複雑・ファジー小説
- Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.6 )
- 日時: 2018/05/28 02:21
- 名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)
学生寮から1キロほど歩いた所に僕が通うことになる天照学園はあった。オープンスクールの時と入学試験の時に来たことがあったから、大体の場所は僕でも知っている。
僕が今歩いているのは、さっき降りたバスの停留所を通り抜けた直線の一本道を少し進んだところ。閑静な住宅街から少し変化し、賑わうような街の風景。交差点の信号が赤へと変わって、僕は律儀に歩みを止める。横断歩道の先で立ち止まっているスーツ姿の男性は少し所在なさげだ。先の車道にテールライトが何台も連なる。
新律狩通りと名付けられた大通り。脇にはまばらに駐車場が埋まった小さいスーパー。花屋にはチューリップが嘆いているように咲いている。春物の淡い色の洋服を展示したショーウィンドウに、頭からつま先まで情けなさそうな僕の全身が薄く映っている。ガラスの中の僕が何か言いたそうにこっちを見ている。目をそらす。
これから毎日徒歩でこの距離を往復するのはさぞかし骨が折れることだろう。自転車が必要不可欠である。レンのように僕もバイトしなければなとか思いつつ、足をせかせかと動かした。
等間隔に並ぶ電柱と信号機の行列を通り越して、たどり着いた校門前。奥にはどかんと四階建ての校舎が僕を威嚇するように佇んでいる。都会の学校特有の、ちょっと小洒落たような近代的な図書館のような外装。桜の木はすっかりと青い葉をその幹にまとっていたけど、僕の目に付いたのは学園前の風景では無かった。
少女。
制服を着た女の子がレンガでできた校門の塀にもたれるようにして本を読んでいた。
腰まで届くくらいの長めのポニーテールが風に吹かれて揺れている。角ばった眼鏡をかけた『これぞ学級委員長』みたいな知的な女の子。背は僕よりわずかに低いぐらいで、どうやら誰かを待っているような様子である。
読みふけっている本の表紙は僕も知っていた。恒川光太郎の『秋の牢獄』。
僕はその姿を見て、何故か先ほどのこうべを垂れたチューリップを連想して。
僕の視線を感じたのか、少女が顔を上げた。慌てて目を逸らそうとしたが、間に合わずに電球が点くようにぱちりと目が合う。
三白眼。優等生然とした彼女の眼鏡の奥の眼は、しかし恐ろしいほど鋭い。その鋭利な刃物を思わせる両目がまるで照準を合わせる様に僕に向けられる。
彼女は読んでいた本をぱたんと閉じて、ゆったりと僕の方に向かってくる。一歩、一歩と足を踏み出すたびにその結ばれた長い髪が、振り子のように左右に揺れる。辺りには僕とこの女の子の他には誰もいない。
「……」
僕と彼女以外の時間が止まったように思えた。葉桜が風にあおられ、はらと音が鳴る。遠くで鳴るクラクション。僕の眼前5メートルほどまで女の子はゆっくりと距離を詰めて、僕と向き合う。すっと女の子が息を吸い込む。
「人探しをしています」
まるでぴんと張ったピアノ線の様な凛とした声。この風の中でもはっきりと明瞭に、そのままの言葉で僕の耳まで届く。
「人探し?」
「ええ、少しお尋ねしたい事があるのですが」
「えっと、僕はここに越してきたばっかりなんだけど——」
「構いません」
食い気味に言われた。
風が吹いて僕の髪をめくる。彼女は眼鏡を中指で押し上げてから、僕に尋ねる。
「貴方は『ともみ』という名前の女の子を御存知ですか?」
その言葉は、まるで雨に濡れた衣服のように僕の中の何かにまとわりついた。まるで知らない内にできた傷口に水をかけられたような、そんな気分だった。でも、僕はこう答えるしかない。
「ごめん、知らないよ」
僕は答える。
「……」
と彼女は沈黙を返事とする。その無表情の鉄面皮が少し崩れたような気がした。残念がってるのか不満なのか失望なのか僕には判別できなかった。
「そうですか」
と言って彼女は距離を詰めてくる。何かしらの危害を加えて来るんじゃないだろうかと思わず身構えたが、僕の脇まで来て、ぴたりと足を止める。
「それではご機嫌よう。貴方に凄惨なる平穏と一摘みの数奇があらんことを」
そんな事を言って、彼女はすたすたと歩いて行った。僕の歩いてきた道へ消えていく。
彼女のそのスレンダーな後ろ姿が見えなくなって、「ふう」と僕は息をつく。緊張していた精神が弛緩するのを僕は実感する。
誘並に引っ越して来て一日も経っていない僕に聞いても無意味だろう。答えられるわけが無い。
と、そこで。
「おっと?」
僕の目が地面に落ちている何かを捉えた。近づいて手に取る。薄い紙の様な物。いや、こんな遠回しな表現をしなくてもいいだろう。これは栞だ。いかにも値が張りそうな、紫の花の文様。
「うっわ面倒臭いな……」
恐らくさっきの眼鏡の女の子の物だろう。本を読んでいた時に落としたのかも知れない。ぱっと後ろを振り向いてみたけど、もうその姿はどこにも見えなかった。
まあいいか、この学校の生徒なんだろうし、そのうちまた会った時に返せばいいだろう。
ラミネートフィルムで加工されたその栞を、僕はポケットの中に入れる。
僕は学校に向かうことにした。校門をまたぐ。私服姿で学校には立ち入っていいものだろうかと脳裏によぎったが、ここまで来て引き返すのは面倒だった。
広いグラウンドで野球部が練習しているのが見えた。どこかでテニスボールを打つ間の抜けた軽い音が聞こえる。
コンクリートで舗装された校舎前を抜けて。
そして。
学園敷地内の最果て、武道場の前で。
僕は白縫筑紫と邂逅した。
ところで『天は二物を与えず』ということわざがある。
まあ僕みたいなのが説明するべくも無いほど有名な言葉だけど、僕は一人だけ、天から二物も三物も与えられた、その言葉の範疇の外に位置する人間を知っている。
その名を白縫筑紫。才色兼備にして才貌両備に加え文武両道。具体的に言うと、その浮世離れした血の凍る様な美形。剣道の全国大会でベスト8に入るその腕前と、隣の県に住んでいた僕の耳まで「誘並に神童がいる」との噂が入るほどの出来のいい頭脳。まさに齢15にして人類の一つの完成形である。
何なんだよ。
お前が主人公しろや。
出る作品間違えてんだろ。
完全におまけなんだけど、彼の年子の姉もまた、剣道の有名な選手である傍ら、現役アイドルとして活動していると聞く。
何を間違えたのか、僕の様な量産型の人間と彼は繋がりを持っている。まあ普通に剣道の地区大会で知り合ったんだけど。彼とは地区大会の決勝で戦い、普通に僕の完敗だった。
ともあれそんな彼が、この天照学園のがらんどうの武道場の前で僕と再会した。
赤っぽい瓦の屋根。和風の趣が漂う木造の建物。
その下にこの世のものとは思えないほどの美少年、白縫筑紫は生け花のように佇んでいた。
僕は筑紫に「あれ?」と言って。
彼は僕に「やあ」と言った。
「奇遇だね月島くん。君もこの学校だったっけ」
「うん、ちょっと野暮用で入学が一か月ぐらい遅れて、やっと明日から登校」
「へえ、そうだったの」
筑紫はそう言って微笑む。ミロのビーナスも白旗を上げるほどの美しいスマイルである。黄金比という言葉は彼の顔面にこそ相応しい。
「筑紫はここで何してたの?」
「いや、大したことじゃないんだ。武道場の掃除だよ」
「掃除?」
「そうさ。いつでもここで練習できるようにね。……もちろん月島くんは剣道部が廃部になったっていうはなしは知ってるよね?」
「ああ、当たり前だろ?」
今日の今、先ほど知ったけど。
筑紫は武道場の扉の上の看板をゆるりと見ながら言う。
「悲惨で陰惨な出来事だったよ。剣道部に入部することを熱望していた僕からしても廃部もやむなしと言った感じだね。……だからこそ僕や——ちゃんは再建のために動いてるんだけど……。」
「ん?」
今何て言った?風が吹いて上手く聞き取れなかったけど。
訝しむ僕はよそに、筑紫は花のように笑って続ける。
「こんなところで立ち話もなんだし、どこか行かないかい?全中時代の積もる話もあるだろうし。」
「別にここで良くないか?」僕は武道場前の外階段を指さす。
「んん?月島くん、階段なんかに座るのかい?」
本当に理解できないと言った顔の筑紫。めちゃくちゃ育ちの良い人間だった。人間性までも僕の全敗である。
「あ、えっと。僕今日越したばっかりで旅疲れしてるんだよ。二時間新幹線に揺られたんだ。腰を下ろせればどこでもいいって感じ」
「それは良くないよ月島くん」筑紫は眉をひそめる。「『人間は考える葦だ』なんてジョークは言わないけど、自分の価値をみすみす下げるような真似はしない方がいいよ。何よりも君の品位を著しく低下させる行為だ」
「そこまで言うか……」
出会い頭に同い年から説教を受けた僕。コンビニでたむろしているヤンキーあたりに聞いてほしい言葉だった。
それに、と筑紫は続ける。「君がどう思うにしろ、僕自身の価値が下がるのは許せない」
「……。」
こんなキャラだったっけ、筑紫。まあ中学時代はそんなに深い話はしてなかったけど。
完全無欠。
最終完成。
僕みたいなまがい物とは——
僕はふとバイトに行ったレンを思い出した。
「じゃあ今からマック行こうぜ。この近くのショッピングモールで友達がバイトしてるんだ。」
「マック?」
おっと?
「マックって何だい?」
「えーっと……」
マジかこの人。
「Mac?」
「その発音だと確実にパソコンとかの方だ。そうだな……、ハンバーガーとか食べられるとこ」
「へえ、近くにそんなところがあるんだね。僕は知らなかったよ。美味しいのかい?」
お前ここらへんの出身だろ、と僕は内心毒づきながら「美味しいよ。筑紫の口に合うかは分かんないけど」と答えた。
「ああいいね。じゃあそこに連れてもらえるかい」
「オーケー」
まあマクドナルドがあるショッピングモールは校門の辺りから見えていたし、いくらここに来たばかりの僕と言えど迷うことはないだろう。
「そうと決まれば早速行こうか。僕も君が来る前に用事は済んでたし」
くるりと筑紫は踵を返してから、首だけ僕の方を向いて。
「あといろいろ月島くんに聞きたい事はあるからね」
にこりと笑った。それはうっかりしたら男の、同性の僕ですら見惚れてしまう程の笑みだった。