複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.382 )
- 日時: 2021/01/29 11:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
†第五章†──淋漓たる終焉
第五話『隠匿』
雨は、その後もしばらく、止むことなく降り続けた。
冬の終わりを予感していた木々も、凍てつく霖雨に打たれて、その蕾を固く閉ざす。
アーベリトの陥落と、国王の崩御が世間に知らされたのは、そんな晩冬のことであった。
陥落の原因については明言されなかったため、様々な憶測が飛び交ったが、予想通りというべきか、その凄惨さと教会の印象操作から、自然と首謀者に召喚師一族の名前は上がっていた。
宮廷魔導師、ジークハルト・バーンズに査問された教会は、襲撃への関与を否定したが、その審判の決着がつく前に、魔導師団の復権とルーフェンらの登城を許した。
おそらく、執拗に言及されるのは、教会にとっても都合が良くなかったのだろう。
ルーフェンとシルヴィア、双方が生き残った上、送り込んだ教徒たちが一掃されたことも、予想外だったに違いない。
世俗騎士団と魔導師団の追放や、民の救済という名目でアーベリトに修道騎士会を進軍させたことが、全て大司祭モルティス・リラードの独断で行われたことだという事実を暴かれた時点で、教会は、一時的に身を潜めた。
それ以上は、決定的な証拠が出なかったため、ジークハルトも追及は出来なかったが、教会もまた、掘り返して食い下がってくることはしなかった。
アーベリトで、術式が発動される前に、東区の孤児院に避難した者たちは、無事に生き残っていた。
生存者は、元々その孤児院にいた子供たちや、運良く魔法陣の外にいた者たちを含め、たったの百数十名程度であったが、それでも、あの最中で生き延びた者がいたということは、トワリスたちにとって心の救いである。
彼らは今、バジレット・カーライルの計らいで、一時解放したシュベルテの城近くの講堂で生活しているようであった。
バジレットの意向で保護されたアーベリトの難民に漏れず、トワリスとハインツも、しばらくは城内で匿われることになった。
この件に関しては、バジレットというより、ルーフェンの意向であったが、トワリスとハインツは、アーベリト陥落の一部始終を見ていた唯一の生き残りであったので、城内の者にも、納得がいく対応として受け入れられた。
襲撃の際に負った怪我が原因で、トワリスとハインツは、数日間寝たきりの生活を余儀なくされたが、その間も、情報を届けてくれていたのは、ジークハルトであった。
彼は、魔導師団復権の中心的人物として、忙しなくシュベルテ中を駆けずり回っていたが、それでも、日に一度はトワリスたちの元に訪れ、難民たちの様子や上層部の動きを教えてくれた。
アーベリト陥落の元凶と疑われ、勾留されたルーフェンが動けない分、自分が役目を果たさねば、という思いもあったのだろう。
結局、ルーフェンに見逃されたシルヴィアが、地下牢に入れられたことも、トワリスたちは、ジークハルトから知らされたのであった。
勾留されている間、ルーフェンは、魔導師たちの厳重な監視下に置かれていたが、幸いにも、バジレットとの謁見は叶った。
というより、登城して早々に、バジレットのほうから、直接出向いてきたのだ。
シュベルテの襲撃時に負った怪我が原因で、一時生死を彷徨った彼女は、その後、体調が回復してからも、新興騎士団に周囲を固められ、思うように動けなかったのだと言う。
教会の人間ばかりが城内を彷徨くようになったので、外界の情報も耳に入らなくなり、当然訝しんだが、実際にシュベルテの窮地を救ったのが、新興騎士団だったということもあり、なかなか手が出せなかった。
その結果、気づいた時には既に遅く、魔導師団が解散状態になり、アーベリトに新興騎士団が進軍を果たしていたのだ。
バジレットは、そう経緯を説明して、ルーフェンに頭を下げた。
意図せず三街の協定を破ってしまい、バジレットは、ひどく思い詰めている様子であった。
七年前、最後に見たときと比べて、バジレットは、かなり弱っているように見えた。
心臓に持病があり、元より華奢な老女であったが、その身体は一層細くなり、何より、瞳に浮かぶ光が弱くなっていた。
それが、年をとったせいなのか、襲撃時に負った怪我のせいなのかは分からない。
ただ、彼女もまた、老いた身の内に残酷な責を抱えた一人なのだ。
そう思うと、シュベルテに対する怒りは、薄寒い虚しさに変わっていったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.383 )
- 日時: 2021/01/27 19:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
慌てる魔導師たちに諌められても、謝罪を撤回しないバジレットに、ルーフェンは言った。
「……謝罪なんて必要ありませんよ、カーライル公。確かに、教会を止められていれば、事態は大きく変わっていたでしょう。ですが、それを私が責める道理はありません。実際にアーベリトを滅ぼしたのは、私達召喚師一族ですから」
ルーフェンの言葉に、バジレットはようやく顔をあげた。
事態を見守っていた二名の魔導師が、安堵したように息をつく。
城内の寝室にて、天蓋付きの寝台に座っていたバジレットは、布団に寄りかかるようにして背を預けると、吐息混じりに答えた。
「教会の目に余る行いについては、厳正に処罰を下す。政権を握ろうなどと、もっての他だ。しかし、彼奴らが市民権を得てしまったことも、また事実。完全に失脚させるのは、得策とは言えぬだろう」
一拍置いて、バジレットの顔つきが険しくなる。
寝台横の椅子に座るルーフェンを見ると、バジレットは、決意したように言った。
「次の王位は、私が継ごう。教会の行きすぎた台頭を防ぐためにも、今、この国には、王という絶対的な権力者が必要だ。王権を持てば、その下に立つ教会の動きを、抑制することができる。……したらばルーフェン、そなたも教会に並び、私の下に立て」
「…………」
バジレットの目を見れば、彼女が、私欲で王位を継ぐなどと言っているわけではないことは、すぐに分かった。
分かっていて尚、視線を反らすと、ルーフェンは言った。
「……前王は、シャルシス様が成人なさるまでは王は立てず、分権させよと」
「ああ、そうであったな。だが、最終的には、そなたの意向に従えとも、遺書に記しておる」
間髪入れずに反論して、バジレットは、ルーフェンの目を見つめてくる。
彼女はルーフェンに、選べ、と言っているのだ。
次期国王を、立てるかどうかも含め──すなわち、この国の行く末を、この場で選び、決めろと言っている。
そう告げてきたバジレットの瞳には、かつてと同じ、強い光が戻っているような気がした。
ルーフェンは、束の間沈黙していたが、やがて、小さく笑むと、静かな声で返した。
「……そうですね。貴女が良いと仰るならば、王は立てるべきでしょう。ハーフェルンのマルカン侯も、前王太妃が継ぐというなら、口の出しようがないはずです。私も異論はありません。……ただ、一つだけ、お願いがございます」
目を細めたバジレットが、先を促す。
ルーフェンは、淡々とした声の調子のまま続けた。
「……軍部における召喚師制を、廃止にして頂きたいのです」
バジレットが、大きく目を見開く。
この発言には、監視役の魔導師たちも驚いたのか、思わず身動いだ。
バジレットは、厳しい口調で尋ねた。
「どういうことだ。そなたは、私に仕えることを、拒むというのか」
「……そういうことになりますね」
躊躇いなく答えたルーフェンに、魔導師たちが殺気立つ。
彼らを目線で制すると、バジレットは、ルーフェンに向き直った。
「何のつもりだ。今、そなたは、私を次期国王に選ぶと言った。王命に背くことは、極刑に値する重罪ぞ」
バジレットの言葉を、ルーフェンは鼻で笑った。
途端、彼女の眉間に、深く皺が寄る。
ルーフェンは、寝台の方に身体を向けると、軽く頭を下げた。
「いえ、失礼いたしました。昔、ご子息のエルディオ様からも、同じようなことを言われたことがあったなと、思い出しまして……。私がまだ、次期召喚師であった頃のことですが」
険しい表情のまま、バジレットは、ルーフェンを睨んでいる。
ふと、目を伏せると、ルーフェンは言い募った。
「私を処刑台に立たせたいなら、お好きになされば良いでしょう。まあそうなれば、結局、召喚師制は廃止になりますがね。……カーライル公、貴女には出来ませんよ。少なくとも、私が召喚師である内は」
ルーフェンは、薄く微笑んで見せた。
「義理の娘を殺され、息子も殺され……それでも貴女は、シルヴィアを殺しませんでした。なぜなら彼女は、当時召喚師であったから。殺しておけば良かったのに、殺さなかったんですよ。……私も、貴女も」
「…………」
銀色の睫毛が、ふっと影を落とす。
涼やかな表情とは裏腹に、膝上で握られていたルーフェンの拳には、力が入っているようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.384 )
- 日時: 2021/01/28 19:30
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
眉をひそめて、バジレットは問うた。
「……何故そこまで、そなたは召喚師でいることを拒むのだ。理由があるなら、申してみよ」
寝台を照らす燭台の炎が、ゆらゆらと揺れる。
本来は日が高い時間帯であったが、外は連日の雨模様で、室内も薄暗かった。
不意に、笑みを消すと、ルーフェンは唇を開いた。
「……カーライル公、貴女にだけは、真実をお話しておこうと思っていました。ですがこれは、決して、誰にも知られてはならないことです。どうか、お人払いをお願いしたい」
そう言って、控えている魔導師たちのほうを一瞥すると、魔導師たちは、さっと顔を強張らせた。
「召喚師様、恐れながら、我々は貴方様から目を離さぬようにと仰せつかっております。この場を去るわけにはいきません」
ルーフェンは、肩をすくめた。
「まあ、そう言われるかとは思ってましたが。街を焼いたような人殺しを信じる気にはなれないでしょうが、誓って、次期国王を傷つけるような暴挙には出ませんよ。信じてもらえませんか?」
「し、信じる信じないの問題ではなく……!」
抗議した魔導師たちを、手をあげて止め、バジレットは、ルーフェンを見た。
しばらくの間、バジレットは、探るようにルーフェンを眺めていたが、ややあって嘆息すると、魔導師たちのほうに振り返った。
「下がれ。私が呼ぶまで、この部屋には誰も近づけるでない」
「閣下!」
目を剥いて、声をあげた魔導師たちが、考え直すようにと言い含める。
しかし、バジレットの意見が変わらないと悟ると、魔導師たちは、渋々寝室を出ていったのであった。
彼らが退室してから、周囲に他の気配がないかを探ると、ルーフェンは、意外そうに眉をあげた。
「……ありがとうございます。寛大なご処置に、感謝いたします」
バジレットは、息をついて答えた。
「御託は良い。知られてはならぬ話とは、一体なんだ」
ルーフェンは、真剣な顔つきになると、同じ言葉を繰り返した。
「……今からお話しすることは、言うなれば、失われていくべき遺物のようなものです。絶対に口外しないと、約束してください。勿論、シャルシス様にも」
念押しされて、バジレットは目を細めた。
内容も聞かぬ内に返事をするのは、躊躇いがあったのだろう。
だが、口外しないと誓うまでは話さない、といったルーフェンの態度に、バジレットは、ややあって首肯した。
ルーフェンは、一度座り直すと、間を置いてから、静かな声で告げた。
「……召喚術は、決して一族特有のものではなく、誰にでも使えるものなのです」
バジレットが、その言葉の真意を探るように、ルーフェンを見つめる。
まだ、事の重大さに、気づいていないのだろう。
ルーフェンは言い募った。
「皆の言う召喚師一族というのは、ただ単に生まれ持っての魔力量が多く、元から“悪魔”という存在を憑依させているだけの人間に過ぎません。言わば、悪魔を入れておくための“生きた器”なのです。普通の人間でも、悪魔と呼ばれるものを作り出し、召喚することはできます。条件は、召喚に必要な魔力分の人間の死、それだけです。有り体に言えば、大勢の人間を生け贄に差し出せば、誰でも召喚術を行使できるということです。今までは、召喚術は召喚師にしか使えない、という、ある種の暗示に近いような、確固たる先入観がありました。故に、自分が召喚術を使おうなんて、思い付く者すらいませんでしたが、ふとしたきっかけで、それに気づいた者がいます。数月前、シュベルテを襲ったセントランスが、まさにそうです」
バジレットの顔色が変わる。
ルーフェンは頷いて、そのまま続けた。
「これは私の推測ですが、おそらく召喚術は、生体に関する禁忌魔術、もしくは生体を扱うような高度な錬金術、精製術、それらに近い類いのものなのでしょう。禁忌魔術は、絶大な効力を発揮する代わりに、相応の代償を必要とする魔術です。境界線は曖昧ですが、広義に括れば、召喚術も当てはまります。悪魔の正体に関しては、私もはっきりとは分かりません。ですが、私達の始祖は、召喚術を見出だし、そして、それを秘匿の魔術としたかったのでしょう。そのために、まず、魔語という、召喚師一族しか読解できない隠語を作り出した。ただの隠語に過ぎませんから、突き詰めて調べれば、きっと魔語を従来の古語で書き表すことも可能でしょう。ただ、魔語と古語では、かなり言語体系が違うので、今のところはその表し方が分かっていない、というだけの話です。その上で、始祖は時間をかけ、『召喚術は召喚師にしか使えない』という“前提”を作り、それをまるで史実であるかのように伝えてきた。なぜなら、こんな力を、日常的に誰でも使うようになれば、それこそサーフェリアが……いえ、この世界が、崩壊してしまうからです」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.385 )
- 日時: 2021/01/28 19:35
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンは、自分の掌に視線を落とした。
「正直私は、何故見出だした時点で、こんな恐ろしい力を世から消し去らなかったのか、不思議でなりません。捨てるには惜しかったのか、あるいは何か理由があったのか……そればかりは、先人にしか分からないことでしょう。ですが、その先人たちの意向を踏みにじってでも、私は、この召喚術を封じるべきだと思っています。こんな力、人間が持っているべきではない。幸いというべきか、セントランスの件は既に片付いていますし、関与した可能性がある教会も、わざわざシルヴィアを消しかけたということは、召喚術が一般にも使えるなどとは気づいていないのでしょう。召喚術は、召喚師の系譜にしか扱えない──この認識が浸透している内に、今すぐにでも、召喚師制を廃止にし、召喚術という存在そのものを、人々の認識から消し去るべきです。サーフェリアの召喚師は、私が最後で良い」
「…………」
どこか冷ややかな響きを以て、そう言い切ったルーフェンを、バジレットは、信じられぬものを見るように凝視していた。
束の間、重苦しい静寂が、室内を包む。
ゆっくりと息を吐くと、バジレットは、震える手で額を覆った。
「……そなたの言いたいことは、分かった。……だが、ならぬ」
それだけ言って、バジレットは黙ってしまった。
だが、やがて手を下ろすと、再び口を開いた。
「海を越えた先にある他国にも、召喚師は存在すると聞く。その脅威がある以上、そなたの力を手放すわけにはいかぬ。召喚師一族以外が、召喚術を使うべきではないというなら、尚更だ。……要は、今までのように、『召喚術は召喚師にしか使えない』という認識を保ち続けながら、それを使おうと考える者を出さなければ良いのだろう。ならば、そのようにして、私に仕えよ。長年、この国の中枢にいたという意味では、我らカーライルの一族と、そなたらシェイルハートの一族は同じだ。今更、死ぬことでその歴史を終わらせようなどと……そのような考えは、許されぬ。少なくとも、この時代が変わるまでは」
ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「……反召喚師派が増えている、今が、その時代の変わり時かと思って言ったんですがね。まあ、貴女の目が黒い内は、従来の体制を貫くと……そういうことでしたら、私は従わざるを得ません」
案外あっさりと引いたルーフェンに、バジレットが、驚いたように瞠目する。
ルーフェンの声音から、先程までの冷ややかさは消えていた。
「……ルーフェン、そなた」
「半分冗談ですよ。ただの“お願い”でしたからね。どこまで聞いてくださるのか、試しただけです。教会との衝突や、魔導師団の建て直しのこともありますし、今はまだ、この国には召喚師が必要でしょう。それに背くほど、私は薄情じゃありません。何より、先程は、貴女が私を殺せるはずがないと確信していたから、大見得を切ったんです。召喚術を消し去るためとはいえ、今すぐ処刑されるなんて流石に御免です」
次いで、遠くを見るように目を伏せると、ルーフェンは言葉を継いだ。
「……ただ、召喚師を私の代で最後にする、というのは本気です。だからこそ、私の就任中は、今お話ししたことが、世間に広まるようなことがあってはなりません。セントランスで起きたことも、アーベリトで起きたことも、知られるわけにはいかない。シルヴィアが悪魔の餌食にしたアーベリトの人々を、私は、殺さざるを得なかった。ですが、そんなことを明言すれば、シルヴィアが召喚術を使ったことが明らかになってしまう。人によっては、何故召喚師でないはずのシルヴィアが、召喚術を行使できたのかと、疑問に思う者も出てくるでしょう。そうなれば、認識は一気に崩れます。現に、崩れかけたと私は思っています」
「…………」
神妙な面持ちのバジレットに、ルーフェンは、微苦笑を向けた。
「きっと、楽じゃありませんよ。召喚術は、冷酷でおっかない、天下の召喚師様にしか使えないんです。なんなら、口に出すのも憚られるような、忌むべき存在だと敬遠されるくらいがちょうど良い。ですから、アーベリトを陥落させた罪は、私が全て被ります。これから、反召喚師派の人間はどんどん増えていくでしょう。そんな中で、私を城に置こうというのですから、貴女も難癖をつけられるかもしれませんね、陛下」
ふざけた口調のルーフェンに、バジレットは、呆れたように溜め息をついた。
少し疲れを滲ませた様子で目を閉じ、バジレットは、長い間黙っていたが、ふと、目を開くと、低い声で言った。
「……そなた一人に、全てを負わせるつもりはない。現状、アーベリト陥落の首魁として疑われているのは、ルーフェン、そなただ。召喚術が召喚師一族のものであると突き通す以上、それは否定出来ぬし、疑われてあるべきだというそなたの言い分も、今の話で理解した。だが、大罪人は処罰せねばならない。そなたを私の元に置く、大義名分が必要だ」
居住まいを正すと、バジレットは、ルーフェンをまっすぐに見た。
「──反逆罪で、シルヴィア・シェイルハートを処刑する。そなたが執行しろ。そして、全ての罪が、あの女にあることを公言してみせよ。それが真実があっても、なくてもだ。それでもそなたを疑う者、シルヴィアが召喚術を行使したことに疑問を持つ者は出るだろう。しかし、あの女も元は召喚師だ。普通の人間が行使したと出回るよりは、誤魔化しが利く。そなたは無辜の召喚師として、私に仕えるのだ」
ルーフェンは、瞬きを忘れて、バジレットを見つめていた。
予想範囲内の提案だったというのに、不思議と、返す言葉が浮かばなかった。
沈黙したルーフェンに、バジレットは、厳しく言い放った。
「躊躇うな。あの女が、全ての元凶であることは、事実だろう」
我に返って、ルーフェンは首を振った。
「躊躇ってませんよ。頼まれなくとも、申し出るつもりでした。私が適任でしょう」
「…………」
小さく笑みをこぼしたルーフェンに、バジレットが表情を曇らせる。
その時、不意に、カーン、カーンと、伸びやかな鐘の音が響いてきた。
正午を知らせる、鐘の音だ。
ルーフェンは、窓の方を見て、鬱屈とした空模様を眺めた。
「あまり長話をすると、追い出された魔導師たちが怒りそうですね。この話は、終わりにしましょう」
「……良い。表向き示しをつける必要があっただけで、近々、そなたの監視は無くすつもりであった」
「それは、ありがとうございます。ですが、陛下をこのまま一人にするわけにはいかないでしょう。……彼らを呼び戻してきます」
言いながら、ルーフェンが椅子から立ち上がる。
扉から出ていこうとしたルーフェンの背中に、バジレットは声をかけた。
「……そなたを解放してやることができず、すまない」
取手に手を掛けたところで、一瞬、ルーフェンは動きを止めた。
振り返らずに、「いいえ」とだけ答えると、ルーフェンは寝室を出ていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.386 )
- 日時: 2021/02/02 09:34
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
ジークハルトから、シルヴィアの処刑が決まったことを知らされたのは、トワリスとハインツが、ようやく立って歩けるようになった頃であった。
珍しく、朝からアレクシアを連れ立って、二人が寝泊まりしている居館を訪れたジークハルトは、バジレットが出した布告について、トワリスたちに語って聞かせた。
サミルに代わり、前王太妃であるバジレットが次期国王になること。
勾留を解かれたルーフェンが、シュベルテに籍を戻し、教会率いる騎士団と並んで、魔導師団を総括する召喚師として立つこと。
そして、アーベリトを侵した反逆の罪で、シルヴィアの処刑が決まったこと。
城下は今、これらの話で持ち切りなのだという。
居館の客室を借りて、ジークハルトの話を聞いていたトワリスとハインツは、聞き終えた後も、釈然としない顔つきをしていた。
触れは出たものの、バジレットは、トワリスたちが伝えたアーベリト陥落までの経緯を、他の誰にも公表しなかったからだ。
シルヴィアの処刑が決まったとはいえ、世間では、未だ多くの憶測が飛び交っていた。
例えば、アーベリトを攻め落としたのは、セントランスの残党だとか、シュベルテの遷都反対派だとか、そういった、出所不明の噂である。
そして、何より横行していたのは、ルーフェンが今の地位を守るために、シルヴィアに罪を被せたのではないか、というものであった。
当事者であるトワリスたちからすれば、声を大にして否定したいところであるが、こんな噂が立ってしまうのも、仕方のないことであった。
そもそも、大半の人間は、シルヴィアがアーベリトにいたこと自体、知らなかったはずだ。
とりわけ、魔術に詳しくない一般人は、既に召喚師の座から下りたはずのシルヴィアが、街一つを潰すほどの力を持っているなんて思わないだろう。
アーベリトの被害状況を聞けば、教会側の人間でなくとも、現召喚師を疑いたくなるのは分かる。
だからこそトワリスは、自分達が見聞きしたものをバジレットに伝えたのというのに、彼女は、一向にそれを世間に公開しようとせず、噂を否定することもしない。
それどころか、アーベリトで見たことは、決して他言しないようにと口止めまでしてきた。
たった一言だけでも、ルーフェンの無実を訴えてくれれば良いのに、バジレットは、唐突に、シルヴィアを処刑するという決定事項のみを公表したのだ。
人々が、素直に受け入れられず、何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのは、自然な流れのように思えた。
長机を挟み、向かいの長椅子に座っているトワリスとハインツを見て、ジークハルトは嘆息した。
先程から、トワリスたちは、用意された紅茶の湯気を見つめたまま、ずっと押し黙っている。
バジレットの布告内容を、反芻しているのだろう。
居心地が悪そうに身動ぐと、ジークハルトは口を開いた。
「気持ちは分かるが、今は無理にでも納得してくれ。俺達もカーライル公──陛下には、民への情報開示を願い出たんだが、逆に城外での箝口令を敷かれてしまった。直前まで、陛下はルーフェンと話し合っていたようだから、二人で取り決めたことなんだろう」
豪奢な室内を見回して、ジークハルトは、わずかに声をひそめる。
トワリスは、浮かない表情のまま、返事をした。
「色々と計らってくださって、ありがとうございます。別に、バーンズさんたちに不満があるとか、そういうことではないんです。……ただ、やっぱり、こんなのおかしいと思って。召喚師様は、ずっとアーベリトを守ってきた人なのに……」
ジークハルトの隣で、長椅子の手すりに寄りかかっていたアレクシアが、面倒臭そうに口を挟んだ。
「ようやく起き上がったって言うから来てみれば、うじうじと鬱陶しいわね。陛下が一方的に決めたわけじゃないなら、召喚師様は、自分が疑われ続ける可能性も予測していたってことでしょう? だったらいいじゃない。罰せられるのは、結局のところ前召喚師のほうなんだし」
「そ、それはそうだけど……。誰かがはっきり噂を否定しないと、間違った話が広がっていくばかりじゃないか。シルヴィア様が処刑されて、はい、それで解決、とか……そんな簡単に片付けて良い話じゃないだろ」
反論してきたトワリスに、アレクシアが片眉をあげる。
声を抑えろ、と注意してきたジークハルトを無視して、アレクシアは、手の爪をいじりながら答えた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.387 )
- 日時: 2021/01/29 18:53
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「あながち間違いでもないじゃない。きっかけは前召喚師のほうだったのかもしれないけど、実際にアーベリトを炎上させて、被害を拡大させたのは現召喚師なんでしょう? どっちもどっちってところね」
トワリスは、きっとアレクシアを睨みつけた。
「違う! 召喚師様がアーベリトを焼いたのは、シルヴィア様を止めるためだったんだよ。理由もなくやったわけじゃない」
「ふーん? じゃあその理由とやらの詳細を言ってみなさいよ。言えないんでしょう。陛下に口止めされているから」
「そ、それは──」
「あのね、言えない理由なんて、部外者からすれば、ないのと同じなの。仮に貴女が、理由は言えないけど噂は嘘ですって馬鹿みたいに否定して回ったところで、所詮は出所も分からない噂を言い触らしている、有象無象と同列になるのが落ちよ。つまり、ここでぐちぐち文句を垂らしても、意味がないわけ。お分かり? ああ、これだから脳筋獣女は……」
熱が入ってきた言い争いに、困惑したハインツがおろおろと視線を動かし、ジークハルトが頭を抱える。
衝撃で長机を揺らし、勢い良く立ち上がると、トワリスは言った。
「今、私のことは関係ないだろ! 大体、アレクシアはあの場にいなかったじゃないか。どっちもどっちとか、いい加減なこと言わないで!」
アレクシアは、やけに演技がかった口調で返した。
「いたわよ。私、新興騎士団の連中に紛れてたんだもの。まあ、戦いに巻き込まれたくなかったから、離れたところで視てたけれど、眺めてて感じたわ。現召喚師様は、やたらと力を誇示して、随分簡単に人を殺すのねって。でも、そう思われたって仕方がないでしょう? あの隊列の中にいたのは、元が世俗騎士団や、魔導師団に所属していた人間がほとんどだったもの。言わば、私達はかつての仲間を、見るも無惨に殺されたってわけ。それでもって、アーベリトの人間まで燃やしたって言うんだから、私には“あの”召喚師様が、ただの殺人狂にしか見えなかったわね」
「あの時は、そっちが先に襲いかかってきたんじゃないか! かつての仲間って言ったって、教会側に寝返った人達だろう!」
「城を追われて、裏切りざるを得なかった人もいたかもしれないじゃない。それに、教会側でなくたって、アーベリトが王都に選出されたことや、そもそも召喚師制に反対している人は沢山いるわ。そういう反対派は、全員殺されて当然だっていうの?」
「そんなこと言ってないでしょ! どうして私達を悪者にしたがるのさ。アレクシアはもう黙ってて!」
トワリスは、今にも殴りかかりそうな勢いで声を荒らげたが、アレクシアは、大袈裟な口ぶりで続けた。
「シュベルテを見捨てたと思ったら、今度はアーベリトまで焼き払った異端の一族。反対派は持ち前の召喚術で武力制圧、血も涙もない冷酷無慈悲な死神、圧制者。自分が批判を浴びたら、その罪を全て母親に擦り付け、母親は死刑、自分は平然と召喚師の座へ。ああ、召喚師一族とはなんと恐ろしく、穢らわしいのでしょう。邪悪で下劣、権力と暴力を振りかざす諸悪の根源。召喚師一族なんて、いなくなってしまえばいいのに……」
いよいよ目つきを鋭くしたトワリスが、毛を逆立てるようにいきり立つ。
しかし、彼女が牙を剥く前に、アレクシアは、ぐいと顔を近づけて、言った。
「──って、召喚師様が、私達にそう思わせるための、演出に見えたけど?」
「……演出?」
動きを止めたトワリスが、ぱちぱちと瞬く。
トワリスから身を引いて、アレクシアは、ふっと鼻を鳴らした。
「そ、演出。異分子を袋叩きにするの、皆大好きでしょ?」
言い置いて、アレクシアは、トワリスたちにくるりと背を向けた。
「なーんか、全部思い通りにされてるって感じで、気に入らないわね。掌で踊らされてるって言うの? 私、踊る側になりたくないから、さっさと下りるわ」
突然熱が冷めたのか、アレクシアは、そう言いながら、軽い足取りで客室を出ていってしまう。
残された三人は、そんな彼女の後ろ姿を、しばらくぽかんとして見送っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.388 )
- 日時: 2021/01/29 18:56
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「あいつ、見舞いに来たんじゃなかったのかよ……」
ふと、ジークハルトが、呆れたように呟く。
やれやれと首を振って、ジークハルトは、トワリスたちに向き直った。
「分かっていると思うが、アレクシアの言ったことは気にするな。アーベリトに来た新興騎士団の連中は、確かに見知った顔が多かったが、どんな理由があろうと、本来の矜持を無くした離反者には変わりない。それに、戦場での出来事だ。武器を手にした以上、殺した殺されたで文句は言えないはずだ」
「……はい。すみません、私、つい言い返してしまって……」
ジークハルトに返事をしながら、トワリスは、椅子に腰を下ろした。
喉が渇いたのか、ジークハルトが、すっかり冷めてしまった紅茶のカップを手にとって、一杯すする。
沈黙が気まずくなって、トワリスも紅茶を飲むと、それを見たハインツも、何故か慌てたようにカップを持った。
三人はしばらく、黙ったまま、意味もなく紅茶をすすっていたが、不意に、カップを卓に戻すと、ジークハルトが切り出した。
「……悪かったな。あの日、王宮に行ったルーフェンを、俺達が引き留めたんだ。何事もなく、あいつがアーベリトに戻っていれば、あんなことにはならなかったかもしれん」
はっと顔をあげて、ジークハルトを見る。
あの日、というのは、アーベリトがシルヴィアによって落とされた日のことだろう。
トワリスは、慌てて首を振った。
「そんな……謝らないでください。予測し得なかったことですし、むしろ、バーンズさんには沢山助けて頂きました。あのことは、アーベリトにいたのに、食い止められなかった私達にも原因はあります」
そう言って、俯いたトワリスに、ジークハルトは尋ねた。
「……お前たちは、これからどうするつもりなんだ」
「どう、とは?」
「魔導師を続けるのか?」
はっきりと聞かれて、トワリスは目を丸くした。
最近まで、精神的にも肉体的にも余裕がなかったので、今後のことは、あまり考えていなかった。
本来であれば、別の勤務地に赴き、そこでまた魔導師として働くことになるのだろうが、今は、シュベルテの魔導師団本部が、壊滅しているような状態である。
ジークハルトを手伝って、魔導師団の建て直しに尽力するか、あるいは別の道を探すか、選ぶなら今の内だろう。
一度、ルーフェンにも相談してみたかったが、もうアーベリトにいた時のように、気軽に会えるかどうかは分からなかった。
返事に迷った様子で、紅茶をちびちびと飲んでいるトワリスに、ジークハルトは、事も無げに言った。
「……これは、ただの提案なんだが、お前たち、宮廷魔導師にならないか」
瞬間、紅茶を噴き出しかけて、トワリスは激しくむせ返った。
何事かと目を剥いたハインツが、トワリスの背中を叩く。
口元を拭い、なんとか呼吸を整えると、トワリスはジークハルトを見た。
「きゅっ、宮廷魔導師……って仰いました?」
「ああ」
平然と頷いたジークハルトに、トワリスの表情が固まる。
宮廷魔導師とは、魔導師の中でも特に優れた武勇を持ち、かつ国王と召喚師に選出された者のみが与えられる、最高位の称号だ。
去年、ジークハルトが二十歳で最年少の宮廷魔導師となり、ちょっとした騒ぎになっていたのを覚えている。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.389 )
- 日時: 2021/01/29 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
きょとんとして首を傾げるハインツに、トワリスは、辿々しく説明をした。
「あ、あの、宮廷魔導師って言うのはね、王宮お抱えの魔導師みたいなものなんだけど……。私達みたいな新人が、おいそれとなれるようなものじゃないんだよ……」
言いながら、ハインツからジークハルトへと視線を移し、本気で言っているのかと顔色を伺う。
ジークハルトは、背もたれに寄りかかると、泰然と返した。
「従来の宮廷魔導師団とは、また違う形になっていくだろうがな。俺以外の宮廷魔導師は、セントランスから襲撃を受けたときに、殉職したんだ。今は、やれ選定だの、叙任式だの、そんなことをやっている暇はない。だから、勤まりそうな奴に、俺から声をかけている。まあ、そこのリオット族のお前……ハインツだったか。お前は、正式には魔導師ではないし、リオット族は召喚師に個人で雇われているようなものだから、もし宮廷魔導師になるなら、一度訓練生から学ぶ形になるとは思うが」
「…………」
有り難いような、恐れ多いようなジークハルトの言葉を、トワリスとハインツは、目を白黒させながら聞いていた。
滅茶苦茶な卒業試験を終え、ハーフェルンで、雇い主に煙草の煙を吹き掛けられながら働いていた魔導師一年目のトワリスが、その一年後くらいに、宮廷魔導師にならないかと誘われているなんて知ったら、一体どんな顔をしただろう。
追い付かない思考を回しながら、背筋を伸ばすと、トワリスは尋ねた。
「いえ、その……とっても、光栄なお話です。でも、本当に私達なんかで勤まるでしょうか」
「知らん。それはお前たち次第だ」
「で、ですよね……」
容赦なく撥ね付けられて、思わず身体を縮ませる。
ただ、と付け加えて、ジークハルトは言った。
「──お前たちは、召喚術などという化け物じみた力を相手に、最後まで戦った。状況は違うが、シュベルテが襲撃を受けたときは、今まで幾度も修羅場をくぐり抜けてきたような騎士や魔導師でも、恐怖で動けなくなったんだ。そいつらがどうという話ではなく、今回は、それくらい異常な事態だった。話を聞く限りでは、アーベリトもそうだったんだろう。……だが、お前たちは戦った。それは誇るべきところだ」
「…………」
一瞬、ロンダートたちの顔が浮かんで、トワリスは言葉を詰まらせた。
最後まで戦ったのは、自分たちだけではない。
アーベリトを守ろうとしたのも、自分たちだけではなかったのだ。
次いで、ジークハルトは、何か嫌なことを思い出したように、眉を寄せた。
「それに、あいつも宮廷魔導師になるしな……」
「……あいつ?」
「アレクシアだ」
今度は、持っていた紅茶のカップを落としそうになって、トワリスが慌てる。
何故彼女が、と目で訴えると、ジークハルトは舌打ちをした。
「新興騎士団に紛れて、うまく俺達に情報を流せたら、宮廷魔導師に推薦するという約束をしてしまったんだ」
「……な、なるほど。確かに、訓練生時代から、アレクシアはいろんな意味で強かったですが……」
当時のことを思い出して、トワリスが、ひくっと口元を引きつらせる。
ジークハルトは、深々とため息をついた。
「アレクシアに関しては、全てにおいて問題しかないが……ただまあ、あいつは眼が良いだろう。あれは、優れた才能というか、他の誰も持っていない強みだと思う」
率直に言い切ったジークハルトを、トワリスは、少し驚いたように見つめた。
ジークハルトとアレクシアが、いつ頃から知り合いなのかは分からないが、思えば、卒業試験後に彼女が謹慎していた時、二人で会っていたから、案外古い付き合いなのかもしれない。
口ぶりからして、ジークハルトはアレクシアの眼のことを知っているようだったし、それに対して、悪い印象を抱いている様子もなかった。
ジークハルトは、懐から腕章を二つ取り出すと、それを長机に並べた。
「あの、これは……?」
「宮廷魔導師の腕章だ」
ぎょっとして、トワリスが目を見開く。
普通に腕章に触ろうとしたハインツの手を叩き落として、トワリスは言った。
「あの、まだお返事してません」
ジークハルトは、分かっている、という風に頷いた。
「別に、そういう意味じゃない。お前たち、体調が回復したら、アーベリトの避難民たちのところに行くだろう。今、講堂は一般の魔導師じゃ入れないから、この腕章を預けておく。行ったときに、衛兵に提示するといい。俺の名前を出して、宮廷魔導師の腕章を見せれば、通してもらえるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
ほっとしたように肩を撫で下ろして、トワリスが頭を下げる。
飲み終わった紅茶のカップを置いて、立ち上がると、ジークハルトは言った。
「宮廷魔導師になるかどうかの件は、迷うくらいならやめておけ。最近までは、名誉なことだと阿呆みたいに囃し立てられる立場だったが、世情を考えると、この先はどうなるか分からん。明日にでも、教会の急進派に襲撃されて潰れるかもしれないし、魔導師団自体が見限られて、立ち行かなくなるかもしれない。……それでも、魔導師としてやっていくつもりなら、俺に言え」
ふっと目を細めると、ジークハルトは、威圧的な光を瞳に浮かべて、トワリスとハインツを見た。
それから、背もたれにかけていたローブを羽織ると、さっさと客室を出ていってしまう。
サーフェリアの国章が彫られた、宮廷魔導師の腕章。
机に置かれたその腕章を、トワリスは、じっと目を凝らして見つめていたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.390 )
- 日時: 2021/01/30 19:29
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
カーン、カーンと、正午を知らせる鐘が鳴る。
長廊下に響く雨垂れの音を聞きながら、ようやく配給の待機列を抜けたカイルは、リリアナとダナの分のスープも持って、講堂の中に戻った。
講堂では、カイルたちの他にも、合計で百数十名ほどのアーベリトの避難民たちが、各々俯いて、スープを飲んでいた。
見上げると、思わず気が遠くなるほど高い梁天井や、様々な色硝子を組み合わせて作られた、絵画のような大窓。
アーベリトではなかなか見られない、豪華で派手な建物に、本来であれば、皆はしゃいだであろうが、今は、そんなものに興味を示す者はいない。
やけに広い講堂の中で、傷つき、疲れはてたアーベリトの人々は、それぞれ身を寄せ合いながら、黙々と暮らしているのであった。
カイルがスープを持って帰ると、リリアナが、高い声をあげて喜んだ。
「わぁ、今日はジャガイモのスープね。美味しそう!」
ほくほく顔で受け取って、リリアナは、早速スープを飲み始める。
天井の高い講堂の中だと、少し声を上げただけでも響いてしまうので、いつも騒がしいリリアナは、よく注目の的になっていた。
最初は、苛立った者に「うるさい」と怒鳴られたものだが、避難生活が続く内に、周囲の方が慣れてきたのだろう。
今では、声の主がリリアナだと分かると、いつものことだと無視されるようになった。
しかし、そんな彼女の空元気が続くのは、日中だけであることを、カイルは知っている。
夜になると、リリアナは、悪夢に魘されては、汗だくになって飛び起き、それを幾度も繰り返しているのだった。
車椅子の傍らに、丸まって落ちている毛布の塊を叩くと、カイルはスープを差し出した。
「ダナさん、起きられる? スープ持ってきたよ」
「……おお、ありがとう。カイル坊」
毛布の隙間から、ひょっこりと顔を出したダナが、スープを受け取る。
その皺だらけの細い手が、微かに震えていることに気づくと、カイルは、自分の分の毛布をダナに押し付けた。
「寒いなら、俺の分の毛布も使っていいよ」
そう言って、スープを片手に床に座ると、ダナが、苦笑しながら毛布を返してきた。
「ええ、ええ。坊が使いな、子供が身体を冷やしちゃいかん」
「子供は体温が高いから、いいんだよ。ダナさんの方が、無理しちゃ駄目。あんたもう年寄りなんだからさ」
「……言うようになったのう」
年寄り扱いされたのが癪に触ったのか、ダナは、カイルの分の毛布もいそいそと着込んで、スープに口をつける。
二人のやりとりに笑ってから、リリアナは、ふと、濡れた窓の外を眺めた。
「雨、なかなか止まないわね……」
そう呟いて、スープをもう一口すする。
あの日から、延々と降り続けている冷たい雨は、人々の心身から、じわじわと熱を奪っていくのだった。
アーベリトが没して、皆の顔からは、すっかり笑顔が消えてしまった。
シュベルテが、雨風を凌げるようにと講堂を解放し、寝床も食事も用意してくれたが、それでも人々は、暗い顔で日々を過ごしている。
家を失い、家族を失い、何もかもを失くしたアーベリトの避難民は、不安と恐怖に押し潰されて、怯えているのだった。
避難先がシュベルテであることも、人々の不安を煽る原因の一つであった。
アーベリトを陥落させた首魁として、前召喚師シルヴィアの処刑が決まったと知らされていたが、それを鵜呑みにして信じている者は、ほとんどいなかった。
というのも、あの日、生き残った人々は、小高い丘の上に建つ孤児院にいたため、アーベリト全体が見渡せる状況にあったのだ。
勿論、遠目から見ていただけなので、一体アーベリトに何が起こったのか、全てを把握しているわけではない。
ただ、アーベリトを覆った見慣れぬ魔法陣や化物、進軍してきたシュベルテの騎士たちの姿を、はっきりと見ている者は何人もいた。
となれば、疑うべきは、召喚術を唯一扱える現召喚師、ルーフェンか、七年前にアーベリトに王権を奪われたシュベルテ軍、もしくはその両方である。
憎むべき相手がはっきりせず、不満を募らせた人々の中には、半狂乱になり、講堂から出ていった者もいた。
敵から施しを受けるくらいなら、死んだほうがましだと考える者も多かったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.391 )
- 日時: 2021/04/15 17:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: WZc7rJV3)
温かいスープを、ゆっくり味わいながら飲んでいたリリアナは、ふと、向かいに座っているカイルが、目を丸くして、講堂の入口を見つめていることに気づいた。
つられて視線を動かし、リリアナも、驚いて目を見開く。
入口に、トワリスとハインツが立っていたのだ。
「──トワリス! ハインツくん!」
思わず大声を出してしまい、はっと口を閉じる。
気を取り直して、ぶんぶんと手を振ると、気づいたトワリスたちが、リリアナたちの元へとやってきた。
「全然顔を出せてなくて、ごめん。大丈夫? その……怪我とか、色々」
控えめな声で尋ねて、トワリスは、リリアナたち三人を見遣る。
リリアナは、こくりと頷いてから、トワリスの手を握った。
「お陰様で、私達は大丈夫よ。やっとお礼が言えるわ。あの日、助けてくれてありがとう。取り乱して、迷惑かけちゃってごめんね」
「いいよ、そんなの、全然」
首を振って、トワリスも、手を握り返す。
リリアナは、どさくさ紛れにハインツの手も握ろうとしたが、気づくと、彼は遠ざかった位置に移動していた。
「私達はなんとかやってるけど、トワリスたちこそ、大丈夫なの? ひどい怪我をしていたんでしょう。ちゃんと治った?」
立て続けに問うてきたリリアナに、トワリスは、苦笑を浮かべる。
縫った右足に手を添えると、トワリスは答えた。
「うん、もう平気だよ。私とハインツは、普通より頑丈だから」
「本当? それならよかった!」
そう言って、リリアナはふわりと微笑む。
しかし、いつもは笑うと、丸みを帯びて紅潮するはずの頬が、心なしか痩けて、血色も悪かった。
おそらく、あまり眠れていないのだろう。
うっすらと目の下に隈を作り、それでも明るく笑顔を浮かべる彼女に、トワリスも、ぎこちない笑みを返したのだった。
不意に、トワリスの袖を引いて、カイルがこそこそと声をかけてきた。
「なあ、トワリス。会えたら聞こうと思ってたんだけど、前召喚師様が死刑になるって、ほんと? それって、アーベリトを襲ったのは、前召喚師様ってことなのか。ルーフェンがやったんじゃないんだよな?」
不安げに尋ねてきたカイルに、思わず、トワリスは口ごもる。
曖昧に首を振って、トワリスは呟いた。
「やっぱり、ここでもその噂が流れてるんだね……」
気落ちした様子のトワリスに、リリアナが、慌てたように付け足す。
「違うの。私達は、ちゃんと分かってるのよ。召喚師様とはお会いしたことがあるし、トワリスやハインツくんからも、沢山お話を聞いているもの。だから、召喚師様がそんなことをする人じゃないって、私達は信じてる。ただ、皆が皆、召喚師様が、どんな方なのかを知っているわけじゃないから……」
言いながら、視線を動かして、講堂内を見回す。
一様に下を向き、生気のない顔で食事をとっているアーベリトの避難民たちを見て、リリアナは、沈んだ声で囁いた。
「……皆、召喚師様か、シュベルテの遷都反対派だった人達がやったんじゃないかって、そう疑ってるみたい。前召喚師様の処刑を知らせてくれた魔導師様に、詳しく聞いたんだけど、はぐらかされちゃって……それで皆、余計に不審がってるのよ」
「…………」
項垂れるリリアナに、答えることもできず、トワリスは、もどかしく唇を噛んだ。
箝口令が敷かれているのは分かっていたが、いっそ、この場で全てを話してしまいたかった。
真実全てを語らないにしても、噂の否定だけでもすれば、人々がルーフェンに抱く認識は、大きく変わるに違いないのだ。
ただ一つ、懸念点を挙げるならば、シュベルテの新興騎士団が進軍してきたことを事実だと知れば、今、そのシュベルテに匿われていることに、避難民たちが一層不安を覚えるのではないか、ということだ。
普段、街中で暮らしている人々、特に、シュベルテ外の人間ともなれば、教会と王家の間にある衝突など、所詮は他人事である。
今回暴走したのは、あくまでイシュカル教会であり、シュベルテを治めるカーライル家は、協定を反古にする気はなかったのだと、この場で説明しても、理解してもらえるかどうか分からなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.392 )
- 日時: 2021/02/02 09:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
トワリスが言葉に迷っていると、ふと、通りすがった避難民の男が、ハインツを見て凍りついた。
ハインツと、次にトワリスの方を見て、何かを確信したように息を飲む。
男は、振り返ると、突然大声で避難民たちに呼び掛けた。
「おい! アーベリトの魔導師様だ! アーベリトの魔導師様がいるぞ!」
男の声に、はっと顔を上げた避難民たちが、わらわらと一斉に集まってくる。
あっという間に避難民たちに包囲されたトワリスたちは、入口付近の壁際に追い詰められ、何事かと身を硬直させた。
避難民たちは、ぎらぎらとした目を動かして、口々に尋ねてきた。
「魔導師様、私達をこのような目に遭わせたのは誰なのですか!」
「どうぞ教えてください! 私は息子と妻を殺されたのです!」
「街に描かれた魔法陣を見ました! あれは、古語ではありませんよね? 召喚師様が、私達を裏切ったのですか?」
「シュベルテは、本当に安全なのでしょうか? 私達は、これからどうなるのですか?」
「魔導師様、お願いします。どうか教えてください……!」
追いすがる人々の声が、幾重にも折り重なって、割れ鐘のように響き渡る。
あまりの剣幕に、萎縮していたトワリスであったが、ややあって、手を上げると、大声で叫んだ。
「い、一旦落ち着いてください!」
人々が口を閉じて、講堂内に沈黙が広がる。
トワリスは、すっと息を吸うと、一言一言、区切るようにして答えた。
「皆さんの……現状を憂うお気持ちは、お察しします。私としても、事態の真相をお話ししたいとは、思っています。……ただ、ごめんなさい。今は出来ないんです。……申し訳ありません」
トワリスが頭を下げると、途端、人々の目に、凶暴な光が浮かんだ。
眉を吊り上げ、ぎりぎりと歯を食い縛り、避難民たちが怒鳴り声をあげる。
「ふざけるな! この役立たずめ! 俺達を見捨てる気なんだろう!」
トワリスは、顔色を変えて否定した。
「違います! 私達は、皆さんが一刻も早く、安心して暮らせるように──」
「だったら話せ! やましいことがないなら、話せるだろう!」
掴みかからんばかりの勢いで、人々は、剥き出した感情をぶつけてくる。
中には、食事に使った匙を投げる者まで出始めて、ハインツは、トワリスを庇うように前に出た。
「待って皆! 焦るのは分かるけど、トワリスたちを責めたってしょうがないでしょう! 二人は、命懸けで街を守ってくれたんじゃない!」
声を張り上げ、リリアナも制止を訴えるが、勢いづいた人々の罵声に飲まれて、その声は届かない。
揉み合う輪の中に入っていこうとするリリアナを、カイルは、必死になって止めるしかなかった。
──その時だった。
突然、煮えた空気を断ち切るような、鋭い打音が響いてきて、避難民たちは、そろって振り返った。
講堂の入口に、ルーフェンが立っている。
響いてきたのは、ルーフェンが、杖で壁を強く打った音であった。
「……失礼。声をかけても、届かないくらいの騒ぎだったので」
場に似合わぬ、悠然とした口調で言って、ルーフェンは微笑む。
アーベリトで着ていたような軽装ではなく、薄青を基調とした正装に身を包んだルーフェンは、神秘的な空気を纏っていて、なんだか別人のようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.393 )
- 日時: 2021/01/30 19:55
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
瞠目して、こちらを凝視しているトワリスとハインツを一瞥すると、ルーフェンは、避難民たちの元へと歩み寄った。
「長らく、窮屈な思いをさせてしまってすみません。朗報があって来ました。まだ少し先になると思うんですが、皆さんには今後、シュベルテとアーベリトの間にある、ヘンリ村の跡地に移住して頂こうと思っています」
突然の知らせに、避難民たちの間に、ざわめきが起こる。
ルーフェンは、軽い調子で続けた。
「あの辺一帯は、元々カーノ商会の所有地だったんですが、七年ほど前に、訳あって俺が買い取っています。今は更地ですが、アーベリトの皆さんが移住するにあたり、整地とその後の援助も、シュベルテが賄ってくれることになりました。そういうわけなので、今後はシュベルテの管轄となりますが、皆さんが望むなら、独立自治区として、宣言をしても構わないと陛下は仰っています」
喜びというよりも、戸惑いを隠しきれない様子で、避難民の一人が口を開いた。
「あ、あの……アーベリトは? アーベリトには、戻れないのでしょうか?」
ルーフェンは、淡々と答えた。
「アーベリトは、地盤沈下が酷く、建物の倒壊被害も深刻です。今のところ、復興させる予定はありません」
「そ、そんな……」
一様に青ざめた表情になり、人々は、絶望の色を瞳に滲ませる。
顔色一つ変えないルーフェンを、怒りの形相で睨んだ男たちが、前に出て怒鳴りつけた。
「じょ、冗談じゃない! アーベリトには、祖父の代から続く俺の店があるんです! それを、そんな簡単に諦めろだなんて、あんまりじゃないですか!」
「そうだ、横暴だ! 揃いも揃ってアーベリトを守れなかった挙げ句、こんなところまで連れてきて、その上、今度は故郷を捨てろだと? ふざけるな! シュベルテと結託して、落ちぶれた王都民の俺たちを、嘲笑ってるんだろう!」
興奮してわめき散らす男たちに、講堂の隅で抱かれていた赤ん坊が、ぎゃあぎゃあと泣き出す。
ルーフェンは、杖で床を打つと、強めた口調で言った。
「シュベルテへの一時避難も、ヘンリ村跡地への移住も、強制するものではありません」
驚いて、黙り込んだ人々に、ルーフェンは言い募った。
「アーベリトを守れなかったのは、俺の責任です。しかし、陛下や魔導師たちが、貴方達を陥れようなどと画策したり、影で嘲笑っていることなど、全く有り得ません。他に行く宛がある方や、何と引き換えにしてもアーベリトから離れたくないという方は、自分の思う通りにしたらいい」
「…………」
ぐ、と言葉を詰まらせて、避難民たちは悔しげに俯く。
実際、身一つで逃げてきた彼らには、他に頼れるものなどないのだ。
今にも泣き出しそうな女が、懇願するように、ルーフェンに問いかけた。
「では……それでは、シュベルテでないなら、誰がアーベリトを滅ぼしたというのですか。前召喚師様ですか? 一体、何のために? どうか教えてください」
人々が、女に同調して、ルーフェンを見つめる。
ルーフェンは、無感情な瞳を向けると、一呼吸置いてから、唇を開いた。
「……これ以上、俺から伝えられることは、何もありません」
しん、と、講堂内が静まり返る。
避難民たちは、唖然として、言葉を失ってしまったようだった。
身を翻して、出ていこうとしたルーフェンの背を指差して、男が言った。
「あいつだ! あいつがやったんだ! 自分がやったから、何も言えないんだ……!」
室内の空気が、一瞬で変わった。
今まで場に満ちていた不安や怯えが、底知れぬ怒りと憎しみに変化する。
人々は、目を光らせて、一斉にルーフェンを罵倒した。
「人殺し! お前がアーベリトに、不幸を招き入れたんだ!」
「お前が死刑になればよかったんだ! 家族を返せ……!」
異常なまでの熱気を纏い、鋭く発せられた怒声が、ルーフェンを刺し貫く。
トワリスが、咄嗟に間に入ろうとしたとき。
不意に、勢いよく投げられたスープ皿が、ルーフェンに肩に当たって落ち、床の上で砕け散った。
「──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!」
皿を投げたのは、七、八歳くらいの少年であった。
ルーフェンは、顔だけ振り返ると、ふと、目を細めて少年の方を見つめた。
はっと身を強張らせ、気圧されて沈黙した人々の顔に、色濃い恐怖が浮かぶ。
まさか、本当に投げた皿が当たるとは思わなかったのだろう。
すぐに、母親らしき女が駆けてきて、少年を守るように抱えると、踞って、がたがたと震え出した。
張りつめた緊張が、人々の身体を縛り上げる。
ルーフェンは、しばらくの間、震えている親子を見ていたが、やがて、再び身を翻すと、何も言わずに、講堂を出ていったのであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.394 )
- 日時: 2021/01/30 20:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「──ルーフェンさん! 待ってください!」
トワリスは、講堂から飛び出すと、吹き抜けの長廊下へと出ていったルーフェンを追いかけた。
去っていく背中の裾に掴みかかって、思い切り引っ張る。
引きずり倒されそうになったルーフェンは、すんでのところで持ちこたえると、振り返って、驚いたようにトワリスを見た。
「ああ、なんか久しぶりだね。どうかした?」
けろっとした顔で尋ねてきたルーフェンに、思わず絶句する。
先程の出来事を、まるで何とも思っていないかのような飄々とした態度で、ルーフェンは、後ろから追い付いてきたハインツにも、にこにこと手を振った。
「ど、どうかした、じゃないですよ! なんで否定しないんですか!」
「……否定? 何を?」
「噂のことです! 状況分かってますか? アーベリトを陥れたのは、ルーフェンさんだって疑われてるんですよ!?」
所構わず大きな声を出してしまって、はっと口を押さえる。
しかし、引くことはせず、睨むようにルーフェンを見上げると、ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。
「否定しても、仕方ないでしょ。実際、街を燃やしたのは俺なんだし」
「だけどそれは、残っていた人が、悪魔の糧にならないように仕方なく──」
トワリスの言葉を遮って、ルーフェンが、しーっと人差し指を自身の唇に当てる。
目を見開いたトワリスは、数歩、よろよろと後ろに下がると、悲しげに顔を歪めた。
「……どうしてですか。前に、俺が疑われなくちゃいけない、って言っていたことと、関係があるんですか? ……あの日、アーベリトであったことを隠すのは、ルーフェンさんが罪を被って、皆に憎まれてまでする価値のあることなんですか……?」
「…………」
「絶対に他言しないので、理由があるなら、教えてください。力になれるかもしれません」
強気な口調で言って、ぐっと拳を握る。
ルーフェンの、わずかな表情の変化も見逃すまいと、トワリスは、真っ直ぐにその銀の瞳を見つめた。
ふっと、ルーフェンが目を伏せる。
長い間、ルーフェンは、軒樋から落ちる雨垂れの音を聞いていたが、やがて、目をあげると、穏やかな声で言った。
「二人には、本当に助けられたと思ってるよ。ありがとう。……でも、もう、そういうのはいいよ」
トワリスとハインツが、微かに瞠目する。
ルーフェンは、昔を懐かしむように、目を細めて言った。
「二人は多分、俺に恩を感じて、アーベリトに尽くしてきてくれたんだと思うんだけど、そのアーベリトは、もうなくなったんだ。俺は、二人を縛り付けるために助けたわけじゃないし、命を危険に晒してまで尽くしてもらうなんて、全く望んでない。……もう、ここから先は、好きなように生きな」
頭が真っ白になって、言葉が出てこない。
とん、と背を押されて、突然、足場のない空間に、突き放されたような気がした。
ハインツも、同じ心境なのだろう。
黙り込んでしまったハインツを見て、ルーフェンは、申し訳なさそうに言った。
「ハインツくんも、ごめんね。リオット族は、俺を信じて着いてきてくれたのに、アーベリトにいた君の仲間を、今回、巻き込んで死なせてしまった」
「…………」
「陛下とも相談して決めたんだけど、教会の台頭で、今後は俺の傘下にあるというだけで、君達リオット族にも危険が及ぶかもしれない。だから、これを機に、召喚師とリオット族の関係は、断ち切ろうと思うんだ。ただ、君達が都市部でも幸せに、好きなように暮らせるように……と言った、あの時の言葉を撤回する気はない。元々、俺が仲介役として間に入っていたのは、当初は不安定だった君らの立場を、確立するまで守るためだったんだ。……今は、リオット族ありきの商会だってある。勿論、今後も困ったことがあったら、相談してくれて構わないけど、リオット族にはもう、地上に確かな居場所がある。だから、俺の介入は必要ないはずだよ」
言い置いて、すっと手を伸ばすと、ルーフェンは、トワリスの前髪に触れた。
びくっと身体を揺らしたトワリスが、恐る恐る、視線を向けてくる。
何を言われるのかと身構えながらも、絶対に目をそらしてたまるか、と言わんばかりの頑固な目付きに、ルーフェンは、眉を下げて微笑んだ。
「……それじゃあ、元気でね。しばらくは、安静にしてなよ。二人とも、結構な大怪我だったんだからさ」
トワリスから手を引いて、ルーフェンはそう言った。
ひらひらと手を振りながら、踵を返して、長廊下を歩いていく。
トワリスとハインツが、その背中を見ていることに気づいていたが、ルーフェンは、一度も振り返らなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.395 )
- 日時: 2021/01/31 20:18
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
遠ざかっていくルーフェンが、長廊下の角を曲がって見えなくなるまで、トワリスとハインツは、呆然と立ち尽くしていた。
おそらく、もう関わるなと、遠回しに言われたのだ。
それは分かっていたが、引き留める言葉が、何も思い付かなかった。
不意に、ぐすぐすと、鼻をすする音が聞こえてきた。
トワリスの背後で、ハインツが泣いている。
振り向くと、ハインツは、辿々しい口調で呟いた。
「ル、ルーフェン……お、怒った、のかな……俺達、アーベリト、ま、守れなかった、から……」
鉄仮面を外して、涙を手の甲で拭う。
トワリスは、唇を噛むと、違うよ、とだけ返事をした。
手足が冷たく、強張っている。
トワリスはしばらく、俯いて何かを考えていたが、やがて、すっと顔をあげると、ハインツの腕をがしっと掴んで、足早に歩き出した。
「ど、どこ行くの……?」
「地下牢。シルヴィア様に、会いに行こう」
「えっ、ええ?」
困惑するハインツを引っ張って、トワリスは、ずんずんと足を進めていった。
長廊下を抜け、本殿を横切って、アーベリトの数倍はあろうかという主塔へと向かう。
シルヴィアが収容されているのは、その主塔の地下にある牢であった。
湿っぽい石階段を下っていき、息を止めたくなるような黴臭い廊下に出ると、その一番奥の牢に、シルヴィアは捕らえられていた。
通常は、階ごとの出入口にしか番兵はいないが、バジレットの命令で、シルヴィアの周辺は厳重に監視されている。
トワリスは、牢の前に立っている二人の番兵に、腕章を見せると、息を吐くように言ってのけた。
「私達、宮廷魔導師です。シルヴィア・シェイルハートと少し話がしたいので、牢の鍵をください」
「きゅ、宮廷魔導師様……?」
番兵たちは、見たこともない女と大男に宮廷魔導師を名乗られ、明らかに不審がっている様子であったが、本物の腕章を見せられると、訝しみながらも鍵を渡してくれた。
カシャン、と鉄格子の錠を開けて、トワリスは、無遠慮に牢の中に入っていく。
ハインツと番兵たちは、格子の外で、不安げにトワリスのことを見守っていた。
シルヴィアは、両手両足に枷を嵌められ、背後の石壁に鎖で繋がれた状態で、拘束されていた。
座ることしかできないその体勢で、眠っているのか、俯いて目を閉じている。
衣服は黒ずみ、陶器のような肌もくすんでいたが、薄暗い地下牢の中で、豊かに垂れる銀髪だけが、ぼんやりと光っているように見えた。
「こんにちは、トワリスです。シルヴィア様に、お願いがあって来ました」
「…………」
シルヴィアの前で正座をすると、トワリスは、開口一番にそう告げた。
うっすらと目を開けたシルヴィアが、鎖を鳴らして、顔をあげる。
虚ろな目をした彼女を見つめて、トワリスは言い放った。
「明後日、処刑台に立ったら、皆の前で謝ってください」
「…………」
「謝ったって許しませんけど、皆の前で、アーベリトのことは私がやりましたって土下座して、誠心誠意謝ってください」
シルヴィアの目が、ゆっくりと見開かれていく。
震え出した喉で、浅く息を吸いながら、トワリスは言い募った。
「ルーフェンさんが……貴女を庇っているのか、なんなのか知りませんけど、自分が、アーベリトを陥れたんじゃないかって疑われてるのに、全く否定しないんです。陛下までそれに協力して、本当のことを言うなって口止めしてくるし……もう、私達じゃどうしようもありません。だから貴女が、私がやりましたって白状して、ルーフェンさんの無実を証明してください」
「……ルーフェンが……私を、庇う……?」
譫言のように呟いて、シルヴィアが緩慢に瞬く。
夢現で話を聞いていた彼女は、ようやく目が覚めてきたのか、トワリスを見て、ふふっと笑った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.396 )
- 日時: 2021/01/31 20:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
「ああ、そう……そうよね。ルーフェンの立場なら、そうせざるを得ないでしょうね……」
トワリスが、怪訝そうに眉をしかめる。
ゆったりとした口調で、シルヴィアは続けた。
「だって、今の私は、ただの魔女だもの……。その私が、召喚術を使ったとなれば、自分にも使えるんじゃないかと、方法を探る者が出てくるでしょう。そうなったら、魔術の在り方が狂ってしまうわ」
トワリスの瞳が、ふっと揺れる。
どこか気怠げに、しかし、それ以上の妖艶さを以て、シルヴィアは微笑んだ。
「それを防ぐには、召喚師である自分が罪を被るしかないけれど、はっきりと自分がやったと断言してしまえば、何らかの形で償わなければ、民への示しがつかない。でも、それは王が決して許さない。……きっと、そういうことでしょう」
「…………」
「ふふ、皆の顔を見るのが、楽しみね。ルーフェンも、バジレットも、私のことを、一体どんな目で見るのかしら……」
そう言って、シルヴィアは、恍惚と溜め息を漏らした。
トワリスの相貌が、膜を張って、ゆらゆらと揺蕩う。
不意に、立ち上がると、トワリスは、シルヴィアの前に近づいていった。
そして、突然、その胸倉を掴みあげると、低い声で言った。
「……そんなこと、どうだっていいんですよ……」
ぎょっとしたハインツと番兵たちが、思わず腰を浮かせる。
それに構わず、トワリスは、喉が裂けんばかりの大声で、繰り返した。
「そんなこと、どうだっていいんですよっ!!」
トワリスの怒声が、地下牢中に響き渡って、一瞬、奇妙な静けさが下りた。
流石に驚いたのか、シルヴィアが、瞠目して固まる。
ぱたぱたっと、頬に涙が流れ落ちてきて、間近にあるトワリスの顔を、シルヴィアは、愕然と見上げていた。
「いいから、絶対謝ってください! ああなったら、ルーフェンさんは、絶対に意見を曲げません。へらへらしてる割に、意外と頑固なので、殴っても蹴っ飛ばしても、きっと吐きません。だから、代わりに、貴女が、折れてください。皆の前で、謝って……っ、それで」
だんだん息が吸えなくなってきて、トワリスは、苦しげに言葉を詰まらせた。
シルヴィアの胸元を絞り上げ、必死になって、喉から声を押し出す。
「……だって、納得いくはず、ないでしょう……! ルーフェンさん、人殺しとか言われたんですよ。サミルさんが死んだのも、お前のせいだとか、根も葉もないこと言われて……。そんなわけないでしょう! サミルさんが亡くなる前に、どうしたらいいか分かんないとか言って、うろうろしてたような人が……っ。おかしいです、こんな、簡単に、アーベリトで積み重ねてきたものが、壊れ……っ、ぅう……」
やがて、手を緩めると、トワリスは、崩れるようにして踞り、背を丸めて泣き出した。
それでもまだ、トワリスは何かを溢していたが、嗚咽と混じって、断片的にしか聞き取れない。
目の前で、身を絞るように泣いているトワリスを、シルヴィアは、戸惑ったように見つめていた。
「貴女……どうしてそんなに泣いているの」
「泣いてません、悔しくて、怒ってるんです!」
本気で分かっていない様子のシルヴィアに、間髪入れずに答える。
トワリスが、目に強い光を浮かべ、顔をあげると、シルヴィアは、動揺したように唇を震わせた。
「分からないわ……貴女、ルーフェンのために、そんなに怒っているの? 何故? 貴女にとって、ルーフェンは、所詮他人じゃない」
トワリスは、喉を鳴らして、歯を食い縛った。
突き上げてきたのは、怒りというより、哀れみだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.397 )
- 日時: 2021/01/31 20:26
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
一度言葉を飲み込んでから、トワリスは、圧し殺した声で言った。
「……シルヴィア様、貴女は、可哀想な人です……」
シルヴィアの相貌が、大きく揺らぐ。
涙を拭いながら、トワリスは続けた。
「きっと貴女には、分からないんですよ……。貴女にとって、私達は多分、罪悪感を晴らすための道具でしかないんです。殺意とか、憎悪とか、そういうのを向けられることで、貴女は、自分でしてきたことを、精算した気になっているだけなんです」
「…………」
「貴女は、自分のことばっかりで、他のことは何も見ようとしていないし、分かろうともしていない。だから、欲しいものが目の前にあっても、今まで気づけなかったんですよ。自分が見ようとしないから、だんだん、誰にも見てもらえなくなって、結局独りぼっちになってしまったんです。憎まれる以外に、気を引く方法を知らない、可哀想な人です。……分かろうとしていない内は、私の気持ちも、ルーフェンさんの気持ちも、理解できるはずがありません」
シルヴィアの目に、深い悲しみの色が浮かぶ。
突然、親に見放された子供のような、不安定で色であった。
シルヴィアは、ゆるゆると首を振った。
「……そんなこと……ないわ。私は、ルーフェンの気持ちを、よく分かってる。ルーフェンは、私のことを、憎んでいるのよ……」
シルヴィアが、トワリスを見つめた。
見つめていたが、その銀の瞳には、やはりトワリスは映っていない。
会いに行ったとき、彼女の目にはいつも、何も映っていなかった。
シルヴィアは、トワリスではなく、自分に言い聞かせた。
「ルーフェンは……生まれた時から、ずっと私を憎んでいたのよ。私を、殺したくて殺したくて、堪らなかった。だから、私の処刑が決まって、きっと喜んで──」
「──そんなわけないでしょう!」
不意に、振り上がったトワリスの掌が、シルヴィアの頬をぶっ叩いた。
甲高い音が響いて、衝撃で跳ねた銀髪が、はらはらと揺れる。
再び胸倉を掴むと、トワリスは怒鳴った。
「そうやって自己暗示を繰り返してるから、何も見えなくなるって言ってるんですよ! 分かんない人ですね!」
がくがくとシルヴィアを揺らせば、流石にこれ以上は止めねばと、慌てふためいた番兵たちが牢の中に入ってくる。
番兵は、トワリスの脇を抱えて、力ずくでシルヴィアから引き剥がすと、そのままずるずると牢の外へと連れ出した。
「……っい、いいですか! 明後日、謝ってくださいよ! 約束しましたからね……!」
そう捨て台詞を残して、トワリスは、番兵の一人と揉めながら、地上へと引きずられていく。
ハインツは、どうしたら良いのか分からず、しばらく牢の前を行ったり来たりしていたが、ふと、呆然としているシルヴィアを見ると、躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あの……」
シルヴィアが、ハインツに視線を移す。
目が合ったことに驚いて、その視線から逃れるように岩壁に身を隠すと、ハインツは、顔だけを格子から覗かせて、問うた。
「なんであの時、俺達、助けたの……?」
「あの時……?」
「悪魔の術式……解いてくれた……。俺達、意識あったから……?」
「…………」
記憶を巡らせてみて、シルヴィアは、アーベリトを落とした日か、と思い至った。
ハインツが言っているのは、シルヴィアが、召喚術を行使したときのことだろう。
あの時、トワリスとハインツの身体に刻んだ吸魂の術式を、シルヴィアは解いたのだ。
シルヴィアが答える前に、ハインツは、続けて尋ねた。
「あと、孤児院も……なんで、魔法陣の、外にしたの……? 離れてた、から?」
「…………」
シルヴィアは、何も答えなかった。
長い間、不安定な光を瞳に携え、俯いていたが、やがて、緩やかに吐息をつくと、ぽつりと呟いた。
「さあ。よく、分からないわ……」
ハインツが、鉄仮面の奥にある黒い目で、じっとシルヴィアを見つめる。
しばらくそのまま、牢の前で様子を伺っていたが、ややあって立ち上がると、ハインツは、ぺこりと頭を下げた。
去っていくハインツの背中に、シルヴィアは、声をかけた。
「……さっきの子に、伝えておいて」
シルヴィアは、薄く微笑んだ。
「約束は、守れないわ。ごめんなさい。それから……お粥、ありがとうって」
ハインツは、振り返って、少し首を傾げてから、こくりと頷いた。
そして、もう一度頭を下げると、踵を返して、地下牢を出ていったのだった。
残っていた番兵は、しっかりと牢の錠をかけ直すと、再び格子の前に立った。
そして、トワリスを連れ出した番兵が戻ってくると、二人で「さっきのは一体なんだったんだ……」と、嵐のように現れて去っていった、謎の宮廷魔導師二人について愚痴を言い合っていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.398 )
- 日時: 2021/01/31 20:28
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
少し経つと、地下牢は、いつも通りの静寂に包まれた。
徐々に重くなっていく瞼に逆らわず、シルヴィアは、ゆっくりと瞑目する。
深い疲れが、闇の底から手招きをして、夢の世界へと誘っているようだった。
こうして、地下牢で微睡んで過ごしている間、シルヴィアは、ずっとルーフェンのことを考えていた。
彼は、母親を殺すとき、一体どんな顔をするのだろう。
母譲りの顔を歪め、思い切り、その胸に刃を突き立てる。
そんな息子の、深い憎しみの表情を最期に見ながら、自分は死んでいくのだ。
そう考えると、心がすうっと楽になるからだ。
しかし、想像しようとしても、もう、ルーフェンの顔は思い浮かばなかった。
トワリスが言ったように、本当は、ルーフェンの顔など見ていない。
ルーフェンもまた、母の顔など見ていなかったのだろう
彼は、憎しみをシルヴィアに向けていたが、見ていたのは、いつだって別のものだった。
シルヴィアと対峙する時、ルーフェンが見つめていたのは、その足元で、母が踏みつけにしてきた者達だったのだ。
(疲れたなぁ……)
ふう、と吐息をつくと、身体が軽くなった。
自分を見てくれる者は、もういない。
そう思うと、鋭い寂しさが突き上げてきたが、這い上がってきた眠気に身を任せると、そんな寂しさも、どうでもよくなってしまった。
真っ暗な視界の向こうから、無数に伸びてきた手が、全身に纏わりついてくる。
その力に従うと、身体が水中に引きずり込まれたかのように沈んで、シルヴィアは、闇の底へと落ちていった。
トワリスに殴られた頬だけが、微かな痛みを伴って、シルヴィアの意識を繋ぎ止めていた。
傷の治りが、遅くなっている。
もうすぐそこまで、終わりが近づいてきている証拠だった。
不意に、甘い花の香りがして、シルヴィアは目を開いた。
花弁を乗せた風が、ひゅうっと吹き抜けていく。
視界一杯に広がる、色とりどりの花。
そこは、シルヴィアが人生の大半を過ごした、離宮前の庭園であった。
「母上、足元に注意してくださいね」
不意に、下から声がして、シルヴィアは視線を落とした。
まだ、十歳になっているか、いないかといったくらいの黒髪の少年が、シルヴィアの手を握っている。
シルヴィアの一人目の息子──ルイスだった。
「母上! 早くこちらへ来てください! ほらアレイド、お前もぐずぐずするな!」
「あっ、待ってよぉ、兄上……!」
前を向くと、二番目の息子リュートと、四番目の息子アレイドが、ルイスの先を走っていた。
転んだアレイドを、引っ張りあげるようにして、リュートが立ち上がらせている。
騒がしい二人を注意してから、ルイスは、シルヴィアのほうに振り返った。
「申し訳ありません、母上。二人とも、はしゃいでいるのです。今日のためにと、リュートもアレイドも、毎日頑張ってきましたから……」
言いながら、ルイスに手を引かれて、シルヴィアは歩き出した。
鮮やかな花々が、さわさわと風に揺れて、シルヴィアたちを見送っている。
握ってくる手の温もりを感じながら、シルヴィアは、花園に伸びる一本道を、ゆっくりと進んでいった。
「……母上、覚えていらっしゃいますか? 前に、白い薔薇を見てみたいと仰っていたでしょう。実は、庭師に教えを乞うて、空いた花壇を使い、私達でこっそり苗を植えたのです」
心なしか、期待しているような表情を浮かべて、ルイスは語った。
「アレイドが水をやりすぎて、一度枯らしかけたのですが……なんとか持ち直して、ついに今朝、早咲きのものが一輪咲いたのです。私は、満開の時期になってから母上に知らせようと言ったのですが、リュートが、どうしても今日見せたいと言って、聞かなくて……」
「…………」
「でも、とても立派な一輪です。きっと母上も、気に入ってくださると思いますよ」
そう言うと、ルイスは、頬を紅潮させて、嬉しそうに笑った。
「──……」
不意に、涙がこぼれた。
胸が詰まって、止めどなく、ぽろぽろと溢れてくる。
気づけばシルヴィアは、嗚咽を漏らして、子供のように泣きじゃくりながら歩いていた。
ふと、誰かに呼び止められて、シルヴィアは振り返った。
庭園の向こうで、小さな人影が叫んでいる。
月光を溶かし込んだような銀髪と、銀の瞳。
自分譲りの容貌の少年が、こちらを見て、強く何かを訴えかけていた。
シルヴィアは、その少年の言葉を聞こうとしたが、風と花のざわめきが邪魔をして、声が届かなかった。
唇を読もうとしても、涙に濡れた視界では、その姿がぼやけて、よく見えない。
身を翻して、少年の元に行こうとすると、ルイスが、引き留めるように、握る手に力を込めた。
「母上、どこへ行くのですか……?」
不安げな面持ちで、ルイスがこちらを見ている。
同時に、駆け戻ってきたリュートとアレイドが、シルヴィアの腰に、ぎゅうっと抱きついた。
「見てください、母上! 白い薔薇が咲いたのです」
「僕達で毎日お世話をしました、ほら、あそこです!」
アレイドが指差した先──そこに視線を移したシルヴィアは、思わず慄いて、大きく目を見開いた。
それは、白い薔薇が咲く、花壇などではなかった。
ぽっかりと地に空いた穴から、灼熱の業火を噴き上げる、地獄への入口だったのだ。
子供達が、強くしがみついてきて、動かぬ目で、シルヴィアを見上げた。
「母上……私達のこと、捨てたりしませんよね……?」
地獄の口から、真っ赤な溶岩が迸って、じりじりと庭園を焼いていく。
巻き上がった熱風で、焦げて灰になった花々が、黒蝶のようにふわふわと舞い上がった。
シルヴィアは──笑みを浮かべた。
すがり付いてくる子供達を抱きしめて、立ち上がると、少年の方に振り向いた。
「……こっちに来ないで。どこかへ行って」
地面にひびが入り、崩れ落ちていった草木が、逃げる術もなく、暗闇へと吸い込まれていく。
土に深く張った根のように、身体を縛る子供達の背を撫でながら、シルヴィアは続けた。
「……私はやっぱり、貴方のことを愛せない。だって、貴方を見ていると、締め付けられように、胸が苦しくなるの……」
涙を拭って、シルヴィアは、少年に手を振った。
「……さようなら。貴方を愛してくれる人のところに、帰りなさい。今度こそ、本当にさようなら……」
飛び散った火の粉が皮膚を焼き、うねる熱線が長い銀髪を焦がす。
ふと見ると、シルヴィアを引き留めていた子供達は、陽炎のように立ち昇って、跡形もなく消えていた。
もう一度だけ、シルヴィアは振り返った。
銀髪の少年は、いなくなっていた。
紅蓮の炎が、手招くように揺れている。
シルヴィアは、そっと目を閉じると、その中を、ゆっくりと下って行ったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.399 )
- 日時: 2021/02/01 18:11
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
* * *
少し弱まった雨の中、濡れた葉を掻き分け、山中を進むと、それは、まだそこに建っていた。
ヘンリ村の跡地近くに、ひっそりと聳える持ち主不明の山荘。
放置された山小屋というには、二階建てと広く、家具まで放置された、さながら幽霊屋敷とでも言うべき不気味なその屋敷は、七年前、カーノ商会から跡地を買った際に、ルーフェンが偶然見つけたものだった。
所々ひびの入った石壁に、這うように伸びた枯れかけの蔓草。
砂埃でくすんだ窓と、色が剥げて変色した屋根。
最初に発見した時は、あまりの不気味さに入る気になれなかったが、人目を忍んで訪れている内に、なんとなく居着いてしまった。
世間から隔離されたような静けさが、当時、十四だったルーフェンの少年心を、秘密基地という響きを以て、見事にくすぐったのだ。
アーベリトに移ってからは、一度も来ていなかったが、最後に訪れたのは、いつだったろうか。
確か、自分用の新しい寝具を、勝手に持ち込んだ時だった気がする。
その頃、よく共にいた宮廷魔導師のオーラントが、「まさか、本気で住む気なんですか」と言って、顔を引きつらせた時の事が、ふと、脳裏に蘇った。
がたつく扉を開くと、七年も放置していた割に、山荘の中は綺麗だった。
綺麗と言っても、埃は溜まっているし、雨続きのせいか、部屋全体が湿っぽい。
ただ、もしかしたら、老朽化でどこか崩れているかもしれない、とか、野党あたりに荒らされているかもしれない、と思っていたので、そういった様子が一切見られないのは、少し意外であった。
外套と上着を脱いでから、家の中を一通り見回すと、ルーフェンは、汚れの染み付いた窓を拭き、薄暗い外の景色をぼんやりと眺めた。
今は雨が降っているので、烟って白んだ風景しか見られないが、小高い山の上に建つこの山荘からは、ヘンリ村の様子が一望できる。
アーベリトの人々が移住したら、この窓から、彼らをそっと見守ることもあるのだろうか。
罪悪感から買い取ったかつての故郷に、まさか、アーベリトの人々が住むことになろうとは、巡り合わせとは不思議なものだと、どこか他人事のように思った。
埃の積もった食卓を、適当に払っていた時。
ルーフェンは、食卓の下の床に、一部分だけ、不自然に沈む箇所があることを見つけた。
そもそも、基本が石造で、床だけ板張りという構造に、違和感はあったのだ。
どうやら、地下に空間があるらしい。
七年前は、気づかなかったことであった。
とんとん、と足で床を叩いていると、突然、ガタンッと音がして、床の底が消えた。
一瞬、床板を踏み抜いたかと焦ったが、どうやら、地下へと続く隠し扉が、衝撃で開いただけのようだ。
ぶわっと舞った埃が収まると、ちょうど人が一人、通り抜けられるくらいの穴が姿を現した。
重みで崩れそうな木製階段を下り、固い石床に降り立つと、そこは、ただの地下倉庫であった。
魔術で光を灯し、暗闇を照らすと、五歩も歩けば行き止まりになってしまうような、狭い室内が浮かび上がる。
両側の壁には、半分腐食した木棚が設置されており、期待外れというべきか、そこには、食器類や、いつのものか分からない酒瓶などが、いくつか並べられているだけであった。
拍子抜けしつつ、食器を一枚、手にとって見ると、やはりそれは、なんの変哲もない陶器の皿だった。
木製でないだけ多少高価かもしれないが、黒ずんで欠けているし、全く値打ちはなさそうだ。
折角、いかにも古くて汚い地下まで、足を踏み入れたのに、損をした気分である。
ルーフェンは、想像以上に埃まみれになっていた自分の姿を見て、思わず苦笑を浮かべたのだった。
こんな姿で戻ったら、トワリスあたりは、一体何をしてきたんだと怒るだろう。
理由を聞いたら、子供っぽいことをするなと、もっと憤慨するかもしれない。
彼女は結構、綺麗好きだ。
一時期、家政婦の不在で、アーベリトの城館が荒れ放題だった時も、その瞬発力とハインツの腕力を駆使して、屋敷中を大掃除していた。
そういえば、トワリスは、ハーフェルン領家の息女ロゼッタに、「乳母よりうるさい」という理由で解雇されている。
あの年齢で、妙に所帯染みているのは、初めて引き取った頃に、“アーベリトの母ちゃん”呼ばわりされていた家政婦のミュゼに、散々しごかれたからだろうか。
そうだとしたら、そのトワリスに色々と仕込まれたハインツも、だんだん所帯染みていくのかもしれない。
元々、石細工など、細かい作業が好きなハインツのことだ。
彼が、あの風体で炊事や洗濯までこなし始める姿は、なんとなく見てみたいような気がした。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.400 )
- 日時: 2021/02/01 19:07
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
(……なんて、二人とは、もう話すこともないかもな)
ふと、講堂前で、戸惑ったようにこちらを見ていたトワリスのハインツの顔が、頭に浮かんだ。
二人が今後、魔導師として残ったとしても、城内にいるルーフェンと、地方を含めた外回りが中心の一般の魔導師では、ほとんど会うことはないだろう。
向こうがルーフェンを一方的に見かけることはあるだろうが、それも、召喚師という立場がサーフェリアから無くなれば、当然叶わなくなることだ。
会って話す機会は、あれで最後だったのかもしれない。
そう思うと、痛みに似たものが、胸の中に広がった。
案外、簡単なものだな、と思った。
召喚師になる時は、あれだけ苦悩して、もがいて、切れそうな糸を必死に手繰り寄せながら進んだのに──。
引きずり下ろされる時は、随分と簡単に、崖から転げるような勢いで、真っ直ぐに落ちていくものだ。
アーベリトを陥れたのが、召喚師かもしれないという噂を、人々は、案外簡単に信じた。
あまりにもあっさりと、都合よく事が運んだので、ルーフェンも驚いたくらいである。
このまま、人々が召喚師一族を忌み、必要ないと願うなら、それほど遠くない未来に、召喚師という立場は、この国から消えてなくなるだろう。
バジレットは、これから先も召喚師一族を抱えようとしているようだったが、所詮は、神も守護者も、人々の願いの上で成り立っている、仮初の存在に過ぎないのだ。
絶対に逃れられないと思っていた、召喚師一族としての運命。
子供の頃に、あれだけ願っても叶わなかったことが、もうすぐ実現するかもしれない。
それは、どこか現実味のない響きで、ルーフェンの心を揺さぶったのだった。
だが、これで良い。これが、ルーフェンの望んでいたことなのだ。
召喚師一族の力は、存在しているべきではない。
闇の系譜は、この先に続いては行かない。
召喚術の本質を秘めて、その存在ごと、ルーフェンは密やかに消えていく。
これで、良いのだ。これで──。
「──……」
手にしていた皿を、木棚に戻そうとした時。
そのわずかな振動で、隣に積まれていた皿の一枚が、滑り出るようにして落ちた。
石床の上で割れ、パリンと砕け散る。
それを見た瞬間、講堂で皿を投げつけられた時の事が、ふっと頭に過った。
──サミル先生も、お前のせいで死んだんだ! お前は死神だ……!
不意に、目眩がするほどの怒りが、腹の底から沸き上がってきた。
棚に並ぶ食器類を、横から殴り付けるようにして、力任せに叩き落とした。
甲高い音が重なって響き、次々と皿が割れていく。
勢い余って壁に叩きつけられ、細かく砕け散った破片は、ルーフェンの手の甲を、鋭く掠っていった。
十数年前まで、やれ守護者だの、なんだのと祀り上げられ、苦汁を飲み込むような思いで、やっと召喚師という立場を受け入れたのに。
それが、こんなにも容易に覆るなんて──本当は、吐き気がするほど不愉快だった。
分かっている。自分がそう仕向けたのだ。
そうなるように望んだのも、他ならぬ自分だ。
けれど、いとも簡単に掌を返した人々や、そもそもの元凶である母、イシュカル教徒たち、関わった全ての人間が、心の底から、憎くて仕方なかった。
自分はただ、限られた時間を、アーベリトで穏やかに過ごしたかっただけだ。
最終的には、召喚師としてシュベルテに戻ることになろうとも、アーベリトで暮らした数年間の思い出があれば、それを胸に、生きていけるような気がしていた。
本当に、ただそれだけだったのに、何を、どこで間違ったのだろう。
こんな幕引きを、するはずではなかったのだ。
サミルが崩御して、これから先は、もうアーベリトの人々を巻き込むつもりなんてなかった。
あの日から、ずっと、やり場のない怒りと後悔が、ルーフェンの身の内で燃え滾っている。
己の運命を呪いながら、死んでいったアーベリトの人々に謝り続けている自分が、惨めで、滑稽で、笑う気にもなれなかった。
いつの間にか、手の甲が裂け、そこから血が流れ出ていた。
それに構わず、振り返ると、ルーフェンは、向かいの木棚に並んでいたものも全て叩き割った。
胸が詰まって、息が苦しい。
まるで、周りの見えない水中に、深く深く、沈められたようだった。
やがて、壊すものがなくなると、ルーフェンは、ずるずるとその場に踞って、長い間、荒い呼吸を繰り返していた。
切れた手の甲が、じんじんと熱くなって、その痛みを自覚し始めると、頭の中が、徐々に冷静になっていった。
石床に、砕けた破片が散乱している。
膨らんで弾けた怒りが、ゆっくりと引いていくと、最後に残ったのは、発散できない虚しさだった。
地下倉庫から、這い出るようにして居間に上がると、激しい立ち眩みがして、ルーフェンは近くの椅子に手をついた。
視界に光がちらついて、嫌な汗が背を伝っている。
そのまま床に座り込み、椅子の座板部分に腕と額をつけると、ルーフェンは、胸を押さえて目を閉じた。
静まり返った部屋の中で、雨音と自分の呼吸音だけが、耳鳴りのように聞こえている。
その時、強まってきた雨足と共に、誰かが、山荘に近づいてくる気配がしたが、今は、相手をする気になれなかった。
こんな辺鄙な場所に、偶然通りがかる者などいないだろうから、イシュカル教徒あたりが、暗殺でも目論んで、ルーフェンのあとを着けてきたのかもしれない。
それならそれで、この場で殺されても、自分の人生はここまでだった、ということでいいだろう。
そんな風に考えてしまうくらい、疲れていたし、今は、とにかく眠りたかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.401 )
- 日時: 2021/02/01 19:52
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
どのくらい、時間が経ったのか。
ふと、目を覚ますと、部屋は宵闇に沈んでいた。
ぼやけた頭をもたげ、ルーフェンは、しばらく暗がりを見つめていたが、ややあって、扉の方に視線をやると、思わず目を見開いた。
外に、まだ人の気配があったのだ。
重たい身体で立ち上がり、そっと扉を開けると、軒樋の下の石壁に、膝を抱えて寄りかかる人影があった。
まさか、と思い近づいてみると、人影が、ぴくりと反応して、顔をあげる。
先程まで、ずっと雨に打たれていたのだろう。
頭の上から爪先まで、全身ずぶ濡れになって、そこに座り込んでいたのは、他でもない、トワリスであった。
「……なんで、ここに」
思わず出た声は、いつもよりずっと低くて、不機嫌そうな声だった。
自分でも驚いて、ルーフェンは口を閉じたが、トワリスは、急に声をかけられたことに驚いたようであった。
弾かれたように立つと、トワリスは、慌てて口を開いた。
「あ、あの……こんばんは」
「……こんばんは」
そこで会話が途切れて、トワリスが、気まずそうに俯く。
濡れて張り付いた前髪を、鬱陶しそうに払いながら、トワリスは言った。
「ヘンリ村の跡地を見に行って、それから、ずっと戻ってきてないって聞いたので……探しに来ました」
ルーフェンは、眉をしかめた。
「よく、こんな場所見つけたね」
「他に、雨宿りできそうな建物とか、なかったので」
「……寒かったでしょう。声、かけてくれれば良かったのに」
ルーフェンが言うと、トワリスは口ごもった。
「いや、声はかけるつもりだったんですけど、その……少し、頭を冷やしてから行こうかと」
「……雨で?」
ルーフェンが、わざと引き気味に返すと、トワリスが、じろっと睨んできた。
束の間、睨み合ってみてから、ふっと吹き出すと、ルーフェンは、冷たいトワリスの手を引いた。
「入りなよ。風邪引いちゃうよ」
トワリスは、頷くと、大人しく着いてきた。
手近に綺麗な手拭いがなかったので、ルーフェンが来るときに着てきた上着を貸すと、トワリスは、それで濡れた髪を絞った。
最初は遠慮していたが、室内で、濡れ鼠のままでいるのも恥ずかしくなってきたのだろう。
ちょっとした問答の末、トワリスは、上着を受け取って、しばらく頭から被っていた。
光源の確保と、暖をとらせる意味もあって、ルーフェンが宙に炎を灯すと、トワリスは、明るくなった山荘の中を、興味深そうに見回した。
「……ここ、なんなんですか?」
ルーフェンは、一瞬言葉に迷ってから、答えた。
「……俺の……秘密基地」
「秘密基地……?」
思わぬ答えだったのだろう。
目を丸くしたトワリスに、ルーフェンは説明した。
「昔、偶然見つけた場所でね。七年も放置してたから、どうなってるか見に来たんだけど、まだ残ってたんだ」
「はあ、なるほど……。なんか、意外ですね。ルーフェンさんが、秘密基地とか」
「そう? 男の子は、こういうの好きでしょ。……まあ、トワに見つかっちゃったから、秘密じゃなくなっちゃったけどね」
「悪かったですね。別に、場所を言いふらしたりしませんよ」
ルーフェンが、くすくす笑うと、トワリスは、気に入らなさそうにそっぽを向いた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.402 )
- 日時: 2021/02/01 20:45
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
ルーフェンが床に座って、隣に来るよう促すと、トワリスは、少し離れたところに腰を下ろした。
講堂前でのやりとりについて、何か話でもあるのだろうと思い、ルーフェンは、黙って待っていたが、トワリスは、一向に何も言わなかった。
見かねたルーフェンが、何かあったのかと尋ねようとしたとき、トワリスは、ようやく口を開いた。
「私と、ハインツなんですけど……バーンズさんに誘って頂いて、今後は、宮廷魔導師としてお仕えすることになりました」
「……宮廷魔導師?」
ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。
トワリスは、無愛想な声で付け加えた。
「言っておきますけど、恩とかそういうのじゃないですよ。自惚れないで下さい。やっぱり、私とかハインツみたいな、特殊な出自の人間は、魔導師が向いてると思うんです。だから、これは……そう、ただの出世です」
その言い方がおかしくて、ルーフェンは、思わず苦笑した。
何故笑われたのかと、トワリスが顔をしかめると、ルーフェンは、首を振って言った。
「いや、ごめん。別に、文句を言うつもりはないよ。宮廷魔導師になるんだったら、ただの出世じゃなくて、大出世だね。……そっかぁ、宮廷魔導師かぁ。あの手のかかったトワリスちゃんとハインツくんがなぁ」
「子供扱いしないでください!」
大袈裟な口調で言うと、肩をばしっと叩かれた。
鼻を鳴らしたトワリスに、ルーフェンが肩をすくめる。
そうか、と思った。
宮廷魔導師も、勿論危険な立場ではあるが、そうなると、王宮仕えの武官という扱いなるので、二人は今後も、城を出入りすることになるだろう。
城に来るなら、また、顔を合わせる機会があるかもしれなかった。
次いで、ふと真剣な表情になると、トワリスが言い募った。
「……あと、今日、シルヴィア様にお会いして、色々と聞いてきました」
虚をつかれたように、ルーフェンが瞠目する。
トワリスは、絶句したルーフェンの顔を、じっと見つめた。
「聞いたって……何を」
「色々です。アーベリトの件、シルヴィア様がやったんだって大っぴらに言えないのは、召喚術を使おうとする人が、他に出ないようにするためだ、ってこととか。……多分、ルーフェンさんが隠していたこと、全て」
ルーフェンの瞳が、ふっと揺れる。
トワリスは、目を伏せると、静かに続けた。
「なんとなく、そういう理由じゃないかっていうのは、分かってたんです。……でも、いざ、本当にそうだったんだって思ったら……」
「…………」
「心底腹が立ったので、そんなことどうでもいいから皆に謝れって言って、シルヴィア様のことを殴ってしまいました」
瞬間、ルーフェンが真顔になった。
「……え? 殴ったの? ……あれを?」
「す、すみません、ついカッとなって……。あ、でも、流石に拳じゃないです。掌です」
「てのひら」
顔を歪めて俯くと、トワリスは、被っていた上着を、ぎゅっと手繰り寄せた。
「……だから、頭を冷やしてたんです。だって、こんなの……全然どうでも良くない。召喚術を使おうと考える人が、他にも出てくるってことは、サイさんみたいな人が増えるってことです。シュベルテや、アーベリトみたいに、一方的に襲われて、街一つ潰れてしまうようなことが、今後もあるってことです。……そんなの、絶対に許しちゃいけません」
トワリスは、鼻をすすって、膝に顔を埋めた。
「私だって、アーベリトが襲われたとき、もし、召喚術が使えたなら、使っていたと思います。悪用する意図がなくたって、何かを守るために、自分でも強い力を使える可能性があると知ったら、きっと、手を伸ばす人は沢山いると思います。……だから、陛下やルーフェンさんの思いを踏みにじらないためにも、このことは、絶対に誰にも言いません。これ以上のことを探ったりしないし、なんなら忘れるつもりで、二度と関わろうとしません。……召喚術は、召喚師一族だけのものです」
「トワ……」
トワリスは、ばっと顔をあげた。
泣いてはいなかったが、目の周りと鼻先が、真っ赤になっていた。
「……それでも、すごく、悔しかったんです」
震える声で、トワリスは言った。
「ルーフェンさんが、アーベリトの人達に誤解されて、罵られるのは、どうしても嫌だったんです。召喚術がどうとか、国がどうとか、そんなこと、どうでもいいから……ルーフェンさんが守ってきた七年間を、否定しないでって、本当のことを、言ってやりたかったんです……」
「…………」
それきり、トワリスは下を向いて、黙ってしまったが、それが有り難かった。
多分、話を続けていたら、ルーフェンは、ちゃんと声を出して返事をすることなど、出来なかっただろう。
唐突に沸き上がってきた熱は、時間をかけないと、飲み下せなかった。
しばらくしてから、ルーフェンは、ぽつりと呟いた。
「……もう、いいよ」
トワリスが、ルーフェンを見る。
ルーフェンも、トワリスを見ると、優しい笑みを向けた。
「君が、そう思ってくれてるんだったら、もう、それでいいよ」
ずっと内側で燻っていたものが、すり抜けるように消えて、自然と出てきた言葉だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下【1月完結予定】 ( No.403 )
- 日時: 2021/02/02 09:54
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)
窓の外が闇に覆われ、夜の帳が下りてくる様を眺めながら、二人は、とりとめのないことを、訥々と話していた。
雨でびしょ濡れだったトワリスの髪や衣服は、徐々に乾き始めていたが、彼女の手は、長く握っていても冷たいままだった。
夜が耽るにつれ、気温も冷えてくるだろうし、こんな場所に、濡れたままのトワリスを長居させてはいけないと思っていたが、お互いに、そろそろ戻ろうと言い出せないまま、時間が過ぎていった。
不意に、トワリスが、握っていたのとは反対のルーフェンの手を見て、目を見開いた。
その視線に気づいて、ルーフェンも自身の左手の甲を見やると、そこには、皿の破片で切った傷があった。
「……それ、どうしたんですか?」
笑って適当に誤魔化すと、トワリスは、眉を寄せて、ルーフェンの左手をぐいっと掴んだ。
「大したことないよ、血は止まってるし……」
そう言って、ルーフェンは手を引こうとしたが、トワリスは、手を離さなかった。
「何言ってるんですか、侮っちゃ駄目ですよ。ちゃんと洗って、手当てしないと」
「……雨で?」
「その話、引きずるのやめてもらっていいですか」
ルーフェンが笑うと、トワリスが、また肩の辺りをぶっ叩いてきた。
笑い止まないと、二発目が来るので、ルーフェンは口を閉じて堪えた。
トワリスの拳は、一発目は耐えられる痛みだが、二発目は重い。
傷の深さを見ようと、トワリスが近づいてくると、湿った赤褐色の髪から、微かに洗髪剤の香りがした。
トワリスは、何か包帯代わりになるものがないかと、自分の懐を探っている。
普段はなかなか綻ばない、トワリスの滑らかな頬に、はらはらと落ちた髪がかかっていくのを見たとき。
不意に、ずっと頭を巡っていた言葉が、口をついて出た。
「どこで、間違えたんだろうな……」
トワリスが、はっと動きを止める。
ルーフェンは、目を伏せると、静かな声で言った。
「……最近、ずっと考えてるんだ。俺は、どこで間違ったのか。俺は、今まで、どう生きてくれば良かったのか……」
表情を隠すように、トワリスの肩に、そっと額をつける。
その姿勢のまま、少し間を置いてから、トワリスは尋ねた。
「何か、後悔してるんですか?」
「……分かんない」
ルーフェンは、か細い声で答えた。
「俺が間違わなければ、アーベリトは、なくならなかったかもしれない。……でも、俺の生き方なんて、ほとんど一本道だったんだ。色々抵抗してみたことはあるけど、七年前までは、連れられるまま王宮に来て、言われるまま召喚師になっただけ。それこそ、分かれ道だったのは、アーベリトを王都にするか、しないかの時だった。……あの時の選択を、俺は、間違いだったと思いたくない」
「…………」
トワリスは、長い間、何も答えなかった。
何かを言おうとしては、口を閉じ、それを繰り返していたが、やがて、すっと息を吸うと、唇を開いた。
「……私は、後悔してないですよ」
トワリスは、落ち着いた声で続けた。
「何が間違いだったとか、間違いじゃなかったとかは、誰にも判断できないと思います。……ただ、一つ確かなのは、私やハインツみたいに、ルーフェンさんがいて、アーベリトがあったからこそ、助かった人間もいるってことです。こんなことになってしまったので、アーベリトが王都になったせいで、不幸になった人がいることも否定できません。でも、アーベリトでの生活があったおかげで、死ぬはずだったところを、後悔なく生きて来られた人もいます。そういう、私やハインツみたいな人間は、いつでも、ルーフェンさんの味方として戦いますよ」
「…………」
耳元で、息の震える音がした。
不意に、腕が伸びてきて、トワリスは、ルーフェンに抱き寄せられた。
びっくりして、思わず身体を硬直させる。
すると、すぐ隣から、ごめん、とくぐもった声が聞こえてきた。
背中に回された腕には、ほとんど力は入ってなかった。
しかし、身を捩って、真横にあるルーフェンの顔を覗こうとすると、腕に力を込められて、動けないように、強く抱き締められてしまった。
おそらく、泣いているところを見られたくないのだろう。
そう思って、トワリスは、身動ぐのをやめて、しばらく前を見つめていた。
気づくと、もう雨音は聞こえなかった。
目前の石壁で揺れる火影を見ながら、トワリスは、随分と長い間、そのままの姿勢でいた。
ルーフェンは、声をあげずに涙を流していたので、まだ泣いているのか、もう泣き止んでいるのか分からなかったが、トワリスのほうから、離れようとは思わなかった。
今のルーフェンは、周りの見えない、暗い水底にいる。
ここで離したら、この人はきっと、深い闇の中に、溶けて消えてしまうのだろうと思った。
地下牢に囚われていた前召喚師、シルヴィア・シェイルハートの訃報をルーフェンが聞いたのは、その翌日の朝のことであった。
一日中、見張りの番兵がつき、自死も出来ぬはずの状況で、突然、枯れた花が落ちるように、牢の中で息を引き取ったのだという。
ルーフェンが、シルヴィアを殺すはずの、死刑執行日の前日のことであった。
遺体に傷はなく、亡くなった直後は、さながら精巧な人形のようであったが、その後、彼女の身体は、止めていた時を一気に進めたかのように、老いさらばえた姿となった。
バジレットとルーフェンは、禁忌魔術を長期間行使したことによる死だろうと結論付けたが、真実は、誰にも分からなかった。
──サーフェリア歴、一四九五年。
この年は、激動の年であった。
王都アーベリトと、軍事都市セントランスの没落により、サーフェリアの統治体制は、大きく変わった。
生き残ったアーベリトの人々は、シュベルテの政権下に入ることを拒否して、ヘンリ村の跡地へと移住した。
一時、解体状態にあった魔導師団は、シュベルテ外にいた地方の魔導師たちの助力もあり、復権。
その後、召喚師ルーフェン・シェイルハートの統制下に入った。
王宮仕えの宮廷魔導師団には、ジークハルト・バーンズを始めとし、少数精鋭の魔導師達が据えられた。
以降、魔導師団は、大司祭モルティス・リラード率いる騎士団と並び、国全体の忠義者として、サーフェリアの守護を担うこととなる。
王権はシュベルテに戻り、王座には、先々代王の母である元王太妃バジレット・カーライルが座ることとなった。
戴冠式にて、再び樹立されたカーライル王家の治世を、人々は、それぞれの思いを胸に抱き、見つめていたのであった。
To be continued.....