複雑・ファジー小説

Re: Re:Logos ( No.6 )
日時: 2018/04/20 15:01
名前: noisy ◆7lGlqurDTM (ID: eldbtQ7Y)

 バンデージに覆われたミイラのような女が頬から大量の血液を垂れ流す。その女は自動小銃を掲げ、静かに歩んでいた。。白いワイシャツは所々が焼け焦げ、その下から薄っすらと血が滲んでいる。その後ろを同様の足取りで歩む、フルートは複雑な表情を浮かべていた。その理由は辺りに斃れる同胞達の屍、そして生き残った彼女の怪我の具合を案じてだった。

「何をしている。フルート、さっさと戻るぞ」
「……あ、あぁ」
 研ぎ澄まされた鉈の刃先のような鋭く、どこか据わった瞳を向け、彼女はフルートを睨み付けた。斃れた死体に対し、動じる事もなくそれを然も当然のように跨ぎ、目もくれようとしない。死を悼む事すらなく、表情は一つも変わらないのだ。彼女が興味を持つのは死体となったかつての仲間が遺した、まだ使える小銃と銃弾だけだった。時折、しゃがみ込みそれらを拝借する彼女に対し、一抹の不快感を抱く。まるで死肉を啄ばむ鴉のようで、死を軽視しているように思えて仕方ないのだ。

「何を突っ立ってるんだ。お前も持て」
 押し付けるようにフルートに小銃と散弾銃を投げ付ける。それを受け取るなり、肩に掛け、背後を見据えた。視界には化物の姿など無く、燃えたLAVと死体の山だけが目に飛び込んでくる。

「化物共は追って来てない。追って来たとしても、我々は襲われない。案ずるな」
「何故……そう思うんだ?」
「足元に餌が落ちてるだろう」
 死体をぐるっと見回しながら、女は仰々しく言い放った。なるほど、この女は嘗ての味方すら捨て駒にし、彼等の死を踏み躙る形で、自らの生を選ぶような女なのだろう。そうフルートは思いながら、小さく鼻で笑った。今この状況で死を悼めという訳ではない、もう少し立ち振る舞いという物があるのではないのか、と思うのだ。

「人間ってのは冷たいものだ。……仲間の死を悼む気すらないのか」
「残念ながらそんな気はない。死んだらただの肉の塊だ」
 彼女の言う事は尤もなのだろう。人間は生きているからこそ人間であり、死せば物言わぬ肉の塊になってしまう。そうやって形質が変わっただけの事を悲しむのはお門違いなのだろうか。フルートは顔を伏せながら、彼女の後ろをただただ付いて行く。時折、痛む頬を抑え付けては呻きを上げる彼女の声だけが地底に響く。

「……サックウェル。大丈夫か」
「大丈夫に見えるかね? このザマだ、彼方此方痛むさ。ただ死ねばこの感覚は分からなくなる。これは生きている証だ。一等上等な生の証だ」
 痛みを生きている証、そう彼女は称した。ならば、痛みという感覚を持たないオートマタというのは生きていないのだろうか。彼女からすれば既に死んだ、何かの塊が自分の背後を着いて来ているだけにしか過ぎないのだろうか。と、なれば彼女は意図も容易く自分を見捨てるのではないのだろうか。そんな思考が過ぎっていた。

「サックウェル。……少しいいか? 」
「あぁ、手短にな」
 彼女は振り向く事もなく、ただただ歩みを進める。やはり彼女は血塗れの頬を抑え付けているが、止血になるはずもなく、手は更に赤く汚れ、ワイシャツと小銃までも汚している。血に濡れれば手が滑り、いざという時の対処が上手く行かないだろう。それでも抑え付けてしまうのは、本能的なものなのだろうか。

「生きるためなら、味方を見捨てる事が出来るか」
「その答えはノーだ。生きてる限りは見捨てる訳がない。一人でも多ければ生存出来る確立は高くなる。死神も嫌がって近寄ってこないさ」
「なるほどそうか。……どうした? 」
 ふとクレメンタインは歩みを止め、首だけ振り向き、フルートに対し張り付いたような笑みを見せた。どうにも得体が知れず、恐ろしげに感じる。まるでノスフェラトゥが目の前に佇んでいるかのような威圧感にオートマタが本来持ち得ないはずの恐怖という感情に苛まれ、思わず足が竦んでしまう。

「……だがな。お前等オートマタは別だ。お前等は私達人間の為に生まれた、私達に作られたのだ。お前は人間に身体を与えられ、仮初の命を授けられた作り物だという事を良く覚えておけ」
 まるで味方ではない。仲間ではない。というような意思表示に、一種の怒りのような物を抱き、怒気を孕んだ視線をクレメンタインへと向けた。その視線に小さく笑い声を漏らしながら、レンズの欠けた眼鏡を少しだけ上げると口を開いた。

「オートマタ。図に乗るなよ、お前等は簡単に壊せるという事をよーく覚えておけ」
 胸のポケットから取り出された小さなリモコンを見せつけ、小さく笑い声を上げた。各オートマタには自壊回路と呼ばれる、強制的な機能停止機構が設けられている。人間に危害を加えたり、命令を違反するようであれば、頭部の記憶媒体へと高圧電流を流し、破壊する。強制的に活動を止めるそれを見せ付けられ、フルートは思わず舌打ちの後、大きな溜息を吐いた。

「……なぁに、冗談だ。確かにお前等オートマタを酷には扱うが、人間よりも頑丈だからだ。それにコイツはLAVのエンジンスターターだ。お前をどうこうしようって気はない。馬鹿者め」
「……はぁっ!?」
 声を荒げるフルートに背を向け、クレメンタインは悪魔のような高笑いを地底に響かせた。何が愉快なのか、それが解せずやり場のない怒りに苛まれながら、彼女の背を黙って追い掛けた。



「サックウェルはそういう人間だ。死んだらそこまで、悼む気すらない。私達を脅すのも好きなんだ」
 一頻り語り終えるなり、フルートはまた俯いて膝に置かれた自動小銃を傍らに置きなおした。思い出すなり、行き場の無い怒りが彼女の脳裏を過ぎるのだろう、右足を小刻みに動かし、左手が微かに震えていた。短気は損気とよく言うが、怒りによって本質が見えなくなってしまっているのだろう。アサシグレはそんなフルートを青い、青いと笑いながら、アクセルを踏み込んで軽快に加速していく。

「五科長は確かに変り者だが、それ程悪い人間ではないだろ?」
「ブッチャケ言葉が悪いだけじゃん」
「冷血だからあの立場に居られるのさ。別にMIA認定されてても困る事ないし、死人が生きて帰ってきた程度だよ」
 周囲からの声にフルートは再び苛立ちを孕んだ視線を向けている。それを見てヴァルトルートは満面の笑みでリモコンを見せ付けた。それを見るなり、フルートは一瞬怯んだが、ふと思い当たる節があったのか、静かに立ち上がり、ヴァルトルートの手元に握られたリモコンを奪い取り、瞳を大きく見開いていた。

「……おい、お前」
「バレた?」
 台風娘は怒り狂い、日本かぶれはバツの悪そうな笑みを浮かべながら、襟首を掴まれて揺さぶられていた。その光景を見て、アサシグレは小さく笑い、陸は困ったような表情を浮かべ、すっかり解れた緊張に一抹の居心地の良さを感じていた。






 薄ら痛む頬の傷跡を擦りながら、クレメンタインは台帳に二本線を引いていく。一人、二人、三人、四人。その数は次々と増えて行った。そして彼女が東城陸の名に二本の線を引き終えると同時に、彼女は天を仰ぎ溜息を吐いた。
 天井でシーリングファンがゆっくりとした速度で、静かに回っている。その様子がまるで、彼等が居なくなってからも何も変わらず、平然と回り続ける社会の縮図のように見えた。しかし、それが普通なのだ。何処かの誰かが死んだ所で、世の中は気にする事もない、著名な為政者が死んだのならば社会は多少、悼む事だろう。しかし、今回死んだのは命を擲った名も無き兵士達なのだ、誰も悼む気はない。使い捨ての英雄達なのだ。

「まただ。また、減ったよ。サリタ」
 やや憂いを帯びた表情を浮かべ、小さく呟き、机の上に置かれた写真を見つめる。そこにはまだ二十代半ばの自分と肩を組み、満面の笑みを浮かべた女の姿があった。名はサリタといい、肌はやや浅黒く、整った目鼻立ちからしてラテン圏の生まれだと分かる。相反し、写真の中のクレメンタインは今のような凄味こそない物の、不機嫌そうな顔をしてカメラマンを睨み付けている。肩から吊り下がるカービンライフルで今にも、撃ちそうな様相だ。そんな片方の被写体のせいで、決して良いとはいえない写真を手に取り、クレメンタインは小さく鼻で笑った。彼女にまた戦友が減ったと愚痴を吐いた所で現状は一つも変わらない。何故ならば死んだ者は二度と戻って来ないからだ。何時までも足を止めては居られない。新たな者を迎え入れる準備も必要である。本当に此処で立ち止まっている暇はない。そう頭の中で分かってはいる物の、心が歩みだそうとせず、中々付いて来ない。
 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、写真をゆっくりと置き、代わりに電話機を手に取り、ダイヤルを回した。こういう時はお喋りな部下と時間を潰すのが正解なのだろう。



 案の定だった。守衛業務を終えたばかりのミッターナハツゾンネはベラベラと喋り続けている。肩から吊り下げられたPDWを見て、一瞬引き攣った表情を浮かべる者達も居たが、セーフティーが掛けられているのを確認すると安堵した表情を浮かべ、そそくさとその場を後にしていった。
 ミッターナハツゾンネに絡まれると面倒なのだ。ただでさえお喋りで、他愛もない話をベラベラとして、二時間、三時間を掻っ攫う性質の悪さを持ち、極めつけに同じ話を繰り返すのだ。

「ターナ。もう二度目だ、その話は」
「えっ、そうだっけ? まぁ、いいや——」
 彼女は意味のない話をベラベラと紡ぐ。まるで象のお喋りのように、意味を成さない戯言。静かにクレメンタインは相槌を打ち、さも心地よさそうに目を閉じている。この光景は時折見られる物であり、目撃した者も別段、何か言葉を掛ける訳でもない。中にはそれを見て、クレメンタインを気の毒に思う者もいた。仲の良い同期が死んでから一歩も歩みだせずに居る、親友を忘れる事が出来ない、他者の死に縛られた哀れな女だと影で嘲り笑う者も居る。それはクレメンタイン自身もひしひしと感じているが、吹っ切りの付かず、ミッターナハツゾンネに死した親友を重ねているのだ。

「科長、聞いてる?」
「あぁ、聞いてる。……あぁ、聞いてるともさ」
「何かあったの?」
「いや。別にな。部下と親交を結ぶのも勤めだろ」
「ふーん、まぁいいや。でさ——」
 もう感付かれている事だろう。冷徹に振舞った自分が、他者の死に悼んでいるという事を。それでもミッターハツゾンネはとやかく言う事なく、ベラベラと言葉を紡ぎ、その自分の話に突っ込みどころを見出してはヘラヘラと笑っている。それが彼女の良い所なのだろう。他者を気遣う訳でもなく、遠慮をする訳でもない。自然に、自分のしたい事をし、成すがまま、在るがままに生きている。



「なぁ、ターナ」
「はぁい? 」
「お前が人間だとして……、死ぬっていうのはどういう事だと思う」
「……そうだねー。よく分からないってのが本音かなぁ。余り難しい事を考えても仕方ないんじゃない? 」
「お前の回答はそうか……。お前らしいな。私はこう思うんだ。残った者に治らない傷を与え、自分は勝手に逝く所に逝って、一人で眠ってしまう。はた迷惑な物だと」
 そうクレメンタインは呟くように言う。無意識の内に頬の傷跡に指を這わせ、顔を伏せていた。それを見て、ミッターナハツゾンネは僅かに瞳を見開き、すぐに人懐こい笑みを浮かべて、然も自然なようにクレメンタインの肩を抱き寄せ、彼女の頬の傷跡をまじまじと見つめながら、囁き問うのだ。

「まだ忘れられない?」
「……あぁ。そうだな。アイツもそうだし、今回死んだ奴等もそうだ。恐らく忘れないだろうな。私が死ぬまで」
「そっか。それは良かった」
「どういう事だ……?」
「死んでも誰かに覚えていてもらえるって幸せな事だよ。肉体が死んでも、誰かの中で生きている。残っている。彼等は幸せ者だ」
「——死んで未来が潰えたとしてもか」
「そこは分からない。その人の価値観次第かな」
 のらりくらりと答弁するミッタナーハツゾンネに、やや辟易しはじめたクレメンタインだったが、眼鏡を外し瞳を閉じ、自制する。此処で声を荒げれば、自分の立場というものが無くなってしまう。人の上に立つ者として、相応しくない。

「科長。多分ね、ずっーと答えは出ないよ。百人居れば百人死生観が違うんだもの。でさ——」
 尤もらしい事を言って、ミッターナハツゾンネはまた他愛もない話を語り始めた。余りもの切り替えの早さに、呆気に取られクレメンタインの溜飲は少しずつ下がっていった。それと同時に、自分という存在がえらく浅ましく、小さい女に思えて来るのだ。。些事に何時まで悩んでいるのか、と。もっともっと強い内面を持ち、人の上に立つ者らしく在らねばならないと。溜息を吐きながら、眼鏡を掛けなおし、ミッターナハヅンネのお喋りに小さく相槌を打った。

「ターナ、お前は相変わらず声がでかい。離してくれ、近い」
「たまには良いじゃん、こういう時こそね」
 冷たい人工皮膚を指先でなぞりながら、クレメンタインは溜息を吐く。これは暫く離してもらえそうにない、と諦めたのだ。少しの間、瞳を閉じ、眼鏡を掛けなおす。お喋りな部下に幾度となく、小さく相槌を打ちながら彼女は笑っていた。