- 日時: 2020/07/18 19:04
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「──くそ……っ!」
唸るように叫ぶと、ジークハルトは、魔力を込めて、矢を放つようにルマニールを投げた。
飛来したルマニールから、再度竜巻が起こり、それに巻き込まれるような形で、化け物の身体が再度霧散する。
その衝撃で、宙に投げ出されたシルヴィアの身体を、跳ねあがって受け止めると、二人は、もつれるようにして地面に転がった。
「おい! 意識があるならさっさと逃げろ!」
シルヴィアを抱き起こし、揺らしながら声をかける。
しかし彼女は、先程まで立っていたにも拘わらず、ぴくりとも反応しなかった。
最初に瓦礫が降り注いだ際に、背を打ったのか。
右肩から腰にかけて、べったりと血が付着している。
だが、出血量の割に、傷らしい傷は見当たらない。
それでもシルヴィアは、まるで糸の切れた操り人形の如く、ぐったりとしていて、動かなかった。
シルヴィアを担ごうとしたとき、今まで、脚を伸ばして攻撃していた化け物が、突然、全身をバネのように使って、ジークハルトの方へ突進してきた。
瞬時に地面に刺さっていたルマニールを呼び、化け物を突こうとするも、体勢を整える前に、腕に無数の触手が絡み付いてくる。
触手は、自在に形を変え、やがて人の手の形になると、まるでジークハルトの身体を飲み込もうとするかのように、中心部へと引きずり込んできた。
肉の焼ける、耳障りな音がして、掴まれたジークハルトの右腕から、ぶすぶすの燻るような煙が上がった。
触れられたところから、皮膚が焼け、腐っていく。
そのことに気づいて、力任せに腕を振ろうとしたが、次々と掴みかかってくる黒い手に、身動きが取れなかった。
不意に、耳元で、誰かがジークハルトの名を呼んだ。
横を向いたジークハルトは、その声の主を見て、震撼した。
伸びてきた手の一本が、ヴァレイの顔を象って、話しかけてきたのだ。
『殺せ、殺せ』
蝿に覆われたような顔面で、ヴァレイは、うわ言のように呟く。
気づけば、目の前に、大勢の見知った顔が形を成し、殺せ、殺せと唱えていた。
全員、祝宴の場にいて、命を落としたであろう、貴族や魔導師たちの顔であった。
泡立つような恐怖が、内から這い上がってきた。
苦痛に歪んだ人々の目が、まるで助けを求めるように、じっとこちらを見つめている。
こんなものは幻だと、頭では分かっていたが、抗えぬ力で闇の中に引き込まれ、全身が怯んで、動けなかった。
ついに、抵抗しようという気すら失いかけていた、その時。
背後から、白い手が伸びてきたかと思うと、その手が、ヴァレイの顔面を掴む。
──刹那、ジークハルトの目の前で、凝縮した光弾が破裂した。
「────っ!?」
金を切るような断末魔を上げ、化け物が、ジークハルトから距離をとる。
解放され、地面に叩きつけられたジークハルトは、何事かと顔を上げて、思わず瞠目した。
傍らで、陶器のような白い手を翳したシルヴィアが、ゆらりと立ち上がったからだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.284 )
- 日時: 2020/07/20 19:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
シルヴィアは、横目にジークハルトを一瞥してから、細い指先を二度、三度と、空を切るように動かした。
瞬間、強烈な爆音を伴いながら、実体のない化け物の身体が、光を孕み、立て続けに爆発した。
例の如く、霧散すれば、それを逃がすまいと、シルヴィアが腕を動かす。
すると今度は、飛散していた化け物の身体が、まるで小さな箱の中に押し込められたかのように圧縮され、空中に留まった。
彼女の指先は、大気に漂う魔力の流れを、操っているようであった。
とどめとばかりに、シルヴィアが腕を振り上げると、巨大な火柱が大気を貫いて、化け物を包み込んだ。
直視できないほどの熱線に、ジークハルトは、思わず顔を背ける。
術者が死んだのか、それとも、二度と再生できぬまでに灼き尽くされたのか。
再び目を上げたときには、化け物の姿は、塵すら残さず消えていた。
辺りが静まり返ると、ジークハルトは、点々と転がる人々の死体を見回した。
それから、ゆっくりと、シルヴィアの方へと視線を移した。
シルヴィアは、恍惚とした笑みを浮かべていた。
彼女は普段から、薄い笑みを貼り付けて、人形の如く旧王家の側に控えている印象があったが、今浮かべているのは、そんな笑みとは全く違う。
待ち望んでいたものを、ようやく目の当たりにしたような、満ち足りた笑みであった。
「……あれが何か、知っているのか」
問いかけると、シルヴィアが、ジークハルトの方に振り返った。
銀の瞳の底に、爛々とした光が、輝いている。
皮膚が爛れ、まだぷすぷすと煙を上げている右腕を押さえながら、ジークハルトは、緩慢な動きで立ち上がった。
シルヴィアは、にんまりと唇で弧を描いた。
「……私も、初めて見たわ。悪魔の成り損ない」
「悪魔の、成り損ない……?」
思わず目を見開いて、聞き返す。
シルヴィアの言葉は、信じられぬ一方で、妙に腑に落ちた答えでもあった。
あのような醜悪な化け物を産み出す魔術なんて、召喚師一族が用いる悪魔召喚術以外に、考えられなかったからだ。
ルマニールでの攻撃が一切利かず、ヴァレイの結界術すら物ともしない、あんな化け物は、見たことがなかった。
祭典に備え、この祝宴の場には、宮廷魔導師を始め、幾人もの精鋭魔導師を配置していた。
それにも拘わらず、この有り様である。
自分達が敗北したのは、抗いようのない、召喚師一族絡みの力だったのだと。
そう思って無理矢理納得せねば、気がおかしくなりそうであった。
ジークハルトは、顔をしかめた。
「……お前、また何か企んでいるんじゃないだろうな」
「…………」
笑みを深めただけで、シルヴィアは、何も言わなかった。
しかし、その表情を見ただけで、彼女の仕業ではないということは、なんとなく分かった。
そもそも、今回の襲撃にシルヴィアが関与していたなら、彼女まで襲われて、死にかけた理由が分からない。
それに召喚術は、召喚師にしか使えないはずである。
シルヴィアは、ルーフェンに最も近い存在ではあるが、今はもう、召喚師ではないのだ。
しかし、だからといってルーフェンを疑うのも、筋違いだ。
彼は、シュベルテを良く思ってはいないだろうし、シルヴィアに対して個人的な恨みもあるはずだが、それで襲撃を企てるほど、粗暴で冷静さに欠いた人間ではない。
第一、ルーフェンが召喚術らしき力を使ってシュベルテを襲えば、自分が犯人だと名乗り出ているようなものだ。
考えるならば、召喚師の仕業だと見せかけたい何者か。
もしくは、単純に力を誇示したい何者かの関与を疑うのが妥当だろう。
どちらにせよ、今回の件に、召喚師一族は無関係なように思えた。
ジークハルトは、息を吐き出すと、シルヴィアに向き直った。
「おい、さっき言っていた、悪魔の成り損ないとか言うのは──」
なんだ、と尋ねようとしたとき。
不意に、シルヴィアの身体が、ぐらりと傾いた。
咄嗟に左腕を伸ばして、シルヴィアの肩を支えたが、その瞬間、腕にしびれるような痛みが走って、ジークハルトも、がくりと地に膝をついた。
一人分の体重も支えられぬほど、ジークハルトの身体も、疲弊しきっていたのである。
再び気絶したのか、目を閉じているシルヴィアを横たえると、ジークハルトは、その場に片膝をついたまま、しばらく目眩に耐えていた。
手をついて、何度か立ち上がろうとするも、左腕は細かく震えていて、力が入らない。
右腕に至っては、化け物に触れられた部分から腐敗が進んだのか、全く使い物にならず、少しでも動かすと、崩れ落ちてしまいそうな気がした。
目の前が、徐々に暗くなっていく。
必死に意識を保とうとしたが、身体が、限界を越えていることを訴えていた。
バジレットとシャルシスは、無事に逃げられただろうか。
城下にも襲撃が及んでいるならば、今すぐ増援に向かって、被害状況を確かめなければならない。
崩壊した城壁も、すぐに撤去して、庭園に生存者がいないかどうか、改めて確認する必要がある。
動ける者は既に逃げただろうが、瓦礫の下敷きになって動けない者は、まだ必死に息をしながら、助けを待っているかもしれない。
そうでなくても、早く救いだして弔ってやらねば、浮かばれないだろう。
倒れている暇などない。やるべきことは、沢山あるのだ。
(──……)
どこからか、風に乗って、馬蹄の音が響いてきた。
その音を聞きながら、ジークハルトの意識は、闇の中へと落ちていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.285 )
- 日時: 2021/04/15 12:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)
闇の中から、ゆっくりと意識を浮上させたジークハルトは、聞き覚えのある女の声で、重い目蓋を持ち上げた。
霞む視界の先で、覗き込んでくる夜色の双眸が、やけに鮮やかに見える。
声を出そうとしたが、喉が貼り付くように痛んで、ジークハルトは、大きく咳き込んだ。
蒼目蒼髪の女、アレクシアは、小卓に腰掛け、寝台の上で呻いているジークハルトのことを、しばらくじっと眺めていた。
やがて、手元にあった水筒を持って立ち上がると、アレクシアは、その水をジークハルトに飲ませる──のではなく、頭からぶっかけた。
途端、噎せ返ったジークハルトが、頭を動かして、アレクシアを睨む。
アレクシアは、けらけらと笑いながら、再び小卓に座った。
「虫けらみたいにうぞうぞ動いてるから、まさかと思ったけれど、本当に生きていたのね。ついに死んだかと思ってたわ」
「…………」
一発殴ってやろうかと、上体を起こそうとしたジークハルトであったが、瞬間、胸に鋭い痛みが走って、諦めたように寝台に身を預けた。
処置は既にされていたが、肋骨が何本か折れているのだろう。
呼吸をする度、強ばるような痛みが、身体中を駆け巡った。
「……俺は、どのくらい寝てた」
掠れた声を、ようやく絞り出す。
アレクシアは、すらりと脚を組んだ。
「三日くらいよ。運が良かったわね。貴方の右腕、壊疽しかかってたのよ。昨日まで、切り落とそうかって話も挙がってたんだから」
そう言われて、ふと、右腕に視線を動かす。
右腕は、分厚く包帯で固定されているのか、力を入れようとしても、指一本動かない。
己の全身から漂う、濃い消毒液の匂いに、ジークハルトは、暗澹とした気分になった。
視線を動かせば、見慣れた錦織の壁掛けが目に入る。
どうやら、ジークハルトが寝かされているのは、宮殿内の一室らしい。
他にも、簡易的な寝台に寝かされた男たちが、時折うなされながら、並んで横たわっていた。
ジークハルトは、目を瞑り、アレクシアに尋ねた。
「……公やシャルシス様は、ご無事か。状況は?」
アレクシアは、肩をすくめた。
「無事よ、孫のほうはね。バジレットも、年寄りだからどうなるか分からないけれど、昨日、意識を取り戻したらしいわ」
「……そうか」
ジークハルトが、安堵したように息を吐く。
アレクシアは、細い眉を寄せた。
「祝宴の場で、一体何があったの? 宮廷魔導師団はほぼ壊滅状態、騎士団長レオン・イージウスも、政務次官ガラド・アシュリーも、国内の有力者たちの大半が死んでるわ。出席者の内、生存が確認されているのは、貴方を含めて六人だけよ」
ジークハルトが、大きく目を見開く。
ひどく動揺した様子で、軋む上体を無理に起き上がらせると、ジークハルトは口調を荒げた。
「馬鹿な! 少なくとも、十数名は逃がしたはずだ! 自力で走れる奴だっていたんだぞ。瓦礫の中をよく探せ、まだ生き残っている奴が──」
「うるさいわね、でかい声で騒がないでちょうだい」
寝台から身を乗り出そうとしたジークハルトの顔に、アレクシアが、再び水筒の水をかける。
やれやれと首を振ると、アレクシアは腕を組んだ。
「言ったでしょう、“生存が確認されている”のが六人よ。他にも何人か生き残っているかもしれないし、本当に六人だけかもしれない。今、シュベルテ中が大混乱で、正確な情報なんて何も分からないのよ。開式の儀を狙われたのと同時に、城下も襲撃を受けたの。目撃者は全員、口を揃えて、化物に襲われたって証言しているわ。北区がほぼ壊滅、魔導師団の駐屯地と、公立の大病院もやられたわ。おかげで怪我人があぶれてるから、移動が可能な怪我人は、随時アーベリトに送っているの。貴方みたいに死にかけて、移動すら困難な人間は、城を一部解放して作った、仮設の救護室で治療しているわ。それが、この広間よ」
「…………」
前髪から滴る水滴を払いもせずに、ジークハルトは、呆然と床の一点を見つめていた。
説明を聞いても尚、不可解な点が多すぎて、理解が追い付かなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.286 )
- 日時: 2020/07/25 18:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
城下に現れた“化物”は、おそらく、宮殿の庭園に現れたものと同じだ。
花祭りの最中は、城下の警備体制も、平素より強化している。
そもそも、並の軍が近づいて来るようなことがあれば、襲撃を受ける以前に気づいて迎え討てたであろうが、仮に、千の敵兵が街中に降って湧いたとしても、シュベルテの訓練された魔導師団と騎士団ならば、即座に対応できただろう。
少なくとも、城下の四分の一と有力者たちを、みすみす失うような結果にはならなかったはずだ。
それだけ、シュベルテの軍部は抜きん出て優秀だし、祭典中の警備体制は厳戒だったと、ジークハルトは自負していた。
しかし、攻撃も通らぬ化物が、突如現れたとなれば、話は別である。
あの祝宴の場には、シュベルテでも有数の精鋭魔導師が揃っていたが、それでも、守り通せなかった。
本当に一瞬の出来事で、何か一つでも状況が違えば、ジークハルトも生きて目覚めることができなかったかもしれないのだ。
(死んでいたかもしれない、俺が……?)
ふと、動かぬ右腕を一瞥して、息を飲む。
あの場で瓦礫の下敷きになったり、化物に飲み込まれていれば、死んでいた可能性は十分高かっただろう。
だが、実際はそうならなかった。
ヴァレイとシルヴィアによって、守られたからである。
化物に腕を焼かれ、他にも怪我はしていたが、致命傷を負った感覚はなかった。
しかし、アレクシアの話を聞く限り、重傷者しか運ばれない仮設の救護室で、三日も寝ていたということは、自分は今まで、生死を彷徨うような重体だったのだろう。
そのことが、ジークハルトの中で、妙に引っ掛かった。
自分一人の話ならば、戦いの中で己の状態を見誤ったのだろうと、そう思い直して完結していた。
だが、あの祝宴の場には、他にも軽傷者がいたはずなのだ。
正確な死亡者数が明らかになっていないとはいえ、もし、本当に六人しか生き残らなかったというなら、あの場で逃げた軽傷者たちも、後に死んだということになる。
軽傷に見えたのが、単なる勘違いだったのか。
それとも、あの化物は、外傷を与える以外の力も持っていたのか。
今、改めて考えてみても、あの化物の正体が分からないし、あんなものが存在して良いのかと、思い出すだけで恐怖が込み上がってきた。
ジークハルトは、脱力したように、再び寝台に身を預けた。
「……祝宴で何が起きたのかは、俺もさっぱり分からん。城下の状況と、ほとんど同じだ。化物については、シルヴィア・シェイルハートなら、何か知ってるかもしれんが……」
不意に言葉を切って、ジークハルトは、額に腕を乗せる。
疲労の滲んだ彼の声に、アレクシアも、ため息をついた。
「前召喚師は、今頃アーベリトよ。何か知っているのだとしても、聞き出せるのは先になるでしょうね。彼女はほとんど無傷だったそうだけれど、未だに意識が戻らないみたいだから」
目を細めて、アレクシアは続けた。
「……まずいことになったわね。花祭りの混雑時に、重要施設と要人を狙って襲撃してくるなんて、明らかに計画的な奇襲だわ。しかも相手は、得体の知れない化物なんて、作り話みたいで笑っちゃう。魔導師団と騎士団が受けた被害は甚大、宮廷魔導師団も大半が死んで、実質上の解体。おまけに、とって代わろうとする勢力が、胡散臭い新興騎士団だって言うんだから、カーライル家の年寄りと坊やが生き残ったところで、何の安心材料にもなりゃしないわ。敵の正体が分からない以上、次がないとも限らないし、シュベルテのお先真っ暗ね。折角正規の魔導師に昇格したところだけど、私、魔導師団を抜けようかしら」
ジークハルトは、思わず目をあげて、アレクシアを見た。
「新興騎士団……?」と呟けば、彼の言わんとすることは、アレクシアにも通じたらしい。
アレクシアは、皮肉っぽく笑んだ。
「教会を解放して、施療院を一般利用させたり、この城に仮設の救護室を作って、怪我人の治療を行っているのは、イシュカル教会が発足した新興騎士団の連中なのよ。事態が収まってから、のこのこ軍を率いてやってきたくせに、今じゃシュベルテを救った英雄気取りよ? こんな阿呆らしいことないけれど、彼らの言葉を鵜呑みにする馬鹿の多いこと多いこと。まあ、こうなることは予測できていたけどね。今は、頼れる戦力が他にないんだもの。いつまた襲われるか分からない状況下で、この街を牛耳っていた魔導師団が役に立たないとなれば、胡散臭い宗教団体だろうがなんだろうが、支持せざるを得ないのが人ってものでしょ?」
「…………」
ふと、耳の奥で、馬蹄の音が蘇る。
ジークハルトは、考え込むように眉を寄せると、ぽつりと呟いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.287 )
- 日時: 2020/07/29 16:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……最初から、それが狙いか? 魔導師団を貶め、自分達が台頭するために、襲撃を……」
言いかけて、首を振る。
「いや、だとすればイージウス卿まで殺す必要はなかったはずだ。新興騎士団としての地位を確立させるなら、街を半壊させて不特定多数を狙うより、魔導師団の幹部やカーライル家の人間だけを狙ったほうが確実だ。無駄に被害を拡大させた意味が分からない。あるいは、何らかの方法であのような化物まで差し向け、不安を煽り、後々召喚師一族に罪を被せようとしている……? 力を誇示したいだけならば、直に名乗り出てくるだろうが……」
ぶつぶつと、独り言のように言いながら、ジークハルトは、厳しい表情で宙を睨んでいる。
アレクシアは、片眉をあげた。
「イージウス卿が殺されたからといって、新興騎士団が無関係とは限らないわよ。実権を握っていたのは、おそらく彼ではないもの」
ジークハルトが、怪訝そうに顔を歪めた。
「……どういう意味だ?」
「さあ、捨てられたんじゃない? 今回の黒幕が、本当に新興騎士団ならね」
頭を動かしたジークハルトが、アレクシアを凝視する。
アレクシアは、くすりと笑った。
旧王家によって発足された、レオン・イージウス率いる歴史ある世俗騎士団と、反召喚師派であるイシュカル教会が発足した新興の宗教騎士団は、別物である。
新興騎士団の実体は、未だ掴めていないが、ジークハルトやヴァレイは、両者は水面下で協力関係にあるのだろうと睨んでいた。
世俗騎士団は、次期国王にシャルシスを望んでいたが、バジレットやルーフェンによるアーベリトへの王位譲渡で、その思惑を阻止された。
一方、イシュカル教会は、リオット族の王都入りや遷都の機に高まった、召喚師一族に対する民の反感を利用し、その勢力を徐々に拡大させてきた。
両者の利害は、カーライル家と召喚師一族の没落を目論んでいる、という点で一致している。
故に手を組み、レオン・イージウスが、勢力拡大のため、民間の宗教団体に過ぎなかったイシュカル教会に新興騎士団の発足という手段をとらせたのだと、宮廷魔導師団は睨んでいたのだ。
しかし、アレクシアの言葉をそのまま受け取るならば、新興騎士団には、主犯格の人間が他にいて、レオンが死んだ今は、実質その者が主導権を握っている、ということになる。
脚を組み直して、アレクシアは言った。
「だって、イージウス卿は、貴方やストンフリー卿に睨まれていたわけでしょう? その目をかい潜って、教会と連絡をとり続けるなんて、まず無理な話よ。新興騎士団の発足を促したのはイージウス卿かもしれないけれど、イシュカル教徒をまとめあげている人物は、他にいる……そう考えるのが妥当だわ。でもその人物は、軍部には力が及ばない立場だから、イージウス卿の権力を一時的に借りて、教会、すなわち新興騎士団の地位を確固たるものにするべく、密かに動いていた。そして、今回のシュベルテ襲撃を受け、魔導師団の信用が陥落した今を好機と見て、新興騎士団は見事、シュベルテの軍部の中心的存在になったのよ」
ジークハルトは、周囲の怪我人たちがよく寝入っていることを確認してから、小声で返した。
「……つまり、今回の襲撃は、新興騎士団が支持を勝ち得るために仕組んだことだ、と言いたいのか?」
「さあ? それはどうかしら。はっきりと断言するには、材料が少なすぎるわね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今回の襲撃は、シュベルテの内部勢力とは全く関係のない、第三者によって引き起こされたもので、教会は、それを上手く利用しただけの可能性もあるじゃない?」
あっさりとそう答えたアレクシアに、ジークハルトは、興味を失った様子で嘆息した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.288 )
- 日時: 2020/07/31 10:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
アレクシアは、特殊な透視能力を持っている。
妙に確信めいた口調で、新興騎士団の内情について語るものだから、もしや、襲撃を仕掛けるイシュカル教徒の姿でも視たのかと期待したのだが、どうやら全て、単なる憶測で言っていたらしい。
ジークハルトの心境を察したのか、おかしそうに口端を上げると、アレクシアは告げた。
「襲撃の件はともかく、イージウス卿の意に反して、新興騎士団を動かしている人間がいることは確かよ。教会のネズミ共が足しげく通う先には、いつも同じ人間がいる。……誰だか知りたい?」
不意に、アレクシアが寝台に手をついて、顔を覗き込んでくる。
ジークハルトが先を促すと、アレクシアは、耳元まで唇を寄せ、小さく囁いた。
「……モルティス・リラードよ」
ジークハルトの目に、驚きの色が浮かぶ。
上品に口髭を整えた、小太りの男が脳裏をよぎって、ジークハルトは眉根を寄せた。
モルティス・リラードは、政務次官ガラドに並び、王宮で事務次官を勤めている男だ。
軍部とはほとんど関わりを持たない男なので、ジークハルトも、顔を見たことがある程度である。
上がった意外な名前に、ジークハルトは、間近にいるアレクシアの顔を、睨むように見た。
「……どういうことだ? あの男が、イシュカル教徒の首魁だというのか?」
アレクシアは、肩をすくめた。
「そこまでは分からないわ。私はただ、視ただけだもの。あの豆狸が一体何を考え、教徒たちとこそこそ話しているのか……これ以上は、推測の域を出ないわね」
「…………」
開きかけた口を閉じると、ジークハルトは、考え込むように顔をしかめる。
二人は、微かな燭台の光のもとで、しばらく黙り込んでいた。
やがて、ゆっくりとジークハルトから離れると、アレクシアが、唇を開いた。
「ねえ、私と取引しましょうよ」
突然の提案に、ジークハルトが眉を歪める。
アレクシアは、すっと目を細めた。
「私、新興騎士団に入るわ。最近は魔導師団からも、教会側に寝返る離反者が出てきているのでしょう。その一人になって、内情を探ってくるの。今回の襲撃と教会に、関係があるのかどうか。奴らの狙いが何で、今後どう動くつもりなのか……全て調べて、貴方に教えてあげる。その代わり、私を宮廷魔導師にしてちょうだい」
身構えていたジークハルトは、アレクシアの言葉に、意外そうに瞠目した。
「……お前、出世なんかに興味があったのか」
「当たり前じゃない。魔導師団って、思いの外つまらないんだもの。このまま下っ端魔導師をやって、世のため人のためーとか妄言を吐き散らして死ぬくらいなら、異端者として街中に隠れ住んでいた方が、まだマシだったと思い直していたところだったのよ。……でも、宮廷魔導師になれるなら、大抵のことは思い通りにできる、地位が手に入るものね」
それを聞いて、ジークハルトは、呆れたように息を吐いた。
アレクシアという女から、まともな動機が聞けるとは思っていなかったが、まるで当然のように権力が目当てだと言われると、説教する気にもなれない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.289 )
- 日時: 2020/08/03 20:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
小さく首を振って、ジークハルトは答えた。
「……生憎だが、俺に取引を持ちかけても無駄だぞ。宮廷魔導師になるのは、そんなに簡単なことじゃない。そもそも俺には選択権がないし、仮に俺がお前を推薦しても、公を始めとする重役たちに功績を認められなければ、宮廷魔導師にはなれない」
「──その重役たちが、今回の襲撃であらかた死んだじゃない」
ジークハルトの瞳が、微かに揺れる。
長い蒼髪をかきあげて、アレクシアは、不敵に笑った。
「宮廷魔導師になるのは簡単じゃない……そんなことは分かってるわ。だって、功績を認められたところで、媚びることができない反抗的な犬は、切り捨てられるのが落ちだもの。それが今までの、魔導師団の現実……。都合の悪いことはのうのうと隠蔽し、従順な人間しか認めない、意気地無しの口先集団。けれど、その腐敗した魔導師団は、今や崩壊寸前。……言っている意味が、分かる? 新たに魔導師団を立て直すなら、襲撃を受けた“今”が好機だって言ってるの。……貴方がやるのよ」
アレクシアが、笑みを深める。
ジークハルトは、表情を暗くすると、再度首を振って見せた。
「……俺ではまだ、力不足だ。魔術の腕も、知識も、正しく世を見通せる眼も、俺には備わっていない。魔導師団の建て直しには、勿論尽力するつもりだが、宮廷魔導師団の上に立つには、まだ何もかもが足りない」
そう返すと、アレクシアは、途端に冷めた目付きになった。
「あら、そう。怖じ気づいた言い訳をするなら、もっと可愛げのある弁解を考えれば? 言っておくけれど、私の言う意気地無し集団の中に、貴方も含まれているのよ。偶然父親が元宮廷魔導師で、たまたま不祥事を起こさなかったから、運良く出世できただけ。魔導師団の腐敗を目の当たりにして、『俺が魔導師団を変える』とか大層なことをほざきながら、今まで傍観してたんだもの。貴方が力不足だなんてことは、重々承知してるわ。それでも気概だけはあって、機会を伺ってるんだと思っていたけれど、まさか本当に口先だけだったってわけ?」
「……黙れ」
「ああ、それとも、今回の件で自信を失くしてしまったのかしら。そうよね、大半が死んで、貴方だけ惨めったらしく生き残ったんだものね。祝宴の場には、能無しの魔導師が一体何人いて、何人守れたの? カーライル公が、無事に目を覚ますといいわね。そうすれば貴方は、老いぼれと子供の二人だけは守れた、英雄になれるかもしれないわよ」
「黙れ」
口調を強めると、ようやくアレクシアは黙った。
しかし、彼女の顔には、変わらぬ不敵な笑みが浮かんでいる。
アレクシアを睨むと、ジークハルトは、怒気のこもった声で告げた。
「お前がかつて受けた仕打ちを考えれば、魔導師団を責めたくもなるだろう。腐敗した内部を変える必要があるのも、今回の襲撃で俺がろくに立ち回れず、そのくせ惨めに生き残ったのも、否定しようのない事実だ。……だが、本気で国のために命を張った奴等がいることも、また事実だ。大義に殉じた者を侮辱することは、冗談でも許さん」
低い声音で言いきると、アレクシアは、反省する様子もなく、ふっと鼻を鳴らした。
彼女には、何を言い聞かせたところで、無駄なのだろう。
諦めたようにため息をついてから、ジークハルトは話を戻した。
「……俺はまず、この腕を治さねばならん。俺が戦線に復帰して、魔導師団を建て直すまでの間、新興騎士団が、何の動きも見せないことはないだろう。……情報が必要だ。お前、先程話していたこと、本当にできるのか」
アレクシアの顔を真っ直ぐに見て、問いかける。
アレクシアは、満足げに口角をあげた。
「それって、取引成立ってこと?」
ジークハルトは、平然と返した。
「阿呆、不正なんぞ許すか。……だが、もし本当に新興騎士団の思惑を暴き、間諜としての役目を遂げられたなら、お前は宮廷魔導師になっても不自然じゃない、優秀な魔導師だ」
率直な言葉に、毒気を抜かれた様子で、アレクシアがぱちぱちと瞬く。
ややあって、おかしそうに唇を歪めると、アレクシアは、ジークハルトの顔を覗き込んだ。
「つまりは、成功が絶対条件ってことね。嫌だわ、私は最初からそのつもりだったのに。本当にできるか、なんて、一体誰に聞いてるのよ」
からかい口調で言いながら、アレクシアは、ジークハルトの頬にぶすぶすと人差し指を突き刺す。
ジークハルトが、鬱陶しそうにアレクシアの手を振り払うと、彼女は、くすくすと笑った。
「貴方が見えないなら、私が貴方の目になってあげる。どんなに遠くのものでも、包み隠されたものでも、全て暴いて、教えてあげる。そして、魔導師団を変えるのよ……貴方と、私で」
アレクシアはそう言うと、艶然と微笑んだのであった。
サーフェリア歴、一四九五年。
アーベリトに王位が渡ってから、約六年の月日が経ち、シャルシス・カーライルが齢七を迎えた、この年──。
旧王都シュベルテの街並みを突如半壊させ、その権威を悉く失墜させたこの襲撃は、歴史的にも名を残す惨事となる。
王位を我が物にしようとしたアーベリトの仕業か、あるいは、魔導師優位の軍制崩壊を望む新興騎士団の策略か。
民間では、様々な憶測が真しやかに囁かれ、一層混乱を極めていく事態となるが、後に、この襲撃の真相を知らされた人々は、かつてないほどの恐怖と絶望に、震え上がることになる。
西方に位置する軍事都市、セントランスが、アーベリト、シュベルテ、ハーフェルンの三街に対し、宣戦布告をしてきたのだ。
セントランスはかつて、御前でハーフェルン、アーベリトと王権を争い、破れた街である。
シュベルテに次ぐ巨大な軍事都市であり、現在、サーフェリアを統治する三街とは、決裂状態にあった。
彼らは、シュベルテを襲った異形は召喚術によって産み出したものだと明かし、召喚師一族の力を保有できるのは、王都の特権ではないという文言と共に、詔書を送りつけてきた。
襲撃を受ける前であれば、このような世迷言を信じる者は、誰一人いなかっただろう。
しかし、その恫喝は、実際に街を喰った異形を目の当たりにし、魔導師団を失ったシュベルテの人々を震え上がらせるには、十分であった。
現国王、サミル・レーシアスが敷いた、三街による統治体制が崩れたのは、この瞬間であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.290 )
- 日時: 2020/08/06 23:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
アーベリトは元々、戦争難民の受け入れなど、初代領主の時代から続けてきた医療援助や慈善活動の功績が認められ、発展してきた街である。
故に、卓越した医療技術を持ち、その三倍以上の面積を持つ旧王都、シュベルテにも劣らぬ施設数、病床数を誇っていたが、それでも、大量の怪我人が流れ込んできたときには、あまりの急場に、事態は逼迫せざるを得なかった。
突如として、セントランスから三街に下された宣戦布告──。
今までも、地方で小規模な内戦が起これば、アーベリトが対応に動くことはあったが、此度の襲撃は、その比ではない。
少なくとも、トワリスがアーベリトに着任したこの一年間で、三街がこれほどまでの混乱状態に陥ったことはなかった。
シュベルテは、サーフェリアの中で、最も大規模な軍を持つ都市だ。
もし詔書の内容に偽りがなく、セントランスが召喚術にも等しい何かしらの魔術を用いて、独力でシュベルテに軍部崩壊をもたらしたのだとすれば──。
次に攻め入られた時、遷都後に築いてきた現在の体制は、呆気なく終焉を迎えるだろう。
今の三街には、セントランスに抗う術がない。
人々の間に蔓延るその不安が、アーベリトに混乱を招いている一因でもあった。
襲撃の知らせを受けて、ルーフェンは、すぐにシュベルテへと向かった。
しかし、いくら召喚師といえど、一度に何百人、何千人単位で移動陣を使用するのは不可能であるため、命に別状はないと判断された怪我人は、輸送用の馬車で随時アーベリトに送られてきた。
一命を取り留めているとはいえ、所狭しと並ぶ寝台が、血と汗にまみれた人々で埋め尽くされる光景は、凄まじいものである。
院内は、たちまち濃い体液の臭いに覆われ、一時も休まず働き詰めている医術師たちが、青い顔をして行き交っている。
表面的な傷だけではなく、心的外傷が深刻な者も多く、軽傷だからと一度治療を保留にされた患者の中には、壁際でしゃがみこみ、ぶつぶつと呟いたり、呻いたりしながら、日がな頭を抱え込んでいる者もいた。
アーベリトの魔導師や自警団員たちは、物資の運搬や、患者の身元確認に奔走していたが、病院側の手が追い付かなくなってくると、止血などの応急処置にも回った。
受け入れを待つ、待機者たちの対応に回っていたトワリスは、不意に、列の後方から呼ばれて、顔をあげた。
「おい、そこの魔導師! まだ治療は受けられぬのか! 早くしろ!」
列から飛び出してきた、シュベルテの魔導師らしき男が、トワリスに大声をかけてくる。
我が身可愛さで横暴な行動に出ているだけならば、無視するところだが、男の蒼白な顔を見て、トワリスは立ち上がった。
その男は、自分ではなく、連れの容態を気にしている様子だったからだ。
「急患ですか?」
駆け寄って尋ねると、男は、トワリスの腕を掴んで、列の中へと戻った。
男が示した先を見れば、床に置かれた担架の上に、人が一人、寝かされている。
薄い敷布が被されていたので、既に死んでいるのかと思ったが、その敷布は、どうやら横たわっている人物の姿を、隠すためのものらしかった。
男は、周囲の目を気にしながら、小声でトワリスに告げた。
「急ぎ医術師を呼び寄せてくれ。前召喚師様が目を覚まさぬのだ!」
前召喚師、という言葉に、トワリスは、思わず目を見張った。
男は、蒼白な顔で脂汗を流しており、担架のそばにいる別の魔導師も、緊張した面持ちでトワリスを見つめている。
道理で、一般人に紛れ、素性を隠して列に並んでいたわけだ。
こんなところに前召喚師がいるとなれば、ちょっとした騒ぎになっていただろう。
トワリスは、担架の近くに屈みこむと、周囲に気取られぬよう、わずかに敷布をめくった。
隙間から、絹糸のような銀髪が見える。
横たわる前召喚師──シルヴィア・シェイルハートの顔は、横から覗きみただけでも分かるほど血の気がなく、微かに呼吸しているという点を除けば、まるで蝋人形のようであった。
(この人……ルーフェンさんの、お母さんってことだよね……?)
半信半疑で男たちの話を聞いていたが、この銀髪を見れば、彼らの言葉が真実であることは一目瞭然だ。
男の一人が、青白い顔で言った。
「襲撃のあった城の庭園で、倒れていらっしゃったのだ。目立った傷はないが、二日経ってもお目覚めにならない。もしかすると、頭を強く打ち付けたのやもしれぬ」
トワリスは、改めてシルヴィアの細い手首をとると、脈があることを確かめた。
衣服が血で汚れてはいるが、男たちの言う通り、シルヴィアに特別な外傷はないし、呼吸も脈も正常である。
重症で意識不明になっているというよりは、深い眠りに落ちているように見えた。
トワリスは、急ぎ自警団員にその場を任せると、立ち上がった。
「街中の病院は一杯で、入院の必要がない軽傷者しか診られないような状態です。移動陣で、城館に向かいましょう。受け入れ可能かどうか、陛下にも伺ってみます」
言いながら、移動陣の描かれた用紙を懐から取り出す。
シュベルテの緊急事態を受けて、一時的にアーベリトを全面解放してはいるが、怪我人に紛れて、不遜な輩が入り込んでくる可能性は十分にある。
現在はルーフェンが不在だし、尚更、不用意に外部の人間を城館に招き入れたくはない。
しかし、倒れているのは、他でもない前召喚師だ。
頭を打っているかもしれない状態で、今更シュベルテの病院に戻れとは言えないし、アーベリトで受け入れる他ないだろう。
移動陣と聞いて、魔導師の男は、動揺を示した。
「お前、移動陣が使えるのか。我々は使用経験がないのだ」
「私一人で大丈夫です。アーベリト内でのみ、召喚師様の魔力を拝借して使えます。あまり行使したくはありませんが、非常時なので、やむを得ません」
早口で答えて、移動陣を床に敷く。
不安げな男二人に、シルヴィアの担架を寄せるように頼むと、トワリスは、移動陣に手を翳したのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.291 )
- 日時: 2020/08/10 17:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
国王サミルに事情を説明すると、シルヴィア、および二名の魔導師の入城が認められた。
トワリスがシルヴィアの名を出すと、サミルはひどく驚いた様子であったが、シュベルテの襲撃時の状況を、魔導師たちから聞き出したいという気持ちもあったのだろう。
二つ返事で頷くと、サミルは城館でシルヴィアを保護し、同行していた魔導師を一名を付き添わせて、もう一名は、御前に招いたのであった。
白亜の壁が四方を覆う、質朴な謁見の間に魔導師を通すと、サミルは、トワリスの他に、サイとハインツ、そして、アーベリトの総括を勤める、ロンダートら数人の自警団員と官僚たちを呼び寄せた。
シュベルテ襲撃の情報は、いきなり世間に公表するよりも、ひとまず限られた人数で共有したほうが、混乱を避けられるとの考えがあってのことだろう。
つづれ織りの壁掛けを背後に、サミルが王座につくと、中年の魔導師は、絨毯に膝をついて頭を下げた。
「国王陛下の寛大な御心に、深く感謝申し上げます。私は、中央隊所属のゲルナー・ハイデスと申します」
固い口調で進言し、ゲルナーは平伏する。
サミルは頷くと、穏やかに返した。
「顔をあげてください。シュベルテの惨状については、聞いています。前召喚師様をお守りし、よくぞアーベリトまで来てくれました。シルヴィア様は、この城館で治療させています。回復するまでの間、こちらも手を尽くしましょう」
「──は。ありがとうございます」
顔をあげるように言ったが、ゲルナーは、頭を下げたままであった。
言葉を次ごうとしているのか、更に深く、額を床につけるようにして伏せると、ゲルナーは続けた。
「……畏れながら、重ねてお願い申し上げます。ご容態に拘わらず、当面の間、前召喚師様のアーベリトでのご滞在をお許し頂けないでしょうか」
サミルが、驚いたように目を見開く。
話を聞いていた重鎮たちも、この申し出には、疑問を抱いたのだろう。
広間がざわりと揺らいで、各々怪訝に眉を潜めた。
そもそも、召喚師一族であるシルヴィアが、アーベリトまで運ばれてきたこと自体が、不自然だったのだ。
アーベリトを頼って来る怪我人の数を見る限り、シュベルテの医療機関が逼迫状態であることは明白であるが、だからといって、シルヴィアのような優先して治療すべき要人すら受け入れないというのは、本来考えられないことだ。
実際、アーベリトに流れてくるのは、一般人ばかりで、それも、馬車での長旅に耐えられる程度の、重軽傷者が大半である。
外傷が目立たなかったとはいえ、いつ命を落とすとも分からぬシルヴィアを、意識不明の状態で運んでくるなど、よほどの理由があるに違いなかった。
「……シュベルテで、何が起きているのですか?」
神妙な面持ちでサミルが問うと、ゲルナーは、ようやく顔を上げる。
口に出すのを躊躇っているのか、わずかに視線を彷徨わせると、ゲルナーは、口を開いた。
「ここ数年の間、前召喚師様は、何度もお命を狙われているのです。差し向けられた刺客の素性は明らかになっておりませんが、おそらくは、イシュカル教会の急進派の者です。セントランスによる此度の襲撃で、我々魔導師団は、甚大な被害を受けました。結果、今シュベルテを取り仕切っておりますのは、教会によって発足された新興騎士団の者たちです。彼らは穏健派を名乗ってはおりますが、召喚師一族を疎ましく思っていることに変わりはございませぬ。また、由々しき問題なのは、旧王家に仕えていた世俗騎士団までもが、教会側に寝返りつつあるということです。現状、騎士団長レオン・イージウス卿、宮廷魔導師団長ヴァレイ・ストンフリー卿らを始めとする幹部陣が亡くなり、総指令部は実質解体状態となっております。公は未だ動けるような状態になく、現状、シュベルテを守っている新興騎士団、つまりはイシュカル教会を支持する民は増えていく一方です。故に、このまま前召喚師様をシュベルテに残すのは危険だと判断し、アーベリトまで参った次第でございます」
ゲルナーの額に、じっとりと汗が滲んでいる。
サミルは、苦々しい表情になった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.292 )
- 日時: 2020/08/13 21:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……なるほど、事情は分かりました。しかし、なぜもっと早くに報告を上げて下さらなかったのです? イシュカル教会の存在は勿論把握していましたが、彼らが騎士団を発足したことも、シルヴィア様の暗殺を企てるまでに至っていることも、今、初めて耳にしました。もし彼らが、今回の混乱に乗じて、シュベルテの軍部を掌握するまでに勢力を伸ばすつもりなら、見過ごすことはできません。もっと早くに手を打つべきでした」
ゲルナーは、再び額を床につけた。
「お許しください。今までは、我ら魔導師団のみで制圧できていたのです。セントランスからの襲撃さえ、なければ……」
怒りと悔しさを抑え込んだような声で、ゲルナーが言う。
そのとき、文官の一人が、すっと手を上げた。
発言の許可を得て、一歩前に出ると、文官はゲルナーを見た。
「此度のセントランスによる宣戦布告と、新興騎士団の台頭に、繋がりがある可能性はござらんか? 貴公の話をお聞きする限りでは、セントランスの襲撃のおかげで、イシュカル教会が勢い付いた、とも解釈できますが」
ゲルナーは顔を上げると、弱々しく首を振った。
「申し訳ございません、明言はできませぬ。我々も当初、今回の襲撃は、教会が目論んだものではないかと疑っておりました。しかしながら、後日セントランスより宣戦布告が成され、少なくとも教会が主力でないことは、明らかになりました。教会の独力では、我ら魔導師団を壊滅させることなど不可能であること。また、今回の襲撃によって、新興騎士団内の権力者の一人であったと予想されるイージウス卿が、亡くなっていること。これらの事実を鑑みれば、教会が首謀である可能性は低いかと存じます。ですが、だからといって、必ずしも関係がないと否定することはできませぬ。花祭りの最中を狙った襲撃は、計画的なものでした。内通者がいないとも限りません」
ゲルナーの曖昧な答えに、文官は、苛立たしげに顔をしかめた。
「……重大なことですぞ。もし、セントランスと教会に繋がりがあり、そのことを貴公ら中央魔導師団が、見落としているのだとすれば……事態は一層深刻です。我らの敵は、セントランスだけではないということになるのです」
文官の言葉に、広間が静まり返った。
自分達が立たされている窮地を、改めて、はっきりと目の当たりにしたのだ。
アーベリトとハーフェルンは、セントランスに勝る兵力など持っていない。
軍事の要であったシュベルテが壊滅状態に追いやられ、その上、未だ反乱分子を抱えているのだとすれば、召喚師一族を頼る以外に、勝機はないだろう。
臣下たちが騒然とする中、畳み掛けようと口を開いた文官を、サミルが制した。
渋々引き下がった文官を一瞥し、蒼白なゲルナーの顔を見つめると、サミルは、落ち着いた声で言った。
「ひとまず今は、セントランスとどう対するかを考えましょう。内通する勢力がいるにせよ、いないにせよ、彼らの狙いが私たちを討つことならば、先の襲撃時に、街ごと焼き払われていてもおかしくありませんでした。しかし、そうならなかったということは、セントランス側にも限界がある、もしくは現時点では恫喝に留めた理由があるのでしょう。宣戦布告の詔書にもある通り、目的はあくまで王権の奪取なのかもしれません。であれば、まだ交渉の余地はあります」
サミルの発言に、シュベルテから引き入れられた文官たちが、難色を示した。
彼らは、遷都後にアーベリトへとやってきた官僚たちであったが、この数年間で、サミルの性格を理解している。
文官の一人が手を上げて、厳しい眼差しをサミルに向けた。
「恐れながら、陛下、一体何を交渉なさるというのですか。彼奴らは、シュベルテに甚大な被害をもたらしただけでなく、開戦の日に、二月後の『追悼儀礼の日』を指定してきたのです。先王の七度目の命日に開戦などと、これは明らかな侮辱ではございませんか! 交渉の場など設けたところで、何を要求されるかは明白です。どうか、開戦のご決断を!」
興奮した様子で、声を裏返す文官に、サミルは、静かに告げた。
「挑発に乗って争えば、それこそセントランスの思う壺でしょう。下手に出るつもりはありませんが、実際こちらが不利な状況です。相手側に分がある以上、安易に開戦に踏み切っては、犠牲が増えるだけです。交渉することで平和的に済むならば、それに越したことはありません」
サミルの言葉に、広間がざわついた。
国王自ら、自陣が劣勢であることを認めるのかと、批難の声が上がる。
日頃から、保守的とも取れるサミルの政策に疑念を抱いていた者達の不満が、この場で爆発したのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.293 )
- 日時: 2020/08/15 19:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスら魔導師と共に、下座でやりとりを聞いていたロンダートは、ハインツの後ろに隠れるように下がると、げんなりした表情で言った。
「なんだか、とんでもないことになってきたなぁ。開戦開戦って、戦うのはお前達じゃないだろうに……」
ぶつぶつと文句をこぼしながら、ロンダートは、向かいで騒ぎ立てる文官たちを見る。
トワリスは、ため息混じりに答えた。
「でも、現状だと開戦が避けられないというのは、事実ですよね。平和的解決が一番とは言え、セントランスが王権を狙っているなら、その要求を飲むわけにはいきませんし。……ただ、陛下の言う通り、このまま真っ向からぶつかるには、まだ不安要素が多すぎる気がします。私、シュベルテの魔導師団が呆気なくやられたっていうのが、未だに信じられないんです」
トワリスが言うと、隣にいたサイが、深刻な顔つきで頷いた。
「同感です。花祭りの最中だったということは、普段よりも警備は強化されていたはずですし、俄には信じがたいですね。詔書に、召喚術の行使を仄めかすような文面まで記載されていたと聞くので、その真偽も気になります」
ロンダートが、顔をしかめた。
「そりゃあ、嘘に決まってるよ。だって召喚術は、召喚師一族にしか使えないはずなんだから。俺、魔術には詳しくないけど、召喚術って、召喚師様にしか読めない、なんとかって文字を使うんだろう?」
「──ええ。魔語、ですね」
答えてから、サイは考え込むように、視線を床に落とした。
通常、術式に使用されるのは古語であるが、召喚術の行使に必要なのは、魔語と呼ばれる、特別な言語であった。
召喚師一族は、まるで前世の記憶に刻み込まれているかの如く、生まれ落ちた瞬間から、魔語を読解できるのだという。
それが真実なのかは分からないし、今までに、魔語を習得しようとした研究者がいたかどうかも定かではないが、元々召喚術は、人が触れてはならない、神聖なものだという認識が強かった。
故に魔語は、召喚師一族だけが扱う、秘匿言語とされていたのだ。
サイは、指を顎に添えると、淡々と続けた。
「一般の魔導師が召喚術を使おうなんて、そもそも方法の検討がつきませんし、私も単なる脅しだとは思います。しかし、宮廷魔導師団まで壊滅状態に追い込まれたとなると……信憑性が増してきますよね。あり得ない話ではありません。何百年も前のことですが、セントランスは、王都だった街です。その当時、召喚師一族がセントランスにいて、召喚術の行使方法に関する何かしらの記録を残していたのだとすれば、それを解き明かす者が出てもおかしくはないでしょう」
ハインツの腕にしがみついて、ロンダートが、顔を青くする。
サイは、腕を掴まれてびくついたハインツのほうを見た。
「リオット族だって、地の魔術に長けた一族だと言われていますが、だからといって、リオット族以外の人間が、地の魔術を使えないというわけではありません。同様に、召喚術の使用条件が、実は血筋ではなく魔語の習得にあって、それを満たす者が、召喚師一族以外にも現れたのだとすれば……。まあ、こんなのは、私の憶測に過ぎませんが」
これ以上は考えても無駄だと見切りをつけたのか、サイは肩をすくめると、口を閉ざした。
セントランスが召喚術の使用を仄めかしてきたことは、確かに、突き止めるべき重要事項ではあるが、問題の本質はそこではない。
召喚術であろうと、なかろうと、セントランスに、シュベルテを追い詰めるほどの力があることは、紛れもない真実なのだ。
わずかに声を潜めて、トワリスが言った。
「内通者の存在も、気になりますよね。もし襲撃を手引きした者がいるなら、シュベルテが不意を突かれたのも頷けます。先程出た話では、内通者に関しては保留になりましたけど、もし本当にセントランスと繋がっている勢力がいるなら、早く炙り出さないとまずいですよ。いくら敵方を警戒したって、身内に裏切り者がいるんじゃ、こちらの情報は筒抜けになっているでしょうから」
トワリスの発言に、ロンダートが眉を寄せた。
「内通者がいるんだとしたら、新興騎士団とやらを発足した教会の連中じゃないのか? さっき、話題にも上がってただろう。実際、今回の襲撃で、魔導師団は痛手を被って、教会は得をしたわけだし」
「ああ、はい。それは、そうなんですけど……。ただ、シュベルテで暮らしたことがあれば分かると思うんですけど、教会って、軍部の組織ではないので、大した情報は持ってないはずなんですよ。だから、台頭したことで注目を浴びてはいるけど、必ずしも教会が内通勢力とは限らないんじゃないかなって」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.294 )
- 日時: 2020/08/17 19:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスが呟くと、ロンダートの顔色が、一層悪くなった。
くるくると周囲を見回してから、ロンダートが、震え声で言う。
「ちょっ、待って、トワリスちゃん。それって、内通者がどこに潜んでるか分からないってこと? そんな、こ、怖いこと言わないでくれ……。どうするんだよ、アーベリトに紛れてたら……」
怯えるロンダートに、サイが補足をした。
「確かに、内通者が教会側の人間だと決めつけるのは、早計かもしれませんね。でも、シュベルテの人間であることは確かだと思いますよ」
「……そうなんですか?」
トワリスが聞き返すと、サイは頷いた。
「考えてみてください。教会以上に、アーベリトやハーフェルンは、シュベルテの情報を持っていません。内通者がいたとして、その人物は、セントランスに様々な情報を売ったはずです。例えば、城を覆う結界の解除方法や、警備の配置、最適な侵入経路なんかが考えられますよね。でもこれって、全てシュベルテの人間──しかも、限られた軍部の人間しか知らない情報ですよね。となると、魔導師団に所属している、もしくは、魔導師団の動きを把握できるような権力を持った者にしか、内通者は勤まらないはずです」
「あ、そっか……それは、確かにそうですね」
納得した様子で返事をしたトワリスに、サイは小声で言い募った。
「はっきり言ってしまうと、最も疑わしいのは、新興騎士団の発足に関与したとされる、世俗騎士団長、レオン・イージウス卿ですよね。彼なら、情報を握っているどころか、内部操作も可能な立場でした」
ロンダートが、首をかしげる。
「だけど、イージウス卿は、今回の襲撃で亡くなっただろう?」
「──ええ。だからこそ怪しいんです」
顔をしかめたロンダートとトワリスに、サイは向き直った。
「計画的かつ、出来すぎた襲撃です。内通者がいたかもしれない、なんて誰もが予想するでしょう。もし、内通者が捕まって、逆に情報を引き出されることになったら、セントランス的には面白くないはずです。セントランスと教会、そしてイージウス卿の関係について、詳しいことは分かりません。ですが、新興騎士団の勢力拡大を目論んだイージウス卿が、セントランスの王位簒奪に協力した後、最終的には用済みだと裏切られ処分された……なんて筋書きを考えると、辻褄が合うんです」
「…………」
ロンダートとトワリスの顔が、更に険しくなる。
ハインツも、口を出そうとはしなかったが、事態は理解しているようで、鉄仮面の奥の表情を、微かに強張らせていた。
押し黙ってしまった三人を見やって、サイは、微かに口調を軽くした。
「もちろん、可能性の話ですよ。私の予想に過ぎませんし、そもそも、内通者なんていないかもしれません。ただ、襲撃の周到さから考えて、内通者いたとしても、特定は困難でしょうね。証拠が残っているとは思えませんし、少なくとも、アーベリトにいる我々では、その痕跡を探ることすら出来ません。だから陛下も、今はセントランスと直接対峙することを考えるべきだ、と仰ったんじゃないでしょうか」
言いながら、王座のサミルへと視線を移す。
それから、サイはふっと目を細めた。
サミルに対する抗議の声は未だ止まず、文官たちは、もはや発言の許可を求めることもなく、口々に不満を申し立てている。
その一つ一つを往なしながらも、頑として開戦の宣言を出そうとはしないサミルに、文官たちは、苛立ちを募らせている様子であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.295 )
- 日時: 2020/08/20 19:18
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「こちらにはまだ、召喚師様がいらっしゃいますし、シュベルテにも、ハーフェルンにも、戦力は残っております。機を逸すれば、我々はセントランスの属領とも成りかねませぬ!」
文官の主張に、やはり、サミルは首を縦には振らなかった。
「セントランスに下ろうという訳ではありません。故郷であるシュベルテを攻められ、耐えられない貴殿方の気持ちも分かります。ですが、機を図った上で、争うならば言葉を交わしてからでも良いでしょうと言っているのです。ハーフェルンとシュベルテに残っている魔導師たちは、動かしません。その場に残して、守りに徹してもらいましょう」
「しかし──」
食い下がろうとした文官たちを手で制すると、サミルは、揺らがぬ眼差しで臣下たちを見据えた。
「これ以上話すことはありません。ハイデスさん、シュベルテに関するご報告をありがとうございました。部屋を用意させますので、お連れの方と一緒に休むと良いでしょう。それから、ロンダートくん。自警団のほうでシュベルテに行き、負傷者の保護が済み次第、ルーフェンに戻るよう伝えて下さい。新興騎士団が今のシュベルテを取り仕切っているなら、召喚師が滞在するのは危険です」
「あっ、はい! 承りました!」
突然名を呼ばれ、ロンダートが、慌てて敬礼をする。
緊張した面持ちで控えていたゲルナーも、安堵したように表情を和らげると、その場で再度頭を下げた。
まだ何か言いたげな面々を無視して、サミルは、静かな声で言った。
「何か進展があれば、また召集をかけます。各自持ち場に下がってください」
臣下たちが謁見の間を出ていくと、嵐が過ぎ去った後のように、広間は静かになった。
トワリスは、サイやハインツ、ロンダートに別れを告げると、一人、サミルの元に残った。
シルヴィアのことで、サミルに報告したいことがあったのだ。
サミルは、王座の手摺に肘をつき、手で目を覆ったまま、しばらく沈黙していた。
その細い腕が、微かに震えている。
疲労が滲んだ様子に、いつ声をかけようかと躊躇していると、サミルのほうからトワリスに気づいて、話しかけてきた。
「……ああ、シルヴィア様のことでしたね。すみません、少しぼーっとしていて」
言いながら、サミルは王座から立ち上がると、下座に突っ立っているトワリスの前までやってきた。
先程まで見せていた意思の強さが、まるで嘘だったかのように、サミルの顔には精気がない。
トワリスは、心配そうに尋ねた。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
サミルは、目尻の皺を寄せて微笑んだ。
「大丈夫ですよ。最近あまり寝ていないので、そのせいでしょう。年を取ると、すぐに疲れてしまっていけませんね」
軽い口調で言って、肩をとんとん、と叩いて見せる。
トワリスはつかの間、返事に困った様子で口ごもっていたが、ややあって、懐から書類を取ると、話を切り出した。
「これ、頼まれていた、シュベルテからの来院者の一覧です。それから、前召喚師様のことは、言われた通り、医務室ではなく東塔の休憩室に案内しました。今はお付きの魔導師と、ダナさんたちが看てくださってます。外傷はなさそうだから、著しい魔力の欠乏で気を失っているだけじゃないかって」
「……そうですか、ありがとう」
返事をしてすぐに、サミルは書類を受け取ったが、直後、その手からばさばさと書類が滑り落ちた。
トワリスが、咄嗟に何枚かを受け止めたが、サミルは、それらを拾い上げようともせずに、驚いた顔つきで自分の手を見つめている。
残りの数枚を拾い、まとめてサミルの手に持たせると、その手は確かに書類を掴んだが、まだ小刻みに震えていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.296 )
- 日時: 2020/08/22 19:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、眉を下げてサミルの顔を覗き込んだ後、打って変わった、厳しい表情になった。
「サミルさん、やっぱり休んだほうがいいです。疲れてるんですよ。あとのことは、私たちに任せてください」
「え、ええ。そうですね……」
サミルは、戸惑ったように返事をした。
思えば、シュベルテ襲撃の知らせを受けてから、サミルが休んでいる姿を目にしていない。
年齢のせいだとサミルは言うが、昼夜寝ずに働き詰めづめていては、年齢に関係なく倒れてしまうだろう。
今度こそ、書類をしっかりと握ると、サミルは曖昧な笑みを浮かべた。
「では、お言葉に甘えて、少し休んできます。自室にいますので、何かあったら呼んでください。……ついでに、もう一つ、頼み事をしても良いですか?」
「はい、何でしょう」
トワリスが問い返すと、サミルは、一度目線を動かして、口ごもった。
少しの間、何かを考え込んで黙っていたが、やがて、後悔したように息を吐くと、首を横に振った。
「……すみません、やっぱり何でもありません。忘れて下さい」
そう言われて、トワリスは顔をしかめた。
彼女の勘繰るような目に、サミルは苦笑した。
「ああ、いえ、違いますよ。本当に、重要なことというわけではなくて。……ただ、シルヴィア様のことを、気に掛けておいてほしいのです」
トワリスは、わずかに首を傾げた。
「気に掛ける? でも、ダナさんたちは、命に別状はないだろうって言ってましたよ」
「ええ、そう、そうなのですが……それでも、油断はできませんので。ほら、頭を打った可能性があると言っていたでしょう。そんな状況で、馬車に揺られてアーベリトまで来たわけですし、今は目に見えなくても、脳出血なんかを起こしていたら、一大事ですから」
珍しく、煮え切らない態度のサミルに、トワリスは眉を寄せた。
シルヴィアが目を覚まさない以上、安心できないというのは勿論分かるが、そんなことを言われても、トワリスは医術師ではないので、様子を見るくらいしかできない。
おそらくサミルは、何かを隠しているのだろうと思ったが、わざわざそれを詮索するのも躊躇われた。
トワリスは、一拍おいて頷いた。
「分かりました。お付きの魔導師二人も、明日にはシュベルテに戻ると言っていたので、以降は私が前召喚師様の様子を見ますね。病院のほうには、サイさんがついてますし、ハインツもようやく壊さずに寝台を運べるようになったので、私が多少抜けても、現場は大丈夫だと思います」
冗談っぽく言うと、サミルは、微かに笑んで、トワリスの頭を撫でた。
優しい手つきが、跳ねた癖毛を撫で付けていく。
アーベリトに来てから、この一年で、トワリスの髪は、肩につくほどに伸びた。
髪を伸ばすと、一層癖毛が目立ってくるし、そろそろ結べる長さになってきたので、近々後ろで一つにまとめようと思っていた。
トワリスは、しばらくの間、されるがままに頭を撫でられていたが、ふと、サミルを見上げると、ついでを装って尋ねた。
「……前召喚師様のこと、東塔で治療するんですか? あそこは、基本的に物見役しか出入りしないので、中央の医務室のほうが良いと思いますけど……」
ふと、サミルの手が止まる。
どこか緊張している様子のトワリスを見て、サミルは、あっさりと答えた。
「はい、そのままで。静かなほうが、シルヴィア様も気が休まると思いますから」
遠回しに理由を問うたつもりであったが、サミルは、核心には触れなかった。
穏やかな表情を変えることなく、もう一度だけ、トワリスの頭を撫でると、サミルは、震えの収まった手を下ろしたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.297 )
- 日時: 2020/08/24 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
シルヴィアが目を覚ましたのは、それから二日後のことであった。
起きた直後は、口数が少なかったが、トワリスが状況を説明すると、次第に意識の混濁がなくなっていったらしい。
その日の内には、はっきりと会話を交わせるようになっていた。
眠っていたときも、目を覚ましてからも、シルヴィアは人形のようであった。
彼女は、既に四十を越えているはずであったが、ルーフェンの母親どころか、姉だと言われてもおかしくないほど若々しく、美しかった。
それ故に、精巧な作り物のように見えるのかと思っていたが、その実、無機質に見える一番の理由は、表情の変化が乏しいことだろう。
彼女は当然話せるし、食事もとるし、立って歩くこともできる。
だが、いつも薄く微笑んでいるだけで、感情の変化が見えづらいのだ。
シルヴィアを盗み見たロンダートが、ぞっとするほどルーフェンに似ていると興奮したように話していたが、纏う空気感は、全く違うとトワリスは思っていた。
様子を見に行けば、シルヴィアは、いつも穏やかな笑みで迎えてくれる。
そんな時間が、トワリスは嫌いではなかったが、彼女と話していると、まるでひっそりと佇む木立と対しているような、不思議な気分になるのであった。
ダナの診断通り、命に別状はなかったので、シルヴィアは、すぐに出歩けるまでに回復した。
回復後も、サミルからは、出来るだけシルヴィアを安静にさせるように、と言いつけられていたが、体力が戻っているのに部屋にこもりきりでは、息が詰まってしまうだろう。
いつの間にか、毎日昼頃に、シルヴィアを城館の中庭に連れ出すことが、トワリスの日課になっていた。
城館内とはいえ、シルヴィアを息抜きに外出させていることを報告すると、サミルは、珍しく芳しくない反応を見せた。
しかし、連れ出したところで、シルヴィアは基本的に、長い間ぼうっと街並みを眺めたり、庭の草木を見つめているだけである。
そうして時折、思い出したようにトワリスを振り返っては、ぽつぽつと言葉を交わすだけだ。
安静は保たれているし、部屋にずっと押し込められている方が具合が悪くなるだろうと返すと、サミルは、渋々納得してくれた様子であった。
城館の中庭は、シュベルテやハーフェルンのものに比べればずっと小さく、特別貴重な草花が植えられているわけでもない。
それでもシルヴィアは、いつも庭の長椅子に座って、物珍しそうに花壇の草花を眺めていた。
他にも、表玄関へと続く庭園や、城館の背後に建つ高台にも連れていこうと思っていたが、日によってシルヴィアは、一人で出歩いてまで、中庭に訪れるようになった。
中庭が気に入ったのか問うと、シルヴィアは、自分でも不思議そうに答えた。
「……そうね。思えば、こうしてちゃんと、花や木を見たことはなかったかもしれないわ」
シルヴィアは目を伏せると、再び足元の花壇へと視線を落としたのだった。
風で薄雲が流れ、秋の乾いた陽射しが、二人の全身に降り注いだ。
強い光に照らされて、シルヴィアの白銀の睫毛が、くっきりと目の下に影を落としている。
腰まで伸びた豊かな銀髪は、風に靡いて揺れる度、日の下できらきらと光っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.298 )
- 日時: 2020/08/27 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
花壇を見つめたまま、シルヴィアが、不意に呟いた。
「……花は、とても哀れね。生まれてから、ずっと同じ場所に根付いて、そのまま枯れ果てていくなんて」
抑揚のない、平淡な口調。
シルヴィアは、喋っている間も花から視線を外さなかったが、その目には、別のものが映っているように見えた。
言葉の真意が伺えず、トワリスは、戸惑ったように唇を開いた。
「……そうでしょうか。花を見て哀れだとか、あんまり考えたことありませんでした」
「…………」
それきり、シルヴィアが黙ってしまったので、トワリスは焦った。
もしかしたら、嘘でもいいから同調すべきだったのかもしれない。
思ってもないことを言うのは、トワリスにとっては至難の業であったが、なんとか頭を巡らせると、言葉を付け足した。
「あっ……でも、確かにずっと同じ場所に埋まっているのは、退屈かもしれませんね。私の同僚で、ハインツっていう魔導師がいるんですけど、彼は草花が好きみたいで、よく空き時間に庭師の方を手伝って、花の植え替えとかしてるんです。そうやって、時間をかけて向き合っていると、花の気持ちとか、分かるようになるんでしょうか。……実は私、人が咲かせたような立派な花って、あまり得意じゃないんです。なんか、匂いがきつい種類が多い気がして……。人より鼻が利くから、そう思うだけなのかもしれませんが……」
慌てて捲し立てていると、シルヴィアが、やっとトワリスの方を見た。
透き通った銀の瞳に射抜かれて、思わずどきりとする。
この数日間、シルヴィアの外出時には、必ずといっていいほどトワリスが付き添っていたが、こんな風にじっと見つめられたのは、初めてであった。
今更になって、ようやくトワリスが獣人混じりであることを認識したのか。
シルヴィアは、トワリスの耳を一瞥すると、静かに言い放った。
「ああ、そう……貴女も哀れね。こんな国に、独りきりで産まれて」
「え……」
予期せぬ言葉を投げつけられて、思わず目を見開く。
シルヴィアの望洋とした瞳には、獣人混じりを揶揄するような、嘲笑の色は浮かんでいない。
ただ純粋に、トワリスの境遇を哀れんでいるだけなのだろうが、それでも、わざわざ口に出して言われると、やるせない気持ちになった。
トワリスは、むっとして返した。
「……お言葉ですが、私はこの国に産まれて、自分が可哀想だとは思ってないですよ。獣人の血が混じってるだけで、私は人間です。まあ、普通の人間だと言い張るには、足が速いし鼻も利くけど、それはもう、自分の特技みたいなものだと思っているので」
言い切ってから、うっかり反論してしまったと、トワリスは、恐る恐るシルヴィアの様子を伺った。
怒られるか、呆れられるか、あるいは相手にされないか。
そのどれかを予想していたが、シルヴィアは、少し驚いたような顔で、トワリスを見つめていた。
動かなかった人形の顔が、初めて表情を浮かべたようであった。
黙ったまま立ち上がると、シルヴィアは、トワリスに向かい合った。
「いいえ、貴女は哀れだわ。今まで、沢山つらい思いをしてきたでしょう。たった独りで、好奇の目に曝され、虐げられ、周囲の人間を恨めしく思ってきたはず。そして、こんな世に自分を産み落とした無責任な母親を、心の底から憎んでいるでしょう」
まるで決めつけるような物言いに、トワリスの表情が曇る。
しかし、胸の内に沸き上がってきたのは、怒りよりも困惑の方が大きかった。
今まで、さしてトワリスに興味を示さなかったシルヴィアが、突然食い下がってきたので、どう対すれば良いか分からなかったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.299 )
- 日時: 2020/08/29 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
せり上がってきた言葉を一度飲み込んでから、トワリスは、控えめに言った。
「……あの、何が仰りたいんですか? 私、母を憎んだことなんて、一度もありません。サーフェリアに流れ着いたことも、私を身籠ったことも、きっと事情があってのことだから、無責任だと思ったこともないです」
「その事情を、実際にお母様から聞いたの……?」
痛いところを探られて、トワリスは押し黙った。
シルヴィアは、まるで幼子のように小首を傾げ、トワリスを見つめている。
その仕草や声音から、悪意は感じ取れない。
だが、シルヴィアと会話をしていると、冷たい氷の刃を胸に挿し込まれているような気分になった。
トワリスは、母がどのように自分を産み落としたのか、ほとんど知らない。
人伝に聞いたり、サミルやルーフェンが調べてくれたおかげで、奴隷商に囚われていた獣人だった、ということは分かっていたが、それ以上の情報は何も持っていなかった。
だから、実際に母から経緯を聞いたのか、と尋ねられると、もう何も言い返せない。
もしかしたら、母は本当に無責任な性格で、産まれたトワリスを鬱陶しく思って手放したのかもしれないのだ。
沈黙の末、苛立たしげに首を振ると、トワリスは答えた。
「もう、この話はいいじゃないですか。確かに真実は知りませんし、私と母は死に別れたので、会話した記憶どころか、顔すら分かりません。でも、私が母のことを信じたいから、それでいいんです」
シルヴィアは、目を細めた。
「なぜ? 記憶もないのに、どうして信じようなんて思うの?」
畳み掛けるように問われて、ますます困惑する。
シルヴィアは、トワリスに何を言わせたいのだろう。
無責任な母親が憎い。混血として生まれてつらい、自分は孤独で哀れだ──と悲嘆に暮れれば、満足するのだろうか。
シルヴィアの意図が、全く見えなかった。
トワリスは、困った様子でシルヴィアと向かい合った。
「どうしてって……産まれて初めて、無条件ですがれるのが親じゃないですか。子供は、親を信じていたいし、好きでいたいものでしょう」
言ってから、顔を見つめると、シルヴィアの瞳に、ふっと暗い影が差した。
その沈んだ銀と目が合った瞬間、トワリスは、その場に縫い止められたかの如く、動けなくなった。
感じたのは、身の芯まで凍てつくような恐怖。
白銀の双眸が、トワリスを心の奥まで絡め取らんと、並んで鎮座していた。
青白い指先が、そっとトワリスの首筋に触れる。
そのあまりの冷たさに、トワリスが後ずさろうとした、その時──。
「トワ!」
鋭いルーフェンの声が、トワリスを縫い止めていた糸を絶ち切った。
背後からトワリスの腕を引くと、ルーフェンが二人の間に割って入る。
そうして、トワリスをかばうように立つと、ルーフェンは、シルヴィアをきつく睨みつけた。
「……お前、どうしてここにいるんだ」
唸るような低い声に、思わずトワリスまで身をすくめる。
咄嗟に見上げたルーフェンの横顔には、見たこともない、獰猛な色が浮かんでいた。
シルヴィアは、夢から覚めたように目を見開くと、ルーフェンの顔を凝視した。
その瞳に、先程までの影はない。
むしろ、日が差したような明るい光を目に宿すと、シルヴィアは、穏和な微笑を浮かべた。
「まあ……ルーフェン、大きくなって。七年ぶりかしら」
言いながら、シルヴィアが、ゆっくりと近づいてくる。
対してルーフェンは、瞋恚(しんい)のこもった眼差しを向けて、忌々しそうに告げた。
「アーベリトまで来て、今度は何をするつもりだ。今すぐ出ていけ」
無感情なルーフェンの声が、葉擦れの音と共に響く。
しかし、シルヴィアは怯むことなく手を伸ばすと、ルーフェンの頬にそっと触れた。
「そんなこと言わないで。……ねえ、もっとよく顔を見せて」
「──触るな……!」
瞬間、ルーフェンが、勢いよくシルヴィアの手を払いのけた。
衝撃で突き飛ばされたシルヴィアの肢体が、地に打ち付けられて、華奢な腰から後方に崩れる。
手をついた際に、地面で擦ったのだろう。
シルヴィアの掌からは、うっすらと血が滲んでいた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.300 )
- 日時: 2020/09/01 18:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「な、なにしてるんですか!」
流石に黙っていられないと、ルーフェンを押し退けて飛び出すと、トワリスは、シルヴィアの元へと駆け寄った。
いつになく動揺しているルーフェンの様子も気になるが、どんな理由があろうと、息子が母親に暴力を振るって良いわけがない。
ルーフェンは、シルヴィアよりも背丈があるし、力だってあるのだ。
一方のシルヴィアは、まだ病み上がりの身だし、そうでなくても、打ち所が悪ければ大怪我に繋がっていたかもしれない。
トワリスは、シルヴィアを抱き起こすと、ルーフェンを見た。
「シルヴィア様は、シュベルテでの襲撃に巻き込まれて、アーベリトまで治療のために運ばれてきたんですよ」
非難の意味も込めて言ったが、ルーフェンの態度は変わらなかった。
顔を一層強張らせ、殺気立った視線をシルヴィアに向けている。
ややあって、トワリスの方を見ると、ルーフェンは口を開いた。
「……トワ、こっちに来て」
鋭さの中に、哀願の響きが混じったような声で言われて、トワリスは戸惑った。
再会を喜ぶ母を突き飛ばすなんて、どんな理由があったって、許されることではない。
しかし、今のルーフェンには、支えてやらねば崩れてしまいそうな、不安定な表情が見え隠れしていた。
どうすべきか迷っていると、不意に、シルヴィアの薄い唇が、にんまりと弧を描いた。
今までの、淡白で穏やかな笑みとは違う。
不気味で、冷ややかな微笑であった。
トワリスの耳元に唇を近づけると、シルヴィアは、そっと囁いた。
「……私たちの邪魔、しないで」
先程、一瞬だけ感じた寒気がぶり返して、トワリスは、咄嗟にシルヴィアから距離をとった。
心臓が、激しく脈打ち出す。
シルヴィアは、トワリスの手を借りることなく、緩やかな所作で立ち上がった。
「……お部屋に戻るわ。数日間、相手をしてくれてありがとう」
銀の髪を揺らして笑みを深めると、シルヴィアは、トワリスを見た。
擦ったはずの彼女の手に、もう血は滲んでいない。
次いで、シルヴィアはルーフェンを見た。
「もう二度と会えないと思っていたから、久々に顔が見られて、嬉しかったわ。私の処遇は、陛下とご相談して、どうぞご自由に」
「…………」
ルーフェンは答えなかったが、シルヴィアは、それだけ言って満足したのか、ふわりと髪を翻して踵を返した。
遠ざかっていく背中をきつく睨みながら、ルーフェンは、じっと押し黙っている。
トワリスが傍らに立つと、ようやく我に返ったのか、ルーフェンは、シルヴィアから視線を外した。
「……大丈夫? 何かされてない?」
心なしか、語尾を震わせて、ルーフェンが問いかけてくる。
トワリスは、ふるふると首を振った。
「別に、なにも。……気分転換になるかと思って、中庭にご案内してただけですよ」
努めて平然と答えると、強張っていたルーフェンの顔に、微かに安堵の色が浮かんだ。
本当は、まだ心臓が激しく脈打っていたが、シルヴィアに対して感じた恐怖を、今のルーフェンに打ち明ける気にはならなかった。
邪魔をしないで、と囁かれたあの時、シルヴィアは、確かに笑っていた。
口調も表情も穏やかで、何かをされたわけでもないのに、どうしてあの時、背筋に震えが走ったのか──。
寒気の理由が、トワリスには分からなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.301 )
- 日時: 2020/09/04 18:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、上目にルーフェンを見上げた。
「あの……何か、あったんですか?」
「…………」
ルーフェンが、視線だけを投げ掛けてくる。
聞くべきではないのかもしれないと思いながら、トワリスは、躊躇いがちに唇を開いた。
「いや……その、シルヴィア様と。あんまり、仲が良くないのかなと……」
尻すぼみになっていく自分の声を聞きながら、トワリスはうつむいた。
なんとなく、ルーフェンの顔を見てはいけないような気がしたのだ。
お互いに黙っていると、不意に、ルーフェンがトワリスの腕を掴んだ。
驚いて顔をあげれば、ルーフェンが、こちらを見つめている。
こんなにも沈痛な面持ちをしたルーフェンを、トワリスは、一度も見たことがなかった。
「あの人には……絶対に関わらないで」
腕を掴む手に、わずかに力がこもる。
「え……でも、サミルさんが」
「いいから、俺の言うことを聞いて」
いつにない真剣な口調で言われて、トワリスは、頷くしかなかった。
こちらを見つめる銀色の双眸が、色を変えて、ゆらゆらと揺蕩っている。
近くで見ると、改めて、シルヴィアとルーフェンは似ていなかった。
トワリスは、こくっと息を飲んだ。
「わ、わかりました。……でも、本当に、何もなかったんですよ。むしろ、その……シルヴィア様は、優しかったです。ちょっと不思議な方だなとは思うことはありましたけど、綺麗で、いつも笑ってて……見てると、こっちまで穏やかな気持ちになれると言いますか……」
必死に言葉を探して言い募ると、ルーフェンは、ふと表情を消した。
見えなくなったシルヴィアの背を一瞥してから、ルーフェンは、睫毛を伏せた。
「……そうかな、気色悪いだろう。いつも薄ら笑ってて……」
冷たく放たれたその言葉に、トワリスの胸が、ずきりと痛む。
シルヴィアの笑みを、温度のない無機質なものだと感じる気持ちは、先程までのやりとりで、トワリスにも少し分かった。
しかし、彼女はルーフェンの母親だ。
理由あって不仲なのかもしれないが、仮にも母親を、悪く言われたくはないだろう。
そう思って、トワリスは、シルヴィアの擁護をしたつもりであったが、どうやらそれは、不要だったらしい。
ルーフェンがシルヴィアに向けたのは、軽蔑──それだけであった。
シルヴィアは、ルーフェンと会うのは七年ぶりだと言っていた。
つまり、遷都をしてルーフェンがアーベリトに移ってからは、一度も顔を合わせていなかったのだろう。
二人の間にある溝を、トワリスは知らない。
だから、口出しなどできるはずもなかったが、折角母親が生きていて、足を伸ばせば会える距離に存在しているのに、あえて遠ざけるなんて、トワリスには勿体ないことのように思えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.302 )
- 日時: 2020/09/07 19:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンはしばらく、冷ややかな眼差しで、去っていったシルヴィアの面影を追っていた。
だが、不意に、自分が今、どんな顔をしているのか思い至ったのだろう。
はっとトワリスの方を見ると、慌てて手の力を緩めた。
「ごめん……なんでもないんだ。ありがとう、母を気に掛けてくれて」
柔らかい声で言われて、トワリスは、ほっとしたように肩の力を抜いた。
やっと、いつものルーフェンが戻ってきてくれた気がしたのだ。
一方で、申し訳なさも感じていた。
ルーフェンが“あの人”ではなく“母”と言い換えたのは、おそらくトワリスを気遣ってのことだろうと分かっていたからだ。
トワリスは、まごついた。
「い、いえ……私こそ、よく知りもしないのに、余計なことを言ってすみません。お、親子と言っても……いろいろ、あるんですよね、きっと」
「……やっぱり、何か言われた?」
ルーフェンに鋭く切り込まれて、咄嗟にぶんぶんと首を振る。
今の自分の発言こそ、余計だったかもしれない。
ルーフェンはつかの間、探るような目でトワリスを見ていたが、ややあって、小さく息を吐くと、肩をすくめた。
「本当に、なんでもないんだよ。……ただ、母と俺はやっぱり似ているから、もう関わりたくないだけ」
似ている、という言葉と、関わりたくない、という言葉が結び付かず、トワリスは首を傾げた。
皆が言うほど、シルヴィアとルーフェンが似ているとは思わなかったが、やはり血は繋がっているので、ふと目を伏せた時の顔立ちなんかは確かに面影がある。
しかし、それがなぜ関わりたくないことに繋がるのか、トワリスには理解できなかった。
意味を問うように見上げると、ルーフェンは、一拍おいてから眉を下げた。
「……俺、子供の頃は、死んでも召喚師にはなりたくないと思ってたんだよね」
突然切り出されて、トワリスが目を丸くする。
ルーフェンは、冗談っぽく続けた。
「でも、なりたくないって言ったところで、そんなの認められるわけないだろう? シュベルテから逃げ出して、どこか遠くに行こうか、とか……色々考えたけど、召喚師一族として生まれた時点で、もう避けられないことだったんだ」
トワリスは、神妙な面持ちでうつむいた。
「そ、それは……確かに、難しいですね。シュベルテから出るだけじゃ見つかるでしょうから、本気で逃げるなら、少なくとも、魔導師団の管轄外の地域には出ないといけません。というか、まずはその目立つ髪と目をどうにかしないと」
ぶつぶつと呟きながら、トワリスは眉間に皺を寄せる。
思いの外──否、期待通りでもあったが、想像以上に真剣に悩み始めたトワリスに、ルーフェンは苦笑を浮かべた。
「そこは肯定的なんだ? トワのことだから、文句垂れてないで覚悟を決めろとか、男なら腰を据えて働け、とか言ってくるかと思った」
「なんですか、その勝手なイメージは……」
トワリスは、不満げに口をとがらせた。
「自分で志望したならともかく、生まれは選べないでしょう。召喚師をやめるって言われたら、国としては困りますけど、本気で嫌だったんなら仕方ありません。とりあえず、相談には乗ってたと思いますよ、私も、ハインツも。……あ、でもルーフェンさんが召喚師になってなかったら、私とハインツはここにいなかったか……」
どちらにせよ、子供の頃の話なら、まだ私達は会ってすらいなかったですよね。
そう付け加えて、トワリスは、再び眉を寄せる。
召喚師以外の道など、選べるわけがなかった。
それは、ルーフェンが一番よく分かっていたし、トワリスも、過ぎた仮定の話だからこそ、こんな風に気軽に答えているのだろう。
それでも、当たり前のように拒絶を受け入れ、共に考えてくれているトワリスに、ルーフェンは微笑んだ。
「そうやって、一緒に悩んでくれる人が、母にはいなかったんだろうね。いたのかもしれないけど、気づかなかった。……そういう、可哀想な人なんだよ」
トワリスの目が、ゆっくりと見開かれる。
ルーフェンは、少し困ったように笑みを深めた。
風に揺れる銀髪が、日の下できらきらと輝いている。
目を伏せ、花を哀れんでいたシルヴィアの姿が、トワリスの脳裏にはくっきりと焼き付いていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.303 )
- 日時: 2020/10/24 23:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
中庭でトワリスと別れると、ルーフェンは、サミルのいる書庫へと向かった。
シルヴィアとトワリスのことを見かけたのは、シュベルテから帰還し、その報告に上がる道中での出来事だったのだ。
書庫に足を踏み入れると、古い紙とインクの匂いが鼻をつく。
本棚が延々と連なる光景は、帰還後久々に見る懐かしいものであったが、今日ばかりはまるで目に入らない。
ルーフェンは、奥まった場所に位置する文机で、書類に埋もれているサミルを見つけると、足早に近づいていった。
「──ああ、ルーフェン。良かった、無事に帰って来られたみたいで……」
接近するルーフェンに気づくと、サミルが席を立ち、和やかに微笑む。
しかし、出迎えの言葉には一切反応せず、乱暴な所作で机に手をつくと、ルーフェンは口を開いた。
「なんであの人をアーベリトに入れたんですか」
抑揚のない、怒りを抑え込んだ口調で言って、ルーフェンがサミルを見る。
サミルは一瞬、目を見開いて硬直したが、“あの人”がシルヴィアのことを指すのだと気づくと、真剣な表情になった。
「……療養のためです。シルヴィア様は、先の襲撃が原因で、何日も気を失っておられたのですよ」
「シュベルテで治療しろと、突き返せば良かったじゃないですか」
吐き捨てるように言ったルーフェンに、サミルは眉を下げた。
「突き返すだなんて……そういうわけにはいかないでしょう。魔導師団の方が、シルヴィア様の身を案じて、遥々連れてきて下さったんです。シュベルテでは、イシュカル教会の動きが活発化しているために、身体を休めるならば、アーベリトのほうが安全だろうと。……君も、シュベルテの現状を見てきたのではありませんか?」
「そんなこと、俺の知ったことじゃありません。前召喚師の身の安全なんて、もうどうだっていいでしょう。今の召喚師は、俺なんですよ!」
横目にサミルを睨み付けると、ルーフェンが声を荒らげる。
サミルはたじろいだ様子で、つかの間沈黙していたが、やがて、ルーフェンの肩に手を置くと、静かな声で言った。
「……ええ、そうです。今の召喚師は、ルーフェン、君なんですよ。それなのに、何を怯える必要があると言うのですか。シルヴィア様には、もう何も出来ないでしょう」
「…………」
微かに睫毛を震わせて、ルーフェンがサミルを見つめる。
そのまま、ゆるゆると息を吐き出すと、ルーフェンは文机にもたれかかった。
「……分かってますよ。分かってますけど、理解できません。サミルさんは、自分の兄を殺した女と、このアーベリト、どっちが大切なんですか」
感情を押し殺したような声で、ルーフェンが問いかける。
サミルは、うつむくルーフェンの背に手を移すと、穏やかに答えた。
「立場を考えずに言ってしまえば、私は、アーベリトが一番大切ですよ。その中に、勿論君も入っています。だからこそ、本当は後悔していたのです。……七年前、遷都が決まった際に、君とシルヴィア様を引き離してしまったことを」
「は……?」
驚いたように顔をあげて、ルーフェンが目を見張る。
サミルは、微かに目を伏せた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.304 )
- 日時: 2020/09/12 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「シルヴィア様のなさってきたことを、許すつもりはありません。ただ、シュベルテに彼女を一人で残してしまったこと……本当は、君も気がかりだったのではありませんか? シルヴィア様は、君にとって、血の繋がったたった一人の家族でしょう」
シュベルテを去った七年前、サミルがシルヴィアに、共にアーベリトに来ないか、と声をかけていた時のことを思い出す。
サミルは、孤独なシルヴィアに手を差し伸べるつもりで、あんなことを言ったのかと思っていた。
しかしあれは、母を想っているであろう、ルーフェンのためにとった行動だったというのだろうか。
ルーフェンは、不快そうに眉を歪めた。
「血が繋がっているから、なんだって言うんです? 俺が、今でもあの女に家族らしい絆を求めていて、心の底では、ずっと気に掛けていたと……本気でそう思っているんですか?」
意図せず、責めるような口調になったが、サミルは否定しなかった。
「君が、シルヴィア様に対して抱いている気持ちが、家族に対する情なのか、哀れみなのか……はたまた、別の何かなのか。それは、私の口から出しては、単なる押し付けになってしまうでしょう」
ルーフェンの背を、ゆっくりとさすっていた手を止めると、サミルは、悲しげに答えた。
「……けれど、どんな想いであれ、君はずっと、お母様のことを気に掛けているように見えていましたよ」
「…………」
開きかけた口を閉じて、ルーフェンが押し黙る。
サミルの言葉を反芻していると、かつて、シルヴィアとその侍女、アリアの手紙を見てしまった時の記憶が、脳裏に蘇った。
当時、十四だったルーフェンは、王座を狙うシルヴィアの没落を、一心に願っていた。
しかし、親交のあった元宮廷魔導師、オーラントが偶然見つけてきた母と侍女の手紙を見て、ひどく衝撃を受けた。
感情など持ち合わせていないのだろうと思っていた母が、もらった手紙を後生大事に保存しているなんて、予想外だったからだ。
思えば、ルーフェンのシルヴィアに対する見方が変わったのは、あの時だったのだろう。
忌み嫌っていた母の本来の姿を、初めて直視したような気分になった。
あと一歩踏み込めば、シルヴィアとの関係に、なにかしら変化が起きていたかもしれない。
だが、ルーフェンはあえて踵を返した。
母の真意など考えたところで、現在のシルヴィア・シェイルハートが、何人もの命を貶めた人間であることに変わりはないからだ。
最終的に、ルーフェンはアーベリトを選んで、サミルもまた、ルーフェンを選んだ。
ルーフェンは、自分の母を嫌忌し、関わりを持たぬままで在りたかったのだ。
ルーフェンは、乾いた笑みをこぼした。
「……あるとすれば、同情ですよ。確かに、可哀想な人だとは思います。でも、それだけです。俺は、あの女がどうなるかよりも、アーベリトの方が大事です。サミルさんたちがいてくれれば、それで……」
呟くように言うと、サミルの顔が、ますます悲しげに歪む。
サミルは、弱々しい声で告げた。
「……ルーフェン。君が昔から、アーベリトを守ろうと頑張ってくれていることは、よく知っています。……でも、永遠に続く時間は、ないんですよ」
ルーフェンの瞳が、微かに揺れる。
言葉を続けようとしたサミルを、ルーフェンは遮った。
「──つまり、あと数年もすれば、アーベリトは王権を手放して、俺もシュベルテに戻らなくちゃいけない。だから、今の内に母親と仲直りでもしておけ……ってことですか?」
サミルの顔が、さっと青ざめる。
慌てて首を振ると、サミルは否定した。
「違います、そういう意味ではなくて──」
「何が違うんです? 事実でしょう。カーライル王家が復興したら、召喚師一族も王都に戻ることになる」
「それは……そうですが、私が言いたいのは、そういうことでは──」
その時、不意に、書庫の引戸が叩かれた。
お互いに、口を開こうとしていたサミルとルーフェンは、同時に口をつぐむ。
しん、と静まり返った書庫の中で、一拍置いて、どうぞ、とサミルが声をかけると、扉を開けて入室してきたのは、サイであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.305 )
- 日時: 2020/09/14 19:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「失礼いたします、サイ・ロザリエスです。陛下、こちらにいらっしゃったのですね。召喚師様におかれましては、シュベルテからのご帰還早々に、大変申し訳ありませんが、お二人にご相談したいことがございます。今、お時間よろしいでしょうか?」
恭しく頭を下げたサイに対し、サミルとルーフェンは、視線を合わせる。
二人の間に流れる、重々しい空気感を感じ取ったのだろう。
サイは、あ、と声をこぼした。
「もしかして……お話の途中でしたか? 出直したほうがよろしければ、また後程伺います」
「……いや、構わないよ」
再び礼をし、下がろうとしたサイを、ルーフェンが呼び止める。
サミルは、進言の許可をしてサイに頷きかけてから、ルーフェンに対し、小声で囁いた。
「……また今度、時間をください。話したいことがあります。シルヴィア様には、物見の東塔にお部屋をご用意しています。私はもちろん、トワリスにも様子を気にかけるよう、お願いしていますから……しばらくは、このまま滞在させるつもりです」
柔らかい口調だが、意見を変える気はないと、確かな主張が込められた言い方であった。
ルーフェンは、微かに息を吐くと、同じく小声で答えた。
「……分かりました。でも、サミルさんたちは、あの女に関わらないで下さい」
短く答えて、ルーフェンは、サイのほうに視線を移す。
サイは、躊躇いがちに本棚の並ぶ通路を抜けると、サミルとルーフェンの前に跪いた。
「お邪魔をしてしまい、大変申し訳ございません。お話は、よろしかったのですか?」
「うん。別に、大したことじゃないから。……で、相談って?」
先程までの重い空気を感じさせない、軽い口調でルーフェンが尋ねる。
一方のサミルは、まだ緊張感を引きずっているのか、やや面持ちが硬い。
普段はにこやかなサミルの表情が、遠目でも分かるほど強ばっていたのだ。
決して“大したことではない”ようには見えなかったが、ルーフェンの態度を見る限り、これ以上は触れぬ方が良いのだろう。
サイは、余計な詮索はすまいと唇を引き結ぶと、本題に移った。
「ご相談と言うのは、セントランスの件です。怪我人はシュベルテとアーベリトで分担し、あらかた病院に収容し終えましたが、人命救助と復旧にばかり、時間をかけているわけには参りません。セントランスが指定してきた『追悼儀礼の日』まで、あと一月半ほどです。陛下のご意向通り、近々、セントランスには交渉の申し入れをすることになるかと存じますが……その、城館内では、やはりセントランスは応じないだろう、という見方が強いようです。一度、シュベルテの被害状況も鑑みて、召喚師様のお考えもお聞かせ頂けないでしょうか」
言いながら、サイは、懐から擦りきれた紙束を取り出した。
サイ自身でまとめて、書き記したものなのだろう。
その紙束には、今回の襲撃によるシュベルテでの被害状況や、セントランスからの宣戦布告の詔書内容などが、事細かに記録されていた。
再び席に着いたサミルを一瞥すると、ルーフェンは、あっけらかんと返した。
「お考えも何も、陛下が交渉の場を設けるって言うなら、俺はそれに従うよ。今のシュベルテは、とても戦力換算できるような状態じゃないし、かといって、残るアーベリトとハーフェルンじゃ、セントランス相手に開戦すれば無傷ではいられない。宣戦布告に応じるのは、最終手段にしたいところだね」
無傷ではいられないどころか、確実に敗北するだろう。
──とは口に出さなかったが、あまりにも平然としているルーフェンに、サイは戸惑いを隠せなかった。
セントランスの脅威に晒され、いつこの平穏が崩れ去るのだろうという恐怖心から、王都を含む三街の民たちは、皆、眠れぬ夜を過ごしている。
セントランスが絶対的優位に立っている現状では、交渉の余地などなく、開戦したところで勝機はない。
しかし、セントランスの要求を飲み、王権を捧げて支配下に入れば、それこそアーベリト側の未来が潰えることは分かりきっているだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.306 )
- 日時: 2020/09/17 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
神妙な顔つきのサイに、サミルは落ち着いた声で言った。
「皆さんのご意見は尤もですし、セントランスの領主であるアルヴァン候の性格を考えても、話し合いで解決する、というのはなかなか難しいでしょう。しかし、先日の会議でもお話した通り、私は決して、投槍になっているわけではありません。どう転んでも三街を守り抜けるよう、手を打つつもりです。既に、セントランスに宛てた親書は認めてあります。この親書が返送されるか否かで、開戦に踏み切るかどうかを決定します。ですから、それまでは、交渉の申し入れを受け入れさせることに、賭けたいと思っています」
手元にあった、厳重に封のされた書簡を、サミルが目で示す。
国王自筆の署名が入ったそれを見て、サイは、訝しげに眉を寄せた。
「……受け入れさせる、というと、何か策がおありなのでしょうか?」
答えようとしたサミルを、ルーフェンが視線で制する。
ルーフェンは、肩をすくめて答えた。
「具体的なことは、まだなんにも。サイくん、だっけ。……どうすればいいと思う?」
ここで問い返されるとは思わず、サイは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
ルーフェンは、一見微笑んでいたが、見ようによっては、挑発的な色を瞳に浮かべているようにも見えた。
考え込んでうつむくと、サイは唇を開いた。
「……二案あります。一つは、我々と争わず、協力関係にあったほうが、セントランスにも利があると説得することです。シュベルテと関係を結ぶことは言わずもがな、ハーフェルンの持つ、他街との強い繋がりや交易路、そしてアーベリトの持つ医療技術には、金や領地には変えられぬ価値があると存じます。セントランスを懐に入れる是非は問われましょうが、もし、アルヴァン候が三街の持つ価値に注目して下されば、ひとまず、争いの道は避けられるかもしれません」
サミルが、小さく首を振った。
「それは……残念ながら、七年前に既に試みたことです。シュベルテから王権を譲り受ける際に、セントランスにも私達と協力関係を結ぶよう声をかけたのですが、一蹴されて終わってしまいました。アルヴァン候は、なかなかに頭の堅いお方で……」
苦々しく嘆息したサミルに、ルーフェンも、肩を怒らせて王都選定の場から出ていったセントランスの領主、バスカ・アルヴァンの姿を思い出した。
厳正な決闘を行い、次期国王を決定するべきだと主張していた彼は、アーベリトへの遷都が決まった瞬間に、腹を立てて謁見の間から出ていってしまったのだ。
今回の宣戦布告も、当時の蟠(わだかま)りが大いに関係しているはずだ。
再度和解を求めたところで、それをセントランスが受け入れることはないだろう。
なるほど、と呟いてから、サイは、二つ目の案を出した。
「では、一か八か、こちらも脅しに出るというのはいかがでしょうか。セントランスが戦にこだわっているのは、歴史的な土地柄もありますが、必ず勝てるという確証があるからこそです。その勝機を奪って、弱みに付け入れば、交渉に応じる可能性が出てきます。……はっきり申し上げましょう、セントランスがシュベルテの襲撃時に使ったとされる異形の召喚術。あれを封じられるならば、活路は見出だせるかと」
サイの発言に、室内の空気が変わる。
ルーフェンは、唇で弧を描くと、跪くサイの前に屈んで、目線を合わせた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.307 )
- 日時: 2020/09/19 18:38
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「いいね、それ。召喚師一族の力を保有したとかなんとか、見え透いたほらを吹かれて、俺も不愉快だったんだ」
「と、言いますと……やはり、シュベルテを襲ったのは、召喚術由来の力ではないのですか……?」
「サイくんは、召喚術だったと思うの?」
再び問い返されて、サイは、困ったように口ごもる。
逡巡の末、ルーフェンに向き直ると、サイは慎重に言葉を選んだ。
「決して、召喚師様のお力を軽んじるつもりはないのですが……正直、あり得ない話ではない、と考えておりました。セントランスは、過去に王権を持っていた都市でもありますから、何かしら召喚師一族に関する情報を持っていても、不思議ではありません。ただ、私は実際に、シュベルテを襲った異形を見たわけではありませんし、本物の召喚術を拝見したこともありません。悪魔というものが、一体どんな姿形をしているのか。魔語がどういった規則性を持った言語で、どれほどの効力と発現力を持ったものなのか……何一つ知りません。ですから、召喚師様が召喚術ではない、と仰るならば、きっとそうなのでしょう」
ルーフェンは黙ったまま、しばらくサイの目を見つめていた。
だが、やがて立ち上がり、手近な本棚に背を預けると、小さく吐息をついた。
「俺も、異形とやらをこの目で見た訳じゃないけど、報告を聞く限りじゃ、召喚術でないのは確かだよ。仮に“召喚術を使えるのは召喚師一族だけ”っていう前提がひっくり返って、悪魔を従えた人間が他にいたのだとしても、召喚術は、並の人間一人分の魔力量で扱えるものじゃない。花祭りの場に、何人くらいのセントランスの魔術師が紛れていたのかは知らないけど、あの警戒の中じゃ、大勢入り込むのは難しいだろう。少なくとも、あの場で儀式的に大勢で召喚術を完成させることは、絶対に不可能だ」
言い切ったルーフェンに、サイは眉を寄せた。
「しかし……遠隔から行使していたのであれば、必ずしも不可能とは言いきれないのではありませんか? 魔力供給を行う魔導師たちを他の場所に待機させ、召喚術の術式を彫った別の魔導師を、シュベルテに送り込むのです。そうすれば、火付け役の一名が潜入するだけでも、理論上行使は可能になるでしょう」
サイの指摘に、ルーフェンは眉を上げた。
「……まあ、最後まで聞いて。理由は、他にもあるんだ。第一、召喚術なんて大層な名前がついているから、異形が出てくるような想像をされたのかもしれないけど、悪魔っていうのは本来“可視化された状態で呼び出したりしないんだよ”」
「え……?」
サイが、驚きの声をこぼす。
ルーフェンは、淡々と言い募った。
「火や水でも、金属でも、そこに無いものを発現させる魔術っていうのは、大概ややこしいでしょ。その原理と一緒だよ。召喚師は、悪魔を召喚する時、“自分の身体を媒体に使うんだ”。そうすれば、悪魔を可視化させる余分な魔力を使うこと無く、術を行使することができる。つまり、化け物を呼び出して街を襲わせる、なんていう魔術自体が、召喚術でない証拠なんだよ。悪魔を見たことがない、平凡な魔導師たちの妄想に過ぎないってわけ。仮に召喚術を『膨大な魔力を消費する、魔語を用いた憑依術』だと定義するなら、今回の襲撃で用いられた術には、何一つ当てはまらないし、改めて考えてみても、“召喚術を使えるのは召喚師一族だけ”っていう前提が、覆せるとは思えない。……それに、もし、本物の召喚術だったんなら、宣戦布告なんて回りくどい真似をしなくても、最初からシュベルテごと吹っ飛ばすことだって出来ただろうしね」
目を細めて、ルーフェンが微かに笑う。
強張った顔つきで話を聞いていたサイは、ルーフェンが口を閉じたあとも、額に汗を浮かべて沈黙していた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.308 )
- 日時: 2020/09/23 13:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
長い間、サイは、険しい顔つきで自分の掌を見つめていたが、ややあって、姿勢を正すと、静かな声で尋ねた。
「そもそも、悪魔とは、一体なんなのでしょうか……。魔語に関しても、それほどまでに読解が難しいものなのですか?」
ルーフェンは、肩をすくめた。
「さあ? 悪魔の正体に関しては、俺も教えてほしいくらいだね。魔語についても、おそらく古語由来……いや、古語が魔語由来と言うべきか。とにかく、なんとなく規則性がある言語だっていうのは推測できるんだけど、それ以上は何も分からない。一つ言えるとすれば、魔語は無限にあるから、召喚師一族以外の人間が読解するのは、骨が折れるだろうってことかな」
「無限にある……? どういうことですか?」
「魔語は表語文字なんだよ」
「表語文字……」
サイが、興味深そうに繰り返す。
ルーフェンは、変わらぬ笑みを浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。
表語文字とは、一文字で意味を成す言語のことを指す。
元は絵に起源を持つとされ、会話に用いるための言語というよりは、事物を表すための記号や絵文字、と表現した方が近いだろう。
対して、特定の順序で並べたり、規則性に乗っ取って発音をすることで意味を成す言語を表音文字といい、一般的にサーフェリア内で使われる言語や、魔術に使われる古語は、こちらにあたる。
ルーフェンは、ふと腕を上げると、指先を宙で動かした。
すると、その軌跡が光の帯となって残り、小さな魔法陣のような記号──魔語を形成していく。
空に無数の魔語を書き終えたところで、ルーフェンは、その一つ一つを示していった。
「例えば、これは一文字で調和、次が対立、その隣が虚言を意味する魔語だよ。つまり、言葉の数だけ魔語は存在するってこと。召喚師一族は、初見でも意味が分かるけど、普通の魔導師にはただの記号にしか見えない。仮に、規則性や文法を見つけたとしても、無限にあることを考えると、一から読み解こうとなんて途方もないだろう?」
ごくりと息を飲んで、サイは、光の帯を凝視している。
初めて目の当たりにする魔語に、こめかみの血管が、どくどくと音を立てていた。
ルーフェンが魔語を消すと、サイは、我に返ったように口を開いた。
「……分かりました。では、召喚師様の仰ることをまとめますと、召喚術というのは、一般の魔導師一人分の魔力量では到底扱えず、そもそも、今回シュベルテを襲ったセントランスの魔術は、悪魔を身に宿す、という召喚術の定義には根本から当てはまらない。また、召喚術に使用される魔語は、謎に包まれた部分が多く、研究する者がいない現在では読解することはほぼ不可能。以上の点から“召喚術を使えるのは召喚師一族だけ”という前提が覆ることはない、と……」
「そういうこと」
場に似合わぬ軽薄な声音で、ルーフェンが答える。
サイの言葉は的確で、表情もいたって落ち着いているように見えたが、彼の手がわずかに震えていることに、ルーフェンは気づいていた。
サイは、床に額をつけた。
「……ありがとうございます、今のお話を聞いて、安心いたしました。それだけ否定材料があれば、セントランスに脅しをかけるには、十分そうですね」
次いで、頭を上げると、サイはサミルのほうに向き直った。
「陛下、お願いがございます。私に、セントランスへの親書を届ける役目を、お任せ頂けないでしょうか」
ルーフェンとサミルが、一瞬、目を見合わせる。
サイは、膝に置いた拳を、白くなるほど握りしめた。
「十日……いえ、七日ください。その間に、入院している者たちから、異形の目撃証言を集め、シュベルテを襲った“召喚術もどき”の正体を、私が明らかにいたします。そして、セントランスに親書を届けた際に、詔書に書かれていた召喚術が偽物であったことを指摘した上で、陛下との交渉の場を設けて頂けないか、伺ってみましょう」
サイの真剣な眼差しが、サミルの視線と交差する。
サミルは、すぐには返事をしなかったが、答えは既に決まっている様子であった。
「……非常に危険な任です。セントランスの出方次第では、無事にアーベリトに戻って来られるか分かりません。……それでも、やって頂けますか?」
「はい。覚悟の上です」
間髪入れずに、サイは迷いなく答える。
躊躇いの色が見え隠れするサミルから、一切目をそらさずに、サイは続けた。
「出過ぎた真似とは存じますが、自身の守護も固める必要がある今、召喚師様がアーベリトをお空けになるのは、得策ではありません。どうか、私にお任せください。アーベリトの魔導師として、必ずやり遂げてみせます」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.309 )
- 日時: 2021/01/10 22:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
「──トワリス……!」
焦ったようなハインツの声で、トワリスは、はっと我に返った。
ハインツの頑健な拳が、唸りをあげて、眼前に迫ってくる。
咄嗟に双剣を交差させ、その拳を受けたトワリスであったが、しかし、真っ向から食らった重々しい衝撃に、こらえきれず、背中から草地に倒れた。
弾けとんだ剣が一本、甲高い音を立てながら、頭上に舞い上がる。
痺れたような痛みが骨まで響き、思わず呻き声をあげると、ハインツが、蒼白になって、仰向けのトワリスをのぞきこんだ。
「だっ、大丈夫……?」
おろおろと視線を彷徨わせながら、ハインツが、問いかけてくる。
トワリスは、両腕に異常がないか確かめると、ゆっくり立ち上がった。
「……ごめん、ぼーっとしてた」
「い、いや、俺が、力加減、間違えた、かも……」
胸元でもじもじと指先を絡ませながら、ハインツが項垂れる。
地に突き刺さった双剣の片割れを回収すると、トワリスは、呆れたように肩をすくめた。
「稽古の時は、力加減しなくていいって何度も言ってるじゃないか。今のは、集中してなかった私が悪いんだよ」
「で、でも……最近、トワリス、疲れてる、みたいだし……」
躊躇いがちに俯いて、ハインツが口ごもる。
一瞬、むっと眉を寄せたトワリスであったが、否定はできなかった。
ここのところ、通常の業務に集中できていない自覚はあったのだ。
黙っていると、今までは気にならなかった葉擦れの音や、噴水の水面が揺れる音が、やけに大きく聞こえる。
微かな風が耳元をかすると、脳裏で、豊かな銀髪が翻った。
深くため息をつくと、トワリスは、噴水の石囲に腰かけた。
「……ハインツ。ルーフェンさんが、どうしてシルヴィア様を遠ざけようとするのか、知ってる?」
「…………」
ハインツが、不思議そうに首を傾げる。
この様子では、ルーフェンとシルヴィアの間に溝があることすら、ハインツは知らないようだ。
トワリスは、足を動かしながら目を伏せると、再度嘆息した。
ルーフェンから、シルヴィアに近づくなと警告を受けて、数日が経った。
あれ以来トワリスは、約束通り、シルヴィアと関わらずにいる。
だが、一度だけ、様子が気になって物見の塔に足を向けてみると、彼女は、閉めきった室内で、窓も開けずに過ごしているようであった。
母子の間に、何か特別な事情があったとして、トワリスに口出しをする権利はない。
しかし、たった一人で部屋に閉じ込め、監視をするだけで外部との接触を絶つなんて、療養とは名ばかりの、まるで軟禁ではないか。
そんな思いがわき上がる度に、動けぬ花を哀れんでいたシルヴィアの横顔が、何度も頭の中に蘇るのだ。
黙って俯いていると、返事に困ったハインツが、そっとトワリスの顔色を伺ってきた。
いつもなら、休んでいる暇などないと言い張って、息切れするような厳しさで剣術やら体術やらを教えてくれるトワリスだが、最近はずっと、この調子で萎れている。
数瞬、どうすべきか迷った末に、トワリスの隣にちょこんと座ると、ハインツは口を開いた。
「わ、分からない、けど……あんまり、仲は良くない、のかも。ルーフェンから、お、お母さんの話、聞いたこと、ない……」
「…………」
ふと顔を上げたトワリスが、ハインツを横目で見る。
ややあって、目線を前に向けると、トワリスは、吹き抜けの廊下の方をぼんやりと眺めた。
「毎日でなくてもいいから、シルヴィア様を外に出してあげられないかな。ほら、セントランスがシュベルテを襲撃した時の状況を聞くとか、そういう理由があれば、ルーフェンさんも許してくれるかもしれないし……。あるいは、サミルさんのほうを説得するとか。何にせよ、今のままじゃ、あまりにも──……」
言いかけて、口を閉じる。
トワリスは、しばらくの間、思い詰めた表情で閉口していたが、やがて、考えを振り払うように首を振ると、石囲から立ち上がった。
「……やっぱり、なんでもない。無関係の私が、首を突っ込むことじゃないよね。今はセントランスとの揉め事で、それどころじゃないわけだし、仕事に集中しないと」
自分に言い聞かせるように呟いて、トワリスは、ぐっと拳を握る。
現状、最優先すべきなのは、セントランスへの対抗策を練ることである。
そう意気込んでおかねば、あっという間に、頭の中をシルヴィアに支配されそうであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.310 )
- 日時: 2020/09/25 19:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
口には出さなかったが、トワリスの抱える懐疑心は、ハインツにも理解できるような気がした。
実際、サミルとルーフェンのシルヴィアに対する反応は、彼ららしからぬ点が多いのだ。
トワリスの話を聞く限り、シルヴィアは、それほど容態が悪いわけでもなさそうだ。
それなのに彼女は、物見の塔で一人、囚人の如く幽閉されている。
最初は、人目に触れると騒ぎになってしまうため、一時的に塔に身柄を移したのかと思っていたが、シュベルテからルーフェンが戻ってきて以降、その厳重な隔離ぶりに拍車がかかった。
この露骨な遠ざけ方を見れば、誰だって、ルーフェンとシルヴィアの間には、何かあるのではないかと勘繰り始めるだろう。
ルーフェンは、掴み所のない性格故に、長年隣にいても、その心の奥深くまでは見せてくれたことがない。
そんな彼が、シルヴィアに対して、周囲にも分かりやすいくらいの嫌悪感を示したことは驚きだったし、塔に閉じ込めるなんていう所業を、サミルが黙認したことも意外であった。
結局ルーフェンは、帰ってきてから一度も、シルヴィアに会いに行っていない。
仮にも母親で、要人であるシルヴィアへの誠意の感じられない扱い方には、疑念を抱かざるを得ないのであった。
立ち上がったトワリスが、誰かに声をかけたので、ハインツは顔をあげた。
吹き抜けの長廊下を、前が見えぬほど大量の魔導書を抱えたサイが、よたよたと歩いている。
手を貸そうと腰をあげたハインツより速く、トワリスが、サイに近づいていった。
「大丈夫ですか? 手伝いますよ」
そう言って、サイが抱える魔導書の半分を、トワリスが取り上げる。
目の前が開けてから、ようやく話しかけられていることを理解したようなサイの顔を見て、トワリスはぎょっとした。
彼の頬はげっそりと痩け、目の下には、色濃い隈が浮き出ていたからだ。
「サイさん……どうしたんですか。ここ最近見ないと思ったら、ひどい顔色してますよ。ちゃんと食べてないでしょう」
トワリスが眉を下げると、サイは、いまいち分かっていないような顔で、へらっと笑った。
「あ……ちょっと、色々と立て込んでしまって。大丈夫、大丈夫ですよ。この間、水は飲んだので」
「この間って……いつの話ですか」
思わず嘆息して、顔をしかめる。
サイの呆けたような態度に、既視感を覚えて、トワリスは肩をすくめた。
サイは、まだ魔導師の訓練生だった頃にも、昼夜問わず魔導書を読み耽って、栄養失調で倒れたことがある。
たまたま訪ねたトワリスが、運良く発見したから良かったものの、あのまま放置されていたら、どうなっていたか分からない。
サイは、一度夢中になって根を詰めると、周りが見えなくなる質なのだ。
自分が持っていた魔導書をハインツに渡し、サイが抱えていた残りまで奪い取ると、トワリスは、厳しい口調で言った。
「これ、どこまで運べばいいんですか? 私たちがやっておくので、サイさんは、ご飯食べて寝てきて下さい」
「……へ!? いや、それは悪いですよ!」
突然目が覚めたように瞠目して、サイが、魔導書を取り返そうと手を伸ばす。
その手を難なく避けると、トワリスは、睨むようにサイを見上げた。
「体調管理も、大事な仕事の内ですよ。倒れる前に、休んできてください。魔導書の運搬くらい、私とハインツでやれば、すぐに終わりますから」
「で、ですが……トワリスさんたちも、午後から病院のほうに巡回にいかないとならないでしょう。忙しいのに、申し訳ないですよ」
「平気です。私、雑念を払うために、今は仕事に集中したい気分なので」
「ざ、雑念……? いや、とにかく、お気持ちは有り難いのですが、これは私がやらないと意味がないんです!」
珍しく、強く主張してきたサイに、トワリスが動きを止める。
訝しげに視線を向けると、サイは、辿々しく口を開いた。
「その……陛下と召喚師様から、セントランスへ親書を届ける役目を仰せつかっているんです。五日後、賭けにはなりますが、宣戦撤回の交渉に応じてもらえるよう、アルヴァン候を説得……というか、恐喝します。そのために、セントランスがシュベルテの襲撃時に使った魔術について、情報を集めていて……」
サイの言葉に、トワリスとハインツが、顔を見合わせる。
ややあって、大きく目を見開くと、トワリスは驚嘆の声をあげた。
「親書って……えっ、交渉申入の件ですか? 届けるって、サイさんが一人で? 私たち、そんなこと一言も聞いてませんよ!」
声を荒らげて、トワリスが詰め寄ってくる。
サイは、一瞬焦ったような顔になると、及び腰で答えた。
「え、えっと……すみません。隠していたわけではないのですが、あまり言いふらすことでもないかと思いまして……。ほら、アーベリト内でも、開戦すべきだという声が多く上がっているじゃないですか。ですから、現段階では、内密に事を進めた方が、色々と穏便に収まるかな、と……」
言いながら、サイの視線が、すーっと横に反れていく。
トワリスは、そんな彼の顔を疑わしげに見つめていたが、やがて、持っていた魔導書をサイに突き返すと、確信めいた口調で問い質した。
「召喚師様に、私たちには言わない方がいいって言われたんですね?」
「えっ」
サイの眉が、ぎくりと動く。
その反応に確証を得ると、トワリスは、怒り顔で踵を返した。
「ちょっ、ちょっと待ってください、トワリスさん! 違うんです、この件は、私が陛下と召喚師様に頼んで──」
「ハインツは、サイさんのこと手伝ってあげて!」
慌てて引き留めてきたサイを無視して、トワリスは、ハインツに指示を飛ばす。
狼狽える男二人を置いて、トワリスは、ルーフェンの執務室へと向かったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.311 )
- 日時: 2020/09/28 19:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「サイさんを一人でセントランスに行かせようなんて、一体どういうつもりなんですか!」
執務室に突撃し、ルーフェンの真正面に座ると、トワリスは、開口一番にそう告げた。
ルーフェンは、広々とした長椅子で寛ぎながら、何やら手紙の封を切って、中身を眺めている。
目前の長机には、書類が広げられていたが、それらは単なる古い報告書の束のようで、セントランスと関係があるようには思えない。
サイに危険な任を押し付けたくせに、ルーフェン自身は、全くもって緊張感のない様子である。
「んー? どういうつもりって? 親書は近々届ける予定だったし、その役目をサイくんが買って出てくれたから、お願いしただけだよ」
トワリスのほうには目もくれず、手紙をいじりながら、ルーフェンが答える。
あまりにも気のない返事に、トワリスは、思わず身を乗り出した。
「だからって……! どうして私やハインツに、事前に知らせてくれなかったんですか? まだ開戦には至っていないというだけで、セントランスとは、実質敵対関係なんですよ。それなのに一人で向かわせるなんて、考えられません」
勢いよく顔を近づけると、ようやくルーフェンが、トワリスの方を見た。
しかし、一瞥をくれただけで、すぐに手紙へと視線を戻してしまう。
何がおかしいのか、くすくす笑うと、ルーフェンは肩をすくめた。
「そうは言っても、大人数で押し掛けたって、警戒されるだけだよ。争う気はないっていう意思表示に行くんだから、なるべく無防備な状態で行かないと」
「無防備にも程がありますよ! サイさんを一人で行かせるなら、私も着いていきます。二人くらいだったら、敵意があるようには見えないでしょう?」
「えー、でもトワって馬鹿正直だから、交渉とか向いてなさそうだしなぁ」
「ぅ……」
ぐっと言葉を詰まらせて、トワリスが押し黙る。
確かに、アーベリトの命運を賭けた交渉取付の場で、確かな爪痕を残せるほど、トワリスは弁が立たない。
そういう意味では、頭の切れるサイを使者として選んだのは、英断と言えよう。
それでも、納得できない様子で顔をしかめると、トワリスは言い募った。
「だったら……私でなくてもいいです。とにかく、誰かしら付き添わせてください。短期間で交渉材料を集めて、敵地に乗り込むんですよ。サイさん一人に押し付けるのは、どう考えても危険だし、無理があるじゃないですか。サイさん、さっきだって、何日も寝ていないような顔で、ふらふらしながら魔導書運んでたんです」
「うーん……とはいっても、アーベリトのほうを手薄にするわけにはいかないしなぁ」
トワリスの必死の説得も虚しく、ルーフェンは、尚も生返事を寄越してくる。
我慢できなくなって、更に前のめりになると、トワリスは声を荒らげた。
「もう! ちゃんと話を聞いてください! こっちは真剣なんですよ! なんなんですか、手紙ばっか見てへらへらと……!」
言いながら、ルーフェンが持っている手紙を、強引に取り上げる。
すると、嗅いだことのある薔薇の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。
手紙に染み込んでいたらしい、その甘やかな香りは、かつて、トワリスが仕えていたハーフェルン領主の一人娘、ロゼッタ・マルカンの香水の匂いである。
執筆中の移り香というよりは、あえて手紙に香り付けしたような、濃厚な匂いであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.312 )
- 日時: 2020/10/10 18:42
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
つかの間、動きを止め、手紙とルーフェンを交互に見ると、トワリスは、訝しげに目を細めた。
「……これ、ロゼッタ様からの手紙ですよね?」
ルーフェンが、眉をあげる。
「うん、よく分かったね」
「匂いで分かります」
感心した様子のルーフェンに対し、トワリスは、冷ややかな口調で答える。
一度落ち着こうと、ゆっくり息を吐くと、トワリスは、身を戻して長椅子に座り直した。
「……良いご身分ですね。王都の緊急時に、婚約者からの手紙を読んで、呑気ににやついていたわけですか」
刺々しいトワリスの言葉に、ルーフェンは苦笑した。
「やだなぁ、そんな楽しい内容の手紙じゃないよ。今、シュベルテの魔導師団が動ける状態じゃないから、ハーフェルンの守りをどうするか、って話」
「ふーん……」
「……妬いてるの?」
「そう見えるんだとしたら、ルーフェンさんの頭は手遅れだと思います」
「辛辣だね」
言いながら、ルーフェンはからからと笑う。
トワリスは、じっとりとした視線を投げ掛けながら、次いで、机の上の書類を手に取った。
「これは、魔導師団からの報告書ですか?」
見慣れた魔導師団の印を確認してから、ぱらぱらと何枚か捲ってみる。
ルーフェンは、あっけらかんと答えた。
「そうそう、ちょっと古いけどね。俺のことが書いてあるんだよ」
内容に目を通すと、ルーフェンの言う通り、書類は全て、召喚師に関する記録であった。
史実に残っている歴代の召喚師の名前から、現職のルーフェンが行ってきた施策まで、事細かに記載されている。
中には、ルーフェンが急進派のイシュカル教徒集団を陥落させた時のことや、南方のノーラデュースへ行き、リオット族を引き入れた時のことなど、現役の魔導師でも、その場にいなければ知り得ないようなことまで記されていた。
トワリスはしばらく、静かに報告書を読んでいたが、やがて、目をあげると、胡散臭そうに尋ねた。
「……で、大事な報告書であることには間違いないですが、これは、セントランスの件と何か関係があるんですか?」
「いや? 直接は関係ないよ。ただ、俺かっこいいなぁと思って見返してただけ」
「…………」
もはや言葉も出ない、といった様子で、トワリスが呆れ顔になる。
無言で書類と手紙を机に戻すと、トワリスは、すっと席を立った。
「もういいです。サミルさんに、直接言いに行きます」
「ちょっと待って。冗談だよ、本気にしないで」
そのまま執務室を出ていこうとすると、ルーフェンが、間髪入れずに呼び止めてくる。
笑いを噛み殺したような、真剣味のない彼の表情には、反省の色など全く見えない。
それでも、目が合うと手招きをしてきたルーフェンに、大きく嘆息すると、トワリスは再び長椅子に腰を下ろした。
「……で、何の話だっけ?」
「サイさん一人をセントランスに送り込むのは反対だって話です!」
能天気なルーフェンの問いに、トワリスが、食い気味に答える。
いよいよ殴りかかってきそうなトワリスに、ルーフェンは、ようやく姿勢を正した。
「そんなに怒らないで。まあ、トワの言うことも分かるよ。敵地に単身乗り込むわけだから、身の安全は保証できない。でもそんなことは、いつ攻め込まれるか分からないアーベリトにいたって同じことだろう? なんにせよ、交戦を避けるために、交渉申入の親書は誰かが届けなきゃいけない。俺は、サイくんが適役かなーと思ったけど、トワはそう思わない?」
「それは……」
意地の悪い聞き方をされて、トワリスは、思わず言い淀んだ。
ここで頷けば、意図せずサイを貶すことになってしまう。
トワリスは、しかめっ面で首を振った。
「……私だって、サイさんが適役だとは思います。サイさんは、すごい魔導師です。訓練生だった頃から、誰よりも頭が良くて……。分厚い魔導書の内容も、一回読んだだけで隅々まで覚えちゃうし、洞察力とか、判断力も的確です。それでいて、傲らないので、皆が彼は才能のある人だって認めていました。でも、だからこそ──……」
そこまで言って、トワリスは口をつぐんだ。
うっかり、ルーフェンに言うつもりではなかったことまで、こぼしてしまいそうになったからだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.313 )
- 日時: 2020/10/13 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
サイがいくら有能でも、敵地に一人で向かうのは危険である。
一人よりは、二人で行った方が生きて帰れる可能性は高まるわけだから、親書を届けるならば、トワリスも同行したい。
この言い分も、確かに本心であった。
だが、トワリスには、それ以上に懸念していることがあったのだ。
サイは、セントランスが用いた異形の召喚術を暴き、親書を届ける役目を、自ら買って出たと言う。
そうして今、寝食も忘れ、窶れるまで魔導書を読み耽っている。
そこまでする彼の原動力が、アーベリトを想う心ならば良いのだが、なんとなく、トワリスはそう思えなかった。
おそらく、彼を動かしているのは、召喚術という未知への探求心──。
勉強熱心で根気強い、なんて言えば聞こえは良いが、その異様な執着心は、数年前のサイの姿を彷彿とさせるのであった。
以前にもサイは、死体を継ぎ接いで作られた魔導人形、ラフェリオンを構成する禁忌魔術に魅入られて、同じように魔導書を読み耽っていたことがある。
トワリスは、自分たちが手を出して良いことではないと止めたが、サイは耳を傾けず、それどころか、禁忌魔術は素晴らしい、色々な可能性を秘めているのだと訴えてきた。
アーベリトでサイと再会してから、約一年。
サイは変わらず優しく、頼りになる同輩で、あれ以来、禁忌魔術に固執しているような姿は、一度も見ていなかった。
故に今回、サイがどういうつもりで、親書を届ける役目を引き受けたのかは分からないし、確かな根拠がない以上、この疑念を、サミルやルーフェンに打ち明ける気はない。
それでもトワリスは、身の内にある不信感を、完全に拭い去ることはできなかった。
禁忌魔術の次は、召喚術に執着し始めたのではないか、とか、だとすれば、サイを止められる人間が側にいた方が良いのではないか、とか、そんな不安が全て、トワリスの杞憂であったなら、それで良いだろう。
ただ、今でも狂気を孕んだサイの瞳が、ふとした拍子に脳裏によみがえる。
禁忌魔術に魅了されたサイの姿は、トワリスにとって、それだけ衝撃的で、恐ろしかったのだ。
「──だからこそ、嫌な予感がする?」
ふと、ルーフェンに問われて、トワリスは瞠目した。
まるで、心を見透かされたような質問だったからだ。
トワリスは、努めて平静を装いながら、口を開いた。
「……心配なんです。セントランスに行くことも、例の術に関して調べることも、一人じゃ荷が重いでしょう。誰かがやらなきゃいけないっていうのは分かりますが、サイさん一人に押し付けるべきじゃありません。人殺しの異形を召喚する術なんて、明らかに危険な魔術じゃないですか。……もし、禁忌魔術だったりしたら、どうするんですか」
はっきりとした口調で述べて、ルーフェンをまっすぐに見つめる。
あくまでトワリスは、サイの身を案じているだけだと言い張ったつもりであったが、それでルーフェンを欺ける気はしなかった。
ルーフェンの探るような視線に、思わず肩に力が入る。
顔を背ければ、それこそ心中を見通されてしまいそうだったので、トワリスは、ルーフェンから目をそらさなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.314 )
- 日時: 2020/11/01 05:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
しばらくの間、二人は無言で見つめていたが、ややあって、ルーフェンは目を伏せると、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……禁忌魔術って、なんなんだろうね。危険な魔術と、そうじゃない魔術の境って何?」
「え……」
虚をつかれて、トワリスが瞬く。
一拍置いてから、微かにうつむくと、トワリスは眉を寄せた。
「禁忌魔術は……『時を操る魔術』と、『命を操る魔術』です。大規模な術故に使ったときの代償が大きいから、最悪、術者が死に至ることもあり得る、危険な魔術だと……」
咄嗟のことに、教本通りの解答しか出てこない。
他にどう答えれば良いのか、考えていると、矢庭にルーフェンが、掌をトワリスの前に出した。
すると、光の帯が手中で魔法陣を描き、次いで、弾かれたような勢いで、水の塊が形成されていく。
水塊は震え、やがて、冷気を纏って氷の結晶と化すと、ルーフェンの掌上に鎮座した。
「……例えば、空気中の水を凍らせたとして、その氷を溶かす方法は、幾通りもあるだろう。熱魔法で溶かしてもいいし、あまり知られたやり方ではないけれど、魔法陣自体を反転させて逆の作用をさせてもいい。……あるいは、時間を巻き戻したって、氷は水に戻る」
言いながら、掌を返して魔法陣を反転させると、途端に氷は水となり、机上にこぼれ落ちる前に、泡立って蒸発した。
舞い上がった水蒸気が、ルーフェンの指の隙間を抜けて、大気に溶けていく。
見ているだけでは、ルーフェンがどの方法で氷を溶かしたのか、分からなかった。
腕を戻し、長椅子に背を預けると、ルーフェンは言った。
「少量の氷を溶かすくらい、魔術をかじった人間なら、誰でも簡単に出来る。その方法が、熱魔法でも、禁忌魔術でも、ね。……多分、その魔術が危険か否かなんて、明確な線引きは存在しないんだ。魔術は、扱い方さえ知っていれば、どれも簡単に使えてしまう。けれど裏を返せば、どれも危険になり得る。場合によっては、大きな代償が必要なものも、簡単に使えるから怖いんだろう」
「…………」
簡単だから、怖い──。
その言葉には、核心をつく響きがあった。
トワリスも、まだ孤児院にいた頃、リリアナの脚を治したい一心で、禁忌魔術を使ってしまったことがある。
当時は、魔導師団に入ってもいなかったので、禁忌魔術だなんて言葉すら知らないような、ただの無知な子供であった。
それにも拘わらず、無意識に、禁忌魔術を使えてしまったのだ。
禁忌魔術は、その危険性から、関与する一切が禁止された特別なものだという認識が強い。
日常では触れることのない、古の時代の禁術。
世間一般では耳にもしないような、幻の存在とすら思われがちである。
しかし、実際のところはどうだろう。
触れまいと遠ざけてきた結果、魔導師であるトワリスですら、禁忌魔術についてはほとんど知らない。
ただ、本能的に危険な匂いがするから、目をそらしてきたようなものなのだ。
ルーフェンの言葉の意味を考えているうちに、首を細い糸で絞められているような、妙な息苦しさが襲ってきた。
もしかしたら、禁忌魔術と一般の魔術に、明確な差などないのだろうか。
氷を水にするのも、瞬間的に別の場所に移動するのも、時間を巻き戻す、時間を縮めると捉えれば、どちらも禁忌魔術である。
案外、禁忌魔術というものは、身近に佇む影のような存在なのかもしれない。
それこそ、獣人混じり故に魔力が少なく、知識もない十二のトワリスが、無意識に手を出してしまえるような──。
そう思うと、今まで見ていたものが、形を変えて見えるようになった気がした。
ルーフェンは何故、こんな話をしたのか。
現時点で、一体どこまで知っているのか。
問うように視線を投げ掛けると、ルーフェンは、あ、と声をこぼした。
「そんなことより、さっき匂いでロゼッタちゃんの手紙だって気づいたんだよね? トワの鼻って、どれくらいまでかぎ分けられるの?」
「……はい?」
突然の話題転換に、ぴくりと片眉を上げる。
ルーフェンは、何事もなかったかのような飄々とした態度で、言い募った。
「ほら、手紙の練香なんて、時間が経てばほとんど分からないでしょ。でも、トワなら分かるのかなぁって思って」
ルーフェンが、ロゼッタからの手紙をひらひらと振って見せる。
トワリスは、怪訝そうに眉を潜めてから、諦めた様子で肩をすくめた。
「……さあ。普通の人間の嗅覚が分からないので、私の鼻がどれくらい利くのかも、なんとも言えませんが。とりあえず、その手紙からは、だいぶきつい匂いがしますよ」
「へえ、そうなんだー」
間の抜けたような返事をして、ルーフェンは、ロゼッタからの手紙を見つめている。
苛々した顔つきでルーフェンを睨むと、トワリスは話の先を促した。
「あの、手紙の匂いと先程の禁忌魔術の話に、何の関係があるんですか? こんなところで、意味のない雑談に花を咲かせている時間はないのですが」
怒気を含んだ声で言うと、ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「まあ、そんなにぴりぴりしないで。関係はないけど、意味がないわけじゃない。場合によっては、やっぱりサイくんに着いていってもらおうと思って」
その言葉に、トワリスの顔色が変わる。
背筋を伸ばしたトワリスに、くすくす笑うと、ルーフェンは目を細めた。
「トワの勘と鼻の良さを見込んで、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.315 )
- 日時: 2020/10/20 19:39
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
初冬の鋭い空気に、耳鳴りがする。
サイとトワリスが、セントランスにたどり着いたのは、国境付近の移動陣を発ってから、四日目の夕刻であった。
西方の大都市、セントランス──。
シュベルテには及ばないものの、ハーフェルンに並ぶ広大な領土を持ち、かつてはサーフェリアの王都としても栄えた、歴史ある軍事都市である。
分厚い石壁の家々が聳え立つ光景は、しかし、同じく石造建築が主なアーベリトの雰囲気とは程遠く、頑強で、粗野な印象を受ける。
冬晴れの空を突く煙突からは、ゆらゆらと黒煙が立ち上り、冷たい風が吹く度に、随所に掲げられた軍旗がはためいていた。
街を東西に分断する大通りには、疎らに商店が並んでおり、都市の規模の割には、市場は閑散としていた。
品揃えも豊富とは言えず、そもそも、この街には、商人が少ないのだろう。
道行く人々の中には、帯剣した武人らしき男たちが多く見られた。
外套の頭巾を目深に被り、大通りを進みながら、トワリスは、ふと傍らを歩くサイを見た。
「……サイさん。この通りを抜ければ、アルヴァン候の屋敷です。本当に、別行動でなくて大丈夫ですか?」
何度も成された議論を、確認のために問うと、サイは、前を見つめながら答えた。
「はい。……見たところ、屋敷の周囲には二重の外郭が巡らされています。別々で行動したところで、万が一の事態に、一方が助けに入れるほど柔な警備体制ではないのでしょう」
「……分かりました」
短い応酬が終わった後も、トワリスは、サイの様子を横目にうかがっていた。
己の行動次第で、開戦するか否かが決まるかもしれない──その重責に、彼も緊張しているのだろう。
サイは、終始街並みに目を配りながら、硬い表情で歩いていた。
親書を渡す任に、トワリスも同行すると伝えた時、サイは、喜んでいたように見えた。
正直なところ、反対されると思っていたのだが、むしろ、心強いと安堵していたくらいである。
その時の、朗らかなサイの表情が、脳裏に浮かんでは消えていた。
しばらく二人は、黙ったまま、領主邸へと歩を進めていった。
市街を抜け、更に人通りのない一本道を歩いていくと、やがて、目の前に、高い石組みの塀が現れる。
巨大な鉄門の奥から、複数の馬蹄の音が響いてくるアルヴァン邸には、戦前のような、殺伐とした空気が漂っていた。
一度、トワリスと顔を見合わせてから、サイが長杖で鉄門を叩くと、ややあって、奥から声が聞こえてきた。
「何者か」
隙のない、野太い男の声。
サイは、息を吸ってから、凛とした口調で答えた。
「突然失礼いたします。王都アーベリトから参りました、使いの者です。アルヴァン候にお目にかかりたいのですが、お取り次ぎ頂けないでしょうか」
一瞬、門の向こう側で、ざわめきが起きた。
外郭の中には、複数の門衛がいるのだろう。
サイとトワリスを入れるべきかどうか、相談しているようであったが、何を話しているのかは、トワリスの耳でもはっきりとは聞こえなかった。
長い時間が経ってから、ようやく鉄門が開かれたかと思うと、中から、三人の武装した男たちが出てきた。
細身のサイと比べると、一回り以上も大きく見える、屈強な男たちである。
彼らは、まるで威圧するようにトワリスたちを囲むと、低い声で言った。
「候は今、どなたともお会いにならない。お引き取りを」
サイは、頭巾をとると、一歩も引かずに返した。
「我々は、停戦の申入をするために伺ったのです。陛下は、貴殿方セントランスとの争いを望んでおりません。どうか、アルヴァン候にこのことをお伝え下さい。そして、お目通りの機会を、何卒」
「……それが国王のご意志だと、信ずる証拠は」
「私達は、シュベルテの魔導師団に属する、アーベリト直轄の魔導師です。勅令で動き、陛下からの親書も預かっております。……恐れながら、アルヴァン候に拒否権はありません」
「…………」
サイが魔導師の証である腕章と、王印の入った親書を見せると、門衛たちの目が、怪訝そうに細まった。
互いに顔を見合わせて確認を取りながら、門衛たちは、サイとトワリスのことを精察している。
少し間を置いて、一人が、サイの前に手を出した。
「失礼ですが、親書をこちらで改めさせて頂きたい」
「…………」
サイは、つかの間躊躇ったが、小さく息を吐くと、親書を差し出した。
領主であるバスカ・アルヴァンに直接渡したかったが、ここで拒んで門前払いを食らっては、どの道、親書をバスカの元へと届けることはできなくなってしまう。
サイが親書を門衛に手渡す様子を、トワリスは、食い入るように見つめていた。
親書を広げ、そして、王印を確かめると、門衛たちは、渋々鉄門への道を開けた。
内心面白くはないが、勅令で動いているという証拠を出されては、これ以上の口出しはできない、といったところだろう。
二人がかりで押して、ようやく動き始めた鉄門は、重々しい音を立てながら、ゆっくりと開いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.316 )
- 日時: 2020/11/08 00:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
門を潜ると、サイとトワリスは、内郭へと伸びる石畳の上を歩き始めた。
その周囲を固めるように、三人の門衛たちが、囲んで着いてくる。
夕闇に沈む視界の中で、外壁に設置された篝火だけが、煌々と明るく燃えていた。
内郭の門に近づくと、不意に、前を歩いていた門衛が振り返った。
「ここから先は、武器の持ち込みが厳禁となります」
そう言って、門衛が装備を解くようにと指示を出してくる。
たった二人とはいえ、敵を懐に入れるわけだから、当然の要求とも言えるだろう。
しかし、剣帯から双剣を抜こうとしたトワリスは、意に反して、柄を握る手に力を込めた。
ほとんど同時に、サイが長杖を構える。
──瞬間、背後から斬りかかってきた門衛の一振を、トワリスは、咄嗟に抜刀して受け止めた。
重量のある一撃が上からのしかかり、威力では劣る双剣の片割れが、ぎりぎりと嫌な金属音を立てる。
剣が折れぬよう、わずかに刃の向きを変えて押し返すと、門衛は、驚いた様子で目を見張った。
トワリスと背中合わせになると、サイは、門衛二人と対峙した。
「何のつもりですか。私達が陛下のご命令で動いていることは、先程もご説明したはずです。貴殿方も、アルヴァン候に仕える身なら、主の許可無しに他街の人間を傷つければ、どうなるかくらい分かるでしょう。これは立派な、国に対する背反行為です。今ここで私達を殺しても、争いの火種に油を注ぐことにしかなりませんよ」
門衛は、一切表情を変えずに、淡々と返した。
「これがセントランスの総意──侯のご意思ととって頂いて構いません。元より、我々は三街を根絶やしにし、レーシアス家の時代に終止符を打つつもりです。油を注ぐことになるならば、それで結構」
サイは、眉根を寄せた。
「──では、何故宣戦布告をし、開戦までに猶予を設けたのですか? 最初から三街を潰すことが目的だったのなら、シュベルテを襲撃したその足で、アーベリトやハーフェルンに向かえば良かったではありませんか。しかし、貴殿方はそうしなかった。あえて時間を置いたんです。これを、私は交渉の余地ありと見ていたのですが……違いますか?」
「…………」
サイのこめかみに、脂汗が浮き出る。
これは、賭けであった。
本当に交渉の余地があるかどうかなど、実際のところは、分からなかったのだ。
わずかに目を細めた門衛たちの、微々たる表情の変化も見逃すまいと、サイは、慎重に言葉を選んだ。
「それとも、他に時間をかけなければならない、事情があったのでしょうか。……例えば、シュベルテに対して使った、あの異形の魔術。詔書には、召喚術だ、などと書かれていましたが、違いますよね。実際は、かなり無理をして使ったのではありませんか? 強力な術を使うなら、当然、それに見合った代償が必要です。貴殿方は、さも我々を追い詰めたかのように振る舞っておられますが、その実、頼みの“召喚術もどき”を連続で使うことができず、宣戦布告という形をとって、時間を空けざるを得なかったんです」
あえて挑発するような口調で、サイが言い募る。
門衛と剣を交差させ、拮抗した状態で、トワリスも、サイの言葉を注意深く聞いていた。
もし、セントランスの望みが“王位だけ”ならば、苦渋の決断として、争いを避ける道はあっただろう。
要は、アーベリト側が、早々に敗北を認めれば良いのだ。
満身創痍のシュベルテと、ろくな戦力を持たないアーベリトとハーフェルン。
この三街を相手に、たとえ勝利を確信していたとしても、戦わずして王位と地を手に入れられるならば、セントランスにとって、これ以上に有益なことはないのである。
しかし、当然アーベリトは、易々と王権を手放す気などない。
そんなことをして、セントランスの支配下に入れば、それこそ凄惨な結末を迎えることになることは、分かりきっているからだ。
そしておそらく、セントランスの狙いも、王位だけというわけではない。
セントランスは過去に、王都の座をシュベルテに奪われた歴史があり、また、七年前の王位選定の場では、ハーフェルンと言い争った末に、突如現れたアーベリトに王権を拐われている。
そういった怨みから、三街に報復を考えているのだとしたら、やはり、交渉の余地はない。
──であれば、もう、話し合いに持ち込む方法は一つだ。
セントランス同様、こちらも脅しに出るのだ。
言わば、ハッタリである。
三街は劣勢ではないと鎌をかけ、もし、セントランスが余裕を失えば、それを好機と対等の交渉へと持ち込むことができる。
それがアーベリト側にできる、無血解決のための最後の足掻きであり、サイが負っている役目であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.317 )
- 日時: 2020/11/07 15:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
サイは、一言一言を、強調するように言った。
「どうか、剣を下ろしてください。ここで私達を殺しても、何の益にもなりませんよ。シュベルテを落としたことで、優位に立ったと思っているのかもしれませんが、私達は、貴殿方の使った力が、召喚術でないことくらい分かっています。なんなら、セントランスがシュベルテを落とすために使った“からくり”を、今ここで、私がお見せしても構いません」
「…………」
剣先を向けたまま、門衛たちは、サイを見据えている。
サイは、落ち着いた声で言い募った。
「もう一度言います。剣を下ろしてください。……陛下は、開戦を望んでおられませんが、そのために、貴殿方に膝を折る気はありません。我々は、あくまで対等な立場での話し合いをご提案しています。アルヴァン候の御前で、その親書をよくご覧になってください。判断は、それからでも遅くないでしょう。決して、貴殿方にとって、損な話ばかりが書いてあるわけではありませんから」
門衛たちは、尚も黙り込んで、長い間、考えあぐねている様子であった。
だが、やがて一人が目配せをすると、門衛たちはそろって納刀した。
場に満ちた殺気が引いてから、サイとトワリスも、ようやく構えを解く。
門衛は、睨むような眼差しで二人を見ると、口を開いた。
「……どうぞ、ご無礼をお許しください。ですが、候への目通りを願うならば、まず我々に従ってもらいましょう。ご承知頂ければ、屋敷をご案内します」
威圧的な門衛の視線を受け、一瞬、躊躇ったように目を細める。
サイとトワリスは、互いに視線を合わせてから、小さく頷いたのだった。
そう都合よく、セントランスとの交渉に持ち込めるとは端から思っていなかったが、屋敷に踏み入って早々、地下牢に案内された時は、サイもトワリスも、流石にため息をつかざるを得なかった。
拘束されることは覚悟していたし、むしろ、手枷を嵌められただけで、それ以上の危害は加えられなかったので、状況としては良い方だろう。
だが、サミルの名を出しても、領主であるバスカ・アルヴァンに目通りできなかったのは、予想外であった。
想定では、すぐに追い返されてアーベリトに帰るか、目通りが叶えばバスカに交渉の約束を取り付けられるか、その二択だったのだ。
追い返されるわけでもなく、かといって、バスカに会えるわけでもない。
ただただ、地下牢で時間を浪費することになったのは、正直痛手であった。
石壁に囲まれた地下牢は薄暗く、唯一の光源は、壁に掛けられた松明の灯りのみである。
普段はあまり使われていない場所なのか、時折巡回に来る番兵の足音よりも、闇の中で蠢く鼠や、虫たちの気配のほうが濃い。
鉄格子の向こうに浮かぶ、ぼんやりとした松明の火影も、冷たい鉄錆の匂いも、トワリスには、嫌なほど懐かしいものであった。
「……すみません、うまく取り入ることができなくて。アルヴァン候にお会いすることはできると思っていたのですが、まさか、こうも聞く耳持たずの状態だとは……」
固い石畳に座り、サイは、項垂れた様子で呟く。
少し離れた位置に座って、手枷を見つめていたトワリスは、サイに視線を移すと、ゆるゆると首を振った。
「仕方ないです。私は、むしろうまくいった方だと思いますよ。場合によっては、すぐに斬り捨てられていてもおかしくなかったですし、捕まるにしても、手足の一本や二本、使い物にならなくなっていたかもしれません。こうして無傷で保護されているということは、きっと、サイさんの言葉が何かしら“突っかかり”になったんだと思います。それだけでも、私たちが遣わされた意味はあると言えるんじゃないでしょうか。本当にセントランスが開戦一辺倒の考えなら、私たちを生かして受け入れる理由なんて、全くありませんからね」
「それは、そうですが……」
辿々しく答えたサイの顔には、分かりやすいほどの落胆の色が浮かんでいた。
セントランスが使った“召喚術もどき”を、寝る間も惜しんで調べあげていた彼には、バスカ・アルヴァンを丸め込むための切り札が、まだまだ沢山あったはずだ。
しかし、肝心のバスカに謁見できないのであれば、それも無駄になってしまう。
門衛は、待てばバスカに会えるようなことを言っていたが、それが真実かどうかは定かではない。
今、こうして無為な時間を過ごしていることは、サイにしてみれば、努力が全て水の泡になったような結果なのだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.318 )
- 日時: 2020/11/07 18:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
サイは、弱々しく嘆息した。
「……今は、門衛の言葉が真実であることを祈って、アルヴァン候への謁見の機会を待つしかありませんね。あの場で引き返していれば、それこそ候に会えることはなかったでしょうし、私達の選択が正しかったと信じて、賭けるしかありません。いきなり地下牢にぶちこまれた時点で、望みは薄いかもしれませんが……」
萎れた花のように俯いて、サイは、ぶつぶつと独り言をこぼす。
対してトワリスは、慌てる様子もなく、淡々とした口調で返した。
「捕まってから、もう半日以上は経っていますから、今更、私達だけで候に謁見できることはないと思います。ただ拘束されているだけの現状を鑑みるに、私達は、セントランスにとっての大事な人質、捕虜といったところでしょう。もしかしたらアルヴァン候は、私達を捕らえたことを出しに、アーベリトに揺さぶりをかけるつもりなのかもしれません。……そうなったらそうなったで、交渉に持ち込めたようなものですから、結果的にはいいんじゃないでしょうか」
「い、いい……?」
サイは、表情をひきつらせた。
「いや、全然良くないですよ。私達の役目は、陛下からの親書を届けて、停戦交渉の場を取り付けてもらえるよう、アルヴァン候を説得、ないし脅すことだったんです。それなのに、逆に揺さぶりをかけられるようじゃ、私達、ただ足手まといじゃないですか。せめて、荷物を取り上げられていなければ、脱出用の移動陣も使えたんですが……」
トワリスは、冷静に答えた。
「確かに、穏便に交渉の場を取り付けることが一番の目的ではありましたが、そう簡単に行くだなんて、誰も思っていませんよ。説得が叶わない今、私達に出来ることは、開戦日まで籠城するつもりであろう、アルヴァン候を召喚師様の前に引きずり出すことです。たとえ恐喝されることになっても、アルヴァン候と召喚師様が対峙できれば、結果的に話し合いの場が成立します。まあ、平和的なものにはならないと思いますが……それでも、セントランスの真意が分からないまま、軍を率いて争い、被害が拡大するような事態は防げるかもしれません。サイさんも、そのための人質になることを覚悟して、この屋敷に入ったんじゃないんですか?」
「ぅ……」
罰が悪そうに目を反らして、サイは、言葉を詰まらせる。
ややあって、諦めたように肩を落とすと、サイは口を開いた。
「……ええ、そうですね。端から失敗が想定されていたのは、なんとなく感じていましたよ。ある意味、予定通りの展開です。……それでも、不安なものは不安なんです。あの門衛たちが、私達の訪問を、どう湾曲してアルヴァン候に伝えているか分かりません。伝わった情報次第で、アルヴァン候が、陛下や召喚師様にどんな脅しを突きつけるのかも、全く想像がつきません。セントランスは、争うことで権威を保ってきたような街です。そんな街と相対するには、アーベリトは優しすぎる。陛下も召喚師様も、聡明な方々ですから、一対一で向き合える場さえ作れれば、脅しになど屈しないと信じています。……ですが、出来ることなら、この私が、アーベリトの守り手として、大きく貢献したかったんです」
──なんて、出過ぎた真似でしょうか。
そう付け加えて、サイは眉を下げる。
トワリスは、黙々とサイの話を聞いていたが、やがて、目を伏せると、覇気のない声で尋ねた。
「……サイさんは、どうしてアーベリトのために、そんなに頑張っているんですか」
「え……?」
意図の読めない質問に、サイがぱちぱちと瞬く。
目を合わせようとしないトワリスに、サイは、不思議そうに首をかしげた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.319 )
- 日時: 2020/11/10 19:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「どうしてって……そんなの、アーベリトに仕える魔導師だからですよ。確かに、トワリスさんやハインツさんに比べれば、アーベリトに対する思い入れみたいなものが、私には少ないのかもしれません。でも、アーベリトに住む皆さんの優しさとか、穏やかな雰囲気が好きですし、それらが脅かされるというなら、この命に代えても、守りたいと思っています。……トワリスさんだって、そうでしょう?」
問い返せば、トワリスの睫毛が、微かに震える。
周囲が薄暗いので、はっきりとした表情の機微までは伺えない。
だが、見てとれるトワリスの動揺に気づくと、サイは、狼狽えたように身を乗り出した。
「え、トワリスさん、大丈夫ですか……? いや、こんな状況ですから、大丈夫ではないと思うんですけど……」
「…………」
トワリスが、すん、と鼻をすする音が響く。
硬直すると、サイは、慌てた様子で捲し立てた。
「え、あの、すみません。さっきから、私ばかり取り乱してしまって……。不安がったってしょうがないですし、人質である以上は命の保証をされているわけですから、トワリスさんの言う通り、これで良しとするべきですよね。一旦落ち着いて、セントランスの出方を見ましょう」
柔らかい口調で言い聞かせながら、サイは、気遣わしげにトワリスの顔を覗き込む。
トワリスは、返事をしなかった。
だが、しばらくして、何かをこらえるように口元を歪めると、サイに向き直った。
「……こうやって二人で話していると、訓練生だった頃のことを思い出しますね。どちらかというと、いつも突っ走ってしまうのは私の方で、サイさんは、どんな時も落ち着いていて、冷静で、的確でした。……だから、慌てるなんて、サイさんらしくありません。なんだか、わざと焦っているようにも見えます」
脈絡のない話題に、サイが、大きく目を見開く。
トワリスの顔をじっと見てから、サイは、戸惑ったように目を反らした。
「あ、はは……そんな、買いかぶりすぎですよ。私は、トワリスさんが思うほど、出来る魔導師じゃありません。本当はいつだって、失敗したらどうしようとか、焦って見誤ったらどうしようとか、不安で一杯ですよ。人間ですから」
「…………」
肩をすくめたサイに、トワリスも、曖昧な笑みを返す。
小さく吐息をつくと、トワリスは、昔を懐かしむように目を細めた。
「……サイさん、初めて話した時のこと、覚えてますか。卒業試験で、アレクシアとサイさんと、私で組もうってことになって。でも、最初は全然上手くいきませんでしたよね。寮部屋でアレクシアにアーベリトのことを貶されて、私が怒って、組むのやめるって口論になって……。見かねたサイさんが仲裁してくれなかったら、私、卒業試験をちゃんと受けられたかどうかすら分かりません」
思いがけない言葉だったのか、サイが、再び目を瞬かせる。
しかし、すぐに表情を緩めると、深く頷いた。
「もちろん、覚えていますよ。なんというか……アレクシアさんは色々と強烈な方でしたから、私も終始振り回されっぱなしでした。あれから、もう一年以上経つんですね。懐かしいです。……でも、なぜ今その話を?」
不意に尋ねると、トワリスは顔をあげた。
つかの間、言葉に迷った様子であったが、やがて、伏せた目で遠くを見つめると、静かに答えた。
「……いいえ。ただ、感謝を伝えておきたかったんです。サイさんが、努力家だって褒めてくれたとき、私、とても嬉しかったんですよ。訓練生の頃の私は、それこそ焦ってばかりで、沢山空回って、同期の中でも一際浮いた存在だったので……。サイさんが、私のことを見て、ずっと話してみたかったんだって言ってくれたとき、自分のやってきたことを、対等な相手に認めてもらえたような気持ちになりました。だから、あの時は、恥ずかしくてお礼も言えなかったんですけど……私ならアーベリトに行けるって、サイさんがそう言ってくれて、本当に、本当に嬉しかったんです」
それだけ言うと、トワリスはサイに視線を移して、笑みを浮かべた。
今にも泣き出してしまいそうな、ひどく寂しげな笑みであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.320 )
- 日時: 2020/11/15 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
出迎えの侍従たちに案内されて、ルーフェンとハインツは、アルヴァン邸の謁見の間へと向かった。
広間に続く大扉の前には、番兵たちが、頭を下げることもなく、威圧するように立っている。
彼らの不快そうな視線に対し、にこやかに応ずると、ルーフェンたちは、広間へと踏み入ったのであった。
椅子を用意しようと動いた侍従に、立ったままで良いと遠慮をすると、二人は、中央に伸びる青い敷物の上を進んだ。
広間の奥に設置された、床から数段高くなった首座には、セントランスの領主、バスカ・アルヴァンが鎮座している。
周囲には、百名近い魔導師たちが、長杖を携え林立しており、その中には、後ろ手に拘束されるサイとトワリスの姿もあった。
ルーフェンは、正装用のローブを靡かせ、広間の中ほどまで歩み出ると、やがて、立ち止まった。
その背に隠れるようにして、ハインツも足を止める。
壁の如く佇立する魔導師たちを見渡して、それから首座を見上げると、ルーフェンは口を開いた。
「ご招待頂いたので参りましたが、あまり歓迎はされていないようですね。お久しぶりです、アルヴァン侯。七年前、シュベルテの宮殿でお会いした時以来ですか」
悠々とした口調のルーフェンに、バスカは、その太い眉を歪める。
鈍く光る頑強な鉄鎧を纏い、まるで戦場を前にしたような鋭い眼光でルーフェンを睨むと、バスカは、刺々しく返した。
「このような出で立ちで、誠に申し訳ございません。無礼とは存じましたが、どうかご容赦を。……まさか、入り込んだ鼠二匹の名を出しただけで、本当に召喚師様ご本人がいらっしゃるとは、思いもしなかったものですから」
バスカが、捕らえられたサイとトワリスを目で示す。
ルーフェンは、肩をすくめた。
「部下想いで優しいって言ってもらえます? ほら、ご存知の通り、アーベリトにとって魔導師は貴重ですから、そう易々と手放したくはないんですよ。久々に、貴方ともお話したかったですしね」
緊張感のないルーフェンの物言いに、ますますバスカの顔が歪む。
バスカは、忌々しげに舌打ちをした。
「……なるほど、初めから狙いはそれか。小癪なガキめが……」
ルーフェンは、眉をあげた。
「はは、小癪? 貴方には言われたくないですね。親書を届けただけの、善良なアーベリトの魔導師を人質にとるなんて、それこそ小癪な手ってもんでしょう。とりあえず、こうして私たちはセントランスまでやって来たわけですから、そこの二人、返してもらえます? 格式高いアルヴァン侯爵様なら、約束は守ってくれますよね?」
「…………」
挑発するようなルーフェンの口調に、バスカがぴきぴきと青筋を立てる。
怒りの衝動をなんとか飲み下すと、バスカは、サイを捕らえている兵に合図を送った。
後ろから小突かれるような形で、前へと押し出されたサイが、乱暴に手枷を外され、ルーフェンたちの元へと戻される。
同じように、解放されるかと思われたトワリスであったが、しかし、ふと手を上げると、バスカは兵を止めた。
「……先ず、一人お返ししましょう。我々は、レーシアス王と召喚師様、お二人で来るようにとお伝えしたはず。我が邸に醜悪なリオット族を連れ込むとは、お話が違いますな」
言いながら、バスカがハインツを指差すと、ハインツは、びくりと縮こまった。
ゆっくりとルーフェンたちに歩み寄ったサイは、緊張した面持ちで、トワリスのほうを見つめている。
一方、セントランスの兵に捕らわれたままのトワリスは、さして動揺の色も見せず、抵抗する様子もなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.321 )
- 日時: 2020/11/19 18:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは、腰に手を当てると、困ったようにバスカを見上げた。
「勘弁してくださいよ。正式な交渉の場を設けて下さるなら、陛下と私、二人でセントランスに伺うつもりでした。でも、そちらが寄越してきた返事は、『捕らえた魔導師たちを殺されたくなければ、着の身着のまま来い』だなんていう脅迫文ですよ? 素直に全文了承するわけないじゃないですか。貴方たちが大暴れしたお陰で、今、こっちは混乱してるんです。そんな状況で、物騒な脅迫状のために、王が王都から離れるわけにはいきません。二人で来い、という言い分は聞き入れたんですから、大目に見てください」
言い募ってから、ルーフェンは、やれやれと首を振った。
「……というか私は、こうして貴方達と言い争う気なんてないんですけどね。こちらとしては、もっと穏便な方法を希望します。陛下からの親書、ちゃんと読んでくれました?」
「はて、どうでしたかな。命乞いの書状、とでも言った方がよろしいのでは」
鼻で笑って、バスカが言い捨てる。
片眉を上げたルーフェンに、バスカは、少し余裕を取り戻した様子で続けた。
「まあ、どうしてもと仰るならば、アーベリトの望む“穏便な方法”とやらをとっても構いませんよ。我々も、無抵抗の相手を嬲るほど、悪趣味ではございませぬ。もちろん、アーベリトが条件を飲んで下されば……の話ですが」
「……へぇ、それはそれは、ありがたいですね。で、その条件とは?」
「聞かずともお分かりでしょう。七年前、貴殿方がカーライル家から簒奪した王位です」
目元を歪ませ、バスカは、凄むような口調で答える。
ルーフェンは、わざとらしく嘆息した。
「やっぱりそうですか。いやぁ、困りましたね。他のご提案だったら検討できたと思うんですが、王位ばっかりは譲れません」
バスカが、わずかに目を細める。
「……何故です? 数年後には、アーベリトはシュベルテに王位を返還するのでしょう。どちらにせよ手放すなら、今や崩壊間近のシュベルテに返還するより、我々セントランスに託したほうが、サーフェリアの為にもなるとは思いませぬか?」
「はは、シュベルテを追い詰めたのは貴方たちなのに、随分な言いようですね。お断りしますよ。王位返還の約定は、他ならないシュベルテと交わしたものです。それに、アルヴァン侯は、私達のことがお嫌いでしょう? 貴方に統治権なんて握らせたら、絶対アーベリトやハーフェルンも落とされるじゃないですか。そんなの嫌ですもん」
緊張感のない声で言って、ルーフェンは、へらへらと笑みを浮かべる。
その綽々とした物言いが気に入らないのか、バスカは、奥歯をぎりぎりと鳴らした。
うーん、と考える素振りを見せながら、ルーフェンは、バスカに向き直った。
「何か、他の条件で妥協してもらえませんかね? シュベルテのことがあるので、お互い、今更仲直りしましょうって気分にはならないでしょうが……。仮にも私、召喚師なので、国の平和のために、できれば暴力的な解決はしたくないんですよね。ああ、そうだ、南大陸の鉱床くらいなら差し上げられますよ。あとは、今後良い取引をしてもらえるよう、ハーフェルンに口利きしても構いません。といっても、貴方はマルカン侯と仲良くするつもりなんて、毛頭ないかもしれませんが──」
その時だった。
突然バスカが、首座の肘置きを、拳で強く打った。
広間全体に打撃音が響いて、置物の如く整列していたセントランスの魔導師たちも、思わず肩を震わせる。
バスカは、しばらく黙ってルーフェンを見下ろしていたが、やがて、太い眉を吊り上げると、怒りを押し殺したような震え声で告げた。
「いい加減、その無駄によく回る口を閉じろ。我々は、呑気に話し合っているわけではない。勘違いをしないでもらおうか。これは交渉などではなく、一方的な蹂躙、そして脅迫なのだ。いいか、貴様らに与えられた選択肢は二つ──大人しく王位を譲るか、この場で殺されるかだ……!」
血走った目を光らせ、バスカは、眼光鋭くルーフェンを睨む。
あまりの剣幕に、人々が息を飲む中、ルーフェンは、尚も軽薄な態度を崩さなかった。
「脅迫、ねぇ……正直、意外ですよ。好戦的な性格なのは存じ上げていましたが、貴方はもっと、正々堂々とした方なのかと思っていました。七年前は、やれ決闘だのなんだのと騒いでいたのに、王都に選定されなくてひねくれたんですか? それとも、こういう陰湿なやり方を、誰かが貴方に吹き込んだとか?」
「口を閉じろと言っているだろう! 自分たちの置かれている立場が、まだ分からないようだな……!」
怒鳴りながら立ち上がると、バスカは、掲げた右腕を大きく振り下ろした。
すると、右翼の魔導師達が、寸分違わぬ動きで長杖を振り、その先端をルーフェンたちに向ける。
──次の瞬間。
眼球を灼く熱線が宙に集い、その形状を視認する間もなく、勢い良く弾けた。
矢の如き光の射線が、唸りをあげ、石床さえも削りながら、ルーフェンたち目掛けて飛んでいく。
雷鳴のような音が、耳をつんざいた。
白く染まった視界に、自分が目を閉じているのか、開けているのかも分からない。
しかし、衝撃に備えて踞ったサイが、状況を探りながら身体を起こすと、己はどうやら、五体満足のようであった。
恐る恐る顔をあげれば、ルーフェンとサイの前に、岩壁のような巨躯──ハインツが立っている。
三人を射貫くはずであった熱線は、ハインツの手中で抑え込まれ、形を失うと、その魔力を散らせたようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.322 )
- 日時: 2020/11/21 19:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ハインツの掌から、しゅうしゅうと煙が上がっている。
といっても、岩肌のように硬く変化したハインツの腕には、火傷とも呼べないような、うっすらとした赤みが残っているだけだ。
つかの間、ハインツは、少し驚いた様子で掌を見つめていたが、やがて、ふぅふぅと腕に息を吹きかけると、何事もなかったかのように、ルーフェンの傍らに戻った。
上等な敷物が、熱気で焦げ、元の深青色など跡形もなく変色して、足下で燻っている。
狙ったはずのルーフェンとハインツが、傷一つなく立っていることが分かると、バスカは、忌々しげに顔をしかめた。
煙たそうに咳をすると、ルーフェンは、呆れたように口を開いた。
「室内ではやめましょうよ、屋敷ごと吹っ飛ばすつもりですか? 言っておきますが、こちらにも勝算はあるんです。のこのこと二人で来たのは、まあ、二人でも大丈夫だろうと思ったからですよ」
ルーフェンの言葉に、バスカの顔色が赤くなる。
まだ年若い召喚師の、人を食ったような視線と物言いが、バスカは、昔から腹立たしくて仕方なかった。
一瞬、七年前の王都選定の場で、サミル・レーシアスが王権を勝ち取った時の記憶が、バスカの脳裏に蘇った。
耄碌した王太妃、バジレットの無機質な声と、誇りなど微塵も感じられぬハーフェルンの領主、クラークの媚びて上擦った声。
無害な聖人を気取りながら、狡猾にも王座を奪ったサミルの穏やかな表情も気に食わなかったが、それ以上に脳裏にこびりついているのは、年端もいかない召喚師の、人を見透かしたような眼差しであった。
まるで盤上の駒でも見下ろしているかのような、昔と変わらぬ銀色の瞳。
その目を見ただけで、バスカの中に、狂暴な怒りが噴き上がってきた。
「黙れ、黙れ黙れ──っ!」
怒鳴り散らして、周囲に控える全ての魔導師に指示を飛ばすと、一糸乱れぬ動きで、再び長杖が動き出す。
統制のとれた魔導師たちが、同時に詠唱を始めると、一定の調子で紡がれていた呪文は、やがて歌のように波立つ音となり、広間に反響した。
ややあって、足下に巨大な魔法陣が展開すると、サイは目を見張った。
ただの魔法陣ではない──それは、召喚師一族しか解読できないはずの、魔語が刻まれた魔法陣だった。
「召喚師様、お下がりください! この陣──侯はシュベルテで使った異形の術を使うつもりです!」
咄嗟にルーフェンの腕を掴むと、サイは叫んだ。
元々セントランスは、大規模な騎馬隊を持つことで恐れられる軍事都市である。
少人数で詠唱が必要な分、機動力に欠ける魔術戦よりも、訓練された騎兵による陸上戦を得意とするはずだ。
そのバスカが、わざわざ魔導師だけを並べて待ち構えていた時点で、嫌な予感はしていたのだ。
禍々しい魔力が、陽炎のようにゆらゆらと沸き上がり、退路を塞いでいく。
徐々に鈍く光り出した魔法陣を見て、ハインツは戸惑ったようにルーフェンを見たが、二人とも、その場から動こうとはしなかった。
なぜ逃げないのかと、問う時間もない。
焦ったサイが、せめて魔法陣の上からは退かねばと、ルーフェンの腕を強く引く。
しかし、悠然たる召喚師は、横目にサイを見ただけで、やはり微動だにしない。
──否、サイは、人一人を動かせるほどの力で、腕を引くことが出来なかったのだ。
「──……!」
不意に、全身から力が抜ける。
突如、血飛沫をあげた自分の両腕が、熟れ切った果肉の如く崩れ落ちていくのを、サイは、呆然と見ていた。
視界が揺らいで、気づけばサイは、冷たい石床に倒れ込んでいた。
もはや原型を留めていない前腕が、かろうじて肘に繋がった状態で、目の前に落ちている。
腕に自ら描いた魔語が、火傷のように皮膚にこびりついて、そこから、のろのろと血がにじみ出ていた。
床に展開していた魔法陣が、その効力を失って消える。
刹那、紡がれていた詠唱が途絶え、代わりに、押し寄せるような断末魔が響き渡った。
術を発動させるため、長杖を翳していた魔導師たちが、一斉にその陣形を崩す。
必死に腕をまくり、そこに描かれた、焼き付くような魔語を削り取ろうと、彼らは皮膚を掻きむしり、激痛を訴えながら、次々と倒れていく。
サイと同様、原型を保てなくなった血まみれの腕を押さえながら、魔導師たちは、身を蝕む恐怖に慄いた。
突如起きた身体の異変に、喚き、逃げ惑いながら、やがて、走り回る力さえも失うと、地面に突っ伏す。
びくびくとのたうつ魔導師たちの肢体が、山のように積み重なっていく光景を、バスカも、サイも、ただ見つめていることしかできなかった。
ついに、辺りが静かになったとき。
頭上から、くすくすと笑い声が落ちてきた。
我に返ったサイが目を動せば、ぞっとするほど澄んだ銀色と、視線が交差する。
「……残念、少し詰めが甘かったかな、サイくん」
「え……」
濃い血の塊と共に、微かな呟きが、サイの口から溢れ出す。
ルーフェンは、静かに嗤って、サイを見下ろしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.323 )
- 日時: 2020/11/24 09:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「な……なにを、言って──」
咄嗟に反論しようとすると、背中に重い衝撃がのし掛かってきて、サイは、ぐっと息を詰まらせた。
肋骨が、ぎしぎしと嫌な音を立てる。
ハインツが、サイの動きを封じようと、肩と背に手を置き、体重をかけてきたのだ。
悲痛な呻き声をあげると、ハインツは慌てて力を緩めたが、その場から退こうとはしない。
ルーフェンは、ハインツにそのままでいるよう告げてから、場に似合わぬ爽やかな口調で続けた。
「今更すっとぼけなくていいよ。君のせいで、何万人も死んでる。シュベルテを売り、召喚術の情報をセントランスに流した間者は君だろう。サイ・ロザリエス」
「……ち、ちがいます! 何を、仰っているんですか……!」
上体を反って声を絞り出せば、再びハインツに体重をかけられて、サイは苦しげに声を漏らす。
ルーフェンは、魔語が刻まれたサイの腕を、ゆっくりとなぞるように見た。
「違う? その腕を見れば、一目瞭然だろう。君だけが解放されて、俺たちに近づいてきた辺り、他ならぬサイくん自身も発動条件の一人だったわけだ。セントランスご自慢のエセ召喚術には、どうも発動場所に“核”となる魔導師が必要らしいからね。シュベルテが襲撃された時も、魔力供給に必要な魔導師の他に、現場に一人、それらしき魔導師が目撃されている。……ね、どうです、アルヴァン侯。私の読み、当たってます?」
言いながら振り返ると、ルーフェンは、今度はバスカのほうに視線を移した。
バスカは、倒れ伏す魔導師たちに囲まれて、言葉もなく立ち尽くしている。
石床の上で血を吐き、懸命に呼吸する魔導師たちは、まだ絶命していないようであったが、予想外の反撃を受けた動揺は、思考が回らぬほどに激しかった。
「…………」
“あの術”が、必ずしも成功するとは、バスカも思っていなかった。
それに、魔導師たちが生きているならば、まだ敗北したわけではない。
広間の外にも、まだ多くの兵たちが控えている。
それでも、得体の知れぬ策に嵌められた恐怖は、バスカを地に縛り、動けないように縫い止めていた。
バスカが答えずにいると、ルーフェンが、白々しく問い質してきた。
「んー、声がよく聞こえませんね。少し遠いので、もっと近くでお話しましょうか」
「……っ」
にっこりと笑って、ルーフェンが首を傾ける。
歯を食い縛ったバスカは、兵を呼ぼうと口を開いたが、すんでのところで、思い止まった。
ルーフェンが、一体どんな罠を巡らせているのか、まだ分からないままである。
召喚術を使ったようには見えなかったが、サイを含めた大勢の魔導師を、一瞬で血の海に沈めたのだ。
この広間全体に、何かしらの魔術をかけているのだとすれば、兵を呼んだところで、先程の二の舞になるだろう。
次の動きをルーフェンに悟られぬよう、素早く大剣を引き抜くと、バスカは身を翻した。
打つ手は、他にも残っている。
歯を剥き出して笑い、もう一人の人質──トワリスに剣を突きつけようとしたバスカは、しかし、その場で標的を失って、たたらを踏んだ。
すぐ傍で拘束していたはずのトワリスが、いつの間にか、忽然と姿を消していたのだ。
彼女を捕らえていた兵が、兜の外れた状態で倒れ、白目を剥いて気絶している。
──しまった、と思ったときには、もう遅い。
横合いから、懐に飛び込んできたトワリスの速さに反応できず、バスカが咄嗟に振った大剣は、虚しく空を斬った。
斬りかかった勢いで、前屈みになる。
その一瞬の隙に、鋭く突き上がってきたトワリスの蹴りが、バスカの顎に入った。
ガチンッ、と噛み合った歯が折れて、バスカが後ろに仰け反る。
衝撃で大剣を取り落としたバスカは、口を押さえて、思わず踞った。
鼻と口から溢れた鮮血が、指の間から、ぽたぽたと滴り落ちてくる。
すぐに体勢を整えようとしたバスカであったが、背後から大剣を突きつけられると、やむを得ず動きを止めた。
「──従ってください。抵抗すれば、首を落とします」
バスカから奪った大剣を、喉元にぐっと押し付けると、トワリスは短く囁いた。
兵から鍵を奪って、自力で手枷を外したのだろう。
トワリスの両腕は、既に拘束が解かれていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.324 )
- 日時: 2020/11/25 20:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスに立たされ、進むように促されると、バスカは、荒く息を吐きながら歩き出した。
ルーフェンたちの目前までやって来ると、バスカの肩越しに、サイとトワリスと目が合う。
サイは、トワリスを見つめて、顔を歪めた。
「トワリスさん……」
か細く名を呼べば、一瞬、トワリスの目に躊躇いの色が走る。
バスカに剣を突きつけたまま、トワリスはしばらく黙っていたが、ややあって、深呼吸すると、ゆるゆると首を振った。
「ごめんなさい……サイさん。でも、貴方の他に考えられないんです。以前、ご自分で言っていましたよね? セントランスに内通する裏切り者がいるなら、それは、シュベルテの内部事情もよく知っている人間だろう、って」
サイは、勢いよく否定した。
「ちがっ、違いますよ! シュベルテの内情に詳しい人間なら、他にも、沢山いるじゃないですか……! 何故、私だと──」
「では、セントランスに到着した日、門衛に何を渡したんですか? あれは、サミルさんから預かった親書ではありませんよね?」
「──!」
口調を強めたトワリスに、サイの目が、大きく見開かれる。
硬直したサイから視線をそらさず、トワリスは、悲しみと怒りが混ざったような、複雑な表情を浮かべていた。
訪れた沈黙に、ルーフェンが口を挟んだ。
「彼女は鼻が利くんだよ。本物の親書には、微かに匂い付けしてたんだ。中身をすり換えたり、加えたりしていればすぐに分かる。……召喚術の真似事だけでは限界を感じて、俺に探りを入れていただろう。大方、親書と偽って君が渡したのは、より精度の高い召喚術の真似の仕方ってところかな」
「…………」
唇をはくはくと開閉させながら、サイは、すがるようにバスカを見た。
バスカは、今までにないほどの厳しい顔つきで、サイを睨み付けている。
怯えたように下を向いたサイが、尚も繰り返した言葉は、聞き取れぬほどに弱々しいものであった。
「ち……違います。信じてください……」
譫言のようなそれには、もはや論駁の意思すら感じられない。
拍子抜けした様子で肩をすくめると、ルーフェンは、やれやれと嘆息した。
「往生際が悪いなぁ。第一、信じていないのは君の方だろう? 君は、最初からずーっと、俺のことを疑っていた。俺が『召喚術は召喚師一族しか使えない』と言えば、一般の魔導師でも使える方法を見出だそうとしていたし、『召喚術は悪魔を身に宿す方法しかない』と言えば、大勢の魔導師を使って、異形を具現化させる方法を探した。その結果が、これだよ」
改めて室内を見回して、ルーフェンは、広がる惨状を指し示す。
もはや、顔をあげようともしなくなったサイに、ルーフェンは構わず言い募った。
「俺のどの言葉が嘘で、どの言葉が本当だったかは、ある程度調べれば分かっただろう? 何年か前の魔導師団の報告書を遡れば、俺がノーラデュースでフォルネウスを可視化させた記録なんて簡単に見つかる。『召喚術は悪魔を身に宿す方法しかない』なんていうのは、真っ赤な嘘だ」
「…………」
「俺の嘘を暴けば暴くほど、召喚術を使える可能性に近づいていく。君は嬉々として、俺の発言の矛盾点を探り、糸口を掴みとったわけだ。いやぁ、すごいよね。俺が提示した魔語を一瞬で記憶して、その法則性まで導いちゃったんだから。びっくりしたよ、サイくんって本当に賢いみたい」
魔語、という単語に反応して、サイが、ようやく頭をあげる。
微かな光を目に浮かべると、サイは、震えた声で言った。
「そう……そうです。魔語は、私が……私自身の力で導き出したんです。莫大な魔力を元に、術式を魔語に置換し出力、発現する。それが、召喚術でしょう? 私の推論は正しい。使えるはずなんです。これだけの魔導師がいて、魔語による言語化が出来ているなら、使えるはずです。……私は、間違っていない」
その言葉こそが、自白になっているというのに、サイは、繰り返し繰り返し、自分は間違っていないのだと呟いた。
誰に対して反論するでもなく、ただ、脳内に構築した術式を再計算しながら、他ならぬ自分自身と葛藤している。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.325 )
- 日時: 2020/11/27 19:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ルーフェンは屈みこんで、視線の定まっていない、虚ろなサイの目を覗き込んだ。
「だからさ、そこが甘かったって言ってるんだよ」
サイの瞳が、大きく揺れる。
ルーフェンは、目を細めて、淡々と続けた。
「頭の良いサイくんは、俺のことは疑っても、自分の優秀さは信じていたわけだ。俺の嘘を見破ることで、召喚術の発動条件を調べあげ、俺が提示した魔語からその法則性まで理解して、短期間で習得した。そうして“自力”でたどり着いた真実には、流石に疑いの余地がない。自分で探り出した答えなのだから、疑おうという思考にすらならない。誰だってそうだろう?」
「…………」
「君が独自で大成させた召喚術は、シュベルテで使ったような、単なる思念の集合体を操るだけの擬物じゃない。限りなく本物に近い、実体の悪魔を召喚できる“はず”だった。それをさっき、初めて披露しようとしたんだろう。召喚術で召喚師を殺そうなんて、なかなかに皮肉の利いた洒落だね。わざわざ召喚術の存在を仄めかせて、意地悪く宣戦布告してきただけあるよ。アルヴァン侯に悪知恵を吹き込んだのも、全部君なんじゃない?」
サイのことを皮肉だと揶揄しながら、それ以上の当てこすりを口にして、ルーフェンの唇は弧を描く。
そんな彼の顔を見つめたまま、サイは、回らなくなった頭で、必死に現状を打破できる糸口を探していた。
今、ここで思考を放棄してはならない。
考えることをやめれば、それこそルーフェンの思う壺だ。
この召喚師は、あえて嬲るような言い方をして、サイを追い詰め、動揺させて、話の主導権を掴み取ろうとしているのだ。
ふと、サイの耳元に顔を寄せると、ルーフェンは囁いた。
「……いいかい? 召喚術なんてものに、軽々しく手を出すな。君が手繰り寄せた糸に、その先はない。俺が見せて、君が習得したと思っていた魔語は、ただの鏡文字だ。本物に似せただけの、偽物にすぎないんだよ」
張っていた糸が、ぷつりと切れる音がした。
青ざめていくサイの顔を、ルーフェンが、細めた目の端で見る。
「……術式の逆展開。言っている意味が、分かるだろう? 魔法陣を反転させれば、効果が逆転するのと同じように、魔語も反転させれば、反対の効力を持つようになる。君が知らずに腕に刻んだ魔語は、君の意図とは全く逆の働きをしたんだよ、サイくん」
忘れていた腕の痛みが、じくじくと這い上がってくる。
皮膚に焼き付き、根を生やして食い破った宿り木のようなその紋を、ルーフェンは、一つ一つ、時間をかけて示していった。
「多量の魔力を集め、異形を実体化させるために、君が魔導師たちの腕に刻むよう指示した魔語は、見たところ三文字──翻訳すると、『集結』『形成』『奉奠』。つまり、君が実際に刻印したのは、それと逆の意味を持つ『四散』『破壊』『搾取』……といったところかな」
「……は、……っ」
吐息混じりの声が、震える。
ルーフェンは、ふ、と口元を綻ばせた。
「──そう、『破壊』。文字通り、君たちの腕は四散し、破壊され、そして搾取された。これは、召喚術なんかじゃない、ただの“呪詛”だ。魔語擬きを用いた呪詛なんて、俺も使ったことはないけれど、一般では解読不能な文字を使っているだけに、解除は難しいんじゃないかな。このまま放置すれば、みんな死ぬ。……君がやったんだよ。シュベルテの人間だけじゃない。君を信頼し、尽力したセントランスの魔導師たち、その全員を。……他でもない、君が、殺したんだ」
ひゅ、と喉の奥が鳴って、濃い死臭が、胃の中からせり上がってくる。
焦点の合わない目を見開き、いよいよ蒼白になったサイの顔を一瞥すると、ルーフェンは、立ち上がって、バスカのほうに向き直った。
「──さて、状況が変わったので、改めて話し合いましょうか。アルヴァン侯」
トワリスに大剣を突きつけられたまま、バスカが、ぎくりと表情を強張らせる。
ルーフェンは、美麗に微笑むと、冷ややかな眼差しを向けた。
「ああ、失礼。言い方を間違えました。これは交渉などではなく、一方的な蹂躙、そして脅迫です。……勘違いしないでくださいね?」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.326 )
- 日時: 2020/11/29 20:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
バスカは、血走った目で、ルーフェンを凝視した。
怒りとも憎しみともつかぬ、制御しきれない激情が、その瞳の奥で煮えたぎっている。
バスカは、一呼吸置くと、ルーフェンではなく、サイのほうを睥睨した。
「……っ、本っ当に役に立たないな! お前はぁっ!!」
サイは俯いたまま、ぴくりとも動かない。
糸の切れた操り人形に向かって、バスカは、喉が裂けんばかりの大声で怒鳴った。
「この馬鹿め! 恩知らずが! お前は私の言う通りに、黙って従っておれば良かったのだ……! 出来損ないのクズ、ゴミめが……っ!!」
「…………」
まるで理性を失った獣の如く、ふうふうと息を荒らげながら、バスカはサイに殴りかかろうと動く。
トワリスが、咄嗟に脇に腕を差し入れ、大剣を突きつけて止めたが、バスカの勢いは、全く留まらなかった。
刃が首の皮に食い込んでいくのも構わず、バスカは、サイの方へと身を乗り出していく。
見かねたルーフェンが、皮一枚、傷の入った首に手を添えると、バスカは、ようやく罵倒を止めた。
「少し落ち着いて下さい。この場で首が落ちても良いんですか? 今、アルヴァン侯と話しているのは、この私ですよ」
「……っ」
狂暴な眼差しをルーフェンに移して、苛立たしげに、ぎりぎりと歯を食い縛る。
バスカは、しばらく憤怒の形相で黙っていたが、束の間目を閉じ、息を吸うと、幾分か呼吸を整えた。
「……貴様らの望みは、なんだ。セントランスの降伏か」
ルーフェンは、手を下ろすと、満足げに眉をあげた。
「まあ、平たく言えばそうですね。まずはセントランスの軍部解体と、三街への不干渉を誓ってもらいましょうか。……それからアルヴァン侯、貴方には、シュベルテに来て頂きます。……ああ、逃げようとか考えないで下さいね。屋敷の兵にも、そのまま待機命令を出しておいてください。この場に大勢押し掛けられても面倒ですから、呼ぼうとした時点で、貴方諸共全員殺します」
背後で、サイが息を飲む気配があったが、ルーフェンは振り返らなかった。
バスカがシュベルテに送られること──それはすなわち、“見せしめ”を意味している。
その末路など、言わずとも全員が理解していた。
ぎらぎらと光っていたバスカの目から、ふと、感情が消えた。
代わりに、底冷えするような、研ぎ澄まされた武人の双眸が、ルーフェンを見据える。
──その、次の瞬間。
突然、突き付けられた刃を片手で掴むと、バスカが、振り向き様に、トワリスの顔面めがけて殴りかかった。
咄嗟に上体を反らして拳を避け、トワリスは、掴まれた大剣を振り抜こうとする。
しかし、刃の食い込んだ肉厚な手からは、血が飛び散るだけで、斬り捨てることは叶わない。
まるで、痛みを感じていないような、凄まじい握力であった。
「──トワ!」
再び拳を振り上げたバスカに、応戦しようと身を低くしたトワリスであったが、ルーフェンに名を呼ばれると、すぐさま大剣から手を引いた。
後方へ二転し距離をとって、トワリスは、ルーフェンの側へと着地する。
大剣を取り戻したバスカは、血の滴る右手を使って、難なく体勢を整えた。
ルーフェンは、小さくため息をついた。
「……これは、交渉決裂ってことですかね。といっても、貴方に拒否権はないので、頷かないなら実力行使に出ますが」
「……──するな」
バスカが、何かを呟く。
ルーフェンが眉をひそめると、バスカは、頬の筋肉を引き攣らせ、声を張り上げた。
「──私を愚弄するな! 我がセントランスを、愚弄するな……!!」
言うや、バスカは、自身の腹に大剣を突き立てた。
一気に傷口を横に広げれば、鉄鎧の隙間から、大量の鮮血が噴き出す。
瞠目したルーフェンたちを睨むと、膝をついたバスカは、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……私は、誇り高き、西方の……っ。穢れ、呪われた、貴様ら一族に、下るつもりなど、ない。五百年前、王権を、奪われた、あの時から……我らの道は、別たれ、た……っ」
ごぼっ、と嫌な咳をすると、バスカは吐血し、そのまま崩れ落ちた。
滾々として広がる血だまりが、石床を浸食していく。
訪れた静寂に、鉄鎧が激突する金属音だけが、虚しく響き渡った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.327 )
- 日時: 2020/12/01 18:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……は? 死んだ……?」
不意に、サイが唇を開く。
一同が視線を移すと、サイは、呆然とした面持ちで、バスカの死体を見つめていた。
「そんな……嘘だ、父上。本当に、死んだんですか……?」
無感情な掠れ声で、サイは、バスカに向かって問い続ける。
何度も何度も、答えぬ亡骸に声をかけ、ややあって、その目から涙を溢れさせると、サイは、震えながら叫んだ。
「……ふ、ふざけるな! 父上、なんで、そんな……! 貴方が死んだら、私は一体、どうしたらいいんですか……!」
ハインツの下で藻掻き、這い出ることが出来ないと悟ると、サイは、額を床につけて泣き出した。
ハインツが、狼狽えたようにルーフェンを見る。
嘆息したルーフェンが、ハインツにサイの拘束を解くように告げると、それと同時に、トワリスが動いた。
解放されたサイの前に立ち、ぐっと拳を握ると、トワリスは、静かに尋ねた。
「……サイさん、どうしてこんなことをしたんですか。理由があったなら、教えてください。でないと、私たちは、貴方を罪人として殺さなければなりません」
打たれたように顔をあげ、サイが、トワリスに目を向ける。
そして、驚いたように息を飲んだ。
冷静な口調とは裏腹に、トワリスは、ひどく悲しげな表情を浮かべていたからだ。
諌めるように声をかけてきたルーフェンを無視して、トワリスは、サイの前に膝をついた。
「……アルヴァン侯は、貴方のお父さんだったんですよね。だから、拒絶できなかったんですか? セントランスのために、シュベルテを落とすように父親に言われて……。実際サイさんには、それを成し遂げるだけの力があったから、逆らえなかった」
「…………」
サイは、波立った胸中が凪いでいくのを感じながら、トワリスを見つめていた。
ルーフェンが言っていたことは、ほとんど事実だ。
サイは、シュベルテの情報をセンスランスに売り、先の襲撃を助長した。
自らが考案した異形の召喚術をバスカに提言し、それが不完全であることを悟ると、ルーフェンに探りを入れ、そこから導き出した本物に近い召喚術の行使方法を、親書に紛れ込ませてセントランスに伝えたのだ。
結果的に、大勢の人間が死んだ。
指揮をしていたのは、領主バスカ・アルヴァンだが、彼に従い、間接的に甚大な被害をもたらしたのは、サイ・ロザリエスという一人の魔導師である。
罪の全てをバスカに着せるなら、シュベルテの民に見せしめるのは、バスカの首一つで良いのかもしれない。
しかし、ルーフェンは、サイを生かしはしないだろう。
ルーフェンは、そうするべき立場にある。
敵になるならば、微塵の脅威も見逃す理由はないのだ。
口を開きながらも、うまく言葉が出てこないサイに、トワリスは言い募った。
「もう、絶対に、召喚術には手を出さないと誓ってください。禁忌魔術も同様です。その可能性を追求するために、うっかり寝食も忘れて没頭してしまうくらい、サイさんが魔術を好きなんだってことは、私もよく知っています。……でも、危険なものは、危険なんです。ハルゴン氏の魔導人形の件も、今回の件も、結末は悲惨なものにしかならなかったじゃないですか。きっと、純粋な知識欲で手を出して良いものじゃないです。お願いですから、約束してください。そして、アーベリトに帰って……罪を償ってください」
トワリスの声が、微かに震えている。
その声を聞いている内に、サイの喉に、熱いものが込み上がってきた。
贖罪の意を並べ立てたところで、サイが三街の人間に受け入れられることはないだろう。
そんなことは、トワリスとて理解しているはずだ。
それでも尚、彼女は、サイに逃げ道を作ろうとしている。
そう思うと、視界がぼやけて、息が苦しくなった。
サイは、緩く首を振った。
「……違います。違うんですよ、トワリスさん。……やはり貴女は、私のことを買い被りすぎている」
喉の奥から絞り出すようにして、サイが呟く。
その声色には、どこか優しい響きも織り混ざっていた。
「私は確かに、魔術が好きです。でも、魔術そのものは、別にどうだっていいんです。……ただ、私の価値がそこにしかなかったから、魔術が好きなんですよ」
「え……?」
トワリスの眉根が、意味を問うように寄せられる。
サイは、浅く呼吸を繰り返しながら、辿々しく答えた。
「……養子なんです、私。……少しだけ、人より速く読み書きができるようになって、魔術の覚えも良かったから、そこを評価されて、養父に──アルヴァン家に引き取られました。……それだけです。本当に、私には、それだけなんです……」
ぽつりぽつりと、涙がこぼれ落ちる。
サイは、顔をあげると、歪んで見えないバスカの死体を、ぼんやりと眺めた。
「……ずっと、養父の言う通りに生きてきました。脅されたとか、逆らえなかったとか、そういうわけじゃありません。そうする以外に、私は生き方を知らないんです。……さっきの、私に対する養父の怒鳴り声、トワリスさんも聞いていたでしょう? ああやって、昔から、クズだの、ゴミだの、役立たずだの言われているとね。人間は、だんだん、何も考えられなくなってくるんですよ。自分に自信がなくなって、意思もなくなって……最終的には、誰かに言われないと、何もできない、私のような人間が出来上がっていくんです」
サイは、微かに目を伏せた。
「養父に言われて……シュベルテの内情を諜報するために、魔導師団に入りました。……そこには、いろんな人がいましたよ。国を守りたいという、正義感から入団した人。遠く遥々上京して、家柄を背負い入団した人。中には、肉親の眼を奪われて、その復讐をするために入団した人や、自分を救ってくれた、アーベリトに恩返しをするために入団した人もいました。……そういう人達を見ていて、私は、自分がいかに空っぽな人間なのかを思い知ったんです」
トワリスの目が、徐々に見開かれる。
小さく吐息を溢すと、サイは、泣き笑いを浮かべた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.328 )
- 日時: 2020/12/03 19:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……地下牢で、どうしてアーベリトのためにそんなに頑張るのかと、そう問いましたね」
「……はい」
虚ろだった目に、わずかな光が灯る。
サイは、もはや原型を留めていない真っ赤な手を、トワリスに伸ばした。
「あの時私は、アーベリトに仕えているから、と答えましたが、そんなのは嘘です。……私は、頑張っていません。ただ、養父に言われたことを、必死にやっていただけなんです。養父に言われたから、アーベリトに入り込み、養父に言われたから……シュベルテを討ち滅ぼせるような魔術を、ずっと探していました。言われたことを成せるなら、禁忌魔術にも、喜んで手を出そうと思っていました」
サイの腕が、トワリスの肩に、ことりと力なく当たる。
もはや感覚などなく、思ったように動かすことも出来ないのだろう。
サイは、ふらふらと腕を動かしながら、ややあって、探るようにトワリスの頬に触れた。
「……トワリスさん。貴女に、ずっと憧れていました。どうして、いつもそんなに頑張っているんですか。……どうやったら、そんなに頑張ろうと思えるものに、出会えるんですか……」
「…………」
頬から離れた指が、ゆっくりと下って、トワリスの首筋をなぞる。
無意識に、彼女の喉元を捉えて、サイは、吐息と共に呟いた。
「羨ましくて、眩しくて……いっそ、憎いとすら思いますよ……」
そうして、サイの指に、ぐっと力がこもった時──。
横合いから、近づいてきたルーフェンに腹を蹴り飛ばされて、サイは、抵抗することもできずに転がった。
「──……っぐ」
治まっていた吐き気が再度催し、ごぼごぼと咳き込む。
咳の衝撃が骨にまで響き、軋むような激痛が全身に走ると、サイは、背を丸めて呻いた。
「……悪いけど、どんな事情があろうと、君が取り返しのつかないことをしたのは事実だ。見逃すつもりはないよ」
笑みを消したルーフェンが、平坦な口調で言い放つ。
サイは、起き上がることもできずに、仰向けになった。
「それは、そうでしょうね。分かっています。私も、許してほしいだなんて、言うつもりはありません。……最期まで、貴方たちと戦います」
ルーフェンが、嘲るように答える。
「戦う? その身体で、一体どうやって。アルヴァン侯からろくな扱いを受けていなかった割に、随分と忠義に厚いんだね」
サイは、乾いた笑みを溢した。
「……はは。だからこそ、ですよ。私みたいな、惨めな人間は、一度すがったものから、なかなか離れられないんです。いざ失うと、もうどうしたら良いのか、分からない。……理解できないでしょう、召喚師様。貴方のように、生まれつき、力にも地位にも恵まれた人間には、きっと、想像もつかないんだ」
「…………」
ルーフェンは、返事をしなかった。
一瞬口を閉じてから、何かを言いかけたが、その前に、トワリスが立ち上がった。
頬についたサイの血を拭うと、トワリスは、落ち着いた声で尋ねた。
「貴方の故郷は……何があっても、このセントランスなんですね。サイさん」
微かに瞠目して、サイは、トワリスに視線を移す。
そのままサイは、しばらくトワリスのほうを眺めていたが、やがて、目元を緩めると、一言「……はい」と答えた。
トワリスは、身を翻すと、倒れているバスカの方へと歩いていった。
まだ熱を帯びた死体から、突き立った大剣を引き抜いて、再びサイの元へと足を向ける。
ルーフェンとハインツが、その様子を、驚いたように見ていた。
(……私が、サイさんを殺す)
トワリスは、剣を握る手に力を込めた。
鼓動が速くなり、嫌な汗がにじむ。
大きく息を吸い込めば、鼻の奥が、つんと痛んだ。
今、サイのことを一番殺したくないと考えているのは、きっとトワリスである。
だからこそ、自分がやらなくてはいけないと思った。
サイがセントランスに従属するというなら、彼は、アーベリトにとっての敵だ。
仇なす敵を討つ──そこに、感情を挟んではいけないのだ。
このまま見守れば、おそらくルーフェンが、サイのことを殺すだろう。
それではいけない。アーベリトを守るべき魔導師として、今、ここで目を反らしては、絶対にいけない。
ただ見届けるだけでは、魔導師になる前、孤児としてレーシアス邸に住んでいた頃と、同じになってしまう。
歯を食い縛って、トワリスは、刃先をサイに向けた。
彼の表情に、緊張が走る。
サイは、地を這ってでも、攻撃を避けねばと思ったが、その度に身体に激痛が走って、尚も動けずにいた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.329 )
- 日時: 2020/12/05 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
垂直に振り下ろされた刃先を、サイは、眦を割いて見ていた。
何かしらの爪痕を残さねばと、血液が、脳内を急速に駆け巡っている。
その一方で、諦めに近い疲労感が、重い鎖のように全身に絡み付いていた。
(死ぬのか、このまま……)
ふと、そんな思いが込み上げてくる。
まだ自分は、何も成し遂げていない。
成し遂げたいと思う、“何か”すら見つかっていない。
ただ、バスカに従い、言われるままに生きてきた。
そんな中身のない、木偶のような人生が、本当にこのまま、何事もなかったかのように終わるのか──。
(……死にたくない)
背筋を、ざわめきが走った。
それは、理屈と言うより本能に近い、純粋な、生への渇望であった。
(死にたくない……!)
胸に刃先が食い込んで、サイが、思わず目を閉じたとき──。
不意に、奇妙なことが起きた。
覚悟していた痛みが来ず、ゆっくりと目を開けると、剣を振り下ろしたトワリスが、石像のように硬直している。
トワリスだけではない。
ルーフェンも、ハインツも、この場にいる全てのものが、時を吸い取られたかの如く、動きを止めていた。
『……何がしたい?』
耳元で、何かが呟いて、サイは、はっと身を強張らせた。
動かないトワリスの下から這い出て、手足の感覚を確かめるように、よろよろと立ち上がる。
衣服についた血の染みはそのままであったが、気づけば、腕に負っていた傷は、跡形もなく消え去っていた。
「だ、誰だ……」
警戒したように問いかけながら、辺りを見回すと、背後に、もう一人自分が立っていた。
サイの顔から、さぁっと血の気が引いていく。
向かい合って立つ自分は、薄い笑みを唇に浮かべて、じっとこちらを見つめていた。
『……お前は、何がしたいんだ』
「…………」
再度尋ねられて、思わず一歩、後ずさる。
しかし、不思議と恐怖は感じていなかった。
目の前で起きていることが理解できず、混乱してはいたが、やがて、沸き上がってきたのは、未知への好奇心と、浮き足立った興奮。
そして、血の滾るような、一つの予感であった。
手を伸ばすと、その手をとったもう一人のサイは、大気に溶けるようにして消えていった。
同時に、見たことのない文字が、白熱した脳内に浮び上がる。
それが何なのか、認識した瞬間、サイの予感は、確信に変わった。
濃厚な死の匂いが、足元から立ち上ってくる。
血だまりに沈む養父、そして、積み重なった魔導師たちの身体から発せられるその匂いは、鼻腔から全身に沁み渡って、サイの飢えを満たしていった。
大きく息を吸うと、サイは、頭に浮かんだ“魔語”を唱えた。
「──汝、嫉妬と猜疑を司る地獄の総統よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ……!」
弾けるような、甘美な高まりが、サイの身体を突き抜けた。
刹那、時間が動き出すと共に、耳が痛むほどの静けさが掻き消え、広間に音が戻った。
サイが、ふっと天を仰ぐ。
──瞬間。傍らを熱波が擦り抜けた、と感じるや否や、ハインツのすぐ後ろの石壁が切り裂かれ、轟音を立てて、広間の天井が傾いた。
「────!?」
ぱらぱらと天井から石材の欠片が降り注ぎ、続け様に放たれた熱が、一波、二波と辺りを灼いていく。
サイが放った熱波は、養父を裂き、ついに息耐えた魔導師たちをも微塵にして、飛び散った血肉さえ、一瞬で焼き焦がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.330 )
- 日時: 2020/12/06 19:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
はっと顔を上げたルーフェンとトワリスは、突如迫ってきた熱波を、考えるより先に、左右に跳んで避けた。
状況が読めない、理解できない。
一突き入れたはずのサイが、いつの間にか、傷の治癒した状態で立ち上がり、奇妙な攻撃を繰り出しているのだ。
断続的に襲い来る熱の刃は、火の粉を散らし、白煙を巻き上げながら、広間を縦横無尽に滑空していく。
厄介なのは、避ければ避けるほど、その熱波が広間を破壊していくことであった。
広間自体が倒壊すれば、ルーフェンもトワリスもハインツも、サイだって、無事では済まされないだろう。
無茶苦茶な攻撃を繰り返すサイは、そんなことも分からないほど、我を忘れているようであった。
一転して避け、片足を軸に力強く踏み込むと、トワリスは、大剣を握り直した。
迫ってくる熱の刃に向かって、間合いを詰めると、下から一気に斬り上げる。
斬った──と確信したのも束の間、手の皮が焼けるような痛みを感じて、トワリスは、慌てて大剣を捨てた。
凄まじい熱量が、刃から手に直接伝わってきたのだ。
分裂し、軌道の反れた熱波が、トワリスの頬を掠って、石壁に激突する。
取り落とした大剣は、うっすらと赤みを帯び、高熱を孕んでいて、とてもではないが、握れる状態ではなかった。
サイは笑った。おかしくておかしくて、仕方がなかった。
今まで、己を組み強いてきた者たちが、傷つき、疲弊しながら逃げ惑っている。
その様を見ていると、愉快で、滑稽で、笑いが止まらなくなった。
まるで、自分ではない何かに、身体の主導権を握られているような感覚。
もはや、まともな思考は回っていない。
それでも、絶対的、圧倒的な力を手に入れたこの快楽の波に、サイは、何の躊躇いもなく身を委ねていた。
ハインツの肩口から、血が飛び散るのを見ると、ルーフェンは小さく舌打ちをした。
傷は浅いが、ハインツは攻撃の速さに反応できてない。
トワリスは上手く回避しているが、いずれ体力の限界は来るだろう。
サイの狂気じみた笑い声が、広間を震わせている。
一体サイに何があったのか、見極める必要があった。
人が変わったような愉悦の表情と、抑えきれない殺戮衝動。
その既視感のあるサイの言動に、一つの最悪な可能性が浮上してくる。
そう、何の予備動作もなく傷を回復させたことも、詠唱なしに強烈な熱魔法を撃ち続けていることも、普通の魔術では、到底成し得ない業なのだ。
ただ一つ──本物の召喚術を除いては。
ルーフェンは、凍てつく氷の障壁で、複数の熱波をまとめて防ぎ切ると、その僅かな隙に、サイの方へと駆け出した。
セントランスに、召喚術と見せかけた呪詛を行使させるため、ルーフェンは、サイにあらゆる情報を吹き込んでいる。
そして、“魔語への翻訳”と“多量の魔力”をそろえることで、召喚術を行使できる、という偽の真実を、自ら導き出させることでサイを誘導し、結果、セントランスを貶めた。
だが、それらの情報全ての真相を、ルーフェンは知っているわけではない。
そもそも、召喚術や悪魔といったものは、かなり不確定な要素が多く、謎だらけの存在だ。
魔語の解読、多量の魔力行使、悪魔という存在への干渉──これらの条件を満たせるのが、召喚師一族のみであるが故に、“召喚術は召喚師にしか使えない”と結論付けているだけに過ぎない。
とはいえ、それが真実だ。
実際、召喚術は召喚師にしか使えない。
揺るがない事実があって、その歴史を背景に、人々は皆、“そういう認識”でいる。
だが、今のサイを見ていると、これは“確固たる先入観”に過ぎないのではないか、という疑問が、ふとルーフェンの中に湧いてきたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.331 )
- 日時: 2020/12/06 19:14
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
サイの目が、ルーフェンを捉える。
憎々しげに顔を歪めたサイが、再び熱波を放つより速く、ルーフェンは、魔力を練り上げた。
一瞬、視界が暗転して、サイは人事不省に陥る。
ややあって、四方で仄白い閃光が駆け抜けたかと思うと、雷轟が響いて、凄まじい衝撃がサイを襲った。
「────……っ!」
迸った雷撃が、咄嗟に張った結界をも破壊して、サイを縛り上げ、破裂した。
黒煙を吐き出しながらもんどり打ったサイが、声にならない絶叫をあげ、びくびくと痙攣して倒れ伏す。
その光景を、トワリスとハインツは、愕然と見つめていた。
あの雷撃を食らっておいて、まだ形を保っているサイが、人間とは思えなかったのだ。
サイと一定の距離を保ったまま、ルーフェンは、訝しげに尋ねた。
「……君は誰だ? サイ・ロザリエスじゃないだろう」
頭を巡らせたサイが、ルーフェンを見上げる。
まだ痙攣の治まらない手足を動かし、ゆっくりと立ち上がると、サイは、眉根を寄せた。
「……はっ、何を言っているんですか。私は、サイ・ロザリエスですよ」
「…………」
ルーフェンの目が、探るように細まる。
その目を見ている内に、浮かれた興奮が冷めてきて、サイは、不快そうに鼻に皺を寄せた。
この召喚師は、一体何を言っているのだろうか。
先程までルーフェンたちを追い込み、ねじ伏せていたのは、他ならないサイ自身だ。
誰だ、なんて、問うてくる意味が分からない。
いつもの調子でふざけているのかと思ったが、ルーフェンは、尚も真剣な目てきでこちらを見つめている。
その白銀の瞳が、月明かりのように心に入り込むと、不意に、記憶の底に眠っていた忌々しい光景が、脳裏に蘇ったような気がした。
目前に立つ、正統な《召喚師》の一族。
冴え冴えとした銀の髪、全てを見通すような瞳。
月光を透かす白皙と、対して鮮やかな緋色の耳飾り──。
それらを見ていると、身を貫くような憤怒が、腹の底から突き上げてくる。
唐突に呼び起こされたその怒りの記憶は、サイにとって、身に覚えのないものであった。
サイが、苛立たしげに歯軋りを始めると、ルーフェンは、表情を変えた。
そして、一拍置いてから、わずかに唇を歪めると、何かを試すような口ぶりで言った。
「……そう。まあ、答えたくないなら、それで構わないよ。それにしたって、随分と悔しそうじゃないか。……それもそうか。あれだけ攻撃して、俺たち三人、一人も殺せなかったわけだから。あの程度じゃ、俺たちは殺せないよ」
途端、サイの瞳孔が、牙を剥く獣のように縮まる。
目をぎろぎろと動かし、サイは、ハインツとトワリス、そして最後に、ルーフェンを睨んだ。
「なんだと? 無様に逃げ惑って、怯えていたくせに……!」
サイのものとは思えない、地を這うような低い声。
その怒り様を見て、ルーフェンは、内心ほくそ笑んだ。
「怯える? まさか。君が考えなしに魔術を使うから、この広間が崩れるんじゃないかと心配になっただけだよ。見くびるな。こっちはまだ、召喚術すら使っていない」
「この……っ!」
異様に光る目をルーフェンに向けると、サイは、苛立たしげに頭を掻きむしり、絶叫した。
見たこともないサイの姿に、トワリスが、思わず身を乗り出す。
それを手で制すると、ルーフェンは、見守るように目で示した。
(殺す、殺す殺す、殺す……っ!)
強い怒りが、腹の底からせり上がってきて、サイは、無茶苦茶に髪をかき混ぜた。
感情的になればなるほど、身を食われるような痛みが走り、皮膚の色が、浅黒く変色していく。
それと同時に、得たことのない絶大な魔力が漲ってきて、サイは、全身をぶるぶると震わせた。
やがて、張り詰めた怒りが、頂点に達した時──。
膨らみ切ったものが、音を立てて弾けた。
鮮血が耳まで詰まり、鼻の奥に、鉄の臭いが迫ってくる。
眼球が押し出されるような内圧に、思わず口を開けると、喉元まで逆流してきた血液が、ごぷりと吐き出された。
「────……かはっ!」
膨張しきった魔力が弾けて、静かに引いていく。
地面に崩れ落ち、微動だにしなくなったサイは、もう、息をしていなかった。
死が統べる静寂の中で、何かが、ルーフェンの耳元で囁いた。
固く閉ざされていた扉の隙間から、手招きをして、ルーフェンを此方へと誘っている。
何か物思いをしているルーフェンを一瞥してから、トワリスは、魂の抜けたサイの遺体を見つめた。
強烈な死の臭いが鼻にこびりついて、頭の中が、ぼんやりとしている。
寄ってきたハインツが、手の火傷は大丈夫かと心配そうに尋ねてきたが、そう問われるまで、トワリスは、手の痛みすら感じていなかった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.332 )
- 日時: 2020/12/07 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
†第五章†──淋漓たる終焉
第三話『永訣』
サーフェリア歴、一四九五年。
木枯らしが窓を叩き、冬の到来を知らせる頃に、軍事都市セントランスは、レーシアス王政の傘下に入った。
独立自治は認められたが、軍部は解体され、長年領家として栄えてきたアルヴァン侯爵家は失脚。
新たに領主として据えられたのは、シュベルテの有力貴族であった。
世間を震撼させた、セントランスによる宣戦布告の撤回を、人々は、粛々と受け入れた。
シュベルテへの襲撃がもたらした怨恨と恐怖は、それほどに根深い。
再び訪れた平穏に歓喜するには、払った犠牲が、大きすぎたのであった。
サミルは、セントランスが没落した事実と、開戦には至らなかったという簡単な経緯だけを発表して、それ以上は語らなかった。
アルヴァン家が召喚術の行使を試行していたことや、サイ・ロザリエスの存在などは、公表するべきではないと、ルーフェンが判断したのである。
特に、サイの身に何があったのかは、同行していたトワリスとハインツも気になっていたが、ルーフェンは、二人に対しても一切口を割らなかった。
ルーフェンだけが、何かに勘づき、以来、物思いする時間が増えている。
しかし、彼はそのことに関して、誰にも明かす気はないようで、それどころか、セントランスでの出来事は、このまま闇に葬るつもりなのだろう。
シュベルテでは、バスカ・アルヴァンの死だけが、煢然と曝されたのであった。
* * *
「……トワリス、ここにいたんですね」
サミルに声をかけられて、トワリスは、はっと顔をあげた。
開け放たれた窓から、冷たい夜風が書庫に入り込んでくる。
持参した手燭の炎が、頼りなく縮むのを見て、サミルはそっと窓を閉めた。
トワリスが、慌ててペンを机に置き、立ち上がって礼をしようとすると、サミルはそれを制して、向かい側に座った。
窓際に置いた手燭の炎が、隙間風で微かに揺れている。
分厚い毛織の羽織を引き寄せると、サミルは、穏やかな声で言った。
「こんな夜中に、窓も開けっぱなしでいては、風邪を引いてしまいますよ。最近、特に冷え込んできましたからね。……眠れないんですか?」
「…………」
ぱちぱちと瞬いて、サミルを見つめる。
逡巡の後、誤魔化すように笑むと、トワリスは俯いた。
「……はい。なんだか、上手く寝付けなくて……」
吹き付けた夜風が、窓をガタガタと鳴らす。
サミルは、少しの間、暗い窓の外を眺めていたが、やがて、小さく息を吐き出すと、トワリスに視線を戻した。
「……残念でしたね。サイくんのこと」
ぴくりと耳を動かして、トワリスが瞠目する。
眉を下げると、サミルは続けた。
「ハインツが、心配していましたよ。セントランスから帰ってきて以来、トワリスの元気がないと。……サイくんは、君の同期だったそうですね。友人を失うというのは、とてもつらいことです」
「…………」
トワリスは、答えなかった。
長い間、目線を落としたまま黙っていたが、ややあって、ゆるゆると首を振ると、唇を震わせた。
「……つらくはありません。つらいとか、私が言えたことじゃないんです。……サイさんをルーフェンさんに売ったのは、私ですから」
俯いていたので、サミルがどんな表情をしているのかは、分からなかった。
ただ、真剣に耳を傾けて、聞いてくれている。
それだけは確信できて、気づけばトワリスは、溜め込んでいたものを、ぽろぽろと溢していた。
「サイさんのことは、尊敬していました。でも、禁忌魔術への異常な執着心とか、少し怖いと思う部分もあって……。特に、アーベリトで再会してからは、何かを隠しているんじゃないかって、なんとなく感じていたんです。だけど、証拠があるわけじゃないし、疑いたくなかったので、何も言えませんでした。一方で、いざという時は、アーベリトの中で一番付き合いの長い私が、彼を止めなくちゃならない、とも思っていました」
トワリスは、膝上に置いた拳を、ぎゅっと握った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.333 )
- 日時: 2020/12/08 19:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……親書を届けに行くサイさんに、同行する許可をもらった際、ルーフェンさんが、サイさんのことを疑っているんだって、打ち明けてきました。その時……私、すごく安心してしまったんです。私以外にも、サイさんのことを怪しんでいる人がいる。それがルーフェンさんなら、きっとなんとかしてくれるだろうって……転嫁したんです。訓練生時代に見てきた、サイさんの性格とか、魔術の癖とか、役に立ちそうな情報を、全てルーフェンさんに伝えました。セントランスに着いてからは、サイさんのことも欺いて……最終的に、死なせてしまいました」
ようやく顔をあげると、トワリスは、サミルの顔をまっすぐに見つめた。
「後悔はしていません。何かを守るためには、非情な選択も必要です。サイさんは裏切り者で、私達はそれを罰した……これは、アーベリトのためになる行為だったと、頭では理解しています。けれど、こんなやり方で良かったのかと、ふと思う時があるんです。……私は、人として卑怯です。サイさんのことを、疑いたくない、なんて思いながら、本当は、誰よりも疑っていました。それならそれで、私が手を下すべきだったのに、目を反らして、ルーフェンさんに汚い役を押し付けました。……自分が情けなくて、悔しいです」
「…………」
沈鬱な顔で下を向き、トワリスは唇を噛む。
サミルは、寂しそうな表情を浮かべると、静かな口調で尋ねた。
「……貴女に、そんな顔をさせているのは、私ですか?」
「え……」
トワリスが、顔をあげる。
サミルは、目を伏せて言い募った。
「何かを守るためには、非情な選択が必要……ええ、確かにそうかもしれません。ですが、そんなことを、貴女のような若い子達たちに理解させているなんて、それこそ非情なことです。いかなる理由があろうとも、殺しを良しとすることがあってはいけません。開戦を阻止するためとはいえ、セントランスを欺き、没落させたことは、決して正しいことだとは言えない。しかし、だからといって、貴女たちを責める道理はありません。……そうすることを貴女たちに強いたのは、他ならない、私なのですから……」
思わず身を乗り出すと、トワリスは、力強く否定した。
「そんな、強いられただなんて思ってません! ごめんなさい、私、そういうつもりで言ったんじゃなくて……! サミルさんの仰る通り、人殺しを正当化できる理由なんてないでしょう。それでも、アーベリトのことは、どんな手段を使ったって守りたいんです。きっと、皆そう思ってますよ。サミルさんのせいで、なんて思ってません。むしろ、アーベリトには沢山恩があるから、自らの意思で、手を汚しているんです」
思いがけず、熱の入ったトワリスの主張に、サミルは一度、言葉を止めた。
我に返ったトワリスが、頬を紅潮させて、椅子に座り直す。
束の間、サミルは沈黙していたが、しばらくして、苦しげに眉を寄せると、弱々しい声で返した。
「……皆、そう言ってくれるのです。でも私は、アーベリトを、居場所を失くした子供たちが、安心して暮らせるような街にしたかった。あわよくば、この国全体を、ね。それなのに、目指すべき安寧のために、肝心の子供たちが犠牲になっている。心優しい、まっすぐな子達ほど、アーベリトのためだからと言って、薄暗い道を選ぶのです」
サミルは、悲しげに微笑んだ。
「治世とは……人とは、難しいものですね。幸せが当たり前の世の中を、皆が望んでいるはずなのに、なかなか実現しない。……私が力及ばないばかりに、ルーフェンにも、君にも……申し訳ないことをしました」
珍しく、弱音を口にしたサミルに、トワリスは、どう答えて良いか分からなかった。
トワリスは、サミルのせいで、道を違ったとは思っていない。
それは、ルーフェンやハインツとて同じことだ。
闇へと続く、死臭の漂う道だったとしても、ルーフェンはきっと、迷わずに進んでいくだろう。
トワリスとハインツもまた、そんな彼が一人きりにならないよう、同じ道を寄り添って進むことを心に決めている。
結果的に、血に塗れることになっても構わない。
これが自分達の選んだ道だと、そう言い張れるくらいの覚悟はしているつもりだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.334 )
- 日時: 2020/12/10 07:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、頑なな顔つきになった。
「……謝らないでください。サミルさんの想いは、ちゃんと伝わっていると思います。確かに、理想とは違うのかもしれませんが、その理想を叶えるための糧になろうと、皆、必死に走っているんです。これは、必要な犠牲です。それが分からないほど、私達は子供じゃありません」
「…………」
そう断言したトワリスを、サミルは、少し驚いたように見つめていた。
ややあって、その目元に皺が寄り、安堵したような表情が浮かぶ。
線の細い顔が綻び、細められた薄青の瞳と目が合うと、ふと、サミルも年をとったなと、そんな思いが頭をよぎった。
「……トワリスは、しっかりしていますね。子供扱いをして、すみません。過保護で世話焼きなのは、私の悪い癖なのです。……許してください」
冗談らしい響きも織り混ぜて、サミルは呟く。
次いで、懐から丁寧に折り畳まれた書簡を取り出すと、サミルは、それをトワリスの前に出した。
「……これは?」
「私の遺書です」
弾かれたように瞠目し、サミルの顔を見る。
頷いたサミルを、トワリスは、信じられぬものを見るように、じっと凝視していた。
「……う、嘘、ですよね……?」
「……いいえ」
サミルは、なだめるような声で言った。
「ここには、私の死んだ後の事が書いてあります。どうか、これを預かっておいてくれませんか? ……多分ルーフェンは、今渡しても受け取ってくれないので……」
サミルの言葉を遮るように、トワリスは、声を荒げた。
「私だって、受け取りたくありません! どうして急に、そんなこと言うんですか? い、遺書って……ずっと、先の話ですよね……?」
言いながら、遺書を差し出してきたサミルの手を、拒むように掴んで押し返す。
そして、その枯れ枝の如き細さに、トワリスは驚いた。
年を取って、痩せただけではない。
分厚い羽織で隠されていた、病的な細さであった。
「…………」
不意に、涙の膜が盛り上がる。
サミルの腕を離し、戸惑ったように手を彷徨わせてから、トワリスは尋ねた。
「サミルさん、死んじゃうんですか……?」
サミルは、困ったように微笑んだ。
「人は、いつか死にますよ。私も、もう六十です。前々から、内腑を患っていたんですが、それが、思ったよりも早くに進行してしまいました」
「……治せないんですか?」
「症状を遅らせることはできます。でも、その場しのぎにしかなりません。……せめて、シュベルテに王位を返還するまでは、生きていなければと思っていたのですが……。皆に、謝らなければなりませんね」
サミルはそう言って、寒そうに羽織を手繰り寄せた。
手燭の炎が、揺れている。
サミルの小さな影法師も、床で儚げに揺れている。
穏やかな顔つきで、ひっそりと椅子に座っているサミルを見ていると、途方もない寂しさと切なさが、胸の底から込み上がってきた。
こぼれ落ちた涙が、ぽつりと頬を伝う。
トワリスは、ごしごしと目を拭った。
「……他の皆は、知っているんですか?」
サミルは、首を横に振った。
「一部の医術師と、トワリス以外には、まだ知らせていません。私が動けなくなるまでは、伝えないつもりです。……といっても、聡い人は、直に勘づくでしょうが……」
言葉を切って、サミルは、トワリスに向き直った。
「……君は、ルーフェンのことを、どう思いますか?」
唐突な問いかけに、顔をあげる。
すん、と鼻をすすると、トワリスは答えた。
「……ちょっとだらしないけど、優しくて、強い人だと思います」
サミルは、微苦笑を浮かべた。
「そうですね。でも、立場上そう思われやすいだけで、存外に彼は脆くて、まだまだ子供っぽいところがあります。……君とハインツで、支えてあげてくださいね」
「…………」
遺書を手に取って、サミルが、再び差し出してくる。
いりません、と答えようとして、トワリスは、ぐっと唇を引き結んだ。
書庫は冷え冷えとしているのに、濡れた目元だけが、異様に熱く感じる。
トワリスは、呼吸を整えてから、「……はい」と返事をすると、その遺書を、受け取ったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.335 )
- 日時: 2020/12/11 19:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
遺書なんてものを渡してきたのに、サミルの城館内での振る舞いは、何も変わらなかった。
朝起きて、国王としての執務にあたり、皆が寝静まった頃になって、ようやく自分も席を立つ。
病のことなど尾首にも出さず、不調な素振りすら見せない。
あまりにもいつもと変わらないから、サミルの死期が近いことに気づく者など、誰一人いないのでないか、とすら思えた。
それでも確実に、病はサミルの身体を蝕んでいく。
日が経つにつれ、肌が青白くなり、着込むだけでは誤魔化せないほどに痩せて、サミルは、また一回り小さくなった。
やがて、起きていられる時間が短くなっていくと、その頃には、サミルを心配する声も上がるようになっていた。
事情を知っているトワリスは、自然とサミルの周りにいることが多くなっていたが、国王が罹患した、という話は、意外にも聞かなかった。
目に見えて弱っていくサミルに、そういう噂が立つのも時間の問題かと思っていたが、不思議なほど、サミルの衰弱ぶりに触れる者はいない。
杞憂であってほしい、嘘であってほしいと、皆が願っていたのだろう。
箝口令を敷いたわけでもないのに、サミルの元に医術師が頻繁に通うようになっても、誰も、何も言わなかった。
サミルが執務室や謁見の間に出られなくなると、城館仕えの者たちが、代わりに私室を訪れるようになった。
最初は、政務絡みの話をしにくる文官がほとんどであったが、サミルが拒まないのを良いことに、侍従や自警団の者たちが、仕事終わりに世間話をして帰ることも増えていった。
朝から晩まで、ひっきりなしに訪れる人々の話を、サミルは、寝台に腰かけて、頷きながら聞いている。
終いには、城下の顔馴染みたちが、果物を片手に雑談をしに来るようになったので、流石に無遠慮すぎるとトワリスは怒ったが、サミルは、どことなく嬉しそうであった。
目を周りが落ちくぼみ、肋が浮いて背が曲がっても、サミルの心持ちだけは、全く変わらなかった。
出来ないことが増えて、度々申し訳なさそうに謝ることはあったが、それでもサミルは、ようやく出来た長い休暇でも楽しむかのように、ゆったりと、穏やかな時を過ごしている。
近づいてくる死の足音に、悲嘆するでもなく、怯えるでもない──。
サミルはただ、その音に耳を澄ませて、静かにその瞬間を待っている。
トワリスから見た今のサミルは、むしろ、とても幸せそうで、きっと彼は、全てを受け入れているのだろうと思った。
人々がサミルを訪ねるようになってから、半月ほど経ったが、ルーフェンだけは、一向に顔を出さなかった。
セントランスでの一件があってから、彼は、一人で調べものをしたり、執務室に引きこもっていることが増えた。
これまでも、何か気になることが出来ると、ルーフェンは一人で耽ることが多かったので、今回もそうなのだろう。
しかし、いくら調べたいことがあるからといっても、病床につくサミルを放置するなんて、彼らしくない。
何気ない風を装って、トワリスが「最近ルーフェンさんを見ませんね」と言うと、サミルは、「彼にはまだ、病のことを伝えてませんからね」と苦笑混じりに答えた。
確かに、サミルの身体のことは、まだ一部の人間にしか知らせていない。
しかし、もう大体の者は勘づいていたし、ハインツですら、なんとなく察しがついている様子であった。
この状況で、あのルーフェンだけが気づいていないなんて、そんなはずはないだろう。
病のことを、周囲にどう打ち明けたら良いのかは、サミル自身も、まだ迷っているようであった。
故に、トワリスも黙っていたが、ふと、それで良いのかと、焦燥感に駆られることもあった。
ルーフェンが、一体どういうつもりで会いに来ないのかは分からない。
けれど、もしこのままサミルが死んだら、ルーフェンはきっと後悔するだろう。
大切な人の最期が分かっているのに、ろくに顔も見せず、会話することも出来ないままなんて、これほど悲しいことはない。
そう思うと、ただ沈黙していることが、正しいとは思えなくなっていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.336 )
- 日時: 2020/12/12 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
日没が早くなると、一層冷え込む黄昏時には、人々は家路を急ぐ。
人気のない、裏手の庭に佇む大木の近くで、ルーフェンは、冬枯れの落葉と共にいた。
「ルーフェンさん」
やっと見つけた、とため息混じりにぼやけば、歩み寄ってきたトワリスを見て、ルーフェンが眉をあげる。
隣に立って、同じように木に寄りかかると、トワリスは、ふうと白い息を吐いた。
「書庫にも、執務室にもいないので、屋敷中を探し回りましたよ。忙しい時に、仕事さぼらないでください」
厳しい声で言うと、ルーフェンは、くすくす笑った。
「さぼってないよ。ちょっと休憩してただけ。……こんなところまで来て、何かあった?」
「……ルーフェンさんこそ、何かあったんですか?」
問い返すと、ルーフェンが口を閉じる。
何を考えているのか、ぼんやりと裸の樹枝を見上げて、彼は、呟くように言った。
「……なんにも。ただ、考え事をしてただけだよ」
「……考え事?」
「うん。……セントランスのこととか、あとは……サミルさんのこととか」
わざとらしい口調で言うと、ルーフェンは、トワリスに視線を投げ掛けた。
トワリスが、サミルのことを伝えに来たことは、なんとなく分かっていたのだろう。
トワリスが眉を寄せると、ルーフェンは、事も無げに尋ねた。
「サミルさんのこと、どこまで知ってるの?」
トワリスは、わざとぶっきらぼうに答えた。
「……全部知ってます。ご本人から、直接聞いたので」
「……そう」
ルーフェンは、案外すんなりと返事をした。
「……ルーフェンさん、やっぱり気づいてたんですね」
トワリスが言うと、ルーフェンは、肩をすくめた。
「そりゃあ、気づくよ。サミルさん、見る度に縮んでるんだもん。もう、俺の胸あたりまでしかないんじゃないかなぁ。……昔は、俺の方が見上げてたのに」
ふざけた調子で言って、それでも、懐かしそうに目を細めると、ルーフェンは、再び樹枝を見上げる。
この分だと、もしかしたら、トワリスが知るよりも前に勘づいていたのかもしれない。
トワリスは、睨むようにルーフェンを見た。
「分かってるのに、どうして顔を出さないんですか? サミルさん、多分寂しがってますよ」
「…………」
薄暗い視界の先で、緋色に光るルーフェンの耳飾りが、ちらりと揺れる。
ルーフェンは、束の間沈黙していたが、少し間を置くと、トワリスのほうを見ないまま答えた。
「俺は、サミルさんから何も知らされてないから……しばらくは、気づいていない振りをしていたほうがいいのかと思って。大体、会いに行ったところで、意味はないだろう。会って話せば、身体が良くなるわけじゃない。……サミルさんのことは助けたいけど、治る見込みのない病気が原因だなんて言われたら、俺だって、どうしようもないよ」
「意味はない、って……」
トワリスは、思わず顔をしかめた。
意味はないだなんて、本気で言っているのだろうか。
この期に及んでふざけているなら、笑えない冗談である。
トワリスは、ルーフェンに詰め寄った。
「なんでそんなこと言うんですか。確かに、病状が改善することはないかもしれませんが、意味がないなんて言わないで下さい。ルーフェンさんだって、サミルさんに伝えておきたいこととか、話したいこととか、沢山あるでしょう」
「…………」
ルーフェンは、何も言わなかった。
ただ、少し戸惑ったような表情になると、開きかけた口を閉じ、そして、小さく首を振った。
「……そんなの、分かんないよ。こういう時って、どうすればいい?」
わずかに声の調子を落としてから、ルーフェンは、眉を下げて微笑む。
その様子を見て、今度は、トワリスが戸惑う番であった。
ルーフェンは、冗談を言っているわけではない。
本当に、どうすれば良いのか分からず、途方にくれていたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.337 )
- 日時: 2020/12/13 23:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
トワリスは、目を見開いた。
(そうか、ルーフェンさんは……)
アーベリトが王都になってから、ずっと、サミルを守ってきた人だ。
召喚師として、多くの死に触れてきたはずだが、一方で、自分が心から慕う人の死には、触れたことがなかったのかもしれない。
ルーフェンが、シュベルテの王宮で暮らしていた時のことを、トワリスはほとんど知らない。
けれど、シルヴィアとの関係を見る限り、本当の親兄弟とは、疎遠だったのだろう。
おそらく、サミルだけなのだ。ルーフェンとって、親類と呼べるものは。
何を犠牲にしても、どんな手段に手を出しても、アーベリトと、その主であるサミルのことだけは、大切に守ってきた人。
しかし今、抗う術のないものが、そのサミルの命を蝕んでいる。
一見分かりづらいが、これでもルーフェンは、本気で動揺して、一人で悩んでいたのかもしれない。
トワリスは、発言に迷った様子で口ごもったが、逡巡の末、ルーフェンに一歩近づいた。
「どうすれば良いのか、正解は分かりませんが……。私は、母が死んだと知ったとき、もっと傍で話したかったなぁと思いました。きっと、母もそうだったんじゃないかと思います。……だから、ルーフェンさんも傍に行って、話せばいいと思います」
「…………」
肩口が、ルーフェンの腕に軽く触れる。
一体いつから、彼は外に出ていたのだろう。
服越しでも分かるほど、ルーフェンの身体は、冷えきっていた。
ルーフェンは、再度首を振った。
「それは、血の繋がった家族の話だろう。……俺は、サミルさんの実子ってわけじゃない」
ぽつりと、平坦な声で呟く。
その顔を、横から覗き込んだ時。
サミルが、ルーフェンのことを“存外に脆くて、まだまだ子供っぽいところがある”と称していた意味が、なんとなく分かったような気がした。
声音こそ落ち着いているものの、彼の表情には、いじけたような色が浮かんでいたのだ。
普段の綽々とした態度からは、まるで想像がつかない姿である。
昔、トワリスがまだ孤児として、レーシアス邸に住んでいた頃。
ロンダートや、当時屋敷の家政婦をしていたミュゼが、ルーフェンのことを「私達とは住んでる世界が違う」と称賛していたことがあった。
彼らは良い意味で言ったのだろうし、立場の違い故にそう表現してしまう気持ちも分かるのだが、トワリスは、なんとなくその言い方に違和感を覚えていた。
ルーフェンは、確かに隙のない印象があるが、それでも、同じ人間である。
取り繕うのが上手いだけで、時には、世間が望む『召喚師様』でいられないこともあるだろう。
辛いことや、苦しいことがあれば、落ち込むこともあるだろうし、いつも見せている腹立たしいくらいの余裕が、保てない時だってあるはずだ。
トワリスは、ルーフェンの強い面ばかりを見てきた。
というより、“その面”ばかりを見せられてきた。
ルーフェンは、きっとそういう人なのだ。
特殊な立場に生まれたが故に、虚勢を張ることに、慣れてしまっている。
人より多くのものを持っている代わりに、普通は持っているものを手放してしまったような──そんな、孤独な人なのだ。
サミルが言っていたのは、きっと、こういう意味なのだろう。
トワリスは、呆れたように嘆息した。
「意外と細かいことを気にするんですね。家族なんて、そもそも血の繋がりがないところから生まれるわけじゃないですか。……というか、そういう話をしてるんじゃありませんよ。実子だとか、実子じゃないとか、そんなこと、今はどうだっていいでしょう」
ルーフェンの瞳が、はっきりとトワリスを映す。
しかし、すぐに目を伏せると、ルーフェンは返した。
「……それはまあ、そうだけど」
尚も煮え切らないルーフェンの態度に、トワリスが眉をひそめる。
そのまま、じっとルーフェンを睨んでいたが、しばらくして、やれやれと吐息をつくと、トワリスは、穏やかな口調で言った。
「少なくとも、サミルさんはそんなこと、気にしないと思います。……それは、ルーフェンさんが一番よく知ってるんじゃないですか?」
「…………」
伏せられていたルーフェンの目が、微かに動く。
少しの間を空けて、目を閉じると、ルーフェンは「そうだね」と呟いたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.338 )
- 日時: 2020/12/15 11:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「……兄さん?」
不意にそう呼ばれて、ルーフェンは、窓掛けを閉じようとした手を止めた。
静かな夜。暖炉の炎以外、光源のない薄暗い部屋で、寝台に横たわったサミルが、ぼんやりとこちらを見ている。
半分寝ぼけているのだろう。
微睡みから覚めたばかりの目は、ルーフェンの姿を、はっきりと認識できていないようであった。
「……起こしちゃいましたか。すみません、ちょっと様子を見に来ただけなんですが」
言いながら、寝台に腰かけると、ルーフェンは、サミルの額に触れた。
薬を飲むようになってから、頻繁に熱を出すようになったと聞いていたが、今のサミルの体温は、それほど高くないように思える。
あるいは、先程まで暖炉の前にいたので、ルーフェンの手が熱くなっているのかもしれなかった。
ようやくルーフェンだと分かったのか、細まっていた目が開いて、その瞳に光が映った。
ゆっくりとした所作で羽織を手繰り寄せ、上体を起こす。
寝台に座って、ルーフェンに向き直ると、サミルは、目尻に皺を寄せて破顔した。
「ルーフェン。なんだか、久しぶりですね」
「……はい。……すみません」
罰が悪そうに目をそらすと、サミルは、ふふっと笑った。
ルーフェンの考えていることは、なんとなく察しがついていたのだろう。
それ以上は触れずに、窓のほうに視線をやると、サミルは、ほうっと吐息を溢した。
「……ああ、今日は冷えると思ったら、雪が降っていたんですね」
窓の縁にうっすらと積もった、仄白い雪を見つめる。
立ち上がって、先程閉め損ねた窓掛けを今度こそ引くと、ルーフェンは答えた。
「ついさっき、降り始めたんですよ。明日は一日、止まないかもしれませんね」
サミルは、ふふっと笑った。
「そうですか……積もるといいですね」
「ええ? 寒いし、雪掻きが面倒ですよ」
「でも、孤児院の子供たちが喜びますよ。積もった翌日は、皆で飛び出して、雪合戦するのがお決まりでしょう」
怪訝そうに眉を寄せたルーフェンをみて、サミルは、楽しそうに言った。
確かに、雪が積もると、子供たちは異様な盛り上がりを見せて、我先にと部屋を飛び出していく。
王座についてからは、ほとんど顔を出さなくなったが、昔は、ルーフェンがアーベリトに忍んで行くと、雪にまみれて鼻頭を真っ赤にした孤児たちが、きゃあきゃあと騒ぎながら、サミルに纏わりついていたものだ。
目を伏せると、サミルは、独り言のように言った。
「懐かしいですね……。孤児院を出た子達は、皆、どうしているでしょうか」
「…………」
暖炉の炎がぱちっと弾けて、薪が音を立てる。
ルーフェンは、手をかざして炎を強めると、少し間を置いてから、淡々と返事をした。
「……気になるなら、手紙でも出してみたらいいんじゃないですか。アーベリトに残ってる人も、それなりにいるだろうし、もしかしたら、城館まで会いに来るかもしれませんよ」
サミルは、困ったように眉を下げた。
「そうですね。……でも、最近手の痺れが取れなくて……もう、字が書けないんです」
「じゃあ、俺が代筆しますよ」
「ふふ、嫌ですよ。手紙の内容を、君に伝えて書いてもらうなんて、なんだか恥ずかしいです」
「…………」
ルーフェンが肩をすくめると、サミルは、いたずらっぽく笑った。
次いで、どこか遠くを見るような目になると、サミルは続けた。
「いいんですよ。……皆、賢い子達でしたから、きっとどこかで、元気に暮らしているでしょう。若い内の時間は貴重ですから、私のような老いぼれに会うために、時間を割く必要はありません。顔が見れなくても、幸せに生きてくれているなら……私は、それで十分なんです」
そう言ったサミルの言葉に、卑屈な響きは感じられない。
ルーフェンが、「そんなものなんですか」と尋ねると、サミルは朗らかに微笑んで、「君もいつか、分かりますよ」と、そう答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.339 )
- 日時: 2020/12/15 18:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
窓の外で、しんしんと雪が降っている。
何かに耳を澄ませながら、サミルが、不意に手招きをした。
「……ルーフェン、折角来たのですから、少し、今後の話しませんか」
「…………」
ルーフェンは、躊躇ったように、横目でサミルの顔を見た。
「……もう、真夜中ですよ。明日、また来ますから、今夜は寝た方が良いんじゃないですか?」
「大丈夫ですよ。日中、ずっと寝ていたので、今は眠くありません」
柔らかな口調ながら、譲ろうとしないサミルの態度に、ルーフェンは、一つ嘆息する。
ルーフェンが再び寝台に腰かけると、一拍置いて、サミルは口を開いた。
「……シャルシス殿下が、十五で成人するまで、あと七年。私が死んでから、その七年の間は……シルヴィア様に、王位をお譲りしようと思うんです」
ルーフェンの目が、微かに動く。
何も言わないルーフェンに、サミルは、静かな口調で言い募った。
「セントランスの襲撃により、魔導師団は、大打撃を受けました。シュベルテでは今、旧王家による統治を拒む、反召喚師派のイシュカル教会と、新興騎士団の動きが活発化しています。その動きを沈静化させるためにも、魔導師団の権威を復活させるためにも、君たち召喚師一族の力が必要です。シルヴィア様は、前召喚師であり、前王エルディオ様の第三妃にも当たる方です。王位継承の資格は、十分にあると言えましょう。シルヴィア様が王座に座り、君が召喚師として立ち続ける。そうすれば、来たる王位返還の時までに、シュベルテの傾いた統治体制を、建て直すことができるかもしれません」
「…………」
ルーフェンは、しばらく俯いたままでいた。
だが、やがて皮肉るような笑みを溢すと、サミルのほうを見ずに言った。
「……なるほど。だから、あの女をアーベリトに置いて、仲直りするように、なんて言い出したんですね?」
サミルは、首を左右に振った。
「いいえ、逆です。襲撃にて傷を負い、アーベリトに運ばれてきたシルヴィア様のご様子を見て、彼女を次期国王に指名しようと思い付きました。召喚師としての力を失い、シュベルテでの居場所も無くした彼女は、一人、アーベリトの東塔で、静かに過ごしています。……それこそ、今の私のようにね」
「…………」
「以前も言った通り、彼女には、もう何も残っていません。王座についても、実権を握っているのが君であれば、策謀することなどできないでしょう。……あと七年です。たった七年、シルヴィア様のお名前を、お借りするだけで良い」
振り向くと、ルーフェンは、サミルのことをきつく睨み付けた。
二人はそうして、しばらく見つめ合っていたが、やがてルーフェンは、その顔つきを崩すと、掠れた声を出した。
「……ひどいですよ、サミルさん。七年前、あの女が息子たちを殺してまで王座につこうとしていたこと、忘れたんですか? シュベルテの王宮から、俺を連れ出してくれたのは、他でもないサミルさんじゃないですか。その貴方が、俺に、もう一度あの日々に戻れと言うんですか……?」
紡ぎだした語尾が、か細く震える。
懇願するように、ルーフェンがしなだれると、サミルは、囁くように問うた。
「……そんなにも嫌ですか? 自分の、母君の隣に立つことが」
「嫌です。あの人は、俺の母親じゃありません」
「…………」
サミルは、深くため息をつく。
それから、一転して口調を和らげると、なだめるように告げた。
「……では、この件は、シルヴィア様と話し合って決めるといいですよ。じっくり話してみて、シルヴィア様と君が、王と召喚師という関係を築けそうだと思ったら、実際に試してみると良いでしょう」
ルーフェンは、乾いた笑みをこぼした。
「なに言ってるんですか……。話し合いなんてしたところで、俺達には、決定権がありません。現国王の貴方が言うなら、拒否することは出来ないんですよ」
投げやりな言い方をして、ルーフェンはもう一度首を振る。
一呼吸分、間を置いてから、サミルは、あっけらかんと答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.340 )
- 日時: 2020/12/16 19:16
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
「問題ありませんよ。私、トワリスに渡した遺書には、次期国王はシルヴィア様にします、なんて、一言も書いていませんから」
「…………は?」
がばっと顔をあげたルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
滅多に見ない、ルーフェンの面食らった表情に、サミルは、ぷっと吹き出した。
「遺書には、三街分権の意を記しておきました。要は、今までの協力関係を一度解消して、私が王座につく前の、元の統治体制に戻す、ということですね。……ハーフェルンは問題ないでしょうし、アーベリトも、この数年で随分整ったので、もう私がいなくても大丈夫でしょう。シュベルテは、このままだと新興騎士団が台頭して、反召喚師派の動きが一層強まるでしょうが……そうなったらそうなったで、君はずっと、アーベリトに住めばいい。召喚師一族を排除しようと言うなら、そんな街には、帰らなければいい話です。まあ、そうなると、カーライル王家を裏切ったことになるので、私は最低最悪の愚王として、歴史書に名を残すことになるでしょうが……」
とんでもないことを、あっさりと口にするサミルを、ルーフェンは、ぽかんと見つめていた。
理解が追い付かない。ただ、上手くはめられた気がする。
まさに、そんな顔つきである。
ルーフェンは、詰めていた息を、長々と吐き出した。
「……サミルさんって、爽やかな顔して、たまに大胆なことを言い始めますよね。それ、心臓に悪いので、やめてください。由緒あるカーライル一族が没したら、それこそ、サーフェリア全体が立ち行かなくなりますよ」
サミルは、泰然と微笑んだ。
「君に言われたくありませんね。……なに、そうなったら、その時はその時ですよ。知ったこっちゃありません。私、これでも結構怒ってるんです。アーベリトのことを追い詰めたカーライル一族にも、兄を殺したシルヴィア様にも。今後絶対に、許す気はないと決めています。……でも、君はそうじゃないのでしょう? 言ったはずです。君は、ずっとシルヴィア様のことを気に掛けている」
「…………」
銀の瞳の奥で、不安定な光が揺れている。
サミルをじっと見つめ、一度目を閉じると、ルーフェンは、再び下を向いた。
「……そんなこと言われても……今更どうやって話しかければいいのか、分からないんです。俺はもう……あの女に関わりたくない」
サミルは、ルーフェンの肩に手を置いた。
「だから、王位継承の件を理由に、一度訪ねてみれば良いんですよ。君はずっと、シルヴィア様に囚われて、その影に怯えている。もう、時間は十分空けました。関わりたくないからといって、逃げ続ければ、永遠にこのままです」
ルーフェンは、ぴくりと片眉を動かした。
「……もしかして、さっきあの女を次期国王に、とかなんとか言ったのは、話題提供のための冗談ですか?」
「いえ、半分は本気ですよ。実際、シルヴィア様が次期国王になったら、シュベルテの建て直しが上手くいきそうですし。……でも、そうですね。もう半分は、話題提供です。だって君、今日はいい天気ですねって笑いながら、シルヴィア様に話しかけられないでしょう」
「……随分と規模の大きい洒落ですね」
低めた声で突っ込みを入れて、ルーフェンは、半目になった。
サミルは、にこにこと力の抜けるような笑みを浮かべている。
感化されて、肩の力を抜いていくと、ルーフェンは、ぽつりと呟いた。
「……多分、話したら……分かり合えてしまうんです。俺たちは、唯一、同じ境遇に生まれた、親子だから……」
「はい」
落ち着いた声で返事をして、サミルが頷く。
ルーフェンは、同じ言葉を繰り返した。
「きっと、痛いほど、気持ちが分かってしまうんです。……でも、分かっちゃいけない。あの女がしてきたことを、許すわけにはいきません。俺は、ずっと、あの女を憎んでいたいんです……」
サミルは、どこか悲しげに、口元を綻ばせた。
「それならそれで、良いんですよ。今になって、無理に親子らしくしろと言っているわけではありません。ですが、嫌いだ、嫌いだと言っているだけでは、何も変わりません。話してみて、やっぱり無理だと再認識したら、今度こそ、はっきりと決別すればいい。そうしたら、今よりも胸の内が軽くなるはずです」
「…………」
サミルは、ルーフェンの頭に手を伸ばした。
弱々しい力だったので、ルーフェンが自分から身体を傾けると、サミルは、嬉しそうに目元を緩ませて、その頭を肩口に引き寄せた。
「……大丈夫、ルーフェンならできますよ。今まで、いろんなことがありましたが、なんだかんだで、君の心根は優しいままです。……真っ直ぐ生きてください。私はいつでも、君の味方ですよ」
「…………」
胸が、詰まった。
それは、ルーフェンが八歳の頃、初めてサミルと出会い、そして、別れた時にかけられた言葉であった。
サミルの手が、優しく、ルーフェンの頭を撫でつける。
込み上げてきたものを、懸命に堪えて、ルーフェンは何度も瞬いていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.341 )
- 日時: 2020/12/18 19:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ゆっくりと、しかし着実に、時間は流れていった。
やがて、自力で寝台から起き上がれなくなると、サミルは、自分の死期が近いことを、城館仕えの者たちに告げた。
王の私室には、相変わらず、入れ替わり立ち替わりで人が訪れる。
しかしサミルは、以前のように話せなくなり、日を追うごとに、口数も少なくなっていった。
来客たちは、眠る時間が長くなったサミルの顔を見ると、話はせずに、寂しそうに挨拶だけをして、帰っていくのであった。
降ったり、止んだりを繰り返していた灰雪は、年が明ける頃に、三日三晩降り続けた。
ふわり、ふわりと雪が舞って、世界を白銀に染め上げていく。
日中は、はしゃぐ子供たちの声で賑わうアーベリトの街も、夜になると、深々と静まり返る。
まるで、雪が街の喧騒を吸い込んだかのようなその静寂は、どこか不気味で、心にしまいこんでいた不安を、沸々と過らせるのであった。
『──大丈夫、夢ですよ。怖いことはありません』
不意に、温かな手に頭を撫でられたような気がして、ルーフェンは、微睡みから浮上した。
目を開けると、暗闇で揺れる暖炉の炎が、ぼんやりと視界に入る。
(……夢、か)
固い椅子の上で身動ぐと、ルーフェンは、傍らで眠るサミルを見つめた。
ここ最近、仕事を終えると、サミルの寝台の側に座って、朝まで微睡むのが、ルーフェンの日課になっていた。
サミルは大抵眠っていたが、それで良かった。
言葉を交せば、サミルが満足して、どこかへ去っていってしまいそうな気がしていたからだ。
立ち上がると、ルーフェンは、白く曇った窓へと手を伸ばした。
夜明けが近いのだろう。
闇色一色だった窓の外が、わずかに薄明を帯びている。
窓を開けると、澄んだ冬の空気が流れ込んできて、枠に積もっていた雪が、ぱさぱさと階下に落ちていった。
『──眠ってください。次に起きたときは、きっと楽になれましょう』
夢の中で聴こえていた、低くて、穏やかな声。
その声が、数々の記憶を呼び起こして、ルーフェンは、そっと目を伏せた。
先程まで見ていたのは、随分と懐かしい夢だ。
サミルと、ルーフェンの間にある、数え切れないほどの思い出であった。
『それでも私は、本当に貴方様の幸せを願っています』
思えば、いつも雪が降っていた。
『ヘンリ村で見つかった貴方様が、アーベリトに来たとき、まるで、兄の生きた証を見ているようで……』
サミルと出会った時も、その後も。
アーベリトが、王都になった時も──。
『貴方様がそう望んで下さるならば、是非、ルーフェン様に。アーベリトは、いつでも貴方様を、お迎えします』
──寒い寒い、真っ白な冬のことであった。
「……はい、サミルさん」
ぽつりと呟いて、苦笑する。
吹き込んだ雪の粒が、肌に触れて、じんわりと溶けていった。
最初は、ルーフェンが眠っていた。
寝台の上で、衰弱しきったところを助け出され、ただ、どうして良いのか分からず、サミルのことを見上げていた。
それが今は、サミルのほうが臥せって、ルーフェンを見上げている。
そう思うと、息が苦しくて、呼吸もままならなくなった。
ふと、振り返ると、サミルがこちらを見ていた。
自分も外の景色を見たい、とでも言うように、サミルは、ルーフェンに手を伸ばしてくる。
窓を閉じてから、その手を掴むと、ルーフェンは、骨と皮だけの身体に手を差し入れ、ゆっくりと抱き起こした。
くるんだ毛布を背もたれに、宮棚との間に挟みこむ。
すると、サミルはそれに寄りかかって、眩しそうに窓の外を見た。
「……もうすぐ、夜が明けますね」
耳を澄ませて、ようやく聴こえる小さな声。
ルーフェンが、そうですね、と返事をすると、サミルは、途切れ途切れに言った。
「最近は、眠たくて、早起きができなかったので……。今朝は、久々に朝日を拝めそうです」
ルーフェンは、寝台に腰を下ろした。
「……そんなに見たいものですか? 眠いし、拝んだって眩しいだけでしょう」
感情を抑えたような声で言うと、サミルは、微苦笑を浮かべた。
「そういえば、兄も……君のお父さんも、昔、似たようなことを言っていましたね」
一度、そこで言葉を止めて、懐かしそうに目を細める。
まだ、夢の中にいるような朧気な瞳で、サミルは、ぽつぽつと続けた。
「さっき、兄に呼ばれたような気がします。……昨晩は、いい夢を見ました。幼かった頃の君も、出てきましたよ」
「…………」
ルーフェンは、サミルの方を向いた。
よほどひどい顔をしていたのだろう。
サミルは、ルーフェンを見つめ返すと、微かに目を大きくした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.342 )
- 日時: 2020/12/19 17:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
その肩口に額をつけると、ルーフェンは、願うように言った。
「サミルさん、逝かないで下さい……」
目をつぶって、頭を押し付ける。
サミルは、ルーフェンの背に手を回すと、眉を下げて笑った。
「……君は、一人でいたがる割に、案外寂しがり屋ですね」
柔らかな銀髪に、すりっと頬を寄せる。
サミルは、ほんの少し腕に力を込めると、優しい声で呟いた。
「ルーフェン。きっと、幸せになるんですよ……」
細い手が、ゆっくりと背をさする。
「幸せの形は、人それぞれですが……。君は、寂しがり屋だから、素敵なお嫁さんを見つけると、いいですよ」
あやすように、何度も、何度も。
「家族を作って、もし、子供ができたら、沢山その子と遊んで、成長を見守って……。そうしたら、寂しいと思う間もなく、年をとります。……実子はいませんが、私が、そういう人生でした」
そう囁いて、幸せを噛み締める。
ルーフェンは、引き留めるように、サミルの背を掴んだ。
「……今更、普通の生活なんて、俺には無理ですよ」
サミルは、ぽんぽんと、ルーフェンの頭を撫でた。
「ふふ、人生、何が起こるかなんて、誰にも分かりません。五十半ばにもなって、王位についた私が、そう言っているのですから……」
どこかおかしそうに言って、サミルは吐息をつく。
その弱々しい呼吸音と共に、何かが、こぼれ落ちていく音がした。
腕が疲れたのか、頭を撫でていた手が、ゆるゆると下がっていく。
ついに、寝台の上に落ちてしまった手を握ると、ルーフェンは顔をあげた。
「……まだですよ。サミルさん」
「…………」
「まだ、夜が明けてません。……さっき、朝日を拝めるって、そう言ってたじゃないですか」
ゆっくりと、サミルの瞼が落ちていく。
待って、と追いすがって、ルーフェンは首を振った。
「サミルさん、明日、また迎えに来ますから、外に、朝日を見に行きましょう。俺が背負っていきますよ。窓から見るより、外に出て実際に見る夜明けの方が、きっと綺麗です」
閉じられた瞼の奥で、微かに瞳が動く。
サミルは、またふふっと笑うと、それは楽しみですね、と呟いた。
窓の外で、羽毛のような雪が、ふわり、ふわりと舞っている。
微かに唇を動かして、サミルが、ルーフェンの名前を呼んだ。
「──……」
「はい、なんですか」
静かな夜が、明けていく。
東の空から、金色におぼめく朝の光が昇ってきて、白銀の世界は、きらきらと照り輝いた。
「……サミルさん。なんですか」
呼び掛けた声に、もう、返事はなかった。
もう一度、問いかけようとして、ルーフェンは、唇を引き結んだ。
震える喉で、懸命に息を吸う。
それからルーフェンは、握っていた手を、そっと寝台の上に戻した。
窓から、淡い光が射し込んで、夜の薄闇が、徐々に後退していく。
背もたれに使っていた毛布を抜き取り、腕でその身体を支えると、ルーフェンは、サミルを寝台に横たえた。
両手をとって、薄い腹の上で重ねる。
朝日に照らされて、くっきりと陰影のついたサミルの顔は、まるで、眠っているかのように安らかで、ルーフェンは、小さく微笑んだ。
「……サミルさん」
答えがないことを、確かめる。
寝台近くの椅子に座り直すと、ルーフェンは、明るくなった窓の外を見た。
「きっと、サミルさんにとっての俺は、どこまでいっても、“お兄さんの息子”なんでしょうけど……。でも、俺にとっては、貴方が父親でしたよ」
もう二度と、返事はない。
冷たい額に触れて、その穏やかな寝顔を覗き込むと、ルーフェンは、そっと呟いた。
「……おやすみなさい、お父さん」
──享年六十歳。
人々の安寧を願った、サミル・レーシアスの治世は、わずか七年で、その歴史に幕を閉じることとなった。
召喚師一族を囲いながら、非戦論を掲げたサミルの政策は、その後、幾度となく批判の的となる。
しかし、彼の時代が、飛躍的な医学発展の礎(いしずえ)となり、また、慈善事業の普及と身分格差撤廃の精神を全土に広げ、国の水準を向上させる基因になったと、そう語る者がいたことも確かであった。
元は没落貴族の出でありながら、異例の即位を果たしたサミル・レーシアス。
その在位期間の短さと、特殊な経歴故か、彼の名前が、歴史書に大きく載ることはなかった。
だが、後にサーフェリア最後の召喚師となるルーフェンと、サミルが治めたこの時代こそが、世の変貌の先駆けになったと、末代、バジレット・カーライルは手記に遺したと言う。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.343 )
- 日時: 2021/01/08 11:33
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
†第五章†──淋漓たる終焉
第四話『瓦解』
サミルの葬儀には、本人の希望で、親交の深かった者たちだけが集められた。
棺に入れられ、別れ花に囲まれたサミルを見ても、ルーフェンは、不思議と穏やかな気分であった。
分かりやすく“さりげない”風を装って、様子を伺ってくるトワリスとハインツや、揃いも揃って、鼻水を垂らしながら号泣する自警団の者たちを見ている内に、気持ちに整理がついていたのだろう。
トワリスから受け取った、サミルの遺書を読み終わったときも、過ったのは、少しの寂しさくらいであった。
葬儀が終わると、ルーフェンは、他街に宛てて文を書いた。
国王サミル・レーシアスが、病により崩御したこと。
已むを得ず、約定を破ることになってしまうが、取り急ぎ、シャルシスが成人する王位返還の時までは、分権体制に戻したいということ。
そして──。
そこまで書いて、ルーフェンは筆を置いた。
文を締めくくる前に、ルーフェンには、まだやらなければならないことがあったのだ。
執務室を出ると、外は相変わらずの銀世界であったが、散々降った雪は、もうすっかり止んでいた。
溶け出した雪が、ぽたぽたと屋根から落ちていく。
その音を聞きながら、ルーフェンが向かったのは、物見の東塔であった。
物見役の一時休息の場として用意されたその部屋は、元々シルヴィアが暮らしていたシュベルテの離宮に比べれば、あまりにも粗末で質素な造りをしていた。
急遽、前召喚師が療養のために住むというので、サミルは、必要なものがあれば用意すると打診したようだったが、結局シルヴィアは、最低限のもの以外何も欲しがらなかったのだろう。
がらんどうの木造の室内には、寝食するための寝台と食卓があるだけだ。
見晴らしの良い窓の外と、揺れる暖炉の炎以外には、変化するものが何もない。
トワリスが訪れなくなってから、シルヴィアは、そんな退屈な部屋で、日がな一日過ごしているようであった。
「……具合は良くなったんですか」
開けた扉にもたれかかって、何の前触れもなくルーフェンが問うと、シルヴィアは、寝台に座ったまま振り返った。
長い銀髪が揺れて、感情のない眼差しが、ルーフェンを射抜く。
突然押し掛けてきて、許可も取らず入室してきた息子を、シルヴィアは、驚いた様子もなく見つめていた。
食卓の椅子を引き寄せ、寝台から少し離れた位置に座ると、ルーフェンは口火を切った。
「貴女に、聞きたいことがあります」
「…………」
返事の代わりに、シルヴィアは微笑を浮かべる。
相変わらず、何故笑っているのかは分からない。
無機質で温度のない、その凄艶な微笑みを見ていると、途端に嫌悪感が湧いてくるのは、もはや条件反射だ。
ルーフェンは、少し間を置いてから、口を開いた。
「ご存知かと思いますが、陛下が亡くなりました。シュベルテとの約定を貫くなら、あと数年、形式的に国王を立てないといけません。……貴女の名前が、候補に上がっています」
「…………」
シルヴィアの目が、じっとルーフェンを見つめる。
視線をそらさず、見つめ返して返事を待っていると、シルヴィアが、ふっと笑みを深めた。
「ああ、そういうこと。私を、繋ぎの王にしようと。……それが、前王の意思なの?」
ルーフェンは、首を振った。
「いいえ。……ただ、シュベルテの現状を鑑みるに、貴女と俺でこの国の根幹を守れば、教会と新興騎士団の動きを抑制できると考えただけです。サミルさんが、実際にそうと言葉を残したわけではありません」
「……でしょうね。レーシアスの人間は、呆れるほど優しいもの」
物憂げに呟いて、シルヴィアはため息をつく。
ルーフェンは、苛立たしげに先を促した。
「貴女が拒否をするなら、それで構いません。カーライル公と話して、別の王を立てるか、分権して一時王座を空席にするだけです」
「…………」
シルヴィアは、ふいと目線を反らすと、窓の外を眺めた。
街の屋根々々に積もった雪が、日光を反射して、きらきらと輝いている。
雪遊びにはもう飽きてしまったのか、子供たちの声は聞こえず、往来には、立ち働く人々の姿だけが目立っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.344 )
- 日時: 2020/12/22 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
外の景色を見たまま、シルヴィアは答えた。
「……無理よ。後々剥奪される王座に、何の意味があるというの。言ったでしょう。渇いて、枯れ果ててしまった人間には、一滴の水もやらない方が、よほど幸せなのよ」
「…………」
ルーフェンはつかの間、警戒したような面持ちで、シルヴィアのことを睨んでいた。
その答えが、彼女の本心なのかどうか、はっきりと確信できなかったからだ。
一方で、シルヴィアはこれ以上、何も求めてこないだろうと予想していた自分もいた。
言葉通り、この女は、もうすっかり枯れ果ててしまったのだ。
シルヴィアが、今まで自分のしてきたことを、どう思っているかは分からない。
ルーフェンから奪われたもの、自分が周囲の人間達たちから奪ったもの、それらに対する執着心が、彼女の中でどの程度精算されたのか──そればかりは、きっと本人にしか分からない。
ただ、シュベルテで別れたあの時から、シルヴィアの中にあった感情の炎が、蓋をしたように消えてしまったことは、なんとなくルーフェンも感じていた。
しばらくしてから、ルーフェンは、冷静に返した。
「……分かりました。それならもう、貴女を政界に引き込むことはしません」
言いながら、立ち上がって、椅子を食卓に戻す。
次いで、ふと何かを思い出したように手を止めると、ルーフェンは、シルヴィアに向き直った。
「……それから、もう一つ」
声をかけても、シルヴィアは振り返らない。
その後ろ姿を見つめたまま、躊躇ったように言葉を止めると、ルーフェンは、嘆息して首を振った。
「……いえ。やっぱり、何でもありません。用件は、以上です。……身体の具合が良くなり次第、貴女は、シュベルテに帰ってください」
突き放すように言って、踵を返す。
すると、その時初めて、シルヴィアがルーフェンの言葉に反応を示した。
待って、と呼びかけられて、ルーフェンが足を止める。
シルヴィアは、心底不思議そうに尋ねた。
「私のことを、殺さないの……?」
ルーフェンが、思わず瞠目する。
振り返ると、シルヴィアが、恐怖も何も感じていないような瞳で、じっとこちらを見ていた。
「貴方は、私のことを憎んでいるでしょう。てっきり、殺しにきたのかと思ったわ。繋ぎの王としての役割も果たせないなら、私には、何の利用価値もない」
「…………」
その空虚な表情を見て、ルーフェンは、シルヴィアが何を思ってそんなことを問うたのか、理解した。
彼女はもう、死んで、逃れたいのだ。
枯れ果てて尚、その場で踏みつけにされるよりも、早く土の中から根を抜いて、どこかへ消え去りたいと思っている。
ようやく終わりを迎えられると信じて、その時を、ずっと待っていたのだ。
ルーフェンは、ぐっと拳を握った。
恐ろしいほどの沈黙が、室内を支配する。
ややあって、近付いていったルーフェンが、母の細い首に手をかけると──シルヴィアは、口元に笑みを浮かべて、そっと目を閉じた。
「──……」
シルヴィアの白い首筋が、どくり、どくりと脈打っている。
指先を震わせて、静かに手を下ろすと、ルーフェンは、唇を開いた。
「……殺しません」
「…………」
シルヴィアが、ゆっくりと瞼を開ける。
ルーフェンは、微笑を浮かべた。
いつだったかの、母のように──残酷なほど、美麗に微笑むと、ルーフェンは告げた。
「生きてください。貴女が、今まで切り捨ててきた人達の分まで」
それだけ言って、再び背を向ける。
大きく瞳を揺らしたシルヴィアを横目に確認すると、扉を開けて、ルーフェンは、部屋から出ていった。
無慈悲な静寂が、再び室内を包み込む。
閉まった扉の先を見つめて、シルヴィアは、呆然と目を見開くと、やがて、ぽつりと呟いた。
「え……?」
どこかで、屋根に積もった残雪が、どさりと落ちる音がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.345 )
- 日時: 2020/12/24 19:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
* * *
執務室で、トワリスと共にいたルーフェンは、性急に近付いてきた足音に、ふと顔をあげた。
ほどなくして、扉が叩かれ、顔をひきつらせたロンダートが入室してくる。
包帯で固定された左腕を見せつけながら、ロンダートは、半泣き状態でルーフェンの執務机にかじりついた。
「召喚師様ぁ! 見てくださいよ、この腕! ダナさんに聞いたら、全治一か月だって。シュベルテの門衛に、思いっきりぶん殴られたんです! 最終的には、抜き身で襲いかかってきて、俺もう二度とシュベルテには行きたくないですよ! あいつら、全然話を聞く気ないんですもん……!」
大声で喚きながら、ロンダートが訴えてくる。
机の横で待機していたトワリスは、その話を聞くと、怪訝そうに顔をしかめた。
「手まで出してきたとなると、いよいよ無視できませんね。その門衛、記章はつけていましたか?」
「ああ、うん。言われた通り見てきたけど、胸元につけてたよ。十字の剣と杖、あとは、真ん中に女の人が描いてあった。それ以外の格好をした武官は、見かけなかったなぁ」
ロンダートが、ずびずびと鼻をすすりながら答える。
記章のデザインを聞くと、椅子に座っていたルーフェンは、驚いた様子もなく嘆息した。
「やっぱりね。それは、世俗騎士団の記章じゃない」
トワリスが、眉を寄せる。
「十字の剣と杖、女の人……見たことがありませんね。魔導師団の腕章とも違いますし……。そもそも、私がシュベルテにいた時と配備が変わっていなければ、城の周囲には、結界を保つための魔導師もいるはずなんです。それがいないってことは、警備体制自体が、丸々新興騎士団に乗っ取られている可能性があります」
「可能性もなにも、そういうことだろうね。記章の“女の人”は、大方、彼らが敬愛して止まない女神イシュカル様でしょ」
ルーフェンが軽い口調で言って、やれやれと肩をすくめる。
トワリスとロンダートは、表情を曇らせると、悩ましげに俯いたのであった。
サミルの崩御と、バジレットとの謁見希望を申し出る文を、シュベルテに突き返されたのは、これで二回目のことである。
一回目は数名の自警団員に、二回目はハインツとロンダートに向かわせたが、両者共に、門前払いを食らった。
聞けば、城門前の警備兵が、「カーライル公は先の襲撃時の傷が癒えていないため、謁見は出来ない」といって聞かないのだという。
しかし、バジレット・カーライルが意識を取り戻したことは、以前の報告で分かっていることであったし、仮に容態が悪化していたのだとしても、王権を持たない今のシュベルテに、ルーフェンからの使いを拒否する権限はない。
これは、立派な背信行為であった。
トワリスは、眉をひそめたまま言った。
「私の訓練生時代の知り合いに会えれば、シュベルテ内部の状況も聞けるんですが……。話を聞く限り、新興騎士団とやらの勢力は、城内にも及んでいるようですね。そもそも魔導師団は、今どうなっているんでしょうか」
真剣なトワリスに対し、ルーフェンは、軽薄な態度で返した。
「言っておくけど、トワは行かせられないよ。話通じないっていうんで、門衛ぶん殴りそうだし」
「なっ、そんな誰彼構わず殴りませんよ!」
「いてっ」
ルーフェンの頭を叩いて、トワリスが鼻を鳴らす。
いまいち緊張感のない、ルーフェンとトワリスのやりとりに見て、ロンダートは、唇をとがらせた。
「もう、召喚師様が直接行ってきてくださいよ。召喚師一族が来たら、シュベルテの連中も流石にビビって、バジレット様を呼んできてくれるかもしれないでしょ」
ルーフェンは、片眉を上げた。
「それは構わないけど……。今、俺が空けて平気?」
ルーフェンの問いに、ロンダートとトワリスが同時に瞬く。
ロンダートは、トワリスと目を見合わせてから、やけに演技がかった口調で答えた。
「嫌だなぁ、召喚師様。自警団を馬鹿にしないでください! 確かに俺達は頭悪いですけど、元々アーベリトは、自警団だけで守ってたんですよ? セントランスとの件も片付いたし、アーベリトには結界も張ってあります。数日くらい召喚師様がいなくたって、全く問題ありませんよ!」
腕を包帯で固定された状態で言われても、なんの説得力もないが、ロンダートは、やけに自信ありげな顔つきでふんぞり返っている。
トワリスは、少し胡散臭そうにロンダートを見たが、意見は彼と同じようだった。
「そうですね。私やハインツもいますし、アーベリトのほうは平気ですよ。実際、召喚師様が行く以外に、方法はないと思いますし……。どちらにせよ、バジレット様のご容態が芳しくない以上、謁見の許可が下りたら、シュベルテに出向くことになるのはこちらです。一応召喚師様は、魔導師団の総括もしてる立場なんですから、その権威回復のためにも、直接本人が行くべきだと思います。責任者として」
きりっと眉をつり上げて、トワリスが言い切る。
魔導師団の総括といっても、ルーフェンが籍を置いているのはアーベリトなので、一月に一度報告書に目を通すくらいで、ほとんど名ばかりの責任者である。
今の王都はアーベリトで、距離がある以上は仕方がないわけだが、そのせいで、現在の魔導師団に何が起こっているのか、さっぱり分からないのも事実だ。
まるでそのことを、意図せず責めてくるようなトワリスの口調に、ルーフェンは苦笑を浮かべた。
「手厳しいなぁ。まあ、そんなに言うなら、俺が行くけど……」
言い淀んで、困ったように眉を下げる。
躊躇いがちな物言いに、ロンダートは、ルーフェンの背をばしっと右手で叩いた。
「だーいじょーぶですって! 召喚師様、妙に心配性なとこばっかりサミル先生に似ちゃったんだから。そんなに不安がらないで、俺達のこと信用してください。まあ、どうにもならなかったら、召喚師様を呼び戻しますから」
サミルの名前に、トワリスがぴくりと反応して、ルーフェンを一瞥する。
しかし、そんなことはあえて気にしていない様子で、ロンダートはにかっと笑ったのであった。
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.346 )
- 日時: 2020/12/31 23:39
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
護衛も連れず、まるで一般の旅客のような装いでやって来た召喚師を見て、強面の門衛たちは、思わず硬直した。
土地勘のない余所者が、ふらふらと市街地から迷いこんできたのかと思えば、その頭巾の中身が銀髪銀目だったなんて、誰が予想できただろう。
ルーフェンは、懐かしげにシュベルテの城壁を見上げてから、左右に並ぶ門衛二人に挨拶をした。
「こんにちは。何度かアーベリトの人間が訪ねて来ているかと思うんだけど、その時に対応したのも君達かな?」
ルーフェンがにこやかに問うと、門衛たちの顔が、さっと強張る。
しかし、引くことはなく、鉄門の前で拒むように槍を交差させると、門衛の一人が言い放った。
「申し訳ございませんが、再三お伝えしている通り、現在入城はお断りしております。召喚師様であろうと、お通しすることはできません。お引き取りください」
ルーフェンが、微かに目を細める。
嫌な汗を浮かべた門衛たちに、ルーフェンは、柔らかな声で告げた。
「悪いけど、はいそうですかと帰るわけにはいかないんだ。カーライル公に大事な話がある。どうしても駄目かな?」
「どのようなご用件であっても、通してはならないとのご命令です」
「……ふーん」
気のない返事をしながら、ルーフェンが、不意に指先を鉄門に向け、動かす。
すると、重々しい金属音が響いて、門衛たちは目を剥いた。
鉄門の錠が、勝手に開いたのだ。
ルーフェンは、淡々と続けた。
「命令に忠実なのは結構だけど、楯突く相手は考えたほうが良い。君達も、事を荒立てたくはないだろう。通してもらうよ」
身構えた門衛たちが、焦った顔つきで、ルーフェンを凝視する。
攻撃してくるかとも思ったが、流石に召喚師と揉めるのは、得策ではないと考えたのだろう。
ややあって、構えを解くと、門衛の一人が返した。
「……カーライル公は、先のセントランスによる襲撃で、お怪我をされました。現状、まだ回復には至っておりません。お通ししたとしても、謁見できるような状態ではないのです」
門衛たちはそう言って、鉄門の前から動こうとしない。
ルーフェンは、わずかに口調を強めた。
「意識は戻ったと聞いてる。公の容態を配慮したいところではあるけど、こちらも急ぎなんだ。謁見という形でなくても、話せる場があればそれで構わない」
「ですから、意識はあっても、話せる状況ではないと申し上げているのです!」
ルーフェンの言葉に被せるように、門衛が声を荒らげる。
彼らは、一瞬、感情的になったことを後悔した様子で、ルーフェンの顔色を伺ったが、それでも尚、この場を譲る気はないのだろう。
ルーフェンは、頑なな門衛たちの表情を黙って見つめていたが、やがて、ふっと笑みをこぼすと、唇を開いた。
「……なるほど。公は話すことすら出来ない状況……ということは、今この城の実権を握っているのは、旧王家じゃない。君達は、別の誰かの命令で動いているわけだ」
「──……!」
門衛たちが、はっと息を飲む。
凍りついた二人に、ルーフェンは一歩、近づいた。
「教えてもらおうか。旧王家に代わり、今、君達イシュカル教徒の上に立っているのは、一体誰だ?」
「…………」
わざと煽るような言い方をすると、途端に、門衛たちの顔つきが変わる。
彼らの目に、分かりやすく怒りと侮蔑の色が浮かぶと、ルーフェンは、内心ほくそ笑んだ。
教会が発足したという彼らは、騎士団を名乗ってはいるが、要は、武装したイシュカル教徒の集団である。
そもそもが、召喚師一族からの支配を忌み嫌う連中なのだから、彼らを扇動することなど、当の本人にとっては、容易いことであった。
門衛たちが、ぐっと槍を握り直した──その時だった。
不意に、鉄門が引き開けられたかと思うと、奥から、官服を身に纏った小太りの男が現れた。
数名の護衛騎士を携えたその男は、門衛たちを見遣ると、歪に口元を歪めた。
「どうにも騒がしいと思えば……お前たち、一体なにをしておるのだ」
男の問いかけに、門衛たちが姿勢を正す。
胸元に拳を当て、敬礼をすると、門衛の一人が答えた。
「──は。申し訳ございません、大司祭様。それが……その、召喚師様が、お越しでして……」
(大司祭……?)
眉を寄せたルーフェンに一瞥をくれて、門衛たちが言い淀む。
大司祭と呼ばれた男は、ルーフェンに視線を移すと、憎々しげに笑んだ。
「ほう……これはこれは、召喚師様ではございませんか。お久しゅうございます。覚えていらっしゃいますか? 私、以前は王宮にて事務次官を勤めておりました、モルティス・リラードと申します」
「…………」
丁寧な口調とは裏腹に、頭を下げることもせず、モルティスは挨拶を終える。
事務次官、と聞いて、ルーフェンの脳裏に、微かな記憶が蘇った。
当時、ほとんど関わりはなかったが、モルティス・リラードと言えば、政務次官ガラド・アシュリーと並び、文官を取りまとめていた内の一人であった。
ルーフェンは、訝しむように眉をあげた。
「……リラード卿、ええ、覚えていますよ。まさか、貴方が教会の関係者だったとは、知りませんでしたけどね。今は、大司祭などと呼ばれているんですか?」
皮肉るような眼差しを向ければ、モルティスは、露骨に顔をしかめる。
嫌悪感を隠そうともせずに、ルーフェンに背を向けると、モルティスは、門衛二人に道を開けるよう指示した。
「立ち話もなんでしょう。我が騎士団の者が、無礼を働いたようで、大変失礼いたしました。歓迎いたしますよ。どうぞ、城の中へ──……」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.347 )
- 日時: 2021/01/01 22:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
城内で一等大きな客室に入ると、ルーフェンとモルティスは、向かい合って席についた。
まだ日が高い時刻だというのに、隔離されたように閉めきった客室は、不気味なほど粛然としている。
薄暗い視界の中で、横長の卓に設置された燭台だけが光っており、周囲に並ぶ金銀の調度類が、きらきらとその灯りを反射していた。
飲物を運んできた侍女を下がらせると、モルティスは、卓の上に二つ、杯を並べて、黒々とした酒を注いだ。
つぎ終わると、銘柄の書かれていない酒瓶を置き、モルティスは、一方の杯を手渡してくる。
ルーフェンは、モルティスが自分の分を一杯、呷るのを確認してから、舌に触れるか触れないかの僅かな量を、口の中に含んで見せた。
「……いかがですかな。これは、黒糖と香草を混ぜた、秘蔵の混成酒なのですが」
「…………」
一度杯を卓に置くと、モルティスが尋ねてくる。
粘つくような甘味と、微かな苦味を舌の上で転がしながら、ルーフェンは微笑んだ。
「甘すぎるので、私はあまり好きではないですね」
「……おや、それは失敬。残念です」
モルティスが、わざとらしい口調で答える。
ルーフェンは、ふ、と鼻を鳴らすと、椅子に深く座り直した。
「で、ここまで通して下さったということは、カーライル公には取り次いで頂けるんでしょうね?」
銀の目を細めて、ルーフェンが問う。
モルティスは、もう一杯酒を呷ると、少し間を置いてから返した。
「先程、本日の公のご容態を宮廷医師に確認するよう、侍女に申し付けました。しかしながら、最近のご様子から拝察するに、やはり謁見は難しいでしょう。僭越ながら、このモルティスめがご用件をお伺いしたく存じますが、いかがでしょうか」
「……へえ、貴方が?」
嘲笑的に言えば、モルティスの頬の肉が、ぴくりと引きつる。
ルーフェンは、あえて挑発的な声で続けた。
「失礼ですが、リラード卿。貴方は今、シュベルテではどのようなお立場なのですか? この客室に来るまでの間、城内には、魔導師を一人も見かけませんでした。配備されているのは、貴方を大司祭だと崇める兵ばかり。魔導師団と世俗騎士団に代わり、新たに騎士修道会(新興騎士団)なるものが発足していることも、つい先日知りました。私の見ていないところで、随分と勝手に物事が進んでいるようですね。魔導師団を統括している身としては、こうも蔑ろにされると、流石に傷つくのですが……一体どういうおつもりなのでしょうか?」
「…………」
ちらりと視線を投げ掛けると、モルティスの表情が曇る。
しばらくの間、モルティスは黙っていたが、やがて、怒りを抑えるように息を吐くと、すっと頭を下げた。
「出過ぎた発言をいたしました。大変申し訳ございません。ですが、どうか誤解はされませぬよう。我々イシュカル教会は、あくまでシュベルテのため……いえ、サーフェリアのためを想い、動いているのです」
顔を上げると、モルティスはルーフェンを見つめた。
「ご存知かとは思いますが、先のセントランスによる襲撃で、シュベルテは崩落寸前まで追い詰められました。死者、負傷者共に多数、今までこの国の根幹を支えていたアシュリー卿やイージウス卿、ストンフリー卿までもが亡くなり、魔導師団も世俗騎士団も、存続不能な状況に陥ってしまいました。ですから、我々教会の人間が、新たにシュベルテの体制を編成しております。今まで城に仕えていた魔導師たちがいないのは、そのためです」
束の間、二人は見つめあったまま、互いの瞳の奥を探っていた。
だが、唇で弧を描くと、沈黙を破ったのはルーフェンであった。
「……なるほど。確かに、魔導師団と騎士団に代わり、負傷者の救護に当たって下さったのは、イシュカル教会だったと聞いています。我々アーベリトが、セントランスの宣戦布告に対し、迅速に対応できたのも、貴殿方がシュベルテを支えてくれていたおかげでしょう。勝手を責める前に、まず礼を言うべきでした。ありがとうございます」
打って変わって、穏やかな声で言うと、ルーフェンはモルティスに手を差し出した。
「どうでしょう。これを機に、仲直りしませんか? 昔から、イシュカル教会は召喚師一族の台頭を良く思っておらず、また私達も、そんな貴殿方の意向を一方的に握り潰してきました。ですが、サーフェリアの安寧を願っている、という点では、我々の目指すべきところは同じです。争うのはやめて、共に国のために尽力しようではありませんか」
「…………」
モルティスは、表情を変えずに、じっとルーフェンの掌を見ていた。
しかし、その手を取ることはしない。
不意に、一気に残った酒を喉に流し込むと、モルティスは、力任せに杯を卓に戻した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.348 )
- 日時: 2021/01/01 22:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「……目指すべきところが同じ? 国のため? ふざけるのも大概にして頂きたい。真に国を想っているなら、今すぐ血族ごと消え失せろ。この邪悪な異端者めが……!」
抑えていたものが溢れたのか、唐突に、モルティスの形相が歪んでいく。
ルーフェンは、少し驚いたように目を見開いてから、くすくすと笑った。
「つれないですね、そこは嘘でもいいから、手を握っておけばいいのに。貴殿方は、どうにも敬虔すぎていけない」
「黙れ、その軽々しい口を閉じろ!」
憎々しい光を目に宿して、モルティスは、ルーフェンを睨み付ける。
ルーフェンは、差し出していた手を下ろした。
「ま、そう怒らないで下さい。安心しましたよ、本音が聞けて。貴殿方が召喚師一族を忌み嫌っていることは、当然分かっています。ただ、あれだけ王家に牙を剥いていたはずの教会が、現政権を乗っとるような形で城に居座っていたものですから、こちらとしても戸惑ったんです。……ついでに、色々と教えてもらえませんかね。貴殿方は、シュベルテをどうするつもりなんです?」
モルティスの腫れぼったい目が、鋭く細まる。
気分を落ち着かせるように、何度か呼吸を整えると、モルティスは、低い声で答えた。
「先程申し上げた通りですよ。我々イシュカル教会は、この国のため、シュベルテの体制を一新します。理解の悪い魔導師や騎士共は一掃し、我らが女神イシュカルの名の下、清らかな魂と不屈の意思を持って、このサーフェリアを作り替えるのです」
ルーフェンは、吐息と共に肩をすくめた。
「女神イシュカル、ね……。この国を分断し、四種族を隔絶させたとかいう、古の神様でしたっけ?」
モルティスは、食い気味に返事をした。
「ええ、その通りです。イシュカル神は、人間と他種族との関わりを断つことで、サーフェリアの地に蔓延る穢れを払い、我々を守って下さった。異端の力をひけらかし、人々を恐怖で支配する召喚師一族とは、対極に位置する清浄なる神です」
「清浄なる神、ですか……。そりゃあ、随分とご立派なことで」
言いながら、胸元の女神像を握ったモルティスに、ルーフェンが冷笑する。
不愉快そうに顔をしかめると、モルティスは尋ねた。
「何がおかしいのです?」
「……いや、申し訳ない。これが、清らかで不屈なはずのイシュカル教徒のやり方なのだと思ったら、どうにもおかしくて……」
モルティスが、眉間に皺を寄せる。
そんな彼の怒りを煽るように、ルーフェンは、客室の各所に視線を巡らせた。
「廊下に三人、天井裏に二人……隣部屋にも、何人かいますね。入城を許したのは、私を殺すためですか?」
モルティスの顔つきが、一層険しくなる。
ルーフェンは、笑みを深めた。
「一つ忠告しておくと、貴方の駒が私を殺すよりも、私が貴方を殺す方が速いと思いますよ。この距離ならね。……ああ、それとも、そろそろ酒に混ぜた毒が、効き始める予定でしたか?」
残念、飲んでないんです、と付け加えて、ルーフェンが舌先を出す。
モルティスは、苦虫を噛み潰したような顔で、しばらく黙っていたが、やがて、ふんと鼻を鳴らすと、開き直った様子で背もたれに寄りかかった。
「毒は、毒を以て制するべきだということです。しかし、ご安心を。周囲に控えている兵たちは、あくまで私の護衛です。今、この場で貴方様を殺そうなどと、恐れ多い考えはしておりません。我々イシュカル教会は、神聖なサーフェリア城の御座を血で汚すような真似はいたしませぬ。……貴方様が、我々に従って下さる限りは」
モルティスの口調に、凄むような響きが混ざる。
ルーフェンは、呆れたように返した。
「今、この場では、ね。要は、邪魔せず引っ込んでいろ……ということですね?」
モルティスは、その問いには答えず、間接的な肯定をした。
「勿論、このような脅し文句が、貴方様に通用するとは思っておりません。召喚師一族の力とやらを、間近で拝見したことはありませんが、それは神にも等しい絶大なものだと聞きます。おそらく、我々が何人の刺客を放とうとも、その力の前では、今までのように蹴散らされて終わってしまうのでしょう。……ですが、いくら我々教会の人間を殺そうとも、根本的な解決が成されないのは、貴方様も同じことです」
「……つまり?」
「今や、教会の考えが民意である、ということですよ」
モルティスの口元が、不敵に歪む。
笑みを消したルーフェンに、モルティスは続けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.349 )
- 日時: 2021/01/02 19:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「召喚師一族は、その圧倒的な力で、幾度もイシュカル教徒を迫害し、殺戮してきました。その姿に恐怖し、嫌悪を抱いてきたのは、我ら教会の人間だけではないのですよ。加えてルーフェン様、貴方はリオット族などという逆賊に入れ込み、かつての騒擾の再来を危惧した民を蔑ろにして、彼らを王都に率いれた。正統なカーライル王家の系譜に、愚かにも参入したレーシアス王に加担し、遷都を強行して、シュベルテを見捨てたのも貴方様です。結果、民もまた、貴方様を見放しました。セントランスの件も、開戦前に退けて見せたルーフェン様に対し、英雄視するどころか、疑念を抱く者が多い始末。このシュベルテを貶めたのが、他でもない“召喚術”だったというのですから、仕方のない結果とも言えますがね。……対立する教会と召喚師一族、民意がどちらに傾いているかは、もうお分かりでしょう」
「…………」
ルーフェンの瞳に、殺気立った色が過る。
モルティスを真っ直ぐに見ると、ルーフェンは、鋭い声で言った。
「……教会の高潔な言い分は、よく分かりました。しかし、どうにも解せませんね。生まれつきの異質さや血統に固執した、貴殿方の排他的な考えには賛同しかねます。現状、反召喚師派の流れを作り出したのは、他でもない教会でしょう? 仕方のない結果、というよりは、露骨な印象操作による結果としか思えません。清らかな魂と不屈の意思を以て……でしたっけ? 随分ときな臭い清浄さをお持ちで」
モルティスは、嘲笑を浮かべた。
「何故そう否定なさるのです? お言葉ですが、我々の描く未来は、召喚師様ご本人の望みにも近いことだと思いますが」
ルーフェンが、意味を問うように目を細める
モルティスは、確信めいた口調で尋ねた。
「召喚師一族の在り方に、誰よりも辟易しているのは、召喚師様ご自身なのではありませんか? だからこそ七年前、ルーフェン様は、アーベリトに移ったものだと思っておりましたが。……少なくとも、シルヴィア様には、我々教会の総意をご理解頂けましたよ」
ルーフェンが、訝しげに眉を寄せる。
表情にこそ出さなかったが、このモルティスの発言には、動揺せざるを得なかった。
かつて、他でもないルーフェン自身が、召喚師への就任を拒否していたことは、当時、近しかった者しか知るはずのないことであったからだ。
幼少期、シュベルテの王宮で暮らしていた頃に、モルティスとは口をきいた覚えすらない。
だが、昔のルーフェンの様子を知っているということは、彼は、当時からイシュカル教会に属する人間だったのだろう。
事務次官として身を潜めながら、召喚師一族を廃するその時を、ずっと待っていたのだ。
イシュカル教会は元々、世間からも、狂信的な集団だという認識しかされていなかった。
しかし、それが今、着実に勢力を伸ばし、召喚師一族に牙を剥いている。
魔導師団や世俗騎士団の失墜を見逃さず、ようやく訪れたこの瞬間に食らいつき、この場で、ルーフェンと対峙しているのだ。
黙り込んだルーフェンに、モルティスは畳み掛けた。
「武力で押さえつける独裁的な世は、もう時代遅れなのです、ルーフェン様。アーベリトの温い思想に染まった貴方様なら、お分かり頂けるのではありませんか? 召喚師一族は、絶対的な守護者などではない。人ならざる力を手にした、邪悪で異端な存在です。そのような人殺しの一族を上に立たせ、血で血を洗うような一方的な恐怖政治を続ければ、いずれこの国は、滅びることになるでしょう。我々人間は、同じように天を仰ぎ、祈りを捧げ、自らの力でこの国の平和を守っていくべきなのです」
「…………」
モルティスの主張を聞いている間、ルーフェンは、一度も彼から目をそらさなかった。
話が終わった後も、長い間、黙ってモルティスを見ていたが、ややあって、静かな声で言った。
「召喚師一族が、守護者なんて言葉で片付けられるような、潔白な存在でないことは確かです。そんな私たちに傾倒する風潮を、間違っていると批難したくなるお気持ちも分かりますよ。痛いほどにね。……ですが、そこまで見損なわれていたとは心外です。私達が、いつ恐怖政治をしたというのです? 祈るだけで国の平和が保てるというのなら、とっくに召喚師一族は滅んでいるでしょう。私達は、上に立っているのではなく、いつだって“利用される側”だ。貴殿方が、今まで私達を生かしてきたのです。いつの世も、平穏の裏側には、召喚師一族のような存在が必要だから」
いつの間にか、ルーフェンの声には、積み重なった怒りが混じっていた。
それは、モルティスに対する怒りというよりは、“守護者”という椅子に無理矢理座らせておきながら、今更になって“異端の独裁者”呼ばわりしてくる、シュベルテの民に対するものであった。
冷静であらねばと思うのに、抑えきれない苛立ちが、思考を支配していく。
言葉がうまく出てこないのは、モルティスの横で、幼い自分が、こちらを指差して人殺しだと罵っていたからであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.350 )
- 日時: 2021/01/03 19:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
モルティスは、冷ややかな口調で返した。
「現在に至るまでの過程や手段など、どうでも良いことなのですよ。ルーフェン様、貴殿がアーベリトに移っていた間に、シュベルテは変わりました。今のサーフェリアにとって、召喚師一族は、災いでしかありませぬ」
言い終えてから、立ち上がると、モルティスは続けた。
「……最後にもう一度、お伺いしましょう。本日のご用件、このモルティスめにお聞かせください」
「…………」
ルーフェンは、モルティスの方に視線を上げた。
何も言わず、黙ってモルティスを見つめていたが、やがて、口端を上げ、強気な笑みを浮かべると、吐き捨てるように言った。
「思惑通りに事が運んだからと言って、何か勘違いをしていらっしゃるようですね、リラード卿。貴方に話すことは、何もありませんよ」
モルティスが、歯を食い縛ったのが分かった。
青筋を浮かべ、その肉厚な手を上げようとすると、周囲で静観していた複数人の気配が、ざわりと蠢く。
途端に高まる泡立った空気に、ルーフェンが身構えた──その時であった。
不意に、扉が叩かれて、女の声が響いてきた。
「失礼いたします、大司祭様。ご準備が整いました」
「……今行く」
興を削がれた様子で返事をして、モルティスは、扉の方へと歩いていく。
扉を開けると、外に控えていたのは、薄手の軽装鎧を纏った女騎士であった。
兜を被っているため、顔は見えないが、彼女もイシュカル教徒の一人なのだろう。
胸元には、イシュカル神が描かれた記章をつけていた。
モルティスは、忌々しそうにルーフェンを睨むと、女騎士に耳打ちをした。
「召喚師様は、アーベリトからの長旅でお疲れだ。お休みの間、不遜な輩が入らぬように守れ」
「承知いたしました」
女騎士が恭しく礼をすると、モルティスは、そのまま客室を出ていってしまう。
同時に、殺気立っていた気配も消えて、ルーフェンは、練り上げていた魔力を収めた。
辺りに潜んでいた者達は、モルティスと共に、移動したのだろう。
部屋にはルーフェンと、背の高い女騎士だけが残されていた。
監禁されたも同然の状況に、小さく嘆息して、ルーフェンが椅子から立ち上がると、女騎士が、無遠慮にも近づいてきた。
「……ふぅん、貴方が噂の召喚師様ね」
品定めするようにルーフェンを見て、女騎士は呟く。
先程までの、事務的な態度とは一転。
妙に馴れ馴れしく距離を詰めてきた女に、ルーフェンは眉を上げた。
「良い噂だといいんだけどね。……君は?」
尋ねると、女騎士は一歩後ろに下がって、ゆっくりと兜を外した。
すると、持ち上がっていく錏の下から、鮮やかな蒼髪が広がり出てくる。
女は、長い髪をぱさりと掻き上げると、兜を小脇に抱えた。
「初めまして、召喚師様。私はアレクシア・フィオール。覚えておいてちょうだいね」
そう言って、アレクシアは、艶気のある笑みを浮かべる。
見たこともない、異質で派手な見た目の女に、ルーフェンは瞬いた。
「忘れようと思っても、忘れられなさそうだね。蒼い髪と目なんて、初めて見たよ」
アレクシアは、わざとらしく首を振った。
「いまいちの反応ね。もうちょっと気の利いた台詞が言えないわけ?」
「……ああ、失礼。忘れられないくらい、綺麗な髪と瞳だねって言うべきだったかな?」
「取って付けたように言ったって駄目よ。どちらにせよ減点だわ」
あしらうように言って、アレクシアはそっぽを向く。
ルーフェンは、微苦笑を浮かべてから、彼女に向き直った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.351 )
- 日時: 2021/01/04 19:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「それで、アレクシアちゃん? 俺に何か用でも?」
「…………」
横目にルーフェンを見たアレクシアが、一瞬、その蒼色の睫毛を伏せる。
再び近づいてくると、アレクシアは、ルーフェンの耳元で囁いた。
「カーライル公は、王の寝室にいるわ。療養中には違いないけれど、意識ははっきりしている。教会側の主張は嘘よ」
ルーフェンは、目に鋭い光を浮かべた。
「じゃあ、俺が今から、教会の目を掻い潜ってカーライル公に会いに行く……と言ったら?」
「止めはしないわ。でも、おすすめもしない。公の周辺には、新興騎士団の連中が厳重な警備を敷いている。私達だけではなく、公も身動きが取れない状態なのよ。行くなら、強行突破しか手はないし、仮にカーライル公に会えても、ゆっくり話す時間はないでしょうね」
試すような口ぶりで、アレクシアが言い募る。
ルーフェンは、話を続けようとしたアレクシアの前に人差し指を出すと、彼女の言葉を制した。
「随分と内情に詳しいみたいだね、君は。先が気になるところだけど、その前に、どうして俺にそんな話をするのか、理由を聞いても?」
アレクシアは、束の間口を閉じると、ルーフェンの人差し指を、手の甲で払った。
そして、更にもう一歩近づき、密着するようにルーフェンの肩に手を添えると、声を潜めて言った。
「……ふざけた教会の連中から、この城を奪還したいの。貴方の力を借りたいわ。カーライル公への謁見は一旦諦めて、この後、私が指示した場所に行ってくれない?」
媚びるような、甘ったるい声で言いながら、アレクシアは、ちらりと上目にルーフェンを見る。
ルーフェンは、アレクシアの蒼い瞳を、探るように覗き込んだ。
「その口振りからして、君は教会の人間ではないみたいだね。……でも、すんなりそうだと信じるには、情報が少なすぎるかな」
にっこりと微笑んで、首に回ったアレクシアの手を、そっと外す。
アレクシアは、途端につまらなさそうな顔になると、ルーフェンから離れた。
「あら、そう。意外に疑り深いのね。だったら、こうすれば信じてくれる?」
言うなり、アレクシアは、首にかかっていた小さな女神像を、革紐ごと引きちぎった。
勢いよくそれを落とし、とどめとばかりに踏みつけて、ぐりぐりと床に擦り付ける。
足元で粉々になった女神像を見せると、アレクシアは、はっきりと言った。
「生憎私は、神なんて信じてないの。そんな形のないものにすがって、実際に助かった人間がいるのなら、是非会ってみたいものね。……これでどうかしら?」
高飛車な物言いをしたアレクシアに、ルーフェンが、ぷっと吹き出す。
一頻り、くつくつと笑ってから、ルーフェンは肩をすくめた。
「十分だよ。差し詰め君は、教徒のふりをして新興騎士団に紛れ込んだ魔導師……ってところかな。他にも何人かいるんだろう、城を追われた魔導師たちが」
あっさりと答えたルーフェンに、アレクシアは、細い眉を歪めた。
「いくらなんでも理解が速すぎるわね。貴方、私の正体に気づいていたんじゃない?」
ルーフェンは、綽々と返した。
「最初から気づいていたわけではないよ。ただ、蒼髪の魔導師については聞いたことがあったんだ」
「…………」
アレクシアが、冷ややかな眼差しをルーフェンに向ける。
それでも態度を変えないルーフェンに、アレクシアはため息をつくと、懐から、地図の覚書を取り出した。
「これ以上の無駄口を叩いて、私の失言を煽ろうたって、そうはいかないわよ。茶番に付き合わせたんだから、貴方もこちらに付き合いなさい」
言いながら、覚書を握らせる。
ルーフェンが、手中に視線をやって、先を促すと、アレクシアは小声で続けた。
「貴方一人で、この場所に行って。……ここに、生き残った魔導師たちがいるわ」
「……君は?」
「私は、城内で見た教会の動きを、逐一報告するのが役目だもの。今も、モルティスが兵をかき集めて、何かしようとしている。この城を離れることはできないわ」
アレクシアの瞳に、仄蒼い、不気味な光が灯る。
その光を見ながら、ルーフェンは、彼女の心中を推し量るように問うた。
「……いいの? そんなことまでバラして。見た感じ、現状優勢なのは教会側だ。俺が魔導師団を見捨てて、今聞いたことを全て教会に売ったら、君達はただじゃ済まないだろう」
意地の悪い質問に、アレクシアが鼻を鳴らす。
「そうね。そうなったら、私達おしまいだわ。全員まとめて、仲良く処刑台送りになるでしょう」
存外に潔い返し方をされて、ルーフェンはふっと笑った。
しかし、悠々として見えるアレクシアの表情に、一瞬、緊張の色が走ったのを、ルーフェンは見逃さなかった。
彼女たちにも、後はないのだろう。
裏切りの可能性も視野に入れた上で、召喚師に頼る他なかったのだ。
ルーフェンは、覚書にざっと目を通すと、掌に魔力を込めて、すかさず燃やした。
赤らんで、みるみる縮んだ覚書が、やがて灰になる。
顔をしかめたアレクシアが、何かを言う前に、ルーフェンは口を開いた。
「安心して、物証は残さない方が良いと思っただけだよ。場所はもう覚えた。君達に協力しよう。立場的にも、俺は魔導師団を建て直さなくちゃいけない」
ルーフェンは、真剣な顔つきになった。
「上手く行くかは賭けだけど、俺はしばらく、この客室で大人しくしている“体”のほうが良いだろう。君は扉の前で、リラード卿に言われた通り警備についていた……それでいい。もし、俺の不在を気づかれそうになったら、逃走経路を窓ということにして、開け放っておいて。あるいは、他に良い隠蔽策があるなら、君に任せるよ。出来るね?」
顔をあげたアレクシアが、目を大きく見開く。
何かを見通すように、蒼い瞳をルーフェンに向けていたアレクシアは、やがて、その唇で弧を描くと、頷いたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.352 )
- 日時: 2021/01/05 19:12
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
サーフェリアの旧王都、シュベルテは、宮殿を頂点に扇状に広がっている街である。
今回、セントランスから襲撃を受けたのは、大通り沿いに家々が立ち並ぶ城下街──王宮周辺を含んだ中央区から北区にかけてであるが、その実、シュベルテの人口の半数以上が集中するのは、大規模な市場が展開される南区であった。
強固な外郭にぐるりと覆われた南区には、地元の商人だけでなく、各地の行商人が入れ替わり立ち代わりで露店を開いており、物流の要である港湾都市ハーフェルンには劣るものの、そこらの宿場町と同等か、それ以上の賑わいを見せていた。
少し外れに入ると、貧民街に通じるので、決して治安が良いとは言えない場所であったが、一方で、王宮の目が届きづらい場所とも言える。
城から追われた魔導師たちの残党が、旧王都内で身を隠すには、うってつけの区画であった。
ルーフェンが南区に踏み入ると、まず目の前に広がっているのは、野菜や果物、穀類や肉類を扱う市場であった。
露店の前では、盛んな呼び込みが行われ、点在する屋台からは、深鍋でぱちぱちと爆ぜる油の音が鳴り響いている。
しかし、食品市場を抜け、香ばしい香りが届かなくなる裏通りに出ると、そこは、まるで別世界に出たのではないかと思うほど、静かな空気に包まれていた。
静かと言っても、閑散としているわけではなく、道にはいくつもの露台が並び、毛皮や衣服、装飾品などが売られている。
こうした服飾類を扱う店は、城下にも多く存在するが、南区の通りがこうも粛然としているのは、商人たちが、積極的に声をかけることはせず、客を選んでいるからだろう。
露台にかけられた布一枚、店の奥に立てられた衝立一枚を暴けば、おそらくそこには、非合法に仕入れられた武具や酒、薬品類が置かれている。
ここは、いわゆる闇市であった。
素性がばれぬよう、頭巾を深く被ると、ルーフェンは、通りの一角に建つ、小さな木造の建物に足を踏み入れた。
かつては酒場か何かだったのか、蜘蛛の巣で真っ白になった壁棚には、酒瓶がびっしりと並べられている。
しかし、あとは床に埃を被った卓や椅子、廃材が積み重なっているのみで、外見からも営業している様子はなかったが、中に入れば、それは一目瞭然であった。
開けた正面扉が、音を立てて閉まると、木製の卓を囲んで、息を潜めるように話していた数人の男達が、一斉にこちらを見た。
男達は、薄汚い外套を纏っていたが、流暢ではきはきとした話し方からして、労働者階級の者ではないだろう。
彼らは、ルーフェンが探していた、城を追われた魔導師たちであった。
魔導師たちは、警戒した様子で腰を浮かせたが、ルーフェンが頭巾をとると、目を剥いて凍りついた。
唯一、微動だにしなかった黒髪の魔導師も、少なからず驚いた様子で、ルーフェンを見上げている。
ルーフェンは、こつこつと靴底を鳴らして、男たちに近づいていった。
「久しぶり、ジークくん。俺がシュベルテにいた時以来だね」
そう言って、にこりと微笑めば、魔導師たちが、ルーフェンとジークハルトを交互に見る。
ジークハルトは、元々眉間に寄っていた皺を、更に深くすると、唸るように返した。
「お前、なんでここにいるんだ」
「なんでって……聞いてない? アレクシアちゃんに、ここに行くよう頼まれたんだけど。ほら、蒼い髪の女の子」
「……聞いてない」
少し間を置いてから、ぴきりも青筋を立てたジークハルトに、他の魔導師たちも、ひくっと口元を引きつらせる。
どうやら、ルーフェンに声をかけたのは、アレクシアの完全なる独断だったようだ。
ルーフェンが王宮に来ていたことなど、魔導師たちは知る由もないので、たまたま宮殿にいたアレクシアが咄嗟の判断を下したのも、仕方のないことだったのかもしれない。
だが、彼らの反応から察するに、アレクシアの勝手は、日常的なもののようであった。
なんとなく彼らの力関係が想像できて、ルーフェンが一笑する。
しかし、すぐに笑みを消すと、ルーフェンは真面目な顔つきになった。
「まあ、俺的には、現状が聞けて良かったけどね。……この一月くらいで、一体何があったの? セントランスの襲撃があった直後は、君たち魔導師が、城から締め出しを食らってることなんてなかったはずだ。教会の勢力が増してることは聞いていたけれど、まさか城を占拠してるなんて思わないだろう」
言いながら、ルーフェンは、魔導師が勧めてきた椅子に座る。
向かい側に座っていたジークハルトは、苛々した顔で嘆息した。
「何があったのかなんて、そんなの、俺達が知りたいくらいだ。そもそも俺達は、襲撃時に負傷した奴がほとんどで、しばらく仮設の施療院に放り込まれていたんだ。で、ようやく立って歩けるようになったと思った頃に、城を訪ねたらこの有り様だ。魔導師団や世俗騎士団は解体されたことになっているし、カーライル公に謁見しようとしても、教会所属の騎士に拒まれる。何人か武力行使に出た奴もいたが、捕らえられて地下牢行き、悪けりゃ晒し首だ。襲撃後の復興を行ったという理由で、街の奴らは新興騎士団を英雄扱いしてやがるし、この現状に耐えかねて、教会側に寝返った魔導師や騎士も多くいる。アレクシアには、そういう奴らに紛れて、城に残るよう指示したんだ」
そう語ったジークハルトの表情には、色濃い疲れが滲んでいた。
今のジークハルトは、ルーフェンが記憶していた十四の頃よりも、ずっと背丈が伸び、大人びた顔つきをしていたが、それでも、当時より窶れて、くすんだ瞳をしているように見える。
他の魔導師たちも、心身共に相当疲弊しているのだろう。
傷も治り切らぬ内に、城を追われ、浮浪者のような生活を強いられていたのかもしれない。
皆一様に俯き、生気のない顔をしていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.353 )
- 日時: 2021/01/06 19:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
魔導師の一人が、悔しげに唇を噛んだ。
「くそっ、教会の奴ら、一体どういうつもりなんだ。確かに、街を復興させたのは新興騎士団ですが、セントランスの化物と直接戦って、退けたのは俺達なんです! それを、まるで惨敗した役立たずみたいな扱いをしやがって……」
「そうです! イシュカル教徒が出張ってきたのは、戦いが全て終わった後だったんですよ。そのくせ、シュベルテを救った英雄みたいな顔して、街を闊歩して」
「あいつら、俺達に嫌がらせをしているつもりなんでしょう。俺達魔導師団は、教会が調子付かないように、活動規制の強化や、団からの離反者を処分対象として扱ってきましたから。きっと、それを根に持って……」
ルーフェンに対して、魔導師たちが、口々に訴えかけてくる。
その一言一言に耳を傾けながら、ルーフェンは、考え込むように顎に手を添えた。
「……想像以上に、事態は深刻だね。前々から思っていたけれど、セントランスの襲撃とイシュカル教会の台頭、この二つのタイミングが、どうにも良すぎるんだ。今のところ、両者に関係があったと考えられる証拠は何もないけど、教会勢力が看過できないほどに勃興したのは、今回の襲撃がきっかけだ。偶然という言葉で片付けるには、教会の都合が良いように出来すぎている」
ジークハルトは、同調して頷いた。
「ああ、俺も、セントランスの思惑とは別で、今回の襲撃には、教会が一枚噛んでいると思っている。祭典中に宮殿が襲われた時も、魔導師団の腕章をつけた魔導師を一人、見かけたからな。腕章だけでははっきりと判断がつかんが、おそらくそいつは、教会の手の者なんだろう」
魔導師が、躊躇いがちに発言した。
「しかし、バーンズ卿がお見かけしたというその魔導師は、セントランスの人間である可能性も高いのではありませんか? あえて偽の腕章をつけ、素性を偽って内部に侵入したのです」
魔導師の言葉に、ルーフェンが首を振る。
「いや、それは考えづらいだろう。素性を隠して襲撃を行うことが目的だったのなら、後に堂々とセントランスが名前を明かして、宣戦布告してきた説明がつかない。シュベルテを落とす目的で、襲撃を実行したのはセントランスだけど、やはりその水面下で、第三者──つまり教会が関わっていたと推測するのが妥当だね」
ルーフェンは、静かな声で言い募った。
「教会は、この短期間で街の復興に着手し、民意を勝ち取って、宮殿を占拠するまでに至った。こんなこと、たまたま起きたセントランスによる襲撃を利用して、突発的に動いただけでは成し得ないだろう。こうなることを予見していた、もしくは実際にセントランスに加担して、時間をかけて計画立てていた人間がいるはずだ。……それがおそらく、事務次官、もといイシュカル教会大司祭、モルティス・リラード卿」
「…………」
室内に、重たい沈黙が降りる。
ジークハルトが何も言わないことを確認すると、魔導師の一人が、すがるようにルーフェンを見た。
「あの、召喚師様……。召喚師様のお力で、なんとか教会を抑え込むことはできないでしょうか。このままでは、城どころか、街を追われてしまいます。カーライル公もご無事かどうか、確かめる術がありませんし、もう我々には、召喚師様しかおりません。あんな、神に祈るしか能がない連中に熱を上げるなんて、この街は、襲撃以降おかしくなってしまったんです」
魔導師の悲痛な訴えに、ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「完全に抑え込むことは、もう無理だろうね。民間にも教会の思想が広まっている以上、相手として母体が大きすぎる。……ジークくん、仮にこちらが討って出るとして、何人集められる?」
「……ここにいない奴らも含めて、せいぜい千だろうな」
「でしょう? そもそも魔導師は数が少ないし、世俗騎士団の人間をかき集めるにしても、内密に連絡を取り合って呼び寄せるのでは、時間がかかりすぎる。それに、今この状態で内戦を起こすのは、絶対に避けた方が良いだろう。俺が介入して無理矢理開城させたとしても、街を戦火に巻き込めば、後々反発を食らうのは俺達だ。少数派がこちらになりつつある以上、頭のリラード卿を討てば良いとか、新興騎士団を解散させれば良いとか、その程度では収まらなくなっている。できて、魔導師団を建て直すところまで、だね」
魔導師たちの顔から、すーっと血の気が引いていく。
もはや、最後の希望も絶たれ、絶望と後悔に胸中を支配されている様子であった。
今更誰かの責任を問うつもりはないが、せめて、襲撃が起きる前に教会を止められていたなら、事態は大きく違っていたのだろうと思う。
こうして表沙汰になるまで、サミルもルーフェンも、ここまでイシュカル教会が勢力を拡大させていたなんて全く知らなかったし、そのような報告は、一切受けていなかった。
おそらく、魔導師団内にも様々な思惑があって、アーベリトに助けを求めることはしなかったのだろうが、その判断が、命取りになったとも言える。
今でこそ召喚師にすがってきているが、遷都したことを良く思っていない魔導師は多く、彼らの中には、サミルやルーフェンに頼らずとも解決してみせるという、意地のようなものもあったのだろう。
そういった、旧王都民としての誇りや驕りが、今回の事態を招いたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.354 )
- 日時: 2021/01/07 18:36
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンは、落ち着いた口調で続けた。
「黒か白か、みたいな極端な考えは、一度やめよう。こうなった以上、どこかで折り合いをつけて、教会の考えも受け入れていくしかない。元々シュベルテには、イシュカル教会に限らず、利他の精神……と言えばいいのかな。まあ、そういう祈祷の文化というか、宗教思想は数多くあるんだ。召喚師一族への信仰だって、それに近いしね。つまり、教会が台頭したことの問題は“そこ”じゃない。問題なのは、その考え一辺倒に染まることだ」
「しかし、それは……っ」
一瞬、魔導師の一人が、反論したげに口を挟んだ。
だが、すぐに唇を引き結ぶと、謝罪をして、椅子に座り直す。
おそらく、襲撃に関わった疑いのある教会を受け入れるなんて有り得ないと、そう続けたかったのだろう。
しかし、この場でルーフェンに食ってかかるのは、得策でないと思い直したらしい。
ルーフェンは、あえてその反論には触れず、そのまま言葉を継いだ。
「……王宮でリラード卿と話したとき、彼は、このシュベルテの体制を一新すると話していた。その体制とやらが、どんなものになるのかは分からないけれど、教会本位のものになることだけは阻止しよう。今からでも魔導師団を建て直して、新興騎士団と対立させる形で、その体制の中に組み込むんだ。教会を叩き出すには遅いけど、その侵攻を食い止めるだけなら、まだ間に合うだろう」
黙って聞いていたジークハルトは、ルーフェンが口を閉じてから、不意に眉を動かした。
話のどこかに、違和感を感じたのだろう。
ルーフェンに制止をかけると、ジークハルトは口を開いた。
「待て、お前、リラード卿と話したのか? 王宮の外ではなく、中で」
「え? ああ、うん。それがどうかした?」
質問の意図を図りかねて、ルーフェンが問い返す。
しかし、すぐには答えず、ジークハルトは再び沈黙した。
彼自身も、自分が何に引っ掛かったのか、はっきりとは分かっていない様子である。
少しの逡巡の末、ジークハルトは首を振った。
「……いや、ただ、少し驚いただけだ。ここ数日、教会は徹底して教徒以外の入城を拒んでいたからな。召喚師であるお前を入れるなんて、気まぐれにしては、妙だと思って」
そのまま語尾を濁したジークハルトに、ルーフェンも、微かに顔をしかめた。
言われてみれば、確かにそうだ。
今の教会にとって、ルーフェンは、最も懐に入れたくない相手と言えよう。
それなのに、門前で一悶着あったとはいえ、モルティス自身がルーフェンを城に引き入れたのは、少し意外であった。
(俺を殺すこと、動向を探ること……目的があるとしたら、やはりその辺りか)
考えを巡らせながら、ふっと目を細める。
卓の一点を見つめて、ルーフェンは訥々と返した。
「……多分、追い返すよりも、城の内部に引き入れて、上手くいけば俺を殺そう、くらいのことを考えていたんだろう。実際、毒を盛られたし、周囲には何人も兵が控えている状態だった。あるいは、俺の動向を探る意味もあったんじゃないかな。俺の目的はカーライル公に会うことだったし、手がかりになるようなことは何も言っていないけど……」
毒、という単語に、魔導師たちがぎょっと目を丸くする。
ジークハルトも、呆れたようにルーフェンを見ると、深々と嘆息した。
「馬鹿が。それで本当に殺されていたら、どうするつもりだったんだ。こんな時に、護衛もつけずにフラフラと出歩きやがって……相変わらず危機感の薄い奴だな」
ルーフェンは、肩をすくめた。
「嫌だな、そう簡単には殺されないよ。仕方ないだろう、アーベリトを手薄にするわけにいかないし……どうしても、カーライル公と話さなきゃいけないことがあったんだ」
「話さなきゃいけないこと? なんだ、それは」
尋ねてきたジークハルトに、一瞬、言葉を詰まらせる。
話さなきゃいけないこと──それは、サミルの死と、その後の統治体制についてだ。
だがそれは、魔導師団の人間が相手だからといって、気軽に明かして良いことではない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.355 )
- 日時: 2021/01/09 01:43
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンは、ふっと視線を落とした。
「……言えない。少なくとも、複数人の前では」
「…………」
ジークハルトが、眉根を寄せる。
ルーフェンは、声も表情も穏やかであったが、その奥に秘められた暗いものを感じ取ると、ジークハルトは、魔導師たちに目を移した。
「悪いが、一度外してくれ」
ジークハルトが一言、そう告げると、魔導師たちは、少し戸惑ったような表情になったが、ややあって、互いに顔を見合わせると、大人しく席を立った。
特に抗議をすることもなく、ルーフェンとジークハルトに礼をして、そそくさと部屋を出ていく。
ルーフェンは、聞き分けの良い彼らの行動を、少し驚いたように見つめていた。
「彼ら、君の言うことは、随分と素直に聞くんだね」
思わず呟くと、ジークハルトは、妙な顔になった。
「……別に。まあ、解体後に散り散りになった魔導師たちを集めて、取りまとめたのは俺だからな」
「へえ、だから慕われてるんだ」
「茶化すな。単に、生き残った宮廷魔導師が、俺だけだったというだけだ」
「……そっか」
どこか望洋とした目で、ルーフェンは、魔導師たちが出ていった扉を見つめる。
ジークハルトも、しばらく扉の方を眺めていたが、やがて、腕を組むと、ルーフェンに向き直った。
「……それで、カーライル公と話さなきゃいけないことってのは、一体なんなんだ。アーベリトで、何かあったのか?」
「…………」
ルーフェンの視線が、ゆっくりとジークハルトに移る。
束の間、ルーフェンは何も言わなかったが、ふと目を伏せると、ぽつりと言った。
「……サミルさんが、亡くなったんだ」
「……は?」
思わぬことだったのか、ジークハルトが、今までにない動揺の色を見せる。
わずかに身を乗り出すと、ジークハルトは、声を潜めて問うた。
「まさか……殺されたのか」
ルーフェンは、首を横に振った。
「いいや、病だよ。……ただのね」
「…………」
そうか、と答えようとして、ジークハルトは口を閉じた。
一言で済ませるべきではないのだろうと思ったが、何か補足しようにも、言葉が出てこない。
結局無言でいると、ルーフェンは、何かを察したように、目に苦笑を浮かべた。
「……つまりさ、教会との諍いがなくたって、この国の体制は変えなくちゃいけないんだ。……王が死んだ。今が、その時なんだろう……」
不意に、瞳に冷たい光を宿すと、ルーフェンは続けた。
「正直、教会がここまで進出してきたのは予想外だったけど、シュベルテの人々がそれを支持してるって言うなら、俺は、それでも構わないと思う。リラード卿のやり方を正しいとは思わないけど、彼らの言い分を、間違いだと否定する気にもなれなかった。……ここからは、カーライル公と話して決めることになるけど、おそらく公は、まだ幼いシャルシス様を、王座につかせようとはしないはずだ。であれば、シャルシス様が成人するまでの残り数年間は、三街分権に戻した方が良い。シュベルテ、ハーフェルン、アーベリトを独立させて、それぞれに統治権を分散させるんだ。そのほうが、再び王位継承権を争って、無理に王を立てようとするよりも、ずっと丸く収まるだろう」
ジークハルトは、顔つきを険しくした。
「……俺は反対だ。お前が言っているのは、つまり、今後のシュベルテの統治権は教会の奴らに渡す、ということだろう。そんなことが、あってたまるか。あんな妄信的な連中に、国を渡すわけにはいかない」
ルーフェンは、ジークハルトをまっすぐに見た。
「だから、そのための魔導師団だろう。さっきも言った通り、教会の侵攻を食い止めるだけなら、まだ間に合う。彼らが新興騎士団として剣を捧げるなら、君達は魔導師団として、国全体を支えれば良い。世が教会の思想に傾かないよう、騎士団と魔導師団の二大勢力で、互いに抑制し合いながら、サーフェリアの基盤を守るんだ」
「……本気で言っているのか?」
底冷えするような低い声で、ジークハルトが尋ねる。
言葉を止めたルーフェンに、ジークハルトは、ぎりっと歯を食い縛った。
先程、反論しようとしてきた魔導師たちよりも、ずっと激しい怒りを孕んだ、憎しみの表情であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.356 )
- 日時: 2021/01/09 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ジークハルトは、ルーフェンを睨んだ。
「……大体、お前はどうするつもりなんだ。教会を上に据えるなら、お前はもう、シュベルテには戻ってこられないだろう」
ルーフェンは、頷いた。
「ああ。……それで良いと思ってる」
迷いなく答えたルーフェンに、ジークハルトが目を見張る。
もはや、言葉を失った様子のジークハルトに、ルーフェンは、淡々と告げた。
「言っただろう、どこかで折り合いをつけて、教会の考えも受け入れていくしかないって。反召喚師派である教会の考えを受け入れるって言うのは、つまり、そういうことだ。魔導師団の建て直しが叶ったら、俺はもう、シュベルテには戻らない方が良い。君だって、神だの召喚師一族だのに傾倒して生きていくのは、馬鹿馬鹿しいと思うだろう? そもそも、召喚術なんていう人間離れした力は、世の中にあっちゃいけないんだ。少なくとも俺は、子供の頃から、ずっとそう思ってた。……世間もそういう考えになったっていうんなら、その流れに、わざわざ抗う理由はない」
寂しげに、けれど、どこか吹っ切れたような顔で、ルーフェンは呟いた。
そんな彼の表情を見ながら、ジークハルトは、不意に言った。
「……お前、死ぬ気か」
「…………」
ルーフェンは、返事をしなかった。
遠い先の景色を見据えるような、その銀の瞳には、ジークハルトも、誰も映っていなかった。
ややあって、ルーフェンは、独り言のように答えた。
「……サーフェリアの召喚師は、俺の代で、最後にする」
ジークハルトが、ぐっと手を握る。
突然、卓を拳で勢い良く叩くと、ジークハルトは叫んだ。
「ふざけるな! それでいいわけないだろう……! お前一人が犠牲になって、それで何になる! 今回の襲撃で、シュベルテでは、何万人も死んだんだぞ。今まで国のために戦ってきた奴らや、何の罪もない奴らが、訳も分からないまま、得体の知れない化物に襲われて、呆気なく死んだ! イシュカル教徒共は、そんな襲撃に乗じて俺達を踏みつけ、私欲を優先して、ほくそ笑んでやがるんだ! そんな連中に座を譲って、お前は、本当にそれで良いと思っているのか……!」
「…………」
日が傾いてきたのだろう。
薄暗かった室内に、蜜色の西日が射し込んでくる。
卓に打ち付けられたジークハルトの右腕は、ひどい火傷を負ったのか、皮膚が赤らみ、歪に引き攣っていた。
ルーフェンは、一息置くと、ぽつりと呟いた。
「……君も、変わったな」
ジークハルトの顔が、激情を噛み殺すように歪む。
ルーフェンは、平坦な口調で続けた。
「それは、一体誰のために言っている言葉なの。自分のため? それとも、国のため? ……少なくとも、七年前の君だったら、教会の台頭を許していただろう」
「……七年前だと?」
ジークハルトの目に、凶暴な光が浮かぶ。
それでも、気後れすることなく、ルーフェンは返した。
「……七年前、王位継承について揉めていた時、君は、世間がそう望んでいるからという理由で、シルヴィアが次期国王になるべきだと言った。俺は反対した。あんな人殺し……しかも、君の父親の片腕を奪ったような女が、王座について良いわけがない。本当にそれでいいのかって。その時に、君がなんて返してきたのか、覚えてない?」
「…………」
「俺は、国に仕える魔導師だから、私情を優先したりしない。国のために動くって、そう言ったんだよ──」
言い終わる前に、椅子を蹴り上げたジークハルトが、ルーフェンの胸倉に掴みかかった。
古びた椅子が、床に転がって、激しく音を立てる。
表情を変えないルーフェンを、間近で睨み付けると、ジークハルトは低い声で言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.357 )
- 日時: 2021/01/09 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「だからなんだ。今の俺が、ガキの頃より感情的で、惨めだって言いたいのか!」
「そうじゃない」
ルーフェンは、すぐに否定をした。
「俺も、教会が国を上に立つことが、正しいとは思わない。でもそれ以上に、召喚師一族に依存する歴史が、続くべきではないと思ってる」
「…………」
「君の考えが変わったように、時が経てば、人の想いは変わる。それに合わせて、国も変わっていく。人は等しく悪で、等しく正義だ。何が本当に正しいかなんて、誰にも分からない。その変化に沿って、流れを掴み取ったものが、その時代の正義になってしまうんだよ」
ルーフェンは、胸倉を掴むジークハルトの腕を、ぐっと握り返した。
「教会のやり方を、許せない気持ちも分かる。だけど、何かと引き換えに犠牲を払ってきたのは、俺達も同じだ。一度冷静になって、この国の在るべき姿を考えてくれ。今起きているこの変化は、決して悪いものじゃない。教会が召喚師一族を潰し、君たち魔導師団が、道を違わずに国を守れ。それでいい……それがきっと、今の在るべき流れだ」
「……っ」
ジークハルトは、唸った。
ルーフェンの胸倉を、力任せに締め上げ、しかし、すんでのところで突き放すと、足元の椅子に、行き場のない怒りをぶつけた。
蹴り飛ばされた椅子が、軋むような音を立てて折れ、取れた足の一本が、床を滑るようにして転がってくる。
ジークハルトは、長い間、荒く息をしながらその残骸を見つめていたが、やがて、力なく首を振ると、悔しげに呟いた。
「……俺じゃ、駄目なんだよ」
ルーフェンの目が、微かに見開かれる。
卓に手をつき、もう一度首を振ると、ジークハルトは、複雑な面持ちでルーフェンを見た。
「魔導師団を建て直して、教会に対抗することはできるかもしれない。だが、それだけだ。人心を動かすほどの強さと影響力が、俺にはない」
声を震わせて、ジークハルトは俯いた。
「……いくら特別な力を持っているからと言って、召喚師一族にばかりすがるなんて、馬鹿げた風潮だと思う。……思うが、やはりお前は必要なんだ、ルーフェン。力を持たない人間は、何か頼れるものがないと、いとも簡単に不安に押し潰される。お前がシュベルテから去って、人々は腹いせにお前を批難しながら、次の依存先として、この世界を分断した女神様とやらを選んだ。その教会と敵対し、何の後ろ楯もなくなった魔導師団が戦い続けるには、その女神に匹敵するほどの、依存先が必要になるだろう。……俺は、それにはなれない」
ジークハルトが口を閉じると、室内は、重々しい静寂に包まれた。
手に入らないものを前に、俺では駄目だと言って、結局目をそらす。
そうして、後ずさった朧気な少年の姿が、目の奥にちらついているような気がした。
ルーフェンは、何かを思い出すように睫毛を伏せていたが、ややあって、顔をあげると、ジークハルトに尋ねた。
「……君は、もしも手に入るなら、召喚師一族の力がほしい……?」
ジークハルトの瞳が、微かに揺れる。
一拍置いてから、ジークハルトは、はっと乾いた笑みをこぼした。
「……それは、新手の嫌味か何かか」
冗談めかしたジークハルトを、ルーフェンは、透かすような目で見つめる。
すっと息を吸うと、ルーフェンは、ため息混じりに返した。
「君が思ってるほど、召喚術は、特別なものじゃない」
言われている意味が分からず、ジークハルトが、眉を寄せる。
ルーフェンは、ふいと目をそらすと、束の間沈黙していたが、ややあって、再びジークハルトのほうに視線を戻すと、小さく微笑んだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.358 )
- 日時: 2021/01/10 19:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「……ここで話していても、結論は出ないな。お互い、頭を冷やした方が良い。俺が今後どうしていくかよりも、目下の問題は、教会の目的と、彼らをどう制御していくかだ」
「──待て、話はまだ終わっていないだろう。召喚術が特別ではないって、どういう意味だ? 今回の襲撃時に現れた化物と、何か関係があるのか。お前は一体、何を知っている?」
半ば強引に話題をすり替えたルーフェンに、ジークハルトは、納得がいかないといった様子で食い下がった。
しかし、ルーフェンは答えようとしない。
ジークハルトは、苛立たしげに捲し立てた。
「お前の母親が──シルヴィアが、化物を見て、あれは“悪魔のなり損ない”だと言った。その意味、お前なら分かるか。セントランスが使ったのは、本当に召喚術だったとでも言うのか」
口を挟む隙を与えず、ジークハルトは、ルーフェンを問い詰める。
「いいか、これはお前だけの問題じゃないんだ。セントランスの襲撃に教会が関わっていたのだとしたら、あの化物についての手がかりも、教会の次の動きを予測する鍵になるだろう。カーライル公もシルヴィアも、リラード卿の手中に落ちている今、魔導師団側には、もうお前しかいないんだ。知っていることがあるなら、隠し立てせずに言え」
逃がさないとでも言わんばかりに、ジークハルトが肩を掴む。
するとルーフェンが、何かに反応して、弾かれたように顔を上げた。
「シルヴィアも、リラード卿の手中……? あの女は今、アーベリトにいるはずだ」
信じられぬものを見るような目で、ルーフェンが、ジークハルトを凝視する。
ジークハルトは、訝しげに返した。
「アーベリトに……?」
まるで、何も知らなかったとでもいうような、ジークハルトの口ぶり。
ルーフェンは、嫌な汗がこめかみを伝うのを感じた。
「君たち魔導師団が、送りつけてきたんだろう。今のシュベルテでは、教会が目を光らせているから、前召喚師は、アーベリトに避難した方がいいだろうって」
ジークハルトの顔色が、さっと変わる。
厳しい表情になると、ジークハルトは首を振った。
「俺は聞いてない。直接シルヴィアの所在を調べたわけではないが、てっきり襲撃後に、王宮に匿われているものだと思っていた。少なくとも、俺が知る範囲では、シルヴィアに魔導師をつけて、アーベリトに送ったりなんぞしていない」
「…………」
冷たい氷の刃を、首筋に、突き付けられたような気がした。
シルヴィアと共にアーベリトに来た魔導師たちは、確かに、正規の魔導師団の腕章をつけていた。
一人は、名をゲルナー・ハイデスと言ったか。
しかし、名は偽名を使われていたら当てにならないし、腕章だって、魔導師団から寝返った教会関係者だったら、正規の物を入手できていてもおかしくない。
まさか、あの時点で、彼はサイ・ロザリエスと繋がりを持っていたりしたのだろうか。
そんなことを今更考えても、もう真実は確かめようがない──。
唐突に押し寄せてきた嫌な予感に、指先が細かく震え出すのを、ルーフェンは、他人事のように見つめていた。
(何か……何か、見落としている……? 城を占拠して、教会は、次に何をするつもりだ……。俺は、どうして城に引き入れられた……?)
どくり、どくりと、鼓動が速まっていく。
そうして、セントランスや教会とのやりとりに思考を巡らせていた時。
不意に、ルーフェンの脳裏に、モルティスの声が蘇った。
『召喚師一族の在り方に、誰よりも辟易へきえきしているのは、召喚師様ご自身なのではありませんか?』
『……少なくとも、シルヴィア様には、我々教会の総意をご理解頂けましたよ──……』
ルーフェンは、ひゅっと息を飲んだ。
次いで、ジークハルトの手を振り払うと、突然部屋を飛び出した。
「──あっ、おい……!」
驚いたジークハルトが、咄嗟に追いかける。
だが、脇目も振らずに走っていったルーフェンは、あっという間に、市場通りの雑踏に紛れてしまった。
どこに行くつもりなのかは分からないが、アーベリトに戻るにしても、それ以外の場所に向かうにしても、ルーフェンなら、一度どこぞの移動陣を経由するはずだ。
それならば、ある程度の道筋は予想できるが、身を隠している状況で、混み合った夕暮れの市場通りを掻き分けていくのは、どうにも躊躇われた。
追うか追うまいか迷って、建物を出たところで足を止めると、何事かと寄ってきた魔導師が、ジークハルトに声をかけてきた。
「えっ、あの……何かあったんですか?」
「分からん。あいつ、急に話の途中で飛び出していきやがった」
口早に答えて、思わず舌打ちをする。
そもそも、一体何を焦って出ていったのだろうと考えていると、別の魔導師が、小走りでやってきて、ジークハルトに封書を差し出してきた。
「バーンズ卿、お取り込み中のところ、失礼いたします。こちら……少し早いですが、いつもの報告書かと」
「……ああ」
頷いて受け取り、些か乱暴な手付きで、差出人不明の封書を開ける。
それは、王宮に潜入しているアレクシアからの、定期連絡であった。
ルーフェンが駆けていった方向を気にしながらも、中に入っていた手紙を開くと、ジークハルトは、その内容に素早く目を通す。
そして、瞠目し、思わず絶句した。
いつもより荒い、走り書きされたその手紙には、新興騎士団が、アーベリトに向けて進軍しているという旨が記されていたのだ。
「こ、これって……!」
横から覗き込んでいた魔導師たちの顔が、さっと青ざめる。
ジークハルトは、封書を懐に押し込むと、市場通りに駆け出したのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.359 )
- 日時: 2021/01/11 19:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
雪掻き用のスコップを納屋にしまうと、トワリスは、淀んだ灰色の空を見上げた。
かじかんだ指先に吐息をかければ、ふわりと空気が白濁する。
サミルの崩御から数日が経ち、残雪を掻く余裕ができた日は、久々であった。
雪掻きを終え、分厚い毛織りの上着と帽子を脱ぐと、トワリスは、城館内へと戻った。
普段は外の警備をしていることが多いが、今日の外回りは、全て自警団員達に任せている。
というのも、ルーフェンがシュベルテに行っており、アーベリトにいないので、城館付近に結界維持のための魔導師が残る必要があったのだ。
今までも、ルーフェンが何日かアーベリトを空けることはあったが、サミルが亡くなってからの不在は、初めてのことであった。
不在といっても、彼は自分が留守にすることを躊躇っているようだったので、一日、二日で帰ってくるつもりだろう。
それでも、サミルが逝去したことも相まって、アーベリトを支えてきた二人がいないと、城館内の雰囲気が、どんよりと曇っているような気がした。
吹き抜けの長廊下を渡っていると、物見塔の窓が開いていることに気づいて、トワリスは、ふと足を止めた。
物見の東塔は、中庭を抜けた先に建っており、今は、シルヴィアが一時滞在している場所だ。
普段から、中庭近くを通る度に、ちらりと様子を伺っていたが、窓が開いているところは、今まで一度も見たことがなかった。
(……まあ、たまには空気を入れ換えないと、それこそ息が詰まっちゃうもんね)
こっそりと物見塔に近づき、窓を見上げる。
当然高くに位置しているので、中の様子は全く伺えなかったが、窓が開いているということは、シルヴィアは、窓辺で外の景色でも眺めているのだろう。
いつも、実は無人なのではないかと疑うほど静かだったので、彼女の生活の気配が感じられると、なんとなく安心できた。
ロンダートと共に、ルーフェンにシュベルテに行くよう頼んだ時。
ロンダートは、サミルやルーフェンがいない分、自分達がアーベリトを守るのだと意気込んでいたが、トワリスには、別の思惑もあった。
勿論、セントランスとの一件が片付いた今なら、彼がいなくても問題ないだろうと判断したのも事実だし、何より、閉鎖されているらしいシュベルテの宮殿に入るならば、立場的に召喚師が適任だろうと思ったのが、主な理由である。
だが、その一方で、ルーフェンがいない間に、シルヴィアの様子を確認してみようかと、密かに企んでいたのであった。
シルヴィアとは、中庭でルーフェンに引き離されたあの日以来、結局一度も会っていない。
セントランスとのこともあったし、サミルが体調を崩した辺りからは特に、忙しくて顔を出す時間がなかったのだ。
それに、ルーフェンの目がある内は、やはり動きづらかった。
当初、シルヴィアを物見塔に幽閉したルーフェンは、まるで囚人でも見張るかのように、母親の動向を監視していたからだ。
何か事情があるのは、二人の様子を見てすぐに分かったし、部外者であるトワリスには、口を挟む権利などないだろう。
しかし、心のどこかでは、母親にあんな仕打ちをするなんてと、シルヴィアを哀れに思う気持ちがあったのだった。
(会いに行ったのがばれたら、ルーフェンさん、やっぱり怒るかな……)
迷ったような足取りで、トワリスは、物見塔の入口付近をうろついた。
無断で会いに行けば、ルーフェンは怒るというより、心配してくるのだろう。
初めてルーフェンとシルヴィアが対峙するところを見たときも、彼の顔に浮かんでいたのは、怒りというより、強い警戒の色であった。
珍しく取り乱して、「シルヴィアに関わるな」と忠告してきた姿を思うと、やはり、ルーフェンに黙って会いに行くのは、申し訳ない気がしてしまう。
それでも、行動に移してみようかと思ったのは、サミルが亡くなってから、ルーフェンの彼女に対する警戒心が、少し緩まったように見えたからだ。
自然と緩まったというより、あえて、意識的に緩めようとしているように見えた。
きっと、サミルに何か言われたのだろう。
あれだけ母親を敬遠していたルーフェンが、一度だけ、シルヴィアに会いに行っていたことをトワリスは知っていたし、今回、躊躇いつつもアーベリトを留守にしたのだって、きっとその表れである。
実際、この数月、シルヴィアは驚くほど従順にルーフェンに従い、文句を言うこともなく、ひっそりと物見塔で暮らしている。
ルーフェンが警戒していることなど、何も起こっていなかったし、これから起こるとも思えなかった。
だからといって、別にトワリスは、無理に二人を近づけようとは考えていない。
ただ、ルーフェン自身が、母親との距離を測りかねている様子だったので、必要なら介入しよう、くらいの気持ちであった。
二人とも、心の奥底では何を考えているのか分かりづらい。そこだけは、よく似た親子だと思う。
だから、もしもルーフェンが、本心とは裏腹に、思うようにシルヴィアと話せていないのだとしたら──。
あるいは、シルヴィアが、現状をひどく憂いているのだとしたら──。
本音を見せない二人の橋渡しくらいは、しても良いのかもしれないと思っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.360 )
- 日時: 2021/01/13 12:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
(いや、でもシルヴィア様に会いに行くなら、表向きの理由があったほうがいいよね。いきなり突撃したら、絶対怪しまれるし……。適当に理由をつけて、給仕役を変わってもらえば、その流れで、世間話に持ち込んでも不自然じゃないかな……)
悶々と作戦を考えながら、再び、灰色の空を見上げる。
今は、朝食を届けるには遅いが、昼食を勧めるには早い時間だ。
出直すか、と踵を返して、物見塔から離れようとした──その時だった。
ふと目に入った光景に、トワリスはぎょっとした。
開け放たれた窓から、シルヴィアが、身を乗り出していたのだ。
「えっ!?」
思わず大声を出してしまい、慌てて口をつぐむ。
幸いなことに、シルヴィアが、トワリスに気づいた様子はない。
いや、この場合は、気づいてくれたほうが良かったのか。
シルヴィアの身体は、外の景色を鑑賞しているだけとは思えないほど、大きく前のめりになっていた。
「ちょっ、え、え、ま……っ」
混乱したトワリスの口から、意味のない声が断片的に飛び出す。
高い窓から乗り出して、シルヴィアは、一体何をするつもりなのか。
いつぞや仕えていた、某の令嬢のように、庭の木の実が欲しいなんてことはないだろう。
それともまさか、息子からの無情な監禁生活に嫌気がさし、大胆にも脱走を図ろうとしているのだろうか。
あるいは──。
最悪の予想が脳裏を過って、全身に力が入る。
そうしてついに、シルヴィアが、窓枠に足をかけた時。
「──はっ、早まっちゃいけませんっ!」
脳内で結論付けるより先に、トワリスは駆け出し、声高に叫んでいたのだった。
侍女に頼んで、作りたての乳粥を用意してもらうと、トワリスは、それを盆に乗せて、物見塔の一室へと入った。
最低限の生活用品しか揃っていない、殺風景な室内は、先程まで窓を開けっぱなしにしていたせいか、ひんやりとしていて肌寒い。
窓の外を眺めているシルヴィアは、上半身を起こして、寝台の上に座っていた。
「……あの、これ、良かったら食べてください。早めの昼食です」
寝台近くに食卓を寄せ、その上に、乳粥と匙を並べる。
だが、シルヴィアから返事はなく、それどころか、こちらを見向きもしない。
トワリスは、気まずそうに椅子に座ると、シルヴィアの顔色を伺ったのであった。
先程、何故か窓から身を乗り出していたシルヴィアは、トワリスが絶叫して止めたおかげか、結局飛び降りなかった。
その後、凄まじい速さで階段を駆け上がり、物見塔の部屋に転がり込んだトワリスが、シルヴィアを窓から引きずり戻して、現在に至る。
どうして窓から飛び降りようとしていたのか、なんて、理由は聞いていない。
もし、自殺しようと思っていた、なんて答えられたら、一体どうすれば良いのか分からないからだ。
脱走するつもりだった、なんて答えられても、反応には困るが。
微動だにしないシルヴィアを、トワリスは、しばらく黙って見つめていた。
だが、このままでは埒があかないので、食卓に置いていた匙を差し出すと、躊躇いがちに言った。
「……侍女から聞きました。最近、ほとんどお食事なさってないって。……食べないと、力が出ませんよ」
「…………」
シルヴィアから、返事はない。
以前、毎日のように会っていた時も、彼女は物静かで、反応が薄いことは度々あった。
しかし、一対一で話しかけているというのに、こうも無視され続けると、流石に腹が立ってくる。
トワリスは、意地になって、今度は匙と粥を盆ごと突き出した。
「言っておきますが、毒なんて入ってませんよ。なんなら、私が毒味したって構いません。だからほら、温かいうちに食べてください」
「…………」
粥から立ち上る湯気と共に、ほの甘い乳の匂いが、鼻腔をくすぐる。
香りが感じられらほど、近くまで粥を持ってきているのに、それでもシルヴィアは、何も答えなかった。
トワリスは、諦めたように盆を食卓に戻すと、ため息混じりに尋ねた。
「私が来たの、ご迷惑でしたか? ……一人のほうがいいっていうなら、帰りますけど……」
でも、お粥は食べてくださいね、と付け加えて、睨むようにシルヴィアを見る。
すると、その時になって、ようやくシルヴィアが唇を開いた。
「……貴女、どうしてまた来たの。私には、もう関わらないほうがいいんじゃない?」
長い睫毛を伏せて、シルヴィアは、トワリスを一瞥する。
もう関わらないほうがいい、というのは、ルーフェンがいる手前、そうしたほうがいいと言っているのだろうか。
トワリスは、むすっとした顔で答えた。
「……そう言われましても、窓から飛び降りようとしてる方がいたら、止めるのは当たり前でしょう。それでもって、数日ほとんど食べてないなんて言われたら、無理にでも食べさせなきゃって思いますよ。失礼ですが、アーベリトには療養しにいらっしゃってるんですから、そこは従って頂かないと」
思いきって強気な発言をすると、シルヴィアは、再び窓の外に視線をやって、押し黙ってしまった。
東の物見塔からは、街の東区全体が見渡せるが、今日はどんよりと曇っているので、あまり見晴らしが良い状態とは言えない。
シルヴィアが機嫌を損ねたのか、それとも全く気にしていないのかすら分からず、トワリスは、困ったように肩を落とした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.361 )
- 日時: 2021/01/13 22:17
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
はぁ、とため息をつくと、トワリスは尋ねた。
「……シルヴィア様、ここでの生活は、お嫌ですか?」
今度は、反応があった。
シルヴィアは、ちらりと目だけ動かして、トワリスを見た。
「……何故?」
トワリスは、言葉を間違わないように、慎重に答えた。
「いや……だって、さっき塔から出たそうでしたし……。ずっとここにいるのは、やっぱり退屈かな、と」
「…………」
「あの、良かったら、また散歩に行きませんか? 私の勘違いでなかったら、シルヴィア様は、中庭を気に入っていたでしょう。まあ、今は冬なので、寒いし、花も咲いていませんが……気分転換にはなると思いますよ。勿論、無理にという訳ではありませんが、何か我慢していることがあるなら、仰ってください。ルーフェンさんのことなら、私が説得しますから」
努めて明るい口調に切り替えると、シルヴィアは、ゆっくりとトワリスのほうに振り向いた。
思わず椅子に座り直して、トワリスは、その銀の瞳を見つめ返す。
数日ほとんど食べていないと聞いていたが、シルヴィアに窶れた様子はなく、改めて見ても、精巧な人形の如き佇まいをしていた。
感情のない、無機質な瞳で、シルヴィアが言った。
「……貴女は、ルーフェンのことを名前で呼ぶのね」
思わぬところを指摘されて、あっと口を閉じる。
大人数で話しているときや、公の場では、ルーフェンのことを召喚師呼びするようにしていたが、ハインツやサミルの前では普通に“ルーフェン”と呼ぶ時もあったので、うっかり癖で名前呼びしてしまった。
慌てて謝罪すると、トワリスは縮こまった。
「も、申し訳ありません……失礼な呼び方をしてしまって。でも、ご本人がそう呼ばれたいって仰っていたので。多分、日頃よく一緒にいる私達に役職名で呼ばれるのは、寂しい感じがするんだと思います」
一瞬、無礼だと批難されるかと思ったが、シルヴィアに、そんな意図はないようであった。
ふっと目を伏せると、シルヴィアは、しみじみとした様子で言った。
「そう……あの子、そんなことを言うの。自分の名前は、嫌っているかと思っていたわ」
「……そうなんですか?」
「ええ。……だって、私がつけたんですもの。古の言葉で、“奪うもの”という意味よ。あまり良い名前じゃないでしょう」
瞠目して、トワリスは絶句した。
子供の名前に、古語から引用してきた意味や願いを込めるのは、巷ではよくあることだ。
トワリスの名前にも、母親に直接聞いたわけではないが、“紅葉した木の葉”という意味があるんじゃないかと、ルーフェンに教えてもらったことがある。
しかし、そんな彼の名前に“奪うもの”なんて意味があったことは、全く知らなかった。
シルヴィアは、微かに声を低めた。
「……あの子がいけないのよ。私から、全て奪ったんだもの。ルーフェンのせいで、私は召喚師の座から引きずり下ろさた。力も地位もない、そんな私を、見てくれる者は誰もいないのに……」
「…………」
束の間、シルヴィアの言っていることが理解できず、トワリスは呆然としていた。
喉がひりつくように乾いて、うまく息が吸えない。
やっと絞り出した声は、ひどく掠れていた。
「……ま、待ってください。どういうことですか? だからお二人は、その……仲が悪いんですか?」
もはや、言葉が正しいかとか、言い回しが失礼じゃないかとか、そんなことを気にしている余裕はない。
トワリスが問うと、シルヴィアは、虚ろな表情で答えた。
「ルーフェンが、私を嫌うのは……」
少し間を置いて、シルヴィアは続けた。
「私が、あの子を捨てたからでしょう」
「…………」
雨が降ってきたのだろう。
小さな雨粒が、窓を叩く音が聞こえ始めた。
不意に、シルヴィアが腹をさすった。
「奪われる前に、さっさと手放そうと思って……ルーフェンを産んだ後に、侍女に頼んで近くの貧村に捨てさせたの。そうしたら、あの子の父親が、血相変えて私に怒鳴ったのよ。『どうしてそんなことをしたんだ、貴女は母親だろう』って。……私が、いつ母親になりたいなんて言ったのよ。悲しくなって、その人のこと、殺しちゃった……」
ゆっくりと、シルヴィアが顔をあげる。
こちらを見た彼女の唇には、ぞっとするほど冷たい、氷のような微笑が刻まれていた。
硬直するトワリスの手を、温度のない指でそっと握ると、シルヴィアは言い募った。
「皆ひどいのよ。最初は、優しく近づいてくるの。貴女みたいに、つらいことはありませんかって言いながら。でも、結局誰も、助けてくれなかったわ。それどころか、寄って集って、私から色々なものを奪っていくのよ。……だから、皆殺しちゃった。エルディオ様も、その周りを飛んでる羽虫たちも、ルイスも、リュートもアレイドも……」
身の底から、ぞくぞくとした悪寒が這い上がってくる。
エルディオとは、前王の名であり、ルイスとリュート、そしてアレイドは、シルヴィアの息子、つまりルーフェンの兄弟たちの名だ。
彼らが亡くなっていることは、トワリスも知識として知っていたが、確か死因は、馬車の転落事故によるものだったはずである。
──まさか、その事故は、故意に起こされたものだったのだろうか。
そして、その黒幕がシルヴィアであることを、ルーフェンは知っているのではないか。
自分でも分かるくらいに血の気が引いて、指先が震え出す。
浅く息を吸いながら、それでもトワリスは、シルヴィアから目を反らさなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.362 )
- 日時: 2021/01/14 19:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
シルヴィアは、トワリスの頬をするりと撫でた。
「きっと皆、私のことを憎んでいるでしょう。……最近、声が聞こえるの。地獄の底から、私を呼ぶ声。手招きをして、お前も来いって言ってるのよ。だから私、行かなくちゃ……」
言葉とは裏腹に、どこか幸せそうに微笑むと、シルヴィアは呟いた。
同時に、その銀の目から、涙が一筋こぼれ落ちる。
トワリスは、徐々に目を見開いた。
「……後悔、してるんですか? 殺したこと……」
瞬かぬ目で、シルヴィアは、トワリスを凝視している。
月光を溶かしこんだような、その美しい双眸に視線を吸い込まれていると、ややあって、シルヴィアの指が、トワリスの首筋をなぞった。
ふと、冷ややかな指先が、首の皮膚に食い込む。
その瞬間、トワリスが我に返るよりも速く、シルヴィアが寝台から身を起こして、トワリスに覆い被さってきた。
「──……っ!」
咄嗟に椅子を蹴倒して、後ずさったトワリスは、しかし、その凄まじい勢いに力負けして、シルヴィアに押し倒された。
床に頭と背を打ち付け、目から火が出る。
抵抗する間もなく、女性とは思えない力で首を絞められて、トワリスは呼吸を詰まらせた。
「……貴女を殺したら、ルーフェンは、私を殺す気になるのかしら……」
呟きと共に、シルヴィアの目からこぼれた涙が、ぱた、ぱた、とトワリスの頬に落ちた。
しかし、喉を押し出されるような、強烈な痛みの前では、そんな些細な刺激は無意味である。
意識が飛ぶ寸前──トワリスは、首まで伸びたシルヴィアの腕を掴むと、大きく身を捩って、横合いから彼女を蹴り飛ばした。
みしっ、と華奢な振動が脚に伝わってきて、吹っ飛んだシルヴィアが、地面に転がり落ちる。
トワリスは、急いで体勢を整えようとしたが、すぐには起き上がれず、しばらく背を丸めて踞っていた。
詰まってしまった喉が、なんとか肺に空気を取り込もうと、激しく咳き込む。
大きく胸を上下させながら、ようやく立ち上がると、食卓の近くで、シルヴィアも喘鳴していた。
力加減をせずに蹴り飛ばしたから、肋骨あたりが、折れてしまったかもしれない。
トワリスが、警戒したように動向を伺っていると、不意に、シルヴィアが、何かをぶつぶつと詠唱し始めた。
身構えるのと同時に、シルヴィアの背後に、ぼんやりと淡く光る、巨大な砂時計が現れる。
見たこともない、聞いたこともない魔術であった。
まるで蜃気楼のように現れた砂時計は、くるりと半転すると、白銀の砂をさらさらと逆流させていく。
ややあって、溶けるように砂時計が消えると、シルヴィアは、ゆらりと身体を起こした。
トワリスが蹴りを入れた脇腹あたりを、痛がる様子はない。
シルヴィアは、喉の奥でくつくつと笑った。
「……アレイドを産んだ、二十二の時に、自分に魔術をかけたのよ。ずっとこのまま、美しくいられるようにって。そうすれば、代替わりして、私が召喚師でなくなっても、皆は私をみてくれると思ったから。おかげでね、私は年を取らないし、怪我をしてもすぐに治るのよ。術が解けるその時まで、私はずっと、若い姿のまま……」
恍惚と息を吐いて、シルヴィアは、己の肩を抱き寄せる。
手足が冷たく痺れ、全身が強ばっていくのを感じながら、トワリスは唇を震わせた。
「若い姿のまま、って……身体の時間を、巻き戻してるってことですか……? 何、言って……だってそんなの、禁忌魔術じゃ……」
呟いてから、もはや彼女の前では、愚問なのかもしれないと言葉を切る。
思い返せば、シルヴィアの不自然な点は、今までにもあった。
シュベルテから運ばれてきた時、衣服についていた血の量の割に、身体に怪我は見当たらなかったし、ルーフェンに突き飛ばされた時も、擦りむいたはずの掌の傷が、気づいた時には治っていた。
どれもこれも、理から外れた魔術が原因だと考えると、説明がつく。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.363 )
- 日時: 2021/01/14 20:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
立ち尽くすトワリスを見て、シルヴィアは、涙を流して笑った。
「昔はね、これでいいと思っていたのよ。でも、もう疲れてしまったから……今は、早くエルディオ様のところにいきたいの。なのに、ルーフェンったら、私に生きてくださいって言うのよ。あの子なら、私のことを殺してくれると思っていたのに……」
緩慢な動きで、シルヴィアが立ち上がる。
絹糸のような銀髪を揺らしながら、彼女は、トワリスに近づいてきた。
「ねえ、どうしたら良いと思う……? 貴女や、このアーベリトの人達を殺したら、ルーフェンも、私のことを殺す気になるかしら」
言いながら、シルヴィアが、陶器のような白い腕を伸ばしてくる。
数歩後ずさると、トワリスの踵が、壁にぶち当たった。
どくり、どくりと、心臓が耳元にあるのではないかと錯覚するほど、鼓動が大きく聞こえる。
やがて、再び首筋に触れようとしたシルヴィアの手を、トワリスは、勢い良く掴みあげた。
声は出なかったが、それは、はっきりとした抵抗であった。
シルヴィアが、わずかに驚いた様子で、目を大きくする。
その目を見て、トワリスは、ぐっと歯を食い縛った。
自分が、シルヴィアに対して抱いている感情が、怒りなのか、哀れみなのか、それとも恐怖なのか──。
今、どんな顔をしてシルヴィアと対峙しているのかすら、よく分からなかった。
腕を掴まれたまま、シルヴィアは、眉を下げて微笑んだ。
「……私ね、教会と賭けをしているの。私が死ぬか、それとも、私が召喚術の才を取り戻して、ルーフェンが死ぬかの賭け。私は、私が死ぬ方に賭けているわ」
細められたシルヴィアの瞳に、不気味な影が落ちる。
それを見た瞬間、しまった、と思ったが、既に遅い。
その時にはもう、トワリスは、シルヴィアから目をそらすことも、逃げることも出来なくなっていた。
鼻先が触れるほど顔を近づけると、シルヴィアは続けた。
「教会の狙いは、私たちを争わせて共倒れさせるか、あるいは、アーベリト自体を落とすことなのでしょう。……酷いわよね、私たちは、見世物なんかじゃないのに。だから、最初はそんな賭け、乗る気はなかったのよ。でも、ルーフェンまで私を見てくれなくなったんだと思ったら、なんだか、どうでもよくなっちゃった……。あの子だけは、私を忘れず、殺すその瞬間まで、一心にこちらを見て恨んでくれると思ったのに……。結局、憎しみも哀しみも、忘れられないのは、私だけなんだわ。これじゃあ私、最期まで独りぼっちじゃない。誰にも気づかれず、ひっそり死ぬなんて、そんなの嫌よ」
後頭部にそっと手を差し入れて、シルヴィアは、トワリスと抱きしめた。
そして、耳元に唇を寄せると、シルヴィアは囁いた。
「この賭けは、私の勝ちよ。きっとルーフェンが、私を殺してくれる。だからお願い、邪魔をしないで……?」
月明かりさえ差し込まぬ、暗い湖底のような、冷たい声──。
その言葉を最後に、トワリスの意識は、闇に落ちたのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.364 )
- 日時: 2021/01/15 19:51
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
つん、と染みるような消毒液の匂いで、トワリスは目を覚ました。
すぐ近くで、忙しない足音と人の声が聞こえる。
トワリスは、それらの喧騒を聞きながら、しばらくぼんやりとしていたが、不意に、見慣れた鉄仮面がこちらをのぞき込んできたことに気づくと、はっと目を見開いた。
「……ハインツ?」
名前を呼んで身を起こすと、突然、鈍い痛みが後頭部に走った。
思わず呻けば、ハインツが、慌てたように手を上げて、トワリスの肩を押さえてくる。
まだ横になっていたほうが良いと促されて、視線を巡らせると、トワリスは、床に敷かれた布の上に寝かされていたようであった。
心配そうなハインツを制し、立ち上がると、トワリスは、目の前に広がっている光景に、言葉を失った。
見渡す限り一面、二、三百人近い血にまみれた人々が、トワリスと同じように、床に寝かされていたのだ。
改めて周囲を見回すと、ここは、中央区の大病院の中のようであった。
しかし、揃っていたはずの設備や寝台は跡形もなく、怪我人の手当てに駆けずり回っているのも、医術師ではなく、たった十数人の自警団員たちだ。
四方の分厚い壁はひび割れ、支柱を失った天井が、大きく傾いている。
倒壊した瓦礫に塞がれ、暖炉も使えなくなったのだろう。
真冬だと言うのに、この大勢の怪我人たちを暖めるのは、大広間の中心に石を積んで作られただけの、即席の炉一つだけであった。
血の滲んだ布を巻かれ、虚ろな目で横たわっている人々は、大半が、もう手遅れの状態であった。
呻く余力がある者は少ない方で、ほとんどが、失血で青白い顔になり、かろうじて呼吸だけを繰り返している。
中には、建物の下敷きになったのか、下半身がほとんど潰れて、生きているのか、死んでいるのかすら分からない者もいた。
生死の境を彷徨う彼らの顔を見ながら、呆然と立ち尽くしていると、ふと、トワリスは、足元に薄く光る曲線が走っていることに気づいた。
最初は、床の模様か何かだと思ったが、そうではない。
微かに魔力を放つそれは、どうやら、建物の床からはみ出るほどの、巨大な魔法陣のようであった。
(この魔法陣、使われているのが古語じゃない。まさか……)
シルヴィアの顔が脳裏によぎって、ぞくりと悪寒が走る。
しゃがみこんで、魔法陣に触れようとしたところで、不意に、近づいてきた自警団員に、声をかけられた。
「トワリスちゃん、目が覚めたんだな」
「ロンダートさん……」
この寒さの中で、汗だくになったロンダートが、力なく笑う。
トワリスは、ロンダートを見てから、寄ってきたハインツのほうにも視線をやった。
「あの、一体何が……。私、どれくらい眠っていたんでしょうか」
ずきずきと痛む頭を押さえて、トワリスが尋ねる。
思い出せる記憶は、シルヴィアに抱き締められた、あの一瞬で最後だ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.365 )
- 日時: 2021/01/18 17:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ロンダートは、安堵したように息を吐いた。
「トワリスちゃんが寝てたのは、一刻(二時間ほど)くらいだよ。物見塔の近くで倒れてたって、ハインツが連れてきたんだ。でも、大事ないようで、本当に良かった。ぱっと見、怪我はないようだったけど、打ち所が悪くて目を覚まさなかったら、どうしようかと思って不安で泣きそうだったんだ……。……ハインツが」
トワリスの傍らで、ぴくりとハインツが肩を震わせる。
苦笑してから、真剣な顔つきになると、ロンダートは続けた。
「何が起こったのかは、俺たちもさっぱりだよ。ただ、急に地面が揺れて……おかげで、外はひどい有り様だ。とりあえず、この大病院はかろうじて無事だったから、動ける自警団員で手分けして、怪我人を集めてるんだ。城館もほとんど原型を留めてないし、もう、街はめちゃくちゃだよ。とてもじゃないが、自然に起こった地震とは思えない……」
いつものおちゃらけた雰囲気からは想像もつかない、苦々しい口調で言って、ロンダートは俯く。
彼も、足元の魔法陣の存在には、気づいているのだろう。
魔法陣を一瞥して、ロンダートは更に言い募った。
「なあ、トワリスちゃん、この魔法陣、一体なんなんだ? 俺たちは魔術のことは分からないから、目が覚めたら、トワリスちゃんに聞こうと思ってたんだ。地震が起こったあとに、気づいたら地面に浮かんでいたんだが、どうもアーベリト全体を覆うくらい大きいみたいでさ」
トワリスは、目に驚愕の色を滲ませた。
「アーベリト全体!? そんな、街を丸ごと覆うほど巨大な魔法陣なんて……」
「……やっぱり、異常なんだな」
「はい。そんな大きな魔法陣、見たことも聞いたこともありません」
改めて魔法陣を見つめて、トワリスは、悔しげに唇を噛んだ。
「でも……ごめんなさい。はっきりと、この魔法陣がどんなものなのかは、私には分かりません。今朝はこんなものありませんでしたから、地震が起きたことに関係しているのは確かだと思います。でも、術を発動し終わってるなら、もう魔法陣は消えるはずなんです。なのに消えてないってことは、地震を起こす以外にも、別の効力を持っている可能性が高いです。それに……」
言葉を続けようとして、トワリスは、一度口を閉じた。
巨大すぎて、一面見るだけでは判断しづらいが、この魔法陣に使われている文字は、おそらく古語ではなく魔語である。
つまり、地震とやらが本当にこの魔法陣によって人為的に起こされたものなら、おそらく、犯人はシルヴィアだろう。
トワリスと一緒にいた時の言動からしても、そうとしか考えられなかった。
ただ一つ、不可解なのは、シルヴィアに召喚術が使えるのか、という点であった。
魔語を使っているということは、この魔法陣は、召喚術発動のためのものである。
しかし、シルヴィアはあくまで先代であり、魔語の解読はできても、召喚術の才はもう持っていないはずなのだ。
かといって、シュベルテにいるルーフェンが、アーベリトに魔法陣を敷いたとも考えづらいし、その辺りの疑問点を含めると、ロンダートたちに、確信めいた答えを言うのは躊躇われた。
トワリスが返事に迷っていると、別の自警団員たち数人が、ロンダートの名を呼びながら駆け寄ってきた。
「ロンダートさん、消毒液、ある分だけ運んできたんですけど、ほとんどの薬瓶割れちゃってて……」
振り返ると、ロンダートは、てきぱきと指示を出した。
「あー……じゃあ、あれだ! 強めの酒を持ってきて、代用するんだ。外の救助に行ってる奴らにも伝えよう。人の捜索ついでに何ヵ所か回って、割れてない瓶があったらとりあえず持ってくるように。それから布も、なくなる前に西区の施療院からもらってくるんだ」
「は、はい!」
声を揃えて返事をすると、自警団員たちは、各々散っていく。
ロンダートは、トワリスのほうに向き直ると、口早に告げた。
「とにかく、この魔法陣は、よく分からんけど危険かもしれないってことだよな。一応言っておくと、動けない怪我人は、この大病院に運んできてるんだけど、自力で動けそうな人は、全員東区の孤児院のほうに誘導してるんだ。ほらあそこ、少し街から外れたところにあるだろう。だからあの孤児院は、魔法陣の上に位置してなかったんだ。なんとなく、このまんま魔法陣の上にいるのはまずい気がしてたからさ」
ロンダートの英断に、トワリスは頷きを返した。
東区の孤児院は、トワリスが出たところでもあるので、場所はよく知っている。
それから、と言葉を次いで、ロンダートは言った。
「召喚師様に気づいてもらえるように、移動陣があるリラの森のほうにも行ってみたんだけど、あの辺り一帯、土砂崩れで完全に塞がってて使えなかった。それと、出払っちゃってるかもしれないけど、馬を使うなら、病院の裏手に繋いであるから。念のため伝えておく! それじゃあ、俺はこれで」
それだけ捲し立てると、ロンダートも、急ぎ足で去っていく。
その後ろ姿を見送ると、トワリスも、すぐさま自分が寝ていた場所に戻り、その脇に並べられていた、双剣と外套をとった。
しっかりと状況把握ができたわけではないが、今は、ぼうっとしている場合ではないのだ。
外套を羽織ると、トワリスはハインツを見た。
「私のこと、運んでくれてありがとう。もう大丈夫だから、私たちも外に救助に行こう」
ついでに、シルヴィアを探し出して、この魔法陣のことを聞き出さねばならない。
トワリスの言葉に、ハインツが頷き、二人は、早速大病院の外へと向かったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.366 )
- 日時: 2021/01/17 19:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
大病院の出口扉を開けると、真っ先に吹き込んできたのは、冷たい雨の匂いであった。
朝方に降り始めた霧雨が、今も尚降り続いているのだろう。
雨に烟るアーベリトの街は、白い靄の中にひっそりと沈んでいた。
雨避けに頭巾を被り、外に踏み出すと、薄い影のようだった街の様相が、徐々に靄から浮かび上がってきた。
それは、今朝まで眺めていたアーベリトの街並みとは、まるで違う。
白亜の家々が建ち並んでいた通りには、崩れた建物の残骸が小山のように連なり、その下で、無惨にも押し潰された死体の血臭が、あちらこちらから漂っていた。
雨が降っていたことが、不幸中の幸いだったのだろう。
空気の乾燥した冬、暖炉に火を灯している家も多い中で、このような家屋の倒壊が起これば、きっと火事になっていたはずだ。
遠目に何ヵ所か、煙が上がっているところも見えたが、人々が焼け出されるまでに至らなかったのは、石造りの家が多いことと、雨が降っていたお陰であった。
喉の奥にせり上がってきたものを堪えると、代わりに、目頭が熱くなった。
何故こんなことになってしまったのか、嘆いている暇などない。
口ぶりからして、どの道シルヴィアは、アーベリトを落とそうと決めていたのだろう。
それでも、自分があの時、彼女に会いに行っていなければ、こうはならなかったかもしれないという後悔が、トワリスの頭に過っていた。
「そうだ、リリアナ……」
不意に、居候先の友人の顔が脳裏にひらめいて、トワリスは顔をあげた。
リリアナとカイル、そしてロクベルの三人は、無事だろうか。
ざっと見た限り、大病院の中にはいなさそうだったから、孤児院の方に避難しているか、まだ救助を待っているかもしれない。
──最悪の想定は、したくなかった。
トワリスは、ハインツを連れ立って、歯を食い縛りながら、瓦礫の山中を抜けていった。
進み始めた時は、濃い土煙の臭いと死臭で息ができず、不気味な空気が耳元で唸っていたが、時間が経つ内に、感覚が狂ってきたらしい。
いつの間にか、鼻も耳も麻痺して、いつも聞いていた市場通りの賑やかな声が、遠くから響いてきているような気がした。
リリアナたちの店が建っていたあたりに近づくと、誰かが、激しく泣きじゃくる声が聞こえてきた。
馴染みのあるその声に、心音が速くなる。
耳を頼りに駆けていくと、半壊して道まで崩れた屋根の近くに、リリアナとカイルがいた。
幸いにも彼女たちは、庭の方に出ていたのだろう。
店の倒壊に、運良く巻き込まれずに済んだようであった。
先に救助に向かっていた自警団員の男が、地面に踞って泣くリリアナに、しきりに声をかけている。
カイルは、リリアナの横に座り込んで、呆然と瓦礫の山を見つめていた。
「リリアナ! 良かった、無事だったんだね……!」
声をかけて、リリアナのそばにしゃがみこむ。
するとリリアナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげて、トワリスの足にすがりついてきた。
「トワリス! トワリス、お願い! おばさんを助けて……!」
リリアナが指差した方を見て、トワリスは息を詰めた。
瓦礫の隙間から、見覚えのある指輪を嵌めた、腕が一本生えている。
崩落してきた屋根の、下敷きになったのだろう。
潰された頭部から、雨に溶けて流れ出る血の赤が、やけに鮮やかに見えた。
リリアナの叔母、ロクベルの遺体に間違いなかった。
ハインツが、屋根を持ち上げようと伸ばした手を、自警団員の男が止めた。
男は、暗い顔で首を振って、今は遺体を見せるべきではないだろうと訴えてくる。
リリアナは、トワリスに抱きつくと、その腹に顔を擦り付けた。
「もう嫌だよぉ……っ、どうしておばさんまで。なんで皆、私の前からいなくなっちゃうの……っ」
嗚咽を漏らしながら、リリアナが呟く。
彼女は過去に、火事で両親を亡くし、アーベリトの孤児院までやってきたところを、叔母のロクベルに引き取られている。
この壮絶な状況下で、昔のことが記憶に蘇っているようであった。
リリアナから離れると、トワリスは、近くに倒れていた車椅子を起こした。
車輪が歪んではいるが、まだ使えそうだ。
トワリスは、半ば強引にリリアナを担ぎ、車椅子に座らせながら言った。
「まだカイルがいるよ。とにかく今は、東区の孤児院に避難して。動ける人は、皆そこにいるから」
がたつく車椅子を通りに押し出せば、自警団員の男が、「自分が連れていきます」と名乗り出る。
トワリスは頷いて、今度は、へたりこんでいるカイルの肩を掴んだ。
「カイル、立って。リリアナのこと、お願いね」
言いながら、脇に手を差し入れて立たせると、カイルは、ぼんやりとトワリスを見つめた。
泣いてはいなかったが、カイルの目にいつもの勝ち気さは見られず、憔悴しきったような、くすんだ色をしている。
唇を噛みしめ、カイルは黙っていたが、やがて、こくりと頷くと、車椅子を押す自警団員に着いていったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.367 )
- 日時: 2021/01/18 19:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
移動を促された避難民たちが、疎らに孤児院がある丘の方に登っていくのを見ながら、トワリスとハインツも、街中を巡って生存者を探した。
身内の死を受け入れられず、混乱して怯えきった人々を家から引き剥がすのは、容易な作業ではなかった。
疲れも忘れ、霧雨で模糊とする中を駆けずり回っている内に、気付けば、日が暮れ始める時刻になっていた。
怪我人を大病院へと運んでいる内に、トワリスは、ふと奇妙なことに気づいた。
見つけた生存者の内、そのほとんどが、声も出せぬほどの瀕死状態か、リリアナたちのように、運良く難を免れた軽傷者のどちらかだったのである。
逆に言えば、重傷者がおらず、一見命に関わるような怪我を負っていない者でも、まるで生命力を吸いとられてしまったかのように、衰弱しきっていたのだ。
一人、また一人と怪我人を床に並べていくと、その違和感は、やがて底知れぬ不安へと変わっていった。
そもそも、地震が起こったのは昼前で、大半の人々が外出する時間帯だったにも拘わらず、怪我人が多すぎるのだ。
建物の倒壊に巻き込まれたというのは結果的なことであって、人々を襲ったのは、もっと別の“何か”ではないかという疑問が、トワリスの中で湧いていた。
もっと早くに、気づくべきだったかもしれない。
きっと全てが、偶然などではないのだ。
何度目かの往復をして、再び大病院から出たところで、トワリスは、不意に足を止めた。
「……ハインツ。ごめん、私、やっぱりシルヴィア様を探しに行ってもいいかな。怪我人の救助が最優先なのは勿論なんだけど、なんだか嫌な予感がするんだ」
同じく立ち止まったハインツが、トワリスの方を見る。
足元の魔法陣に視線を落とすと、トワリスは言った。
「この魔法陣……多分、シルヴィア様が敷いたものだと思うんだ。実は私、倒れる直前まで、シルヴィア様と会ってたんだけど、その時に、『アーベリトの人たちを殺す』みたいなことを言われて……。だから、その……確証があるわけじゃないんだけど……」
「……地震、シルヴィア様、起こしたって、こと?」
トワリスが濁した言葉を、ハインツが形にする。
トワリスは、一拍置いてから、神妙な面持ちで頷いた。
「……そう。だって、色々考えてたんだけど、おかしな点がありすぎるだろう。実質被害は家屋の倒壊と土砂崩れだけなのに、いくらなんでも怪我人が多すぎる。それも、負傷具合はそれぞれなのに、無理矢理意識を混濁させられているような……妙な怪我人が。どうも、これで終わると思えないんだ。早くこの魔法陣の上から、全員避難しないといけない気がする」
「それは、そう、だけど……でも、あの人数、どうやって」
「……うん、無理なのは分かってる。だから、まずはシルヴィア様を見つけて──」
トワリスが続けようとした、その時だった。
不意に、大病院の入り口にある呼び鈴が鳴り始めたかと思うと、突然、地面がぐんっと浮き上がった。
先の地震で割れていた石畳の破片が、一斉に踊り出し、足元がぐらぐらと波打ち始める。
とても立っていられなくなって、トワリスとハインツは、思わず地面に這いつくばった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.368 )
- 日時: 2021/01/19 22:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
石同士がぶつかり合うような音を立てて、大病院の壁にひびが走った。
周囲に並ぶ瓦礫の山が、横揺れに均されて、がらがらと崩れていく。
ようやく地の震えが収まった頃、トワリスとハインツは顔をあげたが、視界が土煙に覆われて何も見えず、二人はしばらく、そのまま動けなかった。
鈍く光る魔法陣を目前に、地面に手をついていたトワリスは、ふと、肌が粟立つような殺気を感じて、即座に立ち上がった。
風に流される砂埃に混じって、冷気のような魔力を感じる。
それは、大病院のほうから溢れ、一定方向に向かって、吸い出されるように流れていった。
土煙の向こうで、何かが光った。
──と思うや否や、トワリスは、反射的に横に跳んでいた。
直後、トワリスのいた場所に、身長ほどもある巨大な鎌が振り下ろされて、地面に突き刺さる。
周囲を見れば、その鎌は複数あり、ハインツの足元の地面を削り、傾げた大病院の壁をも切り裂いていた。
「お、おい、一体なんだっていうんだ……」
大病院の扉を蹴破って、ロンダートを先頭に、自警団員たちが外へと出てきた。
舞い上がる砂埃を手で払いながら、彼らは前を見て、凍りついた。
収まり始めた土煙の先に、鎌の如き爪を六本持った、蠍のような生物が現れていたからだ。
蠍といっても、鋏のような触肢や、毒針を仕込んだ尾節はない。
固い外骨格に覆われているのは、胸部から生えた脚のみで、短い胴体は、何かの幼虫のような、柔らかい体表をしている。
それは、まるで不完全な脱皮を遂げたかのような、奇怪な生物であった。
唖然とする一同を前に、化物は、空振った爪を地面から抜いた。
ばらばらと土くれが飛んで、一度引っ込んだ脚が持ち上がり、そして、再び振り下ろされる。
トワリスたちは避けたが、迎え撃とうとした数名の自警団員たちは、そろって抜刀した。
しかし、爪は剣を物ともせずに叩き折り、彼らごと切り裂いていく。
地面に食い込んだ爪が、持ち上がった後には、左右に真っ二つになった自警団員たちの死体が、血を噴き出しながら転がっていた。
竦み上がった残りの自警団員たちが、腰を抜かしてへたり込む。
耐えられぬほどの恐怖に、トワリスも、自身の手先が強張っていくのを感じていた。
目の前で、何が起こっているのか分からない。
脳が、理解することを拒否しているようだった。
「……俺達で、化物の気を引いて……病院から引き離そう」
ふと、トワリスの隣に並んだロンダートが、剣を構えながら言った。
柄を握る左手が、小さく震えている。
彼は右腕を骨折しているので、左手でしか剣が握れないのだ。
──そう思った途端、水で打たれたように、頭の中が冷静になった。
自警団員たちは、戦いの訓練を積んだ者達だが、魔術も使えない、普通の人間である。
背後には、怪我人たちを集めた大病院が建っていて、今はルーフェンもいない。
自分が、彼らを守らねばと思った。
すっと息を吸うと、トワリスは、双剣を構えた。
「……引き付け役、私がやります。ロンダートさんたちは、病院の方を守ってください」
言うや、ロンダートが止める間もなく、トワリスは、脚に魔力を込めて、化物目掛けて突進した。
鋭利な爪が次々と迫ってくるが、目を凝らして動きをとらえれば、そう速くはない。
無数の爪が、轟音を立てて地面に振り下ろされたが、それらは全て、風のように抜けていったトワリスの残像を刺し貫いただけであった。
脚の間を縫って、化物の腹の下に滑り込んだトワリスは、その胸部に双剣を突き刺すと、そのまま思い切り地を蹴った。
肉を貫いた双剣が、化物の胸から腹にかけて進み、一直線にその身体を裂いていく。
尾部を切り捨て、トワリスが腹の下から抜け出すと、化物は背をのけ反らせて棹立ちになり、傷口からどす黒い体液をぶちまけた。
(胴体なら剣が通る……!)
身を翻して踵を地につけると、トワリスは足を地面の上で滑らせて、駆け抜けた勢いを殺した。
先程、自警団員たちの剣を叩き切ったことから察するに、外骨格で覆われた脚と爪は硬いが、胴体は見た目通り柔らかいようだ。
間髪入れずに体勢を整えると、トワリスは、双剣を構え直した。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.369 )
- 日時: 2021/01/19 21:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
予想外だったのは、化物が、攻撃されたにも拘わらず、トワリスに関心を示さなかったことであった。
棹立ちになった化物は、トワリスには見向きもせずに、またしても大病院のほうを狙って脚を振り上げる。
トワリスは、すぐさま駆け戻ったが、爪の動きを止める方法は、何も思い付いていなかった。
胴体を裂かれたとは思えぬ化物の動きに、自警団員たちは、死を覚悟した。
だが、その爪が、彼らに届くことはなかった。
突然、地面が盛り上がり、そこから槍の如く突き出した岩が、化物の身体を持ち上げたからだ。
ハインツによる、地の魔術であった。
大病院の前に立ちはだかったハインツは、宙に突き上げられた化物の脚を二本、引っ掴んで両脇に抱えると、爪部分を地に突き刺し、のし掛かるように体重をかけた。
次いで、足を踏み鳴らせば、更に岩の槍が出現して、化物の胴体を上へ、上へと押し上げる。
上への力に反し、凄まじい圧力で脚を下に引かれて、化物の脚の関節から、ぶちぶちと筋の切れる音が鳴り響いた。
ハインツは、このまま化物の脚をもぎ取るつもりなのだ。
鳥肌が立つような咆哮を上がったかと思うと、不意に、化物の背中をガパッと裂けて、その奥から、円状に並ぶ歯が露になった。
何事かと一同が目を見張った瞬間、背中に現れた口から、無数の触手が飛び出してきた。
触手は、鞭のようにしなって、一斉にハインツに襲いかかる。
咄嗟に避けようとしたハインツは、しかし、化物の上空に舞い上がった影を見つけると、その場に踏み止まった。
「──ハインツ! そのままでいて!」
天高く、双剣が閃き、トワリスの声が落ちてくる。
化物の頭上へ跳び上がったトワリスは、落下する勢いを生かし、触手めがけて、目にも止まらぬ速さで剣を振るった。
微塵になった触手が、体液の雨と共に、ぼたぼたと飛散する。
同時に、化物の身体が、岩の槍によって大きく撥ね飛ばされ、ついに、前肢二本が、付け根から千切れた。
地が震えるような叫びを上げ、残った脚をばたつかせながら、化物が後転する。
周囲の瓦礫を巻き込みながら、轟音を立ててひっくり返ると、やがて、化物は動かなくなった。
大病院の屋根から跳んで、宙で一転すると、トワリスは、ハインツのそばに着地した。
化物の体液に混じって、大量の鮮血が地面に飛び散っている。
立っているのは、ロンダートたち数名とハインツだけで、その他の十人近い自警団員たちは、深傷を負って倒れ伏しているか、既に血と砂にまみれて事切れていた。
ロンダートは、しばらくの間、化物の死骸を呆然と見つめていたが、ややあって、我に返ると、懐から酒の入った瓶を取り出した。
自分の団服の裾を切り裂き、酒を染み込ませると、それをまだ息のある団員たちの傷口に、きつく巻いていく。
立ったまま、放心状態に陥っていた自警団員たちにロンダートが声をかけると、彼らも、焦った様子で手当てを始めた。
同じように、自警団員たちを手伝い始めたトワリスは、作業をしながら、ハインツとロンダートに言った。
「応急処置が終わったら、動かせそうな怪我人は、全員魔法陣の外に運び出しましょう。また地震が起きたら、今度こそ病院が倒壊するかもしれませんし、次に何が起こるかも分かりません」
ロンダートは、顔をしかめた。
「やっぱり、地震やあの化物と、この魔法陣は関係があるのか?」
「あると思います。さっき、二度目の地震が起きたとき、魔法陣が光って、病院のほうから流れ出るような魔力を感じました。化物が現れる魔術なんて、検討もつきませんが……」
言いながら、トワリスは、止血を施した自警団員を背負った。
──その時だった。
不意に、足元から殺気が膨れ上がり、一同は、目を見開いたまま硬直した。
魔法陣が鈍く光って、突如、浮き上がった魔語が、伸びた蔦のように身体に巻きついてくる。
立っている人間にも、事切れている人間にも関係なく、全身に付着した魔語は、刺青のように皮膚に刻まれていった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.370 )
- 日時: 2021/01/20 19:58
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「ひっ、な、なんだこれ……!」
狼狽した自警団員たちは、持っていたものを捨てると、全身に刻まれた魔語を無茶苦茶に掻きむしった。
しかし、血がにじむまで皮膚を引っ掻いても、魔語が消えることはない。
それどころか、魔語が染み付いた部分が、徐々に痛み出したので、場の空気は一層混乱を極めた。
まるで、魔語が皮膚を刺して、吸血しているような、身を絞られるような痛みであった。
覚えのある、凍てつくような魔力が、地を這い出るようにして湧き上がってくる。
大病院や、負傷した自警団員たちから、滲むように溢れ出た魔力──否、この場合は、生命力とでも言うべきなのだろうか。
それらが、吸い寄せられるように化物の死骸へと集まっていく様を、トワリスは、息をするのも忘れて凝視していた。
死んだはずの化物が、ぴくっと脚を動かす。
次の瞬間、背負っていた自警団員の身体から、すうっと体温が引いていって、トワリスは喫驚した。
つい先程まで、確かに息をしていたはずの自警団員が、蝋人形のよう白く強張って、絶命していたのだ。
ハインツがもぎ取って、捨て置いていた化物の脚や、散っていた体液までもが、砂のように形を変えて、化物の方へと吸い寄せられていった。
不気味な風を帯び、方々から集めた魔力を吸収して、化物は、傷ついた身体を再生させていく。
その姿を目の当たりにして、トワリスは、ロンダートに「化物が現れる魔術なんて検討もつかない」と言ったことを後悔した。
検討がつかないなんてことはない。トワリスは、この魔術をとっくの昔から知っていた。
トワリスだけではなく、皆が知っている魔術であり、正直なところ、シルヴィアが関わっているという時点で、そうではないかと予想はしていた。
ただ、使えないと“思い込んでいた”から、頭の中で決定付けていなかっただけで──これは、他ならぬ、召喚術なのだ。
トワリスは、息絶えた自警団員を背から下ろすと、ゆっくりと地面に寝かせた。
思えば、シュベルテがセントランスから襲撃を受けた時と、今のアーベリトでは、状況が酷似している。
トワリスは報告書を読んだだけなので、シュベルテ襲撃の様子を、実際に目の当たりにしたわけではない。
だが、確かシュベルテでも、傷の具合に関係なく、異様な数の人間が死んでいた。
単純に考えて、弱った人間からのほうが魔力を吸いとりやすいのであれば、被害状況以上に死傷者が多いことも、何故か重傷者がいないことにも、説明がつく。
シュベルテでも、アーベリトでも、運良く無傷、もしくは軽傷だった者は生き残った。
一方で、重傷を負った者は、化物を発現させるための養分にされて、著しく衰弱し、最終的には死亡してしまったのだ。
更に言えば、トワリスは、数月前のセントランスでも、似たような魔術を目の当たりにしている。
あの時は、サイ・ロザリエスという魔語を読解した術者と、贄となる瀕死状態の魔導師たち、これらの条件が揃っていた。
きっと、今は亡きサイは、調べていく内に、召喚術の発動条件に辿り着いてしまったのだ。
シュベルテでの襲撃を手引きした時は、魔語の解読ができていなかったために、不完全な召喚術しか行使できなかった。
セントランスでは、ルーフェンに逆に利用され、大勢の魔導師を死傷させたが、結果的にその魔導師たちを贄として、サイは、最期にもう一度だけ、召喚術を試みた。
結末としては、完成一歩手前で、その負荷に耐えられず、サイは亡くなった。
それでもあれは、ほとんど本物に近い召喚術だったのだろう。
(ルーフェンさんは、このことに気づいていたんだ……)
ぐっと拳を握ると、トワリスは、再び化物と対峙した。
吸魂術という、いわゆる命を操る禁忌魔術を、聞いたことがある。
召喚術とは、もしかしたら、吸魂術の応用のようなものなのかもしれない。
召喚師一族は、生まれもっての魔力量の多さから、単独で術を行使できる。
だが、魔力量の少ない普通の人間が、悪魔を一から作り出し、召喚するには、大勢の人間を犠牲にして、魔力を奪う必要があるのだろう。
今まで秘匿とされてきた、謎多き術──。
必要なのは、召喚師一族の血筋というより、多量の魔力と、隠語としての役割を果たしてきた、魔語と呼ばれる言語の存在なのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.371 )
- 日時: 2021/01/21 19:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
トワリスは、勢い良く抜刀した。
「ロンダートさん! 今すぐ怪我人を魔法陣の外に運び出して下さい! その間の時間は、私とハインツで稼ぎます」
はっと顔をあげた全員が、トワリスを見る。
もがれたはずの脚を生やし、裂かれた腹部まで、硬い外骨格で覆われ始めた化物を一瞥して、ロンダートが言った。
「まっ、待ってくれ、無理だ! とても運びきれる人数じゃないし、まだ瓦礫の下にも生きた人達がいるかもしれない。トワリスちゃんたちだって、あんな化物相手に危険だ。置いていけるわけないだろう!」
トワリスは、首を振った。
「でもこのままじゃ、私達全員死にます! おそらくあの化物は、召喚術によって生まれた悪魔なんです。ここで戦ったところで、私達から魔力を吸い取って、いくらでも回復します。言わばこの魔法陣が、生け贄を捧げるための皿で、生け贄は私達です。今、シュベルテが襲撃された時と同じようなことが、アーベリトでも起こっているんです」
ロンダートは、大きく目を見開いた。
「あっ、悪魔!? 悪魔って、あの悪魔か? でも、シュベルテで使われたのが召喚術だったというのは、セントランスの出任せだろう? それに報告じゃ、シュベルテに出たのは、もっとモヤモヤした、なんていうか、実体のない幽霊みたいなやつだったって……」
「セントランスが使った悪魔は、不完全な、思念の集合体みたいなものだったんだと思います。あれを召喚術擬きと表現するなら、目の前の化物は、ほとんど完全に近い召喚術によって生まれたものです。私達じゃ太刀打ちできません」
早口で捲し立てれば、ロンダートの顔に、ますます焦燥の色が浮かぶ。
その時、隣にいた自警団員の一人が、ふと口を開いた。
「あの、これって、魔法陣から出たら解決するものなんでしょうか? この身体の文字……これ、全員包帯めくって確認したわけじゃないけど、院内の怪我人の身体にも刻まれてるんです。もしかして俺達、このままじゃ……」
怯えた声で言って、自警団員は、トワリスを見つめてくる。
思わず息を飲むと、トワリスも、自分の身体に刻まれた魔語に視線をやった。
自警団員の言う通り、この魔語は、贄となる人間の印みたいなものだろう。
先程まではなかったから、あの化物を再生させるにあたり、魔法陣の上にいた人間を贄として捕捉した、といったところだろうか。
魔法陣とは独立して、直接身体に刻まれているあたり、術式としては、呪詛に近い。
そう考えると、確かに、魔法陣の上から出ただけでは、回避できない可能性が高かった。
術を解く方法が、魔法陣の領域外に出ることなら、今になって、わざわざ術式を発動させた意味はないからだ。
あとは、化物が現れる前に領域外、つまり、孤児院に避難した者たちに、この術式が刻まれていないことを祈るばかりである。
トワリスの沈黙から、事態を察したのだろう。
自警団員たちは、顔面蒼白になった。
「そんな……じゃあ俺達は、一体どうすれば」
「要は、あの化物は、何度攻撃しても、俺達の命を食って生き返るってことだろう? そんなの、どうしようもないじゃないか」
瞳に絶望と諦めの色を浮かべて、自警団員たちは、口々に呟く。
トワリスは咄嗟に、まだ自分の推論に過ぎないことを伝えようとしたが、その瞬間、毛が逆立つような殺気を感じて、素早く臨戦態勢に入った。
ついに、全ての脚を取り戻した化物が、もがきながら起き上がって、トワリスたちの方へと突進してきた。
すかさず前に出たハインツが、空を切るように手を動かす。
すると、蹴散らされた瓦礫が、意思を持ったかのように宙で翻り、矢の如き勢いで化物に突き刺さった。
しかし、体表を抉ったのは僅かで、ほとんどの瓦礫が、化物にぶち当たっただけで弾かれてしまう。
元は柔らかな皮膚に覆われていた胴体が、再生後に変化し、今や、強固な外骨格に包まれていたのだ。
「ハインツ! 関節の隙間を狙って!」
叫んでから、地を蹴って距離を詰めると、トワリスは、化物の爪を避けて跳び上がり、その背に乗って、脚の付け根部分に剣を突き立てた。
がつんっ、と途中で刃が引っ掛かり、うまく刺さらない。
思いの外、関節同士の隙間が狭く、剣を振り切ることができなかったのだ。
トワリスは、舌打ちをすると、化物の脚を踏みつけて、すぐに剣を引き抜いた。
だが、その僅かな間に、化物の背中から伸びてきた触手が、トワリスに襲いかかる。
即座に反応したトワリスは、揺れ動く化物の上で一気に踏み込むと、強く剣を握り、刀身に魔力を込めた。
刃から、うねる蛇の如く炎が噴き出すと、触手は、一瞬怯んだような動きを見せた。
その隙を見逃さず、前に乗り出すと、トワリスは、振り向き様に触手の束を斬り払う。
一閃、斬撃を炎が追いかけて、次の瞬間、触手の根本がぼっと燃え上がった。
身をぶるぶると震わせた化物が、地面に背を擦り付けるようにして、大きく全身を捩る。
触手に着火した炎は、あっという間に消えたが、化物が火を忌避したのは明らかであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.372 )
- 日時: 2021/01/21 19:49
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
振り落とされたトワリスは、地面に叩きつけられたが、頭を守るように身を丸めて横転すると、すぐに起き上がった。
化物が火を嫌うならば、再生する間も与えず、全身燃やし尽くしてやりたいところだが、トワリスの魔力量では、それほどの火力を維持できない。
身体や剣に魔力を集中させて、攻撃するしかなかった。
次の一手に出ようとしたトワリスは、剣を構え直した瞬間、化物の姿を見て瞠目した。
根本から燃やしたはずの触手が、凄まじい勢いで再生し、元の長さに戻ったからだ。
身体に刻まれた魔語が、吸い付くような痛みを伴って、再び鈍く光る。
怪我人や弱った自警団員たちから生命力を奪って、化物は、瞬く間に回復した。
見間違いなどではない。トワリスの推論が、証明されてしまったと、全員が認めざるを得なかった。
しかも、先程に比べ、再生に要する時間が、桁違いに短くなっている。
これは、トワリスたちにとっては、致命的なことであった。
回復に時間がかかるならば、再生する前に何らかの方法でとどめを刺せたかもしれないが、こうも瞬時に回復されては、攻撃したところで、こちらの魔力が搾取されていくだけだ。
つまり、トワリスたちの攻撃は、間接的に、魔語が彫られた者たちに向いているようなものなのである。
攻めに迷いが生じたトワリスは、振り上がった爪に対し、一瞬反応が遅れた。
しまった、と思う間もなく、目の前に、死の気配が迫ってくる。
だが、化物の爪がトワリスを引き裂く寸前に、横から走ってきたハインツが、彼女の身体を突き飛ばした。
「────っ!」
ハインツの背中から、ぱっと血が噴き出す。
しかしハインツは、痛みなど感じていない様子で、化物の脚を抱え込むと、思い切り、関節部分を逆に折り曲げた。
大木を叩き折ったかのような音が鳴り響き、化物の身体が傾く。
それは、化物が回復するまでの、ほんの少しの時間であったが、その隙にトワリスは、ロンダートに助け起こされた。
「トワリスちゃん! 大丈夫か!」
なんとか頷いて、立ち上がる。
ロンダートは、トワリスに意識があることを確認すると、ひとまず安堵したように頷いて、続けた。
「あの化物、やっぱり俺達の命を食って再生してるんだな。食い物がある限り、何度でも蘇るし、回復する」
「……はい。せめて、この術式さえなければ、魔法陣の外に出ることで状況は変わったと思うんですが……」
無意識に、腕に刻まれた魔語に爪を立てて、トワリスは返事をした。
つぷりと血が滴って、ようやく手を離す。
落ち着いた声音に反し、トワリスも、内心ひどく混乱していた。
何せ、打つ手が全くないのだ。
化物を相手にしていては、自分達が消耗していく一方だし、シルヴィアを探すにしても、ハインツと自警団員を残していくわけにはいかない。
そもそも、シルヴィアがどこにいるのかも、検討がつかなかった。
不意に、ぎりっと歯を食い縛ると、ロンダートが独り言のように言った。
「……大丈夫、大丈夫だ。トワリスちゃんもハインツも、まだ若いのに、こんなに強いんだから……何とかなる。守るんだ、せめて、孤児院に避難した人達は」
そして、何かを決意したように目を見開くと、ロンダートは、トワリスをまっすぐに見た。
「もう少しだけ、時間稼ぎを頼めるか。すぐに戻る!」
そう口速に言って、ロンダートは、他の自警団員たちを引き連れ、大病院の方に駆けていく。
無理だと言っていたが、一か八か、動けそうな怪我人だけでも、魔法陣の外に運び出すつもりなのだろう。
大病院に寝かされていた人々は、元々が衰弱しきっていた上に、化物に生命力を奪われて、助かる見込みのある者はいないように見えた。
それに、術式が刻まれているなら、魔法陣の領域外に出したって、おそらく意味はない。
けれど、ロンダートは、こんな絶望的な状況では、もう微かな可能性に賭けるしかないと思い直したのかもしれない。
実際、他にできることは、何もないのだ。
それならばトワリスも、時間稼ぎに徹しようと、覚悟を決めるしかなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.373 )
- 日時: 2021/01/22 20:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
化物を傷つけず、自分達も致命傷を負わないように渡り合うのは、想像以上に過酷なことであった。
空を切って襲いかかってくる鎌のような爪と、鞭のようにしなる触手を避け、時には弾きながら、走り続ける。
実際にはほんの一瞬でも、トワリスとハインツにとっては、永遠の時間のように感じられた。
一つの動作をする度に、枷のようにまとわりつく疲労が、全身に蓄積されていく。
少しでも気を抜いたら、命を落とすかもしれない。
その緊張感だけが、トワリスとハインツの手足を動かし続けていたのであった。
化物の懐に潜り込んで、脚の動きを抑え込んでいたハインツは、不意に、触手に腕をとられて、地面に引きずり落とされた。
倒れたハインツを狙って、鋭く研ぎ澄まされた爪が、振り下ろされる。
身を硬くしたハインツだったが、しかし、その爪が、自身の肉体を貫くことはなかった。
素早く割り込んできたトワリスが、双剣を交差させて、爪を受け止めたのだ。
耐えきれぬ重さがのし掛かってきて、トワリスは、思わず膝をついた。
このままでは剣が折れると確信して、わずかに刃の向きを変えると、爪の軌道を地面へと反らす。
思惑通り、爪は地面に深々と突き刺さったが、次の瞬間、身体に巻き付いてきた触手が、弓なりにしなって、二人は絡めとられたまま、凄まじい勢いで吹っ飛ばされた。
ハインツは、咄嗟にトワリスの身体を守るように抱き寄せたが、あまりの速さに、受け身をとる余裕がなかった。
積み上がった瓦礫の山に、背中から突っ込んで、後頭部に脳が揺れるような衝撃が走る。
ハインツは、すぐに立ち上がろうとしたが、目を開いても、視界がぼんやりと暗く、手足がうまく動かなかった。
「──ハインツ!」
崩れて降ってきた瓦礫を押し退け、ハインツの腕から抜け出すと、トワリスは、慌てて彼の頬を軽く叩いた。
頭を強く打って、意識が朦朧としているのだろう。
指先が微かに動いているが、仮面越しに見た目の焦点が合っておらず、気を失いかけている様子であった。
化物の標的をハインツから外そうと、瓦礫の山から跳び出したトワリスは、しかし、地面に着地した途端、足がもつれて、その場で体勢を崩した。
よく見ると、右の太股から膝にかけて、深い切り傷ができている。
爪を受け流した時か、触手に吹っ飛ばされた時に、裂かれたのだろうか。
痛みは感じていなかったが、思うように力が入らず、身体が限界を訴えているようだった。
立てずにいると、伸びてきた触手が、トワリスの足を絡めとった。
弧を描くように、ぐんっと身体が吊り上げられる。
化物は、このままトワリスを地面に叩きつけて、殺す気なのだろう。
ハインツは気絶で済んだが、トワリスでは、受け身をとったところで、どうなるかなど想像に容易い。
トワリスは、必死に剣を振ろうとしたが、足に力が入らないせいで、触手が間合いに入らなかった。
ぎゅっと目を瞑って、死を覚悟した時。
地面に落とされると思っていたトワリスは、突然、空中に投げ出されて、はっと目を見開いた。
不意に、眼下を通りすぎた火の玉が、化物の背中の口に放り込まれていく。
不快そうに頭を振り、触手を震わせた化物は、背中の火を消そうと、身体をのけ反らせて暴れ回った。
「今だ! 火を嫌がっているぞ! 火をつけるんだ!」
ロンダートを含む、生き残っていた六人の自警団員たちが、松明を片手に走ってきて、化物を取り囲む。
彼らは、油を詰めた瓶や、火の玉──油を染み込ませた布を石に巻き、着火させたものを化物に投げつけると、襲ってきた脚や触手に松明を押し当て、一気に燃え上がらせた。
落下したトワリスは、宙で身を翻し、地面で横転して衝撃を逃すと、なんとか顔だけをあげた。
ロンダートたちが、松明を振りながら、化物を大病院のほうに誘導していく。
怪我人たちは、もう避難させたのだろうか。
歯を食い縛りながら、懸命に化物と対峙する彼らの顔には、色濃い恐怖が滲んでいたが、先刻のような、諦めの表情は浮かんでいなかった。
「怯むな、戦え! 戦え! 俺達がアーベリトを守るんだ!」
団員たちを鼓舞しながら、ロンダートが叫んだ。
「汚い奴隷のガキに、居場所をくれたのは誰だ! 盗みしか知らなかったろくでなしに、生き方を教えてくれたのは誰だ! サミル先生だ! 救われた命、今、ここで使わないでどうする……!」
ロンダートに応えるように、叫び声をあげながら、自警団員たちは、必死になって松明を振った。
付かず離れずの距離で、火を押し当ててくる団員たちに、化物は、蝿でも払うかのように、何度も何度も触手を振り回した。
自警団員たちは、時折迫ってくる爪さえも往なしながら、徐々に、徐々に、大病院の方へと進んでいく。
炎を嫌っているのもあったが、化物も、餌が豊富な大病院へと近づきたいようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.374 )
- 日時: 2021/01/22 20:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
やがて、大病院の目の前まで来ると、ロンダート以外の自警団員たちが、持っていた松明を、槍のように化物に投げつけた。
燃え盛る炎が、油まみれの体表に着火して、みるみる広がっていく。
化物が、苦しげに身体をくねらせ、炎を消そうと大病院に突撃した、その時──。
トワリスは、ようやく、自警団員たちの狙いに気づいた。
「ロンダートさん……っ!」
喉を震わせ、大声で呼ぶと、一瞬、振り返ったロンダートと目が合った。
ロンダートは、いつもの調子でにっと笑うと、そのまま大病院の中に踏み込み、松明を投げ捨てる。
痛む脚を擦り、どうにかしてトワリスが立ち上がろうとした、その、次の瞬間。
突然、視界が白んだかと思うと、一拍遅れて、耳をつんざくような爆発音が鳴り響いた。
化物ごと、大病院が炎上し、もくもくと黒煙の柱が立ち上る。
自然発火の勢いではなかった。
つん、とした消毒液の匂いと、酒の匂いが漂ってきて、トワリスはその場にへたり込んだ。
ロンダートたちは、助かる見込みがないと判断した怪我人たちを、避難させてなどいなかった。
化物の糧となることを防ぐために、用意していた消毒液や酒を撒いて、建物ごと燃やしたのだ。自分達を、囮に使って。
声にならない悲鳴をあげると、化物は、火だるまになってのたうち回った。
無茶苦茶に触手を動かし、周囲の瓦礫を手当たり次第に蹴散らしていくが、ついに、触手や脚が焼け落ち始めると、じたばたと痙攣するだけの蛹のようになった。
糧としていた人間がほとんど死んだためか、化物が、瞬時に身体を再生させることはなかった。
それでも、少しずつ、少しずつ、燃え爛れた体表を回復させようとしている。
まだ、大病院の中に、生きている人間がいるのだ。
トワリスは、剣を支えに立ち上がると、右足を引きずりながら、よろよろと大病院に近づいていった。
あと数歩といったところで、肺がひりつくような熱気に当てられ、思わず後ずさる。
大きく傾いた建物を包み込み、激しく踊るように揺れている炎が、苦しみ、悶えている人の姿にも見えた。
灰色の空を仰ぐと、トワリスは、肌が湿るような、微かな雨を感じた。
霧と変わらない、煙のような雨では、燃え盛る炎を消すことなどできない。
消したところで、どうなるというのか。
化物の食い物にされ、他に助かる道がないから、ロンダートは、逃げ延びた避難民のために、化物諸共消え去る選択をしたのだ。
ずるずると地面を擦るような音が聞こえて、振り返ると、トワリスのすぐ傍まで、化物が這い擦ってきていた。
炎は消えていたが、全身が煙をあげて燻り、脚や尾の一部は炭化している。
それでも、まだ再生しようとしているのか、ぎちぎちと鋏角を蠢かせて、トワリスのことを見ていた。
剣を構えようとしたトワリスは、その時初めて、自分が酸欠を起こしていることに気づいた。
知らず知らずの内に、煙を吸っていたのだろう。
呼吸をすると、喉が刺されるように痛んで、目の前がぐらっと揺らいだ。
トワリスが動けずにいると、不意に、足音が近づいてきて、人影が化物に突進した。──ハインツだ。
重々しい音と共に、化物が横倒しになり、しかし、その衝撃で、ハインツも地面に弾き跳ばされた。
背中の切り傷から、のろのろと血が溢れている。
トワリスは、目眩で倒れそうなところを踏み留まると、剣を両手で一本に持ち替え、渾身の魔力を込めた。
この化物には、もう再生するための糧がない。
ハインツも、トワリスも、これ以上は限界だ。
一撃で仕留められるかどうかは分からなかったが、やるしかなかった。
炎を灯した剣を、大きく振りかぶろうとした、その時だった。
突然、雲が不気味な光を孕んだかと思うと、視界が点滅して、雷鳴が轟いた。
「────っ!」
青白い閃光が目を灼き、トワリスとハインツは、反射的に腕で顔を覆った。
雷撃は一度ならず、二度、三度と迸り、見る間に化物を塵に変えていく。
間近で稲妻が大気を渡り、まるで生きた心地がしなかったが、魔力の膜にくるまれるようにして守られていたトワリスとハインツは、痛みも熱さも感じていなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.375 )
- 日時: 2021/01/23 20:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
どのくらい踞っていたのか。
ふと、名前を呼ばれて、トワリスは目を見開いた。
見慣れた銀髪が視界に入って、身体の芯がほぐれるような、安堵感が湧いてくる。
ルーフェンは、トワリスの右脚と、ハインツの背の傷に止血を施すと、言葉もなく、辺りの惨状を見回した。
もはや見知った面影はない。
一面、瓦礫の海と化したアーベリトを見渡し、それから、足元の魔法陣を見る。
誕生と死滅、再生と破壊、呪詛の魔語が延々と書き連ねられたそれらの術式を見れば、一体誰がこんなことをしたのか、ここで何があったのかは、なんとなく読み取れた。
次いで、未だ燃え盛る大病院のほうを見やると、座り込んでいるトワリスが、涙を押し殺したように言った。
「……ごめんなさい。シュベルテと、同じことが起きたんです。化物が出て、そいつが、魔力を得て回復してしまって。それで、ロンダートさんたちが……」
訥々と溢して、ぐっと唇を噛む。
ハインツは立ち上がると、ルーフェンをすがるように見た。
「……お願い、火、消して。まだ、生きているかも……」
そう言ったハインツの手が、細かに震えている。
ルーフェンは、再び炎に視線を移すと、しばらくの間、静かに黙っていた。
だが、ややあって、ルーフェンが手をかざすと、大病院を包んでいた炎は、収まるどころか、爆発して、更に燃え上がった。
うだるような熱風が髪を嬲り、トワリスとハインツは、思わず顔を背ける。
傾いたまま、なんとか持ちこたえていた大病院の屋根は、ついに、炎に飲まれ、ひしゃげて倒壊した。
トワリスとハインツが、ぞっとしたような面持ちでルーフェンを見ると、彼は、平坦な声で告げた。
「……ごめん。こうなったら、もうどうしようもないんだ。……本当に、ごめん」
謝罪を繰り返したルーフェンの表情は、座っていたトワリスからは、よく見えなかった。
ただ、大病院が黒く焼け爛れた残骸となり、崩れ去っていく様を、ルーフェンは、じっと見つめていた。
「……ルーフェンさん」
不意に、トワリスが口を開いた。
やっぱり、召喚術のことを知っていたんですか、と尋ねようとしたとき。
誰かが、背後から声をかけてきた。
「ああ、可哀想に……。死んでしまったのね……」
ルーフェンたちが、はっと振り返ると、気配もなくそこに佇んでいたのは、シルヴィア・シェイルハート──その人であった。
美しい銀髪を靡かせ、たおやかに歩み寄って、大輪の花の如き佇まいでそこに立つ。
シルヴィアは、煌々と燃える炎を前に、ふと、灰と化した化物の骸を見ると、ゆっくりと、その両腕を広げた。
「形を成すのは、まだ早かったのね。苦しかったでしょうに……。でも大丈夫、貴方は何にでもなれるのよ。さあ、こちらにおいで、おいで……」
一体シルヴィアが何を言っているのか分からず、トワリスたちは、眉を潜めた。
しかし、問う間もなく、目の前で起きたことに、絶句することになる。
化物の骸が溶け出し、黒々とした液体になると、それが、赤子の泣き声を発しながら、シルヴィアに向かって這い出したのだ。
それは最初、陸に打ち上げられたオタマジャクシのような姿で、地面をうねるようにして這っていた。
だが、やがて、イモリのように四肢を生やし、最終的には、人間の赤子のような形に変わると、シルヴィアの足元に辿り着いた。
「さあ、こっちに来て。可愛い、可愛い私の子……。ふふ、貴方の名前は何にしようかしら」
シルヴィアは膝をつくと、しゃくりあげる子供のようなそれを、愛おしそうに抱き締めた。
「そうね……アガレス。貴方の名前は、アガレスにしましょう。私たちは代々、一番目のバアルを継いでいるから、貴方は、二番目のアガレスよ」
言いながら、とんとんと子供の背を叩いて、シルヴィアは、あやすように耳元で囁いた。
「もう泣かないで、大丈夫よ。ほら、よく集中して、感覚を研ぎ澄ませるの。この魔法陣の上には、まだ沢山の人間がいるわ。死にかけて、弱った人間がちょうどいいわね」
シルヴィアの言葉に呼応するかのように、足元の魔法陣が鈍く光って、あの凍てついた魔力が、街中からシルヴィアの元へ集まってくる。
同時に、身体に刻まれた魔語が、再び痛みを伴って、トワリスとハインツは呻き声をあげた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.376 )
- 日時: 2021/01/30 10:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンは、はっと表情を強張らせると、シルヴィアを睨み付けた。
「この期に及んで、なんのつもりだ。……お前がやったのか、全て」
唸るような声で言って、ルーフェンが殺気立つ。
シルヴィアは、銀の目を細めて、にっこりと笑った。
「そうよ、私がやったの。……でも駄目ね。悪魔を作ったのは初めてだったから、少し加減を間違えたみたい。どうも、意識を失っていない人間は、肉体と魂の結び付きが強すぎて、うまく力を奪えないようなのよ。死んだ人間は元より、魂が既に肉体から離れてしまっているし……。贄の選定を、死にかけて、魂と肉体が分離しかかっている人間に限定したら、街一つ分じゃ、大した量にはならなかったわね」
言いながら、シルヴィアが手をかざすと、トワリスとハインツの身体に刻まれた魔語が、ふっと薄くなって消えた。
瀕死でもない二人からは、大した力を奪えないため、用済みということなのだろうか。
しかし、アーベリトの人々を犠牲にし、魔力を吸収して肥大した悪魔は、赤子の姿から徐々に成長し、やがて、立ち上がると、屈んだシルヴィアと同じくらいの背丈になった。
泥人形のようだった悪魔は、やがて、茶髪の少年の姿になると、ゆっくりと振り返った。
ルーフェンの瞳が、微かに揺れる。
シルヴィアは、満足そうに微笑むと、悪魔の頬に口づけた。
「ふふ、懐かしいわ。形がとれるだけ、セントランスよりは上手くやれたみたい。……覚えているかしら、貴方の弟のアレイドよ。兄弟の中じゃ、一番よく話していたでしょう?」
「…………」
ルーフェンは、無意識に息を詰めて、今は亡き弟の姿をした悪魔を見つめていた。
悪魔もまた、こちらを見つめていたが、その光のない目には、ルーフェンなど映っていない。
ルーフェンは、乾いた笑みを浮かべた。
「……だからなんだ。自分で殺した息子を、今更生き返らせようとでも言うのか。それとも、似た泥人形を傍に置いて、可哀想な自分を慰めようって?」
悪意の満ちた言い方に、束の間、シルヴィアの顔から笑みが消える。
だが、すぐにいつも通りの冷たい微笑に戻ると、シルヴィアは立ち上がった。
「そんなこと言わないで、ルーフェン。私はただ、最期に召喚師としての力を取り戻したかっただけ。貴方が力を返してくれないのなら、私が新たに、使役悪魔を作るしかないと思ったの。……それで、折角なら、獣や人間離れした姿をじゃなくて、馴染みのある形を取らせた方が良いでしょう……?」
そう呟いて、シルヴィアが悪魔の背に触れると、悪魔は、再び形の定まらない泥人形となり、次いで、背の高い男の姿をとった。
それを見て、今度はトワリスとハインツが、動揺の色を見せる。
悪魔が象ったのは、ロンダートを初めとする、自警団員たちの姿だったのだ。
トワリスは、唇を震わせると、思わず叫んだ。
「待ってください! 貴女たちの言う悪魔って、死にかけた人間から魂を無理矢理引き剥がして、それを集めた存在だってことですか? そんなことして、ルーフェンさんと争って、一体何になるって言うんですか! 私達が、貴女に何をしたって言うんですか! ロンダートさんや、アーベリトの人達を返してください……!」
感情の高ぶりと共に、思いがけず、涙が溢れた。
怒りや悲しみ、様々な激情が綯交ぜになった瞳で睨んできたトワリスに、シルヴィアは、淡々と答えた。
「悪魔というのは、理から外れた人間の成れの果て……みたいなものよ。こんなことを始めたのは、召喚師一族の始祖でしょうから、私も、詳しい経緯は知らないわ。でも、使った魂は、元の器に戻したところで、二度と元通りにはならない。それが代償よ。貴方たちが言う禁忌魔術というのは、何かを取り戻すために、何かを失う魔術だもの」
滔々と語られた真実を、ルーフェンだけが、顔色を変えずに聞いていた。
ルーフェンは、ただ黙って、怒りと嫌悪の眼差しをシルヴィアに向けている。
その表情を見て、トワリスは、シルヴィアの言ったことはら嘘ではないのだろうと思った。
禁忌魔術の代償となったものは、もう戻らない。
無我夢中で闘っていたため、はっきりと意識していなかったが、先程までトワリスとハインツが攻撃していた化物は、アーベリトの人々の魂そのものだったのだ。
そう思うと、腹の底から震えが走った。
ルーフェンに向き直ると、シルヴィアは、口を開いた。
「私のことが、憎いでしょう。恨めしくて、殺したくて、堪らないでしょう。……だから、もうおしまい」
人形のように佇んでいた悪魔が、ふっと大気に溶けて、シルヴィアの中に宿る。
身構えたルーフェンに、唇で弧を描くと、シルヴィアは唱えた。
「──汝、完成と闘争を司る地獄の公爵よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……。……アガレス」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.377 )
- 日時: 2021/01/24 19:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
シルヴィアから、突風のように魔力が迸ったのと、ルーフェンが結界を張ったのは、ほとんど同時だった。
地鳴りが響いて、ルーフェンたちが立っている場所を避けるように、地面に亀裂が入る。
結界外で巻き起こった暴風に、周囲の瓦礫や木々が薙ぎ倒され、互いにぶつかり合って、亀裂の下に雪崩れ落ちていった。
揺らめく人影のように、シルヴィアの傍に発現した悪魔は、ややあって、有翼の巨大なトカゲのような姿になると、結界に食らいついた。
咄嗟にルーフェンが手を動かすと、結界が雷撃を帯び、弾かれた悪魔が、液状になって飛び散る。
しかし悪魔は、びりびりと振動する結界にへばりつき、無数の手を伸ばすと、ルーフェンたちを包むように広がった。
どう助太刀すれば良いのか分からず、剣を握ったまま硬直していたトワリスは、ふと、何かに呼ばれたような気がして、視線を巡らせた。
覆い被さる悪魔の体表が、沸騰したように泡立ち、弾け、ぼこぼこと波立っている。
その泡が、人の顔を象って、トワリスに言った。
──殺せ、殺せ……!
浮き上がった顔が、恨めしそうにトワリスを責め立てる。
苦悶の表情で喘ぎながら、憎悪の眼差しで、こちらをじっと見つめている。
それらが全て、この悪魔に吸収された者たちなのだと思った途端、身体を絡め取られたかのように、動けなくなった。
剣を持つ手が強張って、もう握れないし、斬れない。
もしかしたら、この顔一つ一つが、正真正銘、アーベリトの人々の魂かもしれないのだ。
トワリスとハインツが、吸い寄せられるように悪魔の目を見ていることに気づくと、ルーフェンは叫んだ。
「見るな! 声も聞いちゃ駄目だ!」
肩を震わせた二人の目に、はっと光が戻る。
ルーフェンは、トワリスから片剣をとると、それを逆手に持ち替え、悪魔の目に突き刺した。
縮み上がった悪魔が、耳障りな断末魔を発する。
刃に伝わせ、ルーフェンが一気に魔力を放出させると、今度こそ悪魔は霧散した。
間髪いれずに結界を解き、短く詠唱すれば、飛散した悪魔を追撃して、立て続けに稲妻が閃く。
弾かれ、撹拌され、もはや、形を保てなくなった悪魔であったが、すぐに周辺から魔力を吸収し出すと、散った身体を寄せ合って、再生し始めた。
何度攻撃したところで、魔法陣上に贄となる人魂がある限り、この生まれたての悪魔は消えない。
何もかも、もう元には戻らない。
その現実を突きつけられた時、不意に、時の流れが緩やかになった。
激しい魔力のぶつかり合いで、大気が振動している。
その中で、ふと、視界に入ったシルヴィアの顔を見て、ルーフェンは、自分がやらなければならないことを悟った。
ルーフェンは、つかの間目を閉じて、開いた。
再度剣に魔力を込めれば、剣が粘土細工のように変形し、鉄杖へと変わる。
その杖を、一気に横に振ると、次の瞬間、灼熱の炎が辺り一面を飲み込んだ。
霧に包まれていた街が、燃え盛る炎の海に沈んでいく。
吹き荒れていた嵐が止み、全ての音が、炎の音に吸い込まれて消えていった。
「まあ……皆、殺してしまったのね」
不意に、シルヴィアが、少し驚いたように呟いた。
トワリスとハインツも、目前で起きていることが信じられぬ様子で、ルーフェンのことを見つめている。
何故、とは問えなかった。理由は分かっていたからだ。
ただ、一瞬でその選択を果たしてしまったルーフェンに、どうしても、理解が追い付いていなかった。
糧を失った悪魔が、泥のように地面に蟠っている。
沸き上がった泡が、見知った顔になって、ルーフェンに歪んだ目を向けた。
ルーフェンは、この目をよく知っている。
幼かった頃、身の内に巣食う悪魔に意識を取り込まれると、いつも、暗がりから、この目がルーフェンを見ていた。
苦痛を訴え、嘆き悲しみ、ルーフェンに贖罪を求める人々の目だ。
悪魔のほうに杖を向けると、ルーフェンは言った。
「──来い」
一斉に目を剥くと、悪魔は、ルーフェンに襲いかかった。
邪悪な気を纏い、放物線を描きながら飛び上がって、掴みかかるように、無数の手を伸ばしてくる。
その手が、いつだったかの、差し伸べられた手と重なって、ふと、今までの思い出が蘇ってきた。
目まぐるしくも、穏やかだったサミルとの日々。
倒壊した建物の隙間から見つかった、半獣人の少女と、最初は街中を歩いただけで卒倒しかけていた、リオット族の少年。
二人を招き入れたとき、現役を引退して、屋敷で暇を持て余していた医術師連中は、いよいよ色物揃いになったなぁと、案外すんなり事態を受け入れていた。
ちょっとした魔術を見せただけで、すごいすごいと興奮し、陽気に笑っていたアーベリトの人々。
何度言っても、勝手に王室や執務室に入ってくる自警団の者たちに、当時、屋敷勤めだった家政婦たちは、いつも憤慨していた──。
すぐ目の前まで、悪魔が迫っている。
歯を食い縛ると、ルーフェンは目を背けた。
(……ごめん)
どこかで、遠雷のような音が鳴り響いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.378 )
- 日時: 2021/01/25 21:10
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
移動陣でアーベリトに向かったであろうルーフェンを追って、ジークハルトも、シュベルテから飛び出した。
アレクシアから、新興騎士団がアーベリトに向かっているという密書を受けて、一刻以上が経過している。
これが計画的な進軍で、今朝方には出発していたのだとすれば、行軍と言えど、既にアーベリトに到着していてもおかしくない頃であった。
アーベリトに隣接する森に入ったところで、ジークハルトは、ふと馬を止めた。
近くの茂みに身を隠し、耳を澄ませると、風に乗って、複数の馬蹄の音が聞こえてくる。
戦を仕掛けるほどの大軍ではなさそうだが、アーベリトのように、兵力の少ない街の意表を突くには、十分な数だろう。
ジークハルトは、馬に跨がると、その脇腹を蹴って、山道を駆けたのであった。
肌を湿らす霧雨は、森を抜ける頃には、霙混じりの冷たい雨に変わっていた。
雨避けの外套を羽織り、馬を駆る速度を上げれば、アーベリトの街並みが近づいてくる。
その時になって、ジークハルトは、漂う奇妙な静けさに気づいた。
濡れそぼる草木や、石の匂いに混じって、異様な焦げ臭さが鼻をつく。
立ち昇る黒煙が見え始め、やがて、その光景が目に飛び込んでくると、ジークハルトは息を飲んだ。
このような惨い光景を見るのは、これで二度目であった。
アーベリトが、そこだけ切り取られたかのように陥没し、炎に包まれている。
雨のお陰か、鎮火している箇所もあったが、既に灰燼と化した街並みが、尚も炎に嘗められている様は、地獄以外の何ものでもなかった。
倒壊した家々の残骸を飛び越え、ある程度進むと、馬が火を怖がって、進まなくなった。
ジークハルトは手綱を引き、一歩引いて様子を見ていたが、少しして、落ち着かない馬を森の近くに繋ぐと、火が回っていない場所を選んで街中を走った。
アーベリトに入った時から、尋常ではない、強大な魔力を感じていた。
その残滓を辿り、一際黒煙が上がっている場所に行き着くと、そこは、今まで通ってきたどこよりも、凄惨な有り様であった。
大規模な建物が建っていたのか、黒焦げになった瓦礫が、広範囲に散乱している。
既に火は消えていたが、その瓦礫に埋もれるような形で、消し炭と化した遺体が、折り重なるようにして倒れていた。
延々と続く死体の山が、ようやく途切れたその先に、探していた人物が立っていた。
ジークハルトは瞠目し、よろけるようにして前に出ると、陰雨の中で佇むルーフェンを見つめた。
彼の足元には、シルヴィアが倒れている。
青白い手指は微動だにせず、血と水溜に沈んだ銀髪が、雨に打たれて、ゆらゆらと揺れていた。
「……殺したのか」
ジークハルトが問いかけると、ルーフェンの近くにいた二人が、はっと顔を上げた。
一人は、見覚えのある半獣人の女魔導師、もう一人は、見知らぬリオット族の大男であった。
ルーフェンは、顔をあげずに、シルヴィアを見下ろしたまま答えた。
「……まだ死んでない。魔力が減って、弱ってるだけだ。すぐに回復する。……この女、一体いくつ自分に禁忌魔術をかけてるんだか」
憎々しげに吐き捨てて、容赦なく鉄杖を振り上げたルーフェンの手を、ジークハルトは、咄嗟に掴んで止めた。
「やめろ! どうせ、もう分かっているんだろう。今、新興騎士団がこの街に向かっている。奴らの狙いの一つは、召喚師一族だ。お前とその母親が共倒れでもしたら、それこそ教会の思う壺だぞ」
ルーフェンは、ジークハルトの手を振り払った。
「そんなことどうだっていい。この女が、アーベリトを陥れたのは事実だ」
「だとしても、裁くのは、拘束してシュベルテに連れ帰ってからで良いだろう! 教会とシルヴィアが繋がっていた可能性もある。全て吐かせて、教会の不正を明るみにしてから処断するべきだ」
「そんなの、拷問したって吐くわけないだろう。いいから放っておいてくれ! いい加減、この女とは決別したいんだ」
再び振り上がったルーフェンの手を、ジークハルトが止める。
その瞬間、銀の瞳に鋭い光が浮び、ルーフェンは、思い切りジークハルトを蹴り飛ばした。
水しぶきを跳ね上げて、ジークハルトが地面に転倒する。
だが、ルーフェンがシルヴィアに手を伸ばすよりも速く立て直すと、今度はジークハルトがルーフェンを殴り飛ばした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.379 )
- 日時: 2021/01/25 21:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
放心して、地面に座り込んでいたトワリスは、二人が揉み合っている様を見ている内に、荒立っていた思考が凪いでいくのを感じていた。
改めて周囲を見回し、片剣を支えに立つと、トワリスは、二人を引き離すように間に入った。
「二人とも、ちょっと落ち着いてください!」
ルーフェンとジークハルトが、動きを止める。
トワリスは、ルーフェンを見上げた。
「ルーフェンさん、聞いてください。街がこうなる前に、シルヴィア様が、教会と賭けをした、って言っていたんです。だから、バーンズさんの言ってることは、確かだと思います。教会が来る前に、シルヴィア様を連れて、シュベルテに行きましょう。それから、孤児院のほうに避難した人達がいます。その人達が、無事かどうかも確かめにいかないと……」
気が鎮まるように、トワリスは、努めて冷静な口調で言ったが、ルーフェンの憎しみが灯った瞳は、全く変わらない。
アーベリトに駆けつけた時から、ずっと押し殺してきた怒りが、今、堰を切って溢れているようであった。
強く握りしめた拳を震わせて、ルーフェンは返した。
「どうしてトワは、この女を庇うんだよ。君の母親と、こいつは違う。勝手に君の理想像を押し付けて、結論付けないでくれ。この女は、人間の命なんてなんとも思ってない、危険な人殺しなんだ」
トワリスは、首を横に振った。
「庇ってなんていません。確かに、ルーフェンさんに黙って勝手に会ったり、話したりはしました。そのことについては、謝ります。でも、私情でどちらかに偏っているつもりはありません。考えてみてください。今、シルヴィア様を手にかけたとして、この場に来た人がアーベリトの状況を見たら、どう思いますか。こんな……こんな、街を丸ごと破壊するなんて、普通の人間に出来るはずがないんですから、真っ先にルーフェンさんが疑われます。まして、最初に目にしたのがイシュカル教徒だったら、どう吹聴されるか分かりません。シルヴィア様に、公の場で自白してもらいましょう。その上で、厳正に処罰されるべきです。そうすれば、ルーフェンさんが疑われることだってないはずです」
「…………」
ルーフェンは、わずかに目を見開くと、トワリスを見た。
真っ直ぐにこちらを見つめ返してくるトワリスに対し、乾いた笑みを浮かべると、ルーフェンは呟いた。
「……それでいいんだよ、俺が疑われなくちゃいけない。事実、最終的にアーベリトを燃やしたのは俺だ。召喚術を始め、強大な力は、召喚師にしか扱えない。世間はそういう“認識”であるべきなんだ」
「……どういうことですか?」
訝しげに眉を寄せて、トワリスが尋ねる。
ルーフェンは、首を振ると、トワリスから目をそらした。
「いい。……君たちも、本来なら知るべきことじゃない」
「なんですか。そんな言い方じゃ、納得できませ──」
「──頼むから、邪魔をしないでくれ!」
トワリスの言葉を遮って、ルーフェンが声を荒らげた。
びくっと肩を震わせて、トワリスが黙り込む。
ルーフェンは、憎悪の眼差しでシルヴィアを睨んだ。
「大体君達は、この女の恐ろしさが分かっていないから、そんな悠長なことを言っていられるんだ! 何度も殺そうと思ってたのに、先伸ばしにして……結局、犠牲が増えただけだった。こんなことになるなら、もっと早くに殺しておくべきだったんだ……」
言うや、杖に魔力を込めたルーフェンを、ジークハルトが止めようと、手を伸ばした。
しかし、それよりも先に、ハインツが飛び付いてきて、ルーフェンを押し倒す。
凄まじい力で地面に叩きつけられたルーフェンは、咄嗟にハインツを押し返そうとしたが、ふと、その表情を見て、思わず言葉を失った。
雨に混じって、ルーフェンの胸元に、ぽつぽつと雫が落ちる。
鉄仮面の奥から、溢れるほどの涙を流して、ハインツは呟いた。
「ル、ルーフェンが、言った。俺たちに……。憎しみ合う、のは、間違ってる、って」
「…………」
「七年前……ルーフェンが、言った」
耳元で、そう繰り返しながら、ハインツは泣いていた。
それは、七年前のノーラデュースにて、憎み合い、殺し合いを繰り返し続ける魔導師とリオット族達に、ルーフェンが言った台詞であった。
震える大きな手が、力加減を間違わぬよう、肩にすがりついてくる。
仄暗い道を行く、そんな自分を、ハインツは必死に引き留めようとしているのだ。
その思いを感じた瞬間、ルーフェンの喉に、熱いものが込み上げてきた。
暗澹とした曇り空から、絶え間なく雨が降っている。
その冷たさが、肌に触れて、頭の中にも染み込んでいくようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.380 )
- 日時: 2021/01/26 19:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ややあって、ルーフェンが口を開こうとしたとき。
不意に、馬蹄の音が響いてきて、一同はそちらに振り返った。
白く靄のかかった森の方から、鎧を着込んだ兵士たちが、列を成して姿を表した。
数は二百いるか、いないかといったところだろう。
先頭を歩く騎馬兵の記章は、イシュカル教会のものであった。
みるみる近づいてくる兵たちの顔ぶれを見て、ジークハルトは、舌打ちをした。
見知った顔が、数多く並んでいたからだ。
おそらく、今回の行軍では、世俗騎士団や魔導師団からの離反者を中心に、送り込んできたのだろう。
つまり彼らは、イシュカル神を信仰している者達というよりは、召喚師一族に疑念を抱いたり、城を追われて困窮したという理由で、教会側に寝返った者達である。
元は、ジークハルトらと共に戦っていた、騎士や魔導師であったということを考えると、実に胸糞の悪い編成部隊であった。
先駆けの騎士たちと目が合うと、ジークハルトが前に出た。
「止まれ、止まれ! 騎士修道会が、アーベリトまで何用か」
兵士達の行軍が、距離をとった位置で、ジークハルトと向かい合う形で止まる。
騎士の一人が、馬上から答えた。
「バーンズ殿、行方を眩ませていた貴殿こそ、何故この場にいるのか。我々は、アーベリト襲撃の知らせを聞き、シュベルテより馳せ参じたまで」
ジークハルトは、魔槍ルマニールを発現させると、その穂先を兵士達に向けた。
「襲撃の知らせを聞いて、馳せ参じただと? アーベリトの崩落を仕組んだのは、お前達教会の人間だろう。シルヴィア・シェイルハートに、一体何を吹き込んだ?」
騎士の男は、倒れ伏すシルヴィアを一瞥して、鼻で笑った。
「言いがかりはやめて頂きたい。我らは全知全能の女神、イシュカルに仕える使徒である。そのような穢れた一族の女と接触し、言葉を交わしたことなど一度もない」
「しらばっくれるな! お前達の魂胆は分かっている。シュベルテ襲撃の段階から、裏でこそこそと根回ししやがって……お前らの神というやつは、随分と狡猾なんだな。笑わせてくれる」
「なんだと! 貴様、これ以上の侮辱は許さぬぞ……!」
憤慨した先駆けの騎士たちが、抜刀して、攻撃をしかけようと馬の腹を蹴る。
だが、次の瞬間、前進しかけた馬の足元を狙って、煌々と炎の帯が走った。
それは、ルーフェンによる幻術の炎であったが、動揺を誘うには十分であった。
怯えた馬が嘶き、前肢を跳ね上げて、棹立ちになる。
炎が収まると、勢い良く振り落とされた騎士の男達は、翻って走り去った馬を尻目に、忌々しげにルーフェンを睨んだ。
ハインツを押し退け、ジークハルトの隣に並ぶと、ルーフェンは小声で言った。
「まともに相手にするな。教会とあの女の間に何かやり取りがあったとして、彼らがそれを明かすわけがないし、アーベリトを襲ったのは、あくまでシルヴィアの意思だ」
確認を取るように視線を移せば、ルーフェンと目が合ったトワリスが、気まずそうに俯く。
ジークハルトは、騎士の男達に穂先を向けたまま、ルーフェンを横目に睨んだ。
「襲撃に関しては、後で詳しく聞く。お前はしゃしゃり出てくるな。教会は、召喚師側に罪を擦り付ける気だぞ」
「実際そうなんだから、返す言葉もない」
ジークハルトの制止を無視して、ルーフェンは、騎士たちに向き直った。
騎士たちが剣を構えて、さっと顔を強張らせる。
ルーフェンは、淡々とした声で言った。
「手荒なことをして申し訳ない。そちらに交戦の意思がないのであれば、私も攻撃する気はない。剣を納めてくれ」
騎士たちは、剣を納めなかった。
鋭い視線をルーフェンに向けたまま、前列の騎士が答える。
「攻撃する気はない? しようがない、の間違いではないか。我々は、七年もの間、哀れにも召喚師一族に誑かされてきたアーベリトの民を救いに来た。こちらは二百人、対してそちらは四人である。貴殿は、ご自身の立場が分かっておいでか」
ルーフェンは、冷笑を浮かべた。
「それはこちらの台詞だ。今朝方、シュベルテに出向いて、大司祭であるリラード卿と話をした。貴方達はその時に、私の不在を知って、アーベリトに軍を仕向けたのだろう。見ぬ間に教会が政権を握っていることにも驚いたが、城に居座る以上、貴方達の振る舞いがシュベルテの総意だ。今、ここで剣を向ければ、シュベルテは、七年前に三街で結んだ協定を反故にしたということになる。それが分かっているのか」
騎士は、表情を歪めた。
「根も葉もないことを! 我々はあくまで、救済に来たのだ。このアーベリトの惨状、貴様ら召喚師一族が、異端の術を使って引き起こしたものであろう。ルーフェン殿、貴殿は十四年前にも、村を一つ壊滅させ、その後も我々教徒に対し迫害を繰り返し、リオット族などという蛮族まで引き入れ、守るべき自国の民の尊厳を侵してきた。それだけでは飽き足らず、ついには自身で築き上げたアーベリトまで手にかけ、滅ぼしたのだ」
ルーフェンは、目を細めた。
「アーベリトを手にかけたのが、召喚師一族だというのは事実だ。だが、こちらにも事情というものがある。私を拘束するなり、処罰なりしたいというなら、抵抗はしない。ただし、その前に、シュベルテのカーライル公と話をさせてほしい。公と話し合った上で、生き残ったアーベリトの人間に一切手を出さないと約束するなら、私は貴方達に従う。要求に応ずる気はあるか」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.381 )
- 日時: 2021/01/26 19:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
騎士は、剣を振って見せると、嘲笑するように叫んだ。
「罪を認めたな、外道め! ならばこの場で死ね! 我ら修道騎士会が、直々に断罪してくれよう!」
「──質問に答えろ! 要求に応ずる気はあるのか、ないのか! もう一度言う、そちらに交戦の意思がないのであれば、私も攻撃する気はない!」
「ならば繰り返そう! 我々は女神イシュカルの名の下、悪魔に身を窶す召喚師一族に、制裁を下すため参った! 消えろ、邪悪な異端の一族めが……!」
先陣を切った騎士の合図で、一斉に、隊が動き出した。
地を踏み荒し、水飛沫をあげ、前方の騎士たちが盾を構えて迫ってくる。
後方の魔導師たちは、杖を高く掲げると、魔力を高め、詠唱を始めた。
覚悟を決め、魔槍を構えて踏み込もうとしたジークハルトを、ルーフェンは手で制した。
前に出て、振り返ると、ルーフェンはジークハルトを見つめた。
「……見ていろ」
静かな声で、告げる。
冴え冴えとした銀の瞳に、揺るがぬ光が灯った。
「──見ていろ。これが、召喚師一族だ」
前を向くと、ルーフェンは、近づいてくる騎士たちを見据えた。
運命に従って生きるならば、越えてはならない最後の一線が、目の前に示されていた。
目を閉じ、そして開くと、ルーフェンは唱えた。
「汝、支配と復讐を司る地獄の王よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ! バアル……!」
それは、本当に一瞬の、一方的な虐殺であった。
今まで見てきた、どんな魔術よりも残酷で、恐ろしい。
目の前が光って、凄まじい魔力の波を感じたと思った瞬間には、もう何も見えなくなっていたし、聞こえなくなっていた。
どれほど時間が経ったのか。
思い出したかのように息を吸ったジークハルトは、途切れそうになった意識を手繰り寄せて、なんとか目を開けようとした。
痙攣している瞼を、無理矢理に持ち上げると、徐々に感覚が戻ってきたのか、雨音がぼんやりと聞こえてくる。
トワリスとハインツも、同じ状況なのだろう。
意識はあるようだったが、うまく立ち上がれない様子であった。
嗅覚が戻ってくると、吐き気を催すような刺激臭が、鼻から喉を刺して、激しく咳き込んだ。
黒煙が揺らぐ中で、ルーフェンが一人、佇んでいる。
向かってきた騎士たちを探し、視線を巡らせて、ジークハルトは戦慄した。
彼らは、影のように地面に焼き付いて、もう跡形もなかったのだ。
ただ、ルーフェンが故意に狙いを外したのか、範囲外だった後方の魔導師たちだけが、数名生き残り、その場にへたりこんでいた。
ルーフェンは、ぶるぶると震えている魔導師たちに歩み寄ると、平坦な声で言った。
「今、見たことを、シュベルテに戻って伝えるといい。聞いたことも、感じたことも、全て……」
魔導師の男が、ルーフェンの方を見上げた。
見えているのか、いないのか分からない、定まらぬ目をしていたが、その瞳には、確かな恐怖と憎悪が滲んでいた。
「こ、ころせ……」
ほとんど呻き声に近い、掠れた小さな声で、魔導師は呟く。
しかし、その声を聞きながら、ルーフェンは踵を返した。
これ以上、殺す理由はなかった。
向けられた刃もなく、守るものもなくなれば、これ以上は、殺す理由など──。
ジークハルトだけが、じっとルーフェンを見ていた。
そんな彼を見やってから、ルーフェンは、アーベリトの街並みを見渡した。
雨が、地に染み込んだ死臭を洗い流し、風が、揺らめく黒煙を吹き散らしていく。
国王が崩御して、数日が経ったこの日──王都アーベリトも、跡を追うようにして消え去った。
雨音しか聞こえない、その静かな世界には、ルーフェンが守ろうとしていたものは、もう残っていなかった。
To be continued....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.382 )
- 日時: 2021/01/29 11:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
†第五章†──淋漓たる終焉
第五話『隠匿』
雨は、その後もしばらく、止むことなく降り続けた。
冬の終わりを予感していた木々も、凍てつく霖雨に打たれて、その蕾を固く閉ざす。
アーベリトの陥落と、国王の崩御が世間に知らされたのは、そんな晩冬のことであった。
陥落の原因については明言されなかったため、様々な憶測が飛び交ったが、予想通りというべきか、その凄惨さと教会の印象操作から、自然と首謀者に召喚師一族の名前は上がっていた。
宮廷魔導師、ジークハルト・バーンズに査問された教会は、襲撃への関与を否定したが、その審判の決着がつく前に、魔導師団の復権とルーフェンらの登城を許した。
おそらく、執拗に言及されるのは、教会にとっても都合が良くなかったのだろう。
ルーフェンとシルヴィア、双方が生き残った上、送り込んだ教徒たちが一掃されたことも、予想外だったに違いない。
世俗騎士団と魔導師団の追放や、民の救済という名目でアーベリトに修道騎士会を進軍させたことが、全て大司祭モルティス・リラードの独断で行われたことだという事実を暴かれた時点で、教会は、一時的に身を潜めた。
それ以上は、決定的な証拠が出なかったため、ジークハルトも追及は出来なかったが、教会もまた、掘り返して食い下がってくることはしなかった。
アーベリトで、術式が発動される前に、東区の孤児院に避難した者たちは、無事に生き残っていた。
生存者は、元々その孤児院にいた子供たちや、運良く魔法陣の外にいた者たちを含め、たったの百数十名程度であったが、それでも、あの最中で生き延びた者がいたということは、トワリスたちにとって心の救いである。
彼らは今、バジレット・カーライルの計らいで、一時解放したシュベルテの城近くの講堂で生活しているようであった。
バジレットの意向で保護されたアーベリトの難民に漏れず、トワリスとハインツも、しばらくは城内で匿われることになった。
この件に関しては、バジレットというより、ルーフェンの意向であったが、トワリスとハインツは、アーベリト陥落の一部始終を見ていた唯一の生き残りであったので、城内の者にも、納得がいく対応として受け入れられた。
襲撃の際に負った怪我が原因で、トワリスとハインツは、数日間寝たきりの生活を余儀なくされたが、その間も、情報を届けてくれていたのは、ジークハルトであった。
彼は、魔導師団復権の中心的人物として、忙しなくシュベルテ中を駆けずり回っていたが、それでも、日に一度はトワリスたちの元に訪れ、難民たちの様子や上層部の動きを教えてくれた。
アーベリト陥落の元凶と疑われ、勾留されたルーフェンが動けない分、自分が役目を果たさねば、という思いもあったのだろう。
結局、ルーフェンに見逃されたシルヴィアが、地下牢に入れられたことも、トワリスたちは、ジークハルトから知らされたのであった。
勾留されている間、ルーフェンは、魔導師たちの厳重な監視下に置かれていたが、幸いにも、バジレットとの謁見は叶った。
というより、登城して早々に、バジレットのほうから、直接出向いてきたのだ。
シュベルテの襲撃時に負った怪我が原因で、一時生死を彷徨った彼女は、その後、体調が回復してからも、新興騎士団に周囲を固められ、思うように動けなかったのだと言う。
教会の人間ばかりが城内を彷徨くようになったので、外界の情報も耳に入らなくなり、当然訝しんだが、実際にシュベルテの窮地を救ったのが、新興騎士団だったということもあり、なかなか手が出せなかった。
その結果、気づいた時には既に遅く、魔導師団が解散状態になり、アーベリトに新興騎士団が進軍を果たしていたのだ。
バジレットは、そう経緯を説明して、ルーフェンに頭を下げた。
意図せず三街の協定を破ってしまい、バジレットは、ひどく思い詰めている様子であった。
七年前、最後に見たときと比べて、バジレットは、かなり弱っているように見えた。
心臓に持病があり、元より華奢な老女であったが、その身体は一層細くなり、何より、瞳に浮かぶ光が弱くなっていた。
それが、年をとったせいなのか、襲撃時に負った怪我のせいなのかは分からない。
ただ、彼女もまた、老いた身の内に残酷な責を抱えた一人なのだ。
そう思うと、シュベルテに対する怒りは、薄寒い虚しさに変わっていったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.383 )
- 日時: 2021/01/27 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
慌てる魔導師たちに諌められても、謝罪を撤回しないバジレットに、ルーフェンは言った。
「……謝罪なんて必要ありませんよ、カーライル公。確かに、教会を止められていれば、事態は大きく変わっていたでしょう。ですが、それを私が責める道理はありません。実際にアーベリトを滅ぼしたのは、私達召喚師一族ですから」
ルーフェンの言葉に、バジレットはようやく顔をあげた。
事態を見守っていた二名の魔導師が、安堵したように息をつく。
城内の寝室にて、天蓋付きの寝台に座っていたバジレットは、布団に寄りかかるようにして背を預けると、吐息混じりに答えた。
「教会の目に余る行いについては、厳正に処罰を下す。政権を握ろうなどと、もっての他だ。しかし、彼奴らが市民権を得てしまったことも、また事実。完全に失脚させるのは、得策とは言えぬだろう」
一拍置いて、バジレットの顔つきが険しくなる。
寝台横の椅子に座るルーフェンを見ると、バジレットは、決意したように言った。
「次の王位は、私が継ごう。教会の行きすぎた台頭を防ぐためにも、今、この国には、王という絶対的な権力者が必要だ。王権を持てば、その下に立つ教会の動きを、抑制することができる。……したらばルーフェン、そなたも教会に並び、私の下に立て」
「…………」
バジレットの目を見れば、彼女が、私欲で王位を継ぐなどと言っているわけではないことは、すぐに分かった。
分かっていて尚、視線を反らすと、ルーフェンは言った。
「……前王は、シャルシス様が成人なさるまでは王は立てず、分権させよと」
「ああ、そうであったな。だが、最終的には、そなたの意向に従えとも、遺書に記しておる」
間髪入れずに反論して、バジレットは、ルーフェンの目を見つめてくる。
彼女はルーフェンに、選べ、と言っているのだ。
次期国王を、立てるかどうかも含め──すなわち、この国の行く末を、この場で選び、決めろと言っている。
そう告げてきたバジレットの瞳には、かつてと同じ、強い光が戻っているような気がした。
ルーフェンは、束の間沈黙していたが、やがて、小さく笑むと、静かな声で返した。
「……そうですね。貴女が良いと仰るならば、王は立てるべきでしょう。ハーフェルンのマルカン侯も、前王太妃が継ぐというなら、口の出しようがないはずです。私も異論はありません。……ただ、一つだけ、お願いがございます」
目を細めたバジレットが、先を促す。
ルーフェンは、淡々とした声の調子のまま続けた。
「……軍部における召喚師制を、廃止にして頂きたいのです」
バジレットが、大きく目を見開く。
この発言には、監視役の魔導師たちも驚いたのか、思わず身動いだ。
バジレットは、厳しい口調で尋ねた。
「どういうことだ。そなたは、私に仕えることを、拒むというのか」
「……そういうことになりますね」
躊躇いなく答えたルーフェンに、魔導師たちが殺気立つ。
彼らを目線で制すると、バジレットは、ルーフェンに向き直った。
「何のつもりだ。今、そなたは、私を次期国王に選ぶと言った。王命に背くことは、極刑に値する重罪ぞ」
バジレットの言葉を、ルーフェンは鼻で笑った。
途端、彼女の眉間に、深く皺が寄る。
ルーフェンは、寝台の方に身体を向けると、軽く頭を下げた。
「いえ、失礼いたしました。昔、ご子息のエルディオ様からも、同じようなことを言われたことがあったなと、思い出しまして……。私がまだ、次期召喚師であった頃のことですが」
険しい表情のまま、バジレットは、ルーフェンを睨んでいる。
ふと、目を伏せると、ルーフェンは言い募った。
「私を処刑台に立たせたいなら、お好きになされば良いでしょう。まあそうなれば、結局、召喚師制は廃止になりますがね。……カーライル公、貴女には出来ませんよ。少なくとも、私が召喚師である内は」
ルーフェンは、薄く微笑んで見せた。
「義理の娘を殺され、息子も殺され……それでも貴女は、シルヴィアを殺しませんでした。なぜなら彼女は、当時召喚師であったから。殺しておけば良かったのに、殺さなかったんですよ。……私も、貴女も」
「…………」
銀色の睫毛が、ふっと影を落とす。
涼やかな表情とは裏腹に、膝上で握られていたルーフェンの拳には、力が入っているようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.384 )
- 日時: 2021/01/28 19:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
眉をひそめて、バジレットは問うた。
「……何故そこまで、そなたは召喚師でいることを拒むのだ。理由があるなら、申してみよ」
寝台を照らす燭台の炎が、ゆらゆらと揺れる。
本来は日が高い時間帯であったが、外は連日の雨模様で、室内も薄暗かった。
不意に、笑みを消すと、ルーフェンは唇を開いた。
「……カーライル公、貴女にだけは、真実をお話しておこうと思っていました。ですがこれは、決して、誰にも知られてはならないことです。どうか、お人払いをお願いしたい」
そう言って、控えている魔導師たちのほうを一瞥すると、魔導師たちは、さっと顔を強張らせた。
「召喚師様、恐れながら、我々は貴方様から目を離さぬようにと仰せつかっております。この場を去るわけにはいきません」
ルーフェンは、肩をすくめた。
「まあ、そう言われるかとは思ってましたが。街を焼いたような人殺しを信じる気にはなれないでしょうが、誓って、次期国王を傷つけるような暴挙には出ませんよ。信じてもらえませんか?」
「し、信じる信じないの問題ではなく……!」
抗議した魔導師たちを、手をあげて止め、バジレットは、ルーフェンを見た。
しばらくの間、バジレットは、探るようにルーフェンを眺めていたが、ややあって嘆息すると、魔導師たちのほうに振り返った。
「下がれ。私が呼ぶまで、この部屋には誰も近づけるでない」
「閣下!」
目を剥いて、声をあげた魔導師たちが、考え直すようにと言い含める。
しかし、バジレットの意見が変わらないと悟ると、魔導師たちは、渋々寝室を出ていったのであった。
彼らが退室してから、周囲に他の気配がないかを探ると、ルーフェンは、意外そうに眉をあげた。
「……ありがとうございます。寛大なご処置に、感謝いたします」
バジレットは、息をついて答えた。
「御託は良い。知られてはならぬ話とは、一体なんだ」
ルーフェンは、真剣な顔つきになると、同じ言葉を繰り返した。
「……今からお話しすることは、言うなれば、失われていくべき遺物のようなものです。絶対に口外しないと、約束してください。勿論、シャルシス様にも」
念押しされて、バジレットは目を細めた。
内容も聞かぬ内に返事をするのは、躊躇いがあったのだろう。
だが、口外しないと誓うまでは話さない、といったルーフェンの態度に、バジレットは、ややあって首肯した。
ルーフェンは、一度座り直すと、間を置いてから、静かな声で告げた。
「……召喚術は、決して一族特有のものではなく、誰にでも使えるものなのです」
バジレットが、その言葉の真意を探るように、ルーフェンを見つめる。
まだ、事の重大さに、気づいていないのだろう。
ルーフェンは言い募った。
「皆の言う召喚師一族というのは、ただ単に生まれ持っての魔力量が多く、元から“悪魔”という存在を憑依させているだけの人間に過ぎません。言わば、悪魔を入れておくための“生きた器”なのです。普通の人間でも、悪魔と呼ばれるものを作り出し、召喚することはできます。条件は、召喚に必要な魔力分の人間の死、それだけです。有り体に言えば、大勢の人間を生け贄に差し出せば、誰でも召喚術を行使できるということです。今までは、召喚術は召喚師にしか使えない、という、ある種の暗示に近いような、確固たる先入観がありました。故に、自分が召喚術を使おうなんて、思い付く者すらいませんでしたが、ふとしたきっかけで、それに気づいた者がいます。数月前、シュベルテを襲ったセントランスが、まさにそうです」
バジレットの顔色が変わる。
ルーフェンは頷いて、そのまま続けた。
「これは私の推測ですが、おそらく召喚術は、生体に関する禁忌魔術、もしくは生体を扱うような高度な錬金術、精製術、それらに近い類いのものなのでしょう。禁忌魔術は、絶大な効力を発揮する代わりに、相応の代償を必要とする魔術です。境界線は曖昧ですが、広義に括れば、召喚術も当てはまります。悪魔の正体に関しては、私もはっきりとは分かりません。ですが、私達の始祖は、召喚術を見出だし、そして、それを秘匿の魔術としたかったのでしょう。そのために、まず、魔語という、召喚師一族しか読解できない隠語を作り出した。ただの隠語に過ぎませんから、突き詰めて調べれば、きっと魔語を従来の古語で書き表すことも可能でしょう。ただ、魔語と古語では、かなり言語体系が違うので、今のところはその表し方が分かっていない、というだけの話です。その上で、始祖は時間をかけ、『召喚術は召喚師にしか使えない』という“前提”を作り、それをまるで史実であるかのように伝えてきた。なぜなら、こんな力を、日常的に誰でも使うようになれば、それこそサーフェリアが……いえ、この世界が、崩壊してしまうからです」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.385 )
- 日時: 2021/01/28 19:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンは、自分の掌に視線を落とした。
「正直私は、何故見出だした時点で、こんな恐ろしい力を世から消し去らなかったのか、不思議でなりません。捨てるには惜しかったのか、あるいは何か理由があったのか……そればかりは、先人にしか分からないことでしょう。ですが、その先人たちの意向を踏みにじってでも、私は、この召喚術を封じるべきだと思っています。こんな力、人間が持っているべきではない。幸いというべきか、セントランスの件は既に片付いていますし、関与した可能性がある教会も、わざわざシルヴィアを消しかけたということは、召喚術が一般にも使えるなどとは気づいていないのでしょう。召喚術は、召喚師の系譜にしか扱えない──この認識が浸透している内に、今すぐにでも、召喚師制を廃止にし、召喚術という存在そのものを、人々の認識から消し去るべきです。サーフェリアの召喚師は、私が最後で良い」
「…………」
どこか冷ややかな響きを以て、そう言い切ったルーフェンを、バジレットは、信じられぬものを見るように凝視していた。
束の間、重苦しい静寂が、室内を包む。
ゆっくりと息を吐くと、バジレットは、震える手で額を覆った。
「……そなたの言いたいことは、分かった。……だが、ならぬ」
それだけ言って、バジレットは黙ってしまった。
だが、やがて手を下ろすと、再び口を開いた。
「海を越えた先にある他国にも、召喚師は存在すると聞く。その脅威がある以上、そなたの力を手放すわけにはいかぬ。召喚師一族以外が、召喚術を使うべきではないというなら、尚更だ。……要は、今までのように、『召喚術は召喚師にしか使えない』という認識を保ち続けながら、それを使おうと考える者を出さなければ良いのだろう。ならば、そのようにして、私に仕えよ。長年、この国の中枢にいたという意味では、我らカーライルの一族と、そなたらシェイルハートの一族は同じだ。今更、死ぬことでその歴史を終わらせようなどと……そのような考えは、許されぬ。少なくとも、この時代が変わるまでは」
ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「……反召喚師派が増えている、今が、その時代の変わり時かと思って言ったんですがね。まあ、貴女の目が黒い内は、従来の体制を貫くと……そういうことでしたら、私は従わざるを得ません」
案外あっさりと引いたルーフェンに、バジレットが、驚いたように瞠目する。
ルーフェンの声音から、先程までの冷ややかさは消えていた。
「……ルーフェン、そなた」
「半分冗談ですよ。ただの“お願い”でしたからね。どこまで聞いてくださるのか、試しただけです。教会との衝突や、魔導師団の建て直しのこともありますし、今はまだ、この国には召喚師が必要でしょう。それに背くほど、私は薄情じゃありません。何より、先程は、貴女が私を殺せるはずがないと確信していたから、大見得を切ったんです。召喚術を消し去るためとはいえ、今すぐ処刑されるなんて流石に御免です」
次いで、遠くを見るように目を伏せると、ルーフェンは言葉を継いだ。
「……ただ、召喚師を私の代で最後にする、というのは本気です。だからこそ、私の就任中は、今お話ししたことが、世間に広まるようなことがあってはなりません。セントランスで起きたことも、アーベリトで起きたことも、知られるわけにはいかない。シルヴィアが悪魔の餌食にしたアーベリトの人々を、私は、殺さざるを得なかった。ですが、そんなことを明言すれば、シルヴィアが召喚術を使ったことが明らかになってしまう。人によっては、何故召喚師でないはずのシルヴィアが、召喚術を行使できたのかと、疑問に思う者も出てくるでしょう。そうなれば、認識は一気に崩れます。現に、崩れかけたと私は思っています」
「…………」
神妙な面持ちのバジレットに、ルーフェンは、微苦笑を向けた。
「きっと、楽じゃありませんよ。召喚術は、冷酷でおっかない、天下の召喚師様にしか使えないんです。なんなら、口に出すのも憚られるような、忌むべき存在だと敬遠されるくらいがちょうど良い。ですから、アーベリトを陥落させた罪は、私が全て被ります。これから、反召喚師派の人間はどんどん増えていくでしょう。そんな中で、私を城に置こうというのですから、貴女も難癖をつけられるかもしれませんね、陛下」
ふざけた口調のルーフェンに、バジレットは、呆れたように溜め息をついた。
少し疲れを滲ませた様子で目を閉じ、バジレットは、長い間黙っていたが、ふと、目を開くと、低い声で言った。
「……そなた一人に、全てを負わせるつもりはない。現状、アーベリト陥落の首魁として疑われているのは、ルーフェン、そなただ。召喚術が召喚師一族のものであると突き通す以上、それは否定出来ぬし、疑われてあるべきだというそなたの言い分も、今の話で理解した。だが、大罪人は処罰せねばならない。そなたを私の元に置く、大義名分が必要だ」
居住まいを正すと、バジレットは、ルーフェンをまっすぐに見た。
「──反逆罪で、シルヴィア・シェイルハートを処刑する。そなたが執行しろ。そして、全ての罪が、あの女にあることを公言してみせよ。それが真実があっても、なくてもだ。それでもそなたを疑う者、シルヴィアが召喚術を行使したことに疑問を持つ者は出るだろう。しかし、あの女も元は召喚師だ。普通の人間が行使したと出回るよりは、誤魔化しが利く。そなたは無辜の召喚師として、私に仕えるのだ」
ルーフェンは、瞬きを忘れて、バジレットを見つめていた。
予想範囲内の提案だったというのに、不思議と、返す言葉が浮かばなかった。
沈黙したルーフェンに、バジレットは、厳しく言い放った。
「躊躇うな。あの女が、全ての元凶であることは、事実だろう」
我に返って、ルーフェンは首を振った。
「躊躇ってませんよ。頼まれなくとも、申し出るつもりでした。私が適任でしょう」
「…………」
小さく笑みをこぼしたルーフェンに、バジレットが表情を曇らせる。
その時、不意に、カーン、カーンと、伸びやかな鐘の音が響いてきた。
正午を知らせる、鐘の音だ。
ルーフェンは、窓の方を見て、鬱屈とした空模様を眺めた。
「あまり長話をすると、追い出された魔導師たちが怒りそうですね。この話は、終わりにしましょう」
「……良い。表向き示しをつける必要があっただけで、近々、そなたの監視は無くすつもりであった」
「それは、ありがとうございます。ですが、陛下をこのまま一人にするわけにはいかないでしょう。……彼らを呼び戻してきます」
言いながら、ルーフェンが椅子から立ち上がる。
扉から出ていこうとしたルーフェンの背中に、バジレットは声をかけた。
「……そなたを解放してやることができず、すまない」
取手に手を掛けたところで、一瞬、ルーフェンは動きを止めた。
振り返らずに、「いいえ」とだけ答えると、ルーフェンは寝室を出ていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.386 )
- 日時: 2021/02/02 09:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
ジークハルトから、シルヴィアの処刑が決まったことを知らされたのは、トワリスとハインツが、ようやく立って歩けるようになった頃であった。
珍しく、朝からアレクシアを連れ立って、二人が寝泊まりしている居館を訪れたジークハルトは、バジレットが出した布告について、トワリスたちに語って聞かせた。
サミルに代わり、前王太妃であるバジレットが次期国王になること。
勾留を解かれたルーフェンが、シュベルテに籍を戻し、教会率いる騎士団と並んで、魔導師団を総括する召喚師として立つこと。
そして、アーベリトを侵した反逆の罪で、シルヴィアの処刑が決まったこと。
城下は今、これらの話で持ち切りなのだという。
居館の客室を借りて、ジークハルトの話を聞いていたトワリスとハインツは、聞き終えた後も、釈然としない顔つきをしていた。
触れは出たものの、バジレットは、トワリスたちが伝えたアーベリト陥落までの経緯を、他の誰にも公表しなかったからだ。
シルヴィアの処刑が決まったとはいえ、世間では、未だ多くの憶測が飛び交っていた。
例えば、アーベリトを攻め落としたのは、セントランスの残党だとか、シュベルテの遷都反対派だとか、そういった、出所不明の噂である。
そして、何より横行していたのは、ルーフェンが今の地位を守るために、シルヴィアに罪を被せたのではないか、というものであった。
当事者であるトワリスたちからすれば、声を大にして否定したいところであるが、こんな噂が立ってしまうのも、仕方のないことであった。
そもそも、大半の人間は、シルヴィアがアーベリトにいたこと自体、知らなかったはずだ。
とりわけ、魔術に詳しくない一般人は、既に召喚師の座から下りたはずのシルヴィアが、街一つを潰すほどの力を持っているなんて思わないだろう。
アーベリトの被害状況を聞けば、教会側の人間でなくとも、現召喚師を疑いたくなるのは分かる。
だからこそトワリスは、自分達が見聞きしたものをバジレットに伝えたのというのに、彼女は、一向にそれを世間に公開しようとせず、噂を否定することもしない。
それどころか、アーベリトで見たことは、決して他言しないようにと口止めまでしてきた。
たった一言だけでも、ルーフェンの無実を訴えてくれれば良いのに、バジレットは、唐突に、シルヴィアを処刑するという決定事項のみを公表したのだ。
人々が、素直に受け入れられず、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのは、自然な流れのように思えた。
長机を挟み、向かいの長椅子に座っているトワリスとハインツを見て、ジークハルトは嘆息した。
先程から、トワリスたちは、用意された紅茶の湯気を見つめたまま、ずっと押し黙っている。
バジレットの布告内容を、反芻しているのだろう。
居心地が悪そうに身動ぐと、ジークハルトは口を開いた。
「気持ちは分かるが、今は無理にでも納得してくれ。俺達もカーライル公──陛下には、民への情報開示を願い出たんだが、逆に城外での箝口令を敷かれてしまった。直前まで、陛下はルーフェンと話し合っていたようだから、二人で取り決めたことなんだろう」
豪奢な室内を見回して、ジークハルトは、わずかに声をひそめる。
トワリスは、浮かない表情のまま、返事をした。
「色々と計らってくださって、ありがとうございます。別に、バーンズさんたちに不満があるとか、そういうことではないんです。……ただ、やっぱり、こんなのおかしいと思って。召喚師様は、ずっとアーベリトを守ってきた人なのに……」
ジークハルトの隣で、長椅子の手すりに寄りかかっていたアレクシアが、面倒臭そうに口を挟んだ。
「ようやく起き上がったって言うから来てみれば、うじうじと鬱陶しいわね。陛下が一方的に決めたわけじゃないなら、召喚師様は、自分が疑われ続ける可能性も予測していたってことでしょう? だったらいいじゃない。罰せられるのは、結局のところ前召喚師のほうなんだし」
「そ、それはそうだけど……。誰かがはっきり噂を否定しないと、間違った話が広がっていくばかりじゃないか。シルヴィア様が処刑されて、はい、それで解決、とか……そんな簡単に片付けて良い話じゃないだろ」
反論してきたトワリスに、アレクシアが片眉をあげる。
声を抑えろ、と注意してきたジークハルトを無視して、アレクシアは、手の爪をいじりながら答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.387 )
- 日時: 2021/01/29 18:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「あながち間違いでもないじゃない。きっかけは前召喚師のほうだったのかもしれないけど、実際にアーベリトを炎上させて、被害を拡大させたのは現召喚師なんでしょう? どっちもどっちってところね」
トワリスは、きっとアレクシアを睨みつけた。
「違う! 召喚師様がアーベリトを焼いたのは、シルヴィア様を止めるためだったんだよ。理由もなくやったわけじゃない」
「ふーん? じゃあその理由とやらの詳細を言ってみなさいよ。言えないんでしょう。陛下に口止めされているから」
「そ、それは──」
「あのね、言えない理由なんて、部外者からすれば、ないのと同じなの。仮に貴女が、理由は言えないけど噂は嘘ですって馬鹿みたいに否定して回ったところで、所詮は出所も分からない噂を言い触らしている、有象無象と同列になるのが落ちよ。つまり、ここでぐちぐち文句を垂らしても、意味がないわけ。お分かり? ああ、これだから脳筋獣女は……」
熱が入ってきた言い争いに、困惑したハインツがおろおろと視線を動かし、ジークハルトが頭を抱える。
衝撃で長机を揺らし、勢い良く立ち上がると、トワリスは言った。
「今、私のことは関係ないだろ! 大体、アレクシアはあの場にいなかったじゃないか。どっちもどっちとか、いい加減なこと言わないで!」
アレクシアは、やけに演技がかった口調で返した。
「いたわよ。私、新興騎士団の連中に紛れてたんだもの。まあ、戦いに巻き込まれたくなかったから、離れたところで視てたけれど、眺めてて感じたわ。現召喚師様は、やたらと力を誇示して、随分簡単に人を殺すのねって。でも、そう思われたって仕方がないでしょう? あの隊列の中にいたのは、元が世俗騎士団や、魔導師団に所属していた人間がほとんどだったもの。言わば、私達はかつての仲間を、見るも無惨に殺されたってわけ。それでもって、アーベリトの人間まで燃やしたって言うんだから、私には“あの”召喚師様が、ただの殺人狂にしか見えなかったわね」
「あの時は、そっちが先に襲いかかってきたんじゃないか! かつての仲間って言ったって、教会側に寝返った人達だろう!」
「城を追われて、裏切りざるを得なかった人もいたかもしれないじゃない。それに、教会側でなくたって、アーベリトが王都に選出されたことや、そもそも召喚師制に反対している人は沢山いるわ。そういう反対派は、全員殺されて当然だっていうの?」
「そんなこと言ってないでしょ! どうして私達を悪者にしたがるのさ。アレクシアはもう黙ってて!」
トワリスは、今にも殴りかかりそうな勢いで声を荒らげたが、アレクシアは、大袈裟な口ぶりで続けた。
「シュベルテを見捨てたと思ったら、今度はアーベリトまで焼き払った異端の一族。反対派は持ち前の召喚術で武力制圧、血も涙もない冷酷無慈悲な死神、圧制者。自分が批判を浴びたら、その罪を全て母親に擦り付け、母親は死刑、自分は平然と召喚師の座へ。ああ、召喚師一族とはなんと恐ろしく、穢らわしいのでしょう。邪悪で下劣、権力と暴力を振りかざす諸悪の根源。召喚師一族なんて、いなくなってしまえばいいのに……」
いよいよ目つきを鋭くしたトワリスが、毛を逆立てるようにいきり立つ。
しかし、彼女が牙を剥く前に、アレクシアは、ぐいと顔を近づけて、言った。
「──って、召喚師様が、私達にそう思わせるための、演出に見えたけど?」
「……演出?」
動きを止めたトワリスが、ぱちぱちと瞬く。
トワリスから身を引いて、アレクシアは、ふっと鼻を鳴らした。
「そ、演出。異分子を袋叩きにするの、皆大好きでしょ?」
言い置いて、アレクシアは、トワリスたちにくるりと背を向けた。
「なーんか、全部思い通りにされてるって感じで、気に入らないわね。掌で踊らされてるって言うの? 私、踊る側になりたくないから、さっさと下りるわ」
突然熱が冷めたのか、アレクシアは、そう言いながら、軽い足取りで客室を出ていってしまう。
残された三人は、そんな彼女の後ろ姿を、しばらくぽかんとして見送っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.388 )
- 日時: 2021/01/29 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「あいつ、見舞いに来たんじゃなかったのかよ……」
ふと、ジークハルトが、呆れたように呟く。
やれやれと首を振って、ジークハルトは、トワリスたちに向き直った。
「分かっていると思うが、アレクシアの言ったことは気にするな。アーベリトに来た新興騎士団の連中は、確かに見知った顔が多かったが、どんな理由があろうと、本来の矜持を無くした離反者には変わりない。それに、戦場での出来事だ。武器を手にした以上、殺した殺されたで文句は言えないはずだ」
「……はい。すみません、私、つい言い返してしまって……」
ジークハルトに返事をしながら、トワリスは、椅子に腰を下ろした。
喉が渇いたのか、ジークハルトが、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを手にとって、一杯すする。
沈黙が気まずくなって、トワリスも紅茶を飲むと、それを見たハインツも、何故か慌てたようにカップを持った。
三人はしばらく、黙ったまま、意味もなく紅茶をすすっていたが、不意に、カップを卓に戻すと、ジークハルトが切り出した。
「……悪かったな。あの日、王宮に行ったルーフェンを、俺達が引き留めたんだ。何事もなく、あいつがアーベリトに戻っていれば、あんなことにはならなかったかもしれん」
はっと顔をあげて、ジークハルトを見る。
あの日、というのは、アーベリトがシルヴィアによって落とされた日のことだろう。
トワリスは、慌てて首を振った。
「そんな……謝らないでください。予測し得なかったことですし、むしろ、バーンズさんには沢山助けて頂きました。あのことは、アーベリトにいたのに、食い止められなかった私達にも原因はあります」
そう言って、俯いたトワリスに、ジークハルトは尋ねた。
「……お前たちは、これからどうするつもりなんだ」
「どう、とは?」
「魔導師を続けるのか?」
はっきりと聞かれて、トワリスは目を丸くした。
最近まで、精神的にも肉体的にも余裕がなかったので、今後のことは、あまり考えていなかった。
本来であれば、別の勤務地に赴き、そこでまた魔導師として働くことになるのだろうが、今は、シュベルテの魔導師団本部が、壊滅しているような状態である。
ジークハルトを手伝って、魔導師団の建て直しに尽力するか、あるいは別の道を探すか、選ぶなら今の内だろう。
一度、ルーフェンにも相談してみたかったが、もうアーベリトにいた時のように、気軽に会えるかどうかは分からなかった。
返事に迷った様子で、紅茶をちびちびと飲んでいるトワリスに、ジークハルトは、事も無げに言った。
「……これは、ただの提案なんだが、お前たち、宮廷魔導師にならないか」
瞬間、紅茶を噴き出しかけて、トワリスは激しくむせ返った。
何事かと目を剥いたハインツが、トワリスの背中を叩く。
口元を拭い、なんとか呼吸を整えると、トワリスはジークハルトを見た。
「きゅっ、宮廷魔導師……って仰いました?」
「ああ」
平然と頷いたジークハルトに、トワリスの表情が固まる。
宮廷魔導師とは、魔導師の中でも特に優れた武勇を持ち、かつ国王と召喚師に選出された者のみが与えられる、最高位の称号だ。
去年、ジークハルトが二十歳で最年少の宮廷魔導師となり、ちょっとした騒ぎになっていたのを覚えている。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.389 )
- 日時: 2021/01/29 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
きょとんとして首を傾げるハインツに、トワリスは、辿々しく説明をした。
「あ、あの、宮廷魔導師って言うのはね、王宮お抱えの魔導師みたいなものなんだけど……。私達みたいな新人が、おいそれとなれるようなものじゃないんだよ……」
言いながら、ハインツからジークハルトへと視線を移し、本気で言っているのかと顔色を伺う。
ジークハルトは、背もたれに寄りかかると、泰然と返した。
「従来の宮廷魔導師団とは、また違う形になっていくだろうがな。俺以外の宮廷魔導師は、セントランスから襲撃を受けたときに、殉職したんだ。今は、やれ選定だの、叙任式だの、そんなことをやっている暇はない。だから、勤まりそうな奴に、俺から声をかけている。まあ、そこのリオット族のお前……ハインツだったか。お前は、正式には魔導師ではないし、リオット族は召喚師に個人で雇われているようなものだから、もし宮廷魔導師になるなら、一度訓練生から学ぶ形になるとは思うが」
「…………」
有り難いような、恐れ多いようなジークハルトの言葉を、トワリスとハインツは、目を白黒させながら聞いていた。
滅茶苦茶な卒業試験を終え、ハーフェルンで、雇い主に煙草の煙を吹き掛けられながら働いていた魔導師一年目のトワリスが、その一年後くらいに、宮廷魔導師にならないかと誘われているなんて知ったら、一体どんな顔をしただろう。
追い付かない思考を回しながら、背筋を伸ばすと、トワリスは尋ねた。
「いえ、その……とっても、光栄なお話です。でも、本当に私達なんかで勤まるでしょうか」
「知らん。それはお前たち次第だ」
「で、ですよね……」
容赦なく撥ね付けられて、思わず身体を縮ませる。
ただ、と付け加えて、ジークハルトは言った。
「──お前たちは、召喚術などという化け物じみた力を相手に、最後まで戦った。状況は違うが、シュベルテが襲撃を受けたときは、今まで幾度も修羅場をくぐり抜けてきたような騎士や魔導師でも、恐怖で動けなくなったんだ。そいつらがどうという話ではなく、今回は、それくらい異常な事態だった。話を聞く限りでは、アーベリトもそうだったんだろう。……だが、お前たちは戦った。それは誇るべきところだ」
「…………」
一瞬、ロンダートたちの顔が浮かんで、トワリスは言葉を詰まらせた。
最後まで戦ったのは、自分たちだけではない。
アーベリトを守ろうとしたのも、自分たちだけではなかったのだ。
次いで、ジークハルトは、何か嫌なことを思い出したように、眉を寄せた。
「それに、あいつも宮廷魔導師になるしな……」
「……あいつ?」
「アレクシアだ」
今度は、持っていた紅茶のカップを落としそうになって、トワリスが慌てる。
何故彼女が、と目で訴えると、ジークハルトは舌打ちをした。
「新興騎士団に紛れて、うまく俺達に情報を流せたら、宮廷魔導師に推薦するという約束をしてしまったんだ」
「……な、なるほど。確かに、訓練生時代から、アレクシアはいろんな意味で強かったですが……」
当時のことを思い出して、トワリスが、ひくっと口元を引きつらせる。
ジークハルトは、深々とため息をついた。
「アレクシアに関しては、全てにおいて問題しかないが……ただまあ、あいつは眼が良いだろう。あれは、優れた才能というか、他の誰も持っていない強みだと思う」
率直に言い切ったジークハルトを、トワリスは、少し驚いたように見つめた。
ジークハルトとアレクシアが、いつ頃から知り合いなのかは分からないが、思えば、卒業試験後に彼女が謹慎していた時、二人で会っていたから、案外古い付き合いなのかもしれない。
口ぶりからして、ジークハルトはアレクシアの眼のことを知っているようだったし、それに対して、悪い印象を抱いている様子もなかった。
ジークハルトは、懐から腕章を二つ取り出すと、それを長机に並べた。
「あの、これは……?」
「宮廷魔導師の腕章だ」
ぎょっとして、トワリスが目を見開く。
普通に腕章に触ろうとしたハインツの手を叩き落として、トワリスは言った。
「あの、まだお返事してません」
ジークハルトは、分かっている、という風に頷いた。
「別に、そういう意味じゃない。お前たち、体調が回復したら、アーベリトの避難民たちのところに行くだろう。今、講堂は一般の魔導師じゃ入れないから、この腕章を預けておく。行ったときに、衛兵に提示するといい。俺の名前を出して、宮廷魔導師の腕章を見せれば、通してもらえるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
ほっとしたように肩を撫で下ろして、トワリスが頭を下げる。
飲み終わった紅茶のカップを置いて、立ち上がると、ジークハルトは言った。
「宮廷魔導師になるかどうかの件は、迷うくらいならやめておけ。最近までは、名誉なことだと阿呆みたいに囃し立てられる立場だったが、世情を考えると、この先はどうなるか分からん。明日にでも、教会の急進派に襲撃されて潰れるかもしれないし、魔導師団自体が見限られて、立ち行かなくなるかもしれない。……それでも、魔導師としてやっていくつもりなら、俺に言え」
ふっと目を細めると、ジークハルトは、威圧的な光を瞳に浮かべて、トワリスとハインツを見た。
それから、背もたれにかけていたローブを羽織ると、さっさと客室を出ていってしまう。
サーフェリアの国章が彫られた、宮廷魔導師の腕章。
机に置かれたその腕章を、トワリスは、じっと目を凝らして見つめていたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.390 )
- 日時: 2021/01/30 19:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
カーン、カーンと、正午を知らせる鐘が鳴る。
長廊下に響く雨垂れの音を聞きながら、ようやく配給の待機列を抜けたカイルは、リリアナとダナの分のスープも持って、講堂の中に戻った。
講堂では、カイルたちの他にも、合計で百数十名ほどのアーベリトの避難民たちが、各々俯いて、スープを飲んでいた。
見上げると、思わず気が遠くなるほど高い梁天井や、様々な色硝子を組み合わせて作られた、絵画のような大窓。
アーベリトではなかなか見られない、豪華で派手な建物に、本来であれば、皆はしゃいだであろうが、今は、そんなものに興味を示す者はいない。
やけに広い講堂の中で、傷つき、疲れはてたアーベリトの人々は、それぞれ身を寄せ合いながら、黙々と暮らしているのであった。
カイルがスープを持って帰ると、リリアナが、高い声をあげて喜んだ。
「わぁ、今日はジャガイモのスープね。美味しそう!」
ほくほく顔で受け取って、リリアナは、早速スープを飲み始める。
天井の高い講堂の中だと、少し声を上げただけでも響いてしまうので、いつも騒がしいリリアナは、よく注目の的になっていた。
最初は、苛立った者に「うるさい」と怒鳴られたものだが、避難生活が続く内に、周囲の方が慣れてきたのだろう。
今では、声の主がリリアナだと分かると、いつものことだと無視されるようになった。
しかし、そんな彼女の空元気が続くのは、日中だけであることを、カイルは知っている。
夜になると、リリアナは、悪夢に魘されては、汗だくになって飛び起き、それを幾度も繰り返しているのだった。
車椅子の傍らに、丸まって落ちている毛布の塊を叩くと、カイルはスープを差し出した。
「ダナさん、起きられる? スープ持ってきたよ」
「……おお、ありがとう。カイル坊」
毛布の隙間から、ひょっこりと顔を出したダナが、スープを受け取る。
その皺だらけの細い手が、微かに震えていることに気づくと、カイルは、自分の分の毛布をダナに押し付けた。
「寒いなら、俺の分の毛布も使っていいよ」
そう言って、スープを片手に床に座ると、ダナが、苦笑しながら毛布を返してきた。
「ええ、ええ。坊が使いな、子供が身体を冷やしちゃいかん」
「子供は体温が高いから、いいんだよ。ダナさんの方が、無理しちゃ駄目。あんたもう年寄りなんだからさ」
「……言うようになったのう」
年寄り扱いされたのが癪に触ったのか、ダナは、カイルの分の毛布もいそいそと着込んで、スープに口をつける。
二人のやりとりに笑ってから、リリアナは、ふと、濡れた窓の外を眺めた。
「雨、なかなか止まないわね……」
そう呟いて、スープをもう一口すする。
あの日から、延々と降り続けている冷たい雨は、人々の心身から、じわじわと熱を奪っていくのだった。
アーベリトが没して、皆の顔からは、すっかり笑顔が消えてしまった。
シュベルテが、雨風を凌げるようにと講堂を解放し、寝床も食事も用意してくれたが、それでも人々は、暗い顔で日々を過ごしている。
家を失い、家族を失い、何もかもを失くしたアーベリトの避難民は、不安と恐怖に押し潰されて、怯えているのだった。
避難先がシュベルテであることも、人々の不安を煽る原因の一つであった。
アーベリトを陥落させた首魁として、前召喚師シルヴィアの処刑が決まったと知らされていたが、それを鵜呑みにして信じている者は、ほとんどいなかった。
というのも、あの日、生き残った人々は、小高い丘の上に建つ孤児院にいたため、アーベリト全体が見渡せる状況にあったのだ。
勿論、遠目から見ていただけなので、一体アーベリトに何が起こったのか、全てを把握しているわけではない。
ただ、アーベリトを覆った見慣れぬ魔法陣や化物、進軍してきたシュベルテの騎士たちの姿を、はっきりと見ている者は何人もいた。
となれば、疑うべきは、召喚術を唯一扱える現召喚師、ルーフェンか、七年前にアーベリトに王権を奪われたシュベルテ軍、もしくはその両方である。
憎むべき相手がはっきりせず、不満を募らせた人々の中には、半狂乱になり、講堂から出ていった者もいた。
敵から施しを受けるくらいなら、死んだほうがましだと考える者も多かったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.391 )
- 日時: 2021/04/15 17:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)
温かいスープを、ゆっくり味わいながら飲んでいたリリアナは、ふと、向かいに座っているカイルが、目を丸くして、講堂の入口を見つめていることに気づいた。
つられて視線を動かし、リリアナも、驚いて目を見開く。
入口に、トワリスとハインツが立っていたのだ。
「──トワリス! ハインツくん!」
思わず大声を出してしまい、はっと口を閉じる。
気を取り直して、ぶんぶんと手を振ると、気づいたトワリスたちが、リリアナたちの元へとやってきた。
「全然顔を出せてなくて、ごめん。大丈夫? その……怪我とか、色々」
控えめな声で尋ねて、トワリスは、リリアナたち三人を見遣る。
リリアナは、こくりと頷いてから、トワリスの手を握った。
「お陰様で、私達は大丈夫よ。やっとお礼が言えるわ。あの日、助けてくれてありがとう。取り乱して、迷惑かけちゃってごめんね」
「いいよ、そんなの、全然」
首を振って、トワリスも、手を握り返す。
リリアナは、どさくさ紛れにハインツの手も握ろうとしたが、気づくと、彼は遠ざかった位置に移動していた。
「私達はなんとかやってるけど、トワリスたちこそ、大丈夫なの? ひどい怪我をしていたんでしょう。ちゃんと治った?」
立て続けに問うてきたリリアナに、トワリスは、苦笑を浮かべる。
縫った右足に手を添えると、トワリスは答えた。
「うん、もう平気だよ。私とハインツは、普通より頑丈だから」
「本当? それならよかった!」
そう言って、リリアナはふわりと微笑む。
しかし、いつもは笑うと、丸みを帯びて紅潮するはずの頬が、心なしか痩けて、血色も悪かった。
おそらく、あまり眠れていないのだろう。
うっすらと目の下に隈を作り、それでも明るく笑顔を浮かべる彼女に、トワリスも、ぎこちない笑みを返したのだった。
不意に、トワリスの袖を引いて、カイルがこそこそと声をかけてきた。
「なあ、トワリス。会えたら聞こうと思ってたんだけど、前召喚師様が死刑になるって、ほんと? それって、アーベリトを襲ったのは、前召喚師様ってことなのか。ルーフェンがやったんじゃないんだよな?」
不安げに尋ねてきたカイルに、思わず、トワリスは口ごもる。
曖昧に首を振って、トワリスは呟いた。
「やっぱり、ここでもその噂が流れてるんだね……」
気落ちした様子のトワリスに、リリアナが、慌てたように付け足す。
「違うの。私達は、ちゃんと分かってるのよ。召喚師様とはお会いしたことがあるし、トワリスやハインツくんからも、沢山お話を聞いているもの。だから、召喚師様がそんなことをする人じゃないって、私達は信じてる。ただ、皆が皆、召喚師様が、どんな方なのかを知っているわけじゃないから……」
言いながら、視線を動かして、講堂内を見回す。
一様に下を向き、生気のない顔で食事をとっているアーベリトの避難民たちを見て、リリアナは、沈んだ声で囁いた。
「……皆、召喚師様か、シュベルテの遷都反対派だった人達がやったんじゃないかって、そう疑ってるみたい。前召喚師様の処刑を知らせてくれた魔導師様に、詳しく聞いたんだけど、はぐらかされちゃって……それで皆、余計に不審がってるのよ」
「…………」
項垂れるリリアナに、答えることもできず、トワリスは、もどかしく唇を噛んだ。
箝口令が敷かれているのは分かっていたが、いっそ、この場で全てを話してしまいたかった。
真実全てを語らないにしても、噂の否定だけでもすれば、人々がルーフェンに抱く認識は、大きく変わるに違いないのだ。
ただ一つ、懸念点を挙げるならば、シュベルテの新興騎士団が進軍してきたことを事実だと知れば、今、そのシュベルテに匿われていることに、避難民たちが一層不安を覚えるのではないか、ということだ。
普段、街中で暮らしている人々、特に、シュベルテ外の人間ともなれば、教会と王家の間にある衝突など、所詮は他人事である。
今回暴走したのは、あくまでイシュカル教会であり、シュベルテを治めるカーライル家は、協定を反古にする気はなかったのだと、この場で説明しても、理解してもらえるかどうか分からなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.392 )
- 日時: 2021/02/02 09:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
トワリスが言葉に迷っていると、ふと、通りすがった避難民の男が、ハインツを見て凍りついた。
ハインツと、次にトワリスの方を見て、何かを確信したように息を飲む。
男は、振り返ると、突然大声で避難民たちに呼び掛けた。
「おい! アーベリトの魔導師様だ! アーベリトの魔導師様がいるぞ!」
男の声に、はっと顔を上げた避難民たちが、わらわらと一斉に集まってくる。
あっという間に避難民たちに包囲されたトワリスたちは、入口付近の壁際に追い詰められ、何事かと身を硬直させた。
避難民たちは、ぎらぎらとした目を動かして、口々に尋ねてきた。
「魔導師様、私達をこのような目に遭わせたのは誰なのですか!」
「どうぞ教えてください! 私は息子と妻を殺されたのです!」
「街に描かれた魔法陣を見ました! あれは、古語ではありませんよね? 召喚師様が、私達を裏切ったのですか?」
「シュベルテは、本当に安全なのでしょうか? 私達は、これからどうなるのですか?」
「魔導師様、お願いします。どうか教えてください……!」
追いすがる人々の声が、幾重にも折り重なって、割れ鐘のように響き渡る。
あまりの剣幕に、萎縮していたトワリスであったが、ややあって、手を上げると、大声で叫んだ。
「い、一旦落ち着いてください!」
人々が口を閉じて、講堂内に沈黙が広がる。
トワリスは、すっと息を吸うと、一言一言、区切るようにして答えた。
「皆さんの……現状を憂うお気持ちは、お察しします。私としても、事態の真相をお話ししたいとは、思っています。……ただ、ごめんなさい。今は出来ないんです。……申し訳ありません」
トワリスが頭を下げると、途端、人々の目に、凶暴な光が浮かんだ。
眉を吊り上げ、ぎりぎりと歯を食い縛り、避難民たちが怒鳴り声をあげる。
「ふざけるな! この役立たずめ! 俺達を見捨てる気なんだろう!」
トワリスは、顔色を変えて否定した。
「違います! 私達は、皆さんが一刻も早く、安心して暮らせるように──」
「だったら話せ! やましいことがないなら、話せるだろう!」
掴みかからんばかりの勢いで、人々は、剥き出した感情をぶつけてくる。
中には、食事に使った匙を投げる者まで出始めて、ハインツは、トワリスを庇うように前に出た。
「待って皆! 焦るのは分かるけど、トワリスたちを責めたってしょうがないでしょう! 二人は、命懸けで街を守ってくれたんじゃない!」
声を張り上げ、リリアナも制止を訴えるが、勢いづいた人々の罵声に飲まれて、その声は届かない。
揉み合う輪の中に入っていこうとするリリアナを、カイルは、必死になって止めるしかなかった。
──その時だった。
突然、煮えた空気を断ち切るような、鋭い打音が響いてきて、避難民たちは、そろって振り返った。
講堂の入口に、ルーフェンが立っている。
響いてきたのは、ルーフェンが、杖で壁を強く打った音であった。
「……失礼。声をかけても、届かないくらいの騒ぎだったので」
場に似合わぬ、悠然とした口調で言って、ルーフェンは微笑む。
アーベリトで着ていたような軽装ではなく、薄青を基調とした正装に身を包んだルーフェンは、神秘的な空気を纏っていて、なんだか別人のようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.393 )
- 日時: 2021/01/30 19:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
瞠目して、こちらを凝視しているトワリスとハインツを一瞥すると、ルーフェンは、避難民たちの元へと歩み寄った。
「長らく、窮屈な思いをさせてしまってすみません。朗報があって来ました。まだ少し先になると思うんですが、皆さんには今後、シュベルテとアーベリトの間にある、ヘンリ村の跡地に移住して頂こうと思っています」
突然の知らせに、避難民たちの間に、ざわめきが起こる。
ルーフェンは、軽い調子で続けた。
「あの辺一帯は、元々カーノ商会の所有地だったんですが、七年ほど前に、訳あって俺が買い取っています。今は更地ですが、アーベリトの皆さんが移住するにあたり、整地とその後の援助も、シュベルテが賄ってくれることになりました。そういうわけなので、今後はシュベルテの管轄となりますが、皆さんが望むなら、独立自治区として、宣言をしても構わないと陛下は仰っています」
喜びというよりも、戸惑いを隠しきれない様子で、避難民の一人が口を開いた。
「あ、あの……アーベリトは? アーベリトには、戻れないのでしょうか?」
ルーフェンは、淡々と答えた。
「アーベリトは、地盤沈下が酷く、建物の倒壊被害も深刻です。今のところ、復興させる予定はありません」
「そ、そんな……」
一様に青ざめた表情になり、人々は、絶望の色を瞳に滲ませる。
顔色一つ変えないルーフェンを、怒りの形相で睨んだ男たちが、前に出て怒鳴りつけた。
「じょ、冗談じゃない! アーベリトには、祖父の代から続く俺の店があるんです! それを、そんな簡単に諦めろだなんて、あんまりじゃないですか!」
「そうだ、横暴だ! 揃いも揃ってアーベリトを守れなかった挙げ句、こんなところまで連れてきて、その上、今度は故郷を捨てろだと? ふざけるな! シュベルテと結託して、落ちぶれた王都民の俺たちを、嘲笑ってるんだろう!」
興奮してわめき散らす男たちに、講堂の隅で抱かれていた赤ん坊が、ぎゃあぎゃあと泣き出す。
ルーフェンは、杖で床を打つと、強めた口調で言った。
「シュベルテへの一時避難も、ヘンリ村跡地への移住も、強制するものではありません」
驚いて、黙り込んだ人々に、ルーフェンは言い募った。
「アーベリトを守れなかったのは、俺の責任です。しかし、陛下や魔導師たちが、貴方達を陥れようなどと画策したり、影で嘲笑っていることなど、全く有り得ません。他に行く宛がある方や、何と引き換えにしてもアーベリトから離れたくないという方は、自分の思う通りにしたらいい」
「…………」
ぐ、と言葉を詰まらせて、避難民たちは悔しげに俯く。
実際、身一つで逃げてきた彼らには、他に頼れるものなどないのだ。
今にも泣き出しそうな女が、懇願するように、ルーフェンに問いかけた。
「では……それでは、シュベルテでないなら、誰がアーベリトを滅ぼしたというのですか。前召喚師様ですか? 一体、何のために? どうか教えてください」
人々が、女に同調して、ルーフェンを見つめる。
ルーフェンは、無感情な瞳を向けると、一呼吸置いてから、唇を開いた。
「……これ以上、俺から伝えられることは、何もありません」
しん、と、講堂内が静まり返る。
避難民たちは、唖然として、言葉を失ってしまったようだった。
身を翻して、出ていこうとしたルーフェンの背を指差して、男が言った。
「あいつだ! あいつがやったんだ! 自分がやったから、何も言えないんだ……!」
室内の空気が、一瞬で変わった。
今まで場に満ちていた不安や怯えが、底知れぬ怒りと憎しみに変化する。
人々は、目を光らせて、一斉にルーフェンを罵倒した。
「人殺し! お前がアーベリトに、不幸を招き入れたんだ!」
「お前が死刑になればよかったんだ! 家族を返せ……!」
異常なまでの熱気を纏い、鋭く発せられた怒声が、ルーフェンを刺し貫く。
トワリスが、咄嗟に間に入ろうとしたとき。
不意に、勢いよく投げられたスープ皿が、ルーフェンに肩に当たって落ち、床の上で砕け散った。
「──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!」
皿を投げたのは、七、八歳くらいの少年であった。
ルーフェンは、顔だけ振り返ると、ふと、目を細めて少年の方を見つめた。
はっと身を強張らせ、気圧されて沈黙した人々の顔に、色濃い恐怖が浮かぶ。
まさか、本当に投げた皿が当たるとは思わなかったのだろう。
すぐに、母親らしき女が駆けてきて、少年を守るように抱えると、踞って、がたがたと震え出した。
張りつめた緊張が、人々の身体を縛り上げる。
ルーフェンは、しばらくの間、震えている親子を見ていたが、やがて、再び身を翻すと、何も言わずに、講堂を出ていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.394 )
- 日時: 2021/01/30 20:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「──ルーフェンさん! 待ってください!」
トワリスは、講堂から飛び出すと、吹き抜けの長廊下へと出ていったルーフェンを追いかけた。
去っていく背中の裾に掴みかかって、思い切り引っ張る。
引きずり倒されそうになったルーフェンは、すんでのところで持ちこたえると、振り返って、驚いたようにトワリスを見た。
「ああ、なんか久しぶりだね。どうかした?」
けろっとした顔で尋ねてきたルーフェンに、思わず絶句する。
先程の出来事を、まるで何とも思っていないかのような飄々とした態度で、ルーフェンは、後ろから追い付いてきたハインツにも、にこにこと手を振った。
「ど、どうかした、じゃないですよ! なんで否定しないんですか!」
「……否定? 何を?」
「噂のことです! 状況分かってますか? アーベリトを陥れたのは、ルーフェンさんだって疑われてるんですよ!?」
所構わず大きな声を出してしまって、はっと口を押さえる。
しかし、引くことはせず、睨むようにルーフェンを見上げると、ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。
「否定しても、仕方ないでしょ。実際、街を燃やしたのは俺なんだし」
「だけどそれは、残っていた人が、悪魔の糧にならないように仕方なく──」
トワリスの言葉を遮って、ルーフェンが、しーっと人差し指を自身の唇に当てる。
目を見開いたトワリスは、数歩、よろよろと後ろに下がると、悲しげに顔を歪めた。
「……どうしてですか。前に、俺が疑われなくちゃいけない、って言っていたことと、関係があるんですか? ……あの日、アーベリトであったことを隠すのは、ルーフェンさんが罪を被って、皆に憎まれてまでする価値のあることなんですか……?」
「…………」
「絶対に他言しないので、理由があるなら、教えてください。力になれるかもしれません」
強気な口調で言って、ぐっと拳を握る。
ルーフェンの、わずかな表情の変化も見逃すまいと、トワリスは、真っ直ぐにその銀の瞳を見つめた。
ふっと、ルーフェンが目を伏せる。
長い間、ルーフェンは、軒樋から落ちる雨垂れの音を聞いていたが、やがて、目をあげると、穏やかな声で言った。
「二人には、本当に助けられたと思ってるよ。ありがとう。……でも、もう、そういうのはいいよ」
トワリスとハインツが、微かに瞠目する。
ルーフェンは、昔を懐かしむように、目を細めて言った。
「二人は多分、俺に恩を感じて、アーベリトに尽くしてきてくれたんだと思うんだけど、そのアーベリトは、もうなくなったんだ。俺は、二人を縛り付けるために助けたわけじゃないし、命を危険に晒してまで尽くしてもらうなんて、全く望んでない。……もう、ここから先は、好きなように生きな」
頭が真っ白になって、言葉が出てこない。
とん、と背を押されて、突然、足場のない空間に、突き放されたような気がした。
ハインツも、同じ心境なのだろう。
黙り込んでしまったハインツを見て、ルーフェンは、申し訳なさそうに言った。
「ハインツくんも、ごめんね。リオット族は、俺を信じて着いてきてくれたのに、アーベリトにいた君の仲間を、今回、巻き込んで死なせてしまった」
「…………」
「陛下とも相談して決めたんだけど、教会の台頭で、今後は俺の傘下にあるというだけで、君達リオット族にも危険が及ぶかもしれない。だから、これを機に、召喚師とリオット族の関係は、断ち切ろうと思うんだ。ただ、君達が都市部でも幸せに、好きなように暮らせるように……と言った、あの時の言葉を撤回する気はない。元々、俺が仲介役として間に入っていたのは、当初は不安定だった君らの立場を、確立するまで守るためだったんだ。……今は、リオット族ありきの商会だってある。勿論、今後も困ったことがあったら、相談してくれて構わないけど、リオット族にはもう、地上に確かな居場所がある。だから、俺の介入は必要ないはずだよ」
言い置いて、すっと手を伸ばすと、ルーフェンは、トワリスの前髪に触れた。
びくっと身体を揺らしたトワリスが、恐る恐る、視線を向けてくる。
何を言われるのかと身構えながらも、絶対に目をそらしてたまるか、と言わんばかりの頑固な目付きに、ルーフェンは、眉を下げて微笑んだ。
「……それじゃあ、元気でね。しばらくは、安静にしてなよ。二人とも、結構な大怪我だったんだからさ」
トワリスから手を引いて、ルーフェンはそう言った。
ひらひらと手を振りながら、踵を返して、長廊下を歩いていく。
トワリスとハインツが、その背中を見ていることに気づいていたが、ルーフェンは、一度も振り返らなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.395 )
- 日時: 2021/01/31 20:18
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
遠ざかっていくルーフェンが、長廊下の角を曲がって見えなくなるまで、トワリスとハインツは、呆然と立ち尽くしていた。
おそらく、もう関わるなと、遠回しに言われたのだ。
それは分かっていたが、引き留める言葉が、何も思い付かなかった。
不意に、ぐすぐすと、鼻をすする音が聞こえてきた。
トワリスの背後で、ハインツが泣いている。
振り向くと、ハインツは、辿々しい口調で呟いた。
「ル、ルーフェン……お、怒った、のかな……俺達、アーベリト、ま、守れなかった、から……」
鉄仮面を外して、涙を手の甲で拭う。
トワリスは、唇を噛むと、違うよ、とだけ返事をした。
手足が冷たく、強張っている。
トワリスはしばらく、俯いて何かを考えていたが、やがて、すっと顔をあげると、ハインツの腕をがしっと掴んで、足早に歩き出した。
「ど、どこ行くの……?」
「地下牢。シルヴィア様に、会いに行こう」
「えっ、ええ?」
困惑するハインツを引っ張って、トワリスは、ずんずんと足を進めていった。
長廊下を抜け、本殿を横切って、アーベリトの数倍はあろうかという主塔へと向かう。
シルヴィアが収容されているのは、その主塔の地下にある牢であった。
湿っぽい石階段を下っていき、息を止めたくなるような黴臭い廊下に出ると、その一番奥の牢に、シルヴィアは捕らえられていた。
通常は、階ごとの出入口にしか番兵はいないが、バジレットの命令で、シルヴィアの周辺は厳重に監視されている。
トワリスは、牢の前に立っている二人の番兵に、腕章を見せると、息を吐くように言ってのけた。
「私達、宮廷魔導師です。シルヴィア・シェイルハートと少し話がしたいので、牢の鍵をください」
「きゅ、宮廷魔導師様……?」
番兵たちは、見たこともない女と大男に宮廷魔導師を名乗られ、明らかに不審がっている様子であったが、本物の腕章を見せられると、訝しみながらも鍵を渡してくれた。
カシャン、と鉄格子の錠を開けて、トワリスは、無遠慮に牢の中に入っていく。
ハインツと番兵たちは、格子の外で、不安げにトワリスのことを見守っていた。
シルヴィアは、両手両足に枷を嵌められ、背後の石壁に鎖で繋がれた状態で、拘束されていた。
座ることしかできないその体勢で、眠っているのか、俯いて目を閉じている。
衣服は黒ずみ、陶器のような肌もくすんでいたが、薄暗い地下牢の中で、豊かに垂れる銀髪だけが、ぼんやりと光っているように見えた。
「こんにちは、トワリスです。シルヴィア様に、お願いがあって来ました」
「…………」
シルヴィアの前で正座をすると、トワリスは、開口一番にそう告げた。
うっすらと目を開けたシルヴィアが、鎖を鳴らして、顔をあげる。
虚ろな目をした彼女を見つめて、トワリスは言い放った。
「明後日、処刑台に立ったら、皆の前で謝ってください」
「…………」
「謝ったって許しませんけど、皆の前で、アーベリトのことは私がやりましたって土下座して、誠心誠意謝ってください」
シルヴィアの目が、ゆっくりと見開かれていく。
震え出した喉で、浅く息を吸いながら、トワリスは言い募った。
「ルーフェンさんが……貴女を庇っているのか、なんなのか知りませんけど、自分が、アーベリトを陥れたんじゃないかって疑われてるのに、全く否定しないんです。陛下までそれに協力して、本当のことを言うなって口止めしてくるし……もう、私達じゃどうしようもありません。だから貴女が、私がやりましたって白状して、ルーフェンさんの無実を証明してください」
「……ルーフェンが……私を、庇う……?」
譫言のように呟いて、シルヴィアが緩慢に瞬く。
夢現で話を聞いていた彼女は、ようやく目が覚めてきたのか、トワリスを見て、ふふっと笑った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.396 )
- 日時: 2021/01/31 20:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「ああ、そう……そうよね。ルーフェンの立場なら、そうせざるを得ないでしょうね……」
トワリスが、怪訝そうに眉をしかめる。
ゆったりとした口調で、シルヴィアは続けた。
「だって、今の私は、ただの魔女だもの……。その私が、召喚術を使ったとなれば、自分にも使えるんじゃないかと、方法を探る者が出てくるでしょう。そうなったら、魔術の在り方が狂ってしまうわ」
トワリスの瞳が、ふっと揺れる。
どこか気怠げに、しかし、それ以上の妖艶さを以て、シルヴィアは微笑んだ。
「それを防ぐには、召喚師である自分が罪を被るしかないけれど、はっきりと自分がやったと断言してしまえば、何らかの形で償わなければ、民への示しがつかない。でも、それは王が決して許さない。……きっと、そういうことでしょう」
「…………」
「ふふ、皆の顔を見るのが、楽しみね。ルーフェンも、バジレットも、私のことを、一体どんな目で見るのかしら……」
そう言って、シルヴィアは、恍惚と溜め息を漏らした。
トワリスの相貌が、膜を張って、ゆらゆらと揺蕩う。
不意に、立ち上がると、トワリスは、シルヴィアの前に近づいていった。
そして、突然、その胸倉を掴みあげると、低い声で言った。
「……そんなこと、どうだっていいんですよ……」
ぎょっとしたハインツと番兵たちが、思わず腰を浮かせる。
それに構わず、トワリスは、喉が裂けんばかりの大声で、繰り返した。
「そんなこと、どうだっていいんですよっ!!」
トワリスの怒声が、地下牢中に響き渡って、一瞬、奇妙な静けさが下りた。
流石に驚いたのか、シルヴィアが、瞠目して固まる。
ぱたぱたっと、頬に涙が流れ落ちてきて、間近にあるトワリスの顔を、シルヴィアは、愕然と見上げていた。
「いいから、絶対謝ってください! ああなったら、ルーフェンさんは、絶対に意見を曲げません。へらへらしてる割に、意外と頑固なので、殴っても蹴っ飛ばしても、きっと吐きません。だから、代わりに、貴女が、折れてください。皆の前で、謝って……っ、それで」
だんだん息が吸えなくなってきて、トワリスは、苦しげに言葉を詰まらせた。
シルヴィアの胸元を絞り上げ、必死になって、喉から声を押し出す。
「……だって、納得いくはず、ないでしょう……! ルーフェンさん、人殺しとか言われたんですよ。サミルさんが死んだのも、お前のせいだとか、根も葉もないこと言われて……。そんなわけないでしょう! サミルさんが亡くなる前に、どうしたらいいか分かんないとか言って、うろうろしてたような人が……っ。おかしいです、こんな、簡単に、アーベリトで積み重ねてきたものが、壊れ……っ、ぅう……」
やがて、手を緩めると、トワリスは、崩れるようにして踞り、背を丸めて泣き出した。
それでもまだ、トワリスは何かを溢していたが、嗚咽と混じって、断片的にしか聞き取れない。
目の前で、身を絞るように泣いているトワリスを、シルヴィアは、戸惑ったように見つめていた。
「貴女……どうしてそんなに泣いているの」
「泣いてません、悔しくて、怒ってるんです!」
本気で分かっていない様子のシルヴィアに、間髪入れずに答える。
トワリスが、目に強い光を浮かべ、顔をあげると、シルヴィアは、動揺したように唇を震わせた。
「分からないわ……貴女、ルーフェンのために、そんなに怒っているの? 何故? 貴女にとって、ルーフェンは、所詮他人じゃない」
トワリスは、喉を鳴らして、歯を食い縛った。
突き上げてきたのは、怒りというより、哀れみだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.397 )
- 日時: 2021/01/31 20:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
一度言葉を飲み込んでから、トワリスは、圧し殺した声で言った。
「……シルヴィア様、貴女は、可哀想な人です……」
シルヴィアの相貌が、大きく揺らぐ。
涙を拭いながら、トワリスは続けた。
「きっと貴女には、分からないんですよ……。貴女にとって、私達は多分、罪悪感を晴らすための道具でしかないんです。殺意とか、憎悪とか、そういうのを向けられることで、貴女は、自分でしてきたことを、精算した気になっているだけなんです」
「…………」
「貴女は、自分のことばっかりで、他のことは何も見ようとしていないし、分かろうともしていない。だから、欲しいものが目の前にあっても、今まで気づけなかったんですよ。自分が見ようとしないから、だんだん、誰にも見てもらえなくなって、結局独りぼっちになってしまったんです。憎まれる以外に、気を引く方法を知らない、可哀想な人です。……分かろうとしていない内は、私の気持ちも、ルーフェンさんの気持ちも、理解できるはずがありません」
シルヴィアの目に、深い悲しみの色が浮かぶ。
突然、親に見放された子供のような、不安定で色であった。
シルヴィアは、ゆるゆると首を振った。
「……そんなこと……ないわ。私は、ルーフェンの気持ちを、よく分かってる。ルーフェンは、私のことを、憎んでいるのよ……」
シルヴィアが、トワリスを見つめた。
見つめていたが、その銀の瞳には、やはりトワリスは映っていない。
会いに行ったとき、彼女の目にはいつも、何も映っていなかった。
シルヴィアは、トワリスではなく、自分に言い聞かせた。
「ルーフェンは……生まれた時から、ずっと私を憎んでいたのよ。私を、殺したくて殺したくて、堪らなかった。だから、私の処刑が決まって、きっと喜んで──」
「──そんなわけないでしょう!」
不意に、振り上がったトワリスの掌が、シルヴィアの頬をぶっ叩いた。
甲高い音が響いて、衝撃で跳ねた銀髪が、はらはらと揺れる。
再び胸倉を掴むと、トワリスは怒鳴った。
「そうやって自己暗示を繰り返してるから、何も見えなくなるって言ってるんですよ! 分かんない人ですね!」
がくがくとシルヴィアを揺らせば、流石にこれ以上は止めねばと、慌てふためいた番兵たちが牢の中に入ってくる。
番兵は、トワリスの脇を抱えて、力ずくでシルヴィアから引き剥がすと、そのままずるずると牢の外へと連れ出した。
「……っい、いいですか! 明後日、謝ってくださいよ! 約束しましたからね……!」
そう捨て台詞を残して、トワリスは、番兵の一人と揉めながら、地上へと引きずられていく。
ハインツは、どうしたら良いのか分からず、しばらく牢の前を行ったり来たりしていたが、ふと、呆然としているシルヴィアを見ると、躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あの……」
シルヴィアが、ハインツに視線を移す。
目が合ったことに驚いて、その視線から逃れるように岩壁に身を隠すと、ハインツは、顔だけを格子から覗かせて、問うた。
「なんであの時、俺達、助けたの……?」
「あの時……?」
「悪魔の術式……解いてくれた……。俺達、意識あったから……?」
「…………」
記憶を巡らせてみて、シルヴィアは、アーベリトを落とした日か、と思い至った。
ハインツが言っているのは、シルヴィアが、召喚術を行使したときのことだろう。
あの時、トワリスとハインツの身体に刻んだ吸魂の術式を、シルヴィアは解いたのだ。
シルヴィアが答える前に、ハインツは、続けて尋ねた。
「あと、孤児院も……なんで、魔法陣の、外にしたの……? 離れてた、から?」
「…………」
シルヴィアは、何も答えなかった。
長い間、不安定な光を瞳に携え、俯いていたが、やがて、緩やかに吐息をつくと、ぽつりと呟いた。
「さあ。よく、分からないわ……」
ハインツが、鉄仮面の奥にある黒い目で、じっとシルヴィアを見つめる。
しばらくそのまま、牢の前で様子を伺っていたが、ややあって立ち上がると、ハインツは、ぺこりと頭を下げた。
去っていくハインツの背中に、シルヴィアは、声をかけた。
「……さっきの子に、伝えておいて」
シルヴィアは、薄く微笑んだ。
「約束は、守れないわ。ごめんなさい。それから……お粥、ありがとうって」
ハインツは、振り返って、少し首を傾げてから、こくりと頷いた。
そして、もう一度頭を下げると、踵を返して、地下牢を出ていったのだった。
残っていた番兵は、しっかりと牢の錠をかけ直すと、再び格子の前に立った。
そして、トワリスを連れ出した番兵が戻ってくると、二人で「さっきのは一体なんだったんだ……」と、嵐のように現れて去っていった、謎の宮廷魔導師二人について愚痴を言い合っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.398 )
- 日時: 2021/01/31 20:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
少し経つと、地下牢は、いつも通りの静寂に包まれた。
徐々に重くなっていく瞼に逆らわず、シルヴィアは、ゆっくりと瞑目する。
深い疲れが、闇の底から手招きをして、夢の世界へと誘っているようだった。
こうして、地下牢で微睡んで過ごしている間、シルヴィアは、ずっとルーフェンのことを考えていた。
彼は、母親を殺すとき、一体どんな顔をするのだろう。
母譲りの顔を歪め、思い切り、その胸に刃を突き立てる。
そんな息子の、深い憎しみの表情を最期に見ながら、自分は死んでいくのだ。
そう考えると、心がすうっと楽になるからだ。
しかし、想像しようとしても、もう、ルーフェンの顔は思い浮かばなかった。
トワリスが言ったように、本当は、ルーフェンの顔など見ていない。
ルーフェンもまた、母の顔など見ていなかったのだろう
彼は、憎しみをシルヴィアに向けていたが、見ていたのは、いつだって別のものだった。
シルヴィアと対峙する時、ルーフェンが見つめていたのは、その足元で、母が踏みつけにしてきた者達だったのだ。
(疲れたなぁ……)
ふう、と吐息をつくと、身体が軽くなった。
自分を見てくれる者は、もういない。
そう思うと、鋭い寂しさが突き上げてきたが、這い上がってきた眠気に身を任せると、そんな寂しさも、どうでもよくなってしまった。
真っ暗な視界の向こうから、無数に伸びてきた手が、全身に纏わりついてくる。
その力に従うと、身体が水中に引きずり込まれたかのように沈んで、シルヴィアは、闇の底へと落ちていった。
トワリスに殴られた頬だけが、微かな痛みを伴って、シルヴィアの意識を繋ぎ止めていた。
傷の治りが、遅くなっている。
もうすぐそこまで、終わりが近づいてきている証拠だった。
不意に、甘い花の香りがして、シルヴィアは目を開いた。
花弁を乗せた風が、ひゅうっと吹き抜けていく。
視界一杯に広がる、色とりどりの花。
そこは、シルヴィアが人生の大半を過ごした、離宮前の庭園であった。
「母上、足元に注意してくださいね」
不意に、下から声がして、シルヴィアは視線を落とした。
まだ、十歳になっているか、いないかといったくらいの黒髪の少年が、シルヴィアの手を握っている。
シルヴィアの一人目の息子──ルイスだった。
「母上! 早くこちらへ来てください! ほらアレイド、お前もぐずぐずするな!」
「あっ、待ってよぉ、兄上……!」
前を向くと、二番目の息子リュートと、四番目の息子アレイドが、ルイスの先を走っていた。
転んだアレイドを、引っ張りあげるようにして、リュートが立ち上がらせている。
騒がしい二人を注意してから、ルイスは、シルヴィアのほうに振り返った。
「申し訳ありません、母上。二人とも、はしゃいでいるのです。今日のためにと、リュートもアレイドも、毎日頑張ってきましたから……」
言いながら、ルイスに手を引かれて、シルヴィアは歩き出した。
鮮やかな花々が、さわさわと風に揺れて、シルヴィアたちを見送っている。
握ってくる手の温もりを感じながら、シルヴィアは、花園に伸びる一本道を、ゆっくりと進んでいった。
「……母上、覚えていらっしゃいますか? 前に、白い薔薇を見てみたいと仰っていたでしょう。実は、庭師に教えを乞うて、空いた花壇を使い、私達でこっそり苗を植えたのです」
心なしか、期待しているような表情を浮かべて、ルイスは語った。
「アレイドが水をやりすぎて、一度枯らしかけたのですが……なんとか持ち直して、ついに今朝、早咲きのものが一輪咲いたのです。私は、満開の時期になってから母上に知らせようと言ったのですが、リュートが、どうしても今日見せたいと言って、聞かなくて……」
「…………」
「でも、とても立派な一輪です。きっと母上も、気に入ってくださると思いますよ」
そう言うと、ルイスは、頬を紅潮させて、嬉しそうに笑った。
「──……」
不意に、涙がこぼれた。
胸が詰まって、止めどなく、ぽろぽろと溢れてくる。
気づけばシルヴィアは、嗚咽を漏らして、子供のように泣きじゃくりながら歩いていた。
ふと、誰かに呼び止められて、シルヴィアは振り返った。
庭園の向こうで、小さな人影が叫んでいる。
月光を溶かし込んだような銀髪と、銀の瞳。
自分譲りの容貌の少年が、こちらを見て、強く何かを訴えかけていた。
シルヴィアは、その少年の言葉を聞こうとしたが、風と花のざわめきが邪魔をして、声が届かなかった。
唇を読もうとしても、涙に濡れた視界では、その姿がぼやけて、よく見えない。
身を翻して、少年の元に行こうとすると、ルイスが、引き留めるように、握る手に力を込めた。
「母上、どこへ行くのですか……?」
不安げな面持ちで、ルイスがこちらを見ている。
同時に、駆け戻ってきたリュートとアレイドが、シルヴィアの腰に、ぎゅうっと抱きついた。
「見てください、母上! 白い薔薇が咲いたのです」
「僕達で毎日お世話をしました、ほら、あそこです!」
アレイドが指差した先──そこに視線を移したシルヴィアは、思わず慄いて、大きく目を見開いた。
それは、白い薔薇が咲く、花壇などではなかった。
ぽっかりと地に空いた穴から、灼熱の業火を噴き上げる、地獄への入口だったのだ。
子供達が、強くしがみついてきて、動かぬ目で、シルヴィアを見上げた。
「母上……私達のこと、捨てたりしませんよね……?」
地獄の口から、真っ赤な溶岩が迸って、じりじりと庭園を焼いていく。
巻き上がった熱風で、焦げて灰になった花々が、黒蝶のようにふわふわと舞い上がった。
シルヴィアは──笑みを浮かべた。
すがり付いてくる子供達を抱きしめて、立ち上がると、少年の方に振り向いた。
「……こっちに来ないで。どこかへ行って」
地面にひびが入り、崩れ落ちていった草木が、逃げる術もなく、暗闇へと吸い込まれていく。
土に深く張った根のように、身体を縛る子供達の背を撫でながら、シルヴィアは続けた。
「……私はやっぱり、貴方のことを愛せない。だって、貴方を見ていると、締め付けられように、胸が苦しくなるの……」
涙を拭って、シルヴィアは、少年に手を振った。
「……さようなら。貴方を愛してくれる人のところに、帰りなさい。今度こそ、本当にさようなら……」
飛び散った火の粉が皮膚を焼き、うねる熱線が長い銀髪を焦がす。
ふと見ると、シルヴィアを引き留めていた子供達は、陽炎のように立ち昇って、跡形もなく消えていた。
もう一度だけ、シルヴィアは振り返った。
銀髪の少年は、いなくなっていた。
紅蓮の炎が、手招くように揺れている。
シルヴィアは、そっと目を閉じると、その中を、ゆっくりと下って行ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.399 )
- 日時: 2021/02/01 18:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
少し弱まった雨の中、濡れた葉を掻き分け、山中を進むと、それは、まだそこに建っていた。
ヘンリ村の跡地近くに、ひっそりと聳える持ち主不明の山荘。
放置された山小屋というには、二階建てと広く、家具まで放置された、さながら幽霊屋敷とでも言うべき不気味なその屋敷は、七年前、カーノ商会から跡地を買った際に、ルーフェンが偶然見つけたものだった。
所々ひびの入った石壁に、這うように伸びた枯れかけの蔓草。
砂埃でくすんだ窓と、色が剥げて変色した屋根。
最初に発見した時は、あまりの不気味さに入る気になれなかったが、人目を忍んで訪れている内に、なんとなく居着いてしまった。
世間から隔離されたような静けさが、当時、十四だったルーフェンの少年心を、秘密基地という響きを以て、見事にくすぐったのだ。
アーベリトに移ってからは、一度も来ていなかったが、最後に訪れたのは、いつだったろうか。
確か、自分用の新しい寝具を、勝手に持ち込んだ時だった気がする。
その頃、よく共にいた宮廷魔導師のオーラントが、「まさか、本気で住む気なんですか」と言って、顔を引きつらせた時の事が、ふと、脳裏に蘇った。
がたつく扉を開くと、七年も放置していた割に、山荘の中は綺麗だった。
綺麗と言っても、埃は溜まっているし、雨続きのせいか、部屋全体が湿っぽい。
ただ、もしかしたら、老朽化でどこか崩れているかもしれない、とか、野党あたりに荒らされているかもしれない、と思っていたので、そういった様子が一切見られないのは、少し意外であった。
外套と上着を脱いでから、家の中を一通り見回すと、ルーフェンは、汚れの染み付いた窓を拭き、薄暗い外の景色をぼんやりと眺めた。
今は雨が降っているので、烟って白んだ風景しか見られないが、小高い山の上に建つこの山荘からは、ヘンリ村の様子が一望できる。
アーベリトの人々が移住したら、この窓から、彼らをそっと見守ることもあるのだろうか。
罪悪感から買い取ったかつての故郷に、まさか、アーベリトの人々が住むことになろうとは、巡り合わせとは不思議なものだと、どこか他人事のように思った。
埃の積もった食卓を、適当に払っていた時。
ルーフェンは、食卓の下の床に、一部分だけ、不自然に沈む箇所があることを見つけた。
そもそも、基本が石造で、床だけ板張りという構造に、違和感はあったのだ。
どうやら、地下に空間があるらしい。
七年前は、気づかなかったことであった。
とんとん、と足で床を叩いていると、突然、ガタンッと音がして、床の底が消えた。
一瞬、床板を踏み抜いたかと焦ったが、どうやら、地下へと続く隠し扉が、衝撃で開いただけのようだ。
ぶわっと舞った埃が収まると、ちょうど人が一人、通り抜けられるくらいの穴が姿を現した。
重みで崩れそうな木製階段を下り、固い石床に降り立つと、そこは、ただの地下倉庫であった。
魔術で光を灯し、暗闇を照らすと、五歩も歩けば行き止まりになってしまうような、狭い室内が浮かび上がる。
両側の壁には、半分腐食した木棚が設置されており、期待外れというべきか、そこには、食器類や、いつのものか分からない酒瓶などが、いくつか並べられているだけであった。
拍子抜けしつつ、食器を一枚、手にとって見ると、やはりそれは、なんの変哲もない陶器の皿だった。
木製でないだけ多少高価かもしれないが、黒ずんで欠けているし、全く値打ちはなさそうだ。
折角、いかにも古くて汚い地下まで、足を踏み入れたのに、損をした気分である。
ルーフェンは、想像以上に埃まみれになっていた自分の姿を見て、思わず苦笑を浮かべたのだった。
こんな姿で戻ったら、トワリスあたりは、一体何をしてきたんだと怒るだろう。
理由を聞いたら、子供っぽいことをするなと、もっと憤慨するかもしれない。
彼女は結構、綺麗好きだ。
一時期、家政婦の不在で、アーベリトの城館が荒れ放題だった時も、その瞬発力とハインツの腕力を駆使して、屋敷中を大掃除していた。
そういえば、トワリスは、ハーフェルン領家の息女ロゼッタに、「乳母よりうるさい」という理由で解雇されている。
あの年齢で、妙に所帯染みているのは、初めて引き取った頃に、“アーベリトの母ちゃん”呼ばわりされていた家政婦のミュゼに、散々しごかれたからだろうか。
そうだとしたら、そのトワリスに色々と仕込まれたハインツも、だんだん所帯染みていくのかもしれない。
元々、石細工など、細かい作業が好きなハインツのことだ。
彼が、あの風体で炊事や洗濯までこなし始める姿は、なんとなく見てみたいような気がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.400 )
- 日時: 2021/02/01 19:07
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
(……なんて、二人とは、もう話すこともないかもな)
ふと、講堂前で、戸惑ったようにこちらを見ていたトワリスのハインツの顔が、頭に浮かんだ。
二人が今後、魔導師として残ったとしても、城内にいるルーフェンと、地方を含めた外回りが中心の一般の魔導師では、ほとんど会うことはないだろう。
向こうがルーフェンを一方的に見かけることはあるだろうが、それも、召喚師という立場がサーフェリアから無くなれば、当然叶わなくなることだ。
会って話す機会は、あれで最後だったのかもしれない。
そう思うと、痛みに似たものが、胸の中に広がった。
案外、簡単なものだな、と思った。
召喚師になる時は、あれだけ苦悩して、もがいて、切れそうな糸を必死に手繰り寄せながら進んだのに──。
引きずり下ろされる時は、随分と簡単に、崖から転げるような勢いで、真っ直ぐに落ちていくものだ。
アーベリトを陥れたのが、召喚師かもしれないという噂を、人々は、案外簡単に信じた。
あまりにもあっさりと、都合よく事が運んだので、ルーフェンも驚いたくらいである。
このまま、人々が召喚師一族を忌み、必要ないと願うなら、それほど遠くない未来に、召喚師という立場は、この国から消えてなくなるだろう。
バジレットは、これから先も召喚師一族を抱えようとしているようだったが、所詮は、神も守護者も、人々の願いの上で成り立っている、仮初の存在に過ぎないのだ。
絶対に逃れられないと思っていた、召喚師一族としての運命。
子供の頃に、あれだけ願っても叶わなかったことが、もうすぐ実現するかもしれない。
それは、どこか現実味のない響きで、ルーフェンの心を揺さぶったのだった。
だが、これで良い。これが、ルーフェンの望んでいたことなのだ。
召喚師一族の力は、存在しているべきではない。
闇の系譜は、この先に続いては行かない。
召喚術の本質を秘めて、その存在ごと、ルーフェンは密やかに消えていく。
これで、良いのだ。これで──。
「──……」
手にしていた皿を、木棚に戻そうとした時。
そのわずかな振動で、隣に積まれていた皿の一枚が、滑り出るようにして落ちた。
石床の上で割れ、パリンと砕け散る。
それを見た瞬間、講堂で皿を投げつけられた時の事が、ふっと頭に過った。
──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!
不意に、目眩がするほどの怒りが、腹の底から沸き上がってきた。
棚に並ぶ食器類を、横から殴り付けるようにして、力任せに叩き落とした。
甲高い音が重なって響き、次々と皿が割れていく。
勢い余って壁に叩きつけられ、細かく砕け散った破片は、ルーフェンの手の甲を、鋭く掠っていった。
十数年前まで、やれ守護者だの、なんだのと祀り上げられ、苦汁を飲み込むような思いで、やっと召喚師という立場を受け入れたのに。
それが、こんなにも容易に覆るなんて──本当は、吐き気がするほど不愉快だった。
分かっている。自分がそう仕向けたのだ。
そうなるように望んだのも、他ならぬ自分だ。
けれど、いとも簡単に掌を返した人々や、そもそもの元凶である母、イシュカル教徒たち、関わった全ての人間が、心の底から、憎くて仕方なかった。
自分はただ、限られた時間を、アーベリトで穏やかに過ごしたかっただけだ。
最終的には、召喚師としてシュベルテに戻ることになろうとも、アーベリトで暮らした数年間の思い出があれば、それを胸に、生きていけるような気がしていた。
本当に、ただそれだけだったのに、何を、どこで間違ったのだろう。
こんな幕引きを、するはずではなかったのだ。
サミルが崩御して、これから先は、もうアーベリトの人々を巻き込むつもりなんてなかった。
あの日から、ずっと、やり場のない怒りと後悔が、ルーフェンの身の内で燃え滾っている。
己の運命を呪いながら、死んでいったアーベリトの人々に謝り続けている自分が、惨めで、滑稽で、笑う気にもなれなかった。
いつの間にか、手の甲が裂け、そこから血が流れ出ていた。
それに構わず、振り返ると、ルーフェンは、向かいの木棚に並んでいたものも全て叩き割った。
胸が詰まって、息が苦しい。
まるで、周りの見えない水中に、深く深く、沈められたようだった。
やがて、壊すものがなくなると、ルーフェンは、ずるずるとその場に踞って、長い間、荒い呼吸を繰り返していた。
切れた手の甲が、じんじんと熱くなって、その痛みを自覚し始めると、頭の中が、徐々に冷静になっていった。
石床に、砕けた破片が散乱している。
膨らんで弾けた怒りが、ゆっくりと引いていくと、最後に残ったのは、発散できない虚しさだった。
地下倉庫から、這い出るようにして居間に上がると、激しい立ち眩みがして、ルーフェンは近くの椅子に手をついた。
視界に光がちらついて、嫌な汗が背を伝っている。
そのまま床に座り込み、椅子の座板部分に腕と額をつけると、ルーフェンは、胸を押さえて目を閉じた。
静まり返った部屋の中で、雨音と自分の呼吸音だけが、耳鳴りのように聞こえている。
その時、強まってきた雨足と共に、誰かが、山荘に近づいてくる気配がしたが、今は、相手をする気になれなかった。
こんな辺鄙な場所に、偶然通りがかる者などいないだろうから、イシュカル教徒あたりが、暗殺でも目論んで、ルーフェンのあとを着けてきたのかもしれない。
それならそれで、この場で殺されても、自分の人生はここまでだった、ということでいいだろう。
そんな風に考えてしまうくらい、疲れていたし、今は、とにかく眠りたかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.401 )
- 日時: 2021/02/01 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
どのくらい、時間が経ったのか。
ふと、目を覚ますと、部屋は宵闇に沈んでいた。
ぼやけた頭をもたげ、ルーフェンは、しばらく暗がりを見つめていたが、ややあって、扉の方に視線をやると、思わず目を見開いた。
外に、まだ人の気配があったのだ。
重たい身体で立ち上がり、そっと扉を開けると、軒樋の下の石壁に、膝を抱えて寄りかかる人影があった。
まさか、と思い近づいてみると、人影が、ぴくりと反応して、顔をあげる。
先程まで、ずっと雨に打たれていたのだろう。
頭の上から爪先まで、全身ずぶ濡れになって、そこに座り込んでいたのは、他でもない、トワリスであった。
「……なんで、ここに」
思わず出た声は、いつもよりずっと低くて、不機嫌そうな声だった。
自分でも驚いて、ルーフェンは口を閉じたが、トワリスは、急に声をかけられたことに驚いたようであった。
弾かれたように立つと、トワリスは、慌てて口を開いた。
「あ、あの……こんばんは」
「……こんばんは」
そこで会話が途切れて、トワリスが、気まずそうに俯く。
濡れて張り付いた前髪を、鬱陶しそうに払いながら、トワリスは言った。
「ヘンリ村の跡地を見に行って、それから、ずっと戻ってきてないって聞いたので……探しに来ました」
ルーフェンは、眉をしかめた。
「よく、こんな場所見つけたね」
「他に、雨宿りできそうな建物とか、なかったので」
「……寒かったでしょう。声、かけてくれれば良かったのに」
ルーフェンが言うと、トワリスは口ごもった。
「いや、声はかけるつもりだったんですけど、その……少し、頭を冷やしてから行こうかと」
「……雨で?」
ルーフェンが、わざと引き気味に返すと、トワリスが、じろっと睨んできた。
束の間、睨み合ってみてから、ふっと吹き出すと、ルーフェンは、冷たいトワリスの手を引いた。
「入りなよ。風邪引いちゃうよ」
トワリスは、頷くと、大人しく着いてきた。
手近に綺麗な手拭いがなかったので、ルーフェンが来るときに着てきた上着を貸すと、トワリスは、それで濡れた髪を絞った。
最初は遠慮していたが、室内で、濡れ鼠のままでいるのも恥ずかしくなってきたのだろう。
ちょっとした問答の末、トワリスは、上着を受け取って、しばらく頭から被っていた。
光源の確保と、暖をとらせる意味もあって、ルーフェンが宙に炎を灯すと、トワリスは、明るくなった山荘の中を、興味深そうに見回した。
「……ここ、なんなんですか?」
ルーフェンは、一瞬言葉に迷ってから、答えた。
「……俺の……秘密基地」
「秘密基地……?」
思わぬ答えだったのだろう。
目を丸くしたトワリスに、ルーフェンは説明した。
「昔、偶然見つけた場所でね。七年も放置してたから、どうなってるか見に来たんだけど、まだ残ってたんだ」
「はあ、なるほど……。なんか、意外ですね。ルーフェンさんが、秘密基地とか」
「そう? 男の子は、こういうの好きでしょ。……まあ、トワに見つかっちゃったから、秘密じゃなくなっちゃったけどね」
「悪かったですね。別に、場所を言いふらしたりしませんよ」
ルーフェンが、くすくす笑うと、トワリスは、気に入らなさそうにそっぽを向いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.402 )
- 日時: 2021/02/01 20:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンが床に座って、隣に来るよう促すと、トワリスは、少し離れたところに腰を下ろした。
講堂前でのやりとりについて、何か話でもあるのだろうと思い、ルーフェンは、黙って待っていたが、トワリスは、一向に何も言わなかった。
見かねたルーフェンが、何かあったのかと尋ねようとしたとき、トワリスは、ようやく口を開いた。
「私と、ハインツなんですけど……バーンズさんに誘って頂いて、今後は、宮廷魔導師としてお仕えすることになりました」
「……宮廷魔導師?」
ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
トワリスは、無愛想な声で付け加えた。
「言っておきますけど、恩とかそういうのじゃないですよ。自惚れないで下さい。やっぱり、私とかハインツみたいな、特殊な出自の人間は、魔導師が向いてると思うんです。だから、これは……そう、ただの出世です」
その言い方がおかしくて、ルーフェンは、思わず苦笑した。
何故笑われたのかと、トワリスが顔をしかめると、ルーフェンは、首を振って言った。
「いや、ごめん。別に、文句を言うつもりはないよ。宮廷魔導師になるんだったら、ただの出世じゃなくて、大出世だね。……そっかぁ、宮廷魔導師かぁ。あの手のかかったトワリスちゃんとハインツくんがなぁ」
「子供扱いしないでください!」
大袈裟な口調で言うと、肩をばしっと叩かれた。
鼻を鳴らしたトワリスに、ルーフェンが肩をすくめる。
そうか、と思った。
宮廷魔導師も、勿論危険な立場ではあるが、そうなると、王宮仕えの武官という扱いなるので、二人は今後も、城を出入りすることになるだろう。
城に来るなら、また、顔を合わせる機会があるかもしれなかった。
次いで、ふと真剣な表情になると、トワリスが言い募った。
「……あと、今日、シルヴィア様にお会いして、色々と聞いてきました」
虚をつかれたように、ルーフェンが瞠目する。
トワリスは、絶句したルーフェンの顔を、じっと見つめた。
「聞いたって……何を」
「色々です。アーベリトの件、シルヴィア様がやったんだって大っぴらに言えないのは、召喚術を使おうとする人が、他に出ないようにするためだ、ってこととか。……多分、ルーフェンさんが隠していたこと、全て」
ルーフェンの瞳が、ふっと揺れる。
トワリスは、目を伏せると、静かに続けた。
「なんとなく、そういう理由じゃないかっていうのは、分かってたんです。……でも、いざ、本当にそうだったんだって思ったら……」
「…………」
「心底腹が立ったので、そんなことどうでもいいから皆に謝れって言って、シルヴィア様のことを殴ってしまいました」
瞬間、ルーフェンが真顔になった。
「……え? 殴ったの? ……あれを?」
「す、すみません、ついカッとなって……。あ、でも、流石に拳じゃないです。掌です」
「てのひら」
顔を歪めて俯くと、トワリスは、被っていた上着を、ぎゅっと手繰り寄せた。
「……だから、頭を冷やしてたんです。だって、こんなの……全然どうでも良くない。召喚術を使おうと考える人が、他にも出てくるってことは、サイさんみたいな人が増えるってことです。シュベルテや、アーベリトみたいに、一方的に襲われて、街一つ潰れてしまうようなことが、今後もあるってことです。……そんなの、絶対に許しちゃいけません」
トワリスは、鼻をすすって、膝に顔を埋めた。
「私だって、アーベリトが襲われたとき、もし、召喚術が使えたなら、使っていたと思います。悪用する意図がなくたって、何かを守るために、自分でも強い力を使える可能性があると知ったら、きっと、手を伸ばす人は沢山いると思います。……だから、陛下やルーフェンさんの思いを踏みにじらないためにも、このことは、絶対に誰にも言いません。これ以上のことを探ったりしないし、なんなら忘れるつもりで、二度と関わろうとしません。……召喚術は、召喚師一族だけのものです」
「トワ……」
トワリスは、ばっと顔をあげた。
泣いてはいなかったが、目の周りと鼻先が、真っ赤になっていた。
「……それでも、すごく、悔しかったんです」
震える声で、トワリスは言った。
「ルーフェンさんが、アーベリトの人達に誤解されて、罵られるのは、どうしても嫌だったんです。召喚術がどうとか、国がどうとか、そんなこと、どうでもいいから……ルーフェンさんが守ってきた七年間を、否定しないでって、本当のことを、言ってやりたかったんです……」
「…………」
それきり、トワリスは下を向いて、黙ってしまったが、それが有り難かった。
多分、話を続けていたら、ルーフェンは、ちゃんと声を出して返事をすることなど、出来なかっただろう。
唐突に沸き上がってきた熱は、時間をかけないと、飲み下せなかった。
しばらくしてから、ルーフェンは、ぽつりと呟いた。
「……もう、いいよ」
トワリスが、ルーフェンを見る。
ルーフェンも、トワリスを見ると、優しい笑みを向けた。
「君が、そう思ってくれてるんだったら、もう、それでいいよ」
ずっと内側で燻っていたものが、すり抜けるように消えて、自然と出てきた言葉だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.403 )
- 日時: 2021/02/02 09:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
窓の外が闇に覆われ、夜の帳が下りてくる様を眺めながら、二人は、とりとめのないことを、訥々と話していた。
雨でびしょ濡れだったトワリスの髪や衣服は、徐々に乾き始めていたが、彼女の手は、長く握っていても冷たいままだった。
夜が耽るにつれ、気温も冷えてくるだろうし、こんな場所に、濡れたままのトワリスを長居させてはいけないと思っていたが、お互いに、そろそろ戻ろうと言い出せないまま、時間が過ぎていった。
不意に、トワリスが、握っていたのとは反対のルーフェンの手を見て、目を見開いた。
その視線に気づいて、ルーフェンも自身の左手の甲を見やると、そこには、皿の破片で切った傷があった。
「……それ、どうしたんですか?」
笑って適当に誤魔化すと、トワリスは、眉を寄せて、ルーフェンの左手をぐいっと掴んだ。
「大したことないよ、血は止まってるし……」
そう言って、ルーフェンは手を引こうとしたが、トワリスは、手を離さなかった。
「何言ってるんですか、侮っちゃ駄目ですよ。ちゃんと洗って、手当てしないと」
「……雨で?」
「その話、引きずるのやめてもらっていいですか」
ルーフェンが笑うと、トワリスが、また肩の辺りをぶっ叩いてきた。
笑い止まないと、二発目が来るので、ルーフェンは口を閉じて堪えた。
トワリスの拳は、一発目は耐えられる痛みだが、二発目は重い。
傷の深さを見ようと、トワリスが近づいてくると、湿った赤褐色の髪から、微かに洗髪剤の香りがした。
トワリスは、何か包帯代わりになるものがないかと、自分の懐を探っている。
普段はなかなか綻ばない、トワリスの滑らかな頬に、はらはらと落ちた髪がかかっていくのを見たとき。
不意に、ずっと頭を巡っていた言葉が、口をついて出た。
「どこで、間違えたんだろうな……」
トワリスが、はっと動きを止める。
ルーフェンは、目を伏せると、静かな声で言った。
「……最近、ずっと考えてるんだ。俺は、どこで間違ったのか。俺は、今まで、どう生きてくれば良かったのか……」
表情を隠すように、トワリスの肩に、そっと額をつける。
その姿勢のまま、少し間を置いてから、トワリスは尋ねた。
「何か、後悔してるんですか?」
「……分かんない」
ルーフェンは、か細い声で答えた。
「俺が間違わなければ、アーベリトは、なくならなかったかもしれない。……でも、俺の生き方なんて、ほとんど一本道だったんだ。色々抵抗してみたことはあるけど、七年前までは、連れられるまま王宮に来て、言われるまま召喚師になっただけ。それこそ、分かれ道だったのは、アーベリトを王都にするか、しないかの時だった。……あの時の選択を、俺は、間違いだったと思いたくない」
「…………」
トワリスは、長い間、何も答えなかった。
何かを言おうとしては、口を閉じ、それを繰り返していたが、やがて、すっと息を吸うと、唇を開いた。
「……私は、後悔してないですよ」
トワリスは、落ち着いた声で続けた。
「何が間違いだったとか、間違いじゃなかったとかは、誰にも判断できないと思います。……ただ、一つ確かなのは、私やハインツみたいに、ルーフェンさんがいて、アーベリトがあったからこそ、助かった人間もいるってことです。こんなことになってしまったので、アーベリトが王都になったせいで、不幸になった人がいることも否定できません。でも、アーベリトでの生活があったおかげで、死ぬはずだったところを、後悔なく生きて来られた人もいます。そういう、私やハインツみたいな人間は、いつでも、ルーフェンさんの味方として戦いますよ」
「…………」
耳元で、息の震える音がした。
不意に、腕が伸びてきて、トワリスは、ルーフェンに抱き寄せられた。
びっくりして、思わず身体を硬直させる。
すると、すぐ隣から、ごめん、とくぐもった声が聞こえてきた。
背中に回された腕には、ほとんど力は入ってなかった。
しかし、身を捩って、真横にあるルーフェンの顔を覗こうとすると、腕に力を込められて、動けないように、強く抱き締められてしまった。
おそらく、泣いているところを見られたくないのだろう。
そう思って、トワリスは、身動ぐのをやめて、しばらく前を見つめていた。
気づくと、もう雨音は聞こえなかった。
目前の石壁で揺れる火影を見ながら、トワリスは、随分と長い間、そのままの姿勢でいた。
ルーフェンは、声をあげずに涙を流していたので、まだ泣いているのか、もう泣き止んでいるのか分からなかったが、トワリスのほうから、離れようとは思わなかった。
今のルーフェンは、周りの見えない、暗い水底にいる。
ここで離したら、この人はきっと、深い闇の中に、溶けて消えてしまうのだろうと思った。
地下牢に囚われていた前召喚師、シルヴィア・シェイルハートの訃報をルーフェンが聞いたのは、その翌日の朝のことであった。
一日中、見張りの番兵がつき、自死も出来ぬはずの状況で、突然、枯れた花が落ちるように、牢の中で息を引き取ったのだという。
ルーフェンが、シルヴィアを殺すはずの、死刑執行日の前日のことであった。
遺体に傷はなく、亡くなった直後は、さながら精巧な人形のようであったが、その後、彼女の身体は、止めていた時を一気に進めたかのように、老いさらばえた姿となった。
バジレットとルーフェンは、禁忌魔術を長期間行使したことによる死だろうと結論付けたが、真実は、誰にも分からなかった。
──サーフェリア歴、一四九五年。
この年は、激動の年であった。
王都アーベリトと、軍事都市セントランスの没落により、サーフェリアの統治体制は、大きく変わった。
生き残ったアーベリトの人々は、シュベルテの政権下に入ることを拒否して、ヘンリ村の跡地へと移住した。
一時、解体状態にあった魔導師団は、シュベルテ外にいた地方の魔導師たちの助力もあり、復権。
その後、召喚師ルーフェン・シェイルハートの統制下に入った。
王宮仕えの宮廷魔導師団には、ジークハルト・バーンズを始めとし、少数精鋭の魔導師達が据えられた。
以降、魔導師団は、大司祭モルティス・リラード率いる騎士団と並び、国全体の忠義者として、サーフェリアの守護を担うこととなる。
王権はシュベルテに戻り、王座には、先々代王の母である元王太妃バジレット・カーライルが座ることとなった。
戴冠式にて、再び樹立されたカーライル王家の治世を、人々は、それぞれの思いを胸に抱き、見つめていたのであった。
To be continued.....
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.404 )
- 日時: 2021/02/01 21:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
†終章†
『黎明』
凍みるような冬が過ぎて、季節は春になった。
吹き抜ける風に撫でられ、一面の花が、さわさわと揺れている。
春は、シルヴィアがいなくなった離宮の庭園を、燦々と照らし出し、鮮やかに彩ったのであった。
離宮の石壁に寄りかかって、ルーフェンは、細く立ち昇っていく灰煙を見上げていた。
足元では、ぱちぱちと音を立てながら、黒ずんだ紙片を舐めるようにして、炎が蠢いている。
燃やしているのは、全て、離宮の中から見つかった魔導書であった。
人を寄せ付けなかったシルヴィアの自室には、禁忌魔術に関する魔導書が、大量にしまい込まれていた。
それが、召喚師一族に代々受け継がれてきたものなのか、それとも、シルヴィアが独自に集めたものなのか、それは分からない。
ただ、蠱惑的に囁き、滴るような色香を以て誰かを誘っている、それらの魔導書を、ルーフェンは、一部を除いて燃やし尽くした。
それが、自分が母にしてやれる、唯一のことのような気さえしていた。
シルヴィアの部屋からは、侍女とのやりとりらしき沢山の手紙や、手記なども見つかった。
ルーフェンは、それらも、一切中を見ることなく、全て燃やしてしまった。
孤独に綴られた母の想いなど、今更知りたくなかったし、読んではいけないと思った。
彼女が人知れず死んでから、ルーフェンの胸中には、ずっと、虚ろな闇が沈んでいる。
その物悲しさに似た何かを、なかったものとして忘れるためにも、ルーフェンは、亡き母を理解したくなかったし、これからも先もずっと、憎んでいたかったのだった。
物陰から、長らくこちらを注視していた気配が動いて、ルーフェンは、すっと目を細めた。
警備の者達には、しばらく離宮周辺には近づかぬようにと言ってある。
最近、度々こういうことがあった。
シュベルテにて、教会と対するように並んだ召喚師を、イシュカル教徒が、虎視眈々と狙っているのだ。
ルーフェンが、指を動かして焚き火を消し、魔力を練り上げた、その時だった。
「──死ね! 邪悪なる悪魔の使い手め……!」
突然、離宮の影から、男が叫びながら飛び出してきた。
口ぶりからして、やはり教会の人間のようだ。
男は、持っていた剣を振り上げ、猛然と走ってきたが、しかし、その刃が、ルーフェンに届くことはなかった。
斬りかかる寸前に、いきなり男が白目を剥き、血反吐を吐いて地面に倒れたからだ。
男は、手足を痙攣させながら、しばらく地面の上でのたうっていたが、やがて、動かなくなると、そのまま息絶えた。
次第に、庭園全体を覆い尽くすように、禍々しい魔力を渦巻き始める。
大気が淀み、草木が戦慄き、花の間を行き交っていた蝶は、射落とされたように地に転がった。
只ならぬ空気を感じて、身を強張らせたルーフェンの前に、それは、煙のように現れた。
重みを感じさせない、華奢な体躯に衣を靡かせ、滝のような黒髪を、ふわりと広げて地に降り立つ。
橙黄の目を怪しく細め、音もなく舞い降りてきたそれは、人の形をしていたが、人間ではなかった。
「……何者だ」
低い声で尋ねると、それは、温度のない瞳を、ルーフェンに向けた。
滲み出た汗がこめかみを伝い、背筋が冷たく凍っていく。
まともに相対してはならないと、本能が告げていた。
それは、口端をあげると、男とも女ともとれぬ、中性的な声で答えた。
「我が名はエイリーン。北方の砦、アルファノルの召喚師にして、闇精霊の王……」
ルーフェンは、はっと目を見開いた。
信じ難い言葉であったが、このような魔力を見せつけられてしまえば、その正体は疑いようがない。
それは、紛れもなく、他国の召喚師であった。
「……サーフェリアに、何の用だ」
続けて尋ねると、エイリーンは、不愉快そうに眉をひそめた。
そして、ふと、視線を落として、転がっていた男の死体の腹を、片足で踏みつける。
その瞬間、死体から、凄まじい腐臭が立ち上ぼり、見る間に肉が溶け、白い肋骨が剥き出しになった。
腐敗は留まることなく進み、こそげ落ちた肉が滴って、水溜まりのように汚汁が広がっていく。
ややあって、半分白骨化した腐乱死体を軽く蹴ると、エイリーンは、忌々しげに鼻を鳴らした。
「口の利き方には気を付けよ。……このようになりたくなければな」
「…………」
ルーフェンが、ここで抗う理由はないと、口を閉じる。
探るような視線を向けながらも、表向き、従順な姿勢を見せたルーフェンに、エイリーンは、満足げに返した。
「なに、そう身構えるな。争いに来たわけではない。我はそなたと、取引をしに来たのだ」
「取引……?」
エイリーンは、黒髪を翻して、ルーフェンに近づいてきた。
底光りする橙黄色の眼差しが、銀色と交差する。
その瞳の奥にある、怨嗟(おんさ)と狂気に震える炎を、ルーフェンは、はっきりと見たような気がした。
「我に従え、サーフェリアの召喚師よ。さすれば、そなたの望みを叶えよう。命短き人の身では、決して知ることのない、この世の姿を見せてやろう」
そう言うと、エイリーンは、唇を釣り上げるようにして嗤ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.405 )
- 日時: 2021/02/01 21:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
誰かが髪に触れた感触で、ファフリは、ゆっくりと目を開けた。
ぴくっと狼の耳を動かしたユーリッドが、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
慌てて起き上がると、ごんっと二人の額がぶつかって、ユーリッドとファフリは、思わず草地に突っ伏して呻いた。
「ごっ、ごめんね、ユーリッド! 痛かった……?」
「……う、うん。大丈夫、大丈夫。俺、石頭だから……」
額を擦りながら尋ねると、ユーリッドが、むくりと起き上がる。
ユーリッドは、ファフリの手を握って、立ち上がるのを手伝うと、自分の髪や服についた草を、ぱたぱたと払った。
ファフリもそれに倣って、羽毛の混じった髪に指を差し入れると、草や花弁がはらはらと落ちてきて、なんだか恥ずかしくなった。
頭上では、そんなファフリを笑うように、緑葉がかさかさと揺れ、枝に止まっていた小鳥が、鳴きながら飛び立っていく。
昼休憩の時間に二人で会おうと、城の中庭で待ち合わせをしていたのだが、先に到着していたユーリッドが、ぐうすか大の字になって寝ているのを見て、いつの間にか、ファフリもその隣で、昼寝をしてしまっていたようだった。
暖かな陽射しに向かって、ユーリッドは、うーんと伸びをした。
「ごめん、なんか、すっかり寝込んじゃったなぁ。俺、そろそろ戻らないと」
「え? まだ、お昼の時間だよ」
真上で燦々と輝いている太陽を一瞥して、ファフリが目を瞬かせる。
ユーリッドは、頭をぽりぽりと掻くと、困ったように答えた。
「そうなんだけどさ、教官に、放置されてた倉庫整理を頼まれちゃって。今日中に終わらなさそうだから、昼休憩を早めに切り上げて進めないとなって、イーサと約束したんだ」
「……そっか。見習い兵でも、お仕事大変なのね……」
しゅん、と俯いたファフリであったが、我に返ると、慌てて表情を引き締めた。
ユーリッドは去年、屈強な獣人兵士たちで構成されたミストリア兵団に入団し、立派な正規兵になるべく、頑張っているのだ。
剣を握らせてもらえるのは十二歳からなので、今、十一歳のユーリッドは、毎日雑用ばかり押し付けられているらしい。
それでも、かなりの重労働のようで、朝から晩まで、汗だくになって働いている。
無理を言って、遊びに来てもらっているのはファフリなのだから、別れを寂しがるような素振りは、見せてはいけないと思った。
「……疲れてる日は、無理してお城に来なくても、大丈夫よ。怪我とかしないように、頑張ってね。私、応援してるから」
笑顔になって、ファフリが言うと、ユーリッドは、ぱちぱち瞬いてこちらを見た。
ファフリの声は明るかったが、何かを察したのだろう。
ユーリッドは、拳をぐっと握って、力こぶを作って見せた。
「爆睡しておいてなんだけど、俺は元気だから、平気だよ。俺もファフリと話したいし、毎日は無理かもしれないけど、ファフリが寂しいと思う日は、いつでも会いに来るよ! 明日でも、明後日でも、正規の兵士になった後でも」
そう言って、ユーリッドは、歯を見せて笑った。
その開けっ広げで、真っ直ぐな言葉を聞いていると、いつも、ファフリの胸はぎゅっと締め付けられる。
昇格して、訓練兵や正規兵になると、容易に兵舎から抜けられなくなることを、ファフリは知っていた。
それでも、迷いなく会いに来ると言ってくれるユーリッドの言葉が、本当に嬉しかった。
ファフリは頷いてから、控えめに言った。
「ありがとう、ユーリッド。私、嬉しい……。でも、訓練兵や正規兵になったら、もっと忙しくなると思うし、任務で遠くに行かなきゃいけないこともあるはずだわ。私はユーリッドが元気なら、寂しくないから、本当に無理しないでね」
「ああ、そっか……。確かに、任務で遠征したら、流石に来られないなぁ」
難しい顔で下を向いて、ユーリッドは、しばらく何かを考えているようだった。
だが、ややあって、顔をあげると、ユーリッドは、言葉を継いだ。
「……そう、そうだね。もしかしたら、間が空くことはあるかもしれない。でも、ファフリが寂しいときとか、困ったときは、どこにいても、絶対行くから。それで、いつか、一緒に遠くを探検してみよう! ファフリ、前に城から出て、いろんなところに行ってみたいって言ってただろ?」
ファフリは、眉を下げた。
「う、うん。でも、それは、ちょっとした夢のお話っていうか……。私は、城から離れちゃ駄目って、お父様に言われてるから……」
目線をそらしたファフリに、ユーリッドは、ぶんぶんと首を振った。
「そんなの、俺が強くなればいいんだよ! ファフリだって、この国で一番強い召喚師様の娘なんだから、これから、びっくりするくらいムキムキになって、強くなれるさ。俺とファフリが強くなって、どんな悪者も倒せるようになったら、どこに行ったって、誰も文句は言わないよ」
「ム、ムキムキ……には、ならないと思うけど……」
ユーリッドは、雲一つない、真っ青な空を仰いだ。
「この前、初めて、ミストリアの地図を見たんだ。こんなにでっかいノーレントが、地図の上だと、豆粒みたいだった。ミストリアは、本当は、すっごく大きいんだよ。そんでもって、海の向こう──他の国も含めたら、この世界は、俺達が想像もできないくらい、ずっと、ずーっと遠くまで……広がってるんだよ!」
いつか、行ってみような、と笑って、ユーリッドはファフリの手を握った。
ファフリは、束の間黙っていたが、やがて、笑みを返すと、深く頷いた。
「……うん!」
二人だけの約束を交わすと、ユーリッドは、慌ただしく塀を登って、兵舎へと帰っていった。
戻ってきた小鳥が、ぴちぴちと鳴いて、ファフリに話しかけてくる。
ファフリは、しばらくの間、その鳴き声に耳を傾けていた。
(海の向こう……か)
不意に、目を閉じると、ファフリは、見たことのない海の先を想像した。
遠い、遠い、獣人ではない、別の種族が住まう国。
そこには、ファフリと同じ、召喚師の力を持つ者たちがいるという。
彼らが一体、どんな風に生を受け、歩んでいるのか──考えるだけで、魂が共鳴し、ざわめくような気がした。
花の香りを乗せて、爽やかな風が吹き抜けていく。
風は、どこから生まれて、消えていくのだろう。
もしかして、海を渡り、世界中を駆け巡って、ファフリの知らないことを、沢山見てきているのだろうか。
風を感じるように、手を広げると、ファフリは、澄みきった空気を、すうっと吸い込んだのだった。
See you next story....
~闇の系譜~(サーフェリア編)【完】
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.406 )
- 日時: 2021/02/01 21:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
~あとがき~
皆様、お疲れ様です!銀竹です。
上巻も合わせると、大体五年くらい続けてきたサーフェリア編ですが、本日、無事に完結させることができました。
いや、ほんと、ようやく終わりましたね……まじで長かった(笑)後半とか、怒涛の更新ラッシュしてすみませんでした……。
私としてはすごく削ったつもりなのですが、これだけの長さになったので、もう自分の組んだ執筆スケジュールが信じられないですね。
まあ何はともあれ、読んでくださった皆様、誠にありがとうございました!
ちなみに闇の系譜、現時点で単行本換算すると20巻分くらいの文字数(大体200万字)あるので、もしミストリア編とか外伝も含めて読破してる方がいらっしゃったら、本当にすごいです……。
さて、下巻に関して。
ファンタジーというよりは、人間ドロドロ政権奪い合い劇場って感じでしたが、いかがだったでしょうか(笑)
上巻と同じく、小難しいなぁって思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、個人的に嬉しかったのが、今までの執筆ものの中で、下巻が一番参照数の伸びが良かったことですね。
長編って、基本的には読者さんが減っていくもので、もうここまでくると新規読者さんはつかないだろうし、減っていく一方だよなーくらいに思ってた分、余計に嬉しかったです。
理由は、色々考えてたんですが、一つは下巻の執筆期間が他より長かったこと。
あともう一つは、割とスポットライトがあたる登場人物が多かったからかなぁと勝手に思ってます。
上巻は、基本がルーフェン視点で、彼の成長を中心に物語を進めてました。
下巻も、ルーフェンとトワリスが主ではあるのですが、上巻に比べると、色々な登場人物に焦点を当ててたんですよね。
リリアナとか、アレクシアとか、あとはハインツ、サイ、ジークハルト……などなど。
作者的には上巻が気に入ってるんですけど、上巻は、ルーフェン以外の主要登場人物が、おじいちゃんおじちゃんおばあちゃんって感じで、ここは老人ホームか?って状態でした。
私は若者より老人が活躍する物語が好きなので、ああなったわけなんですが、客観的に考えると、下巻の方が彩りはあったのかなぁって気がします(笑)
下巻は、登場人物だけじゃなくて、要素としても色々詰め込みました。
友情だったり、恋愛だったり、親子愛だったり、憎しみ愛(合い)だったり。
なんでいろんな要素を詰めたかっていうと、ルーフェンよりも、トワリスのほうが、精神的には成長してほしかったからなんですよね。
強者という意味では申し分ないルーフェンだと思ってるんですが、内面は陰キャ小学生なので、対するヒロイン、トワリスには、広い視野をもって、様々なことに関わって成長してほしいなと思ってました。
まあトワリスはトワリスで、融通利かなかったり、あまっちょろい部分はありますが、土壇場に強いのは彼女の方。
ルーフェンは、ダークヒーロー的な側面があるので、トワリスには正統派ヒロイン(拳でのしあがっていくタイプ)として、真っ直ぐさを保っていってほしいなと考えてます。
上巻と比べると、下巻のルーフェンは、悪い意味で大人になってしまったなぁって感じでした。
最初の方は特に、なに考えてるか分からないし、トワリスにも読者さんにも「昔のほうが良かった……」と思われたかもしれません。
彼がなにを考えているかは、後半に書きましたが、それでも、明らかに闇側の人間であることは確かなんですよね(笑)闇の系譜だし。
ジークハルトという主人公的性格の登場人物が現れたこともあり、本格的に正統派ヒーロー側と、ダークヒーロー側の二つに、焦点が分かれてきたような感じがします。
ルーフェンに関しては、上巻では成長しましたが、下巻ではどちらかというと落ちてますよね。
成長してから落ちて、あれだけ嫌ってた母側に寄っていくのが下巻でした。
ちゃんとハッピーエンドにはなりますが、ルーフェンは、いわゆる主人公らしい主人公ではないので、好き嫌いは分かれるのかなぁって思っています。
あとは、下巻は、モブじゃない名前ありの登場人物を、結構殺してしまいました。
あんまり報われない死は好きじゃないので、それぞれ意味のある死、終わりの死として扱ってきましたが、書いてて私が病みそうでしたね(笑)
下巻は通じて、まあ長かったってのもありますが、結構書くのしんどかったです……。
なんか、書きたいことが多すぎて、うまくまとまらないので、あとは長ったらしい解説パートに載せようかと思います。
解説あとがきパートは、例のごとく長いので、ぶっちゃけ読まなくて大丈夫です。
ただ、省いちゃった背景とか、伏線とか、詳しく知りたいって方がいらっしゃいましたら、話ごとに書くので、部分的にでも読んで頂けたらなと思います。
どこか別の場所でも書いた気がしますが、サーフェリア編は、私が闇の系譜を書こうと思った原点となるお話です。
本当に、ずーっと書きたかったお話なので、サーフェリア編を書き終えた今、割とガチで、人生の目標を一つ達成した!ってくらいの心境です。
正直、淡々とあとがきを書いている場合ではないですね。言語化すると「ァアッ……アァアアァ」って感じです。
闇の系譜はまだ続きますが、書きたい場面は大方書けたので、割と満足してます。
今後についてですが、次はアルファノル編が始まります。
主人公はルーフェンとトワリスですが、メインでジークハルトとか、バジレットおばあちゃんの孫シャルシス、あと闇精霊のエイリーンあたりが出てきます。
……が、ちょっと疲れたので、すみません、休憩します(笑)
好きで書いてるので、嫌になったとかではないのですが、単純に疲れました。
外伝書いたり、絵描いたりはすると思いますが、アルファノル編の更新自体は、数か月後になるかなと思います。
はい、それでは、ここまでお付き合いしてくださった方、重ねてありがとうございました!
他の編を読み返したり、アルファノル編もまた読んでくれたら、とっても嬉しいです。
ではでは!
2018.3.4~2021.2.1
銀竹
- 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.407 )
- 日時: 2021/02/07 18:31
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
~あとがき~②
恒例のあとがき解説、他編での伏線などを含めた補足説明のパートになります!
とりあえず思い付いたことを書いていますが、あくまで作者目線の説明になりますので、もし他にも分からないこと、知りたいことがありましたら質問して頂ければと思います!
ミストリア編からサーフェリア編の下巻までの内容全てを含みますので、ネタバレが嫌って方は、あとがきは見ない方が良いかと思います。
よろしくお願いしますー!
†第三章†──人と獣の少女
第一話『籠鳥』
下巻はアーベリトに遷都した後からスタートです。
ヒロインのトワリスが出てくるところですね!
強風で倒壊した建物の下から見つかった半獣人の少女、トワリス。
彼女は残酷絵師であるオルタ・クレバスに使役されていた奴隷でした。
この残酷絵師という職業、実は日本の江戸時代後期に実際にあったものです。
痛め付けた人間の様子(囚人がモデルの場合が多かったようですが)や、戦場の様子を絵に描く絵師ですが、刺激的な作品を描くというので、結構人気があったみたいですね。
私、歴史は全然詳しくないので、専門的なことは何も語れないのですが、闇の系譜を書くにあたり、ちょいちょい国内外の史実を参考にさせて頂くことがあります。
で、トワリスの話を描く時は、奴隷の歴史に関して色々調べたんですけど、年頃の女の子の奴隷の扱いってまぁー……ひどいもんなんですよね(^-^;
リアリティは大事にしたいんですけど、ちょっとこれ描写すんのはな……って思う史実が多かったので、最終的に、トワリスは残酷絵のモデルにされてた、くらいで留めました。
割と認知されている文化だった、という意味では、別にオルタがやってたことは、犯罪ではなかったんですね。
奴隷制が廃止されているシュベルテとアーベリトでやらかしたので、連行されましたが、ハーフェルンで残酷絵を描き続けていれば、処罰されることなんてありませんでした。
さて、本編に戻りまして、逃げたトワリスを捕まえるとき、ルーフェンは悪魔フォルネウスを召喚しています。
フォルネウスの能力は、強制催眠、強制暗示ってところなのですが、ルーフェンは、トワリスの他にも、上巻にてノーラデュースでリオット族やオーラントさんにもこの術をかけています。
この設定も裏設定に過ぎないので、ちゃんと決めているわけではありませんが、一度強い暗示を受けると、その他の意識介入は受けづらくなります。
だから、サーフェリア編上巻の二章四話で、オーラントさんにはシルヴィアさんからの術が効きづらかったし、下巻にて、トワリスとハインツも、アーベリトをシルヴィアさんに襲われたとき、なんだかんだで逃れられたのかもしれません。
残酷絵師オルタ・クレバスの支配下から脱し、ルーフェン十五歳に助けられたトワリス十二歳。
うまく新しい環境に踏み出せないトワリスに対し、ルーフェンは「俺はこの国の、召喚師様だからね」と声をかけ安心させようとします。
この言葉、上巻であれだけ召喚師への就任を嫌がっていたルーフェンが言ったのかと思うと、感慨深いものがありますね(笑)
この言葉は、別に本心ではなく、あくまでトワリスを元気付けるためのものでしたが、全くの嘘というわけではありませんでした。
アーベリトの遷都を実現させ、サミルと一緒に過ごせたことは、ルーフェンにとって「召喚師の立場だったからこそできたこと」です。
上巻の二章三話、リオット族の話の時に、「いつか召喚師で良かったと思うことが来るんだろうか」とルーフェンがぼやいていたシーンがありますが、それは強いて言うならこの時期だったのかなと思います。
本来であれば、拾った奴隷を国王や召喚師が面倒見るなんてあり得ませんが
・トワリスが見つかったのが慈善活動に力を入れているアーベリトだった。
・トワリスはオルタに買い取られていたので、世間に見世物にされて話題になっているような状態ではなく、存在を隠しやすかった。
・見つけたのがルーフェン(権力者)だった。
・何より、半獣人。
以上のような理由から、トワリスはサミルさんとルーフェンの元でしばらく厄介になります。
流石ヒロイン、色々と運が良かったですね。
ちなみにトワリスのお母さんである獣人女性は、ミストリア編にてロージアン鉱山(ハイドットの廃液流してたとこ)で働いていたスレインという獣人です。
南大陸の獣人なので、原始的というか、都市部には進出していない貧しい獣人だったんだと思います。
彼女は鉱山で働いている内に、ハイドットの廃液が公害蔓延の原因であると知り、武具精錬の廃止を訴えますが、当時の宰相キリスの妨害によって、その訴えは召喚師(国王)リークスに届きません。
精錬継続(廃液流出続行)の命令が下り、身の危険を感じたスレインたちは、仲間の鉱夫たちと共に国外へ逃亡。命がけで海を渡り、サーフェリアに到着します。
(★この辺の前後関係、詳しい年表はサーフェリア編上巻に載せてます。更に詳細を知りたい方はミストリア編を読んでね)
サーフェリアの港湾都市、ハーフェルンに漂着したスレインらは、人間に見つかり捕獲され、奴隷として売り飛ばされます。
(★ハーフェルンでは奴隷産業が盛んで、その他違法な密売など色々横行してます。サーフェリア編上巻での王都争奪戦の際に、ハーフェルンの領主クラーク・マルカンは、その点をサミルさんに指摘されてますね)
過酷な環境で、運良く生き残ったのはスレインのみ。
女性だったのと、獣人が珍しかったので見世物にするために生かされていたのだと思いますが、その過程で彼女が人間との間に身籠ったのが、トワリスです。
ミストリア編の四章三話にて、トワリスは、このことに気づいてますね。
サーフェリア編の段階では、調べても母親の情報が集められず、悶々としていたトワリスですが、運命とは不思議なもので、売国奴扱いされてミストリアに単身乗り込んだ際に、ロージアン鉱山で母親の真実にたどり着きました。
第二話『憧憬』
トワリスのアーベリトでの生活が始まりました。
この時のトワリスにとって、ルーフェンは助けてくれた不思議なお兄ちゃん的存在です。
周囲から、召喚師であるルーフェンを持ち上げる言葉を聞いて(当時のアーベリト自体が王都になったことでテンションアゲアゲだった)、なんとなく「そんなすごい人なんだなぁ」くらいの認識をしていたんだと思います。
この時に、一通りの生活の仕方を家政婦のミュゼから、文字の書き方なんかをルーフェンに教えてもらって、トワリスは脱野生児を目指します(笑)
前回の一話でルーフェンに魔術を教えてもらうシーン、そして今回の二話で文字を教えてもらうシーンは、書きたかった場面の一つです。
ルーフェンからすると、トワリスは自分だけに懐いてるペットとか、妹みたいな存在でしたが、トワリスは色々教えてもらって、ルーフェンのことを意識するようなこともあったんじゃないかなと思います。
女の子は、年上のお兄さんに憧れちゃう時期ありますよね。そういう、人間らしさっていうんですかね……トワリスの年頃の女の子感を出したかった話でした!
文字を覚える過程で、サミルさんを訪ねてセントランスの人間がアーベリトにくる描写があります。
こちら後で関わってきますが、この頃からセントランスはアーベリトを敵認定してますね。
また、ダナおじいちゃんがトワリスにおすすめしていた絵本『創世伝記』、こちらも後々関わってくるものです。覚えておかなくても大丈夫ですが、このあとがき読んでくださった方はなんとなーく頭の隅に置いておいてください(笑)
この話では、サミルさんとルーフェンの間にある、ちょっとした溝が垣間見える場面もあります。
レーシアス邸に入り込んだ刺客をルーフェンがあっさり殺して、サミルさんとその他がびっくらポンするシーンですね。
サミルさんは、ルーフェンを少しでも召喚師という立場から解放してあげられるようにと、アーベリトを王都にして彼を引き取りました。
しかし、ルーフェンからすれば、居心地の良い場所を与えてくれたサミルたちのことは、どんな手段をとっても守りたいと考えていました。
実際、当時のアーベリトは王都として機能していくには不十分なところばかりで、サミルの考えでは甘いというルーフェンの危機感の高さは、正しかったように思います。
ただ、ルーフェンはルーフェンで、自分だけが頑張らなければという極端な思考に偏っていったので、そのあたりがまだ視野の狭い子供っぽかったのかなぁと。
まだ距離感が掴みきれていない、親子初心者同士のぶつかり合いだったんですね。
そんな二人をみて、トワリスは彼らの力になりたいと思うようになりますが、その頃に彼女の孤児院行きが決まってしまいました。
納得いかないトワリスですが、今度は情けではなく実力でレーシアス邸に置いてもらえるようにと、魔導師になることを決意します。
ここからトワリスの新たな人生がスタートする感じですね。
第三話『進展』
トワリスの孤児院生活が始まりました。
コミュ障&獣女ということで、全然馴染めてないですね(笑)
それでもいいやと吹っ切れて、魔導師になるために一人で黙々と勉強しているトワリスですが、なんやかんやあってリリアナという友達ができました。
リリアナは今後も出てきて、ミストリア編ではユーリッドとファフリを助けてくれる重要人物ですね。
いつも笑っているリリアナですが、本当は弟の前では明るく振る舞っていなければと空元気を見せがちな女の子でした。
そんな彼女の歩けない脚が治せないかと悩んでいる内に、トワリスは自分に合った魔術の使い方を編み出しますし、最終的にトワリスはリリアナの親族に引き取られて里親までゲットすることになります(笑)
彼女との出会いは、トワリスにとっても非常に大きなものでした。
ちなみに、リリアナの叔母のロクベルさんは、結構裕福な家の人です。
旦那さんが成功した商家の人間で、亡くなってからもロクベルさんに遺産を遺したので(ロクベルさんめちゃめちゃ性格良いから、夫婦仲も良かったに違いない)、余生は趣味程度にお店開いて過ごそうかなーって考えてました。
そこでリリアナとカイルが孤児になっていることを知り、引き取ることを決意。ついでにリリアナと仲良かったトワリスも貰い受けました。金持ちにしかできないことですね!
ロクベルを後見人としてマルシェの姓を借りたトワリスは、ダメ元で魔導師団の入団試験を受けてみます。
そこで待ち受けていたのは、上巻でも出てきたジークハルト・バーンズ十五歳。
新人魔導師代表で試験官として出てきたジークハルトですが、彼は当時から飛び抜けた秀才として注目を集めていました。
次話から、トワリスの魔導師としての生活が始まります!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.408 )
- 日時: 2021/02/08 21:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
〜あとがき〜③
†第四章†──理に触れる者
第一話『禁忌』
獣人混じり故の身体能力の高さが奏功し、なんと実技試験で首席合格しら魔導師団に入団できたトワリス。
魔術に関しては独学なので、筆記試験の成績はギリギリだったものの、持ち前の直向きさで努力して五年。
そこそこの成績上位の訓練生として、トワリスはいよいよ正規の魔導師になるため、卒業試験を受けることになります。
彼女が試験のために組むことになったのが、入団試験の筆記首席合格者サイ・ロザリエスと、トワリスともう一人だけの女魔導師アレクシア・ファオール。
どちらも今後出てくる重要人物です。
些細な伏線なんですが、トワリスとサイが初めて出会った時のシーンで、サイは、やたらとアーベリトのこととかトワリスの出自とかに詳しいんですよね。
トワリスは半獣人ということもあって有名人なので、調べれば分かることではあるんですが、それにしたって、トワリスは何も言っていないのにサイくん語りすぎ。
後にサイの話が出てきますが、この時から彼は、意識的にトワリスに近づいたと思われます。
さて、始まった卒業試験、魔導人形ラフェリオンの破壊。
超絶性格の悪いアレクシアに、不信感を抱きながらもついて行くサイとトワリス。
散々振り回される二人ですが、最終的には、アレクシアの目的がラフェリオンに使われていた自分の姉の目だったのだと分かります。
アレクシアは、特別な透視能力を持った一族の生き残りだったんですね(その能力を使って、トワリスをはじめ多くの人を脅してきました)。
そんでもって、本当のラフェリオンの正体は、人形でありながら人間の心を持つ依頼人、ケフィ・ハルゴンだったわけですが、実は、彼は最初から、トワリスたちに紅茶を出しても自分は一杯も飲んでません。
しかも、淹れたての紅茶なのにぬるいと描写してあります。
ここで彼がラフェリオンだと気づいた方はいらっしゃらないかと思いますが、紅茶を飲めない、おいしさが分からない、といった描写は、彼が実は人形であるからでした。
読者さんには、屋敷で暴れまくってた人形の方をラフェリオンと信じて頂きたかったので、討伐するまでのサイとトワリスの作戦立てのシーンは、結構力を入れて書きました(笑)
上半身の動きと車輪の回転が連動してるんじゃないか、とか、術式が身体のどこにあるか、とか、どこまで追跡能力があるか……などなど。
でも、本物のラフェリオンはその人形じゃないので、あのシーンは本来いらないっていうか、ただのフェイクなんですよね(笑)
頑張って読み込んで下さった方がいたら申し訳ないなぁと思いつつ、騙されて下さってたら嬉しいですb
ラフェリオン事件が無事に解決し、サイとトワリスは、正規の魔導師に昇格。
アレクシアは、勝手放題やった責任をとって留年になりました。
最後、アレクシアとトワリスが話すシーンで、またジークハルトも出てきます。
この時のジークハルトは、史上最年少の20歳で宮廷魔導師になったスーパーエリートですね(今までの最年少記録はジークハルトパパのオーラントさんでした、バーンズ遺伝子すごい)。
ただ、まだ若いので、魔導師団上層部の腐敗に直接的に手を出せるわけでもなく、悶々としている様子です。
トワリスとジークハルトは、結構気が合いそうというか、ストイックな努力家タイプなので、良い上司と部下になりそうですよね。
そんな二人のことを、アレクシアは割と気に入ってます。
散々暴言を吐きまくってトワリスをいじめたアレクシアですが、彼女はその目の能力故か、裏表のない人間が好きです。なので、ジークハルトとトワリスにはとっても懐いているほうだと思われます(笑)
好きな相手ほどいじめたくなる……なんて表現では収まらないレベルで性格悪いですが、トワリスに対して言っていた「異端」だの「気持ち悪い」だのという言葉も、アレクシアの生い立ちを考えると、全部本人にブーメランなんです。
そう考えると、魔導師団に同期で入団した女二人同士、しかもちょっと特殊な身の上同士というので、アレクシアは最初から、トワリスと友達になりたくて声をかけたのかもしれません。
……いや、そんなことないか。
前話で出てきたリリアナは普通に良い友達なので、アレクシアには、またちょっと違った関係になる相手として登場してもらいました。
作者的には、アレクシアを書くのはとっても楽しかったです(笑)
小説でこんなに悪口書きまくることあるか?ってくらい悪口を書きました。
闇の系譜はそんなにぶっとんだキャラがいないので(ぶっとびすぎてると作者が好きになれないので)、その中で比較するとアレクシアはインパクト強めだよなと思います。
強烈すぎて、好き嫌いは分かれると思いますが、彼女の狙いとか、最後の回想を見てアレクシアに対する印象が変わったら良いなと思います!
第二話『蹉跌』
唐突にサイコパス感を出してきたサイくんについては、ひとまず置いておいて。
無事に正規の魔導師になれたトワリス。
残念ながら、希望のアーベリトには配属されず、港湾都市ハーフェルンの領家令嬢、ロゼッタ・マルカンに専属護衛として仕えることになりました。
ハーフェルンの領主クラーク・マルカンは、サーフェリア編上巻の王位争奪戦の時にも出ています。
ハーフェルンは、サーフェリアではシュベルテに次ぐ大都市で、物流の要となっている港町です。
シュベルテとは三街の協定を結ぶ前から友好関係にあり、特に召喚師一族に対してはかなり好意的ですね。
好意的というか、ハーフェルン自体がシュベルテの軍事力に依存している節があるので、その総括者である召喚師には媚び媚びなのです。
交易が盛んな分、人や物の出入りが激しい都市でもあるので、非合法な商売やら違法市場やらが黙認されている犯罪の温床でもあります。
上巻では、そこをサミルさんに指摘されたりもしていますし、トワリスが最初に奴隷として暮らしていたのもハーフェルンですね。
クラークさんはやり手の商売人ですが、仄暗い部分からは目を逸らしがちのちょっと腹黒い人です。
さて、そんなクラークさんが溺愛している娘ロゼッタですが、裏で煙草を吸ってるようなとんでもない不良娘でした。
彼女はすごく頭の切れる人間だと思っていて、クラークさんの狡猾さをちゃんと受け継いでいる&視野が広いので、将来は一層街を盛り上げていける人間になるんじゃないかと思います。
が、トワリスみたいな社会人一年目のぺーぺーには、ちょっとキツい雇用主ですよね。
よく言えば真面目、裏を返せば愚直すぎるトワリスなので、良かれと思ってしたことが空振りまくり、五月病(?)にかかります。
更にトワリス的にショッキングだったのが、偶然再会したルーフェンの不貞(笑)が発覚したことです。
ルーフェンが女とイチャコラしてたことに深い意味はないんですが、ロゼッタという婚約者がいながら、そういうだらしないことを平然とやってたっていう事実が、潔癖なトワリスからすると一番衝撃かなと思って、書きました。
トワリスって、明らかにルーフェンに夢見てたんですよね……。
憧れのお兄ちゃんフィルターがかかったまま成長して、再会しちゃったので、今回の件でルーフェンの株は大暴落しました。
上巻では主人公だったルーフェンですが、下巻の前半では、腹の底の読めないキャラポジションでいてほしかったので、掴みどころのない描写を増やしました。
まあ実際ルーフェンって、元々こういう感じでしたけどね……上巻でも侍女のアンナちゃん唆したりしてましたし(笑)
ルーフェンは、なかなか人に心を開かない野生動物みたいなところがあるので、慣れるまでは人に執着しないし、割と誰にでも愛想が良いです。
ちなみにロゼッタも、ルーフェンのことはなんとも思ってません。
ただ前述の通り、ハーフェルンは召喚師と仲良くしておきたいので、ロゼッタがルーフェンとラブラブだとクラークさん的に都合が良いんですよね。
ルーフェンも、婚約者くらいいておかしくない立場なので、別に誰でもいいけど、どうせなら頭良くて割り切った関係で付き合える人が楽だなってことで、ロゼッタと婚約関係を結びました。
まあビジネスパートナーみたいな感じですね。
しかし、トワリスはそんなこと全く知らない上、潔癖なところがあるので、ルーフェンを完全に女の敵認定します。
憧れのお兄ちゃん→不潔変態野郎→何考えてるか分からない人……てな具合で、だんだんトワリスのルーフェンに対する認識が変わっていく様子を、最後まで見守って頂ければと思います。
第三話『結実』
今までの頑張り過ぎが祟って、ついにガス欠を起こしてしまったトワリス。
この辺りから、ルーフェンのトワリスに対する認識も変わってきます。
トワリスの愚直さに呆れつつ、昔のよしみもあって、なんとなく放っておけず世話を焼くルーフェンですが、多分彼は、トワリスが魔導師になることには元々反対だったし、そもそも本当に魔導師になるなんて思ってなかったんでしょうね。
心労で倒れるくらいなら、魔導師なんかやめて、またアーベリトに来ないかと誘います。
しかし、元はと言えば、トワリスは、情けをかけられるのは嫌だという動機でレーシアス邸を飛び出しているので、その誘いは断ります。
ルーフェン的には、折角助けてあげるって言ったのに、なんでそんなヘロヘロの状態で断るんだと、内心納得いかなかったんじゃないかなと思います。
ルーフェンの予想外だったのは、精神面はともかく、戦闘技術面ではトワリスはめちゃめちゃ強かったってところですね。なんてったって実技首席なので、伊達に拳と脚力で魔導師団をのし上がってきてません(笑)
魔力は少ないですが、身体能力が高い&細かい魔力の調整は上手いので、潜在能力だけで言えばトワリスはかなり上位の実力をもった新人という設定です。
昔ルーフェンに教わった魔術の進化系的な幻術を使い、祝宴に紛れていた刺客たちを見事ぶっ倒したトワリス。
元は意思疎通も満足にできなかったようなトワリスが、こうして魔導師になるまで、一体どれだけ苦労したのだろうと、ルーフェンは感動します。
しかし、うっかりトワリスにときめいたことがバレて、ルーフェンはロゼッタに睨まれます。
でも、喧嘩別れみたいになってますが、ここで、ルーフェンとロゼッタの間に亀裂が入ったりはしてません。
ロゼッタの目的は、リオット族の所有権をルーフェンに譲ってもらうこと、そんでもって父クラークの命を狙う刺客を祝宴の場に誘き寄せて、ついでに倒してもらうことでした(★本編には書いてないですが、この刺客たちは三街を敵視しているセントランスの者達です)。
そもそもが利用しあってる関係なので、全く問題はないですね!
ロゼッタとルーフェンの、腹の探り合いしてるような関係、個人的には好きなので、書くの楽しかったです(笑)
乳母よりうるさいという理由で、結局ロゼッタに解雇されたトワリス。
今がチャンスとばかりに、今度こそ言い方を間違えないよう、「可哀想だからじゃなくて、君の力が欲しいからアーベリトに来て欲しいんだよ」とルーフェンはトワリスを口説きます。
結果、成功。念願叶って、トワリスのアーベリト配属が決まりました。
これは完全にルーフェンの職権濫用でもありますね(笑)
ちなみにこの時、ルーフェンは20歳くらい、トワリスは17歳くらいです。青春ですね。
ハーフェルンパートは、ルーフェンとトワリスの関係がちょっと進化するお話でした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.409 )
- 日時: 2021/02/10 17:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
〜あとがき〜④
†第五章†──淋漓たる終焉
第一話『前兆』
アーベリトに帰ってきたトワリス。様変わりした街並みに驚きつつも、リリアナやサミル、ロンダートなど、懐かしい面々に再会します。
そんな中で、初顔だったのがリオット族のハインツ。
筋骨隆々としたいかつい見た目に反し、気が弱い若干十四歳の少年です。
リオット族たちは、若い男衆を中心に都市部に進出してきていますが、彼らは基本ルーフェンを介して、商会に属し働いているので、アーベリトが主な勤務地ではありません(★詳細は上巻で!ラッセルさんやノイちゃんたち、女性やお年寄りは南方に残ってたりもします)。
ですがハインツくんは、ノーラデュースから助け出された時に、唯一「ルーフェンの元で働かせてほしい!」とお願いしてきた子でした。
とはいえ、当時はまだ8歳だったので、しばらくはラッセルさんたちと暮らしていたハインツくん。
それから6年経った今でも、ルーフェンの力になりたいという気持ちが変わらなかったため、アーベリトにやってきました。動機としては、トワリスと近いものがありますね。
リオット族の中でもずば抜けて力が強く、頑丈に成長したハインツくんは、能力的には魔導師としてルーフェンの下で働いても問題なさそうですが、なんせ引っ込み思案な性格なので、時には非情さも必要な仕事をこなせるとは思えません。正直、頭も回る方ではないです(笑)
ルーフェンは、自力で魔導師になったトワリスですら、「危ないからやめたほうがいいんじゃない?」って心配してたくらいなので、内心ハインツくんをアーベリトに引き入れることにも反対だったんじゃないかなぁと思います。
それでも、ルーフェンが彼を下に置いた理由は二つ。
一つは、ハインツくんが自分の強すぎる力を持て余していた故に、他に合いそうな居場所がなかったこと。
もう一つは、完全に裏設定なのですが、ハインツくんが亡きアレイドくん(ルーフェンの弟)に似ていたからでした。
アレイドはシェイルハート家の四男坊で、上巻の序盤ではルーフェンに付いて回ってた気弱な子ですね。
鬱陶しくて、当時のルーフェンは邪険に扱ってましたが、シルヴィアさんに兄弟たちが殺されてから、もうちょっと仲良くしておけば良かったと後悔しているような描写があります。
ルーフェンが意識してそうしたのかはわかりませんが、内気なところ、ついて回ってくるところが、なんとなく弟に似ていたので、ハインツくんのことを拒否することはできなかったんじゃないかと思います。
人混みを歩いているだけでビクビクするハインツくんですが、そんな彼に、トワリスの友人であるリリアナが惚れました(笑)
三章三話で、まだ孤児院で暮らしていた頃のトワリスとリリアナが、恋バナ?的なことをしているときに、リリアナは「早く運命の王子様に会いたい」的なことを言っています。
ハインツくんは、王子様っていうタイプでは全くないと思うんですが、普通より食べられるからなのか、あるいはギャップに萌えたのか、リリアナはフォーリンラブしたようです。
リリアナは夢見がち暴走特急列車なので、トワリスは
基本的に引いてますね。
この辺の話は、特に深い意味はないので、解説することは特にありません。
アーベリトの現状を紹介しながら、閑話休題のつもりで書きました!
シリアスばっかだと読み手も書き手も疲れますからね(笑)
長くなると思って根こそぎ削っちゃいましたが、トワリスがアーベリトに帰ってきてからの閑話休題パートは、本当はもっと色々書く予定でした。
リリアナのことだけじゃなくて、ハインツとトワリスの関係とか、ハインツとルーフェンの関係とか(気が向いたら外伝とかで書きたいですね)。
ハインツくんは、ルーフェンに恩があって、彼のために頑張ろうと決意してアーベリトまで来た点はトワリスと共通していますが、彼は彼で、また成長を遂げて別の道に行きます。
人の後ろに隠れて震えていたハインツくんの成長物語も、またアルファノル編あたりでちょびっと紹介したいなーと思います。
リリアナの弟のカイルくんは、終始ぶっきらぼうでした。
ミストリア編では、リリアナの身の安全のために、ユーリッドとファフリに「さっさと出て行け」ときつい言葉をかけてきます。
まあ彼はトワリスたちと違って一般ピーポーなので、今まで育ててきてくれたお姉さんを守るためにも、お人好しな振る舞いばかりしていられない、ということなんでしょう。
彼はすごくしっかり者なので、将来は沢山働いて高級取りになって、お姉さんに楽させてあげようとするんじゃないですかね。
リリアナが孤児院時代に、「カイルが結婚したら寂しい!」みたいなこと言ってますが、万が一リリアナのほうが先にゴールインしてしまうようなことがあれば、カイルくんのほうが寂しくて死ぬ気がします(笑)
リリアナさん、看板娘やってるくらいのでモテそうですし、そこそこ可愛い設定です(ただしハインツくんはリリアナのことが苦手です)。
最後は、張り切りまくったトワリスが、ルーフェンに仕事の報告をして終わります。
基本的にルーフェンは褒めてくれる(というか慇懃)ので、そのせいでトワリスは熱血仕事人間に出来上がってしまった気がしないでもないです(笑)
どうでもいいことですが、この時のトワリスは短髪です。
外伝にて、ルーフェンがトワリスに三つ編みを教えてあげる話を大昔に書いたんですが、似たような設定が本編にも適用されていて、トワリスが髪伸ばした理由はルーフェンにあります。
ここら辺になってようやく、ルーフェンが軽口言ってトワリスがキレる、みたいな、ミストリア編であった主人公コンビの温度差に近づいてきたので、作者的には「やっとここまで来た!」と感慨深かったです。
第二話『欺瞞』
配属先不明だったサイくんが、実はアーベリトにいたことが分かりました。
トワリスは、サイがサイコパスなんじゃないかと疑いつつも、以前のように仲良くやっていこうと思い直します。
この話から、いろんな勢力が本編に出てきますね。
読者さんもいよいよ混乱してきたんじゃないかと思いますので、ざっくり解説させて頂きます。
まず、大事件として、軍事都市セントランスが旧王都シュベルテを襲撃します。
ここで主だって動いていた勢力が以下です。
①旧体制の魔導師団と世俗騎士団
……シュベルテの主戦力、旧王家カーライル家に忠誠を誓う、サーフェリア一でっかい魔導師団と騎士団ですね(★シュベルテに従属する他の都市の治安維持も担当してます。魔導師があちこち派遣されてるのはそのため。ハーフェルンなんかもその一つですね)。
ジークハルトやトワリス、アレクシア、サイ、皆が所属しているところです。
一応総括者は召喚師ですが、ルーフェンは今アーベリトにいるので、召喚師をトップに象徴としたシュベルテ運営の武人集団っていう表現が正確かと思います。
最近、反召喚師派の教会側に寝返っていく魔導師や騎士が増えてきたのが悩みです。
どう対処しようかと考えていたところで、セントランスからの襲撃を受け大ダメージ。
壊滅寸前まで追い詰められ、ジークハルトはだいぶションボリ。
なんとか教会やセントランスに打ち勝って名誉回復したいところです。
①ー1 旧王家カーライル一族
……長年サーフェリアを総括してきた旧王家、現在はシュベルテを治める公爵家です。
現在生き残っているのは領主バジレット・カーライルとその孫シャルシスです。
上巻にて、シルヴィアさんに王位継承者を殺されまくり、このままじゃ国を統治できへん!ということでアーベリトに王権を一時預けました。
基本は魔導師団&世俗騎士団側ですが、バジレットさんは魔導師や騎士たちが政権を握ろうと動き始めることを危惧し、統治権を守ってます。
実際、王位継承者が死にまくった時に、騎士団がまだ赤ちゃんのシャルシスを即位させて、日本で言う摂政的ポジションにつこうとしてきました。
つまり、シュベルテ内では、カーライル旧王家vs騎士団&魔導師団の一部の過激派vsイシュカル教会、という三つ巴の争いが水面下で起きてるわけですね(笑)
②イシュカル教会および新興騎士団(修道騎士会)
……世界を四つに分断した女神イシュカルを崇める、反召喚師勢力です。
かつては急進派が暴れまくってたので、世間からは狂信者集団扱いされていましたが、ルーフェンがリオット族を王都に引き入れたり、アーベリトへの遷都を強行したりして、近年召喚師一族に対する不満が高まってきたので、信仰者数UP↑して勢力が伸びてきました。
大司祭を務めるモルティス・リラードは、イシュカル教徒であることを隠して、事務次官として王宮に潜り込んでましたね(実は上巻にも結構出てるよ!)。
ひっそり悪さしながら、ルーフェンが不在なのをいいことに、イシュカル教会によるシュベルテ乗っ取り大作戦を決行する機会を伺っていました。
そして、時は来たり。セントランスの襲撃により、騎士団と魔導師団が潰れた瞬間を見計らって、新しく発足させた修道騎士会の名を掲げ、戦災難民を救助しました(自分たちは戦ってないのがセコいところ)。
教会「ほら皆、美味しいご飯と温かい寝床を用意してあげよう。頑張ってる皆をイシュカル様は見捨てないZE☆」
人民「きゃー!イシュカル様ばんざーい!魔導師団と世俗騎士団まじ無能じゃん!」
ってな具合で民意を勝ち取り、旧王家率いる魔導師団と世俗騎士団を陥落させました。
③バスカ・アルヴァン率いる軍事都市セントランス
……サーフェリア編上巻にて、王位争奪戦でアーベリトに敗れた街ですね。
あれ以来、王位の譲渡と遷都を行ったカーライル家と召喚師一族、つまりは協定を結んだ三街(シュベルテ、アーベリト、ハーフェルン)をめちゃめちゃ恨んでました。
今まではハーフェルンやアーベリトに刺客送ってただけでしたが、満を持してシュベルテを攻撃!
「しかも俺たち、召喚術使えるようになっちゃったもんね!」と高らかに笑いながら宣戦布告しました。
さて、そんな殺伐としたシュベルテですが、とりあえずピンチ!ということで、アーベリトも早速救援活動に参加します。
怪我人を受け入れ、宣戦布告してきたセントランスをどげんかせんといかん、と動き出しました。
(★怪我人受け入れついでに、シルヴィアさんまでアーベリトに避難させました。この話はまた他のページで)
どげんかせんといかん、と言っても、シュベルテが落ちた今、セントランスに勝てるとは思えないし、国王のサミルさんは非戦論者なので、なるべく宣戦布告には応じない形で事態を収めたいと考えます。
そこで、ルーフェンがとったのは、セントランスのスパイ——サイ・ロザリエスを逆に利用する方法でした。
サイくん実は、シュベルテへの襲撃を手引きしたり、召喚術の行使方法を探るための、セントランスからのスパイだったんですね。
アーベリトが「戦うのはやめようよ!」と親書を出したところで、セントランスは聞いてくれません。
でも、サイからの連絡ならセントランスもちゃんと読むはず……ということで、ルーフェンは、サイに色々と情報を吹き込みます。
といっても、サイもめちゃくちゃ切れ者なので、ルーフェンの言うことは常に疑ってかかってました。
サイは、ルーフェンに、召喚術についての探りをいれては、その答えを更に自分でも調べあげ、その結果のみを信じていました。
この辺りは本編でも細かく書いてるので、読んで頂ければお分かり頂けるかと思うのですが、要はルーフェンは“見聞きしたもの全てを疑い、最終的に裏が取れた情報のみを信じる”サイのやり方を、逆手にとって利用しました。
つまり、今回の場合、単なる偽の魔語で記された呪詛を、召喚術だと偽り、サイの力でそれを調べあげるように仕向け、最終的にはサイ経由でセントランスが呪詛(偽の召喚術)を使うように誘導したんですね。
サミルさんからの「戦うのはやーめよ」っていう親書をすり替え、サイは、セントランスに「これが一般ピーポーでも召喚術を使える方法だよ!」と情報提供します。
セントランスはそれを信じ、術を行使しますが、それはルーフェンが使うよう仕向けた呪詛(魔語記載だから呪詛かどうかなんて見分けられない)なので、結果的にセントランスの魔導師たちが自滅します。
こうして、戦わずして、アーベリトはセントランスを陥落させたわけですね。
しかも、これにより親書をすり替えたことがバレたので、サイがスパイだったことも露見しました。
こういう切れ者同士の心理戦みたいなの、私は好きなんですが、分かりづらかったら申し訳ないです^^;
召喚術チャレンジに失敗し、スパイであることまでバレたサイ。
彼がサイコパスであると疑っていたトワリスは、「危ない考えは捨てて罪を償え」と、ある意味での救いの言葉を投げかけますが、サイは頷きません。
サイは、確かにサイコパス感ありますが、その実、魔術に興味があるわけでもない、抑圧されて育った現代っ子みたいなキャラでした。
魔術が好きだから、というわけではなく、たまたま得意だったから、自分を評価してもらうための手段として魔術を学んでたんですね。
サイは、養父であるバスカ・アルヴァンに否定されて育ったため、自己肯定感が低く、自分の意思を持たない、強い自己主張ができない人間に育ちました(バスカは、悪い人間ではありません。自分が脳筋スポ根の叩き上げ世代だったため、自分にも周りにも常に厳しかったんですね)。
そんな自分に疑問も持たず生きてきましたが、養父の命令で魔導師団に入ったサイは、夢を持って邁進していく周囲の若者たちを見て、衝撃を受けます。
言われた通りにしか生きてこなかったサイには、目標のために一心に頑張ってる人間が、ひどく眩しく映ったんじゃないかなぁと思います。
こういう人、現実にも結構いますよね。
進路決めるのに、将来の夢がある人は志望校に向かって頑張って勉強するけど、やりたいことがない人は、なかなか頑張れない……みたいな。
サイに関しては、スペックはめちゃめちゃ高いんですが、夢なんてものがなく、何かのために努力しようと思った経験がありませんでした。
だから、元が文字も読めなかったのに、アーベリトの役に立ちたい一心で魔導師に上り詰めたトワリスのことを見て、色々思うところがあったんじゃないかなと。
初めて会った時に、サイはトワリスに対し「ずっと努力家だなぁと思って見てた。トワリスさんと話したくて……」的なことを言っています。これはスパイとして近づいた意味もありましたが、案外本心だったのかもしれないですね。
また、皮肉なのが、サイは卒業試験の時に魔導人形ラフェリオンに出会っています。
ラフェリオン、ほぼ人間でしたよね。その生き方を見比べてみたときに、サイのほうがよっぽど操り人形のようで、ラフェリオンのほうが人間らしく思えます。
唯一得意な魔術ですら、召喚師のルーフェンには敵うはずがないし、セントランスを出たサイが見てきたものは、全てが劣等感を助長するものばかりでした。
しかし、最期の最期に、サイは今までの闇の系譜の根底を覆すほどの、ビッグイベントを起こして亡くなります。
なんと、召喚術を使っちゃうんですね!
召喚術については謎が多かったんですが、『召喚師一族にしか使えないもの』というのは、ミストリア編からの共通認識でした。
しかし、実はそう世間に思い込ませることで、召喚術という危険な魔術を使おうとする者が出ないよう、秘匿とされていただけだったんです。
召喚術を一般でも使えるという認識が広まったら、大変ですからね。色んな国が核爆弾もってます、みたいな事態に陥ります。
五章二話の段階では、サイが召喚術を使ったことで、ルーフェンだけがこの事実に気づきます。
本当は召喚術って誰でも使えちゃうんだ……ということは、絶対に隠さなければなりません。
かなり物語の確信に迫る話でした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.410 )
- 日時: 2021/02/12 12:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
〜あとがき〜⑤
†第五章†──淋漓たる終焉
第三話『永訣』
いよいよこの時が来てしまいました。
サイくんが亡くなって落ち込むトワリスに、唐突に遺書を渡してくるサミルさん。
鬼畜か?と言いたくなりますが、まあルーフェン、トワリス、ハインツ、ロンダートの中だったら、私もトワリスに渡しますね(笑)
死期が近いことを悟ったサミルさんと、徐々にそのことに勘付き始めたアーベリトの人たち。
シリアスファンタジーを書いてると、復讐に生きて亡くなった人とか、誰かを守って犠牲になった人とか、色んな『意味のある死』を書くことがありますが、ここにきて主要人物の一人であるサミルさんが、普通に病(年齢的に老衰死と表現してもいいかもしれませんね)で死ぬって、なんというか……人間の儚さを感じますよね。
ミストリア編にサミルさんは出てないし、そもそも王都がシュベルテに戻ってる時点で、彼の死を予測できていた読者さんはいたんじゃないかなぁと思います。
サミルさんには幸せに逝ってほしかったので、私はこれが一番良い終わり方なのかなと考えてます。
皆がサミルさんの元を訪れる中、ルーフェンだけが一向に顔を出そうとしません。
トワリスが探しにいくと、ルーフェンは、サミルの実子でもない自分は一体どうすればいいのかと、悩んでいるようでした。
ルーフェンは、上巻の時代からやけに血の繋がりを気にしている節があります(かつて片腕を失ったオーラントさんに対し、本物の息子であるジークハルトがいるんだから俺は引っ込んでなきゃ、てな感じでいじけてたこともありました)。
血の繋がりがある親子関係こそ本物、みたいな思考してるので、実母があんなんでもなかなか縁切れないし、それ以外の他人とは一歩引いた関係を築いてきました。
故に、今までも色んな人間の死に触れてきたルーフェンですが、なんだかんだで、そこまで大事な相手を失くすっていう経験はなかったんですね。
それが今回、パパ的存在のサミルさんの死期が近いと知り、あくまで他人でしかない自分はどうすれば良いのか、距離感を掴みかねていた次第です。
ある意味、血の繋がった親子関係というものに夢を見てる結果なのかもしれませんが、ここにきて、ルーフェンの不完全さというか、人間的に欠けてる部分が出てきます。
ここで、またトワリスのルーフェンに対する印象が変わってきます。
四章二話のあとがきでも記した通り、トワリスは、ルーフェンに憧れのお兄ちゃんフィルターをかけちゃってる節がありました(笑)
まあルーフェンがかっこつけがちで、完璧な部分しか見せて来なかったせいなんですが、下巻の始まりから『トワリス視点』で進んできた今現在まで、やっぱり「ルーフェン=完璧で頼りがいあるけど、いまいち何考えてるのか分からなくて怖い、別世界の人みたい」っていう印象が読者さんの中でも強かったんじゃないかと思います。
でも実際、全然そんなことなくて、頭いいだけで中身は、子供っぽいんですよね。
この辺りでトワリスも、そういうルーフェンの欠けたところに気づいてきました。
ちなみに、ルーフェンとトワリスの親へのイメージっていうのは、大きく違っています。
親子関係って、闇の系譜では常に意識して書いてるんですが、まずトワリスは、顔も覚えていないし真実は分からないけど、母親に対して良い印象を抱いてます。というか、そうだったらいいなと思い込んでますね。
一方のルーフェンは、シルヴィアアンチみたいなとこあります(笑)
その二人の認識の差が、前話でアーベリトにシルヴィアさんが避難してきた時に、がっつり出てます。
なんなら、三章一話で、母親の死を知って泣くトワリスに、ルーフェンは「そりゃ普通母親が死んでたら悲しいよな」みたいな他人事のような感想を抱いてます。
だから、ルーフェンがシルヴィアを警戒しまくってた時に、当初トワリスは「母親に対して冷たすぎる!」って批判的だったんですが、だんだんルーフェンの暮らしてきた環境が垣間見えてきて、本気で愛情が分からない人なんだなぁと感じ取り始めます。
トワリスは、なんだかんだでサミルさんやらロクベルさんやら、色んな人に出会ってますからね。
ルーフェンには、サミルさんがいたけど、自分で親子ではないと線引きしていたので、そこにあったはずの愛情が、いまいち見えていなかったのだと思います。
さて、話を戻して、ようやくサミルさんに会いに行ったルーフェン。
ルーフェンは、今後のことなんか話したくないと避けようとしますが、サミルさんは自分が死んだあとのことを伝えてきます。
そうして「真っ直ぐ生きてください。私はいつでも、君の味方ですよ」という言葉で、締め括りました。
この言葉、上巻の序章で初めてルーフェンと会って別れる時に、サミルさんが言った言葉と同じなんですよね。
サミルさんは、ルーフェンを見た時から、兄の子であることが分かっていました(詳細は上巻にて)。
その上で、叔父である自分が守らねばと、決意しています。
親子じゃないけど、親子に近い確かな絆が、そこにはあったように思います。
サミルさんが亡くなったのは、雪が降る明け方のことでした。
ルーフェンが、最後までサミルさんのことを「お父さん」と呼ばなかったのは、まあ今更言えなかったというのもありますが、サミルさんとの想いの形に齟齬を感じてたからです。
ルーフェンにとっては、サミルさんが本当の父親のようでしたが、サミルさんにとっては、ルーフェンはあくまで兄の息子なんですよね。
といっても、その愛に差はなくて、サミルさんは本当にルーフェンのこと大事に思ってたはずなんですが、それでも、ルーフェンは面と向かってサミルさんを父と呼ぶことは出来ませんでした。
サミルさんは、正直甘い部分が多すぎて、国王としては色々足りない部分がありました。
上巻でも、仕方がなかったこととはいえ、アーベリトに遷都したことが正解だったかどうかはなんとも言えません。
それでも、沢山の人を愛し、愛されていた人物だからこそ、良い幕引きができた人物だなと思います。
サミルさん、そしてレーシアス家について補足します。
サミルさんが非戦論を掲げていたのは、アーベリト自体が慈善活動に力を入れていたというのもありますが、自身が若い頃の十年ほど、軍医を務めていた経験があったからでした。
この辺のお話は、近々外伝に掘り下げ話として載せようと思ってるので、よかったらご覧ください。
以前、上巻のあとがきで、闇の系譜の世界の文明レベルについてチラッとお話したかと思いますが、サーフェリアは、基本的に魔術がある故に科学はそれほど発展していない設定です(というか魔術と科学の共存はリアリティを突き詰めるとキリがないので、考えたくないですw)。
銀竹オリジナル成分が多分に含まれているので、なんとも言えないのですが、なんとなーく実際の歴史でいう16〜17世紀くらいの発展レベルを参考にしてます。
ただ、戦が多い世界設定なので、医療技術に関しては突出して進んでいて、大体18〜19世紀くらいのレベルに合わせてます。とりわけアーベリトは、遺伝病の治療法確立とかしてますしね。
じゃあなんで、そもそもお金がないアーベリトが異様に医療進んでんの?って話なんですが、それは元が平民出のレーシアス家が慈善活動を始めたからこそ、でした。
まず、医療技術の発展具合って、結局のところ解剖に手を出すか出さないかで大きく分かれます(宗教的な思想とか倫理観から解剖を認めないとやっぱり遅れる)。
サーフェリア編上巻の二章四話で、サミルさんが「兄さん解剖するなんてドン引きかもしれんけど」的な発言をしていますが、これは、死体開くなんてどうなん?とか、血に触れるなんて穢らわしい!っていう考えが世間的にあったためです。
その点、アーベリトは政府公認で戦争難民を引き取っていた分、死に触れる機会が他より多く、死体を解剖したところで咎められるほど高い身分でもありませんでした(実際の史実でも、死体処理は賎民の仕事だったり、死刑執行人は正しい医療知識を持ってたけど身分の高い医者はお祈りすれば病気治ると思ってたとか、割とあったそうです)。
そういう環境だったからこそ、医療が発展していったのは必然であり、結果的に、アーベリトは小規模ながらも大都市を凌ぐ医療技術を持った街になったんですね。
ちなみに、話は変わりますが、サーフェリアの身分制度(貴族編)について。
カーライル公だの、マルカン侯だの、レーシアス伯だの、色々出てきますが、基本的な公侯伯子男の序列は同じものの、呼び方だけ闇の系譜オリジナルになってます。
ていうか、単純に分かりやすいようにしてます。
実際は会話中に爵位の前に名前をつけることはあんまりないらしくて、例えば公爵だったら「公」とか「閣下」って呼ぶようなんですが、名前つけてないと「いや誰やねん」ってなるじゃないですか。
まあ闇の系譜でもそういう使い方をしてる時もあるんですが、調べたところによると、実際の呼び方ってかなり複雑に決まっているようで、ぶっちゃけどうでもいいので省略してます(笑)
クラーク様、もしくはマルカン侯って聞いたら、ああ、あの港町の領主ね!ってなんとなく思いつ……かない読者さんもいるであろう状況の中で、港湾都市ハーフェルンで爵位を得た『ハーフェルン侯クラーク』、正式な場では『ハーフェルン侯爵閣下』、でも場所や身分が変わってくると『マルカン卿』って呼びれたりもする、なんて事態が発生したら、特に横文字の固有名詞が苦手だと言う方は、確実に混乱しますよね。
というわけで、闇の系譜では爵位は敬称的なノリで使って、姓+爵位=呼び名としてます。
サミルさんだったら、伯爵の称号をもらってアーベリトという領地をもらったレーシアス家の人なので、『レーシアス伯』と呼ばれます。
また、貴族出でなくても、宮廷魔導師になったりすると、その働きに応じて爵位をもらえたりもするので、ジークハルトなんかは『バーンズ卿』って呼ばれてますね。
全部自分で決めないといけないけど、舞台がそもそもフィクションだから事実と違ってもOK、それがファンタジーのいいところです(笑)
第四話『瓦解』
サミルさん、つまり現国王が崩御したので、どうすべきかシュベルテのバジレットさんに相談にいきたいアーベリト勢。
しかし、なんと②教会がシュベルテの城まで乗っ取り、①召喚師派は登城NGになっていました(また勢力がいろいろ出てきます!分からなくなったら>>409をチェック!)。
困ったアーベリトの自警団員代表、ロンダートさんが「(サミルさん亡くなったけど元気出せよ、気分転換に)召喚師様がシュベルテ行って直接交渉してきてよ!」と進言。
ルーフェンがシュベルテに行くことになります。
ルーフェンを待ち受けていたのは、うまいこと政権を握った大司祭モルティス・リラードでした。
彼らイシュカル教会は、セントランスからの襲撃で負傷したバジレットばあちゃんを隠し、現体制を一新して召喚師派をぶっ潰すと主張しています。
睨み合った末、ルーフェンを城に監禁しようとしますが、新興騎士団に紛れ込んでいたアレクシアによって逃され、ルーフェンを代わりにジークハルトに会いに行きました。
ここで、新しく以下が動き出します。
④現召喚師ルーフェン
……アーベリトに籍を置いていたが、サミルが崩御したことで、王権と共にシュベルテに戻ることになりそう。
ただしシュベルテでは反召喚師派の動きが活発化してるので、今戻ったらいよいよ暴動が起きる可能性あり。
教会は潰さず、対抗勢力として魔導師団の復権は必要。
しかし、召喚術の秘密を守るためにも、反召喚師派の動きが強いなら、このまま召喚師制を無くすべきと考え、自分が最後の召喚師になると決意します。
⑤城を追い出された若い魔導師たち(ジークハルト、アレクシアら)
……魔導師団の復権を望んでいるあたりは、①④と同じ。
ただし上層部(老害)の腐敗が目立っていた旧体制は一新して、教会への対抗勢力には召喚師を設置。教会は完全に潰すべきと主張。
現在のリーダーポジションはジークハルトですが、彼は今、セントランスからの襲撃で周囲の人間を亡くし、自信を失ってションボリしているところです。
元々は、召喚師なんかいなくたって魔導師団が国を支えるぜ!と思っていたジークハルトですが、今回の襲撃を経て教会側に傾いていく民意を目の当たりにし、自らの無力さに歯噛みします。
人というのは、何かにすがらねば不安に押しつぶされてしまう生き物です。
今回の教会の台頭も、言わば危機的な情勢に追い詰められた人々が、すがる対象を召喚師から女神イシュカルに切り替えた結果でした。
自分は召喚師の代わりにはなれないのだ、と痛感したジークハルトは、ルーフェンにシュベルテに戻ってくるよう頼んだ上で「俺じゃ駄目なんだ」と悔しげに伝えます。
この言葉、実は上巻の二章四話で、全く同じことをルーフェンがジークハルトに対して言ってるんですよね(ルーフェンが言ったのは、オーラントさんのそばにいるのは俺じゃ駄目なんだ、の意味)。
ルーフェンとジークハルトは、互いに自分の持っていないものを相手が持っていて、それぞれ羨ましく思っています。
シュベルテに戻って欲しいというジークハルトの頼みに、ルーフェンははっきりとは頷きませんでした。
召喚術が召喚師一族でなくても使えるかも、と仄かしてみたところ、ジークハルトが興味を示したからです。
ジークハルトのように心根が真っ直ぐで、悪用する意図がない者でも、秘密を知ったら、召喚術を使おうとするかもしれません。
ルーフェンはジークハルトの反応を見て、改めて、召喚師一族を廃することを心に決めます。
⑥前召喚師シルヴィア
……問題のルーフェンママ、現在はアーベリトで療養中。
彼女はなんかもうマジ疲れちゃったので、ルーフェンに殺されたがっています。
最期の最期に、ルーフェンの脳内に自分の存在を焼き付けたかったためです。
が、ルーフェンにその気がないと知って逆上。その気になるよう、アーベリトを陥落させようと動き出します。
ここには教会の意図も介入してますね。
教会はシルヴィアに対し「youやっちゃいなyo」と煽り、自分たちの手を汚さずにルーフェンを陥れようと画策していました。
元から様々な禁忌魔術に手を出していたシルヴィアさん、アーベリトの人間たちを糧に、悪魔を生み出して街を壊滅させます。
ここで初めて、ルーフェンが気づいていたこと(悪魔は召喚師じゃなくても人為的に作り出せる)が明らかになりますね。
シュベルテでも、セントランスでも、考えてみれば、瀕死状態の人間が大勢いる環境下で悪魔が生み出されていたんです。
なんとか悪魔と戦うトワリスやハインツたちですが、最終的には、ロンダートたち自警団員が、糧となっている人間たちと共に自爆することで、悪魔への魔力供給を止め、ルーフェンが帰ってくるまでの時間を稼ぎました。
ここら辺の戦闘シーン、いつもちゃらんぽらんだったロンダートさんたちが一番冷静だし、判断も的確かつ迅速なんですよね。
戦闘能力的には圧倒的にトワリスやハインツが上なのですが、ロンダートさんたちは、アーベリトを王都になる前からずっと守ってきた人たちです。
元はただのゴロツキ集団だし、正規の騎士でも魔導師でもありませんが、土壇場で経験の差が出たのかなと思います。
やらかしたシルヴィアさんを衝動的に殺そうとするルーフェンと、それを止めようとするジークハルトとトワリス。
しかし、最終的にルーフェンを留まらせたのは、ハインツくんの言葉でした。
サーフェリア編上巻にて、ルーフェンは、争うリオット族と魔導師たちに向かって、「憎しみ合うのは間違ってる、この連鎖を止めよう」的なことを言っています。
そのルーフェンが、憎悪に駆られてシルヴィアを殺そうとしました。
こういうのは理屈ではないですが、かつてのルーフェンの姿に感化されて着いてきたハインツくんにとっては、ショックな光景だったんじゃないかなと思います(ミストリア編でも、ハインツくんは獣人襲来の件について何も話さないルーフェンに「国のことだから~」みたいなことを言ってますね)。
完結直後のあとがきにも書きましたが、下巻は、ルーフェンが落ちていく話なんですよね。
今後も、あれだけ嫌っていたシルヴィア側に思考が偏っていくので、なんとも皮肉なものです。
最後はルーフェンが、召喚術の恐ろしさをジークハルトに見せつけて、街を壊し、イシュカル教徒たちも一掃して終わります。
ここまで来るとだんだん実感が湧いてくるんですが、現状、ルーフェンは明らかに悪側(支持率が少数派)ですよね。
上巻から始まり、運命に逆らいながらリオット族を救って、アーベリトに遷都して、そんなルーフェンに望んで着いてきてくれたトワリスやハインツもいて……道を違わぬよう、まっすぐ進んできたはずなのに、いつの間にか悪になっていました。
正義ってなんだろう、って思います。
ルーフェンは、その時代の流れを掴み取ったものが一時だけ正義と呼ばれる、と表現していますが、その通りですよね。
正しいから正義なんじゃなくて、それぞれ正義だと思って突き進んだ結果が、その時代に合わなければ悪になってしまう。
歴史ってこういう正義、思想のぶつかり合いで出来ていくんだなぁって……そういうのが表現できたら、ハイファンタジー書けてる感ありますよね(笑)
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.411 )
- 日時: 2021/02/11 19:27
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
〜あとがき〜⑥
†第五章†──淋漓たる終焉
第五話『隠匿』
思うところがそれぞれある終わり方にはなりましたが、色々と決着がつきました。
①旧体制の魔導師団と世俗騎士団→解散!
①-1 旧王家カーライル一族
→サミルさんに代わりバジレットが新王へ。モルティス率いる騎士団とルーフェン率いる魔導師団の二大勢力による統治体制を確立。
②イシュカル教会および新興騎士団(修道騎士会)
→ジークハルトに査問され、あんまり強気に出ると裏工作してたことがバレるので、城から一度退散。襲撃への関与は否定したが、魔導師団の復権とルーフェンらの登城を認める。
③軍事都市セントランス→陥落。シュベルテの政権下へ。
★ちなみにアーベリトの生き残りはシュベルテで一時保護。
後に、ルーフェンが上巻でカーノ商会から買収したヘンリ村跡地に移住します。
④現召喚師ルーフェン
→シュベルテに戻って魔導師団のトップに。
バジレットおばあちゃんには却下されたけど、いずれ召喚師制は無くす気満々。
召喚術は召喚師以外では使えない、という認識を壊さないために、アーベリト襲撃の罪を被るが、「俺がやりました!」と自ら肯定してしまうと人民からブーイングがくるので、黙秘。
⑤若い魔導師たち(ジークハルトら)
→教会を訴えて復権、魔導師団の建て直しに奔走なう。
人手不足のため、清く正しく国を守ってくれる優秀な魔導師募集中。
とりあえずトワリスとハインツの勧誘には成功した。
⑥前召喚師シルヴィア
→反逆罪の落とし前をつけるために、公開処刑決定。
まとめると、以上のような形で収まりましたね。
セントランスによる襲撃、シルヴィアによる襲撃、合わせて大勢の人間が亡くなりました。
本編の流れからはちょっと脱線しますが、ここで、名前はあったけどモブに近かったからいまいち思い出せない、襲撃で亡くなった被害者たちを追悼したいと思います。
○ガラド・アシュリー
……シュベルテの政務次官。上巻にて「顔がカマキリに似てる」と言われ、オーラントさんとルーフェンに陰で笑われていた。モルティスのライバルだった。
○レオン・イージウス
……前世俗騎士団団長。上巻にて王位継承問題で揉めてたときに「血統を重んじて、赤ん坊だとしてもシャルシスが王位を継ぐべきだ!」って主張してた人。摂政ポジションを狙ってたため、バジレットおばあちゃんに警戒されていた。
また、アーベリトへの遷都に反対してたので、それを強行したバジレットとルーフェンを恨み、セントランスに荷担して襲撃を手引きしてたんじゃないかと、本物のスパイだったサイくんにしれっと罪を擦り付けられていた。
○ヴァレイ・ストンフリー
……前宮廷魔導師団団長で、ジークハルトの元上司。
アーベリトへの遷都を可もなく不可もなくって感じで見守ってた穏健派。
優秀だったが、花祭りの直前に「俺一人が反逆者になって魔導師団が救われるなら、教会は俺は止めるぜキリッ」的な発言をして早々にセントランスによる襲撃で亡くなった、いまいち残念な人。
ああ、そういえば聞いたことあるな……みたいな名前だと思います(笑)
このまま忘れて頂いて結構ですが、一応頑張ってた権力者たちなので、この場をお借りして南無阿弥陀仏。
また、今回の襲撃の被害規模、わざわざスペース使って詳しく数値まで書く必要はないなと思って省いてたんですが、折角なのでここに書きます。
そのために、まず人口についておおまかに載せますが、前提として、サーフェリアは、面積の割に人数住んでません。
現実の単位で表すと、大体サーフェリアは5億haくらいの面積で、ざっくり総人口900万人くらいです(世界背景的には妥当な数だと作者は思ってますが、もうちょい治安良くなったら増えてくるはずです)。
全然人が住んでいない地域もあるので(探索し甲斐があるな!)、一部に密集しつつ、それでも小さい村なんかは百人単位しか住んでないですね。
そんでもって、一番大きな都市シュベルテは、面積1500ha、人口20万人ほど。
★今回セントランスによる襲撃では、本編中に「城下の四分の一がやられた」と書いてるので、大雑把に計算すると5万人近くが被害に遭ったということですね。うーん、しかも大型の建物や魔導師団・騎士団を狙ってきたので、被害規模としてはなかなか……。
アーベリトに関しては、途中で王都になったので、面積も人口も著しく変動し、これからも大きくなっていく予定でした(五章一話で、大工さんたちが頑張ってましたね)。
そもそも一時滞在者が多い街なので、本当に大まかな表記になりますが、ここ七年で、面積が160→400ha、人口は6000人→2万くらいまで増えています(急速に発展していったので人口密度的にはシュベルテより高かった)。
★それをシルヴィアさん(とルーフェン)が全壊させて、百数十人くらいしか生き残らなかったんだから、やばいですよね。ほぼ大規模自然災害並みの被害です。
本編に戻ります。
ひとまず、リリアナやカイル、ダナおじいちゃんは生き残っていたので、安堵するトワリスとハインツ。
しかし、人々、特にアーベリトの生存者たちの間では、召喚師に対する不信感が爆上がりしていました。
アーベリトを襲ったのは明らかに召喚術。
しかし、その犯人がシルヴィアであると明言すれば「召喚師じゃないのに召喚術使ったの?」という疑問が生じてしまいます。
それを防ぐために、バジレットたちは黙秘を続けていたので、人々の疑念はルーフェンに向かいました。そりゃそうですよね。
移住先を伝えにきたルーフェンに対し、人々の不満が爆発します。
「アーベリトに不幸を招き入れたのはお前だ」「死神だ」と罵声を浴びせますが、それでもルーフェンは、何も言いませんでした。
尚も罪を否定しないルーフェンに、トワリスは納得がいかず、地下牢にいるシルヴィアをぶん殴って「お前が代わりに謝って、息子の無実を証明しろ!」とキレ散らかします。
ミストリア編ではユーリッドくんがファフリちゃん専属のセラピストでしたが、サーフェリア編ではトワリスがシェイルハート家専属のセラピストですね。
ただし人狼族は、ある程度の理屈が通らない相手にはショック療法として拳をお見舞いしてくるので、注意が必要です(ユーリッドくんもファフリパパ殴ってます)。
ショック療法で諦めがついたのか、シルヴィアさんは、息子への執着をこの段階で辞めます。
……というか、もう本当に疲れて限界だったんだろうなと思います(笑)
どうせ死ぬなら、人々の記憶に鮮烈に残って消えようと、ヤンデレチックな思考をしていたシルヴィアさん。
彼女の行動には、非常に矛盾が多いです。
まず、生まれたルーフェンを殺さなかったこと。それから、侍女アリアからの手紙をわざわざ取っておいたり、オーラントさんを殺さなかったり。アーベリトでは、孤児院を魔法陣外にしていたり、直前でトワリスとハインツの術式を解いていたり……。
シルヴィアさんに人間らしさが残っていた故の行動だったと、都合よく解釈しても良いですし、偶然だったと解釈しても良いと思います。
ただ、そういう彼女の一面を知ると、憎みきれなくなるので、ルーフェンはあえて知らなかったことにしました。
彼女がどんな想いを抱えて生きてきたにしても、しでかした罪は重いものです。
最期は地獄に下り、シルヴィアさんは息を引き取りました。
あれだけ息子に殺されることに執着していたのに、結局、息子の手では逝きませんでした。
この時ようやく、ルーフェンはシルヴィアと決別できたのだろうと思います。
さて、そんなシルヴィアさんの訃報を後に知ることになるルーフェン。
かつて買収したヘンリ村の跡地にて、七年前に見つけた山荘で一人の時間を過ごします(ミストリア編でファフリちゃんたちが暮らしてたところです)。
アーベリトの人々に死神だのなんだのと言われても、一見ケロっとしていたルーフェンですが、実はいろんなものが溜まっていました。
かつては夢にまで見た、召喚師制の廃止——あまりにも簡単に覆って、転りこんできたその機会は、ようやく召喚師として生きることを決めたルーフェンには、受け入れ難いものでした。
また、今までアーベリトで築いてきたものが一瞬で消えた屈辱は、表に出していなかっただけで、耐えられないほどの絶望感を伴ってルーフェンを蝕んでいたのです。
そこにセラピスト、トワリスの登場(笑)
トワリスが本人に代わりに、築いてきたアーベリトでの七年間を肯定してくれたので、ルーフェンは救われたのかなぁと思います。
まあこの辺は特に解説することないです。
シルヴィア側に寄っていたルーフェンを、すんでのところで掴んで引き止めていたのが、トワリスだったり、ハインツくんだったり、ジークハルトだったりしたのでしょう
†終章†『黎明』
終章は次編のために書いたものなので、語ることはありません。
ミストリア編では色んな召喚師に接触していたエイリーンが、ついにルーフェンのところに来ました。
ユーリッドとファフリの話に関しては、おまけみたいなもんですね(笑)
ミストリア編を読んでいない人からしたら「いきなり誰⁉︎」って感じだと思うんですが、ここでミストリアの解説を始めると、折角サーフェリアで終わっていた余韻が消えるので、簡潔に済ませてます。
いよいよ点と点が繋がってきて、作者的にはホッと一息、という感じです。
いい加減長過ぎですね。解説あとがきも、そろそろ終わりにします。
他にも、本編が不明瞭で分からないことがあったり、気になる事がありましたら、このスレにコメントされるの嫌!ってことは全くないので、ご質問頂ければと思います。
とりあえず、言いたいことを一気にぶちまけたので、読みづらいとは思いますが、本編を読み進める一助になりましたら幸いです。
それでは、これにて、本当の本当にサーフェリア編完結とします。
もうサーフェリア編を更新することはないのだなぁと思うと、すごく寂しいですが、書きたかったシーンを沢山書けたので、達成感でいっぱいです。
主人公はダークサイドですが、これからもルーフェンとトワリスをはじめ、いろんな登場人物を応援してもらえるように頑張ります。
めちゃくちゃ長いですが、どの編もそれぞれ面白いと思ってもらえたら嬉しいですね。
ここまで読んでくださった方、誠にありがとうございました……!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.412 )
- 日時: 2021/03/06 15:06
- 名前: ヨモツカミ (ID: IS3fXoEU)
上手くまとまんなくて遅くなりましたが、完結おめでとうございます。そして執筆お疲れ様でした。あとありがとうございました。
完結記念Skypeさせていただいたとき、まじでため息しか吐かなくて面白かったけど、実際にあとがき読んだらちゃんとあとがきじゃん……てなりました(笑)
オルタっちなつかしい〜〜。多分私はオルタっちの作品好きな派の人間なので、何気にあの人のことは好きだったんですよ。実際そういう性癖の人沢山いるし、オルタっちとは仲良くなれそう、まあ、トワさんをあんな目に合わせたのは許せんけど。
女性が奴隷になる場合の話ちゃんと書くとR指定作品になっちゃうもんな……
「俺はこの国の、召喚師様だからね」も懐かしい&今思い出すとギャアアアアアアてなりますね?? ルーフェンさん……アアアア……
ミストリア読んでた時期、スレインさんのことを知ったトワさんの話ありましたね……懐かしい。お母様のこと知りたがってた子供時代があったのを読んだあとであのシーン読むと、嗚咽……。
懐かしい。炎の鳥の魔法(幻)でトワさんの名前聞き出すのとか、流石ルーフェンさんって感じだったなあ。あのシーン、可愛いですよね。
その後、マルカンパーティー(??)で炎の魔法(幻)使ってたの感慨深かったなあ。トワさんがかっこよく戦うシーン好きなので(ラフェリオンのときとか)、スタイリッシュに仕留めてたのまじかっこよかったなー。
サミルさんびっくらポンのとき思ったんですけど、死体の描写結構リアルに書くなあって。なんとなく、あんましエグいシーンはしっかり書かないというか、全年齢対象として書いてるっておっしゃってたから、(その後も何度か死体の描写エグめに書いてるなーて気になってた)なんとなく描写の雰囲気変わったなって思ってました。
リリアナさんの「お姉ちゃんだから」って言うの、もう、ホントに……やばい、ナチュラルに涙出てきたわ。二人が友達になっていくのいいですよね……ミストリア読んでたときはなんでこいつら友達なんだ? と思ってましたが。ロクベルさんもいい人で……二人の友情のお話かなり好きですね。私が百合好きなのもあると思うけど、いや、70%はソレです、不順で申し訳ないですが二人の関わるお話はいつも愛おしい。
訓練生時代の話もすごい好きでしたね、それはまた百合好き不順ツカミなのもありますけど、アレクシアさんのクソ女加減が本当に好き(笑)
てかラフェリオン編めっちゃ面白かったなマジ。ファンタジーの醍醐味、剣と魔法で戦うってシーンだし、若い子たちが奮闘してるのも華があるし、トリーシアさんの話の衝撃がすごかった。フィオーレ姉妹のお話読んでからだと、アレクシアさん愛らしいですね。異端であることにコンプレックスあったのも、魔道士目指したきっかけがお姉さんのことなのも、愛おしいし、あとは不順ツカミとしては留年シアさんがトワさんのほっぺ指でピッてやってたシーンとか、トワさんに背負投されるのとかのやり取りが尊かったですね。尊かったです。尊かったです!!!! 留年シアさんはかわいいね……。
留年シアさんとジーク無神経ハルトさんの関係も素敵ですよね。無神経ハルトさんとしては特別な力を持つ人間と、「俺じゃだめなんだよ」の件もあるから無神経ハルトになるのも仕方ないけども。
留年シアさんの酷い語彙を見て、狐さんは他人を罵倒する言葉のレパートリー豊富だなあ…………狐さん…………って思ってましたが、例のマリアナとのコラボではさらにクソ女だったので、あの辺りで狐さんに対する気持ちも変わりましたね。
14……あれ、中学2年生。ハインツくん年齢不詳感強いから年齢聞くとビビりますね(笑)むかーしからキャラ絵を見て気になってたハインツくんがやっぱりかわいい子でニコニコでした。リリアナさんもかわいいしな。天使じゃん。
サイコパスくんのことは既に色々言ったので、改めて言うことはないですね。でもやっぱり、パスくんのことは好きだなあって思います。すごく共感できるところが多かったのと、トワさんに対するクソデカ感情がエモエモだったから。
あああ、もう皆が亡くなってしまう部分は思い出したくないので何も書きません(笑)
あ、でも「真っ直ぐ生きてください。私はいつでも、君の味方ですよ」のとこはホント、全国のサミコン爆発四散でした。
人狼族のショック療法好きです(笑)
なんかもう、色々楽しみだし辛いし、ミストリアを知ってるとかなり違う作風に感じられて、私好みでおもしろかったです。
以上、あとがきに対する感想。
以下は読み終えたときに書きなぐったメモを含む感想です。
アーベリトでの悲劇。あれは、心の弱い、ひとりの女性の、どこまでも悲痛な願い。“闇の系譜”に抗いたかった、孤独な女性の悲鳴、だったんだろうなと、思いました。
やってることだけ見ると、悪役的な悪、まさにヴィランでしたけど、同情する点は多々あるんですよね。“闇の系譜”の被害者でしたからね。普通に恋して結婚して幸せになれたらよかったのに。召喚師として生きるってことがどんなことなのか。私はシルヴィアさん大好きだったので、どうか安らかに……。
闇の系譜被害者といえば。
リリアナさん、めちゃくちゃ被害を受ける一般人代表って感じで、ミストリアの出来事も含めて、マルシェ家は怒っていい(笑)
こんな目にあってるのにみんなの前では明るく振る舞うの、本当に天使……
狐さんはリリアナさんのことうるせえ女とか言いますけど、サミルセラピーに続きリリアナセラピーは体にいいしいずれ癌にきく。
これはここで書きたかったのでSkypeとかDMでは一切言いませんでしたが、創作をする人間として、すごく尊敬してます。伏線の貼り方や、回収の仕方もそうだし、話の展開や登場人物の人間性、全部私には作れないものだなと思いました。
サミルさんが亡くなるときはもちろんみんな泣いたと思いますが、ロクベルさんとロンダートさん。この二人がなくなってしまうとき、めっちゃ泣きました。
この悲しみは狐さんが書き上げてきたものだからこそ生まれる感情で、同じように創作する人間でも、簡単に真似できるものじゃないと思ったので、創作者として凄い圧倒されました。
私は常々人の心に影響のある作品を書きたいと思っていて、それは話の展開のおもしろさ、キャラの魅力、驚きの展開、なんでもいいんですけど、一番は「泣かせてやりたい」ていうのが強いです。私の知ってる涙の誘い方は“感動的な死”だと思ってましたが、闇の系譜を読んでいて、あらゆるところで泣いたし、“感動的な死”というのも、私には書けないタイプのものが多かったので、創作をする人間として、尊敬と憧れがまじヤバかったです。狐さんとしては完結させる力をそれほど大きなものだとは思っていないみたいですが、私はそこも含めて感動したし、尊敬と憧れヤバイです。
何か既にお伝えしたことは沢山あるので、改めてここで書くことが少ない(笑)
んーと、とにかく、私にできないことをやってのけるところとか、これだけ壮大なお話をしっかり完結させるのとか、素晴らしい力だと思います。
狐さんは長編ファンタジーだから読者が減っていってしまうのは仕方ないっておっしゃってましたが、私は近くで作品と狐さんに寄り添っていられる状態がとても幸せなので、これからも側で応援させていただきたく思います。
改めて完結おめでとうございます。とりあえず今はゆっくりしてください!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【完結】 ( No.413 )
- 日時: 2021/03/10 18:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)
>>412
ヨモツカミさん
ご感想ありがとうございます!
私もようやく、サーフェリア編完結の達成感を言語化できるようになった気がしなくもないですw
といっても、あとがきは大分ふざけて書いたので、それに関してコメントと言われるとちょっと恥ずかしいですが(笑)
ルーフェンとトワリスが最初に出会った頃は、まだルーフェンも真っ当だった感ありますね。
「俺はこの国の、召喚師様だからね」っていう言葉は今後もトワリスの中に残るだろうし、ルーフェンも自分に言い聞かせ続けるものですが、その意味は過去か未来かで、また変わってくるんだろうなぁって思います。
サミルさんのびっくらポン、まああのシーンはルーフェンが堕ちていく最初の片鱗が見える場面でしたし、下巻は"主人公が死に塗れる"のが重要になってくる部分が多かったので、実際、描写の重きを置く場所は以前と変わったのかなぁって気がします。
ミストリア編では、がっつり死体に重要な意味があるシーンとかなかったですし(奇病の原因特定する時くらい?)、児童文学チックな雰囲気目指して書いてたので。
統一感出すと言う意味では、目に見えて描写を変えたいとは思わないんですけど、サーフェリア編の方が私の趣味全開にしてるので、好みを描いているという意味では、素の書き方が出ちゃったのかもしれません(笑)
リリアナファミリーは、トワリスが自分に合った戦い方を編み出すきっかけを作ったし、彼女が魔導師になるための後見人にもなってるし、ファフリちゃんたちも助けてるし、間接的に世界を救ったといっても過言ではないですねw
魔導師団に入ってからも色んな人と出会うトワリスですが、不器用な彼女がうまく真っ直ぐに育ったのは、誰よりも最初に知り合ったのが、他ならぬリリアナたちだったからだと思ってます。
ラフェリオン編は、確かに下巻の中で一番ファンタジー感あったし、若いキャラが多くて王道感あったかもしれないですね。
同じ異端でも、トワリスには人間離れした身体能力と生命力があったけど、アレクシアには物理的な力はなかったので、逸れた生き方をするしかなかったんだろうなぁっていうのが伺える……あの、性格の悪さ(笑)
アレクシアの話でもあり、禁忌魔術の存在を仄めかす話でもあり、魔導師団の闇が垣間見える話でもあり、サイが自分よりもずっと人間らしい人形を目の当たりにしてしまう話でもあり、沢山の要素を詰め込めた話でした(^^)
ハインツくんは、上巻でも登場してますけど、彼のストーリーはむしろここから始まったって感じです。
ルーフェンとトワリスは紆余曲折しながら、良くも悪くも自分の生き方を確立しつつありますが、ハインツくんはまだ人の影に隠れてる状態なので、今後本当に自分がやりたいことっていうのを見つけていってほしいです。
死亡ラッシュのあたりは、そうですね、既にコメント頂いていたので……。
様々な死を書けたので、鬱展開ではありましたが満足してます(笑)
シルヴィアに関しては、男女の違いはあるものの、結局のところルーフェンがなり得る一つの可能性だったんだろうなと思います。
シェイルハート親子が似てるのかどうかは、なんとも言えないところですが、もしかしたら、あの動かない笑顔は、ルーフェンの成れの果てだったのかもしれません。
まあ、アーベリトの人たちからしたら、とんでもない迷惑をかけられたって感じですが(笑)
めっちゃ褒めてくれてありがとうございますb
長編ファンタジーって、どんな要素でも詰められるジャンルだと思ってます。
だからこそ、情報の取捨選択は必要ですが、見えていないところにも膨大な世界の広がりがあるんだろうなって思えるのが、長編ファンタジー。
闇の系譜で言えば、あくまでルーフェンとトワリスメインの視点で動いているというだけで、その他のユーリッドやファフリ、サミルさんやジークハルト、モルティスにも、襲撃で亡くなった町民Aにだって、それぞれドラマがあるわけですよね。
その最終回を"死"とするなら、ハッピーエンドバッドエンド問わず本当に色んな形の死があるし、"信念を貫いた"とするなら、正義の勝者と、悪の敗者側のストーリーが出来ていきます。
そういう多種多様のドラマを、書いてなくとも想像して、ジーンとくるような作品が作れたらいいなぁって、私は思います( ´∀`)
私はどちらかというと、泣くより考えさせられる作品が好きですが、折角長編ファンタジーなので、どうせならどっちもあるといいですよね(笑)
死が間近な世界だからこそ、日常の方が泣けるみたいなところもあるし、あらゆる場面であらゆることを感じて、泣いて、笑って、考えさせられる作品が理想です。
その多々ある中の一つが、ヨモツカミさんの中に響いてくれたなら、作者としてこれほど嬉しいことはないです。
なんかすごく創作者っぽいことを言ったぞ!
完結まで読んで下さって、重ねてありがとうございましたb
これからもよろしくお願いしますー!