複雑・ファジー小説

Re: What A Traitor!【第2章1話更新】 ( No.34 )
日時: 2019/01/26 17:24
名前: 日向 ◆N.Jt44gz7I (ID: on4ShBGJ)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs/index.php?mode=image&file=6221.jpg



──イタリア=トーニャス、冬。

 北イタリアの山脈の麓にあるヨーロッパの旧市街トーニャスには冬が訪れていた。
 イタリア北部の山岳地帯は世界的にも有名なアルプス山脈群にも属している。トーニャスはちょうど裾野に位置していたため雪が積もるほど降るということはなかったが、周りの山々を見上げればその頂上は早々に雪を被っていた。残雪もしつこく、真夏でも視界の端には清らかな白がちらつく。
 夏は涼やかな山颪やまおろしも冬には凶器でしかない、トーニャスは厳冬の町だ。
 山から吹き下ろす木枯らしは橙の煉瓦路地を通り抜けてあたたかな色をした小さな町を冷やした。
 アルプスの尾根で生まれた冬の空っ風はトーニャスの町を遊び場にする。冷気の手はもつれあうように道会う人々を撫でて、その肩を縮こまらせるたびにひゅるひゅる笑った。
 しかし前を見ていなかったせいか路地壁に勢い良くぶつかってしまうと、よろよろと針路を変え一件の銃火器専門店の看板の前であっけなく息絶えてしまった。
 その銃火器専門店の名は【トーニャス商会】という。しかし町を形成する煉瓦を纏う佇まいは仮の姿でしかなかった。 

「一週間戻らないからそのつもりで頼む」

 リチャードは重そうなトレンチコートを羽織ると端的にそう告げた。
 彼がいつも着用している洗練されたデザインの青いスーツは垂れ幕のような裾で隠されてしまう。
 リチャードの言葉を受けたホセはオフィスチェアに背を預けて短い片眉を吊り上げた。

「随分急じゃねーか」

 床につかない両足を遊ばせるその顔はどこかぶすくれていて面白くなさそうだった。
 冬の彼はオーバーサイズのアウターに身を包んでいるため平生よりも小さく見える。赤道近くの常夏の地アカプルコで育ってきた彼にトーニャスの寒さは身に染みるのだろう。何処で買ったのか中に着ている起毛のパーカーもゼブラ柄のワンポイントが入っている。
 彼のデスク後ろにあるスペースにはマフラーに手袋や耳当てなど数々の防寒具が置いてあった。暖房を効かせた室内でも指先が冷たいのか、リングを嵌めた指を擦り合わせている。
 リチャードは支度の手を止め、ホセに向き合った。

「そうだ、彼はいつも急でな。今朝連絡が入ったんだ」

 ホセが訝るように首を傾げると、二連の黒いネックレスはかち合って部屋に金属の音が反響した。

「どこ行くんだよ」

 ホセはどこか不機嫌そうな声色で静かに噛み付いた。
 そんな彼の問いにリチャードは微笑んでホセに答える。

「日本、広島だ」
「日本……?」

 日本、日本は知っていた。
 何故ならばホセのゼブラ柄に数々の装飾品という格好は日本のアパレルカルチャーに刺激を受けたものだったからだ。
 アカプルコで暮らしていたときに偶然日本の若者ファッションを取り上げた雑誌を目にしたのがキッカケで、ただその一回で東洋人が身に付けているものに魅了されたのだ。
 ストリートで生きる薄汚れたぼろ布を纏う当時の自分と見比べて、あの世界は眩しかった。
 首のネックレスと手首のブレスレット、そして多くのピアスが嵌まった耳を所在なさげに触って、それからハイカットのショートブーツを見る。
 日本に行くなんて羨ましい、と思う自分も正直いて。
 ホセは何も言わずに肩を竦めてしまうとオフィスチェアをくるりと一周させた。

「イタリアから広島へは直行便が出ていなくてな、ミラノから東京経由で乗り継いでいくよ。空にいる方が長いかもしれない」

 リチャードは笑ったがホセは唇を押し上げてオフィスチェアからじっと彼を見るだけだった。
 彼のひび割れた宝石のような淡いプリズムからはどこか不満げな光が分散している。
 どうしたものかなと思いつつも、リチャードはデスクで顧客リストを整理していた浩文に声を掛けた。

「浩文、留守は頼んだ」

 声を掛けられた浩文は顧客情報の詰まったファイルバインダーを静かに閉じた。
 彼は【トーニャス商会】の核を担う戦闘部のリーダーであり、ボスであるリチャードが不在の際は彼が商会を取り仕切っている。そして特に先方からの指定がない限り、戦略戦法に関する事項を練るのは浩文の役割だった。
 浩文は顔を上げると少しずり下がった眼鏡を押しあげて上司に応えた。

「イエスボス、お任せ下さい」

 頼んだとリチャードが浩文に微笑むと、ホセはじめっとした声色で再度尋ねた。

「何しに……」

 旅行の類いではないことは明白だったがそれでも尋ねずにはいられなかった。
 ホセはオフィスチェアの上で膝を抱えててそこに顔を埋めている。あの淡くて大きな瞳だけを出してリチャードをじっと伺っているのだ。
 なんだか責められている気分になるような。
 ペットを飼ったことはないが子犬に留守番を頼むときはこんな気持ちになるのだろうかと、リチャードは心の中で苦笑するしかなかった。

「旧友の顔を見てくるがてら仕事の話をしてこようと思ってな。そうだ、ホセはお土産何がいい?」

 ホセはリチャードの言葉に目を丸くして肩を強張らせた。
 彼の淡くひび割れたような瞳からは隠しきれない動揺と期待の光が漏れ出た。
 ホセの心は日本のお土産という文言に躍った。
 日本には甘くて美味しそうなものも沢山あるし、自分の好みのアパレルブランドもたくさんあればアクセサリーショップだって沢山ある。
 言いかけて、喉元で言葉を飲み込む。
 欲しいものはたくさんある。でも口から次いで出たのは心にもない言葉で。

「は、は? ガキじゃあるめーしそんなんいらねえ……馬鹿にすんな」

 ホセは短い眉を寄せて視線を彷徨わせた。
 寒さに擦り合わせていた指は無意識にお互いを突っついている。リチャードはホセに柔い視線を送って別の答えを待ったが彼はぶすくれて表情で口を閉ざしたままだった。
 そしてホセは誤魔化すようにしてアウターに顔を埋めると、オフィスチェアを爪先で蹴って時計回りにゆっくり回った。

「ふふっ本当か? そうだな、みんなは何がいいんだ? 遠慮せずに希望を言ってくれ」

 リチャードが一堂に会する商会面々にそう告げると、応接室すぐのソファに腰を落ち着けていたファティマが一番乗りに手を挙げた。
 はいはいと挙手をすると彼女の黒衣はビロードのように艶めいて、部屋の景色を鈍く映す。
 リチャードがファティマを指名すると彼女は嬉しげに眉尻を下げて明るく言った。

「はいっ! わたくしは黒いつぶつぶがいっぱい入ったライスケーキがいいです!」
「ん、ファティマは大福だな。俺も和菓子は好きだ!」

 そんな二人のやり取りを見ていたホセが小さく鳴く。

「なっ」

 浩文もファイルに綴じられた書類を捲る手を止める。
 そして暫し考え込むような素振りを見せたのち、右手を軽く挙げてリチャードに言った。

「じゃあ僕は書き消し出来るボールペンと手帳をお願いします」
「浩文は文房具か。日本製のものは使いやすいもんな!」

 二人のやり取りを受けて、ホセは潰れたような声で鳴いた。

「ななっ」

 ファティマと浩文が品物を頼んでいるあいだ、アマンダは自らのオフィスチェアに背を預けて何やらパソコンで検索を掛けているようだった。検索しては再びエンジンに打ち込み直し、検索することを繰り返す。
 しかし浩文が言い終わると同時にマウスをスクロールする指が止まった。
 そしてパソコン画面から顔を上げるとリチャードに声を掛けた。

「そうしたら熊野の化粧筆を頼めるかい? そうだ、これだよ。ずっと前から気になってたんだ」
「おっ素敵じゃないか。アマンダは熊野筆だな」

 そわそわした様子で二人のやり取りを追っていたホセは目を見開いて鳴いた。

「んななっ」

 そしてリチャードは最後残ったシンに声を掛けた。

「じゃあシンは何が良いんだ?」

 リチャードが視線を滑らすと、シンは大型マシンに繋がるキーボードを忙しなく叩いていた。
 彼は背中を丸めたままリチャードに応える。

「え? えっと、うーん。ボスにLSI(大規模集積回路)を頼む訳にもいかないしなあ……」

 そして手を止めるとシンは無精髭を擦りながら思案する仕草を見せた。
 彼のキーボードの押下音が止むと分かったが、マシンは呼吸するように作業音をごうごうと立てている。
 彼は暫くうんうん唸っていたが、液晶を見続けて腫れぼったくなった瞼を押し上げて言った。

「じゃあボクはあの葉っぱの形をした饅頭がいいな、前食べた時美味しかったから」
「テメエもあに言ってんだよ!?」
「ひっ何でボクだけ……」

 ホセが目を見開いて牙を剥くと、シンは肩をびくつかせて強張らせた。
 リチャードは途端に威勢の良くなったホセの様子を見て笑いを堪えることが出来なかった。シンはこの商会内でホセが遠慮なしに接することの出来る数少ない人間だ。
 ホセが気弱な彼に絡む図式は商会の中ではよく見られる。初めはホセがただ彼を当てつけにしているだけの険悪な関係だと思っていたが、一緒に昼食をとる姿もよく見られたしよくよく見ればホセの方が彼に懐いている様子だった。
 接し方が分からない彼はつくづく不器用だ、なんて思いながら見守ってはいるが。
 シンは怯えたように身を縮こまらせてリチャードとホセの顔を恐る恐る交互に見た。

「だ、だってボス出張に行くときいっつも僕たちにお土産買ってきてくれるから」
「あ゛!?」

 そしてホセはリチャードの方を睨むようにして振り返った。
 瞬間、音を立てて淡い縞瑪瑙と深い蒼玉がかち合う。
 淡色の瞳を囲う稜線は細められ、刃物に浮かび上がるような波紋が映る。
 しかしリチャードはホセの鋭い視線を受けて尚微笑むと肩に掛かったトレンチコートを羽織り直した。

「そうだぞホセ、遠慮するな」

 リチャードの存外柔らかな返答にホセは毒気を抜かれてしまい、大きな瞳をぱちくりするしかなかった。
 ぶかぶかのアウターの胸ぐらが彼の細い肩に滑り落ちる。
 ホセは二の句も継げずに鋸歯の据わった口をぱくぱくと動かすと不規則な呼吸が漏れ出た。

「あー、えっと、なんでもいいわけ……?」

 反して弱気な口調に変わる。
 上目遣いにおずおずと尋ねるとリチャードは朗々と笑って応えた。

「何でも言ってくれ!」 

 欲しいものと聞かれて、浮かんでは消えていく。
 インターネットで簡単に輸入出来る世の中になったとはいえ、日本では英語もスペイン語も公用語の内に入っていないためホセの欲しがるようなアイテムは手に入りづらかった。

「じゃ、じゃあ……」

 そうしてリチャードから視線を外し、真っ赤に茹で上がった顔をアウターに埋めて言った。

「日本のメンズファッション誌……がいいかな、とか」

 ごにょごにょとしょぼくれた語尾は尻すぼみになって部屋の暖気に吸い込まれていった。
 不得意なインターネットではなく、日本で流行っているファッションを紙媒体で実際に見てみたかったのだ。服装は参考にして街に出たとき自分好みの同じようなものを買えばいい。
 ホセはリチャードの表情を首元まで伺っては顔を背け、上目遣いに心配げな顔をしてはかぶりを振る。 
 リチャードはメモ帳を取り出して各々の希望を書き取ると、ホセの目を見て頷いた。

「ああ分かった。 楽しみにして待っていてくれ」

 ホセがほっとしたような表情を浮かべるとシンは頬杖を突いてここぞとばかりに口を挟んだ。

「素直じゃないねぇ」
「あぁ!? ンだとテメエ表に出やがれ! その口にサルミアッキを詰めてやっかんな!!」
「わ、怖い怖い」

 牙を剥くホセを尻目にシンはわざとらしく肩を竦めて再び液晶と向き合う。ホセはもう不満げな瞳をすることもリチャードを見ることもしなかった。
 リチャードはそんな二人のやり取りを見て、安堵した表情で言った。

「それじゃあ行ってくるよ。また連絡をいれる」


 
 店から一歩出ると、待ってましたと言わんばかりに山颪はリチャードの長い金髪をさらった。
 北欧系人種的特徴を持つ容姿に違わず寒さには強かったがトーニャスもアルプスの端くれである。リチャードは肩を縮こまらせて黒の革手袋を嵌めた手をトレンチコートのポケットへ突っ込んだ。
 今日のトーニャスも曇りだ。否、冬は分厚い雲が山脈から流れ込んで太陽が顔を出す日の方が珍しくなってくる。
 金刺繍が縁取る澄んだ青の瞳に曇天が映り込んで、彼の瞳だけは雲向こうにある蒼穹を映していた。
 すれ違う者もおらず、こころなしか彩度の落ちた煉瓦路地を独り歩く。戯れに息を吐き出してみると自身の呼気は白く凍らされ、空っ風に流されていった。
 そして郊外にあるバス停まであと少し、といったところでジャケットの懐が震えた。

「ん?」

 トレンチコートの重い布を押し退けて、ジャケットの中にて震える電子端末を取る。
 取り出して液晶画面を見遣ると着信は、朝方彼に連絡をよこした【彼】その人だった。
 リチャードは一息つくと、そのまま黒革に包まれた人差し指を液晶に滑らせた。
 寒い冬はいちいち着脱しなくても良いように指先を電導繊維に変えた手袋を着用している。

「Hello,hello. This is Richard=Garko from Tognas Co.Ltd.(もしもし。【トーニャス商会】のリチャード=ガルコだ)」

 リチャードは淡雪が乗ってしまいそうなほど長い睫毛を伏せて電話越しの相手に応答した。
 彼と直接会うのは数年振りだ。年甲斐も無く戯れに軽口を叩いてしまうのはやむかたなしだろう。

「May I speak to Mr.littleboss?(リトルボスを頼めるかい?)」

 少々の間があった後、リチャードは愉快そうに肩を震わせた。
 端末から漏れ出る不愉快そうな声色もトーニャスの木枯らしに掠われて寒空に溶けていく。

「I know,I know. I'm not kidding.(ああ分かってる、分かってるよ。ふざけてなんかいないさ)」

 リチャードの赤い唇は緩く孤を描いた。
 そして、彼の名を呼ぶ。

「白蛇会直系新屋組組長補佐兼若頭の新屋萩之丞、だろ?」