複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.332 )
日時: 2020/12/07 18:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


†第五章†──淋漓たる終焉
第三話『永訣』



 サーフェリア歴、一四九五年。
木枯らしが窓を叩き、冬の到来を知らせる頃に、軍事都市セントランスは、レーシアス王政の傘下に入った。
独立自治は認められたが、軍部は解体され、長年領家として栄えてきたアルヴァン侯爵家は失脚。
新たに領主として据えられたのは、シュベルテの有力貴族であった。

 世間を震撼させた、セントランスによる宣戦布告の撤回を、人々は、粛々と受け入れた。
シュベルテへの襲撃がもたらした怨恨と恐怖は、それほどに根深い。
再び訪れた平穏に歓喜するには、払った犠牲が、大きすぎたのであった。

 サミルは、セントランスが没落した事実と、開戦には至らなかったという簡単な経緯だけを発表して、それ以上は語らなかった。
アルヴァン家が召喚術の行使を試行していたことや、サイ・ロザリエスの存在などは、公表するべきではないと、ルーフェンが判断したのである。
特に、サイの身に何があったのかは、同行していたトワリスとハインツも気になっていたが、ルーフェンは、二人に対しても一切口を割らなかった。

 ルーフェンだけが、何かに勘づき、以来、物思いする時間が増えている。
しかし、彼はそのことに関して、誰にも明かす気はないようで、それどころか、セントランスでの出来事は、このまま闇に葬るつもりなのだろう。

 シュベルテでは、バスカ・アルヴァンの死だけが、煢然けいぜんと曝されたのであった。



  *  *  *



「……トワリス、ここにいたんですね」

サミルに声をかけられて、トワリスは、はっと顔をあげた。
開け放たれた窓から、冷たい夜風が書庫に入り込んでくる。
持参した手燭の炎が、頼りなく縮むのを見て、サミルはそっと窓を閉めた。

 トワリスが、慌ててペンを机に置き、立ち上がって礼をしようとすると、サミルはそれを制して、向かい側に座った。
窓際に置いた手燭の炎が、隙間風で微かに揺れている。
分厚い毛織の羽織を引き寄せると、サミルは、穏やかな声で言った。

「こんな夜中に、窓も開けっぱなしでいては、風邪を引いてしまいますよ。最近、特に冷え込んできましたからね。……眠れないんですか?」

「…………」

 ぱちぱちと瞬いて、サミルを見つめる。
逡巡の後、誤魔化すように笑むと、トワリスは俯いた。

「……はい。なんだか、上手く寝付けなくて……」

 吹き付けた夜風が、窓をガタガタと鳴らす。
サミルは、少しの間、暗い窓の外を眺めていたが、やがて、小さく息を吐き出すと、トワリスに視線を戻した。

「……残念でしたね。サイくんのこと」

 ぴくりと耳を動かして、トワリスが瞠目する。
眉を下げると、サミルは続けた。

「ハインツが、心配していましたよ。セントランスから帰ってきて以来、トワリスの元気がないと。……サイくんは、君の同期だったそうですね。友人を失うというのは、とてもつらいことです」

「…………」

 トワリスは、答えなかった。
長い間、目線を落としたまま黙っていたが、ややあって、ゆるゆると首を振ると、唇を震わせた。

「……つらくはありません。つらいとか、私が言えたことじゃないんです。……サイさんをルーフェンさんに売ったのは、私ですから」

 俯いていたので、サミルがどんな表情をしているのかは、分からなかった。
ただ、真剣に耳を傾けて、聞いてくれている。
それだけは確信できて、気づけばトワリスは、溜め込んでいたものを、ぽろぽろと溢していた。

「サイさんのことは、尊敬していました。でも、禁忌魔術への異常な執着心とか、少し怖いと思う部分もあって……。特に、アーベリトで再会してからは、何かを隠しているんじゃないかって、なんとなく感じていたんです。だけど、証拠があるわけじゃないし、疑いたくなかったので、何も言えませんでした。一方で、いざという時は、アーベリトの中で一番付き合いの長い私が、彼を止めなくちゃならない、とも思っていました」

 トワリスは、膝上に置いた拳を、ぎゅっと握った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.333 )
日時: 2020/12/08 19:11
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



「……親書を届けに行くサイさんに、同行する許可をもらった際、ルーフェンさんが、サイさんのことを疑っているんだって、打ち明けてきました。その時……私、すごく安心してしまったんです。私以外にも、サイさんのことを怪しんでいる人がいる。それがルーフェンさんなら、きっとなんとかしてくれるだろうって……転嫁てんかしたんです。訓練生時代に見てきた、サイさんの性格とか、魔術の癖とか、役に立ちそうな情報を、全てルーフェンさんに伝えました。セントランスに着いてからは、サイさんのことも欺いて……最終的に、死なせてしまいました」

 ようやく顔をあげると、トワリスは、サミルの顔をまっすぐに見つめた。

「後悔はしていません。何かを守るためには、非情な選択も必要です。サイさんは裏切り者で、私達はそれを罰した……これは、アーベリトのためになる行為だったと、頭では理解しています。けれど、こんなやり方で良かったのかと、ふと思う時があるんです。……私は、人として卑怯です。サイさんのことを、疑いたくない、なんて思いながら、本当は、誰よりも疑っていました。それならそれで、私が手を下すべきだったのに、目を反らして、ルーフェンさんに汚い役を押し付けました。……自分が情けなくて、悔しいです」

「…………」

 沈鬱ちんうつな顔で下を向き、トワリスは唇を噛む。
サミルは、寂しそうな表情を浮かべると、静かな口調で尋ねた。

「……貴女に、そんな顔をさせているのは、私ですか?」

「え……」

 トワリスが、顔をあげる。
サミルは、目を伏せて言い募った。

「何かを守るためには、非情な選択が必要……ええ、確かにそうかもしれません。ですが、そんなことを、貴女のような若い子達たちに理解させているなんて、それこそ非情なことです。いかなる理由があろうとも、殺しを良しとすることがあってはいけません。開戦を阻止するためとはいえ、セントランスを欺き、没落させたことは、決して正しいことだとは言えない。しかし、だからといって、貴女たちを責める道理はありません。……そうすることを貴女たちに強いたのは、他ならない、私なのですから……」

 思わず身を乗り出すと、トワリスは、力強く否定した。

「そんな、強いられただなんて思ってません! ごめんなさい、私、そういうつもりで言ったんじゃなくて……! サミルさんの仰る通り、人殺しを正当化できる理由なんてないでしょう。それでも、アーベリトのことは、どんな手段を使ったって守りたいんです。きっと、皆そう思ってますよ。サミルさんのせいで、なんて思ってません。むしろ、アーベリトには沢山恩があるから、自らの意思で、手を汚しているんです」

 思いがけず、熱の入ったトワリスの主張に、サミルは一度、言葉を止めた。
我に返ったトワリスが、頬を紅潮させて、椅子に座り直す。
束の間、サミルは沈黙していたが、しばらくして、苦しげに眉を寄せると、弱々しい声で返した。

「……皆、そう言ってくれるのです。でも私は、アーベリトを、居場所を失くした子供たちが、安心して暮らせるような街にしたかった。あわよくば、この国全体を、ね。それなのに、目指すべき安寧のために、肝心の子供たちが犠牲になっている。心優しい、まっすぐな子達ほど、アーベリトのためだからと言って、薄暗い道を選ぶのです」

 サミルは、悲しげに微笑んだ。

治世ちせいとは……人とは、難しいものですね。幸せが当たり前の世の中を、皆が望んでいるはずなのに、なかなか実現しない。……私が力及ばないばかりに、ルーフェンにも、君にも……申し訳ないことをしました」

 珍しく、弱音を口にしたサミルに、トワリスは、どう答えて良いか分からなかった。
トワリスは、サミルのせいで、道を違ったとは思っていない。
それは、ルーフェンやハインツとて同じことだ。

 闇へと続く、死臭の漂う道だったとしても、ルーフェンはきっと、迷わずに進んでいくだろう。
トワリスとハインツもまた、そんな彼が一人きりにならないよう、同じ道を寄り添って進むことを心に決めている。
結果的に、血に塗れることになっても構わない。
これが自分達の選んだ道だと、そう言い張れるくらいの覚悟はしているつもりだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.334 )
日時: 2020/12/10 07:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)

 トワリスは、頑なな顔つきになった。

「……謝らないでください。サミルさんの想いは、ちゃんと伝わっていると思います。確かに、理想とは違うのかもしれませんが、その理想を叶えるための糧になろうと、皆、必死に走っているんです。これは、必要な犠牲です。それが分からないほど、私達は子供じゃありません」

「…………」

 そう断言したトワリスを、サミルは、少し驚いたように見つめていた。
ややあって、その目元に皺が寄り、安堵したような表情が浮かぶ。
線の細いかんばせが綻び、細められた薄青の瞳と目が合うと、ふと、サミルも年をとったなと、そんな思いが頭をよぎった。

「……トワリスは、しっかりしていますね。子供扱いをして、すみません。過保護で世話焼きなのは、私の悪い癖なのです。……許してください」

 冗談らしい響きも織り混ぜて、サミルは呟く。
次いで、懐から丁寧に折り畳まれた書簡を取り出すと、サミルは、それをトワリスの前に出した。

「……これは?」

「私の遺書です」

 弾かれたように瞠目し、サミルの顔を見る。
頷いたサミルを、トワリスは、信じられぬものを見るように、じっと凝視していた。

「……う、嘘、ですよね……?」

「……いいえ」

 サミルは、なだめるような声で言った。

「ここには、私の死んだ後の事が書いてあります。どうか、これを預かっておいてくれませんか? ……多分ルーフェンは、今渡しても受け取ってくれないので……」

 サミルの言葉を遮るように、トワリスは、声を荒げた。

「私だって、受け取りたくありません! どうして急に、そんなこと言うんですか? い、遺書って……ずっと、先の話ですよね……?」

 言いながら、遺書を差し出してきたサミルの手を、拒むように掴んで押し返す。
そして、その枯れ枝の如き細さに、トワリスは驚いた。
年を取って、痩せただけではない。
分厚い羽織で隠されていた、病的な細さであった。

「…………」

 不意に、涙の膜が盛り上がる。
サミルの腕を離し、戸惑ったように手を彷徨わせてから、トワリスは尋ねた。

「サミルさん、死んじゃうんですか……?」

 サミルは、困ったように微笑んだ。

「人は、いつか死にますよ。私も、もう六十です。前々から、内腑ないふを患っていたんですが、それが、思ったよりも早くに進行してしまいました」

「……治せないんですか?」

「症状を遅らせることはできます。でも、その場しのぎにしかなりません。……せめて、シュベルテに王位を返還するまでは、生きていなければと思っていたのですが……。皆に、謝らなければなりませんね」

 サミルはそう言って、寒そうに羽織を手繰り寄せた。

 手燭の炎が、揺れている。
サミルの小さな影法師も、床で儚げに揺れている。
穏やかな顔つきで、ひっそりと椅子に座っているサミルを見ていると、途方もない寂しさと切なさが、胸の底から込み上がってきた。

 こぼれ落ちた涙が、ぽつりと頬を伝う。
トワリスは、ごしごしと目を拭った。

「……他の皆は、知っているんですか?」

 サミルは、首を横に振った。

「一部の医術師と、トワリス以外には、まだ知らせていません。私が動けなくなるまでは、伝えないつもりです。……といっても、聡い人は、じきに勘づくでしょうが……」

 言葉を切って、サミルは、トワリスに向き直った。

「……君は、ルーフェンのことを、どう思いますか?」

 唐突な問いかけに、顔をあげる。
すん、と鼻をすすると、トワリスは答えた。

「……ちょっとだらしないけど、優しくて、強い人だと思います」

 サミルは、微苦笑を浮かべた。

「そうですね。でも、立場上そう思われやすいだけで、存外に彼はもろくて、まだまだ子供っぽいところがあります。……君とハインツで、支えてあげてくださいね」

「…………」

 遺書を手に取って、サミルが、再び差し出してくる。
いりません、と答えようとして、トワリスは、ぐっと唇を引き結んだ。

 書庫は冷え冷えとしているのに、濡れた目元だけが、異様に熱く感じる。
トワリスは、呼吸を整えてから、「……はい」と返事をすると、その遺書を、受け取ったのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.335 )
日時: 2020/12/11 19:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 遺書なんてものを渡してきたのに、サミルの城館内での振る舞いは、何も変わらなかった。
朝起きて、国王としての執務にあたり、皆が寝静まった頃になって、ようやく自分も席を立つ。
病のことなど尾首にも出さず、不調な素振りすら見せない。
あまりにもいつもと変わらないから、サミルの死期が近いことに気づく者など、誰一人いないのでないか、とすら思えた。

 それでも確実に、病はサミルの身体を蝕んでいく。
日が経つにつれ、肌が青白くなり、着込むだけでは誤魔化せないほどに痩せて、サミルは、また一回り小さくなった。
やがて、起きていられる時間が短くなっていくと、その頃には、サミルを心配する声も上がるようになっていた。

 事情を知っているトワリスは、自然とサミルの周りにいることが多くなっていたが、国王が罹患りかんした、という話は、意外にも聞かなかった。
目に見えて弱っていくサミルに、そういう噂が立つのも時間の問題かと思っていたが、不思議なほど、サミルの衰弱ぶりに触れる者はいない。
杞憂きゆうであってほしい、嘘であってほしいと、皆が願っていたのだろう。
箝口令かんこうれいを敷いたわけでもないのに、サミルの元に医術師が頻繁に通うようになっても、誰も、何も言わなかった。

 サミルが執務室や謁見の間に出られなくなると、城館仕えの者たちが、代わりに私室を訪れるようになった。
最初は、政務絡みの話をしにくる文官がほとんどであったが、サミルが拒まないのを良いことに、侍従や自警団の者たちが、仕事終わりに世間話をして帰ることも増えていった。
朝から晩まで、ひっきりなしに訪れる人々の話を、サミルは、寝台に腰かけて、頷きながら聞いている。
終いには、城下の顔馴染みたちが、果物を片手に雑談をしに来るようになったので、流石に無遠慮すぎるとトワリスは怒ったが、サミルは、どことなく嬉しそうであった。

 目を周りが落ちくぼみ、あばらが浮いて背が曲がっても、サミルの心持ちだけは、全く変わらなかった。
出来ないことが増えて、度々申し訳なさそうに謝ることはあったが、それでもサミルは、ようやく出来た長い休暇でも楽しむかのように、ゆったりと、穏やかな時を過ごしている。
近づいてくる死の足音に、悲嘆するでもなく、怯えるでもない──。
サミルはただ、その音に耳を澄ませて、静かにその瞬間ときを待っている。
トワリスから見た今のサミルは、むしろ、とても幸せそうで、きっと彼は、全てを受け入れているのだろうと思った。
 
 人々がサミルを訪ねるようになってから、半月ほど経ったが、ルーフェンだけは、一向に顔を出さなかった。
セントランスでの一件があってから、彼は、一人で調べものをしたり、執務室に引きこもっていることが増えた。
これまでも、何か気になることが出来ると、ルーフェンは一人でふけることが多かったので、今回もそうなのだろう。
しかし、いくら調べたいことがあるからといっても、病床につくサミルを放置するなんて、彼らしくない。

 何気ない風を装って、トワリスが「最近ルーフェンさんを見ませんね」と言うと、サミルは、「彼にはまだ、病のことを伝えてませんからね」と苦笑混じりに答えた。
確かに、サミルの身体のことは、まだ一部の人間にしか知らせていない。
しかし、もう大体の者は勘づいていたし、ハインツですら、なんとなく察しがついている様子であった。
この状況で、あのルーフェンだけが気づいていないなんて、そんなはずはないだろう。

 病のことを、周囲にどう打ち明けたら良いのかは、サミル自身も、まだ迷っているようであった。
故に、トワリスも黙っていたが、ふと、それで良いのかと、焦燥感に駆られることもあった。
ルーフェンが、一体どういうつもりで会いに来ないのかは分からない。
けれど、もしこのままサミルが死んだら、ルーフェンはきっと後悔するだろう。
大切な人の最期が分かっているのに、ろくに顔も見せず、会話することも出来ないままなんて、これほど悲しいことはない。
そう思うと、ただ沈黙していることが、正しいとは思えなくなっていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.336 )
日時: 2020/12/12 19:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 日没が早くなると、一層冷え込む黄昏たそがれ時には、人々は家路を急ぐ。
人気のない、裏手の庭に佇む大木の近くで、ルーフェンは、冬枯れの落葉と共にいた。

「ルーフェンさん」

 やっと見つけた、とため息混じりにぼやけば、歩み寄ってきたトワリスを見て、ルーフェンが眉をあげる。
隣に立って、同じように木に寄りかかると、トワリスは、ふうと白い息を吐いた。

「書庫にも、執務室にもいないので、屋敷中を探し回りましたよ。忙しい時に、仕事さぼらないでください」

 厳しい声で言うと、ルーフェンは、くすくす笑った。

「さぼってないよ。ちょっと休憩してただけ。……こんなところまで来て、何かあった?」

「……ルーフェンさんこそ、何かあったんですか?」

 問い返すと、ルーフェンが口を閉じる。
何を考えているのか、ぼんやりと裸の樹枝じゅしを見上げて、彼は、呟くように言った。

「……なんにも。ただ、考え事をしてただけだよ」

「……考え事?」

「うん。……セントランスのこととか、あとは……サミルさんのこととか」

 わざとらしい口調で言うと、ルーフェンは、トワリスに視線を投げ掛けた。
トワリスが、サミルのことを伝えに来たことは、なんとなく分かっていたのだろう。
トワリスが眉を寄せると、ルーフェンは、事も無げに尋ねた。

「サミルさんのこと、どこまで知ってるの?」

 トワリスは、わざとぶっきらぼうに答えた。

「……全部知ってます。ご本人から、直接聞いたので」

「……そう」

 ルーフェンは、案外すんなりと返事をした。

「……ルーフェンさん、やっぱり気づいてたんですね」

 トワリスが言うと、ルーフェンは、肩をすくめた。

「そりゃあ、気づくよ。サミルさん、見る度に縮んでるんだもん。もう、俺の胸あたりまでしかないんじゃないかなぁ。……昔は、俺の方が見上げてたのに」

 ふざけた調子で言って、それでも、懐かしそうに目を細めると、ルーフェンは、再び樹枝を見上げる。
この分だと、もしかしたら、トワリスが知るよりも前に勘づいていたのかもしれない。
トワリスは、睨むようにルーフェンを見た。

「分かってるのに、どうして顔を出さないんですか? サミルさん、多分寂しがってますよ」

「…………」

 薄暗い視界の先で、緋色に光るルーフェンの耳飾りが、ちらりと揺れる。
ルーフェンは、束の間沈黙していたが、少し間を置くと、トワリスのほうを見ないまま答えた。

「俺は、サミルさんから何も知らされてないから……しばらくは、気づいていない振りをしていたほうがいいのかと思って。大体、会いに行ったところで、意味はないだろう。会って話せば、身体が良くなるわけじゃない。……サミルさんのことは助けたいけど、治る見込みのない病気が原因だなんて言われたら、俺だって、どうしようもないよ」

「意味はない、って……」

 トワリスは、思わず顔をしかめた。
意味はないだなんて、本気で言っているのだろうか。
この期に及んでふざけているなら、笑えない冗談である。

 トワリスは、ルーフェンに詰め寄った。

「なんでそんなこと言うんですか。確かに、病状が改善することはないかもしれませんが、意味がないなんて言わないで下さい。ルーフェンさんだって、サミルさんに伝えておきたいこととか、話したいこととか、沢山あるでしょう」

「…………」

 ルーフェンは、何も言わなかった。
ただ、少し戸惑ったような表情になると、開きかけた口を閉じ、そして、小さく首を振った。

「……そんなの、分かんないよ。こういう時って、どうすればいい?」

 わずかに声の調子を落としてから、ルーフェンは、眉を下げて微笑む。
その様子を見て、今度は、トワリスが戸惑う番であった。
ルーフェンは、冗談を言っているわけではない。
本当に、どうすれば良いのか分からず、途方にくれていたのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.337 )
日時: 2020/12/13 23:30
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 トワリスは、目を見開いた。

(そうか、ルーフェンさんは……)

 アーベリトが王都になってから、ずっと、サミルを守ってきた人だ。
召喚師として、多くの死に触れてきたはずだが、一方で、自分が心から慕う人の死には、触れたことがなかったのかもしれない。

 ルーフェンが、シュベルテの王宮で暮らしていた時のことを、トワリスはほとんど知らない。
けれど、シルヴィアとの関係を見る限り、本当の親兄弟とは、疎遠だったのだろう。
おそらく、サミルだけなのだ。ルーフェンとって、親類と呼べるものは。

 何を犠牲にしても、どんな手段に手を出しても、アーベリトと、その主であるサミルのことだけは、大切に守ってきた人。
しかし今、抗う術のないものが、そのサミルの命を蝕んでいる。
一見分かりづらいが、これでもルーフェンは、本気で動揺して、一人で悩んでいたのかもしれない。

 トワリスは、発言に迷った様子で口ごもったが、逡巡の末、ルーフェンに一歩近づいた。

「どうすれば良いのか、正解は分かりませんが……。私は、母が死んだと知ったとき、もっと傍で話したかったなぁと思いました。きっと、母もそうだったんじゃないかと思います。……だから、ルーフェンさんも傍に行って、話せばいいと思います」

「…………」

 肩口が、ルーフェンの腕に軽く触れる。
一体いつから、彼は外に出ていたのだろう。
服越しでも分かるほど、ルーフェンの身体は、冷えきっていた。

 ルーフェンは、再度首を振った。

「それは、血の繋がった家族の話だろう。……俺は、サミルさんの実子ってわけじゃない」

 ぽつりと、平坦な声で呟く。
その顔を、横から覗き込んだ時。
サミルが、ルーフェンのことを“存外にもろくて、まだまだ子供っぽいところがある”と称していた意味が、なんとなく分かったような気がした。
声音こそ落ち着いているものの、彼の表情には、いじけたような色が浮かんでいたのだ。
普段の綽々しゃくしゃくとした態度からは、まるで想像がつかない姿である。

 昔、トワリスがまだ孤児として、レーシアス邸に住んでいた頃。
ロンダートや、当時屋敷の家政婦をしていたミュゼが、ルーフェンのことを「私達とは住んでる世界が違う」と称賛していたことがあった。
彼らは良い意味で言ったのだろうし、立場の違い故にそう表現してしまう気持ちも分かるのだが、トワリスは、なんとなくその言い方に違和感を覚えていた。

 ルーフェンは、確かに隙のない印象があるが、それでも、同じ人間である。
取り繕うのが上手いだけで、時には、世間が望む『召喚師様』でいられないこともあるだろう。
辛いことや、苦しいことがあれば、落ち込むこともあるだろうし、いつも見せている腹立たしいくらいの余裕が、保てない時だってあるはずだ。

 トワリスは、ルーフェンの強い面ばかりを見てきた。
というより、“その面”ばかりを見せられてきた。
ルーフェンは、きっとそういう人なのだ。
特殊な立場に生まれたが故に、虚勢を張ることに、慣れてしまっている。
人より多くのものを持っている代わりに、普通は持っているものを手放してしまったような──そんな、孤独な人なのだ。
サミルが言っていたのは、きっと、こういう意味なのだろう。

 トワリスは、呆れたように嘆息した。

「意外と細かいことを気にするんですね。家族なんて、そもそも血の繋がりがないところから生まれるわけじゃないですか。……というか、そういう話をしてるんじゃありませんよ。実子だとか、実子じゃないとか、そんなこと、今はどうだっていいでしょう」

 ルーフェンの瞳が、はっきりとトワリスを映す。
しかし、すぐに目を伏せると、ルーフェンは返した。

「……それはまあ、そうだけど」

 尚も煮え切らないルーフェンの態度に、トワリスが眉をひそめる。
そのまま、じっとルーフェンを睨んでいたが、しばらくして、やれやれと吐息をつくと、トワリスは、穏やかな口調で言った。

「少なくとも、サミルさんはそんなこと、気にしないと思います。……それは、ルーフェンさんが一番よく知ってるんじゃないですか?」

「…………」

 伏せられていたルーフェンの目が、微かに動く。
少しの間を空けて、目を閉じると、ルーフェンは「そうだね」と呟いたのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.338 )
日時: 2020/12/15 11:19
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




「……兄さん?」

 不意にそう呼ばれて、ルーフェンは、窓掛けを閉じようとした手を止めた。
静かな夜。暖炉の炎以外、光源のない薄暗い部屋で、寝台に横たわったサミルが、ぼんやりとこちらを見ている。
半分寝ぼけているのだろう。
微睡みから覚めたばかりの目は、ルーフェンの姿を、はっきりと認識できていないようであった。

「……起こしちゃいましたか。すみません、ちょっと様子を見に来ただけなんですが」

 言いながら、寝台に腰かけると、ルーフェンは、サミルの額に触れた。
薬を飲むようになってから、頻繁に熱を出すようになったと聞いていたが、今のサミルの体温は、それほど高くないように思える。
あるいは、先程まで暖炉の前にいたので、ルーフェンの手が熱くなっているのかもしれなかった。

 ようやくルーフェンだと分かったのか、細まっていた目が開いて、その瞳に光が映った。
ゆっくりとした所作で羽織を手繰り寄せ、上体を起こす。
寝台に座って、ルーフェンに向き直ると、サミルは、目尻に皺を寄せて破顔した。

「ルーフェン。なんだか、久しぶりですね」

「……はい。……すみません」

 罰が悪そうに目をそらすと、サミルは、ふふっと笑った。
ルーフェンの考えていることは、なんとなく察しがついていたのだろう。
それ以上は触れずに、窓のほうに視線をやると、サミルは、ほうっと吐息を溢した。

「……ああ、今日は冷えると思ったら、雪が降っていたんですね」

 窓の縁にうっすらと積もった、仄白い雪を見つめる。
立ち上がって、先程閉め損ねた窓掛けを今度こそ引くと、ルーフェンは答えた。

「ついさっき、降り始めたんですよ。明日は一日、止まないかもしれませんね」

 サミルは、ふふっと笑った。

「そうですか……積もるといいですね」

「ええ? 寒いし、雪掻きが面倒ですよ」

「でも、孤児院の子供たちが喜びますよ。積もった翌日は、皆で飛び出して、雪合戦するのがお決まりでしょう」

 怪訝そうに眉を寄せたルーフェンをみて、サミルは、楽しそうに言った。
確かに、雪が積もると、子供たちは異様な盛り上がりを見せて、我先にと部屋を飛び出していく。
王座についてからは、ほとんど顔を出さなくなったが、昔は、ルーフェンがアーベリトに忍んで行くと、雪にまみれて鼻頭を真っ赤にした孤児たちが、きゃあきゃあと騒ぎながら、サミルにまとわりついていたものだ。

 目を伏せると、サミルは、独り言のように言った。

「懐かしいですね……。孤児院を出た子達は、皆、どうしているでしょうか」

「…………」

 暖炉の炎がぱちっと弾けて、薪が音を立てる。
ルーフェンは、手をかざして炎を強めると、少し間を置いてから、淡々と返事をした。

「……気になるなら、手紙でも出してみたらいいんじゃないですか。アーベリトに残ってる人も、それなりにいるだろうし、もしかしたら、城館まで会いに来るかもしれませんよ」

 サミルは、困ったように眉を下げた。

「そうですね。……でも、最近手の痺れが取れなくて……もう、字が書けないんです」

「じゃあ、俺が代筆しますよ」

「ふふ、嫌ですよ。手紙の内容を、君に伝えて書いてもらうなんて、なんだか恥ずかしいです」

「…………」

 ルーフェンが肩をすくめると、サミルは、いたずらっぽく笑った。
次いで、どこか遠くを見るような目になると、サミルは続けた。

「いいんですよ。……皆、賢い子達でしたから、きっとどこかで、元気に暮らしているでしょう。若い内の時間は貴重ですから、私のような老いぼれに会うために、時間を割く必要はありません。顔が見れなくても、幸せに生きてくれているなら……私は、それで十分なんです」

 そう言ったサミルの言葉に、卑屈な響きは感じられない。
ルーフェンが、「そんなものなんですか」と尋ねると、サミルは朗らかに微笑んで、「君もいつか、分かりますよ」と、そう答えた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.339 )
日時: 2020/12/15 18:53
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)




 窓の外で、しんしんと雪が降っている。
何かに耳を澄ませながら、サミルが、不意に手招きをした。

「……ルーフェン、折角来たのですから、少し、今後の話しませんか」

「…………」

 ルーフェンは、躊躇ったように、横目でサミルの顔を見た。

「……もう、真夜中ですよ。明日、また来ますから、今夜は寝た方が良いんじゃないですか?」

「大丈夫ですよ。日中、ずっと寝ていたので、今は眠くありません」

 柔らかな口調ながら、譲ろうとしないサミルの態度に、ルーフェンは、一つ嘆息する。
ルーフェンが再び寝台に腰かけると、一拍置いて、サミルは口を開いた。

「……シャルシス殿下が、十五で成人するまで、あと七年。私が死んでから、その七年の間は……シルヴィア様に、王位をお譲りしようと思うんです」

 ルーフェンの目が、微かに動く。
何も言わないルーフェンに、サミルは、静かな口調で言い募った。

「セントランスの襲撃により、魔導師団は、大打撃を受けました。シュベルテでは今、旧王家による統治を拒む、反召喚師派のイシュカル教会と、新興騎士団の動きが活発化しています。その動きを沈静化させるためにも、魔導師団の権威を復活させるためにも、君たち召喚師一族の力が必要です。シルヴィア様は、前召喚師であり、前王エルディオ様の第三妃にも当たる方です。王位継承の資格は、十分にあると言えましょう。シルヴィア様が王座に座り、君が召喚師として立ち続ける。そうすれば、来たる王位返還の時までに、シュベルテの傾いた統治体制を、建て直すことができるかもしれません」

「…………」

 ルーフェンは、しばらく俯いたままでいた。
だが、やがて皮肉るような笑みを溢すと、サミルのほうを見ずに言った。

「……なるほど。だから、あの女をアーベリトに置いて、仲直りするように、なんて言い出したんですね?」

 サミルは、首を左右に振った。

「いいえ、逆です。襲撃にて傷を負い、アーベリトに運ばれてきたシルヴィア様のご様子を見て、彼女を次期国王に指名しようと思い付きました。召喚師としての力を失い、シュベルテでの居場所も無くした彼女は、一人、アーベリトの東塔で、静かに過ごしています。……それこそ、今の私のようにね」

「…………」

「以前も言った通り、彼女には、もう何も残っていません。王座についても、実権を握っているのが君であれば、策謀さくぼうすることなどできないでしょう。……あと七年です。たった七年、シルヴィア様のお名前を、お借りするだけで良い」

 振り向くと、ルーフェンは、サミルのことをきつく睨み付けた。
二人はそうして、しばらく見つめ合っていたが、やがてルーフェンは、その顔つきを崩すと、掠れた声を出した。

「……ひどいですよ、サミルさん。七年前、あの女が息子たちを殺してまで王座につこうとしていたこと、忘れたんですか? シュベルテの王宮から、俺を連れ出してくれたのは、他でもないサミルさんじゃないですか。その貴方が、俺に、もう一度あの日々に戻れと言うんですか……?」

 紡ぎだした語尾が、か細く震える。
懇願するように、ルーフェンがしなだれると、サミルは、囁くように問うた。

「……そんなにも嫌ですか? 自分の、母君の隣に立つことが」

「嫌です。あの人は、俺の母親じゃありません」

「…………」

 サミルは、深くため息をつく。
それから、一転して口調を和らげると、なだめるように告げた。

「……では、この件は、シルヴィア様と話し合って決めるといいですよ。じっくり話してみて、シルヴィア様と君が、王と召喚師という関係を築けそうだと思ったら、実際に試してみると良いでしょう」

 ルーフェンは、乾いた笑みをこぼした。

「なに言ってるんですか……。話し合いなんてしたところで、俺達には、決定権がありません。現国王の貴方が言うなら、拒否することは出来ないんですよ」

 投げやりな言い方をして、ルーフェンはもう一度首を振る。
一呼吸分、間を置いてから、サミルは、あっけらかんと答えた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.340 )
日時: 2020/12/16 19:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



「問題ありませんよ。私、トワリスに渡した遺書には、次期国王はシルヴィア様にします、なんて、一言も書いていませんから」

「…………は?」

 がばっと顔をあげたルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
滅多に見ない、ルーフェンの面食らった表情に、サミルは、ぷっと吹き出した。

「遺書には、三街分権さんがいぶんけんの意を記しておきました。要は、今までの協力関係を一度解消して、私が王座につく前の、元の統治体制に戻す、ということですね。……ハーフェルンは問題ないでしょうし、アーベリトも、この数年で随分整ったので、もう私がいなくても大丈夫でしょう。シュベルテは、このままだと新興騎士団が台頭して、反召喚師派の動きが一層強まるでしょうが……そうなったらそうなったで、君はずっと、アーベリトに住めばいい。召喚師一族を排除しようと言うなら、そんな街には、帰らなければいい話です。まあ、そうなると、カーライル王家を裏切ったことになるので、私は最低最悪の愚王として、歴史書に名を残すことになるでしょうが……」

 とんでもないことを、あっさりと口にするサミルを、ルーフェンは、ぽかんと見つめていた。
理解が追い付かない。ただ、上手くはめられた気がする。
まさに、そんな顔つきである。

 ルーフェンは、詰めていた息を、長々と吐き出した。

「……サミルさんって、爽やかな顔して、たまに大胆なことを言い始めますよね。それ、心臓に悪いので、やめてください。由緒あるカーライル一族が没したら、それこそ、サーフェリア全体が立ち行かなくなりますよ」

 サミルは、泰然たいぜんと微笑んだ。

「君に言われたくありませんね。……なに、そうなったら、その時はその時ですよ。知ったこっちゃありません。私、これでも結構怒ってるんです。アーベリトのことを追い詰めたカーライル一族にも、兄を殺したシルヴィア様にも。今後絶対に、許す気はないと決めています。……でも、君はそうじゃないのでしょう? 言ったはずです。君は、ずっとシルヴィア様のことを気に掛けている」

「…………」

 銀の瞳の奥で、不安定な光が揺れている。
サミルをじっと見つめ、一度目を閉じると、ルーフェンは、再び下を向いた。

「……そんなこと言われても……今更どうやって話しかければいいのか、分からないんです。俺はもう……あの女に関わりたくない」

 サミルは、ルーフェンの肩に手を置いた。

「だから、王位継承の件を理由に、一度訪ねてみれば良いんですよ。君はずっと、シルヴィア様に囚われて、その影に怯えている。もう、時間は十分空けました。関わりたくないからといって、逃げ続ければ、永遠にこのままです」

 ルーフェンは、ぴくりと片眉を動かした。

「……もしかして、さっきあの女を次期国王に、とかなんとか言ったのは、話題提供のための冗談ですか?」

「いえ、半分は本気ですよ。実際、シルヴィア様が次期国王になったら、シュベルテの建て直しが上手くいきそうですし。……でも、そうですね。もう半分は、話題提供です。だって君、今日はいい天気ですねって笑いながら、シルヴィア様に話しかけられないでしょう」

「……随分と規模の大きい洒落ですね」

 低めた声で突っ込みを入れて、ルーフェンは、半目になった。
サミルは、にこにこと力の抜けるような笑みを浮かべている。
感化されて、肩の力を抜いていくと、ルーフェンは、ぽつりと呟いた。

「……多分、話したら……分かり合えてしまうんです。俺たちは、唯一、同じ境遇に生まれた、親子だから……」

「はい」

 落ち着いた声で返事をして、サミルが頷く。
ルーフェンは、同じ言葉を繰り返した。

「きっと、痛いほど、気持ちが分かってしまうんです。……でも、分かっちゃいけない。あの女がしてきたことを、許すわけにはいきません。俺は、ずっと、あの女を憎んでいたいんです……」

 サミルは、どこか悲しげに、口元を綻ばせた。

「それならそれで、良いんですよ。今になって、無理に親子らしくしろと言っているわけではありません。ですが、嫌いだ、嫌いだと言っているだけでは、何も変わりません。話してみて、やっぱり無理だと再認識したら、今度こそ、はっきりと決別すればいい。そうしたら、今よりも胸の内が軽くなるはずです」

「…………」

 サミルは、ルーフェンの頭に手を伸ばした。
弱々しい力だったので、ルーフェンが自分から身体を傾けると、サミルは、嬉しそうに目元を緩ませて、その頭を肩口に引き寄せた。

「……大丈夫、ルーフェンならできますよ。今まで、いろんなことがありましたが、なんだかんだで、君の心根は優しいままです。……真っ直ぐ生きてください。私はいつでも、君の味方ですよ」

「…………」

 胸が、詰まった。
それは、ルーフェンが八歳の頃、初めてサミルと出会い、そして、別れた時にかけられた言葉であった。

 サミルの手が、優しく、ルーフェンの頭を撫でつける。
込み上げてきたものを、懸命に堪えて、ルーフェンは何度も瞬いていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.341 )
日時: 2020/12/18 19:00
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 ゆっくりと、しかし着実に、時間は流れていった。

 やがて、自力で寝台から起き上がれなくなると、サミルは、自分の死期が近いことを、城館仕えの者たちに告げた。
王の私室には、相変わらず、入れ替わり立ち替わりで人が訪れる。
しかしサミルは、以前のように話せなくなり、日を追うごとに、口数も少なくなっていった。
来客たちは、眠る時間が長くなったサミルの顔を見ると、話はせずに、寂しそうに挨拶だけをして、帰っていくのであった。

 降ったり、止んだりを繰り返していた灰雪はいゆきは、年が明ける頃に、三日三晩降り続けた。
ふわり、ふわりと雪が舞って、世界を白銀に染め上げていく。
日中は、はしゃぐ子供たちの声で賑わうアーベリトの街も、夜になると、深々しんしんと静まり返る。
まるで、雪が街の喧騒を吸い込んだかのようなその静寂は、どこか不気味で、心にしまいこんでいた不安を、沸々とよぎらせるのであった。



『──大丈夫、夢ですよ。怖いことはありません』

 不意に、温かな手に頭を撫でられたような気がして、ルーフェンは、微睡みから浮上した。
目を開けると、暗闇で揺れる暖炉の炎が、ぼんやりと視界に入る。

(……夢、か)

 固い椅子の上で身動ぐと、ルーフェンは、傍らで眠るサミルを見つめた。
ここ最近、仕事を終えると、サミルの寝台の側に座って、朝まで微睡むのが、ルーフェンの日課になっていた。
サミルは大抵眠っていたが、それで良かった。
言葉を交せば、サミルが満足して、どこかへ去っていってしまいそうな気がしていたからだ。

 立ち上がると、ルーフェンは、白く曇った窓へと手を伸ばした。
夜明けが近いのだろう。
闇色一色だった窓の外が、わずかに薄明はくめいを帯びている。
窓を開けると、澄んだ冬の空気が流れ込んできて、枠に積もっていた雪が、ぱさぱさと階下に落ちていった。

『──眠ってください。次に起きたときは、きっと楽になれましょう』

 夢の中で聴こえていた、低くて、穏やかな声。
その声が、数々の記憶を呼び起こして、ルーフェンは、そっと目を伏せた。
先程まで見ていたのは、随分と懐かしい夢だ。
サミルと、ルーフェンの間にある、数え切れないほどの思い出であった。

『それでも私は、本当に貴方様の幸せを願っています』

 思えば、いつも雪が降っていた。

『ヘンリ村で見つかった貴方様が、アーベリトに来たとき、まるで、兄の生きた証を見ているようで……』

 サミルと出会った時も、その後も。
アーベリトが、王都になった時も──。

『貴方様がそう望んで下さるならば、是非、ルーフェン様に。アーベリトは、いつでも貴方様を、お迎えします』

──寒い寒い、真っ白な冬のことであった。

「……はい、サミルさん」

 ぽつりと呟いて、苦笑する。
吹き込んだ雪の粒が、肌に触れて、じんわりと溶けていった。

 最初は、ルーフェンが眠っていた。
寝台の上で、衰弱しきったところを助け出され、ただ、どうして良いのか分からず、サミルのことを見上げていた。
それが今は、サミルのほうが臥せって、ルーフェンを見上げている。
そう思うと、息が苦しくて、呼吸もままならなくなった。

 ふと、振り返ると、サミルがこちらを見ていた。
自分も外の景色を見たい、とでも言うように、サミルは、ルーフェンに手を伸ばしてくる。
窓を閉じてから、その手を掴むと、ルーフェンは、骨と皮だけの身体に手を差し入れ、ゆっくりと抱き起こした。

 くるんだ毛布を背もたれに、宮棚との間に挟みこむ。
すると、サミルはそれに寄りかかって、眩しそうに窓の外を見た。

「……もうすぐ、夜が明けますね」

 耳を澄ませて、ようやく聴こえる小さな声。
ルーフェンが、そうですね、と返事をすると、サミルは、途切れ途切れに言った。

「最近は、眠たくて、早起きができなかったので……。今朝は、久々に朝日を拝めそうです」

 ルーフェンは、寝台に腰を下ろした。

「……そんなに見たいものですか? 眠いし、拝んだって眩しいだけでしょう」

 感情を抑えたような声で言うと、サミルは、微苦笑を浮かべた。

「そういえば、兄も……君のお父さんも、昔、似たようなことを言っていましたね」

 一度、そこで言葉を止めて、懐かしそうに目を細める。
まだ、夢の中にいるような朧気な瞳で、サミルは、ぽつぽつと続けた。

「さっき、兄に呼ばれたような気がします。……昨晩は、いい夢を見ました。幼かった頃の君も、出てきましたよ」

「…………」

 ルーフェンは、サミルの方を向いた。
よほどひどい顔をしていたのだろう。
サミルは、ルーフェンを見つめ返すと、微かに目を大きくした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.342 )
日時: 2020/12/19 17:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)



 その肩口に額をつけると、ルーフェンは、願うように言った。

「サミルさん、逝かないで下さい……」

 目をつぶって、頭を押し付ける。
サミルは、ルーフェンの背に手を回すと、眉を下げて笑った。

「……君は、一人でいたがる割に、案外寂しがり屋ですね」

 柔らかな銀髪に、すりっと頬を寄せる。
サミルは、ほんの少し腕に力を込めると、優しい声で呟いた。

「ルーフェン。きっと、幸せになるんですよ……」

 細い手が、ゆっくりと背をさする。

「幸せの形は、人それぞれですが……。君は、寂しがり屋だから、素敵なお嫁さんを見つけると、いいですよ」

 あやすように、何度も、何度も。

「家族を作って、もし、子供ができたら、沢山その子と遊んで、成長を見守って……。そうしたら、寂しいと思う間もなく、年をとります。……実子はいませんが、私が、そういう人生でした」

 そう囁いて、幸せを噛み締める。
ルーフェンは、引き留めるように、サミルの背を掴んだ。

「……今更、普通の生活なんて、俺には無理ですよ」

 サミルは、ぽんぽんと、ルーフェンの頭を撫でた。

「ふふ、人生、何が起こるかなんて、誰にも分かりません。五十半ばにもなって、王位についた私が、そう言っているのですから……」

 どこかおかしそうに言って、サミルは吐息をつく。
その弱々しい呼吸音と共に、何かが、こぼれ落ちていく音がした。

 腕が疲れたのか、頭を撫でていた手が、ゆるゆると下がっていく。
ついに、寝台の上に落ちてしまった手を握ると、ルーフェンは顔をあげた。

「……まだですよ。サミルさん」

「…………」

「まだ、夜が明けてません。……さっき、朝日を拝めるって、そう言ってたじゃないですか」

 ゆっくりと、サミルのまぶたが落ちていく。
待って、と追いすがって、ルーフェンは首を振った。

「サミルさん、明日、また迎えに来ますから、外に、朝日を見に行きましょう。俺が背負っていきますよ。窓から見るより、外に出て実際に見る夜明けの方が、きっと綺麗です」

 閉じられた瞼の奥で、微かに瞳が動く。
サミルは、またふふっと笑うと、それは楽しみですね、と呟いた。

 窓の外で、羽毛のような雪が、ふわり、ふわりと舞っている。
微かに唇を動かして、サミルが、ルーフェンの名前を呼んだ。

「──……」

「はい、なんですか」

 静かな夜が、明けていく。
東の空から、金色におぼめく朝の光が昇ってきて、白銀の世界は、きらきらと照り輝いた。

「……サミルさん。なんですか」

 呼び掛けた声に、もう、返事はなかった。

 もう一度、問いかけようとして、ルーフェンは、唇を引き結んだ。
震える喉で、懸命に息を吸う。
それからルーフェンは、握っていた手を、そっと寝台の上に戻した。

 窓から、淡い光が射し込んで、夜の薄闇が、徐々に後退していく。

 背もたれに使っていた毛布を抜き取り、腕でその身体を支えると、ルーフェンは、サミルを寝台に横たえた。
両手をとって、薄い腹の上で重ねる。
朝日に照らされて、くっきりと陰影のついたサミルの顔は、まるで、眠っているかのように安らかで、ルーフェンは、小さく微笑んだ。

「……サミルさん」

 答えがないことを、確かめる。
寝台近くの椅子に座り直すと、ルーフェンは、明るくなった窓の外を見た。

「きっと、サミルさんにとっての俺は、どこまでいっても、“お兄さんの息子”なんでしょうけど……。でも、俺にとっては、貴方が父親でしたよ」

 もう二度と、返事はない。
冷たい額に触れて、その穏やかな寝顔を覗き込むと、ルーフェンは、そっと呟いた。

「……おやすみなさい、お父さん」






──享年六十歳。
人々の安寧を願った、サミル・レーシアスの治世は、わずか七年で、その歴史に幕を閉じることとなった。

 召喚師一族を囲いながら、非戦論を掲げたサミルの政策は、その後、幾度となく批判の的となる。
しかし、彼の時代が、飛躍的な医学発展の礎(いしずえ)となり、また、慈善事業の普及と身分格差撤廃の精神を全土に広げ、国の水準を向上させる基因になったと、そう語る者がいたことも確かであった。

 元は没落貴族の出でありながら、異例の即位を果たしたサミル・レーシアス。
その在位期間の短さと、特殊な経歴故か、彼の名前が、歴史書に大きく載ることはなかった。
だが、後にサーフェリア最後の召喚師となるルーフェンと、サミルが治めたこの時代こそが、世の変貌の先駆けになったと、末代、バジレット・カーライルは手記に遺したと言う。




To be continued....