複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.107 )
日時: 2018/09/17 21:56
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「貴方の名前は知らないけれど、私と同じ母を持つ子供が日本にいることはダディから聞いてるわ」

 ソフィアが二歳の頃、とある訳あって星羅朱鷺子は卵子を提供するように琴割から依頼された。彼女が選ばれた理由は大きく挙げて二つ、一つは遺伝子の都合上、もう一つは人柄の都合上だ。前者は確実に必要な条件であり、後者は迷信めいたもの。最上人の界に住む守護神と契約する運命にある人間の中で、心根の優しい人間を選んだのだ。
 ネロルキウスの契約者を生み出す以上、求められる遺伝子は最上人の界をコードしていること。そして、あくまで性格は遺伝しないと分かっていながらも、できるだけ広い心を持った人間の遺伝子が欲しかった。琴割の性格は、当然それほど褒められたものでもない。ならばせめて母親ぐらい誇りに思える人間を選ぶべきだと思った、それだけだ。
 そして白羽の矢が立てられたのは、今更言うまでも無くソフィアの母。ソフィアだけではなく、母親からして才能ある人間であった。彼女は表舞台に立つ側ではない、むしろ裏方寄りの人間であった。若くして多くの賞を受けた、才能ある一人の映画監督だった。娘が生まれた時には、いつかこの子にも出演して欲しいと述べたエピソードが有名だ。結局それは叶わないまま終わってしまったのだが。
 彼女は戦争をモチーフにした重たい作品を取り扱ったこともあった。それはただスプラッタに走るのではなく、戦火で懸命に生きる農民たちの家族愛の話だった。彼女の作る作品には愛に満ちており、ハッピーエンドで終わることが共通していた。反戦を訴えたその作品が世界中で反響を呼んだこともあり、ノーベル平和賞にノミネートされた経験とてある。
 ただ、琴割が卵子提供を頼んだのはそれよりも昔の話。丁度彼女が新進気鋭の演出家として、才能という巨大な宝物、その氷山の一角を表した頃だ。己の守護神が誰であるのかを検索するシステムというのは完成しており、その機械の性能調査の実験の協力者の中に彼女が居た。そしてその実験を受けた人間の中で、唯一琴割が求めていた条件を満たしていた女性でもあった。当時の朱鷺子は経済的に余裕が無かったため、実験協力のアルバイトに協力していただけなのだが、それが縁となった。
 会ってみれば、人柄の良さもあって、ネロルキウスの手綱を握る人間の親に相応しいように思えた。元々体外受精、子宮外培養を前提にしていたため、彼女が既婚者である事実は問題では無かった。

「それにしても、よく断られなかったものですね」
「いやいや、んなもん断れる訳ねえだろ」

 その申し出をすんなりと相手が受け入れた口ぶりに、いささか怪訝そうにしていた真凜であるが、その様子に奏白は嘆息した。ここまで琴割を見てきて、よくもそんな発想に至ったものだと呆れかえる。間抜けた吐息を一つ漏らして、真凜は何を琴割が施したのかを納得した。

「ジャンヌダルクの能力ですね」
「せや。そら今まで儂の部下やってたら分かるやろ。自分の正義に反さない範囲やったら能力ぐらい使うわ」
「自分で、他のELEVENには守護神アクセスするなと言っておきながら……」

 今度は真凜の側が呆れかえる番だった。これなら確かに、あのソフィアが憤るのも無理は無いかとも思える。話を聞く限り、ナイチンゲールの能力さえ使ってもらえれば、彼女の母は今も存命で、こんな騒動も起こっていなかった。しかし、彼は自分の定めた規約に反するからと、例外を認めなかった。その琴割が自分では能力を私用していると知れば、憎悪は募るのもなるべくして起こったことと思えてくる。

「いや、一応正確には反してないんですよ……。琴割さんが定めたのは、『ELEVENの私的なphoneの使用を禁ずる』という内容ですので……。琴割さんは端末無しでジャンヌダルクを呼べますから」
「ガキ大将の理屈じゃねえか」
「条約なんてそんなもんや。大体吹っ掛けた方が有利に立つように出来上がっとる」

 それでも、あまり他国から厳しい目を使われないよう、彼自身ジャンヌダルクの能力行使は最低限かそれ以下に抑えていた。本来であれば、白雪姫や赤ずきん自身、彼が対応すべき大厄災であったように思える。彼がこの条約を定めてから、いくつもの地震や竜巻という、災害さえも受け入れてきた。
 そうやって己を律してこそ、他人への無茶が押し通ると言うもの。事実彼が己の力を濫用しないだけあって、他のELEVENのほとんど全員も、自分の持つ能力とは軽はずみに使用してはいけないものだと理解していた。

「しかもこれを結んだ当時、各国首脳にELEVENは一人としていなかったからな」
「せやな。あの頃裏で好き勝手シェヘラザードを酷使してたロバートも、当時はまだ有力議員止まり。途中からはその身一つで票数稼ぎをせなあかんかったろうに、実際大統領選挙を勝ち抜いたんは本人にもそんな悪うないカリスマ性があったからじゃろうな」

 今となっては、先進国の大統領に、たった一人だけELEVENが紛れ込んでいる。今回のフェアリーテイル事件の関連者を統率する女王。その契約者であるロバートは、ELEVENであり一国の顔である。そこまで登り詰めたのは、ほぼほぼその守護神の力と見て間違えようがない。ある年までは無名な秘書止まりだった彼だが、守護神と契約をしてからは異例の速さで議員となり、次期大統領候補という地位にまで手をかけた。
 このような輩が野心だけで国を動かせる立場についてはならない。そう判断したのも、琴割がELEVENの能力の使用に制限をかけた理由の一つだ。悲しいかな、皮肉にもラックハッカーの能力行使を拒む一番の理由とは、際限なく欲望に忠実に守護神の能力を行使し続けたせいであった。
 とはいえ、最終的に当選したのは彼自身の実力である。おそらくは、せっかくここまで登り詰めたのだからという執念が背中を押したのであろう。実際、ひいき目無しに見ても彼の最終演説は、かつての人望ある大統領に匹敵するほどに堂々とした姿で映っていた。

「ロバートはそのまま何期も大統領を続けとる。最近じゃその地位に満足したからかあんま言うてはこんけど、それまでは能力を自由に使わせろと、まあ五月蠅く吹っ掛けてきたもんじゃ」

 特に、今俎上にあがっているソフィアの母に関する要請の時もそうだ。ナイチンゲールの能力を使ってやるべきだと彼は主張していた。しかし、頑として、他の国のトップはその声に賛同しようとはしなかった。簡単だ、前例を作ってしまえばすぐにこの条約は形だけのものになってしまう。有名人の親だからと特別扱いしては、実質的に国を動かしている大衆の側が不公平だと暴動を起こすことだろう。
 一度ナイチンゲールの能力を、重病人一人を治療するために使ってしまえば、今度は自分も直してくれと言い出す人間が世界中で現れる。医学が発達したとは言っても、それはまだ全ての病気の機序を解明するに至っていない。治せない病も数多く残っている。そんな中、守護神の能力に頼ってしまえば、問題が珠積みになるのは明らかだ。
 まず第一に、その力で治癒される人間をどう篩い分けるかについて。第二に、契約者である人間が、寝る間も惜しまず守護神アクセスし続けなくてはならず、病人のためとはいえその契約者の人権を確保できなくなる可能性について。そして第三に、そんな事をし始めればこれ以上医学が進展しなくなると言う由々しき事態を引き起こさないためだ。
 ある特定の守護神に頼りきりの社会ができあがってしまえば、今の契約者が死に、次代の契約者が現れなかった際に不都合が生じる。現れたとしても、向こう十年以上はその者に情操教育を施すための時間が必要だろう。それだけではない、生まれてきた該当者が悪人だった時、簡単に世の中の平衡が傾いてしまう。
 今の世の中は守護神によって支えられ、発展し、回っている。それは否定のしようの事実であるが、同時にそのまま受け入れていい事実でもない。人間はあくまで、人間の力でこの世の中をより洗練された姿へと研鑽していく必要があるのだ。
 なればこそだ、琴割の定めた条約を今更覆そうとする者が少ないのは。者によっては琴割の主張を否定しようと知識を蓄えるが、有識者となった途端に察してしまう。実際、この取り決めが無くなった際、最悪に加速しつづければどのような結末を辿るのか。
 そしてその最期の歯止めとなる人間として、琴割という男が必要なのだ。老いることも朽ちることも死ぬことも消えることもない象徴が。彼がいなくてはならないと、誰もが認めているのだから。

「厳しい話やとは思う。非人道的と後ろ指指す奴の気持ちも理解できる。けどな、理解できてもほだされたらあかんかってん。ほだされへんからこそここに儂がい続けられる訳やけどな」
「そうですね……昨年、学生に過ぎなかった私も、ひどい話だと思っていましたが……今となっては、認められなかった理屈も分かります」
「まあな。こうやって守護神の恐ろしさを理解してへんとそんな事思えへんしなあ」

 日々、異能力を用いた犯罪に対応する捜査官となったからこそ真凜は理解できるようになった。馬鹿と鋏は使いよう。武器にもなる守護神の能力というのはまさに鋏に他ならない。適切な運用を心がければ、誰もが幸福になるものだと信じて疑っていなかった。しかし、今の世の中で、それが如何ほどに難しいことか。
 強すぎる力を持って、驕らない人間の方がよほど少ない。自分とて、これまでの人生で何か一つでも道を踏み外していれば、このメルリヌスの能力を賭博に用いようとしたものだろう。
 その、使いようを、適切に用いない者はごまんといる。最大利益を生む使い方ではあるのだが、道理に反する使い道。それを取る者があまりにも多いものだから、規制だらけの現代社会においても、真凜達捜査官の仕事は絶えない。
 むしろ、規制をより固め、抜け道を塞ごうとする度に増えているのではないかと錯覚するほどだ。それほどまでに、人の欲は尽きないものだ。琴割や知君が、道を踏み外していないことが、これ以上のない奇跡としか言いようがない。
 むしろ知君であれば、苛烈な教育のせいかと納得できる。しかし琴割という男は、自らの背景について語ろうとしない。それゆえ、なぜ彼がこうして正義の使徒として君臨するに至ったのかは本人しか知りようがない。何せかつての知人は皆、寿命でその命を失ってしまったのだから。
 彼らはそうやって、幸せな結末を辿れた事だろうから、琴割が思い出すことは少ない。失った者たちの中で、彼がわざわざ思い返そうとするような人間は、やはり事故で失ってしまった際し以外にはあり得ないのだから。
 あの時既に、ジャンヌダルクの能力を持っていればと、琴割すら願ってしまう。もしそうならば、ジャンヌダルクの能力で無理に延命して平和などという大それた理想を追い求めようとはしなかっただろう。
 そして、もしあの時救えたならば、彼は私利私欲でその力を用いたはずだ。誰から糾弾されようと、家族を優先したはずだ。しかし手遅れだった。ジャンヌダルクは過去において既に確定された事実は拒絶できない。歴史の改変ができる守護神は存在せず、居てはならないのだと言う。いかなる能力を以てしても、死と過去だけは絶対だ。
 話が長引きそうになったところで一時停止していた、ソフィアからのメッセージの視聴を再開した。

「貴方はそうやって、ずっと利用されたままでいいの? 貴方の母を見殺しにしたその男が憎くないの?」

 当時二歳だった彼女は琴割が何を目的に朱鷺子の遺伝子を欲しがったのかは知り得ない。唯一知っているとすれば父親ぐらいのものだ。そして彼には研究内容を他言する事は許されていない。そのため、知君が生み出された理由を知っているのは、彼女の父の身にとどまっていた。

「私は貴方が何を目的に生み出されたのかは知らない。それでも、琴割という人間がわざわざ作ったのなら、それは何か目的があるはず。いいえ、こういうべきかしら。何かしらの『用途』があるから作ったのよ」

 あの男は君を物としか見ていないわ。鼻を慣らし、吐き捨てるように彼女は告げた。それを耳にした奏白兄弟はどんな表情を作ったものか分からず顔を伏せ、当の知君はと言えば曖昧な苦笑を浮かべるばかり。琴割はと言えば笑うようなことも無く、真剣な表情のまま液晶の中の彼女の一投足に集中していた。

「そして貴方は利用されているだけ。いや、それだけならまだいいの。もし虐待されていたらと考えたら、気が気じゃなくなりそう」
「あはは……耳が痛くなっちゃいますね」

 もしも幼少期の躾がどのようなものであったか、彼女が聞けば卒倒するに違いない。これは伝えるに伝えられないなと冷や汗を浮かべた。

「ただ、私のしている事は単なる復讐よ。それはとうに理解しているわ。でも、それでも泣き寝入りなんてできない。私にこれ以上ない悲しみをくれたあの琴割に、何か復讐しなきゃ我慢できないの。もしかしたら、そもそもこの映像自体、隠蔽されて貴方に届けられていないのかもしれないわね。それならそれで構わない。琴割月光、お前の底の浅さが知れるだけ」

 もしこの言葉が貴方に届いているならば、どうか目を覚まして欲しい。それが彼女の望みだった。討つべき仇が誰であるのか、自分の声に耳を傾けて欲しい。君もきっと、あの男に憎むところがあるだろうから。だから、だから、だから。
 確かにそれは、冷静に言い含められれば頷いてしまいたくなる理屈だった。感情を語っているはずなのに、全ては自分の正当性を何とかして確保したいと主張する、言い訳に似た理論だ。因果が整然としており、琴割がまず悪くて、そして私達の復讐が正義であるべきだと。
 誰に言い訳しているのであろうか。言い訳の相手は、きっと自分ではない。それだけは簡単に理解できた。だとすれば、ソフィアが言い訳をしたい相手は誰なのだろうか。
 それはきっと、一人しかいない。彼女の行いを、どこかで見ているかもしれない人。彼女の歌声を、いつしか聴いているかもしれない人。その人の姿は目には見えず、触れることも出来ず、居ないかもしれなくて、居るかもしれない。会いたくても、会えず、もしかしたら見てくれているんじゃ、などと期待してしまう。この世界で彼女が最も、嫌われたくなくて仕方の無い大切な人だ。
 もしかしたらその人は、僕のことも見てくれていたりはしないだろうか。会ったことさえない、『その人』の姿を想起する。本当に彼女が映画監督だと言うのならば、ウェブページで検索をかければその顔も出てくることだろう。娘があれだけ美人なのだから、きっと美しい人なのだろうな。そんな気がしてならなかった。
 もう少し映像は続いたけれども、それ以上の情報と言えば、シンデレラが今月の十五日に攻め入ってくること、そしてそれが最後の戦いになろうということぐらいだった。

「……ソフィアさんには申し訳ありませんが、僕はもうこちらに立つと決めているんですよね」

 再生が終わった途端に、うずうずしていたとでも言いたげに、知君は我先にと口を開いた。沈黙が訪れるようなことも無く、ずっと話題に上がっていた彼のもとへ皆が視線を寄越すより先に、黙っていられないといった具合に、想いが口から溢れ出した。

「少し前までなら、揺らいでいたのかもしれません。揺らいで揺らいで、結果として琴割さんに逆らえないと言う理由だけでこちらに残っていたことでしょう。けれど今の僕は違います。いつも励ましてくれる奏白さんの事が、やっと友達になれた王子君の事が、色々ありましたけど僕の事をこの世界に作り出してくれた琴割さんの事が、それと……」

 ある人物に対して向き直り、僅かに目線を上げた。何分、彼女の方が目線が高いのだから仕方ない。時折冷淡ともとられかねない、切れ長の瞳を真っすぐ見据える。どうかしたのかしらと首を傾げた彼女の首の動きに合わせて、頭の後ろで束ねた髪も揺れていた。

「それと、初めて僕を認めてくれた真凜さんの事が、僕は大好きです。こっちの方が居心地がいいんですよね」

 ソフィアと真凜の語り方は少し似ていた。貴方と言うようにしているけれど、昂った時には君と呼びかけたり、そう言ったところも含めて。二人とも我の強そうな女性なのもあるのだろうかと推察する。
 ソフィアという人間は何度かテレビで見たからどういった人柄なのか知っている。中学校時代の王子の笑顔から受ける印象の変化にも気が付いた知君だ。そう言ったソフィアの態度が、有名人としての皮ではなく本心としての振る舞いであるとは分かっていた。
 本来であればとても優しくて、日本を愛している人。そんな人が憎悪にかられ、復讐に囚われて、大切なものを見失っているのはどうにも耐えがたい。
 だからこそ、彼女の側に立つ訳には行かなかった。何としてでも止める。それこそが生まれ変わった彼が、己の意志のみで自分の意見として下した、初めての決断だった。