複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.270 )
日時: 2020/06/23 19:40
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 トワリスは、目の前の机に、飲みかけの果実酒瓶とグラスが置いてあることに気づくと、隣に座ったルーフェンに目をやった。
トワリスが来るまで、この部屋にはルーフェンしかいなかったようだから、彼が飲んでいたに違いない。
話題に困って、勢いで報告を切り出してしまったが、今が真夜中であることを思い出すと、トワリスは、さっと顔色を変えた。

「あの……もしかしなくても、お休みでしたよね? すみません、こんな非常識な時間に押し掛けて。ご迷惑でしたら、宿舎に戻ります」

 借りた羽織を脱ぎ、軽く畳んで、ルーフェンに差し出す。
トワリスが、先程酒瓶を見たことに、気づいていたのだろう。
ルーフェンは苦笑いしながら、羽織を受け取った。

「休むって言ったって、考え事してただけだから、気にしなくていいよ。……はい。トワリスちゃんも、飲んでみる? 貰い物の、林檎酒」

 からかい口調で提案して、空いたグラスを手渡してくる。
むっとして受け取ると、ルーフェンは、意外そうに瞬いた。

「……なんですか?」

「いや、トワリスちゃんのことだから、仕事中にお酒飲むなんて! って怒るかと予想してたんだけど……。そもそも、酒なんて飲んだことないって言うかと思ってた」

 おかしそうに言いながら、ルーフェンは、酒瓶を傾ける。
トワリスは、眉を寄せると、注がれた果実酒を一口飲んで見せた。

「今は本来、仕事の時間じゃないですし、私だって、お酒を飲んだことくらいあります。子供扱いしないでください」

 強気な声で言って、どん、とグラスを机に置く。
酒を飲んだことがあると言っても、以前、ハーフェルンにいた頃に、ロゼッタに勧められて舐めたことがある程度である。
しかし、幸いなことに、果実酒は甘くて飲みやすかったので、飲み慣れていないことがばれることはなかった。

 可愛げのない態度をとっている自覚はあったし、慳貪(けんどん)な対応をしたいわけでもないが、ルーフェンは何かと、トワリスのことを子供扱いしてくるきらいがある。
昔は兄妹のような関係で暮らしていたので、仕方がないのかもしれないが、十七にもなって蝶よ花よと扱われるのは、トワリスとしては嫌であった。

 細かく書き込んだアーベリトの市街図を広げると、トワリスは、口火を切った。

「では、報告は手短に済ませますが、結論から言うと、自警団員の巡回はなくしても良いんじゃないかと思いました」

 はっきりとした口調で言って、トワリスは、ルーフェンの反応を伺った。
ここでふざけた態度をとっては、流石に彼女の機嫌を損ねると察したのか、ルーフェンも、市街図へと視線を落とす。
てきぱきとした仕草で、自警団員の巡回経路を示しながら、トワリスは続けた。

「召喚師様が以前仰っていた通り、アーベリトは、シュベルテの保護下に入っていることもあって、位置的には、かなり狙われづらい場所にあります。ただ、だからといって、大して高さもない外郭一枚を当てにして、市門にしか警備を置いていない現状は、あまりにも寡少戦力です。ですから、街中に配置していた自警団員、つまり戦いの心得がある者は、基本的に外郭周辺の守りに回しましょう。その代わり、街中の監視は、物見用の主塔を建てて行うんです」

 市街図に三ヶ所、印をつけておいた部分を指すと、トワリスは言い募った。

「アーベリトの場合は、この三ヶ所。ここに主塔を建てて、監視役を一人ずつ置けば、街全体が見渡せます。人数と時間をかけて街中を巡回するより、よっぽど効率的ですし、主塔を連絡用にも活用すれば、有事の際の知らせも届きやすくなるはずです。シュベルテは広いので、城壁内にしか主塔は建てていなかったのですが、アーベリトの面積なら、三ヶ所も建てれば機能としては十分です」

 ルーフェンは、机の上で指を動かしながら、計算式を書き出すと、納得したように頷いた。

「確かに、外郭と同じか、それよりも少し高いくらいの主塔を建てれば、街を見渡せる範囲に死角はないね。しかも、監視役というだけなら、自警団員じゃなくても出来る」

「そう、そうなんです!」

 まさにそれが言いたかったのだと、トワリスは、身を乗り出して訴えた。

「大工衆の方々に聞いたんですが、ここ数年で、アーベリトには人が多く流れ込んできたでしょう。その影響で、専門職を除き、仕事にあぶれている人も結構いるみたいなんです。そういう人達を監視役として雇っても、物見と連絡に戦闘技術は必要ありませんから、問題はないはずです。今後移動陣を導入するなら、いざという時は、連絡一つで現場に駆けつけられるわけですから、どこに戦力が集中しているかどうかは、さほど重要じゃなくなります。だったら、街中の監視は一般の人達に任せて、戦える人間を城館と外郭周辺に集中させれば、少人数の自警団員でも、ある程度の守りは固められるんじゃないでしょうか」

 次いで、書き込んだ別の書類を荷から引っ張り出すと、トワリスは、それをルーフェンに手渡した。

「とはいえ、私の一存で決めるべきことじゃありませんし、いきなり明日から巡回なしっていうわけにもいかないでしょうから、あとのことは、自警団員の方々と話し合って決めるのが良いかと思います。一応、今回は巡回経路の再検討が目的の一つだったので、それについても三案ほどまとめました。お時間のあるときに、目を通して頂ければ幸いです。報告は以上です」

「…………」

 ルーフェンはしばらく、考え込むような顔つきで、トワリスに渡された書類を捲っていた。
やがて、一通り読み終わったのか、顔をあげると、トワリスのほうを見た。

「ありがとう、助かったよ。近々、ロンダートさんとも話してみるね。まだアーベリトに戻ってきて間もないのに、大変だったでしょう? 二日でここまでまとめるなんて、流石トワリスちゃんだね」

 率直に褒められて、トワリスの内に、嬉しさが込み上げてくる。
思い付きのように城下視察を頼まれたときは、まるで頼りにされていないと感じて、少し不満に思ったものだが、今は、出来ることから精一杯、着実にこなしていくことが大事だろう。
ハインツ同様、役に立たねばと焦ったところで、何かが変わるわけでもないし、そんなことは、ルーフェンだってきっと望んでいない。
考えてみれば、トワリスは今、散々焦がれていたアーベリトに着任していて、ずっと恩返しがしたかったルーフェンから、礼を言われたのだ。
その実感がわいてきただけで、この上なく、幸せな気持ちになれた。

 ルーフェンの方に向き直ると、トワリスは、食い気味に言った。

「他にも、私に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね。アーベリトに呼んで良かったって思われるくらい、もっと頑張りますから」

 嬉しさを隠しきれぬ様子で、トワリスが頬を緩める。
するとルーフェンが、妙な表情になって、動かなくなった。
返事をするわけでもなく、ただ黙って、じっとトワリスのことを見つめている。
トワリスが、怪訝そうに眉をひそめると、ルーフェンは、ようやく口を開いた。

「……いや、可愛いなぁと思って」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.271 )
日時: 2020/06/25 19:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 しみじみとした声で言われて、今度は、トワリスが硬直する。
我に返ってから、長椅子の端まで身を引くと、ルーフェンが苦笑を浮かべた。

「そんなに警戒しないでよ。褒めただけじゃない。トワリスちゃん、笑うと可愛いねって」

「…………」

 まるで挨拶でもするかのような軽さで、ルーフェンが告げてくる。
そういえば、アーベリトに来てからはすっかり忘れていたが、彼はこういう人であった。
そんな笑顔になっていただろうかと、思わず表情を引き締めて、トワリスがルーフェンを睨む。

「そういうことを……誰彼構わず言うのは、良くないと思います」

 ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。

「誰彼構わずは言ってないよ?」

「どの口が言ってるんですか」

「……妬いてるの?」

「国の象徴とも言える召喚師様が、実はだらしない性格だったと知って、虫酸が走っただけです」

「そっかぁ、残念」

 口ではそう言いながらも、大して残念がる様子はなく、ルーフェンは笑っている。
それから、机に置いていた果実酒を一口含むと、ルーフェンは、何事もなかったかのように続けた。

「じゃあ、今後はトワリスちゃんに言うようにするね」

「は!? なんでそうなるんですか!」

 かっと頬を染めて、トワリスが声を荒げる。
勢い余って、自分が長椅子から立ち上がっていることに気づくと、トワリスは、慌てて座り直した。

「召喚師様には、婚約者がいるでしょう。冗談でも、そういう浮わついたこと言ってると、いずれ恨みを買いますよ」

 刺々しい口調で忠告して、再度ルーフェンを睨む。
ルーフェンは、肩をすくめた。

「婚約者って、ロゼッタちゃんのことでしょう? 前にも言ったけど、彼女とは別に何でもないんだって。こういう立場だと、婚約者の一人や二人いないと、周りにあれこれ言われるからさ。ロゼッタちゃんも、俺と婚約しろってマルカン候に散々言われて、苦労してたみたいだから、いっそ本当に婚約関係を結んだほうが楽かもねって話になって、そういうフリをしてるだけ。あくまで利害の話。貴族同士の間柄なんて、仲良さそうに見えても、大体そんなものだよ」

 まるで笑い話でも語るかのように、ルーフェンは、あっけらかんと告げる。
一方でトワリスは、納得がいかないといった様子で、眉を寄せた。
確かに、貴族たちが横行する社交界は、腹の探り合いばかりしている印象があるし、ルーフェンの言っていることも、間違いではないのだろう。
トワリスもハーフェルンで、好意的に見える相手の発言を信じて、実際に痛い目を見た。
しかし、だからといって、人と人との繋がりを、完全に利害の一致でしかないと語るのは、なんだか寂しいことのように感じた。

 膝上に置いた自分の手を見つめながら、トワリスは、たどたどしく呟いた。

「……それでも、やっぱり、不誠実なのは良くないと思います。召喚師様にとっては、たかが遊び感覚で、損得の話に過ぎないのかもしません。でも、召喚師様のことを本気で好きな人は、そういう軽い一言にだって、振り回されてしまうと思うので……」

 言ってから、顔をあげると、ルーフェンも、驚いたような顔でこちらを見ていた。
ややあって、ぶっと吹き出すと、ルーフェンが笑い始める。

「……なに笑ってるんですか」

「いや、トワリスちゃんの中で、俺ってどれだけの節操無しに仕立て上げられてるのかなと思って」

 だってその通りじゃないか、と目で訴えると、ルーフェンの顔が、一層笑いを噛み殺したように歪む。
一応、トワリスは真剣なのだから、笑ってはいけないという自制心はあったのだろう。
すぐに笑いをおさめると、ルーフェンは言い募った。

「否定しても信じてくれなさそうだけど、名誉のために一応言っておくよ。俺は別に、誰かを弄ぼうとするほど悪趣味じゃないし、そもそも、召喚師相手に、本気になる子なんていない」

 冗談めいた調子で言いながら、ルーフェンは、果実酒を呷る。
軽口とは言え、ルーフェンが卑屈な発言をしたことが意外で、トワリスは、目を丸くした。

「そんなことは、ないと思いますけど……」

 考える前に、言葉が口を突いて出る。
特に深い意味はなかったし、反芻してみても、的外れな返答とは思わなかった。
だがそのあと、ルーフェンが急に黙ったので、トワリスも、どうすれば良いのか分からなくなってしまった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.272 )
日時: 2020/06/27 22:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 ぱちぱちと音を立てて揺れる、暖炉の炎を眺めながら、二人は、しばらく黙り込んでいた。
沈黙の時間が長引くほど、なんだか自分は、とんでもない発言をしたのではないかという気持ちが、トワリスの中に募っていく。

 やがて、グラスを机の上に置くと、ルーフェンが唇を開いた。

「……じゃあ、試してみる?」

 トワリスが、目を上げて、ルーフェンのほうを見る。
ルーフェンもまた、射るような銀の瞳で、トワリスのことを真っ直ぐ見つめていた。

 不意に、ルーフェンが身を起こして、二人の距離が、徐々に縮まる。
ルーフェンは、薄い微笑みを浮かべていたが、それは、いつもの優しい笑みではなかった。
どこか寂しげで、それでいて熱っぽい、色香のある微笑みだ。

 肩が触れ合って、はっと身体を強張らせると、トワリスは、焦ったように声を上げた。

「あっ、あの、試すって、なにを」

 甘ったるい林檎の香りに混じって、柔らかな香油の匂いが、鼻先を掠める。
ルーフェンが羽織を貸してくれた時に感じたのと、同じ匂いであった。

 ルーフェンは、微かに目を細めた。

「じゃあ、まず……俺のこと、昔みたいに、また名前で呼んでよ」

「な、なまえ?」

 動揺の余り、聞き返した声が裏返る。
ルーフェンから離れるべく、後ろに下がろうとしたが、元々トワリスは、長椅子の端に詰めていたので、背後の手すりが邪魔で動けない。
トワリスは、ぶんぶんと首を振った。

「む、無理ですよ。出来ないです」

「……どうして?」

「いや、だって、……召喚師様は、召喚師様じゃないですか。そんな子供の時みたいに、礼儀知らずな真似、絶対にできません!」

 力一杯否定して、身をよじる。
するとルーフェンは、逃げ道を塞ぐように、長椅子に手をついた。

「だったら俺も、トワリスちゃんの呼び方変えるよ。それなら、おあいこだからいいでしょう?」

「は、はい? 何がいいのか、さっぱり──」

「そうだなぁ……あだ名ってことで、トワちゃん、とか、どう? 他にそう呼んでる人、いる?」

 言いながら、ルーフェンは、トワリスにのしかかるように、ゆっくりと距離を詰めてくる。
もはや、腕を回せば抱き締められるような至近距離に、トワリスの心臓が、いよいよ早鐘を打ち始めた。

 ルーフェンが、そっと耳元で囁く。

「トワ……ね、お願い」

 耳元に吐息がかかって、呼吸が止まりそうになった。
激しく脈打つ鼓動で、心臓が潰れてしまいそうだ。

 必死に首を振りながら、肩を押し返すと、ルーフェンは、案外すんなりと離れた。
しかし、安堵する間もなく、今度はルーフェンの左手が、彼を押し返したトワリスの右手を掴む。
掴む、というよりは、触れるという表現の方が合っているだろう。
ルーフェンは、トワリスの手を肩から外すと、指の腹で、彼女の手の甲をすっとなぞった。

 ルーフェンが、困ったように笑って、問いかけてくる。

「……そんな顔しないで。こういうのは、嫌だった?」

 顔を隠すように背けて、トワリスは、ぎゅっと目を瞑った。
とてもではないが、返事をするどころではない。
そもそもルーフェンは、何故そこまでして、名前で呼ばれたがっているのだろう。
役職名で呼ばれるより、名前で呼ばれた方が、親しみがあるからだろうか。
確かに、リリアナやカイルが、トワリスのことを『魔導師様』と呼ぶようになったら、寂しい気持ちになる気がする。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.273 )
日時: 2020/06/29 18:45
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ZFLyzH3q)


 混乱と羞恥で、すっかり沸騰しきった思考を巡らせている内にも、ルーフェンの細い指が、トワリスの指を絡めとるように触れてきた。
男にしては細いが、トワリスよりは大きくて、筋ばった手だ。

 いよいよ限界になって、トワリスは、か細い声を絞り出した。

「わっ……わかりました、から……手、離してください………」

 目を瞑ったまま、声を詰まらせながら続ける。

「ルーフェン、さんって、さん付けですよ。あと、二人の時だけです。立場が、あるので、普段は、召喚師様って呼びます……」

「…………」

 折角こちらが折れたのに、ルーフェンは、手を離してくれなかった。
さっきは抵抗したら、あっさり離れてくれたのに、今度は、離れるどころか、逆に手を握る力を、強められたような感覚があった。

「……トワの髪って、近くで見ると、珍しい色だよね。深い赤褐色」

 依然として指を絡ませながら、ルーフェンが、唐突に呟く。
恐る恐る目を開けると、ルーフェンの白銀と、視線がかち合った。

「な、な、なんで、いきなり、髪」

「……いきなりじゃないよ。前から思ってた、綺麗な色だなぁって。……伸ばさないの?」

 ついに、指を完全に絡めとるように、ルーフェンが手を握った。
ふ、と微笑んで、ルーフェンがもう一度顔を近づけると、トワリスの全身が、びくりと強張る。
頭の中が真っ白で、煮えたぎったように熱くて、もう何も考えられなかった。

 不意に、ルーフェンが、ぐ、と握っていた手を引いた。
長椅子の端に追い詰められ、半ば押し倒されるような姿勢になっていたトワリスは、え、と思う間もなく、上体を引き起こされる。
ルーフェンは、起き上がったトワリスから手を離すと、にこりと笑った。

「なーんて、これ以上やったら、流石に嫌われちゃうかな?」

「…………」

 一瞬、ルーフェンの発言が理解できず、トワリスは、座ったまま凍りついていた。
だが、一拍遅れて、ようやくからかわれていたことに気づくと、トワリスは、衝動的に拳を握った。

「ふっ、ふざけるのも大概にしてくださいっ!」

 突き出した拳が、ルーフェンの鳩尾に入る。
吹っ飛んだルーフェンは、長椅子から転げ落ち、その衝撃で、トワリスも床に尻餅をついた。

 ルーフェンが近づいて来ないようにと、トワリスは、両手をぶんぶんと振り回している。
何度か咳き込みながら、身を起こしたルーフェンは、腹を手で押さえながら呻いた。

「いったぁ……そんな、本気で殴ることないじゃん」

「ほっ、本気なわけないじゃないですか! 私が本気出したら、この程度じゃ済まないんですからね! 私にちょっかいかけて遊ぶ元気があるなら、休んでないで仕事でもしてください! ルーフェンさんの馬鹿馬鹿! 変態! 不潔!」

 思い付く限りの罵詈雑言を並べ立てながら、トワリスは、腰の双剣にまで手を伸ばした。
うっかり近づいて、間合いに入ろうものなら、切り捨ててやるとでも言いたげである。

 ルーフェンは、肩をすくめた。

「そんなに嫌だったなら、最初から殴って止めれば良かったのに。トワならできたでしょ?」

「…………」

 ぎろりとルーフェンを睨んで、反論しようと口を開く。
しかし、うまい言葉が見つからず、トワリスは、結局そのまま口を閉じた。
口喧嘩を挑んだところで、ルーフェンのからかいの種になることは、分かりきっていたからだ。

 トワリスは、ゆるゆると息を吐き出すと、弱々しく言った。

「嫌、っていうか……私は、冗談とか、笑って受け流すのが苦手なので……。ああいうのは、びっくりするから、やめてほしいです」

 ルーフェンが、微かに目を見開く。
一笑されて終わりかと思ったが、意外にもルーフェンは、返事に迷った様子であった。

 ルーフェンが、何かを言おうとした時。
不意に、部屋の外から、人の気配が近づいてきた。
二人同時に顔をあげて、思わず、息をひそめる。
単に、夜番の自警団員が、見回りで執務室の近くを訪れただけであったが、なんとなく二人は、気配が通りすぎるまで、じっと押し黙っていた。

 やがて、足音が聞こえなくなると、トワリスは、すっと立ち上がった。

「……もう遅いので、宿舎に戻ります」

 ルーフェンも立ち上がって、トワリスに向き直る。

「ああ、うん。そうだね。ごめんね、引き留めちゃって」

「……いえ、最初に押し掛けたのは、私なので」

 言いながら、長椅子に置いていた荷物をとろうとすると、同じことを考えていたらしいルーフェンと、手がぶつかった。
過剰なまでに反応したトワリスが、びくっと手を引っ込める。
ルーフェンは、驚いたように瞬いてから、トワリスの顔を見て、眉を上げた。

「……大丈夫? 顔、真っ赤だけど。酔っちゃった? それとも、まだ寒い?」

 ばっと腕を上げて、トワリスが、顔を隠す。
ルーフェンは、苦笑を深めると、取った荷物をトワリスの手に持たせて、穏やかな声で続けた。

「びっくりさせちゃったのは、俺が悪かったけど、仕事とはいえ、真夜中に男の部屋にきて、あんまりひょいひょいお酒飲まないほうがいいよ。まあ、一口だったけどね」

 そう指摘した途端、トワリスの顔が、更に赤みを増す。
トワリスは、突き放すようにルーフェンを振り払った。

「余計なお世話です! 馬鹿!」
 
 それだけ言って、トワリスは、さっさと扉から出ていったのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.274 )
日時: 2020/07/10 00:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 執務室を出ると、長廊下の先を、二人の男が歩いていた。
薄暗いので、顔はよく見えないが、もしかしたら、先程部屋の前を通りすがった二人かもしれない。
目を凝らして見ると、二人の内、一人は自警団員で、もう一人は、魔導師用のローブを身に付けているようであった。

 アーベリトには、他にも何人か魔導師がいると聞いていたが、トワリスは未だ、ハインツとしか面識がない。
追いかけてまで挨拶するかどうか迷っていると、先方も、後ろを歩くトワリスの存在に気づいたらしい。
ふと足を止めると、自警団員の方が、手を振って近づいてきた。

「お、どうしたんだ? こんなところで。今日、夜番じゃないだろう」

 揚々と声をかけてきたのは、ロンダートであった。
燭台の炎しか光源がない暗がりでも、間近に寄れば、はっきりとその顔が見える。
先程までルーフェンと執務室にいたのだ、とは答えづらくて、トワリスは、別の言い訳を考えていた。
しかし、暗がりから顔を出した、もう一人の男を見た瞬間、言葉を失った。
その魔導師は、覚えのある金髪の青年だったからだ。

「サ、サイさん……?」

「えっ……トワリスさん?」

 そろって声を上げ、瞠目する。
ロンダートの傍らにいたのは、トワリスの同期であり、卒業試験を共にした魔導師──サイ・ロザリエス、その人だったのだ。

 サイとは、卒業前に禁忌魔術の件で揉み合って以来、一度も会っていない。
あの後トワリスは、すぐにハーフェルンに配属されて、魔導師団の本部を去ったので、彼がどこでどうしているかなど、全く知らなかったのだ。

 絶句する二人の顔を交互に見て、ロンダートが、ぽんっと手を打った。

「よく考えたら、そうか! トワリスちゃんとサイくんって、今年魔導師に上がってるから、もしかして同期? なぁんだ、じゃあ紹介するまでもないじゃんか!」

 真夜中によく響く声で言って、ロンダートが、二人の頭をわしゃわしゃと撫でる。
サイは、乱された金髪を直すこともせず、まじまじとトワリスを見つめた。

「お、驚きました……。最近新しく来た魔導師って、トワリスさんのことだったんですね。すごい偶然というか、なんというか……」

 サイの瞳に浮かんでいた驚愕の色が、徐々に歓喜のものへと変わっていく。
禁忌魔術の件で言い合いになったことなど、もう忘れてしまったのか。
サイは、純粋にトワリスとの再会を喜んでいるようであった。

 一方のトワリスは、動揺の方が大きく、うまく笑みを返せなかった。
今でも、生きる魔導人形──ラフェリオンに魅入られ、取り憑かれたように机にかじりついていたサイの眼差しを思い出すと、寒気が背筋を走る。
サイは、ラフェリオンを追うことは、もう諦めたのだろうか。
気になったが、この場で尋ねて、話を掘り返したくはなかった。

 トワリスは、サイの顔を見上げた。

「……私も、驚きました。サイさん、アーベリトに配属されてたんですね。春頃まで勤務地を通達されていなかったようなので、てっきり、シュベルテに残るのかと思ってました」

 ひとまず、ラフェリオンの件には触れず、当たり障りのない返事をする。
すると、サイの表情が、突然曇った。

「あ、そ、そうなんです……。すみません。何の知らせも出していなくて……。怒ってますよね……?」

「怒る? なんでですか?」

 思わぬ謝罪をされて、トワリスが瞬く。
サイは、申し訳なさそうに俯いた。

「だって、トワリスさん、アーベリトに行くために、とっても努力してたじゃないですか。それなのに、私なんかが配属されてしまって……。言い訳になっちゃうんですけど、王都配属を命じられたとき、私は、トワリスさんを代わりに推薦しようと思ったんですよ。実力があって、アーベリト出身者故に思い入れもある分、私なんかより、絶対トワリスさんのほうが向いてますよって。ただ、その時にはもう、トワリスさんはハーフェルンに配属されていましたし、私も、いざお話を頂いたら、アーベリトに俄然興味が出てきてしまって……。アーベリトは、医療魔術に長けた街ですし、召喚師様もいらっしゃいます。シュベルテでは学べなかった、新しい魔術に出会えるんじゃないか……とか考え始めたら、楽しくなってしまって、気づいたら、辞令を受けていたんです。早急にトワリスさんにお詫びしなければ、という気持ちも勿論あったのですが、アーベリトに異動してすぐは、やはりバタバタしてしまって。完全に知らせを出す時期を失ってしまったんです。本当に、すみません……」

 焦った口調で捲し立てながら、サイが、深々と頭を下げる。
トワリスは、そうして平謝りする彼の姿を、つかの間、ぽかんとした顔で眺めていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.275 )
日時: 2020/07/02 19:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


 確かに、サイがアーベリトに配属されたことは知らなかったが、そのせいで、彼がトワリスに負い目を感じていたなんて、思いも寄らなかった。
むしろトワリスとしては、配属されていたのがサイだと聞いて、納得したくらいである。
サイは、それだけ優秀で、王都に引き抜かれるにふさわしい訓練生だったからだ。

 基本的に、才覚が認められた新人魔導師は、シュベルテを中心とした、発展都市に回される傾向にある。
アーベリトは、極力外部から戦力を入れようとはしないので、そもそも新人魔導師を引き入れるのかどうかすら分からなかった。
だが、もし採るのであれば、時の王都としては当然、優秀な人材を採るだろう。
そして、その候補の中に、サイは絶対にいたはずである。
トワリスは、サミルやルーフェンと暮らした経験があるので、“信用できる”という理由から、アーベリトに選ばれる可能性はあった。
しかし、そういった身内贔屓を勘定に入れなければ、やはりサイには敵わない。
彼はそれだけ、トワリスの同期の中で、抜きん出た才能があったのだ。
そう考えれば、サイがアーベリトに配属されたのは、ある意味当然の結果と言えよう。
実力差があることは事実なのだから、羨ましく思うことはあれど、怒ったり、恨んだりする理由は一つもない。
ましてサイは、トワリスにとって、卒業試験を共に乗り越えた仲間だ。
謝ってほしいなどとは、全く思わなかった。

 トワリスは、戸惑ったように首を振った。

「や、やめてください。私、全然怒ってないですよ。単純に、実力のあるほうが選ばれた、ってだけの話じゃないですか。私だって、ハーフェルンに配属されたこと、サイさんに伝えてませんでしたし……気にしないでください」

「トワリスさん……」

 顔を上げたサイが、すがるような目で見つめてくる。
胸に手を当て、弱々しく息を吐くと、サイは、眉を下げて微笑んだ。

「良かった……それを聞いて、ほっとしました。トワリスさんのことが、ずっと気がかりだったものですから……」

 まるで長年の胸のつかえが取れたような、心底安堵した顔で言われて、トワリスは、思わず拍子抜けした。
アーベリトに配属されてからのサイが、ラフェリオンどころか、そんな些細なことをずっと気にしていたのかと思うと、なんだかおかしかった。

 訓練生だった頃から思っていたが、サイは、存外控えめな性格をしている。
彼ほどの才能があれば、多少は傲ってもバチは当たらなさそうなものだが、それでもサイは、いつだって謙虚で、自分の能力をひけらかすような真似は決してしなかった。

 話を聞いていたロンダートが、サイとトワリスの肩を叩いた。

「なんかよく分かんないけど、折角また会えたんだから、仲良くやっていこうや。こっちとしても、魔導師が味方に付いてくれるのは頼もしいしな! 俺たち自警団もいるし、力を合わせて、アーベリトを守ろうぜ!」

「はい、もちろん」

 陽気なロンダートに合わせて、サイが、明るく返事をする。
サイは、トワリスに向き直ると、穏やかな声で言った。

「また一緒に、頑張りましょうね」

 一瞬、卒業試験を頑張ろうと言ってくれた時の、サイの顔が脳裏に蘇った。
アレクシアと喧嘩をすれば慰めてくれて、作戦に行き詰まれば助言をしてくれた、あの当時と変わらぬ、優しい笑みであった。

(禁忌魔術のことは、いつまでも気にしてたって、仕方ないよね……?)

 そう己に言い聞かせながら、トワリスは、サイの言葉に頷く。
サイは、特に魔術に関して、知識欲が旺盛な人物である。
だから、未知への探求心から、一時的に禁忌魔術に興味を持ってしまっただけだ。
今ならまだ、そう信じていられるような気がしたのであった。



To be continued....