複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.105 )
日時: 2018/09/05 01:30
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「どっちでもいいってあんた、何適当なこと……」
「待ってくれ。そこで終わったら確かにろくでもねえ答えだけどまだ続きがあるんだ」
「は? ろくでなしって分かっててよく言えたもんすねあんた!」

 額を硝子の板に押し付け、犬歯をぎらつかせながら、赤ずきんは吠えた。王子の言葉にこれ以上耳を傾けようともせず、眉間に強く力をこめて、二本の眉で谷を形成するようにして。厚い透明な隔壁越しでも、その声の圧が届く。びりびりと、手先が痺れるような感覚を覚えるほどに。
 流石は最恐とまで言わしめたフェアリーテイル。個人での実力はシンデレラに譲れども、彼女もまた立ちはだかれば強大な壁。いざ立ちはだかれば多くの命を簡単に薙ぎ払う、その印象が植え付けた恐怖の種が、腹の奥の方で呼応しているようだった。もう、恐れるような悪人でもないというのに、以前殺されかけた記憶が蘇り、ひゅっと背筋が冷たくなる。

「カレット、話を聞いてあげて」
「セイラも何言ってんすか。今の言葉ちゃんと聞いてたんすか、こいつあろうことかどうでもいいって言ったんすよ」
「そんな事言ってない。どちらでも構わないって事よ」
「つまりどっちでもいいんじゃないすか、適当過ぎっすよこの男」
「王子くんはそんな人じゃない」
「ほだされないで欲しいもんすね、ちったぁセイラも現実を見て」
「現実を見るのは貴女の方よ」

 息を巻く少女であったが、不意の尖り声に喉を詰まらせた。あっ、と声になるかならないか、その狭間の吐息を漏らして、同時に怒りの朱色が頬から引いていく。虎の尾を踏んでしまった。それに気が付くには些か遅すぎた。
 目にするのはあまりに珍しい。黄金の瞳が鈍く瞬いていた。いつも優しく包み込んでくれる、春の日差しのような眼光だと言うに。真夏の日差しのようにぎらぎらと照り付けてくるのに、秋の終わり、木枯らしのような寒気を覚えた。

「話を聞きなさい。まだ続きがあると言われたでしょう」
「けど……」
「返事は?」
「分かりました」
「他に言うことは?」

 言い訳がましく主張しようとも、すぐさま続く言葉を遮られる。しゅんとして、小さく背を丸めた彼女は引き下がり、親友である人魚の様子を窺った。まだ、金色の双眸は、淀んだ怒気を孕んでいる。
 他に言う事、と促されてもすぐには思いつかなかった。当惑しながら首を傾げるも、より一層セイラの表情は強張っていく。怒るとしたら自分云々というよりも、他人への振る舞いに関しての事だろう。彼女の性格上、怒るとしたらそこ以外に考えられない。
 とすれば今は、彼女の隣に座る少年に対してのものだろう。仕方が無いから、渋々、誰が見てもそれが伝わる態度で彼女は謝辞を述べた。むくれ面が見えないようにそっぽを向いて。少女が不満げに頬を膨らます表情は、真っ赤な頭巾に隠れて見えなかった。

「話遮って悪かったっすよ。続けてください」
「よくできました」

 辛うじて、柔らかくなった鈴の音に、ホッと胸を撫でおろした。セイラが怒るようなことはめったに無い。それでも、彼女を一度怒らせたとなると厄介だ。何せ大概の場合、セイラは間違った者と対立するようにしてその激情を露わにするのだから。
 もう大丈夫かな。そう判断した少年は、ほとんど目にしないパートナーの怒り姿を新鮮に想いつつも、一旦閉じていた口を再び開いた。

「俺は、セイラがどっちを選んでも構わないと思ってる。ちゃんと自分で考えて、悔いのない決断ができたんだとしたら」

 何よりも大切なことは、後から悔やまないことだ。あの時、ああしていれば。そう思う余地も無い程悩んで、考え抜いて、あれだけ考えてこちらがいいと決めた結論であれば、将来辛く苦しく感じた時にも納得できるだろうから。

「赤ずきんの言ってることは分かる。俺が死んだら、ずっとこっちで一人ぼっちだって。白雪姫が言う通り、それでもこちらに残るべきなのかもしれない。けどそれは多分、俺らがごちゃごちゃ押し付けていいものじゃないんだ。例えそのいずれかが、明らかに不幸な道だったとしても」

 セイラの意志は誰の者でもない、強いてあげるならば彼女自身のものだ。であれば、こちらの方が良いだとか、あちらの道の方がより幸福だなどと指示するのは間違っている。誰かが命令した通り従っても、後になってきっと不満は出てくるだろう。そんな時、今自分が歩いているレールを敷いたのが他人であれば、ふと思ってしまうことだろう。
『ああ、やっぱりあの時、ああしていれば良かったんじゃないか』と。
 そう思ってしまわないように。未来の彼女がかつての選択を後悔しないために。最も大切にするべきなのは、誰と一緒に過ごすかを決めることではない。

「俺は今までさ、選択肢がない人生だったんだよ。なりたい未来へ続く橋が無かったんだ。だからこそ思うんだよ、どっちに進むか悩むことが何より大切なんじゃないかって」

 思えば、これは自分の経験だけではない。生まれながらにして、最前線での戦闘を宿命づけられた友人の姿を思い浮かべる。本人は、野蛮で物騒なことなど何も望んでいないと言うのに、敵対した者のみならず、万人からあらゆるものを奪い取るよう操られていた少年。
 彼もまた、選択肢の無い、他人に引かれたレールばかり歩まされていた。そしてどうなった事だろう。不調や故障に気が付かないまま、いつしか脱線してしまった。真凜という優秀な整備士が居なければ、廃車になってしまっていた程派手に。

「どちらの道が幸福なのか、どっちを選ぶべきかなんてそんなに大事なことじゃないってのはそういう事なんだ。一番護るべき意志は、セイラ自身が自分の選択は幸せだったと、ずっと信じていられるかどうか。あの日選んだ答えは間違いじゃないって言えるよう、“どんな風に選ぶか”なんだよ」

 だから自分は何も言わない。その選択に、他者の願望が入り混じってしまわないように。その期待は、願いは、きっといつかノイズになってしまう。

「俺も、今後セイラがそっちとこっちを行き来できなくなるってさっき知ったばかりだ。まだ困惑してる。何て声をかけていいのかよく分かってないし、焦らなくていいよ、って問題を先延ばしにしてるようなことしか伝えられてない」

 そんな折に思い出したのは、何よりもまず自分の家族たちの事だった。人魚姫という守護神といつしか契約していた彼に、家族は揃って目を丸くした。勝手な事をしてと怒ろうとした父と兄の怒りも、見ることができた。それでも、二人とも怒ろうとしなかった。能天気な母親だけがよかったわねと手放しで喜んでくれて。
 そしてそのまま、自分で選ばせてくれた。危ないから下がっていろと喉仏まで押し寄せてきた言葉を取り下げた。心配で、不安で、できることなら危険な場所に来てほしくないというのは、眉尻の微妙な皺で簡単に察せられた。それを伝えようにも、伝えられないもどかしさも含めて。
 なぜなら全員、知っていたからだ。残酷な現実に、幾度となく声を殺し彼が涙した現実を。
 それを暴露した日までに王子は、とっくに何度も死地を越えていた。特に最大の死地は、その日直面していた桃太郎との対面であったが。一度目と違い、契約者を得た桃太郎相手に、二度も殺されかけて、その度に助けられた。まずは真凜、二度目は知君。
 それを乗り越えてなおも、立ち上がると決めた王子に、否定的な声をかける家族は一人としていなかった。

「だから俺は黙って待つよ。確かにこれはセイラにとっては少し酷かもしれない。この辛い悩みを、誰の意見を聞くことも無く、死ぬほど悩んで。悩んで苦しんで悩み抜いた上で、自分一人で決めろって言ってるんだから。でも、自分で決めなくちゃ駄目なんだよ」

 惚れた腫れたではない。自分が誰かの役に立って悦に浸りたいだけではない。彼が彼女のために努力する理由は、初めからずっと自分のためだった。自己満足であって、自己陶酔ではない。彼はずっと証明したかった。不幸の星の下に生まれたような自分達でも、幸せになれると。哀れで可哀想でも無く、望みや夢を叶えられると。
 人魚姫をハッピーエンドにする。それを通じて、自分の願いだって叶えられると、証明したかったからだ。
 彼女に幸福な結末を迎えさせてあげたい。迎えさせる。してみせる。あの日の欲求は、いつしか願掛けのようになり、自分独りの中で誓いとなって、今となっては約束となっていた。

「俺は、そう言いたかったんだ。納得してもらえたか?」
「ふん、ま、及第点ぐらいじゃないすかね」

 頭巾を目深に被りなおす。適当なこと言いやがってと早とちりした自分が、ひどく幼稚だったからだ。羞恥で顔がやけに熱い。それを認めるのも見られるのも屈辱的で、咄嗟に顔をより一層隠してしまった。僅かでもその敗北感にも似た劣情を隠すように、ふんぞり返った言葉で一先ずは王子を認めることとした。
 その強がりが可愛らしくて、隣に座す白雪姫はくつくつと声を漏らしながら肩を震わせていた。

「では、私がセイラに残るよう勧めたのも、お節介だったようですね」
「そういう訳じゃ……とは言いたいけど、まあそうなるか」
「ほんと、セイラはいい人を見つけましたこと」

 そこからほんの少し談笑を続けたあたりでのことだった。面会時間の終わりを告げるアナウンスがスピーカーから流され、席を立つよう促される。そのままの姿では歩きにくいだろうと、王子はセイラの手を取った。その意を汲んだ彼女も、すぐに呼吸を彼と合わせる。
 守護神アクセス、そう揃って口にすると、セイラの姿はたちまち空に溶けるように消えてしまった。目にできるのは今や、契約者の王子只一人。

「じゃあな、二人とも。今日はわざわざ有難うな」
「いいえ。むしろ急な呼びかけに応じていただき、礼を述べるならこちらでしてよ」
 ほらカレットと、また少しいじけた様子の少女を急き立てる。
「分かってるっすよ」
 そんな風にぶっきらぼうな口ぶりで、王子をまたじろりと弱く睨んだ。
「……不幸にさせたりなんかしたら、絶対許さないっすよ。よく覚えてろよおたんこなす、ばーかばーか」
「はあ……また貴女はそうやって子供のような事を……」

 名残惜しく親友の消えた空間を見つめなおし、俯いた。きっとその表情を見られたくなど無かったのだろう。足元ばかり穴が開くほど凝視しているかのような彼女の背を、白雪姫の真っ白な手がそっと撫でた。
 そのまま王子が部屋を出て、扉を閉めるその時まで、ついぞ彼女が顔を上げることは無かった。新しい建物だけあって、軋むようなことも無く。ただ閉じるときにドアのラッチが首をすぼめては、また飛び出す音だけがカチャリと一言漏らす。
 残る二人も早いところ自室へと戻るように、係員から促される。赤ずきんが落ち着くまで待ってもらえないかと白雪姫はカメラに向かって尋ねた。万一自分たちが暴れたりしないよう、ここでの会話は聞かれているし、様子も見られている。
 なるべく急ぐようにと、寛容な答えが返ってきた。謝意を口にするようなことは無く、代わりにただ浅く腰を折ってお辞儀をした。姿勢を戻すと、そのまま赤ずきんの傍に再度寄り添って、頭巾ごしに頭を撫でてやる。
 よく堪えたわねと、口には出さずにただ優しくその輪郭をなぞる。力のこもらない小さな掌が、ノイトのドレスの袖口を掴んだ。子供っぽくて、暖かそうな、赤い掌はまるで秋口の紅葉のように映った。

「何であんな事言ったんすかノイトは」
「セイラは残るべき、という事かしら」
「それ以外に何があるんすか」

 雫が一つ、二つ。床に滲むように広がった。落ちて放射状に広がった雫の跡は、何かが潰れたシルエットとよく似ていた。

「貴女と同じ。私は私なりに、彼女の幸福を考えたつもりでしてよ」
「でも……それでも何で、何でノイトは……」

 上手く言葉が紡げない。嗚咽に塗りつぶされてしまい、想いは上手く伝達できそうになかったというのに。言うまでも無く、その意思は元来白雪姫の胸中にも根付いているものであった。
 心にぽっかりと穴が空いてしまいそうなのは、何もカレット一人だけではなかった。その空白を埋めるように、ノイトも小柄な乙女を抱き留めた。純白のドレスに顔をうずめて、真紅の瞳からは水晶の雨のように寂寥が滴り落ちた。
 瞼から零れることなく、眼球の傍に涙液が溜まっている様子は、虹彩の色が透けているせいか血涙によく似ていた。

「私だって、セイラと離れたくないと思っていますわ」

 涙を見せるのは、一人でいいだろう。脆い彼女を支える自分ぐらい、気丈に笑っていなければならない。
 取っておこう、この喪失感は。いずれ、本当に別れが来たその時のために。
 できる事ならば、そんな日が来ないことを願って。