複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.106 )
- 日時: 2018/09/12 17:21
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
王子が彼女らに呼びだしを受けたのと同刻、知君達も琴割に招集を受けていた。初めは知君一人で構わないと考えていたのだが、奏白達は信頼するに値する。既に、知君がELEVENという機密さえ知ってしまっているのだから、これ以上隠し事を重ねる必要性も無い。無闇に人に語るどころか、信頼できる相手にも沈黙を守ってもらえることだろう。
琴割の部屋に呼びだしを受けたのは、奏白にとっては三か月近く前に一度のみ。真凜にとっては初めての体験だ。元々あまり上の人間に呼び出されてもあまり緊張しない奏白だが、彼とは違って妹の方はというと、少し体が固くなっていた。
たまに忘れてしまいそうにもなるが、無理も無い。奏白は真凜の、ぎこちない態度を見ても別段驚きはしなかった。もはや戦力として無くてはならない彼女ではあるが、それでもまだ警察内部に入ってまだ半年弱。社会に出たばかりの新人もいいところだ。
大企業の平社員が、伝手とはいえそれほど面識がある訳でない社長に呼び出されるとすると、かなり異例の状況だと言えるだろう。
呼びだされた理由は分かるやろ。モニターの電源をオンにしつつ、白髪の男は問いかけた。わざわざ映写するものを用意しているのだから、録画された映像を見るに違いない。となれば、先ほど名の上がった、シンデレラの契約者からのメッセージと考えて間違いないだろう。
シンデレラの契約者の名は、世間的に開示されていない。というのも理由があった。ただでさえ混乱した世の中において、これ以上不安要素を加えてやる訳にいかなかったためだ。此度の騒動を表に立って主導する者が、世界的に著名な人物であったなら、その衝撃はさらに大きい。
所詮は見知らぬ誰かだからこそ、一般的な殺人鬼には純粋な嫌悪が募る。第一印象が咎人で固定されるためだ。そのフィルターを通して人物を眺めるために、時に憎悪を純真に込められる。この者は、罪を犯した人間だから、否定しても構わないと。
奏白にはまだ伝えられていない。伝える暇が無かったためだ。しかし、真凜と知君は病室において予め知らされていた。シンデレラの契約者は、星羅 ソフィア。世界的に活躍している歌手の一人。いや、その程度の言葉では物足りない。つい先日復帰したばかりの、現代において最も待ち望まれている、歌姫だ。
彼女は一年前に活動を停止するまで、母親が日本人ということもあり、親日派のシンガーとして名をはせていた。他国と比べれば、他の歌手と比べれば日本公演の数も多く、本人の言語も堪能だ。災害が起きればチャリティイベントも行い、プライベートで家族旅行にも訪れる程。
そんな人間が、日本を隅々まで磨り潰そうとしている、実際に東京を半壊させた一連の事件の主犯であると発表するのはあまりに恐ろしかった。行き過ぎたファンさえ通り越し、信者と呼ぶに値する人間が暴動を起こす可能性もある。警察の情報は出鱈目だ、マスコミが偽の情報を流していると。
世間についたイメージも、さらには悪い方向に働く可能性もある。これまであれだけ日本を愛してくれた彼女がそんな事するだなんて、彼女が憎む人間がいるに違いない。その人間こそが真に今回事件を引き起こした人間であると。そういった風評が流れないとも限らない。
事実彼女は、男が正義か悪かはさておいて、琴割への憎しみで動いている事は届いた映像からして明白であった。この部屋の中で唯一先に目を通していた琴割は、それを見越して外部に一切の情報を漏らさなかったのである。
「あの歌姫が、シンデレラの契約者? おい知君、それってマジなのかよ」
「本当です。……ですが、彼女が契約したのはフェアリーテイル事件が起きて以降の話だと思われます」
「ま、確かに前から似てるって言われてたけどよ……。それなら、いつ契約したって言うんだ?」
「それは分かりません。あくまで僕はその事を、ネロルキウスの能力で推察しているだけですので」
ネロルキウスの能力は、形勢の特質を有しているシンデレラの通用しない。その延長で、傾城であるシンデレラにまつわる情報を仕入れることもできない。故に、彼女がいつ頃契約したのか、契約したとしたらその相手が誰であるのか、調べることなど不可能、という訳である。
ならばなぜ、彼女が契約者となったのが事件が起こって以降と断言できたのか、それは王子達の影響に他ならない。人魚姫に関する情報は仕入れられる。そのため、人魚姫が『世界で初めて守護神アクセスを行ったフェアリーガーデンの守護神である』という情報を知っている以上、シンデレラ達が契約したのはそれ以降ということになる。
「そして、アリスと戦った際に、僕の脳裏にちゃんとソフィアさんの情報は入ってきました。例の歌姫が一年ぶりに活動を再開するという情報です。当時日本に入国したばかりの日付で、何人かの対策課外の人間が警備に当たっていると聞いていたせいか、その情報は強く頭に残っています」
もしあの瞬間、既に契約を結んでいたとすれば、そんな情報は飛び込んでこない。そもそもアリスとの交戦時においては、王子達すら契約していないため、それよりさらに後になるだろう。すなわち、現世にシンデレラが姿を見せてから一か月以上の後に、契約したと言う事実だけは間違いない。
「一時シンデレラが一か月以上、全く姿を見せていない時期がありました。あれはおそらく」
「まず、間違いなく契約者が海外におったからやろうな」
「同行していた可能性も高いですね。守護神アクセスを重ねていないと、接続許容時間は伸びにくいので」
「星羅がこないだ日本公演した日、日付が変わる直前にシンデレラの襲撃があったはずや。そん時もしかしたら既に契約しとった可能性もあるか」
むしろそのタイミングを逃せば、他には無いのだろう。あの日確かに、普段よりもシンデレラの撤退はずっと早かった。十一時を超えてから現れたと言うのに、いつものように十二時直前ではなく、十分以上も余裕を残して去っていった。
あれが、気まぐれではなく守護神アクセスの許容時間限界に関係していたとすれば、そうとしか考えられない。
「……でしたら総監。わざわざ私達をここに呼んだとなると、その映像を見ればよいのでしょうか」
「せや。そうでも無かったら呼んどらんわ」
届いた映像を公開できない理由は他にもまだある。映る彼女が発する言葉のせいだ。彼女は、一年越しの怨恨を、腐ることなくより濃く煮詰めて、琴割にぶつけていた。目にすれば、彼女の怒りに共感する人間も少なくは無いだろう。むしろ琴割が悪だと断じる者もいない。
警察という正義がフェアリーテイルという暴漢達を諫める構図が、武力で弾圧する琴割に対する、一人の少女の復讐劇に変わりかねない。被害者である自分達日本人であれば、そのような感傷に囚われることは無いだろうが、決して自国の出来事でない面々にとっては、琴割という男がたちまち弾圧者に早変わりしてしまう懸念がある。
しかし、星羅ソフィアというのは強い意志を持っていた。目的を違えることなど無かった。あくまでも彼女は、琴割を貶めるのではなく、琴割への復讐を果たすことを目的としている。彼の信じる正義の破壊。平穏の落日。それは、彼を権力者の立場から引きずり落とす事とは異なる。
むしろ、そのまま天に居続けてくれた方が好都合だ。彼を引きずり下ろすだけでは、また昇りつめてしまう可能性が高い。多くの人々と違い、琴割の生は無限に等しい。ここで彼一人どん底へと叩き落しても、ソフィアの死後に再び覇権を取りかねない。
彼女の復讐は、琴割が最高権力者であるまま、作り上げた平和の概念を叩き壊すところにあるのだから。その失態は、終わり無い琴割の生に穿つ楔だ。完璧でなくてはならない、ELEVENの契約者としての軌跡。その中に拭い去ることのできない汚点を刻み付ける。
彼は、一度自分の家族を取りこぼしてしまった、それゆえに完璧主義者だ。自身の失敗など到底許せない、認めようともしない。それは知君に対して取り続けてきた態度も裏付けていることだ。その態度が間違っていたと諭すのに、一体幾人の労力を割いたことだろうか。
「知君の身の上話を聞いた時にも、儂への不信は募ったじゃろうが、今回もまた募るかもしれん。けどな、儂を怨むんは一旦後回しや。この事件の主犯の理屈を知る。目的、そして手段を。そして日の本を護るんがまずは最優先や」
当然ですと、真凜は頷いた。かつて、アレキサンダーの契約者、壊死谷を検挙するまで見当違いに囚われていた彼女だからこそ、強くその言葉に同意した。面子に囚われて目的を履き違えてしまうのは愚者の行い。そのように過日の己を恥じ、戒めていた。
彼女の知君への認識が大きく変化したあの日まで、彼女は自分の在り方というものが不安定だった。心の奥底では護りたい誰かの平穏を願っていたのに、それを叶えられているか否かという、自分の見栄ばかり尊重していた。その後も、取るべき態度のずれは付きまとった。警察の外部、一般人の延長の知君に無理をさせたくないと願い、遠ざけ続けた。
認めて褒めてあげることが、一番喜ばせられる選択であったのに。無理にでも休ませてあげようと、負担を減らしてやろうと奮起したのが、余計に彼を傷つけていた。意地を張って、声をかけずにい続けたせいで。
だからこそ、もうこれからは、見据えるべき一番の目標を定め間違える訳にはいかないのだ。もし何か、悲しい理由があったとして、同情も憐憫も後回しだ。琴割への場違いな憤慨も当然脇に避けるべきだ。たとえ彼自身が、初めからそのメッセージを理由に、琴割 月光という男への敵意を煽られる可能性があると宣告するほどであろうが、今考えることはそうではない。
この大規模なテロ行為を、まずは終わらせる。市民にとっての安全こそ、何より優先して然るべき、最も尊いものであるのだ。
モニターのスイッチが入れられる。音も無く、暗かった液晶が無数の色に彩られた。映し出されたのは、東洋人に近い顔立ちながらも、色白の肌に彫りの深い顔を持つ麗人。明るいブラウンのヘアと人魚姫に程近い黄金の瞳を持つ女。星羅 ソフィア、世界の歌姫と呼ばれ、その名を知らぬ者の方が少ないだろうと言わしめる程の人物。真凜よりもなお年下だというのに、歌唱界においては現代世界一と讃えられる。
ホテルの一室、高級そうな椅子に座っている姿を見ていると、ライブDVDの特典映像か何かを思い起こさせる。そう言った女性なのだ、このソフィアという者は。何気なく、敵意を剥き出しにしてカメラと向き合っていると言うのに、人を虜にするような魅力を備えている。
彼女と同じ血を引いているとは、知君には到底思えなかった。ネロルキウスを呼びだした時であればこれだけの覇気を自分も帯びているのかもしれない。しかし、自分一人だけでこれだけの凄みとも呼べる威圧感を纏えるかと問われても、不可能に思えた。
これはきっと、聴衆の前で威風堂々と歌い続けてきた彼女の気迫。誰に対しても臆せず、怯むことの無い凛とした佇まい。きっと、各国の著名人と顔を合わせるような機会も多かったのだろう。音楽の世界、その頂点を走る一人として、若いながらもその態度を示さねばならなかった彼女は、貫禄にも似た沈着さを得ているように見えた。
母親が同じというのであれば、これは父親の違いからくるものだろうか。そう考えども、すぐに自分で否定する。これはきっと、信念の違いだ。教育環境の違いに他ならない。彼女はその類稀なる才能から、自分の存在価値というものを評価され続けてきた。
しかし知君はそれと正反対だ。才能を無理やり持たされた。その上でしたくもない努力を強要された。結果として失敗してしまい、それゆえに努力も生きる意味も否定されてしまった。彼は、自他共に価値を認められない道化に過ぎなかった。
その自信が、眼光に宿っているだけだ。ラメの目立つ薄桃色のルージュの隙間から、言葉が漏れた。初めまして、そう述べただけのはずなのに。声だけで意識を鷲掴みにされたような心地だった。誰かの声によく似ている。そう思った時、ふと思い浮かんだのはソフィアと同じ黄金の瞳を持った、幻想の国の緑髪の乙女の後ろ姿。級友である彼と、手を繋ぐ後ろ姿。
「初めまして、名前も知らない弟君。そして久しぶりね、月光」
関心を奪われた。だからこそ、続く言葉が重く染み入った。久しぶり、そう語る彼女の声音には、強い憎悪が灯っていた。掴まれた心の中に、あまりに強く燃え盛るどす黒い負の感情を直接注ぎ込まれる。目を耳を、意識の全てを画面に映し出された彼女に向けていたせいで、隠すことの無い憎しみが、音も無く蔓のように絡みつく。
決してこれは守護神の能力でも何でもない。だからこそ知君にも強く響いた。気づけば、その激しすぎる情動に中てられ、視線を逸らす事さえもできなくなっていた。
執念というものはいつの時代も、ただでさえ強い想いをより濃縮させて取り返しのつかないものへ変えてしまう。もはや収集も、引っ込みもつかない。昂り続けた熱を捨てる場所がないために。溶かし続けた時間を思うとやりきれなくなるために。
初めは怒りのみが彼女を突き動かしていた。必ずや母の仇に復讐してやると、泣き崩れるのをやめて立ち上がった。しかし今となっては、点し続けてきた復讐の業火を、絶やさない事だけを義務のように感じていた。薪のようにくべ続けてきたこれまでの時を、悲しみを無為にしてしまわないための責任だけで今や立っている。
妄執が、琴割を殺せと呻いていた。
「貴方が頑なに首を縦に振らなかったせいで母は死んだわ。必要な時には利用しておいて、私の弟をも監禁して。貴方は、この私から家族を奪い取って、変わらない澄まし顔で平和の象徴然としている。許せない。貴方の勝手な取り決めを護ったせいで、母は死んでしまったのに。貴方だけ堂々と例外的に生き延び続けているだなんて」
琴割のせいで彼女の母親、ひいては知君を産んだ際の卵子の提供者が死んだ。ソフィアの告げた事実にその場に居合わせた面々が目を丸くした。世間的には、彼女の母は病魔に冒されて死んだとされている。その認識と、彼女の告白から受ける印象があまりにかけ離れていた。
しかし、脈絡の無さそうな二つの事実は、共に真実であった。真実はいつも一つしか無いと、多くの名探偵は語るだろう。今回においても当然真実など一つしか無い。ただそれは、見方を変えるだけで複数の解釈が生まれるというだけの話だ。
彼女の母、朱鷺子は不治の病を患っていた。科学的な治療は不可能。唯一治せる可能性があるとすれば、ELEVEN、ナイチンゲールの能力のみだ。
しかしそれは、琴割の定めた条例に反する。ELEVENの力は、私的に、個人規模で行使してはならない。大規模なテロ活動において、数万人規模の負傷者が出た時ならば、おそらくナイチンゲールの能力行使権は認められる。しかし、例え一国の統率者であったとしても、一人の病人だけを治癒する目的で許可を降ろすことはできない。
これを決めたのは琴割だ。たとえ彼以外の各国首脳が星羅朱鷺子の病巣を取り除くのに許可を降ろして欲しいとの要請に、頑として首を縦に振らなかったとしても。琴割が定めたこの規約さえなければ、そんな事ばかり考えてしまう。
彼一人だけが、自分の能力で老いと死を拒んでいることも原因に他ならない。他全ての者が、守護神にさえ縋ってしまえば大半の望みを叶えられるというのに、禁じられている。そんな中、規則を整備した男だけが我が物顔で力を振りかざしていたら。それはまさしく憎悪の対象となって然るべきだ。
「七十二億人が認めたとして、私だけは許してあげない。ねえ、弟君。君もそう思ってくれたりはしないかしら」
画面の中、まだ見ぬ肉親に想いを馳せて、彼女は寂し気に目を細めてみせた。