複雑・ファジー小説

Re: Re:Logos ( No.5 )
日時: 2018/01/31 12:22
名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: 7WA3pLQ0)

 身動きが取れなくなったLAVが声一つ挙げず、止まっていた。運転席に座り込む死体は、自分の愛車から離れようとせず、強化ガラスで作られた窓から暗がりを黙したまま睨み付けている。
 そのLAV上部に取り付けられた機関銃席の中に座り込んだ、青年は胸の前で十字を切った。残弾は残り少ない上に異形の化物達が何処まで迫っているか分からない。今から一秒後、一分後、いつ訪れるか分からない死という物が目の前をチラホラと反復している、そんな状況に苛まれ、腹の中で何かが蠢き気分を害してくるのだ。

「イッスンサキはヤミって奴ですね。この状況」
 と、余り抑揚のない声で、客観的に呟く女に青年は辟易とした様子で視線を送った。外部のカメラと通信機を復旧させるために、彼女は先程から新たに電路を引き直しているが、一向に終える様子はない。だというのにこの軽口、命の危険に脅かされているという実感はないのだろうか。青年は苛立ちを隠せずに、機銃席の窓を蹴り付けた。強化ガラスで作られたそれに皹が入るはずもなく、ただ足に走る鈍痛に顔を顰める。

「陸、余りカリカリするものではない。そこにレーションがあるだろう、少し齧って落ち着き給え」
 そう静かな口調で語りかける男性型オートマタが一人。柔らかな口調に反し、彼が傍らに抱く短機関銃はセーフティが外され、いつでも撃てるような状況にあった。彼と向かい合うように座る女性型オートマタもそうだ。苛立っているのか、眉を顰め、膝に置いた自動小銃のセーフティは外され、引き金に指が掛けられていた。

「……ヴァルトルート、まだ終わらないのか」
 言葉は静かだが、微かに怒気を纏うような言葉で女性型オートマタは呟くようにいう。ヴァルトルートと呼ばれた軽口を叩く女は、返答せずに軽く肩を竦め、ニヤっと小さく笑って、再び電路を引くため電線を手に持ったまま、座席の下へと潜っていく。

「何が面白いんだ」
「いや、ブッチャケね、オートマタも死ぬのが怖いんだなぁって」
 オートマタは二人居り、彼等の反応は二様だった。片方は死など恐れるものか、恐怖は唾棄すべきもの。恐怖こそが死を招くと笑う。もう片方は死は恐れるべき代物、生こそ至上。死は徹底的に忌憚しなければならない代物。己の死も、他者の死もだ、と悪態を吐くのだ。

「フルート。悪態付くならハルカリから破壊許可は出てるからね」
 そういう女の手には小さなリモコンが握られていた、それを見せつけるなりフルートと呼ばれた女性型オートマタは悔しげな表情を浮かべながら、覗き窓から外を睨み付ける。高度な意思を持つ故、人間に逆らう事があった際の措置の一つ、それにはどんなオートマタとて逆らう事は出来ない。

「いやはやハルカリも容赦がない事をするもので」
「鬼の四科長だからねぇ。自分の生態反応がなくなったら、オートで自爆するような機構を付けてるし」
「なんともまぁ」
「や、嘘だけどね。マジで。……よしっ、こんなもんかな」
 最後の電線を繋ぎ終え、ヴァルトルートはニィっと笑みを浮かべ、スイッチに拳を叩き付けるようにして、電源を入れる。一瞬、カメラにノイズ混じりの映像が付くも、次第にノイズは安定し、外の状況を見る事が出来た。

「……なるほど。これは酷いものですな」
 カメラに写された映像を見ながら、アサシグレは呟くように言い放った。食い散らかされ、既に原型を留めない死体と、破壊され既に活動を停止したオートマタの残骸が辺りに散らばっている。薄暗い地下の中でも分かる程に、赤く染まった光景に陸は息を飲み、得も知れない恐怖を抱いた。自分は人の為に命を捧げると誓ったはずだ、それなのに、何故ここまで恐れるのか。何故、こうも死という物が恐ろしいのか。いつの間にか、左手が小さく震えていた。

「陸、撤収するぞ。俺がアロイスの死体を下ろしたら、そのまま運転する。陸はそのまま銃座に居てくれ」
 ふと、アサシグレが静かに語り掛けた。現実に引き戻された陸は小さく頷き、鋼鉄の壁に囲われた銃座から外を睨み付ける。暗がりの中に何かが蠢いているが、中でカメラを睨んでいるであろうヴァルトルートから特に何も注意はない。
 アサシグレの手で車外に放り出されたアロイスと呼ばれる男の死体が、ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていくが、死した彼に思いを馳せる余裕もない。何とかして生きて帰らなければならないのだ。
 出来る事ならば、化物と遭わずに済めば良い。そう胸の前で拳を握り締め、暗がりに視線を向けていた。



 唸るエンジン音に紛れて、時折聞こえる何か別の生物の咆哮に陸は苛まれていた。耳に入るたび、銃座を回転させてその方向を見遣るが何の姿も見えない。舌打ちをし、悪態を吐きながら、温くなってしまったスポーツドリンクに口を付ける。極度の緊張から喉が乾いていたのか、嚥下音が周囲に聞こえる程、大きく鳴っていた。
 誰もその事について、言及する事はなく、気恥ずかしげに車内に視線を送るが、先ほどまで軽口を叩いていたヴァルトルートも真剣な様子で、カメラで外部の様子を見遣りながら、通信機を操作しながらアガルタとのコンタクトを取ろうとしている。尤もそれは成果を結ばないらしく、苛立ちを隠しきれずに車体側壁を安全靴で蹴っている。使い古し、靴先のゴムが剥げているせいで、金属同士がぶつかる鈍い音が響いていた。

「ブッチャケ、無線機壊されてるっぽい」
 陸の視線に気付いたのか、肩を竦めながら彼女は言った。銃座に戻り、ぐるりと一回転してみるが確かにアンテナらしき物はない。いつの間に破壊されたのだろうか。

「さっきまではノイズ混じりに動いてたんだけど、今まったくダメなんだよねー」
 ヴァルトルートのその言葉に一抹の不安を覚えながら、陸は銃座へと戻り、またスポーツドリンクに口をつけた。身体に沁みる。オートマタはこの感覚が分からないのだから、損をしていると思ったその時だった。ゴトリ、ゴトリと銃座の真上で物音がしたのだ。凍り付いたような表情を浮かべながら、真上を見上げる。スポーツドリンクのペットボトルが手から滑り落ち、背筋を走る悪寒に苛まれる。

「上に何かいる」
 流石に鋼鉄の装甲を突き破る事はないが、もし上にいる何かが運転席側に回り、アサシグレを攻撃したならば一貫の終わりだ。もれなく全員死ぬ事だろう。陸の言葉を聞き取ったフルートが眉間に皺を寄せたまま、自動小銃のセーフティを外し、リアサイトから照準器を取り外す。近距離で撃つ場合は、照準器がない方が撃ちやすいのだろう。

「まだ撃つなよ、台風娘」
 そう運転席からアサシグレが言う。台風娘と呼ばれたのが不服なのか、フルートは今にも噛み付きそうな表情でアサシグレを睨み付けたが、同時にヴァルトルートがリモコンをチラつかせ、事なきを得た。確かに自動小銃の弾ではLAVの装甲を抜く事は出来ない。百歩譲って、装甲を抜き、上にいる何かに弾を当てれても致命傷にはならない。第一、貫通できなければ車内で銃弾が飛び交ってしまう。

「ハルカリみたいにミニガン持ちなよ。7.62mmばら撒いたらブッチャケ快感だと思うよ?」
「……持てない」
「あっそ」
 他愛もない言葉を交わすヴァルトルートだったが、外部のカメラを操作するその手は微かに震えている。緊張と焦りからによるものだろう。一刻も早く上に乗っている何かの正体を暴く必要がある。

「三人とも、対ショック姿勢を取ってくれ。一旦上から振り落とす」
 そういうアサシグレは前も見ずに、ハンドルに伏せている。ちょっと早いのではないのだろうかと思いながらも陸は後部の座席に捕まり、頭を伏せる。ヴァルトルートもそれに習い同じような体勢を取った途端、アサシグレが急ブレーキを踏み込んだ。
 車外と車内で何かが転がっていく音が聞こえ、すぐに頭を挙げ銃座へと陸は戻って行く。一瞬視界の端に移ったフルートが助手席と運転席の間に頭から突っ込み、挟まっていたが言及する暇などない。止まった車体前部に転がる、人の形をした何かを見据えるなり、陸は機関銃の引き金に手を掛ける。ライトに照らされたそれは醜悪なもので、思わず目を覆いたくなるような代物だった。
 額は突き出、瞳は窪みながら真っ赤に光り輝いている。口はだらしなく開かれ、複数の舌のような物が垂れ下がり、その中から卸金のような刃が無数に覗く。やや猫背気味で正確な背丈は分からないが、180cm程はあろうか。まるで急激に痩せた元肥満の人間から垂れ下がるような皮膚、そこから覗く樹木の蔦のような何かが蠢いていた。

「——陸ッ!! 撃て!!」
 醜悪なそれに視線を奪われ、引き金を引けずに居たが、車内で吼えるアサシグレの声に我に返り、引き金を引く。14.5mmの巨大な銃弾がその醜悪な身体に吸い込まれ、肉の欠片と真っ黒な血が散らばり、辺りを汚していく。断末魔の叫びを挙げる間もなく、原型を失ったそれを銃座から見下ろしながら、陸は小さく溜息を吐いた。同時に何事も無かったかのようにLAVは走り出し、散らばった破片を踏み潰す。

「化物には先制攻撃。さもなくば死ぬか、サックウェルみたいにスカーフェイスになってしまうぞ」
「五科長はアル・カポネなのかい?」
「梅毒で死にやしないけど、ロクな死に方しないのは確かだね。マジで」
 本人の居ない場所で彼女に対する揶揄をそれぞれ口にし合い、和らいでゆく空気に陸は胸を撫で下ろした。

「にしても、もう俺達、MIA認定されてそうだよね」
「……まぁ、してるだろうな。次の補充を要請するために。あの女はそういう女だ」
「へぇ、結構辛辣な評価じゃん? ブッチャケなんかあった? 」
 やや俯き加減で語るフルートの顔を覗き込みながら、ヴァルトルートは問う。近すぎる顔に気付き、それを押し退けながら淡々とフルートは語り始めていた。