複雑・ファジー小説
- Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.8 )
- 日時: 2018/04/16 07:36
- 名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)
マクドナルドから出た僕と筑紫はその足で映画を見に行った。このショッピングシティツクヨミの一番上のフロアに映画館があるとか。どうしても筑紫が見たいものがあったので一緒にいったのだけど。ピエロが人々を惨殺していくホラー系の洋画で、昔に発表された作品のリメイクらしい。あまり映画を見ない僕でさえ知って居るような有名なタイトルだった。
「死ぬ!ホントに死ぬ!勘弁して!僕が悪かった!!うおおお!?腕がぁ!!」
冒頭から隣で美少年が引くぐらい怖がっていた。座席に縮こまるような体勢。めちゃくちゃ顔色が悪い。そんなに怖いなら見なきゃ良かったのに、と指の隙間から画面をチラチラと見ている筑紫を見て思った。大画面にピエロの顔が出てくるたびに、隣から「ひっ!」と小さい悲鳴が聞こえてくる。座席が振動しているのに気が付いて怪訝に思い、横を見ると筑紫がガタガタ震えていた。
一時間程経ち、エンドロールが流れ僕たちは席を立った。床には筑紫がひっくり返したポップコーンが散乱していた。照明に照らされたそのポップコーンはとてもとても哀愁が漂っていた。
紫色の唇をわなわなと震わせて、散らばったポップコーンを避けながら筑紫は口を開いた。
「……た、大したことなかったね……。つ、月島くんはどう思ったかい?」
「……」
何を言ってんのかこの男は。
それから歩きながら筑紫はいろいろな話を僕に聞かせてくれた。箱の中のカブトムシの話。重病に罹患したバイオリニストの話。そんな思考実験の他にも何気ない日常の話もしてくれて。
場面転換。
筑紫と別れて場所は学生寮、飛想館——……じゃなくて。
「ねえポチ」
「どうしたッスか?」
「このバスどこに向かってるんだっけ?」
「平阪ッスよー!」
「……」
そう言われても分かるか。
言わずもがな、歩道橋の下から出発したバスに僕たちは揺られていた。僕たちというのは僕とポチとバイトから上がったレンの三人。バスの一番奥、後部座席に座っているのでバスの揺れが激しい。
外はもうすっかり日は暮れていた。腕時計は8時30分を指している。窓の外ではぽつぽつと等間隔に並んだ街灯が流れている。夜道をとぼとぼ歩く年老いた老婆の姿。まるで鮮度を失ったエビみたいだと僕は思った。寮の前でスタンバイしていたレンとポチに行き先も知らされぬままこのバスに飛び乗ったけれど、僕の歓迎会でレンのおすすめの店に行くってことは聞いた。今は穏やかな住宅街の中を進んでいる。
そして田舎育ちの僕が驚いたのは夜になっても空が少し明るいことだ。目を凝らして見ても星は見えなった。ガタンとバスが大きく揺れて膝の上に置いていた僕の携帯が飛び跳ねた。慌ててそれをキャッチする。
「何ていう店に行くんだっけ」
「鉄板不動心っつーとこ」
僕の横、窓際に座って景色を見ているレンが答えた。疲労に満ちたような表情。
「俺ちゃんってさ誘並生まれ誘並育ちの根っからの誘並っ子だったりするだけどよ、小っちゃい時から通ってる店だ」
「へえー」
「誘並ってラーメンが有名だけどさ、お好み焼きも結構美味えんだ。お前がここに来た記念に連れてってやるよ」
「じゃあレンくんのおごりッスね!」
「うるせえぞポチ。あー疲れたー、マジ疲れたー、尋常じゃなく疲れたー」
「どうかしたの?」
あんまりにもテンションが低いのでちょっと心配になってきたので僕は尋ねた。すると、がばっとレンが隣の僕の頭に腕を回し、脇に抱えてきりきりと締め付けてきた。ヘッドロックの体勢である。こめかみが圧迫されてかなり痛い。
「お・ま・え・らがバカみたいな量のハンバーガーを注文するからだろうが!!ギャル曽根か何かか!帰れま10でもしてんのか!!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!だいたいあれはほとんど筑紫が頼んだものだ!!僕は関係無え!」
「うるせえ!!連帯責任だ!」
なるほど、マックでこっちをちらちら見ていたのは抗議の視線だったのか。まあそりゃあれだけ大量のハンバーガーを頼むと忙しくなるだろう。レシートの長さが尋常じゃなかった。
「あ、筑紫?筑紫っていうと白縫の筑紫か?」
レンは驚いたような声を上げてふっと腕の力を弱めた。これ好機と僕はヘッドロックからかいくぐる。
「そう、去年の剣道の全国大会でベスト8に入った白縫筑紫。知ってるの?」
「知ってるけど喋ったことはないが。昨日告った女が『ごめんなさい、私白縫筑紫くんが好きなの』っつってたから。あー!思い出すだけでイライラする!」
「そりゃ可哀そうに」
「今度見かけたらナイフで一突きしてやる。」
「可哀そうに!」
筑紫が。
「そういやポチ、お前今日何してたんだ?お前が誘並駅方面に用事があるって珍しいじゃんかよ」
これはレン。
「ただ知り合いに会ってきただけッス」僕の左に座ったポチは頭を掻く。「誘並に中学生時代の知り合いが来てたから会いに行ったんスよ」
「女!女か!?」
「そうだったら良かったんスけど……。」
「ポチって出身どこだっけ」僕は聞いた。
「僕は馬片ッスよ。わかるッスか?」
「あー、登潟と誘並の間だっけ」
と、そこで車内の耳障りな停車ベルが鳴った。どうやら窓際のレンがボタンを押したようだ。もうすぐ着くらしい。
やがてバスがスピードを落として道路の端に停車した。慣性の法則に従って緩い重力が体にかかる。運転手のやけに聴き取りづらいアナウンスが流れた。僕は立ち上がり、財布から500円玉を取り出して運賃箱に入れた。
「うわあこりゃまたすげえな……。」
バスから降りた僕は早速嘆息した。
目の前に広がっているのはネオンが眩く光る繁華街の景色だった。鮮明に目に映る橙色や青色の光。誘並中心部が高層ビルが建ち並ぶ昼の町だとしたら、この平阪地区は飲み屋や飲食店などが軒を連ねる夜の街と言える。僕の地元にはこんなところなかったので新鮮に思った。仕事終わりらしきスーツを来た人たちがふらふらと頼りない足取りで僕の横を通り過ぎる。町中にアルコールの匂いが立ち込めているようなそんな雰囲気だった。
「何ボケっとしてんだーつっきー。置いてくぞー!」
僕がこの風景に圧倒されている間にすたすた歩いていくレンとポチ。二人は人の多さに慣れているので楽なんだろうけど、今日田舎から越してきたばっかりの僕にとってはそう簡単にはいかない。幾度となく人とぶつかりそうになりながら二人に追いつく。
しばらくたわいもない話をしながら歩いて、細い路地に入って突き当り。
「あ、ここだここ」
ネオンの光に溢れるこの町の中で異彩を放つ、趣のある木造の少しさびれた建物。街路に置かれた木の看板には達筆な筆文字で『鉄板不動心』と書いてある。店の中から壁を通して騒がしい声が聞こえてくる。焦げたソースの匂いが鼻孔にふんわりと入ってくる。
「あ、予約なしの三名でー!」と早速店のドアをがらがら開けて指を三本立てているレン。一日目にして気付いたけど彼はかなりのせっかちな性格らしい。「ほら入るぞ」と手招きしている。
その声に応じて僕とポチも店内に入った。まるで時代の流れに逆らっているようなレトロな雰囲気。耳の欠けた招き猫とブラウン管テレビが小さな卓に置かれている。
「あ、いらっしゃいませーっ!」
カウンターの中で皿を洗っていた店員らしき若い女の子が小走りでこっちに向かってくる。
「二名様だね?じゃあこっちなんだよ!」
店員が前掛けで手を拭いてから奥の座敷を示す。年齢は僕と同じぐらいだろう。アルバイトの学生さんだろうか、まだ幼さの残る顔つき。少し既視感を覚えたけど気のせいだろう。
「よーっす!アッカリーン、久しぶり!」
途端にテンションを取り戻したレンが片手を上げた。店員らしき女の子も右手で手刀を作って敬礼する。
「練示っちおひさおひさー…っていうか先週あたりも来てたじゃん!そこのポチくんとー!」
女の子はびしっとポチを指さす。指さされたポチは少し照れくさそうな様子。そしてその横で所在なさげにしている僕に女の子はやっと気が付いたらしく「ん?」と目を細めて首を傾げる。
「あ、こいつは今日誘並に越して来た月島——」
「わあああああああああああああああああ!!!!」
レンが僕を紹介しようとしたが、叫び声を上げながら僕に女の子は飛びかかってきた。猫のように俊敏な動きだった。もしかしたら肉食動物だったかも知れない。ともかく物凄い勢いで彼女は僕の肩をがしりと強く掴んでがくんがくんと前後に揺さぶる。
「知ってる知ってる登潟の月島くんじゃん!!うわあああ!なんか見たことあるなって思ったら!!」
「ちょ待っ……、」
「灯ちゃんだよー!!覚えてるー!!?灯ちゃんだよーう!!!」
問答無用だった。暴れ馬に乗っているかの如く視界が揺れる。首が痛い。
「れ、レン!どうにかして!」
「お、おう!」
とりあえずレンとポチの二人がかりで無理くり引っぺがしてもらった。ようやく落ち着いた女の子に導かれて店の一番奥の座敷に着いた。畳が敷いてあってその真ん中に鉄板の付いたテーブルがある。奥の上手側に僕が座り僕の向かいにポチ、その横にレンが腰を下ろす。
「よっこらショコラティエー!」
何故か僕らに続いて、そんなことを言いながら僕の横に女の子が席に着いた。
肩に届くほどの長さの明るい茶髪。くるんとした瞳の童顔。こんな元気はつらつなテンションの高い娘、どこかで会ったら忘れない自信はあるけど、僕はこの子のことを知らない。
「やーホントは昼ぐらいにね!駅の広場で月島くんみたいな人とすれ違ったんだよね!」そう言って笑いながら手の平を合わせる。「でも誘並に月島くんがいるわけないって思って無視したんだよねっ!あ、ちゃんヒロって呼んでもいいかな!?」
「待て待て待て」
「んんー?」
不思議な顔をする女の子。いや不思議そうな顔をすべきなのはどちらかいうと僕だと思うんだけど。あと座るな仕事しろ。
「僕、君の事知らないんだけど、どっかで会ったことあるっけ?」
「うええ!?マジマジ!?ちゃんヒロってばあたしのことボーキャクの彼方!?」
女の子は大仰に驚いたような顔をする。両手で鉄板の付いた木製のテーブルをバンバンと叩く。
「酷いよ!あんまりだよ!!ディオニュシオス一世だよ!!」
「僕は走れメロスに出てくる邪知暴虐の王様か。…いやマジで覚えてないんだけど。登潟の人だったりする?」
「違うよ!!あんな縄文時代みたいな所に行ったこと無いよ!」
「縄文時代っていうな」いくら女の子でもぶっ飛ばすぞ。「名前教えてくれたら思い出すかも知んないけど」
「ミオニだよう!!」一層テーブルを叩く力が増した。今にも壊れそうな音を出して軋んでいる。「魅鬼灯だよ!アッカリーンだよ!!剣道やってたじゃん!!」
「剣道?」
少し脳内の海馬の中を遡ってみる。えっと、魅鬼と言ったら……。
中学時代。
ひらひら揺れる白い袴。
決勝戦。
「あー……」
「思い出してくれた!!?」
「うん」
僕は頷いた。
中学時代の地方大会。僕と筑紫が決勝で戦って僕が負けたあの試合だけど、その一方で女子部門の決勝も行われていた。一方が筑紫の年子の姉、蓬莱中学の白縫姫菜。そしてもう片方がこの当時絵殿中学の魅鬼灯。延長に延長が重なる接戦と激闘の末、辛くも白縫姫菜が勝利したんだけど。
「そりゃ分かんないよ。だってあの頃って君太ってたじゃん」
「それを言うなああ!!」
思いっきり灯から顔面を殴られた。それも普通の女の子の力では無い、剣道で全国級の腕前を持つ彼女のパワーである。ものすごい激痛が左目の辺りを貫く。向かいのレンとポチが驚いたような声を上げるのが聞こえた。
「酷いよ!あんまりだよ!!ナイアーラトテップだよ!!」
「僕はクトゥルフ神話に出てくる邪神かよ……。ごめん、今のは失言だった」
「それはさすがにデリカシーゼロなんだよ!!頑張って…頑張ってダイエットしたのに!!もうちゃんヒロなんて知らないよ!!タンスに足の小指ぶつけて死んじゃえ!!」
すげえ壮絶な死に方だ。
あまりに激昂して立ち上がった灯だったが、流石に周りの客からの視線に気づいたのか、壁に掛けられていたメニューをぞんざいに取って、乱暴にテーブルに広げた。
「じゃあこれメニューね!決まったら呼んでね!ちゃんヒロは天かすでいい?」
「いいわけないだろ」
「じゃあごゆっくりー!!」
小走りで厨房の方に戻っていく灯。鉄板不動心と書いたエプロンがふらふらと揺れていた。
「つっきーお前さぁ……」レンが頬杖を突いて言った。「モテねえだろ。」
「うるさいな……。レンってここの常連なんだろ。おススメは何?」
「やっぱ海鮮玉かなー。豚玉とかもうめえ。あとアッカリーンエターナルアルティメットスペシャル。」
「何て!?」
「ほらここ書いてあるだろ」
レンがメニューの端を指さした。見ると確かに筆文字で『アッカリーンエターナルアルティメットスペシャル』とある。他が麺玉とか焼きそばとか牛タンとかだから嫌でも目に入る。
「これ何が入ってんの?」
「アッカリーンがその時の気分でいろいろ持ってくんだよ。特に決まってねえな」
「今僕が頼んだら絶対天かすが来るぞ……」
「ちなみにこの前来た時はガリガリ君が入ってたよねー」
いかにもおかしそうにポチが言ったけど絶対美味しくないだろう。僕が海鮮玉に決めたので二人も同じものにした。
「そういえばレン。ポチでもいいけどさ、面影神宮ってどこにあるの?」
僕が尋ねると、レンが不思議そうな顔をしながら答える。
「面影神宮?誘並駅からちょっと歩いたとこにあるけど。観光にでも行くのか?」
「うん、ちょっと行って見たくてさ」
「あー、じゃ今度三人で行くか!いいよなポチ?」
「いいッスね!賛成ッス!」
とポチが親指を立てたところで灯が近くをふらりと通る。レンがおーい!と呼びかけて灯は振り向いた。
「アッカリーン!!海鮮玉三つと生ビール三つ!」
「はーい!海鮮玉二つ、生二つ、紅ショウガと泥水ねー!」
「……」
店員にあるまじきことを言う灯に、少し僕は肩を落としつつ、メニューの端のドリンクの欄を意味もなく見つめた。