複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.110 )
日時: 2018/09/25 17:29
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)


 穏やかな夜だった。風も、吹いていない。太陽はいつもと変わらぬ顔して南天へ昇り、そしてまた何事も無く西の空へ消えていった。代わりに、東の空からは欠けたることも無い望月が昇る。きっとその空は、道長が栄華を歌った頃から何も変わっていない。あの日あの時、帝と見た満月と、何一つ変わらない。
 素顔を隠す面をつけ、常ならば足元に降り立っているはずの、月面を地上から見上げた。自分がここを訪れたのは、千年ぶりのことであろうか。面越しに、己の故郷をその目に収めた。爛々と、赤く侵された眼光は光を鈍く放っている。夕日のように澄んだ赤色ではない。腐りかけの血のように、黒ずんで汚れていた。
 十二単は今日も重たい。自分の抱く、彼の人への愛情を同じように。幾星霜の月日を無為に過ごそうとも、決して薄らいではくれなかった恋慕の情。遣いの者が差し出してきた薬を一舐めすると同時に、春先の雪同様に消えてしまったと思っていたものだが。どうにも、三百年ほど前から再び、思い出してやまない。
 折角彼女が託した不死の薬は、恋焦がれた男から拒絶されていた。日の本で一番天に近いところで、月に返すように、再び彼女に奉納するように、火にくべられた。皮肉にも、燃やしてしまったせいか、そもそも生者にしか効かないというだけなのか。今となっては、帝の代わりに不死の妙薬を口にしたはずの山は、死火山だなどと括られていた。
 目的も無く過ごした千年と異なり、この三か月と少々の期間はやけに濃密だった。理性が飛びかけ、破壊衝動のみに支配されそうな脳裏で、何とか思い返す。始まりは、五月のある日、いつものように月面に身をおろし、地上を眺めていたある日のことだ。不意に、呼びかける声があった。ドルフコーストと名乗った守護神が、冷静さを奪い、憎悪を冗長する毒を月へと撒いた。
 それは、神経を蝕む毒。地上では二百年、三百年ほど前に流行った阿片のようなものだなと、彼女は仮定した。千年の間、毎月毎月、彼女は満月の夜に日本の様子を眺めていた。日本という国が姿を変えていく様子を見ていた。平氏が栄え、源氏が滅ぼし、北条が実験を握る頃から、徳川の天下となり、鎖国、開国、大政奉還。そして世界で初となる、ELEVENと守護神アクセスを為し遂げた、琴割 月光。
 実在する世界の出来事のはずなのに、どこか絵空事のように思っていた。何故か等、尋ねずとも分かる。彼女にとって帝のいないこの世界は、現世と認めたくないというだけの事だ。作り物の贋作であり、自分が生きていたあの日本ではない。違う次元の、違う国の、全く知らない人間たちの物語。
 だからこそ、飽かずに見ていられた。茫然としながらも、惰眠を貪るよりもずっとましだと。
 だが、嘆いていたのだろう。苦しんでいたのだろう。帝だけではない、血の涙を流してまで、惜別を受け入れた年老いた親代わりの夫婦も、彼女の両親に打たれた楔だ。転んで泣いている少年の顔に、友人の葬式に参列する女性の顔に、ついつい両親の顔を重ねてしまう。
 あの時自分は、何も声をかけることができなかった。帰りたくないと抗う事も出来なかった。恩など、何一つ返すこともできないまま。本来生まれ落ちたフェアリーガーデンに帰るために、月の使者が迎えに来た。フェアリーガーデン原初の守護神となるため、人間らしさを後続の守護神に教えるため、彼女は平安の日本で育てられた。自分より紡がれたのが古い物語もあると言うのに、後に最古のお伽噺の称号を賜ると言う理由だけで、彼女がフェアリーガーデンで最古の守護神となった。
 物語の登場人物ではなく、作者という肩書を持ったシェヘラザードがELEVENとして存在しているのは関係ない。彼女は本来異質な存在だ。文化人として、パブロルイス率いる異世界に、アンデルセンたちと同じように組み込まれる存在。しかし作者という性質が、フェアリーガーデンを纏めると言う大役に相応しいと、世界が王に定めた。それゆえフェアリーガーデンに属する守護神として、最も敬うべきはかぐや姫であるのに対し、シェヘラザードは世界の象徴として頂点に立ち続けていた。

「今宵は童のための夜である。そうだな、女王」
「その通り。本当は出てもらう予定では無かったのだけれど」
「だから最初から進言していたのに。全員一斉派遣すれば、もっと簡単なのにと」
「それはできなかったらしいわ。うちの契約者は我儘でね」

 全員で出撃などさせようものなら、流石に琴割の能力を使う許可が下りる。赤ずきん一人だけでも、あと一歩でジャンヌダルクの能力行使が可決しかねない程の被害を生んでいるためだ。あくまでも目的が琴割の失脚である以上、『彼に許可が下りていない状態で、無理に能力を使わせる必要がある』のだ。
 ELEVENの能力の使用許可は、全会一致制でなく加盟国の三分の二以上の賛成で決まる。それゆえラックハッカー一人が反対しても意味は無い。未曽有の大惨事をフェアリーテイルが生んでしまえば、日本という一国を滅ばしかねないため、そしてその後に自国に被害が出ないようにと琴割に鎮圧させるようにするため、産生する国は多い。何せ全世界に国は二百近くあるというのに、最高戦力であるELEVENは文字通りたったの十一人、それも最後の一人は、契約者がいない扱いとなっている。イギリスやアメリカは最悪自分の国にELEVENを有しているため問題視しないだろうが、中国やロシアといった列強に位置する外の国は、ELEVENを保有していない。
 ならば琴割に全て解決させる方が丸い状況を作ってはならない。そのほかの人間の身で辛うじて鎮圧できない状況に留めて、当事者以外にはELEVENの能力行使をためらわせる、そのような状態で進めねばならなかった。
 おおよそ上手くはいっていた。特に赤ずきんは単騎で丁度いい戦闘能力を有していた。どうにかなりそうに見えて、どうにもならない。それゆえずっと、被害は広がり続ける一方だったと言うのに、つい先日討ち取られた。

「結局童とシンデレラ以外いなくなったんでしょう。許可が下りるより早く迅速に血祭りにあげればよかっただけに思えるわ」
「人を我儘呼ばわりして話を進めるな、両名。俺の目的は日本の壊滅でなくて琴割の失脚だ。はた迷惑なルールの撤廃だ。お前らにはそのための布石として暴れさせてやっているだけだ、そっちは手段であって目的ではない。履き違えるな」

 むしろ破壊衝動に囚われて、前後不覚なまま飛び出そうとしたがるお前たちの方が余程我儘だと煌びやかな着物に身を包んだかぐや姫に彼は呼びかけた。だがそれに対してもかぐや姫は反発する、それをラックハッカーが指摘するのは如何なものなのか、と。

「そもそも童たちを狂わせたのは貴方の方でしょう? 好き勝手暴れるように理性を奪っておきながら勝手をするなだなんて、どちらが失礼なのか考えなおすべきでは?」
「五月蠅い。今はそれどころじゃないだろう。漸くお前にも暴れさせてやると言っているんだ。素直に喜んだらどうだ」
「はあ……。しかし、確かにあの人のいないこの国に未練は無いし、好き勝手暴れちゃおうかしら」

 初めからそうしていればいい。ふんぞり返ったまま鼻を鳴らして、ラックハッカーは踵を返した。時間だから早く行け、という指示だろう。ホテルの一室、壁面に飾られた大きな時計の針は、九時を示そうとしていた。
 もうとっくに準備は済んでいる。彼女がほくそ笑むと同時に、夜空が揺れた。カーテンのようだった。濃紺の空が揺れて、避けたかと思えば、大軍がそこに立ち並んでいた。それは、夜空に瞬く星々のように、鮮やかな光を放っていた。身に纏う、羽衣や鎧は薄くたなびくオーラのようなものを一様に纏っていた。
 相も変わらず気色の悪い軍勢だと、ラックハッカーのその様子を見て唾棄した。彼が眉を顰めて睨むように月の軍勢を眺めていたのには訳がある。工場で量産されたように、全く同じ顔の兵隊が並んでいたからだ。マネキンのような姿だとか、そう言ったものではない。間違いなく人間と同じ質感を持っているのに、寸分たがわない顔つき、体つきをしている。それがどうにも、薄気味悪い。双子ならまだしも、何千という兵隊だ。コピーして、そのまま張り付けたものを際限なく倍々に増やしていったような光景。
 歴史上、スパルタだろうが、訓練された信長の鉄砲隊であろうが、性能のみならず外観までこれ程に瓜二つな軍勢は存在しないだろう。
 月の軍勢、かぐや姫の従者というのは、人の枠組みの中で完成されたスペックを持っている。完成された中世的な美貌は、男なのか女なのか判別できない。甲冑に覆われているせいでボディラインも分からず、性別というものはどこかに置いてきてしまったように思える。
 戦闘能力も高いのだろう。しかし、知性は無いとかぐや姫は言っていた。何でもこれはあくまで従者らしく、自我は必要無いからだと。ある目的を与えられ、それを忠実にこなす。今風に言えばAIのようなものだと。
 溢れ出るエネルギーが光となって漏れ出ているのは、まるで守護神アクセスしているかのようだ。確かに、契約した相手の能力を用いている間が、人間の最も性能が高く居られる時間だと思えば納得できる。
 彼らは人間の見掛けをしていながらも、守護神と同等の戦闘能力を有している。

「アリス風に言うならば童にもジャックの兵士が存在している。こちらの所有は五体ゆえ、一騎一騎は確かにスペードのジャックに劣ってしまうがな」

 それでも本体である自分を含む総合力でなら負けはしないと、天上の姫は自負する。原点にして頂点に立つ。後輩となるシンデレラに、確かに戦闘能力は遠い昔に抜かされてしまったとはいえ、それでも竹取物語とて、あまりに著名なお伽噺。人によっては人類最古のSFとも主張されるだけある、一人の女性の身の上話。
 作者は不詳、それゆえ伝承と虚構の狭間を曖昧に漂っているのが彼女だ。
 自分が日本で学んでいた時の習わしに則り、御簾ではなくて仮面にて素顔を隠す。この顔を晒す相手は、愛した相手だけと決めている。どうしてだか自分のその決め事を真似ているのか、白雪姫などの一部の守護神達は己の本名を大切な友人たちのみにしか伝えないようにしている。そもそも文化圏が全く違うのだから、真似する必要なんて無いのに。

「もう感傷はいいだろう、早く行ってこい」
「分かってる。……行きましょう、皆」

 ホテルの窓を透過する。人間ではない、守護神だからこそできる芸当だ。夜空の上に立って待つ、従者たちと同様に空に立つ。まるでそこに透明な足場があるように、足を進める。光輝く一団の中に迎え入れられ、用意されていた牛車の車両へと、彼女は乗り込んだ。
 それを見届け、準備ができたとばかりに月の民の大軍は歩み始めた。
 地を蹴っている訳でもなく、足音も無い。その行軍は足音一つ響かせない。しかしそれでいて、着実に地上へと進んでいく。主であるかぐや姫を引き連れて、琴割の部下たちが待ち構える地上へと。
 最後の戦い、だと言うに。それには似つかわしくない、静謐の中で幕は上げられた。



「瘴気のデータ、観測されました」
「おでましか、先に今日が終わるんちゃうかと思うくらい待ちくたびれたわ」

 地上では、至る所に捜査官が配置されていた。日程だけ告げられたのだが、具体的な時刻と場所に関しては伝えられておらず、日付が変わった零時から、この二十一時間の間、ずっと誰もが緊張したままであった。
 交互に睡眠をとることで、何とか全員体力を温存できている。それにしても残りたったの三時間。三か月も騒がせた割には、随分短期の決戦を望んでいるようだと、日頃から細い目で弧を描き、武者震い一つを体に走らせた後に、白髪の指揮官はほくそ笑んだ。
 随分と長かった。随分と多い被害が出た。だが、今日こそ終わらせて見せる。琴割は一人の男に指示を出した。開戦の狼煙は、他の誰よりもお前が相応しいと断言して。
 それと併せて、自分の傍に控えさせている少年たちにも声をかけた。

「分かっとんな? お前らはしばらくここで待機じゃ」
「はい」
「分かっています」

 王子も、知君も、迷うことなく返した。今すぐ自分たちが出る訳にいかない、出ても力になれないとは本人達が一番理解していた。
 ネロルキウスの能力は傾城に通用しない。それゆえ、必要な時が来るまでは温存しておくべきだ。どうせシンデレラとかぐや姫双方に対して、盾となる以外で活躍できそうにない。白雪姫戦でもそうだった。無理やりに瘴気を奪い取ることさえも、世界のルールに拒まれる。知君自身、とある嫌な予想が浮かんでいたため、その時が来るまでは後ろに控えておくべきだと琴割に進言していた。
 王子が後方で待機しているのも当然の話で、知君が残る二人のフェアリーテイルを処置できない以上、彼が殺される訳にはいかない。この最後の作戦において、最も大切なのが彼の存在だ。しかし彼、というよりは人魚姫の戦闘能力はお世辞にも高くない。それゆえ前に出てもこの戦いでは足を引っ張ることが多くなってしまう。
 何せ彼を落としてはならぬと、誰もが意識をそちらに向けてしまうからだ。散漫な注意が最悪の結果を招くのを避ける、そのために彼も後ろで護られる側の人間となった。この両者が同時に待機しているからこそ、王子の安否を恐れる必要は無い。想定外の襲撃があったとしても、必ず知君が守り通せるためである。

「にしても……今晩で終わりなんだな」
「短いようで、とても長かったですね」

 決して安堵などしていられない。これまでに払った犠牲を振り返れば、もう取り戻せないものがごまんと並んでいる。これ以上、何一つたりとも取りこぼすことなど無いよう、今日で必ず全てを終わらせなくてはならない。
 当然、誰一人失うことなく。王子の脳裏に兄の姿が過る。今晩、その娘が生まれようとしていた。月子の傍には今、洋介とその妻、要するに太陽の両親が寄り添っている。こんな時ぐらい、休んでも良いだろうに、とは言えなかった。むしろこんな時だからこそ、尻尾を巻いて逃げるだなんて選べない。
 お前が生まれた時、父さんは必死で仕事してたんだぞ。笑ってそんな風に、子供に自慢している方が太陽らしかった。だからこそ、彼は前線に立っている。絶対に兄とその娘とを会わせる。王子にとってその事は、何以上に強い戦う動機となった。

「それにしても先駆けって誰なんでしょうね」
「やっぱクーニャンとか? 切り込み隊長って感じだしよ」
「あほか、あいつには務まらんわ」
「でもさ、琴割さん。実力的にもあいつがベストじゃないですか」

 思い付きで口にしたことを即座に否定され、多少なりともムッとした王子は琴割に反駁した。スピードもある、力もある。その身に宿すは日本一の剣士。ならば先陣を切るにはうってつけではないかと。
 だが、それは切り込み隊長には相応しくないとばっさりと否定された。もっと相応しい男がいるのだと。

「あんな、これから味方の士気高めなあかんねんぞ。ぽっと出の、暗殺経験豊富な小娘なんざヘイト溜めるだけじゃろうが」
「あー、なるほど……」
「せやから儂ら警察の者の中で、誇りとして掲げるに相応しい奴を出さにゃならん。それならあいつで決まりや。野球もバスケもそうやろ、エースが花形って相場は決まっとるし、それに……」
「あの人は『声がよく通ります』ものね」
「知君の言う通りじゃ」
「……確かに、馬鹿っぽいクーニャンよりかはその方が付いて行きたいものですね」

 流石にそこまで言い切るのはしのびないけれども、そういう事だと琴割は認めた。そして王子も理解する、確かにあの人であれば、激を飛ばすにも勝鬨を上げるにも最適だ。そして颯爽と戦場を走り抜ける、その姿は先駆けには適任だろう。
 時を同じくして、精鋭たちは空を見上げていた。六月の頭に、琴割によって集められた関東の精鋭。暴走するお伽噺の守護神、フェアリーテイルたちを鎮圧するために招集された選りすぐりの部隊。三か月に渡り、時に甚大な被害を得ることがありながらも、苦しくとも踏ん張り続けてきた。
 夜空を歩くそれら一人一人は、まるで流星のようで。何千と規則正しく立ち並んだまま進軍する様子は、夜空を穏やかに闊歩する流星群のようであった。しかし、それらが如何に煌びやかとは言っても、綺麗なままでは終わってくれない。正確に表すなら、ただ暗い宵闇を裂いて通り過ぎる流星ではなく、地上を抉り、荒らし散らす隕石と呼ぶべきだろうか。
 捜査官達は敵影を見定め、生唾を飲み込む。緊張感のせいか、さらさらの唾液がとめどなく溢れ出る。血など流していないのに、唾液からは血の味がするようであった。
 それは、とうとう終わるという感傷だろうか。終わってしまうのだなという感慨だろうか。終わって欲しいという願望やもしれぬ。それぞれの胸中に、十人十色の想いが渦巻く。誰もが過去、あるいは未来を視ている中でたった一人、今を見据えている者がいた。

「じゃあ、いっちょ行こうかアマデウス」