複雑・ファジー小説

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.17 )
日時: 2018/05/28 02:37
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

「そういやつっきー、カオナシさまって知ってっか?」

 板張りのフローリングの廊下に僕とレンの足音。新年度だからだろう、塗られたばかりのワックスが窓から入ってくる太陽の日差しを受けてテカテカとぬめるように光る。レンは僕より頭一つ分ほど背が高いので彼と話すためには僕は少し上を向かなければいけない。もっと低くなれとか思いながら僕は彼のその言葉に首を傾げた。
 一年A組の教室から図書室へ向かう廊下を僕たちは歩いていた。主棟と副棟を繋ぐ連絡通路を抜けて、今は特別教室が軒を連ねる道。

「え、何?アナと雪の女王の話?」
「ディズニーの話はしてねえよ。あと俺が言ってんのは黒い布被った仮面の化け物じゃねえ」

レンはくくっと押し殺すように笑う。僕は長編アニメ映画を細田守しか見ないので詳しくは知らないけど、それじゃないのなら何なのだろうか。
 ポチはどうやら課題をやり忘れていたようで教室に残って格闘中。その点レンはしっかりとやっているみたいだ。少し意外ではある。

「で、そのカオナシさまがどうしたの?」
「んー、誘並に最近流行ってる都市伝説みたいなものらしいんだけど、願いが叶うとか言ってたぜ」

 安直な話だった。僕は眉をひそめる。

「じゃあ何?そのカオナシさまってドラゴンボールとか空白の才みたいなもんなの?」
「懐かしいな空白の才って!絶対最近の高校生とか知らねえぞ!」
「僕たちも最近の高校生じゃないか……」
「俺が空白の才手に入れたら透視の才とかにするな……、まあうえきの法則の話はどうでもいいんだよ。最近のここいらの高校生のトレンドはカオナシさまらしいぞ」
「ドラゴンボールは7つ集めないといけないし、空白の才は神候補戦を勝ち抜かなくちゃいけないよ。じゃあそのカオナシさまはどうやったら願いを叶えてくれるの?」

 廊下には埃を被った赤い消火器。段ボールで作られたゴミ箱には空き缶の山。横の窓から入ってくる日差しが僕たち二人の影を黒く板張りの廊下に映す。
「何かなーセーラー服を着たのっぺらぼうのが夢に出てきてなー」
「うん」
「その顔を見たら願いが叶うんだってよ」
「いや訳が分からない」

 飛躍しすぎな話だと僕は思った。ただでさえ眉唾な話なのにこう順序も段階も飛ばしてしまえば疑わざるを得ない。

「で、実際にその夢を見て願いが叶ったって奴いるの?」
「んー、……そうだな。お前のクラスの理河っていんだろ。そいつがこの前願いが叶ったとかで騒いでたぜ」
「誰だよそいつ」
「お前クラスメイトの名前ぐらい覚えとけよ」
「僕今日入学して一日目なんだって」

 とことこと僕とレンの足音が響く。向かいから女子生徒二人が歩いてくるのをレンは凝視している。横を通り過ぎて行った所で間髪入れずに、「おいお前どっち派だ?」と小声で僕に聞いた。
「どっちも興味ない」
「ほー、じゃあ俺がどっちとも頂くぜ」
「好きに持っていきなよ」
「お前あれか、cool core目指してんのか?今時そんなの流行らないぜ?」
「何なのその単語?」
「まあ俺はゴールデン馬鹿だけどな」

 何の話だよと僕は心の中で呟いた。
 僕たちは階段を上る。掃除が行き届いているようで、ゴミ一つ落ちていない。銀色の鉄で出来た手すりに手垢がわずかにこびり付いている。僕はその手すりを触らないで足を進める。
「いやでも最近マジで流行ってんだよ。男子も女子もこぞってこの話に夢中。それこそ気持ち悪いくらいにな。」
「気持ち悪い?」

 レンはおう、と言ってから一段飛ばしに階段を駆け上がり、踊り場に脚をつけてまだ後ろにいる僕に振り返る。

「だって気持ち悪いだろ?」
「……」

 逆光を背に受けるレン。綺麗に染まった金髪が陽に当たり、鈍く黄色を放つ。

「俺はこの誘並の出身だからよ、神様の存在は割と信じる方だが、ぶっちゃけカオナシさまってのはあんま信じてねえな。気持ち悪いってのはカオナシさまの話じゃねえ、カオナシさまの話をする奴らが気持ち悪いんだ」

 彼の珍しく吐き捨てるような口ぶりに僕は思わず階段の途中で立ち止まる。

「何か熱に浮かれたみたいっつーか、妙な新興カルト宗教に嵌った信者みたいな。皆が皆ありもしねえ話を熱心にするなんて気味悪いと思わないか?」

「そうだね」

 僕はそう答えた。「だろ?」とレンは踊り場で僕に向いたまま笑った。

「いくら誘並が神様が住まう町とか言われてると言っても———」

 そこで。



——人生というのはことごとく負け戦であるものです———




 何かがフラッシュバックした。

 薄暗い教室。机。椅子に座った僕。語る言葉。騙る言葉。セーラー服を着た女の子。

 生きる意味。

 僕がこの誘並に向かう新幹線の中で見たあの夢はもしかして。

「おいどうしたんだー?つっきー?」

 レンは訝しげな顔をしながら階段を下りて来た。はっとして僕は頭をかく。

「いくら誘並が神様が住まう町とか言われてると言っても、その神様は節操が無いね。僕は割と神様は信じるタイプなんだけど」

 平穏を装いながら僕は言った。彼はまだもの問いたげに僕を見ていたが、僕が階段を上りだしたのを見てから納得のいかないような顔をして僕の横に並んだ。
 都市伝説。流言飛語。街談巷説。嘘か真か。
 願いを叶える悪夢。



——それでもあなたはこの世界にまだ生き長らえますか?——




「おう、図書室着いたぞ」

 階段を登り切ってからレンは右側を親指で指した。彼の言う通りそこには木で出来た扉がある。ガラスからは白色蛍光灯の光が漏れていて、中からは図書室にあるまじきほどの賑やかな声が聞こえてくる。

「んじゃ俺はもう行くぞ」
「うん、どうも」

 僕がそう言うとカハハと寛容そうに笑ってからレンはくるりと踵を返してもと来た道を引き返す。階段の先に彼の金髪が消えていくのを見送ってから僕はふうと息をついた。『あやめ』という女の子は何者なんだろうか。どこまで僕の事を知っているのだろうか。
 図書室のドアノブを捻ってその中に入った。がちゃり、と金属の触れ合う音。まず入ってすぐのところに大量の机と椅子が備え付けられていて、昼休みに暇を持て余した生徒ががやがやと駄弁りながらたむろしていた。その奥にはまるで雑木林みたいにぞろぞろと立ち並ぶ本棚の群れ。紙の乾いたような独特な匂いがたゆたっている。
 ドアを閉めて横のカウンターの方に向かう。緑色のカーペットが足に擦られて乾いた音を立てる。 図書委員が書いたのだろう、『今月のオススメ!』と銘打たれてレビューが貼ってあるボードが目に付いた。少し気になったがこれを見るのは後でいいだろう。

 カウンターの向こう側に座り、暇そうにライトノベルを呼んでいた図書委員らしき女の子に「すいません」と声をかけた。

「は、はい!?何でしょうか!?」

 よほど読書に集中していたのだろうか、図書委員の女の子はぎょっとした顔で僕を見た。肩のあたりで切りそろえられた髪がふわっと揺れる。びっくりさせてしまったようで少し申し訳なく思ったが、気にするだけ損だ。

「図書委員にさ、あやめって子いるだろ?どの子か教えてもらいたいんだけど」
「あ、あやめさんですか……?」

 カウンターの向こうの女の子はおどおどと頼りない様子で立ち上がって、辺りを見回す。ブラインドの欠けられた窓の方に目をやってから、眉間に皺を寄せて腑に落ちないような顔をして僕を見る。

「……おかしいですね。いつもだったらあそこの窓際にいるんですけど……」
「いないの?」
「……はい。あっ、書庫の整理とかしてるかもしれません」

 ちょっと見てきますね、と言い残して、彼女はたたた、とカウンター横の小さな扉に向かって行った。この場所には僕一人が残される形になった。
 僕の後ろにあるテーブルでは今も本を読む気なんて端から無さそうな生徒たちがやいやいと騒いでいる。これでは読書なんかできる環境じゃないだろう。無類の本好きである僕からすると苦言を呈したくなった。
 女の子が戻ってくるまで手持ち無沙汰だ。しょうがないのでさっき通り過ぎたカウンター横の小説のレビューを読んでみようと、ボードの方まで向かった。
 見てみるとやはりというか、どれもこれも流行りのライトノベルばかり紹介していた。アニメ化決定だとか、そんな謳い文句では読んでみようという気にもならない。

「ん?」

 ボードの一番下。目に映ったのは『詩苑あやめ』という名前。詩苑というのがあやめという女の子の苗字なのか。なんと読むのだろう、シオンだろうか。彼女がレビューしていたのは『夏への扉』という知らない外国の小説だった。ナイフで切り裂いたかのような鋭利な彼女の字がつらつらと並んでいる。内容に目を向けたところで、「あの……」と後ろから声が聞こえた。

「あ、どうだった?」

 振り向くとさっきのカウンターに座っていた図書委員の女の子が申し訳なさそうに立っていた。何故か怯えているようにも見える。彼女と僕では少し身長差があるので何だか小動物を虐めているようで心苦しい。

「あやめさんなんですけど……」
「やっぱりいなかったの?」
「いないというか……、体調不良で早退していたみたいです」
「は?」

 思わず威嚇するような声が出てしまった。彼女は更にびくびくとたじろいて「す、すいません!」と大袈裟に頭を下げた。

「きょ、今日の昼前から具合が悪くなったみたいで……!四時間目が終わってすぐに早退したって……先生が言ってましたっ……」

 どうやら書庫の中に誰か教師がいるみたいだ。僕は肩を落とす。
 うん、それならいろいろと納得もいく。今日の朝、『あやめが昼休み図書室で待ってる』と言っていたのに筑紫が『今日は来なくていい』と言っていたのも合点がつく。

「あの……」
 
 目の前の図書委員の女の子がおずおずと口を開いた。あまりに怖がり過ぎじゃないだろうか。少し僕は傷付いた。

「うん?何?」
「何か言伝とかあれば私が代わりにあやめちゃんに言っておきますけど……」
「大丈夫だよ。ごめんね」
「は、はい……」

 では、とだけ言い残して彼女は逃げるようにカウンターへと戻って行った。僕みたいな善良な一般男子でそんなに怖がるなら、ド派手金髪二連ピアスのレンあたりと相対したらどうなるのだろうか。少し試してみたくもなったが、とにかく。
 あやめという女の子が早退してしまったのならば、今日の所は彼女に会うのは不可能だろう。まあやろうと思えば教師を適当に言いくるめて住所を聞きだせばいいのだが、それは倫理的にどうかと思うので実行はしないでおこう。明日彼女が学校に来ていればその時にでもいいだろう。

 そこで昼休みを終える予鈴が間抜けに鳴った。左手につけたジーショックを見れば五時間目が始まる五分前だ。机の周辺にたむろしていた生徒たちが気怠そうに立ち上がったのが見えたので僕も教室に戻ることにした。
 次の授業はなんだったか。確か古文だったような。だとしたら移動教室じゃなくてA組の教室で良かったっけ。

 じり、とした感覚。
 
 僕は動かそうとした足を思わずひっこめた。

「……なんだ?」

 一瞬横の方から視線を感じたような気がした。ねばりつくような、身の丈を越える巨大な舌に舐め回されるような、そんな感覚。
 いや、確かに誰かから見られていた。それもチラッと僕を見たとか、そんなものではない、凝視されていた。
 これは確証だ。
 横の方を見てみても、もう誰もいない。

「何なんだ一体……?」

 僕の横というと、ちょうどさっきの図書委員の女の子が入った書庫の方だ。もしかしたらあの図書委員が僕を見ていたのか、と一瞬思ったけど即座に否定できる。あの子の弱弱しい目つきではなかった。それより遥かに強い、確固とした感情を持って僕を見ていた、第三者の目だ。
 僕はあまり気にしないようにした。何か不気味だ。少しだけ背筋に冷たいものが通るのを感じる。後ろからぞろぞろとたむろっていた生徒が歩いてくる。通行の邪魔になりそうなので、僕も図書室の出口へと首をひねりながら向かった。