複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.113 )
- 日時: 2018/10/15 20:45
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「悪い、助けられた」
「気にしないで。あれの相手は私がやるから」
「大きく出たなぁ、兄さんは嬉しいもんだ」
「その代わり、他はよろしくね」
そいつは流石に無茶だと嘆く。最近だとこうして軽口叩くように話すようになってくれて、普通の兄弟らしさが出てきたものだなと妙な感慨がやって来る。今まではむしろ、教師と教え子のような関係で、どことなく壁を感じていたものだが、それはいつしかなくなった。いい兆候であると信じて疑っていないが、遅れてやってきた反抗期のような態度が散見されるように映るのだけはいただけない。
龍よりましそうに見えるが、それでも三対一は厳しいだろうとは容易に想像がつく。そもそも、身体能力などのカタログスペックはこれまで数百以上蹴散らしてきた雑兵たちと変わらないことだろう。しかし、特別に与えられた能力、正確には能力を持った道具というのが厄介そうだ。
まず第一に、能力が推察できない。これまでの白雪姫の毒りんごや、赤ずきんの狼は、まだ予測の範囲内だ。物語の中にも登場し、脅威として描かれている。だが、この竹取物語の五つの道具は、名前こそ出てくるものの存在しない代物だ。実際出てくるのは偽物ばかり。だからこそ、本物の効力が何一つ分からない。
貝殻の首飾りを下げた、楽し気にほくそ笑む男。彼の与えられたものが子安貝だと分かっていても、それの特性など分かってなるものか。文字通り、本文中に現れるその貝は『燕が生んだものである』から特別なだけだ。何か特異な性質を有している訳では無い。火鼠や龍のような幻獣がまつわる、先ほどの龍の珠によって体を巨大な龍に変容させるようなものとは根本的に性質を異にしている。
強いて言うなら存在そのものがあり得ない。そのはずなのに、月面にはそれがあると主張するかのように、神秘の首飾りを付けている。後方に控えた、真紅の衣を羽織った者も、光輝く御鉢を抱えた者も同様だ。
こちらの能力は先ほどの龍化した兵の言葉からも分かる通り割れている。というのに、こちらは何も情報を得ていない。一対一ならばまだ警戒しつつも注視できるというのに、現状は三と一。それら全てに気を回すなど到底不可能。誰を見定めたものか見当もつかない。
まともな判断ができるならば、あるいは他の従者達のように合理的な判断を下せるならば、奏白の懸念通りに三人がかりで彼を仕留めればよい話だった。しかし、彼らには感情が付与されていた。特に、奏白が気が合いそうだと本能的に嗅ぎ取った、楽の個体。彼こそが奏白にとって不利な状況を一変させた。
「皆すまない、一対一でやらせてくれないか」
「どうしてでしょう、それは私が足手まといになってしまうとのことでしょうか」
もしそうならば嘆かわしいことだと、御鉢に慰めを求めるように頬を擦りつけた。これはまた感情表現が派手なものだと、哀の兵士にやや白んだ視線を向ける。みっともないからそんな真似は止せと、他の者も同じような目つきで窘めていた。
「我らに楽をさしてくれるというなら喜ばしいことだが、そうではないのだろう、きっと」
「そうとも、悪いね。僕はそんな高尚な気配りができるタイプじゃないんだ」
ただ、自分が楽しみたいだけ。身体の芯から打ち震えるような期待をこめて、口角をニッと持ち上げた。唇の隙間からは真っ白な歯が覗き、弧を描くような隙間から光を受ける様子は三日月を想起させる。
戦闘狂、バトルマニア、スリルに溺れた哀れな男。何とでも呼ばれても構わないのだろう、気にしないのだろう。ただ彼が目にしているのはこれから享受できる悦楽だけだ。他者の評価も嘲笑も、全ては塵芥程の価値も無い。
彼はただ、目の前に現れた極上の馳走、音に聞くアマデウスの契約者と手合わせねがいたいだけなのだろう。水を差されぬ、二者しか存在し得ない舞台にて。
身震いをしたのは奏白とて変わらない。それは恐怖や緊張に依るものでは、当然ない。眼前に相対したフェアリーテイルの尖兵と同じだ。寒気など何一つ感じず、ただ丹田より漏れ出た闘志が、抑えきれないと体躯を震わす。昔から言われている言葉を用いるならば、武者震い。彼もまたやはり戦う地にて生きる者、それゆえ高揚が隠し切れない。
だからこそだ。哀と喜、他の者も含めて、自分が足止めするのがベターな選択肢だとは痛いほどに理解していた。しかし、その甘露のごとき誘惑には逆らえない。在りし日に桃太郎と手合わせした時と変わらないような胸の昂り。
「というよりも我らは地上に行くべきだろう。雑兵共が消耗させたところを一挙に叩いた方が良い。特にお前にはその力がある」
「ああ、痛ましい痛ましい。どれほどのはらから達が散ったことでしょうか。その無念を無碍にすることこそ、やはり最も憂慮すべき事態。ええ、降りましょう降りましょう。あの汚らしい地上をまっさらにするには、御仏の力こそ望ましい」
やけに芝居がかった語り口。それはほぼ全ての側近に共通していた。だが、それも仕方の無いことなのだろう。そもそもフェアリーテイル達は言うなれば、台本の中から飛び出してきた守護神なのだから。
「ごめんね、僕以外皆話し方が古臭くてさ」
「気にすんな、桃太郎とかで慣れてっからよ」
「そりゃ頼もしいや。それで……邪魔の入らない一騎打ち、受けてくれるかな?」
「いいぜ。逆にたった二人で地上侵攻って、心もとなくないんならよ」
おつりが出るくらいさ。不敵な笑みを押し殺し、冗談の混じらない声音で彼はそう告げる。彼にとって自分は足止めすべき懸念材料であり、その他の捜査官はただの蹴散らすための烏合の衆と見ているようだ。澄ました顔が気に食わない。ドロシーが従えていた三つの仲間達と同じだ。自分の尊敬する者たちを馬鹿にされた。それだけで、あの澄まし顔の鼻を明かしてやりたくなる。
あの人たちは決して弱くないのだと。今度は彼らに、身をもって証明してもらわなくてはならない。故に足止めなどせず、残る二人は送り出そう。太陽であれば、そうでなくとも他の者であれば、手を取り合って押し返し、ねじ伏せられるだろう。強大と言っても流石に赤ずきんなどの強大な守護神には劣る。理由は明白で、所詮従者は従者、フェアリーテイル本体の力を分けられた分体に過ぎない。であれば、これまで灰被りや赤ずきんをも乗り越えてきた人々ならば、決して勝てぬ相手ではない。
「と、来れば俺がやるべきは……何しでかすかわかんねえお前をぶっ飛ばすだけだ」
「そうだね、僕は楽しそうなら何でもやるからね」
最も行動が読めない男、自軍からもそう評されるほどだ。あるいは、貶されると表現した方が妥当だろうか。自虐的に彼は自負している。そんな言葉、奏白は興味ないというのに。詰まらなさそうにしている男の顔を見て、子安貝の首飾りをした従者も、ようやく長話が過ぎると悟ったらしい。そもそも、自分が望んだのは舌戦ではない。
血沸き肉躍る、言葉の要らぬコミュニケーション。それこそが至上ではないか。乾いた唇を一舐めし、視界の中心に奏白を見定める。もう、言葉なんて交わす必要は無い。ただし、一つだけ。
「一つだけ忠告してあげる。戦いをフェアにするために」
「随分余裕だな。……で?」
「僕らは見ての通り一人につき一つだけ、気持ちを貰ってるんだ、姫様から」
そして自分は喜怒哀楽の最後の一文字を貰っていると告げる。そんな事は言われなくても分かっていると奏白は吐き捨てた。そうだよねとあっけらかんと、また応答。ばれてることぐらいはすぐに察せられる。月の民は人類の極致。故に、他人の様子ぐらい一目見ればあらかた察しくらいつけられるのだと。
「僕は他の皆が作業と割り切っている戦闘を、楽しむことができる。命のやり取りを、あるいは一方的に奪い取ることも」
「随分趣味悪いな」
「悪食は君も同じだろう?」
「最後の一つは楽しくねえよ」
「ははっ、確かに。警察だもんね」
乾いた笑みだった。アイスブレイクのつもりなのだろうか、張り詰めた局面で語り続けるためだけにあげた笑い声。殺戮さえも笑いながら愉しむ、そんな様子に奏白の神経はちりちりと削られるようで、熱を上げ始める。
「そう、僕は戦闘を楽しんでる。だから、強くなる努力をも厭わない」
「進化した人間気取っといて結局は努力するのかよ」
「当然さ。与えられたギフトを磨く手間は惜しまないものなのさ」
だからこそ、自分は他の者と比べてそもそも『個』としても強い。それが忠告らしかった。先刻まで易々と蹴散らしてきた連中と自分とでは完成度が天と地ほどの差がある。もし舐めてかかってくるようならば折角の主菜が台無しだという魂胆が透けて見えた。なるほど、これはあくまでも彼自身のための配慮かと納得した。
その様子は、どこか自分と重なるところがあった。だからこそ、許せなかった。認められなかった。自分とは違う残虐的な思考回路が、如何に多くの人生を狂わせたのか、理解のしようも無い。きっとそれは、殺人鬼の嗜好に他ならないからだ。護る身の奏白には、理解できない、したくもない。
「いいから始めようぜ。後がつかえてんだ」
「……そっか、僕一人屠ればいいって訳でも無いもんね、奏白 音也は」
早いところ地上の援軍に向かわなければならない。あるいは、真凜の補助としてもう一度あの龍と相対せねばならない。きっとどこもじり貧になっているだろうし、自分とてここで大いに足止めを喰らう可能性も高い。
それにまだ、星羅ソフィアは現れてすらいない。
それでも、安易に自分から仕掛けるのは得策ではないとは分かっていた。相手をする従者は、多少なりとも緊張感を携えたままの自分とは異なり、純粋な享楽に溺れている。いや、きっと緊張感などという感情は与えられていないのだろう。
だからこそだ、彼らが歪だと感じるのは。全く感情を発しない人間はそれほど珍しくない。極度に心が摩耗すれば、感情の機微を外部に発するだけの余裕がなくなるためだ。しかし、たった一つのみ感情を露わにしているとなれば、奇妙でならない。あれほど楽しそうにしているのに、つまらないと感じていそうな瞬間さえ見かけられないのは、気味が悪くて仕方ない。
生物としてねじが抜けている。感情というのは行動を制御するために必要な因子であるのに、それが不均一に欠けていたりしたならば、途端に行動様式が常識の枠を超える。だからこそ、想像ができない。なればこそ、薄気味悪く得体のしれない何かに見えてしまう。
警戒という概念が存在しているならば、ここは互いににらみ合いが続いても可笑しくは無い。しかし、恐れも何も持ち合わせていない、ただ悦楽を求める兵士は、目の前の宝物に手を伸ばせずにはいられない。
うずうずして、今にも飛び出したくなりそうなのを堪えているのが、奏白には手に取るように理解できた。息遣いと、目の光から、容易に想像できる。本来ならまだ待っておくに超したことは無いというのに、己の欲望に従うまま、奏白と向き合った月の民は空を蹴り、宙を翔けだした。
確かに自分から強者であると自負しているだけある。その動きは、逸る気持ちとは裏腹に、あまりに精密であった。綺麗な動きというだけで、機能性としておろそかだった雑兵たちの挙動とは違う、美しさを僅かに欠きながらも効率を追い求めた所作。極限まで無駄を削ぎ落すのみならず、無理に壁を砕いて越え、最速を目指した動作。先刻までの大した実力を持ち合わせていない従者の軍隊に慣れた目では見逃しかけてしまうほどに洗練された速度、だが、それでも奏白には及ばない。
跳びかかるその矛の刃を、身を捩って避けた後に、得意げな顔面に掌を打ち付ける。迫る掌底がその鼻先を潰そうとしたその瞬間、ゆらりと陽炎が揺れるように、残像が消えた。顔面に減り込ませようとした手が、何も貫くことなく虚空をそのまま突いた。手ごたえの無さに強い衝撃と動揺を覚え、奏白は目を見開く。
どこに行ったのか、強張った脳と一瞬凝り固まる肉体。その動揺が『楽』の側近には容易に把握できた。これだから止められないと、満面の笑みを浮かべたまま、その矛先を左胸に向ける。
こっちだよ、などとは声をかけない。それで気づかれて避けられてはたまったものではない。それゆえ、閉口したままに大気を貫きその心臓を穿つ。そのまま高らかに勝鬨を主君へと献上する、その予定だったというのに。
気が付けば、背中から衝撃が走り抜けていた。
「おっせーよ、寝坊してんのかと思ったぜ」
物音一つ立てることなく、眼前にあったはずの奏白の身体は忽然と消えていた。消えた男の膝が、矛を突き出した自分の背中に打ち付けられている。そのまま背骨が折れてくの字に反れてしまいそうな体を何とか抑える。身体を動かすに必要な酸素が足りない。意識を保つに必要なだけの空気が足りず、肺が切ないと悲鳴をあげている。背中を強打されたその衝撃を近くした瞬間には、胸の中に蓄えていた空気はいずこへか逃げていた。
前に吹き飛んだ勢いを利用し、距離を取りながら振り返る。自分が失念していた事実をようやくその従者は自覚した。矛先が空を切るその音でさえ、あの男は所在を知り得るという事実を。そして身体ごと奏白に向き直ったつもりだった。しかし、次の瞬間にはまた、その姿はまた視界の外へ消え去っていた。
後ろかと、先ほどの反省を活かし、手にした武器をそのまま背後に向かって突き出した。しかし、反省したというのは彼の思い過ごしだ。ただ、学習したと思い込んで、同じものばかり仕掛けてくると無為な判断を下したに過ぎない。言い換えるならば、それ以外の思考の余儀を奪い取られた。
頭頂に掌を押し当てられる。上方にいると理解した瞬間には、腕から放たれた空気の振動が、その身を引き裂かんと彼の体躯を捉えていた。全身の骨格が、筋繊維が軋みながらもばらばらになりそうなのを堪えている。
武器を操る腕の挙動さえ安定しない。力ずくでその音撃を押しのけることは不可能に思えた。己の実力を過信していたか、奏白を過小評価していたか。そんなことは些事に過ぎない。何が過ちだったかを嘆くより今は、状況を打開するべきだ。出し惜しみなど、してる暇など存在しない。
首元から放たれる、玉虫色の閃光。主君より賜りし、燕の生んだ子安貝の首飾り、そこに秘められた能力を解放する。光に当てられ、握りしめていた矛が途端にその姿を変容していく。波打ち、その表面を波紋が走るようにして色合いすらも変化する。黄金に輝く一振りの得物であったはずなのに、今やそれは黒鉄の鉄球に姿を変えていた。その鉄球表面には、海の中に転がる雲丹を想起させるような無数の鋭い棘がびっしりと。
矛で突くほど精密に努める必要は無い。何とか腕に込められた筋力を以てして鉄の球から伸びた鎖を握りしめ、振り回した。さしもの奏白も、当たってなるものかと跳び退く。
「武器の形状変化……そいつがお前の能力かよ」
「ははっ、厄介でしょう?」
「これ以上無くな! ったく、楽しそうに笑いやがって」
「当然さ、負けそうだなんて初めての経験なんだ。楽しくって楽しくって、もうこの情動を抑える手段なんて持ち合わせられないくらいに!」
ちらりと真凜の方を目にした。灼熱の吐息が、青白い閃光が互いの身体を焼き払い、貫こうと飛び交っている。乱舞する蛇のような体躯を打ち付ける鞭打ちさえも、器用に隙間を縫うように泳いでいる。
下の様子は観測しようも無い。だが、聞こえている声から察するに絶望的な局面には至っていないはずだ。
「駆け付けたいかい? ざぁんねん、僕を無視しないでよね」
「はっ、とっとと片付けて忘れ去ってやんよ」
月は次第に昇っていく。正午を目指して、刻一刻と。
未だ姿を見せようともしないシンデレラ、その大遅刻がむしろ、嵐の前の静けさのようで。逸る奏白の精神を一秒、また一秒と憔悴が焦がしていた。