複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.65 )
- 日時: 2018/10/12 18:08
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
†第三章†──人と獣の少女
第三話『進展』
昨夜からちらついていた雪は、朝になると、ぴたりと止んでしまった。
暗い色をした雲が、まだ分厚く空を覆っていたが、冷たい風に煽られていく内に、徐々に青空が覗き始める。
雪が積もって、外出できなくなってしまえばいいのに。
そんな密かな願いも空しく、うっすらと積もっていたはずの雪も、トワリスがレーシアス家を出る頃には、すっかり溶けてなくなっていた。
アーベリトには、孤児院が二ヶ所あった。
西区の孤児院は、施療院も兼ねており、身体的、または精神的に障害を持っている等の理由で、生活が困難な子供たちを治療・復帰させることを目的とした養護施設であった。
一方、トワリスの行く東区の孤児院は、身寄りのない子供たちを、自立できる年齢になるまで支援する施設だ。
西区の方が、入所できる子供の数が少ないため、中には、回復して普通の生活を送る分には問題ないとされた西区の子供が、東区に送られて来ることもあった。
しかし、東区の孤児院とて、受け入れられる数には限りがある。
故に、孤児院の子供たちは、大体十五から十六を迎えると、仕事に就いたり、運が良ければ引き取られたりして、孤児院を出るのだった。
迎えに来たテイラーに連れられて、東区に向かう道中、トワリスは、ほとんど喋らなかった。
レーシアス家を出ると決心したとはいえ、サミルたちと別れたことが悲しくて、心が深く沈んでいたのだ。
周囲の者たちは、皆、孤児院とレーシアス家はそう離れていないから、と慰めてくれたし、ルーフェンだって、必ずまた会えるだろうと言ってくれた。
けれど、一度レーシアス家を出てしまえば、トワリスは、獣人混じりという点を除いて、ただの行き場のない普通の子供だ。
そんな身分の者が、国王や召喚師に、簡単に会いに行けるわけがない。
最近は特に、襲撃があったせいで、レーシアス家への人の出入りは厳しく制限されているようだったから、尚更だった。
もう、二度と会えないかもしれない。
そう思うと、また泣きそうになったが、トワリスは泣かなかった。
ぐっと涙を堪え、レーシアス家の図書室から借りてきた、数冊の魔導書を抱えて、トワリスは、孤児院への道を歩いていったのだった。
東区の孤児院は、青い煙突屋根が目印の、大きな石造の建物であった。
一般的には、木造建築の方が安価かつ主流であり、戦火に備えた大きな街以外では、石造建築はほとんど見かけない。
しかし、かつての繁栄の名残なのか、アーベリトには、石造の建物が多かった。
とはいっても、大きく構えるシュベルテ等の家々を思うと、アーベリトの街並みはこじんまりとしていて、どこか古臭い印象を受ける。
孤児院も、ところどころ修繕しているのか、真新しい塗料の臭いがしたり、部分的に綺麗な石壁があったりはしたが、建物全体を見れば、雨風にさらされて薄汚れていたし、鮮やかに見えた青い煙突屋根も、近くでよく見ると、苔が生えている。
大通りから外れた先、木の柵で囲まれた大きな庭の真ん中に、ぽつんと建つ孤児院は、思ったよりも質素で、みすぼらしかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.66 )
- 日時: 2019/06/18 11:05
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
孤児院の玄関まで行くと、扉の奥からは、微かに人の声が聞こえていた。
今、孤児院にいる子供の数は少なく、大体五十ほどだと聞いていたが、それにしたって、気配が薄いし、想像していたより静かだ。
もしかしたら皆、外に出ているのかもしれない。
テイラーに言われるまま、玄関で靴を脱ぎ、孤児院の中に入ると、砂っぽいような、黴臭いような臭いが、むっと香ってきた。
玄関からは、薄暗くて長い廊下がまっすぐに伸びており、両側の壁に、いくつもの部屋が並んでいる。
きっと、子供たちの共同部屋だ。
それぞれの扉には、二、三人くらいの名前が書かれた木札が、乱雑にかかっていた。
周囲を見回していると、不意に、廊下の奥の扉が開いて、背の高い女が駆けてきた。
「あらあら、予定より早い到着で。ごめんなさいねえ、出迎えられなくて」
そう言いながら、女は手早く室内履きを用意して、トワリスたちの足元に並べてくれる。
促されて履いていると、テイラーが女を指して、紹介した。
「こちら、うちの職員で、ヘレナさんと言います」
ヘレナと呼ばれた女は、目尻に皺を寄せて笑うと、手を差し出してきた。
「貴女がトワリスちゃんね。シグロス孤児院にようこそ。これからよろしくね」
「……よろしくお願いします」
軽く触れるような握手を交わして、上目にヘレナを見る。
孤児院に来て、その雰囲気に馴染めないトワリスのような子供など、職員たちはもう見慣れているのだろう。
ヘレナも、テイラー同様、トワリスの無愛想な態度を見ても、全く気にしていないようであった。
「それでは、ヘレナさん、あとは頼みますね」
「はい、院長」
ヘレナの方に行くように指示して、テイラーがトワリスに手を振る。
振り返す代わりに、軽く頭を下げると、苦笑して、テイラーは長廊下の最奥にある部屋へと入っていった。
「テイラーさんは、ここの院長ですからね。お忙しいのよ。孤児院にいないことも多いの、お仕事で外に出ることが増えているみたい。最近は、サミル先生も、あまり頻繁には孤児院に来られなくなってしまいましたからねえ。みんな、やることが多くて、てんてこまいよ。ところで、貴女いくつだったかしら?」
軽快な口調で問いかけられて、トワリスは、思わず口ごもった。
レーシアス邸には、のんびりとした話し方をする者が多かったし、ヘレナと同年代くらいの女性であるミュゼだって、こんなに忙しない話し方はしなかった。
尋ねてもいないことを早口で捲し立てられると、いまいち、どう反応したら良いのか分からない。
うつむいたまま、十二歳だと答えると、変わらずの口調で、ヘレナは返事をした。
「あらそう! まだ十いっているか、いっていないかくらいだと思っていたけれど、十二なの。それなら、もうお姉さんね。うちの孤児院にいるのは、大体五歳から十歳くらいの子が多いのよ。今日もみんな、雪が降ったっていうので、朝っぱらから外に飛び出して行ったわ。もうとっくに止んで、雪もほとんど積もってないのにねえ。全く、やんちゃで手に追えないったら」
相槌をはさむ暇もなく、ヘレナがしゃべり続けるので、トワリスは、終始目を白黒させていた。
サミルが紹介した孤児院であるし、トワリスが獣人混じりだと聞いても顔色一つ変えないあたり、テイラーもヘレナも、暖かい人柄であることには違いないのだろう。
だが、ヘレナのこの早口言葉には、ついていける気がしなかった。
ヘレナは、ぱんぱんと手を叩いた。
「──さ、立ち話していても始まらないし、院内を案内するわ。夕飯時になれば、子供たちも帰ってくるだろうし、貴女の紹介は、そのときね。ついてきてちょうだい」
ぺらぺらと口を動かしながら、トワリスの手を引いて、ヘレナが歩き出す。
戸惑いながらも、魔導書が詰まった荷物をぎゅっと抱き込むと、トワリスは、ヘレナについていったのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.67 )
- 日時: 2018/10/18 17:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
子供たちが使っている共同の小部屋の通りを抜けて、廊下を横に曲がると、大きな食堂があった。
食堂には、長い食卓がずらりと並んでおり、天井には、飾り気のないシャンデリアが三つ下がっている。
食卓を囲んで座る孤児院の子供たちは、新しく来たのだという獣人混じりの少女を、一様に見つめていた。
前に引っ張り出されたトワリスは、沢山の子供たちの視線にさらされて、緊張した様子で縮こまっている。
こんなに注目を浴びたことなんてなかったし、皆が、どんな目で自分を見ているのだろうと思うと、顔をあげることすら出来なかった。
自己紹介をしろと言われても、名前と年齢を、ぼそっと呟いただけで終わった。
静まり返った室内に、せめてよろしくの一言だけでも言えば良かったと焦ったトワリスであったが、ヘレナが横で補足してくれたので、このときばかりは、彼女の多弁さに深く感謝した。
席に案内されて、食事が再開しても、トワリスは、うまく場にとけこめなかった。
周りは、今日あった出来事を話したり、年上の子が、まだ小さな子の食事を補助したりと、それぞれ和やかな雰囲気を楽しんでいたが、トワリスには、共通の話題などなかったし、黙々と味の薄い夕飯を口に運ぶことしかできなかった。
何人か、話しかけてくる子供はいたが、それに対しても、素っ気ない態度で一言二言返すだけで終わってしまった。
別に、話しかけられることが嫌なわけではなかったのだが、どう返事をすれば良いのか分からなかったし、目を合わせるのも怖かった。
そんな態度をとっている内に、トワリスに近づいてくる子供はいなくなったし、トワリス自身、声をかけられなくなったことに、安堵してしまっていた。
朝起きて、寝る時間まで、常に周囲と足並みを揃えなければならない孤児院での生活は、トワリスにとって、慣れないことの連続であった。
レーシアス邸で暮らしていた頃は、ミュゼの仕事の手伝いをするとき以外は、基本的に自由であったから、疲れたと思えば一人で静かな場所に行ったし、寂しい時は、ルーフェンやダナのところに通っていた。
しかし、孤児院では、一人だけでどこかに行くということが許されない。
常に職員の目が届くところにいないといけないので、どんなときでも、場所でも、やかましい子供たちと一緒だ。
仕方がないと思う一方で、四六時中騒がしい場所にいなければならないのは、正直なところ苦痛であった。
孤児院に来てから、トワリスは、日中はずっと、レーシアス邸から持ち出した魔導書を読みながら、勉強をしていた。
サミルやルーフェンたちから、一般的な教養を多少教わったとはいえ、魔導師になるには、深い魔術の知識と技術が必要だ。
独学でどれほど身に付けられるものなのかは分からないが、家庭教師を雇ったり、私塾に通うお金なんてものは当然ないので、自力で学んでいくしかなかった。
常に勉強をしているので、孤児院の職員たちも、トワリスが孤立しているのではと心配しているようだった。
だが、いざ子供たちの輪に引き入れようとしても、トワリスは、なかなか話に乗ろうとしない。
いつしか、孤児院の中でトワリスは、『物静かで一人が好きな読書家だ』、と印象付けられていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.68 )
- 日時: 2018/10/21 19:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ぽん、と高く蹴り上げられた球が、弧を描いて、青屋根の軒樋(のきどい)にはまった。
続いて沸き起こった子供たちの不満の声に、はっと顔をあげると、トワリスも、目線を魔導書から屋根の方に移した。
「おい、どうすんだよぉ! あんな高いところ行っちまって」
「誰か、枝! 長い枝持ってきて!」
「枝じゃ届かないだろ」
白い息を吐きながら、男児たちが、どうにか球を取り戻そうと話し合っている。
どうやら、球蹴りをして遊んでいたところ、強く蹴りすぎた球が、屋根の上まで飛んでいってしまったらしい。
天気が良い日の中庭では、よくある光景であった。
庭の端に設置された長椅子に座って、遠巻きにそれらの様子を見ていたトワリスは、小さくため息をつくと、再び目線を魔導書に落とした。
じきに、孤児院の職員が来て、屋根の上から球を落としてくれるだろう。
そうすれば、ぎゃーぎゃーとわめく男児たちの気も収まるはずだ。
そうして、職員の登場を待っていたトワリスだったが、今日は、待てども待てども、大人は誰もやってこなかった。
いつもなら、ヘレナあたりが「あらまあ!」なんて高い声をあげながら、駆けつけてくるのだが。
他の女児たちも、呆れて肩をすくめる中、男児たちの不満の声は、どんどん大きくなっていく。
最初は、どうやって屋根から球を下ろそうかと相談していたのに、いつの間にか、話の内容は、誰があんなところに球を蹴ったのか、という責任の押し付け合いになっていった。
徐々に言い合いも激しくなり、やがて、取っ組み合いの喧嘩にまで発展し始めた辺りで、トワリスは、魔導書をぱたりと閉じて、立ち上がった。
子供たちの喧嘩なんて、日常茶飯事ではあるが、目の前で怪我でもされたら流石に気分が悪いし、何より、こんなに近くで騒がれては、勉強に集中できない。
トワリスは、ゆっくりと歩きながら、球がひっかかっている軒樋までの高さを目測し、そのすぐ下に生えている木に狙いを定めると、助走をつけて、思い切り、草地を蹴った。
太い枝に両手で掴まり、反動で一回転して、別の枝に飛び乗る。
それから、もう一度跳んで屋根に移ると、トワリスは、あっという間に球を取り戻した。
ひとっ跳びで屋根から降りてきたトワリスを見て、子供たちの間に、ざわめきが起こった。
単純に、人間業ではない跳躍力に驚愕したのと、あの大人しいトワリスが、というので、二重に驚きだったのだろう。
中庭で遊んでいた子供たちは皆、目を丸くして、トワリスを見つめている。
トワリスは、居心地が悪そうに辺りを見回してから、球蹴りをしていた男児の一人に近づくと、取ってきた球を差し出した。
「……はい」
「あ、ありがとう……」
ぽかんとした表情でお礼を言って、男児が球を受けとる。
これで事態は丸くおさまった──と思われたが、横から割り込んできた別の男児が、払うように球を蹴って、言った。
「きったねー! 獣女がさわった球だぞ! さわったら、獣病がうつるぞ!」
げらげらと笑うその男児は、名前をルトという、孤児院でも一、二を争う問題児であった。
職員に叱られている常連であったし、唯一、未だにトワリスに話しかけてくる子供でもある。
話しかけてくる、というよりは、突っかかってくる、と言った方が正確だろう。
ルトはいつも、トワリスが獣人混じりであることを、からかってくるのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.69 )
- 日時: 2018/10/24 20:38
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
一瞬、むっとした表情になったトワリスであったが、すぐに踵を返すと、ルトを無視して長椅子の方に戻った。
獣人混じりであることを揶揄(やゆ)されるのは、非常に不愉快であったが、ルトは、まだ七歳である。
五歳も年下の子供が言ってくることを、いちいち真に受けるのは、大人げないように思えた。
すまし顔で、トワリスが再び魔導書を読み始めたのを見ると、むっとしたのは、今度はルトの方だった。
反応が返ってこなかったのが、気に入らなかったのだろう。
わざわざトワリスが座る長椅子の方まで行くと、ルトは、勢いよく魔導書をひったくった。
「本ばっかよんでないで、獣なら、獣らしくしてろよ! この根暗!」
弾かれたように顔をあげて、きつくルトを睨み付ける。
いつもなら無視するのだが、魔導書をとられてしまっては、相手にせざるを得ない。
この魔導書は、サミルの屋敷から借りて持ってきた、大事なものなのだ。
長椅子から立ち上がって、ルトに詰め寄ると、トワリスは眉を寄せた。
「……返して」
厳しい口調で言ってみるが、ルトは全く聞き入れようとせず、魔導書の中身をぱらぱらとめくっている。
文字──まして、魔術に使われる古語なんて読めないだろうから、当然、魔導書の中身も理解できるはずがないのに、ルトは、悪い笑みを浮かべると、振り返って、散っている男児たちに声をかけた。
「なんだこれ、意味わかんねー本! おーい、これみてみろよ!」
そう言って、ルトが、魔導書を投げようと振りかぶる。
トワリスは、慌ててその腕を掴むと、声を荒げた。
「投げちゃ駄目! 返して!」
「うわっ、さわんな! 獣女!」
トワリスを振り払おうと、咄嗟に腕を引いたルトの手から、魔導書がこぼれ落ちる。
そのまま、体勢を崩して後退したルトの足が、地面の魔導書を踏みつけてしまった瞬間、トワリスの頭に、かっと血が昇った。
「────っ」
突き飛ばすような形で、ルトの頭を殴り付ける。
思いがけず力が入ってしまって、地面に叩きつけられたルトは、一瞬、事態が飲み込めず、きょとんとした顔で、トワリスのことを見ていた。
しかし、やがて、まんまるに開かれたその目に、徐々に涙を貯め始めると、ルトは、殴られた頭を押さえて、大声で泣き出した。
ひとまず、踏まれてしまった魔導書を拾って、ぱんぱんと汚れを払う。
罰が悪そうにルトを見つめながらも、トワリスは、後悔していなかった。
子供とはいえ、ルトには、一発殴ってやらねば収まらぬ恨みつらみがあったのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.70 )
- 日時: 2018/10/29 19:25
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ようやく中庭での騒ぎを聞き付けたのか、孤児院から出てきたヘレナが、こちらに駆けてきた。
「あらまあ! どうしたって言うの! ルト、貴方今度は何をしたの?」
とりあえず、日頃の行いが悪いルトを叱りつけるも、彼の額が真っ赤になっていることに気づくと、ヘレナは急いで濡らしてきた手拭いを、腫れた部分に押し当てた。
そして、盛んに「獣女がぶった」と繰り返すルトの言葉に、魔導書を抱えて直立しているトワリスを見上げると、ヘレナは、驚いたように目を見開いた。
「嫌だわ、本当にトワリスちゃんが殴ったの?」
言葉を詰まらせて、トワリスがうつむく。
すると、沈黙を肯定ととったのか、ヘレナが、いつものように早口で捲し立て始めた。
「なんてこと……呆れた! どんな理由があったとしても、暴力はいけませんよ、暴力は! 大体、貴女は普通よりも力が強いんだから、そんな力で年下の子供を殴ったらどうなるのか、分かるでしょう?」
「だ、だって……」
「だってじゃありません! 貴女は、孤児院の中じゃお姉さんなのだから、ちゃんと年上らしく振る舞わなければいけませんよ」
「…………」
全く口を挟む隙がないヘレナの物言いに、トワリスは、唇を引き結んで黙りこんだ。
多分、ちゃんと状況を説明すれば、ヘレナも耳を貸してくれるとは思うのだが、何分ヘレナは、とにかく話すのが速い。
一方のトワリスは、言葉を選ぶのに時間がかかる方であったから、ヘレナのように矢継ぎ早に話されてしまうと、口ごもるしかなかった。
サミルやルーフェンは、口ごもっても、トワリスが言葉を言えるまで待ってくれていたから、困ることなどなかったのだが、ヘレナに限らず、いろんな話し方をする人間と関わってみると、自分が口下手だったのだということを、嫌でも思い知らされる。
諦めて、こんこんと続くヘレナの説教を聞いていると、ふいに、子供たちの中から、声が上がった。
「ちょっと待って、ヘレナさん。今のは、完全にルトが悪いわよ」
はっきりとした声で言って、現れたのは、車椅子に乗った、赤髪を二つに結った少女であった。
少女は、器用に車椅子を操ってこちらにやって来ると、トワリスを一瞥して、それからルトを見やると、ヘレナに説明した。
「ルトが、トワリスちゃんの本を取り上げて、投げようとしたのよ。それを止めようとして、もめている内に、トワリスちゃんの手がルトの頭に当たっちゃったの」
「あたっちゃったんじゃない! 獣女がわざとぶったんだ!」
ルトが食ってかかると、赤髪の少女は、ぴくりと眉をあげた。
実際、ルトの言う通り、トワリスは、うっかり手をぶつけてしまったのではなく、意識的に殴った。
おそらく、それは誰が見ても一目瞭然のことだったと思うのだが、どうやらこの少女は、トワリスをかばおうとしてくれているようであった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.71 )
- 日時: 2019/06/18 11:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)
少女は、やれやれという風に首を振った。
「男のくせに、ぴーぴーうるさいわね。そもそも、女の子に対して、獣女って呼び方をするのもどうかと思うわ。ルト、あんた、カイルのこともチビ呼ばわりして、突き飛ばしたらしいじゃない。いい加減にしなさいよ。私、知ってるんだから。この前、おねしょしたシーツを、こっそり洗濯済みのシーツの中に紛れこませていたでしょう?」
ルトの顔が、さっと青くなる。
同時に、「あらまあ」と再び呆れ顔になったヘレナを見て、少女は勝ち誇ったように言った。
「獣女だの、チビだの、そういうことばっかり言ってるんだったら、いいわ。私はこれから、あんたのこと、ルトじゃなくて小便坊主って呼ぶから。こいつは、そばかすまみれで、性根の腐った、七歳にもなって漏らしちゃう小便坊主ですよーって、孤児院にきた人たち皆に、そう言いふらしてやるわ」
「なっ……」
ぷぷっと、子供たちの中から、微かな笑いが起こった。
ルトに恨みがある子供は、他にもいるのだろう。
傍若無人な彼の惨めな姿が、子供たちは、おかしくて仕方がないようだった。
またしても何か言い返そうとしたルトを制して、ヘレナが、ぱんぱんと手を叩いた。
「はい、それまで! 何があったのかは大体分かったから、リリアナちゃんも、言葉遣いには気を付けなさい。トワリスちゃんも、わざとじゃなかったのだとしても、今後うっかり怪我をさせてしまう、なんてことがないように。ルトは、手当てをしたら、また院長先生にお説教してもらいましょうね」
うげっと嫌そうな顔つきになったルトの腕を掴んで、ヘレナが孤児院に入っていく。
トワリスは、引きずられていくルトの姿を見送って、疲れたように嘆息したのだった。
「気にすることないわ。ヘレナさんの言う通り、暴力はいけないことだと思うけど、言葉で言い聞かせたところで、分からない糞ガキっていうのも確かにいるのよ。私だって一回、ルトの頬をひっぱたいたことがあるもの」
横で、ふん、と鼻を鳴らした少女に、トワリスは向き直った。
話したことはなかったが、車椅子と、明るい赤髪がいつも目立っていたので、なんとなく見覚えはある。
トワリスは、小さな声で礼を言った。
「……あの、ありがとう。かばってくれて」
少女は、ふるふると首を振った。
「いいのよ! あれは、誰がどう見たってルトが悪かったし。そんなことより、本、大丈夫だった?」
心配そうに首をかしげて、少女が、トワリスの持つ魔導書を見る。
トワリスは、もう一度魔導書の汚れを払うと、こくりと頷いた。
「うん、ちょっと土埃がついただけだから。拭けば、綺麗になると思う」
「そう! それなら良かった!」
笑みを浮かべると、次いで、少女はトワリスの手を両手で握った。
「私、リリアナって言うの。リリアナ・マルシェ。トワリスちゃんとは、同い年よ。で、こっちが弟のカイル。二歳になるんだけど、しっかり者なのよ。かわいいでしょ?」
リリアナが呼ぶと、彼女と同じ赤髪の男の子が、車椅子の陰から現れた。
ずっと、リリアナの後ろに隠れていたのだろうか。
カイルは、到底二歳児とは思えない悟ったような顔つきで、トワリスのことを見上げている。
お世辞にも、子供らしい可愛さがあるとは思えない、落ち着いた表情の男の子であったが、しっかり者だという表現は、言い得て妙だった。
「実は私たち、トワリスちゃんがここに来る少し前に、西区の孤児院から移ってきたの。だから、新入り同士だし、トワリスちゃんとは一度、話してみたいって思ってたのよ」
「そ、そうなんだ……」
リリアナの勢いに押されつつも、彼女の屈託のない笑みを見ている内に、トワリスも、だんだんと言葉が出てくるようになった。
いきなり距離を詰められると、いつも萎縮して、うまく話せなくなってしまうトワリスであったが、リリアナは、そういう緊張などほぐしてしまう、気のおけない雰囲気の少女であった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.72 )
- 日時: 2018/11/06 19:13
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、微かに表情を和らげた。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。私、口下手だから、なかなか話せる相手、いなくて……」
「えっ、そうなの?」
リリアナは、驚いたように目を大きくした。
「私、てっきりトワリスちゃんは、あえて一人でいるんだと思ってたわ。大勢で騒いだりするより、静かに本を読んだりする方が、好きなのかなって。それもあって、私、今まで声をかけられなかったの」
「まあ、確かに、騒いだりするのはあんまり好きじゃないけど……。別に、一人が好きな訳でもないよ」
言いづらそうに言葉を選びながら、トワリスは、ゆっくりと話した。
「私、これまで同年代の子と沢山しゃべったことなんてなかったし、何を話したら良いのか、分からないんだ。皆も、獣人混じりなんかと話すのは、抵抗があるだろうし……」
口ごもりながら言うと、リリアナは、ぱちぱちと瞬いた。
「獣人混じり……? それは、そんなに関係ないんじゃないかしら。ルトだって、からかう口実にしているだけで、獣人混じりだってこと自体は、多分そんなに気にしてないもの。それよりは、さっき言った通り、トワリスちゃんは一人が好きだって勘違いされているだけだと思う。それにほら、トワリスちゃんって、いっつも、難しそうな本ばかり読んでいるでしょう? 文字が読めない私達からすると、あんな本読めてすごいなぁって思うのと同時に、ちょっと近寄りがたく感じちゃうのよ」
リリアナは明るい声で言ったが、トワリスは、それに同調することはしなかった。
実際、レーシアス邸の者達も、トワリスが獣人混じりだと聞いても、珍しがるだけで敬遠しようとはしなかった。
それでも、獣人混じりという異質な存在を、好奇や侮蔑の眼差しで見てくる人間は、確かにいるのだ。
それは、奴隷だった頃に散々思い知ったことであったし、サミルやリリアナが何と言ってくれようとも、変わらぬ事実であった。
あまり暗い雰囲気にならないように、薄く笑みを浮かべると、トワリスは肩をすくめた。
「そうやって、関係ないって言ってくれるのは、ごく少数の人間だけなんだよ。普通は、びっくりするし、気味悪いって思うみたい」
「うーん……そうなのかなぁ?」
リリアナは、どこか納得がいかなさそうに、唇を尖らせた。
しかし、不意にぱっと顔を輝かせると、トワリスに顔を近づけた。
「ああ、でも、さっきトワリスちゃんが、球をとりに屋根までひとっ跳びしちゃったときは、びっくりしたわ! だって、本当にすごかったんだもの。まるで風に乗ってるみたいに、ぴょーん、ぴょーんって! あ、でもそれは、感動したって意味のびっくりよ。気味悪いだなんて、思うはずないじゃない。むしろ、羨ましいくらいよ」
「そ、そうかな……」
思わぬ部分を賞賛されて、少し戸惑ったように聞き返すと、リリアナは、こくこくと何度も頷いた。
「そうよ! だって、あんなに高く跳べる女の子って、他にいる? 私、普通の人が出来ないことを出来るのって、とっても素敵なことだと思うわ」
随分と単純で、短絡的な言い分であったが、リリアナの言葉は、自分でも驚くほど簡単に、胸の中に落ちてきた。
きっと、リリアナ以外の者が同じ言葉を言っても、ここまで心に響かなかっただろう。
羨ましいだなんて言われたら、獣人混じりの苦悩も知らないくせに、と腹立たしく思ってしまうこともありそうなものだが、不思議と、リリアナに対しては、そういった憤りも感じなかった。
むしろ、腹の底に何もない、純粋で無邪気なリリアナの笑みを見ていると、いつの間にかトワリスも、笑顔になっていたのだった。
トワリスの表情が綻んだのを見ると、リリアナも、嬉しそうに口を開いた。
「ね、同い年なんだし、トワリスって呼んでもいい? 私たちのことも、リリアナとカイルって呼んで良いから」
「う、うん……」
ぎこちなくも頷けば、リリアナの目が、ぱっと輝く。
リリアナは、握っていたトワリスの手を持ち直すと、ぶんぶん振り回した。
「それなら、今日から私達、友達ね! 仲良くしてちょうだいね!」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.73 )
- 日時: 2018/11/10 19:15
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
第一印象に違わず、話してみればみるほど、リリアナは明るく、優しい心の持ち主であった。
多少そそっかしい部分があったので、彼女に付き合っていると疲れることも多かったが、その無邪気な笑顔を見ていると、不思議と嫌な気はしなかった。
日中は、相変わらず勉強ばかりしているトワリスであったが、出会った日からは、リリアナと一緒に過ごす時間も多くなっていた。
北方の小さな村で育ったというリリアナは、二年前に起きた大規模な山火事に家を焼かれ、その際に両親を亡くし、残された弟のカイルと共に、アーベリトに引き取られたようだった。
だが、そんな重い過去など微塵も感じさせないほど、リリアナは快活で素直な性格であったし、その火事で負った怪我が原因で、車椅子での生活を余儀なくされていたが、そのせいで周りに気兼ねさせるようなこともなかった。
リリアナはきっと、無邪気で子供っぽい反面、本当は誰よりも思いやりがあって、相手の感情を読み取るのが上手な子なのだ。
トワリス同様、東区の孤児院には来たばかりだと言っていたのに、あっという間に周囲と仲良くなってしまうリリアナのことは、純粋に尊敬できたのだった。
「へえー、じゃあトワリスは、将来は魔導師になりたいのね!」
「……うん」
一体なぜ魔導書なんか読んでいるのかと問うてきたので、魔導師になりたいのだと答えると、リリアナは、感嘆の声をもらした。
「魔導師になりたいなんて、トワリスって頭良いのね。だって魔導師になるのって、すっごい大変なんでしょ? 試験受けても、大半は落ちちゃうって聞いたことあるわ」
「え、そうなの?」
リリアナの言葉に、トワリスが瞠目する。
いつものように、昼下がりの中庭で、長椅子に腰かけていたトワリスの顔を覗きこむと、リリアナは、ぱちぱちと瞬いた。
「そうなの、って、知らなかったの? 魔導師とか、騎士を目指す人は、基本的に貴族出なのよ。お金持ちで、小さい頃から沢山勉強したり、戦う訓練を受けたりした人達が、毎年行われる試験に合格して、ようやく入団できるの。平民で、しかも女の子が目指すっていうのは珍しいことだし、入団したあとも、厳しい訓練は続くから、とっても大変なんだって聞いたことあるわ」
「…………」
黙りこんだトワリスの顔が、徐々に青くなっていく。
リリアナは、はっと口をつぐむと、ぶんぶんと両手を振った。
「あ……ご、ごめんね! 脅かすつもりじゃなかったの! つまり、私が言いたかったのは、目指すだけでもすごいなってことで!」
「……ううん、いいよ。教えてくれて、ありがとう。……私、何も知らないから」
トワリスは、読んでいた魔導書を閉じて、ぎゅっと抱え込んだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.74 )
- 日時: 2018/11/13 18:59
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「魔導師になりたいって言っても、別に魔術が得意なわけじゃないんだ。ただ、女じゃ騎士団には入れないから、それなら魔導師になろう、って考えただけで……。むしろ、獣人混じりって、普通の人間より魔力量が少ないらしいし、正直なところ、向いてないんだと思う。そもそも、試験を受けるためのお金がないし、予備知識もないから、試験で何を問われるのかも分からないし……」
溜めていた息を長々と吐き出して、トワリスがうつむく。
落ち込んだ様子のトワリスに、リリアナは、眉を下げて尋ねた。
「召喚師様は、何か教えてくれなかったの? トワリスって、ここに来る前は、サミル先生のお屋敷で暮らしてたんでしょ? 召喚師様なら、魔導師団で一番偉い人だし、何か知ってるんじゃないかしら」
トワリスは、小さく首を振った。
「文字の読み書きとか、簡単な魔術は教わったけど、それ以外は聞いてないよ。何か教わってたとしたら、不正になっちゃうもん。それに、私が魔導師団に入りたいって言ったとき、ル……召喚師様は、女の子なのに危ないよって止めてきたから、別に私のこと、応援してくれてるわけじゃないんだと思う」
「まあ確かに、危ないっていうのは頷けるけど……」
悩ましげに唸りながら、リリアナが腕を組む。
トワリスも、つかの間、暗い表情で下を向いていたが、やがて、ふと目線をあげると、その瞳に強い光を宿した。
「……危なくても、向いてなくても、とりあえず試すだけ試してみたいんだ。魔術は得意になれないかもしれないけど、私は獣人混じりだから、身体は頑丈だし、戦うこと自体は出来るようになると思う」
ふと、レーシアス邸で、襲撃があった夜のことを思い出す。
襲ってきた刺客の刃を、トワリスは、確かに目で捉えることが出来ていた。
恐怖から顔を背けず、立ち向かっていけば、己の速さと力は、きっと通用するのだ。
トワリスは、そう確信していた。
魔導書を抱く腕に力をこめて、トワリスは言った。
「……どんな形でも良いから、陛下や召喚師様に、恩返ししたいんだ。召喚師様の仕事は、国を護ることだって言ってたから、それならやっぱり、魔導師を目指すのが良いんだと思う。戦えるようになれば、確実に、召喚師様の力になれる」
揺らがぬ瞳でそう語るトワリスを、リリアナは、しばらくじっと見つめていた。
ややあって、感心したように息を吐くと、リリアナは言った。
「トワリスって、本当に召喚師様のことが大好きなのね。召喚師様の話をするときは、表情がきらきらしてるもの」
一瞬、虚をつかれたような表情で、トワリスが瞬く。
それから、微かに頬を紅潮させると、トワリスはこくりと頷いた。
「……うん」
リリアナは、安堵したように肩をすくめると、くすくすと笑った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.75 )
- 日時: 2018/11/17 18:40
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
「そんなに魅力的な人なら、私も召喚師様に会ってみたいわ。サミル先生とは何度もお会いしたことあるんだけど、召喚師様のことは、一度も見たことがないの。この孤児院でも、ユタとモリンは、召喚師様と実際に会って話したことがあるらしいんだけどね。本当に髪と瞳が銀色で、すごく綺麗な人だったって言ってたわ」
リリアナの言葉に、トワリスは、ぱっと表情を明るくした。
まるで自分のことを褒められたかのように、照れたように笑むと、トワリスは返した。
「優しい人だよ。私のことも、助けてくれたんだ。それだけじゃなくて、忙しいのに、いろんなことを教えてくれたし……」
興奮したように話すトワリスに、リリアナも目を輝かせる。
頬に手をあて、夢見心地にうっとりと目を閉じると、リリアナは言った。
「そういうのって、とっても素敵ね。いいなぁ、私にも、かっこいい王子様が現れないかしら……」
「王子様? 召喚師様は、王族じゃないよ」
すかさず突っ込んできたトワリスに、リリアナは、おかしそうに答えた。
「違う違う、本当の王子様ってわけじゃなくて、自分にとっての運命の相手ってことよ。女の子には、必ず運命の糸で結ばれた、かっこいい王子様が現れるのよ。そして出会った瞬間、二人は恋に落ちるの!」
「そ、そうなの……?」
うきうきとした顔つきで話し始めたリリアナに、トワリスが一歩引く。
すると、リリアナは眉を寄せて、不満げな声をあげた。
「あーっ、ひどい! トワリス今、私のこと馬鹿にしたでしょ!」
「い、いや、馬鹿にしたわけじゃないけど……。ていうか、私のは別に、恋とか、そういうのじゃないし。ただ私が、一方的に召喚師様に憧れてるだけで……」
ぼそぼそと口ごもりながら、トワリスが目を伏せる。
リリアナは、車椅子から上半身を乗り出すと、妙に誇らしげに言った。
「恋かどうかも分からないなんて、トワリスってばお子様ね! いいもん、私が先に、かっこよくて優しくて、強くて頼り甲斐のある王子様を見つけて、証明するんだから。カイルだってじきに、誰よりも素敵な王子様に成長するに違いないわ。そうしたら、ちゃんと運命の女の子を迎えに行くのよ。分かった、カイル?」
突然話の矛先を向けられても、カイルは、顔色一つ変えない。
リリアナの車椅子に寄りかかって、大人しく座り込んでいたカイルは、ちらりとこちらを見ただけで、なにも言わなかった。
時々、いるのかいないのか分からなくなるほど、カイルは静かな子供であった。
最初は、二歳児ってこんなものなのだろうか、なんて思ったこともあったが、孤児院の同じ二歳児たちを見る限りは、そんなことはない。
他の子供たちは、すぐ泣くし、すぐ騒ぐし、何に対しても嫌だ嫌だと駄々をこねるのが常だ。
それに比べてカイルは、基本的にリリアナのそばで落ち着いていることが多かったし、泣いているところも見たことがなかった。
姉であるリリアナのほうが、よっぽど騒々しいし、幼いと言っていい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.76 )
- 日時: 2018/11/21 19:17
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: tDpHMXZT)
トワリスは、苦笑した。
「カイルがいなくなったら、リリアナ、寂しくて泣いちゃうんじゃないの?」
それを聞くと、リリアナは眉をあげて、ふんぞり返った。
「あら、失礼しちゃう! そりゃあ確かに、カイルがいなくなっちゃったら寂しいけど、それで泣いたりなんかしないわよ。泣くとしたら、嬉し涙だわ。カイルが誰かと結ばれたら、私はお姉ちゃんとして、喜んでお祝いするんだから!」
力説するリリアナに、トワリスは苦笑を深めた。
「そうかな。お祝いしたあと、やっぱり寂しいわーって、絶対泣きついてくると思う」
「なによ、トワリスったら生意気!」
ぷっと頬を膨らませると、リリアナがトワリスを睨み付ける。
リリアナの緑色の目を睨み返して、その膨らんだ頬を摘まむと、ぶふっと音がして、リリアナの口から空気が抜けた。
二人は、そのまま睨みあっていたが、ややあって、同時に吹き出すと、けらけらと笑い合った。
乗り出していた上半身を戻すと、リリアナは、トワリスから目線を外して、言った。
「でも本当に、私たち、これからどうなるのかしらね。十年後、二十年後……どこで、何をしているんだろう? それこそ、さっきの話に出てきたような、素敵な王子様が現れて、その人のお嫁さんになってるのかな、なんて……時々、考えたりするわ」
リリアナにしては珍しい、静かな口調。
トワリスは、リリアナの声音が急に暗くなったような気がして、首をかしげた。
「……リリアナ、どうしたの?」
「…………」
問いかけても、返事はなかった。
前を向いたまま、ふわりと微笑すると、リリアナは口を開いた。
「トワリスは、きっと大丈夫ね。毎日、こんなに頑張ってお勉強してるんだもの。試験にも受かって、立派な魔導師になって、召喚師様の右腕になってるわよ」
リリアナらしい、前向きな言葉だ。
けれど、その言葉のどこかに、寂しさのようなものが含まれているように感じて、トワリスは瞠目した。
「……リリアナ?」
「私、応援してるね」
トワリスの言葉にかぶせるように、リリアナが告げる。
その視線の先には、中庭を駆けずり回る、孤児院の子供たちの姿があった。
強く蹴りあげられた球が、ぽーんと弧を描いて、宙を飛ぶ。
わっと声をあげて、跳んでいった球を追いかける子供たちを、リリアナは、羨ましそうな瞳で、じっと見つめていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.77 )
- 日時: 2018/11/25 18:06
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: jX/c7tjl)
その夜、夕飯を終えると、トワリスは孤児院で与えられた自室に戻った。
基本的に、子供たちは皆、二、三人ずつに一部屋を割り当てられ、共同で生活をしていたが、トワリスは、他に空き部屋がないという理由で、新しく一人部屋をもらっていた。
燭台に炎を灯すと、トワリスは、文机の椅子に腰かけた。
揺れる明かりを手繰り寄せて、広げた魔導書の文面を照らす。
記載された古語の並びを目で追いながらも、トワリスは、昼間のリリアナの姿を思い出していた。
──トワリスは、きっと大丈夫ね。
どことなく、寂しそうにそう言っていたリリアナ。
表情こそ笑っていたが、あんな風に沈んだ彼女の声を聞いたのは初めてであったから、妙に耳に残っている。
(……リリアナ、本当は不安だったのかな)
トワリスは、ふうと息を吐くと、椅子の背もたれに寄りかかった。
いつも明るく笑っているから、あまり意識したことがなかったが、よく考えれば、リリアナは自力で歩けないのだ。
親が亡く、自分で歩くこともできない子供は、これから先、どうやって生きていくのだろう。
孤児院を出た子供たちは、仕事を見つけて生活していく場合がほとんどであるが、車椅子でしか移動ができないリリアナが、誰の補助もなく出来る仕事なんて限られている。
弟のカイルだって、まだたったの二歳だ。
とても働いて稼げるような年齢ではない。
(……リリアナの脚は、もう二度と動かないんだろうか)
魔導書の頁をぱらり、ぱらりと捲りながら、トワリスは眉を寄せた。
レーシアス邸から借りてきた魔導書は、全部で三冊。
どれも、一冊抱えれば両腕が一杯になってしまうほど分厚くて重かったが、それらのどこにも、医療魔術に関する詳しい記述はなかった。
書かれているのは、火や水、風などの自然物を操る魔術についてばかりだ。
医療魔術は発展的な内容だから、もっと専門的な魔導書にしか載っていないのだろうか。
それとも、医療魔術と呼ばれるものは、そもそも自然物を操る魔術の応用か何かなのだろうか。
どちらにせよ、今、トワリスの頭にあったのは、なんとかリリアナの脚を治せる魔術を使えないだろうか、ということであった。
まだ基礎的な魔術も覚えきれていない自分が、医療魔術なんて使えるとも思えないが、何かの糸口でも見つかれば、それでいい。
治せる方法があるかもしれない。
そう分かるだけで、リリアナの気持ちも少しは楽になるはずである。
魔導書を三冊、同時に文机の上に広げると、トワリスは、引き出しから羽ペンとインク壺を取り出した。
リリアナは、火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったのだと言っていた。
つまりは、その怪我が完全に治ってしまえば、再び歩けるようになる、ということである。
羽ペンとインク壺を机の端に置くと、トワリスは、素早く魔導書の頁を捲りながら、目ぼしい魔術を探した。
(怪我を治すんだったら、どんな魔術がいいんだろう。……自己治癒力を高めるとか、薬の効能を高める、とか……?)
そこまで考えて、トワリスは、頭の中の思考を振り払った。
魔術といえど万能ではないし、優れた施術方法や薬剤はあれど、魔術によって短時間で身体が回復する、ということはないのだろう。
思えば、トワリスがレーシアス邸で治療を受けていた時も、なにか特別な魔術をかけられた記憶はない。
沢山寝て、食べて、傷には薬を塗布していたくらいだ。
それでもまだ、受けた傷痕や、背中に刻まれた奴隷印などはくっきりと残っているし、今後一生、それらは消えないだろう。
サーフェリア随一の医師と言って良いサミルやダナですら、完全には治せないのだ。
きっと、医療魔術が使えたって、出来ることには限界があるし、受けた傷を治すというのは、それだけ難しいことなのだ。
(私には、無理かなぁ……)
やりきれない思いが込み上げてきて、トワリスは、深くため息をついた。
まだまだ素人同然とはいえ、仮にも、魔術を学ぶ身になったわけだから、自分もルーフェンのように、魔術を使ってリリアナを助けてあげられたら、なんて思っていたのだが、現実はそう甘くないようだ。
考えてみたところで、リリアナを本当の意味で笑顔にできそうな魔術は浮かばない。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.78 )
- 日時: 2018/11/30 17:50
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: GudiotDM)
トワリスは、魔導書を捲る手を止めると、頬杖をついた。
諦め半分な気持ちで、魔導書に挟んでいた栞を手先で弄ぶ。
その栞に閉じ込められた、黄色い押し花を眺めながら、トワリスは、長い間ぼんやりとしていた。
蝋燭の蝋がじわりと溶けて、燭台の受け皿に垂れる。
明かりに照らされて、赤にも橙にも染まる栞の押し花を見ている内に、トワリスは、不意に不思議な感覚に襲われた。
(蘇らせる、なら……?)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
思い付いた、というよりは、じわじわと身体の芯から沸き上がってきたような、奇妙な感覚であった。
リリアナの脚は、動かない。
一度動かなくなってしまったものを、再び自らの意思で動くように治すというのは、つまり、死んでしまったものを、生き返らせるのと同義ではないか。
(……例えば、この栞の押し花を、元の生きた状態に戻せる魔術があれば……)
全身に、鳥肌が立った。
怪我を治療するだけの魔術すら思い付かないのに、死んだものを生き返らせるなんて──そんな魔術、あるはずがない。
仮にあったとしても、自分に使えるわけがない。
そう思うのに、どうしてか、この魔術なら出来るような気がした。
まるで、心の内で、何者かが「お前ならやれる」と、そう囁いているかのようだ。
先程取り出した羽ペンを手に取ると、トワリスは、ただ脳裏に浮かんだ魔法陣を、素早く白紙に描き上げた。
異様な経験であった。
誰に教えてもらったわけでもない。
まだ魔導書を見ながらでないと、簡単な魔術も使えない自分が、知りもしない蘇生魔術の魔法陣を、さらさらと描いている。
自分は、誰かに操られているのではないかと、そう思うほどに、手が勝手に動くのだ。
──気味が悪い。
そう感じる一方で、トワリスは、手が震えるほどに興奮していた。
今から、強大な魔術を使おうとしているのだという、高揚感。
それは、得体の知れないものに触れようとしている不安や躊躇いよりも、遥かに強いものであった。
描き上げた魔法陣の上に栞の押し花を置いて、魔力を高める。
全身の力を注ぎ込むように、栞の上に手をかざすと、トワリスは、自然と唇を動かしていた。
「──汝、後悔と悲嘆を司るものよ。
従順として求めに応じ、我が元に集え……!」
瞬間、かっと手元が熱を帯びて、あまりの熱さにかざしていた手を引く。
同時に、魔法陣から強烈な光が噴き出したかと思うと、平らに横たわっていたはずの押し花が、栞の土台を巻き込むように根を伸ばし、息を吹き返した。
「──……」
トワリスは、言葉を失って、長い間呆然としていた。
しかし、やがて、文机に根付いて開花した、瑞々しい黄色い花びらに触れると、ごくりと息を呑んだ。
(……でき、た……)
何度も、確かめるように、花びらに触れる。
そうしている内に、トワリスの全身に、痺れるほどの強烈な喜びが這い上がってきた。
(すごい、できた……! 思った通り! 私にも、こんな魔術が使えるんだ……!)
──その時だった。
突然、ぱたぱたっと、金臭いものが胸元に垂れた。
驚いて、視線を落とせば、服に点々と血がついている。
「え……」
思わず声を出すと、途端に喉に熱いものがせり上がってきて、トワリスは、その場で喀血(かっけつ)した。
ごほごほと咳き込んで、口元を手で押さえれば、掌が真っ赤に染まる。
その掌も、火傷したように皮膚が爛れていること気づくと、その瞬間、トワリスの頭は、水を打ったように冷静になった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.79 )
- 日時: 2018/12/04 20:01
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
(なに、これ……?)
慌てて手拭いを用意して、顔全体を覆う。
痛みなどはなかったが、鼻からも、口からも、鮮血は流れ出ているようであった。
少しずつの出血ではあったが、なかなか血が止まらないので、トワリスの心は、徐々に恐怖に支配されていった。
先程までの、滾(たぎ)るような興奮は消えて、ただただトワリスは、恐ろしさに震えてうずくまっていた。
このまま血が流れ続けたら、死んでしまうかもしれない。
部屋にこもっていないで、助けを呼んだ方が良いだろうか。
そんなことを考えながら、トワリスは、手拭いに顔を埋めていた。
しばらくして、ふと顔をあげると、いつの間にか、出血は止まっていた。
安堵したのと同時に、全身の力が抜けて、がっくりと床の上に倒れこむ。
そのままトワリスは、じっと目を閉じていたが、ふと立ち上がると、誰にも気づかれないように共同の洗い場に向かい、顔や服についた血を落とした。
深夜の真っ暗な廊下なんて、いつもなら、手燭なしでは出られない。
だが今は、暗闇に対する恐怖よりも、誰かに見られたくないという思いと、自分は一体何をしてしまったのだろうという狼狽が勝っていた。
結局トワリスは、その夜にあった出来事は、孤児院の誰にも話さなかった。
孤児院には、魔術を使える者などいないから、話しても分からないだろうし、何より、自分はきっと、無意識に手を出してはならない魔術に触れてしまったのだと自覚していたから、それが怖くて、言い出せなかった。
幸い、その日以降、トワリスの身体に不調は表れなかった。
掌の火傷は、リリアナやヘレナに心配されたが、うっかり熱した鍋を触ってしまったのだと説明して、誤魔化した。
後で調べて知ったことだが、トワリスが使った魔術は、俗に言う、禁忌魔術というものであった。
その危険性から、発動することを一切禁止された、古の魔術のことだ。
禁忌魔術は、主に『時を操る魔術』と『命を操る魔術』の二種類に大別される。
生物ではなくとも、トワリスが行おうとした“一度枯れた植物を蘇らせる”魔術は、命を操る魔術の一種であったのだ。
禁忌魔術は、強力である一方で、術者の身体に相応の代償を払わせる危険なものだ。
そのことを、まだ知識の浅い十二のトワリスは、知らなかったのである。
研究されることも禁じられているため、その多くは謎に包まれているが、知識などなくとも、人間が触れてはならない何かだということは、確かに感じ取れた。
今回は、押し花を蘇らせる程度の魔術であったから良かったものの、もし同じ魔術を、人間に使っていたら、一体どれくらいの代償を払うことになっていたのだろう。
おそらく、火傷や出血だけでは済まなかったはずだ。
トワリスは、まるで誰かに誘導でもされたかのように、蘇生魔術を使ってしまった。
魔力も少なく、無知なはずの自分が、どうして──。
なぜ、知らないはずの禁忌魔術が使えたのか。
考えてみたところで、謎が多すぎて怖くなるばかりであったが、トワリスが一番恐ろしかったのは、押し花を蘇らせたあの時、自分の胸の中にあったのは、強い喜びだったということであた。
リリアナを助けられるかもしれないなんて、そんな純粋な喜びではない。
花が再生したのは自分の力だと錯覚し、酔いしれて、禁忌魔術の強大さに、一瞬でも魅了されてしまったのだ。
それ以来トワリスは、魔導書に載っている魔術以外は、使わないと決めた。
少なくとも、魔導師になるという夢が叶うまでは──ちゃんとした知識と技術を身に付けるまでは、無闇に使うべきではないと思ったのである。
当然、得手不得手はあるだろうし、サーフェリアでは、魔術を使えない者の方が多い。
しかし、ルーフェンの言う通り、魔力とは人間なら皆が持っているものであり、きっと、思っているよりもずっと、魔術は簡単に使えるものなのだ。
そう、簡単に使える──だからこそ、恐ろしいのである。
血で汚れた顔や衣服を綺麗にすると、トワリスは、胸を押さえて、寝台にもぐりこんだ。
気味が悪いほどの静寂に耐えて、きつく目をつぶっていたが、気づけば、窓から光が透き射して、小鳥の囀りが聞こえ始めていた。
その夜、トワリスは、一睡もすることできなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.80 )
- 日時: 2018/12/08 18:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 4IM7Z4vJ)
「──リス! トワリス!」
肩を軽く揺すられて、トワリスは、はっと意識を浮上させた。
目を開けば、心配そうな顔つきのリリアナが、こちらを覗き込んでいる。
慌てて椅子に座り直すと、トワリスの膝から、ばさりと魔導書が落ちた。
どうやら、食堂で座って、魔導書を読みふけってある内に、居眠りをしていたようだ。
食堂は薄暗く、がらんとしており、トワリスとリリアナ、カイルの三人しかいなかった。
夜になれば灯るシャンデリアも、今は蝋燭が並ぶだけの飾りである。
今日は、朝から雪が積もったというので、子供たちは皆、外に飛び出していた。
だから、孤児院に残っているのは、数名の職員と、理由があって寒空には連れていけない子供たちだけだ。
こんなに静かな孤児院は、トワリスが来た日以来であった。
リリアナは、呆れ顔になった。
「トワリスったら、最近具合が悪そうね。お勉強を頑張るのは立派だと思うけど、無理をすると、身体を壊しちゃうわよ?」
「……うん、ごめん」
霞んだ目を擦りながら、落ちた魔導書を拾う。
少し怒った様子で眉をつり上げるリリアナに、素直に謝ると、トワリスは、魔導書を大事そうに抱えこんだ。
押し花を蘇らせるなどという、奇妙な魔術を経験してから、既に数日が経っていた。
あれ以来、少し魔術を使うことに慎重になっていたトワリスであったが、リリアナの脚を治せる方法がないか探ることは、やめていなかった。
魔術を学ぶ片手間でも、色々探って試してみることは、決して無駄にはならないと思ったからだ。
結果として、最近は寝る時間を削ることになっていたので、具合が悪いのではなく単純に眠いだけなのだが、そんなことを知らないリリアナは、トワリスのことが心配らしい。
寝不足なだけだから大丈夫だと伝えても、リリアナは、表情を曇らせるばかりであった。
トワリスが、懲りずにまた魔導書を読み始めようとすると、リリアナが、すかさず口を出した。
「ちょっと、人の話聞いてた? 無理しちゃ駄目だって言ってるのに」
むっとしたリリアナが、トワリスの頬をつねる。
トワリスは、リリアナの手を外すと、魔導書から目をそらさずに答えた。
「私は大丈夫だってば。少し寝不足なだけだよ」
「寝不足なだけ、って……」
頑として聞き入れようとしないトワリスに、リリアナが肩をすくめる。
深々と息を吐くと、諦めた様子で、リリアナは魔導書を覗きこんだ。
「そんなに夢中で、なんの魔術を勉強してるの?」
「それは──」
うっかり答えようとして、口を閉じる。
成功する確率の方がずっと低いのに、リリアナの脚を治せる方法を探しているのだ、なんて言うのは、なんだか無駄に期待させてしまいそうで、申し訳なかった。
わざわざ恩着せがましく、打ち明ける必要はないだろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.81 )
- 日時: 2018/12/21 06:22
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
リリアナは、しばらく返事を待っていたようだが、やがて、トワリスが何も言う気はないのだと悟ると、不機嫌そうにそっぽを向いた。
「言いたくないなら、もういいわ。私、魔術のことはよく分からないし。お勉強の邪魔もしない。行こ、カイル」
「…………」
刺々しい口調で言って、リリアナがカイルの手を握る。
彼女が怒ってしまったのは分かったが、誰かと喧嘩をした経験もなかったので、うまく引き留める言葉も出てこなかった。
こういうとき、自分が口下手であることが嫌になる。
リリアナたちは、食堂を出ていってしまうかと思われたが、それは叶わなかった。
リリアナが手を引いたにも拘わらず、カイルが動かなかったからだ。
「……カイル、どうしたの?」
問いかけてみるも、カイルはトワリスを見つめるばかりで、返事をしない。
あまりにも凝視されているので、思わず緊張して、トワリスもカイルの顔を見た。
こんなにまじまじとカイルを眺めたのは、初めてである。
カイルは、リリアナの手を振りほどくと、おぼつかない足取りで、トワリスの元に歩いていった。
そして、トワリスの手から魔導書を奪うと、何を思ったのか、突然それをトワリスに投げつけた。
「いたっ」
飛んできた魔導書が腹部に直撃して、思わず声をあげる。
カイルの腕力では、魔導書を完全に持ち上げることは出来なかったが、それでも、重量感のある魔導書が落ちてきたわけだから、それなりの衝撃があった。
トワリスが驚いて硬直していると、再び魔導書を投げようとしたカイルを止めたのは、リリアナだった。
「ちょっ、カイル、なにやってるの!」
慌ててカイルの腕を引き、トワリスから遠ざける。
リリアナは、カイルの顔を両手ではさむと、声を荒らげた。
「人の物を投げるなんて、駄目でしょ! どうしてそんなことしたの!」
「…………」
叱りつけるも、カイルはぶうたれた表情で黙っている。
カイルがリリアナに反抗的な態度をとるところなんて、今まで見たことがなかった。
リリアナは、険しい表情でカイルを睨み付けていたが、すぐにトワリスの方に振り返った。
「トワリス、大丈夫!? 痛かったでしょう、ごめんね!」
「う、うん……平気だよ」
腹を擦りながら、ひとまず魔導書を食卓に置く。
怒りというよりは、あの落ち着いたカイルが物を投げてきたことが意外で、トワリスは、首をかしげた。
「……カイル、私、なんかした?」
「…………」
カイルの目線に合わせて屈み、問いかける。
しかしカイルは、トワリスを見ることもなく、不機嫌そうな顔つきのままだ。
その表情が、すべてを物語っているようだった。
カイルはしばらく、無言でうつむいていた。
だが、やがて、トワリスを突き飛ばすと、食堂からとび出していった。
「カイル!」
急いで追いかけようと、リリアナが車椅子の車輪に手をかける。
しかし、突き飛ばされたトワリスのほうも、放っておけないと思ったのだろう。
振り返ったリリアナに、トワリスは、大丈夫だという風に手を振って、立ち上がった。
「……カイル、きっと怒ったんだよ。私がリリアナに冷たくしたから」
苦笑混じりに言うと、リリアナは瞠目した。
「冷たくって……確かにお互いむっとしちゃったけど、そんな、喧嘩したわけでもないのに」
「それでも、カイルにはそう見えたんだよ。多分、私が、お姉ちゃんをいじめる悪者に見えたんじゃないかな」
微笑ましそうに目を細めて、トワリスが言う。
するとリリアナも、呆れ半分、嬉しさ半分といった表情になった。
トワリスは、つかの間、口を閉じていた。
だが、ふと決心したように目線をあげると、リリアナに向き直った。
「……ねえ、カイルのことは、ヘレナさんたちに任せて、少し外で話せないかな」
リリアナが、ぱちぱちと瞬く。
窓から、雪がこんこんと降りしきる外を眺めると、リリアナは眉を下げた。
「話すのは構わないけど、外に行くの? 私、車椅子だから、雪道は歩けないわ」
トワリスは、微かに表情を和らげると、言った。
「私がおぶるから、大丈夫。さっき、何の魔術を勉強してるのかって、聞いたよね。それを教えるから、ちょっとの間、付き合ってほしいんだ」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.82 )
- 日時: 2018/12/16 19:32
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
ヘレナたち職員の許可を得て、孤児院から出ると、外は一面の雪景色であった。
今朝雪掻きをしたばかりの道にも、既にうっすらと雪が積もっている。
防寒用の革の長靴を履き、分厚い毛皮の外套を纏っても、長時間外にいると、腹の底が震えてくるような寒さだった。
トワリスは、リリアナを背負って、孤児院の裏手にある林まで歩いていった。
夏場は涼しいからと、子供たちにも人気の庇陰林(ひいんりん)であったが、冬は薄暗いし、裸になった木々が不気味にざわめいて怖いというので、ほとんど人が寄り付かない場所だ。
トワリスは、林の奥の方まで行くと、露出していた手近な木の根に、リリアナを座らせた。
「こんなところまで来るってことは、人に聞かれたくない話なの?」
きょろきょろと周りを見回しながら、リリアナが尋ねる。
トワリスは、すぐ傍にあった木の幹に触れながら、答えた。
「聞かれたくない、ってわけじゃないんだけど、孤児院の人達を、びっくりさせちゃ悪いと思って」
「びっくり?」
首をかしげたリリアナに、トワリスが眉を下げる。
触れていた木の幹に、とんとん、と何度か爪先をぶつけると、トワリスは、数歩後ろに下がった。
「ちょっと、見てて」
言うや否や、トワリスは姿勢を低くすると、ずんっと力強く雪を踏みしめ、駆け出した。
木めがけて助走をつけると、左足を軸に、一気に右足を回転させる。
力一杯、トワリスが幹を蹴りつければ、瞬間、地面が揺れるほどの衝撃が広がって、リリアナは思わず肩を震わせた。
木の枝々に積もっていた雪が、どさどさと落ちる。
同時に、トワリスが蹴り飛ばした木が、ぎしぎしと軋むような音を立て始めたかと思うと、ゆっくりと傾いていき、やがて、雪の上に倒れた。
倒れた木の幹は、リリアナが両腕を伸ばしても、抱え込めるか、抱え込めないかくらいの太さがあった。
特別太いわけではないが、決して細くもない。
樵(きこり)が全力で斧を振るっても、一撃では折れないだろう。
トワリスは、それを蹴り一つで倒してしまったのである。
目の前で起こった出来事が信じられず、リリアナは、しばらくぽかんと口を開いたまま、硬直していた。
トワリスは、そんなリリアナの顔を覗き込むと、心配そうに言った。
「……ごめん、怖かった?」
「こ、怖い、というか……」
ゆっくりとトワリスの方を向いて、ぱくぱくと口を開閉させる。
リリアナは、トワリスと、倒れた木を交互に見やると、ようやく言葉を紡いだ。
「……すごい、驚いたわ……。獣人の血が入ってると、そんなに力が強くなれるものなの?」
興奮が混じったような声で、リリアナが問う。
木を蹴り飛ばして折るなんて、いくらリリアナでも気味悪がってしまうかもしれないと懸念していたが、どうやら杞憂だったらしい。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.83 )
- 日時: 2018/12/19 18:46
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、苦笑した。
「まさか。本物の獣人は知らないけど、私は、普通の人間より少し身体能力が優れてるくらいだよ。今のは、私の力じゃなくて、魔術なんだ」
「魔術? 蹴っ飛ばすのが?」
眉を寄せたリリアナに、トワリスは頷いた。
「単純に、脚に魔力を込めたんだよ。魔力っていうのは、生物がもつエネルギーみたいなものだから、この力を、例えば枝に込めて、浮かべって命令すれば浮かぶし、折れるように命令すれば、折れる」
言いながら、トワリスは、雪に埋もれていた枝切れに手を向けると、指をひょいと動かした。
すると、その指の動きに合わせ、枝が宙に浮かび上がる。
くるくると回った後、トワリスがぎゅっと拳を握ると、枝は呆気なく折れて、再び雪の中に落ちた。
「命令は、別にしなくても良いんだ。枝は、動こうという意思を持たないから、こっちが命令しないと動かないけど、私の脚みたいに、元から動く力が備わっているものは、命令しなくても動けるし、込めた魔力は、力そのものになる。つまり、脚に魔力を込めて蹴っ飛ばせば、普通より、ずっと威力が強くなるってこと」
感心した様子で話を聞いているリリアナに、トワリスは向き直った。
それから、微かに目を伏せると、辿々しい口調で言った。
「だから、その……この原理を使えば、リリアナは、また歩けるようになるんじゃないかな、って思って……」
「え……」
リリアナが、大きく目を見開く。
トワリスは、顔をあげると、リリアナに一歩近づいた。
「他人の魔力に干渉すると、違う波長同士がぶつかり合って、拒絶反応が出ちゃうらしいんだけど、私がリリアナの脚に魔力を込めるだけなら、簡単にできると思うんだ。魔力を込めれば、怪我の後遺症で弱った脚でも、歩くだけの力を持てるかもしれない。あとは、リリアナが歩こうとすれば、脚が動く可能性だって、十分あると思うんだ」
「…………」
熱のこもったトワリスの言葉に、リリアナの瞳が、驚愕の色を滲ませる。
呆気にとられたような顔で瞬くと、リリアナは尋ねた。
「……ずっと、私が歩けるようになる魔術を探してくれてたの?」
トワリスは、小さくうつむいた。
「私なんか、まだまだ知識も技術も足りないし、上手くいくかかどうかはわからない。でも、色々考えてみて、この方法が、一番試してみる価値があると思ったんだ。危険なことも、ないと思う。……どうかな?」
躊躇いがちに聞けば、リリアナは、長い沈黙の末に、こくりと頷いた。
トワリスも頷き返して、雪の上に膝をつくと、そっとリリアナの脚に手を伸ばす。
トワリスは、革靴越しでも分かる、彼女の細いふくらはぎに触れると、ぎゅっと目をつぶった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.84 )
- 日時: 2018/12/22 17:47
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
(お願いだから、上手くいって……!)
心の中で祈って、リリアナの脚に魔力を注ぎ込む。
やがて、詰めていた息を吐き出すと、トワリスは、ゆっくりと目を開けた。
立ち上がれば、目の前がちかちかして、頭痛がする。
こんなに一気に魔力を使ったのは、初めてであった。
トワリスは、木の根に座るリリアナを見下ろして、言った。
「立ってみて……」
「う、うん……」
首肯して、リリアナが身じろぐ。
しかし、力が入るのは上半身ばかりで、脚はぴくりとも動かない。
どんな表情をすれば良いか、迷ったのだろう。
少し視線を彷徨わせた後、リリアナは、躊躇いがちに口を開いた。
「だ、駄目そう……動かない」
「…………」
トワリスの表情が、微かに強張る。
再び膝をつくと、トワリスは、再度リリアナの脚に手を伸ばした。
「ちょっと待って、もう一度やってみる」
「い、いいよ! 無理だから!」
慌てて首を振ると、リリアナは、咄嗟にトワリスの手を掴んだ。
びくりと震えたトワリスに、言葉を詰まらせる。
リリアナは、はっと口を閉じた後、ゆっくりとトワリスの手を離すと、困ったように笑った。
「ご、ごめんね、トワリス。ありがとう……でも、無理なの」
寂しさを含んだような、穏やかな声。
眉を寄せたトワリスに、リリアナは言い募った。
「火事で負った怪我が原因で、歩けなくなったって言ったじゃない? でも、脚じゃないの。……私が怪我をしたのは、背中だったのよ」
「背中……?」
リリアナは、こくりと頷いた。
「脊髄損傷、ってやつ。家が燃えて、逃げている途中に、倒れてきた柱の下敷きになっちゃったのよ。幸い、火傷は大したことなかったんだけど、その時に、脊髄の一部が傷ついてしまったんですって。脊髄には、神経が沢山通っていて、それが壊れてしまったから、脚が麻痺して、動かなくなったんだって。そうお医者様には言われたわ。だからね、脚の問題じゃないの。私が動けって命令しても、それは伝わらない。私の脚は、動く意思を持たない、枝切れと一緒ってこと。だから、自力で歩けるようになるのは、難しいんですって」
トワリスの目が、徐々に見開かれる。
ぐっと唇を噛むと、トワリスは立ち上がった。
「じゃあ、リリアナが魔術を使えるようになればいいよ。枝切れだってなんだって、魔術が使えれば、動かせる。人間は、多かれ少なかれ、魔力を持ってるんだ。私にだって出来たんだし、リリアナだって、きっと使えるようになる!」
思わず口調を強めて、トワリスは言った。
神経が途絶えてしまっていたのだとしても、枝切れを動かせるのと同じように、脚だって動かせるはずである。
理論上、トワリスが魔力を込めれば、トワリスがリリアナの脚を動かすことになってしまうが、リリアナ自身が魔術を使えるようになれば、自分の意思で、再び自分の脚を動かせるようになるのだ。
しかしリリアナは、首を左右に振った。
「出来ないわ。枝切れは軽いけど、私の脚を動かすには、私一人分の重さを支えられるくらいの魔術が使えなきゃいけないのよ。そんなの、普通は出来ないもの。確かに、私にも少しくらいは魔力があるのかもしれないけど、私の家系に魔導師はいないし、持ってる魔力なんて、たかが知れてる。魔力を持っていても、魔術が使えるくらい強い魔力がある人は、珍しいのよ。だから、魔導師になるのは大変なんじゃない。それは、トワリスの方が分かってるでしょう?」
「…………」
唇を震わせると、トワリスは下を向いた。
可能性は低いと思いつつも、心のどこかで、成功するかもしれない、なんて期待していた自分が、とても惨めだった。
考えてみれば、リリアナは以前、西区の孤児院にいたのだ。
西区の孤児院は、施療院も兼ねた場所だから、当然、アーベリトの医師も常駐している。
つまり、リリアナは既に、脚の治療を受けていたはずなのである。
受けていたけど、駄目だったのだ。
魔力を込めるだけなんて、トワリスが思い付く程度のことで治るなら、リリアナは、もうとっくに医師たちの力で、歩けるようになっていただろう。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.85 )
- 日時: 2018/12/26 18:41
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
すっかり黙りこんでしまったトワリスに、リリアナは、焦った様子で言い直した。
「あっ、でもね! トワリスが提案してくれたとき、もしかしたら……って私も思ったのよ。まあ、結果的には駄目だったけど、それでも私、すごく嬉しかったの! だってトワリス、寝る間も惜しんで、私が歩ける方法を探していてくれたんでしょう? 私、トワリスと友達になれて、とっても幸せよ」
トワリスの手を握って、リリアナは、明るい声で言った。
「それに私ね、歩けないくらい、気にしてないの。確かに不便ではあるけど、火事が起きたときに、死んじゃってたかもしれないって考えると、命が助かって良かったなって思うの。本当よ。アーベリトの皆は優しいし、私にはカイルだっている。歩けないくらい、なんだっていうのよ。だから、トワリスが気にする必要なんて、全くないわ。ね?」
「…………」
リリアナは、にこにこと笑みを浮かべながら、はっきりと言いきった。
だがトワリスは、一層表情を曇らせると、ぽつりと呟いた。
「……そんなの、嘘だよ」
リリアナの手を外すと、トワリスは、静かに続けた。
「前に、球蹴りしてる子供連中を、羨ましそうに見てたじゃないか。気にしてないなんて、嘘だよ。本当は、自分の脚で歩きたいって思ってるし、すごく不安なんでしょう? リリアナは前向きで、いつだって明るいけど、今のその笑顔は、空元気にしか見えないよ」
揺れたリリアナの目を、トワリスは、まっすぐに見つめた。
「結局、私じゃ力になれなくて、ごめん。でも、私のことを友達だって言うなら、気にしてないなんて、嘘つくことないじゃないか。別に私は、リリアナが触れられたくないことを、無理矢理聞き出そうなんて思ってないよ。私にだって、思い出したくないこととか、あるもの。だけど、そんな風に嘘つかれたり、嘘笑いして気遣われたりしたら、なんか、寂しいよ」
「…………」
リリアナは、瞠目したまま、しばらく黙りこんでいた。
トワリスは、やりづらそうに目を伏せたが、やがて、こちらを見るリリアナの目に、みるみる涙が盛り上がり始めると、ぎょっとして、慌てて屈みこんだ。
「あっ、ご、ごめん、私、責めたつもりじゃ……」
細かく震えるリリアナの肩に手をおいて、謝罪する。
リリアナは、ぽろぽろと涙を流しながら、言った。
「だって、私、お姉ちゃんだもん……」
思いがけない答えに、トワリスが動きを止める。
リリアナは、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、ごしごしと拭った。
「お父さんと、お母さんが死んじゃったの、カイルが、一歳の時よ。カイルに、両親との思い出なんて、ほとんどないの。つまり、カイルにとっては、私がお姉ちゃんで、お父さんで、お母さんなのよ。その私が、暗い顔してちゃ、駄目じゃない……っ、ふぇええ……」
まるで幼い子供のような声をあげて、リリアナは泣き出した。
激しくしゃくりあげながら、なんとか涙を止めようとしているようであったが、リリアナは、なかなか泣き止まなかった。
「リリアナ……」
かける言葉が見つからなくて、トワリスは、黙ったままリリアナの隣に座った。
孤児院に帰って、カイルの元に戻ったら、きっとリリアナはまた笑うのだろう。
だから今は、勇気づけるより、彼女が泣けるこの時間を、見守っていた方が良いだろうと思った。
リリアナはそうして、長い間、わんわんと声をあげて泣いていた。
涙を溢しながら、すがるように抱きついてきたので、トワリスも、リリアナの背に手を回す。
そのまま背を擦ってやると、リリアナは、一層激しく嗚咽を漏らした。
「トワリス、トワリス……ありがとぉ、大好き……」
トワリスの服の袖にぎゅっとしがみついて、リリアナが言う。
涙声だったが、口調にはいつもの快活さが戻っているような気がして、トワリスは、安心したように笑った。
「……うん、私も」
ぽんぽんとあやすように、背中を撫でる。
つられて熱くなった目頭に、繰り返し瞬くと、トワリスもこくりと頷いたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.86 )
- 日時: 2018/12/26 18:37
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
しんしんと降り続いた雪は、三日経って、ようやく止んだ。
大通りは、毎日雪掻きをしていたが、人の寄り付かない下道などには、小さな子供の背丈ほどまで雪が積もっている。
トワリスは、孤児院の玄関口から大通りまでの道を雪掻きしながら、やれやれと嘆息した。
本当は、朝の内に終わらせたかったのだが、既に日は高く昇っている。
こんなに時間がかかってしまったのは、一緒に雪掻きをしていた、七、八歳の子供たちが原因だ。
彼らは、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら遊ぶばかりで、雪を片付けるどころか、散らかすのである。
こうなることは、なんとなく予想出来ていたが、トワリスが折角隅に寄せた雪を、男児連中が突進して崩した時は、流石に怒鳴りたくなった。
言い聞かせたところで、獣女が怒っただの何だのと喚かれるだけなので、ぐっと堪えたが、これでは、一人だけ真面目に雪掻きをしているのが、馬鹿みたいである。
どうせ日が照れば雪は溶けるのだし、トワリスが雪を掻いた道は、うっすらと雪が残っているだけで、歩けないほどではない。
もう中断して、孤児院に戻ろうか。
そう思い立って、腰を伸ばした、その時であった。
不意に、大通りの方から、馬蹄の鳴る音が聞こえて、トワリスは顔をあげた。
(……珍しいな。誰だろう?)
孤児院の中庭の入口に、一台の馬車が止まる。
そこから、上品な身なりをした中年の女性が降りてくると、トワリスだけでなく、雪まみれになって遊んでいた子供たちも、途端に目を丸くした。
ちょっとした金持ちの風体をした女性が、こんな貧乏臭い孤児院に、一体何の用だというのだろうか。
女性は、道のど真ん中に突っ立っているトワリスの元に歩いてくると、にこにこと微笑みながら、話しかけてきた。
「雪掻き、ご苦労様。突然ごめんなさいね。私、ロクベル・マルシェと申します。こちら、シグロスさんの孤児院で合っていますか?」
「あ……はい。そうです」
トワリスが答えると、ロクベルの笑みが深くなった。
マルシェ、というと、リリアナやカイルと同じ姓だ。
結い上げられた赤髪も、リリアナとよく似た色をしていて、このロクベルと名乗る女性が、リリアナと何か関係のある人物であることは、すぐに分かった。
ちらりと孤児院の方を見てから、ロクベルは言った。
「シグロスさんは、お部屋の中かしら。少し、お邪魔しますね」
軽くトワリスに会釈して、ロクベルは孤児院に入っていく。
その様子を、呆然と見守っていると、他の子供たちが、興味津々といった顔でトワリスに近づいてきた。
「今の人、王都から来たのかな? 貴族かもしれないよ!」
「マルシェって名乗ったよな? リリアナ姉ちゃんとカイルって、実はお金持ちの子供だったのかな」
「えぇっ、じゃあ二人とも、ここを出ていっちゃうんじゃない?」
何やら興奮した口調で話しながら、子供たちは盛り上がっている。
トワリスは、微かに眉を寄せると、子供たちの方に振り返った。
「リリアナたちが出ていっちゃうって、どういうこと?」
子供たちは、お互い顔を見合わせると、答えた。
「あのおばさんが、リリアナ姉ちゃんたちを、引き取りにきたんじゃないかってことだよ! 時々あるんだ。孤児になっても、遠い親戚とかが引き取りにくること。ね?」
子供たちが、同調してうんうんと頷く。
トワリスは、黙ったまま、再び孤児院の方を見た。
確かに、ありえる話だと思った。
両親が亡くなったといっても、リリアナとカイルは、天涯孤独になったわけではない。
どこか別の場所に住んでいた親戚が、リリアナたちが孤児院に引き取られたと知って、迎えに来るなんて、十分考えられることだ。
(……優しそうな、人だったな)
ふと、先程のロクベルの笑顔を思い出す。
軽く挨拶を交わしただけだったが、リリアナと同じで、温かい人柄の女性に見えた。
彼女が一緒に暮らそうと言ったら、リリアナやカイルは首を縦に振るだろうし、トワリスも、そうするべきだと思う。
孤児院も悪いところではないが、迎えてくれる親族がいるなら、やはり一緒に暮らすべきだ。
喜ばしいことなのだから、もし本当にリリアナが引き取られることになったら、笑って送り出そう。
そう思いながらも、胸にもやもやしたものが沸き上がってきたのを感じて、トワリスは、雪掻き用のシャベルを握り直したのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.87 )
- 日時: 2018/12/29 18:44
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 3edphfcO)
雪掻きを終えると、トワリスたちは、孤児院の中に戻った。
予想通り、あのロクベルという女性は、リリアナとカイルを連れて、院長であるテイラー・シグロスの部屋に入っていったらしい。
子供たちは、食堂にある暖炉の前で冷えた身体を暖めながら、リリアナたちが孤児院からいなくなるかもしれないという話題を広めて、語り合っている。
トワリスは、客人が来ているのだから、静かにするようにと子供たちを諫めたが、本当は、子供たちと同様、院長室でロクベルがどんなことを話しているのか、とても気になっていた。
気分が落ち着かないまま、トワリスは、自室にこもって魔導書を読みふけっていた。
だが、再び食堂に出ていったときには、いつの間にか、ロクベルは帰っていたようだった。
リリアナは、カイルを抱えて、同年代の子供たちを相手に、何やら楽しそうに会話している。
ひとまずリリアナたちがまだ残っていることに安堵すると、トワリスは、静かに食堂を後にした。
ロクベルたちと一体何を話していたのか、聞きたかったが、聞けなかった。
いざ聞いてみて、もしリリアナに「孤児院を出て、ロクベルさんと暮らします、さようなら」なんて言われたら──。
そう考えると、なんだか怖くなってしまった。
トワリスは、自室から灯りを持ち出すと、こっそりと孤児院の外に出た。
まだ夕飯の時間にもなっていないとはいえ、夜に無断で外出したことがばれたら、後々怒られるだろう。
それでも、今はなんとなく、誰もいない外の空気が吸いたくなったのだ。
孤児院の外壁に寄りかかり、灯りを足元に置くと、トワリスはその場にしゃがみこんだ。
孤児院の中から、やかましい子供の声は聞こえてくるが、冬の夜は、恐ろしいほど静かだった。
息を吐けば、ふわりと舞った吐息が、白く濁る。
身に染み込むような寒さと静寂が、今は心地よかった。
トワリスは、上を向いて、星の散らばる夜空を眺めていた。
そうして、しばらくの間、ぼんやりと意識を漂わせていると、不意に、扉の開く音がした。
孤児院の職員が、トワリスの不在に気づいて探しに来たのだと思ったが、出てきたのは、リリアナであった。
「あ! トワリスったら、こんなところにいたのね。孤児院のどこにもいないんだもの。随分探しちゃったわ」
「…………」
トワリスが返事をしないので、不思議に思ったのだろう。
リリアナは車椅子を操って、道に薄く張った雪氷をぱきぱきと踏みながら、トワリスの隣にやってきた。
そして、同じように上を向くと、ほうっと息を吐いた。
「……今夜は、星が綺麗ね」
リリアナが、ぽつりと呟く。
二人は黙って、満天の星空を眺めていたが、やがて、トワリスの方を見ると、リリアナが口を開いた。
「今日来た人ね、私の叔母さんだったの。私が生まれたばかりの頃に、一度だけ会ったことがあるらしいんだけど、私、覚えてなくて……。連絡もとっていなかったから、私のお父さんとお母さんが死んじゃったことも、つい最近知ったんですって。それで、生き残った私とカイルのこと、ずっと探してくれていたみたい」
「…………」
リリアナは、嬉しそうな顔で言った。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.88 )
- 日時: 2019/01/01 19:21
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: w93.1umH)
「久々に、お父さんとお母さんの話をしたわ。私が小さかった頃の話も……。叔母さん、すごいのよ。シュベルテで小料理屋を出しているんですって! 一年前、旦那さんが亡くなっちゃって、今はお店を閉じてるらしいんだけど、近々また再開するって言ってたわ。自分のお店があるなんて、なんだかかっこいいわよね!」
トワリスは、リリアナの方を見ずに返した。
「じゃあ、リリアナとカイルも、近々シュベルテに行くの?」
一瞬、リリアナが言葉を止める。
少し困ったように笑うと、リリアナは答えた。
「一緒に暮らさないかって、誘われたわ。……でも、それに関しては、私、どうしようか迷ってるの」
「え……?」
大きく目を見開いて、トワリスがリリアナを見る。
リリアナは、微かに苦笑した。
「叔母さんは、とっても優しい人だったわ。一緒に暮らせば、カイルにとってもお母さんみたいな存在ができるし、安心できると思う。でも、私たちはここでの生活に馴染んじゃったし、今すぐアーベリトを離れて、叔母さんと暮らしたいかって言われると、悩んじゃうのよね。ほら、私、歩けないし、カイルだってまだ小さいでしょう? 叔母さんにも迷惑かけちゃうと思うの。院長先生も、今は孤児院にいる子供の数が少ないから、どうするかは自分で選んで良いって言ってくれたし」
「…………」
リリアナは、それだけ言うと、口を閉じて、再び夜空を見上げた。
そんな彼女の横顔を見つめて、トワリスも、長い間、黙っていた。
多分、リリアナは、一緒に行きたいのだろうと思った。
ロクベルの話をしていたときの、あの嬉しそうな顔。
あれが、リリアナの本心を表していた。
彼女が悩んでいると言ったのは、きっと、自分達が孤児院に残りたいからではない。
ロクベルに、迷惑をかけたくないと思っているからだ。
トワリスは、ふと立ち上がると、リリアナに向き直った。
「……行くべきだよ。ロクベルさん、ずっとリリアナたちのことを探していて、ようやく見つけて、迎えにきてくれたんだろう? リリアナたちのことを、迷惑だなんて思わないよ」
そう言うと、リリアナの顔に、戸惑いの色が浮かんだ。
「それは、そうかもしれないけど……。別にそれだけじゃなくて、私、この孤児院で出来た友達と別れるのも、寂しいのよ。ここにきて、まだ半年も経ってないんだもの。出会ってすぐお別れなんて、嫌だわ」
トワリスは、首を振った。
「そんなの、またいつだって会えばいいじゃないか。ロクベルさんは、リリアナやカイルにとって、やっと巡り会えた家族みたいなものだろう? だったら、一緒に住むべきだと思う」
「…………」
黙ってしまったリリアナに、トワリスは言い募った。
自分の声が、固くならないように。
嘘だとばれないように。
トワリスは、努めて口調をやわらげた。
「召喚師様も、言ってたよ。自分が故郷だと思うなら、そこが故郷なんだって。だから、シュベルテに行こうと、どこに行こうと、リリアナが思うなら、リリアナにとっての第二の故郷は、この孤児院なんだよ。だから、悩む必要はないと思う。孤児院が懐かしくなったら、また帰ってくればいいよ。離れたくないとか、迷惑かけたくないとか、そんな些細なことで、家族ができるかもしれない機会を、潰すべきじゃないと思う」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.89 )
- 日時: 2019/01/05 21:48
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: SsOklNqw)
トワリスの言葉を聞いているうちに、リリアナの顔つきが、変わった。
悲しそうに表情を歪めると、リリアナは、トワリスを責めるように言った。
「全然些細なことじゃないわ。帰ってくればいいって言うけど、シュベルテとアーベリトは、気軽に行き来できるような距離じゃないじゃない。それにトワリスは、魔導師団に入るんでしょう? そうしたら、本当に会えなくなっちゃうわ。私は、トワリスと離れたくないって言ってるの! トワリスは、私がいなくなっても、ちっとも寂しくないの?」
「……それは……」
言いかけて、口を閉じる。
リリアナがいなくなるのは、もちろん寂しい。
しかし、今ここで、彼女を引き留めるような言葉を言うべきではないと思ったのだ。
トワリスが何も言わないことに、苛立ったのだろう。
リリアナは、滲んできた涙を強引に拭うと、叫んだ。
「いいもん! 私、叔母さんのところに行く! お店で働いたりするの、実は、すごく憧れてたんだから! トワリスなんて知らない!」
言い終わるのと同時に、くるりと車椅子の向きを変えて、リリアナは孤児院の中に入っていく。
勢いよく閉じられた扉の音が、嫌な余韻を残して、トワリスの中に響いていた。
(……行かないで、なんて、私が言うことじゃない)
トワリスは、細々と息を吐いて、再びその場にしゃがみこんだ。
喧嘩になってしまったのは予想外だったが、結果としては、これで良かったのだと思った。
胸のもやもやはまだ治まらなかったが、リリアナとカイルに家族が出来ることを喜ぶ気持ちは、本当である。
リリアナは確かに親友だが、彼女たちと自分は、決定的に違う。
リリアナには、カイルがいるし、ロクベルもいる。
探せば、もしかしたら他にも、親戚がいるかもしれない。
サーフェリアの隅々まで探したって、同族がいないトワリスとは、違うのだ。
(……寂しいよ、リリアナ)
座り込んで、膝の間に顔を埋める。
すると、リリアナの前では見せまいと思っていた涙が、ぽろぽろとこぼれてきた。
リリアナを送り出そうとしている自分が、ひどく滑稽に見えた。
自分だって、レーシアス邸を出るとき、サミルやルーフェンと離れたくないと、散々ごねて、いじけたくせに。
リリアナよりも、誰よりも、別れを寂しいと感じているのは、自分のくせに。
虚勢を張って、誰の目にもつかぬ場所で一人、めそめそと泣いている自分が、とても惨めだったし、そんなことを考えて、いつまでもうじうじとしている自分にも、腹が立った。
やはり家族というのは、温かいものだと思う。
トワリスだって、顔すら浮かばぬ母のことを考えるだけで、心が落ち着くし、同時に、二度と会えないのだと思うと、身悶えするほど悲しくなる。
きっと、家族とはそういうものだ。
唯一無二、友達や仲間とはまた違う、強い絆で結ばれた、大切な存在なのだ。
自分は、誰の唯一無二でもない。
サミルやルーフェンにとっては、助けた子供の内の一人でしかないし、リリアナにとっては、数いる友達の内の一人だ。
目まぐるしい日々の中で、すっかり忘れていた孤独感が、ちくりと心を刺した。
(……寂しいよ。……寂しい)
鼻をすすると、鼻の奥が、つんと痛んだ。
冬の夜気にさらされて、手や足が、悴むほどに冷えている。
ぽつぽつと零れる涙だけが、染みるように熱かった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.90 )
- 日時: 2019/01/07 18:00
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
それからロクベルは、度々孤児院を訪れるようになった。
明るい彼女の人柄は、リリアナやカイルだけでなく、他の子供たちも惹き付けるようで、ふと見れば、子供たちの輪の中心に、ロクベルがいることも多くなっていた。
リリアナも、彼女と暮らすことを決意したらしく、夕食の時間に、もうすぐ孤児院を去ることを告げた。
トワリスにとっては、大事であったが、孤児院では、引き取り手が見つかることくらい、特別珍しいことでもなかったのだろう。
子供たちは、悲しみながらも、リリアナの出立を受け入れて、素直に祝福していた。
喧嘩して以来、トワリスは、リリアナとほとんど話していなかった。
このまま別れるのは嫌だったから、どこかで絶対に謝らなければと思っていたのだが、目が合ってもお互い気まずくなって、顔を背けてしまうので、なかなか和解できなかった。
そんな風に足踏みしている内に、あっという間に、別れの日はやってきた。
ロクベルが乗ってきた馬車の前で、子供たちからもらった花束を抱き、リリアナは、幸せそうに笑っている。
カイルも、相変わらずの無表情であったが、ロクベルの手をぎゅっと握って、心なしか、いつもより明るい瞳をしているように見えた。
溶けて少なくなった残雪が、日の光に照らされて、きらきらと輝いている。
リリアナは、湿った地面で車椅子の車輪が滑らないように気を付けながら、孤児院の職員や子供たち、一人一人と握手をして、別れと感謝の言葉を述べていた。
笑顔を浮かべ、そして、時折涙ぐみながら。
ゆっくりと時間をかけて、リリアナは挨拶をしていく。
最後に、輪から少し外れたところに立っているトワリスの前にやって来ると、リリアナは、他と同じように、手を差し出してきた。
「トワリスも……今まで、ありがとう。私、トワリスに会えて、本当に良かったと思ってるのよ。……これからも、魔術のお勉強、頑張ってね」
差し出された手を、軽く握る。
トワリスは、こくりと頷くと、微かに笑んだ。
「……うん。……私も、リリアナに会えて良かった。ありがとう、元気でね」
少しの間、見つめ合って、手が離れる。
一番仲の良かった二人の挨拶が、思いの外淡白だったので、周囲の者たちは、意外そうにトワリスとリリアナを見つめていた。
だが、そんな視線を気にすることもなく、リリアナは、車椅子の向きを馬車の方へと変えた。
「それでは、皆様、お世話になりました。また、必ずこちらに顔を出しますから、そのときは、どうぞよろしくお願いしますね」
ロクベルが丁寧に頭を下げて、それに対し、職員たちも礼を返す。
それから、いよいよ馬車に乗り込もうというとき、リリアナが、再び振り返った。
リリアナは、トワリスを見た。
トワリスも、リリアナを見ていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.91 )
- 日時: 2019/01/09 18:42
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8nwOCftz)
きゅっと顔をしかめると、突然、車椅子の肘置きを手で押して、リリアナが飛び出した。
地面に転げ落ちそうになったリリアナを、咄嗟に受け止めると、トワリスは、慌てた声を出した。
「いっ、いきなり何やってんのさ!」
リリアナの全身を見て、怪我がないかどうか確かめる。
狼狽えているトワリスを、ぎゅっと抱き締めると、リリアナは、急に大声で泣き出した。
「やっぱり、こんなっ、仲直りできないままお別れなんて、嫌よぉお……! トワリスの馬鹿ぁ! 頑固者! 薄情者ぉっ」
先程まで笑顔だったリリアナの号泣に、その場にいた全員が、目を丸くする。
リリアナは、ぶんぶんと首を振りながら、トワリスにしがみついた。
「私、トワリスを見習って、文字、覚えるから! お手紙出すわ! だから、お返事ちょうだいね! 魔導師になって、忙しくなっても、遠くに行っちゃっても、絶対によ! 約束だからね。私達、これからもずっと、友達よ」
「…………」
喉の奥が熱くなって、涙が出そうになった。
揺らいだ視界に目をつぶって、なんとか泣き出しそうになるのを堪えると、トワリスは、リリアナの背をぽんぽんと叩いた。
「リリアナは、泣き虫だなぁ……」
リリアナの肩をつかんで、ゆっくりと身体を離す。
トワリスは、眉を下げて、微笑んで見せた。
「この間は、そっけない態度とって、ごめん。私も、リリアナがいなくなるのは、すごく寂しいよ。寂しいけど……大丈夫。手紙も書くし、魔導師になれても、なれなくても、絶対、また会いに行くよ」
「ほんとう?」
嗚咽を漏らしながら問いかけてきたリリアナに、トワリスは、深く頷いた。
「うん、約束」
それを聞くと、リリアナは、しゃくりあげを止めようと、何度も何度も深呼吸をした。
その背を撫でながら、リリアナが落ち着くのを待っていると、不意に、近づいてきたロクベルが、トワリスの顔を覗きこんできた。
「ああ、貴女がトワリスちゃんだったのね。リリアナやカイルと仲良くしてくれていたみたいで、どうもありがとう」
「いえ……こちらこそ」
急に会話に入ってきたので、少し驚いたが、トワリスがぺこりと頭を下げると、ロクベルは朗らかに笑った。
そして、座り込んでいるリリアナたちに合わせ、屈み込むと、トワリスの方を向いた。
「失礼なことを聞いてしまうけど、貴女は、この孤児院以外に、行く宛はあるの?」
意図の分からない質問をされて、微かに眉を寄せる。
トワリスは、目を伏せると、小さく首を振った。
「ありません、けど……」
思ったよりも暗い声になってしまって、はっと口をつぐむ。
しかし、ロクベルは、そんなことは全く気にしていない様子で、あっけらかんと答えた。
「そう。じゃあ貴女、一緒にうちで暮らしちゃいなさい」
「……は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなくて、硬直する。
同様に驚いたリリアナは、ひゅっと涙を引っ込めると、ロクベルにすがりついた。
「えっ、え、い、いいの!?」
ロクベルは、まるで何でもないかのように、うふふと笑った。
「そりゃあ、シグロスさんの許可は取らなければならないけど、駄目とは言われないでしょうし。娘一人増えるくらい、私は全然構わないわよ。それに、こんなに別れを惜しんでいる二人を引き離すなんて、なんだか私が悪者みたいじゃない? トワリスちゃんさえ良ければ、一緒に暮らしましょうよ」
「…………」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.92 )
- 日時: 2019/01/11 18:23
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
トワリスは、呆気にとられた様子で、しばらく放心していた。
だが、ややあって、自分の狼の耳を押さえると、首を左右に振った。
「お、お気持ちは、有り難いですけど……私、獣人混じりだし、普通とは違うんです。だから、やめた方がいいと思います」
困惑した顔つきのトワリスに、ロクベルが目を瞬かせる。
ロクベルは、トワリスの手を取ると、穏やかな口調で言った。
「リリアナから聞いたトワリスちゃんは、普通の、優しい女の子だったわ。大丈夫、私、細かいことは気にしない質(たち)なの。トワリスちゃんは、私の可愛い姪と甥のお友達。その事実だけで、十分だわ」
目尻に皺を寄せて、明るく笑ったロクベルを見て、改めて、この人はリリアナの叔母なのだろうと思った。
緊張も不安も、全て取り去ってしまう、屈託のない笑み。
この笑顔を向けられると、不思議なくらい、心に沈殿していた靄(もや)が晴れるのだ。
呆然としているトワリスに、ロクベルは続けた。
「それに、トワリスちゃんは、魔導師になりたいんでしょう? それなら尚更、家族が必要よ。その年で魔導師団に入団するなら、名義人が必要だもの。うちの子になれば、堂々とマルシェの姓を名乗って、入団試験を受けられるわ」
「…………」
トワリスとリリアナは、口を半開きにしたまま、顔を見合わせた。
二人とも、しばらくは黙っていたが、やがて、ふと思いついたように目を見開くと、リリアナが呟いた。
「すごいわ、トワリス……私達、友達とびこえて、姉妹になっちゃうのよ」
「…………」
未だ言葉を失った様子で、トワリスは、ぽかんとしている。
ロクベルは、トワリスの手を引いて、立ち上がらせると、更に言い募った。
「勿論、無理強いはしないわ。孤児院を出ると言っても、私の家はアーベリトになったわけだし、心配しなくても、すぐに会え──」
「えっ、ちょ、ちょっと待って!」
ロクベルの言葉を遮ったのは、リリアナだった。
リリアナは、混乱した様子でロクベルに向き直ると、口早に問うた。
「家がアーベリトって、どういうこと? 叔母さんは、シュベルテに住んでいるのよね?」
ロクベルは、首をかしげた。
「ええ、確かにシュベルテに住んでいたけど、最近アーベリトに越してきたのよ。ほら、あそこは人が多いし、リリアナやカイルと暮らすには、少し狭いと思って。シグロスさんにはお話ししていたのだけど、聞いていなかった?」
「き、聞いてないわ……」
答えてから、リリアナの顔が、みるみる赤くなっていく。
つまり、自分とカイルは、王都シュベルテではなく、アーベリトにあるロクベルの新居に移るということだ。
同じアーベリト内に引っ越すというだけのことで、トワリスと喧嘩し、悩み、そして、まるで今生の別れとでも言うかのように、大勢の前で号泣した。
そう思うと、途端に恥ずかしくなってきた。
不意に、トワリスが、ぷっと笑みをこぼした。
緊張の糸が切れたような、間の抜けた笑いであった。
それにつられて、事態を見守っていた子供たちも、くすくすと笑い出す。
終いには、真っ赤な顔で萎縮していたリリアナも、吹っ切れたように笑い始めて、それを見ながら、ロクベルは、嬉しそうに頬を緩めたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.93 )
- 日時: 2020/03/27 16:24
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)
ロクベルは、随分と羽振りの良い女性だったので、新居は一体どんなものなのかと身構えたが、案外素朴な外観の、二階建ての一軒家であった。
孤児院から大通りに出て、西に行き、レーシアス邸がある通りをまっすぐ南に進んだところに、ロクベルの家は建っていた。
二階建てといっても、実際に生活するのは二階だけで、一階は、小料理屋を開けるように設計されていた。
広くはないが、新品の食卓と椅子が並ぶ、清潔感のある店だ。
真新しい木の匂いが漂うその空間は、どこか懐かしいような、なんとも言えない居心地の良さがある。
「主人が亡くなってからは、なんだかやる気も出なくて、店は閉じていたのだけれど、これを機に、私も働かなくちゃね」
ロクベルは、さっぱりとした顔つきでそう言った。
リリアナやカイルと暮らすことを決めてから、トワリスの生活は、再び慌ただしくなった。
元々私物は少なかったので、荷物をまとめたりするのは時間がかからなかったが、ようやく孤児院で落ち着いてきたかと思ったところで、また引っ越すことが決まったのだ。
最近は、一日一日がゆっくり流れているように感じていたが、ロクベルに「一緒に暮らそう」と唐突な提案をされてから、孤児院の者たちに感謝と別れの言葉を告げるまでの数日間は、驚くほどの速さで過ぎていった。
サミルとルーフェンに、手紙も書いた。
孤児院では、リリアナとカイルという友達ができて、なんだかんだで、楽しく過ごせたということ。
それから、突然リリアナの叔母、ロクベルに引き取られるようになったということ。
そして、魔導師を本気で目指している、ということ。
手紙なんて書くのは当然初めてで、なかなか納得のいくものが出来上がらず、何度も書き直したので、最終的に、引っ越しの準備よりも、手紙を書き上げる方が時間がかかった。
手はインクで汚れ、文字の書きすぎで指も痛くなったが、それでも、いざ送るときは心が弾んだし、返事は来るだろうかと思うと、どきどきして幾晩も眠れなかった。
結局、一月以上経っても、手紙の返事は来なかったが、それも予想していたことだったので、特別気落ちすることはなかった。
きっと、サミルもルーフェンも、忙しい日々を過ごしているのだろう。
勿論、返事を全く期待していなかった、といえば嘘になるが、片手間に、送った手紙を読んでくれていれば、それだけで十分嬉しいと思っていた。
厳しい冬が過ぎて、暖かな春が訪れると、王都では、魔導師団の入団試験が行われる季節だった。
勉強もまだ不十分に違いないし、試験を受けるお金もないので、トワリスは来年か再来年で良いと言ったのだが、ロクベルは、お金は出すから、とりあえず様子だけでも見てくると良いと言って、聞かなかった。
心配だと言いつつも、ロクベルとリリアナは、トワリスが魔導師になろうとしていることを、思った以上に応援してくれているようだった。
というよりは、半ばはしゃいでいると言っていいかもしれない。
以前ルーフェンは、魔力は人間なら誰もが持っているものだと言っていたが、だからといって、実際に魔術を使える者は、やはり希少な存在だったらしい。
トワリスが、魔術を使えることを、ロクベルもリリアナも、「十分すごいことだし、自分達も誇らしい」と喜んでいた。
申し訳なさはあったが、魔導師団の入団試験の様子を知りたいのは事実だったので、お金は後で必ず返すと約束して、トワリスは、シュベルテに行くことにした。
アーベリトからシュベルテまで行くには、定期的に回ってくる馬車を利用して、約二刻ほどかかる。
特別遠いわけではないが、準備や試験を受ける時間も含めて往復しようと思うと、やはり一日がかりだ。
特にトワリスは、見知らぬ人間も大勢いる馬車に乗り込むなんて、初めてのことであったから、緊張して気が休まらなかった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.94 )
- 日時: 2019/01/19 18:03
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
シュベルテは、領主バジレット・カーライルの住む旧王宮を中心に、扇状に広がった大きな街だ。
サーフェリア最多の人口を抱えており、召喚師一族を筆頭とした騎士団と魔導師団、この二大勢力に守られている。
近頃は、召喚師であるルーフェンが不在なのを良いことに、イシュカル教会など、反召喚師派の勢力が力を増しているとの噂もあったが、シュベルテは、厳格なカーライル家が統治する、サーフェリア随一の大都市である。
王権を失ったとはいえ、何百年もの間、王座を守り続けてきたカーライル家が、アーベリトと協力関係にあることを取り決めた以上、その制約が破られることはないように思われた。
トワリスがシュベルテに到着したのは、ちょうど昼に差し掛かる頃であった。
一人では心細いだろうからと、同行してくれたロクベルに手を引かれ、旧王宮の城門横にそびえ立つ、魔導師団の本部に訪れる。
高い漆喰の壁を見上げて歩き、象徴的な獅子の紋様が描かれた大門をくぐると、そこは、トワリスと同じ、魔導師を目指しているであろう者達で、ごった返していた。
トワリスは、一度ロクベルと別れると、一人、ずらりと並ぶ人の中に入っていった。
冷たい石造りの室内には、トワリスと同い年くらいの少年から、中年の男性まで、様々な年齢層の者達が、緊張した面持ちで列を成している。
恐ろしかったのは、その列から外れた場所に、時折、担架に乗せられた男達が運ばれて来ることであった。
彼らは、気絶をしていたり、怪我を負って呻いていたりと、置かれている状況は様々であったが、共通していたのは、皆、男達が並ぶ先の扉から出てきていることであった。
金の刺繍が施された、豪勢な錦布のかかる分厚い鉄扉。
あの奥で、きっと魔導師になるための試験とやらが行われているのだろう。
トワリスは、ごくりと息を飲むと、意を決して、扉へと続く男達の列に加わった。
(……やっぱり、いきなり戦ったりしないといけないのかな)
自分よりも、ずっと体躯の大きな男達の隙間から、なんとか顔を覗かせて、トワリスは扉の方を見た。
奥から運ばれてくる、怪我人の様子を見る限りは、おそらく予想通りだ。
流石に命の危機に晒されることはないだろうが、魔術の知識を問われる以前に、まずは戦闘能力を見られて、篩(ふるい)にかけられるらしい。
じわじわと膨らんできた恐怖心から目を反らすと、トワリスは、かぶっていた外套の頭巾をぎゅっと握って、うつむいた。
様子を見るだけだから、とか、自分は獣人混じりで力も強いから、とか、そんな甘い考えでやって来てしまったが、無事に帰れるのかどうか、急に不安になってきた。
トワリスは、言わずもがな、戦闘の経験なんてないし、こんなに大勢の男に囲まれたことだって初めてだ。
最初は、魔術の知識を問われるのだろう、なんて思っていたから、初っ端から、大の男達が怪我を負うような試験を受けることになるなんて、完全に予想外であった。
男達の列は、魔導師団の本部に入りきらないほど長い。
だから、自分の順番が来るまでは、かなり待つことになるだろうと思っていた。
しかし、運び出されてくる負傷者を見て、怖じ気づいたのか、途中で列から抜ける者も多かったため、気がつけば、扉はトワリスのすぐ近くまで迫っていた。
扉から魔導師と思しき男が出てきては、列の先頭に並ぶ志願者を室内に引き入れ、しばらくすると、ずたぼろになった志願者が扉の外に放り出される。
そしてまた、次の志願者が引き入れられる。
そうして、着実に前へ前へと進んでいく列に、トワリスの脈打つ心音は、どんどんと大きくなっていった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.95 )
- 日時: 2019/01/22 18:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
試験では、一体何が行われているのか。
聴覚の良いトワリスが耳を澄ませても、鉄扉はとても分厚かったので、部屋の様子は分からない。
やっぱり、試験を受けるのは来年にして、今日のところは帰ろうか。
しかし、折角ロクベルがお金を出してシュベルテまで連れてきてくれたわけだし、どの道受けることになる試験なのだから、腹を括るべきだろうか。
そんな風に迷っている内に、重々しい金属音が聞こえて、はっと我に返る。
顔をあげると、再び開いた扉から、ひょっこりと顔を出した魔導師が、トワリスに手招きをしていた。
「次は君? どうぞ、入って」
「あ、は、はい」
試験の直前に読もうと思って、結局読まなかった魔導書を持ち直し、慌てて返事をする。
魔導師の男に導かれるまま、鉄扉の向こうに踏み入れると、そこは、全面板石に囲まれた、頑強な造りの部屋であった。
魔導師たちの、室内鍛練場のようなものだろうか。
壁に設置された棚には、杖や紋様の入った剣など、多様な魔法具が収納されており、よく見れば、この部屋の石畳にも、所々、魔法陣が彫られていた。
部屋の奥に進むと、トワリスを招き入れた魔導師とは別の魔導師が二人、椅子に座って、こちらをじっと見ていた。
一人は、中年の男性、もう一人は、トワリスより少し年上くらいの、黒髪の少年であった。
部屋に入った瞬間、攻撃でもされたらどうしようかと内心びくびくしていたトワリスであったが、思いの外、中年の魔導師は、穏やかな表情を浮かべていた。
思えば、先程トワリスのことを呼んだ魔導師も、口調は優しかった。
唯一、黒髪の少年だけが、仏頂面で椅子にふんぞり返っていたが、年がそう離れていないせいもあるのだろう。
特別恐ろしい印象は受けなかった。
「こんにちは。それではまず、名前を教えてもらえるかな?」
手元の書類に何かを書き込みながら、中年の魔導師が問いかけてくる。
トワリスは、姿勢を正すと、努めてはっきりとした声で答えた。
「トワリスと言います。姓は……マルシェです」
刹那、魔導師の眉が、ぴくりと動いた。
微かに目を細め、トワリスを覗き込むように顔を近づけると、男は尋ねた。
「……トワリス? 君、ちょっと外套を脱いでくれるか?」
「あっ、はい」
急いで外套を脱ぎ、軽く畳んで、その場に置く。
狼の耳を隠すために、頭巾を深くかぶっていたことを、すっかり忘れていた。
正直、自分が獣人混じりであることは、今でも明かしたくはないが、こういった正式な場で頭巾をかぶったままというのは、流石に失礼だろう。
しかし、改めて中年の魔導師に向き直ったとき、トワリスは後悔した。
トワリスの狼の耳を見た途端、男の目の色が、確かに変わったからだ。
奇異と侮蔑の色──かつて、トワリスが見慣れていた目の色だった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.96 )
- 日時: 2019/01/25 21:19
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
男は、ふうと息を吐いた。
「ああ、君か。生き残った獣人混じりっていうのは。召喚師様から、話は聞いているよ。身元はアーベリトが引き受けるから、トワリスと名乗る獣人混じりが現れたら、試験を受けさせてやってくれってね」
「…………」
男の眼差しに萎縮しながらも、それを聞いた瞬間、トワリスの中に、強い喜びがつき上げてきた。
(ルーフェンさん、手紙読んでくれたんだ……)
返事はなかったけれど、きっとそうだ。
マルシェの姓を名乗れるようになったとはいえ、獣人混じりで、後ろ楯もない孤児のトワリスが、突然入団試験なんて受けに来たら、ちょっとした騒ぎになるだろう。
だから、手紙を読んだサミルやルーフェンが、予め、魔導師団の方に話を通してくれていたのだ。
そう思うと、嬉しくて、恐怖や緊張など、何だかどうでも良くなってしまった。
同時に、この中年の魔導師は、それが気に食わないのだろうと思った。
召喚師であるルーフェンに後押ししてもらえるなんて、おそらく滅多にないことだ。
勿論、不正なんて行っていないし、ルーフェンだって、試験を受けさせるように頼んだだけで、受からせるようにと言ったわけではない。
それでも、諸々の事情を知らない魔導師たちからすれば、運良くアーベリトに引き取られていただけのトワリスが、召喚師の庇護を受けたように見えるのだろう。
男は、持っていた書類を地面に置くと、指を組んだ。
「とりあえず、何かしてみせてくれ。魔術なら、なんでもいい」
そう言われて、トワリスは、慌てて辺りを見回した。
トワリスは、持っている魔力自体は、そう多くない。
だから、何もない場所から水や炎を生み出したり、室内で風を起こしたりするような難しい魔術は、使えなかった。
燭台の一つでもあれば、炎の鳥を象って見せたりも出来るのだが、どうやらこの部屋の明かりは、魔術で保たれているらしい。
他に出来ることと言えば、リリアナに見せたような、手や足に魔力を込めて樹を蹴り折ることくらいだが、ここには、何か壊して良さそうなものも見当たらない。
あるのは石壁と、魔導師たちが座っている椅子、そして魔法具くらいだ。
まさか魔法具を叩き折るわけにいかないし、流石に石壁を破壊することはできない。
トワリスは、弱々しく首を振った。
「……すみません、出来ません」
中年の魔導師は、ひょいと眉をあげた。
「魔法具を使っても良い。いろんなものが揃っているから、好きなのを取ってくるといい」
そう言って、棚に並ぶ数々の魔法具を示される。
魔法具は、魔術の制御を容易くしたり、魔力の増幅の補助したりする道具だ。
しかし、魔法具なんて使ったこともなかったので、トワリスは、もう一度首を振った。
「……使い方が分からないので、使えません」
男が、微かに笑って、肩をすくめる。
救いを求めて、隣の少年の魔導師をちらりと見てみたが、そもそも彼は、先程から一言も発していないし、トワリスには微塵も興味がなさそうだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.97 )
- 日時: 2019/01/28 20:09
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: W2jlL.74)
いたたまれなくなって、トワリスがうつむくと、男は、鉄扉の方に立っていた魔導師に、声をかけた。
「おい、クインス。こっちに来い」
クインスと呼ばれた魔導師は、先程、トワリスをこの部屋に入れてくれた男だ。
彼は、微苦笑を浮かべながらやってくると、トワリスの前に立った。
「それなら、こいつから、このスカーフを奪い取ってみるんだ。出来るかい?」
言いながら、中年の魔導師は、クインスに自分が巻いていたスカーフを投げて寄越した。
クインスは、受け取ったスカーフをひらひらとトワリスの前で振って、笑っている。
馬鹿にされているのは、明らかであった。
他の志願者たちも、こんな試験を受けて、あんなに傷だらけになっていたのだろうか。
否。トワリスは、ある意味で温情をかけられているのだ。
ろくに魔術も使えないくせに、入団試験を受けに来た獣人混じり。
わざわざ戦わずとも、身の程知らずの小娘には、スカーフの取り合い合戦くらいがちょうど良いだろう。
彼らの顔には、確かにそう書いてあった。
沸き上がってきた悔しさを振り払うと、トワリスは、強く頷いた。
魔術も使えない、魔法具も使えないと分かった時点で、追い払われてもおかしくなかったのだ。
そう思えば、有り難みの薄い温情でも、かけてもらえただけ幸運だった。
クインスに向き直ったトワリスに、中年の魔導師は、軽い口調で告げた。
「手段は問わないよ。どんな魔術を使ってもいい。無理だと思ったら、降参でも構わない。仮にも小さな女の子を、いじめる趣味はないからね」
男たちは、顔を見合わせて、けらけらと笑っている。
トワリスは、不愉快そうに眉を寄せたが、改めてクインスの手に握られているスカーフを見つめると、微かに姿勢を低くした。
どんな魔術を使ってもいいと言われたが、魔術なんか使わなくても、スカーフを奪い取るくらいは出来そうだった。
むしろ、魔導師に魔術で挑めるほどの技量が、今のトワリスにはないから、下手な小細工は避けるべきだ。
せいぜい、より速く動けるように、手足に魔力を込めるくらいで良いだろう。
見たところ、クインスという男は、スカーフを強く握っているようには見えない。
トワリスの前で振りながら、手に引っかけるようにして持っているだけだ。
不意をついて、彼が反応するよりも速く動ければ、トワリスの勝ちである。
(一息……一息つく間に、スカーフを取るんだ)
狙いを定め、ぐっと脚に魔力を込めると、トワリスは、強く地を蹴った。
トワリスから、魔力を感じたのだろう。
ふざけて緩んでいたクインスの表情が、わずかに動く。
──しかし、スカーフを取られないよう、握りしめようとした時には、既に遅かった。
しゅるっと音を立てて、手の中から、スカーフが抜けていく。
クインスが、咄嗟に追いすがろうと後ろを向けば、そこには、既にスカーフを奪取したトワリスが立っていた。
「…………」
魔導師たちの顔から、笑みが消えた。
一瞬、この少女は瞬間移動したのかと思ったが、魔法具の使い方も分からないと言っていた子供が、瞬間移動なんて高度な魔術を使えるはずがない。
トワリスは、魔導師たちの目が追い付かぬほどの速さで、跳んだのである。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.98 )
- 日時: 2019/02/01 19:57
- 名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)
奪ったスカーフを丁寧に畳むと、トワリスは、それを中年の魔導師の元に持っていった。
「……取りました、スカーフ」
「…………」
トワリスから差し出されたスカーフを見つめて、男は、絶句している。
人間離れした動きを見せれば、驚かれるだろうとは予想していたが、全く何も言われないので、反応に困ってしまう。
どうすれば良いのか迷っていると、不意に、今まで黙っていた黒髪の少年が、口を開いた。
「阿呆。力ずくで取りにいく奴があるか。魔導師なら、魔術で奪え。こうやってな」
言いながら、少年が指先を動かすと、トワリスの手にあったスカーフが、吸い寄せられるように少年の元へと飛んでいく。
スカーフを手に納めてから、それをそのまま地面に落とすと、少年は椅子から立ち上がった。
「まあ、いい。動く方が得意だってんなら、それに合った魔術を覚えろ。お前が今使ったのは、魔術でも何でもない。ただの気合だ」
呆れた口調で言いながら、少年は、魔法具が収納された棚の方に歩いていく。
そして、並んだ魔法具の中から、短剣を引っ張り出してくると、それをトワリスの前に投げた。
「茶番は終わりだ。それを使って、俺に勝ってみろ。そうしたら、入団を認めてやる」
じろりとトワリスを睨んで、少年が言う。
鋭い目付きで言われて、トワリスは、思わず身を凍らせた。
年齢的にも、この少年が、今ここにいる三人の魔導師の中で、一番の下っ端なのかと思っていたが、とんでもない。
他の二人の嫌味が可愛く見えるくらい、少年の態度は威圧的で、恐ろしかった。
トワリスは、足元に転がっている短剣を握ると、そのずっしりとした重みと鋭利さに、身震いした。
模造刀などではない、正真正銘の真剣だ。
こんなものを使ったら、怪我を負うどころか、死んでしまうかもしれない。
先程、この部屋の外で並んでいた時、次々と運び出されてきた怪我人たちの苦悶の表情を思い出して、トワリスは、顔を青くした。
「ま、待ってください。この剣、本当に使うんですか……? こんなの、使ったら……」
少年は、鼻で笑った。
「ああ、ただじゃ済まないかもな。だが、お前が来ようとしているのは、そういう殺し合いの世界だ。武器を握る覚悟もないなら、今すぐに帰れ」
言いながら、少年が手を出すと、そこに魔力が集結したのと同時に、どこからともなく、一本の青光りする短槍が現れる。
すると、中年の魔導師が、慌てた様子で声をあげた。
「お、おい、ジークハルト。流石にそれを使うのは、やめておけ」
それ、というのは、少年──ジークハルトが握っている、短槍のことを指しているのだろう。
他の魔導師二人が、制止をかけるも、しかし、ジークハルトは聞かなかった。
「言っておくが、女だろうが、ガキだろうが、容赦はしない。魔導師団に、弱い奴はいらない」
冷たい声で言い放って、切れ長の目を細める。
ジークハルトは、短槍を一転させ構えると、微かに口端をあげた。
「さっさと決めろ。俺とやるのか、やらないのか」
「…………」
トワリスは、つかの間硬直して、押し黙っていた。
刃を振り上げられたときの恐怖と、斬られたときの痛みが、頭にちらついて離れない。
けれど、その躊躇いの先に、アーベリトの人々やルーフェンの顔が思い浮かぶと、不思議と、短剣を握る手に力がこもった。
(この人に、勝ったら……魔導師に、なれる)
トワリスは、顔をあげると、ジークハルトを強く睨み付けたのだった。
To be continued....