複雑・ファジー小説

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.30 )
日時: 2018/10/29 14:37
名前: 写楽 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)

 誰かが停車ボタンを押したみたいだ。やけに耳に障るチャイムが静かなバスの中に響いて、窓側のランプが淡い赤色に灯った。「──次はぁ、ソウシ公園前……ソウシ公園前に停車致します……」と張りのない運転手のアナウンスが流れると同時に、バスはじんわりとスピードを落とした。
 何円払えば良かっただろうか。正面の運賃表を目を細めて見ると、ちょうど五百円だった。そういえばこの前ポチやレンと共にここに来た時もワンコインだったことを思い出した。
 車窓には無数に連なるビル群と、携帯を手にし伏し目でトボトボ歩く人の群れが映る。都会の景色はどこに行こうがさほど変わらない。一見色鮮やかに見えても代わり映えしないその風景を、僕は揺れるバスの中からぼんやりと見ていた。
 やがてバスはゆったりと停留所に到着して、空気が抜けるような音と共にドアが開いた。席を立つと僕の他にもここで降りる人は何人か見受けられた。
バスを降りる。相変わらずうんざりするほど人通りが多い。川を流れる魚みたいに早足で人々が歩いていく。ドミノのように所狭しと並んだビル群と、暖簾がまだ下がってない居酒屋が目立つ。だけど、数日前にここに訪れた時と比べると、どこか雰囲気が違う。あの時は日が落ち切った後だったので、ネオンが怪しい光を放つ夜の街、といった感じだったが、今はどうだろう。すれ違う人も、顔を酒気で蒸気させたサラリーマンの姿は当然無く、家族連れや若い学生の姿が目立つ。
 少し歩いたほどのところに広めの公園が見えた。ここから見ても葉がついた桜の木や逞しい椚の木が植えられているのが伺える。この無彩色な灰色のビル街の中にポツンと現れた緑は、何故だかどこか作り物の様に思えた。勿論植えられているのは造木なんかではなく、紛いもない本物の木なんだろうけど、何でだろうか。砂漠で氷山を見るようなものだからだろうか。

 と、そこでポケットに入れた携帯がバイブしていることに気付いた。取り出して見てみると、登録したばかりの『菱鬼 灯』という文字が表示されている。僕は通話ボタンを押して、携帯を耳に当てがう。

「もしもーし!ちゃんヒロー!やっほー!」
「……」

 いつも元気だなぁ、こいつ。

「おーいちゃんヒロー!聴こえてるー!?」
「うん、聴こえてるよ。どうしたの?」
「まだバスの中だったりする?何時頃に着きそうかな?」
「いや、もう降りたよ。今──なんだったっけ……、何とか公園前って停留所で降りたんだけど」
「何とか公園……?ああソウシ公園か!あそこにあるカキ氷のお店凄い美味しいんだよね!練乳かけ放題なんだけどさ!」
「練乳……?」
「そうそう、その公園の端っこらへんにね!三百円でラーメンが食べられる屋台がたまに来るんだけどさ、ちゃんヒロお金あんま持って無かったでしょ?今度行ってみるといいよ!」
「ちょっと待ってよ。何で僕が金の手持ちがないって知ってるの?そんなこと話した覚えないんだけど」
「……」
「もしもーし?灯ー?」
「……」

 灯が黙ることなんて珍しい。珍しいということは何かを隠そうとしているということしか考えられない。

「……もしかして僕が倒れた時とかに財布見た?」
「つ、つくしんぼが悪いの!タクシーで帰ろうとか言ってちゃんヒロのカバンの中漁ってたんだよ!あたしは悪くないの!」
「……止めない方も悪くない?」

 ともかく。

「そういえば僕、不動心までの道忘れたんだけど、どう行けばいい?」

 別に僕の記憶力が悪いわけでない。灯のいる鉄板屋不動心は、この平阪地区の迷路みたいに複雑に入り組んだ路地をかき分けた所にある。一回行っただけでこの道を覚えられる人なんて何人いるだろうか。

「うーん……、今どこにいるっけ?あの公園の近く?」
「そうだね、今その目の前にいるよ」
「じゃあソウシ公園で待ってて!あたしが迎えに行くからさ!」
「うん、了解。……でも僕あそこの公園行ったことないよ?どこで待ってればいいの?あそこ結構広いっぽいけど」
「んー。じゃあさ、公園の中に石造りのスズメのモニュメントがあるんだけど、そこで待ち合わせしよ。あたしの背と同じぐらいだから結構目立つと思うよ」
「分かった。そこにいればいいんだね」
「うん!よろしくー!」

 そこで勢いよく電話が切られた。ツーツーと電子音が携帯から流れた。側面の電源ボタンを押してから携帯をポケットの中に入れる。
そうと決まれば、と僕は公園に向かう。さほど遠くはない。せいぜい五十メートルぐらいだろう。
歩車分離式の信号が青色になって、和やかな音楽が流れる。確かこれは『故郷の空』だ。間抜けとも言えるその曲調は、忙しないこの都会の景色とはあまりにもミスマッチで違和感が胸を占めた。しかしどうしてこう明らかに合ってないこの曲を選曲したのだろうか。スローテンポの曲だと信号無視が減って事故が減ったりするのだろうか。
 そんな取るに足りないような事を考えながら歩いていると、ソウシ公園にたどり着いた。少し濁った川を挟んだ先に、目に優しい緑色の芝生の広場が広がっている。園内を囲むように木々が植えられており、やはりこの街の中で独特な雰囲気を放っていた。まるでここだけ隔絶されているみたいだ。まるでカットアンドペーストで無理やり公園だけねじ込んだような、不自然な
 ソウシ公園はどう書くのだろうかと疑問に思っていたが、頭上の標識には『この先 相思公園』とある。
 木製の古ぼけた橋を渡って園内に足を進める。植え込みが両端を沿う御影石の通路。アーケード状に空を覆う木が日差しを隠しているためさっきよりも少し涼しい。
園内は余暇を過ごす人で賑わっていた。リードを繋いで犬を散歩させている女性に、ベンチに腰掛けて談笑しているカップル。ボロボロの自転車に乗ったおじいさんがゆっくりと僕の脇を通り過ぎていった。
 溌剌と輝く新緑は都会の薄汚れた空気を浄化する。乾いた風が運ぶ自然の匂いに僕は少し郷愁に駆られた。
 さて、灯が言っていたモニュメントはどこだろうか。僕は周りを見回す。真円状の芝生広場。そのちょうど中央の噴水の側に件のモニュメントは見つかった。

「……あれかな……?」

 大理石だろうか、白っぽい石灰性の台座に小さな鳥が二匹。灯の言っていた通り、確かに目立つものだ。しかし、すぐ近くにかなり大きな噴水があるためこっちの方が待ち合わせ場所には適しているだろう。近づいて見ると、灯はスズメと言っていたが、よく見たら違う。尾が長くて細いためこれはセキレイだ。

「ここで待っとけばいいか……」

 周りを見回して見るが灯の姿は見当たらない。もう少しで来るだろうしここから動かない方が良さそうだ。携帯の電源を付けてレンから来ていたメッセージに返事をしてから、モニュメントの台座に何やら文字が書いてあることに気付いた。この石造の説明をしているようだ。
 この誘並は、日本神話のイザナギとイザナミが最初に作った地だとされているようだ。この地で両神は婚約の契りを結び、幾多もの神を産んだのだが、その際イザナミとイザナギに性交の仕方を教えたのが、このセキレイという鳥だったそうだ。この伝承から日本各地でセキレイは神の使いだと言われている。相思公園というネーミングもセキレイの中国名である相思鳥から来ているそうだ。
 字が風化していてかなり読みづらかったが、内容を掻い摘むとこんな感じだろうか。他愛もないおとぎ話のようなものだ。確かセキレイは夫婦円満の象徴という話を聞いたことがある。

 と、そこで。
 石碑のちょうど横。視界の端で何かがふらっと揺れるのが見えた。
 思わずハッと顔を上げる。視界の端で揺れたそれが、どこか見覚えのあるものだったからだ。急いでモニュメントの向こう側を見る。

 黒い髪を後ろで三つ編みにした後ろ姿がスタスタと広場の出口に向かっている。その姿は僕がこの誘並に初めて来た日にお守りを渡した女の子によく似ていた。
 あの紙に書いてあったこと。『ともみ』という夢の中の少女。その全てをあの三つ編みの女の子が握っているんじゃないかと不確かな自信があった。

「ちょっと待っ……!」
「──ちゃんヒロー!」

 ちょうど走り出そうとした時、聞き馴染みのある声が後ろから聴こえて、バシっと背中を強く叩かれた。振り返ると、後ろにいたのはやはり灯だった。

「やーお待たせお待たせ!もうつくしんぼ店で待ってるよ!」
「……」

 横目であの三つ編みの後ろ姿を見てみると、少しずつ遠ざかっていく。

「ん?どうしたの、ちゃんヒロ?早く行こうよ!」
「……おっけ、行こうか」

 灯にあの女の子を話してもおそらく無駄だろう。僕は諦めて灯の横に並ぶ。

「ここ来たの初めてだっけ?いいところでしょ?」
「うん、そうだね」

 灯はご機嫌なようで僕の隣を跳ねるように歩く。後ろにいる三つ編みの女の子が口惜しくなったが、まあいいだろう。またいつか会った時にでも聞けばいい。