複雑・ファジー小説
- Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.3 )
- 日時: 2018/03/31 00:05
- 名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)
誘並市は東区永鳴。誘並駅からバスで30分ほど進んだところにあり、僕がこれから通う天照学園がある地域である。碁盤の目のように規則正しく区画された住宅街で、誘並中心部と比べて落ち着いた雰囲気が流れている。とは言っても、人通りはやはりそれなりに多く、4車線の道路を目まぐるしく車がびゅんびゅんと行き交っている。
バスは歩道橋の脇の停留所で緩やかに停まった。ここで降りる人は僕以外にいなかった。ステップを下りて地に足を付ける。海が近いのか、微かに潮の匂いがする。植えられているのはケヤキだろう、並木道が一本線上にずっと緑色に伸びている。
僕は軽く背伸びをした。あちらこちらの関節が悲鳴を上げている。出発地点の登潟からざっと三時間を要する長旅である。疲労が溜まるのも無理はなかった。ポケットの中のメモを取り出して見ると、どうやらここからもうちょっと歩くみたいだ。また移動かと思えば憂鬱にもなるが、残り僅かの辛抱だ。もう少ししたら文字通り足を伸ばして休めるだろう。
閑散とした住宅街を抜けて、やっとこさたどり着いた学生寮『飛想館』。いくつもの窓がついて白を基調とした、まるで安めのホテルのような外観。幹線道路から少し離れたところにあり、向かいにはコンビニが佇んでいる。ベランダには洗濯物や布団が干されてあるため、生活感は抜群だ。
僕は飛想館の入り口へと足を向けた。自動ドアの傍らには売切ばかり並んだ自動販売機。このご時世誰が使っているのだろう、年季の入った緑の公衆電話。一つ段差を上がった先にカーペットの床が伸びている。昇降口の向かいに木製の階段が見えた。
寮監室を覗いてみたけど日曜だからだろうか、人っ子一人いなかった。受付にも誰もいない。
僕の部屋は階段を上がった先にある211号室。有難いことに一人部屋だ。メモによると僕の親戚により入寮の手続きはとうに済んでいるらしく、勝手に部屋の中に入っていいようだ。
「勝手に入れって言われてもね……」
めちゃくちゃ気が引ける。
刑法130条。住居侵入罪。3年以下の懲役又は10万円以下の罰金。
なんか悪いことしてるみたいで後ろめたい気持ちになりながら、さながら気持ちは某スニーキングゲームの主人公である。端から見ればかなり挙動不審だったと思うが、幸いにもすれ違う人は誰もいない。
木製の階段を軋ませながら登り、フローリングの廊下を抜き足差し足で進み211号室の扉の前に辿り着いた。廊下の端には埃をかぶった消火器が置いてある。この飛想館は上空から見るとアルファベットのEのような形で、ちょうど一番上の横棒にこの211号室はある。
「……入るか……」
ドアノブに手を伸ばして捻る。鍵はかかっていなかった。ぎいっと音を立てながらドアを開けたら狭い部屋の中に知らない顔の男が二人見えた。
金髪と茶髪が二人肩を並べてソファーに座っている。
「お、来たかつっきー!待ってたぜー!」
金髪の方が手を上げたが、僕は聞こえなかった事にしてバタリとドアを閉めた。ドアの向こうから何か言うような声がしたが、僕はそれを無視してどういうことだと頭を抱える。
メモには確かに211号室と書かれているし、ドアの札にもちゃんと211号室と書かれてある。メモを何度も確かめながらここに来たため、この建物は指定された飛想館であることは間違いない。 そもそも一人部屋であるため中に人が居るのはおかしい。
何が間違っているのだろうかと僕が一人で悩んでいる途中で、向こう側から勢いよくドアが開いた。僕は思わずびくりとすると、さっきの軽薄そうな顔の金髪がひょこりと顔を覗かせる。
「おいおいおいおい何してんだお前は?ほら、早く入ってこいよ」
何で僕の部屋にいるのかとか聞きたいことはあったけど、半開きのドアの狭間から金髪の手がにゅいっと伸びて僕の手首を掴んだ。強い力で引かれ、問答無用で部屋の中に連れていかれる。意味が分からない、この人は何者だと脳内をぐるぐる回転させながら僕は玄関口で靴を脱ぐ。
簡素なキッチンとユニットバスの浴室に挟まれた気休めほどの廊下の奥に、一枚の扉が開いている。その奥のリビングにあるソファーに、肌が健康的な小麦色に焼けた茶髪の男が座っているのが見えた。
「11時に着くって月じいから聞いてたけど、結構遅くなったなー。まあ疲れただろ、ほら座れ座れ」
ドアのチェーンロックを掛けながら金髪が言った。遅くなったのは僕が誘並駅でバス乗り場を探すのに30分ほど彷徨ったのと、不思議な雰囲気の三つ編みの女の子にお守りを渡されたからであって。
というか月じいって誰だ。もしかして僕にメモを渡した親戚か。
僕はとりあえずボストンバックを床に下ろし、学習机のそばの椅子に腰かける。鍵をかけ終わった金髪が後ろからのそのそと歩いてきて、「ふー」と息を吐きながらソファーに背を預ける。
「あはは、びっくりしたッスか?」
ソファーに深々と座った茶髪がニコニコと笑った。朗らかな邪気の全くない笑みだった。
えっと、とりあえず。
二人の顔を見比べながら僕は言う。
「君らは誰だ?」
閑話休題。
「もう知ってるかも知んないけど、僕は月島博人。ムーンの月にアイランドの島、んで博士の人って書いて博人。よろしくね」
名前を聞くのはまずお前が名乗ってからだろ、と金髪が言って、自己紹介タイムである。お前僕のことを『つっきー』と呼んでただろうがと言いたくなったが、ノドの奥に飲みこんで、僕は自分の名前を名乗った。
月じいというのはやはりメモをくれた親戚だそうだ。もうちょっと細かくいうと、僕の祖父の兄だ。この誘並市在住、この天照学園においてお偉いさまと呼ばれるに相応しい役職に就いているらしい。僕の部屋に二人がいたのは単に月じい(この呼称は僕も使わせてもらおう)から荷下ろしを手伝ってと頼まれたからだそうで、それがひと段落付きのんびりしている最中に僕がのこのこやって来たみたいだ。清掃業者によって綺麗に掃除された室内。やや狭く見えたが、それは僕を含め男三人がこの部屋にいるからだろう。
「おっけー。次は俺の番かな」
金髪の方が待ってましたとばかりに口を開く。
「俺ちゃんは清水練示。レンって呼んでくれ。まあ仲良くやろうぜ」
金髪の方、レンは親指を立てた。僕の抱いた第一印象は、『何だか軽い男』だ。まずは目を引くその金髪、校則ガン無視の耳に開けたピアス。上背は僕より10センチほどは高いだろう高身長。派手な容姿ではあるが、そのフレンドリーさから見ると不良ではないのだろう。いかにも社交性抜群と言った感じだった。僕とは正反対なタイプである。
「ほらポチ、次はお前の番だぜ」
レンがソファーに座った茶髪の肩をポンと叩く。「おっけーッス!」と元気よく返事をして喋りだす茶髪。
「僕は犬飼圭。陸上部所属ッス!ポチって呼んで!」
犬飼圭、ポチはそう言った。こんがり陽に焼けた小麦色の肌。典型的な運動部員といった雰囲気。控え目に染めた茶髪。立ち上がった所はまだ見てないから言い切れないけど、身長は僕と同じかそれより低いかぐらいだろう。
六畳の部屋に三人が入っているので尚更狭苦しさが増している。窓際にはベッド。右の壁沿いには学習机があって、そこには登潟から持ってきた僕の本が既にずらりと並べてある。部屋の中央には丸くて小さい机とソファー。茶色の安価そうなカーペットの床。ちなみに三人の位置関係を説明すると、学習机のそばの椅子に僕がいて、ポチとレンはソファーに座っている。
「ってかよ、荷下ろしも疲れたぜ。だいたい本が多すぎだっつの」
ソファーの上で伸びをするレン。胸ポケットから青色のパッケージのタバコの箱を取り出して、
「あ、ここタバコいいか?」と僕に聞いた。
「駄目だよ」
「えーつれねーのー」
大人しく胸ポケットにタバコの箱をしまうレン。この部屋に入って来た時点でタバコの匂いがしなかったことから考えると、僕が来る前はタバコは遠慮していたらしい。殊勝なことだった。
「本当レンくんの部屋ってタバコ臭いんッスよねー!」
「うるせーぞポチい!お前の部屋だって獣くせえじゃねえか!」
「獣臭くはないッスよー!」
そう言いながらポチはレンの肩を拳を固めて殴った。殴られたレンはかっかっかと呑気そうに笑っているが、まずい。僕の部屋なのに僕がのけ者になっている気がする。
「二人は一年生?」
「そうッスよー!」
僕の質問にそう返すポチ。シニカルに笑いながらレンは言う。
「ははっ、当たり前だろ。この階は一年生しかいねえし」
「そうなの?」
「おうよ。だから部屋ん中で騒いでも先輩から怒られる心配はねえ」
「まあそうかもね……」
上からの来襲も十分考えられるけども。
「二人の部屋はどこなの?」
「この部屋の隣だぜ。俺が隣の212号室で、ポチが向かいの201号室」
「ふーん……」
「何だよつっきー、嫌そうな顔してんなー」
「嫌じゃないけどさ……」
読書してる最中に隣で騒がれるのはごめんだ。
「あ、つーかさー」
レンは扉の横の収納スペース、クローゼットの方を指さした。
「あそこの中に隔離したんだけどさー、あの黒色のデカい匂い袋、ありゃ一体何なんだ?エライ重かったし、何が入ってんだ?」
「匂い袋?」
何だそれは。僕が地元から持ってきた荷物はそんなもの無いぞ。
僕は椅子から立ち上がって、クローゼットをガバリと開けた。中には僕の愛用のアウターとか糊の効いた新品の天照学園の制服とかがかけられていて、その下には黒くて、大きいバックが鎮座している。
「ああ、それだよそれ。匂いがすげーんだよ。中に夏の高校球児でも入ってんのか?」
「寮に高校球児を袋に入れて持ってくる奴って怖すぎだろ…。剣道の防具だよ、防具」
剣道?とレンとポチの二人は首を傾げる。そう、剣道の防具だ。
大きいバックのひもをほどいて、中に入ってある無骨な防具を持ち上げて二人に見せる。
「剣道部に入るつもりでこの学校に来たんだけど。……そんなに臭かったっけこれ」
何を隠そう僕は、というか隠す気はさらさら無いけど、地元登潟では少々名の知れた剣道の選手だった。この天照学園は剣道の名門中の名門。超を付けて尚足らぬほどの超強豪校で、僕は推薦で合格が決まったのだけど、一身上の都合で入学が一か月ほど遅れてしまい、4月も下旬に差し掛かるこの時期に入寮に至った。
「あーそっか。ウチの学校の剣道部強豪だったッスもんねー」
納得いったとばかりにポチは頷いているが、対称的にレンは眉をひそめている。
「ちょい待ち、つっきー。確かに天照の剣道部ってめちゃめちゃ強かったけど、そりゃちょっと昔の話だぜ」
「昔?」
去年の高総体でぶっちぎりの全国制覇とかしてた記憶はあるが。
「あーそうかそうか、お前もしかして聞いてなかったって奴か」
レンは立ち上がって、僕の方に近づきながら言う。
「去年の三月だったか、なんか部内ででけー暴力事件が起きたっぽくてその責任で今はもう剣道部は廃部になったぜ」
「廃部?」
「そう、めちゃくちゃ鬼のように強い部だったって事は俺も中学ん時から知ってたんだけど、まさか無くなってるとはな」
「去年までいた部員は?」
「あーどうしても剣道したい奴は別の高校に転校したり、そんなにやる気なかった部員は違う部活に入ったりしたらしいぞ。今は5人くらいが剣道部の廃部の取り消しの為にいろいろ動いてるみたいだが……つーか大丈夫かお前?顔色すげえ悪いぞ」
廃部。
言わずもがな、部がなくなっていることを意味する。僕は何も聞いてなかった。呆気に取られる僕の肩に手を置き、レンは言う。
「悪いことは言わねえ、どっか別の部に入れよ。例えば軽音部とかで高校デビュー目指してみるとか?良かったら俺様がいる吹奏楽部で一緒に女のケツ追いかけようぜ」
「そういえばヒロくんと同じように剣道部の推薦で合格決まってた人が何人も入学取り消しにしたって騒ぎになってたッスねー」
さっきレンは三月に事件があったと言っていたが、丁度その頃の僕は『入学が一か月遅れた一身上の都合』でせわしなく悶着に追われていた。もしかしたら実家にその通知が来ていた上で失念していたかも知れない。
「まあつっきー、そんなに落ち込みなさんな。部活が学校生活の全てっていうわけじゃねえだろ」
「僕は特待入学組なんだけどね……」
僕は防具が入っていたバックを名残惜しくクローゼットの中に入れて、学習机のそばの椅子に座る。それをみてレンもソファーまで戻って腰を下ろした。
「剣道みたいな泥臭え青春送んないでさ、もっと楽しいことしようぜ!こうやって俺たちと出会えたことだしさ。あ、そういや連絡先教えてくれよ」
レンはそう言ってポケットから携帯を取り出した。最新型のiphoneのようだ。それを見てポチもスマホを取り出したので、僕もそれに倣い、二人の持っている携帯に表示されているQRコードを読み取る。
「お、来た来た。この『ヒロト』って奴だよな」
「そうそう、それだよ。」
新しい友達の欄に二人の名前が表示される。レンのアイコンはピースサインをした自撮りで、ポチのアイコンは夕焼けが沈む海の写真だった。
「うし、つっきーともライン交換したし、ちょっくら俺バイト行ってくるわ」
携帯をポケットに入れつつ、レンが言った。胸ポケットから煙草の箱を取り出したが僕に睨まれ、苦い顔をしながら戻す。
「バイト?」
「おう、学校にショッピングモールがあんだけど、そこのマックでバイトしてんだよ俺」
「ふうん……」
「めちゃくちゃ興味無さそうじゃねえか……。まあ、気が向いたら来てくれよ」
僕はマクドナルドの制服を着たレンがいそいそとポテトを揚げている姿を想像した。
「……似合わなそうだね……」
「何の話だ?」
「いや何でもない」
僕はそのイメージを頭を横に振って脳内から払拭する。暇な時に行ってみる価値はありそうだった。
「あ、僕も用事あったんだ」
「ん?ポチが何かあるって珍しいな」
「ちょっと誘並駅に行かなくちゃいけないんスよ。2時間ぐらいで済むんッスけど」
「ほー……」
まるで何かの動物のようにレンは唸った。何かに悩んでるような様子だ。
「ポチにつっきーの面倒みてもらおうと思ってたんだけどな。さあどうすっかな」
「別に僕はこの部屋の中で本読んでてもいいんだけどね……」
「ヒロくんは今から学校に行ってみたらいいんじゃないッスか?」
あっけらかんとした口調でポチは言う。
「明日から早速授業だし、通学路の下見がてら」
「ここから学校って近かったっけ?」
「ちょっと歩くだけッスよ!そんなに迷うような道じゃ無いッス」
「じゃあそうしようかな」
「そりゃいいや。んじゃ俺も心おきなく働けるってもんだ」
満足そうに頷くレン。
「今日の夜は空けといてくれよ。おススメの店で歓迎会するからさ」
「分かった」
僕は言った。
「んじゃ」と言って二人は部屋を出ていこうとするが、キッチンの前あたりで思い出したようにレンが振り返った。ポチはぎょっとした様子でレンを見る。
「そう言えばつっきーちょっといいか?」
「ん、何?」
「カオナシさまって噂、お前の地元でも流行ってたりしてたか?」
「……カオナシさま?なんだそれ」
聞き覚えの無い単語に僕は思わず眉をひそめる。
「あ、知らねえならそれでいいんだ。んじゃまた今日の夜会おうぜ。」
そう言ってレンは僕の部屋から出て行った。首を傾げながらポチも彼に続く。
二人が部屋を出ていくのを見送ったあと、僕は近くにあったボストンバッグを開いてお握りを取り出す。
その時に目に付いた、朱色のお守り。何となく僕はそのひもをほどいて、ポケットの中にお守りを滑り込ませた。