複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.99 )
日時: 2020/03/27 17:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


†第四章†──理に触れる者
第一話『禁忌』


━━━━━━

リリアナ・マルシェ様


 お手紙の返事、遅れてごめんなさい。
半年ほど、任務で西方のカルガンに行っていて、先月、ようやくシュベルテの方に戻ってきました。

 そちらは、変わりありませんか。
カイルやロクベルおばさんも、元気ですか。
この前、カイルが七歳になったと聞いて、考えてみれば当然なんだけれど、すごく驚きました。
私達が出会った年から、もう五年も経ったのかと思うと、とても感慨深いです。

 こちらも、相変わらず慌ただしい日々ではありますが、なんとか無事にやっています。
もうすぐ卒業試験があって、それに受かれたら、ようやく正規の魔導師になれます。
そうしたら、寮からも出られるので、一度アーベリトに行くつもりです。
長らく顔を出せなくてすみませんと、おばさんにもお伝えください。

 本格的に寒くなってきたので、リリアナも身体には気をつけて。
お店のお手伝い、頑張ってね。


トワリスより

━━━━━━


 羽ペンをインク壺に戻すと、トワリスは、書き終えた手紙を、窓から差し込む夕陽に透かした。
くしゃくしゃに丸めようとして、思い止まる。
もう一度文面を読み直し、ふうと息を吐くと、トワリスは、手紙を畳んで封筒にしまった。

 こんな手紙を出したら、リリアナには、どうしてこんなに畏まった文なのかと、また笑われるだろう。
しかし、話し言葉で文を書くと、どうにも違和感が拭えないのだ。
普段リリアナと話す時は、敬語なんて使わないし、何度も砕けた文章に直そうとしたのだが、結局固い文体になってしまうので、もう諦めた。
文章上でも不器用さが滲み出るなんて、なんだか悲しくなるが、自分らしいといえば、自分らしい。

 トワリスは、手紙に封蝋を施すと、それを持って、自室を出たのだった。

 魔導師団に入ってから、五度目の冬が巡ってきた。
その間もトワリスは、リリアナと手紙のやりとりをしていたが、アーベリトにある彼女たちの家に帰れたことは、ほとんどなかった。
文面には表れていないが、リリアナは、相当むくれているだろうと思う。
様子見のつもりで受けた入団試験に、思いがけず合格したと聞いたときも、リリアナは、例のごとく大泣きしたのだ。
「一発合格するなんて聞いていない」だとか、「折角一緒に暮らせると思ったのに、すぐ出ていくなんてひどい」だとか、散々駄々をこねていた。
勿論、最終的には、涙をぼろぼろ流しながら「おめでとう」と言って送り出してくれたが、彼女も自分も、まさか魔導師見習いが、こんなにも外出制限をかけられるものだとは思っていなかった。
だから、リリアナが「おばさんに教わって文字を覚えたから、文通しよう!」と手紙を送ってきてくれたときは、嬉しい反面、なんだか申し訳なくなってしまった。
ロクベルもリリアナもカイルも、まるで本当の家族のように温かくトワリスを迎えてくれたのに、結局、ほとんど一緒に暮らすことなく、名前とお金だけ借りるような形で、魔導師団に入団したのだ。
ろくに顔も出さず、手紙を頻繁に返すこともできず、魔導師見習いとして、勉強や任務に明け暮れる日々。
いわゆる孝行が何も出来ないまま、援助だけ受けてしまったのは、なんだか心苦しかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.100 )
日時: 2019/02/14 20:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: YJQDmsfX)


(結局私は、なんで受かったんだろう……)

 リリアナ宛の手紙を眺め、長廊下を進みながら、トワリスはふと、五年前の入団試験のことを思い出した。

 ジークハルトという、あの少年魔導師に挑まれた後、一体何が起きたのか。
トワリスは、気絶してしまっていたので、正直なところ記憶が曖昧であった。
気づいたら、他の男たちと同じように、鍛練場から運び出されていて、医師に軽く手当てを受けてから、何事もなかったかのようにロクベルと合流して、アーベリトに帰った。

 残っていたのは、短剣を手に向かっていった記憶と、痣まみれになった四肢だけ。
それ以外のことは、本当に覚えていない。
少なくとも、勝てた覚えは全くなかったので、自分は試験に落ちたんだろうと思っていた。
だからこそ、合格の通知が来たときは、腰が抜けるほど驚いた。
しかも、実技試験においては、首席合格と知らされたのである。

 勿論嬉しかったが、その反面、戸惑いも大きかった。
もっと勉強して、自分でも納得が出来るくらいの魔術を使えるようになってから、試験を受ける──。
この筋書きでの合格なら、純粋に喜べたであろうが、試験官に馬鹿にされた挙げ句、気絶させられた上での首席合格なんて、何かの間違いではないかと本気で疑ったものだ。
とはいえ、とにかく今度は筆記試験を行うから、再度魔導師団の本部に来られたしとの達しが来てしまったので、大慌てで家を出た。
筆記試験に関しては、下から数えた方が速いくらいの順位であったが、実技試験の結果に助けられたのもあってか、なんとか合格し、現在に至るのである。

 寮の長廊下には、講義を終えたであろう魔導師見習いたちが、分厚い教本を抱えて行き交っていた。
女も入団可能とはいえ、魔導師団に入っているのは、ほとんどが男である。
トワリスは、ちらちらと通りすがりに送られてくる男たちの視線を無視して、足早に廊下を歩いていった。

 女というだけで珍しがられるのに、実技を首席で合格した獣人混じり、なんていう肩書きがあるせいで、トワリスは、ちょっとした有名人であった。
魔導師団に入る者は、貴族出身で、気位の高い男が多い。
もちろん、世の平和のためにと、熱い心持ちで入団してくる者が多いが、地位や世間体のためだけに入団してくる者も、決して少なくはなかった。
蓋を開けてみれば、ここは平民出だというだけで馬鹿にされる閉鎖的な世界だ。
そんな場所で、トワリスのような特殊な素性の者が、快く受け入れられるはずもなかった。

 リリアナ宛の手紙に目を落としていると、廊下の角を曲がったところで、不意に、男が一人飛び出してきた。
どん、と肩にぶつかられて、思わずよろける。
手紙を落としたトワリスに、男は、謝ろうとしたようであったが、相手がトワリスだと分かると、嫌そうに鼻を鳴らした。
そして、明らかに狙って手紙を踏みつけると、ちらりと笑った。

「悪いな、足が滑った」

「…………」

 踏みつけられて、皺が出来てしまった手紙を拾いあげる。
そのまま横を通りすぎようとする男を睨みながら、ぐっと怒りを抑えようとしたトワリスだったが、しかし、手紙の端が破れていることに気づくと、男の脚を蹴るように払った。

「うわっ」

 咄嗟に反応できなかった男が、思い切りつんのめって、床に転ぶ。
顔面を打ち付けた男が、痛みに呻いているのを見下ろして、トワリスは言った。

「すみません、足が滑りました」

 絶句した男が、呆気にとられたような顔で、こちらを見上げてくる。
やり返してくるかと思ったが、訓練時間外に諍(いさか)いを起こすなんて、上に露見したら処罰ものだ。
それを分かっていて、往来の長廊下で騒ぎを起こすほどの度胸は、男にはなかったのだろう。
トワリスは、周囲に目撃者がいないか確認すると、黙りこんだ男を尻目に、その場を後にした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.101 )
日時: 2019/02/19 20:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 仕掛けてきたのが相手の方だとはいえ、こんな風にやり返していると、自分でも、性格が荒んでしまったなと思うことがある。
この程度の嫌がらせは、それこそ、アーベリトの孤児院にいた頃からあったし、差別的な目で見られることにも、とっくの昔に慣れていた。
だから、いちいち真に受けず、流すのが賢明だとは分かってはいるのだが、最近は、精神をすり減らしてまで我慢するのが、なんだか馬鹿馬鹿しく感じるようになっていた。

 魔導師団に入ってから、五年も経ったというのに、トワリスには、いわゆる友人というものが出来ていなかった。
もちろん、話しかけられれば返事をするし、必要があれば、こちらから声をかけたりもする。
だが、非番の日に一緒に出掛けたり、下らない世間話を交わすような相手は、一人もいなかった。
今も昔も、文通しているリリアナが、唯一と言っていい友人である。

 原因は、獣人混じりを敬遠している連中にもあるだろうし、口下手で取っつきづらい自分にもあると思う。
それこそ入団したばかりの頃は、孤児院では失敗したのだから、今度こそ周囲に馴染まなければと、努力してきたつもりであった。
それが今や、嫌がらせを受けては、仕返しをするような日々を送る羽目になっている。
何故こうなったのだろうと、考える度に悲しくなるが、結局のところ、付き合おうとも思えない人間にまで気を遣うから、こんなにも疲れるのだろう、という結論に至った。

 思えば、無理に周囲に馴染む必要はないし、性根の腐った人間から嫌われたところで、痛くも痒くもない。
ある程度の人付き合いは大切かもしれないが、少なくとも、書いた手紙をわざわざ踏みつけるような人間とは、一生仲良くなることはないだろう。
そう思い始めたら、理不尽な目に遭っても我慢するなんて、無駄なことのように思えたのだ。

 気の許せる相手がいるに越したことはないが、別に、一人で生活していけないわけではない。
折角ルーフェンやサミルと出会って、振り上げられた手に無条件で怯えるような己とは、決別したのだ。
たとえ友人などできなくても、心を押し殺すのはやめて、自分らしく魔導師としての道を歩むべきである。
トワリスが魔導師団に入ったのは、決して、誰かと仲良くなるためではない。
強くなって、アーベリトを守れるようになるためなのだから──。

──なんて、そんなトワリスの決心が崩れ去ったのは、書き直したリリアナへの手紙を投函して、すぐのことだった。
その日、発表された卒業試験の内容が、三人一組で任務を遂行することだったのである。

(三人、一組って……)

 トワリスは、本日何度目とも知れぬため息を吐き出した。

 卒業試験は難関だと聞いていたから、一体どんな内容なのだろうと気になっていたが、まさか、誰かと組むことを強要されるとは思っていなかった。
これまでも、複数人で訓練を受けたり、任務をこなしたりすることはあったが、問われていたのは個人の能力だったので、それほど他人を意識する必要はなかった。
しかし、“三人一組”と言われた以上、どうしたって協力し合わなければならない。
つまり、いかに能力が高くても、協調性のない者は落とす、と言われているのだ。

(……まあ確かに、性格に難ありっていうんじゃ、やっていけないしね……)

 つい先程まで、一人でもやっていける、なんて開き直っていた自分が、恥ずかしい。
我ながら、卒業試験の内容としてふさわしい、と納得してしまったので、文句など一つも出てこなかった。

 強さも大事だが、最も重要なのは、国を守護する魔導師として正しき心を持っていることだと、そう言われているのかもしれない。
入団してから、厳しい訓練や任務に耐えかねて、魔導師団を去った者は大勢いる。
そんな中、卒業試験まで残った者には、きっと素質がある。
だからこそ、次に問われるのは内面なのだ。

 とはいえ、こんなに卒業試験の内容に動揺しているのは、トワリスくらいのようであった。
考えてみれば、当然である。
訓練生として、五年も苦楽を共にしていれば、友人の一人や二人、できて当たり前である。
となれば、わざわざ誘わなくても、誰と組もうかなんてすぐに決まりそうなものだ。
むしろ、卒業試験の内容が貼り出された掲示板の前で、騒がしく話し込む同期たちの表情を見る限り、仲間と協力できる方が心強いと、安堵している者も多くいるようであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.102 )
日時: 2019/02/19 19:13
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 トワリスは、長廊下に立つ掲示板を横切り、共用の食堂へと向かうと、並ぶ大皿から自分の皿へ適当に料理を盛って、一人席についた。
訓練終わりの昼時の食堂は、混雑していて、空いている席を見つけるのも一苦労だ。

 冬だというのに、人の熱気で蒸し暑くなった室内。
長い木造の食卓を囲んで、寮住まいの男たちは、それぞれ談笑しながら食事を口に運んでいる。
寮で出される料理は、質より量であったが、疲れていると、不思議と美味しく感じるもので、皆、忙しなく口を動かしていた。

 トワリスは、端のほうの席でスープを飲みながら、賑やかな男連中をさりげなく見ていた。
なんとなく、いつも一緒にいる面子は固定されていたが、トワリスの同期である見習い魔導師は、約百名ほど在籍している。
それだけいれば、中にはトワリスと同じように、好んで、もしくは仕方なく一人で食事をしている者もいる。
卒業試験で誰かと組むならば、そういった独り者を誘うのが良いだろう。
トワリスと組みたがらない人間も多いだろうが、今は、そんなことは言っていられない。
組んでみて、仲良くなれればそれで問題ないし、なれなくても、仕事と割りきって行動を共にするしかない。

 そんなことを考えながら、ちらちらと同期の魔導師たちを観察していると、不意に、誰かがトワリスの向かいに座った。
他に空席がなく、やむを得ずその席を選んだのかと思ったが、相手はどうやら、トワリスが目当てのようであった。

「ここ、いいかしら?」

「えっ、は、はい……」

 思いがけず声をかけられて、慌てて視線を前に戻す。
トワリスの前に座った女は、満足げに微笑すると、どうも、と一言告げた。

 甘やかに香る豊かな蒼髪に、整った眉と、色づいた唇。
透き通った青い瞳は、妖艶な色を放っていて、女のトワリスですら、見つめられると思わずどきりとしてしまう。
彼女は、アレクシア・フィオールという、同期の中で、トワリスともう一人だけの女魔導師であった。

 魔導師というよりは、どこぞの娼婦か芸妓だと言われた方が頷けるような、美しい見た目だが、これでトワリスより一つ年下──まだ十六歳だと言うのだから、驚きである。

 年も近いし、女同士ということもあって、入団当初は、アレクシアに声をかけてみようかと思っていたこともあった。
しかし、なんだかんだで、こうして話すのは初めてである。
というのも彼女は、トワリスとはまた違った意味で、有名人だったのだ。

 派手な容姿も由来してか、アレクシアには、悪い噂が多かった。
例えば、魔導師団の上層部に色目を使って贔屓してもらっているとか、ある魔導師を脅して退団させたとか、そういった噂だ。
もちろん、そんなものは根も葉もないことだし、鵜呑みにして信じているわけではない。
ただ、実際にアレクシアは、人を小馬鹿にするような態度をとったり、謀(たばか)ったりすることが多い女だったので、噂もあながち、全くの嘘ではないのかもしれない、なんて考えていた。

 本人も、誰かとつるみたがる質には見えなかったし、正直なところ、トワリスとアレクシアは、性格が合うようにも思えない。
だから、特に近づこうとしないまま、五年もの月日が経ったのだ。
それなのに、そのアレクシアが今更話しかけてくるなんて、意外であった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.103 )
日時: 2019/02/23 20:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HBvApUx3)



 アレクシアは、頬杖をついて、トワリスを見つめた。

「卒業試験の内容、見た?」

 持っていた匙を食卓に置いて、頷く。
やはりその話題か、というのは、なんとなく検討がついていた。

 アレクシアは、目を細めて、顔を近づけてきた。

「じゃあ、私と組まない? いえ、正確には私達、ね。貴女ともう一人、サイ・ロザリエスも誘ってるの。悪い話じゃないでしょう?」

 色香たっぷりに微笑んで、アレクシアが言う。
トワリスは、少し警戒したように眉を寄せた。

 サイ・ロザリエスというのも、トワリスの同期である。
彼とも話したことはなかったが、名前は知っていた。
サイは、筆記試験の首席合格者であり、入団から現在まで、常に首位を取り続けている期待の新人なのである。

 トワリスだって、入団してからは、独学ではなく、しっかりと魔導師団内で魔術を学べるようになったので、現在は、実技も座学も、成績上位者であった。
だが、サイに関しては、別格である。
あれが所謂天才なのだろうな、と誰もが思わざるを得ない。
サイは、そんな男であった。

 確かに、サイと組めれば、試験を有利に進められるだろう。
アレクシアの言う通り、悪い話じゃない。
しかし、それこそサイは、トワリスやアレクシアと違って、同期内で浮いているわけじゃないので、引く手数多だったはずだ。
それなのに、何故アレクシアと組むことにしたのだろう。
──というより、アレクシアは、どうやってサイを引き入れたのだろう。
そう考えると、アレクシアの誘いに安易に頷くのは、躊躇われた。

 トワリスは、あえて毅然とした態度で、アレクシアを見つめ返した。

「……えっと、フィオールさん、だったよね? 誘ってくれるのは有り難いんだけど、どうして? 私達、話したこともないだろ」

 アレクシアは、ふふっと笑みをこぼした。

「アレクシアでいいわ。単純な理由よ、さっさと試験を終わらせたいの。そのためには、優秀な人と組むのが一番でしょう? ねえ、首席合格のトワリスさん?」

「…………」

 褒められている、というよりは、何か試されているような気分である。
要は、アレクシアは、同期の首席合格者二人と組んで、試験を簡便に済ませようというのだ。
それくらいのことは、誰でも考え付きそうなことだし、別段なんとも思わない。
しかし、アレクシアの笑みを見ていると、彼女には、何かそれ以上の思惑があるように感じられた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.104 )
日時: 2019/02/26 21:04
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 トワリスはつかの間、アレクシアの目をじっと見ていた。
だが、やがて小さく息を吐くと、静かな声で尋ねた。

「……どんな任務を受けるかは、決まってるの?」

 アレクシアの眉が、ひょいと上がる。
少しの沈黙の末、懐から数枚の書類を取り出すと、アレクシアは答えた。

「ええ、決まっているわ。悪いけど、その辺りの主導権は、私が握らせてもらうわよ」

「…………」

 トワリスの眉間の皺が、深くなる。
主導権を握らせてもらう、とはっきり断言している辺り、アレクシアの狙いは、卒業試験の合格ではなく、ここにあるのだろう。
確実に合格することだけが目的なら、任務の指定なんてしてくる必要がないからだ。
つまり、あまり面識のないサイとトワリスの力を借りてまで、早急に済ませたい任務がある、ということである。

 通常、任務は上層部に命令されて行うものだが、卒業試験で受ける任務に、特に決まりはなかった。
上層部が提示してきた案件の中からであれば、決められた期間内に、どんな内容のものを、いくつ遂行するかも、自由に選んで良いことになっている。
正規の魔導師たちが請け負うまでもない、要はおこぼれの任務ばかりなので、そこまで重大な案件はないはずなのだが、わざわざ首席合格者二人を引っ張り出そうというのだ。
何か訳ありな任務なのだろうと、疑わざるを得なかった。

「……どんな任務?」

 訝しげに眉をひそめ、問う。
アレクシアは、おかしそうに口端を上げた。

「もしかして、私のことを警戒してるの?」

「いいから、見せて」

 ずいと手を差し出せば、アレクシアが、やれやれといった様子で書類を渡してくる。
受け取った書類に目を通すと、トワリスは、その文面を読み上げた。

「……魔導人形、ラフェリオンの捜索、及び破壊……」

 見落としがないように、渡された書類全てに、目を通す。
そこに書かれていた内容は、トワリスが思っていたよりもずっと簡単そうな、いわゆる“正規の魔導師が請け負うまでもない”任務であった。

 魔導人形とは、言ってしまえば、一種の魔法具である。
とはいっても、魔導師が使う杖などの武器とは違う。
娯楽目的で作られた、言わば玩具であった。
ただの木や布綿で出来た人形とは違い、魔導人形は、自力で動いたり、話したりすることができる。
もちろん、そこに意思はないが、子供や独り身の老人の遊び相手、話し相手として、人気を博していた。
また、劇団が魔導人形を並べ、一斉に奏でさせたその歌が美しいというので、話題になったこともあった。
魔導人形とは、富裕層の間で一時期大流行した、特別な玩具なのである。

 今回の書類に書かれていたのは、稀代の人形技師と名高い、ミシェル・ハルゴン氏の最高傑作にして遺作──魔導人形『ラフェリオン』を探して壊せ、といったような内容であった。
魔法具の破壊を命じられる任務というのは、決して珍しいものじゃない。
魔術をかけるのに失敗したり、制作者が亡くなったりして、誰も手に負えなくなった魔法具を処分してほしい、なんていう依頼は、よくあるものであった。
魔法具は、基本的には使わなければ何の効力も発揮しない、ただの道具に過ぎないが、中には、特殊な魔術がかかっていたりして、燃やそうとしても燃えないものや、魔力を暴発させて、何かしら被害を生み出すものも存在する。
そうなっては、一般人では対処できないので、魔導師が処理するのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.105 )
日時: 2019/03/02 18:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: XTElXZMY)



 一見、そう難しそうには見えない案件なので、アレクシアがなぜこの任務にこだわっているのか、トワリスには分からなかった。
しかし、ふと書類に書かれた日付を見ると、トワリスは顔をしかめた。

(……一四八六年……これ、八年も前の事件なんだ)

 八年も解決されていない、ということは、それなりの理由があるはずだ。
難しい任務だからと敬遠するつもりはないが、卒業試験は、正規の魔導師に昇格できるかどうかがかかっているわけだから、やはり慎重に選びたい。

 トワリスは、書類を裏返すと、アレクシアに返した。

「……これは、受けるべきじゃないと思う。かなり長い間、解決されてない案件みたいだし、もっと確実にこなせる任務の方が良いよ。簡単でも、数さえこなせば、評価されるはずだし」

 アレクシアは、すっと目を細めた。

「あら、随分と弱気ね。誰でも出来る案件を馬鹿みたいにちまちまこなすより、大きな任務を一発成功させた方が、手っ取り早く評価されると思わない?」

「それも一理あると思うよ。でも私は、博打を打つより、確実な方を選びたいから」

 トワリスが、きっぱりと断る。
するとアレクシアは、途端に表情から笑みを消して、ふうっと面倒臭そうに息を吐いた。

「……つまんない女ね」

 意見を述べただけなのに、つまらないなどと貶されて、トワリスは、むっとした顔でアレクシアを睨んだ。
一方で、彼女の口車に乗らなくて良かったと、安堵している気持ちもあった。
組む相手がいなくて困っているのは事実であるが、だからといって、誰でも良いわけじゃない。
人選を誤れば、自分がどんなことに利用されるかも分からないし、試験に落ちてしまう可能性だってある。
噂が真実かどうかはともかく、このアレクシアという女が、どうにも胡散臭い人間なのだということは、確かなようであった。

 アレクシアは、乗り出していた身を戻すと、椅子の背もたれに寄りかかって、持ってきていたパンをかじり始めた。
もうトワリスには、興味がないということだろうか。
その態度にも腹が立ったが、いちいち突っかかっても仕方がないので、トワリスも再びスープを口に運ぶ。

 そうして二人は、しばらく黙々と食事をしていたが、やがて、不意に目をあげると、アレクシアが言った。

「……私、知ってるのよ?」

 意味深な言葉に、トワリスが動きを止めて、眉を寄せる。
視線を向けてきたトワリスに、唇で弧を描くと、アレクシアは、ゆっくりと告げた。

「貴女が、寮の廊下で、同期の男を蹴り飛ばしていたこと」

 ぶっと音を立てて、トワリスがスープを噴く。
げほげほと咳き込みながら、近くにあった台拭きをとると、トワリスは、動揺した様子でアレクシアを見た。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.106 )
日時: 2019/03/05 19:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)




「な、なん、見てたの!?」

 アレクシアは、にやりと笑った。

「冷静そうに見えて、案外喧嘩っ早いのね、貴女。表立っていないだけで、同期と揉め事を起こしたのは、一度や二度じゃないでしょう? まあ、ちょっかいかけてくるのは向こうみたいだけど……ただ、このことが上層部に知られたら、貴女、どうなっちゃうのかしら。訓練以外での私情を挟んだ暴力沙汰なんて、ご法度だものね?」

 台拭きで噴き溢したスープを拭きながら、アレクシアを見る。
慌てて冷静になれと言い聞かせながら、トワリスは、低い声で返した。

「……脅しのつもり?」

 アレクシアが、白々しく肩をすくめる。

「嫌ね、人聞きの悪い。私はただ、今朝も貴女が、猿に躾(しつけ)をしていたことを知っているだけよ。あの猿……確かキーリエ子爵んとこのぼんぼんだったかしら」

「…………」

 脅しじゃないか、と反論しようとして、抑える。
問題は、そこではない。
何故アレクシアが、今朝トワリスが男を蹴躓(けつまづ)かせたことを知っているのか、というところだ。

 あの時、最後に確認したが、確かに目撃者はいなかった。
凄腕の暗殺者か何かが、気配を殺して潜んでいたのだとしたら話は別だが、仮にそうだったとしても、普通より耳も鼻も利くトワリスは、大抵の気配なら気づける。
それなのにアレクシアは、一体どうやって知ったのだろう。

 はったりか、とも思ったが、男がキーリエ子爵の一人息子であったことまで分かっている辺り、どうやらでたらめを言っているわけではなさそうだ。
となると、これはトワリスにとって、かなり手痛い状況である。
大抵、男の方はプライドがあるらしく、「獣人混じりの女にいじめられた」なんて上層部に報告なんてしないのだが、第三者であるアレクシアなら、何の躊躇いもなく報告するだろう。
成績上では優等生で通っているトワリスが、度々同期と問題を起こしていたことが露見したら、それこそ、卒業試験どころではなくなってしまう。

 トワリスは、賑わう食堂内を見渡してから、小声で尋ねた。

「なんで貴女が知ってるの。見てたの?」

「ええ、私、何でも見えちゃうから」

「……どういう意味?」

「さあ? どういう意味かしら?」

 愉快そうに微笑んで、アレクシアはトワリスの反応を伺っている。
この様子だと、アレクシアはおどけるばかりで、口を割ることはなさそうだ。

 トワリスは、悔しそうに引き下がると、小さくため息をついた。

「……分かった。……私も、相手がいなかったし、アレクシアの誘いに乗るよ。でも、主導権が貴女にあるっていうのは、納得できない。どの任務を受けるか、期間中どう動くかは、ちゃんと三人で話し合って決めよう」

 完全に言いなりになる気はないと意思表示して、アレクシアに向き直る。
アレクシアは、少し考え込むように口を閉じた後、すらりと脚を組んでから、頷いた。

「まあ、いいわ。サイも、貴女と話したがっていたし」

 次いで、食事が終わった食器を盆の乗せ、それを持って立ち上がる。
そうして、勝者の如き笑みを浮かべると、アレクシアは言った。

「それじゃあ、この話は成立ってことで。これからよろしくね? トワリス」

 トワリスは、ただ黙って、去っていくアレクシアを睨むことしか出来ないのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.107 )
日時: 2019/03/08 18:40
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 翌日、その日一日の講義や訓練を終えると、アレクシアとサイの二人が、トワリスの部屋に来ることになっていた。
圧倒的に男が多い魔導師団の寮では、男は大きな共同部屋を、女は小さな一人部屋をもらえることになっている。
卒業試験について話し合うなら、三人だけで話し合える女部屋がいいだろう、ということになったのだ。

 同じ一人部屋なら、アレクシアの部屋でも良いはずなのだが、トワリスの部屋にすることは、アレクシアが勝手に決めた。
別に、自室に誰かを招き入れること自体は構わないが、そういったアレクシアの一方的で強引な態度が、どうにも気に食わない。
挨拶をしてまだ一日しか経っていないが、卒業試験が終わったら、もう関わりたくないと思うくらいには、トワリスは、アレクシアのことが苦手であった。

 部屋には、必要最低限の物しか置いていないので、寝台と文机、小さな衣装箪笥くらいしかなかった。
それでも、一応軽く部屋を片付けながら、二人のことを待っていると、約束の時間から半刻も過ぎた頃に、アレクシアたちはやってきた。
アレクシアに連れられてきた男──サイ・ロザリエスは、金髪を右耳上で編み込んだ、細身の男であった。
同期の中でも一目置かれている存在なので、もっと高圧的な雰囲気の男かと思っていたが、サイは、存外控えめで、物腰の柔らかい男であった。

「はじめまして。サイ・ロザリエスと言います。よろしくお願いします」

 少し照れ臭そうに、サイが手を差し出してくる。
かなり想像と違う、弱々しい声だったので、トワリスも驚いたが、同じように自己紹介して、軽く手を握ると、サイは、安堵したように表情を緩ませた。

「挨拶は終わったかしら? 本題に入るわよ」

 自分の部屋でもないのに、トワリスの寝台に堂々と腰を下ろすと、アレクシアが話を進める。
その高慢な態度に、ため息をこぼしつつ、遠慮するサイに椅子を勧めると、トワリスは文机に寄りかかった。

 持ってきた書類をぺらぺらと振りながら、アレクシアは、口早に言った。

「既に伝えてあると思うけれど、私達はこれを受けるから。いいわね?」

 言いながら、アレクシアが、書類をぱらぱらと地面に放る。
床に散らばった書類は、トワリスが昨日目を通した、『魔導人形ラフェリオンの破壊』に関する資料であった。

 トワリスは、眉間に皺を寄せた。

「いいわねって、何決めつけてるのさ。どの任務を受けるか話し合うために、今日は集まったんでしょう?」

 アレクシアは、トワリスを小馬鹿にしたように、鼻を鳴らした。

「話し合うとは約束したけれど、譲歩するとは言ってないわ。文句でも反論でも聞いてあげるけど、最終的には、私の希望を通してもらうから」

「なっ……」

 あまりにも自分本意な言い分に、返す言葉も失ってしまう。
トワリスは、文机から立ち上がると、アレクシアに詰め寄った。

「そんなの、納得できるわけないだろ。私達と組みたいっていうなら、一人で勝手に話を進めるの、やめてよ」

「だから、文句でも反論でも、聞いてあげるって言ってるじゃない。別に、トワリスが卒業試験として他に受けたい任務があるなら、それに付き合ってあげても構わないわよ。ただし、魔導人形の破壊には、絶対に協力してもらうけれどね」

 声を荒げたトワリスを、アレクシアは、怯むことなく見つめ返す。
トワリスは、いらいらした様子で言い募った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.108 )
日時: 2019/03/11 18:00
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


「私は、別に受けたい任務があるわけじゃない。でも、こんな八年も解決していない任務、何が起こるか分かったもんじゃない。私は、もっと確実性のある任務を、慎重に選ぼうって言ってるんだよ」

「それは慎重なのではなくて、臆病って言うのよ?」

 挑発するようなアレクシアの言葉に、頭にかっと血が昇る。
再び声を荒げようとして、しかし、すうと息を吐いて怒りを抑えると、トワリスは、静かに尋ねた。

「……アレクシアは、一体何を企んでるのさ。魔導人形の任務に、どうしてそんなにこだわってるの? 訳を話してくれるなら、協力しようって気にもなるけど、一方的に話を押し通されると、あんたが私達を巻き込んでやろうって画策してるように思えるよ」

 真剣な面持ちのトワリスに対し、綽々とした笑みを浮かべると、アレクシアは答えた。

「あら、そう思ってもらって結構よ。だって、その通りだもの」

 折角友好的に話を進めようとしているのに、アレクシアは、そんなトワリスの心中など、全く察する気はないようだ。
ぐっと拳を握って、トワリスは眉をつり上げた。

「そんな風に言われて、はいそうですかって協力するわけないだろ!」

 一層声を大きくしたトワリスに、アレクシアは、やれやれといった風に首を振る。

「あーやだやだ。獣人混じりってやっぱり野蛮ね。大きな声で吠えないでくれる? 耳が痛いわ」

「この……っ」

 煽ってくるようなアレクシアの態度に、トワリスの耳が逆立つ。
いよいよ殺気立ってきたトワリスを、慌ててサイが止めに入った。

「ま、まあまあ! 落ち着いてください、二人とも! 折角組むことになったんですし、仲良くしましょうよ、ね?」

 二人の間に割って入って、サイがトワリスを宥める。
サイは、戸惑った様子で二人を交互に見たあと、アレクシアに向き直った。

「あの……アレクシアさん。僕は、その魔導人形の任務、受けても構いません。三人一組になるように命じられたってことは、三人でうまく協力しなければ、成し遂げられないような難しい任務であればあるほど、評価に繋がると思うんです。だから、その任務が長年未解決だとか、そういったことは、特に気にしません。……ただ、トワリスさんの言うように、僕も、貴女がその任務に拘る理由を知りたいです。理由を知っておけば、こちらとしても協力しやすいですし、もしアレクシアさんが、書類に書かれている以上のことをご存知なら、それも教えて下さい。情報が多ければ多いほど、任務の成功率だって高くなりますから」

 サイの言葉に、トワリスが同調して、アレクシアを見る。
アレクシアは、面倒臭そうに黙っていたが、やがて、小さく息を吐くと、ぽつりと呟いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.109 )
日時: 2019/06/03 16:59
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



「……私の親友がね。以前、その任務を受けて、死んだのよ」

 トワリスとサイが、同時に目を見開く。
アレクシアは、微かに目を伏せると、静かに話し始めた。

「何が起きたのかは分からない。けれど、遺体すら戻らなかったの。だから、仇をとりたいのよ。そして、一体なにが原因で彼が命を落としたのか、私のこの手で突き止めたいの」

 アレクシアの真剣な眼差しから、トワリスも目をそらせなくなる。
しかし、ふと手をあげると、サイが不思議そうに問うた。

「え、でもこの任務を受けたのって、殉職されたエイデン前魔導師団長が最初で最後ですよね。アレクシアさん、前魔導師団長と親友だったんですか?」

「…………」

「…………」

 一瞬、部屋が沈黙に包まれる。
ややあって、ぺろりと舌を出すと、アレクシアが言った。

「あら、嘘だってばれちゃった?」

 なんとなく分かっていたのか、サイが、呆れたような笑みを浮かべる。
トワリスは、アレクシアの胸倉を掴むと、がくがくと揺らした。

「この期に及んで嘘つこうなんて、ふざけるのも大概にしなよ!」

「なによ、一瞬じーんと来てたくせに」

「来てないっ!」

「ま、まあまあ! 落ち着いて!」

 サイが再び割って入り、アレクシアからトワリスを引き剥がす。
アレクシアは、トワリスに乱された胸元を整えると、上目遣いにサイを見つめた。

「いやね、まさか任務の受任者を調べたの? 細かい男って嫌いよ、私」

「す、すみません……。気になったもので、つい……」

 困り顔でアレクシアから目をそらし、サイが謝罪する。
アレクシアは、さらりと髪を掻き上げると、その毛先を指に絡ませた。

「まあでも、つまりはそういうことよ。この魔導人形の件は、前魔導師団長が挑んで、失敗した挙げ句、お蔵入りにして八年も放置されていた問題の事件なの。厄介な上に、魔導師団の後ろめたい過去まで絡んだ、面倒くさーい任務に違いないわ。だから、首席合格者である貴方たちに、こうして頼んでるんじゃない。優秀な貴方たち二人なら、解決できるかもしれないでしょ?」

 胡散臭い笑みで、アレクシアが二人の顔を覗きこむ。
トワリスは、不機嫌そうな表情のまま、低い声で返した。

「……魔導師団の後ろめたい過去って、なに?」

「さあ? でも、八年も誰も手を出してないってことは、単に解決困難ってだけじゃないはずよ。魔導師団の上層部が、臭いものに蓋をしたって考えるのが、普通じゃない?」

 アレクシアの言葉に、確かにあり得ない話ではないと、内心納得する。
しかし、それを表には出さず、うんざりしたように息を吐くと、トワリスは腕を組んだ。

「……アレクシアが、とにかくこの任務をどうにかしたいっていうのは、よく分かったよ。でも、やっぱり簡単には頷けない。魔導師団があえて手を出していない案件なら尚更、私達みたいな訓練生が、軽い気持ちで関わっちゃ駄目だと思う。未解決の事件を放っておくのは、確かに良くないと思うけど、私達、まだ正規の魔導師でもないんだよ?」

 アレクシアが、片眉をあげた。

「だからこそよ。正規の魔導師になってからじゃ、柵(しがらみ)が多すぎる」

「だったら、せめて上の人に聞いてからにしようよ」

「その上の人間が腰抜けだから、この案件は放置されてきたんでしょう?」

 はっきりとした口調で言われて、トワリスが口を閉じる。
アレクシアは、寝台から腰をあげると、トワリスに顔を近づけた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.110 )
日時: 2019/08/30 19:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)

「いい? 魔導師団なんてのはね、頭の沸いた無能な連中ばっかりなの。まともな奴なんて、ほんの一握りだわ。特に上層部は、地位と権力に目が眩んだくそじじいばっかり。期待するだけ無駄ってことよ」

「…………」

 アレクシアが不快そうに眉を歪めたので、トワリスは、驚いたように瞠目した。
こちらがどれだけ怒っても、真面目な話をしていても、鼻で笑ってふんぞり返っているのがアレクシアだ。
こんな風に強く反論してくるなんて、珍しいことのように思えた。

 顔つきを引き締めると、トワリスは、アレクシアに言い返した。

「……じゃあ、召喚師様に相談してみよう。忙しい人だから、時間はかかっちゃうかもしれないけど、魔導人形の件を見直すようにお願いしたら、きっと魔導師団を動かしてくれるよ」

「はあ? なんであんな奴に。召喚師なんて、馬鹿の筆頭じゃない」

 アレクシアがそう言うと、トワリスの顔が、ぴくりと強張った。
だんだん、ただの言い争いでは済まなくなってきて、サイが口を出そうとしたが、アレクシアは、畳み掛けるように続けた。

「だってそうでしょう? アーベリトに強引に王権を移すなんて、愚の骨頂よ。あんな街、平和を唱えて仲良しこよししているだけの街じゃない。路頭に迷ったガキを拾って、自己陶酔しているだけで王都が勤まるって言うなら、今頃世界中のみーんなが笑顔よ?」

 トワリスの瞳が、徐々に怒りを帯びてくる。
ぐっと拳を握ると、トワリスは大声をあげた。

「いい加減なこと言わないで! 陛下や召喚師様に助けられた人は沢山いるし、アーベリトは良い街だよ!」

 まるで、トワリスが牙を剥くのを面白がるように、アレクシアが口端をあげる。
鼻で笑うと、アレクシアは言い募った。

「それしか能がないから、問題だって言ってるのよ。結局人間は、強者に従い、弱者を貪る生き物なの。頭ん中がお気楽でお花畑なアーベリトなんて街に、いつまでも頭を垂れるほど私達は従順じゃないし、そんな街に王権を移した国王も召喚師も、ただの愚か者だわ。王都が移った途端、シュベルテで反召喚師派であるイシュカル教徒たちの勢いを増したのよ。それが、その証明じゃない?」

 言い返そうとして、口を閉じる。
トワリスは唇を噛むと、ふいとアレクシアから目を反らした。

「……もう、いい。私、あんたと組むの、やめる」

 怒りを抑え込んでいるのか、トワリスの語尾が震え、掠れている。
アレクシアは、微かに目を細めた。

「何かしら? よく聞こえなかったわ」

 トワリスは、鋭くアレクシアを睨むと、吐き捨てるように繰り返した。

「あんたと組むの、やめるって言ったの! 召喚師様やアーベリトの皆が、どんなに頑張ってるのか知りもしないくせに、そんな風に貶す奴なんかと組みたくない!」

「…………」

 再び、静寂が三人を包み込む。
サイは、どうにかして二人を止めなければと右往左往していたが、一体何と言って止めれば良いのか、分からないようだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.111 )
日時: 2019/03/20 18:43
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 沈黙を破ったのは、アレクシアであった。

「悪いけど、私達が組むことはもう申請しちゃってるから、今更覆せないわよ。私のことを嫌うのは構わないけど、組んだ以上、協力はしてもらうわ。卒業試験、合格したいでしょ?」

「…………」

 トワリスの肩に手をおいて、その耳元に顔を寄せると、アレクシアが囁く。
黙ったまま手を払ってきたトワリスに、くすりと笑うと、アレクシアは、部屋の扉に手をかけた。

「じゃ、そういことだから。お願いね?」

 それだけ言うと、軽やかな足取りで、部屋を出ていく。
アレクシアの後ろ姿を見送ったトワリスは、疲れた様子で寝台に座り込むと、静かに言った。

「……ごめんなさい。感情的になって、怒鳴ったりして」

 サイが、ぶんぶんと手を振る。
ちらりとアレクシアが出ていった扉のほうを見て、トワリスに視線を戻すと、サイは、穏やかな声で答えた。

「いえ……トワリスさんは、アーベリトに住んでいたんですもんね。故郷を悪く言われたら、そりゃあ、腹も立ちますよ。考えは人それぞれで良いと思いますが、さっきのアレクシアさんの発言は、確かに不謹慎です」

「…………」

 おそらくサイは、トワリスのことを慰めようとしてくれているのだろう。
項垂れているトワリスに、サイは、矢継ぎ早に付け足した。

「あ、私は! アーベリトが王都になって、良かったと思ってますよ。アーベリトが治めてくれなきゃ、ハーフェルンとセントランスで争いになっていたかもしれないですし、当時は、シュベルテの王宮内でも不幸が重なって、混乱していましたしね。状況が状況でしたから、どんな結果になっても、何かしら不満は出たんじゃないでしょうか。それでも、アーベリトが治めたことで、なんだかんだ一番穏便に済んだんじゃないかなと、私はそう思います」

 態度こそ落ち着いているが、サイの言葉の端々には、トワリスに対する気遣いや、元気付けようとする懸命さが伺えた。
少し表情を和らげると、トワリスは、小さく頭を下げた。

「……ありがとうございます。すみません、なんだか気を遣って頂いて」

 サイは、首を左右に振った。

「いえ、本心ですよ。人を救うために一生懸命になれる街なんて、素敵じゃないですか。理想は理想でしかない、なんて言いますが、目指さなきゃ、叶えられるものも叶えられません。召喚師様のことも、私はきっと、思いやりのある方なんだろうなと思ってます。賛否両論ありますけど、リオット族を解放したのも、アーベリトの活動に加担したのも、きっと根底には、優しさがあったんだろうなと」

「…………」

 サイの声を聞きながら、トワリスは、ほっとしたように眉を下げた。
本心だったとしても、トワリスを慰めるための詭弁だったとしても、サイの言葉は、とても嬉しいものであった。

 アレクシアのように真っ向から否定されたのは初めてであったが、実際、シュベルテに来てから、アーベリトや召喚師に対する批判的な意見を聞くことが多かったのだ。
シュベルテの人々からすれば、アーベリトは、王都としての誇りを奪っていった成り上がりの街、という印象が強いようであったし、召喚師ルーフェンについても、決して支持的な意見ばかりではなかった。
王権をアーベリトに移したことは勿論、リオット族を引き入れたことによる利益の独占権を、一部の商会に認めているような現状に対して、根強く反発している者が多かったからだ。

 街によって、その地域によって、様々な意見、思想を持っている者がいるのは、当然のことだ。
しかし、トワリスが思っていた以上に、アーベリトは風当たりの強い立ち位置にある。
アーベリトに来たこともないような人間の意見など、いちいち気にする必要はないのだと思いつつも、それでも、かつてアーベリトに身を置いていた者としては、否定的な意見を聞くというのは、やはり気分が良くないのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.112 )
日時: 2019/03/23 17:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)




 トワリスは、つかの間目を閉じて、呟いた。

「……そう……確かに規模は小さいですけど、アーベリトは、暖かくて、優しい街なんです」

 それから、微かに頬を緩めたトワリスを見て、サイも微笑む。
サイは、椅子に座り直すと、トワリスに尋ねた。

「トワリスさんは、もし正規の魔導師になれたら、アーベリトでの勤務を希望するんですか?」

 トワリスは、こくりと頷いた。

「そのつもりです。そもそも、私が魔導師になろうと思ったのは、アーベリトのためだから」

 はっきりと答えると、サイが、感心したように吐息をこぼした。

「かっこいいですね、そんな風に目標があって。私なんか、家の事情で魔導師になろうとしているだけですから、そういうの、少し憧れます」

 トワリスは、微苦笑を返した。

「目標って言っても、叶うかどうかは分からないですけどね。アーベリトは、基本的に他の街の人間を入れようとはしないし……」

 かつて、外部の力は借りないと、頑なに断言していたルーフェンの言葉を思い出す。
あの時は、トワリスも世情を理解していなかったから、ルーフェンの心の内なんて知る由もなかったが、今なら、あの言葉の意味が分かる。
事実、シュベルテにはアーベリトを良く思っていない者が多いし、トワリスがシュベルテにきて、五年経った現在でも、アーベリトは、ルーフェンの言葉通り、王宮内には決して余所者を入れない街であった。

 通常、従属する意思さえ見せれば、どの街にも、シュベルテから派遣された魔導師が常駐しているものだ。
セントランスのような巨大な軍事都市は別として、多くの街や村は、小規模な自警団が存在するくらいで、戦力を持たない場合が多い。
故に、サーフェリアの忠義者であり、国全体の守護を勤めるシュベルテの魔導師団が、各地に派遣され、その街や村を守っているのだ。

 アーベリトも例外ではなく、小さな自警団がいるだけの街だ。
アーベリトの場合は、前領主アラン・レーシアスの代で発表された、遺伝病の治療技術に疑義が唱えられたことで、その信頼が地に落ち、実質旧王都シュベルテとも疎遠になったので、常駐の魔導師も立ち入っていないようであった。
しかし現在は、召喚師ルーフェンとリオット族によって、アーベリトの医療技術の正当性は証明されていたし、何より、アーベリトは王都なのだ。
王都ともなれば、国の中心地としてその規模を拡大せざるを得ないし、当然、相応の戦力を持たねばならない。
──にも拘わらず、現状アーベリトは、元々存在していた自警団だけで戦力を賄っている状態である。
いざ内戦が起こった際は、シュベルテが力を貸すことになっているとはいえ、王都の守護を果たすのが小さな自警団のみというのは、歴史上異例の事態だろう。
それでも、そんな事態がまかり通ってしまっているのは、一重に“召喚師がアーベリトにいる”からだ。
召喚師がいるというだけで、周囲への脅しになるし、そもそも、サーフェリアの軍事の総括を行っているのは召喚師なので、そのルーフェンが他からのアーベリトへの干渉を認めないと決めている以上、誰も口出しができない。
トワリスも、そんな危うい体制で大丈夫なのだろうか、と心配になる反面、アーベリトに対して、敵意を持っている人間を引き入れるのが危険であることは確かなので、ルーフェンのやり方に異議を唱えることなど出来なかった。

 とはいえ、完全にアーベリトが身内だけで国を治めているかと言えば、答えは否だ。
どういった基準でサミルやルーフェンが人材を選んでいるのかは分からないが、特に政治に関する知識が深い者は、他所からアーベリトに引き入れられることもあるようであった。
軍政についてはともかくとして、政務に関しては、アーベリトの人間だけではどうにもならなかったのだろう。
となれば、魔導師としてアーベリトの力になりたいというトワリスの夢も、望みがないわけではない。
特にトワリスは、五年前まではアーベリトで暮らしていたわけだから、その名前を聞いて、サミルたちに警戒されることはないはずである。

 魔導師団では、基本的に上司の命令に従って各地を巡ることになるが、上位の成績を修めて正規の魔導師になれば、任務地の希望を聞いてもらえることもある。
だからトワリスは、アレクシアなどという怪しい女に利用されようとも、卒業試験でどうにか成果を残す必要があるのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.113 )
日時: 2019/03/25 18:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 サイは、トワリスの詳しい事情なんて知るはずもないが、アーベリトに就くのが難しいことは、理解しているのだろう。
応援するように拳を握って見せると、サイは言った。

「大丈夫ですよ、トワリスさんなら。きっと、アーベリトに行けます」

 柔和な笑みを浮かべて、サイが頷く。
トワリスは、もう一度礼を言うと、ぎこちなく笑みを返した。
それから、サイのほうを向くと、ふと思い付いたように尋ねた。

「そういえば、サイさんは、どうしてアレクシアの誘いに乗ったんですか? あんな怪しい任務、私達みたいな訓練生の元に下りてくるわけないし、彼女が一体どこからあの資料を入手してきたのかも、疑わしいところです。こんな変な話に乗らなくても、サイさんなら、他に組む相手がいたでしょう?」

「それは……」

 うつむくと、サイは口ごもりながら答えた。

「私は、その……トワリスさんと、一度話がしてみたくて……」

 意外な答えが返ってきて、ぱちぱちと瞬く。
サイは、少し照れたようにうつむいた。

「アレクシアさんに、話を持ちかけられたとき、三人目はトワリスさんを誘うつもりだと聞いて、それで、話に乗ったんです。私一人じゃ、なかなか話しかけにいく勇気も出なかったものですから……。す、すみません! なんか気持ち悪いですよね! 別に、変な意味はないんですけど……!」

 慌てた様子で弁明してから、サイは続けた。

「ずっと、努力家な方だなぁと思って、見てたんです。勉強熱心だし、訓練場にも、いつも最後まで残ってるし……」

「…………」

 魔導師団に入ってから──いや、生まれてからと言っても過言ではないが、こんな風に人から褒められたのは初めてだったので、トワリスは、なんだかむず痒い気持ちになった。
レーシアス家にいた頃だって、新しいことを覚える度に皆が褒めてくれたが、それはやはり、何も出来なかった子供に対しての褒め言葉だ。
勿論、それだって当時は嬉しかったのだが、サイのように、一人の人間として見られた上で認めてもらえると、違う喜びが湧いてくる。

 嬉しかったけれど、それを素直に表に出すこともできず、トワリスは、どこかぶっきらぼうに返した。

「……それは、私が人より不器用だからですよ。魔導師団に入団するまで、魔術どころか、文字の読み書きすらろくに出来なかったんです。人より出遅れてる分、頑張らないと」

「えっ、じゃあ、入団試験の勉強は、独学で?」

 サイが、驚いたように瞠目する。
微かに視線を動かすと、トワリスは、控えめな声で言った。

「まあ、一応。ほとんど、腕力にものを言わせて、合格したような気もしますけど……」

 サイの目が、ぱっと輝いた。

「尚更すごいじゃないですか。小さい頃から私塾に通ったり、魔導師にみっちり仕込まれても、落ちる人が沢山いる入団試験ですよ。それを独学で通過して、今も成績上位で在り続けてるんですから、それで不器用なんて言ったら、嫌味になっちゃいますよ」

 無愛想な態度をとっているのに、サイは、そんなことは全く気にしていない様子で、賞賛してくれる。
まるで子供のような澄んだ目で見つめられて、思わず苦笑すると、トワリスは、おかしそうに肩をすくめた。

「貴方に褒められるほうが、嫌味に聞こえちゃいますよ。よく噂になってますよ、貴方は天才だって」

 サイは、ぱちくりと目を瞬かせると、恥ずかしそうにはにかんだ。

「私は、ただ魔術が好きなだけで、あとは言われないと何もできない、意気地無しなんですよ。目標があって、自分の意思で頑張る皆の方が、よっぽど……」

 言葉を切って、それからトワリスの方に向き直ると、サイは言った。

「試験、頑張りましょうね」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.114 )
日時: 2019/03/28 07:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


  *  *  *


 天が一瞬、不気味な光を孕んだかと思うと、次の瞬間、腹に響くような凄まじい雷鳴が鳴り響いた。
ややあって、ざあざあと降り始めた雨が、激しく地面を叩く。

 サイは、慌てて馬車の窓を閉めると、向かいに座っているアレクシアとトワリスに、声をかけた。

「今夜は荒れそうですね。今朝までは晴れてたのに……。屋敷に、馬車を横付けしてもらいましょうか?」

 トワリスは、そうですね、と答えてから、窓越しに、雨に煙る木造屋敷を見た。
都市部から、遠く離れた山中にひっそりと建つ、質朴で古びたこの屋敷は、ハルゴン邸である。
かつて、稀代の人形技師として名を馳せたミシェル・ハルゴン氏が、生前も住んでいた屋敷だと聞いていたので、もっときらびやかな豪邸を想像していた。
しかし、目前のその屋敷は、見るからに老朽化し、寂れていて、まるで廃墟のような雰囲気を醸している。

 御者に声をかけようとしたサイに、アレクシアが、制止をかけた。

「待って。私が門を開けるように交渉してくるから、貴方たちはここにいなさい」

「えっ……」

 アレクシアの発言に、サイとトワリスが、同時に声をあげる。
驚いた様子で黙りこんだ二人を一瞥してから、さっさと外套の頭巾を被ったアレクシアに、サイは、申し訳なさそうに言った。

「あ、それなら、私が行きますよ。外、すごい雨ですし」

 言いながら、サイも頭巾をかぶる。
しかしアレクシアは、小さく鼻で笑うと、そのまま馬車から出ていってしまった。

 トワリスと顔を見合わせ、仕方なく、サイは被った頭巾を脱ぐ。
トワリスは、豪雨の中、ハルゴン家の屋敷へと歩いていくアレクシアの姿を見ながら、小さく息を吐いた。

「……なんか、アレクシアが自分から動いてるところを見ると、裏があるように見えますね」

「た、確かに……」

 苦笑して、サイが同調する。
普段のアレクシアなら、「貴方が行ってきなさい、私は寒いのも濡れるのも嫌よ」くらいは平然の言ってのけそうなものだ。
卒業試験を受ける三人組を作り、上層部に申請し、任務まで用意したのもアレクシアだが、その行動にも、おそらく裏がある。
雨に濡れてまで、馬車から出ていくなんて、これもただの親切とは思えなかった。

「……そういえば、トワリスさん。ちょっといいですか?」

 ふと向き直ったサイが、トワリスの方を見る。
ちらりと目を動かしたトワリスに、サイは、真面目な顔つきになった。

「実は……あのあと、少し調べてみたんですけど、魔導人形ラフェリオンに関する任務は、私たち訓練生に用意された案件の中には、含まれていなかったみたいなんです。どんな手段でアレクシアさんが魔導人形の資料を入手してきたのかは分かりませんが、おそらくこの任務は、正規の魔導師に当てたものなのでしょう」

 サイの言葉に、トワリスは眉をあげた。

「調べたって、どうやってですか?」

「過去十年分の記録や未解決事件の内容を、資料室で読みました」

「じゅ、十年分……」

 サイはさらりと答えたが、魔導師団が請け負った過去十年分の任務を調べるなんて、とてつもない作業量であったはずだ。

 魔導師団の本部には、任務に関する情報がまとめられた資料室が、三ヶ所存在する。
一つは、正規の魔導師が請け負う、一般の任務に関する資料が納められた大部屋で、何年も解決されていない困難な任務や、特殊な事例だと認められると、その案件は宮廷魔導師団のほうへと持ち込まれる。
逆に、正規の魔導師が請け負うまでもない、簡単な案件だと判断された任務は、トワリスたちのような訓練生に回されるのだ。

 その一室だけでも、平民階級の民家くらい四、五軒は入ってしまいそうな広さがある。
そこに所狭しと並べられた本棚の資料、十年分をここ数日で調べあげてしまったのだとしたら、サイの仕事の速さは、やはり流石としか言いようがない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.115 )
日時: 2019/03/29 19:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 トワリスは、深々と嘆息した。

「そう……。じゃあやっぱりアレクシアは、不正を働いてまで、魔導人形を破壊したい何かしらの理由があって、それに私たちを巻き込んでるってことですよね」

 サイが、こくりと首肯する。

「ええ。あんな任務が、訓練生の卒業試験に適用されるはずがないっていうトワリスさんの読みは、当たっていました。アレクシアさん、私たち三人が組むことは、本当に上に申請していたようですが、受ける任務に関しては、虚偽の報告をしたんでしょうね」

「…………」

 真意は分からないが、いよいよアレクシアの悪事が明確になってきて、トワリスは、眉をひそめた。

 今回の任務が、サイの言う通り訓練生に回された案件ではないのだとしたら、アレクシアは、正規の魔導師が利用する資料室から、何かしらの手段で魔導人形ラフェリオンに関する資料を盗み出してきた、ということになる。
正規の魔導師どころか、八年も未解決な上、前魔導師団長も放棄したような任務だったわけだから、下手をすれば、宮廷魔導師に当てられたものである可能性だって高い。

 資料室の資料は、ある程度任務の種類によって整理され、区分けされているが、管理部でもない一介の訓練生が、あの膨大な蔵書の中から、特定の任務の資料を見つけ出すなんて、かなり骨の折れる作業だったはずだ。
それをアレクシアは、本来立ち入れないはずの資料室に侵入して、他の魔導師に見つからないよう、短時間で行ったというのだろうか。
それとも、受ける任務自体はどんなものでも良くて、ただ難しい任務に挑戦したかっただけだったのか。
確かに、訓練生の身の上で、宮廷魔導師当ての任務を成功させたら、良くも悪くも注目はされる。
あのアレクシアが、そこまでして周囲からの評価を得たがっているとも思えないが。

 悶々と考えを巡らせていると、サイが、神妙な面持ちで尋ねてきた。

「……どうしますか? トワリスさん、外れますか?」

 トワリスが、顔をあげる。
少し不安そうに目を伏せると、サイは続けた。

「今なら、まだ間に合うと思います。基本的に申請内容の変更は難しいでしょうが、アレクシアさんに強引に誘われたんだって上層部に言えば、もしかしたら、組の決定を取り消してくれるかもしれません。後々、無断で魔導人形破壊の任務に当たったことを、処罰されることもないでしょう。……引き返すなら、今かと」

 サイの言葉に、トワリスは、意外そうに瞬いた。
それから、雨の降りしきる外を再度一瞥すると、微苦笑した。

「……それ、言うなら、もっと前に言うべきだったんじゃないですか。もうゼンウィックまで来ちゃったんですよ?」

「あ、それは、その……」

 サイが、困り顔で口ごもる。
トワリスは、少し呆れたように笑った。

 旧王都シュベルテから、ハルゴン邸のある東部地方ゼンウィックまで、馬車で片道三日ほどかかる。
魔導師団が呈示した、卒業試験に費やせる期間は約一月。
その期間内に、より多く、より難しい任務をこなしていかなければならないというのに、今から何もせずにシュベルテに戻ったら、このゼンウィックまでの移動時間が、全て無駄になってしまう。
魔導人形の破壊に付き合う気がないなら、トワリスだって、最初からアレクシアに着いてこなかったし、そんなことは、サイとて分かっているはずである。
それでも彼が、引く返すなら今だと口添えしてきたのは、やはり、トワリスがアレクシアにひどく反発していたことを、気にしているからなのだろう。

 サイは、少し気弱な面はあるものの、噂通りの優秀な魔導師で、かといって傲ることもない、勤勉で気配り上手な性格の持ち主であった。
そんな彼のことを、トワリスは素直に尊敬できたし、サイもまた、トワリスと組めたことを喜んでいるようであった。
だが、その一方で、顔を合わせる度に睨み合うアレクシアとトワリスに挟まれて、居心地の悪さも感じているようだった。
サイは度々、本当にアレクシアと組んで良かったのかと、トワリスを気遣って尋ねてくるのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.116 )
日時: 2019/04/03 18:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 トワリスは、穏やかな声で言った。

「……サイさんは、なんだかんだで、アレクシアに協力するつもりなんですね」

 サイは、少し視線をさまよわせた後、小さくうなずいた。

「協力、というか、興味があるんです。あの有名な人形技師、ハルゴン氏の造形魔術は、見事なものだったと聞いていますから。それに、今引き上げたら、チームも解散しなくちゃならないでしょう? 私は、トワリスさんと組んでいたいので……」

「…………」

 まっすぐ言葉を投げ掛けられて、一瞬、返事が出てこなくなる。
サイは、生来の人たらしなのか、時折こうして、直球な言葉を恥ずかしげもなく述べてくる。
別段意味はないのだと分かっていても、いざ面と向かって言われると、なんだか胸が落ち着かない。

 トワリスは、肩をすくめてから答えた。

「いいですよ、私も付き合います。ここまで来て引き返すのは、時間が勿体ないですし、チームを解散したいなんて言ったら、上層部に色々と勘繰られそうですから。今のままアレクシアを説得して別の任務に向かうのは、骨が折れそうですしね……」

 トワリスが、はあ、とため息をつく。

 本当のことを言うと、結局他に組む相手が見つからなかった、というのも大きな理由の一つであった。
アレクシアといがみ合っている内に、当然、周囲の訓練生たちもチームを作っていたから、今更トワリスと組んでくれそうな人間なんて、見当たらなくなってしまったのだ。
あぶれた挙げ句、度々同期と揉め事を起こしていたことをアレクシアに密告されるよりは、現状に甘んじた方が得策と言えるだろう。

 落ち込んでいる様子のトワリスを見ながら、サイが、不意に真面目な顔つきになった。

「……ただ、アレクシアさんに関しては、やはり信用しない方がいいかもしれないですね」

 驚いたように瞬いて、トワリスがサイを見る。
アレクシアが信用ならないのは、トワリスとて十分承知していることであったが、こんな風にサイが悪口を言っているところを見るのは、初めてだったのだ。

「この任務が、それだけ危険ってことですか?」

 問えば、サイは顎に手を当てて、考え込むような仕草をした。

「……それもありますけど、彼女、何を考えているのか、いまいち読めないじゃないですか。ラフェリオンの破壊に私達を巻き込みたいのかと思いきや、わざわざアーベリトを貶して、トワリスさんを怒らせていたでしょう? 本当に私達に協力してほしいなら、本意じゃなかったとしても、私達の機嫌をとるはずだと思いませんか?」

 あ、と声を漏らして、トワリスは頷いた。

 アレクシアは、悪知恵が働くという意味で、かなり頭の良い女だ。
そんな彼女が、頻繁にトワリスを煽るような真似をして、関係を悪化させるなんて、確かに考えづらいことであった。
嘘でも友好的な態度をとって、サイやトワリスが快く協力するような状況を作り出した方が、アレクシアにとっては、都合が良いはずなのに。

 珍しく眉根を寄せ、サイは言い募った。

「なんというか、妙な余裕を感じるんです。助力を求めてきた割には、私達が反発してもおかしくないような態度ばかりとって……。まるで私達が、最終的にはアレクシアさんに協力すると、確信しているような──」

 その時だった。
まるでサイの言葉を遮るような勢いで、がらりと馬車の戸が開く。
サイとトワリスが振り返ると、そこには、全身ずぶ濡れになったアレクシアの姿があった。

「……あ、おかえりなさい。大丈夫ですか? 身体を拭いたほうが……」

 言いながら、サイが手拭いを探そうと、荷物の中を漁る。
しかし、そんなサイの申し出は無視して、アレクシアは言った。

「錆び付いていて、外門はうまく開かなかったわ。馬車じゃ入れないから、ここからは歩いて行きましょう」

 怪訝そうに顔をしかめると、トワリスは尋ねた。

「うまく開かなかったって……屋敷の人は? 開けてくれなかったの?」

 雨水の滴る蒼髪をかき上げ、濡れて重たくなった外套を絞りながら、アレクシアは、ちらりと笑った。

「住人は、屋敷の中よ。門を開けるのにわざわざ外に呼び出して、お互い濡れる必要はないでしょう? 問題ないわ、歓迎はしてくれているから」

「そう? なら、いいけど……」

 語尾を濁して、トワリスは、サイと目を合わせる。
雨の中、屋敷の者を外に呼び出す必要はない、という気遣いは頷けるが、そもそも、人が住んでいるのに、外門がちゃんと機能していないなんてことがあるのだろうか。
サイも、アレクシアの意図を図りかねた様子である。

 アレクシアは、濡れた外套の頭巾をかぶり直すと、鬱陶しそうに雨粒を手で払いながら、再び馬車に背を向けた。

「ほら、行くわよ。さっさと準備なさい」

 アレクシアに急かされて、サイとトワリスも、自分達の外套を手に取った。
疑問を感じながらも、それぞれ外套を纏うと、二人は、激しい雨の中に降り立ったのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.117 )
日時: 2019/04/06 18:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 ハルゴン家の屋敷は、近くで見てみると、一層おどろおどろしい雰囲気を醸していた。
馬車の中から見た時は、想像より寂れているな、くらいにしか思わなかったが、いざ間近で見上げてみると、もはや曰く付きの幽霊屋敷にしか見えない。
アレクシアの言った通り、外門は錆びつき、まるで血の雨でも浴びたかのように変色していたし、木壁も所々腐り、こうして建っているのが不思議なくらい、屋敷全体が劣化している。
風が吹く度、不気味にざわめく森を背景に、幽静と佇むその姿は、異様な存在感を放っていた。

「……ねえ、ここ、本当に人が住んでるの?」

 雨を凌げる玄関口まで来ると、トワリスは、アレクシアに問うた。
至近距離で見れば見るほど、この屋敷には、人が住んでいるとは思えない。
人どころか、鼠一匹すらいないのではないかと疑うほど、この屋敷からは、生の気配がしなかった。

 屋敷を見回しながら、サイも、呟くように言った。

「ハルゴン邸は、本当にここで合ってるんでしょうか? どう見ても、無人の廃墟にしか見えないのですが……」

 湿った横風になぶられ、冷たい雨粒が外套に染み込めば、サイとトワリスが、思わず身体を震わせる。
外門同様、錆びて使い物にならない呼び鈴を見ていたアレクシアは、扉の取っ手に手をかけて、平然と答えた。

「合ってるわよ。資料に載ってた住所も、ここだったでしょう?」

「それは、そうですけど……。八年前の資料ですし、住人が引っ越したってことも、考えられるのでは。さっきアレクシアさんが言っていた、住人は中にいるっていうのは、実際に会ったって意味なんですか……?」

 持っていた長杖を握りしめ、サイが、気味悪そうに表情を歪める。
不審がるサイとトワリスには構わず、アレクシアは、取っ手を強引に押し引きすると、開かないことに苛立ったのか、今度は、思いっきり扉に蹴りを入れた。
すると、ぎしっと蝶番が嫌な音を立てて、勢いよく扉が開く。
呆気にとられた様子のサイとトワリスに対し、あら、と一言呟くと、アレクシアは、そのまま屋敷の中に足を踏み入れた。

「案外簡単に開いたわね」

 薄暗い室内を、アレクシアは、何の躊躇いもなく進んでいく。
人様の屋敷の扉を蹴破った挙げ句、そのまま無遠慮に中へと入って行ったアレクシアを、トワリスは、慌てて引き留めた。

「ちょっと、アレクシア! いくらなんでも、不法侵入はまずいよ!」

 咄嗟に腕を掴んで、アレクシアを引っ張る。
しかし、目前に広がる屋敷内の光景を見た瞬間、トワリスは、身体を硬直させた。
玄関口の先にある大広間の至るところに、ばらばらになった人間の手足や胴体、頭部などが、散乱していたのである。

「びっ、びっくりした……一瞬、本物かと思いましたよ」

 後から入ってきたサイの声で、トワリスは、はっと我に返った。
よく見てみれば、散っていたのは、本物の人間の身体の一部ではない。
白木や金属で作られた、人形用の部品だったのである。

 大広間、そして奥に並ぶ小部屋にも、その左右に設置された大階段にすら、人形の部品は所々に放置され、山積みになって捨てられている。
素材や完成度合も様々で、肩から掌の部分まで繋がっているものもあれば、指先だけの部品も落ちており、中には、塗装が終わっていないだけで、頭から爪先まで出来上がっているものもあった。
共通していたのは、そのどれもが、作り物と分かっていてもぞっとするくらい、精巧な見た目をしているということだ。

 ぎぃっと木の軋む音がして、風に揺すられた扉が、ひとりでに閉まった。
規則的な間隔で並ぶ窓には、雨の幕が波のように下り、流れる線状の影が、舐めるように人形たちをなぞっていく。
血の通わない、無機質で滑らかな彼らの表面には、それでいて艶かしく、人間のものとはまた違う、奇妙な生々しさがあった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.118 )
日時: 2019/04/13 07:59
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 薄暗い室内で、トワリスはしばらくの間、人形たちを眺めていた。
しかし、ふと身動いだアレクシアが、すっと目を細めると、同時にトワリスも顔を上げた。

「アレクシア、どうしたの?」

「……来るわ」

 言い様、アレクシアが腰の革袋から、掌程の宝珠(オーブ)を取り出した。
宝珠は、魔力を蓄蔵できる魔法具の一種である。
と言っても、主な使用目的は魔力の貯蔵ではなく、遠隔からの魔術の行使だ。
宝珠があれば、その場に魔導師がいなくても、蓄えられた魔力分の魔術を発動させることができるのである。

 アレクシアが宝珠を天井に向けて投げると、宝珠は眩い光を放ち、室内を照らした。
一気に視界が明るくなって、思わず目を閉じる。
刹那、どこからか、車輪が滑るような音が聞こえてきて、トワリスは、ぴくりと耳を動かした。

(近づいてくる……)

 凄まじい速さで迫ってくる駆動音に、トワリスは、腰に差している二対の剣──双剣に手をかけた。
一拍遅れて、サイもその気配に気づいたのだろう。
緊張した面持ちでトワリスと目を合わせると、長杖を構える。

──と、次の瞬間。
奥の扉が、突然破裂したかのように突き破られたかと思うと、何かが、目にも止まらぬ勢いでトワリスの目の前に迫ってきた。

 咄嗟に前に踏み込んで、避ける。
トワリスでなければ、到底反応できなかったであろう速さのそれは、そのまま一直線に壁に突っ込むと、車輪を動かして、ゆらゆらとこちらに向き直った。

 所々、地の金属が顕になった白皙(はくせき)と、肘から先に埋め込まれた刃。
乱れた金髪は、左半分が抜け落ち、頭皮がむき出しになっている。
透き通るような青い目だけが、爛々と光っているそれは、少女を模した、古い魔導人形であった。

 下半身はなく、腰から上を車輪のついた台の上に据え付けられた少女──魔導人形は、全身の関節から、ぎぃぎぃと不規則な駆動音を鳴り響かせながら、トワリスたちを見据えている。
すかさず任務の資料を取り出したサイは、一瞬それに視線をやってから、はっと息を飲んだ。

「もしや、これがラフェリオンでは……?」

 サイの呟きに、トワリスも瞠目する。
彼の言う通り、この少女が破壊するべきラフェリオンなのだとしたら、それは、トワリスの知っている魔導人形の姿とは、程遠いものであった。
魔導人形とは本来、娯楽のために作られた玩具に過ぎない。
せいぜい、飲み物や食べ物を運んだり、歌ったり、特定の問いかけに対して反応するくらいしか出来ないはずなのに、このラフェリオンとやらは、見る限り人殺しの道具だ。
少なくとも、腕に刃が仕込まれた魔導人形なんて、聞いたことがなかった。

 再び車輪を加速させると、ラフェリオンは、腕の刃ごと上半身を回転させて、トワリスに突進してきた。
剣を構えるも、すぐに手を引いて、横に避ける。
攻撃を防ごうにも、まるで竜巻のように回転する刃と剣を交えたら、腕ごと巻き込まれて、木端微塵にされるのが落ちだ。
動きを止めるためには、車輪を狙うのが有効だろうが、その車輪自体も鉄製のようなので、果たして斬撃が通ずるか分からない。

「ねえアレクシア、あれがラフェリオンなの!?」

 切迫した声で尋ねるが、返事は返ってこない。
先程まですぐ近くにいたはずのアレクシアが、隣にいないことに気づくと、トワリスは、慌てて周囲を見回した。
そして、広間の右側にある大階段を、足早に駆け上がっているアレクシアを見つけると、目を見張った。

「ちょっと、どこいくの!」

「そいつの相手は頼んだわよ!」

「はあ!?」

 ラフェリオンの標的が、トワリスとサイに向いているのを良いことに、アレクシアは、脇目も振らず屋敷の二階へと上がっていく。
まんまと囮にされたことは分かったが、この状況でラフェリオンから目をそらす訳にもいかず、文句を言うことも、追いかけることも叶わなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.119 )
日時: 2019/04/13 17:50
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 またしても襲いかかってきたラフェリオンの攻撃を、素早く横に跳んで、回避する。
しかし、避けた瞬間、ラフェリオンの刃の軌道が、微かに変わった。

「────!」

 頬すれすれの位置を、刃が掠めていって、思わず背筋が冷たくなる。
速いが、見切れぬほどではないと思っていたラフェリオンの動きは、決して単調なものではなかった。
ラフェリオンもまた、トワリスの動きを見切り始めていたのだ。

 このまま避けているだけでは、いずれ仕留められるのは、トワリスたちのほうだろう。
相手は、疲れも痛みも知らぬ魔導人形だ。
時間を稼ぐだけならば、こうして足止めをするだけでも良いが、ラフェリオンの破壊が目的である以上、何かしら打って出る策を練らなければならない。

 トワリスは、歯を食い縛ると、次いで迫ってきたラフェリオンの刃を、地面に仰向けに滑って避け、回転する車輪と台の繋ぎ目に、剣を突き立ててみた。
金属同士がかち合い、火花が散る。
車輪の輻(や)の隙間に剣がつっかえ、つかの間、動きを止めたラフェリオンであったが、しかし、次の瞬間──。
耐えきれずに剣が折れ、車輪はその破片を巻き込みながら、再び回り始めた。

「──っ!」

 剣の砕けた衝撃が、右腕の骨にまで響く。
一瞬怯んだ隙に、素早く方向転換したラフェリオンは、トワリスを突き刺そうと、刃を垂直に持ち上げた。

 避けなければ、と思ったが、低い姿勢からすぐには起き上がれなかった。
咄嗟にラフェリオンを蹴り飛ばそうと、脚に力を込めるも、間に合わない。
浮かぶ宝珠の光を弾きながら、振り下ろされた刃に、死を覚悟した時──。

「伏せて!」

 サイの声と共に、すぐ側で、激しい爆発音が聞こえたかと思うと、ラフェリオンが勢いよく吹き飛んだ。
ややあって、二発、三発と爆発が続くと、崩れてきた天井の瓦礫が、ラフェリオンの上に降り注ぐ。
次々と落下してくる瓦礫は、土埃を巻き上げ、互いを砕きながら積み重なると、あっという間にラフェリオンを飲み込んでしまった。

 間近で爆発が起こったので、トワリスは、しばらく動けなかった。
伏せていたお陰で、目立った怪我は負わなかったが、少しの間、目と耳が使い物にならなかったのだ。
駆け寄ってきたサイに抱き起こされてから、トワリスは、ようやく立ち上がった。

「トワリスさん! 大丈夫ですか? すみません、ラフェリオンが動き回ってる間は、どうにも狙いが定められなくて……」

 心配そうに顔を覗きこんで、サイが尋ねてくる。
トワリスは、髪や身体についた土埃を払いながら、小さく首を振った。

「いえ、助かりました。……ありがとうございます」

 痛めた右腕を擦りながら、トワリスは、静寂した瓦礫の山を見つめた。
今のところ、下敷きになったラフェリオンが動き出す気配はないが、何しろあの機動力だ。
いつ瓦礫を撥ね飛ばして、また襲いかかってくるか分からない。

 同じく瓦礫の方を警戒しながら、入ってきた扉に近づくと、サイは、取っ手に手をかけた。
だが、すぐにでも壊れそうな見かけに反し、取っ手はぴくりとも動かない。
アレクシアが、蹴り一つで開けていたのが、嘘のようだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.120 )
日時: 2019/04/16 19:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 眉を寄せると、トワリスも扉の方へと歩いていった。

「開かないんですか?」

「……ええ。ここは一度、逃げて体制を立て直すべきかと思ったのですが……。この屋敷自体も、どうやらただのおんぼろという訳ではなさそうですね」

 屋敷内を見回しながら、サイが答える。
トワリスは、折られずに済んだ双剣の片割れを、すっと鞘に納めた。

「あの人形……勿論意思はないと思いますが、知能はあるみたいでした。ただ突進してきているように見えましたけど、少しずつ、刃の向きとかその可動域が、変わっていたんです。多分偶然じゃなくて、私の動き方を見て、徐々に攻撃の仕方を変化させていったんじゃないかと」

 サイは、真剣な顔で頷くと、顎に手を当てた。

「学習能力があるってことですか……ハルゴン氏の最高傑作と言われるだけありますね。かなり古そうに見えましたが、機能は、私たちの知る魔導人形より、遥かに優れているようです。原動力となっている術式も、目に見えるところにはなさそうでしたから、停止させるのも容易ではないでしょう。完全に破壊しきるか、解体して調べるしかありませんが……」

 言いながら、サイは悩ましげに目を閉じた。

 魔術で動く魔導人形には、その身体のどこかに、術式が刻まれているはずであった。
術式とは、その魔術を発動させるための陣や呪文のことで、魔導人形に限らず、術者がその場にいなくても働き続ける魔術には、必要不可欠なものだ。
例えば、アレクシアが近くにいないにも拘わらず、彼女の魔力に依存して、室内の照明代わりになっている宝珠にも、術式が彫られているし、術者のいないところで宿主を蝕む呪詛なんかも、術式を使った魔術の一種である。
つまり、制作者であるミシェル・ハルゴンが亡くなった現在でも、動き続けているラフェリオンには、その身体のどこかに、術式が存在するはずなのだ。

 術式さえ解除できれば、ラフェリオンの動きを止められる。
しかし、その術式が目に見える場所にない以上、サイの言う通り、二度と動けないように破壊しきってしまうか、ラフェリオンを解体して術式を探すしかない。

 先程までの戦いを思い出しながら、トワリスは、サイに向き直った。

「破壊すると言っても、ラフェリオンには、私が魔力を込めた剣でも全く刃が立ちませんでした。見た目からして、それほど重量があるようには見えませんでしたし、何より、あの速さで動いてましたから、そこまで硬くて重い金属で出来ているとは思えません。とすれば、あの頑丈さは、魔術によるものである可能性が高い。何か魔術がかかっているんだとしたら、物理的に壊すっていうのは、現実的じゃないと思います」

 サイは、こくりと頷いた。

「そうですね……私も、そう思います。ラフェリオンの力は、未知数です。破壊したところで、必ず無効化できるとも限りませんし、術式を解除した方が、方法としては確実でしょう。術式が描かれているであろう場所も、大体検討はつきますしね」

 瞬いたトワリスに、サイは、にこりと微笑んだ。
そして、自分の背をトワリスに向けて、言った。

「身体の中で、一番平らで大きくて、魔法陣が描けそうな場所といったら、背中でしょう? 歌ったり、単調な動きをするだけの魔導人形なら、小さな魔法陣でも稼働するでしょうが、ラフェリオンほど複雑な動きをする魔導人形には、きっと多くの命令式が入り組んだ、巨大な魔法陣が必要になるはずです。それが刻印されているとなると、おそらく背中か、次いで腹、あとはあの車輪がついていた台座、そのあたりが考えられます」

「なるほど……」

 感心した様子のトワリスに、サイは肩をすくめた。

「まあ、そんな推測をしたところで、実際に術式を暴けなければ、意味がないんですけどね。ラフェリオンが見た目以上に軽いとすれば、表面は金属製だったとして、中身は空洞になっているんじゃないでしょうか。その内側に術式が彫られているのだとすると、それを表に出すのは、簡単ではありません。まずは、ラフェリオンの動きをどう止めるか、です。今みたいに瓦礫の下敷きにしたり、氷漬けにすれば、なんとか動きは止められるかもしれませんが、それだと結局、本体を調べることはできませんし……」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.121 )
日時: 2019/04/20 18:20
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 ぶつぶつと独り言のように言いながら、サイが、瓦礫の方に身体を向ける。
同じように黙考していたトワリスは、やがて、きゅっと拳を握ると、口を開いた。

「……ラフェリオンの動きは、私が止めます」

 サイが瞠目して、トワリスを見る。
トワリスは、腰の剣を示すと、はっきりとした口調で言った。

「剣を車輪につかえさせたら、一瞬ですが、ラフェリオンの動きを止められました。さっきは失敗しましたけど、もう一度、車輪を壊せないか試してみます。車輪自体は硬そうでしたけど、車軸と車輪の繋ぎ目は、他の場所に比べれば脆いと思うんです。だから、そこを狙って──」

「そんな、危険ですよ!」

 トワリスの言葉を遮って、サイが首を振る。
サイは、トワリスの左手を握ると、心配そうに眉を下げた。

「だって先程は、それで右腕を痛めてしまったんでしょう? 左腕まで痛めちゃったら、どうするんですか! 痛めるどころか、大怪我を負うかもしれません」

 トワリスは、戸惑ったように一歩下がった。

「いや、でもそれ以外に方法が思い付きませんし……。大丈夫ですよ、私、普通より頑丈ですから」

「駄目です! トワリスさんにやらせるくらいだったら、私がやります!」

「そうは言っても、多分私の方が足速いですし……」

 よほどトワリスの身を案じているのか、これまでにない強い口調で、サイが食い下がってくる。
しばらくは、そんな二人の言い合いが続いていたが、やがて、扉の向こうから微かな足音が聞こえてくると、サイとトワリスは、同時に振り返った。

 錆びた蝶番の擦れる音がして、ゆっくりと扉が押し開かれる。
先程、どれだけ試しても微動だにしなかったはずの扉が、いとも簡単に開いたかと思うと、現れたのは、黒髪の青年であった。

「あっ、良かった、こちらにいらっしゃったんですね」

 ほっとした顔で言って、青年が持っていた洋灯を翳す。
年の頃は、トワリスと同じ、十代後半といったところだろうか。
まるで夜空を閉じ込めたような、青や紫が入り交じった黒い瞳が印象的な、整った顔立ちの青年であった。

「あの、どちら様ですか……?」

 サイから手を引いて、トワリスが尋ねると、青年は、軽く会釈をした。

「僕は、ケフィ・ハルゴンと申します。ミシェル・ハルゴンの孫です」

 次いで、トワリスたちの背後にある瓦礫の山を一瞥し、すっと目を細めると、ケフィは口早に言った。

「とにかく一度、この屋敷を出ましょう。僕の家にご案内します。フィオールさんも、そこにいますから」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.122 )
日時: 2019/04/23 19:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 屋敷でラフェリオンと戦っている内に、いつの間にか雨は上がり、空は夜闇に包まれていた。

 案内されたケフィの家は、ラフェリオンのいた屋敷から少し離れた山奥にある、こじんまりとした山荘であった。
一人で暮らすには大きいが、屋敷と呼ぶには小さい、質素な木造の家だ。
それでも、廃墟のような屋敷から逃げ出してきた身の上では、いくらか豪勢に見えた。

 トワリスの痛めた右腕を手当てしてもらい、軽く自己紹介を済ませてから通されたのは、ずらりと人形が並ぶ、まるで子供部屋のような客室であった。
人形といっても、魔導人形ではない。
動物を象った物や、人型のものまで、種々様々な普通の人形が、部屋の至るところに、大量に並べられているのだ。

 動くことも喋ることもない、ただの布製のぬいぐるみや、木で出来たからくりの玩具が大半であったが、長椅子の周辺や調度品の上、果ては床の上にまで人形がぎっしり並べられているので、かなり異様な光景だ。
流石は人形技師の孫の家だ、とも言えるが、この分だと、他の部屋にも大量の人形が飾られているのだろう。
そう思うと、何とも言えない不気味さを感じるのだった。

 人形に気をとられていたが、ケフィに示された長椅子を見ると、優雅に紅茶をすすりながら寛ぐ、アレクシアの姿があった。
目があった瞬間、サイとトワリスは、はっと顔をひきつらせたが、アレクシアは、いつものように艶然と微笑んだだけであった。

「遅かったじゃない。随分手間取ったのね」

 トワリスとサイを見捨てて、自分はさっさとどこかに消えたくせに、まるで何事もなかったかのような態度で、アレクシアが言う。
怒鳴ってやりたい気持ちを抑えて、トワリスは、ぶっきらぼうに返した。

「……アレクシアは、どうやってあの屋敷から抜け出たわけ? 扉、開かなかっただろ」

 紅茶を置いて、アレクシアは、ふふっと笑った。

「どうやってって、貴方たちと同じ、外側から開けて助けてもらったのよ。あんな物騒な人形がいる屋敷、長居は無用でしょ。助けてもらったついでに、連れが二人、まだ屋敷にいるからって説明して、ケフィに貴方たち二人を迎えに行ってもらったの。感謝してちょうだいね?」

「…………」

 全くもって反省の色が見えないアレクシアに、怒りを通り越して、呆れを覚える。
ケフィがいる手前、今は言い争うのをやめようと言葉を飲み込むと、トワリスは、アレクシアから目をそらした。

「ケフィさん、扉を開けて下さって、ありがとうございます。本当に助かりました」

 サイが丁寧に頭を下げると、ケフィは、にこやかに首を振った。

「いえ、ご無事で何よりでした。あの屋敷には、ラフェリオンを封じ込めておくために、内側からは扉が開かないよう魔術が施されているのです。普段は誰も近づかない場所ですから、今日、たまたま僕が外出する日で、良かったですよ」

 ケフィに促されて、アレクシアの向かいの長椅子に、トワリスとサイが座る。
ケフィは、アレクシアの隣に腰掛け、二人分の紅茶をカップに注ぎながら、淡々と続けた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.123 )
日時: 2019/06/18 12:59
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)

「フィオールさんから、大体のお話は伺いました。皆さんは、魔導師様なんですよね。ラフェリオンを破壊するために、シュベルテからお越し下さったのだとか……」

「はい。魔導師と言っても、まだ訓練生なので、頼りないとは思いますが……」

 サイが、遠慮がちに答える。
ケフィは、サイとトワリスの前にも紅茶を置くと、目元を緩ませた。

「そんなことはありません。以前も、高名な魔導師様がいらっしゃったのですが、結局、ラフェリオンを鎮めることはできませんでした。その後、魔導師団から何の音沙汰もなくなったので、てっきりもう見捨てられたものかと思っていましたが……こうして、皆さんが来てくださって、とても嬉しいです」

 年に似合わぬ落ち着いた口調で、ケフィはそう言った。

 アレクシアの口車に半強制的に乗せられ、任務の存在自体、半信半疑の状態でやってきたが、どうやら当事者には歓迎されているようだ。
相変わらずアレクシアは胡散臭いし、ラフェリオンも想像以上に手強そうではあるが、人助けに繋がると思えば、多少はやる気も出てくる。
少しぬるめの、柑橘系の香りの紅茶を一口含むと、トワリスも、ケフィに向き直った。

「あの、根本的な質問なんですけど、ラフェリオンとは、一体なんなんですか? 魔導師団に保管されていた資料には、詳しいことはほとんど書かれていませんでしたし、私も人形に詳しいわけではないのですが……。ラフェリオンは、明らかに一般的な魔導人形とは、性質が違いますよね?」

 ケフィは首肯すると、長椅子に深く座り直した。

「仰る通りです。僕も、祖父の人形作りの技術に関しては、そう多く語れる訳ではないのですが、ラフェリオンは、元々軍用に作られた魔導人形でした。身体を構成する部品、その一つ一つが特殊で、かつ強力な魔術がかけられています。人形というよりは、人殺しの兵器、と言った方が良いでしょう」

「兵器、ですか……」

 眉を寄せて繰り返したトワリスに、ケフィは、再度頷いた。

「如何なる衝撃も通さないとされる、冥鉱石を鍛えて作った皮膚。遥か遠方の景色も見通せるという、ヴァルド族の眼球。水をも切り裂くことで知られる海蜘蛛の牙から作られた、二対の仕込刀……他にも、様々な部品を継ぎ接ぎ、祖父が長い年月を費やして完成させたのが、名匠の最高傑作にして遺作と謳われる、魔導人形ラフェリオンです」

 それから、ふと表情を陰らせると、ケフィは言い募った。

「ラフェリオンは、完成して間もなく、一四八〇年に起こったシュベルテと西方カルガンとの戦に、持ち出されました。しかし、敵味方の判別もなく殺戮を繰り返すその残虐性故に、扱いきれないと判断され、数年の後、祖父の元に返されました。ただ、その頃は既に、祖父は人形技師を引退していましたし、使わなくなった軍用人形など、側に置いておく理由はありません。それで、工房代わりに使っていたあの屋敷に、ラフェリオンを封じ込めたのです」

 ケフィの話に相槌を打ちながら、サイは、首をかしげた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.124 )
日時: 2019/04/30 18:54
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



「なぜ破壊せずに、あの屋敷に閉じ込める方法を取ったんですか? ラフェリオンが返ってきた時、ハルゴン氏はまだご存命だったんですよね? 人形技師を引退なさっていたといえ、制作者なら、ラフェリオンの術式の解除方法も当然ご存知でしょうし、わざわざ封じ込めるよりも、壊してしまった方が、安全で手っ取り早かったのではありませんか?」

「それは……」

 一瞬言葉を止めて、ケフィが口を閉じる。
それから、どこか困ったように笑むと、ケフィは懐かしそうに続けた。

「……祖父は、とても優しい人だったんです。作った人形には、一人一人名前をつけて、我が子のように可愛がっていました。ラフェリオンも、例外ではありません。だから、そんな破壊するなんて、考えられなかったんだと思います……。晩年も、戦の道具としてラフェリオンを作ってしまったことを、祖父はひどく後悔していました。私は、どうしてこんな残酷な道を、あの子に強いてしまったのだろう、と」

「…………」

 祖父とのやりとりでも思い出しているのか、ケフィの顔には、何かを愛おしむような、暖かい色が浮かんでいる。
まるで、ケフィもラフェリオンを大切に思っているような──そんな表情であった。

 トワリスは、サイと顔を見合わせてから、控えめな声で尋ねた。

「あの……私たちがラフェリオンを破壊したら、おじいさんの意向に背くことになってしまいますが、大丈夫ですか? 暴走する魔法具を放置しておくことは、大変危険です。でも、おじいさんだけじゃなくて、貴方もラフェリオンをそっとしておきたいと言うなら、無理に壊そうとも思いません」

 ぴくりと眉をあげて、黙っていたアレクシアが、トワリスを睨んだ。
勝手な発言をするな、とでも言いたげな目付きである。
しかし、アレクシアがなんと言おうと、亡きミシェルやケフィの気持ちを無視してまでラフェリオンを破壊するのは、魔導師としての本懐に反している。
例え当初の目的とは違っても、依頼人や当事者の望む形に事態を納めることこそが、魔導師の仕事なのだ。

 ケフィは、少し驚いたように目を見開いた後、柔らかく微笑んだ。

「そんなことを魔導師様に言われたのは、初めてです」

 それから、小さくうつむいて、ケフィは首を振った。

「……ありがとうございます。でも、いいんです。どうか、ラフェリオンを壊してください。確かに、封じることには成功していますが、ラフェリオンを扱える人間がいないのは事実です。祖父が亡くなってから、ハルゴン家は、物騒な人形を作る気味の悪い一族だと、世間から白い目で見られるようになりました。結果的に僕は、祖父の名前を伏せ、隠れるように暮らすことを強いられています。……正直、こんな息苦しい生活には、うんざりなんです。祖父を否定するつもりはありませんが、僕はもう、ハルゴンの名を背負っていたくないのです」

 そう言って、ケフィは寂しげな表情になった。

 実際、ミシェル・ハルゴンの名を巷で聞くことは、最近ではほとんどなくなっていた。
亡くなったせいかと思って、それほど意識もしていなかったが、もしかしたら、身内しか与(あずか)り知らぬところで、玩具作りではなく兵器造りに着手し、失敗して、結果その名声を落とし込んでいたのかもしれない。
見たところ、ケフィはこの山荘で一人で暮らしているようだ。
この孤独な生活の原因が、祖父だというならば、彼にも思うところがあるのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.125 )
日時: 2019/05/31 19:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 トワリスは、ケフィの目を見て、深く頷いた。

「分かりました。ケフィさんがそう仰るなら、私たちは、ラフェリオンを壊します」

 ケフィの夜色の瞳が、微かに動く。
わずかに視線を落とした後、ケフィも頷いて、トワリスを見つめ返した。

「……はい。よろしくお願いします」

 サイは、少し身を乗り出して、ケフィに尋ねた。

「破壊するにあたって、お聞きしたいことがあるのですが、ケフィさんは、ラフェリオンに刻印されているはずの術式のことをご存知じゃありませんか? 術式じゃなくても、何か弱点とか、そういったものがあれば教えて頂きたいのですが……」

「術式、というと……人形に彫る、あの魔法陣のことですか?」

「ええ、そうです」

 ケフィは、思案するように俯くと、しばらく黙りこんでいた。
しかし、ふと顔をあげると、何かを思い出したように立ち上がって、部屋の本棚から、一冊の魔導書を引っ張り出してきた。

「これ、ラフェリオンのものではないと思うのですが……」

 言いながら、魔導書を広げて、ケフィが卓の真ん中に置いてくれる。
ぱらぱらと頁をめくって目を通すと、サイは、途端に目を輝かせ始めた。

「魔導人形の造形魔術に関する魔導書ですか? すごい、初めて見ました……!」

 生き生きとした声音で、サイは食い入るように魔導書を見つめている。
一方、アレクシアはあまり興味がないのか、ちらりと横目に見ただけで、長椅子から動こうとしない。
トワリスも、読んでみたい気持ちがあったが、夢中になっているサイを引き剥がすのも申し訳ないので、ひとまず話を進めようと、ケフィに向き直った。

「この魔導書に、魔導人形の術式のことが書かれているんですか?」

 問うと、ケフィは首肯した。

「はい、おそらく。僕は魔導師でもなければ、古語も読めないので、詳しいことは分からないのですが、祖父は、魔導人形を一体作る度に、その作り方や過程を、魔導書として形に残していました。だからラフェリオンにも、その作り方が記された魔導書が、どこかにあると思うんです。この家では見たことがないので、多分、あちらの屋敷の方に……」

 窓の外に見える、ラフェリオンが封じられた屋敷の屋根を一瞥して、ケフィが答える。
すると、今までずっと黙っていたアレクシアが、初めて口を開いた。

「そういえば、屋敷の二階に、魔導書が大量にしまいこまれた込まれた小部屋があったわね。あるとしたら、そこじゃない?」

 ケフィの目が、微かに動く。
サイは、表情を明るくすると、はきはきとした口調で言った。

「良かった、じゃあその魔導書さえ見つかれば、ラフェリオンを無効化できますね! あんな精巧で複雑な動きをする魔導人形が、一体どんな術式で構成されているのか、すごく気になっていたんです! 嬉しいな、まさかハルゴン氏の書いた魔導書まで読めるなんて……」

 いつもの穏和な態度から一変、興奮した様子で捲し立てながら、サイは、渡された魔導書を次々とめくっていく。
魔術が好きで、ハルゴン氏の造形魔術に興味があるからアレクシアに協力した、と言っていたのは、本当だったのだろう。
周囲の反応など一切気にせず、夢中になって魔導書に目を落とす姿は、玩具を目の前にはしゃぐ子供のようであった。

 そんなサイの変わり様を、最初は驚いたように見つめていたケフィであったが、やがて、微笑ましそうに眉を下げると、柔らかい口調で言った。

「僕は皆さんのように、魔術を使って戦うことはできませんが、出来る限りのことは協力させて頂きますので、なんでも言ってくださいね。ひとまず今晩は、この家に泊まって下さい。もう夜も更けてきましたし、空き部屋ならいくつかありますから」

 言いながら、淹れ直した紅茶を、ケフィは三人の前に出してくれる。
その気遣いに礼を述べながら、トワリスは、再び外の夜闇を見つめた。

 卒業試験には期限があるし、出来ることなら、すぐにでも再度ラフェリオンの元へと向かいたいところだ。
しかしケフィの言う通り、今は夜更けだし、トワリスとて痛めた右腕を回復させなければならない。

(今日のところは、大人しく休むか……)

 ふうっと息を吹きかけて、熱い紅茶を一口、口に含む。
ふと見れば、黙りこんでいたアレクシアも、紅茶を手に取っていた。

 カップから立ち上る湯気が、ふわりと舞って空気に溶けていく。
アレクシアは、どこか遠くを見るような目で、その様をじっと見つめていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.126 )
日時: 2019/05/06 18:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 ケフィの厚意に甘えて、三人は、隣り合う二部屋を借りることにした。
客間だけでなく、他の部屋も不気味な人形だらけなのではないかと内心警戒していたが、案内されたのは、板張りの殺風景な空き部屋だ。
少々埃っぽいが、部屋の両側には寝台が二つ用意してあり、床には分厚い絨毯が敷かれ、その奥には、暖炉まで設置されている。
ぱちぱちと音をたてて燃える炎の熱で、一日中雨に濡れて動き回った身体が、芯から暖まるようだった。

 アレクシアと同室で休むことになったトワリスは、部屋に入るとまず、寝台の宮棚に荷物を置いて、中から宝珠を取り出した。

「……これ、返しておく」

 無愛想な声で言って、押し付けるように、宝珠をアレクシアに渡す。
ラフェリオンがいた屋敷で、アレクシアが照明代わりに置いていったものだ。
アレクシアは、宝珠を受け取ると、満足げに言った。

「わざわざ取って帰ってきたのね。気が利くじゃない」

「…………」

 アレクシアのことは無視して、トワリスは、黙々と荷物の整理を始める。
こちらを見ようともしないトワリスに、アレクシアは、おかしそうに眉を上げた。

「随分不機嫌ね。何か納得のいかないことでもあった?」

 白々しいアレクシアの言葉に、沸々と怒りが湧いてくる。
しかし、ここで感情的になったら、彼女の思う壺だと気持ちを抑えると、トワリスは冷たく返した。

「自分の胸に手を当てて、考えてみれば?」

 刺々しいトワリスに対し、アレクシアが瞬く。
それから、くすくすと笑うと、アレクシアは寝台に座って、すらりと長い脚を組んだ。

「なによ、私が貴女とサイを置いていったこと、そんなに怒ってるわけ? 貴女たちなら、あの魔導人形の相手が勤まるだろうと思ったからこその行動よ? 二人のことを信じてたの、分かる?」

「信じてたなんて、よくもそんな……!」

 思わず声を荒げて、アレクシアを睨み付ける。
しかし、ぐっと唇を引き結ぶと、トワリスはそっぽを向いた。

 散々わがままを言ってサイとトワリスを巻き込んだ挙げ句、囮扱いして、自分はとんずらするなんて、到底許しがたいことである。
だが、ここで説教をしたところで、アレクシアは反省などしないだろう。
彼女の言うことを真に受けるなと自分に言い聞かせ、何度目とも知れぬため息をつくと、トワリスは、荷物の整理を再開した。

「とにかく、明日こそはちゃんと働いてもらうからね。アレクシアが何をしたいのかは知らないけど、この任務の目的はラフェリオンの破壊で、それに私達を引き込んだのは、他でもないあんたなんだから!」

 手元を動かしながら、毅然とした態度で告げる。
するとアレクシアは、尚もおかしそうに微笑んで、一つに結んでいた髪をほどいた。

「あら、協力はしてくれるのね。怒って帰るつもりなのかと思ったけれど」

「あんたに協力するんじゃない! 魔導師としてケフィさんを助けてあげたいし、ここまでの道程を無駄にしたくないだけ!」

 興奮して、乱雑に荷物の口を閉じると、その衝撃で、荷物がずるずると宮棚から床に落ちた。
折角閉じた口が開いて、予備の剣やら、任務の資料やらが、ばさばさと地面に広がる。
トワリスは、腹立たしそうに息を吐くと、散らばった中身に手を伸ばした。

 こんな些細なことでも苛々してしまうのは、なんだかんだでアレクシアの一挙一動に翻弄されてしまっている自分がいるからだろう。
自己中心的で我が儘、勝手で奔放、それがアレクシアだ。
それでも、まだ心のどこかで、任務を乗り越えたら多少は分かり合えるかもしれない、なんて思っていた。
だから、何のためらいもなく自分とサイを囮にしたアレクシアの行動に、思いの外落胆していたのだ。
アレクシアには本当に、心の底から、トワリスやサイを思う気持ちなんてないのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.127 )
日時: 2019/05/09 20:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)




 落ちた荷物を拾い集め、今度こそしっかりと口を閉めると、トワリスは、アレクシアと同じように寝台に腰を下ろした。
そして、鉛筆を取り出し、任務の資料に書き込みを始める。
今日、ラフェリオンについて気づいたことをまとめておきたいし、今後どう動くかも、決めておきたかったからだ。

 黙々とラフェリオンを破壊するための思索に耽っていると、着々と寝入る支度を始めていたアレクシアが、ふと尋ねてきた。

「何をやってるのよ?」

 一瞬だけアレクシアの方を見て、再び文面に目を落とす。
ここで無視をするのは、流石に大人げないかと思い直すと、トワリスは、静かな声で返した。

「……明日の計画を書いてるの。ケフィさんの言っていた魔導書を探しだして、術式を解除できればそれが一番良いけど、不測の事態なんていくらでも考えられるし、ラフェリオンを破壊できそうな方法をいくつか考えておかないと。アレクシアも、案出して」

 アレクシアは、途端に興味を失った様子で、形の良い眉を歪めた。

「嫌よ、なんで私が。頭を使うのはサイが得意でしょうし、そんなの明日になったら考えればいいじゃない。私たちはさっさと寝ましょ」

「無鉄砲に突っ込んでも、また失敗するだろ。寝るのは計画の目処がたってから!」

 あえて資料からは目は離さないまま、ぴしゃりと言い放つ。
すると、長いため息が聞こえて、アレクシアが呆れたように言った。

「……本当に貴女って堅物ね。噂には聞いていたけど、想像以上だわ。いつも眉間に皺を寄せて……そんなんだから貴女は不細工なのよ。野蛮で不細工って、女として終わりね」

「ぶさっ……」

 まさか貶されるとは思わず、トワリスが顔を上げる。
絶句した後、ぱくぱくと口を開閉すると、トワリスはかっとなって言い返した。

「ア、アレクシアこそ! 人の弱味につけこんで、利用して嘲笑って……! その上、嘘をついて屋敷に引き入れて、私とサイさんをラフェリオンの囮に使うなんて、信じられない! 今回は私が軽く腕を痛めたくらいで済んだけど、下手をしたら死んでたかもしれない! 女がどうとかいう以前に、アレクシアは、人間として最低だよ……!」

 衝動的に立ち上がって、アレクシアを怒鳴り付ける。
同時に、しまった、と焦って、トワリスは口をつぐんだ。
あれだけ相手にするなと自分を諌めていたのに、アレクシアの下らない言い種に、つい反論してしまった。
これからまた口汚い応酬が始まるのかと思うと、正直うんざりである。

 トワリスが想像以上に噛みついてきたので、驚いたのだろう。
アレクシアは、つかの間押し黙っていたが、やがて、意地の悪い笑みを浮かべると、軽蔑したような口調で言った。

「貴女が人間を語るの? 獣人の血が混じった、異端のくせに」

 どくりと、心臓が脈打つ。
まるで冷水のようなアレクシアの言葉に、血が昇って熱くなっていた頭が、すうっと冷える。
どう言い返してやろうかと考えていたが、そんな言葉は、喉の奥でしぼんで消えてしまった。

 アレクシアは、肩をすくめた。

「貴女の母親、奴隷商に飼われていた女獣人なんですって? その分じゃ、父親もどうせ、泥水をすすって生きてきた最底辺の奴隷なんでしょうね。獣と汚物がよろしくやって、異端の貴女が生まれたってわけ。気持ち悪いわね?」

「…………」

 トワリスは、何も言うことができず、ぎゅっと唇を噛んだ。
これは、いつもの言い争いだ。
売り言葉に買い言葉、感情的になりがちな自分を、アレクシアは面白がっているだけなのだ。
そう分かっているのに、アレクシアが獣人混じりに対し、気持ち悪いだなんて感情を抱いているのだと思うと、彼女の蒼い瞳が、急に恐ろしくなった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.128 )
日時: 2019/05/11 19:53
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 トワリスは、掠れた声で返した。

「……私だって、好きでそんな風に生まれたわけじゃない」

 アレクシアがふっと目を細める。
つまらなさそうに息を吐くと、アレクシアは、呆れたように言った。

「ふーん、じゃあ普通の人間に生まれたかったということ? 自分が異端で惨めだということは否定しないのね」

「…………」

 トワリスは、アレクシアの視線から逃げるように俯くと、ぎゅっと拳に力を込めた。

「なんで、そんな言い方するのさ。私が獣人混じりだからって、アレクシアには何の迷惑もかけてないだろ。大体、異端だとか、気持ち悪いとか言うけど、そっちが先に声をかけてきたんじゃないか。ラフェリオンの任務を一緒にやろう、って。私も、サイさんも、沢山納得がいかないことあったのに、今まで誰のために協力してきたと思って──」

「誰のため? 自分のためでしょう?」

 言葉を遮られて、トワリスの顔が強張る。
アレクシアは、トワリスの顔を見つめると、にやりと笑って続けた。

「淫蕩でずる賢いと有名なアレクシア・フィオールが可哀想だから、協力してあげたんだって。そう言いたいから、貴女はここまでのこのこ着いてきたのよ。魔導師団内で浮いてる女同士、異端同士、傷の舐め合いでもすれば仲良くなれると思った? それとも、哀れな女に手を差し出せば、居場所のない惨めな自分を正当化できるとでも考えたのかしら。私に脅されたからとか、ケフィ・ハルゴンのためだからとか、色々と理由をつけて、貴女は仕方なく協力するふりをしていただけなのよ」

 トワリスは、顔をしかめると、首を横に振った。
そして、睨むようにアレクシアの顔を見ると、はっきりと否定した。

「違う。そんなこと、思ってない。……どうしてそんな、ひねくれた見方をするの。確かに私は、アレクシアの言う異端なのかもしれないし、同期内でも浮いた存在だから、これを機に誰かと仲良くなれればとか、そういうことも、少しは考えたよ。だけど、アレクシアを利用して自分を正当化しようとか、そんなこと思ってない。この任務を受けるのだって、今でも正直反対だよ。でも、私が同期の男共を蹴り飛ばしてたって、アレクシアに密告されたら困るし、他に私と組んでくれそうな相手も、結局見つからなかったし、何より、例え卒業試験には不向きな任務でも、ラフェリオンを破壊することで誰かが助かるならいいなって、心からそう思ったから、協力しようって思ったんだよ」

「…………」

 トワリスが言い終わっても、アレクシアは何も答えなかった。
黙って、しばらく探るようにトワリスの目を見つめていたが、やがて、小さく嘆息すると、冷めた口調で言った。

「あっそ、まあいいわ。貴女が偽善者だろうと、筋金入りのお人好しだろうと、そんなことはどちらでも構わない。私は、ラフェリオンを破壊できるくらいの力を持っていそうだから、貴女とサイを選んだの。だから下手な詮索なんてしないで、貴女たちはただ、あの魔導人形の相手をしていればいいのよ」

 トワリスの眉間の皺が、深くなる。
怒りを堪えるように拳を震わせると、トワリスは、吐き捨てるように答えた。

「……意味わかんない。言ってることが滅茶苦茶だよ。要は、協力はしてほしいけど、アレクシアには干渉せず、ひたすら黙って言うことを聞けってこと?」

 アレクシアは、ふふっと微笑んだ。

「ええ、そうよ。貴女たちは、私の勝手な我が儘に付き合ってくれれば、それでいいの」

 言い返そうとして、口を閉じる。
トワリスは、アレクシアと目を合わせることなく、ただ悔しそうに俯いていた。

 そんなトワリスを、アレクシアは、どこか退屈そうに眺めていたが、ややあって、ぐっと伸びをすると、革靴を脱いだ。

「……悪いけど、私疲れてるから、もう寝るわよ。おやすみ。貴女も早めに寝なさいよ」

 そう言って、燭台の灯りを消すと、アレクシアはさっさと寝台の中にもぐってしまう。
真っ暗になった室内で、アレクシアが寝入ってしまってから、トワリスもようやく寝台に身を預けた。

 思えば、こんな風に貶されるのが怖かったから、無意識に人付き合いを避けてきたのかもしれない。
今回、面と向かって“異端”だなどと言ってきたのが、たまたまアレクシアだっただけで、他の誰かに同じことを言われる可能性だって、十分にあった。
周囲からそういう目で見られていることには、とっくの昔に気づいていたのだ。
気づいていたけれど、その程度で傷ついたりはしないとか、気にする必要はないとか、必死にそう思い込もうとしていた。

 もちろん、サミルやルーフェン、リリアナのように、優しい言葉をかけてくれる人達だっている。
そのことを分かっていても、「獣人混じりだから、それがなんだ」と、胸を張って言えない自分が、ひどく情けなかった。

 今更泣いたりなんてしないが、本当は、涙が出るほど悔しかった。
まだ正規ではないものの、自分の肩書きは、獣人混じりの子供から、魔導師に変わることができたと思っていたのに、結局先行するのは、気持ちの悪い混血という印象なのだ。
そのことが、とても悔しかったし、とても悲しかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.129 )
日時: 2019/05/13 18:11
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)

 翌朝、寝台から起き上がると、既に部屋にはアレクシアの姿がなかった。
夜明け少し前に、彼女が着替えて出ていったことには気づいてはいたが、言い争ったばかりで、なんとなく声をかけづらかったので、そのまま見送ったのだ。
軽く身支度を整えただけで、荷物は置きっぱなしだったので、直に帰ってくるだろう。
そう予想していたが、トワリスが外出準備を終え、サイと合流する頃になっても、アレクシアは戻ってこなかった。

 ケフィが用意してくれた朝食を食べ、山荘を出ると、外は曇天であった。
太陽が一番高くなるはずの時分だというのに、分厚い雲のせいで、辺りはぼんやりと薄暗い。
それでも、霧も無く雨が降っていないだけ、昨日よりは視界が開けていると言えよう。
昨夜、鬱蒼とした獣道を通ってきたと思っていたが、よく見れば、ケフィの山荘の周囲には、人の手が入ったと思しき広い山道が、一本通っていた。

 ラフェリオンの屋敷へと続く山道を下りながら、アレクシアがいないのは今朝からだと告げると、サイは、大して驚いた様子もなく、苦笑いを浮かべた。

「まあ、仕方ないですよ。勿論、アレクシアさんにも協力してもらえたら嬉しいですが、彼女を頭数に入れて計画を立てたら、また痛い目を見そうですからね」

 長杖で、山道に飛び出した枝葉を避けながら、サイは穏やかな口調で言った。
本当は、昨夜のアレクシアの不遜な態度を、もっと悪く言ってやろうかと思っていたが、サイの落ち着いた振る舞いを見ている内に、そんな気は失せてしまった。
サイも、アレクシアの言動には呆れているようであったが、彼はどちらかというと、アレクシアに対して怒りを示すよりも、トワリスをなだめる方向に気を遣ってくれているようだ。
二つ年上とはいえ、サイのそんな大人びた対応を見ていると、いつまでも憤慨している自分が、少し子供っぽくて恥ずかしかった。

 急な山道をしばらく下ると、昨日、トワリスたちが馬車でやってきた山間の通りへと出た。
ここを更に下っていけば、ラフェリオンのいる屋敷へとたどり着く。
長い間、黙々と歩いていたトワリスとサイであったが、ある時、ふと顔をのぞきこんできたサイが、神妙な顔つきで尋ねてきた。

「……あの、大丈夫ですか?」

 何のことを言われているのか分からず、微かに首を傾げる。
サイは、言いづらそうに口淀んでから、わずかに俯いて続けた。

「なんだか、元気がないように見えたので。アレクシアさんに、何か言われました? それとも、昨日の怪我が痛むとか……」

 トワリスは、はっとしてサイの方を見た。
いつまでもアレクシアの悪口を言うのも気が引けたので、黙っていただけなのだが、どうやら元気がないと勘違いされてしまっていたらしい。
慌てて首を振ると、トワリスは右手を開いたり、握ったりして見せた。

「いや、全然。右腕もほとんど痛くないですし、なんともないです。もう戦えます」

 ついでに、折れた双剣の片割れの代わりに持ってきた、予備の剣を示す。
それでもサイは、まだ心配そうな顔つきで見てくるので、トワリスは話題を変えた。

「そんなことより、ラフェリオンを破壊する方法、色々考えてみたんですけど……やっぱり、ケフィさんの言っていた魔導書を見つけて、術式を解除することに賭けるのが、一番良いんじゃないかと思うんです」

 サイの表情が、さっと真剣なものに切り替わる。
トワリスも、真面目な顔で前を見据えると、歩きながら言葉を継いだ。

「ほら、動きを止めるだけなら、可能じゃないですか。昨日みたいに、瓦礫の下敷きにするなり、氷漬けにするなり、なんなら、私が足止めするのでも構いません。その間に、どうにかラフェリオンの術式に関する手がかりを、屋敷の中から探し出すんです。これが一番安全で、有効な方法だと思います。魔導書が見つからなかった場合は、また別の方法をとらないといけませんけど……」

 眉根を寄せると、トワリスは、再びサイを見上げた。
昨夜は結局、アレクシアと喧嘩をしたせいで、何の作戦も考えられなかったのだ。
中途半端に書き込んだだけの任務の資料も、戦闘の邪魔になるかもしれないからと、ケフィの山荘に置いてきてしまった。
ここは素直に、頭の切れるサイを頼るのが良いだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.130 )
日時: 2019/05/16 18:09
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)



 サイは、トワリスの意図を汲んだ様子で考え込むと、ぽつりと呟いた。

「昨日、ケフィさんに頼んで、ハルゴン氏が手掛けた魔導人形についての魔導書をいくつか読んだんですけど……。ラフェリオンって、おそらく構造的にはかなり原始的な造りなんですよ」

「原始的、というと?」

 サイは腕まくりをして、自分の皮膚を確かめるように触りながら、言い募った。

「ハルゴン氏の作品には、人間とそっくりの見た目の魔導人形も、沢山あったんです。作り物であることには変わりないんですが、骨格や筋肉の役割をする部品があって、皮膚も、動物の皮などを使って忠実に再現していたそうです。見た目どころか、動きまでしなやかで、まるで本物の人間のようだと評価されていたんだとか。そういった作品に比べると、ラフェリオンは粗い造りをしているというか、いわゆる人形らしい、単純な姿をしているように見えます」

 ラフェリオンの姿を思い浮かべて、トワリスは、微かに目を大きくした。
言われてみれば、経年により劣化していることを差し引いても、ラフェリオンは、台座に人形の上半身が取り付けられているだけの、古い型の人形であった。
兵器としての性能や、かけられた魔術の強さは、他とは比べ物にならないくらい強いのであろうが、見た目だけで言えば、ハルゴン氏の最高傑作と聞いて拍子抜けしてしまいそうなぼろさだ。

 顎に手を当てると、トワリスは、納得したように言った。

「確かに……そうですね。こう言っては失礼ですけど、造形には力を入れていないように見えました。素人の私でも、なんとなく、どんな造りなのか、分かってしまうような……」

 サイは、こくりと頷いた。

「同感です。それで、昨日一通り動きを見て、考えていたんですけど、ラフェリオンは、腕の刃ごと上半身を回転させて、斬りつけてくる場合が多かったですよね。あの攻撃を仕掛けてくる時は、必ず移動している時でした。つまり、車輪の動きと上半身の回転は、連動している可能性が高い。車輪と上半身、その両方が取り付けられている台座の中には、歯車かなにかが設置してあって、車輪が動き出せば、同時に上半身も回転する仕組みになってるんじゃないでしょうか」

「じゃあ、例えばあの台座部分を完全に氷付けにしてしまえば、少なくとも車輪と上半身の回転は止まる、ってことですよね。ついでに腕も封じられれば、刃も振るえなくなる」

 サイの言葉に誘導される形で答えて、トワリスは、ぱっと表情を明るくした。
トワリスと目が合うと、サイも、どこか嬉しそうに返事をした。

「的確に台座と腕を狙わないといけないので、魔術の正確性は問われますが、この方法が成功すれば、ラフェリオンに近づかずに動きを止められます。部分的に凍らせるだけなので、上手くいけば、術式が彫られているであろう背中、あるいは腹部を調べられるかもしれません。あとは、ラフェリオンに攻撃が一切通じなかった場合を考えましょう。昨日も話しましたが、ラフェリオンには、何かしらの防御魔術がかかっている可能性があります。表面の金属は、冥鉱石という非常に硬度の高い石を鍛えて作ったのだとケフィさんも仰っていましたし、魔術すら一切通じない、という事態も十分考えられるでしょう。ですから、こういうのはどうですか。動き自体を封じるのではなく、感覚を封じるんです」

 流れるような口調であらゆる対策案を出しながら、サイが、ぴんと人差し指を立てる。
彼の一言一句を聞き逃さないように耳を立て、サイが言わんとしていることを汲み取ると、トワリスは、あ、と声をあげた。

「つまり、ラフェリオンに私達を認識させないってことですか?」

 サイは、大きく頷いた。

「そうです。ラフェリオンが、何で私達を認識しているのかは、まだ分かりません。視覚か匂いか、それとも音か、あるいは全部か……。何にせよ、それらを奪ってしまえば、本体を壊さなくても、動きは止まるはずです。ラフェリオンだって、所詮は人形。標的を検知できなければ、静止するしかないのではないでしょうか」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.131 )
日時: 2019/05/18 19:39
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: wC6kuYOD)


 自分では考えられないようなことを、難なく思い付いてしまうサイの話を聞いている内に、トワリスは、だんだんと心が弾んでくるのを感じていた。
今から命がけの戦いに出るというのに、心が弾むなんておかしいと自分でも思うが、こんな風に仲間と話し合って、作戦を立てていると、いかにも自分が魔導師らしいことをしているような気がして、わくわくするのだ。
この高揚感は、座学を受けているときや、訓練をしているときでは、決して感じられない。
助けを求める依頼人がいて、共に任務を遂行しようとする仲間がいてこそ、感じられるものだ。
三人組で卒業試験を受けることになってから、アレクシアに巻き込まれ、危険な目にも遭ったが、一方で、こうしてサイと接点を持てるようにもなったわけだから、悪いことばかりではなかったかもしれない。

 トワリスは、サイを見上げると、はきはきとした口調で返事をした。

「確かに、その方法なら幅が広がりますね! 目や鼻、耳にあたる部分を、壊せるなら壊すのが手っ取り早いですし、壊せなくても、他に音や匂いを出して私達の気配を誤魔化すとか、いくつでも対策のとりようがありますし」

「ええ。ラフェリオンの場合は、視覚認知の可能性が高いでしょう。一応、他の可能性も考えておいた方が良いとは思いますが、わざわざヴァルド族の眼球を使用したと記録しているわけですから、視覚認知していないなんてことは考えづらいですからね」

 トワリスにつられたのか、サイも、どことなく微笑ましそうに顔つきを緩める。
二人は、顔を見合わせて頷いたが、トワリスは、ふと口を閉じると、何か思い出したように言った。

「そういえば、そのヴァルド族って聞いたことがないんですけど、具体的にはどんな特殊な一族なんでしょう。ケフィさんは、遠くの景色まで見渡せる眼球も持っているって仰ってましたが、それって、単純に視力が異常に発達してるってことなんでしょうか」

 サイなら知っているかと思い、尋ねてみたが、答えはすぐに返ってこなかった。

 ラフェリオンに使われているという、冥鉱石も、海蜘蛛の牙も、なんとなく聞いたことのある材であったが、ヴァルド族の名前だけは、聞いたことがなかった。
特に地方には、数えきれないほどの独特の文化を持った少数民族が存在しているというが、サーフェリア中の守護を勤める魔導師団では、そういった地理的な情報は全て把握しているはずだ。
まして、魔導人形の素材にも使われるような、特別な目を持つ一族ならば、魔導師団が認識していないことはないだろう。
だから、ヴァルド族という名前を聞いたとき、少し違和感を覚えたのだ。
単に忘れていただけかもしれないとも思ったが、本当に、全く聞いたことがなかったのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.132 )
日時: 2019/05/21 18:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 サイも、トワリスと同じく、ヴァルド族に関しては何も知らなかったのだろう。
少し黙りこんだ末、サイは首を横に振った。

「さあ、ヴァルド族の名前は、私も今回初めて聞いたので……。昨日、ケフィさんにも聞いてみましたが、彼らはもう絶えてしまった西方の一族なので、記録もほとんど残っていないそうですよ。知る人ぞ知る、一部の地域に伝わる伝承みたいな存在なんでしょうね」

 あまり興味がないのか、それだけ言って、サイは肩をすくめる。
ラフェリオンを破壊するために、集められる情報ならしっかりと把握しておきたいところだが、記録もないのであれば、調べようがない。
だから、サイの反応が薄いのも、当然と言えば当然なのだが、トワリスの中では、何かが引っ掛かっていた。
ヴァルド族が、魔導師団にも知られていないような存在だったというなら、何故ハルゴン氏は、そんな未知の一族の眼球を、魔導人形の材に使おうなどと思い付いたのだろう。
逆に言えば、名匠とはいえ、ただの人形技師に過ぎないハルゴン氏が知っていたヴァルド族の存在を、何故魔導師団は、把握できていなかったのだろう。
あるいは把握していて尚、扱わない理由が何かあったのか──。

 かつて滅んだ一族で、訓練生の耳には入らないような些細な存在だったと言われてしまえばそれまでだが、魔導師に教え込まれる知識の中には、既に絶えて、歴史の波に埋もれていってしまった一族の史実も多くある。
だからこそ、サイもトワリスも、ヴァルド族について何も聞いたことがないというのは、奇妙な感じがしたのだった。

 話しながら通りを下っていくと、ようやくラフェリオンのいる屋敷が見え始めた。
大雨は去ったものの、日は照っていないので、半分腐りかけたような屋敷の壁からも、むっと湿った木の臭いがする。
靄のかかった微風がたちまじり、背後の木々をざわざわと鳴らせば、その不気味な揺らめきは、まるでトワリスたちを手招いているようにも見えた。

 サイは、屋敷から醸される気味の悪い空気を払うように、溌剌と口を開いた。

「よし、じゃあ作戦を確認しましょう! まず屋敷に入ったら、ラフェリオンとの交戦は極力避けて、二階に上がりましょう。アレクシアさんが昨日言っていた魔導書のある部屋を探して、ラフェリオンに関する文献を探すんです。運良くそれが見つかって、ラフェリオンの術式解除の手がかりが掴めれば、万々歳です」

 汚れと蔦に覆われ、全く中の見えない二階の窓を指差して、サイが言う。
トワリスも、同じように屋敷を見上げてから、サイの方に視線をやった。

「分かりました。それで、もし魔導書が見つからなければ、ラフェリオンの車輪の動きを止める、あるいは感覚を封じる、どちらかの方法を試すんですね」

 サイは、深々と頷いた。

「はい。もし、どの作戦も駄目だった場合は、また出直しましょう。無駄に戦い続けても、こちらが消耗してしまいます。ケフィさんに、もし私達が夕刻になっても戻らなかったら、また外側から屋敷の扉を開けてほしいとお願いしておきました。危険なので、アレクシアさんがいれば、彼女に扉を開ける役目を任せるように伝えてありますが、どちらにせよ、夕刻になれば誰かしらが来てくれるはずです。そうしたら、どうにかラフェリオンを外に出さないようにして、屋敷から脱出しましょう」

 気合いを入れるように、ふうっと深呼吸すると、二人は、同時に屋敷へと近づいていった。
そして、互いに目で合図しあい、そっと扉に手をかけると、すぐそばにラフェリオンがいないかどうか、気配を探った。

 押した扉の軋む音が、やけに大きく聞こえる。
二人は、もう一度目を合わせて頷き合うと、息を潜めて、扉を押し開いたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.133 )
日時: 2019/06/03 20:15
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 屋敷へと足を踏み入れると、中は思いの外暗く、じっと目を凝らさなければ、目の前にあるものが何かもよく分からぬ状況であった。
唯一の光源は、差し込む僅かな外界の光だけ。それも、汚れで曇った窓から入ってくるものなので、ほとんどないに等しいと言える。
トワリスは多少夜目も利くが、サイは手探りで進まねば足元も覚束無いほどで、目が慣れるまでのしばらくは、あまり動けなかった。

 昨日訪れた時、アレクシアがそうしていたように、魔術で屋敷を照らしても良かったが、今そんなことをすれば、自分達の居場所をラフェリオンに教えるようなものだ。
今のところ、ラフェリオンがトワリスたちの元にやってくる様子はない。
未だサイが崩した天井の瓦礫に埋もれているのかとも思ったが、どうやらラフェリオンは、既に自力で脱出して、屋敷の別の場所に移動しているようだ。
二人は慎重にラフェリオンの気配を探ったが、暗い大広間には、黒々と沈む瓦礫の山と、無機質に散乱する人形たちの四肢しかなかった。

 二人は、暗闇の中を一歩一歩、足場を確かめながら、屋敷の二階へと上がっていった。
大階段や上がった先の長廊下には、分厚い敷物が敷かれていたので、幸いなことに、足音はほとんど響かない。
しかしながら、板張りの床はひどく劣化しており、所々腐っていたので、いつ重みに耐えかねて崩れ落ちるか、分からないような状態であった。

 二階の長廊下に並ぶ部屋は、大半が物置きのようで、大広間と同じように、人形の部品が溢れかえっている部屋もあれば、アレクシアが言った通り、本棚が並ぶ書斎のような部屋もいくつかあった。
ひとまず手近な小部屋に入ったサイとトワリスは、静かに扉を閉めると、ほっと息をついた。
それから、扉から光が漏れ出ないよう、微かな魔術で杖先に明かりを灯すと、サイは、古い本棚を見上げた。

「ぱっと見た感じでは、ラフェリオンの魔導書らしきものは見当たらないですね……」

 光る杖先を、並ぶ本の背表紙に近づけ、サイがそっと囁く。
埃を払ってから、実際に本を引き出したトワリスは、頁をぱらぱらと捲りながら、眉をしかめた。

「……そうですね。ラフェリオンどころか、魔術に関係のあるものすらなさそうです。これ、ただの絵本ですよ」

 古びて黄ばんだ絵本をサイに渡し、他の本も手にとってみる。
だが、本棚に並ぶ本の大半は、ラフェリオンに関する魔導書などではなく、絵本や図鑑といった、子供向けの本ばかりであった。

「この屋敷は、ハルゴン氏が工房代わりに使っていたとケフィさんが仰っていましたが、これだけ子供向けの本が揃っているということは、お子さんと暮らす場所でもあったんですかね。魔導書は、別の部屋にまとめられているんでしょうか」

 長杖を壁に立て掛けると、他の本の中身も物色しながら、サイが言った。
トワリスも、同様にそれぞれの本の内容を確かめながら、答えた。

「そもそも、魔導書が必ずこの屋敷にあるとは限りませんよね。ハルゴン氏がラフェリオンについて記した魔導書があったとして、それが紛失してしまったことも考えられます。ケフィさんも、あるとしたらこの屋敷にある可能性が高いって言っていただけで、実際に見たとは仰ってませんでしたし……」

 サイは手を止めると、トワリスの方に向き直った。

「それはもちろん、魔導書が絶対に見つかるとは思っていませんでしたが……」

 言いながら、サイは再び長杖をとり、部屋全体を照らすように高く掲げた。

「ただ、この屋敷の二階には、何かあるんじゃないかと思ってるんです。だってほら、昨日この屋敷に来たとき、アレクシアさんが真っ先に二階に上がっていったでしょう? 彼女にどんな意図があったのかは分かりませんが、目的もなく二階に行ったとは考えられません。だから、何かあるのかな、と……。あくまで、推測ですけど」

「それは、確かにそうですね」

 サイの方を向き、トワリスも同調して考え込む。
そういえば、囮にされた怒りで考えもしなかったが、アレクシアはあの時、何故二階に駆け上がっていったのだろうか。
この任務はラフェリオンの破壊が目的であり、そのラフェリオンが目の前にいたというのに、アレクシアはこちらには目もくれず、一直線に二階に向かっていった。
まるで、以前からこの屋敷の構造を知っていたかのように──。

 顔を合わせれば言い争いをするばかりで、結局アレクシアの真意が分からないままだが、彼女は、一体何を目的に動いているのだろう。
トワリスたちに対して非協力的ではあるが、なんだかんだで、この任務に誰よりもこだわっているのは、他でもないアレクシアである。
質問したところで、彼女が素直に心の内を明かすとも思えないし、最終的な目標はラフェリオンの破壊なのだろうと思い込んでいたので、それ以上の詮索はしていなかったが、ラフェリオンにさえ目もくれていなかったとなると、いよいよアレクシアの動機が謎である。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.134 )
日時: 2019/05/25 18:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 そうして、アレクシアとのやり取りを思い出していると、不意に、扉の外から車輪の回る駆動音が聞こえてきて、トワリスは、身体を強張らせた。
同じく身構えたサイが、素早く杖先の光を消す。
二人は屈み込むと、息を殺して、じっと近づいてくる駆動音に耳を傾けていた。

(──ラフェリオン……!)

 いっそ、討って出るべきかと目で訴えると、サイは、小さく首を振った。

「……一度やり過ごしましょう。攻撃を仕掛けるのは、他の部屋も調べてからにするべきです」

 吐息のような小さな声で囁かれて、トワリスは、こくりと頷いた。
正直、ラフェリオンに見つかるかもしれないというこの緊張感の中、あるかも分からない魔導書を探して、屋敷内を巡り続けるのは、精神的に参ってしまいそうだ。
しかし、一度見つかってしまえば、もう逃げられないだろうと考えると、サイの言う通り、今はまだ身を潜めているべきなのかもしれない。
トワリスは、無意識の握りこんでいた剣の柄から、ゆっくりと手を離した。

 やがて、遠ざかっていく車輪の音が聞こえなくなると、サイとトワリスは、詰めていた息を吐き出した。

「良かった……気づかれなかったみたいですね」

 安堵したように言って、サイが立ち上がる。
扉一枚を隔てて、すぐそばを通っていったので、もしラフェリオンが優れた嗅覚や聴覚を持った人形だったなら、気づかれていたかもしれない。
やはり標的を視覚認知している可能性が高いな、と考えながら、トワリスも肩を撫で下ろした。

 サイは、そろそろと手を壁に沿わせながら扉の方に向かうと、取っ手を探り出して、振り返った。
暗くてよく見えないのだろう、トワリスがいる方向とは、少し違う場所を見つめている。

「この部屋には魔導書はないようですから、別の場所を調べたいところですが、ラフェリオンがいつ、また巡回してくるかもしれません。危険ですから、トワリスさんは少しここで待っていてください。もし何かあったら、合図をしますので」

「えっ」

 サイの言葉に、トワリスは顔をしかめた。

「何言ってるんですか。それこそ危険です。私なら夜目も利きますし、一緒に行った方が良いですよ。二人で探して、もし途中でラフェリオンに見つかったら、私が足止めしますから、その間にサイさんが魔導書探しを続けてください」

 サイは、とんでもない、という風に首を振った。

「いや、それは危ないですよ! 昨日から言っていますが、足止めなんて、トワリスさんにさせられません」

「なんでですか! それじゃあ私が着いてきた意味がないでしょう。私だって魔導師ですよ。私の方が動けるんだから、私の方が適任です」

「で、ですが……」

 口ごもって、サイが眉を下げる。
トワリスは、むっとした表情でサイを睨んだ。
あくまでこちらを気遣って言ってくれているのだろうと分かってはいたが、これではまるで、全く頼られていないように感じてしまう。
確かに、サイの方が魔術も使えるし、頭も切れるが、実際にラフェリオンの動きを見切って戦えるのは、自分の方だという自信がトワリスにはあった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.135 )
日時: 2019/05/28 18:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: XTElXZMY)



 困った様子のサイに近づき、その手を重ねて取っ手を握ると、トワリスは言った。

「もういっそ、二手に分かれて魔導書を探しましょう。どの道、ラフェリオンに見つかるのは時間の問題だと思うんです。だったら、多少慎重さには欠けますが、手分けをして探した方が──」

 トワリスが言いかけた、その時だった。
刺すような鋭い気配を察知して、トワリスは、咄嗟にサイの腕を掴んだ。
サイを引いてトワリスが地面を跳んだのと、扉を突き破って二本の刃が飛び出してきたのは、ほとんど同時であった。
ラフェリオンが、扉ごとトワリスたちを切り刻もうと、突進してきたのである。

 一回転して着地し、体制を崩したサイの前に立つと、トワリスは姿勢を落として、素早く抜刀した。
そして、双剣を一本に束ねると、ラフェリオンの車輪の輻(や)の隙間を狙って、思い切りそれを突き立てた。

 杭のように刺さった双剣に阻まれ、ラフェリオンの車輪と上半身の回転が止まる。
トワリスは、急停止してつんのめったラフェリオンの後頭部に、思い切り肘を落とすと、今度は落ちてきたその顔面に、渾身の膝蹴りを食らわせた。

「────っ!」

 ぐるんっと回ったラフェリオンが、後方にひっくり返る。
仰向けに倒れたラフェリオンを、間髪入れずに蹴り飛ばせば、ラフェリオンは、双剣を車輪に引っかけたまま吹き飛び、部屋の外へと投げ出された。

 真っ向勝負に出ていたら、きっと昨日の二の舞になっていただろう。
扉に突進してきたことで、ラフェリオンの動きが鈍った一瞬を狙ったからこそ、双剣を折られずに、車輪と刃の回転を止めることができたのだ。

「魔導書を探して!」

 それだけ言うと、トワリスはラフェリオンを追撃した。
ラフェリオンが本来の速さで攻撃を始めれば、また防戦一方になってしまう。
そうなれば、体力勝負になってくるので、こちらが圧倒的に不利だ。

 長廊下に飛び出すと、外へと弾き出された双剣をすぐさま拾い上げ、トワリスはラフェリオンと対峙した。
ラフェリオンは、破壊された扉の残骸を巻き込みながら横転していたが、すぐに車輪を一転させて起き上がった。
先程のトワリスの膝蹴りで、塗装が剥がれたのか、ラフェリオンの顔面の大部分は、地の金属が剥き出しになっている。
しかし、本体には何の毀傷も受けていないようで、厄介な俊敏さも機動力も健在だ。
やはり、物理的に破壊しようというのは、難しいだろう。

 仕留め損ねた獲物を逃がすまいと、再びラフェリオンが刃を回転させながら、トワリスに迫ってくる。
反射的に避けようとしたトワリスであったが、咄嗟に双剣を束ねると、その刃を受け、力任せにラフェリオンを弾き返した。

 金属同士が食い合う鈍い音が響いて、痺れるような痛みが両腕に走る。
ラフェリオンの攻撃を受け止めるということは、高速で斬りつけてくる二本の刃を、力付くで停止させるということだ。
束ねてみたところで、真っ向から食らえば、いつまた双剣が折れるともしれないし、その前に、衝撃で腕が使い物にならなくなる可能性もある。
だからといって、ラフェリオンの斬撃を避け続ければ、こちらの消耗が著しい。
時間稼ぎをしている間に、サイが魔導書を見つけて、ラフェリオンの術式を解除できるなら良いが、そんなに都合良く事が運ぶとも思えない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.136 )
日時: 2019/05/31 19:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 打開策を考える間もなく、次なるラフェリオンの刃が迫る。
避けるか、受けるか──。
その判断の遅れが、トワリスの動きを一瞬鈍らせた、次の瞬間。
飛びかかってきたラフェリオンは、突然見えない壁にぶち当たったかのように、弾かれて床に転がった。
敷布を巻き込みながら、地面を滑走していくラフェリオンの周りを、飛来した複数の宝珠(オーブ)が取り囲む。
宝珠は、一斉に炎を吹き出し、燃え盛りながら、まるで縛り上げるようにラフェリオンを包み込んだ。

 連続的に爆裂が生じて、思わずその場に身を伏せる。
咄嗟に床に剣を刺し、なんとか襲い来る衝撃波から身を守ったが、爆風が収まってから目を開けて、トワリスは瞠目した。
目前の床が爆発で抜け、焼け落ちて消滅していたのだ。
どうやらラフェリオンも、一緒に一階へと落ちてしまったようだ。

 轟音に驚いたのだろう、魔導書を探していたはずのサイが、部屋から飛び出してくる。
同時に、別の部屋からもこつこつと足音が響いてきたかと思うと、アレクシアが、小さく舌打ちをしながら現れた。

「うまく一階に落ちて逃げたわね……」

 忌々しそうに眉を歪めて、アレクシアは、抜けた長廊下の大穴を見つめている。
次いで、ぽかんと立っているトワリスとサイを見ると、アレクシアは、階段を顎で示して言った。

「何をぼさっと突っ立っているのよ。私の術も長くは持たないわ。助けてあげたんだから、早く一階に降りて足止めしなさい。さっさと行かないと、あのイカれ人形、また二階に上がってくるわよ」

 トワリスは、我に返って立ち上がると、アレクシアの元に駆け寄った。

「足止めって……アレクシア、一体何やってるのさ。まさか、朝からこの屋敷に来てたの? 一人で?」

 宝珠が飛んできたので、もしやとは思ったが、本当にアレクシアの魔術だったとは。
てっきりアレクシアは、外をふらついているのかと思っていたので、こんな危険な屋敷に単身乗り込んでいたとは、正直意外であった。

 アレクシアは、心外だ、とでも言いたげに首を振った。

「何やってるのって、それはこっちの台詞よ。広い一階で足止めすればいいのに、なんで狭い二階の長廊下なんかで交戦してるのよ。危うく私まで巻き込まれるところだったじゃない」

 トワリスは、むっとして眉を寄せた。

「なんでって……ラフェリオンについて書かれた魔導書を探してたんだよ。二階に魔導書の並ぶ部屋があったって、アレクシアが言ったんじゃないか」

「はあ? 魔導書?」

 言ってから、自分の昨日の発言を思い出したのか、アレクシアがため息をつく。
サイも近寄ってくると、二人の会話に口を挟んだ。

「アレクシアさんも、二階で魔導書を探していたのではないのですか? 昨日も真っ先に二階に上がっていましたから、貴女はラフェリオンを破壊する手立てが、二階にあるのだと知っているのかと思っていましたが……」

 サイの言葉に、アレクシアは、呆れたように肩をすくめた。

「なるほど、サイもトワリスも、馬鹿正直に魔導書とやらを探していたってわけ。言っておくけれど、この屋敷に魔導書なんてないわよ。私が昨日、隅々まで探したもの」

「はあ!?」

 思わず声を出して、アレクシアに詰め寄る。
ぐっと顔を近づけると、トワリスは攻めるような口調で言った。

「それならそうと言ってよ! アレクシアが捜索済みだって知ってたら、私達だって……!」

「だから昨夜言ったじゃない。貴女たちはただ、あの魔導人形の相手をしていればいいのよ、って」

 余裕綽々とした笑みを浮かべて、アレクシアがトワリスを見下ろす。
慌てて二人の間に割って入ると、サイはアレクシアに問うた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.137 )
日時: 2019/06/03 19:47
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


「えっと、それならアレクシアさんは、何故今も二階に? ラフェリオンを破壊できる別の方法が、二階に隠されているんですか?」

 アレクシアは、一瞬口を閉じてから、目線をそらした。

「ちょっと他の探し物をしていただけよ。そもそも、あのイカれ人形を完全に破壊しきるのは無理だわ。だから貴方たちに、足止めをお願いしたんじゃない」

「破壊できないって、なんで」

 トワリスが聞き返すと、アレクシアは、あっけらかんと答えた。

「だってあの人形には、術式が彫られていないもの」

 サイとトワリスが、同時に目を見開く。
動揺した様子で、サイは口早に捲し立てた。

「そ、そんなわけがありません! 術者がいない以上、術式がなければ、ラフェリオンは動くこともできないはずです。本当に術式がないのだとすれば、誰かが近くで私達のことを見て、ラフェリオンを操っていることになるんですよ? この場には、ラフェリオンを操れるような人間なんて、いないじゃないですか!」

 アレクシアは、冷静に返した。

「知らないわよ。ないものはないんだから、私に問い詰められても困るわ」

 アレクシアに睨まれて、サイが口ごもる。
トワリスは、微かに表情を険しくすると、アレクシアに向き直った。

「……アレクシアは、どうして術式が彫られていないなんて分かるの? ラフェリオンを解体して、調べたってこと?」

「…………」

 トワリスからの疑念を感じ取ったのか、アレクシアは、目を細めた。
そして、同じくトワリスの方を向くと、挑戦的な笑みを浮かべた。

「私があの人形を操ってるとでも言いたいの? 言っておくけれど、的外れもいいとこだわ。私はただ、見ただけよ」

「だから、見たって一体どうやって……!」

 はっきりとしないアレクシアの言い分に、トワリスが追及を繰り返そうとした、その時──。
不意に、足元が大きく揺れたかと思うと、何かが砕かれるような重々しい音が響いて、長廊下全体がうねるように動き出した。
ラフェリオンが、トワリスたちを落とそうと、二階を支える柱を体当たりして破壊しようとしているのである。

 真っ先に反応したのは、アレクシアであった。
二人の間を抜けると、アレクシアは、一階へと続く階段を素早く駆け下りていく。
サイとトワリスも、急いで後に続けば、程なくして、残っていた長廊下の床部分が、がらがらと崩れ去った。

 一階の大広間は、足の踏み場もないほどに瓦礫が落ちており、散々な有り様であった。
叩き折れた柱のそばに控えていたラフェリオンは、ゆっくりと向きを変えると、トワリスたち三人を見据える。
足場が悪いため、すぐに加速して襲いかかってこようとはしなかったが、動きづらい状況なのは、トワリスたちも同じであった。

 腹立たしそうに前に出たアレクシアが、空に手をかざすと、先程ラフェリオンを取り囲んでいた無数の宝珠が再び宙を舞い、目映い光を放った。
一気に視界が明るくなり、同時に、大地を揺るがすような雷鳴が耳朶(じだ)を叩く。
放たれた稲妻は、まるで檻のようにラフェリオンを四方から追い立て、包みこんだが、次の瞬間には、弾かれたように霧散してしまった。
ラフェリオンが刃を振っただけで、稲妻が紙切れのように切り裂かれたのだ。

 アレクシアは、浮かぶ宝珠を自分の手元に引き寄せ、その中から照明代わりに一つ、宝珠を放ると、再度舌打ちをした。

「全く……面倒臭い。冥鉱石だの、海蜘蛛の何とかを使ってるっていうのは、本当みたいね。色々と予定が狂ったわ、どうしてくれるの。私はあんなイカれ人形の相手をするのはごめんよ」

 アレクシアにぎろっと睨まれて、トワリスは顔をしかめた。
二階で探し物があったとか何とか言っていたが、そんなことは何も説明されていなかったし、力を貸す道理はない。
アレクシアの方こそ、ラフェリオンの破壊に全くといって良いほど協力してくれないくせに、こんな理不尽な文句を言われる筋合いはなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.138 )
日時: 2019/06/18 13:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)

 トワリスが言い返そうとすると、割って入ったサイが、アレクシアに尋ねた。

「先程、術式がないと言っていましたが、それはどういう意味なんです? あれだけの動きをする魔導人形です。膨大な量の古語が記された術式がないと、動くはずがありません。アレクシアさんは、この近くに術者がいて、ラフェリオンを直接操っていると仰っているんですか?」

 アレクシアは、つまらなさそうに嘆息した。

「しつこいわね、知らないって言ってるじゃない。近くに術者がいるのかもしれないし、あるいはどこか別の場所に、術式が記されているんじゃない? 少なくとも、人形自体には刻まれてないわ」

「でも、それじゃあ……」

 サイとアレクシアが話している間にも、ラフェリオンは瓦礫を踏み砕き、三人目掛けて突進してくる。
三人は、それぞれ別方向へ避けると、ラフェリオンから距離をとるべく走った。

 アレクシアの、術式がない、という言葉の真偽はともかく、ラフェリオンの破壊が絶望的であることは、事実であった。
冥鉱石の鎧の頑丈さ故に、物理的な攻撃はほとんど効かないし、海蜘蛛の牙から出来たと言う刃も、魔術さえ切り裂く魔剣のようなものだ。
海蜘蛛は、大海さえ食らう化物とされているが、アレクシアの放った雷撃を見事に切り捨てていたところを見る限り、その牙から鍛えられた剣には、対魔術のための効果が見込まれているのだろう。
加えて、問題はヴァルド族の眼球だ。
まだどれほどの能力を持っているのかは分からないが、ただ遠くが見えるだけではないらしい、というのは、サイもトワリスも勘づいていた。

 ラフェリオンは、つい先程まで、暗くて視界が悪い屋敷内でも、確実にトワリスたちを狙っていた。
まるで、屋敷の天井に目があって、ラフェリオン本体に目隠しをしようとも、トワリスたちの動きは完全に把握されているような──そんな、迷いのない動きだ。
その上ラフェリオンは、音が大きく鳴り響いた方に引き寄せられるわけでも、匂いを嗅ぎ取っていたわけでもなく、獲物だけを正確に認識し、状況を判断して、狙いを定めていたのである。

 思考を持たぬ人形のはずなのに、ラフェリオンは、一体何を以て敵だと判断し、襲いかかってくるのだろう。
仮に、人間以上の五感を有し、目の前にいる全ての生物を屠る機能が備わっていたのだとしても、ラフェリオンの動きを見ていると、思考を持つ生物を相手にしているような気分になる。
もし、そう思わせるような動きを実現させているのが、ヴァルド族の眼球だというのなら、これが一番厄介だ。

 そう易々といくわけがないとは思っていたが、暗闇の中や、轟音が鳴り響く中でも動けていたことを考えると、感覚を全て奪うというのも、骨が折れそうだ。
おまけに術式までないとなれば、打つ手はない。

 となれば、残るは結局、再起不能なまでにラフェリオンを木っ端微塵にする方法しかないが、それこそ不可能だろう。
剣撃も魔術も、冥鉱石で出来た身体と海蜘蛛の牙から出来た刃が有る限り、意味がない。
ラフェリオンを抑え込めるものなど──。

 そこまで考えて、トワリスははっと立ち止まった。
屋敷内を見回して、内壁には傷がついていないことを確認する。

 この屋敷は、ラフェリオンを長年閉じ込め、封印してきた屋敷だ。
内側からは決して出られないよう、魔術が施されているのだと、ケフィも言っていた。
柱や一階の天井などは、何の魔術も施されていないのか、戦っている内に崩壊してしまったが、実際、外に面する壁だけは、一切損傷していない。
思えば、昨日ラフェリオンが勢い余って壁に突撃したときも、壁は無傷であった。

(だったら──)

 トワリスは、腰にかけてあった鉤縄(かぎなわ)を手に取ると、サイに狙いを定めていたラフェリオンの胴体目掛けて、それを放った。
鉤縄程度、ラフェリオンにかかれば簡単に切り裂かれ、ほどかれてしまうだろうが、トワリスの目的は、拘束することではなかった。

 鉤縄が胴体に巻き付いたことを確認するや否や、ラフェリオンが抵抗するよりも速く、トワリスは、思い切り鉤縄を引いた。
ぐうんとラフェリオンの身体が宙を舞って、放物線を描く。
そのまま一歩踏み出し、全力で投擲すれば、ラフェリオンは、凄まじい勢いで壁に向かって飛んでいった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.139 )
日時: 2019/06/18 13:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 蹴り飛ばしてみて実感したが、唯一弱点としてあげるところがあるとすれば、ラフェリオンは、それほどの重量は持たないことであった。
トワリスよりは重いが、それでも勢いさえつければ、鉤縄で釣って投げ飛ばすくらいは可能だ。

 長年ラフェリオンを封じ込めてきた屋敷の壁ならば、おそらくどのような攻撃にも耐えうるし、ラフェリオン本体よりも頑丈である。
自分よりも硬いものとぶつかれば、いくらラフェリオンとて、無事ではいられないはず──。

 そう踏んでの行動だったのだが、ラフェリオンが壁に激突した、その時。
予想外の出来事が起こった。
如何なる攻撃にも耐えるはずの壁は、ラフェリオンがぶつかった瞬間、激しい物音を立てて突き崩れたのだ。

「えっ!?」

 渾身の力で叩き付けられたラフェリオンは、そのまま壁を突き破って、外に投げ出される。
ぐっと腕を持っていかれたトワリスは、咄嗟に鉤縄を離そうとしたが、慌てて握り直した。
もし手を離したら、ラフェリオンという危険な魔導人形を、野に放つことになってしまう。

 木片と土埃を巻き上げながら、勢い余って地面を滑っていくラフェリオンに引っ張られ、トワリスも外に放り出される。
鉤縄を引いて、ラフェリオンを屋敷内に引き戻そうとも思ったが、自分でも身を投げ出すくらいの勢いで投擲したので、踏ん張りがきかなかった。

 反射的に身を丸めると、宙で反転して、トワリスは背中から地面に着地した。
受け身を上手くとれたことと、柔らかい土の上だったことが幸いして、背中にかかった衝撃は大したものではなかったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
跳ねるように立ち上がると、トワリスは、すぐさまラフェリオンに向かい合った。

 まさか、魔術が施されているはずの屋敷の壁が、ラフェリオンを投げつけたくらいで破れるとは計算外であったが、とにかく、このままラフェリオンが下山して、周辺の村や街を襲うなんてことがあろうものなら、大惨事になる。
今すぐ、ラフェリオンを屋敷の中に引き戻さねばならない。

 素早く体制を整えたトワリスは、しかし、目の前のラフェリオンの様子を見て、思わず眉をしかめた。
全力で蹴り飛ばしても、魔術で吹っ飛ばしても、すぐに起き上がっていたあのラフェリオンが、地面に突っ伏したまま、ぴくりとも動かないのだ。

 まるで打ち捨てられたガラクタのように、両腕を投げ出し、力なく土の上に横たわっている。
拍子抜けして瞬いたトワリスは、そっとラフェリオンに近づくと、足で仰向けにひっくり返して、その顔を覗きこんだ。

(急に動かなくなった……。どうして……?)

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.140 )
日時: 2019/06/13 19:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 剣を構えたまま、じっとラフェリオンの全身を見回す。
壁に激突した時に、思惑通り損傷して動かなくなったのかとも思ったが、見たところ、ラフェリオンは傷一つついていない。
屋敷から出たら、停止する仕組みになっているなんて聞いていないし、そもそもそんな仕組みになっているなら、この屋敷にラフェリオンを閉じ込めておく必要なんてなかったはずだ。

 ラフェリオンの金髪はぼさぼさで、肌も鉄がむき出しになっているが、かつては美しい少女の姿を模していたのであろう。
兵器と言うには似合わぬ、線の細い少女の面影が、その鉄塊にはあった。

 顔を見つめていたトワリスは、ふと、ラフェリオンの右目に違和感を覚えると、その場に屈みこんだ。
よく目を凝らさなければ見えないが、ラフェリオンの青い瞳の表面に、針で削ったような細かな傷がついている。
それが、何を表しているのか気づいたとき、トワリスは、はっと息を飲んだ。

(術式……!)

 剣を持ち変え、反転させると、ラフェリオンの目を狙って突き下ろす。
ラフェリオンに斬撃など効かないことは分かっているが、今まで、直接眼球を狙えたことはなかった。
しかし、ラフェリオンの動きが止まっている今なら、確実に仕留められる。

 トワリスの剣先が、ラフェリオンの瞳に届く──その直前。
突如、ラフェリオンの刃が翻ったかと思うと、トワリスに襲いかかった。
すんでのところで剣の角度を変え、刃を受け止めるも、咄嗟のことに体制を崩したトワリスは、力負けして屋敷内に吹っ飛ばされる。

 反射的に床に剣を突き立て、どうにか壁に激突するのは避けたが、踏ん張った拍子に、軽く足を痛めたらしい。
すぐに体制を立て直そうとしたトワリスであったが、右の足首に痛みが走り、うめいて膝をついた。

 自分が突き破った壁の穴をくぐって、凄まじい速さで、ラフェリオンの刃が向かってくる。
標的を仕留めることしか頭にないのか、ラフェリオンが街や村の方へと行かなかったのは幸いだったが、足を痛めた以上、今後ラフェリオン速さについていくことは難しいだろう。

 接近してくる刃に、痛みを覚悟した、その時だった。
不意に、視界の端が光ったかと思うと、横合いから、鋭い冷気が迸った。
次々と顕現した氷塊が、ラフェリオンを飲み込もうと、槍の如く床から飛び出してくる。
ラフェリオンは、素早く進路を変え、避けようとしたが、氷塊の形成される速さには追い付かず、次の瞬間には、氷漬けになった。

 詠唱なしでは──いや、詠唱したとしても、ここまでの魔術を使える者は、魔導師団の中にもそう多くはないだろう。
トワリスは、つかの間呆けたように目の前の氷塊を眺めていたが、やがて、ゆっくりと立ち上がると、魔術を行使したであろうサイの方に、右足をかばいながら向き直った。

「トワリスさん! ご無事ですか!」

 息を切らせて、サイが走り寄ってくる。
アレクシアは、嘆息しながら歩いてくると、氷漬けになったラフェリオンを一瞥してから、トワリスを見た。

「貴女、一体何を考えているのよ。屋敷の壁に風穴開けちゃって……これじゃあ、あの人形を閉じ込めておけないじゃない」

 心配して手を貸してくれるサイに対し、アレクシアは、呆れた様子で肩をすくめる。
むっとして言い返そうとしたトワリスであったが、厄介な状況にしてしまったのは事実なので、大人しく謝罪した。

「……ごめん。長年ラフェリオンを封じていた屋敷の壁だし、ぶつけたら、ラフェリオンが負けて壊れると思って……」

 アレクシアが何かを言う前に、サイが口を出した。

「実際、そうなる可能性はありましたよ。投げ飛ばして壁にぶつけるなんて、トワリスさんじゃなきゃ、試せなかった方法だと思います。大丈夫ですよ、予定通りラフェリオンを破壊すれば、解決する話なんですから」

「…………」

 気持ちは有り難いが、慰めようとしてくれているのが丸分かりの言葉である。
いたたまれず黙っていると、アレクシアが無情にもとどめを刺してきた。

「術式もない、攻撃も効かない、この状況でどうやって破壊するのよ。あの人形は、屋敷に封じたままでいようと思っていたのに……。貴女が壁をぶち壊してしまったせいで、私達、この屋敷から出られなくなったわよ。逃げたら、きっと穴を通って追いかけてくるもの、あいつ」

 ちらりと目線でラフェリオンを示して、アレクシアが言う。
その時、はっと目を見開くと、トワリスはアレクシアの肩を掴んだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.141 )
日時: 2019/06/18 13:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


「あっ、そう、あったの! 術式!」

「……は?」

 アレクシアが、怪訝そうに顔をしかめる。
サイは、驚いたように瞠目した。

「あったって、見たんですか?」

 トワリスは、真剣な顔つきで頷いた。

「至近距離でよく見ないと分からないくらい、小さな術式だったんですけど、ラフェリオンの眼球に、古語が彫られていたんです。一言、“回れ”って」

「“回れ”……?」

 繰り返し呟いて、サイは眉根を寄せた。

「それは……おかしいですね。ラフェリオンは、まるで思考力さえ持っているようにも思えるくらい、複雑な動きをする魔導人形です。“回れ”というのは、恐らく車輪にかけられた魔術の元となる術式なんでしょうが、それだけでは、前に進むことと、車輪の動きと連動しているであろう、刃の回転くらいしか出来ないはずです。例えば、動く標的を狙えとか、魔力を察知したら避けろとか、そういう細かな命令が沢山与えられていないと、あんな動きは出来ないはず。もっと巨大で、入り組んだ術式でないと……」

 考え込むサイを見てから、トワリスは、再び氷塊に取り込まれたラフェリオンを見つめた。

 サイの言う通り、ラフェリオンの原動力となる術式が、回転する動作を促すだけのものというのは、不可解であった。
あれだけの動きをさせるなら、もっと多くの指示を書き込んだ術式が必要である。
だからこそ、それを書き切れるだけの背中や腹部に、術式が彫られているだろうと予測していたのだ。

 アレクシアは、すっと目を細めると、トワリスに顔を近づけた。

「……今の話、確かでしょうね? 見間違えではなくて? 至近距離で見ないと分からない、と言っていたけれど、どうやってあの人形に接近したの?」

 疑っている、というよりは、確信を得たがっているような言い方であった。
トワリスは、アレクシアを見つめ返すと、こくりと頷いた。

「見間違えじゃない。屋敷の外に飛び出したとき、原因は分からないけど、ラフェリオンの動きが一瞬だけ止まったんだ。その時に、はっきりと見たよ。ぱっと見ただけじゃ、小さな傷が眼球に入っていただけのようにも見えたけど、近くで見たら、確かに“回れ”って書いてあった」

 アレクシアの目が、徐々に見開かれていく。
勢いよくラフェリオンの方へ振り返ると、ややあって、アレクシアは唇で弧を描いた。

「そういうこと……ようやく見つけたわ」

 ぐっと拳を握って、アレクシアが呟く。
次いで、サイとトワリスの方を向くと、アレクシアは言った。

「予定変更よ。私がイカれ人形の術式を、解除するわ。貴方たち二人は、時間を稼いでちょうだい」

 宝珠がふわりと浮かんで、アレクシアを守るように取り囲む。
術式の解除に備え始めたアレクシアに、サイは、納得のいかない様子で声をかけた。

「ちょっと待ってください。トワリスさんのことはもちろん信じていますが、そもそも、前提としておかしいです。あの目は、ヴァルド族という一族の眼球なのでしょう? つまり、作り物ではなく本物の眼球です。どうやって術式を彫ったっていうんですか?」

 その時、何処からか、水がぽたぽたと滴り落ちるような音が聞こえてきた。
徐々に視界が白み始め、屋敷の中に、蒸気が立ち込めていく。
一同が顔を上げれば、蒸気の発生源は、凍りついたラフェリオンであった。
ラフェリオンが、自らを発熱させて、己を閉じ込める氷塊を溶かそうとしているのだ。

 はっと顔を強張らせたサイとトワリスに対し、冷静な顔つきで振り返ると、アレクシアは、冷たい口調で言った。

「あの人形の目は、ただの硝子玉よ。あれは、ヴァルド族の眼球に似せた偽物に過ぎない。それだけは、最初から確信していたわ。ヴァルド族の瞳は、あんな安っぽい青じゃないもの」

 白く煙る視界の中で、アレクシアの透き通るような青い瞳だけが、確かな色を持っているように見えた。
青く、それでいて、その奥底には明媚な夜空が広がっているかのような、深い深い蒼色。

 どうしてそんなことを知っているのか、と問おうとして、トワリスは、はっと口をつぐんだ。
静かな怒りと、悲しみの色を宿したその瞳が、全てを物語っているような気がしたのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.142 )
日時: 2019/06/18 18:35
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



「まさか、アレクシアって……」

──刹那、氷の中なら抜け出したラフェリオンが、氷水を纏って三人に斬りかかってきた。
左足で踏み出したトワリスが、束ねた双剣を叩きつけるように振れば、殴打されたラフェリオンが、もんどり打って倒れる。
同時に、アレクシアとトワリスを庇うように立ったサイが長杖を構えると、竜巻の如く生じた風が、立ち込める蒸気を吹き飛ばした。

 立て続けて発生した風の渦が、突き立った氷塊を木端微塵に粉砕し、ラフェリオンを飲み込んで、破裂する。
濡れた床の水飛沫を跳ね上げ、そのままごろごろと転がったラフェリオンだが、やはり、損傷はどこにも受けていないようだ。
間髪いれずに、細かく散った氷塊をラフェリオンへと放つと、サイは、トワリスの方を一瞥した。

「トワリスさんは、アレクシアさんの守りに徹して下さい。足止めは、私がやります」

 ラフェリオンと対峙し、サイが長杖に魔力を宿す。
トワリスは、分かりました、と返事をすると、解除の紋様を紡ぐアレクシアを背後に、双剣を構え直した。

 術式の解除は、元の魔術を打ち消す魔法陣を作り出すことで完成する。
打ち消したい魔法陣を、正確に特定しなければならないのが困難な点だが、発動自体は、かなり簡単な魔術だ。
まして、“回れ”と一言しか記されていない術式の解除なんて、そう時間は要さないだろう。

 アレクシアの足下に、光の帯が走って、解除の魔法陣が形成されていく。
発動まであと少し──その間、サイは、ラフェリオンにひたすら魔術を放ち続けるつもりでいた。
破壊するとなると、ただ攻撃をしているだけでは効かないが、解除の魔術が発動するまでの時間を稼ぐだけならば、ラフェリオンの動きを止めているだけで十分である。

──その時だった。
突然、床に積み重なっていた人形の手が飛びあがり、サイの首に掴みかかった。
手首から先が欠如した、白木の掌が、凄まじい握力で首を締め上げてくる。
喉の奥を押し出されるような痛みが襲ってきて、サイは、ラフェリオンへの攻撃を中断せざるを得なかった。

 動き出した人形たちの腕は、一つではなかった。
サイを助けに行こうとしたトワリスの脚にも、無数の手が掴みかかり、巻きつくように集ってくる。
剣で斬りつければ、手は呆気なく切り捨てられたが、数が多すぎて、攻撃が追い付かない。
矢の如く、次々と掴みかかってくる人形たちの手は、サイとトワリスを地面に引きずり倒そうと、全身に取りついてきた。

 完全に身動きがとれなくなったサイとトワリスに、うなりをあげて、ラフェリオンが迫ってくる。
トワリスは歯を食い縛り、なんとかして絡み付く人形たちの手を引き剥がそうとしたが、握り締めてくる力は増すばかりで、びくともしなかった。

(アレクシア、早く……!)

 ラフェリオンの刃が、サイへと伸びる、その瞬間──。
アレクシアの足下に描かれたものと同じ魔法陣が、ラフェリオンの頭上に展開した。

「我、解約を命ず……逆しまに還りて、解き放ち、我が盟約を受け入れよ!」

 アレクシアの詠唱に呼応し、目映い光が魔法陣から迸って、ラフェリオンを飲み込む。
術式の刻まれた青い右目が、その瞬間、割れて飛び散ったところを、トワリスは確かに見た。

 鳥肌が立つような悲鳴と共に、ラフェリオンの身体が、分解され、ばらばらと砕け散っていく。
掴みかかってきていた人形たちの手も、力を失ったのか、気づけば、サイとトワリスを拘束するものはなくなっていた。
とうとう、ラフェリオンの術式の解除に成功したのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.143 )
日時: 2019/06/20 19:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: e7NtKjBm)



 しかし、ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。
不意に、ぐらぐらと屋敷全体が揺れ出して、三人は顔を上げた。
細かい飛礫が降りかかってきたかと思うと、既に半壊していた天井にひびが入り、崩れ落ちてくる。
激闘の衝撃か、あるいは、ラフェリオンの術式を解除したことが影響しているのか──屋敷が倒壊しかかっているのだ。

「脱出しましょう!」

 切迫した声で言って、サイが扉を示す。
彼に続き、トワリスとアレクシアも走り出したが、ふと振り返ったトワリスは、一拍遅れて走ってきたアレクシアの頭上に、大きな瓦礫が迫っていることに気づくと、咄嗟に踵を返した。

「アレクシア……!」

 床を蹴って跳ねあがり、アレクシアを突き飛ばす。
二人はもつれるようにして床に転がり、なんとか瓦礫の下敷きになることを回避したが、屋敷の崩壊はそれだけに留まらない。
天井の落下を皮切りに、ぎしぎしと嫌な音を立てて、柱や壁にまで亀裂が入り始める。

 気づいたサイが、すかさず結界を張ろうと手を伸ばすも、次の瞬間、崩れ落ちてきた瓦礫に視界が塞がれ、トワリスとアレクシアを見失ってしまう。
重々しい音を立てて降ってくる瓦礫の雨から、自分を守るので精一杯であった。

 視界が真っ暗になり、巻き上がった土埃が鼻をつく。
ぶつかり合い、砕けた瓦礫が地面に叩きつけられた轟音が響いたあと、一切の音が消えた。
静寂の後、思い出したように呼吸を再開すれば、木々のざわめきが聞こえ始めた。

 雲間から覗く太陽の光が、異様なほど眩しい。
直前で結界を張り、身を守ったサイは、完全に倒壊した屋敷を見渡すと、曇天の空を仰いだ。
同時に、高く積まれた瓦礫の一部が、破裂するように崩れたかと思うと、アレクシアが顔を出す。
彼女もまた、押し潰される寸前で、宝珠を使って結界を張っていたのだ。

 アレクシアは、自分に覆い被さるように倒れているトワリスを抱き起こすと、その頬を軽く叩いた。
すると、咳き込むように息を吸ったトワリスが、ぱっと目を開ける。
トワリスは、しばらく苦しそうに肩を揺らして呼吸していたが、やがて、ゆっくりとアレクシアの方を見ると、呟いた。

「……し、死ぬかと思った」

 二人は黙りこんだまま、少しの間、互いの目を見つめあっていた。
ややあって、サイが駆けつけてくると、アレクシアはトワリスの額を指で弾いた。

「筋金入りの馬鹿ね、貴女」

 呆れたように言って、立ち上がる。
助けてあげたのに心外だ、とでも言いたげな表情で、額を押さえるトワリスを見やると、アレクシアは、どこか安堵したように息を吐いたのだった。
 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.144 )
日時: 2019/06/22 20:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 山荘に戻ると、迎え入れてくれたケフィは、傷だらけの三人の姿を見て真っ青になった。
傷だらけと言っても、軽く足を捻挫していたり、打ち身や切り傷を負っただけで、大したことはなかったのだが、最後に屋敷の崩落に巻き込まれたせいで、全身薄汚れ、団服もぼろぼろになっていたため、重傷に見えたのだろう。
ケフィは、今すぐ町医者を呼ぶべきだと主張したが、すぐに発つからと言って、三人は遠慮した。

 報告のために、再びあの人形だらけの客間へと招かれ、ラフェリオンの破壊に至るまでの経緯を説明すると、ケフィは、案外冷静な態度で、その話を聞いていた。

「そうですか……術式の解除を。でも、魔導書は見つからなかったんですね。すみません、あの屋敷にあるかも、なんて不確かなことを言ってしまって」

 申し訳なさそうに頭を下げるケフィに、サイは首を振った。

「いえ、ケフィさんが謝ることではありません。見つからない場合も想定していましたから、大丈夫ですよ。ただ、結局なぜラフェリオンが、小さな術式一つであんな複雑な動きをしていたのか、分からないんですよね。あのあと、完全に破壊されたラフェリオンを調べて、他にも術式が刻まれていないかと探しましたが、やはり何の術式も彫られていませんでした。ハルゴン氏が何か特別な技術を持っていたのか、それともあの屋敷自体に、ラフェリオンを動かす別の秘密があったのか……」

 ぶつぶつと呟きながら、サイは何やら真剣に考えを巡らせている。
よほどラフェリオンの秘密を暴きたいのだろう。
サイは、屋敷を離れてから、ずっと上の空であった。

 ただ、実際、ラフェリオンが一体どのような原理で動いていたのかという問題は、トワリスも気になっていた。
サイのように、知的好奇心から気になっているというよりは、単純に不安だったのだ。
術式の解除には成功したものの、何故ラフェリオンが動いていたのか明らかにできていない以上、果たしてあの“回れ”という術式が、本当に原動力だったのか不明である。
となると、いつまたラフェリオンが動き出すかも分からないし、完全に根本を絶ち切れたという確証がないので、漠然とした不安が残る。

 トワリスは、持っていた荷物の中から、分厚い革袋を引っ張り出すと、ケフィの前に出した。

「破壊には成功しましたが、ラフェリオンにはまだ未知の部分が多いです。この袋には、壊したラフェリオンの部品の一部が入っています。これを魔導師団に持ち帰って、調べても大丈夫ですか?」

 ずっしりと重い、ラフェリオンの身体の一部が入った革袋。
一部と言ったのは、文字通り、全ては回収しきれなかったためだ。
崩壊した屋敷の瓦礫の中から、粉々に砕け散ったラフェリオンの残骸を集めきるのは、容易ではなかったのである。
特に、あの術式が彫られていた青い眼球は入手したかったのだが、見つからなかった。
解除した瞬間か、あるいは屋敷が崩壊した時に、砕け散ってしまったのかもしれない。

 ラフェリオンの残骸を見せると、ケフィは、微かに目を細めた。
しかし、すぐに笑みを浮かべると、快く頷いて見せた。

「構いません。僕の手元に残しておいても、仕方がありませんしね。もしそれが皆さんのお役に立つというのなら、どうぞ持っていてください」

 とぽとぽと音を立てて、温かな匂いを纏った紅茶が、カップに注がれていく。
ケフィは、紅茶を淹れながら、日が傾き始めた窓の外を一瞥すると、尋ねた。

「すぐに発つと仰っていましたが、今日中に行かれるのですか? ラフェリオンとの戦いで、お疲れでしょう。昨日皆さんがお使いになった部屋はそのままにしておりますので、一晩くらい、泊まっていかれませんか?」

 ケフィの申し出に、トワリスは、迷った様子で口ごもった。

「お気持ちは嬉しいのですが、私達、なるべく早く次の任務に行きたくて……」

 それを聞くと、ケフィは残念そうに眉を下げた。

「そうですか。もうすぐ日も暮れますし、お礼も兼ねて、おもてなしさせて頂こうと思っていたのですが……お急ぎなら、しょうがないですね。せめて、出発までの間は、ゆっくりしていってください」

 ふわりと湯気の舞う紅茶をそれぞれに差し出して、ケフィは微笑む。
サイとトワリスは、有り難くそれを受け取ると、息を吹き掛けて、飲みやすくなるまで紅茶を冷ましていた。
だがその時、不意にアレクシアが、長椅子から立ち上がったかと思うと、あろうことか、淹れたての紅茶を、カップごと向かいに座るケフィに投げつけた。

 橙赤色の液体が、勢いよくケフィの頭に降りかかる。
床に落下し、ぱりんと音を立てて割れたカップを見ながら、ケフィは驚いた様子で、硬直していた。
ややあって、トワリスも長椅子から腰をあげると、アレクシアを睨み付けた。

「ちょっと! 何やってるのさ!」

 カップを投げつけたアレクシアの腕を掴み、怒鳴り付ける。
しかしアレクシアは、そんなトワリスの手を振り払うと、ケフィを見下ろして言った。

「貴方の淹れた紅茶は、不味くて飲めたものじゃないわ。熱すぎたり、ぬるかったり、味だって、昨日からろくなものじゃなかった。自分が淹れた紅茶、今ここで飲んでみなさいよ」

 まるで挑発するような口調で言って、アレクシアは鼻を鳴らす。
狼狽えるサイとトワリスには目もくれず、ぐいとケフィに顔を近づけると、アレクシアは言い募った。

「ああ、もしかして飲めないのかしら。飲んだところで、味も温度も分からない。ねえ、そうなんでしょう?」

 ケフィの夜色の瞳が、微かに揺れる。
アレクシアは、机を踏みつけて身を乗り出すと、不敵な笑みを浮かべた。

「……本物のラフェリオンは、貴方ね?」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.145 )
日時: 2019/06/25 19:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 アレクシアの発言に、サイとトワリスが瞠目する。
アレクシアは、ケフィの胸ぐらを掴みあげると、きつい口調で続けた。

「ずっと、私達のことを見ていたんでしょう? ……その、ヴァルド族から奪った眼球で。貴方が造り上げた偽物のラフェリオン相手に、私達が苦戦をする様は、見ていてさぞ面白かったことでしょうね? でも残念。見えるのは、貴方だけじゃあないの」

「…………」

 掴んでいた胸ぐらを、ぱっと放す。
まるで放心したように、呆然と長椅子に身を預けるケフィを見て、アレクシアは、口許を歪めた。

「昨日、あの屋敷に侵入した私達を見つけた貴方は、魔導師がまたラフェリオンを破壊しに来たのだと気づいて、焦った。けれど貴方は、あえて私達を助け、協力する振りをして、わざわざ情報を偽装し、あの偽物のラフェリオンを壊すように仕向けたのよ。殺すより、私達にラフェリオンを破壊したと思い込ませて、魔導師団に任務完了の報告をしてもらったほうが、都合が良かったんでしょう。そうすれば、今後二度と、ラフェリオンを追おうとする者はいなくなるから」

 アレクシアは、身を戻して立つと、ケフィを見下ろした。

「あの偽ラフェリオンが、“回れ”だなんていう簡単な術式一つで動いていたのも、紐解けば単純な話よ。如何に標的を追い、仕留めるのか……全ては貴方が直接見て、接戦を演じるように動かしていただけなんですもの。術式は、術者がいない場合には必要になるけれど、直接術者が魔術を行使しているなら、必要ないわ。私が術式を解除したとき、サイやトワリスに掴みかかっていった、あの人形たちの手も、貴方が直接操っていただけ。屋敷には、ラフェリオンを封じるための魔術が施されているなんて話も、全て私達がラフェリオンを破壊するという筋書きを完成させるための、作り話なんでしょう? あの偽物のラフェリオンは、言ってしまえば、本物のラフェリオンの操り人形で、私たちは、まんまと貴方が用意した舞台の上で、踊らされていたってわけ」

「…………」

 ケフィは俯いたまま、一言も発しない。
サイは、おずおずと長椅子から立ち上がると、緊張した面持ちでアレクシアを見た。

「ま、待ってください、アレクシアさん。今の話だと、その……ケフィさんが、あのラフェリオンを魔術で動かしていた、と言うことなんですよね? でも、あの場にケフィさんはいなかったじゃないですか」

 アレクシアは、肩をすくめた。

「だから言ったじゃない。こいつはヴァルド族の目で、私達のことを見ていたのよ。確かにあの屋敷には、ケフィ・ハルゴン──いえ、ラフェリオンはいなかった。でも、どこにいようと、こいつにとっては、私達の動きなんて丸見えなの。ヴァルド族の目は、壁を何枚隔てようと、その先の景色を見渡すことが出来る。つまり、標的を目で捉えさえすれば、この場で魔術を使うのも、山一つ向こうで魔術を使うのも、同じことなのよ」

 アレクシアの蒼い瞳が、鋭い光を宿す。
サイは、信じられないものを見るような目でケフィを一瞥し、再度アレクシアに視線を向けると、震える声で返した。

「しかし……ケフィさんは、どう見たって……人間にしか……」

「…………」

 ケフィは、相変わらず長椅子に腰掛けたまま、沈黙を貫いている。
ケフィが人間にしか見えないと動揺するサイの気持ちは、トワリスにもよく分かった。
見た目が人間そっくりだとか、複雑な会話のやり取りや動きが出来るとか、そういった次元の話ではないのだ。
細かく繊細に変化する表情も、眼差しも、声色でさえ、人間のそれとしか思えない。
触れずとも柔らかな熱が伝わってくるような、そんな人間らしい温かみが、ケフィからは感じられるのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.146 )
日時: 2019/06/27 19:21
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: /.e96SVN)



 アレクシアは、皮肉めいた口調で言った。

「だから傑作なんでしょう、貴方は。ラフェリオンがハルゴン氏の最高傑作と謳われた所以は、強力な造形魔術によって制作されたからでも、類稀な戦闘能力を持っているからでもない。人間と同じ、感情というものを持っているから……。そんなところかしら」

 サイとトワリスが、強張った顔でケフィを見る。
ややあって、ケフィはゆっくりと顔をあげると、冷めた目でアレクシアを見上げた。

「……仰っている意味が、よく分かりませんね。僕がラフェリオン? そんな証拠、どこにあるっていうんです?」

 アレクシアは、唇で弧を描いた。

「あの人形が、ラフェリオンの偽物だってことには、最初から気づいていたわ。だってあの安っぽい目は、どう見てもヴァルド族の眼球ではなかったもの。だから私は、ずっと本物のラフェリオンを探していたのよ」

 アレクシアの言葉に、トワリスは目を見開いた。
思い起こしてみれば、偽物のラフェリオンに全く興味を示さなかったことも、やたらと単独行動をとっていたことも、アレクシアが本物のラフェリオンを一人で探していたのだと考えれば、合点が行く。

 笑みを深めて、アレクシアはケフィを見つめた。 

「貴方を疑い始めたのは、私が、あの屋敷に魔導書の並んだ部屋がある、と言った時。魔導人形のことも魔術のことも分からない、なんて顔をしていたけれど、貴方は、そんな部屋が存在しないことを知っていた。だから私が、魔導書の並んだ部屋を見た、と言ったとき、貴方は微かに視線を泳がせたのよ。動揺の仕方まで人間らしいなんて、正直信じられないけれどね」

 次いで、アレクシアは目を細めた。

「他にもあるわ。トワリスが屋敷の壁を破った時、一緒に投げ出された偽物のラフェリオンの動きが、一瞬止まったの。そうよね?」

 アレクシアの視線を受けて、トワリスが首肯する。
ケフィが本物のラフェリオンだというアレクシアの言い分が、徐々に真実味を帯び始め、トワリスは、無意識に拳に力を込めていた。

「どんな攻撃を受けても、びくともしなかったあのイカれ人形が、ほんの一瞬でも動きを止めた。……考えてみて、すぐに分かったわ。ヴァルド族の目は、標的を追える訳じゃない。あくまで、ある一定の空間を見渡せるだけ。つまり、屋敷の内部に視線を定めていた貴方は、突然屋敷の外に飛び出したトワリスたちが視界から外れて、見失ったのよ。偽物のラフェリオンに、次の動きを指示できなかったの。これは、あの偽物のラフェリオンが、自ら標的を認知して動いていたわけではない証拠よ。そして、遠隔からの操作を可能にしていたのが、術式の力ではなく、ヴァルド族の眼球を持った者──つまり、本物のラフェリオンだったという証拠でもある」

 アレクシアが言葉を切ると、ケフィは、微かに息を吐いた。

「……答えになっていません。術式一つで動いていたとは考えづらいから、直接操っていた何者かがいるのだろう、と判断するのは、些か早計ではありませんか? 少なくとも僕は、あの屋敷に封じた人形が、ラフェリオンなのだと祖父から聞いていました。単に貴方たちが、表面的に見えやすい、眼球に刻印された術式しか調べられなかったというだけのことでしょう。あの人形を解体したら、二つ目、三つ目の術式が見つかったかもしれません。それに、仮にあの屋敷にいたのが偽物で、その偽物を操っていたのが、本物のラフェリオンであったのだとしても、今のフィオールさんのお話は、ラフェリオンの正体が僕だという証拠はならないはずです。この周辺には他に人が住んでいませんから、僕を疑いたくなるお気持ちもお察ししますが」

 ケフィの夜色の瞳が、アレクシアを射抜く。
アレクシアは、その瞳を見つめ返すと、わざとらしく眉をあげた。

「そうね、解体して調べたわけじゃないわ。眼球の術式を解除したら動かなくなったから、あの術式が原動力だったと判断したに過ぎない。確かに、決定的とは言えないわ。ただ──」

 アレクシアは、艶然と微笑んで、言葉を継いだ。

「術式が眼球に刻印されていたなんて、よく知ってるわね? 私は、術式が一つだけだった、としか言っていないけど……?」

──瞬間。
怒り任せに振り上げられたケフィの拳が、大きな音を立てて、机を叩き割った。
衝撃で落ちたカップが、紅茶を吐き出しながら、ごろごろと床に転がっていく。
しゅぅっと蒸気のような息を吐いて、凶暴な光を目に宿したケフィは、ぎろりとアレクシアを睨んだ。

「謀ったな、この女……!」

 ケフィの凄まじい変貌に、思わずサイとトワリスがたじろぐ。
黒に近い夜色だった彼の瞳が、いつの間にか、アレクシアと同じ透き通った蒼色に変わっていることに気づくと、トワリスは、訝しげに問うた。

「まさか、本当に貴方が……?」

 ラフェリオンは、トワリスに目を移すと、眉を歪めた。

「……そりゃあ、疑いたくもなるでしょうね。そうですよ、僕が、魔導人形ラフェリオンだ。……でも、とても人形には見えないでしょう? 僕は、人形であって、人間だから」

 木端微塵になった机の残骸を踏みつけ、ラフェリオンは、ゆらりと立ち上がる。

「……僕はね、人間の死体から出来てるんですよ。大勢の死体をかき集め、継ぎ接いで作った……この脚も、腕も、内臓も眼球も、全部! 選ばれた人間を殺して奪ったものだ」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.147 )
日時: 2019/06/29 22:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)


 サイが、顔色を真っ青にした。

「殺して、奪った……? ラフェリオンを作るために、人を殺したっていうんですか……? 一体、何のために……?」

 ラフェリオンは、皮肉っぽく笑うと、自分の掌を見つめた。

「人為的に、優れた人間を作ることができるのか、試そうとしたんですよ。人形は所詮、指示通りにしか動けぬ玩具です。でも僕は違う。優秀な人間の身体、能力を生まれつき持ち、思考し、学ぶことができる……。けれど、この身体は成長しないし、感覚もない。死ぬこともない。魔力がある限り動き続ける、不完全な人の形をしたものです」

 サイは、信じられないものを見るような目で、ラフェリオンの全身を眺めた。

「で、ですが……人形だろうが、兵器だろうが、貴方は生きているではないですか。死体を材料に、貴方のような人形を造り上げるなんて……そんな方法が、あるというのですか」

 ラフェリオンに代わり、アレクシアが、忌々しそうに答えた。

「あるわけないじゃない。……死んだ人間の身体で、生きた人形を作るなんて。ハルゴン氏は、禁忌魔術に手を出したのよ」

「出したんじゃない! 出さざるを得なかったんだっ!」

 アレクシアの言葉に被さるように、ラフェリオンが怒鳴る。
わなわなと唇を震わせ、額に手を当てると、ラフェリオンは悔しげに言葉を絞り出した。

「先生は……ミシェル・ハルゴンは、脅されたんだ。十年ほど前、魔導師団の団長を名乗る男に、思考する人形作りに協力するよう言われ、拒めば殺すと脅迫された。だから何としても、魔導人形ラフェリオンを完成させなければならなかった。多くの罪なき命と引き換えに、禁忌魔術に手を出すことになろうとも!」

 それから、力が抜けてしまったように、長椅子にがっくりと腰を落とすと、ラフェリオンは、アレクシアを見上げた。

「……フィオールさん、貴女は何故魔導師なんてやっているんです? 貴女が最初からお見通しだったように、僕にも分かっていましたよ。貴女は、ヴァルド族の生き残りなんでしょう。それなら貴女だって、被害者のはずだ。恨む相手が違う。貴女の同胞を狩り、眼球を奪い、そしてミシェル・ハルゴンを脅して僕を作らせたのは、魔導師団の人間です」

「…………」

 眉を寄せて、トワリスがアレクシアを見る。
やはり彼女は、ヴァルド族だったのだ。
偽物のラフェリオンと交戦していた時から、薄々勘づいてはいた。
誰も見ていなかったはずなのに、トワリスが度々同期の魔導師たちと揉めていたことを知っていたのも、サイとトワリスが、なんだかんだでアレクシアに協力するつもりであることを確信していたのも、術式が偽物のラフェリオンにはないと言っていたのも、全て、ヴァルド族の眼があったからだと思えば、説明がつく。

 アレクシアは、目を伏せると、小さくため息をついた。

「……エイデンは既に裁かれたわ。禁忌魔術の行使を、人形技師ミシェル・ハルゴンに強制した罪でね。世間には、罪人としてではなく、殉職として公表されたことは気に食わないけれど、しょうがない。仮にも魔導師団長ともあろう者が、禁忌魔術に手を出したなんて、良い恥さらしだもの」

「じゃ、じゃあ、この件の黒幕は……」

 震える声でトワリスが確認すると、アレクシアは、淡々と答えた。

「前魔導師団長、ブラウィン・エイデンよ。彼は、ヴァルド族を始めとする多くの民を惨殺し、その遺体を使って、ハルゴン氏に魔導人形ラフェリオンを作るように命じた。エイデンの愚行を暴いた魔導師団は、その隠蔽に躍起になったわ。だって、法を守るべき魔導師団の長が禁忌に手を染めるなんて、とんだ笑い話だもの。だから、一連の真実を知るエイデンとハルゴン氏をこの世から葬り、事件をなかったことにした。そして次に、禁忌魔術によって産み落とされた魔導人形ラフェリオンを、破壊しようとしたのよ。禁忌魔術が関与しているという事実は伏せ、制作者が死に、扱える者がいなくなってしまった暴走殺人兵器だと、情報を偽装してね。当の本人は、偽物を作って、上手く逃げ回っていたようだけれど」

 ちらりと横目にラフェリオンを見て、アレクシアは言い募った。

「手に負えなくなった魔導人形の破壊なんて、それだけ聞けば、重要性は然程ないもの。未解決のまま月日が経てば、やがて風化し、そんな任務の存在自体忘れられていくわ。ラフェリオンを破壊して、魔導師団の過ちを隠滅できるなら、それが一番確実だけれど、世間から忘れられて、結果なかったことになるなら、それもまた良いでしょう。少なくとも、ラフェリオン、貴方はそうなることを一番望んでいた。……まあ、私が掘り返してきたんだけどね?」

 ラフェリオンは、しばらくの間、鋭い目付きでアレクシアを睨み付けていた。
しかし、やがて微かに息を吐き出すと、平坦な声で言った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.148 )
日時: 2019/07/01 18:55
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)

「……僕を、破壊するんですか?」

「…………」

 アレクシアは、何も答えずに、ラフェリオンを見据えている。
ラフェリオンは、沈痛な面持ちで頭を下げた。

「……見逃してください。僕はただ、ここで静かに最期を迎えられれば、それでいい。どうせ僕は、直に壊れます。僕の中に残る先生の魔力は、あと僅か……それが尽きて動けなくなるまでは、生きていたいのです。……僕は、ケフィ・ハルゴンに、人形を送り続けなければならない」

 アレクシアは、ぴくりと眉を上げた。

「……ケフィ・ハルゴンとは一体何者なの? ハルゴン氏には、本当に孫がいたと?」

 ラフェリオンは、首を横に振った。

「いいえ。僕は外見年齢を考えて、孫を名乗っていただけです。本物のケフィ・ハルゴンは、小さい頃に病で亡くなった、先生の娘さんです。元々先生は、娘さんのために人形作りを始めたんです。あの世に一人ぼっちで、話し相手がいないのは可哀想だからと、ご自分で作った喋る人形や、買ってきた絵本やお菓子、あらゆるものを毎日燃やして、亡くなったケフィ・ハルゴンに送っていました。この部屋にある人形も、すべて、先生が娘さんのために作ったものです」

 思わずぎょっとして、トワリスは、部屋中に並べられた膨大な量の人形を見回した。
同時に、あの偽物のラフェリオンがいた屋敷に、子供向けの絵本が置かれていたのを思い出す。
生涯かけて魔導人形を作り続け、その名を世に馳せたミシェル・ハルゴンの原動力は、我が子への強い想い──見方によっては、異常とも取れるような、甲斐甲斐しい執着心だったのかもしれない。

 ラフェリオンは、落ち着いた態度で続けた。

「僕を作ったあと、先生は言いました。沢山の犠牲を出し、禁忌魔術まで犯した自分は、きっと娘と同じところへは逝けないだろう、と。……だから、代わりに僕が、壊れるそのときまで、先生の作品を娘さんに贈るんです」

 口調は穏やかだったが、その奥に意思の強さが伺えるような、真っ直ぐな言葉だった。
トワリスは、躊躇いがちに尋ねた。

「じゃあ貴方は、ハルゴン氏が亡くなってからずっと、この家で人形を燃やし続けていたんですか?」

 ラフェリオンは、悲しげに表情を歪めて、トワリスを見つめた。

「どうしてそこまでするのかと、そう思うでしょう? 僕も不思議なんです。死んだ人間に捕らわれて、何年も何年も……。そんなことを続けたって、きっと意味はないのに。それでも僕は、先生と同じように、故人に想いを馳せたいんですよ。先生にとっては、僕なんて作品の一つに過ぎなかったのかもしれないけれど、僕にとっては、先生は父親のような存在だったし、先生の娘は、姉のような存在だったのです。……理屈では語れません。人形なのにおかしいと、自分でも思います。でも、多分僕は、亡き先生の意思を継ぎ、ケフィ・ハルゴンに向けて人形を送り続けることで、自分の心を慰め、生にしがみつく自分に価値を見出だしているんです。……この気持ち、本物の人間である貴方たちなら、分かるのでしょうか?」

 すがるような、不安定な光を宿したラフェリオンの瞳を見て、トワリスは口を閉じた。
ラフェリオンは、本物の人間よりも、ずっと純粋なのだろう。
人の心は揺れ動くし、変わるものだ。
それがどんなに強い思いであっても、やがて時が経てば、忘れていってしまう。
けれど、人の手で作られたラフェリオンは、そうではないのかもしれない。
身体も心も、作られたその時のままで、一度抱いてしまった気持ちが薄れていくことはなく、永遠に純粋で、不変の執着や忠誠を持っているのだ。
それは美しいことのようにも感じられたが、ひどく残酷で、悲しいことのようにも思えた。

 ラフェリオンはうつむくと、再度頭を下げて、呟くように言った。

「僕は、魔導師は嫌いです。ですが、復讐しようだなんて考えていませんし、僕にはもう、戦って人を傷つけられる力も残っていません。息を潜めて暮らし、誰にも知られることなく、ここで朽ちます。……だから、どうか見逃してください」

「…………」

 頭を上げようとしないラフェリオンに、サイとトワリスは、ただ黙って立ち尽くしていた。
トワリスは、ちらりと横目でアレクシアを見たが、彼女もまた、無表情でラフェリオンを見つめている。
怒りにも悲しみにも染まっていないその表情からは、何も伺えなかった。

 トワリスにはもう、ラフェリオンを破壊しようという意思はなかった。
今後人を傷つけるつもりはないというラフェリオンの言葉は、嘘ではないように思えたし、彼の心情を知って尚、任務を優先させるほどの非情な選択は、トワリスには出来なかったのだ。
しかし、アレクシアがどんな決断をするかは、まだ分からない。
この任務の結末を決めるのは、トワリスでもサイでもなく、アレクシアであるべきだ。
もしアレクシアが、それでもラフェリオンの破壊を望むというなら、それを止める権利も、トワリスにはない──。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.149 )
日時: 2019/07/03 20:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: EZ3wiCAd)




 静寂を破ったのは、山荘に近づいてくる足音であった。
とんとん、と扉を叩く音が聞こえてきて、一同が、はっと振り返る。
誰が訪ねてきたのか、トワリスたちも、ラフェリオンも、まるで検討がつかなかった。

 アレクシアが出るように顎で指すと、ラフェリオンは、話を中断させて立ち上がった。
そして、部屋を出て廊下から玄関に向かうと、扉を開けずに、声を潜めて尋ねた。

「どちら様ですか……?」

「魔導師団、ゼンウィック部隊の者です」

 扉を隔てて、すぐに返ってきた答えに、ラフェリオンが目を丸くする。
客間に身を隠し、そっと様子を伺っていたトワリスたちも、思わぬ訪問者に、動揺が隠せなかった。

 こちらを振り返ったラフェリオンに、アレクシアが目配せをすれば、ラフェリオンは、ゆっくりと扉を開ける。
すると、立っていたのは、一人の魔導師の男であった。
紋様の入った黄白色のローブ──ここ一帯を担当し、常駐している正規の魔導師だろう。

 男は、魔導師の証である腕章を提示してから、冷静な口調で言った。

「ケフィ・ハルゴンさんでよろしいですね? 先ほど貴方の所有されているお屋敷から、膨大な量の魔力を検知しました。お伺いしたところ、お屋敷は完全に倒壊……それもつい先程の出来事のようです。あそこには、魔導人形ラフェリオンが封じられている……そのように伺っております。もし人形が逃走を謀ったのならば、早急に対処せねばなりません。屋敷の倒壊に、何か心当たりは?」

 男の問いかけを聞いて、トワリスとサイは、ぎくりと身を凍らせた。
本来、任務で遠方に出向く際は、事前に魔導師団の本部から、その地域の常駐魔導師に連絡がいく。
しかし今回の任務について、アレクシアはやはり、上層部に虚偽の申請を出していたのだろう。
つまり、ゼンウィック常駐の魔導師たちは、トワリスたちがラフェリオンを破壊しに来たことなど、全く知らなかったのだ。
そんな状況下で、異様な魔力量が検知されたとなれば、事件性ありと判断されて、駆けつけられてもおかしくはない。
アレクシアは素知らぬ顔をしているが、これは、見つかれば只では済まない事態である。

 落ち着いてはいるが、どこか威圧的な男の態度に、ラフェリオンは、焦った様子で答えた。

「その……魔導師団の方に、ラフェリオンの破壊をお願いしたのです。屋敷は、その過程で倒壊してしまって……」

「お願いした? シュベルテで直接ということですか?」

 疑わしそうに眉を寄せた男に、ラフェリオンが、次の言葉をつまらせる。
彼も、相当動揺しているのだろう。
ラフェリオンからすれば、今ここでトワリスたちが出ていって、「こいつが本物のラフェリオンだ」と男に告発されることが、何より恐ろしいはずだ。

 どうすべきか考えあぐねていると、不意に、傍らで蒼髪が動いた。
こつこつと靴を鳴らして、アレクシアが廊下に出ていってしまう。
咄嗟に止めようとしたトワリスを無視すると、アレクシアは、男の前に立ちはだかった。

「あら、貴方、中央部隊にいたメレオンじゃない? 久しぶりね」

 ラフェリオンが、驚いてアレクシアの方を見る。
男は、一瞬ぎょっとして瞠目したが、こほんと咳払いすると、アレクシア、そして渋々出てきたサイとトワリスを順に見遣って、顔をしかめた。

「なんだ……お前たちは? 何故訓練生がこんなところにいる?」

 アレクシアは、さらりと蒼髪をかきあげた。

「それはこちらの台詞よ。しばらく見ないと思ったら、こんなど田舎に飛ばされていたの? どうせ本部で何かやらかしたんじゃ──」

「そっ、卒業試験です! その、屋敷を倒壊させたのは、私達なんです。申し訳ありません。魔導人形ラフェリオンとの交戦中に、魔術を使って……!」

 サイが、アレクシアの言葉を慌てて遮る。
男は、見たところ三十半ばくらいの年で、正規の魔導師の中でも、決して階級の低い身分には見えない。
無断で任務に赴いただけでも問題なのに、アレクシアの失言で男の機嫌を損ねては、事態は更に深刻化するだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)下 ( No.150 )
日時: 2019/07/05 18:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: NRm3D0Z6)



 男は、値踏みするようにサイを眺めて、眉根を寄せた。

「卒業試験? そんな連絡は受けていない。第一、ラフェリオンの処遇については、現在宮廷魔導師団に委託していたはずだ。訓練生ごときが受けて良い案件ではない」

「そ、そうなんですか? おかしいですね……。伝達が上手くいってなかったんでしょうか……ははは」

 苦し紛れに言いながら、サイが苦々しく笑う。
しかし、そんな彼の努力も虚しく、アレクシアはサイの足を踏みつけて黙らせると、男に向き直った。

「嘘なんてついてどうするのよ。ほら、この通り……ラフェリオンは、私たちの手で粉々にしてやったわ」

 トワリスから偽物のラフェリオンの残骸が入った革袋を奪い取り、床に落とす。
男は、一層怪しんだ様子で革袋を一瞥すると、アレクシアを見た。

「これを、お前たちが? 本当にラフェリオンを破壊したというのか? 信じられん……我々にも任せては頂けなかった任務だぞ」

 アレクシアは、軽く鼻を鳴らした。

「ふーん、よっぽど期待されていなかったのね。訓練生にも負けるんだから、こんなど田舎の常駐魔導師に格下げされた理由も頷けるわ」

 とんでもないアレクシアの発言に、サイとトワリスが、頭を抱える。
案の定、ぴきりとこめかみに青筋を浮かべた男は、アレクシアを怒鳴り付けた。

「お前、舐めてるのか! 訓練生の分際で……!」

 あと少しでも気に触れるような発言をすれば、男は殴りかかってきそうな剣幕である。
しかし、アレクシアは引くどころか、今度は突然、男に身体を密着させると、その唇に、人差し指を押し当てた。

「お前じゃないわ、アレクシア・フィオールよ。私のこと、忘れちゃった訳じゃないでしょう?」

 男の顔が、ぴくっと引き攣る。
しなやかで細い指を頬に回し、物憂げな表情になると、アレクシアは首を傾けた。

「私にくれた手紙、今もとってあるわよ。貴方、顔に似合わず詩的で情熱的な文章を書くんですもの。当時、まだ十五だった私に、あんな熱烈な言葉を囁いていたなんて、あの焼きもちやきの奥様にばれたら大変ね?」

 まさかの展開に、その場にいた全員が目を見張る。
アレクシアは、艶やかに微笑んで見せた。

「……ああ、あれって、奥様じゃないほうだったかしら? あの、黒髪のほうは」

 含みのある言い方に、どんどん男の顔色が悪くなっていく。
アレクシアは、身体を離すと、偽ラフェリオンの残骸が入った革袋を男に渡して、ひらひらと手を振った。

「信じられないって言うなら、それはあげるわ。好きなだけ調べればいい。でも、魔導人形ラフェリオンを破壊し、この事件を解決したのは、他でもない私達よ。……ね、そうでしょ?」

 そう言って、アレクシアが視線をやれば、ラフェリオンが弾かれたように顔をあげる。
ラフェリオンは、緊張した面持ちで、しばらくアレクシアのことを見つめていた。
だが、やがて、心の底から安堵したように表情を緩めると、こくりと頷いた。

「……ええ、そうです。本当に……ありがとうございました」

 アレクシアは、目を細めると、再度男の方を見て、笑みを深めた。

「そういうことだから、私達は一度本部に戻るわ。……じゃ、奥様によろしくね? このど変態野郎」

 脅しとも取れるような台詞に、革袋を持って棒立ちしていた男の顔が、みるみる真っ赤になった。
反して顔面蒼白になっていくトワリスとサイを置いて、アレクシアは、さっさと扉から出ていってしまう。

 男は、ぶるぶると拳を震わせると、アレクシアに向かって叫んだ。

「覚えていろ! お前、卒業試験に合格できるなんて思うなよ……!」

 聞こえているはずなのに、アレクシアは、軽快な足取りで山道を下りていく。
怒り狂う男の魔導師に、数えきれないほどの謝罪をすると、サイとトワリスも、急いでアレクシアを追いかけたのだった。



 麓の街まで降りると、定期便の馬車に乗って、トワリスたちは、シュベルテへの帰路についた。
道中、上官の怒りを買ってしまったことと、戦闘からくる疲労とで、サイとトワリスはげっそりとした顔になっていたが、アレクシアだけは、妙にすっきりとした顔をしていた。

「……アレクシアは、これで良かったの?」

 揺れる馬車の中で、不意にトワリスが尋ねると、アレクシアは、何でもないかのように答えた。

「何が? ラフェリオンを見逃して良かったのかって話?」

 頷くと、アレクシアは鼻で笑った。

「いいんじゃない、別に。大体、あそこでメレオンに、実はこのケフィ・ハルゴンがラフェリオンの正体だ、なんて明かしたら、手柄を横取りされかねないじゃない。苦労したのは私達なのに、そんなの御免よ。だったら、ラフェリオンの思惑通り、あの偽物を本物に仕立てあげて、任務を成功させたのは私達だって本部で闊歩した方が、良い気分じゃない?」

「いや、そうじゃなくて……」

 首を振ると、トワリスは、ため息混じりに返した。

「……ラフェリオンの目は、アレクシアの……誰か大切な人の目だったんじゃないの?」

 トワリスの隣で、何やら考え込みながら窓の外を眺めていたサイも、アレクシアに視線を移す。
つかの間、言葉を止めていたアレクシアであったが、やがて、肩をすくめると、どうでも良さそうに答えた。

「そんなお涙頂戴な展開は、何もないわよ。第一、仮にそうだったとして、どうしろって言うのよ。ラフェリオンから目玉を抉りとって、持って帰れって言うの? 嫌よ、気色悪い。私にそんな趣味はないわ」

 はっきりと言い放って、座席の上にふんぞり返ると、アレクシアは、ぽつりと呟いた。

「……ただ、今までどうしていたのか、少し気になっていただけよ」

 沈みかけた夕日を見て、アレクシアが、眩しそうに目を細める。
相変わらずの高飛車な態度に、トワリスは、呆れたように息を吐くと、言及するのを諦めた。

 滑らかな街道を、馬車の車輪が、からからと音を立てて滑っていく。
外の景色を映し出す、その蒼い瞳は、夕日の蜜色を垂らしたような色に染まっていた。