複雑・ファジー小説
- Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.11 )
- 日時: 2018/04/16 07:49
- 名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)
「あやめっていう人知ってる?」
昼休み。12時30分。四時限目の数学の授業を終えた僕はC組の教室へと向かった。ポチとレンの所属しているクラスだ。通学する時にレンから「飯食う時はウチのクラスに来いよ!」と言われていたからだ。別に僕としては自分の教室で一人で食べていても良かったんだけど、誘いを受けてしまったからには仕方が無い。一人にさせてくれとは言えないだろうし。ということで寮の前にあるコンビニで買ったパンを片手にC組の教室を開けた。
A組の教室とはそんなに変わらない雰囲気。ほとんど知らない顔だったけど、見知りがないのは自分のクラスだって同様だ。レンとポチは窓際で一つの机を挟み、向かい合わせて弁当を食べていた。ドアを開けた僕に気付いたレンが「よっ!」と片手を上げた。それに倣って目だけで会釈。ポチも僕に気付いたようで、キラキラと輝いた目で僕を見た。
知らない人たちからの怪訝そうな目が僕に集まる。視線は暴力と同じだ。あまり見ないで欲しいけど自分たちの教室に見慣れない奴が入ってきたらそれは見るだろう。僕はあまり気に留めないようにしてレンたちが座ってる席まで早足で向かう。規則的に並べられた机の群れの合間を縫って、窓際。
「よおつっきー!……あー、椅子ねえなあ」
「僕は立って食べるから大丈夫だよ」
僕は答えた。強化ガラスで作られた窓に背を任せる。春の間の抜けた日差しの温もりをブレザー越しで感じる。手に持った菓子パンの袋を破る。コッペパンにジャムを挟んだ安価なものだ。口に運ぶ。
「あー、そうか。で、どうよウチの学校は?」
「そうだね。まだそんなに変わったことはないよ」
「ああそうか」
とレンはケラケラ笑う。レンの対面で座るポチは唐揚げを頬張っている。それを見て僕ももっとマシなもの食べた方が良かったなとか思った。いくら金の手持ちがないと言っても菓子パン一つじゃ腹が持たないだろう。
「ん?ヒロくん卵焼き欲しいッスか?」
唐揚げを飲み込んだポチは僕の視線を感じたようだ。
「や、いらないよ」
と僕はかぶりを振って断った。そういえば、と僕は思い出す。今日の朝の事。灯が言った事。あやめという人の事。
「ねえポチ、レン。尋ねたいことあるんだけど、いい?」
「え、何ッスか?」
「おう、どうした?」
「あやめって人の事知ってる?」
おおう、とレンは唸るみたいな声を上げた。対するポチは白飯をガツガツと口へかき込む。
「ふぉくは知んないっひゅね」
「ポチいあれじゃねえか?図書室の亡霊」
「あーあの子ッスね」
ごくりとポチは口の中に入れたご飯を飲み込む。図書室の亡霊、か。確かに灯は『図書室でお待ちしてます』みたいな事言ってた事を思い出す。
「どういう人なの?」
「んー、なんつーかなぁ」
そこで。がらりと教室のドアが開く音がした。途端に今まで騒がしかった教室がどっと一際沸いた。困惑で満たされた色の歓声に似た声。主に女子の声。
なんだろう、と僕はそのドアの方を見た。僕につられたみたいにポチとレンもそちらを見る。
「あ、ここにいたんだね」とその人は僕たちの方に向かってゆるりと優雅に歩いてくる。周りの羨望の目線もその人が移動するのに合わせて追いかける。
「んげ!白縫筑紫!」
「ん?キミは僕の事を知ってるのかい?」
その人——白縫筑紫は小首を傾げながら言った。学園内で彼の姿を見るのは初めてだったが、それにしても浮世離れした彼の容姿と醸し出す雰囲気はこの教室の中ではとても異質に見えた。飛びぬけた美貌。まるで鶏の群れの中に紛れ込んでしまった白鳥のようだ。周りの視線を否応なしに集中させる。
「まあいいや。灯ちゃんに聞いたら月島くんはC組の教室にいるって言ってたからここに来たんだけど。……なんだか騒がしいね」
「……僕に何か用?」
僕はお前のその顔のせいだろ、という言葉を喉元で隠した。今の図式はいきなり他のクラスの教室に入ってきてパンを立ち食いしている謎の野郎と、それに話しかける同じく突然襲来した反則レベルの顔面を持つイケメンという謎の様相だ。
「月島くんに渡したいものがあったんだけど、建て込み中だったら場を改めるよ」
「いや、大丈夫。今渡してもらってもいいよ」
筑紫の事を知らないらしく首を少し傾げるポチと、筑紫を恨みがましい目で見るレン。そういえば昨日レンが告白した女が筑紫の事を好きだと言って振られたとか言ってたな。
「じゃあ良かった」
言って筑紫はブレザーのポケットから四つ折りにされた紙を取り出した。「はいこれあやめちゃんから」と言って僕に差し出す。
「ん?」
開く。A4で何か文字が印刷された白い紙。よく見れば、というかよく見なくとも分かる。
「入部届だよねこれ」
「うん。そうみたいだね」
筑紫も納得がいってないような顔で頷いた。ご丁寧にその紙には僕の名前がかなり達筆な字で書かれていた。『私は〇〇に入部します』の空欄に勝手に『剣道同好会』と書いてある。流石に僕の印鑑は押されてなかったけど。
「——正直あやめちゃんのやり方はあまり好ましくはないんだけどね。……彼女はどうしても月島くんを僕たちの部に入れたいみたいだ」
「……」
そこまであやめ、という人が僕に固執する理由も分からなかった。灯が言うにはその人は中学時代は剣道をしてなかったようで、いくら僕が全国大会に出場した元選手だとしても僕をそこまで剣道同好会に入れようとする理由が分からない。
そして、どうして僕が両親を飛行機事故で失ったことを知ってるのか。
「確かにこれ、渡したからね。じゃあ僕は行くよ」
にこりと筑紫は笑みを浮かべて言う。この世のものとは思えないほどの蠱惑的な微笑だ。
「——そういえばあやめちゃんが言ってたよ。『気が変わった。今日は図書室には来なくていいから印鑑を捺印してから担任に提出してくれ』ってさ」
「……まだ僕は同好会に入るって決めた訳じゃないんだけど」
「あはは」
明らかにごまかすために笑った筑紫。笑ってんじゃねえ。
じゃ失礼するよ、と筑紫はくるりと踵を返して教室の出口へ向かって歩いて行った。彼が動くのに従って教室中の目線が追いかける。やがて扉を開けて、軽く会釈をして筑紫は去っていった。
「……いきなり何だったんだ?あのイケメン野郎」
筑紫が出て行ったのを見計らったようにレンが口を開く。未だに不愉快そうに敵意を込めた目でドアの方を見ている。そんなに嫌いなのか。
「ちょっとよく分かんなかったね……、で、話を戻したいんだけど。図書室の亡霊って何?」
「文字通り図書室にいつもいる生徒って事ッス」
ポチはすっかり空になった弁当の容器をビニール袋の中に入れながら言う。
「いつもいるんスけど、なんかめちゃめちゃ話しかけにくい雰囲気の子ッス。分厚くて難しそうな本読んで、誰が何て話しかけても無視するから図書室の亡霊って言われてるッスよ」
「どんな顔の人なの?」
「スラっとした美人さんでポニーテールで、眼鏡かけてる」
眼鏡?ポニーテール?
「めちゃくちゃ目つきは鋭いんスよね」
目つきが悪い?
——ともみ、と言う女の子を知っていますか——
「その人僕見た事ある気がする」
僕は昨日、天照学園の入り口で話しかけられた女の子を思い出した。キリキリと張り詰めたピアノ線の様な女の子。眼鏡越しの抉るように鋭い眼光。あの子が落とした紫の花が描かれた栞は僕の私服のポケットに入ったままだった。ふうん、とレンはよく分からないような相槌を打った。彼もあやめの事について上手く知らないようだ。ポチも同様。
「ちょっと行ってくるよ」
言って、僕は残った菓子パンを全て口の中に入れた。イチゴジャムのしつこい甘み。飲み物を一切飲まないで食べていたため、口腔がぱさぱさと乾いていた。パンが入っていた袋をぐちゃぐちゃに丸めてズボンのポケットの中に入れる。
「どこに行くんスか?」
そんなの決まってるだろ。
「図書室に、あやめっていう女の子に会いに行ってくる」