複雑・ファジー小説

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.21 )
日時: 2018/05/31 19:08
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

 僕は夢を見ていた。これは夢だ。明晰夢、というのだろうか。自分が今深い眠りの中にあって夢を見ているという自覚がある。
 河原を僕と女の子の二人で並んで歩いていた。カオナシさまの夢じゃない。女の子にはぱっちりとした目があって、すっと通った鼻があって、桃色の唇があって、栗毛色の短い髪が肩の上でゆらゆら揺れている。僕と彼女の二人だけがはちみつ色の月明かりに照らされていた。

 女の子の名前は今のところよく思い出せなかった。夢の中であるせいだろうか、頭にもやがかかったような感覚。

 だけどどこか懐かしいような、既視感のあるような、遠い昔からずっと一緒にいたような感じがする。

「ねぇ、博人くん」

 河原の道には、地面を隠すように草や花が茂っていた。蝶みたいな形をした菖蒲の紫色の花や、にょきりと顔を出す土筆。季節感はてんでばらばらだ。それらを踏まないように女の子はぴょんぴょんとジャンプしながら進んでいる。川には何も流れてないじゃないかと邪推してしまうほどに透き通った水がさらさら。

「この世界はゲームなんじゃないかって考えたことないかな?」

 僕は何も喋らなかった。声を発さなかった。それは別に不機嫌だったわけじゃない。女の子の話を聞いていたからだ。

「あっ、まずこの話をさせて」

 遠くにはリンゴみたいに赤い大きな橋が架かっている。だけど車通りは無い。人っ子一人として歩いてない。世界中に僕とこの女の子の二人しかいないみたいだ。それもいい。それでいい。この女の子だけいればそれだけでいいとその夢の中の僕は思った。

「先週さ、いとこの家に遊びに行って、最新型のゲームさせてもらったんだよ」

 空には今にも落ちてきそうなくらいに弱弱しい太陽。白色の月がそのすぐ横に寄り添っている。まるで僕と女の子みたいだ。現実の空がこんな風になったら誰しもが困惑するだろう。でも僕は、この光景が当然のように思えた。

「それがすごくリアルでさ、何ていうの?自分が映画の主人公になったみたいな気分なの」

 女の子があの空の中で泣きそうなくらいに光る太陽だとしたら、僕は月だ。あの月のようでありたかった。いつまでも寄り添っていたかった。

 そう思ったのは夢の中の僕だろうか、あるいは夢を見ている僕だろうか。
 そんなのどっちでもいい。
 またこうして会えたんだから。

「何でもできるんだよ、そのゲームの中。例えば大都会の中を散歩したり、スポーツできたり、車でレースしたり、それこそ——人を殺せたり」

 僕と彼女は適当な川辺の石に腰を下ろした。二人の間を赤いハート型の実を付けた一つのホオズキが隔てていた。彼女は靴と靴下を脱いで裸足になった。
清い水が何の音もせずに流れるその水面に脚を突っ込んだ。冷たそうに顔をしかめから、僕に向かって恥ずかしそうにはにかんでみせた。
 そのくしゃりと笑う顔が愛しかった。
 言葉にするのもおこがましいほどに──愛しかった。

「それでさ、思ったんだ。私たちが住んでいるこの世界も、本当はゲームなんじゃないかなってさ」

 裸足のまま女の子はすっくと立ち上がって、小石をその細い指で摘まんだ。空気みたいに透明な水面を見つめてからぽーんと彼女は石を川に放り投げた。ぽちゃんと水面が鳴く。真円状に波紋がふわりと広がる。
 一重。
 二重。
 三重。
 重なって、ゆらゆら揺らめいて、波を作って、やがて波紋は消えた。

「本当はこの世界はゲームで、私はそのゲームのキャラクターで、私以外の全員NPCなんじゃないかってさ」

 また彼女は石を投げた。軌道は半月の形になぞる。水面に入った時、今度はぽちゃんと言わなかった。
 カリン、と固い音。水面は石が投げ込まれたところを中心に凍りついていく。
 カチカチと閉じ込めるように凍結。
 パキパキと守るように氷結。
 瞬く間に川は凍っていく。
 今までしらしらと流れていた清い水はやがて動きを止め、僕の視界に入る全ての川幅は完全に凍りに覆われた。

「こう、三人称視点のゲームでさ、神様みたいな人が私たちを俯瞰で操作して。あ、こいつ今悲しんでるぞとか言いながらポテチとか食べながらげらげら笑ってるんじゃないかって思ったんだ」

 彼女は一歩足を裸足のまま前に繰り出した。何かの宝石のように綺麗に固まった川に、ぴたりと彼女の足の裏がつく。危なっかしくふらふらと両の腕でバランスを取りながら彼女はその氷の上を歩いていく。
 危ないよと、立ち上がって彼女に手を伸ばすのは簡単だろう。その華奢な体を支えてやることだってできるだろう。でも、彼女が僕に背を向けて歩いて行くのを、座ったまま眺めることしか出来なかった。

 指先一つさえ触れてしまえば、この夢が不意に終わってしまって。

 もう二度と彼女に会えなくなるかもと思ったのだ。

「最初の方はあたしも楽しかったんだけどさ、途中で何だか気分が悪くなってやめちゃったんだ」

 彼女はよたよたと進んでいく。
 僕は何も言えなかった。
 彼女が僕から遠ざかるのを黙って見ていた。

「私も博人くんもさ、他の誰だってそれぞれ性格があって、個性があって、人格があって、自分で考えて行動しているように思えるけど、実際それって神様みたいな人が付けた設定みたいなものだったりしないかな?」

 彼女はぴたりと立ち止まった。僕に背を向けて、後ろで手を組んで。

「全員に役割とキャラ設定が定められていて、運命なんてただの筋書きで、赤い糸なんてあってもそんなのはシナリオの中で。全部が最初から決まったもので、神様が全て操作してて」

 くるんと、彼女は僕の方に振り返った。

「博人くんは──」

 彼女の足元の厚い氷から、淡い緑色の可愛らしい若芽がにょきりと顔を出した。その近くから、また一つ、また一つと同じように小さい芽がどんどんと芽生えていく。そして目も眩むほどの早さで川幅いっぱいに張っていた氷の上は新緑の芽で覆いつくされた。その上に立っている彼女は僕につつましく笑いかける。それと同時に、視界中に広がった緑は一斉に目映いほどに黄色い花を咲かせた。
 
「博人くんは、どう思うかな?」

 彼女は僕に尋ねた。
 僕はゆっくりと立ち上がる。目の前に広がる黄色の絨毯に向けて、足を進める。一歩踏み出すごとにめしゃり、めしゃりと花の潰れる音がする。
 近づく。彼女と近づく。距離を狭める。少しずつ、少しずつ。
 手を伸ばせば彼女と触れ合えるほどに相対する。すぐそこにいるようで、膨大な隔たり。
 向かい合ってるからこそ、隣にはいられない。
 目を合わせているからこそ、彼女のことなんて、何も見えやしない。
 だからこそ、僕は──





「そんな悲しいこと言わないでよ、ともみ」




 夢の中の僕は、彼女の名前を思い出した。

「またこうして逢えたんだ。いつかみたいに、さ、もっと楽しい話しようよ」

 僕は言う。

「さよならがいつ来てもいいように、できるだけずっと僕の目の前にいてよ」


「あはは──」

 ともみは笑った。

「変わらないね、博人くんは」
「変わらないんじゃなくて変われないんだよ。どこにも行けないんだ」
「じゃあずっと一緒にいられるね、私もどこにも行かないからさ」
「そうだね、時間が許す限り。許してくれなくたっていつまでも一緒だ」
「いつまでっていつまで?この菜の花が枯れるまで?」
「いや、月が沈むまでだよ」
「それじゃ足りないよ、博人くん。この下の氷が溶けるまでいて欲しいな」
「そんなんじゃ足りないな、ともみ。どれだけの年月だって僕なら大丈夫だ」
「まだ足りないよ。私がお婆ちゃんになっても一緒にいてくれる?」
「当然だろ。僕らが死んでしまって、生まれ変わって離れ離れになってもすぐにともみを見つけ出すよ」
「あはは、やっぱり面白いね。博人くんは」

 ともみはやっぱり笑った。
 叶わない契り。誰かに決められたシナリオは、容赦なくそんな絆の糸なんて容易く引きちぎる。

「ねえ博人くん」
「なに?」
「みんなをよろしくね」
「どうしたんだ?皆って誰だよ」
「そうだね、いっぱいいるんだけど。灯とあやめかな?あの二人、すぐケンカしちゃうんだから」
「あー……、そうだね。僕がどうにかしとくよ」
「約束だよ?嘘ついたら針千本飲んでもらうよ?」
「そんなの飲み込んだら僕の体がただじゃすまないよ。指切りしよう」
「あはは、そうだね」

 ともみは笑ってから、その小さい小指を僕に向かって伸ばした。
 僕も彼女をまねてその指に手を伸ばした。
 そして。
 指と指が絡み合うことなく、ともみはふっと、煙みたいに、僕の目の前から消えた。