複雑・ファジー小説

Re: What A Traitor!【第1章28話更新】 ( No.30 )
日時: 2018/12/17 20:30
名前: 日向 ◆N.Jt44gz7I (ID: on4ShBGJ)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs/index.php?mode=image&file=6207.jpg

ⅩⅩⅧ

「──張り合いねえな」

 市街戦の最中、疲弊しきった兵など彼らの前にはつむじかぜに過ぎなかった。
 紅の眼光たなびく疾手の狂犬と、艶麗えんれいなる彼の王。
 現役で戦闘職を張るホセの背後に構えるリチャードは前線を退いて長いと言っても、その射撃は精密そのもので一寸の狂いも見受けられなかった。
 誰が言っていたか覚えてなどいないが、銃の扱いでその者の生き様が分かるという。
 泥臭く粗暴な者、血を欲しはやる手、命を手にして狂う照準、跳ねっ返りの反動。しかし眼前にあるのはただ自ずから構えて、引き金を引いて、撃つ、その流麗な動作。
 やはり彼は何処を取っても美しかった。
 主の背を護るホセはリチャードを振り返る。

「アンタは下がってろ」

 ホセは大型拳銃のデザートイーグルを腰のホルダーに収めながら、そう低く唸った。

「ん? ——ああ、年は取りたくないものだなあ」

 リチャードが大袈裟に肩を竦めてみせると、ホセは軽く舌打ちをして短い眉を顰めた。

「ちげーよバカ」

 そしてホセはリチャードの瞳を少し見る。
 刹那、ひび割れたような縞が奔る淡い瞳と深いサファイアがかち合って硬い音を立てたような気がした。

「早々に王様キングが出てきたとあっちゃあ商会の名折れだろ」

 そして更に機動力のあるロシア製拳銃であるグラッチに持ち替える。
 橙に溶けゆく陽光が銃身を鈍色になぞって妖しく煌めいた。
 手の平で弾薬を手際よく詰め直し、安全装置の錠前を外す。
 リチャードが構えるベレッタM9の装填数は一般的には15発である。そろそろ撃ち尽くしのホールドオープンに陥る可能性があった。
 彼が持つのは護身銃だ。メキシコに来ることもきっとイレギュラーだったに違いない。予備の銃も代えの弾薬も十分でないことはホセにも容易に伺えた。
 リチャードはホセの思惑を感じ取ったのか、軽く微笑んで返事を寄越す。

「……有り難くそうさせてもらおうか」

 全てを聞き届けるまでもなく、彼の背を預かるホセは浅く頷いて新たな銃を構えた。
 敵兵が此方に気付く前に、キングを引っ込めねばと。
 ちらと背中越しに目配せをすると彼の金刺繍に縁取られた蒼玉も再度此方を見ていた。
 視線の交錯で推し量る互いの思惑。
 そして、弾幕の切れ間にアンバーグリスの薫風が躍る。

「さて、と」

 ホセはリチャードがトレンチコートを翻して民家の物陰に入るのを見届けると更に町の奥、銃声の中へと突っ込んでいった。



 深緑の樹海と灰色の町の境界にて、浩文は三日前の作戦会議にてディンゴが部隊に向けて言い放った言葉を思い出す。

『一つだけ方法がある。オレ達【アカプルコ・カルテル】にしか出来ねェ勝ち方が、ナ──』

 その言葉は浩文の疲労に焼き切れそうな脳内の神経をせしめて環状に巡った。

(もうすぐ、日が暮れてしまうな)

 浩文が西の空を睨むと、斜陽は顔の輪郭に沿って橙に肌を焦がした。
 眼鏡のレンズはいつの間にか土煙にいぶされてしまって、南米のいやに近い太陽光はプリズム光線になって視界を七色に塗り広げる。
 返り血が付着しなかっただけマシか、と全力疾走して少しズレた眼鏡を元の位置へと正した。
 現在は民家の煉瓦の塀に身を潜め、呼吸を整えている。
 縦に引き延ばされた昏色の影法師が包むように浩文を隠した。
 密林突破時に敵方の銃弾を受けて負傷した【onyx】隊員はおそらく誰も居ないはずだ、シャハラザードも無事だと信じたい。

(このままでは……)

 浩文は遮蔽物に背を凭れて小銃に弾薬を詰め直す。
 今座り込んだらもう一歩も動けなくなってしまいそうだ、一日中密林を駆けずり回った足は既に限界を超えていた。
 敵兵の人数は交戦当初よりも大幅に削ることが出来たが、それでもまだ足りない。
 【アダムズ・ビル】側の三百の兵団を半分に減らすのは確定条件、削れるなら削りきれるところまで。
 それがディンゴの言う作戦遂行の必要絶対条件だった。
 しかし現在の戦況はよくて三分の二で、目測に過ぎないがおよそ半数には遠く及ばない。
 今姿の見えない隊長か副隊長が前線に立っていれば少しは違った結果になっていただろうか。
 今更考えても詮無きことだ。
 浩文は密林の瘴気を含んだ息を洗いざらい深く吐いて、そして咳き込んだ。

 その時だった。

「来たか……ッ」

 浩文は柳眉を顰めて顔を歪ませた。
 微かではあるが聞き慣れたわだちを作る音が近付く。
 銃声が絶えず響く鉄火場の中では耳を澄ませてもおそらく聞こえないほどだ、しかし浩文はそれを察知した。
 日陰に生き、血を啜って闇で腹を満たす者が尽く忌み嫌う例の音。
 この剣戦上に渦巻く麻薬抗争終結の真相を聞いた時は大層驚いた。
 【そういった話】がある事は知っていたし、南米諸国は特に【それら】との結びつきが強いことも心得ていた。
 しかし同時にこれほどまでか、とも。
 轟音に紛れて、滅多に車の通らないアスファルトに巻き上げられた小石が当たって土砂降りのような音が遠く響いた気がした。
 浩文は疲労に痛む身体に鞭打って立ち上がった。
 【特殊高火力殲滅部隊「onyx」】の国境戦争はいよいよ最終フェイズへと移行する。



 這ってでも動けと、もはや疾手など見る影も無く棒になった足を叱咤する。
 血を流しすぎて意識は朦朧とするばかりで、すっかり風通しの良くなった腕から生じる生命の発熱も段々と薄れていくのを感じた。血を吸いきってにかわのようになったガーゼは捨てて、噛み破いたインナーで傷口を結索している。
 筋肉の疲弊と精神の摩耗。
 しかし自分一人だけがくたばっているわけになどいかなかった。
 泥臭くも多勢に牙を突き立て心臓を動かす部下たち差し置いてオレだけが腹上死で昇天か、ふざけんな、と。
 樹木に手をついて肩で息をする。眼下に広がるのは戦禍、そして朋友と形容するにはあまりにも血塗れ過ぎた彼らの姿。

 野犬は遂に最終の舞台となる国境の町へとやって来た。

 ロバートとの交戦では一発も食らっていないが、やはりそれでも極度の緊張と興奮を経た身体は臨界を突破していた。
 森と町を隔てるのは緩い斜面で、そこには軍靴の跡が深く刻まれている。
 斜面を降りようと試みるも疲労物質の溜まりきった足に力は入らず、半ば転げ回るようにして下るしかなかった。
 
「──チッ」

 アスファルトに半身を強く打ち付け、疲弊した喉へと胃液がせり上がる。それを胸に拳を押し付け堪えた。
 辛くも勝利した一騎打ちの後、這々の体で最後の戦場にやってきたが一体こんな状態の自分に何が出来るのだろうか。きっと抗う暇も無く撃ち殺されるのが関の山だ。
 しかし戦争の全てを見届けること、これは長としてのケジメだった。
 未だ兵とは遭遇していない。
 きっと健闘しているのだろう。彼らの痕跡を追ってきたが此処に来るまで隊員らの遺体を見ることは無かった。
 原点は【コード=エンジェル】の為、エンジェルダストを投与されるモルモットのケージに過ぎなかった【特殊高火力殲滅部隊「onyx」】。
 まだ清算しきっていない、戦争は終わっていない。
 暮れなずむ家々に落ちる影を見て、そして、ディンゴは傷の入った唇を噛んで低く呟いた。

「予定より早いンじゃねェか──クソッタレめ」

 まるで彼の声が合図かのように、国境の町を取り巻く音が変わった。
 銃声は喧噪に、号砲は警報に。
 数多の四輪が起こす地響きは獣の唸り声のようで、四方八方から迫り来る夕闇は赤と青の警戒灯に霧払いされた。

「……頼むゼ」

 ディンゴは唇を噛んで足を引き摺って、更に町の中心へと向かう。
 二度と南米に手出し出来ぬよう【アダムズ・ビル】の戦力を根刮ぎ削り取るというのが今作戦の要だった。
 
 そしてその鍵となるのが【アカプルコ・カルテル】とメキシコ連邦警察との癒着。
 
 まさにディンゴの言う通りメキシコ政府上層部とブラックマネーで繋がった【アカプルコ・カルテル】にしか到底為し得ない事だった。
 警察組織、そして南米政財界との黒く強固なパイプ。
 2000年代前後カルテルは麻薬戦争に勝利し、爆発寸前の火薬庫だったメキシコ全土を裏側から統治する必要悪として公的機関に保護された。そして連邦警察はカルテルが作る麻薬密輸ルートを黙認し、麻薬国外輸出をして得たブラックマネーを上納金の一部として受け取る仕組みもその頃に成立した。
 ビル側もまさか警察組織が国境戦争に一枚噛んでいるなどとは思いもしなかっただろう。
 腐敗と戦略、善との挟撃。
 今回の出動も【アダムズ・ビル】盛衰による両者の利害が一致している故の癒着関係によるもので、清濁併せてビルを下す、それが国境戦争の根底にあるメキシコ側の思惑だった。
 資金源に打撃を、という題目の下にドラッグプランテーションへ焼き払いを仕掛けるようとしたのはビル側のダミーであり、その真意は南米の掌握。
 密林にて度重なる敗走、そして正面衝突を避けたのはカルテル側のデコイ。
 最後に何重にも層を成した思惑の上を取ったのはメキシコ連邦警察だった。

『夕刻になったらポリ公が来る手筈になってる。だから日が沈む前には何が何でも絶対に森を抜けろ、コレは絶対ダ。全てが狂っちまうからヨ』
『ヤ、その後が大事なンだ。全てを捨てても構わねェ。豚箱に突ッ込まれたくなけりゃその場から逃げろ』
『お天道サマが沈む頃にゃパトが町を包囲するように伝えてあっからヨ。サイレンは直前まで鳴らねェ、よぉく耳かっぽじっとくンだナ。来た道帰るカ、そのまンま山に飛び込め』

 隊員にはその旨を伝えてある。ビルの軍隊を打ち崩すところが此方側の捕り物になるなんて笑い話にもならない。
 入り組んだ町の路地にて、相変わらず仲間と敵の誰一人ともすれ違っていなかった。ルートを変更して各自上手いように逃げているのだろうか。
 南米の不敗神話【onyx】の事だ、きっともう任せても構わないだろう。
 遠鳴りするサイレンが町の入り口に留まり、暗く溶けゆく足下に赤と青の残光が射し込んだ。
 そして代わりに乾いた町にて轟くのは一切合切の怒号。
 終日命を燃やした戦争の後に這々の体で辿り着いた町にて為す術などもうなく。苛烈極める麻薬戦争にその身を投じているメキシコ連邦警察の前に兵隊らは次々と取り押さえられ、制圧されていった。
 やはり見知った顔は無い。
 ディンゴが狭い路地にて息を潜めていると、民家と民家の合間からビルの兵が拘束され連行されていくのが見えた。
 別段どうという感情も無く、そして目を閉じる。
 このまま此処に留まり続ければ見つかるのも時間の問題だ。しかしもう疲弊しきった足は動かないし、逃げようという気力も無かった。
 【onyx】は隠密活動や密林での警護が目的の秘匿された部隊である。ディンゴの顔など一介の警察戦闘員には割れていない。
 ボロボロの隊服のまま出会くわせば拘束と長期の留置は免れないだろう。
 そして今回の作戦は警察と【onyx】の邂逅を想定していない、完全なる入れ違いを想定して組まれた作戦だった。
 少しでも目立ったことをすればメキシコ連邦警察がカルテル幹部を匿った、と国際問題に発展しかねない。
 しかしもう全て、全部、どうでも良いことだった。

 腫れぼったく重い瞼を開けると、ディンゴは目の前に一層深い色の影が落ちるのを見た。
 ああ残り敵兵か、それとも腐れポリ公か、と顔を上げる。
 どこぞの馬の骨かも分からない奴に最期を蹂躙されるのは癪だったが、別段死に様に拘りなどない。復讐は果たし、成すべきことは為した。
 肉体的な死でも社会的な死でもどちらでも構わないが、最期にその顔だけは拝んでやろうと思った。
 仰ぐことすら億劫な首を持ち上げる。
 しかし。

「ディンゴ……?」

 聞き覚えのある幼い声に息を呑む。
 野犬の目は見開かれ、彼の小さな瞳孔は収縮を繰り返した。
 そこに立っていたのは。

「──オマ、エ」

 イタリアに置いてきた筈のホセだった。

「なンで、ココに来たんだ……」

 サイレンの音が五月蠅い。
 先程銃声に割って入った青色灯と赤色灯のスクランブルは、これまで均一的な景色しか映さなかった網膜に色濃く焼き付いた。
 サイレンの音が五月蠅い。
 紫煙に灼けた声はホセの記憶に残った最後のものよりも、か細かった。
 アクセルとブレーキの響めきは乾いた町の岩肌に打ち付けられる。

「なンの為に……」

 ホセはかつて見たことが無いほど消耗しきってボロボロになったディンゴと対面した。
 返り血か出血かその両方か、鋭角な斜陽と相まって彼の体はどす赤くなっていた。

「あ……」
 
 呆然と隊長の名を呼ぶことも出来ないホセに、野犬は暫く硬直する
 何故だ、とそればかりが頭を渦巻く。ホセは小さな口を開けて肩で息をして、わけも分からずにディンゴへと手を伸ばした。
 黒のリングが嵌められた指がすっと伸びてくる。
 しかし次の瞬間、ディンゴは牙を剥いて怒鳴った。

「今は時間がねェ! 全部終わってカラ説明してやる!!」

 ホセは火に触れたようにその手を引っ込めた。

「ッ──っで、でも!」
「走れ! 森に逃げろ!」
「やだよ、だって、いま何が起きてんのかも分かんなくて」
「ゴタゴタ抜かすンじゃねえヨこのヒリポジャス! その小せェ味噌オレがぶち抜いちまぞ!!」
「──ッ!」

 鬼気迫る表情で凄まれて足が竦む。
 厳しい訓練中だってこんな風に吼えられたことなど無かった。その手は虚空を掻く。ホセは下唇を噛んでその場を動けなかった。
 どうしたらよいのか何一つ分からなかった。
 無鉄砲にイタリアからメキシコに渡って、国境の町に来て。
 仲間に会えると思っていたのに、一緒に戦えると思っていたのに、そこで待っていた結末は。

「ねぇ。これからどうすんの」

 自分のことかディンゴに向けた言葉かなど混乱を極めた脳味噌では分からなかった。

「みんな何処行っちゃったの」

 返事は無い。

「帰ろうよ、アカプルコに」

 ホセはディンゴに向けて、再び小さな手を差し出した。
 黒のリングがかち合って、小さな金属音を立てる
 差し出した手は震えていた。

「オレ、置いて行かれたこと怒ってないよ」
「だからオレのことも怒らないで」

 しかし今度ディンゴは一息吐くと諭すような口調で、そして、笑った。

「ホセ。もうナ、オレぁどのみち無理なンだヨ」

 耳に馴染みきった声にはっと胸を衝かれる。
 そんな顔なんか見たくなかったのに。そんな言葉が聞きたくて此処に来たわけじゃなかったのに。
 その意味を突き付けられて、ひび割れた宝石のような瞳から涙が一筋零れる。勾配のきつい斜陽は水っぽい諦観が伝うホセの頬を焼いた。
 野犬は再び犬歯で宙を噛む。嗄れた咆哮は躓いて裏返った。

「──Corre!!(行け!!)」

 橙に滲む視界に突き刺さるコマンド。
 未だ混乱する脳髄でもそれだけは確かだった。
 従うしか無かった。嫌だとどれだけ拒んでも彼の命令と運命には敵わない。
 ホセはその小さな両手で頬を二回叩いた。
 何も守れなかった手で彼の最後の覚悟を叩き込む。全てに間に合わなかった、何もかも無意味だったのか。何が一緒に戦いたいだ、何が帰る場所だ。

『大事な人に一生会えなくなるなんてもういやなんだよ』

 ホセは立てないディンゴに背を向けて走り出した。
 町の曲がり角に風の溜まりを作って、駆けた。もつれる手足を動かして、塀に当たって何度も痣を作った。
 森に逃げろとディンゴは言っていた。ホセは走る。もしかしたらあれが彼からの最後の言葉になるかもしれない。
 ホセは夕闇の中無我夢中で走っていたが、途中で何かにぶつかってしまった。華奢なホセはその衝撃に負け、尻餅を付いてしまう。
 呆然と見上げるとそれはメキシコ連邦警察の組織彰を胸に点けた警察戦闘員だった。
 ホセに手を伸ばし、手首を掴まれてしまい手を思わず息を呑む。反対の手で銃のグリップを握ろうとしても届かない。
 そのまま立たされ、連行されると思いきや、警察官はホセから手を離した。

「走ると危ないぞ。君、家は」

 大きな交戦の後ということと、この暗がりで腰のホルダーと銃には気付かれなかったのだろう。
 ホセは上擦った声で大丈夫ですすぐそこですと早口に言って、再び駆け出した。
 背中越しに呼び止める声を聞いたような気もするが、警察官は追ってこなかった。
 隊服を着ていなかった小さくて若いホセはきっと村の人間と勘違いされたのだろう。
 警察も目もくれない、そんな自分が半端者のように思えて、情けなくて、再び涙が溢れ出た。
 今頃仲間はどうしているのか、ディンゴはどうなってしまったのか。
 そして町の外れ、森の入り口に立つとホセはそこで座り込む。虚無感と無力感に苛まれもう一歩も動けなかった。

 軍靴は押し寄せて、止んで、そして退いて。
 車輪の音は全てを巻き込んで遠く去って行った。

ⅩⅩⅧ