複雑・ファジー小説

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.10 )
日時: 2018/04/06 21:01
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

 月は沈み太陽は顔を出して翌日。僕がこの街に来て二日目の朝。半開きのカーテンの隙間から見える空は昨日と引き続き清々しい晴天だった。目覚まし時計にかけたアラームより三十分ほど早く起きてしまった。頭が少しだけ痛い。喉が渇いている。ひとまず洗面所まで歩いて行って蛇口を捻り、コップを水を満たして喉を潤す。食道に冷たい物が通っていく感覚。都会の水道水はカルキの匂いがしてあまり美味しくないが、ミネラルウォーターなんか買っていられる身分じゃない。正面の鏡に映る僕の顔を見る。鏡というのは不思議な物だ。在りのままを映す。精巧に映してしまう。他人の目から見た僕はこんなに無感動そうに見えるのか。不思議と言うより不気味だな、と僕は思った。

 藍色のブレザーに袖を通し、ボタンをはめながら、剣道の防具を閉じ込めてるクローゼットに目を向けた時、コンコンと二回ノックの音がした。

「つっきー!起きてっかー?」

 けだるげなレンの声がドアの向こうから聞こえてきた。予定の時間より十分ほど早い。昨日も思ったが彼は随分とせっかちな性格をしているらしい。

「うん、今開けるね」

 僕はそう答えて視線の照準をクローゼットから黒いドアの方に移す。この学校の剣道部が廃部になった以上、あの中の防具は無用の長物だ。いくつもの試合を潜り抜けた僕の相棒と呼んでもいいものだったが、これはこれでしょうがないだろう。机の上に置いてあったカバンを掴んでからドアの方に向かった。ドアのカギを開錠して開くと、心なしか顔色の悪いレンの姿。

「うっす、つっきー。ちゃんと寝られたか?」

 しかめっ面でレンが片手を上げた。今日初めて見る制服姿だった。彼の金髪が昨日よりも少し心なしか萎れてるように見えた。

「うん、おかげさまで。……ていうかなんか具合悪そうだけど大丈夫?」
「あー、昨日飲み過ぎたんだわ。二日酔い。もう準備はできてっか?」

 そういえば昨日平阪の鉄板屋でぐびぐびお酒飲んでたっけ、と僕はあの灯の働く店を思い出した。鉄板屋不動心とかいう店名。従業員はこの上なく騒がしかったけど、とてもいい雰囲気の店だった。

「大丈夫だよ。ていうかポチはいないの?」
「あー、あいつは陸上部の朝練だってよ。ほら、早く行こうぜ」

 うん、と言って僕は頷いた。ドアのそばにあるボタンを押して電気を消す。部屋の中は薄く暗がりで満たされた。部屋には剣道の防具だけが置いてけぼりで取り残された。



 私立天照(テンショウ)学園。いわずもがな、僕がこの春から通う高校で、生徒たちはここを『テンガク』と呼んでいるらしい。らしいと非断定的な言い方をしたのは、この呼び名で呼んでいるのがレンだけだったからだ。僕が寝泊まりをする飛想館から30分ほど歩いた所にある。今や無くなってしまった剣道部を始めとして、レンが入っている吹奏楽部や野球部、ダンス部などが全国区の実力を誇り、その他ジャンルを問わず部活動が活発な学校として有名。

 初登校はつつがなく進んだ。淡々と進んだとも言ってもいい。
 初めて入った1−Aの教室。白髪の目立つ妙齢の担任教師に連れられ、僕は教壇へ上った。コツコツと音を立てて教師が黒板にチョークで『月島広斗』と角ばった文字で書いた。漢字が間違っている。正しくは博人だ。僕はあまり気にしないで横目で見送った。そこから見るクラスメイトの顔は入学したばかりだからだろうか、どこかよそよそしく、どこかお互いを牽制し合うような陰気な雰囲気があった。まあそれも仕方無いのかも知れない。1人を除いて。

「ちゃーんーヒーロー!!!」

 一時間目終了、シャーペンを筆箱に入れるよりも早く、教科書のページを閉じるのよりも早く、僕に飛び掛かって来た輩がいた。飛び掛かって来たというか、腕を水平に伸ばして対象の首を狙う、いわゆるプロレス技のラリアット。僕はそれを頭を下げてかわすことで彼女に抗議の念を表明する。

「灯…、朝っぱらから元気だね……」
「うん!みんなのアイドル灯ちゃんは昼夜問わず春夏秋冬!エブリタイムエブリウェア24時間365日お電話一本でいつでも元気だよっ!」
「……」

 低血圧で明瞭としない脳内に灯の声がけたたましく響いた。
 灯は昨日のエプロン姿と打って変わって、まあ当然の如くブレザー姿。チェックのスカートから病的に細い脚が見えていて、少し心配になった。そういやダイエット頑張ったとか言ってたっけ。

「ちゃんヒロって同じクラスだったんだね!びっくらこきました!全然気が付かなったよ!」
「あー……、うん。そうだね」

 僕は適当に受け流した。

「ポチくんと練示っちは二つ向こうのクラスだよっ!つくしんぼとあやめんは特進クラス!」
「つくしんぼって誰?」
「筑紫くんに決まってんじゃん!」
「……」

 お前すげえな!あいつをつくしんぼって呼んでんのか!
 筑紫のファンに八つ裂きにされかねないぞ!

「姫っちょは芸能クラスだよ!」

 ともかく。入学初日から灯のような可愛くないとは口が裂けても言いがたい女子(まあ姫菜には遠く及ばないが)に詰め寄られている僕の姿は否が応でもにでも目立つだろう。事実、周りの名前も知らないクラスメイトからの視線を背中にひしひしと感じる。加えてこの女は中学時代から人と話す時の距離が恐ろしく近いので、あと50キロぐらい離れてから喋って欲しい。

「何か今、ちゃんヒロがめっちゃ失礼なこと考えてた気がするであります……。」
「気のせいだよ」

 勘の良い灯だった。女の勘と言うやつか。侮れない。

「あ、そうそう!」

 灯は閃いたようにポンと手を打つ。

「あやめんからちゃんヒロに伝言があったんだっけ!」
「僕に伝言?」
「うん!」

 顔も知らないような人からの伝言。何だろうか。やはりもしかしたらあやめという人と僕は昔知り合ったことがあるのだろうか。

「『今日の昼休み、図書室の奥の書庫でお待ちしてます』だそうだよ!凄いね!ちゃんヒロってばモテモテだねっ!」
「モテモテって……。っていうか僕あやめっていう人知らないよ」
「えーっ?でもあやめんはちゃんヒロの事知ってたよ?『飛行機事故で入学が遅れた登潟中学出身の血液型A型の月島博人くんに伝えて下さい』って言ってたもん!」
「は?」

 血液型はまずは置いておこう。飛行機事故?
 何でその事を?
 あの事故の被害者とその遺族の名前は伏せられていたはず。

「灯、図書室ってどこにある?」
「B棟の三階の一番奥だよっ!」
「OK」

 行ってみるしかなさそうだ。昼休み、B棟の三階、図書室。脳内に忘れないようにインプットする。何を知っているのか。どこまで知っているのか。何故知っているのか。お前は誰なのか。

「んげ!もう授業始まるじゃん!」

 壁に掛けられた時計を見て灯は驚愕した。両腕を頭上に上げるオーバーリアクション。周りのクラスメイトは既にいってしまったみたいだ。もうこの教室には誰もいなかった。

「ちゃんと図書室に行ってよね!あたしがあやめんに怒られるから!あと次の授業は地学だから移動教室だよっ!」

 言って、灯は自分の机にどたばたと小走りで行って、教科書を胸の前に抱える。そして僕の前まで来て。
「ほら、早く行くよっ!」
「………。」

 僕はカバンから教科書を取り出して、席を立って灯に続いた。