複雑・ファジー小説

Re: What A Traitor!【第2章5話更新】 ( No.38 )
日時: 2019/04/07 17:34
名前: 日向 ◆N.Jt44gz7I (ID: on4ShBGJ)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs/index.php?mode=image&file=6254.jpg



 ──同時刻、イタリア=トーニャス。

 ホセは自身のオフィスチェアに腰掛けて地に着かない足を遊ばせていた。
 商会のボスであるリチャードが日本に発って数日、面白いことは一つもない。
 代表も仕事ない中別段何をするというわけでもないが娯楽も無い田舎町に行くところなどない。
 ホセはもこもこ素材のフードに耳を埋めて、唇を尖らせて小銃のバレルを磨いていた。
 律儀にメキシコから持ってきた整備用品を使い続けてきたがそれもそろそろガタがきているようだった。今だって銃身に滑らすクロスもところどころ解れて糸くずが角から尾を引いている。
 枚数の限られた布を真っ黒になる度に洗っては汚し洗っては汚しを繰り返してきた。しかしそろそろ寿命かもしれない。
 こんなボロ布一枚にも思い出は沢山詰まっている。汚れもメキシコでの日々と家族同然の【onyx】面々と過ごした証だ。自分が商会とのダブルネームを所有していたとしても離れていても仲間なのは変わりない。
 ホセは煤けたクロスを丁寧に折り畳むと工具箱の中にそれを仕舞った。
 そして商会のオフィスをきょろきょろと見回す。
 背中を丸めてキーボードを叩いているシンはどうせ当てにはならないし、アマンダはオフィス奥の簡易医務室にいるのだろう。そして同じ戦闘部のファティマに声を掛けるのはなんだか気が引ける。
 さすれば残るのは浩文のみで。
 思えばしばしばちょっかいをかけるシンを除いてしまうとリチャード以外の面々とろくに会話した記憶すら無かった。

「おい」

 浩文はデスクトップを見つめたままで眉一つ動かそうとしない。
 特にクライアントからの指示が無い限り戦略や戦法に関する仕事の進め方を練るのは商会戦闘部の長である浩文の役割である。リチャードが日本に発ってしまう前に残りの案件は全て片付けたし今更新規の仕事は無い筈だ。
 もしかすると自分が呼ばれた事に気付いてないのかもしれないと、ホセは再度浩文に声を掛けた。

「なあ」

 しかし反応はない。

「呼んでんだろーがよ」

 液晶へと視線を落とす浩文の瞳を見据え、確実に聞こえる声量で呼び掛けるも応えは無かった。
 ホセは舌打ちをすると、自分のデスクから立ち上がり浩文の元へと詰め寄った。
 
「テメ……あに無視してんだよ」

 生まれた一触即発の空気にシンは肩を竦めてみせると視線を彷徨わせてから入力作業に戻った。マシンの大きさの関係で戦闘部の島とは少し離れた場所に独立した作業スペースを持っているものの刺々しい雰囲気はそこまでやって来ているようで、気弱な彼は伸びをしたり貧乏揺すりをしたり落ち着かない様子である。
 ホセが牙を剥くと浩文はようやく緩慢な動作でデスクトップから顔を上げる。
 そしてオフィスチェアを回転させると感情の籠もらない瞳と刺々しさを含む声音で彼に向き直った。

「僕、ちゃんと名前があるんだけど」

 彼の思わぬ返しにホセは短い眉を顰めて浩文を睨んだ。

「はァ……?」

 ホセは背が低いために椅子に座った状態の浩文とほぼ同じ目線の高さになる。見下ろす形にもなれば格好はついたのかもしれないがそれは叶わない。
 浩文は毅然とした口調で彼のヒビ割れた縞瑪瑙を半ば睨み返すようにして言った。

「ボスや【onyx】の隊長に対してはそれで通ってきたかもしれないけど僕はそうじゃない。これまでずっと思っていたけれど君はもう少し目上の者に対する礼儀を弁えるべきだ」

 浩文の言葉にホセは丸い眉をぴくりと寄せた。
 それから精一杯ドスを効かせて低く唸る。

「あ? 調子こいた事言ってんなよ」

 苛立ちを隠そうともしないホセの応えにピリピリとした空気が立ち籠めた。
 彼の瞳の険から零れた縞瑪瑙の破片が宙に漂うようで一挙として呼吸が難くなる。
 シンは更に背中を丸めてデュアルモニターに隠れるようにして二人の様子を伺っており、ファティマはおろおろと二人の顔を交互に見比べている。
 しかし赤毛の小さな子犬の威嚇など痛くも痒くも無い様子の浩文は臆することなく言い放った。

「トーニャスにおいて僕は君の上司だ。カルテルにはカルテルの、商会には商会のルールがある」

 浩文の言葉にホセは平生より丸い目を更に見開く。
 犬歯を噛み合わせて後ずさりするが、浩文は彼の後退を許さなかった。

「ダブルネームを抱える君だからこそ遵守すべき事だろう。子どもじゃないんだからいつまでもお客様気分で甘えない方がいい、君のお守りは業務内容に入っていないからね」
「あんだと──!」

 最後のフレーズにホセは小さな肩をいからせた。
 耳まで真っ赤にして何か言いたげにしているが、二の句が継げないらしく口をぱくぱくと開閉している。
 そんなことあるもんか、だってオレは。
 と、言い返したくても何故か喉元でつっかえた言葉は出てきてくれなかった。
 浩文は淡々と、しかし諭すような声色を滲ませて続けた。

「媚び諂って迎合するのと最低限のマナーを守ることは全く以て異なるものだ。君には自分自分でトーニャスに残る事を選び取った覚悟と責任を果たす誠意があるのかい」

 浩文の問いかけにホセは怒らせた肩を落としかなかった。
 【覚悟】と【責任】、その二文字にホセはすっかり気迫を削がれてしまう。
 答えは半年前自身が所属する部隊長のディンゴに伝えた通り。もう少しトーニャスにいたいと、もう少しこの土地で、ここの人間と仕事をしたいと思ったのは自身の本心からだ。
 浩文の言うことに何も間違いが無いことは分かっている。
 ホセはすっかり毒気を抜かれてしまって、唇を尖らせてぼそぼそと少しずつしか返せなかった。

「……無かったらこんなド田舎にいるわきゃねーだろ」

 そうして穴が空くほど睨み続けていた浩文のレンズの奥に嵌まる黒の双眸からそっと視線を外す。
 尻すぼみになってなんだか収まりが悪い。
 一年と少しが経ったが何に関しても噛み付いてしまう癖は直らなかった。学も無ければ外のことなど全く知らない。自分の守り方すら分からない。
 自身がいつ生まれたかも分からずに、フォークの正しい使い方も知らないような自分を商会の人間はどう思っているのか、それが怖くて自己防衛と謳った相応の身の振り方しかしてこなかった。出来なかったのだ。
 二人でナポリに出向いた際に誕生日をくれたリチャードは曲がりなりにも信頼している。しかし、では【彼のファミリア】はどうなるのか。
 商会の人間を信頼して、自分から歩み寄らねばならない事くらいは分かっている。
 ホセは生唾を飲み込んだ。
 ちらりと浩文の瞳を伺うと相変わらずにホセをじっと見据えている。
 その凍て付くような視線にしゅんとうなだれて、マロマユを八の字にした。

「拭くやつ、銃のさ、どこにあんの……」

 浩文は頬杖をついて溜息をついた。
 ファティマとシンはほっと胸を撫で下ろすような気持ちになる。
 丸まった小さな背中に、おすわりを教えられて鼻を鳴らす赤毛マロマユ犬のビジョンが浮かんだ。
 そうして浩文が口を開いた瞬間、ファティマは気の抜けそうなほど穏やかな声で二人に呼び掛けた。

「浩文さん、ホセくん、ココア飲みます?」

 給湯室から半分ほど顔を覗かせて笑っている。といっても彼女の鼻から下は黒い布に覆われているので四分の一ではあるのだが。
 きっと彼女なりに気を揉んで場を和ませようと取り計らってくれようとしているのだろう。
 浩文は頬を掻くと何かを言いかけた唇でファティマに応えた。

「いや、僕はコーヒーで」
「飲む……から、ミルク多めにいれて」

 ホセもファティマに返答を寄越しきまり悪そうに浩文の前に立ち尽くしている。
 浩文は深く息を吐くと、オフィスから銃火器を取り扱う店舗に向かうドアに視線を送ってからホセの瞳を見た。

「店舗横の倉庫に僕たちが自由に使える備品があるから、そこから取って」

 ホセは浩文の言葉に一瞬ぱっと表情を明るくしたが、それを噛み殺すようにして唇を押し上げてそっぽを向いた。
 豊か過ぎるその表情変化に思わず笑いそうになってしまったが堪える。
 普段はキライな人間相手でも餌を持つと無意識にシッポを振ってしまう犬と同じだなと心の中で独りごちるが彼に尻尾は見えない。
 ホセは幾つものピアスが輝く火照った耳を触りながら浩文に視線をよこした。

「Okie- Dokie.(はいはい)」
「【I understand.】 don‘t you?(分かりました、だろう?)」
「んなっ」

 そうしてしばし睨み合っていると両手にカップを持ったファティマが軽い足取りでやって来た。
 彼女の両手には犬の肉球スタンプと取っ手がシッポモチーフのマグカップと飾り気のない青いカップ。
 犬のマグカップからはほっと落ち着くような甘い香りが漂い、青いカップは澄んだ黒を香り高く映している。
 
「コーヒーとココアでしたわね」
「ありがとうございます」
「……あんがと」

 そしてデスクの空いたスペースにファンシーとシンプル、二つのカップを置くと彼らに微笑みかけた。

「仲良しさんですね!」
 
 彼女の言葉に浩文は眉を潜め、ホセはあからさまに渋い顔をしながらもカップを受け取った。
 しかしにこにこと天真爛漫な笑顔を浮かべるファティマを邪険にするわけにはいかない。
 天然な彼女のことだ、もしかしたら本当に思っているのかもしれない。

「今のやり取りのどこにそんな事を思う要素があったんですか」
「ったく、何処に目ェ付いてんだよ」

 それからホセは浩文を一瞥すると、ぶすくれた顔で自分の席へと戻って行った。
 そしてイヌシッポの取っ手を握るとそのままココアに口を付ける。

「──あちっ!?」

 想像以上にココアが熱かったのか熱を追い払うようにぶんぶんとかぶりを振る。
 ファティマは慌てふためいてホセと犬のマグカップを見比べたあと申し訳なさげに眉尻を下げた。

「あら大変! ごめんなさい、普通にミルクを淹れると冷めちゃうと思って少しあっためておいたものを……今冷たいミルクをお持ちしますわ」
「別にいいって」

 そう言うとホセはマグカップを袖で持って、一生懸命にふーふーと息を吹きかけ始めた。
 真っ赤になった薄い舌を出して涙目になっている。
 マロマユを困らせるホセを見ていると手の掛かる部下というか何というか。ボスも彼にカリーノなチワワだの何だのと口を挟んで怒られていたがその気持ちも今なら分かるかもしれない。
 細切れにこちらを伺う視線に気付いた浩文はその主にジトリとした眼差しを向けた。 

「……何ですか」

 シンは鼻の頭を掻くとわざとらしく視線を左上に放る。

「えっ!? な、なんでもないよ」

 そして取り繕うように再々度液晶へと視線を滑らせた。
 リチャードの偽造パスポートの情報見直しはもうそろそろ終わる。
 今回使用したのは脱法ハーブから生きた幼い少年少女に至るまでもが商品として陳列される深層ウェブ上の闇サイトから引っ張ってきたノルウェー人のパスポートである。
 自身の仕事にはいつだって抜かりは無い。三色旗の地を再び踏むことすら許されずそのまま日の丸の元にお縄、という心配も必要ないだろう。
 シンはコーヒーを飲む浩文とマグカップにちびちびと口を付けるホセを盗み見て浅く息を吐くとエンターキーを押した。

「あの、ファティマさん、ボクにもコーヒーくれるかな」
「はい! かしこまりましたわ」