複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File2開幕】 ( No.10 )
- 日時: 2018/02/16 01:34
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
今日も一日、部活で体を痛めつけ、筋肉痛に苛まれながらもじいちゃんの病院へと向かった。通学路のすぐ傍にあるので、ほんの十分程度の寄り道にしかならない。六時にはなったが、この時期の空はまだ明るいなと沈みつつある西日を眺めた。オレンジ色に煌く太陽は、まるで空に溶けていくかのようだった。
個人で開いている病院なので、それほど大規模な病院ではないのだが、じいちゃんが警察の偉い人物と接点を持つためにこの病院には時折訳アリの患者が送られてくる。おそらくは、知君もその一員なのだろう。今朝、母親から聞いた話を思い出しながら、誰も見ていない夕の道で少し黄昏る。普段は大人しくて、虫の一匹も殺せなさそうな知君が、兄貴や親父と同じフェアリーテイルの対策課にいる、嫉妬が胸の内に募って仕方がなかった。
本当なら、その位置にいたいのは俺なのに。ままならない己の無力さに、何度も涙を飲み込んできた。そう、いつもと変わらない。そう思ったら、いつもの仮面を張り付けることができた。知っている人と顔を合わせる前にこうなれてよかったと安心しながら病院の自動ドアを通り抜けた。
出迎えてくれたのは顔見知りの看護師長の仁礼(にれ)さんだった。あら、光葉くんじゃないと、白髪交じりの髪をかき上げながら笑顔で迎えてくれた。俺がまだ母さんの腹の中にいる頃から、ずっとこの人はこの病院で働いてくれている。無くてはならない戦友だとよくじいちゃんは口にしているっけ。それでも、俺が最後に会ったのは数年前だったように思う。
「今日はどうしたの? 用事かな?」
「えっと、ここで入院してる知君にプリント届けに来たんすけど」
「知君くん……ああ、昨日来た彼ね。案内したげる。先客いるけど気にしないでね」
今自分がやろうとしていたタスクを近くにいた暇そうな看護師を呼び止めて託す。その人もベテランの方で、俺も二、三度顔を合わせたことがある。
先客、一体誰が来ているのだろうか。普通に考えれば親や兄弟だろうか。そう言えばクラスメイトにも関わらず知君の家族構成を全く聞いたことすらない。もし会ったとしたらどう挨拶したものだろうかと思案する。いつもお世話になってます? いや、それほど仲が良い訳でもない。初めまして、クラスメイトの王子です。よし、それでいい。
結論から言うと、俺がその先客に自己紹介することはなかった。というのも俺より先に来ていた見舞客というのは知君の家族などではなく同僚二名だったからだ。俺と仁礼さんがもうすぐ病室へと到着する廊下の途中、その二人は部屋から出てきた。もう帰るのであろう、出口を目指して俺たちが今来た通路へと向かい始める。
どこかで見た顔だな、そう思った俺はどこで見たのだろうかと考える。男と女一人ずつで、二人ともスーツを着ていた。社会人の知り合いが、知君にいるのだろうか。二人の容姿はどことなく似た雰囲気があったが、知君とはまるで似ていなかった。二人はすれ違いざまに仁礼さんに礼をした。気を付けてお帰りくださいと仁礼さんも返す。
そこでようやく、二人の正体を思い出した。あんな美男美女、たかだか十時間程度で忘れることはない。今朝、ニュース番組で報道されていた、対策課第7班に所属する奏白兄弟だ。
「真凜、何か丸くなったか?」
「いえ、そういう訳では……」
二人の会話が聞こえる。女の人が真凜と呼ばれていたからには、おそらくあの二人は知君のチームメイトと思って間違いない。ということは、知君は本当に、フェアリーテイルを検挙したということに違いないのだろう。
非力な、ただの同級生だって思ってたのにな。多分俺は、心のどこかで侮っていたのだと思う。女々しくて、頼りない、優しいだけが取り柄の可愛らしい人間だと。実際はどうだ、特技なんて、人の顔色を窺うくらいしかない、俺の方がよっぽど情けないじゃないか。
病室の引き戸を開き、中に入る。その部屋には四つのベッドがあったが、居室として使っているのは知君一人だけのようだった。事情が事情だからか、きっと隔離されているのだろう。来客が帰ったばかりなのに、また新しい人が来たと、嬉しそうに彼は笑った。
「王子くんじゃないですか。どうしました?」
「……今日のプリントとか、先生に頼まれてな。修学旅行についてとか、期末考査についてとか、いろいろ大事なのが多いから今日中に届ける必要があったんだってさ」
「そうなんですか。でも、わざわざすみません。一々病院まで来させてしまって……」
「クラスメイトだろ、気にすんな。それにここ、じいちゃんがやってる病院だから家近いんだよ」
「そうなんですね。でも話し相手の人がこんなに来てくれるだなんて、入院も案外悪くないですね」
屈託の無い笑顔でそう言って知君は、枕元に置いてあるお菓子を一つ手に取って王子に渡した。さっきの二人が置いて行ったらしい。流石エリートというべきか、東京駅の近くの有名なケーキ屋の洋菓子が詰め合わせられていた。
「じゃ、運送料ってことでありがたく貰うぜ」
何となく興味の惹かれた柚子の皮が乗ったマドレーヌを手に取り、包装を割いて口に入れた。甘酸っぱい味が広がり、ほのかな苦みが引き締めた。あまり舌の肥えてない俺でも、大層いい品物だと分かる。
「じゃあ光葉くん、私は戻るね」
「はい。俺はもう少し話があるので」
本当は、話なんて無かったはずだ。けれども何となく、いつも通りの物騒な事件とは無関係そうなこのクラスメイトの顔を見ていると、尋ねたいことがいくつも湧いてきた。話し相手を欲していた知君も、嬉しそうに歓迎してくれた。
仁礼さんが退室し、俺たち二人だけが残される。知君は俺から受け取ったプリントに目を通しながら、俺が口を開くのを待っているようだった。
「にしても知君、入院も悪くないなんて不謹慎なことあんま口にすんなよ。ここ、一応重たい病気の人もいるんだから」
「そうですね、すみません……。でも僕、家に帰るといつも一人なので、奏白さんや王子くんが来てくれたのが、何だか嬉しくて。……いいわけですね、すみません」
「あれ、一人暮らしなのか?」
「はい……王子くんは口が堅いので言えますが、僕は生まれつき両親がいませんので」
捨て子、ということなのだろうか。やさしさに満ちた、穏やかな彼からは想像もできないような背景が顔を見せる。というより、よくその境遇でそんな性格に育ったものだと感心する。誰がどう見ても、両親の愛情を受けて大切に育てられたような性格なのに。
何となく、本題に入るのが躊躇われたから軽口を叩いただけのつもりだったのだが、こんなことになるとはと、己の勇気の無さを嘆く。
「気にすんなよ、俺らしか聞いてなかったんだし。にしても、俺の口が堅いってどこ見て言ってんだよ」
確かに、家でちょくちょく警察しか知り得ないような話を耳にする。その度に両親や兄貴から他所では絶対に言うなよとくぎを刺される。だから俺は昔から知っている、世の中には言っていいことと、言ってはならないことがあることを。そしてそれは機密性が高いとか、そういった理由だけでなく、その人を傷つける可能性を持つような言葉を放つのを控えなくてはならないのが理由であることも見かけられる。
だけど、普段学校で過ごしている俺の様子は、皆に囲まれて、バカ騒ぎして、へらへら笑う軽薄そうな高校生にしか見えない。そんな人間の口が堅いとどうして知君は思ったのか。何となくこそばゆくて、俺はその言葉を否定してしまった。
けれども知君は、その否定すら否定した。
「王子くんは口が堅いですよ。人のことをよく見てます。人の話をちゃんと聞いています。その人が望む自分を振る舞ってますよね、相手を傷つけないように。たとえ自分の不利益になっても誰かのために働ける。前も言いましたけど、王子君は優しい人です」
だから、君になら打ち明けられるんですと知君はまた朗らかな笑みを浮かべる。きっと君なら、今言ったことは誰にも言わない。その言葉に何だか浮足立つ。けれども、そんな心情を読み取られるのが気恥ずかしく、俺はまた自分に仮面を被せる。今度の仮面は呆れた顔をしていた。
「全く、お人よしだよなお前は。……本題なんだけどさ、いつも親父と兄貴が世話になってるな、ありがとう」
「あ……僕がここにいる理由、知ってるんですね」
「わりぃ、家で聞いた」
そうですかとつぶやいて、知君はバツの悪そうな顔をした。それはきっと、話を聞いたのが俺だから、だろう。知君と俺は交遊こそ少なかったが、中学以来からの知り合いである。だから知っている、家族を見て俺がずっと警察官を目指していたことを。
そしてそんな、純真で曇りの無かった子供の夢が、儚く無残にも砕け散ったところもきっと知君は見ている。校外学習で守護神の研究をしている施設を訪問した際、希望者は自分の守護神を検索することができると言われ、十人ほどの生徒がその守護神について調べてもらうこととなった。全員、髪の毛を一本採取されて後日結果を送ると言われた。
俺以外の十人弱の生徒の守護神はほとんどの生徒が六桁や七桁のアクセスナンバーを持つ守護神だった。一人だけ、極めて10000に近い四桁のナンバーを持つ者がいてそいつは英雄のようだった。
ただ、腫物に触るように扱われのは俺だけだった。それは、何割かは自分のせいだった。兄貴が警察になってから、俺も親父たち二人の後を追って警察になるんだと豪語し始めた。小学校の中学年の頃の話だった。だからクラス中が知っていた、俺が警官になりたがっていることを。
何年も前から、警察になるにはある条件があった。着々と増える当時で言うcalling犯罪、守護神を悪用した犯罪に対応するため、警察、特に凶悪犯罪を取り締まる役目の捜査官になるには一定以上の守護神を用いた戦闘能力を認められる必要があった。
だから『それ』は絶望に他ならなかった。俺の守護神はフェアリーガーデンにいるという通知は。桃太郎やアリス、シンデレラのような童話やお伽噺の主人公が住まうその異世界は、あまりにこの世界と次元的な座標が近いせいで、phoneが上手くその異世界と接続できないのだという。もし下手な失敗を起こすと二つの世界の境界線が溶けて、両者ともに世界崩壊を引き超す可能性がある、らしい。
中学時代の俺はもう、既に自分を偽るのが得意になってしまっていた。クラスの皆の前でそう伝えられた俺は、すぐに、意識するより早く「ラッキー」と叫んでいた。
「だってその世界の守護神ってどいつもこいつも強いんだぜ、もしcallingできたら俺、最強じゃん」
当時は心に蓋をしていたから気が付かなかったが、この言葉が既にただの強がりだったって今ならわかる。その頃、目が覚めたら枕が濡れていたのは、決して一晩や二晩じゃなかったし、そんな日は大体、目やにがまつ毛に張り付いて中々目が開けられなかったくらいだから。
そして今や俺は、かつて抱いた幻想のような夢を考えないようにして生きている。忘れてしまえばきっと楽になれる。そう信じて、俺は他人の望みを叶えることで満たされぬ欲求を代わりに満たすようにし始めた。
多分きっと、時折感じる息苦しさは夢破れたあの日の、傷つき粉々になった心がモザイクみたいに混ざっているんだと思う。広い海に行きたいのに、陸に打ち上げられた魚もきっと、こんな気分だろうか。
「知君ってさ、何番なんだ……」
「王子くんのお兄さんより小さい数字、とだけお答えしますね」
兄貴のアクセスナンバーは2210。俺の知り合いの中で最も強い守護神を擁している。そうか、兄貴より強いのかと、俺は羨望の目で彼を見る。けれどもまだ、知君は何だか浮かぬ顔をしていた。どうかしたのだろうか、尋ねようとしたその時に、先に口を開いたのは知君だった。
「王子くんは、もしかしたらうらやましく思うのかもしれません。けど……隣の芝生が青く見えると言うように、僕には王子くんがうらやましいです」
いつになく真剣な瞳で、彼はそうこぼした。嫌味や、皮肉のようには感じられなかった。だからこそ俺は、黙ってその声に耳を傾ける。ゆっくりと、言葉を選ぶようにして知君は話し続ける。
「僕は、平和に、穏やかに、楽しく、笑って過ごしたいです。誰かと一緒に笑い合って、相手にも楽しんでもらえるような生き方がしたいです。今は僕にしかできないこともあるからこうやって捜査官の人たちのお手伝いをしていますが、僕は、王子くんみたいな生き方に憧れているんです」
「それは……十分幸せな人生だから満足しろってことか?」
「いえ、違います」
きっとそんな意味じゃないとは分かっていたが、俺はそう尋ねずにはいられなかった。絶望に打ちひしがれたかつての自分に家族がかけてきたのと同じ言葉だったからだ。戦う力が無いのだから、お前だけでも平和な世界で幸せに生きろと。
人にとっての生きがいや、幸せを蔑ろにして、何度もかけられた言葉、それと今知君が述べた話は同じように俺には感じられた。
「もっと自分に自信を持ってほしいんです」
「自信?」
「ええ。王子くん、警官になれないと分かってから、それまで以上に他の人へ気を配って生きているように見えます。ですけど、もっと自分のやりたいことのために過ごしてほしいと僕は思います」
「けど、俺は守護神アクセスなんて……」
「何を言っているんですか、今こそ千載一遇の好機です」
「あのな、俺はphone使っても守護神アクセスできないんだよ」
「ええ、ですがこの世界が生まれてから初めてのチャンスが今日本に来ています」
「はあ? 何言ってんだ?」
怒りなどはまるでなかったが、知君の言葉の真意が分からず思わず語調が荒くなる。しかし、そんな程度では怯まず知君は言葉を続ける。
「僕が検挙したアリスは、現在フェアリーテイルではなく一守護神としてとある施設で生活しています」
曰く、現在彼らが元々住んでいるフェアリーガーデンは守護神をフェアリーテイル化させる原因があると考えられるため、帰す訳には行かないのだそうだ。よって、事態が解決するまで、一度フェアリーテイル化された守護神はこちらの世界に匿うようにしているのだとか。
「これからまた、新しく捕らえられた守護神がその施設に入ることでしょう」
「それが何なんだよ?」
「直接会えばいいんですよ、王子くんの守護神に」
「は……あっ、えっ?」
確かにフェアリーテイル化していない守護神もいるので確実ではないけれど、それでもその異世界に対してコネクションを持つことができれば、己の守護神と契約を結べる可能性は飛躍的に増大する。
晴天の霹靂だった。電話が繋がらないなら直接会いに行くだなんて、どこのラブストーリーの発想だよと、おどけてその案を否定する。俺の家族構成ならコネでその収容施設に入れるとか、現実的なことを知君はその後も熱心に語ってくれたけど、正直俺はよく聞いていなかった。
だって、期待するだけ虚しいから。かつて、輝かしい夢を見ていた自分はとっくに否定されてしまった。そんな化石になりかけた夢を掘り出してまた温めても、どうせまた傷つくだけだ。
知君が語るその可能性も、所詮はただのまやかしだ。きっと俺は、いくら努力しても、何年待ったとしても、守護神アクセスなんてできやしない。
そう、どんだけ強く願ったって、できやしないんだ。