複雑・ファジー小説
- Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.9 )
- 日時: 2018/04/16 07:46
- 名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA (ID: 7/g4bQJJ)
結果としては、紅ショウガと泥水は出てこず、海鮮玉はとうに僕たちの胃の中に入った。誘並市は海に面した街で、海産物は豊富。エビや貝をはじめとして、名前も知らないような魚の切り身が入っていた。ソースが焦げた香ばしい匂い。お好み焼きの他に焼きそばや焼き鳥も頼み、その全てを平らげ、テーブルは空いたお皿で埋まっている。
「食らえワンコロぉ!スーパー犬殺しパニッシュメント!!」
「うわああ尻尾が生えるッスーっ!!」
「……。」
普通に未成年飲酒。二人は湯水のようにアルコールを摂取し、熟れたリンゴのように真っ赤に染まった顔。レンがタバコを吸っているため辺りは少し煙たい。僕は度数の少ないお酒を数杯飲んだだけで今はオレンジジュースをちびちび飲んでいる。いや大丈夫なんだろうかこの店。近い将来警察にしょっ引かれたりしないだろうか。木目の目立つ年季の入ったテーブル。今までどれだけの人がここで時間を過ごして来たのだろう。くぐもったラジオの音声と僕の向かいで騒いでいるポチとレンの声が重なる。
「やっほー、ちゃんヒロー!」
そうこうしているうちに再び僕の横に灯が座った。手には赤っぽい物が入ったコップを持っている。
「さっきは殴っちゃってごめんねー!謝りに来たよー!」
「いや、別にいいんだけど。…っていうかそれ何?」
「カシスオレンジ!」
「僕にくれるの?」
「んなわけ無いじゃん!あたしが飲むんだよ!」
「……」
めちゃくちゃ不真面目な灯だった。見ると彼女も少し顔が赤い。
「ふい—、さてさて、元気いっぱいなあたしはちゃんヒロに質問なのです」
カシスオレンジを一息に飲み干した灯。
「何で今になってこの誘並に来たの?転校?」
「いや、ちょっといろいろあってね。入学が一か月遅れたんだ」
「あれ?高校どこなの?天照?」
「そう、天照学園だよ」
「あ、じゃああたしとおんなじだね!」いかにも光栄とばかりに両手を合わせる。「っていうかいろいろあったって何があったの?」
「何でレンにもポチにも教えてない事を君に言わないといけないかを教えて欲しい。」
「酷いよ!あんまりだよ!!サカキさまだよ!!」
「僕は初代ポケモンにおけるロケット団のボスかよ」
持ちネタかそれは。さっきから文学上の悪王だったり空想上の邪神だったりゲーム上の悪役だったりで節操が無い。
「いーじゃんいーじゃん!隠すようなことでもないでしょー!」
「かと言って言いふらすようなことでも無いんだよ」
「絶対。ずえーっっったい誰にも言わないから教えてよー!」
「……」
まあ言ってもいいか。ポチとレンは酩酊状態だし。僕もアルコールが回って気分がいい。
「飛行機事故」
「うえ?」
僕は言う。
「飛行機事故で家族が僕ともう一人残して皆死んじゃったんだ」もう一人も既に死んでいるようなものだけど。「離陸に失敗して大爆発したんだっけ。乗客も乗員も根こそぎ全員死亡したぐらいのデカい事故だからニュースにもなったんだけど見たこと無いかな?」
「え、待ってそれって——」
「僕には望と祈っていう二人の妹がいたんだけど、望が当日に熱出しちゃって急遽僕と望はキャンセルして、二人だけ生き残ったんだ。あいつに感謝しないとだね。」
「じゃあその望ちゃんは今は——」
「地元に残ってるよ。連絡してないけど」
「そうなんだ……」
一気にテンションが低落したような灯。ふとレン達の方を見ると二人ともテーブルに突っ伏していた。ポチに関してはいびきをかいている。もう酔い潰れたようだ。鉄板の電源を落としているにしても余熱で暑くはないのだろうか。
「ごめんねー!無理やり聞いちゃってー!言いたくなかったよねー」
「うん。言いたくなかった」
別に言いふらすことでは無かったけど。
言ったら言ったで雰囲気が台無しになるし。
こんな話、笑顔で聞ける奴なんていない。
ほら。そんな顔をするな。
同情でさえ不愉快だ。
「じゃ、じゃああたしに何か聞きたいこととかある!?あ、セクハラはあきまへんで!」
「灯はここでバイトしてんの?」
「あーそこ聞くんだね…。——や、ここあたしのおとーさんがやってるお店で。その手伝いやってるの」
「ふーん……」
「興味が無さげ!!」
灯はばんとテーブルを叩いた。どうやら感情が高ぶると手近にあるものを叩く癖があるそうだ。アルコールが入っているので尚更である。
「っていうかさ!ていうかさ!今うちの高校剣道部無くなってるじゃん?あれだったらあたし達の同好会に入らない?」
「あー……」
そういえば筑紫も灯の名前を出していたっけ。あの時は完全に魅鬼灯という存在を失念していたけど。もしかしたら筑紫の言う『あやめちゃん』という人ももしかしたら著名な剣道選手なのかも知れない。
「ねえ灯。『あやめ』っていう人ってどんな人なんだい?」
「あたしの質問に答えないんだね!」
テーブルがまた派手な音を立てる。軋む。この年季かなり古そうだしもうすぐ壊れるんじゃないんだろうか。
「同好会に入るかはまだ決めてないよ。ほら、次は灯のターンだ」
「何か雑じゃない?えっと、あやめん……、あやめちゃんね、何ていうか『怖い人』だよ!」
「怖い人?」
「そう、えっとねー、何か定規で書いた直線みたいな人だね!」
そりゃまた変な比喩だ。
「その人って剣道の経験者だったりするかい?ほら、灯みたいに中学の地方大会とか全国大会で会ってたりする?」
「うーん、会ってないと思うよ!」灯はかぶりを振る。「あの人未経験者だし。中学は誘並の蓬莱中学で、文学部だったと思うよ」
「ふーん……」
蓬莱中学だったら筑紫や姫菜と同じ中学か。筑紫が『あやめちゃん』と僕が知り合いみたいな言い方するから紛らわしいことになっている。この調子だとその『定規で書いた直線みたいな人』とニアミスするかも知れない。
「っていうかよくあやめんの事知ってたね!誰に教えてもらったの?」
灯はポチの方にあったビールジョッキを自分の方に寄せながら首を傾げる。そちらのポチとその横のレンと言えば引き続きいびきをかいている。
「筑紫に聞いたんだ。君とか姫菜とかが剣道部の再建を目指して頑張ってるって」
「いや特に何もしてないんだけどねー!」
言って灯はぐびぐびビールを飲む。いい飲みっぷりだ。「姫っちょも同好会はともかく学校にも滅多に来てないみたい」
「そうなのか?」
「うん。ほら、あの子アイドルやってるじゃん」
「あー……」
この誘並発祥の8人ダンスアンドボーカルグループ、有体に言うとご当地アイドル。その名を『Azathoth』。そのグループに筑紫の年子の姉である姫菜は中学の時から所属している。僕はあまり詳しくないのだけど、今をときめく超大人気のグループらしい。その名声は誘並に留まらず全国の津々浦々まで轟いているようだ。
「姫っちょみたいな可愛い女の子がねー!本気出してあたしたちに手伝ってくれたらいいんだけどねー!例えばさ、学校のお偉いさんにすっぽんぽんで土下座とかしてくれたら一発じゃん!?」
「馬鹿なことを言うな」
「あたしだとほら、そうはいかないじゃん!?」
「まあそりゃそうだね」
「否定してよ!!!」
灯は空のビールジョッキを思いっきり振り上げて僕の頭を勢いよく殴った。側頭部に鋭い衝撃が走る。完全にデジャビュである。今回は道具を使った上、酔いが入り力のストッパーが外れている故にめちゃくちゃ痛い。理不尽。
ジョッキは割れてないし僕の側頭部から血が出てないことから、猫の額ほどは手加減したみたいだけど。
「酷いよ!あんまりだよ!!メフィストフェレスだよ!!」
「僕はゲーテのファウストに出てくる高名な悪魔じゃねえ……」
「女心を察してよ!このデリカシーマイナス273℃男!ちゃんヒロなんて深淵の見学中にあちら側に飲まれちゃえばいいんだよ!」
「それはニーチェじゃなかったっけ……」
ごっちゃにするな。僕もうろ覚えだけども。意外と灯、博学である。
「いや、ていうか灯は厨房とか手伝わなくていいの?」
「うるさいっ!ちゃんヒロが働けっ!」
「理不尽だなぁ……。」
ふと周りを見ると、この店内にいるのは僕たちだけだった。やけに周囲が静かだと思ったら他のテーブルにいた客はもう帰ったみたいだ。そりゃ灯もサボるわけだ。腕時計を見ると時針が10の数字を示している。
「うわっ、もうこんな時間かよ……。」
僕は立ち上がって、皿の山の中に埋もれるようにして寝ているレンの肩をテーブル越しに揺する。金髪の先にマヨネーズが付着している。
「ほら、レン、ポチも。もう10時だ。起きろ帰るぞ。」
「むにゃぁ………、もう飲めねえよ……。」
「ベタすぎる寝言を言うな。」
明日学校だろうが。寮の門限は12時だから少し余裕があるけど、早めに着いた方がいいだろう。
「灯、勘定お願い。あとタクシーで帰るから大通りまでポチを運んでくれる?僕がレンを運ぶから。」
「あ、おっけー!」
財布と携帯をポケットの中にあることを確認してから僕は立ち上がった。
まずは僕が通路側にいるレンに肩を貸して、灯も僕に倣ってポチを軽々と持ち上げる。しっかりとした足取りで出入口の傍らまで行って、和風な店の内装にそぐわないハイテクそうなレジを灯は片手で操作する。
「お会計が12300円になりまーす!」
「…いやに高くないか?」
僕は財布を取り出しながら辟易。確かに二人は暴飲暴食の限りを尽くしていたけど、そんなに食べた覚えが無い。
「うーん?都会だからこんなものだよー?」
「もしかして君が飲んだカシオレもこの中に含まれたりしない?」
「ぎくっ」
「ぎくって言ったな今!」
まあ灯が飲んだ分は12000円の中だったら微々たる数字だろう。また殴られるのはご免なので僕は大人しく財布を開いた。レンを脇に抱えながらがらりとスライド式のドアを開けて、外に出た。外気は春の温度。アルコールで火照った体には心地良かった。僕の後ろにポチを背負った灯が付いてくる。
「ごめんね、重くないか?」
「ううん、めっちゃ軽いよ!」
灯はかぶりを振る。流石は元全国大会出場者。女の子にしてはかなり鍛えている方だろう。
大通りまで出て、タクシーが来るのを少し待つ。やがて僕らの前にタクシーがゆるりと止まり、後部座席に二人を荷物のように投げ込む。
「じゃあねー、ちゃんヒロ!また来てねー!」と灯は言いながらタクシーに乗り込もうとする僕に手を振る。
「うーん、二度と来ないかな。」僕は助手席に座る。
「ひ、酷い!あんまりだよ!」
「僕は天邪鬼でね、来いって言われたら行きたくなくなるし、来るなと言われたら行きたくなるんだ」
言って。僕は片手を上げた。白髪交じりの妙齢のタクシー運転手に永鳴の飛想館まで行くように告げる。「かしこまりました」と運転手は低く返事をした。やがて緩く体に重力を感じながら僕は少し感傷にふける。
遠いところまで来た。
登潟から一つ県を越えて誘並。
新しい環境。
変な夢。
存在しないはずの面影神宮のお守り。
後ろで寝ている両隣部屋の住人。
中学時代の剣道の知り合いの筑紫、灯、そして姫菜。
僕が入学が遅れた理由を知っているのは親戚の『月じい』とその孫、僕からしたら従妹に当たるところの憩、それと筑紫とさっき口を滑らせた灯、あとはせいぜい学校の教師ぐらいだろう。
車内はぼそぼそとラジオの音声が流れるだけで、運転手は何も喋らなかった。
窓の外を眺める。
空は夜なのに微かに明るくて。
星も月も見えなかった。