複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.104 )
- 日時: 2018/09/03 00:54
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
誰しもの予想通り。彼女は、咄嗟に応えることなどできそうになかった。
「カレット、流石にそれは酷でしてよ」
「駄目っすよ、ノイト」
見るに見かねた白雪姫が赤ずきんを諫める。しかし、刺された釘に怖気づくことなく、むしろ彼女は白雪姫に食ってかかった。
「後回しにしても、何もいいことないっす。それに、優しい言葉で導く訳にもいかないじゃないすか。今のうちにはっきり決めておかないと、全部終わってから後悔するんすよ」
「分かっています。それでも、先ほどの物言いでは品性が欠けていましてよ」
「だから、それは全部セイラのためを……」
「例えそうであっても先ほどの言葉はただセイラを傷つけただけ。それは私達の本意では無いですよね?」
意地でも退こうともしない赤ずきんに向ける視線を、彼女は鋭く尖らせた。同時に、叱責の意を込めた眼光は、氷柱のように冷たく輝いた。突き刺さる眼差しは、まさに彼女の名を指すがごとく、白雪のように冷たいものであった。びくりと、肩を竦ませた赤ずきんはあまりに冷え切った眼光に体が凍てつき、かじかんだ手のようにぎこちない動きになってしまった。
分かってくれて嬉しいわと、白雪姫がようやっと顔を綻ばせた。よくある作り笑いと違って、目も温かみを取り戻している。きっと、いつも赤ずきんが場をかき乱しては彼女が何とか御しているのだろう。白雪姫が彼女の手綱を握る様子は、あまりに手慣れたものであった。
しかし今気にかけるべきは。ガラスの仕切りで隔てた二人から、視線をセイラの方へと向ける。その目元に、いつもの笑みは浮かんでいない。何となく、青ざめているように見えた。鱗の形をした耳飾りが落ち着きなく動いているのは、当然場を楽しんでいる訳では無く、所在なさげに不安を表現しているのだろう。
「セイラ、大丈夫か」
幾何かの、沈黙。というのも人魚姫は、自分が声をかけられているだなどと気が付いていなかった。赤ずきんの厳しい問いかけに視線を逸らした後、直視できないまま何もない空間を見つめることしかできないでいる。
肩を叩き、もう一度声をかける。ようやく気が付いた彼女ははっとした様子で、大げさな動きと共に王子の姿を目にした。動転したせいで広がった瞳孔が、眉尻を下げて彼女を案じている王子を捉えた。
「ごめ、なさ……」
「別に誰も怒ってないよ。落ち着いて。どうせ誰が急かす訳でもないんだ、ゆっくり考えようぜ」
そんな悠長なと口を挟もうとする、赤い頭巾を纏った少女。しかしそれを先に読んでか、隣に座る氷雪のごとく真っ白な姫がカレット、と名を読み上げた。目を合わせるまでも無く、その眼光の温度など察せられた赤ずきんは、その場で言葉を詰まらせる。あまりに抑揚のない、平坦な声音は、吹雪よりよほど恐ろしい、じわじわと押し寄せる寒波のように感じられた。
それがこちらに向いていなくて助かったと、少年は身震いを一つした。そんな様子がどことなく可笑しくて、小さく笑い声をこぼしたセイラの表情に血の気が戻って来る。ありがとうと小さく呟いた彼女は、そのまま王子の手を軽く握った。
「でも、カレットの言いたい事も分かるわ。確かにこれは、ぐずぐずと先延ばしにしちゃいけないことよね」
「そ、そうっすよね」
「うん。でもね、カレット、一つだけちゃんと知っていて欲しい事があるの」
私はどっちも捨てたくない。きっぱりとセイラは、まずその意志を述べてみせた。どちらかを選ばなければならないにせよ、自分はその双方を大切に想っているのだと、伝えなくてはならない。
友であるカレットが、何を意図していたかに関わらず、捨てるだなんて言葉を使ったことだけは、そのままにしてはならないからだ。
「私は、要らない方を切り捨てる訳じゃないの。誰か、じゃなくて、どちら、を捨てるんじゃなくて選ぶべき」
自分が居たいと願う場所は、運命の相手の隣なのか。それとも、幾星霜の月日を共に過ごした友と共に囲む円卓であるのか。より自分がいるべき場所を考えた上で、自分の立つ瀬を決めなくてはならない。
「でもこれは、きっと私一人だけで考えちゃ駄目だと思うの」
「と、言いますと? 他人の意見に身を委ねるということ?」
「いいえ、違うわ。私の独断だけで決めても、それが一番いいのかなんて分からない。だから、私は皆の意見が聞きたい」
「勿論カレット、貴女がどう思ってくれているかも、ありのまま教えて欲しいわ」
あくまで誰かのためかと、白雪姫は何とか溜め息を飲み込んだ。何、昔から分かり切っていたことではないか。セイラには優しすぎるきらいがある。自分のための決断でも、誰かほかの者の最大幸福を考えずにはいられない。
それは確かに強さと言えるべきものだ。ここぞという場面で、他人を優先できる。しかし、それは裏を返せば自我が弱い証明にしかならない。
このまま話を進めていくと、セイラの選択肢は彼女自身を不幸にさせかねない。だというのに、白雪姫、ノイトは彼女の決め方を律しようとはできなかった。彼女自身、そんな風に思慮深くいられる彼女に惹かれて、付き合い続けてきたのだから。
自分の好む彼女を裏切り、その行く手を阻む訳にはいかない。ただでさえ自分は、フェアリーテイルとなって彼女の心を傷つけた身だ。今ぐらい、セイラのために黙っていても罰は当たらないだろう。
そして人魚姫の問いかけに、初めに応えたのは赤ずきんであった。
「私は当然、セイラはフェアリーガーデンの方に帰るべきだと思ってるっす。……いや、分かってる。あたしがどんだけ他人様に迷惑をかけたのかも、あんたにとってセイラがどんだけ大切かも理解してるつもりっす」
その瞳は、王子を捉えていた。彼女の瞳は、口よりも雄弁に物語っている。「でもそれは、自分たちにとっても変わらない。同じなのだ」と。
「無遠慮なのも不躾なのも、思いやりにかけてることも無神経なことも分かってる。でも、それでもあたしはセイラと一緒に居たい。大体分かってるんすか。あたしら守護神は不老不死っすよ。これから先何千年何万年と生き続ける。でも! そこの兄さんはどんだけ長くてもたかだか百年ぽっちで死んじまうんすよ。……確かに、その間だけはセイラは幸せかもしんない、でも、その後いつ終わるとも分からない時間をこっちの世界でどう過ごすつもりなんすか!」
守護神アクセスした人間が行使した能力は、時として行使者の死によって途切れることがある。ドルフコーストの洗脳能力と同じく、途切れないものも中には存在するが、それでも多くの能力は行使した人間の死と同時に解除される。ジャンヌダルクも一応はこの例に漏れない。
だが、琴割は死なない。それゆえ、彼が守護神のガーデンと現世の間の出入りを拒んでしまえば、半永久的にセイラは二度と故郷へ帰れなくなる。目の前にいる二人を含む、親友とは今生の別れを告げることになる。そしてその今生は終わりがない。悠久であり、永遠。たとえ宇宙滅びようとも彼女だけはこの世に留まり続ける。
何の娯楽も無く、血も沸騰するような異常地帯、息も出来なくなるような苦行の空間に成り果てたとしても、それでも生き続けなくてはならない。その頃には琴割も死ぬかもしれない。だが、死んでいないかもしれない。
人間社会が終わってしまうことを琴割が拒み、永遠に栄え続ける可能性もあるだろう。だとしても彼女は帰れない。ジャンヌダルクに期間を拒絶され続ける限り。
「たかだか百年ぽっちのためにセイラが全部投げ捨てるのはあたしには我慢ならないんすよ。だったら……だったらあたしは離れたくない。絶対誰にも渡さない。渡したくない、たとえセイラがそいつの事好いてても嫌っていても関係ない。人間なんかに渡せない、だってそいつら、最後まで添い遂げちゃくんないじゃないすか」
救ってくれた相手にこんな事を主張するのは間違いだとは分かっている。むしろ王子こそ、人魚姫に懇願する権利があるのだということも。言われないと分からないほど、彼女は愚かではない。
それでもなお、彼女が親友の幸せを願う気持ちは偽りでもなく、セイラにとっての王子様が抱く感情に引けをとるものでもなかった。
それだけではなく、自分も共に過ごしていたいという強く明確な意思をも告げた。セイラではなく、王子の様子を窺う。今、語り掛けている相手は初めに尋ねたセイラではなく彼の方だった。お前には果たして、今言ったことを理解できているのか。理解できているならその上で、どちらを選ぶつもりなのか。
彼女が口にしたのは正論だと、赤ずきん自身が誰よりも強く感じていた。だからこそ、少しは王子の顔色は動揺に染まると思っていたのに、それにも関わらず彼の表情は陰らない。反論もできない正しさと、王子が拒みたくなるだろうほどに強い断言。
それでも少年の顔色は、微動だにしなかった。以前までの彼であればきっと、多少は戸惑ったことだろう。俺だって、そんな事を口にして強く反発し、泥沼の口論を引き起こしたはずだ。
かといって、かつての彼とも違っていた。人魚姫と出会う前、自暴自棄になってへらへらと周囲に迎合していた彼ならば、きっとここは薄っぺらい笑みを浮かべて賛同したことだろう。その方が、きっと敵も傷も少なくて済む。
しかし彼は、媚び諂いさえしなかった。その態度に不可解さを覚えたカレット。しかし、王子が答えるよりも早く別の声が彼女の意見と真正面から衝突した。
「……私はむしろ、セイラはこちらに残る方がいいと思います」
「ノイト、何言って」
「悪いわね、カレット。けれど、何も可笑しくなくってよ。貴女は知らなくて仕方の無い事。私達だから分かること。こうと決めた殿方の傍に添い遂げることが、どれだけ本望である事か」
「そりゃ確かに、あたしにそれは分かんないっすよ」
見つけてもらえたのか悲恋のまま水底に沈んだのか。即ち、報われたか否かに関わらず、白雪姫も人魚姫も、恋の物語だ。かたや田舎の美しい少女、かたや海に住む亜人の美女。二人の共通点はただ一点、王子に恋焦がれた、それだけだ。
しかしその唯一が、何よりも大きい。シンデレラを加えても、赤ずきんの立場は変わらない。彼女だけが、恋知らぬあどけない少女のままだ。運命の相手と言えば、己を喰らう狼程度。良縁とは、口が裂けても言えはしない。
「そう、だから。私はその喜びを知っているから。だからこそセイラに言ってあげられる。幾星霜、億の朝焼けに兆の日暮れ、那由他の夜が訪れるとしても。それでもこの先貴女の送る数十年は、かけがえのない宝物になるはずよ。この地で、その子と共に居続ければ、ね」
「でも、向こうに戻っても本来の……いや、何でもないっす」
それ以上、続ける訳にはいかない。セイラの事情をすんでのところで思い出した赤ずきんは、そのままその場で黙り込んだ。灰被り、眠り姫、白雪姫。全員、必ず誰かと結ばれている。しかし、しかしだ。悲しいことに人魚姫は、王子から見向きもされなかった。存在を認知さえされなかった。スタートラインに立つまでも無く、勝負は決していた。
「これまで知ることのできなかった幸福を、今享受できる。それなら、私が止める理由はありません」
「ノイト、でも私はね、そんな簡単に決めていいとも思って」
「簡単なものですか」
自分には貴女の事情は完璧には把握できない。そう、白銀の髪を振り乱すように首を左右へ。容易な結論だとの声を否定した。
「私は何より強く覚えてましてよ。老獪な魔女の毒に苛まれ、そのまま意識も闇に落ちるばかりと思っていた時。一条の光が私を奈落から救い出してくれたことを。開いた視界に飛び込んできたあの人のご尊顔のことを」
とこしえの眠りという、視界としての暗闇だけではない。もう目覚めることも出来ず死を待つのみという、絶望。その心理的な闇からも引き上げてくれた彼の光輝くほどに眩い姿は、この網膜に焼き付いて、幾つもの日を跨いでも消えはしない。
「セイラと彼とがどう出会ったのかは知りません。もしかしたら私が見ていないだけで、最悪な出会いだったのかもしれませんわね。それでもきっと貴女は忘れられないと思う。畢竟、初めてもらった言葉を、見つけてくれた喜びを噛み締めてしまう。そんな子よ、貴女は」
その言葉は、痛い程胸に沁みた。何せ事実だ。人魚姫は、あの日の事を片時たりとも忘れられた事など無い。
『俺がお前を、ハッピーエンドにしたいんだ』
『物足りないかもしれないけど、俺をあんたの王子にしてくれ』
そんな事、伝えられたのは初めてだった。そんな事言ってくれる男性なんて、いないと運命づけられていたから。
悲劇の世界を描いた、作者(かみさま)のせいで。
「納得してくれたみたいね」
「それはもう」
「でも、そんなのあたしは嫌っすよ」
「ごめんなさいね、カレット。貴女には難しい事かもしれないけれど」
「関係ないっすよ! じゃあ、じゃああんたの方はどう思ってんすか?」
ぎろり、眼光が怒りに燃ゆる。炎のように揺らめきながら、鈍い瞬きを持って紅玉のような二つの瞳が、王子に焦点を合わせていた。名前に即して、赤を基調とした容姿なのだろう。フェアリーテイル化はもう解けていると言うに関わらず、いや、だからこそ彼女は澄んだ紅の目をしていた。
「人間、あんたはセイラに残って欲しいって本当に思えるんすか。今あたしが言ってのけた、こっちにセイラが残るデメリット全部踏まえた上でっすよ」
これまで己の意見は言わず、場を収めようとしていた彼に視線が集まる。と言っても、不安げに震える隣の女性の手を握っている程度のことしかしていないが。
平時であれば彼自身緊張して、気が気でなかっただろうに。ひとたびその相手が苦悩しているとなると、そんな緊張など全て吹き飛んだ。
誰を見て学んだ訳でもない。握りしめた指先から次第に熱を帯びていく。一時は青ざめていた頬さえも、いつしか血色がよいと言えるところまで戻っていた。
「俺は……」
勿体ぶって時間を取ろうともせず、かと言って考え込む訳でもなく。彼は自分の大事にしたいものを口にした。それだけは、譲りたくないと思った最終防衛ライン。最低限、護らなければならないと思ったある基準。
しかしそれを語る上で、初めに言わねばならぬもの。それが赤ずきんの琴線に触れて、それを告げるや否や。
「俺は……正直、どっちを選んでも構わないと思ってる」
爆発した。