複雑・ファジー小説

Re: What A Traitor!【第1章Ⅵ更新】 ( No.8 )
日時: 2018/06/30 13:16
名前: 日向 ◆N.Jt44gz7I (ID: XCi1wD91)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=891.png



 昨日の一件から、表の店や事務所を尋ねるものなどおらずリチャードは事務所の中で一人、コーヒーを胃へ流し込んでいた。
 ホセは飛び出したまま未だ帰ってこない、しかし特段探すようなこともしなかった。腹が空けばすぐにでも戻ってくるだろう、と楽観している。
 自分にもあんな時期はあった、もう遠い昔の事ではあるが。
 【トーニャス商会】は表向きはトーニャス火薬として名乗り、弾薬や猟銃などの火薬類を卸売りする他、事務所と防音扉で繋がる店頭でも、量は少ないがその類いの品を取り扱っている。
 一週間に一度、月曜日だけ表の店を開け、客を待つ。
 店舗の内装は、この町馴染みの煉瓦造りをわざと残して、ほどほどに古く、性能を控えめな銃を店頭に並べるようにわざと気を遣った。
 そして店を尋ねてくるのは、若い頃イノシシを捕っていたというハンチング帽のよく似合う陽気な老父や、無愛想でいかにも山男然とした猟師だった。しかし店を訪れるそもそもの人数が少なく、客が来さえすれば、ああ今週は客が来た週だったなという認識でしかない。
 大抵、店先に出て接客をするのはリチャードだった。
 田舎町には眩しすぎる毛色をしたやんちゃな子犬、全身黒ずくめのイスラーム教徒、白衣の黒人、コミュニケーション能力が今ひとつなインド人、など他の商会員では目立ってしまうという理由もあったが、リチャードはただこの長閑のどかな村に住む人々との交流が好きだった。
 ただどうしても社長である自らが仕事を詰めなければならない時は、上記に当てはまらない浩文が店に出ることもあったが、それでも無理を言って店頭に立つことが殆どだった。
 イノシシに畑を荒らされた事、一頭のヒツジが臨月を迎えた事、隣町はもう少し栄えているのにトーニャスときたら、など村人と何気ない言葉を交わすことで、過ぎゆく戦乱の日々を、一時的に忘れられる。
 リチャード自身、【彼】と【とある邂逅】を果たすまではごく普通な一般家庭の生まれに相応しい、陽に当たる世界を歩いていた。
 血濡れた硝煙香る下界に堕とされて尚、陽光を欲するか。
 ひどく皮肉っぽい感傷に襲われ、彼の手には少々小さいカップのコーヒーを一気に煽った。
 
 その時、数人の気配を感じた。
 事務所は防音壁が守る要塞となっているが、ドアだけは彼の好みでウォルナットを用いているので、ドアの取っ手を握る気配と長年培った嗅覚が、何人かの訪問を報せる。戦闘員が誰一人居ない今、事務所襲撃を受けてしまえばひとたまりもないが、幸い敵意を孕んだ緊張は感じられない。 
 リチャードの第六感は当たりを引いた。
 扉が蝶番を軋ませ、よく知る顔を見せる。

「おかえり」

 リチャードは破顔させ、彼らを出迎えた。
 白衣でなく見慣れない私服を着たアマンダ=サベレレ=バヨダ、相変わらずスフィガータな格好をしたシン=ナンビアー。
 アマンダはグレーのトレンチコートを羽織り、そこから健康的に筋肉がほどよく付いた脚がすらりと伸びている。豊かな縮毛で頭頂部にシニヨンを作って、深紅のバンダナで前髪を留めている。赤いハイヒールの踵で事務所のドアマットを突くと、揃いの色でまとめたピアスが揺れた。黒人である彼女の肌にアクセントとなる赤の小物遣いと、グレーのコートを主とする全体の無彩色が中心のカラーバランスが良く映えた。
 シンはというと対照的に、深い緑色に黒のチェックが入ったネルソンシャツを、今にもすり切れそうでウオッシュの効き過ぎた安物のシーンズに押し込んでいる。
 アーリア系インド人であるシンは、決して女性に見向きもされないような素材を持っている訳では無かったが、人と会う時の身だしなみについてはとかく無頓着だった。
 髪も無造作に跳ねたままで、帰省先で一切手入れをしていなかったのか、無精髭も伸び放題である。
 彼ももう38歳になる。最低限身なりを整えないと浮浪者に間違われても致し方ない。今日の彼のファッションコーデも、旅に出る直前着ていたものとほぼ同じでは無かろうか。
 もう少し服装に気を付けたらどうか、とシンに言ってみるも風に向かって説教をするようで、全く張りの無い生返事をよこしてきた彼は、リチャードの記憶に新しかった。
 
「アマンダ、シン、久し振りだな。それと——」

 そして彼らに挟まれるようにして、俯いて顔を見せようとしない例の子犬、ホセがいたのは意外だった。 
 アマンダが三人の中で一等早く口を開き、大方を説明する。 

「ボスはお変わりないようで。シンとは空港で出会ってね、まあ何ならってことで一緒にバスで帰ってきたのさ。そんで——コイツはバス停の前でくたばってるとこを見つけたんだよ。何してんだいアンタ、まったく」

 アマンダはホセの顔を覗き込むようにして、険のある眉を八の字に曲げる。アマンダもまたホセより身長があった。
 ホセはほんの少し斜角に顔を上げ、女性であるからなのか、直接触れるまではいかないものの鬱陶しげに、黒いリングが光るその拳で虚空を緩く殴りつける。
 リチャードは一瞬だけ隙を見せたホセを見逃さなかった。
 乱暴に擦ったのか瞳は真っ赤に充血し、平生より濃かった隈はより一層濃くなっていた。涙の跡もうっすら残っている。
 折り合いの付けられない事があれば涙を流す、妙な既視感がリチャードの胸を衝いた。
 普段は虚勢と小さな牙を剥き出し他者を吠え立てるホセは、未だ大人になりきれない子供なのだと、彼の様子を見て、リチャードは眉尻を下げずにいられなかった。

「うっせえよ……クソババア」

 応も、いつもの威勢の良い小型犬の吠え声ではなく、洟が詰まって消え入りそうな涙声だった。
 アマンダはホセが悪態吐くのを意に介する様子も見せず、肩をすくめながら事務所の奥へと歩みを進め、デスクの上に荷物を置いた。
 アマンダにホセと共に取り残されたシンは、再び俯いてシャツの袖で強く目をこする隣の小型犬と微笑むリチャードを交互に見て、あからさまに狼狽しつつ言った。

「えっ、あっ、ねえボス、ボクのマシンは大丈夫かな——あっ痛い!? すぐそうやって殴らないでくれよ……」

 ホセは顔を上げないまま、シンの脇腹にゆるく拳を入れた。突如受けた理不尽な攻撃にシンが大袈裟に痛がってみせると、ホセは彼を殴りつけた方の手で再び目を擦った。
 商会内ではいつもこうだった事を思い出す。
 戦闘員の中では一人浮きがちだったホセは、大人しいシンに対し事あるごとに絡んでいた。
 彼にとっての故郷は勿論メキシコのアカプルコで、忠誠を示すべき飼い主及び、彼を守る家族は【アカプルコ・カルテル】だ。
 果たして商会は取り残された彼の第二の【ファミーリャ】になり得るだろうか。
 リチャードは頬杖を付いて、シンとホセの動向を目を細めて見守った。

「うるせえ……見んな。てめえいちいちカレー臭えんだよ」
「え、えっ?」

 ホセはそう吐き捨てると、わざと足音を大きく立ててリチャードと遠く離れたデスクチェアに、腰を落ち着けた。
 またも取り残されたシンはシャツの袖を交互に嗅ぎ、動揺の色が籠もった瞳でリチャードを見つめる。

「はは、そんなことないぞ、シン。」

 リチャードはソファから立ち上がり、シンの肩を抱いて事務所内に招き入れた。
 奥の給湯室で、リチャードの飲んでいたのと同じタンザニア産のコーヒーを淹れているアマンダにも聞こえるようにリチャードは声を張る。

「二人とも今日はゆっくり休んで、また時間のある時に土産話でも聞かせてくれ」

 大きな溜息を吐いて、アマンダは零した。

「はあ。いつ時間があるか、たまったもんじゃないねえ」

 リチャードは苦笑して、そう言ってくれるなよと付け足した。
 ディンゴがほんの二日前にトーニャスを訪問し、仕事の話を急に詰めなくてはならなかった為、シンとアマンダには【執行部】の二人がメキシコに発ったこと以外は伝えられていない。しかし聡明な彼女はホセ以外の戦闘員がいないことで、また荒仕事が舞い込んだことを悟ったのだろう。
 着色された毛先と同じ色の目をしたホセを村はずれのバス停で見つけたときに、今回は七面倒な一筋縄でいかない仕事なのだろうという事も感じたのかもしれない。
 シンを迎え入れてソファの席を譲ったついでに、リチャードはホセの座るチェアへと歩みを進めた。
 未だ洟をすすってべそっかきの残滓を漂わす彼を刺激しないように、努めて優しい声で声を掛ける。
 チェアの上に土足のまま三角座りをしている彼と、目の高さを合わせるように屈む。

「おかえりホセ。帰ってきたところ早々で悪いんだが、俺と一緒にナポリに——今週末の連絡会に付き添ってくれないか」

 リチャードの思わぬ申し出に不安と焦燥を湛えて濡れる瞳が、今日初めて彼を捉えた。


******


 当初の予定通りディンゴ、浩文とファティマの三人は、トーニャスからカルテルの運転手付きの車に乗り込み、まずはイタリアのミラノ空港を目指す事となった。
 車内は同じようなガタイを持つ普通車よりも狭かったが、それでも運転手を含めて四人で乗るには余裕があった。
 ファティマが助手席に座り、ディンゴと浩文が後部座席に座る、という何とも奇妙な絵面が三時間ほど続いたのは致し方ないことだった。
 基本的に身分の高い要人は運転手の後ろに乗せるのがマナーとされている。
 そして【アダムズ・ビル】だけではない、カルテルに仇なす組織のスナイパーから、ディンゴが狙われる事への対処という点でも後部座席に乗らなければならないといった理由からだった。
 ディンゴはいつものおちゃらけた調子で、くつろいでくれなどとのたまっていたが、浩文はとてもそんな気分にはなれず、車内では呼吸すら躊躇うほどだった。
 そんな浩文を知ってか知らずかディンゴは煙草を取り出し、頻繁に一服付ける。
 彼がリチャードと見えない火花を散らしていた際にはそれどころではなく、分からなかったが、彼が紫煙をくゆらせる度に珈琲の芳香が、狭い車内に充満した。
 特徴的な珈琲の香り、そして黒地のパッケージに橙色のロゴから、ウルグアイ産の【アークロイヤル ワイルドカード】を嗜んでいることが判明した。
 何故このようなことをと尋ねられれば、自らの経験知識に基づき、煙草の銘柄を推察することぐらいしか、浩文には車内ですることが無かったからだ。
 そしてディンゴと運転手がスペイン語で連絡事項を交わしていていた時、浩文とファティマはひどく肩身の狭い思いをした。
 同じラテン系言語である為、普段からトーニャスにて耳にするイタリア語とは似通った箇所もあったが、商会内で使われる言語は英語であるため、浩文とファティマの両者ともイタリア語で上手く意思疎通出来ないし、ましてやスペイン語を理解することはかなわなかった。 
 カルテル側もそれが分かっているのだろうことは理解に難くない。ここは自分たちの範疇だと見せつけられているような気もしたが、それは流石考えすぎだろうか。
 街へと続く山道は悪路ではあったが、それなりの装備が整った専用車だったのだろう、いつも感じていたストレスを殆ど無しに山道を抜けた。いつもなら臀部を強打したり、頭を天井に打ち付けたりすることが往々にしてある事に、少々不満を感じていたことは否めない。
 生きて帰ってこれたならば、ボスにそれとなく移動用車の買い換えを提案してみよう、と浩文は心に誓った。

 都市部に出て、空港へ到着し、飛行機でリスボンへ飛んだ後は早かった。
 リスボンはポルトガルの首都で、大西洋に近い都市である。
 ここまで一切休み無くぶっ通しで車に乗り、飛行機に乗り、リスボンから大西洋沿岸まで移動する最中に、夜明けを告げる太陽が大西洋沖に顔を覗かせた。       
 やがて、一隻の中型船が水平線の彼方から八重潮をかき分け、ゆっくりと接岸した。
 ディンゴから聞くに、カルテルの持っている船だから心配するなということで、二人は意を決して船へと乗り込んだ。

 船内は時計も無く、携帯電話の電波も届かない。
 暗く狭い船倉に三人がそれぞれ中央に向くようにして座る。暗闇を微妙に照らすランプの薄明かり、あの光を見つめていると時間の感覚も狂ってくる。 
 大西洋の横波に揺られ続けてどれほど経っただろうか、という時。

「あの、ディンゴさん」

 ファティマが唐突に口を開いた。
 ディンゴは頭の後ろに手を組み、目を閉じたまま応える。

「ンー?」

 素っ気ないディンゴの態度とは対照的に、ファティマは身を乗り出して翡翠色の瞳を輝かせて言った。

「ボスとはどこでどのようにしてお知り合いになったんです?」

 この唐突且つ大胆過ぎる質問に、脇で静観していた浩文は思わず目を見開いた。

「ファ、ファティマさん!?」

 ファティマは何がまずいのか分からないといったような、きょとんとした様子で小首をかしげる。
 ディンゴは何かを考えているのか、先ほどの姿勢で目を閉じたままだ。浩文はこれから協力せざるを得ない、だがどうにも得体の知れない彼の機嫌を損ねるような事は極力したくなかった。
 しかし、浩文の心配などよそに、ファティマは微笑んで続ける。

「この暗くてじめじめした船内ですもの。きっとまだまだ長旅にだってなるでしょうし、何かお話しません? それとも浩文さんは、ボスの交友関係に興味がお有りでないんです?」
「い、いや……そういうわけでは」

 リチャードの交友関係と言われると、興味は確かにあった。
 形の上ではファティマを咎めてみたものの、謎の多いリチャードの過去を知る男がそこにいいて、それを知る機会が与えられるとなると、楔となり得るその言葉は尻すぼみならざるを得ない。
 言い淀む浩文に割って入るように、ディンゴは大きな欠伸を一つした。

「は、別に取って喰いやしねーヨ。ナァ、四つ目の兄ちゃん、つまンねー男はモテねえぞ?」
「——わ!? ちょ、ちょっと何するんですか……?」

 ディンゴはにやりと笑うと、ゆっくりと浩文に近付き、ひょいと眼鏡を奪った。
 彼の行動に度肝を抜かれた浩文は、数回瞬きをして固まってしまった。ファティマは二人の様子を見て今回の旅の中で、初めて声を出して笑った。
 ディンゴはレンズを覗き込んでみたり、眉間に皺を寄せつつ眼鏡を掛けたりして遊ぶ。
 浩文は、彼の此方に手を伸ばして眼鏡を取る、その初動が全く分からなかった、否、見失ったわけではない。予備動作が判りにくい上、動きの緩急に恐ろしくキレが付いているのだ。しかし、浩文も長らく一瞬の判断によって生死を左右される鉄火場に立っている人間である。気を張っていない一瞬の虚を突かれたとて、相手の動きを見失うなど日常生活の動作において無かったはずだ。
 彼がおもむろに距離を詰めたかと思えば、次の瞬間視界が滲んでいた。

「アー……オレとリッキーが、だろ? 暇潰しに、覚えてる範囲で話してやるヨ。——まあ、そーンなに面白え話でも無えけどナ」

 ディンゴは持ち主に返す素振りは見せず、浩文の眼鏡を弄びながら、ファティマと、一つ顔のパーツが欠けてしまったような彼の顔を交互に見合わせ、口角をゆっくりと上げた。