複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.102 )
日時: 2018/08/29 16:13
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 琴割の宣言以降の会議内容は、人魚姫の頭には全く入ってこなかった。耳では間違いなくその声を聞いているはずなのに、それらが異国のお経のように、ただの音としか思えない。字幕無しの映画を見ているようで、その場の誰も、自分のために吹き替えもしてくれないため、ただ無為に時間が過ぎていく。
 彼女が茫然とするのは当然の事であったし、同様に衝撃を受けた王子もこの時ばかりは何も声がかけられなかった。自分が思っているよりもよほど、彼女の方が強い戸惑いを覚えているだろうから。何せ、彼の立場は簡単だ。離れたくない、ずっと一緒に居たいと言えばいい。しかし彼女の場合は、そうもいかない。生まれ育った故郷を捨てる可能性、それと契約者とを天秤にかける苦渋は、当然王子には察せられない。
 だからこそ、彼女が最大限悩めるだけ悩むことができるように。彼はただひたすら、代わりに琴割の説明を聞き続けたのであった。
 シンデレラが宣戦布告してきたのは、九月の十五日。おおよそ一週間後の事である。満月の日にかぐや姫はその力を余すことなく振るうことができる。そう、赤ずきんから情報は得られていた。おそらくはその日に合わせてきたのだろう。
 残るフェアリーテイルはたった二人、その内の一方だけでも本調子でないとしたら、ただでさえ不利な彼女たちはより一層苦しい戦いになる。悦楽を求めた殺戮ではなく、あくまでシンデレラの契約者は復讐を目的としている。万全のコンディションを整えるのは至極当然の判断と言えた。



「ちょっといいかしら?」

 会議が終わってすぐに王子の肩を叩く女性がいた。振り返れば、馴染みが無いけれども、見覚えのある顔。一体誰だったろうかの、記憶の引き出しを一つ一つ開けるように確認するも、中々思い出せない。そんな風に困惑している彼を察してか、「これは申し訳ない」と彼女は自分から立場を口にした。
 自分は、琴割 月光の秘書官の一人であると。そう言えば、琴割が連れていたことのある人間だと彼はようやく思い返すことができた。名前までは憶えていないが、捕えたフェアリーテイルのその後の処置を左右するような立場にいたはずだ。

「赤ずきんが貴方達と話をしたいそうなの」
「赤ずきんが?」

 昨日、知君によって身柄を確保されたばかりの少女は、これまでのフェアリーテイルと比べて中々丈夫な器を持っていた。これまで捕えてきた守護神達は、ドルフコーストの瘴気を奪われたかと思えば、一週間近く、どれだけ短いものでも三日は意識を失っていたというのに、赤ずきんはというと意識を失うどころか、今朝の段階ではもうぴんぴんしていた。
 隔離施設の管理人たちは当然、周囲の守護神達も呆れた頑健さに舌を巻いたものだが、当の赤ずきん、本名はカレットはというと、「ま、これが格の違いってやつっすかね?」と冗談めかしながら顔を綻ばせたものである。

「それに、俺たちって言いましたけど、俺と誰なんですか?」

 知君の顔を思い浮かべたが、すぐにそれは違うのだと分かった。

「決まっています、貴方の守護神である人魚姫です」

 それもそうかと、言われて初めて理解する。わざわざ赤ずきんが指名するのだ。むしろ自分よりもセイラの方が本命に違いない。確かに、以前から赤ずきんや白雪姫はセイラにとって親友に部類する守護神であるとは聞いていた。フェアリーガーデンの守護神は、他の異世界の守護神よりもよほど、同じ世界に所属する者たちとの交遊が深いと言う。
 何となく、虫の報せが働いた。このタイミングで話があると言われたら、その議題は一つしか思い浮かばなかった。確かに自分としても彼女達とはきちんと話し合う必要性はあるなと王子は再認識する。
 それは自分のためでもなく、赤ずきんたちのためでもない。他の誰でもない、悩める『彼女』のために他ならなかった。

「行こうかセイラ」
「ええ。それにしても、何の話なのでしょう……」

 当の本人であるセイラはというと、まだ話の全貌を予想できていないようだった。全貌どころか、片鱗も感じてはいないのだろう。彼女は当然、その選択に頭がいっぱいいっぱいになってしまっている。王子が気を遣っているのも、赤ずきんが呼びだしたのも、原因はそれに他ならない。しかし彼女は、己一人で悩んで解決すべき事案であると思い込んでいるが故に、わざわざそのことで呼び出されるなど、微塵も考えてはいないようである。
 そう、彼女にとって王子と赤ずきん、どちらも切り捨てられないほど大切な存在であると同時に、両者から見た人魚姫という守護神は『離れたくない大切な者』に他ならないということを。
 どうしたら、いいんだろうな。声にだしてしまうと、より一層セイラが困るだろうから、そんな言葉を王子は急いでしまいこんだ。けれども、自分は果たして帰る彼女の背中を押すべきなのか、その手を放さずこちらに留まって欲しいと嘆願するべきなのか、どちらが正解かなど断定しきれない。
 曖昧な態度だと、彼女はきっと向こうの世界に帰ってしまうだろう。そんな予感はしていた。是が非でも彼女を繋ぎ止めるか、自分を殺して送り返すか。
 久しぶりの感覚だった。誰かのために自分を殺そうだなんて考えるのは、セイラと出会って以来意識しないようにしていた。ようやく、自分が望む自分を目指せるようになったと信じていたから。
 吹き荒ぶ冷たい風が、ひりひりと心に叩きつけられ、凍てついてしまいそうになる。障害物に隠れることもできず、荒野に独り立ち尽くしているかのような心地だった。
 自分が荒野なら、彼女はきっと別の場所で溺れているのだろう。そんな風に思えた。冷たくて凍えてしまいそう。その点に関してはきっと同じだろう。しかし彼女は、がんじがらめになっている。のしかかる重圧は、まるで深海の重圧のようで、光なんて深い深い海底には届かない。
 どうにかして救い出してみたいものだけれど。そう願えども、彼自身悩める小心者に変わりないため、胸の内にしまいこむことにした。



 知君は何度も訪れたことがある。しかし、王子がその施設に立ち寄るのは初めてのことであった。知君は一応、琴割の所有物のような立ち位置であったため、自由に立ち入る許可は得ていた。それに、彼自身フェアリーテイルだった守護神たちに尋ねたいことがあったためだ。目的もあり、許しも得ている。さらにはアリスのように、自分を救ってくれた人間として知君を慕う守護神達も少なくなかった。
 対照的に、王子は家族が警察に勤めていると言うだけで、別段彼自身がコネクションを持っている訳では無い。ここに立ち入る権利は中々得られず、セイラもここに来たいと願うことは無かった。彼女が望まなかったのは簡単な理由で、親友足り得る赤ずきんも、白雪姫も、つい先日まで収監されていなかったためだ。そしてシンデレラは言わずもがなだろう。
 そう言えば、正気に戻った守護神を保護するための施設があると、その昔聞いた記憶があった。いつの事だったろうかと考える。セイラと出会う以前に、倒れた知君の見舞いに訪れた時の事だった。何もできない自分と、正反対の道を歩んでいるかのような同級生。その落差に打ちひしがれていた時に教えてくれた、王子が可能性と出会うための場所。
 結局、そんな所に立ち寄る必要なんて初めから無くて、予め決められていた運命の糸に引き寄せられるように、二人は出会ったのだった。

「牢獄、って感じには見えないな」

 実際に訪れてみるとそこは、大学の研究施設のように小綺麗な建造物だった。もっと冷たい雰囲気のする、あるいは粗末な古い住居のようなものを想起していたが、そのイメージは大外れだった。生活感はまるで感じられない建物ではあるが、それでも殺伐としたムードは漂っていない。
 わずかに緊張を覚えるも、何とか飲み込む。ここには、かつて人類の敵として立ちはだかった兵どもが、何十何百、あるいはそれ以上に詰まっている。生唾を飲み込もうにも、喉でつっかえてしまいそうだ。夢の跡、という言葉もあるだろうが、それは皮肉な事だろうか。何せ彼らが見させられたのは、悪夢だったのだから。
 何の気なしに呟いた王子に、隣で人魚姫は頷いた。まだあまり見慣れない、黒い髪の毛が首肯に応じてなびいた。魔女の秘薬を服用することで、脚を得る代わりに声を失う。長時間守護神アクセスしていられない二人にとって、目立たず街中を移動しようとするとこの状態の方が都合がよかった。

「セイラ、もう大丈夫だろうからアクセスしとくか? その方が話しやすいし」

 このままではセイラが意志を伝える手段をほとんど持たない。身振りだけで伝えるにも限界がある。であれば、他の者から見られないように守護神アクセスしてしまうのが何より早い手段であろう。
 それもそうだと判断した彼女は、周囲を見回し、誰もいないことを確認してから王子の手を取った。頷くこともしなかったが、それで充分肯定の意は汲める。近辺に人がいないことを、また確認する。都心なのに妙な話だと王子は思ったが、それも仕方ない。ここには多くの、大量殺戮を行った守護神が収容されている。近隣住民が彼らを恐れて実家や田舎に避難したのも、自然な決断だ。
 柔らかく白い肌は、いつものようにひんやりと感じられた。何と言うことは無い、王子が勝手に熱くなっているだけだ。未だに彼女と手を繋ぐのは慣れそうにない。むしろ、慣れてしまいたくないと祈るようでもあった。
 そのために人目が無いと言うのは、有難いことではある。守護神アクセス、そう小さく呟くと同時に、セイラは光の粒子となって、宙に消えていく。王子の身体を取り囲んだかと思えば、それは薄い膜のようになって彼を包み込んだ。

「じゃあ、行こうか」
「ええ。……それにしても、カレットとまた話せるだなんて、夢みたいです」

Re: 守護神アクセス ( No.103 )
日時: 2018/08/29 16:14
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 カレット、というのが赤ずきんを指すのだとは以前から聞いていた。かつての日々を、楽しそうに語ってくれていたからだ。白雪姫のノイト、シンデレラのアシュリー、赤ずきんのカレットに、人魚姫のセイラ。本来の成り立ちに、強い関連性があったかどうかは些事だ。ELEVENに例えるなら、アーサーとネロルキウスが良好な関係を気づいているぐらいなのだから。
 彼女らが守護神として自我を持ち始めて以来、四人で時間を共にするようになった。それがあまりにも長いため、人間を倣い親友だと呼んでいる。
 中に入ってみれば、印象がやや違っていた。どちらかというと、病院のような雰囲気だった。一人一人、重たい病人と同じように厳重に隔離されているのが大きいのだろうか。それとも、どことなく生気が感じられない空間だからだろうか。職員が白衣を着ているのも、祖父の病院ですれ違う医者たちのシルエットと重なった。
 受け付けは無い。なぜなら、そもそも来客を想定していないからだ。そのため事務に立ち寄り、名前を告げた。同時に、琴割の秘書官から受け取った紹介状も提示した。それさえ確認すると事務員たちは一様に頷き、面会室への順路のみを教えてくれた。
 おそらく、ここに属する守護神の数があまりに増えてきてしまったのだろう。勤めている全員が、あまりの多忙さにかりかりしているようであった。しかし、ここにいる者が請け負っているのは紛れも無い業務であるため、それはできるだけ押し込めようとしている。最前線で戦う捜査官達は、より忙しいのだから、と。
 面会室は地下にあった。というのも、元フェアリーテイル達が万一再暴走した際に簡単に出られぬよう、地面より下数十メートルにいるからだ。
 面会室に辿り着き、待たされること三十分。少々待つだろうからと手渡された僅かな間食を人魚姫と折半しながら食べていたところだ。短い電子音が部屋の中に響いた。何かと思えば、ノックの代わりらしい。ノブが回る音がしたかと思うと、硝子に隔てられた奥のスペースに繋がる扉が開いた。ゆっくりと開いたドアの隙間から初めに除いたのは可愛らしい顔、などではなく真っ赤な頭巾であった。
 だからこそむしろ、彼女だと確信するに至った訳だが。

「お邪魔するっすよ」

 これまで持っていた彼女のイメージとは似つかわしくない、か細い声だった。殊勝な態度、と表現した方が適切だろうか。フェアリーテイルは、理性を失っていた時の、自分の行いを覚えている。彼女が最も多くの人間を殺したフェアリーテイルであるため、罪の意識は人一倍強いのだろう。
 てっきり彼女一人だけだと思っていたために、もう一つ姿が見えたのには驚いた。ゲレンデのような白銀の髪を纏った、絶世の美女。流石は傾城というだけはある、白雪姫に違いなかった。

「私も、ご一緒させてもらってよろしくて?」
「いいよ。その方がきっと、セイラも喜ぶ」
「ええ」

 すぐさま肯定した彼女の言葉に、嘘は無かった。けれども、どうにかこうにか笑おうとした人魚姫の笑顔は、くすんでいた。鉛色の空のように。あるいは、筆洗のバケツに入った濁水のように。
 少しの間、沈黙が訪れる。何を切り出されるか、分かっていると言うのに、王子は自分から語り掛けるような無粋はしなかった。目の前で、目を伏せながら静かに深呼吸をしている赤ずきんの覚悟が定まるのをただ待つ。きっと、その願望を口にするだけの準備がまだできていないのだろう。
 守護神であろうとも緊張はするんだなと改めて思う。これまでずっと人魚姫と共に時間を過ごしこそしたものの、それ以外の守護神の性格など知ろうともしてこなかった。そもそも、フェアリーテイルが例外なだけで基本的に契約者以外はその守護神と語らうことなどできはしない。その上他に出会った者など、理性を失った状態のフェアリーテイルのみ。
 セイラを例外的だと思ってしまうのも無理は無かった。
 それ以上に、これまで映像で見てきた姿や、実際に敵として対峙した印象とのずれが大きい。セイラから話を聞く限り、彼女の性格は元気な女の子、といったものらしいのだが、しおらしく項垂れている表情は、事前に知らされた人柄と裏腹に翳っている。
 急かしてはいけない。ただでさえ追い詰められた心境の彼女を、より一層追い立てる訳にもいかなかった。何より、自分が感情的になってしまう可能性もゼロではない。それなら、互いに心の準備を終えてから、話し合いの支度をした後で構わないのではないだろうか。
 今日ばかりは逃げのつもりも言い訳のつもりも無い。口も開かずにその時を待っていたのは、自分のためなどでなく、彼女たちのためだった。
 その意志が伝わったのだろう。じっと、離すことなく見つめる王子の視線を浴びた赤ずきんは、胸に手を当てて何とか呼吸を整える。
 引き攣りつつある頬を何とか動かすようにして、ぎこちない笑みを作った。幼い姿をしていても、やはりフェアリーテイル。笑った姿は、固い表情ながらも、絵に描いた美少女のような、文句のつけようのない整った容姿をしていた。

「あはは、あたしがこんなおどおどしてるなんて、似合わないっすよね?」
「ほんとにね。……いいよ、カレット。遠慮しないで言いたいことを教えて」

 知君ほどではないが、常日頃から丁寧な口調のセイラが、くだけた調子で応じた。それを当然のことだとし、「はっきり言ってくれるもんすね」とはにかむ赤ずきんの様子から、やはり二人が旧知の仲だと突き付けられた心地になる。
 いや、彼女ら二人だけでない。その様子を見て、僅かに瞳を潤ませて目を細めている白雪姫も同じだろう。何となく、爪弾きにされた居心地の悪さを王子は感じ取る。しかし、今日呼びだされたのはきっと、他ならぬ自分なのだから。どれだけ居辛さを感じたとしても、目を背ける訳にはいかない。踵を返す訳にもいかないのだ。

「まず初めに……いや、あんた一人に謝っても意味ないとは分かってるんすけど……あたしは、色んな人に迷惑かけた。あんたの事だってあと一歩で殺しかけた。本当に、面目ないっす」
「それは私も同じね。聞いたわ。私との戦いで、貴方の父君は……」
「……それは俺が許すか決めることじゃないから、もう言わなくていい」

 無事に事態が収束したというのもあって、王子はその事でわざわざ怒りを発散しようだなどと考えていなかった。自分の家族の中に、赤ずきんの被害者は居ない。であれば、遺族でもない自分が文句など言えるはずも無い。
 そして洋介が守護神アクセスできなくなってしまったことについて、これ以上言及したくなかった。それを理由に、知君に酷い言葉を叩きつけたばかりだ。誰も悪くない。あの日あの時あの瞬間、白雪姫とて被害者だった。あのままだと、洋介はそれこそ命さえ奪われていたかもしれない。
 あの場に居た全ての、窮地に陥った者、誰かの悪辣に晒されていた者、全員を救うにはあの結果しかなかった。これ以上、『何もできなかった自分』が、とやかく言うつもりはない。

「それより今日は、もっと別な話があるんだろ?」
「……やっぱ、察しちゃってるもんすよね」

 ちらと横目で、セイラの様子を窺う。王子の斜向かい、人魚姫の正面に位置する白雪姫も視線を王子から彼女の方に移した。赤ずきんはと言えば、真っすぐセイラの方を見つめながら王子に返答する。

「その通りっす」

 視線を集められたセイラは、戸惑いながら六つの目をかわるがわる見て肩を竦める。威圧的に感じたのだろうか。実際、横目に見ただけのはずの王子も含めて、彼女に突き刺さるどの視線も、スポットライトのように強烈なものであった。
 みんなして一体どうかしたのかと、セイラは首を傾げた。そして、待ち続けただけの甲斐はあった。踏ん切りのついた赤ずきんが、ようやく『その事』を切り出した。
 この場にいる者にとって、避けてはならない苦渋の選択。数日後には全てを決していなければならない。
 そしてその選択を為さねばならないのは、彼女に他ならなかった。

「セイラは……この一連の騒動が終わった時、あたしらとその男の、どっちを取るんすか?」

 赤ずきんの選んだ言葉は、最悪に程近い代物であった。あまりに強すぎる言葉の選び方に、セイラは銃弾で撃ち抜かれたような衝撃を覚える。
 だが、赤ずきんは全てを理解した上で、あえてそんな言葉を選んでいた。この葛藤は、決して甘くはないのだと、強く、より強く、人魚姫に再認識させるために。

「それ、は……」

 誰しもの予想通り。彼女は、咄嗟に応えることなどできそうになかった。