複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.235 )
日時: 2020/04/04 18:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

†第五章†──淋漓たる終焉
第一話『前兆』



「き、汚い……」

 五年ぶりにアーベリトに帰ってきて、念願のレーシアス邸を前にしたとき。
トワリスの第一声は、汚い、であった。

 ハーフェルンの領主、クラークの娘であるロゼッタから、正式に解雇を申し渡されて、丸三日。
魔導師団の最高権力者である召喚師、ルーフェンにアーベリト配属を決められた以上、わざわざ本部のあるシュベルテに報告に行く必要もないので、トワリスは、マルカン家に挨拶を済ませて早々、アーベリトへと発った。
夢にまで見た、王都での勤務が決まり、ルーフェンと共に人生初の移動陣を経験した頃には、トワリスの気持ちは、これまでにないくらい高揚していた。
久々にやってきたアーベリトの街並みは、五年前に比べると、大きく様変わりして栄えており、眺めていると、懐かしいというよりは、知らない街に来たような気分になる。
それでも、中央地までやってきて、落ち着いた白亜の家々が並ぶ通りに出ると、当時の面影を感じることもできるのであった。

 昔は、レーシアス邸は市街地内に位置していたが、五年の間に移転し、現在は、街を抜けた先の丘に、城館として建っていた。
シュベルテやハーフェルンの領主邸に比べれば、こじんまりとしているものの、緊急時にはこの城館に籠城、もしくは人々を背後の山々に避難させられるよう、意識して造られている。
しかし、言わば王城であるはずのこの邸宅は、トワリスの第一印象の通り、どことなく“汚かった”。
鉄柵の隙間から見える庭の雑草は荒れ放題、伸び放題で、白亜の石壁には、枯れて絡まった蔦がへばりついている。
一応新築なので、石壁はひび一つない綺麗な状態であったが、土埃で薄汚れた窓々は、誰にも磨かれていないのが丸分かりだ。
手入れの行き届いたマルカン邸で暮らした後だから、一層みすぼらしく感じるのかもしれないが、今のレーシアス邸に、王の居城という威厳はまるでなかった。

 トワリスが、レーシアス邸を前に唖然としていると、ルーフェンが苦笑した。

「いやぁ、本当は城塞として高い塀も建てたかったんだけどね。城下の居住区を増やすことが最優先だったから、とにかくお金がなくてさぁ」

「…………」

 相変わらずの気の抜けた口調で言うルーフェンに、そういう問題ではないと、突っ込む気力も湧かなかった。
金銭不足なら、庭師や侍女を雇う金も惜しいということなのだろうが、王の城館ともなれば、他所から人を招くこともあるはずだ。
ハーフェルンのように、無駄に豪華にする必要はないが、最低限の管理と清潔さを保つことは、遵守せねば王の沽券に関わるだろう。

 ルーフェンに促されるまま、城館の柵内に入ると、不意に、肌が粟立った。
とぷんと、薄い水の膜を突っ切ったかのような、奇妙な魔力を感じる。
どうやら、目には見えないが、レーシアス邸には結界が張られているらしい。
五年前、サミルが襲撃を受けた時から、ルーフェンは信用できない余所者を、アーベリトに入れたくないと主張していた。
その言葉通り、基本的に許可を得ていない者は、レーシアス邸には侵入できないようになっているのだろう。
建てられなかった城壁の代わりに、この結界が、サミルたちを守っているようだ。
一時的ならばともかく、常時城館を覆うほどの結界を張っていられるなんて、召喚師であるルーフェンでなければ、できないことであった。

 庭の敷石の上を進み、木造の大門まで歩いていくと、暇そうな自警団員の男が、ぷらぷらと足を動かしながら立っていた。
柵を抜けたときは、顔が見えなかったが、近づいていく内に、その顔がはっきりしてきた。
男は、ルーフェンの帰還に気づくと、ぶんぶんと手を振りながら、犬のように駆け寄ってきた。

「召喚師様、おかえりなさーい! ……と、君は……?」

 懐かしい声を漏らして、男は、トワリスを見る。
トワリスは、ぺこりと頭を下げると、表情を緩ませた。

「お久しぶりです、ロンダートさん」

 一言、それだけ言うと、途端にロンダートの目が、かっと見開いた。
トワリスの足元から頭までをじろじろと見て、やがて、ばっと両手を広げると、ロンダートはトワリスに抱きついた。

「トワリスちゃん!? トワリスちゃんだ! 本物!? なんでここに!?」

 体格の良いロンダートに強く抱き締められて、思わずよろける。
年齢的には、もう二十代半ばを過ぎているはずなのに、ロンダートは昔から、年甲斐もなくはしゃぐ、無邪気な男だった。
街の様相は変化しても、昔馴染みの変わらぬ様子を見ていると、嬉しさが込み上げてくるものである。

 一度離れて、わしゃわしゃとトワリスの頭を撫で回しながら、ロンダートは言った。

「最初見たときは、誰だか分からなかったよ。トワリスちゃん、大きくなったなぁ! 今、いくつだっけ?」

「もう十七になりました」

「十七か! じゃあもう立派な大人だ。ついこの間まで、片腕で持ち上げられちゃうくらい、ちっちゃくて軽かったのになぁ」

 言いながら、トワリスを抱えあげようとするロンダートに、流石に恥ずかしいからと、制止をかけようとすると、その前に、ルーフェンが彼の頭を小突いて止めた。

「いてっ」

 思わず頭を押さえて、ロンダートがうずくまる。
ルーフェンは、何事もなかったかのような笑顔で、ロンダートに合わせて屈んだ。

「やだなぁ、ロンダートさん。いきなり抱きつくなんて、変態のすることだよ」

「変態!? 別に他意はないし、トワリスちゃんとの感動の再会なんだから、いいじゃないですか。召喚師様だって、よく似たようなことしてるでしょう」

「そんなことより、サミルさんはどこかな?」

「露骨に話そらすのやめてもらっていいですか……」

 慣れた様子でルーフェンに冷たい一瞥をくれてから、ロンダートは立ち上がる。
そして、城館のほうを示すと、ロンダートはにかっと笑った。

「陛下なら多分、執務室にいます。ちょうど俺、もうすぐ見張り交代の時間だし、取り次ぎますよ!」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.236 )
日時: 2020/04/06 18:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 ロンダートに導かれ、レーシアス邸の中を進んでいくと、やはり館内は、掃除が行き届いていないのか、全体的に埃っぽかった。
物が少ないので、散らかっているという印象は受けなかったが、途中立ち寄った図書室では、出しっぱなしの本が机に積んであったし、壁に備え付けられた燭台には、燃えさしがそのまま残っている。
それとなく聞けば、城館の掃除等を一手に引き受けてくれていた家政婦のミュゼが、三年ほど前に腰を痛めて、自宅療養中らしい。
当時、子供ながらに、男たちの全胃袋を握っていたミュゼが、この屋敷最強なのだろうと感じ取っていたが、その認識に間違いはなかったようだ。
魔導師としてレーシアス家に仕えるようになったら、まず始めなければならないのは、掃除かもしれないと、トワリスは内心ため息をついたのであった。

 執務室の前までたどり着くと、ロンダートが扉を叩き、ルーフェンの帰還を知らせた。
中から、どうぞ、と返ってきた穏やかな声を聞いたとき、トワリスは、鼓動が速くなるのを感じた。

 室内に踏み入れると、サミルとダナ、そして、見知らぬ巨漢が佇んでいた。
サミルとダナは、執務机につき、入ってきたトワリスたちを見上げている。
真っ白な髪を後ろで結い、厚い毛織のローブを纏ったサミルは、五年前よりも更に細く、華奢になっているようだったが、その薄青の瞳を見た瞬間、トワリスの胸に、熱いものが込み上げてきた。

「陛下……ご無沙汰しております。トワリスです」

 跪いて、深く一礼する。
もう子供ではないのだから、王の御前だという自覚を持たねばと、自分に言い聞かせながらここまでやってきたが、そんな思いは、サミルの柔らかな表情を見た瞬間から、どこかへと消えてしまっていた。

 事態が飲み込めないのか、未だに硬直しているサミルとダナに、何故か得意げなロンダートが、前に出て補足した。

「お二人とも、トワリスちゃんですよ! 覚えてますか? ほら、何年か前、一緒に住んだことがあったでしょう!」

 それから、ふと不可解そうな顔になると、ロンダートもトワリスを見た。
よく考えてみると、トワリスが何故アーベリトに帰ってきたのか、その理由はロンダートも知らない。
今更そのことに気づいて、説明に詰まったのだろう。

 ルーフェンは、苦笑しながら、口を開いた。

「彼女、魔導師になってたんですよ。ハーフェルンで偶然再会して、腕が良かったので、アーベリトに来ないかって誘って引き入れたんです。ちょうど人手がなくて困ってましたし、今後は王家お抱えの魔導師として、活躍してもらおうかと。事後報告ですみませんが、サミルさん、構わないですよね?」

 ルーフェンが問いかけると、サミルはようやく立ち上がって、トワリスの目の前まで歩いてきた。
合わせてトワリスも立ち上がれば、頭一つ分ほど高い位置で、サミルと目が合う。
そっとトワリスの髪を掬うように、優しく頭を一撫ですると、サミルは、目尻にしわを寄せて微笑んだ。

「もちろん、覚えていますとも……。また会えるとは思っていなかったものですから、驚きましたよ。……おかえりなさい、トワリス」

 ややあって、骨ばったサミルの手が、トワリスの肩に置かれる。
それだけで、日だまりに包まれたような、暖かな匂いが全身を覆った気がした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.237 )
日時: 2020/05/27 20:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

 感極まって、何も返せずにいると、サミルがふと心配そうに眉を下げて、ルーフェンのほうを見た。

「しかし……君が決めたことなら反対はしませんが、魔導師としてアーベリトに置こうだなんて、危険ではありませんか? トワリス、君も良いのかい?」

 念押しするように尋ねられて、トワリスは、顔をあげた。
思えば五年前、レーシアス邸に置いておくのは危険だからと、トワリスの孤児院行きを決めたのは、他でもないサミルである。
今も昔も、厄介払いしたくて言っているわけではないと分かっているが、サミルの中でトワリスは、まだ幼く非力だった少女のままなのだろう。
魔導師になったからといって、いつまた襲撃を受けるかも分からぬレーシアス邸にトワリスを迎え入れるのは、抵抗があるようであった。

 トワリスは、腰の双剣に手を置くと、深く頷いた。

「勿論です。魔導師になって、アーベリトに帰ってくることが夢だったんです。まだまだ未熟なところもありますが、精一杯陛下をお守りします!」

 力強い口調で言うと、その勢いに押されたのか、サミルが目を丸くした。
思わず張り切りすぎてしまったかと、急に恥ずかしくなって、トワリスが口を閉じる。
その後ろで苦笑いしながら、ルーフェンが言った。

「大丈夫、腕は確かですよ。ハーフェルンで一悶着あったときも、大活躍だったから。ね?」

「そ、そんなことは……」

 否定しながらも、トワリスは、どこか照れ臭そうに俯いた。
サミルはつかの間、そんなルーフェンを、意外そうに見つめていたが、やがて、穏やかに破顔すると、トワリスの手を両手で挟み込むように握った。

「そういうことなら、歓迎しますよ。心配ではありますが、君がこうして立派になって、望んでアーベリトに帰ってきてくれたのなら、私としても、これほど嬉しいことはありません」

 握られた手の暖かさが、染みるようだった。
同時に、ひょっこりとサミルの横から顔を出したダナが、微笑ましそうに首肯する。

「宣言通り魔導師になるとは、本当に立派なことじゃ。思えばトワリス嬢は、随分と勉強熱心だったしのう」

 昔を懐かしむように、ダナが目を細める。
同調するように、ロンダートは、うんうんと頷いた。

「すっごいですよねえ、だってシュベルテの魔導師団って、入ると滅茶苦茶大変だって言うじゃないですか! ハーフェルンで勤務してたってのも、俺からすりゃあえらいことですよ。トワリスちゃんってば、いつの間にか雲の上の存在になっちゃったんだなぁ」

 冗談めかした言い方であったが、手放しに褒められて、トワリスは一層こそばゆい気持ちになった。
現在の王都はアーベリトなのだから、ハーフェルンやシュベルテよりも、アーベリトに配属されることこそ、誇るべきなのである。
しかし、昔からアーベリトに住んでいる当の本人たちは、いまいち垢抜けない雰囲気が捨てきれないらしい。
変わらぬロンダートやダナの呑気さに、呆れつつも、安堵している自分がいた。

 話に耳を傾けていたサミルが、ふと、ルーフェンに問いかけた。

「ハーフェルンといえば……どうでしたか? 祭典中に敵襲があったと伺いましたが……」

 ルーフェンが、サミルのほうを見る。
真剣な顔つきになると、ルーフェンは答えた。

「その件については、俺からも話があります。おそらく、アーベリトにも関係のあることなので」

「え、ええ。分かりました」

 緊張した面持ちになって、サミルがルーフェンの元へ歩み寄る。
ルーフェンは、トワリスに向き直った。

「到着したばかりで疲れてるだろうし、今日のところは、休むなり、城下を見に行くなり、好きに過ごしててよ。宿舎も使いたければ使っていいし、他に当てがあれば、そちらに泊まっていいよ。案内は、ロンダートさんか、ハインツくんあたりに頼んでよ」

 それだけ告げると、ルーフェンはサミルを連れ立って、さっさと執務室を後にしてしまった。
慌ててお礼を言ったが、聞こえたかどうかは分からない。
ハーフェルンの話題が出た途端、ルーフェンもサミルも顔つきが変わったから、何か早急に話さねばならぬ事情があるのだろう。

 ハーフェルンにて、突如祝宴の場に現れた侵入者たち──。
人数からして、マルカン家の没落を目論む少派かと思っていたが、先ほどルーフェンは、あの襲撃はアーベリトにも関係があることだと言っていた。
トワリスの知らないところで、何か繋がりがあるのだろうか。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.238 )
日時: 2020/04/14 21:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 眉をしかめて考え込んでいると、ロンダートに、ぽんと肩を叩かれた。

「……で、どうする? 空きはあるから、宿舎で寝泊まりするなら、案内するけど。とりあえず、荷物置かなくちゃだもんな」

 トワリスの背負い袋を一瞥して、ロンダートが言う。
トワリスは、慌てて表情を繕うと、迷ったように言葉を濁らせた。

「あっ、えっと……そうですね。この城館で働いている人たちって、基本、その宿舎を利用しているんでしょうか?」

 ロンダートは、首を横に振った。

「いや、そうでもないよ。半々くらいかな。日中しか勤務しない事務官とか、家族がいる奴なんかは、普通に城下の家から通ってるよ。まあでも、トワリスちゃんは女の子だし、当てがあるなら城下から通った方がいいかもね。うちの宿舎、城館のすぐ隣だから、近くて便利なんだけど、家政婦やってくれてたミュゼさんたちが抜けて以来、俺みたいな独り身の自警団員ばっかり使ってるからさぁ。勿論部屋は別々にできるけど、水場とか共用だし、野郎臭いかも」

 あはは、と苦々しく笑って、ロンダートが言う。
男所帯なのは、魔導師団でも同じ状況だったので構わないが、トワリスが一つ気になっていたのは、孤児院にいた頃からの友人──リリアナのことであった。

 魔導師団に入れたのは、リリアナの叔母、ロクベルからの援助があったからだというのに、なんだかんだでトワリスは、もう五年半も彼女たちの元に帰っていない。
手紙のやりとりでは、正規の魔導師になれたら帰れるかもしれない、と伝えていたのだが、早々にハーフェルンに異動になって忙しくしていたから、それも果たされなかったままだ。
リリアナたちには、まだアーベリトに戻ってきたことすら伝えていないので、彼女たちの状況次第ではあるが、出来ることなら、リリアナたちの家に住まわせてもらって、レーシアス邸に通いたかった。
改めてお礼も言いたいし、今は宿代としてお金も払えるから、これを機に恩返しがしたいのだ。

 トワリスは、少し考え込むように沈黙した後、ロンダートに言った。

「確かに、宿舎の方がいざというときにすぐ駆けつけられるので、便利だとは思うんですが……すみません、一つ心当たりがあるので、このあと城下の方に行っても良いですか? 孤児院にいた頃の友人がいるんですけど、私、一時期彼女の家にご厄介になっていたんです。事情を説明したら、また住まわせてくれるかもしれないので、一度相談に行きたいです」

 ロンダートは、にかっと笑顔になった。

「おっ、それならちょうどいいじゃないか。行ってくるといいよ。ただ俺は、一応城館の警備中だから、街に下りるなら、案内はハインツにしてもらってくれ」

 突然話題を振られて驚いたのか、ずっと黙って部屋の隅にいた黒髪の巨漢──ハインツが、びくりと肩を震わせた。
その図体には似合わぬ、怯えたような佇まいで、ロンダートを見つめている。
トワリスは、ハインツを一瞥してから、横に首を振った。

「いえ……ハインツさん、ですか。お仕事中ですよね? お邪魔するのは申し訳ありませんから、一人で平気です。一応五年前までは、アーベリトに住んでいた身ですし」

 遠慮がちに言うと、ロンダートが、ハインツを強引に引っ張ってきた。

「大丈夫大丈夫! 確かに、色々手伝いはお願いしてるけど、ハインツに関しては、本格的に自警団の仕事に入ってもらってるわけじゃないんだ。この子、まだ十四歳だしさ」

「十四!?」

 思わず大声をあげてしまって、トワリスは、慌てて口を押さえた。
まるでその反応を期待していた、とでも言いたげに、ロンダートがげらげらと笑う。

「そうそう! ハインツはリオット族だからさ、子供の頃から、そりゃあもう大きくて。もうすぐ十五になるんだっけ? 全っ然見えないよなぁ!」

「…………」

 ロンダートにばしばしと肩を叩かれ、縮こまっているハインツを、トワリスは、唖然として見上げた。
顔の上半分を、歪な鉄仮面が覆っているせいか、確かにハインツは、外見を見るだけでは年齢不詳だ。
しかし、筋骨隆々としたその体躯は、大柄なロンダートよりも更に一回り大きいし、とてもではないが、十四歳には見えない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.239 )
日時: 2020/05/27 20:13
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


 リオット族とは、かつてルーフェンが、南端のノーラデュースと呼ばれる荒地から王都に引き入れた、特殊な地の魔術を操る一族のことである。
話には聞いたことがあったが、直接見るのは、初めてであった。
皆これほど、人間離れした風体をしているものなのだろうか。

 絶句しているトワリスに、ロンダートは続けた。

「ここら辺、居住区を広げた影響で、通りが多少複雑化してるんだ。トワリスちゃんがいた頃のアーベリトとは、だいぶ状況が変わってるんだよ」

 ダナが、顎を擦りながら、こくりと頷いた。

「そうじゃのう。城下に限らず、人も入れ替わりが激しくなったしな。わしもよう把握しとらんが、今年は特に、新しく魔導師やら事務官やらが増えたんだったかな」

「それも言えてますね! 去年とか一昨年あたりは、とにかく人手不足で大変だったから」

 ロンダートが同調して、肩をすくめる。
次いで、再びトワリスの方を見ると、ロンダートはハインツを親指で示した。

「まあ、そういうわけだから、案内役は絶対にいた方がいいよ。ついでに、ハインツと仲良くしてあげてくれ。彼も、一応魔導師ってことで、最近城館の来るようになったんだけどさ。こんな成りなのに、すっごい人見知りなんだ」

「は、はあ……」

 曖昧に答えつつ、ハインツの方を見ると、彼は全身から汗を吹き出しながら、小刻みに震えていた。
人見知りしている、というよりは、もはや怯えているようにしか見えない。
一体トワリスの何に対して、それほどの恐怖心を抱いているのかは分からないが、こうも一挙一動にびくつかれると、対応に困ってしまう。
トワリスとて、今後一緒に働く可能性があるならば、ハインツとは是非仲良くしておきたいところだが、とにかく彼は終始俯いていて、こちらを見もしないので、どう反応すれば良いのか分からなかった。

 迷った末に、軽く会釈をすると、トワリスは控えめな声で挨拶をした。

「……はじめまして、トワリスと申します。よろしくお願いいたします」

 すると、その時初めて、仮面越しにハインツと目があった。
ハインツは、しばらくおろおろと視線をさまよわせながら、黙っていたが、ややあって、ようやく顔をあげると、ぺこりと頭を下げた。

「……はじめまして。ハインツ、です……」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.240 )
日時: 2020/04/16 19:19
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 もうすぐ秋も終わる頃だというのに、暖かな日差しが射し込んで、王都は麗らかな空気に包まれていた。

 かつて、トワリスが住んでいた頃のアーベリトは、質素な石造の建物が並び、耳を澄ませば、近隣の森から鳥の鳴き声が聞こえるような、落ち着いた雰囲気の街であった。
しかし、現在のアーベリトは、ロンダートの言う通り、大きく様変わりしており、賑わう人々の活気に溢れていた。

 商店の並ぶ大通りでは、親に買い与えられたのであろう菓子を片手に、子供たちが駆け回っている。
店先に揃う品々も、各街と手を結んだ影響か、五年前に比べれば多種多様であった。
ハーフェルンを思うと、やはり華やかさには欠けるものの、清潔感のある白亜の家々には、至るところで地方旗が掲げられている。
遷都を祝う三色の旗が、晴れた空にたなびく様は、鮮やかで美しかった。

「あの……ハインツさん? くん?」

「……ハインツ」

「じゃあ、ハインツ」

 足を止めると、トワリスは、ふと背後に佇むハインツを見た。
まるで行き交う人々から隠れるように、ハインツは、トワリスを盾に小さくなっている。
しかし、その巨大な体躯が、トワリスの身一つで隠せるわけもないので、ほとんど無意味だ。

 トワリスは、微かにため息をつくと、呆れたように言った。

「案内役として来てくれたんですよね? 私についてくるんじゃなくて、先導してくれませんか?」

「……ご、ごめんなさい」

 怒られたと思ったのか、ハインツは、泣き出しそうな声で謝ると、その場にしゃがみこむ。
トワリスは、もう一度ため息をつくと、やれやれと肩をすくめた。

 城館を発って、街に下りてからというもの、ハインツは、終始びくついていた。
客を呼び込む商人の声にすら怯え、走る回る子供とぶつかりそうになった時なんかは、驚きの余り、トワリスの身長の高さまで跳んだ。
通りすがるどの町民よりも大きな図体をしているくせに、情けない及び腰で、トワリスの影に隠れながら、おどおどと歩いている。
その様は、自然と人の注目を浴びることになり、おかげでトワリスも、目深に外套をかぶる羽目になった。
獣人混じりであることは、普通に歩いていれば、案外気づかれないものだが、挙動不審な巨漢と一緒となると、話は別である。
トワリスは、リリアナの家の住所を確認しながら、もはや案内役とは名ばかりのハインツと共に、好奇の視線の中を進まねばならないのであった。

 人混みをはずれ、かつてのレーシアス邸があった大通りをまっすぐ南に進むと、低い木柵に囲まれた、趣のある一軒家が見えてきた。
記憶とは少し違う気もしたが、玄関口に置かれた立て看板を見た瞬間、トワリスは、ここがリリアナの家だと確信した。
その看板には、“小料理屋マルシェ”と書かれていたのだ。

 小料理屋の中には、それなりに客がいるのか、こもった笑い声が聞こえてくる。
赤い屋根から突き出した煙突からは、白煙と共に、香ばしい匂いが風に乗って漂ってきていた。

 外套を脱ぎ、ハインツと共に、小料理屋の前で立ち尽くしていると、視界の端で、人の気配が動いた。
店の裏手から出てきた少年が、水桶を持って、こちらをじっと見ている。
年の頃は、七、八歳といったところだろうか。
トワリスは、少年の赤髪と、昔の面影がある悟った顔つきを見て、微かに目を見開いた。

「……カイル? カイルでしょう?」

 トワリスが声をかけると、カイルは眉をひそめた。
トワリスの腰の双剣と、その後ろで萎縮しているハインツをじろじろと見ながら、カイルは、怪訝そうに一歩引いた。

「どうして俺の名前を知ってるの? あんたたち、誰? お客じゃないの?」

 敵意丸出しの口調に、ハインツが、びくりと肩を震わせる。
トワリスは、ハインツの前に立つと、慌てて首を振った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.241 )
日時: 2020/04/18 19:13
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


「ああ、えっと……いきなり話しかけて、ごめん。そりゃあ、カイルは覚えてないよね……。私、お姉さんのリリアナの知り合いで、トワリスって言うんだけど。名前だけでも、聞いたことない?」

「…………」

 リリアナの名前を出せば、信じてもらえると思ったが、カイルの表情は、一層歪むばかりであった。
胡散臭そうにトワリスたちを見て、一度水桶を地面に置くと、カイルは鼻をならした。

「聞いたことがあったら、なんだっていうの? 姉さんの知り合いだろうが、知り合いじゃなかろうが、剣を持ってる奴を店に入れるつもりはないよ。そこのデカブツ仮面とか、見るからに怪しいし!」

 びしっと指をさされて、ハインツが更に縮こまった。
年端も行かぬ少年に、まだ十四とはいえ大男が言いくるめられる様は、なんとも滑稽なものであったが、カイルの物言いは、確かに的を射ている。
トワリスは、双剣を剣帯から抜くと、木柵に立て掛けた。

「怖がらせて悪かったよ。でも、本当に怪しい者じゃないんだ。武器を持ってたのは、私が魔導師だからってだけで──」

「嘘つけ! アーベリトはルーフェンが守ってるから、魔導師はほとんどいないんだ! 街の警備は自警団がしてるんだぞ! お前は偽物だ!」

「なんで召喚師様のこと呼び捨て!?」

 思わず叫んでから、論点が違うと思い直す。
到底子供とは思えない弁才と度胸に、たじろぎつつも、間違いなく彼は、リリアナの弟のカイルだと再確認した。
トワリスがマルシェ姉弟と出会った当初、カイルはまだ二歳であったが、その当時から彼は、年齢に似合わぬ落ち着き具合と賢さも持つ子供であった。
実際、アーベリトはルーフェンの意向で、他所から少数しか魔導師を引き入れていなかったし、街の巡回を担当していたのは主に自警団員なので、城下に魔導師が来るはずがない、というカイルの発言は正しいのだ。

 さて、強引に押し入ってはカイルを怯えさせてしまうだろうし、どう説得したものかと、困り果てたトワリスであったが、その心配は、取り越し苦労に終わった。
騒がしいカイルの声を聞いて、駆けつけたのだろう。
トワリスと同じ年頃の、赤髪を二つに結った女が、戸口に現れたのだ。

 車椅子を器用に操り、扉を開けて出てきた女は、カイルを見やり、そして、ハインツとトワリスの方を見ると、大きく瞠目した。

「リリアナ……」

 ぽつりと、トワリスの口からこぼれ出る。
リリアナは、一瞬何を言われているのか分からない、といったような呆然とした顔をしていたが、やがて、その緑の瞳を揺らすと、唇を震わせた。

「……ト、トワリス?」

 まるで幽霊でも見たかのような物言いに、思わず苦笑する。
トワリスは、こくりと頷くと、表情を緩ませた。

「うん、そうだよ。……ただいま、リリアナ」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.242 )
日時: 2020/04/26 15:23
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


「もうー、うちの弟がごめんね! ほら、カイルも謝んなさい」

「…………」

 ぶすぐれた表情のカイルは、姉に謝罪を促されても、黙ったままであった。
いかにも納得がいかない、といった顔つきで、トワリスとハインツを睨み、そっぽを向いてしまう。
トワリスは、小さく首を振った。

「い、いや……私たちも、怪しい格好で店の前に突っ立ってたから。むしろ、感心したよ。昔から大人びてるなぁとは思ってたけど、カイルって、よく口が回るし、頭良いんだね」

 褒めたつもりであったが、残念なことに、カイルの機嫌は直らなかった。
一言も発することなく、カイルは身を翻して、二階へと続く階段を駆け上がっていく。
リリアナは、呼び止めても応じない弟に嘆息すると、申し訳なさそうに眉を下げた。

「本当にごめんね、カイルってば最近無愛想で。昔はあんなことなかったのよ? これがお年頃ってやつなのかしら……」

 ふう、と息を吐いて、リリアナは紅茶をすする。
それを見て、苦笑すると、トワリスも用意してもらった紅茶をすすった。
仄かな花の香りが、ふわりと鼻腔を抜けていく。
飲むまでは分からなかったが、この紅茶は確か、昔よくロクベルが淹れてくれていたものであった。

 小料理屋マルシェは、トワリスがいた頃から改装したのか、多少変わっている部分もあったが、居心地の良い空気感はそのままであった。
天井の梁からは、種々様々な干した茶葉が吊り下げられ、程よい木と草の香りを放っている。
開いた大窓からは、爽やかな風が入っては、時折茶葉の束を揺らし、カウンター越しに見える厨房からは、くつくつと煮える鍋の音が聞こえていた。

 空席も見られるものの、狭い店内に並ぶ食卓には、仕事の合間にやってきたのであろう作業着姿の客たちが、談笑しながら食事を頬張っている。
トワリスは、食卓に紅茶を戻すと、目の前のリリアナを見た。

「お店の開店時間なのに、押しかけて大丈夫だった? 迷惑だったら、出直すけど……」

 一際、豪快な声で笑う男性客たちを一瞥してから、小声で謝る。
リリアナは、首を横に振ると、嬉しそうに笑った。

「気にしないで。厨房にはおばさんが入ってくれてるし、今の時間はそう混まないから。それより、そちらの方は?」

 ふとハインツの方を見て、リリアナが尋ねる。
ハインツは、店の雰囲気に馴染めないのか、リリアナの声など耳に入っていない様子で、椅子の上で縮こまっている。
一向に話し出す気配がないので、代わりにトワリスが紹介をした。

「えーっと……リオット族の、ハインツって言うんだけど。一応、私の仕事仲間ってことになるのかな。召喚師様の下に仕えてる、魔導師みたい。私も今日初対面なんだけど、ここに来るまでの案内役としてついてきてくれたんだ」

「まあ……随分大きな仕事仲間さんなのね」

 ハインツをじっと見上げて、リリアナは呟いた。
流石、孤児院で浮いていた獣人混じりに躊躇いなく話しかけてきただけあって、ハインツの姿を見ても、リリアナは動じていないようだ。
しかし、その規格外かつ奇怪の風体には、やはり興味を引かれたらしい。
カップの持ち手に通せないほど、硬くて太いハインツの指を見て、リリアナは目をぱちくりとさせていた。

 しばらくは、ハインツを眺めていたリリアナであったが、ふと、何かに気づいたように瞠目すると、トワリスを見た。

「……ん? ちょっと待って。召喚師様に仕えるハインツさんと、トワリスが仕事仲間、ってことは……」

 リリアナの言わんとすることが分かって、頬を緩める。
トワリスは、どこか照れ臭そうに頷くと、言葉を継いだ。

「……うん、そうなんだ。実は、私も召喚師様に仕えることになって。今後は、アーベリトで暮らすことになったから、今日はそのことで、リリアナに相談したいことが──」

「きゃぁあーーっ!」

 突然、リリアナがあげた甲高い悲鳴に、トワリスもハインツも、椅子ごと後ろに倒れそうになった。
周囲で談笑していた客たちも、何事かとリリアナを見る。
しかしリリアナは、そんなことはお構いなしに、トワリスの方へと身を乗り出してきた。

「召喚師様に仕えるようになったって、いつから? いつの間にそんなことになったの!?」

「い、いつからって……! とにかく、ちょっと声おさえて!」

 慌ててリリアナの口を手でふさいで、しーっと人差し指を押し当てる。
思いがけず注目を集めることになり、熱くなった頬を扇ぎながら、トワリスは、咳払いをして続けた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.243 )
日時: 2021/02/09 23:23
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


「城館仕えが決まったのは数日前だけど、アーベリトについたのは、ついさっきなんだよ。手紙で知らせてなくて、ごめん。それで、本当に急な話で申し訳ないんだけど、もしよかったら、またリリアナと一緒に住めないかなって……」

「…………」

 そろそろと手を離すと、リリアナは、驚いたような顔つきで、トワリスを見つめた。
ややあって、驚愕の表情が、みるみる歓喜の色に染まる。
綻ぶような笑顔を見せると、リリアナは言った。

「そんなの、もちろん大歓迎よ! おばさんもきっと喜ぶわ!」

 言いながら、リリアナが、トワリスの手をぎゅっと握る。
そして、店内を振り仰ぐと、言い募った。

「あのね、トワリスがアーベリトに戻ってきたら、お話ししたかったことが山ほどあるの。このお店も改築したし、いろんなことがあったのよ。おばさんの料理、とっても評判が良くて、マルシェ亭は結構有名なお店になったし、私も、基本は給仕をしているけれど、手伝っている内にお料理の腕も上がって、今じゃ立派な看板娘なんだから! あ、そう! この辺りに、サミル先生と召喚師様がいらしたことがあったんだけど、うちのお店に立ち寄ってくださったのよ。その時に、初めて召喚師様を間近で見たけれど、とっても綺麗で優しい方だったわ。カイルがすごく懐いてね、私も、この人がトワリスの憧れの人かぁって、ちょっとドキドキしちゃった!」

 ああ、だからカイルが、親しげにルーフェンの名を呼んでいたのかと、トワリスは納得した。
興奮した口調で、リリアナは、トワリスの知らぬ五年間を語り続けている。
だんだん声が大きくなっていくので、その度に諌めたが、いつしか、楽しげに話している彼女に、横槍を入れようという気はなくなっていた。

 話している内に、リリアナの目に、涙が滲んでくる。
やがて、握る手に力がこもったかと思うと、リリアナは呟いた。

「良かったぁ……。この五年間、手紙だけじゃ想像できないくらい、トワリスも頑張ってたのね。ずっと諦めずに走り続けて、かっこいいわ。私、とっても嬉しい。トワリス、出会った頃から、召喚師様の下で魔導師になって働きたいって言ってたものね。……叶って、本当に良かった」

 そう涙声で言われたとき、泣くことではないはずなのに、トワリスの胸にも、熱いものが込み上がってきた。
鼻の奥が、つんと痛んで、うまく言葉が出ない。
リリアナが、まるで我がことのように喜んでくれていることが、どこか不思議で、とても幸福なことだと感じられた。

 思えば、最初に背中を押してくれたのは、リリアナだったのだ。
生まれつきの地位も学もないくせに、魔導師になるなどと言い始めたトワリスの言葉を、サミルもルーフェンも、内心子供の語る夢物語だと、受け流していただろう。
トワリス自身でさえ、志は本物であったが、どこか現実味のないものだと思っている節があった。
リリアナだけだ、応援すると言ってくれたのは。
「トワリスなら夢を叶えられる」と、最初から信じてそう言ってくれていたのは、リリアナだけであった。
レーシアス邸を出て、最初に仲良くなったリリアナから夢を否定されていたら、どうなっていたか分からない。
魔導師になれるなんて、根拠のない言葉ではあったが、当時の自分がその励ましにどれだけ救われていたか、今なら分かる。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.244 )
日時: 2020/04/25 18:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 不意に肩を叩かれて、トワリスは振り返った。
色黒の男が、満面の笑みで立っている。
作業着姿からして、大工衆の者だろう。
五人で集まって、先程まで豪快に笑いながら食事をしていた客の一人であった。

「話の途中に邪魔をしてごめんよ。聞こえてきちまったんだが……君、トワリスちゃんなんだよな?」

「……はい、そうですが」

 返事はしたものの、見覚えのない男の顔に、トワリスは目を瞬かせた。
関わりがあっただろうかと、記憶を巡らせてみるが、やはり思い出せない。
黙っていると、リリアナが首を傾げた。

「ラッカさん、トワリスと知り合いだったの?」

 尋ねられると、ラッカと呼ばれた男は、白い歯を見せて笑った。
次いで、突然トワリスの肩に腕を回すと、ラッカはそのまま、自分が座っていた席の方へと、身体の向きを変えた。

「……な、なんですか?」

「まーまー、感動の再会なんだし、付き合ってくれよ。リリアナちゃん、ちょっと借りるよ」

「え、ええ。それは構わないけど……」

 状況が読めないリリアナの承諾を得て、ラッカは、トワリスを誘導した。
ラッカと同じ、大工衆らしき男たちがつく食卓に連れていかれ、示されるまま、席の一つに腰を下ろす。
抵抗しようとも思ったが、リリアナの知り合いの客のようだし、感動の再会と言うからには、トワリスとこの男は、過去に会ったことがあるのだろう。
自分が単純に、忘れているだけかもしれないと思うと、拒否しづらかった。

 男たちは、トワリスの前に、自分達が食べていた料理やら、酒やらを適当に取り分けて並べると、嬉しそうに口を開いた。

「いやぁ、まさかとは思ってたけど、こんなところで会うとはなぁ」

「その耳がなきゃ、分からなかったよ。会ったのって、何年前だっけ?」

 微笑ましそうに言いながら、男の一人が、トワリスの頭をがしがしと掻き回すように撫でた。
五人全員の顔を、一人一人見つめてみたが、どうしても接点が思い出せない。
トワリスが戸惑っていることに、ラッカが気づいたのだろう。
顔を覗きこんで、ラッカはにやにや笑った。

「覚えてないかい? ひどいなぁ、俺たち、トワリスちゃんの命の恩人なのに」

「そりゃお前、俺らトワリスちゃんの前では名乗ってないだろう。忘れられてたって仕方ないさ、なあ?」

 同意を求められて、トワリスは、いよいよ眉を寄せた。
命の恩人、という言葉が事実ならば、よほど深い関わりがあったに違いないが、そんな相手を、ここまで綺麗さっぱり忘れることなんてあるだろうか。
今までアーベリトで関わった全ての人間を覚えているかというと、流石に自信はないが、それにしたって、男たちの顔にも、ラッカという名前にも、全く記憶がない。

(ていうか、そもそも大工衆の知り合いなんて、私にはいないし……ん?)

 その瞬間、トワリスは、あっと声をあげて、ラッカの方に振り向いた。

「あ、あの! もしかして、私が拾われたときの……?」

「おおーっ! そうそう! 思い出したか!」

 男たちは、どっと一斉に笑い出したかと思うと、盛り上げるように拍手をした。

 トワリスはかつて、絵師の元から逃げ出した際に、強風による空き家の倒壊に巻き込まれ、気絶していたところを、通りがかったルーフェンと大工衆に助けられた。
その時の大工たちこそが、ラッカたちだったのである。
あの時のトワリスは、意識が朦朧としていたし、ルーフェンに眠らされてすぐ、レーシアス邸に送られたから、その場にいた大工衆のことなんて、名前は勿論知らないし、顔も見ていたかどうか怪しいところだ。
これで思い出せと言う方が無理な話で、ラッカたちはそれを分かっていて、トワリスをからかったのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.245 )
日時: 2020/04/28 18:50
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 男たちがあまりに豪快に笑うので、つられてトワリスも笑むと、ラッカは満足げに唸った。

「俺たちも、驚いたんだぜ。昼食とってたら、リリアナちゃんと連れの会話に、トワリスって聞こえてきてさ。名前は召喚師様から聞いたことあっただけだったし、何せもう何年も前のことだから、気のせいかとも思ったんだけどよ。その耳を見て、絶対あの時の女の子だ! って確信したわけ」

 トワリスは、面映ゆそうに眉を下げた。

「その節は、お世話になりました。一時期、アーベリトから離れていたんですけど、お陰様でまた戻ってきました。私もまさか、リリアナのお店でこんな再会を果たすなんて、思ってもなかったです」

 男の一人が、口を開いた。

「俺たち、前までは職場が近かったから、ここの常連だったんだけどさ。最近はほら、市民街とリラの森の境に、擁壁(ようへき)があるだろう? そこの切り崩しに駆り出されてたから、なかなか来る機会がなくてな。今日はたまたま早上がりしたから、久々に行くかって話になって、リリアナちゃんに会いに来たんだけどよ。そうしたら、トワリスちゃんの顔まで見られたから、偶然って言うには出来すぎてるくらいだよなぁ」

 他の男たちも同調するように頷いて、再び笑いが起こる。
トワリスは、話を聞きながら、感心したように息を吐いた。

「なるほど……アーベリトにはどんどん人が流れ込んできてるみたいですし、建設業の方々は大変ですよね。切り崩しってことは、もしかして、リラの森まで市街地を広げるんですか?」

 ラッカが、こくりと頷いた。

「ああ、その予定らしいぜ。まあ、おかげで食うには困らなくなったよ」

「もうちょい同業が増えてくれると、有り難いんだがなぁ。俺たちだけじゃあ、どうにも手が回らん」

 大袈裟な身振り手振りで言いながら、男の一人が、首をこきこきと鳴らす。
トワリスは、面食らったように眉をあげると、男たちを見回した。

「手が回らんって、まさか、ラッカさんたちだけで請け負ってるんですか?」

 果実酒を呷って、ラッカが否定した。

「俺たちだけって、この五人ってことか? あはは、流石にそれはないさ」

 言葉を継いで、別の男が言う。

「確かに、仕事量の割には人数少ないけど、大規模な工事をやろうって時には、リオット族なんかが力を貸してくれるよ。トワリスちゃんもほら、そこのあんちゃんを見りゃあ分かるだろ? リオット族ってのは、たくましい奴ばっかりで、馬や牛なんかよりもよっぽど力がある。今は採掘の方を手伝いに、南のガラムの方に行っちまったらしいだけど、あいつらのおかげで、擁壁の解体も、ほとんど終わってんだ。俺たちがやらないといけないのは、残りの後片付けと、測量だな」

「馬鹿、それが大変なんだろうが。あーあ、明日からまた一日中仕事かぁ。せめて帰ったときに、美味しい手料理を振る舞ってくれるかみさんでもいたらなぁ」

 ぼやく若い男を叩いて、周囲の大工衆たちは、考えたくないからそれ以上は言うなと、ふざけた口調で叱責した。
そろって突っ込みを入れる仕草や、茶化すような空気から、切迫した雰囲気は感じなかったが、大変なのは本当なのだろう。
考えたくないと言いつつも、それからしばらく、男たちは愚痴をこぼし合いながら、酒をちびちびと舐めていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.246 )
日時: 2020/04/30 18:48
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 シュベルテなどの大都市では、建設業などの危険が伴う業務には、基本的に魔導師が介入する。
特に大規模な建設に乗り出す場合は、人力より魔術で資材の運搬などを行った方が、圧倒的に効率が良く、安全に済ませられるからだ。
とはいえ、重量のある石材や木材を移動させるには、膨大な魔力が必要になるため、一口に介入するといっても、大人数の魔導師が必要になってしまう。
それに、魔導師が立ち入ったからといって、建設業における専門家が、職人階級の者たちであることに変わりはないし、そもそも、それだけ多くの魔導師を保有している都市など、シュベルテとセントランスくらいなものだ。
地方では多くが人力、ないしは牛馬に頼って作業を進めているし、それを思えば、リオット族の力が借りられるアーベリトは、まだ負担の軽い方だと言えるのかもしれない。
しかし、そんなアーベリトに魔導師として着任することになったトワリスとしては、地方都市と並べられる王都の現状を、看過するわけにはいかないのであった。

 ひとしきり話し終えた男たちに、トワリスは、ふと唇を開いた。

「あの……確約はできませんが、よかったら、お手伝いしましょうか」

 男たちの視線が、トワリスに集中する。
トワリスは、はきはきとした口調で続けた。

「新参なので、進捗具合など詳しく把握できていなくて申し訳ないのですが、居住区の拡大目的ということであれば、その仕事は勅令(ちょくれい)で行っていることですよね。だったら、上は手を貸す義務があります。擁壁の解体は終わったとのことなので、リオット族を呼び戻す必要はないと思いますが、その他の作業も、大工衆の方々への負担が大きいようなら、こちらでお手伝いしたほうが能率も上がります。アーベリトも魔導師が一切いないというわけじゃないですし、もし召喚師様から許可が頂ければ、私もお力になれるかもしれません」

 魔導師らしいことを格好良く言ってのけたつもりであったが、男たちの反応は、いまいちであった。
ぽかんとした表情で互いに顔を見合せ、再びトワリスの方を見ると、ラッカが突然、ぶっと吹き出した。

「なんだよ、一丁前なこと言うようになりやがって! ついこの間まで、野猿みたいだったくせに!」

 ラッカの発言を皮切りに、他の男たちも、げらげらと笑い出す。
酒が入っているせいもあるかもしれないが、乱暴に頭を撫でられて、トワリスはむっと眉を寄せた。

「真面目な話をしたのに、からかわないで下さいよ」

「悪い悪い、なんてったって、天下の魔導師様だもんなぁ」

「そうだぞ、猿なんて言ったら失礼だろう」

 何がそんなに面白いのか、軽口を叩きながら、男たちは顔を赤くして笑い続けている。
魔導師様、魔導師様と囃し立てるその口調は、明らかに子供をあやすときのそれだ。
確かに、ラッカたちからすれば、トワリスは凶暴で世間知らずな子供という印象が強いのかもしれない。
しかし、魔導師になったのは事実なのだから、少しぐらいは、今の姿に目を向けてくれても良いだろう。

 トワリスはつかの間、無言でラッカたちのことを睨んでいたが、それでも、彼らの勢いは止まらないと悟ると、やれやれと肩を落とした。
酔っぱらいを相手に拗ねたところで、明日にはけろっと忘れられていそうだし、この程度で刺々しく口を出して、彼らの陽気な食事会に水を差すのは忍びない。
トワリスは元々、酒を飲んで騒ぐような場は得意ではなかったが、無駄なようで大切なこの穏やかな時間が、いつまでも続けばいいのにと願う気持ちも、胸の奥にあった。

 ひとまず、擁壁解体の件は後日ルーフェンに相談すると口約束だけして、トワリスは、その場を後にした。
思いがけない再会に長居してしまったが、元々トワリスは、リリアナに居候の相談をしにやって来たのだ。
一緒に住めることにはなったが、荷物などはダナたちに預けたままだし、それらを運び込むことも考えると、日暮れ前には一度、城館に戻らなければならないだろう。

 リリアナとハインツがいる食卓を見ると、二人は、向かい合った状態で、無言で俯いていた。
寡黙なハインツ相手でも、よく喋るリリアナのことだから、話題には事欠かないだろうと思っていたのだが、なにやら二人の間には、気まずい空気が流れている。
流石に初対面の二人を置いていくのはまずかったかと、慌てて戻ろうとすると、その前に、リリアナがトワリスの方に車椅子の向きを変えた。

 慣れた手付きで車輪を動かし、彼女にしては珍しい無表情で、こちらに近づいてくる。
リリアナは、困惑するトワリスを連れて、店の隅に移動すると、警戒したように一度周囲を見回してから、そっと耳打ちをした。

「お、お、王子様だわ……」

「…………は?」

 あのリリアナが、真顔で耳打ちなどしてくるものだから、一体何を言われるのだろうと身構えていたトワリスであったが、彼女の口から飛び出してきた言葉は、よく理解できないものであった。
聞き間違いかと思い、問い返すと、リリアナはもっと屈めと言わんばかりに、トワリスの袖を引っ張ってくる。
膝をついて目線を合わせると、座るハインツの方をちらちらと見ながら、リリアナは再び囁いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.247 )
日時: 2020/05/03 20:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


「王子様よ……私、王子様と出会ったの。これが恋、運命の出会いってやつなのね……」

「…………」

 うっとりとした顔つきになったリリアナに、トワリスは、つかの間何も返せなかった。
はっきりと何を言っているのか聞こえたし、やはり聞き間違いではなさそうなのだが、リリアナの発言の意味が、さっぱり分からない。
逡巡の末、額に片手をあてると、トワリスはようやく口を開いた。

「……え、なに? 王子様って、何の話?」

 本当のところ、なんとなく検討はついていたのだが、聞かずにはいられなかった。
リリアナが、もじもじと指先を動かしながら答える。

「トワリスとラッカさんたちが話してる間、折角だからと思って、ハインツさんに、苺のタルトを出したの。うちの新作でね、とっても美味しいのよ」

「う、うん……」

「そのタルト、結構大きいの。私なんか、半分でお腹一杯になっちゃうくらいなんだけど……。ハインツさんったら、五つも食べちゃって……」

「……うん」

「でね、その間、何も言わないから、食べ終わった後に、味はどうでしたかって聞いたの。そしたら、『美味しいね』って、小声で一言……」

「…………」

 きゃっと短く声をあげて、頬を染めたリリアナが、恥ずかしげに両手で顔を覆う。
まるで絵に描いたような恋する乙女の反応に、トワリスは、唖然とするしかなかった。

 振り返って食卓を見ると、確かにハインツの前には、空になった平皿が五枚、積み重ねられていた。
しかし、美味しいと感想を述べた割に、ハインツの顔色は悪く、店に来たときよりも、震えがひどくなっている気がした。
前後のやり取りを聞いていないので、断言は出来ないが、察するに、リリアナがタルトをどんどん持ってくるので、ハインツは断れなかったのではなかろうか。
リリアナは実際料理上手だし、店で出しているくらいだから、タルトが美味しいのは事実なのだろう。
だが、どんな大食漢でも、甘いものを大量に食べたら、普通は気分が悪くなる。
美味しくてうっかり沢山食べてしまっただけなら良いが、今のハインツは、無理にタルトを掻きこんだ結果、具合が悪くなっているようにしか見えなかった。

 リリアナは顔をあげると、緑の瞳を輝かせながら言った。

「美味しいね、って……そう言ったのよ。あんなに強そうな見た目で、うまい、とか、いける、とかじゃなく、美味しいねって……。しかも、ちょっと吃(ども)りながら! きっと奥ゆかしい方なんだわ。ハインツさん、素敵……!」

 目を開けたまま、今にも夢の世界に旅立ってしまいそうなリリアナに、トワリスは、内心頭を抱えた。
一度思考が暴走し始めた彼女を、容易に止めることができないのは、過去に一緒に暮らした経験から、トワリスもよく分かっている。
勿論、本気でリリアナが恋をしたというならば、何も言わずに応援してやるのが、親友としての勤めだろう。
だが、ここまでの道中で分かった通り、ハインツは尋常でない人見知りで、見た目に反して内気な性格のようだ。
トワリスとて、知り合ったばかりでこんなことを言い切るのは気が引けるが、ハインツには、絶対に恋愛なんて早い。
そんな彼に、暴走したリリアナが強引に迫れば、きっと事態はこじれまくるだろう。
そして、その面倒な恋路に巻き込まれるのは、おそらくトワリスなのだ。

 一つ咳払いをすると、トワリスは、何事もなかったかのように立ち上がった。

「……まあ、頑張って。それじゃあ私達は、城館に戻るから──」

「待って!」

 叫んだリリアナが、すかさずトワリスの腕を掴む。
獣人混じりでも振りほどけない、凄まじい力で引き留められて、トワリスはたじろいだ。

「ちょっ、離して! 荷物が城館に置きっぱなしなんだって」

「そんなの、後で取りに行けばいいじゃない。お願い、協力して! このまま帰ったら、私とハインツさん、今後接点がなくなっちゃうわ!」

 リリアナの懇願に、トワリスは、渋々抵抗をやめた。
このまま二人で騒いでいたら、再び客たちの注目を集めかねない。
周囲の視線を気にしながら、トワリスは再度屈むと、小声で答えた。

「協力ったって、何をすればいいのさ。大体、ハインツとはさっき会ったばかりだろ。それなのに、す、好きだとか、恋だとかって……」

 リリアナは、むっと眉を寄せると、トワリスの両頬を手で挟んだ。

「恋に時間は関係ないのよ! まず、ハインツさんにまたお店に来てくれるよう、それとなくお願いしてほしいの。あと、ハインツさんの好きな食べ物とか、趣味とか、色々知ってることを教えてちょうだい!」

 トワリスは、苦々しい表情になった。

「そんなの、自分で聞けばいいだろ……。教えてって言われても、何も知らないし。私もハインツとは、今日会ったばっかりなんだってば。知ってることといえば、十四歳のリオット族で、召喚師様付きの魔導師ってことくらいで……」

「十四歳!? まあ……年下だったの。じゃあハインツさんじゃなくて、ハインツくんね」

 嬉々として情報を紙に書き出そうとするリリアナに、トワリスは、密かにため息をついた。

「いや、そうじゃなくて……。十四歳だよ?」

「うん? ええ、そうね。ハインツくんが二十歳になったら、私、二十三歳ね!」

「…………」

 そう言われると、確かに大した年齢差ではないな、と思い直して、トワリスは押し黙る。
リリアナは、煮え切らないトワリスの態度に、不満げに頬を膨らませた。

「なによ、応援してくれないの? さっきから、なんだか乗り気じゃなさそうじゃない。……はっ、まさか、トワリスもハインツくんのことを!?」

「いや、違う。それは違うけどさ……」

 否定をしてから、今度は隠すことなく、深々と嘆息する。
リリアナの扱いには慣れているつもりであったが、久々にその猛進具合を目の当たりにすると、やはり着いていけない。

 諦めたように口を閉じたトワリスの肩を、がしりと掴むと、リリアナは、上機嫌な様子で言った。

「とにかく! 共通のお友達であるトワリスが頼りだから! よろしくお願いね……!」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.248 )
日時: 2020/05/20 22:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

 かつてのレーシアス邸では、ルーフェンはよく図書室で事務作業を行っていたが、新しく建った城館では、召喚師用の執務室が造られていた。
召喚師用といっても、机と椅子、来客用の長椅子に、最低限の資料や書類が収まる程度の本棚が設置してあるだけで、特別感はまるでない。
それどころか、ロンダートやハインツが定期的に入り浸るような、気楽な溜まり場と化していたが、日中はその執務室を尋ねれば、ルーフェンに会える場合が多かった。

「へえ、あのハインツくんにねぇ……」

 呟いてから、ルーフェンがくすくすと笑う。
その拍子に、机から滑り落ちた数枚の書類を拾いながら、トワリスは、深くため息をついた。

「全然笑い事じゃないんですよ。リリアナ、あれから帰る度に、今日のハインツはどうだったかとか、次はいつお店に来るのかとか、そんな話ばっかりするんです。挙げ句には、城館まで毎日お弁当を届けに行く、なんて言い出すし……」

 ぶつぶつと文句を言いながら、トワリスは、そろえた書類を手渡す。
ルーフェンは礼を言うと、書類を受け取って、椅子に座り直した。

「そりゃあ確かに、出先でそんなことがあったなんて、ちょっと意外な展開だな。まあ、いいんじゃない? 応援してあげれば。ハインツくん、すごく良い子だよ」

 応援するという言葉とは裏腹に、おかしくて仕方がないといった様子で、ルーフェンの口元は歪んでいる。
執務机のすぐ横に控えていたトワリスは、不服そうに顔をしかめて、吐息混じりにぼやいた。

「勿論、リリアナだって良い子ですよ。明るいし、女の子っぽいし……。ただちょっと、昔から思い込みが激しいというか、自分の中で盛り上がると、強引に相手を振り回すところがあるんです。初めて会った日も、ハインツが喜んでるって勘違いして、でっかいタルト五つも食べさせてましたし……。帰りがけ、ハインツがお腹痛いって言い出して、大変だったんですよ。流石にあの体格を背負えないですし、かといって根性で立って歩けとも言えず、お腹が冷えないように外套を貸して、しばらく私が背中をさすってたんです。……大通りのど真ん中で」

 堪えきれなくなったのか、ルーフェンが、話の途中でぶはっと吹き出した。
背中を震わせ、涙をためながら、楽しげに笑っている。
一応、真剣に悩んでいるのに笑われて、腹立たしくなったが、ルーフェンを怒る気力もなく、トワリスはがっくりと肩を落としたのだった。

 トワリスの予想通り、恋する乙女、リリアナの猛攻は激しかった。
小料理屋マルシェを訪れたあの日以来、リリアナは、朝起きてから夜寝るまで、ひたすらハインツの話をしてくるようになったのだ。
しかしトワリスとて、知り合ったばかりのハインツに、根掘り葉掘り質問できるほど話上手ではないし、ただですら無口の彼とは、まだ距離を測りかねている状態だ。
つまり、リリアナに提供できるハインツの話題など、現段階では何もないのである。

 そんなトワリスに、情報収集を任せていては、らちが明かないと思ったのか。
ついに、ハインツとトワリスの分の弁当を携え、リリアナが城門前まで突撃してきたのが、昨日の昼頃の話。
ハインツを訪ねて、女性がやってきたという話は、自警団員──主に面白がって吹聴したロンダートを中心に、あっという間に城内に広まってしまった。
女ができたのかと囃し立てられ、混乱するハインツが可哀想で見ていられず、トワリスはやむを得ず、暴走するリリアナのことを各所に説明した。
他人の恋心など、言いふらすものではないと黙っていたが、あのリリアナのことだ。
先日も、自分からロクベルや近隣住民に、好きな人が出来たと嬉しげに話していたから、噂されたところで、気にも留めないだろう。
 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.249 )
日時: 2020/05/16 16:07
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

 ひとしきり笑い終えると、ルーフェンは、険しい顔つきで立っているトワリスを見上げた。

「可愛い女の子に迫られるなんて羨ましい……と言いたいところではあるけど、城館まで来られちゃうのは、確かに困るね。ハインツくんの好みの女の子は、慎ましくて淑やかな子だって、リリアナちゃんに伝えてみたら? そうしたら、少しは大人しくなるかもよ。実際ハインツくんは、強引に迫られたら萎縮しちゃうだろうし」

 ルーフェンの提案に、トワリスが、なるほどと頷く。
そのまま、トワリスがじっと顔を見つめてくるので、ルーフェンは首を傾げた。

「どうかした?」

「あ、いえ……」

 トワリスは、首を振ってから、辿々しい口調で尋ねた。

「召喚師様とハインツって、仲良いですけど、いつからお知り合いなのかな……と思いまして。私が昔、屋敷にお世話になっていたときは、まだハインツはいなかったですよね? 他のリオット族は、商会で働いているとお聞きしたので、どうしてハインツだけ城館にいるのかな、と……」
 
 言いながら、ルーフェンの表情を伺う。
聞いて良いものなのかどうか分からず、今まで黙っていたが、本当は、ずっと気になっていたことだった。

 ルーフェンは、ハインツのことを、まるで側近のように連れていることが多かった。
リオット族は、ルーフェン自らが王都に引き入れた一族だから、信頼できるという理由で、手元に置いているのは分かる。
しかしハインツは、一族由来の地の魔術は使えても、言ってしまえば、魔導師団に所属しているわけでもない、ただの一般人だ。
事務官としての教養があるわけでもなさそうだし、加えて、あの気弱な性格とくれば、お世辞にも、城館仕えの魔導師に向いているとは言えない。
何故ルーフェンが、彼をそばに置いているのか、常々不思議に思っていたのだ。

 もし特別な理由があるのだとしたら、聞かない方が良いだろうかと躊躇っていたが、ルーフェンは、あっけらかんと答えた。

「ハインツくんと知り合ったのは、俺がノーラデュースに行った時だから、えーっと……六年くらい前かな。でもしばらくは、リオット病の治療で病院にいたから、城館に来たのは最近だよ。俺が誘ったんだ。彼は商会にいるより、俺たちの近くで、魔導師の仕事をしていた方が良さそうだったから」

 ルーフェンの言葉に、トワリスは瞬いた。
魔導師の仕事をしていた方が良さそう、ということは、つまり、魔導師としての適性がある、という意味だろうか。
ここ数日のハインツを見る限り、決してそうは思えなかったが、ルーフェンが言うのだから、彼には特殊な才能があるのかもしれない。

 トワリスの疑問を汲み取ったのか、ルーフェンは眉をあげた。

「ハインツくんに、魔導師は向いてないと思う?」

 そう問われて、はっと顔をあげる。
嫌味な言い方になってしまっていたかと、慌てて首を横に振ると、トワリスは否定した。

「い、いえ、すみません。そういう意味じゃないんです。ただ、彼はなんというか……控えめな性格みたいなので、魔導師として城館にいるのが、ちょっと意外で」

 慎重に言葉を選びながら告げると、ルーフェンは苦笑した。
それから、つかの間考え込むように目を伏せて、呟くように言った。

「まあ、向いてるか向いてないかで言ったら、向いてないよね。俺も、ハインツくんの希望次第では、無理にこの城館に留まるよう言うつもりはないんだ。彼には、日がな石細工でも作っていられるような、のんびりした生活のほうが合ってると思うし」

「……石細工?」

 トワリスが聞き返すと、ルーフェンは頷いた。

「そう。ハインツくん、ああ見えて器用なんだよ。石をうまい具合に削ったり、形を変えたりして、花とか生き物とか作るの。初めて見たときは、びっくりしたなぁ。……俺がアーベリトに呼んでからは、作らなくなっちゃったんだけどね」

 言い終えると、ルーフェンは、少し困ったように眉を下げた。
まるで、ハインツを城館仕えにしたことを、後悔しているような言い方であった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.250 )
日時: 2020/05/11 19:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 トワリスが返事に迷っていると、ルーフェンが、見かねたように話題を変えた。

「そういえば、街境の擁壁の件だっけ? トワリスちゃんが、手伝いに行きたいって言ってたやつ」

「あっ、はい。そうです」

 勢いよく答えて、トワリスが首肯する。
なんとなく、話しやすいルーフェンからハインツの情報を聞き出してしまったが、本人のいないところでこそこそと尋ねるのは、やはり気が引ける。
ルーフェンも、あまり踏み込んだ内容は教えてくれないだろうし、そもそも軽い気持ちで聞くべき話ではないだろう。
話題を変えてくれて良かったのかもしれないと、内心安堵しながら、トワリスは、店でのラッカとのやり取りを、ルーフェンに説明した。

「特別作業人数が少ないというわけではありませんし、もし他に火急の案件があるなら、そちらが優先で構いません。ただ、ラッカさんたちに頼んでいた擁壁の解体は、居住区拡大のための、言わば勅令ですよね? だったら、誰かしら城館勤めの人間を同行させたほうが、作業的にも効率が良いですし、指示の行き違いも少なくて済むと思うんです。今のところ、異動してきたばかりで、一番手隙の私が向かうのが妥当かと思いますが、リオット族のほうがこういった現場作業に向いてるということであれば、ハインツでも良いです。他に適任の魔導師がいれば、誰でも問題ありません。……どうでしょうか?」

 手元に用意していたアーベリトの地図を広げ、市街地とリラの森との境を示しながら、トワリスは言った。
ルーフェンは、しばらく黙って、トワリスの話を聞いていたが、やがて、微かに目を細めると、答えた。

「うーん……ただここ、解体作業自体は終わってて、以降の作業は、急ぎではないんだよね。居住区拡大とは言っても、次の予定がはっきり決まってるわけじゃないし、どちらかというと、擁壁の老朽化が理由で解体をお願いしてたんだ。行ってみれば分かると思うけど、ここ、大した高低差ないし、単に昔の名残で、崩れかけの擁壁が残っていただけなんだろうね」

「えっ、そうなんですか?」

 目を見開いたトワリスに、ルーフェンが頷く。
市街地の輪郭をなぞるように、地図上で指を動かしながら、ルーフェンは続けた。

「ここ数年で、アーベリトへの移住希望者が急増したから、居住区を広げたけど、正直、これ以上増やしたくはないんだ。分かってると思うけど、現状統治権は、アーベリト、シュベルテ、ハーフェルンの三街で役割分担をして担ってる。難民でも出たって言うなら、アーベリトの出番だけど、最近は内乱も起きてないから、そう多くはないし、単に王都だからっていう理由なら、今後はアーベリトへの移住は基本的に断ろうと思ってるんだ。……って、そう伝えてたんだけど、大工衆の人達、何も言ってなかった?」

「……聞いてないです」

 素直に白状すると、ルーフェンは微苦笑を浮かべた。
「こういう行き違いは、誰かしらを行かせてたら起こってなかったかもね」と、そう付け加えて、肩をすくめる。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.251 )
日時: 2020/05/27 16:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


「そもそも、アーベリトが王権を握っていること自体が、一時的なものだしね。混乱を避けるために、中立のアーベリトが王権を預かっただけで、またシュベルテが王都として機能するようになれば、王位は返還する約束だ。誓約上は、シャルシス・カーライルが十五で成人するまで……あと九年も経ったら、王位は返すことになってる。ただ、それもあくまで予定に過ぎない。もっと早まるかもしれないし、後になるかもしれない。そんな状況で、大して財力もないアーベリトを無計画に拡大させていったら、いずれ破綻するのが目に見えてるでしょう? そろそろ今の形で、安定させたいんだ。別に、アーベリト単独でサーフェリアを統治しようなんて、そんな野望はないからね」

 明るい声音で言って、ルーフェンはトワリスを見る。
トワリスは、真剣な表情で聞きながら、今度はサーフェリアの全体図を広げた。

「そこまで決まっているなら尚更、作業は急ぐべきではないですか? 擁壁の件は保留にするにしても、規模を現状で留めるなら、次は防御を固めないといけません。アーベリトは特に、魔導師の数も自警団員の数も足りていなくて、警備に回せる人数が少ないですから、今ある城郭に加えて外郭を増やすとか、少人数でも守り通せる緊急時の体制を整えるべきです。お金はかかるかもしれませんが、幸い、リオット族の力も借りられますし、アーベリトの面積であれば、二重、三重と外郭を増築しても、そう時間はかからないと思います。検問所の設置とか、他にも手はありますが、その程度では、真っ向からぶつかられた時に避難することしかできません。とにかく、何かしら対策をとらないと、今のアーベリトは、あまりにも……」

「……手薄、だよね?」

 言いづらそうに口ごもったトワリスの言葉を、ルーフェンが拾った。
トワリスとて、アーベリトに来たばかりの身の上で、はっきりと王都の脆弱性を口に出すのは、躊躇っていたのだろう。
申し訳なさそうに頷いたトワリスに、ルーフェンは目尻を下げた。

「そう思うのも仕方がないよ、事実だしね。軍事においては、シュベルテと比べると特に、アーベリトは情けなるくらいの弱小都市だもん」

「いや、そんなあっさり認めるのもどうかと思いますが……」

 事の重大性を全く理解していないような、明るい口調のルーフェンに、トワリスが眉を寄せる。
ルーフェンは、引き出しから取り出した羽ペンを、くるりと指先で回して持ち変えると、地図上のアーベリトを示した。

「でも、アーベリトの壁を増やすことはしない。理由は単純、それほど意味がないから」

「意味がない……?」

 怪訝そうな顔で、トワリスが聞き返す。
ルーフェンは、地図上のシュベルテやハーフェルンを順に示して、言い募った。

「トワリスちゃんの言う通り、周辺が陸続きの都市なら、高い外郭の建造をすることで、守りを固められる。ただアーベリトの場合は、地形的にほぼ無意味なんだ。周辺に山が多いからね。特に南側なんかは、切り立った山ばっかりだし、東側の山は大して険しくないけど、そこを越えた先が海。警戒しなくて良いわけじゃないけど、侵入経路としてこの二方向が選ばれる可能性は低いし、選ばれたところで、大規模な奇襲はまず仕掛けられない。北西に広がるリラの森は、舗装された道も通ってるくらいだし、脅威になるような深さはないけれど、その先の北側にはハーフェルン、西側にはシュベルテが位置している。つまり、アーベリトを狙うなら、まずはこの二大都市を潰さなきゃいけないってこと。でも、ここら一帯は、シュベルテの魔導師団が常に厳戒体制を敷いているだろう? それすら打ち破って、アーベリトまで侵攻できる勢力なんて、今のサーフェリアには存在しないよ。まあ、シュベルテが裏切ったら、話は別だけどね。そうなったらそうなったで、アーベリトなんて、外郭の有無に関係なく、あっという間に滅んじゃうだろうし」
 
 さらっと恐ろしい仮定を口にしながら、ルーフェンは、からからと笑った。
不吉な冗談に、トワリスは全く笑えなかったが、シュベルテの一部の人々が、アーベリトに対して不満を持っていることは、ルーフェンも知っているのだろう。
他所からの人員の移入、とりわけ軍部の人間をほとんどアーベリトに入れていないあたり、ルーフェンの他街への警戒心は、聞かずとも高いことが分かる。
だからこそ、アーベリトは人手不足に悩まされているわけだが、そんなルーフェンの考えも理解できていたので、ハーフェルンのようにシュベルテから魔導師を引き入れましょうと、安易に提案することはできなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.252 )
日時: 2020/05/15 18:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 ルーフェンの説明を聞きながら、トワリスは、アーベリトの地図に視線を戻した。

「だったら、外壁を増やす以外に、対策を考えないといけませんね。何にせよ、今のアーベリトは、東西の市門に二名ずつと、あとは交代で、自警団員を巡回させているだけじゃないですか。これじゃあ、何か起きたときに対応できる人数が少なすぎて、心許ないです。侵入者に気づいたところで、対抗できなければ意味がありません。せめて、巡回人数を増やして、応援要請があったらすぐに集まれるようにするとか……」

 考え込むように俯いたトワリスに、ルーフェンは、平然と答えた。

「ああ、それなら、皆に移動陣を使ってもらおうと思ってるんだよね」

「……はい?」

 耳を疑う内容に、トワリスは瞠目した。
移動陣とは、陣から陣へと瞬間移動できる魔法陣のことだが、これは、使うと膨大な魔力を消費するため、魔導師の多いシュベルテでも、ほとんど使われない特殊な魔術だ。
トワリスも、ハーフェルンからアーベリトに来るまでの道中で、初めて使ったが、ルーフェンがいなければ、魔力量が足りなくて使えなかった。
それを今、ルーフェンは、魔導師でもないアーベリトの自警団員に使ってもらおうと言ったのだ。

 トワリスは、意味が分からないといった様子で、首を捻った。

「いや、無理ですよ。自警団の方々は魔術が使えませんし、魔導師でも、一人じゃ魔力が足りないので出来ません。そもそも、アーベリトの移動陣って、リラの森に一ヶ所しかないでしょう。市内でどうやって使うんですか?」

 ルーフェンは、手元にあった書類を適当に選びとると、その裏に、羽ペンで移動陣を描き出した。

「俺なら、新しく移動陣を敷けるよ。といっても、昔に一度、サミルさんの魔力を目印に試しただけなんだけどさ。俺が描いた移動陣を皆に渡して、あとは使い方さえ理解してもらえれば、俺の魔力依存で、行使が可能になると思うんだよね。ほら、魔法具とか、ものによっては、使用者が制作者本人じゃなくても使えるでしょう? それを使うのと、同じような感覚かな。リオット族と鉱物資源の移送で、移動陣は散々使ってるし、少し応用すれば、上手くいくと思うんだ。ちょっと特殊な使い方をすることになるし、非常時以外に何度も使われたら、流石に俺も倒れるけど……。でも、これがあれば、魔力の有無に関係なく、誰でも一人で移動陣を使えるようになるよ」

 そう言いながら、ルーフェンは、ぺらりと一枚、書類を手渡してくる。
その裏に描かれた、流麗な筆跡──移動陣を見て、トワリスは、全身に鳥肌が立つのを覚えた。

 ルーフェンは、召喚師なのだ。
勿論、そんなことは分かっていたが、今になって、改めてそのことを突きつけられたような気がした。
シュベルテの魔導師団には、多くの優れた魔導師がいたし、最前線で活躍する者の中には、歴史に名を残すような功労者もいた。
それでも、彼らが競う強力さとは“魔術をいかに使うか”であって、それらはあくまで、既存の枠内に収まることだ。
ルーフェンのように、従来とは違う使い方をしようなんて主張する者は、ほとんど見たことがなかった。
言い換えれば、新たな魔術を創造できるような存在こそが、召喚師なのかもしれない。

 トワリスの心境とは裏腹に、ルーフェンは、軽い口調で続けた。

「同じ人数でも、分散させると心許ないけど、移動陣があれば、どこにいたって一瞬でその場に駆けつけられるから、戦力を集中できるでしょう? しかも、俺の魔力依存だから、移動陣が使われた時点で、緊急時だってことが俺にも伝わる。今後移民を制限するなら、この城館と同じように、街全体に結界を張ってしまうのも手だけど、それだと、俺の不在時にアーベリトに誰も出入りできなくなるから、いくらなんでも、それは現実的じゃない。となると、皆の協力が必要にはなるけど、やっぱり移動陣が一番使いやすいと思うんだよね」

「…………」

 トワリスが答えずにいると、ルーフェンが首を傾げて、顔を覗き込んできた。

「……大丈夫? 他にも、何か心配ごとある?」

 問われて、はっと我に返る。
トワリスは、焦ったように首を振ると、渡された移動陣に目を落とした。

「……い、いえ、すごいと思います。私なんかじゃ、こんな案、絶対に考えられませんし……」

 思いがけず、卑屈な返答が口から飛び出して、トワリスは後悔した。
ルーフェンは、解決策を提示してくれただけなのに、これではまるで、トワリスが聞くだけ聞いて、勝手にいじけているようである。
しかし実際、ルーフェンの話を聞いていて、トワリスの心の内に芽生えたのは、感嘆よりも大きな不安であった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.253 )
日時: 2020/05/17 18:48
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 つかの間沈黙して、トワリスは、戸惑ったように俯いた。

「……ただ、それでいいのかな、と」

 ルーフェンが、不思議そうに瞬く。
その表情に、不快の色はなく、ルーフェンはただ、トワリスの真意が掴めずにいるだけのようだった。

 トワリスは、躊躇いがちに口を開いた。

「街全体に結界を張ろうとか、新しく移動陣を敷こうとか、そんなの、召喚師様だから出来ることじゃないですか。そんな規格外の案を出されると、私達は何も出来なくなってしまうというか……。失礼を承知で申し上げますが、アーベリトの自警団員の皆さんは、王都を守ってるんだっていう自覚が足りないと思うんです。別に、今の和やかな雰囲気が悪いってわけじゃないですけど、あまりにも危機感がないですし、はっきり言ってたるんでます。この手薄な警備体制に誰も疑問を持っていないみたいだし、警備中や巡回中ものんびりお喋りしてて、緊張感がまるでありません。その上、部屋も汚いし、食事もまともに作れないし、物も開けっぱなし置きっぱなしで、なんていうか、そういうだらけた空気が、この城館全体ににじみ出てるんです。私、アーベリトに戻ってきたとき、びっくりしたんですよ。城館が汚くて……」

「後半は関係ない気がするけど、なんかごめんね」

 あまり偉そうなことを言うべきではないと自制していたが、愚痴をこぼしている内に、口が止まらなくなった。
いつの間にか前のめりになって、ルーフェンに詰め寄っていたことに気づくと、トワリスは、拳を握りしめて、ゆっくりと身を戻した。

「……最初は、昔と変わってなくて良かったって思いましたけど、よく考えたら、五年も経ってるんですよ。むしろ、変わるべきじゃないですか。警備体制のことだって、本来なら、実際に任務につく自警団員の皆で考えないといけないことなのに、そんなこと、話題にすら出ず、結局全部召喚師様任せで……。こんなことで、本当にいいのかなって。……すみません。並ぶような代替案も出せないくせに、偉そうなことを言って……」

 ルーフェンから目線をそらして、うつむく。
アーベリトに来てから、蓄積していたものが、ぽろぽろとトワリスの口をついて出た。
ハーフェルンでは、乳母よりうるさいとロゼッタに注意されたくらいだし、トワリスだって、新参の分際で小言を言うなんて、生意気な真似はしたくない。
しかし、先程までの、まるで全てを請け負っているようなルーフェンの言葉の数々を聞いて、我慢していた不満が、つい爆発してしまった。
きっと誰かが言ってやらねば、アーベリトの平和ボケは治らないのだ。

 不満げに眉を寄せるトワリスを、ルーフェンは、しばらくじっと見つめていた。
だが、ややあって苦笑すると、肩をすくめた。

「……まあ、分かるよ、トワリスちゃんの気持ちは。俺も昔は、王都がこんな呑気でいいのかなぁって、少し焦ったし」

 同調しながらも、その口調は、トワリスをなだめるように落ち着き払っている。
目を伏せると、ルーフェンは、静かに続けた。

「だけど、その穏やかさが、アーベリトの良さでもあるんだよ。分厚い外郭が何重にも立ち並んで、武装した人間が道を闊歩しているような……そういう息苦しい空間を王都だというなら、俺はそんなもの、アーベリトに望んでない。王都になったからといって、今まで保ってきた平穏さを、捨てる必要はないんだよ」

 ルーフェンの瞳に、ふと、柔らかな光が浮かぶ。
その目を見た瞬間、トワリスは、何も言えなくなってしまった。
他でもないルーフェンが、アーベリトの現状を、これで良いと思っている。
トワリスは、そう確信した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.254 )
日時: 2020/05/20 08:07
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 アーベリトに戻ってきて、まだ数日しか経っていないが、その暖かさに触れれば触れるほど、トワリスの中に、同等の焦燥感も募っていった。
今のアーベリトは、ルーフェンがいることで成り立っている。
政の面で多大な影響を及ぼしているという意味でも、他勢力への抑止力になっているという意味でも、ルーフェンがいるから、アーベリトは無事でいられるのだ。

  レーシアス邸に引き取られた子供の頃から、突然王都となったアーベリトの人々が、ルーフェンを頼りにしている場面は、何度も何度も見てきた。
当時は、召喚師だから当てにされているのだとしか思わなかったが、今のトワリスの目に映るのは、サミルとルーフェンという、たった二本の軸でかろうじて支えられた、危うい王都の姿であった。
あと十年以内に、アーベリトは王位を返還するわけだから、その期間だけならば、自分が表立って守ればいいと、ルーフェンはそう考えているのだろうか。
あるいはただ、王都になったからといって、アーベリトに殺伐とした内情を抱えさせたくないという、その一心なのかもしれない。
どちらにせよ、この召喚師ありきの生温い現状を、トワリスは、良しとは思えなかった。

 不服そうに沈黙してしまったトワリスを見て、ルーフェンは、少し困ったように眉を下げた。
それから、小さく吐息をつくと、打って変わった、飄々とした声で告げた。

「でも、トワリスちゃんがこうやって、一緒に対策を考えてくれるのは有り難いよ。ほら、召喚師って、魔導師団の総括者みたいな扱いされてるけど、俺は現状シュベルテから離れてるし、運営は向こうに任せっきりだからね。やってることと言えば、報告書読んでるくらいだし、シュベルテで実際に警備体制とか見てきたトワリスちゃんが、色々指摘してくれるのは助かるかな」

 彼がどこまで見通しているのかは分からなかったが、その言葉はまるで、トワリスの心情を察したかのようであった。
ルーフェンが席を立って、再度、アーベリトの地図を指し示す。

「ちょうど良い機会だから、他に警備を配置した方が良い場所を、俺の代わりに、トワリスちゃんが目星つけてきてよ。市門だけっていうのは、確かに心許ないなって前々から思ってたんだよね。巡回経路も、君の意見が入ったら、穴が見つかるかもしれないし、城下を巡って、他にも気づいたことがあったら教えて。そのついでに、ハインツくんを連れて、ラッカさんたちの手伝いに行っても良いし。さっき予定は決まってないって言ったけど、擁壁付近も、使い道があるなら使いたいから。ね?」

「…………」

 にこりと笑って、ルーフェンがトワリスを見る。
トワリスも、その顔を見つめ返したが、その綺麗な笑みからは、ルーフェンの考えは読み取れなかった。

 アーベリトの地図を一瞥してから、トワリスは、ぽつりと尋ねた。

「……私がそれをしたら、召喚師様、本当に助かりますか?」

 ルーフェンが、わずかに目を丸くする。
少しの間、二人で見つめ合ってから、ルーフェンは微かに目元を緩めると、頷いた。

「もちろん。最近、城館に籠りきりになったり、よそに呼ばれたりして、アーベリトの街中を見られる機会も減ってきたからさ。それもあって、トワリスちゃんをハーフェルンから呼んだし、俺の代わりに、君が動いてくれると、すごく助かるよ」

「…………」

 まるで、トワリスの望みを、そのまま形にしたような言葉。
トワリスは、一瞬迷ったように視線を動かしたあと、「分かりました」と、一言だけ返事をした。

 目の前に立ちはだかる、優しくて綺麗な壁に邪魔をされて、ルーフェンの明確な真意は伺えない。
けれど、これだけは分かった。
おそらくルーフェンは、誰の助けも必要としていないのだろう。

(……悔しい)

 そんな思いが、ふつふつと、胸の奥に沸き上がってくる。
きっと彼にとっては、アーベリトにいる全ての人間が守るべきもので、口では助かるなんて言っていても、心の底では、トワリスのことを当てになる存在だなんて思っていない。
ルーフェンの下にさえつければ、何かしら役に立てると考えていたが、きっと、そんなのはただの思い上がりだったのだ。

 もっと頼ってほしいと、自信を持って言えないことが、とても悔しかった。
今のトワリスでは、何もかもが及ばない。
召喚師ありきのアーベリトの現状を憂いているが、ではトワリスが代わりに王都を背負って立てるのかと尋ねられれば、答えは否である。

(……もっと、強くならなきゃ)
 
 トワリスは、ルーフェンに礼をして退室すると、階下へと繋がる長廊下を歩きながら、腰の双剣を強く握ったのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.255 )
日時: 2020/05/21 19:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


「……で、なんでリリアナがいるわけ?」

 低い声で尋ねると、トワリスは、出支度を整えたリリアナとカイルを睥睨した。
といっても、カイルに関しては、リリアナに無理矢理付き合わされているだけのようだ。
既に姉と揉めたのか、ほとほと疲れはてた顔つきで、石畳に転がる小石を蹴り飛ばしている。

 今朝、朝食を一緒にとっていた際に、うっかりトワリスが、ハインツと共に城下視察に行くのだと口を滑らせると、リリアナが、一緒に行くと騒ぎだした。
もちろん、遊びじゃないからと断って、ちょっとした口論の末に、リリアナは家に残ったはずだった。
しかし、視察の準備をしてハインツと共に城館を出ると、なんとその門前で、リリアナとカイルが待ち構えていたのである。

 今日行う城下の視察は、アーベリトに来てから、初めて任された外回りの仕事であった。
目的は、先日ルーフェンに頼まれた通り、市街地の警備配置場所の再検討と、ラッカたち大工衆の作業現場の訪問である。
それほど重要性の高い任務ではないものの、この五年間で身につけてきた力をルーフェンに見せつける時だと、朝から意気込んでいたのだが、その矢先にこれだ。
ため息が止まらないトワリスをよそに、リリアナは、満面の笑みで伸びをした。

「うーん、最近寒かったけど、今日は暖かくて、とっても良い天気だわ! 絶好のおでかけ日和ね!」

 眩しそうに手を翳しながら、リリアナは、晴れた初冬の青空を仰ぐ。
柔らかな毛織りの上着に身を包んで、いつもより気合いを入れて洒落こんでいるあたり、ハインツのことを意識しているのが、丸分かりである。
一方、当のハインツは、相も変わらずトワリスの後ろで縮こまっていたが、以前と違うのは、リリアナに対し、明らかに怯えの色を見せるようになったことだった。
リリアナが弁当を持って突撃してきたあの事件以来、ハインツは、目に見えて彼女を避けるようになった。
無理もないことだと思うし、ハインツに非はないのだが、いかんせん彼は気弱で、拒否らしい拒否が出来ないので、リリアナの求愛は日々激化していくばかりである。

 トワリスは、太陽に向けて翳されたリリアナの手を、勢いよく叩き落とした。

「言っておくけど、連れていかないよ。朝も断っただろ。これはお散歩じゃなくて、仕事なんだから」

 きっぱりとそう告げて、リリアナに背を向ける。
そのまま大通りの方へと歩いていこうとすると、リリアナが声をあげた。

「待って待って! あのね、お散歩じゃないの。トワリスならそう言うと思って、私達も配達のお仕事を受けてきたのよ! ほら、ラッカさんたち、うちの常連さんでしょう? だから、マルシェ家お手製のお弁当を届けてあげようと思って」

「配達、って……」

 まさかハインツと同行したいがために、そこまでしてきたのかと、呆れを通り越して感心する。
しかし、ここで引いてはならないと、表情を引き締めると、トワリスは振り返った。

「だったら、別行動ね。私達、大工衆の手伝いに行くのが本来の目的じゃないし、とにかく、着いてくるのは駄目だから」

「えぇ、どうして? もちろん、トワリスとハインツくんのお弁当も作ってきたのよ。忙しいって言っても、お昼ご飯を食べる時間くらいはあるでしょう? 一緒に食べましょうよ」

「駄目。第一、お店の方は大丈夫なの? ロクベルさん、一人になっちゃうじゃない」

「それなら大丈夫よ。おばさんも、事情を説明したら『将来の旦那さんのためなら仕方がないわね!』って、応援してくれたもの」

(ロクベルさん……)

 意気揚々と後押しする店主の笑顔が容易に想像できて、トワリスは、ずきずきと痛み始めたこめかみを擦った。
そういえばロクベルは、リリアナとよく似た感性の持ち主であった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.256 )
日時: 2020/05/23 18:45
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 トワリスは、堪えきれなくなった様子で、刺々しく言い放った。

「とにかく、駄目なものは駄目。魔導師の仕事には、守秘義務もあるし、場合によっては、危険なことだってあるんだから。言うことを聞いて」

 リリアナが、ねだるように小首を傾げる。

「そんなこと言わないで、ね? お願い! 私、ハインツくんがお仕事してるところ、見てみたいのよ。働いてる男の人って、かっこいいじゃない? この気持ち、トワリスにも分かるでしょう?」

「しつこい! ほら、行くよハインツ!」

 強制的に話を中断させ、トワリスは踵を返す。
ハインツは、戸惑ったようにトワリスの後を追ってきたが、このまま道端にリリアナを放置するのは、気が引けたのだろう。
怖々としながらも、横目にちらちらとリリアナの方を見ている。

 一部始終を黙って見ていたカイルは、遠ざかっていくトワリスたちを一瞥すると、リリアナの車椅子の握りを取った。

「姉さん、帰るよ。だから言ったじゃないか、きっとトワリスは頷かないよって」

「…………」

 冷たい態度で諭しながら、カイルは、車椅子の向きを帰路へと変えた。

 店で再会したときは素性を怪しまれたものの、カイルとトワリスは、既に互いの良き理解者となっていた。
トワリスがリリアナたちと再び住み始めて、まだ日は浅いが、マルシェ家で一番のしっかり者がカイルだということは、同居一日目で確信していたし、カイルもまた、興奮すると手のつけられない叔母と姉の制御役として、トワリスを認めてくれているらしい。
年齢も性別も違う二人であったが、カイルとトワリスの間には、なんとも言えぬ絆と信頼感が形成されていたのだった。

 カイルがついているならば、帰り道も心配ないだろう。
そう思って、トワリスが歩く速度をあげようとした──その時だった。

「うわぁぁあんっ! トワリスのばかばかっ! いけず! けち! 頑張ってお弁当作ったにぃいいっ!」

 突然、離れていても耳に突き刺さるような、リリアナの泣き声が響き渡った。
傍らにいたハインツが、びくりと肩を震わせる。
まさか往来で号泣されるとは思わなかったのか、これには、冷静沈着なカイルも焦っている様子だ。
城館前とはいえ、決して人通りが少ないわけではないので、視線を気にしながら、早く泣き止むようにと姉に言い聞かせている。

 一瞬、立ち止まろうとしたトワリスは、しかし、振り返らずに足を速めた。
考えてみれば、一度断ったのに特攻してきたリリアナが悪いし、これ以上付き合ってやる道理はない。
ここで引き返したら、リリアナを甘やかすことにもなるし、押し付ける罪悪感がないわけではないが、ここは姉の扱いに長けたカイルに、後始末を任せるのが得策である。

 足早に歩いていくトワリスの側に寄ると、ハインツが、小声で呟いた。

「ト、トワリス……泣いてる、リリアナ……」

 どうしよう、どうしようと呟きながら、ハインツは、視線を彷徨わせる。
その弱々しい態度に、トワリスは、微かな苛立ちを覚えた。
勿論、ハインツを責めるのは、門違いだと分かっている。
だが、リリアナがここまで過激な行動に出ている原因は、ハインツにもあるのだ。
彼が、明確な拒絶の意思を見せれば、リリアナだって、多少は自重するはずなのである。多分。

 トワリスは、冷たい声で言った。

「いいよ、放っておいて。ここで構ったら、絶対ついてくるから」

「だけど、リリアナ、こっち、見てる……」

「いいから、無視して。早く仕事を終わらせよう」

「で、でも……」

 足早に歩くトワリスを追いかけながら、ハインツは、ごにょごにょと口ごもる。
その情けない様に、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか、ふと足を止めて振り返ると、トワリスは大声で叫んだ。

「だったら! ハインツが行って慰めてくればいいだろ! そういう曖昧な態度をとるから、リリアナも期待するんだよ! いつまでも私の後ろに隠れてないで、嫌なら嫌ってはっきり言えばいいじゃないか……!」

 瞬間、弾かれたように顔をあげると、ハインツは凍りついた。
ややあって、ぷるぷると震え出したかと思うと、見開かれた左目から、大粒の涙が溢れ出す。
鉄仮面の隙間から染み出して、次々と頬を伝う雫を拭いながら、ハインツは、消え入りそうな声で言った。

「……ご、ごめんなさ……っ」

「…………」

 遠くから、駄々をこねるリリアナの泣き声が聞こえてくる。
その慟哭が、ハインツのものと合わさって、トワリスの頭の中で、しばらく反響していた。
つかの間、真顔で立ち尽くしたあと、目の前で鼻をすすっている大男を見ると、トワリスは、頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。

「ああっもう! だからってなんでハインツまで泣くの──っ」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.257 )
日時: 2020/05/26 18:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 リラの森と言えば、アーベリトの西区に住む子供たちが遊びに入るような浅い森であったが、トワリスは、散策したことが一度もなかった。
移動陣が敷いてあるため、ハーフェルンからアーベリトに来る際に通りはしたが、その時はじっくり見る暇などなかったし、子供の頃も、暮らしていた孤児院が東区に建っていたので、訪れる機会がなかったのだ。

 騒々しい中央通りを外れ、閑散とした西区の住宅街を抜けると、古い石畳が割れていったところから、草地が開けている。
リラの森は、その奥に広がっていた。
森と呼ぶには、大した高低差もないので、ルーフェンの言っていた通り、かつては森だった名残があるだけなのかもしれない。
春や夏ならば、木々の葉が青々と繁っているから、まだ賑やかな印象を受けただろう。
だが、冬の気配が濃くなった今は、裸の木が立ち並んでいるだけの、物寂しい雑木林といった感じであった。

  ラッカたちから事前に知らされていた情報に従い、森の中へと入っていくと、ほどなくして、切り株の連なる空き地へと出た。
なだらかに盛り上がっている斜面には、木の根が張ってひび割れた石壁が、崩れかけの状態で立っている。
これが、件の擁壁の残骸だろう。
空き地の至るところには、解体済みの石材が高々と空積みされていた。

「ラッカさんたち、いないみたいね。ここで合ってるの?」

 先程まで上機嫌に鼻歌を歌っていたリリアナが、トワリスに尋ねた。
勿論、その傍らにはカイルが、トワリスの後ろにはハインツが佇んでいる。
晴れやかな顔つきで周囲を見回すリリアナに対し、男二人の顔つきは、疲れでどんよりと曇っていた。

 城館前で大泣きしたリリアナを、不本意ながら、トワリスは同行させることにした。
というよりは、リリアナが公衆の面前で、号泣しながら「トワリスの馬鹿」やら、「トワリスのケチ」やら叫ぶので、連れていく他なかったのである。
最初は、リリアナを放置して逃げようと思っていたが、途中でハインツまで座り込んで泣き出したので、どうしようもなくなった。
ハインツは仕事に同行することになっていたから、置いていくわけにはいかないし、かといって、うずくまるハインツを引きずっていけるほどの馬力はない。
一刻も早く、通行人の好奇の眼差しから逃れるためにも、リリアナを泣き止ませ、ハインツの尻を蹴り飛ばして、カイルと共にその場から去ることしかできなかったのであった。

 その後も、何度か追い返そうと試みたが、同行できると知ってからのリリアナが、あまりにも楽しげだったので、だんだん言いづらくなってしまった。
リラの森には、舗装された道が通っているが、市街地に比べれば、やはり平坦とは言えない道のりである。
車椅子のリリアナからすると、決して楽な移動ではなかったはずなのだが、それでも彼女は、ハインツと一緒にいられることがよほど嬉しいのか、終始嬉しそうに歌っていた。
昔から、リリアナには強引なところがあったが、カイルまでげんなりさせるほどの傍若無人な振る舞いを見る限り、今の彼女は、まさに“恋は盲目”状態なのだろう。

 周囲を見回して、他に気配がないかを探りながら、トワリスは、リリアナに向き直った。

「集合場所も時間も合ってるはずなんだけど……。作業場って言ったって広そうだし、もしかしたら別の場所で待ってるかもしれないから、ちょっと探してくるよ。リリアナたちは、ここで待ってて」

そう言って、擁壁を越えて行こうとすると、リリアナが、トワリスの手を掴んで引き留めてきた。

「だったら、私も探すわ。手分けした方が、ラッカさんたちも早く見つかるだろうし」

 冒険でもしている気分なのか、生き生きした瞳で、リリアナが見上げてくる。
トワリスは、呆れ顔で首を横に振った。

「駄目。カイルとハインツと一緒に待ってて。この辺、足場もあまり良くないし、不用意に動くのは危ないよ。来るときだって、何度か車輪をとられてただろう?」

 言葉を詰まらせて、リリアナが俯く。
トワリスと同意見なのか、無言で睨んでくるカイルを一瞥してから、リリアナは口をすぼめた。

「で、でも……私がわがまま言って連れてきてもらったんだから、トワリスにばっかり動いてもらうのは、なんだか申し訳ないわ。道が通ってる場所なら、車椅子でも行けるし……」

「リリアナのわがままで連れてきたんだから、これ以上勝手なことはしないで」

「うっ……はい」

 トワリスとカイル、双方から冷たい視線を受けて、流石のリリアナも、大人しく引き下がった。
いつもは、なんだかんだでリリアナの無茶を許してくれるトワリスであったが、今回ばかりは、小言を言ってくるときの目が一切笑っていない。
城館前で号泣して、仕事の邪魔をしてしまったこともあり、相当怒っているのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.258 )
日時: 2020/05/28 18:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 トワリスは、リリアナから少し距離をとった場所に、ひっそりと佇むハインツを見た。

「すぐ戻ってくるから、二人のことよろしくね」

「…………」

 一瞬、困惑したように目線を動かしてから、ハインツは小さく頷いた。

 子供の遊び場にもなっているような森だが、作業場は一般の立入禁止となっている場所だし、歩けないリリアナと幼いカイルを二人きりにしておくのは、やはり心配である。
それに、もしラッカたちが後から合流してきた場合、この場に誰もいないと、行き違ってしまう。
リリアナと一緒に残していくのは、ハインツが可哀想な気もしたが、いざというときはカイルが間に入ってくれるだろうから、問題はないだろう。

 自身の身長ほどある擁壁跡を軽々と飛び越えて、トワリスは、ラッカたちを探しには向かった。
三人取り残されてから、しばらくは、リリアナだけが一方的に話していたが、不意に、カイルは顔をあげると、横目にハインツを見やった。

「……ねえ、魔導師ってさ、やっぱ儲かるの?」

 カイルの唐突な質問に、リリアナが目を剥く。
急に話しかけられて驚いたのか、硬直したハインツは、長い沈黙の末に、小さな声で答えた。

「わ、分からない……。俺、正式には、魔導師じゃない……」

「ふーん……」

 もじもじと下を向くハインツに、カイルが淡白な声で返事をする。
自分を挟んで、両側に並ぶ二人を交互に見ながら、リリアナは、意外そうに瞬いた。

「カイルからハインツくんに話しかけるなんて、珍しいわね。もしかして、カイルも魔導師になりたいの?」

 極端な質問に、カイルは、やれやれと首を振った。

「そんなわけないだろ。ただ、魔導師って稼げるって聞くから、興味本位で聞いてみただけだよ。治安を守るためとはいえ、命を落とすかもしれない職業なんて、俺はまっぴらごめんだね」

「またそういう、失礼なこと言って……」

 つんとした態度で、カイルはそっぽを向いてしまう。
リリアナは、慌ててハインツのほうを見上げると、眉を下げて微笑んだ。

「ごめんね! どうか気を悪くしないでね。私もカイルも、魔導師団や自警団の人たちには、すっごく感謝してるのよ! 命をかけて街を守ってくれてる人がいるから、私たちは安心して生活を送れてるんだもの。ハインツくんだって、召喚師様の下について働いてくれているんだから、その一員よ。いつも本当にありがとう」

「…………」

 リリアナが下から顔を覗き込むと、ハインツは、逃げるように目をそらした。
変わらず俯いたまま、戸惑ったように唇を動かすだけで、結局何も言わない。
明らかな質問をしたとき以外、ハインツは、基本的に何も答えなかった。

 リリアナと話すときに限らず、ハインツは、こうして黙って下を向いているが多い。
大抵の相手が、自分より背が低いからという理由もあるかもしれないが、単純に、誰かと目を合わせて話すのが苦手なようであった。

 リリアナは、それでもハインツの視線を追うように顔を覗くと、明るい声で続けた。

「あ、それにね! 私、魔導師団の人達のこと、尊敬もしているの。魔導師団って、強いだけじゃなくて、頭も良くないと入れないでしょう? 魔術が使えるってだけで十分すごいことなのに、その上で沢山練習して、お勉強もしたのよね。きっと魔導師には、努力家がいっぱいいるんだわ。トワリスもね、昔、一緒に暮らしていたことがあったんだけど、とっても頑張ってたのよ。初めて魔術を見せてもらったときは、私も感動しちゃった。木をね、蹴り飛ばして折っちゃったのよ! たったの一蹴りでよ」

 話している内に、思い出が蘇ってきたのか、リリアナは、頬を紅潮させて語った。
当時、十二だったトワリスが、歩けないリリアナの脚を治すのだと言って、初めて独学の魔術を見せてくれたのも、今いるリラの森のような、冬の立ち木が並ぶ林の中だった。
いつ話しかけても、仏頂面で本ばかり読んでいたトワリス。
その理由が、魔導師になりたいからというだけでなく、実はリリアナのためでもあったのだと知って、胸がいっぱいになった記憶がある。
結果的に、リリアナが歩けるようになることはなかったが、あんな風に人前で弱音を吐けた相手は、トワリスが初めてであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.259 )
日時: 2020/06/27 22:17
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

 周囲の木々を見回しながら、リリアナは、興奮した様子で言い募った。

「一蹴りって言ってもね、そんな細い木じゃなかったのよ。……そう! ちょうどあれくらいの木!」

 数ある木の中から一本、記憶に近いものに目をつけると、リリアナは、そちらへと車椅子を動かした。
地面が土なので、石畳の上ほど滑らかに移動することはできないが、トワリスやカイルが心配するほど、車輪をとられることはない。
途中、浮き出た木の根に進行を邪魔されて、滑った車椅子が詰まれた石材をかすったが、その頃には、もう目当ての木までたどり着いていた。

 心配げなカイルたちを振り返って、木の幹に触れると、リリアナは、上機嫌な顔で言った。

「ほら、見て見て! 子供だった私が両腕を回して、抱え込めるかなーってくらいの木! これをトワリスが、蹴っ飛ばして──」

──その時だった。
ふっと、黒い影が落ちてきて、辺りが暗くなった。
木々のざわめきも、カイルの叫び声も遠のいて、妙にゆったりとした一瞬が、リリアナの全身を包みこむ。
上を向くと、目の前に、巨大な石塊が迫っていた。
解体された擁壁の残骸──木のすぐそばに詰んであった石材が、崩れ落ちてきたのだ。

 リリアナは、ぎゅっと目をつぶって、身をすくめるしかなかった。
まず頭から押し潰されていくであろう、その痛みは、しかし、次の瞬間、リリアナの肩に走った。
咄嗟に落石の最中に飛び込んできたハインツが、リリアナの左腕を掴んで、身体ごと後方へ引いたのだ。

 車椅子から放り出されたリリアナは、ハインツに投げられるような形で、地面に叩きつけられた。
同時に、落ちてきた石材が車椅子を押し潰す、鈍い音が響く。
一部始終を、凍りついたように見つめていたカイルは、一瞬の静寂の後、顔を真っ青にすると、すかさず倒れているリリアナに駆け寄った。

「姉さん! 姉さん、大丈夫!?」

 上半身を支えて、土で汚れたリリアナの頬を、何度か軽く叩く。
リリアナは、意識を失ってはいなかっていなかったが、激痛で返事をするどころではないのか、歯を食いしばって、ぶるぶると震えていた。

 リリアナの左腕が、だらりと、不自然に垂れ下がっている。
それを見た瞬間、カイルの頭に、かっと血が昇った。

「お前っ! どんな力で引っ張ったんだよ! リオット族の化物じみた力で投げ飛ばしたら、怪我するに決まってるだろ……!?」

 ハインツに対し、力一杯怒鳴り付ける。
ハインツは、びくりと顔を上げると、か細い声を絞り出した。

「……ご、ごめっ、そ、そんな、つもりじゃ……」

 聞き取れないような小声で謝りながら、ハインツは、怯えた様子で俯いている。
カイルは、その時になってようやく、立ち尽くすハインツの異様さに気づいた。
立ち位置を考えれば、落石はハインツにも直撃したはずなのに、彼は、肩に軽い擦り傷を負っているだけだったのだ。

 詰んであった石材は、バランスを崩した拍子に、雪崩れるようにいくつも落ちてきた。
その衝撃は、ひしゃげて原型を留めないほどに潰されている車椅子を見れば、一目瞭然である。
それなのに、ハインツの身体は、まるで何事もなかったかのようだ。
落下と同時に砕けた石片に囲まれ、平然と立ち尽くしているハインツに、カイルは、恐怖を感じずにはいられなかった。

「……ハインツくん」

 不意に、リリアナが唇を動かした。
声は弱々しかったが、汗に濡れたその顔には、薄い笑みが浮かんでいる。

「ハインツくん、私、大丈夫よ。助けてくれて、ありがとう。……カイルも、心配かけてごめんね。私、平気だから……」

「で、でも……」

 不安げなカイルの頭を撫で、それから、ハインツの方に右手を伸ばすと、リリアナは言った。

「ハインツくんは、大丈夫? 怪我、してない……?」

「…………」

 伸ばされた手に、ハインツが触れることはなかった。
ひどく動揺した様子で、ハインツはリリアナたちの横を通りすぎ、街の方へと走り去ってしまう。
カイルは、咄嗟にハインツの名を呼んだが、彼にその声は届いていないようであった。

 リリアナは、浅い呼吸を繰り返しながら、カイルを見た。

「ぅ、ど、どうしよう……大丈夫って言ったけど、だっ、大丈夫じゃ、ないかも……」

「えっ!?」

 慌ててカイルが視線を戻すと、リリアナは、真っ赤な顔で震えていた。
話す余裕があるところには安堵したが、やはり、左肩が痛むのだろう。
リリアナは、力の入らない左腕を押さえながら、苦し紛れにうめいた。

「トっ、トワリス、早く戻ってきてぇ……」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.260 )
日時: 2020/06/02 23:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


  *  *  *


「ハインツ……こんなところにいた」

 朝から半日かけて探し回ったハインツが、中庭の噴水の影にうずくまっているところを見つけると、トワリスは、やれやれと肩をすくめた。
噴水といっても、来客があった時に稼働させるだけの溜め池みたいなものなので、普段は誰も近寄らない。
道理で、城館中を巡っても見つからないし、目撃者すらいなかったわけだと、トワリスは納得した。

 トワリスが、噴水の石囲に寄りかかり、隣に腰を下ろすと、ハインツは、大袈裟なくらいにびくついた。
叱られるとでも思っているのか、膝を抱えて、その巨体を極限まで小さくしている。
トワリスは、ふうと息を吐くと、口を開いた。

「リリアナ、昨日あの後、森を出てすぐの施療院に行って、今は通り沿いの病院に入院してるよ。全治三ヶ月くらいだって」

「さ、さんかげつ……」

「うん。左肩の脱臼と、あと前腕の骨にちょっとひびが入ってたみたい」

「…………」

 リリアナの状態を説明すると、ハインツの顔から、目に見えて血の気が引いた。
昨日、倒れたリリアナと半泣きのカイルを連れて、病院に駆け込んだのはトワリスであったが、その時の二人よりも、今のハインツのほうが、よっぽど顔色が悪い。
ハインツは、立てた膝の間に顔を埋めると、こもった声で呟いた。

「……お、お金、とか……働いて、ちゃんと、払うので……。ゆ、許して、ください」

 膝を抱えるハインツの手に、ぎゅっと力がこもる。
トワリスは、困ったように眉を下げた。

「お金は私が払ったから、いいよ。ほら私、リリアナの家に居候してるだろう? 家賃なんていらないって言われてたんだけど、やっぱり、何のお礼もなしにご厄介になるのは気が引けてたし、今回の治療費がその代わりってことにしたんだ」

「…………」

「そんなことは気にしなくていいから、あとでリリアナのお見舞いに行こう。城下の視察は、夜にも回せるし、なんなら、私一人だって出来る。ハインツの顔を見たら、リリアナだって元気でるだろうから。ね」

「…………」

 ハインツは、しばらくの間、何も言わなかった。
ただひたすら、トワリスの顔を見ようともせずに、怯えた様子で俯いている。
もう一度声をかけようとしたとき、ハインツが、ようやく言葉を発した。

「……元気なんか、出るわけ、ない。もう、俺、関わらない方が、良い。きっと、お、怒ってる……」

 リリアナから事情を聞いたとき、かっとなったカイルが、思わず怒鳴ってしまったことも聞いていたから、ハインツが気にしていることは、なんとなく検討がついていた。
案の定ハインツは、その罪悪感から、自分には見舞いに行く資格すらないと思い込んでいるらしい。
トワリスは、小さく首を振った。

「誰も怒ってないよ。今回の件は、リリアナの自業自得みたいな部分もあるし、ハインツは、リリアナを助けてくれたんでしょう。むしろ、感謝してるよ。カイルが色々言っちゃったのも、頭に血が昇って、うっかり口が滑っちゃっただけだと思うんだ。実際、ハインツがいなかったら、リリアナは死んでたかもしれないわけだし」

「…………」

「鬱陶しいと思うこともあるかもしれないけど、リリアナもカイルも、本当に良い子なんだ。だから……その、私も前に、嫌ならはっきり言えって怒鳴っちゃって、ごめん。でも、二人のこと、嫌わないであげて。リリアナも、ハインツに謝りたいって言ってたよ」

 微かに、ハインツが顔をあげる。
しかし、すぐにまた顔を膝の間に埋めると、ハインツは、鼻をすすった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.261 )
日時: 2020/06/04 20:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: okMbZHAS)



「……嫌われるのは、俺の方。……会ったら、また、痛い思い、させるかも。また……」

 ひどく、沈んだ声音であった。
トワリスは、ハインツの意図を図りかねたように、首を傾げた。

「痛い思いって……脱臼のこと? あれは、咄嗟のことで力が入っちゃったんだろうから、仕方ないよ。リリアナは脚が動かない分、腕を引っ張ったら、そこに全体重かかっちゃうからね。勢い良く腕を引かれて投げ飛ばされたら、そりゃあ、方向次第では脱臼くらいするさ。まあ、リリアナって華奢だから、十分痛々しいけど……でも、石に潰されてたことを考えれば、不幸中の幸いだよ」

「でも……骨に、ひびも」

「それは、地面に落ちた時に、打ち所が悪かったんじゃないかな。私も、受け身に失敗して腕折ったことあるし。何にせよ、ハインツはリリアナを助けてくれたんだから、気にすることないよ」

「…………」

 ハインツを慰めるためにも、努めて明るい声で言ったが、彼の表情は、暗くなっていくばかりである。
それどころか、背を丸めて震え出すと、ハインツは、ついにぐずぐずと泣き出してしまった。

「違う、違う……多分、俺が、握ったから……」

 ひくひくとしゃくりあげながら、ハインツが繰り返す。
トワリスは、わずかに顔をしかめた。

「握ったから……って、それで骨折したってこと? まさか、そんなわけないよ」

「ううん……きっと、そう。弱く、握った、けど……でも、俺、力、強いから」

「強いから、って、そんな大袈裟な……」

 半ば呆れたような顔つきで、トワリスがこぼす。
瞬間、ふと、ハインツが拳を振り上げたかと思うと、目の前で、信じられぬことが起きた。
垂直に下ろされたハインツが拳が、噴水の石囲を叩き割ったのだ。

「──……っ」

 ハインツが叩きつけた一点から、稲妻の如くひび割れが広がり、分厚い白亜の石囲が、みるみる崩れ落ちていく。
一瞬、腰が抜けたかと思うほどの、重々しい威力であった。

 何が起きたのか理解できず、トワリスはつかの間、呆然とした顔で噴水を見ていた。
崩れた石囲の隙間から、じわじわと、溜め水が漏れ出してくる。
その水が、膝を浸した冷たさで、ようやく我に返ると、トワリスは、呼吸を思い出したように、はっと息を吸った。

 ハインツは、緩慢な動きで腰をあげると、崩れた石材の表面をなぞるように手を動かして、石囲を修復した。
石や土を扱うことを得意とした、リオット族の地の魔術である。
しかし、そんな魔術よりも、石囲を叩き割ったハインツの腕力の方が、トワリスにとっては、よほど衝撃的であった。
拳を振り上げたあの時、ハインツは、魔力を使ってさえいなかったのだ。

「……分からない、の。違い」

 ぽつりと、ハインツが呟く。
「違い……?」と聞き返すと、ハインツが、暗い瞳で、すがるようにトワリスを見た。

「石と、紙と……人の、腕の違い……分からない」

「…………」

 ぞっとした。恐怖とも、驚愕とも言えぬ、痺れるような強い感情が、全身を突き抜けていく。
ハインツは、再び地面に座り込むと、頭を抱えるように身を縮めた。

「鉄も、木も、綿も……違いが、分からない。全部、少し掴んだだけで、壊れる……。こんなの、関わっていい、わけがない。きっとまた、怪我、させる。怖がらせて、嫌われて、化物って、言われる……」

「…………」

 ハインツのその言葉を聞いて、トワリスは初めて、ルーフェンの発言の意味を理解した。
ルーフェンは、ハインツについて、魔導師の仕事をしていた方が良さそうだと、そう述べていたが、それは魔導師としての素質がどうとか、そんな話ではなかったのだ。
土台、無理なのである。これだけ異様な力を持っている者が、一般人として生きていくことなど──。

〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.262 )
日時: 2020/06/06 18:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: bOxz4n6K)


 なんと声をかけて良いか分からず、トワリスは、しばらく沈黙していた。
ハインツに対し、浅はかな発言を繰り返していたことへの後悔が、どっと押し寄せてくる。
思えばハインツは、会話をしている時でも、相手とやたら距離をとっていることが多かった。
単に人付き合いが苦手だからだと思っていたが、もしかしたら、うっかり触れてしまわないようにという、彼なりの配慮があったのかもしれない。

 トワリスは、強張った全身からゆるゆると力を抜くと、躊躇いがちに尋ねた。

「リオット族の人って、皆、そんなに力が強いの……?」

 ハインツは、弱々しく首を振った。

「強い、けど……俺、特に、強い。昔は……こんなんじゃ、なかった。でも、大きくなって、どんどん、力、強くなって……」

 沈んでいく空気を払うように、トワリスが口を開く。

「でもほら、召喚師様から聞いたんだけど、ハインツって、石細工……だっけ。作るの、好きなんでしょう? ああいう器用さが必要な作業が出来るってことは、練習すれば、力の制御も、できるようになんじゃないかな。私も獣人混じりで、力あるし、脚も速いから、普通の人との感覚の違いで、苦労したことあるんだ。それでも、今は問題なく生活できてるし……。えっと、つまり、何が言いたいかというと──」

「作れない。……石細工も、出来なくなった。途中で、壊す、から……もう、作らない」

「……そ、そうなんだ」

 トワリスの捲し立ても虚しく、それっきりハインツが黙ってしまったので、辺りは、重苦しい静寂に包まれた。
日光で落ちた木々の影が、ざわざわと音を立てて、足元で踊っている。
まるで、墓穴を掘ったトワリスのことを、嘲笑っているかのようであった。

 トワリスはしばらく、必死になってハインツにかける言葉を探していたが、やがて、諦めたかのように嘆息すると、同様に膝を抱えて、座り直した。
トワリスは、ルーフェンほど言葉が上手くないし、リリアナのように、悩みが吹っ飛ぶような明るい笑みを作れるわけでもない。
どうにか慰めようなんて考えている時点で、その場しのぎの、薄っぺらい言葉しか出てこないに決まっているのだ。

 トワリスは、ハインツを横目に見ながら、落ち着いた声で問うた。

「……ハインツは、商会にいる他のリオット族の仲間と、一緒にいようとは思わないの? ハインツほどじゃないにしても、リオット族はみんな頑丈で、力があるんだろう。それに何より、ハインツのことを理解してる。少なくとも、異質扱いされたり、化物呼ばわりされるようなことは、ないんじゃない? ここで魔導師を続けているより、仲間がいるんだったら、その人達と暮らした方が、気持ちは楽だと思うんだけど……」

「…………」

 返事を待っていると、涙が収まっていたハインツの目から、再びぽとりと、雫が落ちた。
トワリスから隠れるように背を向け、仮面を取ると、ハインツは、濡れた目元を拭いながら、答えた。

「……どうしても、ルーフェンの、役に、立ちたかった……」

 思わぬ返答に、トワリスが瞠目する。
ハインツは、嗚咽混じりに言い募った。

「……昔、約束、した。一緒に、王都に行くって。ルーフェン、約束、覚えてて、すごく、嬉しかった。……俺、臆病、だけど……多分、魔導師とか、向いてない、けど……ルーフェンのためなら、きっと、頑張れる。必要、なら、戦うし、いろんな覚悟、して、ここに、来た」

 その言葉を聞いている内に、思いがけず、目頭が熱くなって、トワリスは慌てた。
ハインツの気持ちが、痛いほどに、よく分かった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.263 )
日時: 2020/06/09 18:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 ハインツは、静かに続けた。

「……だけど、病院、いたとき、医者の、人……怪我、させた。傷つける、つもり、なかったのに……。リオット病、治れば、普通に、なれると思った。皮膚、傷が、目立たなくなって、力も、弱くなって……。でも、駄目だった。弱くなっても、異質なまま。もう、どうすれば、良いのか、分からない……。ルーフェンのため、なら、何でもする。だけど、力も、制御、できない。俺、迷惑しか、かけてない……」

 トワリスに背を向けたまま、ハインツは、もどかしそうに頭を掻き毟った。
その拍子に、つけていた仮面が、草の上へと転がり落ちる。
身を縮め、声を押し絞るようにして泣いているハインツが、今は、ひどく弱々しく思えた。

「どうせ、こうなら、リオット病、治すべきじゃ、なかった。そうすれば、見た目、醜いまま、誰も怖がって、近づいて、来なかった……。身体、硬くて、力も、今より、もっと強いまま、ルーフェンの、役に立てた、かも……」

「…………」

 治すべきじゃなかったなんて、そんなことはないと、言いたかったが言えなかった。
自分が、もしハインツの立場だったらと考えたら、胸が詰まって、何も言えなくなってしまったのだ。

 本物のリオット族を見たのは、ハインツが初めてであったが、リオット病については、トワリスも魔導師になる上で学んだことがあったから、知識としては知っていた。
リオット族はかつて、寄生虫の媒介となる刺し蝿から身を守るために、岩のような硬い皮膚を得た。
その進化の結果であり、また、彼らが短命となってしまった原因こそが、リオット病である。
しかし、ルーフェンにより、刺し蝿のいない中央部にリオット族が召し出されるようになった昨今、彼らには、早死にする理由などないので、基本的には皆、リオット病の治療を受けていた。
それが、商会がルーフェンと取引する上での、絶対条件でもあり、アーベリトにとって必要な金策でもあったからだ。

 リオット病の治療には、根本的な遺伝子治療の他に、皮膚移植も行われていた。
リオット病の症状が進んだ皮膚は、岩のように硬く、ひび割れており、また、全身にみみず腫れに似た腫瘤(しゅりょう)が走っていたためだ。
植皮には、症状の進んでいない自分の皮膚を使うので、普通の人間と全く同じ皮膚になることはなかったが、それでも、見た目はかなり改善される。
ただ、目の周り、特に瞼の皮膚は薄く、縫合が難しいため、移植は行わない場合がほとんどであった。
故に、治療を受けているリオット族は、目の周辺に顕著にみみず腫れが残っている。
ハインツが、それを気にして鉄仮面をつけているのだろうというのは、なんとなく勘づいていた。

 それだけハインツは、醜い部分が極力人目に触れないようにと、気を遣って隠してきたのだろう。
自分は力が強いから、不用意に人を傷つけないようにと一歩引いて。
けれど、ルーフェンに恩返しをしたいという思いだけは譲れなかったから、色んな気持ちを犠牲にして、ここまで一生懸命走ってきたのだ。

 そんな健気で臆病な少年が、醜さと強さを引き換えに、治療を受けるべきではなかったなんて──。
そんな言葉は、即座に否定すべきだと、頭では分かっていた。
しかし、涙ながらにそう告げたハインツの気持ちが、嫌というほど理解できたので、トワリスには、嘘はつけなかった。

 ルーフェンの役に立ちたくて、でもそれを叶えられない自分に苛立った経験は、トワリスにだって数えきれぬほどある。
もし、命を縮める代わりに、力を手に入れられるのだとしたら、どうしていただろう。
そんな疑問は、トワリスにとっては、仮定でしかないし、ハインツにとっては、後悔でしかなかったが、それでも、考えずにはいられなかった。
今のトワリスであれば、強くなることを願っていただろうという、確信があったからだ。

 ハインツの苦悩は、彼だけのものだ。
生い立ちだって異なるし、完全に理解出来るはずはないが、それでもトワリスは、ハインツの置かれている立場を、他人事とは思えなかった。
ハインツの悔しさが、手に取るように分かるからこそ、尚更、安い労りの言葉など、かけられるはずもない。
しかし、このまま何も言わず、落ち込んでいくハインツを、ただぼうっと見ていることも、トワリスには出来なかった。

 トワリスは、ふと立ち上がると、厳しい声で告げた。

「……ハインツ、ちょっと立って」

 急にトワリスの雰囲気が変わったので、驚いたのだろう。
慌てて仮面をつけ直し、立ち上がると、ハインツは、トワリスと向かい合った。
その薄茶の瞳を、まっすぐに見つめて、トワリスは言った。

「さっき、力が制御できないって言ってたけど、子供の頃は、石細工だって作れてたわけだろう? だったら、また出来るようになるはずだよ。要は、すっごく細かく手加減が出来るようになればいいわけだ。大丈夫、私も付き合うから、練習しよう。ハインツは魔術だってちゃんと使えるんだから、何年も根気強く続けたら、きっとなんとかなる」

「え……で、でも……」

「でもじゃない。出来ないなら、出来るように頑張るしかないんだから!」

 強い口調で言い放つと、ハインツが、びくりと肩を震わせた。
あわあわと唇を動かしながら、周囲に助けを求めるように、視線を彷徨わせている。
トワリスは、ハインツにずいと顔を近づけた。

「覚悟してきたっていうなら、もう走り抜けるしか、私たちには出来ないんだよ。言っておくけど、魔導師は、魔で守り国を導く存在なんだからね。いつまでもうじうじ泣いてるなんて、言語道断。そんなんだからハインツは、見かけ倒しって言われるんだよ」

「い、言われたこと、ない……」

「私は思ってたよ」

「え」

 硬直したハインツの手に、トワリスが、そっと両手で触れる。
慌てて距離をとろうとしたハインツの手を、トワリスは、引き留めるように握った。

「まずは、リリアナに会いに行こう。今回の件、ハインツは悪くないけど、怪我をさせたのは事実なんだから、お見舞いには行かないと」

 次いで、握る手に力を込める。
不安げに目を伏せたハインツに、微かな笑みを向けると、トワリスは言った。

「これから、一緒に頑張ろう。私も、召喚師様に恩返しがしたくて、魔導師になったんだ。二人で、アーベリトを守って、召喚師様を支えよう」

「……トワリス」

 ハインツが、その手を握り返してくることはなかったが、その瞳の奥で揺らいでいたものが、確かに、トワリスを見つめ返した。
ぐっと何かを堪えるように、ハインツが俯く。
ややあって、顔をあげると、ハインツは、深く頷いたのであった。

〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.264 )
日時: 2020/06/11 19:09
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


 トワリスとハインツが病室に入ると、寝台に座っていたリリアナは、晴れやかな笑顔で二人を迎えた。
先程まで話していたのか、壁際の椅子には、仏頂面のカイルが座っている。
負傷したリリアナの左肩と前腕は、分厚く巻かれた包帯で固定されていたが、寝台のすぐそばに新しい車椅子が用意されているところを見ると、もう院内の移動を許されるくらいには回復したらしい。
病院に運び込まれた昨日は、痛みで流石のリリアナも口数が少なくなっていたが、今はすっかり、いつもの元気を取り戻した様子であった。

「二人とも、来てくれたのね! 嬉しいわ。早くこっちに来て、座って」

 寝台横に並ぶ椅子を示しながら、リリアナが言う。
トワリスは、見舞いに持ってきた果物をカイルに渡すと、病室を見回しながら、椅子に腰を下ろした。

「個室にしてもらったんだ。良かったね」

「うん! 他に患者さんが来たら、共同部屋に戻るように言われたんだけど、カイルも一緒に寝泊まりしてくれてるし、特別にね。ほら私、車椅子があるから、共同部屋だと狭くって、他の患者さんにも迷惑かけちゃうでしょ」

 そう話しながら、リリアナは、未だ扉の近くに佇んでいるハインツの方に、視線を向けた。
自分が寝巻姿であることが、気になるのだろう。
一度座り直してから、リリアナは、ハインツに声をかけた。

「ハインツくんも、近くに来て、お話しましょう。昨日は色々と、ごめんね。石が降ってきたときは死んじゃうかと思ったけど、お陰でもう元気になったわ。本当にありがとう!」

 嬉しげな声で言って、リリアナは、頬を綻ばせる。
ハインツは、戸惑った様子でうつむいてから、おずおずと近寄ってくると、ゆっくりと床に膝をついた。

「あ、あの……ほ、本当に、ごめん、なさい」

 震える声で謝りながら、ハインツは、床に手をつく。
土下座までしようとするハインツに、リリアナは慌てた。

「え? いや、だから謝らないでいいのよ? 私はハインツくんに、助けられたんだもの!」

「で、でも……怪我、させたのは、俺、だし……」

「そんなこと気にしないで! 私、ハインツくんがいてくれなかったら、死んじゃってたんだから!」

 懸命に手を振りながら、リリアナは、なんとかハインツに頭を上げさせる。
おろおろする二人のやり取りを見ながら、トワリスは、苦笑いを浮かべた。

「私も同じこと言って説得したんだけど、ハインツ、朝からずっとこの調子なんだ。どうしても気になるんだって」

「そんな……責任を感じる必要なんてないのに……」

 どうすべきかと困った表情で、リリアナが眉を下げる。
それでも、頑なに顔を上げようとしないハインツに、リリアナは、ぴんと右手の人差し指を立てた。

「あっそうだ! じゃあハインツくん、私のお願いを、一つ聞いてくれないかしら? それで今回のことはチャラ! 謝るのはもう無しよ」

 その瞬間、横で聞いていたトワリスとカイルの顔が、ぴくりと強張った。
リリアナは、まるで名案だとでも言いたげな顔をしているが、一体何をお願いするつもりなのだろうか。
今までの傍若無人ぶりを見る限り、恋人にしてくれとか、結婚しようとか、そんな無茶も言い出しかねない。
気弱なハインツのことだ。罪悪感から拒否できない可能性もあるし、リリアナのお願い次第では、トワリスとカイルが止めに入る必要があるだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.265 )
日時: 2020/06/13 20:10
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 そんな二人の心中など露知らず、リリアナは、楽しげに思案し出した。

「うふふ、何がいいかなぁ。結局昨日は出来なかったから、お昼ごはんを一緒に食べる、とか。お買い物に行くのもいいわね。それならいっそ、ハインツくんのお休みの日に、二人でお出かけするとか? きゃっ、私ったら大胆すぎるかしら」

 リリアナの思考が駄々漏れた呟きに、トワリスとカイルは、ほっと肩を撫で下ろした。
流石のリリアナも、ハインツが断れないのをいいことに、手篭めにしようなどという考えは起こさなかったようだ。
食事を一緒にとったり、出掛けたりするくらいなら、ハインツもそこまで消耗しないだろう。
むしろ、人付き合いの練習になると思えば、ハインツにとっても悪い話ではないかもしれない。

 安堵したのもつかの間、あっと声をあげると、リリアナは、ハインツの顔を見つめた。

「その仮面をとって、お顔を見せてもらうっていうのも良いわね。私、ずっと素顔のハインツくんとお話ししてみたかったのよ。どう? 今日だけでもいいから──」

 にこやかに話すリリアナの口を、トワリスが、目にも止まらぬ速さでふさいだ。
そのまま彼女の肩を掴み、ぐるりと上体を回して、壁の方を向かせる。
トワリスは、リリアナに顔を近づけると、ハインツに聞こえないよう、小声で囁いた。

「リリアナ、それは……駄目」

「え? どうして?」

 きょとんとした顔で、リリアナが問い返す。
ハインツとカイルも、いきなりトワリスがリリアナの話を中断させたので、驚いた様子だ。
大袈裟すぎたかと些か焦りながらも、トワリスは、リリアナに言い聞かせた。

「ど、どうしても何も、人には、触れられたくないこととか……あるだろ」

「触れられたくないって……ハインツくんの、仮面のこと? なに、そんなに隠さなきゃならない、重大な理由があるの?」

 一体どんな想像をしているのか、妙にうきうきとした顔で、リリアナが迫ってくる。
トワリスは、たじろぎながらも、察しろと言わんばかりにリリアナを睨んだ。

「重大、というか……私も見たことないから、分かんないけど。……リオット族なんだから、色々あるんだよ」

「色々って、ああ、病気のこと? 私、全然気にしないわよ。それにリオット族の人って、病気はもう治してるんでしょ? ハインツくんも、腕の皮膚とか、私たちとそう変わらないじゃない」

「だから、ハインツはむしろ、それを気にしてるというか……」

「えっどういうこと? ハインツくん、病気を治したこと、後悔してるの?」

「い、いや、あの……」

 説明せねば納得してくれなさそうな雰囲気に、トワリスは困り果てた。
ハインツの事情を、腫れ物扱いするつもりはない。
だが、カイルもいるような場で無遠慮に問いただすのは如何なものかと思うし、だからといって、トワリスの口から話すのも違うだよう。

 かばってくれたトワリスが、返事に詰まっていることに気づいたらしい。
ハインツが、控えめな声で告げた。

「い、いいよ……別に。そんな、気を、遣ってもらう、ような、話じゃ……。お、俺も、気にして、ないし……」

 言いながら、後頭部の留め具を外して、鉄仮面を取る。
顕になったハインツの顔には、トワリスの想像通り、目の周辺にみみず腫れのような腫瘤が幾筋も走っていた。
右目だけ弱視なのか、瞳の色素が薄く、上瞼が腫れて、ほとんど開いていない。
まじまじと見て良いものなのか分からず、トワリスは、一度ハインツと目を合わせてから、躊躇ったように視線を落とした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.266 )
日時: 2020/06/16 19:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 リリアナは、はっと息を飲むと、頬を紅潮させた。

「わ、わっ、もっと近くで見てもいい? やだ、どうしようトワリス! ドキドキしてきちゃった! 心臓吐いちゃうかも!」

 トワリスの肩をばしばしと右手で叩きながら、リリアナは興奮している。
彼女の反応が予想と違ったのか、ハインツは、困惑したようにうつむいた。

「お、俺は……見た目も、こんな、だし。病気、治った、ところで……力、強くて、びっくり、されるし。あまり、近づかない、ほうが……」

 たどたどしく言って、リリアナの視線から逃げるように、ハインツは目を伏せる。
リリアナは、ハインツの言葉を、目を丸くして聞いていたが、やがて、ぱちぱちと瞬くと、不思議そうに尋ねた。

「びっくりするのって、そんなに悪いこと?」

 率直な口調で言って、リリアナは、首を傾ける。
黙り込んでしまったハインツに、リリアナは、何かを思ったのか。
ふと、表情を緩めると、穏やかな声で言った。

「もし、それでハインツくんが嫌な気分になっちゃってたなら、ごめんなさい。だけど、ハインツくんを見たら、誰でも最初はびっくりしちゃうと思うわ。こんなに大きくて力持ちなんだもの、街中に出たら注目の的よ。ついでに言うと、私、トワリスを見たときだって驚いたわ。獣人の血が混じってる子なんて、初めて見たんだもの。でも、トワリスとハインツくんだって、私を見たとき、ちょっとびっくりしたでしょ? あ、この人、歩けないんだなぁって」

「…………」

 トワリスもハインツも、否定はしなかった。
リリアナは、おかしそうに続けた。

「もちろん、それで差別をしようとか、馬鹿にしようとするのは、良くないことだわ。だけど、珍しい特徴を持ってるんだから、びっくりされるのは当然よ。それで悲しくなって、直接否定されたわけでもないのに、下を向いちゃうのは、もったいないことだと思う」

 床に膝をついたまま、うつむいているハインツを、リリアナは、じっと見つめた。

「ハインツくんは、いつも下を向いてるのね」

 そう言われて、ハインツが、わずかに顔をあげる。
リリアナは、その頬に右手を添えて、目線を合わせると、穏やかに言い募った。

「私ね、前を向いて生きていれば、傷があるかどうかなんて、大した問題じゃないと思うの。一生脚が動かなくても、形として残る傷があっても、そんなの、本人が気にも留めなくなったら、ないのと同じだわ。諦めずに、前を向いて生きていたら、びっくりしてこちらを見る、色んな人と目が合うでしょう? その中には、気にしなくて良い、助けてあげるって言ってくれる暖かい人が、必ずいるわ。そういう人たちと一緒に生きられたら、傷なんて、大した問題にはならないのよ。……ハインツくんは、きっともう出会えているから、あとは前を向くだけね」

 リリアナが、ふふっと笑う。
どこか戸惑った表情で見つめ返してくるハインツに、リリアナは問うた。

「ハインツくんは、誰が一番好き?」

「……ルーフェン」

「じゃあ召喚師様は、ハインツくんの病気が治ったって聞いたとき、何か言ってた?」

 ハインツは、何度か瞬きをした。
ややあって、当時のことを思い出したのか、ぽつりと答えた。

「良かった、って、言ってた」

「ふふ、そう! じゃあ、治って良かったわね!」

 ハインツの目が、微かに見開かれる。
リリアナは、ぱっと笑顔になった。

「大事な人が喜んでくれたなら、それで良いと思わない? 本当に大切な相手は、元気でいてくれるだけで嬉しいって、そう思うじゃない。私はハインツくんのこと、まだ全然知らないし、他に思うところがあるなら、お顔は隠してもいいと思う。でも、傷があるとかないとか、力が強いとか弱いとか、そんなこと気にしてない人が、ハインツのくんの周りには、いっぱいいるはずだわ。そのことを、忘れないでね」

「…………」

 ハインツはしばらく、ぼんやりとした顔で黙っていたが、やがて、何かを思い出したような光を瞳に浮かべると、こくりと頷いた。
そんなハインツのことを眺めている内に、トワリスの中に、どこか懐かしいような思いが込み上げてきた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.267 )
日時: 2020/06/18 19:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 こういうとき、リリアナを、心の底からすごいと思う。
トワリスも昔から、リリアナに言われて初めて、気づかされることが沢山あった。
彼女の純粋で、無邪気な言葉は、不思議なほどあっさりと、胸の中に落ちてくるのだ。

 嬉しそうな笑みを浮かべていたリリアナは、ふと、ハインツの肩に手を置くと、唐突に尋ねた。

「ところで、ハインツくんが召喚師様のことを大好きなのは分かったんだけど……女の子だったら、誰が一番好き?」

「え……」

 ハインツが、動揺した様子で身動いだ。
声こそ柔らかいものの、リリアナからは、どことなく威圧的な空気が醸されている。
トワリスとカイルは、同時に呆れ顔になった。
そもそもハインツには、女性の知り合いが少ないのだろう。
ここ何日かの行動を見て、そう判断しているに過ぎないが、それこそトワリスかリリアナか、リオット族の友人くらいしかいないのかもしれない。
ハインツは、答えに困っているようであった。

「お、女の子、だったら……」

 ハインツが、まごつきながら視線を彷徨わせる。
やがて、ちらりとトワリスの方を見ると、ハインツは、ぼそぼそと答えた。

「女の、人、だったら……トワリスが、好き」

──刹那、場の空気が、凍りついた。
真顔になったリリアナが、すかさずトワリスの方を見る。
ハインツは、恥ずかしげにうつむくと、もじもじしながら言った。

「一緒に、頑張ろうって、言ってくれて、嬉しかった……」

「…………」

 本来であれば、トワリスも心暖かくなる言葉であったが、今は、それどころではなかった。
無表情でこちらを凝視するリリアナに、トワリスが、慌てて首を振る。

「違う。違うから、リリアナ」

 トワリスの必死な様子に、リリアナの眉が、ぴくりと動く。
ハインツから離れ、上半身を乗り出してトワリスに近づくと、リリアナは問いかけた。

「一緒に頑張ろうって……な、何を?」

「仕事だよ。仕事を、一緒に頑張ろう、って話。同僚として」

「あっ、そ、そうよね……同僚としてよね。私、トワリスのこと、信じていいのよね……?」

「疑う要素全くなかっただろ……」

 始まった女同士の応酬に、何かまずい発言をしてしまっただろうかと、ハインツが震え出す。
三人のやりとりを遠巻きに眺めていたカイルは、ややあって、馬鹿馬鹿しそうに嘆息すると、ふと、ハインツに声をかけた。

「……ねえ、ハインツ」

 ハインツが、カイルの方に振り返る。
カイルは、壁際の椅子に腰かけたまま、罰が悪そうに目線をそらすと、ぽつりと呟いた。

「悪かったよ。化け物じみた、とか言って。……姉さんを助けてくれて、ありがとう」

「…………」

 驚愕の色を滲ませて、ハインツが瞠目する。
その時、ずっと肩に入っていた力が、ようやく抜けたような気がした。

 入院することになったリリアナには、もちろん申し訳ないと思っていたが、今回の件で一番怒っていたのは、弟のカイルだ。
ハインツには、兄弟姉妹はいないが、大事な姉が得体の知れない大男に怪我を負わされたら、怒るのは当然のことだろう。
たとえリリアナが許してくれても、カイルには完全に嫌われてしまうだろうと思っていたので、その彼がお礼を言ってくれたことは、ハインツにとって、心が救われる思いだった。

 顔色が良くなったハインツを見て、カイルは、腕組みをした。

「まあ、降ってきた石材がぶち当たっても平然と立っていられるくらいだから、ハインツは簡単には死なないだろうし。正規の魔導師でなくても、長く城館仕えやってれば、報酬はそれなりにもらえるでしょ?」

 突然変わった話題についていけず、ハインツが小首を傾げる。
カイルは、ふっと大人びた笑みを浮かべると、言った。

「姉さんのこと、よろしくね」

 ハインツの顔が、再び青ざめた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.268 )
日時: 2020/06/20 19:30
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


  *  *  *


 夕暮れの光はとうに暮れ落ち、空が夜闇にどっぷりと浸かった頃に、トワリスは、ようやく城館へと戻った。
街の住民は既に寝静まり、城館仕えの臣下たちも、夜番の自警団員以外はとっくに下城している。
トワリスは、事情を門衛に話すと、結界を抜けて、城館内へと入った。

 ひとまず今夜は荷物だけ置いて、城下視察の報告は明日で良いだろうと思っていたが、二階へ上がると、ルーフェンの執務室に、まだ人の気配があった。
閉まった扉の隙間から、柔らかな光が漏れている。
とはいえ、こんな夜更けに訪ねるのも非礼だろうと、そのまま部屋の前を通りすぎようとすると、ちょうどその時、向こうから、扉が引き開けられた。

「あ……」

 扉を開けたのは、ルーフェンであった。
少し驚いた顔で、トワリスのことを見ている。

「まだ帰ってなかったの?」

「あっ、はい。ちょっと色々あって、城下視察を夜に回したら、こんな時間になってしまって……。すみません」

 もっと早く終わる予定だったのですが、と付け加えて、謝罪する。
リリアナが怪我をしたことを説明すれば、ルーフェンなら許してくれるだろうが、そもそも彼女の同行を許してしまったことが、トワリスの甘さ故の過失だったのだ。
リリアナの見舞いを終えた後、ハインツは大工衆の手伝いへ、トワリスは視察に向かって、結果的に双方終わらせることができたのだから、わざわざ言い訳をする必要もないだろう。

 頭を下げると、ルーフェンは、微苦笑を浮かべた。

「今日までってお願いしてたわけじゃないし、謝る必要はないけど、夜中に外を出歩くのは危ないよ。それに、寒かったでしょう。鼻が真っ赤」

 そう指摘されて、トワリスは、隠すように鼻先に手をやった。
冷えきった手指で触れると、顔は仄かに熱を持っているように感じられたが、言われてみると、鼻先には感覚がない。
赤い顔を見られたのかと思うと、急に恥ずかしくなって、トワリスはうつむいた。

「別に、大丈夫ですよ。私だって、夜番で警備に回ることありますし、むしろ危ないことが起きたら、それを解決するのが仕事です。動き回ってたので、寒さも全く気になりませんでした」

 ぶっきらぼうに答えると、ルーフェンは、くすくす笑った。

「そう? まあ、それならいいんだけど。あんまり無理すると、また倒れちゃうから、気を付けてね」

 言いながら、羽織っていた室内着を脱ぐと、ルーフェンは、それをトワリスの肩にかけた。
事前に問われれば、羽織など必要ないと答えられたが、何の前触れもなく渡されると、わざわざ脱いで突き返すのも躊躇われる。
なんとなく居たたまれなくなって、目線を反らすと、トワリスは、荷袋からアーベリトの市街図を取り出した。

「そ、そんなことより、お時間があるなら、件の報告をさせてください。警備体制を変えるから、なるべく早い方がいいですから」

 矢継ぎ早に告げて、話を変えると、ルーフェンに詰め寄る。
ルーフェンは、一瞬困ったように執務室の方を一瞥したが、ややあって頷くと、扉を押し開いた。

「わかった。どうぞ、入って」

 促されるまま、執務室へと踏み入れ、来客用の長椅子に腰を下ろす。
暖炉の火影が揺らめく室内は、じんわりと暖かく、仄かに甘酸っぱい香りが漂っていた。